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【モバマスSS】世にも奇妙なシンデレラ
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2 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:03:04.61 ID:wyIHPwzXO
杏「杏、週休8日を希望しまーす」
杏「……なんて言ってたけどさ」
杏「まー当然だけど、1週間は7日しかないんだよね」
杏「で、じゃあどうやって週休8日にするか、って考えるとまぁ色々あるよね」
杏「1週間を7日から8日に変えるとか。これが杏的にはベスト」
杏「あとは1日を21時間にすれば、今までと同じ括りで1週間を8日に出来る。これがベター」
杏「……ま、だいたいこう言うのって思った通りにはいかない訳でさ」
杏「楽をしようとすると、大体面倒ごとの方が増えるんだよ」
杏「例えば……こんな世界とかね」
「週休熔化」
3 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:03:44.81 ID:wyIHPwzXO
「ねープロデューサー、杏だけ週休8日にしてよー」
「馬鹿言うな、1週間は7日だろ」
「えー、アイドルの夢を全力で応援してくれるのがプロデューサーなんじゃないの?」
「1日も働かない奴はアイドルじゃないだろ……」
いつも通り、レッスンを終えた後にプロデューサーと駄弁ってた。
もちろん杏だって本気で言ってる訳じゃないよ。
1週間は7日しかないんだから、週休8日なんて無理だって事くらい分かってるし。
でもまぁ、持ち歌持ちネタだしね。
あー、1週間が8日になってくれれば杏の野望も実現するのに。
そしたら毎日家でグータラして暮らすんだ。
労働?そう言うのはやりたい人がやればいいんだよ。
杏は週休8日とって幸せになるから。
「……取り敢えず専務に掛け合ってみるか」
「……ん?いやいや自分で言っといてなんだけど無理でしょ」
「夢は諦めなければ叶う」
「うん、限度がある」
「俺もそんな気がする」
まぁほんとに叶ったらいいなとは思うけどさ。
どんな事にも限界はあるんだよ。
人は空を飛べないし、アイドルはカレーになれない。
過去には戻れない様に、1週間毎にひょっこりどこからか1日が追加されるなんて事も無い。
「……まぁ、週休8日くれるならそれ以外の日はいくらでも働いてあげるけどね。それ以外の日なんて無いと思うけど」
「よし、言質取ったからな。アイドルとプロデューサー間の言葉に二言は無しだぞ」
「はいはい、そんな事よりお腹すいた。カレーかラーメン食べに行かない?」
「飴ならあるぞ」
「飴じゃ腹は膨れないよ」
4 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:04:17.70 ID:wyIHPwzXO
翌日、完全に寝不足だった。
あー……4時までゲームしてたからなぁ……眠い。
結局2時からずっと周回してたのに目当てのアイテムは落ちなかったし。
今日、確か撮影とかないよね。
レッスンだけだった気がするし、キャンセル出来ないかなー……
『おーい、今日杏休みって事になったりしない?』
ダメ元でプロデューサーにラインしてみる。
もちろん、ちゃんと出る準備もしながらね。
朝ごはん……んー、食欲わかない。
クマは出来てないし、まぁ今日は午前中だけだしさっさと終わらせて寝よ。
ピロン
あ、プロデューサーからライン来た。
朝ごはんがわりのゼリーをすくいながら、スマホのロックを解除する。
あー、アップデートしなきゃよかった。
めっちゃくちゃ使いづらい。
『いいぞー、週休8日って約束したしな。好きな時に使ってくれ』
うん、知ってた。
まぁ無理だよね、分かってるさ。
さて、さっさとゼリー食べて向かお。
遅刻してレッスンハードになるなんて笑えない……し……
……え?
落ち着くんだ、杏。
もう一回深呼吸して文面を読み返そう、落ちたスプーンを拾うのは後でいいから。
文字が読めないなんてプロデューサーだけで充分だからね。
あははー、疲れて目がぼやけてるのかな。
5 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:05:15.48 ID:wyIHPwzXO
『いいぞー、週休8日って約束したしな』
……ん?
何回見直しても、文字は変わらない。
え、つまりどーゆー事?
杏は今日、休んでもいい。
まぁそれはありがたいんだけどさ。
……週休、8日?
え、マジ……?
は?え?!
うっそでしょ?!
思わずプロデューサーに電話掛けちゃった。
「ね、ねえプロデューサー?!ほんとに週休8日でいいの?!」
『もちろんだよ、約束しただろ?その代わり、休みの日以外は全部働いて貰うぞ』
「いやだって毎日がホリデーじゃん!裏があったりしない?!」
『無いって、俺が約束を破った事あったか?』
「今まで食べたパンの枚数なんて覚えてないでしょ?そう言う事だよ!」
『まぁまぁ、これは本当さ。専務からもオッケー出たから、好きな時に休みを取ってくれ』
「じゃあ今日から8日間!」
『あいよー、それじゃまたな』
ピッ、と通話が切れた。
マジかー……ほんとに週休8日が叶っちゃったんだ。
プロデューサーが偉い人たちに持ちかけてくれたのかな。
明日にでもお礼しに行こ。
なにさ、杏だってそれくらいはするよ。
さてと、何しよっかな。
今日からずっと休みになった訳だし。
記念すべき週休8日開始日初日だし……
……うん、まぁ寝よう。
6 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:05:49.34 ID:wyIHPwzXO
やっば、寝すぎた。
もう日付変わってるじゃん、2時じゃん、どんだけ寝てんのさ。
せっかくの休みの日だったのに……あ。
そっか、これから毎日休みなんだ。
週休8日、ねぇ。
意味はよく分からないけど、まぁ多分毎日休みって意味でいいんだよね。
それじゃ、起きちゃった事だしオンラインゲームでもしようかな。
……あれ?人が全然いない、今日は土曜日だから何時もだったら沢山いる筈なのに。
そう言えば、と。
ちょっとだけ不安なことが一つ。
杏の給料とか、どうなってるんだろ。
有給がある職種じゃないし……んー、印税?
あ、考えれば考えるほど不安になる。
流石に生活費は無いと休みだからって無職と変わらないしね。
レッスンの日だけ休みとって、撮影とかはちょいちょい出とこうかな。
あ、プロデューサーに色々話聞きたいし今日の天気確認しとこ。
ピッ
『それでは、今日の天気です。各地は曇り、気温は最高でも27度と、連日の猛暑に比べれば比較的過ごしやすい1日になるでしょう』
お、ラッキー。
曇りだしそこまで暑くないし、家から出るには丁度いいね。
それじゃ、ゲームはやめて寝とこうかな。
今日は10時くらいに起きて……
7 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:06:27.07 ID:wyIHPwzXO
……え?
テレビに映された、天気予報の画面。
高頻度で目にする、気象予報士がマップを指しながら気圧の変化を説明してるシーン。
それ自体は、別段変な事じゃない。
杏が違和感を覚えたのは、別のこと。
あれ?今日の日付はあってる。
でも、なんで曜日が金曜日になってるんだろ?
まだ日付変わってなかった……なんて事はないし。
なんだろ?テレビ局のミス?
あれかな、杏が勘違いしてたのかな。
本当は昨日は木曜で、今日はまだ金曜だったとか。
だとしたらオンラインゲームに人が少ないのも納得かな。
……いや、そんなミスする筈無いや。
まーいっか。
さっさと寝ないとお昼過ぎまで寝ちゃいそうだし。
……別にそれでもいいんだけどね。
だって週休8日だし!今日も明日も明後日も休みだし!
『それでは、明日明後日の天気です』
あ、だったらここ数日以内で一番涼しそうな日に行けばいいや。
なーんて、気楽に。
能天気に考えながら、テレビ画面を見て。
杏は、絶句した。
8 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:07:09.78 ID:wyIHPwzXO
……曜日が、全部金曜日……?
なんだこれ、なんだこれ。
流石にこれはありえないミスでしょ。
なにこれ、毎日金曜日とか。
社会人にも休みをあげなよ。
写真とってツイッターにあげればかなりバズるんじゃないかな。
なんて思いながら、スマホのカメラを起動して。
パシャり、と。
シャッター音と同時に、耳に入った。
『土曜日が始まる9月19日まであと少しです。みなさん、頑張りましょう』
……は?
9 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:07:59.17 ID:wyIHPwzXO
めっちゃ焦った。
あれだよね、夏休みが終わって学校で宿題回収が始まった時、周りのみんなが自分の知らない宿題を取り出した時みたいな感覚。
落ち着け、落ち着くんだ杏。
まずはグーグル先生に尋ねないと。
……なんてググればいいんだろ?
1週間?頭悪すぎでしょ。
でも、他に何も思いつかないしなぁ。
しょうがない、人生の汚点だね。
『1週間 検索』
ポチ
当たり前だけど一番上にはウィキの旦那が出てきた。
頼れる旦那だね、まさか1週間のウィキを見る日が来るとは思わなかったけど。
でも、そのページに書いてある内容は。
杏にとって、とても信じ難い事だらけだった。
『1週間=365日』
……大丈夫かこのウィキ編集した奴。
1週間が365日な筈……
なんて、考えてたけど。
さっきの気象予報士の言葉を思い出して、ハッとした。
土曜日は、9月19日から。
365日を月火水木金土日に7分割した場合、確かに土曜はそのあたりからになる。
って事は……この記事、本当って事?
急いでスクロールし、情報をかき集める。
月曜日、1月1日〜2月21日
火曜日、2月22日〜4月16日
水曜日、4月17日〜6月7日
木曜日、6月8日〜7月30日
金曜日、7月31日〜9月18日
土曜日、9月19日〜11月9日
日曜日、11月10日〜12月31日
なんだこれ。
なんだこの一覧、やっぱり編集した奴気が狂ってるでしょ。
……なんて、言ってられないよね。
手当たり次第、片っ端から1週間で引っかかったサイトを覗く。
どこを見ても、1週間は365日だった。
10 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:08:33.86 ID:wyIHPwzXO
えーっと、つまりだよ?
社会人たちは、このふざけたカレンダーに従って働いてるって事?
週休2日、土日休みの会社とか9月に入るまでほぼ休みないじゃん。
だからオンラインゲームに全然人いなかったんだね。
しかも、それがさも当たり前の事みたいになってるし。
変な世界に迷い込んだとしか思えない。
どうやら杏は夢を見てるみたいだね。
お約束のごとくほっぺを引っ張る。
……痛い、多分。
脳の処理が追いついてなくてなんにも分からない。
お茶飲んで落ち着こ。
取り敢えず冷静に……
……ん?
今、物凄く嫌な予感がした。
何か、忘れてる気がする。
ほんのついさっき、プロデューサーと話した内容だった気がする。
えっと、確か……
『週休8日って約束したしな』
そっちじゃなくて……
……あ。
『その代わり、休みの日以外は全部働いて貰うぞ』
……あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
あのプロデューサー、分かってて言ってやがったな?!
だからあんなに嬉しそうだったのか!
365日中357日も出勤する事になってるじゃん!!
……寝よ。
そして絶対ぶん殴る。
11 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:09:29.39 ID:wyIHPwzXO
「おいこら!プロデューサー!騙したな!!」
「何を言ってるんだ、杏……1週間が365日なんて幼稚園生でも知ってる事だろ?なのに週休8日でいいとか言い出したから俺すごく感動してたんたぞ……」
「何言ってるのさ!1週間は7日だよ、常識でしょ!」
「それこそお前何言ってるんだよ……1週間が7日なら週休8日なんてありえないじゃないか……」
む。
何も言い返せない。
……じゃなくって。
「ねぇプロデューサー、本当に1週間って365日だったの?」
「4週間に1回は366日になるけどな。それこそ周りの奴に聞いて来いよ。天才アイドル双葉杏、1週間の日数を把握できていなかった!なんてネタにされるだけだと思うけど」
それは笑えない。
お馬鹿系アイドルなんて路線で売り出された日には他のバラエティ組と同じ仕事持ってこられる。
考えろ杏、こんな世界になっちゃったんだからもう諦めて。
少しでも楽できる方法を探せ。
「あ、ちなみにお前今週既に7回休んでたよな。昨日も併せてぴったり8日だ。今週は残り毎日働いてくれよ」
「ふざけんな」
もう全部ないじゃん。
それ知ってたら昨日は寝るだけなんて無駄な事で一日を溶かしてなかったよ。
と言うかそれ以前に365日中8日しか休めないとかほぼ無い様なもんじゃん。
12 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:10:08.54 ID:wyIHPwzXO
「杏が週休8日でいいって言ったじゃん?あれ聞いた専務が涙流しそうになってたんだぞ。今更やっぱりやだとか言ってみろよ……俺たち首がポーンだ」
最悪だ。
12月31日まで休み0とかどうなってんだよこのブラック企業。
辞めた方が絶対に楽な暮らし出来るわ。
この歳で辞表抱えて事務所に通う事になるとは思わなかったわ。
「あ、事務所辞めるなんて事考えるなよ……?今週は全部仕事入ってるから、辞めてもタダじゃ済まされないぞ」
「エグくない?」
「専務がはりきって大量に用意してくれたんだよ。双葉杏週休8日宣言ライブなんてものも何回かあるらしいぞ。あの双葉杏だ、もう昨日からずっとトレンド入りしてる」
労基法とかその他諸々どうなってんだ。
「おかげで俺も仕事まみれだ。今週はろくに家に帰れそうにない」
「二人でバックれない?」
「346プロからは逃げられないだろうな……まぁ、俺は杏を全力で応援するよ。アイドルを全力で応援するのがプロデューサーだからな」
……やるしか、ないみたいだね。
今が8月の終わりだから、ここから約90日間は休みなし。
この世界の人たちからしたら割と当たり前の事かもしれないけど、1週間が7日の世界に生きてた杏からしたら地獄以外のなんでもない。
かと言って、多分逃げ道は無い。
あー、恨むぞ過去の私。
あとプロデューサーと専務。
13 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:10:40.92 ID:wyIHPwzXO
それから杏は、死ぬ気で働き続けた。
9月の上旬までは良かった。
まぁまだ15日くらいしか経ってないけど。
そのくらいなら何とかなる。
問題は9月の19日からだった。
みんなが、休みなんだ。
そう言えばそうだよね。
この世界では9月の19日からは土曜日なんだもん。
と言うかここから12月31日までずっと休みの人も結構いる訳だ。
そんな人たちを見ながら、杏はずっと働き続けた。
レッスン、撮影、収録、撮影、レッスン、撮影、ライブ、レッスン、撮影。
時折混ざるライブに向けてレッスンしてる暇なんて殆どない。
何せほぼ毎日撮影があるんだから。
撮影がない日はCDの収録だったり雑誌の取材だったり。
仕事自体が辛い事は……時たましか無いけど、休みが全く無いのが辛い。
海外にロケ行って、東京に戻って休む日も無く次の収録。
10月の半ばあたりから、杏の心は良い感じにすり減ってた。
家にはもう泣く為に帰ってたと思う。
14 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:11:17.67 ID:wyIHPwzXO
11月の上旬は記憶がない。
寝不足なんて当たり前。
一応色々な条例で夜遅くまで撮影なんて事はないけど、家に帰ったら1人でボイトレしたりストレッチしたり。
仕事用のアカウントでライブに向けて頑張ってるアピールするとき目に入る、フォロワーの遊んでる画像は殺意がわく。
そして11月20日、世間一般的には日曜日が始まった。
杏はもう苛立ちなんて覚える余裕もなく、ただ壊れたミシンみたいに毎日をガタガタ突っ走った。
涙を流す余裕も体力もない。
ひたすらに用意されたタスクとハードルを飛び越え、時には薙ぎ倒しそうになりながら進んだ。
そして……
12月、ラスト31日間。
ここへ来て人の心を取り戻した杏は、今になって事務所に恨みが湧いて来た。
来年は何もしない、絶対休む。
専務だろうが常務だろうがぶん殴る。
一発殴って杏は休む。
それだけを希望に走り抜けた。
1人だけだったら、多分途中で折れてたと思う。
でも、なんなかんやプロデューサーも頑張ってたから。
杏が仕事って事はプロデューサーも動いてる訳だし、元はと言えば一応杏の週休8日発言に付き合わされてる訳だし。
15 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:11:57.06 ID:wyIHPwzXO
そして迎えた、週末のカウントダウンライブ。
ちゃんと申請してるから、杏は24時まで出演出来る。
あと2時間で。
今週が、終わる。
「なーにが週末だよ。杏からしたら終末だったよ」
「よく頑張ったな、杏」
「プロデューサーこそ、めっちゃこけてるじゃん」
「明日から少し休めるから大丈夫だ……いけるか?杏」
頑張った、かなり頑張った。
一生分どころか末代分まで働いたと思う。
でも、なんでだろ。
変な達成感はあるんだよね。
「来週の豊富はあるか?」
「ライブ終わったら専務殴る」
「おいおい、もうちょい平和なので頼むよ。それで……来週もまた週休8日にするか?」
「まっさか。週休367日を希望するよ」
「はは、一応専務に掛け合ってみるよ。そのくらいふざけた冗談でもまぁ許されるだろ」
「それじゃ」
「ああ」
「「よい週末を」」
16 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:12:36.65 ID:wyIHPwzXO
あー、疲れた。
週末のカウントダウンライブが終わった杏は、直後に沼に沈むみたいに眠って起きなかったらしい。
今は1月5日、まるまる4日は眠ってた訳だ。
スマホを開くと、大量に通知が溜まってる。
とりあえず、プロデューサーからの連絡だけ……
『杏!週休367日、オッケーだぞ!』
「っあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
叫んだ、めっちゃ叫んだ。
泣いた、めっちゃ泣いた。
やっと、やっとだ……
やっと休める、元の世界で言う週休8日がやっと叶った……
テレビをつけると、どのニュース番組でも未だに杏の働きざまが特集されてた。
CDもライブ映像も出演したドラマも取材を受けた雑誌も全部品切れ状態が続いてるらしい。
って事は。
冗談抜きで、今後一切働かずに一生暮らせる。
『これから更に寒い日が続きます。みなさん、防寒対策はしっかりーー』
あれだけ頑張ったんだから、凄く頑張ったから。
それに、これで。
プロデューサーも、ちゃんと休める様に……
17 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:13:07.42 ID:wyIHPwzXO
『土曜日まであと26084日です。みなさん、頑張りましょう』
……は?
嫌な予感しかしない。
1週間、でググる。
ウィキを開く。
そして杏は、全てを悟った。
『1週間=36525日』
18 :
◆TDuorh6/aM
[saga]:2017/08/27(日) 21:13:46.77 ID:wyIHPwzXO
終わり
こんな感じで投下してゆきます
19 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/28(月) 01:17:16.90 ID:hEqMw5K30
乙
よっしゃ書溜めするか
SFじゃないけどいいよね?
20 :
◆oCJZGVXoGI
[saga]:2017/08/28(月) 06:54:03.82 ID:EHwrceLI0
『諸星きらりの見る世界』
21 :
◆cLLpbu6HI.
[sage]:2017/08/28(月) 06:55:17.02 ID:EHwrceLI0
皆さん、工藤忍というアイドルをご存知だろうか。
工藤忍、青森出身の16歳。身長154cm、スリーサイズは……これといった特徴は無いので割愛。スレンダーとだけ。趣味はおまけ集め。
生まれも育ちも青森だが、アイドルになると決めてから矯正済み。髪型はよくあるボブカット。
ハッキリ言って、『工藤忍と言えばこれ!』といったものは無い。強いて挙げるとするならば、親の反対を押し切って上京した行動力だろうか。
……はぁ、我ながら空しい自己分析だ。改めまして、工藤忍です。寮の自室で姿見を見ながら自分というものを見つめていました。
現状に不満がある訳じゃあ無い。大きいお仕事だって経験させてもらってるし、一歩一歩前に進んでいる自覚はある。でも、周りの子を見ていると色々と考えてしまうのも事実。
もっと胸が大きかったらグラビアの仕事もあるんじゃないか、髪が綺麗だったらシャンプーのCMのオファーがあったんじゃないか。他にも、色々。
ないものねだりは百も承知。私は私自身で努力するしかないんだ。さぁ、今日もレッスンだ!
今日はダンスレッスン。普段はフリルドスクエアの皆と一緒なことが多いが、今日は違う。なんと、きらりちゃんと一緒なのだ!
諸星きらり、17歳。彼女を語る上で外せないことがある。彼女は外国のモデルもかくやという長身の持ち主だ。何と186,2cm!更に驚かされるのは、きらりちゃんはデビュー当時は182cm、つまりまだ成長期なのだ。
芸能界という所は顔を覚えてもらうことがとても大事だ。きらりちゃんはその点で言えば圧倒的に有利だ。男性でも180オーバーは珍しいのに、あんな美少女がそれを越しているんだから覚えるなという方が難しい。
中にはその長身をからかってくる大バカ者もいるが、きっと慣れっこだ。
「おっはよーございまっす☆」
練習着に着替えてストレッチをしていると、きらりちゃんも到着した。はぁ、脚長いなぁ。きらりちゃんは小物をデコるのが得意なので、練習着にも一工夫してある。といっても所詮は練習着。なのに彼女が身を包むとそれだけでも様になる。
22 :
◆oCJZGVXoGI
[sage]:2017/08/28(月) 06:57:16.92 ID:EHwrceLI0
すみません、酉間違えました。
「忍ちゃん、今日はよろしくだにぃ♪」
「こちらこそよろしくね、きらりちゃん」
今日は麗さん、マスタートレーナーさんのレッスンなので物凄くキツイ。が、指摘してくれる箇所が的確で回数を重ねるごとに成長していってるのが実感できる。苦しいけど楽しい!
……滅多に受けられないマスターさんのレッスンと、きらりちゃんと一緒だということが私を高翌揚させていた。周りが見えなくなるほどに。
「おい、工藤!」
マスターさんが叫んだことで正気に戻ると同時に、きらりちゃんの長い脚に私の脚がぶつかってしまったことに気付いた。足を引っ込めようとしたが、既にきらりちゃんがこちらに倒れこんできていた。きらりちゃん、まつ毛長いなぁ。そんな事を思いながら私たちは一緒に倒れた。
「大丈夫か!?諸星、工藤!」
「は、はい、なんとか……」
う〜、おでこと右手が痛い……。あ、きらりちゃんは大丈夫だろうか!?
「にょわぁ〜〜。忍ちゃん、大丈夫かにぃ?」
真っ先に私の心配なんて、きらりちゃんは優しいな。でも、なんで右手も痛いんだろう?
「……おい、工藤。こちらを向きなさい」
マスターさんの指示通りに彼女の方を向く。自業自得とは言え、雷を落とされるのは怖いなぁ。
「工藤、鏡を見るんだ」
鏡を見ると、そこには涙目のきらりちゃんが映っていた。
23 :
◆oCJZGVXoGI
[sage]:2017/08/28(月) 06:58:20.34 ID:EHwrceLI0
『君の名は』という作品を、ご存知だとは思うが簡単に説明させて貰います。遠く離れた場所にいる男女の中身が入れ替わってしまう、という内容。日本においては『おれがあいつであいつがおれで』という、80年代の児童文学から存在する所謂“入れ替わりネタ”を含んだ作品だ。
もちろんそれらはフィクションなのだが、私ときらりちゃんの間にそれが起きてしまった。
マスターさんは私たちの体調確認を済ませた後、直ぐにプロデューサーを呼んでくれた。そりゃあ所属アイドルの一大事?なのだから報告しない訳にはいかないだろう。
最初に疑うべきは私ときらりちゃんが共謀して彼女たちをからかっている、ということだが、それは直ぐに却下されることに。身体に問題がないと分かったマスターさんは、私たちに簡単なステップを踏ませた。それを見て身体のクセが入れ替わっている事を見抜いておふざけでは無いと確信したんだとか。マスターさん凄い。
プロデューサーからも質問による本人確認がなされた。こちらは彼と私しか知らない事の確認で、きらりちゃんにも行われた。……私の姿で照れるきらりちゃんを見るのは不思議な気分だ。
今後の話だが、とりあえず3日間体調不良という事にして対策を立てることに。もしその3日で打開策が見つからない場合、改めて今後の方針について話し合いをすることになった。
「忍ちゃん、ごめんね?」
私の姿をしたきらりちゃんが謝ってくる。が、謝るのはこちらの方だ。右手の痛みも、きらりちゃんが倒れる時に咄嗟に私の後頭部を守ってくれたからだそうだ。
「謝るのはこっちだよ、きらりちゃん。ゴメンね、変なことに巻き込んじゃって」
本当に情けない。自分だけならまだしも、きらりちゃんにまで迷惑をかけて……。
そんな私の反省も長くは持たなかった。私が“諸星きらり”として生活することになった部屋を見てしまったから。
24 :
◆oCJZGVXoGI
[sage]:2017/08/28(月) 07:01:10.15 ID:EHwrceLI0
想像はしていた。きらりちゃんならきっと可愛い部屋なんだろうなぁ、と。
が、私の想像のはるかに上を行く可愛さだった。寮の私の部屋とは大違いだ。
なるほど、きらりちゃんのセンスがあちこちにちりばめられている。
きらりちゃんの両親にはプロデューサーと見た目が私のきらりちゃんから事情を説明してもらった。私と違いきらりちゃんは実家暮らしだから。
勿論驚かれたが、思っていたよりもすんなりと受け入れられた。あのきらりちゃんの両親だけあって懐が深い。
さて、余裕が生まれた私には楽しみが出来た。……お風呂である。あの諸星きらりの生まれたままの姿を、合法的に見る事が出来るのだから。
『君の名は』などの入れ替わりネタは大半が男女で入れ替わり、お手洗いや入浴など性別の差を実感してしまうことに対して抵抗が生まれる。
が、私たちは女同士なので、抵抗は少ない。
……先ほどの言葉を撤回しなければならない。これは本当に私と同じ女性の肉体なのか?
すらりと伸びた長い脚、キュッと引き締まったウエスト、身長が目立つから目を向けられる機会が少ないと思われるがたわわに実った胸。
そして上から下まできめ細やかな肌。
他にも私の貧、慎ましい身体と比べたらキリがない。これが生まれ持った才能の差、なのだろうか。
肌ケアや運動など当然この身体を保つ為に数々の努力をかさねているのだろう。が、元が良いと結果の差が激しい。
私は湯船の中で体育座りをしながら落ち込んだ。体育座りなのは狙ってやった訳ではない。
諸星家の浴槽は大きいが、それでも彼女の長身を収めるのには足りないのだ。まさかこんな所に苦労があったなんて……。
ベッドもかなり大きい。キングサイズ、というやつなのだろうか?きっと身の回りの物全てが特別なのだろう。お金もかかるんだろうなぁ。
翌朝、目が覚めるとそこはいつもの部屋ではなかった。昨日のアレはリアルな夢ではなかったみたいだ。きらりちゃんの両親と朝食を採る。あぁ、家庭の味っていいなぁ……。
25 :
◆oCJZGVXoGI
[sage]:2017/08/28(月) 07:02:27.20 ID:EHwrceLI0
本日は休みなので、きらりちゃんとお出かけをすることに。一緒にいたらなんかの拍子に元に戻るかもしれないしね。
うーん、それにしても服が多い!話によると自作の物も多いそうだ。これは私のセンスが問われているといっても過言では無い。きらりちゃんを驚かせて見せる!
待ち合わせ場所に、私の顔をしたオシャレ女子が立っていた。スカートやジャケット、どれもこれも見覚えはある、私の私物だし。
それなのに、私ではきっとあのコーデには辿り着けないだろうと確信出来る。私が方言の矯正の為にラジオに噛り付いていた時間もきらりちゃんはオシャレを学んでいたのだろう。
「あ、こっちこっち〜!」
きらりちゃんがこちらに向かって手を振っている。まだ距離があるのに、凄いなぁきらりちゃんは。
「お待たせ、待たせちゃった?」
「ううん、平気だよぉ♪……えへへへへっ」
「も、もしかしてどこか変だった!?」
「あ、そうじゃないの。きらりって、やっぱりおおきいんだなぁって☆遠くからでもすぐに分かっちゃった!」
なるほど、あれは観察力が優れている訳ではなくこちらが目立っていただけの話か。確かに、きらりちゃんは遠くからでも目立つしね。
「今日はどうしよっか?」
「うーん、とりあえずは電車で繁華街の方まで出よっか」
「きらりん賛成っ☆」
26 :
◆oCJZGVXoGI
[sage]:2017/08/28(月) 07:03:51.53 ID:EHwrceLI0
駅に着き、改札を通って電車を待つ。ここまではいつもと変わらなかったが、乗車の時に文字通り衝撃を受けた。なんと、ドアの上部に頭をぶつけてしまったのだ。
「あ痛たたたた……」
「忍ちゃん、大丈夫かにぃ?」
「な、なんとか。ゴメンねきらりちゃん、大事な身体をぶつけちゃって」
「ぜぇんぜん気にしないでいいよ?でも普通は電車乗るときにくぐったりしないもんね、きらりの方こそ先に教えておけば良かったにぃ」
頭をさすりながらきらりちゃんの言葉を聞く。確かに、普段の私だったら想像すらしなかったことだ。
今はドアの傍にいるが、移動するときに中吊り広告が頭に当たって少し不快だった。これも私の常識には無かったことだ。
電車が目的地に着いた。今度はちゃんとドアをくぐったので痛い思いをせずに済んだ。
横をみると、きらりちゃんもくぐるしぐさをしていた。恐らくクセになっているのだろう。
駅前の大通りに出ると、改めてきらりちゃんが長身なのだと実感した。遠くの方まで見渡せるのだ。
普段首元の辺りしか見えていないのに、今は頭頂部まで見える人がちらほらといる。……意外と髪が薄くなってるオジサンって多いんだなぁ。
「忍ちゃん、大丈夫かにぃ?」
「えっ?あぁうん大丈夫だよ。たださ、今まで見ていたものと中身は同じなのに全然違って見えるから驚いちゃって。これがきらりちゃんが見ている世界なんだね」
「うーん、きらり、あんまり意識したこと無かったかなぁ?子どものころから少しずつ大きくなったし☆」
確かに朝起きたら背が30cm伸びていた、なんてあり得ない。まぁ今のこの状況も十分にあり得ないけど。
27 :
◆oCJZGVXoGI
[sage]:2017/08/28(月) 07:05:34.26 ID:EHwrceLI0
特に目的もなく繁華街をきらりちゃんとぶらつく。決して特別なことをしている訳ではないのに、視点が30cm変わるだけでこんなにも世界は違って見えるのか……。羨ましいなぁ。
「あのー、諸星きらりちゃんですよね?」
私が風景を楽しんでいると、小柄な女の子から声をかけられた。そうか、今の私は諸星きらりの外見だった。
「そ、そうだよー。きらりんだよー」
なんとかきらりちゃんっぽく振舞ってみる。大丈夫だろうか?
「あ、握手してくれますか?」
女の子は恐る恐る、といった感じでこちらに手を差し伸べてくる。私は彼女の手をそっと包み込んで答えた。
「いいよ!いつも応援ありがとうにー♪」
女の子は満足そうに眼を輝かせて去って行った。うーん、私もいずれはあんな風にファンと触れ合いたいなぁ。
そんな満足感と少しの羨ましさを満喫していると、嫌な声が耳に届いた。
「なぁ、あれ諸星きらりだってよ」
「やっぱり?でっけぇからそうじゃないかと思ってたんだよ」
「あれはヤバいよなぁ」
「高垣楓くらいならギリギリイケるけど、“アレ”は無理だわ」
「言えてるwww」
何が無理だ!お前らみたいな奴なんてこっちから願い下げだ!!全く、ああいう失礼な人もやっぱりいるんだな……。
「ねぇ、そろそろ行こっか?」
「そうだね!」
私ときらりちゃんはその場を後にした。あぁ、こんなことならマスクでもしてくれば良かった。
28 :
◆oCJZGVXoGI
[sage]:2017/08/28(月) 07:07:23.84 ID:EHwrceLI0
……果たして、それで平気なのだろうか?
男の人なら180cmあっても珍しくはあっても全くいない訳じゃない。が、女の人だとどうだ。
先ほどあの失礼な連中の口から出た、楓さんや木場さんのように170cmでもかなり目立つのに、きらりちゃんのように186cmもあったらどうだ。
さっきの私は遠くまで見渡せることに感動したが、つまり向こうからも見えるということだ。
きらりちゃんとの待ち合わせだってそうだ。遠くからきらりちゃんはこちらに気付いた。
……道行く人道行く人、皆こっちを見てる気がする。人より目立つこの体を笑っているように見えてしまう。
嫌だ、こっちを見ないで、笑わないで……。
「忍ちゃん、大丈夫?」
きらりちゃんが、こちらを心配そうに見つめてくる。彼女は、四六時中コレに耐えているの?それとも慣れるものなの?
在りもしない周りからの視線に耐えきれなくなった私は、その場にうずくまってしまった。きらりちゃんはタクシーを呼んで私を中まで誘導してくれた。
もちろん、プロデューサーへの連絡も忘れずに。
「忍ちゃん、大丈夫だったかにぃ?」
「きらりちゃん、実は私ついさっきまでは今の状況を楽しんでたんだ……」
そう、私は諸星きらりの身体でいることを楽しんでいた。
綺麗な肌は見ても触っても飽きないし、何よりあの視点の差はヒールやシークレットブーツを履いたところで経験できるものではないから。
「周りからの目が、怖かった……。あの、珍しいものを見る奇異の目が」
実際、珍しいのは事実だろう。意識しなくともきらりちゃんの長身は自然と目に入ってしまう。それはきっと仕方のない事だ。
29 :
◆oCJZGVXoGI
[sage]:2017/08/28(月) 07:08:30.29 ID:EHwrceLI0
「きらりね、ちっちゃい頃から周りの子より大きかったんだ……」
そこから、ぽつりぽつりときらりちゃんは自分の事を語ってくれた。
人と違う、ということがどれだけ周りの人間を残酷にさせるのか、聞いていて怖くなった。
私は良い面だけを見て羨ましいと思ったことが心底恥ずかしくなった。そしてそれは彼女だけに限った話ではない。
私が羨ましいと感じたものを持っていても、きっとそこには本人しか分からない苦労があるのだ。
事務所に着き、気分を落ち着けてから諸星家へ戻った。きらりちゃんのベッドへ倒れこみ、考える。
どうして私は彼女と入れ替わったのか、元に戻る方法はあるのか・・・。あれこ考えているうちに私は眠りに落ちた。
目を開けると、見慣れた天井がそこにあった。身体を起こして周りを見ると、これまた見慣れた寮の自室だった。
鏡で顔を確認しても、それは工藤忍のそれだった。
果たしてあれは夢だったのか?いや、あの周りを見下ろした時の何とも言えぬ感覚と、受けた視線の恐怖が夢だったとは思えない。
事実、きらりちゃんやプロデューサーに確認を取ると私たちは確かに入れ替わっていた。果たしてあれはなんだったのだろうか。
30 :
◆oCJZGVXoGI
[sage]:2017/08/28(月) 07:09:35.08 ID:EHwrceLI0
工藤忍、青森出身の16歳。身長154cm、スリーサイズは上から78-54-81。
決して周囲の目を引くような容姿ではない。だからどうした。私は私だ。
周りに埋もれてしまうなら、自分の足で1歩踏み出せばいい。私は今までだってそうしてきた。
1歩で足りないなら10、100、1000歩だって踏み出してみせる。
工藤忍は、努力のアイドルなのだから
31 :
◆oCJZGVXoGI
[sage]:2017/08/28(月) 07:12:55.17 ID:EHwrceLI0
以上です。書かせていただきありがとうございました。
それでは失礼します。
32 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/08/29(火) 15:47:19.34 ID:a/BNsWng0
『影』
33 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/08/29(火) 15:48:19.67 ID:a/BNsWng0
時刻は夜の11時半、そろそろ寝ようかと思い、明かりを落とそうとしたときだった。私は視界になにか、わずかな違和感を覚え、電灯のスイッチに伸ばした手を止めた。
きょろきょろと辺りを見回す。私の部屋だ。とても散らかっている、つまりいつも通りの私の部屋だ。
「うーん?」
鏡に自分を映してみる。ちっこい体、ボサボサの髪、襟ぐりの伸びきったTシャツ、なにもおかしくない、どっからどう見ても私、双葉杏の姿だ。
「気のせいかな?」
足で散乱してる物をかき分けながら、部屋の中をぐるぐると歩きまわる。
それにしても汚い部屋だ。足の踏み場もありゃしない。
「――ああ、わかった」
電灯から反対方向に、足元から伸びる影、違和感の正体はこれだ。
大きかった。それも並大抵の大きさじゃない、どう見てもこれは私じゃない、別の誰かの影だ。
ベッドの枕もとに置いていたスマートホンを拾いあげ、電話をかける。
『……にょわ』
「きらり? 寝てた?」
『うん……少し前に、うぅん……杏ちゃんなにかあった?』
「起こしちゃって悪いんだけどさ、ちょっと電気つけてくれる?」
『きらりのお部屋の? いいけど……』
電話の向こうから小さくカチカチと音がする。
『つけたにぃ』
「うん、そしたら影を見てくれる? きらりの影」
『影? ……うっきゃあ! 影がちっちゃいにぃ!』
「あ、やっぱり? なんか入れ替わっちゃったみたいで、きらりの影がこっちに来てるんだよね。それ確認したくてさ」
『でもこれ、杏ちゃんの影でもないゆ?』
「え?」
『きらりよりはちっちゃいけど、杏ちゃんにしては大きいにぃ、髪もショートだし』
ショート?
「おかしいな、誰のだろ? えっと、その影はどんな様子?」
『ちょろちょろ動き回ってるにぃ』
「どんなふうに?」
『んー……なんかスキップしてるにぃ』
「へえ?」
『電灯のヒモの影を引っ張り始めたにぃ』
「ふむふむ?」
『突然びしっとポーズ決めたにぃ』
「あのさ……夕美さん、じゃないかな? それ」
『あっ! そっか、夕美さんのシルエットだにぃ!』
「すると夕美さんに杏の影がついてるのかな? 杏、明日の午後事務所行くから、そこできらりの影かえすよ」
『わかったにぃ☆ 杏ちゃんおやすみー』
「うぃ、おやすみー」
34 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/08/29(火) 15:49:37.64 ID:a/BNsWng0
――翌日
「杏ちゃん、夕美さん連れてきたにぃ」
「杏ちゃんおはよっ。影のこと、朝気付いてびっくりしちゃったよ」
「おはよー。じゃ、ちゃちゃっと戻そうか」
3人の影が重なるように立つ。これで私の影をきらりに、きらりの影を夕美さんに、夕美さんの影を私にと、ぐるっと一周させれば――
「……違う」
「違うにぃ☆」
「うん……違うね」
きらりと夕美さんはそれでいい。ぴったりジャストサイズの影をつけている。だけど私のこれは、明らかに違う。
「けっこう背高いよね、誰のかな?」
夕美さんが言う。私に移ってきた影は、並べると夕美さんの影よりも身長がある。もちろんきらりほどじゃないけど、それでもなかなかの長身だ。
「なんとなく見覚えはあるから、知ってる子なのは間違いないにぃ」
きらりが言うように、シルエットはたぶん知っている。誰とまではわからないけど。
しぐさになにか特徴はないかな? と様子をうかがってみるも、この影はあまり動かない。おとなしいというよりは、悠然と構えているといった感じだ。
「うーん、これの持ち主はまだ気付いてないのかな? ちょっとみんなに聞いてみるよ」
スマホでメールアプリを立ち上げ、『自分の影を確認して、異常があったら双葉杏まで』と、メールアドレスを登録しているアイドルたちに一斉送信した。
346プロ所属の全員を登録しているわけじゃないけど、ウチのアイドルたちはだいたい仲がいいから、誰からスタートしても友達の友達あたりで全員に行きつく。私がメールを送ってない人にも、身近な誰かから話は行くだろう。
1分も待たずして早速返信があった。凛ちゃんからか、内容は……
『私の影がない!』
「マジか」
「杏ちゃん? どうだったぁ?」
「……思ったより複雑になってるのかもしれない。とりあえずふたりはもうだいじょうぶだから、杏は適当に探しに行くよ」
「なにか手伝えることがあったら言ってねっ」
「うん、たぶん平気だと思うけど、そのときはよろしくー」
35 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/08/29(火) 15:51:12.46 ID:a/BNsWng0
きらりと夕美さんのふたりと別れ、何度か凛ちゃんとメールのやりとりをする。
凛ちゃんは宣材写真の更新をするために事務所内のスタジオで撮影をしているらしい。
私についてるコレは凛ちゃんのじゃないけど、一応行ってみようかな。
「杏! 私の影は!?」
撮影スタジオに入ると、凛ちゃんが慌てた様子で駆け寄ってきた。
「わかんない、いま情報集めてるから」
「そう……どうしよう、これじゃ撮影できないし……」
「ん? なんで?」
「影がないから、写真が変になっちゃうんだよ」
「そーゆーもん? むしろ撮影のときってレフ板とかで影消そうとしない?」
「薄くする分にはいいんだけど……全くないとそれはそれで変なの。顔とか特に」
凛ちゃんがカメラマンさんを手招きし、ノートパソコンについさっき撮ったらしい写真を表示させてもらう。
資料としての使い勝手を考えてか、ウチは宣材写真の撮影にはデジタルカメラを使用している。デジタルでもこれはなかなかお高いカメラで、画質は申し分ないはず……なんだけど、
なるほど、平面的とでもいうのか、どこか顔がのっぺりとしているように見える。普通ならあるはずの細かな陰影がなくなっているせいだろう。
「だったら、杏についてる影使ってみる?」
「……それを?」
「誰のかわかんないけどね、どことなくクールっぽい雰囲気だから」
「うん……それじゃあ、少し借りるね」
凛ちゃんが私についていた影を持っていき、カメラマンさんに何枚か写真を撮ってもらう。撮ったばかりのそれをノートパソコンに転送し、画面いっぱいに表示する。――へえ、これはなかなか。
「どう?」
「うん、なかなかいいと思うよ。なんかいつもよりキリッとして、大人っぽく見えるね」
「そう、かな?」
と、そのとき、ポケットの中でスマホがぶるんと振動した。メール着信、発信者は……乃々ちゃんだ。
『もりくぼの影がもりくぼの影じゃないんですけど!!』
「おっ」
「なに? 私の影みつかった?」
「たぶんね、いまこっちに呼ぶよ」
ほどなくして、ロングヘアーの影を引き連れた乃々ちゃんがスタジオにやってきた。背丈も雰囲気も間違いない、凛ちゃんの影だ。
「よかった、私の影だ」
凛ちゃんがほっと息をついた。やっぱり自分の影がいるというのは安心するものなのだろう。
凛ちゃんに貸していた影を私に戻し、乃々ちゃんから凛ちゃんに影を移動させる。
「写真、どうしよっか? 自分の影で撮り直す?」
「ん……いや、さっきのやつでいいかな。自分の影でならいつでも撮れるし、その影も、まあ悪くないから」
凛ちゃんはうつむき気味にそう言った。なんだか照れてるみたいだ、大人っぽいって言われたのが嬉しかったのかもしれない。実際のところ普段の凛ちゃんではなかなか撮れない写真なのは確かだから、残しておく価値はあるだろう。
「あの……それで、もりくぼの影はいったいどこに……」
そうだ、今度は乃々ちゃんの影がなくなってしまったことになる。私についてる影はどう見ても乃々ちゃんのじゃないし、乃々ちゃんのもみつけてあげないと。
「乃々ちゃん、昨日誰と会ったか覚えてる?」
「き、昨日は……事務所でまゆさんといて、お仕事に連れ出されました。現場は凛さんといっしょで、会ったのはおふたりだけだと思うんですけど……」
「じゃあまゆちゃんに連絡とってみてよ、『影を見て』って」
「は、はい……あ、返事来たんですけど」
「早いね、なんて?」
「えっと、『影がありません!』って……」
「えー……」
36 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/08/29(火) 15:52:50.06 ID:a/BNsWng0
「も、もりくぼの影はいったいどこに……?」
今のところ、私についてる影は持ち主不明、乃々ちゃんとまゆちゃんには影がない。
影が2つ足りてない。入れ替わるならともかく、ないというのはどういうことだろう? どこかに影を2つか3つつけてる人がいるのかな?
「まゆちゃんと合流しようか、いま事務所にいる?」
「いえ、今日はオフみたいですけど……呼びますか?」
「あ、だったらまだいいかな。影がないのはわかったんだし、まゆちゃんの影みつけてからでいいでしょ。昨日乃々ちゃんの他に誰と会ってるか訊いてくれる?」
「はい……あ、返ってきました」
「どうだって?」
「えっと、事務所に来る前に外で、歌鈴さんと会ったらしいですけど」
「歌鈴ちゃんか、連絡先わかる?」
「……ごめんなさい、わからないです」
私も歌鈴ちゃんの連絡先は知らないから、さっきのメールも送れていない。
さて、誰か知ってそうな人は――
「おっ、杏ちゃんにぼののじゃん」
ちょうどいいところに、歩く電話帳がやってきた。
「未央、歌鈴ちゃんに連絡とれる?」
「とれるよー、さっきのメールの話?」
「うん、杏が送ったのそのまま伝えてくれればいいから」
「ほいほい、ちょっと待ってね」
未央はスマートホンを何度かぽちぽちといじくって耳に当てた。
「あ、かりりん? ちょっと影を見てくれる? そうそう、自分の影」
「びっくりして転ばないようにって付け加えて」
「もう遅いかな」
「……おだいじにって言っといて。あと、その影、杏か乃々ちゃんかまゆちゃんのじゃないか訊いてくれる?」
しばしの間、未央は電話で歌鈴ちゃんについている影の動作や輪郭について話し合っていた。未央側の声しか聞こえないけど、どうやら私の影ではなさそうだ。
「たぶんまゆちゃんみたい」
と未央は言った。
歌鈴ちゃんは今日はオフで、女子寮にいるらしい。すぐそこだ。
乃々ちゃんからまゆちゃんに連絡を取って現在位置を教えてもらう。今はカフェでお茶をしばいているらしい。店名で検索してみると、そこもそう遠くない、歩いて行ける距離だった。
「も、もりくぼはどうしましょう?」
「乃々ちゃんの影はまだ行方がわからないから、事務所のどっかで待機してていいよ。みつけたら連絡するね」
37 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/08/29(火) 15:54:08.43 ID:a/BNsWng0
私は未央と乃々ちゃんと別れ、事務所を出た。
女子寮で歌鈴ちゃんを拾い、ふたりでまゆちゃんのいるカフェに向かった。
そこで歌鈴ちゃんについていた影をまゆちゃんに戻し、今度は歌鈴ちゃんが影なしになった。
……いまいち事態が進展してる気がしないな。着実に戻せてるはずなんだけど。
「ふたりは昨日、いっしょに事務所に行ったの?」
「いえ、まゆは事務所に向かうところでしたけど、歌鈴さんは逆方向に向かってました。時間もなかったので、ほとんど挨拶しただけでしたねぇ」
「私は昨日もオフだったので、そのときは駅に行くところでした」
「会った場所は?」
「このカフェを出て、ふたつめの交差点を右に曲がって少し進んだあたりだったでしょうか?」
「たしかそのあたりです」
「うん、わかった。歌鈴ちゃん、そこ行くよ」
「はっ、はい」
「影、届けてくれてありがとうございましたぁ、皆さんのもみつかるといいですねぇ」
まゆちゃんと別れ、歌鈴ちゃんとまゆちゃんが昨日会った場所へと向かう。
「あの……私がまゆさんと会ったところに、なにかあるんですか?」
「いや、たぶんそこにはなにもない。でも歌鈴ちゃんとまゆちゃんの影が入れ替わったのはその場所だろうから、そこから事務所まで、まゆちゃんの通った道をたどる」
「な、なるほどー」
「んっと……このへん、でいいのかな?」
「はい、ここです」
スマホで地図アプリを開き、道順を確認する。
この位置から最短で事務所にたどり着く道筋はひとつしかない。まゆちゃんは「時間がなかった」と言っていたから、寄り道や遠回りはしていないだろう。
歌鈴ちゃんと連れ立って事務所への道をてくてくと歩く。そして――
「……みつけた」
「えっ? ど、どこでしゅか?」
「ほら、そこの電柱の影。いちおう確かめてみて」
道の端に、電信柱の影に重なって、小さくうずくまるようにした少女の影があった。
「ほ、ほんとだ! 私の影です、間違いありません!」
影も歌鈴ちゃんに気付いたらしく、両者は抱き合うようにしてひとつになった。
……ひとつになったってのはちょっと違うかな? くっついたって言えばいいのか、どうなのか。
「でも、よくみつけられましたね? よっぽど注意して見ないと気付かないですよ?」
「珍しいものがあったからね、それ。……近づかないでいいからね、杏が捨てとくから」
私は道の真ん中に落ちているバナナの皮を指さした。
「……それが、なにか関係が?」
「昨日からあったんだろうね。まゆちゃんは歌鈴ちゃんじゃないから、当然こんなものじゃ転ばない、よけて通ったはず。でもそのとき引き連れている影は歌鈴ちゃんの影だから、きっと転んだ。……バナナの皮の影を踏んで転んだことになるのかな? で、まゆちゃんはそれに気づかずに先に歩いて行っちゃってて、起き上がっても影だから日の照ってる中を追いかけることはできない。それから日が傾いてきて、電柱の影がバナナの皮に重なったところで、すみっこに避難したってところかな?」
歌鈴ちゃんの影がこくこくとうなずく。正解だったらしい。
それにしても本当にバナナの皮が落ちてるのなんて初めて見たよ。捨てた人はいったい、どんな必要に迫られて歩きながらバナナを食べたんだ?
「歌鈴ちゃんは今日オフだったよね、ここまででいいよ、お疲れさま」
「あ、ありがとうごじゃいましゅた!」
38 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/08/29(火) 15:55:03.86 ID:a/BNsWng0
歌鈴ちゃんと別れ、再び事務所へと向かう。乃々ちゃんの影はまだみつかってないけど、私の考えが間違ってなければ、それはまだ事務所の中にいるはずだ。
「あ、杏さん。どうでしたか?」
事務所のエントランスに入ると、乃々ちゃんが駆け寄ってきた。
「なんとかまゆちゃんと歌鈴ちゃんの影は元に戻せたよ」
「歌鈴さんの影もみつかったんですか? その……もりくぼの影は……?」
「それなんだけどね、ちょっと案内してほしいところがあってさ」
346プロダクションはとにかく大きい。アホみたいな数の部屋がある。
だけど、関わりのない部署の部屋には当然、普段立ち入ることはない。乃々ちゃんに連れられてきたこの部屋も、私は入るのは初めてだった。間取りや備品はどの部屋も大差ないみたいだね。
「乃々ちゃんのプロデューサーの机は?」
「えっと……そこ、ですけど」
「ここね、どれどれっと――あ、いた」
机の下を覗き込む。奥の方に、よくよく目を凝らさないと気付けないような人影があった。どこか私を警戒しているようにも見える。
「えぇっ!?」
「もともと影になる場所だから、わかりづらいんだね」
「そ、そんなところに! でも、なんで?」
「昨日、乃々ちゃんはここからお仕事に連れてかれたんだよね、抵抗はした?」
「もちろんしましたけど……でも、もりくぼが泣こうがわめこうが、その気になった男の人に抗うなんて到底かなわず……全てをあきらめて天井のシミを数え続けたんですけど……」
「ちょっと言い方に気をつけようね。まぁそれで、乃々ちゃん本体は残念ながら連れていかれちゃったけど、影のほうは抵抗し通したんだろうね」
「……そんなの」
「ほら、乃々ちゃんの影、もうお仕事は終わったよ」
「あ……」
小動物が威嚇するように身構えていた影は、乃々ちゃんの姿を確認するや否や、飛びつくようにその足元に飛び込んでいった。
「なにか、言ってあげたら?」
「うう……もりくぼがお仕事させられているのに、影だけのがれるなんて、ずるいんですけど……許せないんですけど……けど……けど……」
「けど?」
「……おかえりなさい、ですけど」
乃々ちゃんはそう言って床に映った影の、頭のあたりにぺたりと手を当て、ゆっくりと、なでるように動かした。
うんうん、なんかよくわかんないけど、イイ話っぽく落ち着いたね。
「じゃ、そろそろ日が暮れるし、今日はもう帰ろっか」
「あ……でも、杏さんの影、みつからなかったですね。その影の持ち主も……」
「ん――いや、これはもう見当ついてるから、明日でいいよ」
「そうなんですか?」
39 :
◆ikbHUwR.fw
[saga]:2017/08/29(火) 15:56:21.20 ID:a/BNsWng0
――翌日
「おいーっす」
「おはようございます双葉さん……少し、よろしいですか?」
私が事務所にやってくると、プロデューサーが首の後ろに手を当てながら話しかけてきた。
このポーズはなにか困ったことがあったときの癖らしい。いつも困ってるなこの人は。
「なに、プロデューサーかしこまっちゃって、どうかしたの?」
「実は……美城専務が『もう仕事はしたくない。有休を全消化する』と言って休んでいるらしいのですが、なにか、心当たりはありませんか?」
「あー、影に引っ張られちゃったんだね。元に戻してくるから、専務の住所教えてよ」
〜Fin〜
40 :
◆ikbHUwR.fw
[sage]:2017/08/29(火) 15:57:21.90 ID:a/BNsWng0
終わりッス。
ありがとうございました。
41 :
◆77.oQo7m9oqt
[sage saga]:2017/08/29(火) 23:28:47.44 ID:3y5COwSS0
おじゃまします。
『そのナカミは?』
42 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2017/08/29(火) 23:29:29.67 ID:3y5COwSS0
*
「おー、雫ちゃん! 相変わらずスタイルいいねぇ!」
「でっけぇよなあ。夢や希望が詰まっとるに違いない」
「他のモンもなんか入ってんじゃねえか?」
「もぉー。あんまり言うと、私も怒っちゃいますよー?」
*
43 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2017/08/29(火) 23:30:39.43 ID:3y5COwSS0
*
実家が営む牧場の宣伝をしたくて、上京してアイドルになりました。
私は正直、あまり深く調べることもなくこの世界に飛び込みました。そんな無鉄砲な私を受け入れてくれた事務所は、とっても大きなところです。
設備も制度もしっかりしていて、なんにも心配することもありません。充実した日々の活動をさせてもらっていました。
そんなある日のことです。
「健康診断、ですかー?」
「ええ。年に一度、皆さんに受けてもらってるんですよ。雫ちゃんもお願いしますね」
事務員のちひろさんは、そう言ってA4サイズの書類を私に手渡しました。
「私、元気いーっぱいですけどー」
「ふふっ、いいことですね。でも、自覚がなくても身体のどこかで、ということもありますから」
『指定する三日のうちのどこかで、全身の検査を済ませること』。大きな見出しがまず目に入ります。
詳しい内容には、身長や体重、スリーサイズや視力の測定から、MRI検査なんていうテレビでしか聞いたことのないものまでありました。
さすが、健康診断ひとつをとっても、都会は違うんですね。
経験のないことがらに、私はちょっぴり楽しみになりました。胸も躍りそうです。
44 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2017/08/29(火) 23:31:30.54 ID:3y5COwSS0
次の日は、指定されていた日の一日目でした。私はお仕事もレッスンもなく、学校もないお休みの日だったので都合が良かったです。午後からは用紙にあった病院へ足を向けました。
受付で簡単な書類に記入を済ませて奥に進むと、真っ白な室内には他のアイドルの姿もちらほらありました。
みなさん肩を落としていたり、喜んでいたり。
同じユニットを組んでいて、とても仲良くしてくださっている早苗さんもいました。
フラフラとこちらへ歩いてきます。歩く足取りからもわかるとおり、早苗さんは落ち込んでいる方でした。
「雫ちゃん……」
「早苗さん。顔色、悪いですよー? どこか悪いところがあったんですか?」
「ん……あのね。……体重とね。ウェスト周りが、ちょろっと、増えてたっていうか」
「あらー……」
パッと見た感じでは、特に変わったところはないように思います。だから、別に心配することもないと思うんですが……。
「お酒、控えるわ。ちゃんと絞んないと……!」
決意に水を差すのもなんですから、頑張ってください、とだけ伝えておきました。
45 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2017/08/29(火) 23:31:58.35 ID:3y5COwSS0
早苗さんとはそこでお別れして、私も検査に参加させてもらいました。
私服から、丈の短い作務衣のような服に着替えました。薄緑色のそれは検査衣と言うそうです。私は入院したことがありませんから、それを着るのは初めての経験でした。
身長、体重、スリーサイズやBMI。そのあたりは、事務所に申告していたものと特に変わっていません。身長とバストだけ、すこーし数字が増えていたぐらいです。視力や聴力も落ちていないようで、安心しました。
学校でもやったことがあるようなものが終わると、今度は病院にしかない設備を使った検査を受けました。
正直、何をされているのかは全然わかりません。ただ出してもらう指示に従うだけ。
X線だとか、体脂肪率を測るだとかまではわかったんですけど。血液うんぬん、内臓の活動かんぬんと言われてもさっぱりです。
でも、やってくれた看護士さんは、悪いところがあったらちゃんと詳しく説明もしますから、と優しく言ってくれました。だから、わからなくてもきっと大丈夫でしょう。
最後に全身を機械の中にすっぽり入れてしまうMRI検査を受けて、私の健康診断は終わりました。小さくしか明かりが灯っていない狭い空間に入っていくのはほんのわずか、なんとなく怖かったですが、特に何も起こることはありませんでした。
46 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2017/08/29(火) 23:32:39.34 ID:3y5COwSS0
全ての検査を終えて、もともと着ていた私服に着替えて受付に行きました。そこで、今の時点でわかっている結果を改めて教えてくれると聞いていたからです。
「難しい検査の結果は、問題がある方のみ後日通知しますので。だいたい二週間後をめどにしておいてください」
「はい。わかりました」
受け取った結果を持って、空いているエントランスのソファに座りました。
身長170cm。ミリ単位で、少しだけ伸びていました。
体重56kg。グラム単位で、少しだけ増えていました。身長も伸びていましたし、仕方ないですね。
BMIは19.38。体重と身長から求められる体型の指標となる数値です。これは平均、やや痩せ型に入るそうです。特に体にこだわりはありませんが、やっぱりアイドルですから。あまり体型を崩すのはよくありません。安心しました。
B-W-Hは105-64-92。バストが少しだけ大きくなっていました。他は誤差の範囲だと思います。
うーん、あまり大きくなり過ぎても、邪魔になってしまうんですけどね。どうしようもないです。
視力も聴力も問題はなくて、歯も大丈夫。
47 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2017/08/29(火) 23:33:06.13 ID:3y5COwSS0
その場でわかる結果については、学校でもらえる『健康の記録』に載っていそうなものばかりでした。
ただ、これは学校の検査にはなかったな、というのが一つ載っていました。
体脂肪率。
私の欄には22%と書いてありました。
身体の22%が脂肪。もしかしたら少し太っているのかも、と思いましたが、これも女性にしては平均か、やや痩せ型だそうです。
ほっとしました。
「……うん?」
ほっとしたんですが、どうしてか、何か魚の小骨のようなものが、喉に引っかかったような気がしました。
なんだろう?
なにかおかしなところ、あったかな。いいえ、ないはずです。ありません、よね?
しばらくその場で考え込みました。
でも、そのときはそれの正体がわかりませんでしたから、少し気を引かれつつも女子寮に帰りました。
48 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2017/08/29(火) 23:33:54.75 ID:3y5COwSS0
私はよく、おおらかだね、だとか、小さなことは気にしなさそう、というふうに言われます。
実際これはそのとおりで、私は細かいことはあまり気に留まりません。気になっても、すぐに忘れてしまいます。
なのに、病院のエントランスで感じた奇妙な違和感は、自室に帰ったあとも取れませんでした。
窓の外で日が完全に沈んで、食堂で夕飯を食べて、浴場で一日の汚れと疲れを落として、また部屋に戻りました。
それでも、あの違和感が取れません。
自分で言うのも変かもしれませんが、なかなか無いことです。何がそんなに気になってるんだろう? ちゃんと本格的に考えてみることにしました。
胸の前で腕を組むと、嫌がるように私の胸は形を変えました。
思い返します。ついさっきのできごとですから、そこまで苦労もなく思い返せます。
49 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2017/08/29(火) 23:34:32.26 ID:3y5COwSS0
あのとき見ていたのは、身長や体重や、視力、聴力、歯の様子と──。
──スリーサイズと、体脂肪率。
ハッとしました。
テーブルの上に置いてあるペン挿しからボールペンを一本抜き取り、カバンからはメモ帳を取り出しました。
私の体脂肪率は22%でした。スリーサイズは105-64-92。
これ、ちょっと変じゃないですか?
そう思ったんです。
50 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2017/08/29(火) 23:35:26.00 ID:3y5COwSS0
体脂肪率は、体脂肪のキログラムを全体重で割った百分率のはずです。そうすると、私の体脂肪の重さは体重56kgに0.22をかければ計算で出すことができます。
私の全体脂肪は、およそ12.3kg。
次に、私のスリーサイズ……もとい、バストサイズを見ました。105cmのKカップ。
昔に、地元のどこかの局のバラエティで見たことがあったんです。今の私の胸のサイズと同じぐらいの人の、乳房の重さを測る一幕を覚えていました。
確か、片方で3kg。合わせて6kg。私の感覚に照らしても、これは大きく外れていないように思います。
……おかしいですよね。乳房って、そのほとんど全てが脂肪でできているはずなんですから。
胸以外の私の体には、たったの6.3キロしか脂肪がついていないことになってしまいます。
あまり使いこなせていないスマートフォンで、インターネットに接続しました。
一般的な女性のデータは、検索すればすぐに出てきました。
私の年齢の女性の平均身長は157cm。平均体重は52kg。平均カップ数はCだそうです。
Cカップの胸の重さも、調べてみれば出てきました。だいたい500g。
私と同じで平均やや痩せ型の体脂肪率だとすると、世の平均的女性の体脂肪は11.4kgあります。胸以外にも、10kg以上の脂肪が付いていることになるんです。
51 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2017/08/29(火) 23:35:54.53 ID:3y5COwSS0
さらに言えば、私は身長が高いです。平均よりも13cmも。どう考えたって、10kg以上は胸以外にもないとおかしいんです。
私は牧場の手伝いやアイドルの仕事で体を使ってますから、そこそこ筋肉質ではあります。でも、それにしたってここまで脂肪がないのはおかしい。
「うーん……?」
もしかしたら、身体に異常があるのかもしれません。あまりにも脂肪がないと、何か悪いことがあるんでしょうか。
調べてみました。
体温や筋力の低下。ホルモンバランスの異常。生理不順。
どれも心当たりはありません。体の調子はバッチリです。ということは、身体についている脂肪の量に問題はない?
もしかしたら、測定ミス? それともインターネットが間違ってるのでしょうか?
そんな風にいろんなことを疑ってから、不意にこんなことを思いました。
52 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2017/08/29(火) 23:36:42.42 ID:3y5COwSS0
『私の胸は、脂肪でできてはいないのでは?』
53 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2017/08/29(火) 23:37:12.82 ID:3y5COwSS0
それは突拍子もないことです。もちろん、わかっています。でも、こうやって考えれば他のことの辻褄は合いますよね。
なんだか、今までの人生何も思うことなく連れ添ってきた身体の一部分が、急に不気味に思えました。
せっかくお風呂にも入ったのに、イヤな濃い汗がひたいから頬へと伝いました。
では、ここには何が入っているんでしょう──?
片側3kgもあれば、どんなものが入るでしょう。
小さな米俵? 小玉スイカ?
54 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2017/08/29(火) 23:38:03.03 ID:3y5COwSS0
「小さめの赤ちゃんぐらいなら、入っていてもおかしくありませんねー……」
唐突に、口をついてそんな言葉が出ました。
妙な汗が出ているのに、背筋はぞくりと冷たくなったような。
一度気になってしまうと、それは頭から離れなくなってしまいました。そんな、そんなことって。
ない。ないです。あるわけないのに。
身じろぎもしていないのに、胸が震えた気がしました。鼓動が伝った揺れにしては大き過ぎるぐらいに。
無性に怖くなって、歯磨きもせずにお布団に包まって目を閉じました。
今日の検査の詳しい結果は、二週間経てばわかります。わかってしまう。
二週間後が、来て欲しくないな。そんな子どもっぽいことも思いました。
目をぎゅっと閉じても、なかなか寝付けませんでした。こんなにも夜が長く感じたのは、初めてのライブの前日ぐらいです。
55 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/08/29(火) 23:38:40.95 ID:3y5COwSS0
翌朝、私はお仕事が入っていたので、しょぼつく目をこすりながら身支度をしました。少しですが眠れたのがよかったのか、不安は薄れていました。
寝間着にしていたものを脱いで、まずは下着を。
「ん……あれ?」
身体に感じた窮屈な締め付け。
ブラが、キツくなっていました。
お了い。
56 :
◆77.oQo7m9oqt
[sage saga]:2017/08/29(火) 23:40:33.24 ID:3y5COwSS0
終わりです。
体脂肪率はどう足掻いてもわかんないので、BMIからこんなもんかなと推測しました。
やべ、独自設定ありって書くの忘れてた。失礼いたしました
57 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/30(水) 00:48:36.16 ID:E2FI5PHeO
まあ表記通りなら楓さんとかヤバイレベルだし多少は鯖読んでるだろ……
58 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/30(水) 10:42:14.72 ID:Jv/LtaxNo
発想に敬服した
59 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/08/30(水) 20:09:30.17 ID:VANLPh5F0
影のやつけっこう雰囲気好き
ところでスレタイに参加型って書いた方がよくないか?
60 :
◆XUWJiU1Fxs
[sage]:2017/08/30(水) 20:59:32.51 ID:329xTyVto
少しだけお借りします
61 :
◆XUWJiU1Fxs
[sage]:2017/08/30(水) 21:00:01.50 ID:329xTyVto
乃々「人生には……どうしても選択を強いられる時があって……」
凛『乃々、今日は一緒に服を見に行こうね』
まゆ『乃々ちゃん、輝子ちゃんと一緒に映画を見に行きましょうね』
乃々『うぅ……服を見に行ってから映画に行く折衷案は……』
凛&まゆ『ダメ!』
乃々「まだこういうのはかわいい方で……いや、もりくぼ的には選ばれなかった方に対する罪悪感に押しつぶされそうなんですけど……」
乃々「……本当はこんな話している場合でもなくって。だって」
カチッカチッ
タイマー『残り3分』
乃々「目の前に……爆弾が……」
62 :
◆XUWJiU1Fxs
[sage]:2017/08/30(水) 21:00:54.97 ID:329xTyVto
森久保乃々
『紅か蒼か――』
63 :
◆XUWJiU1Fxs
[sage]:2017/08/30(水) 21:01:22.23 ID:329xTyVto
どうしてこうなったのか、私にもわかりません。机の下でウトウトとしていたまでは覚えているんですけど……気が付けばこんな密室で目の前には如何にも爆弾です言わんばかりのビジュアルの物体……。自分でもびっくりするくらいの速さで扉まで駆け出しましたが、やはりというべきか重くて開きそうにありません。
「どうして……私がこんな目にぃ……」
爆弾処理なんてむーりぃー……と言いたいところですが、ご丁寧にペンチまで用意してくれていて、紅いコードと蒼いコードが並んでいます。何も言われなくても察しました。どちらかのコードを切れば爆弾は止まるけど、もし間違えたら……BOMB。
正解は二つに一つ。今私は、人生最大の選択を強いられることになったんです……
64 :
◆XUWJiU1Fxs
[sage]:2017/08/30(水) 21:02:32.68 ID:329xTyVto
「そ、そうです……こういう時はどこかにヒントが」
前に凛さんがスマホでプレイしていた脱出ゲームを思い出しました。あの手のゲームはプレイする以上必ず脱出の鍵となるヒントがあります。そうじゃなければ遊びとして成り立ちません。現実に起きている非日常と一緒くたにするのもナンセンスくぼな気がしますが……私は震える足で部屋の中を隅から隅まで探しました。カチカチと規則正しく刻まれる時計の音に急かされるように。机の下、カバンの中、新聞の隅、こんなところにあるはずもないんですけど……。
「くそげー……です」
結論、何にもありませんでした。だけどここで諦めるもりくぼではありません。アイドルをやっていくうちに、自分に少しだけ自信を持った私は次なる手を考えていました。それは二択なら絶対に外さないであろう相手にコンタクトをとること。
「茄子さんなら……」
鷹富士茄子さん。彼女の幸運、を通り越した豪運ならばきっと正しいコードを選べるはず……そう思って携帯電話を開いたんですけど……。
65 :
◆XUWJiU1Fxs
[sage]:2017/08/30(水) 21:03:31.31 ID:329xTyVto
「け、圏外ぃ……」
無常にも画面には圏外の二文字が出ていました。これは諦めて死を選べということでしょうか……。それがもりくぼの運命ならば受け入れるしか……。
「……いや、そんなのはむーりぃ−……」
この爆弾の威力がどれだけのものか分かりませんが、もし私以外にも犠牲者を出したとしたら……そうなれば森久保は人類の戦犯です。末代まで恨まれます……いや、その末代になる可能性が大きいんですが……。二択のフィフティフィフティなんですけど……。
ほかの人を巻き込まないためにも、私は考えます。どちらのコードを切れば助かるのか……ヒントがない以上、これは最早ギャンブル。直感で選ぶしかないです。
66 :
◆XUWJiU1Fxs
[sage]:2017/08/30(水) 21:04:14.37 ID:329xTyVto
「ど・ち・ら・に・し・ま・し・ょ・う・か・か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り」
私の指は紅いコードを指していました。神様が言うんだからこれは正しいはずです。だから私は紅いコードを……。
『運命の紅い糸を、切るんですかぁ?』
切ろうとした瞬間、まゆさんの声が脳内に響きました。そう、紅い糸なんです。運命の、という枕詞がつくことに定評のある紅い糸なんです。
「で、でも神様が選んだわけですし……あれ?」
ふと思いました。そもそも神様が選んだのは、切るべきコードなのか残すべきコードなのか――。どっち、でしたっけ?
「いや、こういうのは普通切るべきコードで……でも現実というのはフィクションのように行かないことがままあるわけですし、運命の紅い糸を切ったら爆発するって映画もあったような……だから切るべきコードは蒼いコード……」
『ふーん、乃々は蒼いコードを切るんだ。ふーん』
今度は凛さんが脳内に出てきました……もう、勘弁してぇ……。
67 :
◆XUWJiU1Fxs
[sage]:2017/08/30(水) 21:05:55.35 ID:329xTyVto
そんなこんなで、爆弾のタイマーは残り3分を切ったんです。ラーメンを作っても間に合いません。コードを切ろうとするとその度に頭の中で不安やら良からぬ考えがよぎって、なかなか行動に移せずにいました。いっそ机の下というシェルターに隠れるべきかと思いましたが当然守ってもらえるわけがなくて。覚悟を決めなきゃと思ってはいるんですが……。
『紅いコードを切ったらダメですよ、乃々ちゃん』
『蒼いコードが正しいよ、乃々』
脳内まゆさんと脳内凛さんは合いも変わらず自己主張を繰り返します。そのうち取っ組み合いに発展するのではと言わんばかりです。
「うぅ……どうしたら……」
コードを切ったからといってお二方との縁が切れるわけじゃないんですけど……いや、間違えたら爆発して何にも残らないんですが……。刻一刻と迫るタイムリミットの中、私は目をつぶりました。あれこれ考えても先に進めないのならば、直感を信じるしかないと。
68 :
◆XUWJiU1Fxs
[sage]:2017/08/30(水) 21:06:32.24 ID:329xTyVto
「大丈夫……今日のもりくぼはやれる気がします」
ペンチを持つ手の震えは止まりませんが、それでも少しはマシになったと思います。気が付けば脳内の2人も黙って私を見てくれています。そうです、また服を買ったり映画を見たり……お仕事をしたいから。
「ここで死ぬなんて、むーりぃー!」
どちらのコードを切ったのか、暗闇の中の私にはわかりません。ただ目を開くと、そこには残り3秒の時点で止まったタイマーと切られた蒼いコードがあって……。
「凛さん……ごめんなさい」
この部屋から出たら一緒に服を買いに行こう、と強く思うのでした。
69 :
◆XUWJiU1Fxs
[sage]:2017/08/30(水) 21:07:19.46 ID:329xTyVto
「無事に帰れそうです……生き残りくぼです……」
ガチャリ、と鍵が回る音がするとあれだけウンともスンとも言わなかった扉が自動的に開いていきました。私は軽やかな足取りで扉の向こうに待っている、外へと足を踏みだし……。
「あれ?」
ガチャリと閉まる重い扉と私を照らすのは太陽の光……ではなくうす暗い電灯の光。無機質な部屋に響くのはカチカチと言う音。
「え、えぇ……」
紅いコードと蒼いコードと……黄色いコード。密室の中に、爆弾がありました。
70 :
◆XUWJiU1Fxs
[sage]:2017/08/30(水) 21:07:57.26 ID:329xTyVto
森久保乃々
『紅か蒼か黄か』
71 :
◆XUWJiU1Fxs
[sage]:2017/08/30(水) 21:08:53.28 ID:329xTyVto
以上です。失礼いたしました
72 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:12:39.89 ID:gRyzT9wx0
少し長いですが、投稿させていただきます。
73 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:13:27.02 ID:gRyzT9wx0
安斎都「おお、この雰囲気……」
都「まるで探偵が、事件の謎を解き明かすための独白のような……!」
都「はっ、失礼失礼。で、でも、ドラマやマンガに出てくるような探偵って、本当にカッコいいですよね!」
都「私もあんな風に、すらすらと事件の全貌を暴いてみたいものです……」
都「おっと、いけないいけない!」
都「探偵の道は長く険しいもの……!」
都「毎日ちゃんと、頑張らなきゃですね!」
都「……あ、でも今日はもう遅いので、ちょっとお休みしちゃっていいでしょうか?」
『睡眠探偵』
74 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:14:04.26 ID:gRyzT9wx0
「謎は全て解けました!」
そう叫んだ安斎都は、公園の遊具の中を覗き込んだ。
「迷子のネコちゃんは、ここに……あれ?」
「おいおい都、またハズレかぁ?」
呆れるように呟いた拓海に頭をいじられながら、都は首を捻った。
「うーん、おかしいですね……、私の推理では……って拓海さん! 頭をわしゃわしゃしないでください!」
「ん? ああ、悪い悪い、ちょうどいいところにあったもんで」
「しかし、どこにいるんでしょう……」
「それがわからねぇから探してるんだろ?」
ピピピピピ
「おっと、すまねえ、アタシだ。……もしもし? ああ、夏樹か、お、本当か! わかった、事務所の裏の路地だな。サンキュ!」ピッ
「夏樹が見つけてくれたみたいだ。戻るぞ」
「わ、私も、今から聞き込みをしようと思っていたところで」
「はいはい、わかったわかった」
75 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:14:44.27 ID:gRyzT9wx0
安斎都は、世にも珍しい探偵アイドルだ。
いや、珍しいというか、そもそも競合相手なんているのか。という話ではあるのだが。
アイドルとしてのレッスンやお仕事の傍ら、事件を探しに東奔西走。
事件に出会えば、真相を探しに東奔西走。
とはいっても、ここはアイドル事務所であって、探偵事務所ではない。事件と言っても小さなものばかりだ。
76 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:15:49.36 ID:gRyzT9wx0
〜〜〜〜〜
「はぁ〜……」
「都ちゃん、ため息ですか……?」
「はっ! よ、頼子さん! お恥ずかしい……」
「いえこちらこそ、いきなり声を掛けてしまって」
「そ、それで、どうしましたかっ! 事件ですか!」
「いいえ、違いますよ。少しおしゃべりでも……と。何か悩みがあるなら聞きますが……?」
「いえいえ! 私に悩みなんてないですよ! さっきのは……、そう! 深呼吸!」
まあ冷静に考えて、先ほどの"お恥ずかしい……"という反応こそため息を認めているようなものなのだが、頼子は言及しないことにした。
「それならよいのですが。……何か話したい時には話してください。私でも、聞き役くらいにはなれるでしょうから」
「ありがとうございます! その心遣いだけで十分ですよ!」
77 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:16:32.20 ID:gRyzT9wx0
実のところ、安斎都は悩んでいた。
アイドルとしては、まあいい。
仕事がそこまで多いわけではないが、それでも着実に前に進んでいる実感はある。
歌も、ダンスも、最初は酷いものであったのだが、それなりに形になっているように感じる。
また、"探偵アイドル"という(多少ニッチな)キャラクターもあり、万人受けとは言わずとも、多少のファンだっているのだ。
プロデュース方針にも不満はなく、都自身の意志を尊重してくれている。
しかしながら、探偵としての自分はどうだ?
前に進んでいるか? 「探偵です!」と胸を張って言えるか?
人捜し、身辺調査、捜し物、ケンカの原因究明、などなど……
探偵として、全力で取り組んでいるつもりではある。しかし、それが解決に繋がることはほとんどなく、空回りすることばかりだ。
"探偵は勘が鋭いものだ"と、よく目にするが、残念ながら都の直感は当たらない。
このままでは"探偵アイドル"ではなく、"探偵の真似事をしているアイドル"になってしまう!
そういう焦りが都の中にはあった。
……ファンや仲間はそんなことを承知の上で、都を応援しているのだが。
78 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:17:16.90 ID:gRyzT9wx0
〜〜〜〜〜
(ふぅ……、疲れました)
この日、レッスンが少し長引いた都は、帰り道を歩いていた。
ドラッグストアの前を通りがかったタイミングで、ふと足が止まる。
(ああ、そういえば、変装用のマスクを切らしていましたね)
外の暗さと対比されて、ドラッグストアの中は眩しいくらいだった。
初めて入った店ということもあり、目当ての棚がなかなか見つからない。
(この棚は……、違いますね、しかし広いお店です……)
(こっちは……? ああ、睡眠導入剤ですか、寝つきの良さには自信があります。私には不要ですね)
そんなことを考えながら、別の棚へ目を移そうとした都であったが。
ふと、視界の端に、引っかかる文字列があった。
(?)
しゃがみこみ、目を凝らす。
「睡眠探偵剤……?」
79 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:18:19.84 ID:gRyzT9wx0
『この薬を服用するだけで、眠っている間にどんな難事件でもたちまち解決!』
『迷子探し、つまみ食いの犯人当てから、暴行、強盗、殺人事件まで!』
『さぁ! これであなたも名探偵だ!』
「……はい?」
説明を読みながら、都は呆れていた。
(まったく……、マンガじゃないんですから)
袋を裏返すと、そこには赤字で注意書きが。
『※1日に服用できるのは1回だけです。1日に2回以上服用すると』
「目が覚めないことがあります……?」
背筋が少し、冷たくなるのを感じた。
(な、なるほど、冗談にしてもよくできていますね……)
(……まあ、何か話のネタになるかもしれませんし)
そう、自分に言い訳じみた言葉をかけながら、都はそれを、カゴに放り込んだ。
80 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:19:05.97 ID:gRyzT9wx0
〜〜〜〜〜
翌日、お昼を少し過ぎたくらいの時間に事務所に入った都であるが、なにやら事務所が騒がしい。
見ると、悲しそうな顔をした龍崎薫と、慰めるように神谷奈緒、北条加蓮が立っていた。
「おや、どうかしましたか?」
「おお、都か、おはよ」
「ちょっと、薫ちゃんが、ね」
「?」
本人に聞くのが早いということなのだろう。
「どうしたんですか?」
「かおるの……プリンが……」
「ほほう……」
どうやら、冷蔵庫に入れてあった薫のプリンが、誰かに食べられてしまったらしい。
薫の話では、昨日の仕事帰りにプロデューサーに買ってもらったのだが、交通渋滞に巻き込まれたせいで事務所に戻るのが遅くなってしまい、翌日食べようと冷蔵庫に入れておいたとのこと。
しかし、薫が先ほど出社した時にはなくなっていたようだ。
「なるほど、任せてください! 必ずやこの事件、解決してみせます!」
「ホント!? みやこちゃん、お願いしまー!」
純粋な目で都を見つめる薫。
これで何もわからなかったら申し訳ないのだが、そんなことは考えていられない。
81 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:20:00.44 ID:gRyzT9wx0
「それで、午前中にこの事務所に来たのは……」
ちらとホワイトボードに目を向ける前に、すでにチェックを済ませていた奈緒が口を開いた。
「杏ときらり、夏樹と李衣菜、周子と紗枝の6人みたいだな。ちょうど2人ずつで、1人で来た人はいないみたいだ」
「みなさんから話は聞いたんですか?」
「あ、それは私が聞いた。さっき電話でね」
加蓮が声を出す。
「もちろんみんな、食べてないって。杏とか周子が怪しいかなって思ったけど、証人がそれぞれいるからね」
「なるほど……」
「あ、あと杏が、"冷蔵庫は開けたけど、プリンはなかった気がするんだよね"って言ってたよ」
「ほう……、杏さんときらりさんは、1番早く事務所に来ていたようですが」
「そうなんだよなー、朝早くだから、その時点からなかったのかな? 昨日の夜、薫のプロデューサーが帰る時には、まだあったみたいなんだけど」
「それは……」
「23時くらいだって」
82 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:20:27.90 ID:gRyzT9wx0
「むむむ……、これは難事件ですね……」
「みやこちゃん、はんにんわかった……?」
「えっ!? あ、も、もちろんです! この名探偵・安斎都はお見通しです!」
「ホント!? だれ? だれ?」
「うっ……」
「おい都……わからないならそう言っても……」
その時、都は昨日のことを思い出していた。
(た、確かカバンに入れっぱなしだった気が……)
カバンをガサゴソと探ると、その袋が見えた。
「す、すいません、ちょっと座ってもいいですか?」
「あ、来てから立ちっぱなしだもんね、ごめんごめん」
「いえ……よいしょ」
都の手には、袋から取り出した薬が1つ。
(まあ、ダメでもともと……ですしね)
ちょうど、3人が都から目を切った瞬間、ゴクリ、と飲み込んだ。
カクン
「むぅ、ここに書いてない人がふらっと立ち寄ったのかなー……?」
「それだと見つけるのは難しそうだよね」
「うーん……、あれ? みやこちゃん?」
異変に気がついたのは薫。さっきまで普通に座っていたはずの都が、顔を下に向けている。
「お、おい、都、どうした?」
奈緒も慌てて声を掛ける。
「え? このタイミングで寝ちゃったの? 疲れてたのかな」
と、加蓮が言い終えるのと、都の口が動き出すのは同時だった。
「謎が解けました」
83 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:20:57.38 ID:gRyzT9wx0
「えっ!?」
薫と奈緒の声が重なる。
しかし、その次の発言を待たずに、都は言葉を続ける。
「昨日のプロ野球、見ましたか?」
「大変盛り上がっていましたね。特にキャッツのゲーム」
「日を跨ぐほどの延長大熱戦の末、12回のウラにキャッツの劇的なサヨナラ勝ち! 凄まじいゲームでした」
いきなり昨日の野球の結果を語り出す都に、他の3人は口を挟めない。
「そういえば、このゲーム、始球式を務めたのは、この事務所の誇る野球大好きなあのアイドルだったそうです」
「きっと、最後の最後まで、試合の行く末を見守っていたことでしょう。まさか始球式だけやって帰るなんてそんなことはありえない」
「彼女のプロデューサーさんは、試合後に彼女を車で引き取りに行ったのだと思います。しかしここで問題が起きます」
「……泥酔した彼女が車の中で眠ってしまったのです」
「彼女のプロデューサーさんは困りました。女子寮に送るにしても、自分は中には入れない。他の部屋のアイドルも寝ている時間だ」
「そこで彼は苦肉の策を取った。ひとまず、彼女を事務所に寝かせるという手段です」
「そして早朝に目を覚ました彼女は、冷蔵庫で見つけたプリンを食べ、帰宅した……」
「昨日の夜中から、杏さんときらりさんが来るまでの間が犯行時刻なら、これ以外にありえません。それに……」
「ほら、今日のレッスン予定表、お昼からのレッスンが1件、中止の×印が書き込まれていますよ。"体調不良"って」
「……姫川、という文字の上に」
84 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:21:54.69 ID:gRyzT9wx0
「な、奈緒」
「あ、ああ! 電話してみる……。あ、もしもし! 友紀か!?」
『う、うぅ……奈緒ちゃん……? 声、おっきいよ……』
「今朝、事務所来たか!?」
『事務所……? 来たというか……いたというか……』
「手短に聞くぞ、プリン食べたか?」
『プリン……? ああ、食べちゃった……。お腹空いてて……』
「はぁ……」
『あれ? もしかして、奈緒ちゃんのだった……? ごめんごめ』
「もしもし!!! 友紀お姉ちゃん!!!」
『は、ひゃい!?』
「かおるのプリン、食べたの!?」
『うぇ!? あ、あれ薫ちゃんのだったの!?』
「もー!!!」
『ご、ごめん! い、今から買ってくから! ね?』
「こんどから、ちゃんと確認しなきゃダメ!」
『は、はいぃ……』
85 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:23:05.24 ID:gRyzT9wx0
さて、20歳が9歳に叱られているという、なかなかレアな状況ではあるのだが、それを見た都は、とにかく混乱していた。
目を覚ました瞬間、薫が電話に向かって怒っていたのだ。どうやら、相手は友紀で、しかも犯人だったらしい。
あの薬を飲んだ瞬間から今までの記憶が全くない。
もちろん、そんなこととはつゆ知らず、奈緒は都に声をかける。
「おい都! お手柄だな!」
「ふぇ!?」
加蓮も、心からの賛辞を送る。
「すごいじゃん、見直したよ」
「え? は、はい」
「いやー、推理を披露する都、まるで本物の探偵みたいだったぞ!」
「そ、そうですか! そうでしょう、そう……でしょう」
「みやこちゃん! すごい! たんていさんだ!」
「! は、はは……」
「お、そうだ、ついでに、あたしの髪留めがどこにあるか、捜してもらえないかな? 昨日、事務所でなくしちゃって……」
「も、もちろんお安い御用です! この安斎都に……」
そこまで口にしたところで、注意書きが脳裏に走った。
『1日に服用できるのは1回だけです』
(1日に2回以上服用すると……)
続く言葉を思い出し、冷たい感覚が蘇る。
「お、おおっと! 急用を思い出しました! すみませんが私はここで!」
「え? お、おう。気をつけてな?」
直前の言葉を覆し、走り去る都。少し、気持ちを整理したいという思いもあった。
86 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:24:13.98 ID:gRyzT9wx0
〜〜〜〜〜
夜、驚きと、混乱と、そして少しの期待で、都はなかなか眠ることができなかった。
いろいろ考えてみたのだが、やはり結論は出ない。
あの後、何人かに"お手柄だったらしいね"と褒められた。どうやら、薫が言って回っているらしい。
それ自体悪いことではないのだが、なにぶん記憶がなく、詳細を聞かれても答えに窮してしまうのは問題だ。
それでも、薫の笑顔と"すごい! たんていさんだ!"という言葉は、都の気分を高揚させるに十分足るものであったのだが。
幸い、袋にはまだたくさん薬がある。
(も、もう1度、機会があれば確かめてみましょう……)
そう思いながら、都は眠りに落ちていった。
87 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:25:27.46 ID:gRyzT9wx0
〜〜〜〜〜
次の機会はすぐにやってきた。
ある日、女子寮の廊下を歩いていた都は、不安気に話をする美穂とみくの2人とすれ違った。
「おはようございます。なにかお悩みですか?」
「あ、都チャン」
「お、おはよう……」
「はい、おはようございます! それで……」
「あのね、あ、あんまり大きな声で言わないでほしいんだけど――」
「ふむ、ベランダに干していた美穂さんのタオルが盗まれた……と」
「う、うん……」
「みく、最初はね? ドロボーかなって思ったんだ。でも、今のところ被害はそのタオルだけなんだって。ドロボーなら、普通下着とか持っていくよね?」
「み、みくちゃん、下着とか言わないで……」
「にゃっ、ごめんごめん」
「なるほど……。詳しく話を聞いてもいいですか?」
そう言いながら、3人は共有スペースへ移動し、ソファへ腰掛けた。
しかし、都の目的はもちろん、話を聞くことではなく、"座る"ことだけだ。
1通りの話を2人から聞いた都は、わざとらしく眉をひそめる。
そして薬を口に入れ……、飲み込んだ。
「なんでタオルなんだろうね?」
「わ、わたしの服なんて盗っても……」
カクン
「謎が解けました」
88 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:26:14.61 ID:gRyzT9wx0
「……え?」
みくは驚きで声を上げ、美穂は言葉の意味がわかっていない様子だ。
「み、都チャン?」
「みくさん、以前、寮の裏にネコが捨てられていたことがありましたね。その時、みくさんがそのネコの段ボールに、ご自身のタオルを入れました」
「え? そ、そうだけど、もうだいぶ前だよ? そのネコチャン、もう大人だし」
「話は変わりますが、先ほどおふたりと話していて、私はある感覚を覚えました。……同じ匂いがしたんです。美穂さん、最近、洗剤を変えましたね?」
「う、うん! この前、みくちゃんに勧められたやつに変えたけど」
「みくがずっと使ってるやつだよ」
「捨てネコにタオルをあげた時から、同じものを使っていた……ですよね?」
「うん……えっ? まさか……」
「みくさんの部屋は寮の2階にあります。また、この建物の周囲には木などがあまりなく、1階以外のベランダから誰かが入るのは至難の業です……。それがたとえ、ネコであっても」
「ど、どういうこと?」
「あのネコにとって、この洗剤の匂いはまさにお母さんのようなものです。そして、美穂さんの部屋は1階」
「そ、そっか……! わたしのタオルから、みくちゃんのタオルと同じ匂いがしたから……!」
「おや、ちょうど……」
「み、美穂チャン! 見て! 窓の外!」
「あ! ネコちゃん! わ、わたしのタオル咥えてる!」
「都チャン! すごい! すごいにゃ!」
「ん、んん……?」
「ありがとう都ちゃん!」
「え? ……あ、お、お安い御用ですよっ」
まどろみの中で目を覚ました都であったが、2回目であるために理解は早かった。
どうやら、またしても自分の意識が失われている間に、事件は解決を迎えたらしい。
(この薬……本物なんですね……!)
89 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:26:48.12 ID:gRyzT9wx0
〜〜〜〜〜
この一件を皮切りに、都のウワサは瞬く間に事務所内に広がっていった。
これまで都をあまり頼っていなかった者も、都の凄さを目の当たりにして、驚くばかりだ。
そして、都にとっての転機が訪れる。
ある時、ウワサを聞きつけたのか、都にあるテレビ番組への出演オファーが舞い込んできた。
何年も前の未解決事件についていくつか取り上げ、情報提供を呼びかける番組だ。
場合によっては改めて捜査のやり直しがなされ、この番組によって解決に繋がる事だってある。
もちろん、都に事件解決を求めているわけではない。緊張感のあるスタジオで、多少なりとも雰囲気を良くしてくれれば。
あわよくば、新しい視点からのコメントが1つでも飛べば。というくらいの期待値ではあったのだが。
撮影が開始され、最初の事件について司会が語り始めた。当然のことながら、警察が何年かけても真相にたどり着けない事件だ。
都が概要を聞いた程度で何か得られるものはない。それでも懸命に、聞き、考え、時にコメントを求められ、的外れな回答だってたくさんあったが、撮影は進んでいった。
お守り代わりにポケットに捻じ込んだ薬も、使う機会はなさそうだ。こんな難事件をいきなり出てきた自分が解決するなんて現実的ではなく、下手な注目を集めてしまう。
90 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:27:44.91 ID:gRyzT9wx0
(次が最後の事件ですか……)
最後の事件まで番組が進むと、スタジオに現れたのは少女。見るに年齢は都より少し下くらいだろうか。
自己紹介を済ませた少女は、どうやらこの事件の遺族らしい。
少女が事件の概要を語り始める。他の事件と同様に聞いていた都は、その事件が紐解かれるにつれて、自分が聞き入っていることに気がつかなかった。
聞けばその少女は、まだ小学校低学年のころ、父、母、兄、妹の家族全員を、押し入った強盗に殺されてしまったという。
寝静まった深夜に犯行がなされたが、偶然にも友人宅に泊まっていた少女は助かったということだった。
その日家に帰り見た、血濡れた寝室と無残な家族の姿を、少女は今でも夢に見るという。
涙ながらに語る少女。歳の近い都の目には、涙と、怒りの色が浮かんでいた。
(どうしてあの子がこんなに悲しまなければいけないんでしょうか? 何をしたというのでしょうか)
(どうして犯人は……のうのうと逃げ暮らしているのでしょうか?)
都の指先が、ポケットの中の薬に触れる。
不自然とか、注目を浴びるとか、そんなことは問題ではない。
目の前に困っている人がいて、それを解決する力があるのに、使わないなんて。
(探偵として、ありえません!)
カクン
「謎が解けました」
91 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:28:26.40 ID:gRyzT9wx0
〜〜〜〜〜
その日から、都の生活は一変した。
探偵のようなアイドルか、アイドルのような探偵か。
いずれにせよ、テレビにドラマに引っ張りだこ。その合間に、謎を次々と解き明かしていく。
1日に1回という制限はあったが、"集中力を使うから"などと誤魔化し続けた。
眠った彼女が決まって使う『謎が解けました』というフレーズは瞬く間に流行語。
決まって顔を下に向け、事件の真相を語る都についた呼び名が。
「"睡眠探偵ミヤコ"さん、お疲れ様です」
「……頼子さん。普通に呼んでください」
「……お疲れのようですね、都ちゃん」
「そう……ですね、忙しくなっちゃいましたので」
失礼します。
と言い残して、都は事務所を後にした。
92 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:29:10.15 ID:gRyzT9wx0
人気が爆発してから早数ヶ月、もちろん疲れはあったのだが、都の心は2つの感情で支配されていた。
まず1つ、焦燥感。
「あと3つ……」
薬の残りが少なくなってしまっているのだ。
ここまで都が出世できたのがこの薬のおかげであることは間違いない。
それだけに、この薬がなくなってしまったらどうなってしまうのか。
何度もあの店に通っているのだが、同じ薬が姿を現すことはなかった。
しかし、その焦燥感よりも強く、都の心には、大きな、大きな、罪悪感が生まれていた。
"自分はみんなを騙している"という感覚が、ジワジワと都の心を蝕んでいる。
事務所だけならまだいい。しかし、ファンやスタッフまで、みんなが自分を名探偵だと信じて疑わない。
"探偵になりたかった"都は、奇しくも"探偵であることを望まれる"という状況に苦しんでいた。
この日も雑誌にラジオにテレビに大忙し。
1つの事件を解決して事務所に戻る頃には、すっかり暗くなっていた。
93 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:29:53.37 ID:gRyzT9wx0
(ふぅ……あれ、明かりがついていますね)
「お疲れ様です」
「ああ、都ちゃん、遅くまでお疲れ様です」
「よ、頼子さん、こんな時間までどうしたんですか?」
「……」
「確か、明日はソロイベントでしたよね? 早く休んだ方が……」
頼子は少し言い淀み、やがて、意を決したように口を開いた。
「都ちゃんを、待っていました」
「……え?」
94 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:30:39.42 ID:gRyzT9wx0
「単刀直入にお聞きします。都ちゃん、何か、隠していることがありますね?」
「なっ……」
「最近の都ちゃんは、とても……苦しそうなんです」
「そ、そんなことは……」
「何というか……、これは私の傲慢なのかもしれませんが……、まるで助けを求めているような」
「……っ!」
「私は以前、こう言いました。"何か話したい時には話してください"と」
「……」
「……私では、頼りになれませんか?」
「そ、そんなことは」
「都ちゃんの、力になりたいんです」
真剣な目で都を見つめる頼子。
心から、都のことを気遣ってくれている。
(これ以上……頼子さんを騙すのは……)
都が、ゆっくりと語り始めた。
95 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:31:13.96 ID:gRyzT9wx0
〜〜〜〜〜
「……そう……だったんですか」
薬について、一連の話を聞いた頼子は、袋の注意書きを読みながら、目に見えて絶句していた。
無理もないだろう。本人以外にこんな話を信じさせるのは難しい。
それでも。
「……信じられませんよね?」
「いえ、都ちゃんを信じます」
「軽蔑……しないんですか?」
「誰にだって、悪い夢を見ることはありますよ」
きっぱりと言い放つ頼子。さらに続ける。
「……辛かったですよね?」
そう言って、都の頭を優しく撫でる。
初めこそ堪えていた都であったが、次第に、涙が溢れてしまった
96 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:32:22.35 ID:gRyzT9wx0
〜〜〜〜〜
「お恥ずかしいところをお見せしました……」
落ち着きを取り戻した都は、バツが悪そうに目を逸らす。
「いえ、お役に立てたのなら、何よりです」
「わ、私はここで失礼しますね。明日のイベント、見に行きます! 頑張ってください」
「はい、ありがとうございます。ああ、都ちゃん」
部屋から去ろうとする都の後姿に、頼子は言葉を掛けた。
「薬がなくなってしまったら、次は都ちゃん自身の力で進む時です。都ちゃんなら絶対、大丈夫ですよ」
97 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:33:28.88 ID:gRyzT9wx0
〜〜〜〜〜
「謎が解けました」
翌日。
珍しく、この日の都は完全にオフ。
夜からの頼子のイベントを見るため、一旦事務所へ立ち寄り、リハーサルが終わるであろう頃合いを見計らって、夕方くらいに向かおうと考えていた。
さて、昼くらいに事務所に着くと、何人かが捜し物をしている。
聞けば、事務所のどこかで李衣菜がギターピックを落としてしまったらしい。
有名ギタリストから譲り受けたもので、何としても見つけたい、と。
当然ながら、都にその依頼が飛び込んできた。
どちらにせよ今日は仕事はないし、断る理由もない。
それに、一刻も早く、薬を使いきりたいとも考えていた都は、これをすぐに解決し、イベント会場へ向かった。
98 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:34:37.19 ID:gRyzT9wx0
「ええっと、控え室は……」
会場に入った都は、関係者区画を歩いていた。
といっても、きっと頼子は集中していることだろう。顔だけ見て、すぐに引っ込むつもりと決めていたのだが。
しかしながら、どうも人の流れがせわしない。まるで何か……
(トラブルでもあったんでしょうか……?)
そして、頼子の控え室に辿り着いた都は、なぜか開けっ放しのドアを覗き込み、言葉を失うことになる。
99 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:35:33.41 ID:gRyzT9wx0
そこには、無残にも引き裂かれた衣装と、壊されたアクセサリが散乱していた。
傍の椅子に座っている頼子の表情は悲痛と、そう呼ぶ他にない。
「え……? な、なんで……、よ、頼子……さん……?」
「……都ちゃん」
「……何が……起きたんですか」
「……わかりません。リハーサルを終えて戻ると……このような」
「だ、誰が……」
頼子は、黙って首を横に振ることしかできない。
許せない。許せない。許せない。
絶対に許せない。
こんなことが許されていいはずがない。
思わず、カバンの中に手が伸びる。しかし。
『1日に服用できるのは1回だけです』
あの注意書きが、都の手を止める。
さらに。
「……都ちゃん、あの薬を使おうとしていますね? 大丈夫です。私は、大丈夫ですから」
気配を察した頼子が、都を気遣う。
(頼子さんは、こんな時にも私を気遣ってくれる)
(辛いはずなのに、悔しいはずなのに……!)
しかし、今に限っては、その優しさは、逆効果だったのかもしれない。
「やっぱり、許せません……!」
都が、既に指先に触れていた袋を取り出した。
100 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:36:30.12 ID:gRyzT9wx0
都が薬を取り出すのを見て、当然頼子は止めにかかる。
しかし、その前に、気がついた。
昨日、見せてもらった時と比べて、間違いなく……、減っている。
「都ちゃん、昨日、話をしたときには残り2個だったはずです。もう1つはどこへいったんですか」
「……いえ、不注意で落としてしまい」
「ウソです。……今日、既に服用したんですよね?」
「……」
「それなら、余計に使わせるわけにはいきません」
「で、ですが! 頼子さんの大事な……!」
「大丈夫です。衣装も、装飾品も、いつかは壊れます。今、事務所から替えの衣装を届けてもらっています。間に合わないとは思いますが、その衣装でなんとか」
「ダメです!!!」
突然の大きな声に、思わず頼子も驚く
「だって、頼子さん、今日に向けてずっと、ずーっと、頑張ってきたじゃないですか! レッスンも、衣装合わせも、一生懸命に!」
「……都ちゃん」
「だから、許せません……、そんな努力をあざ笑う犯人を……!」
「で、ですが、落ち着いてください……!」
「大丈夫です。100%覚めないとは書いてありませんし。このままじゃ、私なんかにはどうせ……」
「み、都ちゃんは、そんな薬なんてなくても名探偵のはずです」
「いいえ、言ったじゃないですか……。私は名探偵なんかじゃないんです。私は普通の女の子で、事件解決は全部この薬のおかげ」
「そんなこと……」
「怖いんです」
「え?」
101 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/09/01(金) 00:37:22.59 ID:gRyzT9wx0
俯いた都が、か細い声で言葉を続ける。
「みなさんが、私に期待してくれています。それが、その期待を裏切るのが、とても怖いんです」
「何度も、何度も打ち明けようと思いました。"実は全部ウソだ"って。"私はみんなに期待してもらえるような人間じゃないんです"って!」
「でも言えなかった……! 私は卑怯者です。自分で手に入れていない栄光を、さも自分のものであるかのように振り回した。とんでもない卑怯者なんです」
「だから、これは報いなんです。もし私が目を覚まさなくても、それは仕方のないことなんです」
「ちょうどこの薬がラストです。見ていてください、頼子さん。探偵安斎都、最期の――」
パシィ!!!!!
「……」
「痛い……ですよ」
「……」
「どうして、頼子さんが泣いているんですか」
「どこへ……行ってしまったんですか?」
「……どういう」
「あの頃の都ちゃんは、どこへ行ってしまったんですか」
「……私は私です」
「困ってる人がいたらすぐに駆けつけて『任せてください!』って大きな声をかけていた都ちゃんは……」
「……」
「謎を解くために、どんな小さな手がかりも見逃さないために、服が汚れるのも厭わず、皆の為と奔走していた都ちゃんは……!」
「……」
「私が大好きだった都ちゃんはどこへ行ってしまったんですか!」
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