【モバマスSS】世にも奇妙なシンデレラ

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102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/01(金) 00:38:42.99 ID:gRyzT9wx0

頼子からこんなに大きな声を聞くのはいつぶりだろう。
いや、初めてのことかもしれない。
目に涙を浮かべる頼子は、口を開き、次の言葉を紡ぎ始める。

「……覚えていますか? 始めて私と都ちゃんが話したときのこと」

まるで懐かしむように。

「事務所の廊下で落し物を探す私に、都ちゃんが声を掛けてくれたんです。『どうかしましたか』と」

都はまだ俯いている。

「まだ事務所に入ったばかりの私にとって、あの時の『任せてください』が、どれだけ嬉しくて、どれだけ心強かったことか」

「都ちゃんは、とても一生懸命に、探し物を手伝ってくれました。私の通った廊下や部屋をくまなく、這いつくばるくらいに」

「そして、見つけてくれたんです。……見つけ出してくれたんです」

「その時の喜びは、言葉では言い表せません。探し物が見つかったことはもちろんです。しかし、それ以上に」

「私のために、こんなにも真剣に悩んで、考えて、探してくれる。そんな都ちゃんと出会えたことが、仲間になれたことが、本当に嬉しかった!」

「……っ!」

頼子の一言一言が、突き刺さる。

「思い出してください、都ちゃん。まだ遅くありません」

そうだ。なぜ忘れていたんだ。

「思い出してください、皆の為に、たとえ解決できなくても、懸命に謎に立ち向かう都ちゃんを」

カッコいい探偵に憧れた。
スマートに事件を解決に導く探偵に憧れた。
でもその探偵だって、地道な調査と、細かい推察を重ねて、重ねて、重ねて。
やっとの思いで真相を暴き出す。
だからカッコいいんだ。だから、憧れたんだ。

今の私は

こんな私は


――探偵なんかじゃない!!!


「探偵・安斎都を、思い出してください!!!」


103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/01(金) 00:39:34.77 ID:gRyzT9wx0

少しの沈黙。そして。

「ふふふふふ……」

俯いていた都が、顔を上げた。
そこに浮かぶのは……笑顔。

「ありがとうございます、頼子さん」

どこか吹っ切れたような、そんな笑顔。

「……もう、大丈夫ですか?」

「ええ! 安斎都、完全復活です! もうあんな薬には頼りませんよ!」

「……ふふっ、よかったです」

「ご心配をおかけしました! 探偵アイドルとしてまだまだ活躍しなければですからね! こんなところで眠ってはいられません!」

「それでこそ、都ちゃんです」

「さてさて、早速、目の前の謎に挑まなくてはですね!」

「あ、で、でも、今しがた、事務所から新しい衣装が届いたみたいですし、多少開演を推してはいますが、このままなら支障はないかと……」

「いえ! それとこれとは別問題です! 悪を見逃すなんて探偵失格ですから!」

「ですが、手がかりもないですし……」

「そうですね……、ですが、探偵の武器は足だけではないんですよ!」

「え?」

「頼子さん、1つ、お願いを聞いてもらってもいいですか?」

104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/01(金) 00:40:27.86 ID:gRyzT9wx0

〜〜〜〜〜


――大変長らくお待たせいたしました。ただ今より開演となります。


予定の時間を過ぎても始まらないことに観客が疑問を抱き、そろそろ苦情の1つでも飛んでこようかというタイミングで、放送が響いた。
ステージの上には人影が1つ。
カッ! という音と同時に、スポットライトがその人影に注がれる。
そこには。

「みなさんっ、こんにちは! 安斎都です! あっ間違ってないですからね! これはちゃーんと、頼子さんのイベントですからっ!」

唖然とする観客達。
無理もない。待てども始まらないイベントが開演したと思えば、ステージ上には何かと話題の探偵アイドル。
まさか、頼子の身になにか……? トラブルが起きたのか……?
そんな空気を感じ取ったのか、都は続ける。

「心配いりませんよ。頼子さんは舞台袖で、今か今かとスタンバイしています!」

安堵する観客の顔が見える。

「むむっ! "じゃあなんでお前はいるんだ!"と思った方がいますねっ! 説明しましょう!」

「実は先ほど、"落し物"をしている人を見かけたんです。"顔はわかっている"のですが、いかんせんこの人数から探すのは至難の業……!」

「そこで、こうして呼びかけることで"自首"してほしいんです!」

わざと事件めかした言い方をしていると思ったのだろう。観客から笑い声が聞こえた。
……もちろん、特定の人物に向けたものであるのだが。

「ああ、警備員さんに特徴は伝えてありますので、逃げられませんよ〜?」

「まあ私も鬼ではありません。自首してくれれば罪は軽くなりますからね!」

またも笑い声。

「私からは以上です! さてさてみなさんお待ちかね、頼子さんの時間ですよ! 安斎都でした!」

笑顔で深々と頭を下げた都は、闇に消えていった。

105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/01(金) 00:41:12.58 ID:gRyzT9wx0

〜〜〜〜〜


翌日の事務所。

「お疲れ様です、都ちゃん」

「あっ頼子さん! 昨日は本当にお疲れ様でした!」

「いえ、こちらこそ。……おかげ様で犯人も捕まりましたし」

「本当によかったです……」

「でも、あの場に犯人がいなかったら、どうするつもりだったんですか……?」

「いえ! "犯人は現場に戻ってくる"と言いますし! 犯人なら、イベントが壊れる瞬間までその場にいるだろうと考えたんです」

「なるほど……。流石、名探偵さんですね」

「えへへ……。そ、それより! イベントの後、私はすぐに解放されましたが、頼子さんは警察から話を聞かれていたんですよね……? あっ、決して探偵として1回受けてみたかったなあなんて思ってないですよ!」

「ふふっ、そうですね。……ああ、そういえば」

「?」

「犯人は自首した理由について、こう言っていたそうですよ」

『まさか安斎都がいるとは思わなかった。逃げられないと感じた』

「ふふん! ……ま、まあ、その名声は私の力ではないですが」

「たとえそうでも、追い詰めたのは都ちゃんですよ」

「て、照れます……。探偵は話術も武器ですからね!」

「これから先も、活躍を期待していますね? 名探偵さん」

「はい! 任せてください!」

106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/01(金) 00:42:30.16 ID:gRyzT9wx0

「……頼子さん」

「はい?」

「ありがとうございました」

「都ちゃん?」

「私は、ずっと眠っていました。この薬を初めて手にした時から」

都が薬を取り出す。

「目を覚ましてくれたのは、頼子さんです。本当にありがとうございました」

「……力になれたのなら、嬉しい限りです」

「でも」

「?」

「1つだけ、謎が残っています」

「そ、そうなのですか……?」

「昨日、聞き間違いでなければ頼子さんは『私が大好きだった都ちゃんは』と言っていましたよね?」

「えっ!? あ、ええと……」

まさか掘り返されるとは思ってもみなかったのだろう。明らかに頼子がうろたえている。

「それを聞いてから、いえ、それよりも前からだったかもしれません。頼子さんの顔を見ると……ドキドキして……」

「え?」

「……そこで、この謎を解くことを、睡眠探偵ミヤコの最後の仕事にします」

そう言って、都が最後の薬を口に含む。

「……まあ、自分でもわかっているんですけどね」

小さな呟きが頼子の耳に届いた時にはもう。

カクン

目の前には、何度も見た姿勢の都が。


「謎が解けましたよ」


「頼子さん。私は――」



――少し震える都の手には、まだ最後の薬が握られていた。




おわり


107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/01(金) 00:43:10.02 ID:gRyzT9wx0
ありがとうございました
108 :0/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 22:54:45.14 ID:+FZOeqSl0
ちょっと書かせていただきます
109 :3/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 22:56:03.58 ID:+FZOeqSl0




恋人に刺された。





モバP(以下P)「参ったな・・・こういうのはヤンデレキャラの領分だろうに」



俺は自室用のデスクチェアーに腰掛け、そう呟いた

カーペットを汚している液体の赤さがまゆのことを思い出させる

決して「ヤンデレ」というワードに反応したのではない、あの子はいい子だから


腰から包丁の柄が生えたまま、もう30分になる

ちなみに刃の方は背骨の近くの太い血管に食い込んでいるのだろう

清良や早苗に見せるまでもなく致命傷である

少なくとも刺された直後は間違いなく致命傷だった





なのに、スタミナドリンクを飲んだらちょっと治った



110 :3/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 22:56:31.40 ID:+FZOeqSl0








モバP「○○まで死ねません」





111 :6/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 22:57:21.48 ID:+FZOeqSl0


俺はこれでも延べ183人のアイドルをプロデュースしてきたプロデューサーである。

同僚のサポートだったり、提携している他事務所の子を短期プロデュースしたり

ただでさえ多めの自分の担当アイドルに飽き足らず大なり小なり手を貸してきた

プロデューサーの能力は豊富な経験で決まると信じて居た俺はそういう風に実績を積んだ

そして今日までのところそれは成功していた

担当中のアイドルとの仲も上々だし、

引退したアイドルとも、良き友人としての関係を改めて築けた

だから毎年200枚近い年賀状が届く


そこそこの彼女も出来たし、出世したし、いいマンションに部屋も構えた。


P「まあ、その自宅でその彼女に刺されたんだけど」


今、立ち上がると出血が悪化して死ぬ

俺は椅子のキャスターを利用して座ったまま部屋を移動した。

動いた軌道に沿って赤いラインが野太くついてくる。

沙紀ならこれもアートというだろうか

P「こうして見るとまるで俺が血抜きされているみたいだな」

しかし葵や七海がここでマグロ解体ショーを実演してもここまで部屋は汚れないだろう
112 :35/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 22:58:59.74 ID:+FZOeqSl0



彼女が俺に対する刃傷沙汰に及んだ原因は俺にある


長くアイドルと接し、彼女らの魅力に当てられ、または磨き上げている内に俺の女性観が変わってしまったのだ

”魅力あるものは独占せず、世界に知らしめすべし”

プロデューサーとしてはそれは褒められたことだろう


ゆかり、桃華、雪乃、紗枝、琴歌、星花、千秋、詩織らのような清楚さ

加奈、美里、美由紀、菲菲、ライラ、芽衣子、薫、みりあ、のような愛嬌

瑛梨華、フレデリカ、あずき、仁美、アヤ、聖來、ヘレン、亜季、美羽、いつき、柚のような溌溂さ


俺はそれらを飾り立て、磨き上げることに喜びを見出していた

いつの間にかそれがプライベートにまで侵食していたのだろう

アイドルではない、どこに見せびらかすでもない恋人に対して俺はひどく冷めていたのだ



彼女は言った。

「かわいいアイドルに囲まれて、わたしに飽きたんでしょう!」

俺は言った

「そんなことはない、だって君と彼女らはそもそもステージが違うんだから」



ありすでも自重するであろう論理だった

論破でもなんでもない途方もない失言だった

なので言葉ではなく暴力でやり返され今に至る
113 :38/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 23:00:00.24 ID:+FZOeqSl0

P「そりゃ・・・長いこと、セックスレスだったし、不満もたまるかぁ・・・」


独り言でも喋ってないとつらい、黙ると腰の激痛に意識を向けそうになる

俺は飛鳥の饒舌さを再現するつもりで話しながら椅子で移動する

P「一度美しいもの目を焼かれてしまうとそれ以外のものが色あせて見える・・・果たして本当にそうだったのだろうか。

美醜は相対的なものに完結してしまうのか?自身にとってのみありうる絶対的な美の存在は許されないのか?

そうだ、俺はもっと気の利いた言の葉を以て恋人を繋ぎとめ、剣を突き立てることもなかったのではないか?

『僕は世界に通用するアイドルを育て上げているが、君は僕の中ではずっと一番さ』なんてそれぐらい囁くこともぼろろろろろろろろげれぼろろろろろろろろろろ」

思わず嘔吐した

セリフが臭かったからとか、飛鳥に全然似てなかったとかではなく体に無茶をさせすぎたらしい

慌てて、胸ポケットから取り出したスタドリを一気飲みした

せり上がっていた嘔吐物がドリンクの清涼感を打ち消しつつ食道を下る





P「・・・・・・・・・ふうっ」



はい、回想と反省はおしまい

真奈美やあいを真似た指パッチンで頭を切り替える

ここからは生きるための話をしよう
114 :50/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 23:01:46.87 ID:+FZOeqSl0


俺は後ろから腰を刺された。

なぜなら自宅にもかかわらず机で仕事をしていたからだ



彼女は本気で怒っていたというのに俺が相手していたのは画面に表示されたエクセルだった

パソコン、と聞くと泉やマキノを思い出したが彼女らに連絡はとれない

なぜならこのパソコンはあくまで事務作業用なので漏洩を危惧してオフライン設定のままなのだ



なので刺された直後、俺にできたのは部屋から出て行った彼女を追うのでもなく通報するのでもなく

机の引き出しに入っていたぬるいスタドリを飲むことだけだったのである



どうせ死ぬのなら飲み残しのないようにしようと呷ったところ寿命が延びたのだ



楓や志乃にあと礼子が言っていた。「酒は百薬の長」だと

俺の場合スタドリのおかげで致命傷を遅延できている



だがそれも体感で2,3分くらい。実際はもっと短いだろう

さっきの椅子移動でカラーボックスの上に転がっていたスタドリをチャージしたがその効果も長くない

都のような探偵なら部屋を歩き回りながら考えるのだろうが、

俺は動けない、椅子を動かせても椅子の上から動けない

歩いて病院には行けないのだ




P「つまり、そういうこと・・・」




スタドリが切れたら死ぬ






パンが切れたみちるのように、メガネが尽きた春菜のように、ドーナツが朽ちた法子のように

ヒロイン補正の消えたほたるのように、ギャグ補正の消えた加蓮のように、電池が切れたのあのように


115 :53/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 23:03:21.50 ID:+FZOeqSl0


P「オーケーオーケー、まずは物資確保だ・・・俺の家のスタドリ在庫は?」



今俺がいるのは仕事部屋の壁際

元々窓際にいたのを移動したのだ

ここまで確保したスタドリは3本、摂取したのは2本


P「そーっと動け、そーっとだ・・・」



部屋の入り口に向けてつま先歩きで椅子を動かす

出入り口のそばには小型冷蔵庫がある。そこにはスタドリのストックがあったはずだ



P「といっても少ないだろうが・・・」



でも最終目的地はリビングだ。

そこにある通常サイズの冷蔵庫ならもっとたくさんのスタドリを補充できる

大事の前の小事というのかはともかくまずはそこに至るまでのスタドリが必要だ

ゴツリ、とキャスターが何かに食い止められた

振動が腰に伝わる、出血が増えた気がした

慌てて三本目の蓋を開ける、星型の飾りが指にくい込んだがどうでもいい


P「しまった・・・手持ち最後を飲んでしまった」

キャスターがボールペンを踏んでいたらしい

これを無理に乗り越えるリスクは冒せない

万にひとつ、椅子が転倒したら死ぬからだ

俺はふーっと息を吐くと、たった一本のペンを迂回して冷蔵庫に向かう

壁に貼られていた智香のポスターと目があった。どうやら応援してくれているらしい

ちなみにその隣では友紀がキャッツを応援していたし茜がボンバーのポーズをしていた

腰の血管がボンバーしているので笑えない
116 :57/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 23:04:55.55 ID:+FZOeqSl0


俺の仕事部屋は無駄に広い。壁から入口まで5メートル以上はある

手持ちのスタドリがなくなったせいで背筋が寒くなってきた

血が足りなくなってきたのを感じる

P「着いた・・・!」

思わず手を伸ばそうとして、腰に激痛が走った

嘘である。

激痛はずっとそこにいる。それがよりひどくなっただけだ

高級マンションの部屋は大きいが冷蔵庫は予想外に小さい


P「座ったままでは開けられない・・・」


そうだ、いつもはしゃがんで開けていたんだった

俺はさながら車椅子生活中の腰痛持ち、前傾もできない

バリアフリー、という言葉が浮かんだ

あとクラリスの慈愛顔も連想した。あまねく人々に平等な愛を

P「何か、何かないか・・・」

ピチョン

滴った血がやけに大きな音を立てた

タイムリミットは近い、スタドリを切らすとゼロになる

汗が止まらない。首が痒くなってきて思わず掻いた

指にネクタイが引っかかる。ニュージェネの子達が選んでくれたものだ

自宅でも仕事スタイルだったことに今更、思い至った


P「・・・・・・」

案を一つ思いついた。



ネクタイを慎重に解いていく

噴き出す汗で指が滑る


響子が整えてくれた結びをほぐす

そして体から外したネクタイを一本の紐のように構える

むつみがロープを持ったときのように

そして時子の鞭のように振るった
117 :62/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 23:06:24.44 ID:+FZOeqSl0



かちりと冷蔵庫の取っ手にタイピンが引っかかる



あれはニューウェーブが選んでくれたものだ

そのままゆっくりと後退していくと軽い抵抗の後、冷蔵庫は開いた。


P「よしよし・・・蓋さえ開けば何とかなる」


”本当に困ったとき、身の回りの物を有効活用すればなんとかなるのだ”

幸子が体を張ったロケでそう学んだらしい。

冷蔵庫の中にはびっしりと小瓶が詰まっていた

その全てがスタドリ、その全てが延命剤、命綱


P「まるで宝石箱やぁ・・・なんでやねん」


智絵里や笑美を思い浮かべながらセルフツッコミ

気を取り直して瓶を取得しようと手を伸ばすが、俺は甘かった

扉ですら手が届かなかったのに、その奥に手が届くわけがない


P「(まずい、まずいぞ・・・スタドリを眺めながらスタドリ不足で死んでしまう・・・)」


焦りすぎて声が出ない、目も掠れてきた

スタドリがなければもっと早く訪れていたであろう死に至る症状

こんなとき舞や千枝みたいな背の小さくて気が利く子がいれば取ってくれるのだが・・・

ここにはアイドルはいない。俺は自力で命を繋ぐのだ



そうだ、仕事と一緒だ


仕事がなければ生きていけない


スタドリがなければ仕事ができない




だから、スタドリがなければ生きていけない

118 :64/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 23:07:33.36 ID:+FZOeqSl0


腰から血を滝のように流し、


血液の代わりにスタドリを摂取して延命している


この状態はそんな世界の縮図だ







気がついたら足の感覚がなくなっていた

震えるばかりで満足に地面を蹴ることもできない



P「(そりゃ腰を刺されているんだ・・・足腰が立たなくなるのは時間の問題だった・・・)」



目眩がする、きらりに抱きつかれた時のように視界が揺れた

もしかしたら地震かも知れない、





俺はバランスを崩し椅子から振り落とされた

小さな冷蔵庫も巻き込んで倒れこむ




あ、死んだ




捻転していく視界の中、レナがコイントスをしていた

ピンチの今こそ逆転のチャンス、とでも言いたいのか?



119 :70/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 23:08:35.82 ID:+FZOeqSl0





いつもアイドルの傍にいた

後ろから背を押してやった

前に立って手を引いてやった

横に座って励ましてやった


いつもスタドリを備えていた

飲めば元気が沸いてきた

アイドルに取り残されないように

アイドルと共に戦うために

アイドルと壁を乗り越えるために


アイドルプロデュースが俺の喜びで

スタドリがなければそれも果たせない

だからスタドリは俺の喜び

本質はその液体にあらず

生きる意味なのだ


食欲、睡眠欲、性欲、出世欲、承認欲、顕示欲etc、etc・・・


人間はいつも形なき喜びを求めている



ラブとピースを謳歌する柑奈のように

女性の胸部を登頂する愛海のように

ロックを希求する李衣奈のように

未来からの予兆を待つ朋のように

女子力を探求する美紗希のように

はっぴーを振りまくそらのように

120 :77/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 23:10:12.06 ID:+FZOeqSl0


P「(リビングだ・・・そこなら携帯電話も冷蔵庫も玄関への道も・・・)」



果たして俺は生きていた

椅子から倒れ、冷蔵庫の瓶も盛大に転げていったのにも関わらず

今こうして、少しずつスタドリを飲み、腕の力だけで床を移動している



P「(歌鈴がスタドリの空き瓶で転んだ時のことを思い出すぜ・・・)」



エジプトのピラミッドの時に、イースター島のモアイの時に

それは大昔の人間が巨大な岩を運搬するための手段



俺は床にうつぶせに倒れてしまったが、そこから床と体の間にスタドリの瓶を敷いていったのだ

空き瓶が転がると同時に体が前に進むように、いくつもいくつも敷いていく

こうして床と自分の間の摩擦を無効化すれば弱った腕の力でも進めるというわけだ

一本飲んでは体の下に押し込んで、腕の力を振り絞って床を押す


P「(うおお・・・根性だ・・・地面を泳ぐんだ・・・)」



櫂の水泳や麻理菜のサーフィンをイメージする

飲みながら廊下に置いていく、飲みながら廊下を進む

どうしてこんなに広い廊下なんだろう、広い家を買ったからか

イヴのように質素な住まいにしておくべきだったのか

乃々や輝子のように狭いテリトリーに満足しておくべきだったのか、答えはわからない


P「(体重がかかってお腹が痛い・・・しかし背中には包丁が・・・)」


妙な諺だが「腹に背は代えられない」ということか


だが、腰の方がもっと痛いので耐えられる

菜々だって腰痛に悩まされながらもステージに立ったのだ、プロデューサーの俺が弱音を吐くわけには行かない
121 :78/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 23:11:52.44 ID:+FZOeqSl0


うつ伏せのままガブガブとスタドリをラッパ飲み、こぼれた液体が顎を濡らす


血液とスタドリの混じったなにかの液体がカーペット用に廊下を汚した

気の遠くなるような体感時間の末、ようやくリビングに通じる扉に着いた

這いつくばった態勢ではノブに届かないのではと気を揉んだが

彼女が出て行くときにちゃんと閉めなかったらしい。扉は薄く空いていた





進み方はそのままに扉を頭で押しのけるようにして


ついにリビングにたどり着いた



俺はスタドリを転がしながらカーペットの上を滑っていく




P「(助かった・・・冷蔵庫も、そして携帯電話もある・・・!)」




冷蔵庫までまっすぐ行こうとして、この態勢では扉が開けられないことに気づく

予定変更、さきに携帯電話を手に入れる



ソファのそばに置かれたテーブルなら地面からでも手が届く

確か私用の携帯電話はそこに置いていた。

広い部屋を盛大に汚しながら横断する

恐らくとっくに血は足りていない、

スタドリの回復分だけで動いている

小梅の好きなゾンビのように這っていく、這っていく
122 :90/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 23:14:59.34 ID:+FZOeqSl0


残り5メートル

〜卯月「頑張ってください!」〜


残り2メートル

〜恵磨「いっけーーーーー!!!!」〜


残り1メートル

〜珠美「忍耐ですぞ!P殿!」〜


アイドル達の幻聴に頭がくらくらしながらテーブルの上を五指で探りまわる


リモコンや雑誌に紛れて、確かな感触があった

携帯電話に手が届いたのだ




P「あっ、そうだ充電切れてたんだ・・・」




アイドルのケアも兼ねて仕事用の携帯電話ばかり使い、私用のものは自宅に放置していたからだ

それで彼女からの連絡も彼女への連絡も蔑ろにしていた


そういう態度も刺される原因の一つだったのだろう



P「俺はここで死ぬのか・・・」


俺はできる限りみんなの顔を思い出そうと最後に脳を振り絞った


有香、ゆかり、亜里沙・・・

沙理奈、千夏、瑞樹・・・

藍子、夏樹、久美子・・・


思い返せない数のアイドルの顔を思い出す

走馬灯をアイドルだけで埋め尽くさんと




”今回の俺”はどうやらここまでだ・・・

123 :?/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 23:18:18.77 ID:+FZOeqSl0



P「ところで何人くらい名前出せた?」



こずえ「えっとねー・・・きゅーじゅーにん・・・」



P「90人か・・・半分ってとこかー・・・」



こずえ「けーたい・・・じゅーでんしてたらもっとできたのー」



P「そうだな、あの辺で精神的にガクっときたからなー・・・そこで意識切れちゃったよ」



P「・・・よし!もう一回だ!」



芳乃「了解でしてー」



P「よーし次は183人全員の名前出すぞー!」

124 :13/183  ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 23:22:30.84 ID:+FZOeqSl0
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恋人に刺された



モバP「参ったな、こういうのは巴の好きな任侠映画や小梅の好きなスプラッタ、あとはあとは・・・」



俺は自室用のデスクチェアーに腰掛け、そう呟いた

カーペットを汚している液体の赤さがまゆのことを思い出させる


・・・・・・あとレッドバラードの千夏、アヤ、礼子、千秋、あいも思い出した


決して「ヤンデレ」というワードに反応したのではない、あの子はいい子だから



腰から包丁の柄が生えたまま、もう30分になる


・・・・・・響子や蘭子が台所に立ったときに使っていたものとよく似ている


ちなみに刃の方は背骨の近くの太い血管に食い込んでいるのだろう

清良や早苗・・・・・・あと喧嘩慣れしてそうな拓海に見せるまでもなく致命傷である

少なくとも刺された直後は間違いなく致命傷だった





なのに、スタミナドリンクを飲んだらちょっと治った



125 : ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 23:23:15.06 ID:+FZOeqSl0












モバP「アイドル全員の名前を挙げるまで死ねません」







126 : ◆E.Qec4bXLs [saga]:2017/09/01(金) 23:24:37.84 ID:+FZOeqSl0

元々単発であげようと思っていたネタなのですがついこちらに書いてしまいました

ありがとうございました


テーマは不条理コメディです

127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:02:53.74 ID:tjIn0ES/o
完成しましたので投稿します。
一部の方にとって不快な内容かもしれませんがこらえてください。
128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:03:37.90 ID:tjIn0ES/o
まゆ「まゆはプロデューサーさんのためだったらなんだってできます。」
まゆ「いつだって、私はプロデューサーさんのことを想っています…。」
まゆ「時々、『愛が重い』っていう人もいますけど、まゆにとってそんなことはどうでもいいの。」
まゆ「まゆは一番好きな人を想っていればそれだけで…。」

『愛の重さ』
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:04:31.04 ID:tjIn0ES/o
佐久間まゆはライブツアーの最中である。
たった今、3カ所目の公演を終え、ちょうど折り返し地点というところまできた。
P「まゆ、お疲れさま。今日のライブは今までで最高の出来だ。」
まゆ「ありがとうございます…♪最高のまゆをお届けできました…♪」
気分の高まりか、はたまたライブの疲れか、息が上がっている。
しかしその顔は満面の笑みであった。
P「プレゼントボックスもこんなに来てるぞ。こりゃ全部読むのは大変だなぁ」
まゆ「まあ、うれしい♪ちゃんと読んで、ブログも更新しなきゃですね…♪」
プレゼントボックスの中は色とりどりのファンレターや地元のお菓子など、さまざまなものであふれていた。
P「ほら、これなんて見てみろ。まゆのイメージにぴったりって感じの封筒だぞ。」
まゆ「本当ですね。最近、こういうファンレターが増えましたね…♪」
白のメールに、赤のリボンがぐるぐる巻きにしてある、いかにも『まゆのファン』からのファンレターだ。
P「量が多いから、明日事務所でゆっくり読むといい。とりあえず冷えるから着替えておいで。」
まゆ「はぁい♪」
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:05:02.60 ID:tjIn0ES/o
その夜、まゆは自室で日課になっている日記をつけていた。
まゆ「今日はプロデューサーさんに…うふふ♪」
ご機嫌で日記を書き終え、翌日の持ち物を整理していると、かばんの中から一通の封筒が出てきた。
まゆ(あら、誰からだろう…それにいつの間に…?)
見覚えのある封筒。プロデューサーがプレゼントボックスから取り出して見せた、あのファンレターである。
まゆ「プロデューサーさんったら、おちゃめなんだから…♪」
ぐるぐる巻きのリボンを丁寧にとり、封筒を開ける。
一枚の真っ白な便箋に、まるで印刷したかのようなきれいな明朝体で一言

『まゆすき』

と書かれていた。
まゆ「…?」
この他に何か入っているかもと思い、封筒を逆さにして振ってみたり、中をのぞいてみたりしたが何も出てこない。
四文字のひらがなが書かれた便箋一枚、ただそれだけが入っていたのだ。
まゆ(どういうことかしら…?)
あまりにも唐突で、あまりにも短い愛の告白にまゆは困惑した。
考えてもわからないので、今日は寝て明日プロデューサーに聞いてみよう。そう思い、まゆは就寝することにした。
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:05:29.20 ID:tjIn0ES/o
……
翌日、事務所について真っ先にプロデューサーに聞いた。
まゆ「プロデューサーさん、おはようございます。」
P「おう、おはよう。昨日届いたファンレター、まとめておいたぞ。」
まゆ「ありがとうございます。ところで、昨日まゆのかばんにお手紙入れたりしましたか…?」P「手紙?」
プロデューサーの反応を見て、手紙を入れたのは彼ではないことを悟った。
まゆ「…いえ、何でもありません。」
つまり、『プロデューサーではないだれか』が、かばんの中に手紙を入れたのだ。
いったい誰が、何の目的で入れたのか、皆目見当がつかない。考えすぎると気味が悪くなってしまうので考えるのをやめた。
何かの拍子にいたずらのつもりで入れたファンレターが混じってしまったのだ。そうに違いない。
まゆはそう言い聞かせ、このとは忘れることにした。

『まゆすき』
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:06:01.97 ID:tjIn0ES/o

みくと美穂、そしてまゆの3人でランチに行く約束をしていた。
店員「こちら、メニューでございます」
みく「ここ、カルボナーラがすごくおいしいの!」
美穂「すっごいおしゃれなお店…もうちょとおめかししてこればよかったかな…」
まゆ「うふふ…美穂ちゃん、あまり気を張らなくても、とってもかわいいですよ。」
みく「ねえねえ、何頼む?」
美穂「どれもおいしそうで目移りしちゃう〜…」
3人でページをめくっていると、メニューの間から何かの紙が落ちた。
みく「あ、なんか落ちたよ?」
美穂「これは…手紙?」
真っ白な便箋に、リボンの形のシールで封がしてある。
ふと、昨晩の出来事が脳裏に浮かぶ。
恐る恐る美穂から手紙を受け取り、封筒を開ける。
中からは花柄のかわいい便箋に、丸くて小さい文字で一言

『まゆすき』

と書かれていた。
みく「まゆチャンそれ何?」
まゆ「さあ…なんでしょうね?さあ、早くメニュー決めましょう」
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:06:34.96 ID:tjIn0ES/o
なんとかその場はやり過ごし、食事後二人とは別れ、一度事務所に戻ることにした。
まゆ「プロデューサーさん…」
P「ん?どうした。」
まゆ「これ…」
先ほど店で拾った手紙を渡す。
P「…まゆ宛てのファンレターか?」
まじまじと手紙を見る。
まゆ「…開けてみてください…」
P「なんだおいちょっと怖いな」
プロデューサーが封筒を開ける。

花柄の便箋に件の4文字。

P「…何かのいたずらか?」
まゆ「今朝、プロデューサーさんに話そうとしたことは、それについてなんです…」

昨晩あったこと、先ほど起こったことについて話した。
P「二つ目は店員の小粋なジョークなんじゃないのか?」
Pはどこか抜けていた。
まゆ「だとしたら、なぜ店員さんはまゆがお店に行くのを知っていたのでしょうか…」
P「うん、さっきの撤回。おかしいわ。ちょっと一ノ瀬探してくる。」
まゆ「志希さんですか…?」
P「あいつならDNA鑑定とかさらっとやってくれそうだ。たぶん喜んで飛びついてくるぞ。」
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:07:03.87 ID:tjIn0ES/o
……
志希「なるほどねー。誰の仕業か調べたいってことねー。」
P「やってくれるか?」
志希「最短でも一日はかかるから、ゆっくり待っててねー。」
まゆ「できるんですね…ありがとうございます、志希さん。」
志希「いやー、こっちとしても久々に面白い材料が見つかってホクホクだよー。」
P「じゃあ、頼むぞ。報酬は弾む。」
志希「期待しないで待ってるよー。にゃははー。」

……
まゆ「……」
P「不安か?」
まゆ「はい…ちょっとだけ、手紙が怖くなりました…」
P「何かあったら頼ってくれていいから、かまわず俺を呼ぶこと。いいな?」
まゆ「はい…ありがとうございます…」
いつでも連絡してくれていい。
いつもならこれほどうれしいことはないのだが、今は不気味さと恐怖があり、喜べるどころではなかった。
P「何なら、今日は収録の打ち合わせだけだから、終わったら送るよ。」
まゆ「プロデューサーさん、すき」
P「とりあえず、終わるまではここで待っててくれればいいぞ。」
まゆ「……はい」
ジョークのつもりで言ったがスルーされてしまい、少し頬を膨らませてみた。
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:07:35.66 ID:tjIn0ES/o
プロデューサーが打ち合わせに行き、一人になってしまった。
さすがに数時間一人なのは心細かったので、プロジェクトルームに行くことにした。
ルームでは桐生つかさが台本を読んでいた。
つかさ「お、まゆ…どうした?」
まゆ「つかささん、こんにちは。」
つかさ「何があったか話してみろよ。何か手伝えるかもしれないだろ?」
まゆ「…つかささんにはお話しします。実は…」
何かにすがりたかった。つかさは信頼できるので話すことにした。

つかさ「なるほど、知らない間に誰からかわからない手紙か。」
まゆ「ええ…」
つかさ「本当に手紙のほかには何も入ってなかったのか?」
まゆ「はい、手紙だけですけど…」
つかさ「毛髪とかチリとか、本人を特定する材料は?」
まゆ「そこまでは…今志希さんに調べてもらっていますけど…」
つかさ「なんかあってからじゃ遅いから、誰でもいいから頼れよ?」
まゆ「はい…じゃあ、甘えちゃおうかしら。」
つかさ「なんだ?できる範囲なら力になるぞ?」

まゆ「飲み物、一緒に買いに行きませんか?」

『まゆすき 尊い』
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:08:04.66 ID:tjIn0ES/o
……
P「まゆ、お待たせ。打合せ終わった!」
まゆ「…!」
プロデューサーに駆け寄り、強く腕にしがみつく。
つかさ「気をつけて帰りなー」
プロデューサーに連れられてまゆは寮に帰ることにした。

事務所の駐車場。営業用、ロケ用、さまざまな車が止まっている。
最新の車もあるが、各部署に割り当てられている車は異なる。
P「すまんな、ぼろいセダンで」
まゆ「プロデューサーさんとなら、どんな車でも大丈夫です♪」
少しだけ強がってみた。
P「そうかい……」
プロデューサーが助手席に目を落とす。
ドアを開けず、その場で固まってしまった。
まゆ「……プロデューサーさん?」
まゆもプロデューサーの視線の先を見る。
P「……冗談きついぜ…」
助手席に白い封筒が置いてある。
P「車の鍵は適当にとった。まゆと一緒なのは誰も知らない」
まゆ「ここにまゆ達が来るのは誰も知らないはずなのに…」
扉を開け、封筒を手に取る
P「……中身、見るか?」
まゆ「プロデューサーさんが見てください…」
P「開けていいのか?」
まゆ「お願いします…」
封筒をプロデューサーが空ける。
中からはリボンで装飾された便箋。
やや乱雑な文字で一言

『まゆすき 尊い』

とだけ書いてある。

P「少しパターンが違うな。」
まゆ「誰がどうやって仕込んだのでしょうか…」
P「まあ、ここにとどまっていても埒が明かん。」
まゆ「…そうですね…」
車に乗り込み、寮方向へ向かう。

その後は何事もなく、寮についた。
まゆはいつもと同じように日記を書き、就寝。
しかし、手紙の差出人が気がかりでどうにも寝付けなかった。
まゆ(一体だれが何の目的でこんなことをしているんだろう…)
137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:08:32.41 ID:tjIn0ES/o
しばらくの間、このようなことが続いた。
ある日は学校の机の中に、ある日は靴箱にぎっしりと、ある日は郵便受けに。
どれも同じような白い封筒。赤で縁取りがしてあったり、シールが貼ってあったりと、少しずつ違った。
ただ、中身はいつも、1枚の便箋に一言

『まゆすき』

とだけ書いてあった。
まゆは不可思議で奇妙な現象によって疲弊していった。
138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:09:00.42 ID:tjIn0ES/o
……
とある朝
?「まゆチャン早く起きるにゃあ!!」
まゆ(みくちゃん…?)
寝起きの目をこすりながらドアを開ける。
みく「どうしたのこれ!?すごい数のファンレターだけど…」
まゆの顔が青ざめていく。
自室の扉を開けると、山のような手紙が置いてある。
恐怖のあまり腰が抜けてしまった。
まゆ「みくちゃん、今すぐプロデューサーさんを呼んでください…」
みく「ヴェ!?い、いきなりどうして…」
まゆ「お願いです…」
まゆは今にも泣きそうであった。
みく「わかったにゃ。Pチャン呼ぶけど、その前に着替えておこ?」
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:09:29.02 ID:tjIn0ES/o
しばらくして、プロデューサーが女子寮に駆け付ける。
P「何があった!?」
みく「Pチャン、これ…」
床に散乱した大量の封筒を指さす。
気味が悪くて誰も触らなかったのだ。
プロデューサーはそのうちのいくつかを手に取り、中を確認する。

『まゆすき』
『まゆすき…まゆすき…』
『まゆすき!!!!!』

表記にぶれはあるが、どれも同じ内容。
それが111通。一晩の間に、まゆの部屋の前に置かれたのである。
みく「これ、警察に通報したほうがいいんじゃ…」
P「さっき一ノ瀬から手紙の分析が終わったって連絡があったから、それを聞いてからでも遅くない。」
みく「でも早くしないと…」
P「犯人を刺激しかねないから慎重にやらないといかん。」
みく「それは…そうだけど…」
まゆ「まゆも、通報はちょっと待ったほうがいいと思います…」
みく「まゆチャンも!?」
まゆ「今はまだ実害はないですけど、通報したことがわかったらどんなことをされるかわかりませんから…」
P「とにかく、事務所まで行って、一ノ瀬から結果を聞こう。」
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:09:55.72 ID:tjIn0ES/o
プロデューサーとまゆ、そしてなぜかついてきたみくの3人で、志希が勝手にラボにしている事務所の一室まできた。
P「来たぞー。」
志希「お、よく来たねーふた…3人?」
みく「みくは付き添いだよ?」
志希「まあいっか。じゃあ、分析の結果、教えるねー」
P「ああ、頼む」

志希「まず、手紙と封筒からは、まゆちゃんとプロデューサー以外の指紋や体液の後は見つからなかった。」
P「…マジか」

志希「手紙以外に毛髪とかも見つからなかったよ。」
まゆ「そうですか…」
志希「で、これが一番面白いんだけど…」

志希「この文字、インクとかじゃなくて紙が直接黒くなってるんだよねー」
みく「それ一番わからないにゃ…」
志希「つまり、誰が作ったかも、どうやって作ったかもわからないってこと。」
P「ここまで来て手掛かりなしか…」
まゆ「じゃあ、一晩で111通もの手紙を、誰にも気づかれずにまゆの部屋の前に置くのは…?」
志希「同じ女子寮のだれか、って考えるのが自然だけど、たぶん違うよねー。」
P「車内に手紙置いておくとか普通に考えてできないもんな。」
まゆの瞳からは光が失せている。
P「…まゆの今日のスケジュール、断っとくよ。」
まゆ「いえ、今日のレッスンは合わせの日なので…まゆのわがままを通すわけには…」
志希「うーん、やめといたほうがいい気がするけどー、行くなら止めないよー?」
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:10:24.26 ID:tjIn0ES/o
レッスンルーム
P「レッスン着、持ってたんだな。」
まゆ「予定は変えられませんから…」
P「さすがにロッカー空けて手紙出てきたら引くな。」
まゆ「…プロデューサーさん?」
P「すまん、ジョークのセンスがなさ過ぎた。」
ロッカーの中からは手紙は出てこなかった。
まゆが着替え終わるまで、プロデューサーは暢気にコーヒーを飲んでいた。

しばらくして、付き添っていたみくが出てきた。
みく「Pチャン、やっぱりまゆチャン帰ったほうがいいにゃ…」
P「…まさか」
みく「着替え入れた袋から出てきた…」
P「…トレーナーさんに入っておく。今日はまゆと一緒にいてやってくれ。」

顔面蒼白になったまゆを支えてみくが出てきた。
プロデューサーの運転する車で寮まで戻った。
車の中で、小刻みに震える彼女は、さながら狼に怯えるウサギのようでもあった。
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:10:51.73 ID:tjIn0ES/o
寮に着き、まゆが落ち着くまで3人はまゆの部屋にいた。
昼前にプロデューサーは打ち合わせのために事務所に戻り、昼過ぎにはみくもレッスンのため事務所に行った。

再びまゆは一人になった。
先ほどの手紙は開封するのが怖くなり、そのままごみ箱へ捨ててしまった。
まゆ(こんなのが毎日続いたら、気がおかしくなっちゃう…)
現時点でも十分に神経は衰弱していた。
食事をとる気にもなれず、自室のベッドの上で数時間座りっぱなしだ。
このままでは、プロデューサーに心配をかけてしまう。明日からは普通にふるまおう。
顔を洗って気分を変えようと立ち上がった時だった。
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:11:19.54 ID:tjIn0ES/o
カサッ


机のほうから、紙の擦れる音がした。
先ほど捨てた手紙がごみ箱から出ている。
できればもう触れたくはないが、中身を確認しないとまたごみ箱から出てくるような気がしてならなかった。
恐る恐る手を伸ばし、糊付けされた封を丁寧にはがし、震える手で便箋に書かれた文字を確認する。
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:12:19.11 ID:tjIn0ES/o
『まゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきまゆすきま文字数』
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:13:13.22 ID:tjIn0ES/o
まゆ(!!!!!!!!!)

恐怖のあまり手紙を落とす。
それと同時にごみ箱の中から大量の封筒があふれ出してくる。
さながら、大雨の際に行き場をなくし、マンホールから噴き出す雨水のようであった。
まゆ(なに!?なんなのこれ!?)
何が起きているのかわからない。ただ、目の前のごみ箱から出てくる封筒は止まる気配がない。
まゆ(逃げなきゃ!このままじゃ埋もれちゃう!)
慌ててドアを開けようとする。
ドアノブに手をかけると、郵便受けからあふれんばかりの封筒が部屋に投げ込まれてくる。
あっという間に入り口がふさがれてしまった。
まゆ(そんな…ベランダからなら!)
既に封筒が山のようになった机の近く、ベランダに通じる窓を開ける。
しかし今日に限って滑りが悪く、少ししか空かない。
隙間から手紙を外に出してやり過ごそうとするが、それもすぐいっぱいになってしまった。
既に部屋の3割程度が手紙で埋め尽くされている。部屋が埋まるのも時間の問題だ。
まゆ(そうだ!クローゼット…!)
クローゼットに身を隠してやり過ごす。我ながら名案が浮かんだ。
急いでクローゼットを開ける。

まゆ「あっ」
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:14:12.05 ID:tjIn0ES/o
……
「次のニュースです。人気アイドルの佐久間まゆさんが、寮の自室で大量の手紙の下敷きになっているのを、同じ寮のアイドルによって発見されました。
佐久間さんは病院に搬送されましたが、死亡が確認されました。
封筒に差出人は書かれておりませんでしたが、手紙の内容からストーカー殺人の可能性もあるとみて、警察では犯人の特定を急いでいます。 次のニュースです…」
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:19:20.81 ID:tjIn0ES/o
後日
つかさ「なあ、ちょっといいか」
P「なんだ…」
つかさ「あの一件の後、アタシなりに調べてみた。」
P「何をだ…」
つかさ「まゆの部屋の前に111通の手紙が置いてあった日、あったろ?」
P「……あったな。」
つかさ「それと、まゆの部屋にあった手紙の中に一枚変なのがあって、もしかしてと思ってマキノに調べてもらった。」
P「…ほう。」

P「あの日、Twitterに投稿された『まゆすき』に関するツイート数が111件だった。」
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/03(日) 23:20:23.45 ID:tjIn0ES/o
おわりです。
長くなっちゃいました。
あと、まゆP、ごめんね。
149 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:06:34.40 ID:xaav314N0
書いていきます
すぐに終わります
150 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:07:47.11 ID:xaav314N0
「人を、人たらしめるものとはなんなのでしょう」

「文明、というと範囲が広すぎるような気がします」

「知恵、というと抽象的すぎるような気がします」


「普段から書物に齧りついているからでしょうか」

「私にはその答えが、言葉なのではないかと思います」


「たしかに、人の他にもコミュニケーションを取る生物はいます」

「でも、そのどれもが人のような進化を経ていないのも事実だから」


「だから、言葉なのだと、信じています」

「きょうび、言葉の通じない人なんて、滅多にいるはずもないのだし」


『五十二ヘルツの鯨』
151 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:08:26.22 ID:xaav314N0
「ねえ、文香」

 事務所のソファに腰かけて本を読んでいると、なにやら声がかかりました。

「五十二ヘルツの鯨って、知ってる?」

 声のする方に目線を向けると、いつの間にか奏さんがすぐそばにいました。

 湯気の立つマグカップを啜りながら、微笑んでいます。


 一言も返せないでいると、彼女はそこから更に相好を崩しました。

 私には、わけがわかりませんでした。
152 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:10:23.18 ID:xaav314N0
「五十二ヘルツの鯨っていうのはね、世界で最も孤独な鯨のこと」


「その正体は全く不明で、どんな種なのかすら定かではないらしいわ」

 あくまでも彼女は歌うように続けます。


「五十二ヘルツっていう数字は、鳴き声の周波数。でも普通の鯨は五十二ヘルツなんかでは鳴かないそうよ」

「みんなはもっと低い周波数帯で鳴いてるの。どの種も。どの個体も」


「その鯨を除いてはね。それが、最も孤独だっていう理由」
153 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:13:06.40 ID:xaav314N0
「不思議だと思わない?」

 彼女が笑いかけるような仕草を見せましたが、私はただ、そのさまを見ていることしかできません。


「文香はそうは思わないの?」

「少し残念ね」

 彼女は再びマグカップを啜ります。


 きっと、悪い冗談じゃないかと思いました。

 でなければ夢だと。


「鳴き声だけじゃなく、海中の軌跡も他の鯨とは異なるらしいの」

「たった一匹きりで、冷たい海の中を泳ぎ続けていて、寂しくならないのかしら」

「でも、寂しいという感情すら、知らないのかも」
154 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:13:57.26 ID:xaav314N0
 いよいよ私は読んでいた本を閉じ、胸元に抱えました。


「……鯨だってコミュニケーションを取る生き物っていうでしょ」

「自分と同じ姿の相手に言葉が通じないって、どんな気持ちなのかなって、思ったんだけど」


 恐怖で足が竦んで、その場から動けなくなってしまいそうになります。

 夢でないなら、なんだというのでしょうか。


「……そんなに黙りこくらなくっても、いいじゃない」

 喉が引きつって、声も出ません。
155 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:15:10.97 ID:xaav314N0

 どうして彼女はさっきから、ずっと唸り声を上げているのでしょう?
156 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:16:31.38 ID:xaav314N0
 断続的な響きが耳に痛くて、私は顔をしかめてしまいます。


「気分が悪いの?」

 おどろおどろしい音の響きは、いっそう私を苛みました。

「……待ってて、誰か呼んでくるから」


 テーブルにマグカップを置いて、彼女は足早にどこかへ去っていきました。

 それに伴って、嫌な響きは徐々に薄れてきていて、小さく息をつきます。
157 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:17:27.04 ID:xaav314N0
 はっとして私は携帯を取り出します。

 プロデューサーさんに伝えなければと思い立ったからです。


 奏さんの様子が明らかにおかしいこと。

 そして、その彼女がどこかへ消えてしまったこと。


 震える手で操作し、電話帳から彼の名前を選択します。

 ほどなくして回線が繋がりました。

 落ち着かなければ。早口に訴えたい気持ちを必死に思い直し、何度か深く呼吸をします。


「あの、」
158 : ◆K5gei8GTyk [saga]:2017/09/10(日) 16:18:59.96 ID:xaav314N0

 耳元からは、聞き覚えのある底低い唸り声がするばかりでした。



159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:09:31.53 ID:QOYRkH000
小梅「自分に似た人は世界に3人いる……なんて話があるよね」

小梅「この広い世界で3人だから、会う確率なんてすっごい低いんだろうけど……それでいいと、思う」

小梅「ただの似てる人なら大丈夫だけど……そうじゃなくて、本当にもう一人の自分だったら、死期が近いってことになるから……」

小梅「私? 私は、本物の白坂小梅だよ……えへへ……」


「ドッペルゲンガー」
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:12:45.41 ID:QOYRkH000
「そういえば小梅さん、昨日はショッピングでもしてたんですか?」

「えと……昨日は溜まってたDVDを観てたから、ずっと寮にいたよ……?」

「あれ、そうなんですか。むむむ……」


レッスン後のロッカールーム。
私の返事を聞いた幸子ちゃんは、着替えの途中で動きを止めて首をかしげた。
どうしたんだろう?


「昨日、駅前で小梅さんらしき人を見たんです。でも人違いだったみたいですね」

「小梅ちゃんのそっくりさんって、なんか珍しいね……」

「輝子さんが言いますか……でも、そうなんですよねぇ。遠目とはいえ見間違えるわけないと思ったんですが」

「ファンの子が、服装も真似してるとか……? このあいだの雑誌で私服公開とか、好きなブランドの話題とかも載せたし」

「ありましたね。そういうことなんでしょうか?」

「それより、DVDはなにを観たんだ……? キノコが出てくるものもあった?」

「えっと、キノコは出てきたかな……あれ、よく覚えてないや……」


こんな風にそれきりお終いになって、別の話を始めたんだけど。
この話はここで終わらなかった。
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:15:41.79 ID:QOYRkH000
「おい小梅、お前夜中にコンビニにいたろ。あんな遅くまで出歩くと危ねェから気ィつけろよ?」

「先週のあの映画、小梅も観に行ってたのね。席も離れてたし、観終わったあとはいないんだもの。目が合ったけど私と気付かなかった?」

「喫茶店の奥の席でパフェ食べてるところ、お店の外から見つけたんだけど……小梅ちゃん、ひとりであんなにおっきいパフェ頼むんだってびっくりしちゃった。今度一緒に食べようね♪」


最近、こんな風に私を見たと声をかけられる機会が増えた。
その全てが記憶にないものだった。

自分で言うのもおかしいかもしれないけど、
私くらいの身長で、片側目隠れの金髪なんて、あんまりいないと思う。
それに、みんな『私そっくりな人』じゃなく『私』を見たと言ってる。
いくら似てても、そんなことって……あるのかな?
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:20:10.53 ID:QOYRkH000
そうやって、覚えのない目撃談が日に日に増えている。

1度なら、珍しいなって。
2度なら、こんな偶然もあるんだって。
でも、それが何度も起こると、もうこれは単なる見間違いでも偶然でもない。

「この街に……私のドッペルゲンガーがいる……?」
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:23:28.30 ID:QOYRkH000
……


「――それで、ドッペルゲンガーがいるとして……小梅ちゃんはどうしたいんだ?」


休日。私の部屋に遊びに来ていた幸子ちゃんと輝子ちゃんに、いままでのことを話してみた。
私の話を一通り聞いたあと、輝子ちゃんがメロンソーダを飲みながら訊ねてくる。


「うーん……会って話してみたい、かな……」

「駄目ですよ! 本人がドッペルゲンガーに会ったら死んじゃんですよ!」

「幸子ちゃん、よく知ってるね……」

「小梅さんのおかげで幽霊とかゾンビに詳しくなりましたよ……ボクの瞳の黒いうちは会わせませんからね!」

「でも、せっかくならお話ししてみたい……」

「駄目ったら駄目です!」


こうなった幸子ちゃんは中々折れない。
私のことを心配してこんなに止めてくれるってことが嬉しくもあって、でも、会って話してみたい気持ちも確かにあって。


「ぐ、偶然出会ってもマズイし……まずは、どこで見かけたかを詳しく知っておくのがいいんじゃないかな?」


間に入った輝子ちゃんの提案に幸子ちゃんは「居場所がわかっても会わせませんからね」と、念を押しながらしぶしぶ頷いた。
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:27:45.78 ID:QOYRkH000
それから3人で事務所に行って、みんなに話を訊いて回った。
私を見かけた日、場所、時間、何をしていたか。
傍から見たら自分のことを訊いていることになるので、みんな不思議そうな顔をしてた。

街の雑踏、駅のホーム、ゲームセンター、図書館。
時間や場所もバラバラに、私が目撃されている。


「妙なことを訊くなぁ……そうだ、先週の小梅のオフの日、街で服屋に入っていくところを見たぞ。いつもとジャンルの違うブランド店だったから印象に残ってるよ」


プロデューサーさんですら、私だったと信じて疑っていない。
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:36:33.79 ID:QOYRkH000
決定的だったのは、藍子ちゃん。
散歩中に公園へ立ち寄ったとき、花壇のお花を見つめる『私』を見つけたみたい。
もちろん、私は公園に行ってもいない日のこと。


「小梅ちゃんを見つけて、思わず写真撮っちゃいました。そのあとすぐ奥へ行ってしまったから、声をかけることもできなくて……勝手に撮ってごめんね」

「あ、ううん、いいよ……そのときの、写真……見たいな……」

「データはまだカメラにあるはずだから……あ、これです」


カメラの液晶画面に表示された一枚の画像。
真横から少し遠めに撮られた構図で、花壇を見つめる人がぽつりと立っている。

重ねてになるけど、断言する。その日、私は公園に行っていない。
この日は新曲のレコーディングに備えて、自室でデモテープを聴き込んでいた。

だから……本当にびっくりした。
みんなが『私そっくりな人』と言わないのも無理ないと思う。

自分で見ても写真の横顔は……間違いなく、白坂小梅だったから。
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:40:27.01 ID:QOYRkH000
事務所にいたみんなから一通り話を聞けたから、情報をまとめてみることにした。
地図アプリで目撃された場所にピンをさしていくと、普段私がお出かけする範囲とほとんど同じだった。
時間は朝から深夜までと、かなり幅広い。
ただ、平日の昼だけはほとんど目撃証言がなかった。
昼に現れるのは基本的に土日だけど、全く姿を見せない日も多い。


「現れる条件や順番、何でもいいので気付いたことはありますか?」

「同時に別の場所で現れたことはないみたい、だね」

「確かにそうみたいですね。つまり小梅さんのドッペルゲンガーはひとりだけ?」

「いや、単に見つかってないだけかもしれない……小梅ちゃんは、なにか気付いたこと、ある?」


会議室のホワイトボードに箇条書きされた目撃情報に視線を移す。
曜日や時間に偏りがあるけれど、その偏りがどんな法則なのかまではわからない。
でも、何かが引っかかってる感じがする。
目の前に書かれた偏り方に、何だか覚えがあるような……。
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:43:51.44 ID:QOYRkH000
「あれ……これって、もしかして……」


バッグからスケジュール帳を取り出したら、ホワイトボードと交互に眺めて照らし合わせてみる。

やっぱり。引っかかっていた違和感の正体が、見えた。
土日で現れなかった日は、私が終日お仕事の日だった。

手帳とホワイトボードを照らし合わせるとよくわかる。
もうひとりの私は、私がお仕事をしている時間には現れない。

さらにわかったのは、オフの日でも誰かと一緒にいた日も現れてない。
平日の昼は学校だから?
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:45:06.29 ID:QOYRkH000
「小梅さん? なにかわかったんですか?」


でも、これってつまり。


「……小梅ちゃん、大丈夫?」


私がひとりの時にだけ現れるってことは。
ドッペルゲンガーは。
もうひとりの私は。


「……ううん、なんでもない、よ……今日はもう終わろっか……」


覚えてないだけで、自分なのかもしれない。
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:48:45.27 ID:QOYRkH000
幸子ちゃんと輝子ちゃんにこれ以上心配されないように普段通りのふりをしながら、寮まで帰ってきた。
こんなときに演技のレッスンが役に立つなんて思わなかったなぁ。

部屋に戻ったら、必要なものを準備するために棚を漁る。
たしかここに仕舞ってる筈なんだけど。


私は、ホラースポット巡りをするときに記録は特にとらない。
自分の眼で見て、肌で感じて、そうして出会えたのが良い子だったらお話しできればいいと思ってる。
それに、カメラを構えると寄ってきて写りこもうとするのは、生きてる人を羨んでたり、何か強い思いを持ってたり……そんな、ちょっとよくない子が多い。
だから、一応持ってはいてもほとんど使っていなかったもの。
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:55:53.89 ID:QOYRkH000
「あった……」


専用の真っ黒なバッグは、棚の奥の暗闇に融け込んでいた。
薄らかかった埃をはたいて開けてみると、中身はほぼ未使用のビデオカメラ。
取り出してかちゃかちゃとボタンを押したり開いてみても、電源はつかなかった。
ずっと放置してたから、バッテリーが自然に放電して無いのかもしれない。
バッテリーパックを取り外して、充電器に差し込んでみると、充電中のランプが点滅し始める。

途中、食堂で晩ごはんを食べようと輝子ちゃんが部屋のドアをノックしたけど、食欲がないと断った。
明日の朝ごはんは一緒に食べると約束すると、わかった約束だよと言い残して、輝子ちゃんがドアから離れていく気配がする。
次第に小さくなる足音を聞きながら、私は規則的に瞬く充電器のランプをぼうっと眺めていた。
171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 21:58:01.58 ID:QOYRkH000
充電を終えたバッテリーをビデオカメラに入れ直して動作確認をする。
うん、壊れたりはしてないみたい。
机の上に本を何冊か置いて高さや角度を調節したら、ビデオカメラをセットする。
画面を覗きながら、ベッドが映るように微調整。撮影モードをナイトモードに設定すれば、準備完了。
寝る直前に録画をすれば、夜明け前くらいまではバッテリーも持つ……と思う。


その日の夜、無機質な視線と緊張が交じり合って中々寝付けなかったけれど、そのうち規則的な秒針の音に意識が吸い込まれて、眠りについた。
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 22:00:40.05 ID:QOYRkH000
………
……


アラームの音が私の意識を無理やりに覚醒させる。
目を覚ましてからしばらくは、ぼんやりとした頭でまどろんでいたけれど、カメラのことを思い出して飛び起きた。
確認してみるとビデオカメラはまだ録画を続けてたけど、バッテリー残量が残り少ないことを警告するマークが点滅している。
録画を止めてそのまま再生。途中で切れちゃうかもしれないけど、バッテリーが持つ分だけでもすぐに確認したかったから。


映ったのはベッドで横になる自分。
早送りで流し続けても、時々寝返りをうつ以外に画面に動きはない。
考えすぎだったかな……なんて、少し安心しながら画面を見つめてたら。


いつの間にか、白いモヤのような何かが枕元に集まって、ゆらめいていた。
173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 22:03:48.59 ID:QOYRkH000
ハッとして早送りを通常再生に戻す。
煙のような、霧のような、輪郭なんてまるでない白いカタマリ。
まるで、私を見下ろしているかのように。

そうして、しばらく漂っていたモヤが拡がったかと思うと……私の体に、纏わりつく。
そのままモヤは私に重なって……内側に吸い込まれるように消えていく。

モヤが完全に消えたら、画面は前と同じ風景に戻った。
まるでそんなものなかったみたいに。
だけど。次の瞬間。
無表情のままゆっくりと体を起こす、私の姿。


でも違う、違う!
いま写っているのは、私じゃない。
私だけど、私じゃないもの。

そんな『私』は、ベッドから起き上がると歩き出して、画面から見えなくなった。
空のベッドを映し続ける動画から聞こえるのは、布の擦れる音。多分、パジャマから着替えてる音。
やがて、ドアの開く音が小さく聞こえたかと思うと、画面が暗転する。操作してみても全く動かない。
バッテリーが切れたんだ。
174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 22:05:24.20 ID:QOYRkH000
私も電池が切れたみたいに体が動かなくて、立ち尽くす。
ドッペルゲンガーはやっぱり私だった。体は私だけど、意志は私じゃないもの。

そして、私に憑りついたあの白く写ったモヤのようなものの正体。
普段は写らないよう気を付けてくれているのに、憑りつこうとした為に写ってしまっていたのは――


『そっか、気付いちゃったんだね』
175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 22:09:52.66 ID:QOYRkH000
声が聞こえる。頭の中に直接語り掛けられたような、内側から響く声。聞き覚えのある声。
聞き間違えるわけない。いつも一緒にいて、お話ししてる……あの子の声。
でも、どうして……。


『羨ましくなっちゃったから、かな?』

口に出していないのに、まるで質問に答えるようにその声がまた聞こえる。
もしかして……思ってることも、全部伝わってる?

『うん、そうだよ。まだ小梅ちゃんの中にいるから。最初はね、寝てる間にちょっと体を借りてお散歩したり、それだけで良かったんだけど……何回かしたらコツも掴んで、それで欲が出ちゃった』

コツ……ってなに? それに欲って?

『小梅ちゃんが体を動かさないで何かに集中してるときは、気付かれないで入れるようにもなったんだ。だから、お日様の光を生身で感じたり、美味しい物を食べたりしたくなって』

最近DVDを観てたのに内容を思い出せなかったり、歌詞や台本が中々覚えられないのは、こういうことだったんだ。
時間を忘れるほど観たり読み込んだ気がしていただけで、実際は観ても読み込んでもいなかった。
その間、私の体はあの子が使っていたんだ。
176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 22:12:05.50 ID:QOYRkH000
『……怒らないの?』

知らない間に体を使われてるのはびっくりしたけど……。
でも、いつも近くにいて私のこと見てたから、羨ましくなっちゃったのかなって……多分、逆だったら私もそう思うかもしれないし。

『小梅ちゃんは優しいね……実は、もっとしたいことがあるんだ。これで最後にするから、聞いてくれる?』

うん、いいよ。

『私ね、小梅ちゃんになりたい』

え……私にって、どういうこと……?

『そのままの意味だよ。私もアイドルになって歌ったり踊ったりみんなとお話ししたり、小梅ちゃんとしてもう一回生きたくなっちゃった』

私として生きたいって、それじゃあ私はどうなるの?
さすがにそれはダメだよ。落ち着いて。

『大丈夫だよ。いつも見てたから上手くやれると思う、安心して』

待って、私はまだ
177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 22:17:29.99 ID:QOYRkH000
「いただきます……ん、美味しい……」

「小梅さん、今朝はちゃんと食べてますね。昨晩から様子がおかしかったんで心配しましたよ!」

「なぁ小梅ちゃん、今日もドッペルゲンガー探しする?」

「するならボクたちもお付き合いします」

「それなんだけど……もういいんだ、解決したから」

「解決って、どうやったんだ?」

「うん……あの子がちょっと、ね……」

「こ、これ以上は聞かないほうがいい気がするのでいいです!」

「そっか……何はともあれ解決してよかったね、小梅ちゃん」

「うん……」

「そういえば小梅さん、右手でもお箸使えたんですね」

「あ、そっか……今日から右利き、なんだよ……えへへ……」
178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/14(木) 22:19:27.16 ID:QOYRkH000
終わりです。
おつかれ様でした。
179 : ◆nIlbTpWdJI [sage]:2017/09/18(月) 20:33:43.57 ID:HUNlZsa0o
お借りします。
180 : ◆nIlbTpWdJI [sage]:2017/09/18(月) 20:34:10.84 ID:HUNlZsa0o


由愛「食欲の秋、行楽の秋、スポーツの秋……いろんなことが楽しくできる季節になりました」

由愛「でも……私にとってはやっぱり芸術の秋です」

由愛「昔から……絵が好きで、私にとって大切なものです……」

由愛「絵を描いてるときは楽しくて……夢中で……」

由愛「まるで、魔法でもかけられたみたいに……」

由愛「絵の世界に、入り込んでしまうんです……」


「ゆめを広げて」

181 : ◆nIlbTpWdJI [sage]:2017/09/18(月) 20:35:34.23 ID:HUNlZsa0o

ある日、閑散とした事務所のテーブルにスケッチブックと絵の具のセットが置いてありました。
新品のスケッチブックは、私が持っているものより、ずっと大きい紙が重なった分厚いものでした。
これなら、どんな絵を描いてもすっぽりと収まるような気がしました。

隣に置いてある絵の具のセットは、私の鞄に入っているものより、たくさんの色が詰まったものでした。
これを使えば、どんな絵も描けるような気がしました。

ですが、この絵の具とスケッチブックの持ち主は誰なのでしょう。
ちひろさんもプロデューサーさんも、絵を描いているところは見たことがありません。そもそも、私がいる事務所で絵を描く人は、私だけです。

きょろきょろと周りを見渡しても、誰のものなのかヒントになるようなものはありませんでした。書類が山積みになっている二つの事務机の前にはからっぽの椅子が寂しそうに置いてあります。
お客さんが来たとき用の皮張りのソファーは、蛍光灯の青白い光を跳ね返すばかりで、皴一つありません。
 
あるのは、私が使っている小さな椅子と、綺麗に整えられて置かれた分厚く大きなスケッチブックと、新品の絵の具だけ。
182 : ◆nIlbTpWdJI [sage]:2017/09/18(月) 20:36:16.08 ID:HUNlZsa0o

……少しくらいなら、使ってもいいよね?

私の中から、ちくりと悪い声が聞こえてきました。

事務所には私だけ。
絵を描くのは私だけ。
なら、あの絵の具とスケッチブックは――

気が付けば、私はテーブルの前に腰かけていました。スケッチブックは目の前です。

私は、鞄の中からパレットと筆を取り出しました。

そしてスケッチブックに手を伸ばしました。
そのまま――ちょっといけないことをしてる気がしたけど――表紙を一枚だけ、めくってしまいました。

スケッチブックを開くと、誰もいないスキー場みたいに真っ白な画用紙が目の前に広がりました。
どこまでも広くて、ずっとずっと奥までどこまでも広がっているように思えました。

いてもたってもいられなくなって、大急ぎで筆洗を取り出し給湯室に飛び込んでいきました。
袖口が濡れることも気にしないで蛇口を思いっきり捻って水を溜めます。勢いよく跳ね返る水飛沫がシンクのあちこちに飛び散りました。
びしゃびしゃになったシンクをほったらかしにして私はすぐにスケッチブックの前へ戻りました。
183 : ◆nIlbTpWdJI [sage]:2017/09/18(月) 20:37:00.23 ID:HUNlZsa0o

私が知っている色、いいえそれ以上に、まるで世界中のなにもかもが描けるくらいの種類が詰まった絵の具のセットを前にしてわくわくしないわけがありませんでした。

何を描こうかな……私はまたきょろきょろとあたりを見わたします。
事務所の壁は真っ白で、たまに白黒のプリントやカレンダーがあるだけ。
絨毯も天井も、真っ白。蛍光灯の青白い光は元気ですが、今の私にはずいぶんとつまらなく感じました。
184 : ◆nIlbTpWdJI [sage]:2017/09/18(月) 20:38:37.76 ID:HUNlZsa0o

どうしようかな、と迷っていると窓のすぐそばにある緑色が目に入ってきました。
白い壁を背に、おひさまの暖かい光りを精一杯浴びようと葉っぱを一生懸命伸ばした名前の知らない観葉植物です。
細長くて、ひらべったい葉っぱは生き生きと緑色を放っています。
葉っぱを支える茎や幹は、大きい葉っぱの影に隠れながらも、弱弱しさや寂しさを感じない力強さを感じます。
影の薄い青と、茎の薄い緑が混ざったような、不思議な色です。
根を張っているであろう、丸く太った、大きなくまさんみたいに可愛い植木鉢は、根っこと茎と葉っぱを支えてくれる、優しい土の色をしています。
そして、葉っぱの先にある窓の外は、透き通るような青空が広がっていました。


私は絵の具が詰まった箱から、緑と茶と青を持てるだけ引っ張り出して、パレットに乗せていきます。

絵を描き始めてからは一瞬でした。何も無かった真っ白のスケッチブックに瑞々しくて力強い、生きている一本の木が生まれました。
葉っぱが伸びた先にある窓の外は、まるで自分で描いたとは思えないほど、透き通る青色で、本当におひさまの暖かさを感じるような気がしてくるくらいでした。
私は完成した絵を眺めながら目の前にある絵の具の素晴らしさに心を奪われていました。
もっと描きたい。何か描きたい。この絵の世界に入り込めるほど……

185 : ◆nIlbTpWdJI [sage]:2017/09/18(月) 20:39:39.83 ID:HUNlZsa0o

吸い込まれるほどに絵を眺めていると、なんだか変な感覚になりました。
植木鉢はやさしさに溢れた色をしています、茎も葉っぱも生きていることを力強く感じます。
絵の中の窓の外は突き抜けていくような青空です。

少し考えて、違和感の正体に気付きました。
本物の空にしてはあまりにも小さすぎるのです。当たり前のことでした、せっかく素晴らしい絵の具があるのに自分で窓枠を決めて広がっていくはずの青空を閉じ込めているからでした。
私はスケッチブックから画用紙をちぎり、テーブルの隙間から余計な色が見えないくらいに広げました。

私は絵の具をありったけ絞り出し、思うがままに絵を描いていきます。

窓枠を塗りつぶし、私が思う青空を描いていきました。
青空を閉じ込めた窓枠がおかしいなら、根っこを閉じ込めている植木鉢だって変です。
植木鉢をそのまま塗りつぶして、私が思う地面を描いていきます。
186 : ◆nIlbTpWdJI [saga]:2017/09/18(月) 20:40:32.70 ID:HUNlZsa0o

地面があったらもっといっぱい草やお花が生えているに違いありません。広げた画用紙に何本も何本も、たくさんのお花を描きました。
私が描いたお花は本物顔負けの、いいえ、絵の具の素晴らしさも手伝って本物以上に生き生きとして鮮やかなものでした。

私は次々に色んなものを描いていきました。
花があれば虫もいるはず。
虫がいればそれを食べる動物がいるはず。
動物がいれば、住処になる森があるはず。

私が描いたものは今にも動き出しそうなくらいです。じっくり見たことも描いたこともない動物や植物も、今ならなんでも描けるに違いありません。

ずっと絵を描き続けていましたが、あっという間に画用紙は白い部分が無くなってしまいました。思うがままに描いた私の世界はテーブルいっぱいに広がった、色に溢れた素敵な世界でした。

ですが、私が思う世界はこんなに狭いはずがありません。窓枠の外の青空みたいに、勝手に閉じ込めているはずです。
187 : ◆nIlbTpWdJI [saga]:2017/09/18(月) 20:41:23.88 ID:HUNlZsa0o

テーブルいっぱいの画用紙を見つめて、また周りを見渡して、繰り返しながら考えました。
散々見わたした事務所の風景は、私が描いた世界と違ってずっと変わらない退屈な真っ白のままでした。

真っ白い壁を見て、絵の世界の窓枠に気が付きました。

私は、茶色の絵の具を持って部屋の隅っこの植木鉢に近づいて、近くの壁と床ごと地面の色に塗り替えました。

私が描いた世界のほうが、この真っ白で何もない事務所より正しいはずです。

絵の具を筆に付け、壁と床を地面に描き変えていきます。真っ白でつまらない壁と床は、
草花が生える豊かな土に変わりました。
そして、テーブルの絵を私の世界の設計図にして私の世界へと描き変えていきます。
真っ白な空間は次々と溶けていき、絨毯は地面となって、観葉植物は根を伸ばします。
絨毯に筆を入れるたびに、草と花が育っていきます。
188 : ◆nIlbTpWdJI [saga]:2017/09/18(月) 20:41:54.71 ID:HUNlZsa0o

生い茂る草原をさらさらと歩いていき、壁だった場所を森に描き変えていきます。
いつしか、蛍光灯の青白い光はおひさまの暖かな光に変わって、描いた森の奥からふんわりと心地よい風が吹いて来ました。

もう真っ白で何も無い壁はどこにもありません。書類が積まれてたデスクは塗りつぶして苔の生えたごつごつした岩に描き変えました。
お客さん用の革張りのソファーは森の中でどこにあるかわかりません。
最初に窓があったところは、カーテンの上からもっと広い青空に描き変えました。

見わたしてみると、私は私の描いた……私の生み出した木々に囲まれていました。
全てが本物以上に本物の、絵の世界へと変わっていました。

どこまでも続く青空と、どこまでも続く草原、森。
少し歩いてみると、描いた覚えのない動物や、鳥の鳴き声が聞こえてきました。
私は走り出したくなりましたが、まだ一か所描き変えていない場所があります。
189 : ◆nIlbTpWdJI [saga]:2017/09/18(月) 20:42:28.71 ID:HUNlZsa0o

冷たくてこの世界で一番変な、事務所のドアです。
少し迷いましたが、残り少ない絵の具を全部パレットに絞り出しました。

そして、事務所のドアを絵の具で青空に溶かしてしまいました。

これで、全部私の世界に描き変えました。
私は筆とパレットを放り投げて、どこまでもつづく草原へ駆け出していきました。



どこまでも、どこまでも――



190 : ◆nIlbTpWdJI [saga]:2017/09/18(月) 20:42:56.91 ID:HUNlZsa0o
以上です。
ありがとうございました。
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:01:43.82 ID:k1yJYnNv0
ほたる「なぜトップアイドルを目指しているのか、ですか?」

ほたる「私は不幸体質でまわりに迷惑ばかりかけて……」

ほたる「だからこそ、こんな私でもファンの人を幸せにできたらって思うんです……!」

ほたる「それが叶えば……いえ、叶えるまで、絶対にあきらめません!」


「目的」
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:03:43.42 ID:k1yJYnNv0
広いライブ会場は開演を待ち望むファンの期待感に満たされていた。
袖から顔を出すことはできないが、その熱気は十分に伝わってくる。
舞台袖から回れ右をして廊下へ進むと、揃いのTシャツを着たスタッフが慌ただしい様子ですれ違う。

開演前のこの空気が何とも言えず好きだ。薄暗くスポットライトの当たらない舞台の裏側は、客席とはまた違う熱気を帯びている。
観客もスタッフも、ただ一人の女の子のためにここにいる。それがまたいい。
そしてそれは、プロデューサーの俺も変わらない。

廊下の角を曲がり、進んではまた曲がる。
「私の不幸をステージに持ち込まないようにしたいんです」と、彼女の強い希望で一番遠い部屋を楽屋にしているので、入り組んだバックヤードをちょこまかと進み続けなければならない。
ようやく『控室』のプレートが挟まれたドアの前までたどり着くと、一呼吸おいてから扉を開ける。

部屋の主、つまり今夜の主役は一人部屋にも関わらず一番隅の席に座っていた。
そんな担当アイドルが部屋に入った俺に顔を向ける。


「あ、プロデューサーさん……」


白菊ほたるが、微笑んだ。
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:06:07.92 ID:k1yJYnNv0
扉を閉めると客席の喧噪はここまで届かないようで、部屋はシンと静まり返る。
それでも、備え付けのモニターテレビにはステージを俯瞰する角度で映しているので、最前列付近の様子は確認できた。


「いよいよだな。緊張してないか?」

「私……ワクワクしてます。早くステージに立ちたいです……どうかしましたか?」

「いや、ほたるの口からそんな台詞が聞けるとは。今回のライブ、かなり気合入ってるみたいだな」

「はい、今日の日のために頑張ってきましたから」


そう言っても過言ではない。ほたるのこのライブにかけるストイックさは目を見張るものがあった。
彼女のなかで、今回のライブの成功が大きな転機と考えているのだろう。
いまも伏し目がちな瞳に、確かに熱を秘めているのが見てとれる。


「白菊さん、そろそろスタンバイお願いします!」


ノックのあと、ドア越しにスタッフが声をかけてくる。
ほたるが「わかりました」と投げかけると、また慌ただしく足音だけが去って行った。
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:09:04.75 ID:k1yJYnNv0
「よし、行くか。今までの頑張りを見せて、ファンの度肝を抜いてやれ」

「はい! あの、プロデューサーさんにお願いがあるんですけど……聞いてくれますか?」

「俺に? そりゃ構わないが」

「さっき私が座ってた場所に、手紙を置いておいたので……プロデューサーさんに、このライブが一番盛り上がってるときに、読んでほしいんです……ダメですか?」

「つまり一番の盛り上がりは楽屋にいなきゃならんわけか……それはちょっと惜しいが、ここまで頑張ってきたほたるのお願いだしな。約束するよ」


そう答えるとほたるは心底嬉しそうに笑って、


「ありがとうございます。約束ですよ……いってきます」


上機嫌で楽屋を出て行った。

こんなに喜んでくれるなら、この約束は破るわけにいくまい。
ちらりと部屋の隅に視線を泳がせる。なるほど、先程までほたるの座っていた椅子にちょこんと封筒が乗っている。
今すぐ読みたい気持ちを抑えつつ、俺も舞台袖に向かうため部屋を後にした。
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:11:45.64 ID:k1yJYnNv0
………
……


彼女をスカウトしたのは半ば勢いだった。

遠征先の慣れない土地で道に迷い、携帯の充電も切れあてもなく彷徨い行き着いた、人気のない廃ビルの立ち並ぶ一角。
あとで調べてわかったことだが、その辺は一昔前、所謂バブル経済の頃に建設されたまま放置されている商業区域らしかった。
行けども行けども打ちっぱなしのコンクリや剥き出しの鉄骨、投げ出された建設資材しかなく途方に暮れていたとき、かすかな足音が風に交ざって確かに聞こえたのだ。

人に会えたら道を尋ねることができる。最寄駅までの距離があるようなら、携帯を拝借してタクシーを呼ばせてもらおう……そんなことを思っていたが、足音の聞こえた方を向いたときそんな考えもすぐに吹っ飛んだ。

向いた目の前には4階建ての雑居ビルの影が伸びている。正確には、文字通りひとりの人影がくっ付いて。
影の元のビルを見上げると、金網もない屋上の縁に少女が立っていた。
つま先の裏がかろうじて見える。つまり、靴を履いていない。
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:14:59.24 ID:k1yJYnNv0
「待てッ!」


反射的に叫んだ。
屋上の少女はびくりと体を引いて、下からは見えなくなる。
と、恐る恐るといった風に小さな頭が伸びてきて覗き込んできた。
思った通り、まだ子供じゃないか。


「そのままそこにいろ! いまそっちに行くから、話をしよう!」

「話すことなんて……ないですよ……」


少女の返事。か細く、それでいてよく通る声だ。


「君になくても俺にはある! いいから待ってろ!」


わざわざ此方を伺いに顔まで出してくるのだから対話はできると踏んで、俺は少女の待つ廃ビルに駆け足で侵入する。
階段を一段とばしで駆け上がる。息が上がるのも構わず。
急げ。もっと急げ!
197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:16:38.11 ID:k1yJYnNv0
屋上の扉を勢いよく開け放つと、日暮前の低くなった夕日に視界を奪われた。
目を細めた先、逆光の中立ち尽くす少女に訊く。


「まずは自己紹介。俺はアイドルのプロデューサーをやってる者だ……君の名前は?」

「私は……白菊ほたる、です……」


こうして、俺はほたると出逢ったのだ。
198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:19:03.65 ID:k1yJYnNv0
何が幸せで不幸せかなんてものは一概には言えないのだろうが、それでも、白菊ほたるは不幸体質といっても差支えなかった。
幼いころから身の回りでは良くないことが頻発して、周りからも疎ましがられているようだった。それは両親にアイドル活動をする許可をもらいに実家へ訪問したときにも感じた。
実の家族からもまるで腫物を触るかのような扱いで、逆にプロダクションに迷惑がかかりますがそれでもよろしいんですか、と念を押されたときは怒鳴り散らしてやろうかと一瞬頭をよぎった。

誰からも愛されず、そして誰よりも優しい彼女は、思いつめた結果廃ビルへ足を運んだのだろう。
もう迷惑がかからぬよう自らの命を絶つために。
そんな結末はあんまりだ。


「こんな私でも……みんなを笑顔にさせることができますか?」


スカウトをしたとき、そう訊いてきた彼女のいじらしさにこちらが泣きそうになった。
こうして、白菊ほたるは俺のプロデュースの元、薄幸の美少女アイドルとしてデビューする。
199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:20:41.86 ID:k1yJYnNv0
守ってあげたくなるような少女に、男は弱い。
その儚げな中に時折垣間見える芯の強さも、彼女の魅力だ。

もちろん、すぐに上手くいったわけではない。
現場に向かえば渋滞やダイヤが乱れ、やっと到着したかと思えば機材が故障して撮影が中断したことも、1度や2度ではない。
低俗な週刊誌に『不幸を呼ぶアイドル』と評されたこともあった。

それでも。
それでも、ほたるはくじけなかった。
不幸をはねのけ、懸命に仕事に取り組んだ。
そのひたむきさが次第に評価され、人気も徐々に上がっていった。
そして今日、初のソロライブを満員御礼で迎えたのだ。
200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:25:26.71 ID:k1yJYnNv0
………
……


ライブも終盤に差し掛かり、熱狂が渦となって会場を包む。
ここまで舞台袖で見守っていても、心配することがないくらいに完璧なパフォーマンスを魅せている。
次の曲が盛り上がりのピークかなと感じ楽屋に向かった。

楽屋に到着したタイミングで、歓声が背後から廊下に響く。
一番奥の部屋まで聞こえてくるのなら、ステージに立つほたるは割れんばかりの歓声をその身に浴びているだろう。
部屋のモニターには歌い、踊るほたるがライトに照らせれ輝いているのが映る。

置かれた封筒を拾い上げると、彼女らしい遠慮がちな小さな文字で『プロデューサーさんへ』と書かれていた。
中にはスズランのイラストが施された可愛らしい便箋が綺麗に折りたたまれている。

会場のボルテージが最高潮なこの瞬間に読ませたかった、その内容とは何なのだろうか。
はやる気持ちを抑え、丁寧に便箋を広げる。
201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/09/19(火) 20:33:03.82 ID:k1yJYnNv0
『プロデューサーさんへ

こんな形でしか伝えられなくてごめんなさい。
私をここまで連れてきてくれて、本当にありがとうございます。
お願い通り、一番盛り上がっているときに楽屋で読んでますか?
もし我慢できなくて早めに読んでたり、舞台袖で読んでいたら、続きはちゃんとその時その場所で読んでほしいです。
……なんて、信じてますので心配してないですけど。

プロデューサーさんは、私と最初に会った日のことを覚えてますか?
私はよく覚えてます。もしプロデューサーさんが私を見つけなかったら、声を掛けなかったら、私はあのまま飛び降りていました。そのつもりでした。
それでも多分、私は死ねなかったと思います。

私はいるだけで、まわりの人を不幸にします。そばにいる人ほど、深く傷つけてしまいます。
だから周りから疎まれて、消えてくれと思われていて……そんなある日、自分が死ねばいいんだと思いつきました。
そうすれば、みんなを傷つけずにすむし、周りのみんなも私がいなくなって幸せになれるから。
溺れた人がパニックになって助けようとした人を巻き込んで2人とも溺れるくらいなら、私はひとりで底に沈みたかったんです。
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