【アイマス】眠り姫 THE SLEEPING BE@UTY

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165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 21:05:07.07 ID:cYR6UUWPo
ぐっと両こぶしを握って見せ、健在をアピールするヤヨイ。
リツコは微笑みを崩さぬままヤヨイから視線を外す。
視線の先には、イオリたちの姿があった。
ヤヨイもまたその視線を追うようにイオリたちに目を向ける。

リツコ「どうして自分だけこんなに疲れるのか……その原因は分かりますか?」

次いで聞こえた、穏やかではあるが厳しさも感じるその声。
ヤヨイは身を縮めるように膝を更にきゅっと抱え込んで答えた。

ヤヨイ「……空を飛ぶのが下手っぴだし、
   体の動きにもムダが多いから……だと思います」

リツコ「そうですね。標準的なレベルは超えているとは言え、
   まだアイドルに選ばれるまでには達していません」

ヤヨイ「うぅ……そうですよね。でも私、頑張ります!
   旧校舎で借りた本も、いっぱい読みましたから!」

自分の現状に負けまいとするように、
ヤヨイは下がりかけた視線をぐっと上げ、もう一度遠くのイオリたちを見る。
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 21:07:51.83 ID:cYR6UUWPo
ヤヨイ「この前もイオリちゃん、褒めてくれたんです!
   だからもっともっと頑張れば、
   私もイオリちゃんたちみたいに上手に動けるようになりますよね?
   そしたら、いつか私もアイドルに」

リツコ「無理だと思います」

ヤヨイ「……え?」

明るい声を遮るように発されたリツコの言葉。
ヤヨイは一瞬言われたことが理解できずに、
笑顔を貼り付けたまま、再びリツコを見上げる。
リツコの顔からは、いつの間にか笑みが消えていた。

リツコ「数年間あなたを教えていて確信しました。
   ヤヨイさんには念動力を今以上のレベルで使いこなすのは不可能です」

ヤヨイ「……で、でも私、成長してるって、ティーチャーリツコも……」

リツコ「確かに、成長はしています。ですが本当に微々たるもの。
   それも年々、成長の速度は落ちています。
   残念ですが、もうこれ以上の成長は望めません」
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 21:10:27.31 ID:cYR6UUWPo
……ヤヨイの大きく見開かれた目に、じわりと涙がにじんだ。
辛うじて上がっていた口角は下がり、唇は強く引き結ばれる。
足元に視線が落ちる。
もう、イオリたちの姿を見ることなど、できなかった。

こんなに冷たい、突き放すようなリツコの言葉を聞いたことは初めてだった。
だがそれ以上に、自分でも薄々感じていたことを……
それでも認めたくなかった現実を突きつけられたことが、あまりにショックだった。

今回の選考には間に合わないとしても、
でもこのまま頑張ればいつか、苦手な念動力は克服できる。
そうなれば数年後には自分もアイドルに選ばれることだって、きっとある。
そう信じてヤヨイはこれまで懸命に努力してきた。
なのに……言われてしまった。
これ以上の成長は望めないと。
『あなたはアイドルになれない』と、そう宣告されたも同じだ。

ヤヨイは膝に顔をうずめ、嗚咽を漏らし、肩を震わせる。
だがその時、両肩に何かが触れた。

リツコ「泣かないで、ヤヨイさん。
   まだアイドルへの道は閉ざされたわけではありません」
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 21:13:24.06 ID:cYR6UUWPo
その声は温かく、絶望に染まりかけたヤヨイの心にじわりと染み入った。
ほとんど無意識にヤヨイの顔が上がる。
肩に触れていた手のひらは、首筋から顎を伝い、ヤヨイの両頬に添えられた。

リツコ「ヤヨイさんに念動力が上手く扱えないのは、あなたのせいではありません。
   これは体質……いえ、一種の病気のようなものです」

ヤヨイ「病、気……? 私、病気なんですか……?」

リツコ「そうです。ですが、あなたが望めば治療することができます」

ヤヨイ「っ……!」

 『自分のせいではなく、病気のせいだ』
 『だが、治療することができる』

その言葉はヤヨイにとって紛れもなく、救いであった。
ヤヨイはリツコに抱きつく。
そして涙を流しながら躊躇いなく答えた。

ヤヨイ「治してください……!
   私も、アイドルになりたいんです! だから……!」

リツコ「ええ、もちろんです」

ヤヨイの背に手を回し耳元で囁くようにリツコは言った。
その顔には再び、笑みが浮かんでいた。
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 21:13:58.89 ID:cYR6UUWPo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分週末くらいに投下すると思います。
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:11:26.12 ID:/+ODgrNWo



ある者にとっては急激に。
ある者にとっては緩やかに。
変わり始めた日常。
どの日どの時を変化の始まりとするか、それもまた一様ではない。

鎖に縛られた鍵を発見した時か。
アイドルへの最終選考に残ったと知った時か。
チハヤが転校してきた時か。
自分が入学した時か。
それとも――。

いや、変化のきっかけなど、日常の中には無数にあるのだ。
だが彼女らの大半にとって最も大きく、
最もわかりやすい形で現れた変化は……間違いない。
そして唐突にやってきたそれは、事態を急速に進めることとなった。
171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:14:16.73 ID:/+ODgrNWo
この日、七人の学生は講義室へと集められた。
黒板にはまだ午前中の講義の板書が残っており、
日常の一コマを残す風景の中にありながら、
しかし少女らは明らかに色めき立っている。

本来なら自由時間となっているはずのこの時間だが、
昼食の終わりにリツコに全員集まるよう言われたのだ。
こんなことは今まで一度だってなかった。
何か重要な話でもあるに違いない。
つまり考えられるとすれば……。

興奮と緊張を隠しきれない様子で会話を交わす少女たちであったが、
前方入口に影が見えた途端一気に静寂する。
いつものように姿勢よく入室してきたリツコであったが、
教室中の視線は彼女の全身から、手元へと移った。
その手にはいつもの教鞭や書物はなく、
ただ一つ、赤い果実が握られていた。
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:17:08.04 ID:/+ODgrNWo
リツコ「皆さん、もう揃っていますね」

その声に一同の視線はリツコの手元から顔へと上がる。
リツコの表情は、やはりいつも通りの微笑みだった。

リツコ「自由時間にこうしてわざわざ集まってもらったのは、他でもありません。
    恐らく皆さんが想像している通り。
    今回の選考で選ばれたアイドルを、発表します」

あまりにいつも通りの調子で、あまりに平然と発されたその言葉。
だがそれは教室を俄かにざわつかせた。
ざわつきを静めるべくリツコは表情はそのままにパンパンと手を打って、

リツコ「では、前へ。横一列に並んでください」

そう指示し、少女らはその通りに動く。
ある者は待ちきれない様子で小走りに、
ある者は高鳴る鼓動を抑えるようにゆっくりと、
教室の前へ横一列に整列する。
全員が出揃ったのを確認し、リツコは皆の正面に立った。
173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:22:29.75 ID:/+ODgrNWo
リツコ「これから、儀礼に則ってアイドルの選定を行います。
   皆さん両手を前へ出してください」

そう言ってリツコは両手で受け皿を作るような仕草を見せ、少女らもそれに倣う。
次いで教卓に一時置かれていた果実を再び手に取り、

リツコ「私がこの林檎を皆さんのうちの誰か一人に手渡します。
   その人こそが、アイドルに選ばれた者というわけです。
   では……心の準備はよろしいですか?
   準備が整った人から、目を閉じてください」

これに対する少女らの反応も様々であった。
落ち着いた様子ですぐに目を閉じる者、
深呼吸を繰り返してから目を閉じる者。
しかしそう長い時間を待たず、リツコを除いた全員の瞼が下りる。

目を閉じれば、自分の呼吸音と心音がはっきりと聞こえるような気がする。
そして、リツコの足音。
遠ざかっている? それとも近付いて――

リツコ「おめでとうございます。あなたが、次のアイドルです」
174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:27:11.34 ID:/+ODgrNWo
瞬間、全員の瞼が開く。
声のした方へ視線が向く。

チハヤ「え……?」

少女らの目に映ったのは、
唖然とした表情で手元の林檎を見つめる、チハヤの姿であった。

リツコ「これからはアイドルとして、頑張ってくださいね。チハヤさん」

と、数秒後。
ひと時静寂に包まれた教室が、手を打つ音に満たされる。

ヤヨイ「チハヤさん、おめでとうございますー!」

マコト「おめでとう、チハヤ! くーっ、先越されちゃったなぁー!」

ヒビキ「悔しいーっ! 私だってすぐに追いつくからな! でもおめでとう!」

共に学び競い合った友を心から祝う少女たち。
その温かな声と拍手を全身に受け、
チハヤは未だに手元から目を上げることなくじっと佇んでいた。
175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:34:44.70 ID:/+ODgrNWo
リツコ「さて、そういうわけでチハヤさんはこの学園を『卒業』することになりますが、
   すぐにというわけではありません。
   色々と準備があるので、出立の日時は十日後の朝となります。
   それまで悔いの残らないように過ごしてくださいね。ではまた後ほど」

そう言い残して、リツコは教室を後にした。
残されたチハヤはやはり顔を伏せたままだったが
他の者たちには感極まっているように見えていたらしく、
特にそのことについて言及する者はなかった。

ヒビキ「チハヤと一緒に居られるのも残り十日かー。
   っと、そうだ! 九日目の夜にはお別れ会をしないと!
   ティーチャーリツコ、何も言ってなかったよね? 私、ちょっと聞いてくるよ!」

アズサ「あ、じゃあ私も行くわ〜。待って、ヒビキちゃ〜ん」

唐突に思い出したようにリツコを追って教室を飛び出していったヒビキを、
更にアズサが追って行く。
一同はその背を笑顔で見送ったのち、再びチハヤに目を向ける。
チハヤはまだ、その場から動いていなかった。
176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:43:21.19 ID:/+ODgrNWo
しかしここで、いつまでも下を向き続けているチハヤを見かねたか、
イオリがチハヤの横に歩み寄った。

イオリ「まったく……。チハヤ、感動するのも分かるけどそろそろ上を向きなさいよね。
   あなたはアイドルに選ばれたんだから、きっちり背筋を伸ばさなきゃ」

チハヤ「……ええ」

一言だけ、ほとんど吐息のような声でチハヤは答える。
そんな二人の様子を見て、今度はマコトが口を開いた。

マコト「チハヤはきっと、まだ心の整理がついてないんだ。
   だから今はそっとしておいてあげようよ。
   お祝いも、チハヤがもう少し落ち着いてからにしよう。ね!」

そうしてマコトは背を向け、
またユキホもチハヤを気にしつつもその後ろへつき、
チハヤから少し距離を置くように教室の後方まで離れた。

ユキホ「……大丈夫かな、チハヤちゃん。なんだか元気がないようにも見えるけど……」
177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:46:14.51 ID:/+ODgrNWo
マコト「そんなことないよ。アイドルに選ばれたのに元気がなくなるなんて、
   あるはずないじゃないか。きっと泣くのを我慢してるんだよ」

ユキホ「そう、かな。だったらいいんだけど……」

マコト「それにしても……今回は残念だったね。次の選考はいつになるのかなぁ。
   今度こそ選ばれるように頑張ろうね、ユキホ!」

ユキホ「う、うん! 頑張ろうね」

目指してきた目標に到達できなかったとは言え、
彼女たちのその表情は決して暗くはない。
アイドルに選ばれるということは決して簡単ではないことは重々承知しているし、
寧ろ最終候補まで残ったことにより自信がついた。
落ち込む気持ちよりも、次回への意気込みと友人が選ばれたことへの喜びが優っているのだ。

しかしどういうわけか、そのアイドルに選ばれた本人が、
ユキホの言うとおりに浮かない表情をしている。
すぐ近くでそれを見ているイオリとヤヨイは流石に様子を変に思い、
改めてチハヤに声をかけようとした。
だがその直前、チハヤは脇の机に林檎を置き、踵を返して出口へ向かって歩き出した。
178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:51:33.57 ID:/+ODgrNWo
イオリ「ちょっと、チハヤ? これ、持って行きなさいよ」

イオリはすぐに林檎を手に取ってチハヤを呼び止める。
するとチハヤは足を止め、俯き気味に振り向いて呟くように言った。

チハヤ「……いらないわ。欲しければ、あなたが持って帰って」

イオリ「は……? 何言ってるのよ。
   これはあなたがアイドルに選ばれた証でもあるのよ?
   チハヤが自分で持ってるべきものでしょ」

そう言ってイオリは林檎を前に差し出すが、チハヤは黙したまま受け取らない。
イオリはそんなチハヤの態度に業を煮やしたか、僅かに眉根をひそめて言った。

イオリ「……あなたの気持ちも分かるわ。不安なんでしょう?
   自分がアイドルとしてやっていけるのか、って。
   でも、選ばれたのは事実なんだからそれを自覚しなさいよね。
   アイドルはみんなの憧れなの。
   だからチハヤは、これからはちゃんとアイドルとしての責任を――」

チハヤ「やめて」
179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:57:45.42 ID:/+ODgrNWo
イオリの言葉を遮って発された短い言葉。
やはり呟くように出たその言葉は、
離れた位置にいるマコトとユキホには届いていないようだった。
しかしその小さな言葉には、
イオリたちの表情を困惑で満たすのに十分な冷たさがあった。

イオリ「な……何? なんで……」

チハヤ「みんなに憧れられるだとか、そんなのは、私は知らない。
    そんなこと、私は望んでない。
    誰かが勝手に決めて、勝手に向けてくる視線に、自覚も、責任も、持ちたくない」

ヤヨイ「チハヤ、さん……?」

目を伏せたままのチハヤの顔に表れた色は、何と表現すればいいだろう。
イオリとヤヨイは彼女の言葉を、ただ戸惑いながら聞くことしかできない。
しかし、去り際に発された次のチハヤの言葉は、
イオリの困惑に別の感情を上塗りさせた。

チハヤ「その林檎も、アイドルの立場も……譲れるのなら譲りたいくらい。
    私は、アイドルになんて、なりたくなかった」
180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:01:27.76 ID:/+ODgrNWo
イオリ「ッ……待ちなさいよ!!」

チハヤの背に向けて投げつけられた怒声が教室中に響く。
同時に、これも怒りを表すかのように激しい音を立てて電撃が走り、
イオリの手元から宙に浮いた林檎が無残に四散した。
ユキホとマコトは異変に気付いて目を向け、歩き出したチハヤの足も再び止まる。

イオリ「私は認めない……! あなたがアイドルだなんて!」

チハヤ「……その方がいいわ。言ったでしょう。アイドルになんてなりたくないって」

あまりに突然のことに一瞬何が起きたか理解できなかったマコトたちであったが、
ここでようやく事態が決して軽くないことを認識したようで、
表情が緊迫したものに変わった。

マコト「ちょ……ちょっと、どうしたんだよ二人とも」

ユキホ「も、もしかして喧嘩ですか? ダ、ダメだよそんな、怪我しちゃうよ……!」

座っていたマコトは立ち上がり、
ユキホも少し怯えた表情を浮かべながらも場を執り成そうとする。
だがイオリとチハヤは睨み合ったまま動こうとしない。
181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:05:22.63 ID:/+ODgrNWo
と、その時だった。

ヒビキ「みんな、お待たせー! お別れ会のことなんだけど……」

教室の扉が開き、明るい笑顔とともに入ってきたヒビキ。
しかし入った瞬間に場の空気が何やらおかしいことに気付く。

ヒビキ「えっと……? どうしたんだ? 何かあったのか?」

戸惑いながらも表情には笑顔を残してヒビキは問うたが、
マコトとユキホ、ヤヨイはただヒビキと同じように困惑した視線を返すのみ。
チハヤとイオリに至ってはヒビキに気付いてすらいないかのように、
互いに向き合ったままである。

しかし当然気付いていないはずはなく、
寧ろヒビキの登場がきっかけになったように、

チハヤ「……ごめんなさい。少し、一人にして」

チハヤがそう言ってイオリから顔を背け、教室を出て行った。
イオリはその背を追うこともなく、ただ黙って足元へ視線を落とした。
182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:10:29.50 ID:/+ODgrNWo
未だ事情が掴めないヒビキであったが、
なんとなくチハヤとイオリとの間に何かがあったことは流石に察しがつく。
だが直接イオリに声をかけることは躊躇われるようで、
説明を求めるようにマコトへと視線を送った。
その視線を受けたマコトは、小さく首を横に振った後、

マコト「イオリ……何があったの?
    『アイドルになんてなりたくない』って……チハヤ、そう言ってたよね」

ヒビキ「え……そ、そうなのか? どういうこと?」

その場の注目が、再びイオリに集まる。
イオリは目を伏せたまま、唸るように答えた。

イオリ「そんなの知らないわよ。
    でも理由なんてどうでもいいわ……。聞きたくもない。
    チハヤがそう言うんなら、私は絶対にあの子を認めない。ただそれだけだから」

そう言って、イオリも踵を返してその場をあとにする。
ヤヨイは慌ててその後ろをついて行き、
教室にはやはり困惑し続けるマコトたちと気まずい雰囲気だけが残された。
183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:14:30.39 ID:/+ODgrNWo



ヤヨイ「――チハヤさん、どうしちゃったのかな……」

イオリ「……」

廊下を歩くイオリと、後ろを付いていくヤヨイ。
ヤヨイはしきりに先ほどのチハヤについての疑問を口にしているが、
イオリは答えずに黙って歩き続けている。

ヤヨイ「どうしてアイドルになりたくないだなんて……。
    きっと何か理由があるんだよ。そうだよね、イオリちゃ……」

イオリ「私に聞いたって、わかるはずないでしょ。
    知りたかったら本人に聞けばいいじゃない」

と、ここで初めてイオリはヤヨイの言葉に反応を返す。
だがヤヨイを遮って早口気味に発されたその返事には明らかな苛立ちが表れており、
思わずヤヨイは口をつぐんだ。
184 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:16:51.30 ID:/+ODgrNWo
イオリ「……ごめんなさい。今のは八つ当たりね……。
   ヤヨイに苛立ちをぶつけたって、何にもならないのに……」

イオリは立ち止まり、ヤヨイへの謝罪の言葉を口にする。
前を向いたままでその表情は見えない。

ヤヨイ「ううん……いいの。気にしないで、イオリちゃん。
   私の方こそ、うるさくてごめんね」

イオリ「そんなことないわ……。私が一人でイライラしてるだけだもの」

ヤヨイ「……ねえ、イオリちゃん。
   イオリちゃんは、チハヤさんのこと……嫌いになっちゃった?」

イオリ「……」

ヤヨイ「私はやっぱり……仲直りして欲しいかなーって……」

長い廊下を沈黙が満たす。
時間にすれば数秒ほどの沈黙ではあっただろうが、
重苦しい沈黙に、ヤヨイはそわそわと指を動かし続けている。
だがヤヨイが耐え切れなくなる前に、イオリが静かに口を開いた。

イオリ「そうね……嫌いよ。チハヤのことなんて、大っ嫌い……」
185 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:19:57.84 ID:/+ODgrNWo
それはヤヨイが欲していない答えの一つ。
その返事を聞き、ヤヨイは強く心が締め付けられるのを感じた。
だがヤヨイの心を締め付けたのは、返事の内容そのものではなかった。

イオリ「あの子が、アイドルに選ばれたって聞いた時……私が選ばれなかったって知った時。
   すごく、ショックだったわ。
   絶対誰にも負けないって思ってたから、悔しかった……。
   でも……祝福してあげたいっていう気持ちも、同じくらいあったの。
   チハヤも私と同じだって……本気でアイドルを目指してるんだって、思ってたから……」

ヤヨイ「……」

イオリ「……ライバルだって、思ってた。アイドルを目指す者同士、絶対負けないって……。
   でも、だから、心からお祝いしようって……なのに……。
   っ……これじゃ私、馬鹿みたいじゃない……!」

肩が、声が、震えていた。
その背中から、イオリの悲しさが、悔しさが、痛いほど伝わってきた。
それが何よりヤヨイの心を締め付けた。

イオリ「私はチハヤのことが大嫌い……。だから、絶対に認めない。
    世界中のみんながあの子を認めても、私だけは絶対に認めない……!」
186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:22:47.53 ID:/+ODgrNWo
イオリ「アイドルはみんなに憧れられて、みんなに認められる存在なの。
   だから私が認めない限り、チハヤはアイドルじゃない……。
   チハヤなんかより先に、私が本当のアイドルになってやるの。
   世界中の誰もに認められる、本当のアイドルに……!」

ヤヨイ「イオリちゃん……」

そこでイオリは言葉を切り、やはり前を向いたまま俯いて黙ってしまう。
イオリは、自分の中で渦巻いている感情が何なのか、
自分自身でさえはっきりとは分かっていなかった。
怒りとも悲しみともつかない何かが堰を切って溢れ出そうになるのを堪えるように、
イオリは拳に力を入れてただ立ち尽くしていた。
が、その時。
ヤヨイの声が、イオリの心へ割って入った。

ヤヨイ「私も……私も頑張る! みんなに認められるすごいアイドルになるよ!
   それで、二人でチハヤさんをびっくりさせちゃおうよ!」

イオリ「えっ……?」

思いも寄らぬ明るい言葉に、イオリは初めてヤヨイを振り向く。
そこには、聞こえた声の通り明るい笑顔のヤヨイが居た。
187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:29:59.25 ID:/+ODgrNWo
ヤヨイ「私も、チハヤさんの言葉はすごくショックだったから……。
    だから私とイオリちゃんで、
    アイドルはすごいんだーっていうのをチハヤさんに見せてあげよう!
    そしたらきっと、チハヤさんも考え方を変えてくれるかなーって!」

胸元でぐっと気合を入れるように拳を握るヤヨイ。
その笑顔は決して作られたものではなく、
言葉にも裏のないことがイオリには十分に伝わった。
イオリは数秒、呆けたような顔でヤヨイを見ていたが、
ふっと表情を崩して袖で目元をぐいと拭う。

イオリ「そうね……そうしましょう。
    二人で、チハヤをさっさと追い越して、それでぎゃふんと言わせるの。
    ええ、そうよ……。私は、チハヤにすら
    憧れられるようなアイドルになってやるんだから!」

そう言ったイオリの表情はやはり怒っているようであったが、
先程までとは違う、前向きに作用する感情であるとヤヨイは感じた。
だからヤヨイは笑い、イオリもまた、そんなヤヨイに笑顔を返す。

イオリ「ありがとう、ヤヨイ……。あなたのおかげで、ちょっとは気が晴れたわ」

ヤヨイ「えへへ……良かった。イオリちゃんが元気になってくれて」
188 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:30:55.10 ID:/+ODgrNWo
イオリ「わ、私はずっと元気よ。
   それにヤヨイだって、最近ずいぶん調子いいみたいじゃない」

ヤヨイ「えっ? そうかな……?」

イオリ「ええ。少し前までは時々悩んでるみたいだったけど、最近はすごく明るいわ。
   今だって、もう『次』を考えてる。私も見習わなきゃね」

ヤヨイ「そんな……私に、イオリちゃんが見習うことなんてないよ。
   でも、ありがとう! これからも、一緒に頑張ろうね!」

イオリ「ええ、頑張りましょう」

そう言って笑いあった後、イオリは軽く息を吐き、

イオリ「さて、まずはチハヤに宣戦布告をしておかないと。
   仲直りってわけじゃないけど、あの空気のままじゃちょっと気まずいしね」

ヤヨイ「! う、うん!」

そうしてイオリとヤヨイは今歩いてきた廊下を、
今度は二人並んで引き返し始めた。
189 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:31:23.34 ID:/+ODgrNWo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分三日後くらいに投下します。
190 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 20:33:17.66 ID:A/CxDrCMo



窓から差し込む日は暖かい。
ちょうど目の前には満開の桜も見え、
一人落ち着くにはちょうどいい場所を偶然見つけてしまったかも知れない。
そんな風に思いながらも、ガラス窓に向くチハヤの表情は暗く沈んでいた。
少し前のイオリの表情は、電撃の光と共にまだ目に焼き付いている。

アズサ「見ぃつけた♪」

不意に聞こえたその声にゆっくりと振り向く。
教室の入口に、にこやかな笑みをたたえたアズサが立っていた。
だが何も言葉を返すことなく、チハヤは再び窓の外へと顔を向ける。
アズサは表情を崩さぬままチハヤの隣に歩み寄り、
ぼんやりと外を眺める横顔をじっと見つめ続けた。

しばらく沈黙が続いたが、
隣に来ただけで何も言わずにただ見つめられ流石に居心地の悪さを感じたらしい。
チハヤは外を見たまま話を切り出した。

チハヤ「何か言いたいのなら、早く言ってください。
    みんなから、もう話は聞いているんでしょう?」
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 20:34:52.95 ID:A/CxDrCMo
アズサ「……ええ、聞いたわ。イオリちゃんと喧嘩しちゃったのよね?」

チハヤ「喧嘩、とは少し違うかと。
    私がただ一方的に、怒らせてしまっただけです」

アズサ「イオリちゃんは人一倍、アイドルへの想いが強い子だから。
    きっと、すごくショックだったと思うの。
    アイドルに選ばれたチハヤちゃんが、アイドルになりたくないだなんて……」

チハヤ「……そう思います。あとで謝っておきます。
    無遠慮な言葉を、多くぶつけてしまいましたから」

アズサ「そうね……。でも、謝ったとしても、チハヤちゃんの気持ちは変わらないのよね?」

その問い掛けにチハヤは沈黙する。
ここでの沈黙は肯定を意味することであると、チハヤもアズサも理解していた。
それでも、何か返事をした方がいい。
そう思ってチハヤは言葉を選びながら口を開く。
だが、その言葉はチハヤの喉から出ることはなかった。

アズサ「だったら、アイドルなんてやめておいた方がいいんじゃないかしら」
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 20:38:40.56 ID:A/CxDrCMo
チハヤは思わずアズサに顔を向ける。
言葉ではなく声色が、チハヤの目線を引き寄せた。
そこには笑顔のアズサが居た。
だがチハヤは、その笑顔の裏には何か別の感情があると、直感的に思った。

チハヤ「……できるなら、そうしたいくらいです」

アズサの笑顔から逃れるかのように、
体はそのまま、目だけを逸らしてチハヤは続ける。

チハヤ「ですが、アズサさんも知っているはずです。
    アイドルへの選抜は、絶対。辞退などできないと」

アズサ「確かに、そう聞いているわね。
    でもティーチャーリツコに言ってみるだけ言ってみてもいいんじゃないかしら?」

チハヤ「意味があるとは思えません。
    彼女の厳格さは、私よりアズサさんの方がよく知っているはずでは?」

アズサ「あらあら……。じゃあ、チハヤちゃんがここから居なくなるしかないわねぇ」
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 20:41:44.44 ID:A/CxDrCMo
チハヤ「え?」

今度は言葉の内容がチハヤの視線を動かした。
アズサはやはり笑ったままだ。

チハヤ「居なくなるって、どういう……」

アズサ「例えば、『脱走』するとか……。
    見張りが居るわけじゃないから、私の能力なら多分できると思うわ。
    チハヤちゃんが望むなら、手伝ってあげるわよ?」

ニコニコと微笑みながら言うアズサではあるが、
対してチハヤは怪訝な表情で目を見開き硬直する。

脱走だって?
この人は本気で言っているのだろうか。
いや、そんなはずはない。
そもそも、笑顔で話すようなことじゃない。
この人は……自分をからかっている。
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 20:46:09.01 ID:A/CxDrCMo
チハヤはこの時、初めてアズサに小さな苛立ちを覚えた。
平常のチハヤであれば、多少呆れはしても感情を波立たせることなどなかっただろう。
だがイオリとの諍いを直前に経験した今のチハヤは、心に余裕がなかった。
あるいは、アズサの言動をからかいと理解し、そこに怒りをぶつけることで、
彼女の笑顔に覚えた違和感を解消したかったのかも知れない。

チハヤ「ふざけないでください。私は今、あなたの冗談に付き合っている余裕は――」

と、僅かにではあるが珍しく荒らげた……が、その声は唐突に途切れる。
チハヤに向き合っていたアズサが、突然、
背後にかかっていたレースのカーテンを掴んだ。
そしてその右手をカーテンごと、自分たちを包むように大きく動かす。
そして一瞬後にはチハヤはアズサと共にカーテンに覆われ、
その細身の体は、長身のアズサの腕の中に抱かれていた。

チハヤは目を丸くし、思わず声を上げようとする。
だがその唇に人差し指があてがわれ、

アズサ「しーっ……人が来ちゃうでしょ?」

鼻先が触れ合うほどの距離で、アズサは囁き、笑った。
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 20:49:59.37 ID:A/CxDrCMo
唇に触れた人差し指は暫時、チハヤの呼吸すらも止めた。
人との距離がこれほど狭まったのは初めてだった。
チハヤは逃げることも忘れ、
ただ身を硬直させて鼻先のアズサの目を見つめることしかできなかった。

アズサ「冗談なんかじゃないわ。私は本気よ?」

人差し指が離れ、同時にチハヤは思い出したかのように呼吸する。
そんなチハヤを、やはりアズサはすぐ目の前で見つめ続ける。

チハヤ「……どう、して……?」

アズサ「どうしてって、何が?」

辛うじて漏れ出たチハヤの言葉を、アズサは尋ね返す。
チハヤは呼吸を整えるように数拍置き、

チハヤ「どうしてアズサさんは、私にそこまで構うんですか……?
    初めて会った時から、気になってました。
    あなたは、明らかに……意識的に、私に関わろうとしている……」
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 20:54:19.12 ID:A/CxDrCMo
チハヤ「それに、今も……。いえ、何より今が、一番疑問です。
    わざわざ脱走させてまで私をアイドルから退かせようとするなんて、
    どう考えても普通ではありません……」

アズサ「……だってチハヤちゃん、アイドルになりたくないんでしょう?」

チハヤ「本当に、それだけですか? 何か他に理由があるのではないですか?
    聞いて欲しいわけではありませんが……
    まずはなぜアイドルになりたくないのか、話を聞くのが普通かと。
    話も聞かずにいきなり脱走なんて極端な手段を取ろうとするなんて……。
    あなたが理由なくここまで常識を外れた行動を取る人だとは、私にはとても……」

一気にチハヤの口から流れ出た疑問を、アズサは最後まで聞いていた。
と、チハヤはここで初めて、
アズサの笑顔が色を変えていることに気が付いた。

アズサ「チハヤちゃんには、私がこんな常識外れなことを提案するようには思えなかった?」

チハヤ「……はい。もっと冷静で、思慮深い人かと」

アズサ「あらあら……。たった一年の付き合いだけど
    そんな風に思ってくれてたのね。ありがとう」
197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:00:07.89 ID:A/CxDrCMo
そこには、どこか寂しげな、あるいは辛そうな笑顔があった。
そしてこの時チハヤはようやく知った。
これこそが、先ほどからアズサが浮かべていた笑顔の
裏に隠されていた感情であったのだと。

アズサ「でもね、チハヤちゃん。人は必ずしも見た目で判断できるものじゃないの。
    それだけは、ちゃんと覚えてなきゃダメよ?」

そう言って、今度はアズサがチハヤから視線を外す。
窓の外を見るアズサであったが、
チハヤには、その瞳には多分窓の外の景色は映っていないのだと感じた。
少し前の自分と同じように。

アズサ「どうして私がチハヤちゃんに構うのか……もちろん、理由はあるわ。
    でも、あまり楽しい話じゃないのよ。それでも聞きたい?」

寂しげな笑顔のまま、ちらとチハヤに目を向けるアズサ。
チハヤは何も言葉は発さなかったが、
目を逸らすことなく黙ってアズサを見返す。
数秒見つめ合った後、アズサは観念したように息を吐いた。

アズサ「……チハヤちゃんがこの学園へ来る前、ここにはもう一人、学生が居たの。
    『卒業』じゃなくって、『転校』して行った子が」
198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:04:24.73 ID:A/CxDrCMo
やっぱりそうだったのか、とチハヤは思った。

一年前の夜、空き部屋を覗いてみた時に覚えた違和感。
それはつまり、ベッドの数であった。
後になって一階すべての空き部屋を調べたのだが、
ベッドの数が統一されていなかったのは自分たちの寝室と、隣の部屋のみ。
つまり、学生の数に合わせてベッドを隣室同士で移動させたのだ。

それ自体は何もおかしなことはないのだが、
学園を案内された時にヒビキの発した
『チハヤが来る前からベッドが余っていた』という言葉を考えれば、
『チハヤが来る前からベッドの数は7に揃えられていた』ということになる。
このことから、自分と入れ替わるようなかたちで去っていった学生が一人居たのだろうと、
チハヤはそう推測していた。

そんなチハヤの推理を知ってか知らずか、
アズサは特にこのことについて聞きただすようなこともせずに続けた。

アズサ「でもね……本当は違うの。
    ただ建前上、転校したっていうことになっているだけ」
199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:12:14.89 ID:A/CxDrCMo
チハヤ「……? どういうことですか?」

アズサ「転校じゃなくて、『追放』。
    人知れず、危険な方法でアイドルを生み出すための研究を続けていて……。
    それを、私が見つけてしまったの」

窓の外へ顔を向けたまま言うアズサ。
その横顔を見るチハヤの目は、流石に意外そうに細められる。
転校ではなく追放であったということはもちろんだが、
その理由もまったくチハヤの想像の外であった。

アズサ「捕まったあの日から、今もまだ罪を償い続けているのか、
    それとももう、どこかで普通に生活してるのか……私は何も知らないわ。
    チハヤちゃんが転校してくるまでは、
    その子を思い出すこともほとんどなくなってたくらい。
    だけど、あなたがここへ来て……それで思い出したの」

チハヤ「……何を、ですか」

アズサ「その子が、言っていたこと……」

そこでアズサは言葉を切る。
そしてひと呼吸置き、

アズサ「年齢にかかわらず、優秀な力を持っている子をこの学園へ誘って、
    アイドルを生み出すために利用にする……って」
200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:14:48.89 ID:A/CxDrCMo
いつからかアズサの顔からは笑顔も消え、
普段見ることのない深刻そうな表情で、外を見続けている。

チハヤ「……つまり、それで誘われたのが、私であると?
   でも、その人はもうここには居ないんですよね?」

と、アズサはチハヤに向き直る。
その顔には再び笑みが戻っていた。

アズサ「ええ、そうよ。だからきっと私の考えすぎ。
    私ってちょっと思い込みが激しいようなところがあるから、
    それでついチハヤちゃんのことを気にしちゃってたの。
    だけど、気にしすぎだって分かってても……どうしても考えちゃうの。
    チハヤちゃんがここへ来たのも、アイドルに選ばれたのも、
    もしかしたらあの子が関係してるんじゃないか、って」

そう言って、アズサはチハヤが何か返事をする前に数歩歩み寄った。
そしてチハヤの耳に口を寄せ、

アズサ「だからもしチハヤちゃんが本当にアイドルになりたくないのなら、
    私がすぐに外へ連れ出してあげるわ。
    チハヤちゃんの『卒業』の日まで……考えておいてね」

そう囁き、背を向けて去っていった。
チハヤはアズサが消えた教室の出口を、しばらく黙って見つめ続けた。
201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:18:38.95 ID:A/CxDrCMo



ハルカ「――そっか……そんなことがあったんだ。
   でも、良かったね。すぐに仲直りできて」

チハヤ「仲直り……できたのかしら」

ハルカ「まあ、完璧にってわけじゃないと思うけど……。
    でもお互いに謝ったんだから、一応仲直りって言ってもいいんじゃない?」

チハヤ「……だと良いのだけど……」

チハヤがハルカに話したのは、イオリとの諍いのこと。
そして、その後の『仲直り』のこと。
話し終えて俯いたチハヤの頭にその時の光景が思い浮かぶ。

言い争いの後、次に顔を見合わせた場で二人ともすぐに互いの非を詫びた。
チハヤは、無神経な言葉を投げてしまったことを。
イオリは、感情的になって能力まで使ってしまったことを。
しかしチハヤの頭に深く刻み込まれたのは、その後のイオリの言葉。

   『ただし、あなたをアイドルと認めるかどうかはまた別の話よ。
   チハヤの考えが変わらない限り、私の気持ちだって変わらない。
   あなたより先に私が、正真正銘本物のアイドルになって見せるんだから!』
202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:20:51.69 ID:A/CxDrCMo
ハルカ「それにしても、イオリって子もすごいね。
    そんな風に真正面から気持ちをぶつけられる子なんて、なかなか居ないよ」

チハヤ「ええ……本当に、そう思うわ。……アイドルになるのも、
    私なんかより、彼女の方が、きっとふさわしいと思うのに……」

自嘲的な笑みを浮かべ、チハヤは抱えた膝に口元を埋める。
そんなチハヤの横顔を見つめ、ハルカは穏やかに笑って言った。

ハルカ「まだ……ちゃんと聞いたことってなかったよね。
    チハヤちゃんは、どうしてアイドルになりたくないの?
    アイドルのこと、嫌い?」

その問いに、チハヤは沈黙する。
だがハルカは何も言わずに返答を待った。
そのままどのくらいの時間が経っただろうか。
チハヤはぽつりと口を開いた。

チハヤ「……嫌いだなんて……そんなことない。
   私も、アイドルは本当に……すごい存在だって、思ってる。
   でも、だから、私はアイドルにはなりたくないの」
203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:31:45.02 ID:A/CxDrCMo
チハヤ「私は今まで、自分の意思で何もしてこなかった……。
    努力や勉強も、するべきだと言われたからしただけ。
    この学園に来たのだって、ティーチャーリツコに誘われたから。
    そして今度は、私の知らない誰かが、私をアイドルにしようとしてる……。
    ただ流されて来ただけの私が、また流されるままに、アイドルになろうとしてるの」

ハルカ「……」

チハヤ「もしこのままアイドルになってしまったら、
    世界中の人たちが、きっと私のことを憧れの目で見るんでしょう?
    ただ流されただけの私を、羨望や尊敬の眼差しで見る……。
    そんなの、世界中の人を騙してることと変わらない。
    たくさんの人の想いを裏切ることと、変わらないもの……」

それは初めて吐露されるチハヤの心情であった。
学園の者には深く追求されなかったということもあるが、
やはりチハヤは、ハルカには自分の内面をさらけ出してしまう。
それはハルカの持つ不思議な雰囲気からか、
それとも学園の者ではないという適度な距離感がそうさせるのか、
チハヤ自身にも分からない。
204 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:35:11.65 ID:A/CxDrCMo
チハヤ「クラスメイトの一人に、言われたわ。
    アイドルが嫌なら逃げ出したらどうか……って。
    でも私は、逃げ出そうなんて気持ちさえ、持てないの。
    そんなことをしたら、私をアイドルに選んだ人のことも、
    応援するって言ってくれたみんなのことも、裏切ることになるから……。
    アイドルになりたくないと思ってるはずなのに、
    私はまた、今まで通り流されようとしてて……」

チハヤの目には涙らしきものは見えない。
だがハルカには、チハヤが泣いているように見えた。

ハルカ「……チハヤちゃん、優しい子なんだね」

その言葉にチハヤは顔を上げてハルカを見た。
ハルカは、いつも通りの微笑みをたたえている。

ハルカ「自分がどうこうじゃなくて、みんなを裏切りたくないから。
    それって、チハヤちゃんが何よりみんなの想いを大切にしてるってことだよね」

チハヤ「そんなことは……ないわ。私が優しいだなんて、そんな……」
205 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:37:09.72 ID:A/CxDrCMo
ハルカ「ねえ、チハヤちゃん。今からでもさ、
    自分の意思で、アイドルになってみたらどうかな。
    そしたら、チハヤちゃんに憧れる人を裏切ることにはならないでしょ?」

そう言ってハルカは笑う。
しかしチハヤはそんなハルカの笑顔から目を逸らし、

チハヤ「いえ……もう、遅いわ。
    私はもう、意思がないままにアイドルに選ばれてしまった。
    その時点で、私はみんなに憧れられるアイドルなんかじゃない……。
    偽物のアイドルなの。それに……初めにハルカに言ったことも、本当だから。
    私には、アイドルが何なのか、よくわかってない……。
    よくわからないものを本気で目指すことなんて、できないわ」

ハルカ「……チハヤちゃん……」

名を呟いたハルカと目を合わせることなく、チハヤは立ち上がる。
そして数拍置き、笑顔を作って振り向いた。

チハヤ「今日も、話を聞いてくれてありがとう。
    話ができるのもあと数回だと思うけれど……。
    一年前にあなたと会えて良かったわ。ありがとう、ハルカ」
206 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:38:11.73 ID:A/CxDrCMo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分明日投下します。
207 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 21:53:40.59 ID:Oh+Zy3tyo



チハヤの卒業まで、残すところ数日。
初めにひと悶着あったものの、それも既に解決をしており、
あとはその日を待つばかり。

ヒビキ「やっぱり、手作りケーキがいいんじゃないか?
    すっごく大きいケーキ、作ろうよ!」

マコト「だったらティーチャーリツコに材料を頼まないと。
   それから作る時間も相談しなきゃだよね」

ユキホ「ケーキ作りってどのくらい時間かかるのかなぁ……。
    図書館に行ったら分かるかな?」

アズサ「そうねぇ。明日にでもみんなで探してみましょうか〜」

授業の合間の教室で、少女らはわいわいと楽しげに話をする。
会話の内容は数日後に控えた、チハヤの『お別れ会』についてだ。
時折チハヤ本人に要望を尋ねながら話を進めていくヒビキたち。
チハヤもまた、複雑な気持ちではあるが友人が自分のために
色々と考えてくれているということについては決して悪い気はせず、
要望を求められた時には素直に答え、案を煮詰めるのに協力していた。
208 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 21:55:51.38 ID:Oh+Zy3tyo
先日のチハヤの「アイドルになりたくない」という発言については、
驚きと不安でつい心にもないことを言ってしまった、
ということでイオリ以外の者は納得しており、
チハヤの門出を祝う心には曇りらしき曇りもない。
あるのは僅かな寂しさばかりである。
またイオリでさえ、話し合いには一応の参加の姿勢を見せ、皆に協力していた。

だがそんな中、輪には加わっているものの
会話に参加しているとは言い難い者が一人だけ居た。

イオリ「……ちょっと、ヤヨイ。ヤヨイってば」

ヤヨイ「ん……あれ? ……あっ、ご、ごめんなさい、私また……!」

イオリの横で船を漕いでいたヤヨイが、肩を揺すられてようやく目を覚ます。
これが一度目ではない。
この日……いや、ここ数日のヤヨイは、
昼間から居眠りを始めてしまうことが多かった。
授業中はなんとか起きているようだったが、
休み時間になると電池が切れたように眠りについてしまうことが増えているのだ。

マコト「あははっ。ヤヨイ、今日も疲れちゃってるみたいだね。
   まあ確かに最近、すごく頑張ってるしなぁ」
209 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 21:56:42.21 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホ「そうだよね……。特に能力の訓練なんか、調子も良さそうだし……」

ヒビキ「でもちょっと張り切りすぎなんじゃないか?
   次のアイドル選考はずっと先だってティーチャーリツコも言ってたし、
   今から飛ばし過ぎたら身がもたないぞ」

ヤヨイ「あう、そうですよね……。でも、つい張り切っちゃって……」

イオリ「それでこんな時間から体力が切れてるんじゃしょうがないじゃないの。
    まあ、いいわ。疲れてるのは確かみたいだから、休み時間くらいは寝てなさい」

ヤヨイ「えっ、で、でも……」

イオリ「いいから。その代わり、今日の晩は早めに寝て疲れを取るのよ?」

ヤヨイ「う、うん……ごめんなさい。それじゃあ、おやすみなさい……」

アズサ「は〜い、おやすみなさ〜い」
210 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 21:57:44.05 ID:Oh+Zy3tyo
結局その日、ヤヨイは授業の時間以外はほとんど眠りについていた。
友人の門出をどんな風にして祝うか、
その話し合いに参加できていないことについては
皆も思うところがないわけではない。
だが無理強いすることでもないし、
何よりヤヨイ本人がそれを申し訳なく思っていることも十分わかっている。
だからこそ、それでも居眠りをしてしまうほど疲れているであろう
ヤヨイの体調を慮り、皆も特に何も言うことなくヤヨイを休ませた。

マコト「――そうは言っても……やっぱりヤヨイの意見も欲しいよね。
   結構チハヤに懐いてたとこもあったしさ」

ユキホ「うん……。明日は一緒に考えてくれるかな?」

マコト「まあ、今日あれだけ寝てたんだしきっと大丈夫だよ。
   夜も早めに寝るって言ってたし」

他の者より少し早めに入浴を済ませたユキホとマコトは、
ベッドに腰掛けて今日のヤヨイの様子について話す。
マコトは笑顔であったが、ユキホは心配げに眉をひそめている。
211 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:04:24.14 ID:Oh+Zy3tyo
しかしこのマコトの笑顔も、心からのものではない。
一つはやはりヤヨイのことが気がかりというものがある。
本人も言っている通り、ヤヨイにも話し合いに参加して欲しいし、
また眠気を堪えられないほど疲労が溜まっている点は心配でもある。
だが、マコトの心に僅かに雲をかけている原因の大半は、
ヤヨイではなくユキホの様子であった。

ユキホ「でも、本当に大丈夫かなぁ……。いくら疲れてるって言っても、
    今日なんか休み時間はほとんど寝てて……。
    もしかしたら夜、ちゃんと眠れてないのかも」

マコト「……うん、そうかもね」

ユキホ「そうだ、私、安眠効果があるっていうお茶をいれてあげようかな。
   そしたらきっと夜はぐっすりで、昼はばっちり起きられるよね!」

マコト「あはは、うん、そう思うよ」

ユキホは恐らく心からヤヨイの体調を案じている。
だがそのことが、マコトの心に陰を作っていた。
そしてその陰はいつの間にか、笑顔で隠せないほど大きくなっていたらしい。
212 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:05:37.72 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホ「マコトちゃん、どうしたの?」

マコト「え……?」

ユキホ「なんだか、マコトちゃんまで元気ないみたい……大丈夫?」

マコト「そ、そう? いや、そんなことないよ?」

ユキホ「もしかして、マコトちゃんも寝不足?
    えへへっ、それじゃあ、今日はマコトちゃんにもお茶いれてあげるね!
    待ってて、今……」

マコト「ボクより、ユキホが飲んだ方がいいんじゃない?」

ユキホの言葉をマコトは笑顔で遮った。
笑顔ではあったが、その目はユキホを見ていない。
正面を向いたままのマコトの横顔に、
ユキホもまた、疑問符を浮かべながらも笑顔で問い返した。
213 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:06:21.65 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホ「えっと……私が飲んだ方がいいって、どうして?」

マコト「だってさ、ほら、ユキホも最近、時々ぼーっとしちゃうだろ?
   それもきっと寝不足だと思うんだよ。だから、ね?」

ユキホ「? そう言えば、この前もそんなこと……。
    うぅ、私、そんなにぼーっとしてるかなぁ。
    確かにみんなに比べてノロマかも知れないけど……」

マコト「違うよ、そうじゃなくてさ。
   っていうか、本当に夜もちゃんと眠れてないでしょ?
   よく夜中に起きて、部屋の外に出てるじゃないか」

ユキホ「え……? 私が? いつ?」

マコト「いつって……何回もだよ。二、三日に一回は起きてるよ」

ユキホ「……? マコトちゃん、他の誰かと勘違いしてない?
   私はそんなの、ほとんど……」
214 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:07:25.98 ID:Oh+Zy3tyo
マコト「隠さないで欲しいんだ。実はずっと心配だったんだよ……。
   ユキホがこっそり、夜中にどこに行ってるのか気になってたんだ」

いつからかマコトの顔からは笑みが消えている。
向き直り、ユキホを真っ直ぐに見つめるマコトだが、
そんな真剣な眼差しにユキホが返すのは、ただただ困惑の色であった。

ユキホ「ま、待ってマコトちゃん。本当に何のこと?
    私、夜中に起きたことなんてほとんどないし、
    起きても部屋を出たことなんてないよ……?」

マコト「何を言ってるんだよ……そんなはずないだろ!?
   ボク、本当に心配なんだ!
   ユキホの様子がずっと変で、すごく心配してたんだよ!」

心に秘めていた不安を口に出してしまったことで、
マコトの感情に掛けられていた枷は今や完全に外れてしまっていた。
ユキホを心配するあまり、半ば怒り混じりに詰め寄ってしまうマコト。
そんなマコトにユキホはただ戸惑うばかりであった。
が、次のマコトの言葉は、ユキホの心の枷をも外してしまった。
215 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:08:37.16 ID:Oh+Zy3tyo
マコト「それとも、ボクに言えない悩み事とかがあるの……?
   だったら隠さないで言ってよ!
   ボクたちの間で隠し事なんて無しだろ、ユキホ!」

ユキホ「……隠し、事……?
   だったら、マコトちゃんだって私に隠し事、してるよね……?」

マコト「え……?」

ユキホ「この前、アズサさんと、マコトちゃん……。
    目のゴミを取ってもらってたって言ってたけど、そうじゃなかった……!
    ゴミを取ってもらうのに、抱き合ったりなんてしないもん!」

マコト「っ……ユキホ、気付いてたの……!?
   い、いや、今はそのことは関係ないじゃないか!」

ユキホ「関係あるよ! 隠し事は無しって言ったのはマコトちゃんでしょ!?
    なんで抱き合ってたこと隠してたの!?」

マコト「っ……あれは、ユキホのことを相談してたんだ! ただそれだけで、別に何も……」
216 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:09:34.09 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホ「そんなの、抱き合ってる理由になんてならないよ!
    酷いよ、マコトちゃん……! 私を言い訳に使わないで! マコトちゃんの嘘つき!」

マコト「嘘なんかじゃないよ! だったらユキホの方こそ嘘つきじゃないか!」

ユキホ「私は嘘なんかついてないもん! 嘘つきはマコトちゃんだよ!
    マコトちゃんなんてもう知らない!!」

マコト「こ……こっちこそ、ユキホなんて知らないよ!」

売り言葉に買い言葉――
会話を拒絶するように布団に潜り込んだユキホに、
マコトも荒々しく言葉を投げかけて立ち上がり、その場を離れる。
すすり泣く声を背に受けながらも、
聞こえないというように強く目をつむって洗面台へと向かうマコト。

他の者が寝室へ戻ってきたのは、それから少し経ってからだった。
皆二人の様子を見てすぐ異変に気付いたものの、
マコトがこの件に触れて欲しくなさそうにしていたことにも気付き、敢えて追求はしなかった。
ただその空気もあって、その晩はもうチハヤの送別会に関する話題は出さず、
当たり障りのない会話をして就寝までの時間を過ごすこととなった。
217 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:10:12.89 ID:Oh+Zy3tyo



ヒビキ「――あのさ、マコト。早く仲直りできないのか?」

翌朝、鏡に向かって並びながらヒビキはマコトに呟くように言った。
マコトは答えず、蛇口の水を両手で顔に打ち付ける。

ヒビキ「まあ、理由は知らないけどさ……。
   でももしこのままだとチハヤを気持ちよく送り出せないぞ」

マコト「……うん、わかってる」

タオルに顔を半分以上埋めたまま、マコトもまた呟くように答えた。
そしてそのままヒビキと目を合わせずに洗面所をあとにし、着替えを始める。
ヒビキはそんなマコトの姿を遠目に、
やれやれと言うように腰に手を当てて眺める。

マコトはそんなヒビキの視線を意に介さず、
ただ一人、手にした制服に向けて深くため息をつくのだった。
218 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:11:39.98 ID:Oh+Zy3tyo
……昨日は自分もユキホも、まったく冷静じゃなかった。
二人とももう少し落ち着いていれば、
あんなふうにこじれることなんて絶対になかったんだ。
少なくとも自分の件に関しては、
きちんと説明すれば誤解はすぐに解けたはず。
ユキホのことについても、もっとちゃんと話を聞いてあげられれば良かった。

でもそれが出来ずに、喧嘩してしまったというのが現状だ。
これからどうしよう。
仲直りって、どうすればいいんだろう。

と、伏せた目の奥でマコトは色々と考える。
だが思考は堂々巡りするばかりで、一向に解決策は思い浮かばない。

マコトは、ユキホと喧嘩したことなどこれまでただの一度もなかった。
イオリと日常的に起こす小競り合いとは訳が違う。
彼女には、仲直りの仕方が分からなかった。
219 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:12:23.38 ID:Oh+Zy3tyo
またアズサに相談しようか、とほんの一瞬考えたが、
そもそもの誤解の元がアズサに相談したことにあるのだ。
それだけは避けた方がいい。
アズサも、それを察して昨夜から敢えて自分と距離を取っているようにも見える。
ではどうするか。
誰かに相談するか、それとも自分自身で解決するしかないか……。

などと考えるうちに、数時間が経った。
今日は授業は休みの日である。
本来ならこの日にチハヤの送別会に向けての準備を大きく進める予定であった。
しかしマコトは今、一人空いた教室で机に突っ伏している。
目を閉じているが寝ているわけではない。
かと言って、何かを考えているわけでもない。
いや、考えてはいる。
ただその思考は相変わらずの堂々巡り、
「これからどうしよう」から一歩も前に進んでいないのだった。

しかし次の瞬間、
そのまるで前進していない思考ですら、呼吸とともにぴったりと止まった。
220 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:13:01.24 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホ「マコトちゃん」

聞こえたその声に、机に伏せていたマコトの顔は跳ね上がる。
大きく見開かれたその瞳に映ったのは、薄く笑ったユキホだった。
マコトは声が出なかった。

 『何?』 『どうしたの?』 『昨日はごめん』

たくさんの言葉が同時に頭に浮かび、
どれを選択するべきか混乱しかけていた。
だがマコトが言葉を選んでいるうちに、ユキホはにっこりと笑って、言った。

ユキホ「髪、伸びてきたって言ってたよね。今から切ってあげる」

マコト「え……」

唐突なその言葉にマコトがまともな反応を見せる間もなく、
ユキホはくるりと踵を返して出口へ向かって歩き出す。
マコトは困惑したまま、半ば無意識に、立ち上がってそのあとを付いていった。
221 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:13:45.79 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホが向かったのは、やはり空き教室の一つだった。
その場所はマコトがいつもユキホに髪を切ってもらっている教室。
だからマコトは特に驚くことなく、

ユキホ「はい、どうぞ」

促されるまま、ユキホが引いた椅子に腰掛けた。
ユキホは側にあった棚から布を取り出し、
慣れた手つきでマコトの首にかける。
そしてハサミを取り出して、頭髪を切り始めた。

マコト「……」

多分これがユキホの考えた『仲直り』なんだろうな、とマコトは思った。
髪を切るのはいつもユキホの役目。
ユキホは自分だけが持つこの役割をきっかけに、
これまでの関係に戻ろうと、きっとそう考えているんだろう。
222 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:14:14.55 ID:Oh+Zy3tyo
ただ、いつもなら髪を切りつつ切られつつ他愛のない会話を交わしているところだが、
今のマコトにはそれはできそうもなかった。
やはりこちらからどう声をかければいいか分からない。

まず一言謝った方が良いのか。
それとも、昨日のことには触れない方が良いのか。
ユキホが何も言わないということは、
彼女もそれを望んでいるということなのだろうか。
いや、こちらが謝るのを待っているのだろうか……。

それにしても、自分がこんなにもくよくよと悩む人間だとは知らなかった。
少しだけ自分のことが嫌になる。

鋏が髪を断つ音がやけに大きく聞こえる。
でもこの音に集中していれば、余計なことを考えずに済むような、そんな気がする。
しばらくはこのままぼんやりと、身を任せていよう――

ユキホ「私、マコトちゃんのことが、好き」

――ユキホの声が鋏の音に割って入ったのは、その時だった。
223 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:14:48.63 ID:Oh+Zy3tyo
マコト「……どうしたの、急に」

どう返せばいいのか分からずマコトが選んだ言葉は、
あやふやな、ごまかすような言葉であった。
もう少し何か気の利いた返事はできなかったのか。
表情に出さないまでも、マコトはやはり自分に嫌気がさした。
これでは仲直りするのにも苦労するはずだ。

もう、いい。
難しいことを考えるのはやめよう。
素直に昨日のことを謝ろう。

……マコトがそう決めたのと、
首筋にユキホの腕が絡んだのはほとんど同時だった。

ユキホ「マコトちゃんは私のこと、好き?」

背後から、耳元から、ユキホの囁く声が吐息とともに吹きかかる。
右耳から全身にかけて、何かが駆け巡るのをマコトは感じた。
224 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:15:19.01 ID:Oh+Zy3tyo
マコトは反射的に、その感覚から逃れようと首を傾けようとした。
しかしその直前、逃げ場を封じるように今度は左頬に何かが触れた。
それは首に巻き付くように添えられた、ユキホの右手。
だがそれだけではない。
柔らかくしなやかなユキホの指の感覚の他、固く冷たい何かが即頭部あたりに触れている。
視界の外にあるため見えないが、間違いない。
それは鋏であった。

マコト「あ……危ないよ、ユキホ」

辛うじて、絞り出すようにマコトは言った。
今ユキホの親指と中指には、鋏のリングがかけられたまま。
その手は優しく添えられているものの、
マコトは、それ以上頭を動かすことはできなかった。

ユキホ「ねえ、マコトちゃん」

動かぬマコトの視界に、ふっと影が差す。
視線だけを動かすと、そこにはユキホの目があった。

ユキホ「マコトちゃんは、ずっと私と一緒に、居てくれるよね?」
225 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:15:52.05 ID:Oh+Zy3tyo
それは、『あの時』の目だった。
タカネの話をする時の、ユキホの目だった。
マコトは何も答えられなかった。
色のない目に射すくめられたように、ただ硬直し続けた。

しかし、それからどれだけの時間が経っただろうか。
ユキホはマコトの答えを待たずして、ゆっくりと動き出した。
目が視界から消え、右手が左頬から離れ、首筋から両腕が離れた。
そして、

ユキホ「……マコトちゃん、その……き、昨日は、ごめんなさい!」

マコト「え……?」

ユキホ「私、マコトちゃんのこと嘘つきだなんて言っちゃって……。
    きっと私の見間違いだったんだよね?
    なのに私、マコトちゃんに酷いこと言って……ほ、本当にごめんなさい……!」

背後から聞こえたのは、必死に謝るユキホの声だった。
ああ……またか。
また、いつも通り、ユキホはおかしくなってたんだな……。

マコト「……気にしないで。ボクの方こそ、ごめん。
   昨日色々言ったけど……多分、ボクの勘違いだったんだ」

マコトは正面を向いたまま、笑顔を作って返事をした。
226 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:16:30.31 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホ「! う、ううん! いいの!」

マコトの謝罪を聞き、ユキホは嬉しそうに声を上げる。
そしてマコトの正面に回り込み、

ユキホ「マコトちゃんこそ、気にしないで!
   えへへ……マコトちゃんと仲直りできて、嬉しい」

そう言って頬を赤らめて笑った。
その顔は、マコトのよく知るユキホだった。

ユキホ「マコトちゃん、えっと……これからも私と、仲良くしてくれる?」

マコト「もちろんだよ、ユキホ。これからもよろしくね!」

ユキホ「えへへっ……うん!」

頬を紅潮させてユキホは頷き、再びマコトの背後に回る。
そして、鼻歌交じりに散髪を続けた。
チハヤの送別会についても色々と話した。
散髪が終わるまで、二人の会話はとてもよく弾んだ。
227 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:17:16.85 ID:Oh+Zy3tyo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分水曜前後に投下すると思います。
228 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/11(金) 22:19:42.57 ID:ni7bY2Wxo
おつ

229 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:10:27.07 ID:2rU60daQo



チハヤ「あの……少し、いいかしら」

イオリ「? 何よ、どうしたの?」

暖かな日光が差す寝室。
ヤヨイと二人で外へ出ようとしたところ、イオリはチハヤに呼び止められた。
何気なく振り返った二人だったが、その視線は揃ってすぐチハヤの手元に落ちる。

ヤヨイ「……その本……」

チハヤ「忘れないうちに、返しておこうと思って。
    一応読んではみたけれど、私も何も分からなかったわ……ごめんなさい」

それは、イオリたちが旧校舎から持ち出した本、『眠り姫』。
イオリは差し出されたその本を受け取り、浅く息を吐く。

イオリ「別に、謝らなくていいわよ。私も今の今まで忘れてたくらいだもの」

チハヤ「そう……。だったら、いいのだけれど」
230 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:14:28.64 ID:2rU60daQo
チハヤ「引き止めてごめんなさい。用事は、これだけだから」

そう言ってチハヤは背を向け、自分のベッドへ戻る。
ベッドの横には既に整理された荷物がまとめて置いてあった。
チハヤの『卒業』まで、残すところ三日。
ベッドの上に畳まれたいくつかの衣類を鞄に詰め始めるチハヤを
イオリは黙って見つめた後、ふと手元の本に目を落とす。
そして表紙を少しばかり眺めたかと思えば、ふっと笑って言った。

イオリ「『眠り姫』、ね……。なんだか、今のヤヨイにぴったりじゃない?」

ヤヨイ「えっ?」

イオリ「昼間から居眠りしてばっかりの、眠り姫。なんてね」

ヤヨイ「あう……ごめんなさい。頑張って起きようとはしてるんだけど、
   なんでかどうしても眠くなっちゃって……」

イオリ「もう、ちょっとからかってみただけよ。気にしないで」

イオリはいたずらっぽく笑い、
申し訳なさそうに俯いたヤヨイの額をコツンと指で突いた。
ヤヨイは突かれた箇所を触れながら、少しだけ困ったように笑った。
231 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:15:09.26 ID:2rU60daQo
そうして笑いあったのち、イオリはチハヤに顔を向ける。
チハヤは二人のやり取りを気に止めることなく、黙って読書を続けている。
イオリはチハヤをしばらく見つめ、
それに気付いたヤヨイは、様子を見守るようにイオリを見つめる。
イオリの横顔には、ヤヨイに向けていた笑顔がまだ残っているようだったが、
その内面では果たしてどのようなことを考えているのだろうか。

と、イオリはふっと表情を和らげ、ヤヨイに向き直った。

イオリ「さ、行きましょうヤヨイ」

ヤヨイ「え? う、うん」

そうしてイオリは自分のベッドに本を置き、
ヤヨイとともに寝室をあとにした。
日中の静かな寝室にはチハヤと、『眠り姫』、
そしてひっそりとイオリの机の中にあり続ける鍵だけが残された。
232 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:16:05.08 ID:2rU60daQo



  「――けれど、本当はその扉は開けてはいけませんでした。
   なぜなら、女の子はとても怒っていたからです」

マミ「どうして怒っていたの?」

  「女の子は、お友達が居なくなったことに、とても、とても怒っていました。
   お友達に怒っていたのではありません。
   お友達を居なくさせた世界そのものに、怒っていたのです」

アミ「世界そのもの?」

マミ「なんだかよく分からないわ、お母様」

  「……アミとマミには、まだ少し難しいかも知れませんね」

困ったように眉をひそめるマミに優しく笑いかけ、頭を撫でる。
次いでねだるように身をよじったアミも同じように優しく撫でる。
双子は嬉しそうに目を閉じて銀髪の少女に寄り添い続けた。
233 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:16:52.77 ID:2rU60daQo
少女は双子の頭から手を離し、ベッドを降りる。
アミとマミは名残惜しそうな表情を浮かべながらも、
少女のあとを追うことなく、やはりベッドの上から問いかけた。

アミ「今日もご用なのね」

アミ「お話してあげるの? それとも、お薬をあげるのかしら」

  「今日は、お薬ですよ」

笑顔でそう答え、少女は扉の向こうへと姿を消した。
残されたアミとマミは向かい合ってベッドに横になり、互いの手を取る。

マミ「お母様はとっても優しいのね」

アミ「もちろんよ。だって私たちのお母様だもの」

にっこりと無邪気に微笑み合う二人。
そして目を閉じ、

アミ「もう終わらせてしまえるといいわね」

マミ「悲しい悲しい、『眠り姫』の螺旋を」
234 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:17:31.88 ID:2rU60daQo



ふっ、と意識が覚醒する感覚。
薄く目を開けると、真っ暗な天井が映った。
どうやら夜中に目を覚ましてしまったらしい。
チハヤは再び瞼を閉じて眠りにつこうとする。
しかしその時、物音がチハヤの睡眠を妨げた。

閉じかけた瞼の隙間から見えたのは、ベッドを降りるヤヨイの姿。
裸足のままペタペタとどこか覚束無い足取りで、
ヤヨイは寝室の出口へと向かい、そしてそのまま外へ出て行った。

ヤヨイの姿が消えたのち、チハヤは上体を起こす。
その目は今や完全に開かれ、眉は疑問にひそめられている。
夜中に一人廊下へ出る理由など、チハヤには思いつかなかった。
洗面所なら寝室内だし、
どこかに忘れ物をしたのだとしても取りに行くのは夜が明けてからでいいはず。

しばし逡巡したのち、チハヤはヤヨイのあとを追って寝室を出た。
235 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:20:09.31 ID:2rU60daQo
廊下は暗く、ヤヨイの姿は既に闇の中に溶け入って見えなくなっていた。
しかしその時、遠くからキイと扉の開く音がした。
それを手がかりに進んでみると、校舎の外への扉が開け放たれている。
チハヤは靴に履き替え、扉をくぐった。

春先のまだ少しひんやりとした夜の空気が身体を撫でる。
と、視界の端に動くものを捉え、
目を向けた先には、ヤヨイの小さな背があった。
一体どこへ向かっているのか……。

ヤヨイの歩く速度はそう早くない。
こちらが少し早歩きをすればすぐに追いつけるだろう。
行って、声をかけてみようか。
そう思い、チハヤが足を踏み出そうとしたその瞬間。

イオリ「待ちなさい、チハヤ」

背後から小声で話しかけられ、驚いて振り向く。
そんなチハヤを尻目に、イオリはすっとチハヤの横から歩み出て、
ヤヨイの様子を遠目に見つめた。
236 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:20:45.54 ID:2rU60daQo
チハヤ「どうして、あなたまでここに……?」

まさか自分以外に起きてここにいる者がいるなどとは欠片も思っておらず、
チハヤは感じた疑問を素直に口にする。
イオリはチラとチハヤを一瞥し、すぐにヤヨイに視線を戻して言った。

イオリ「それはこっちの台詞、って言いたいところだけどね。
   普段のあなたなら、こんなふうにわざわざヤヨイを追いかけたりしてないでしょ」

チハヤ「……それは……」

イオリ「あなたも気になってたんでしょう?
   最近のヤヨイの様子はどこか変だって」

その通りだ。
チハヤは沈黙を以て、イオリの問いへの肯定を示した。
と言っても、そのことがそのままチハヤがここに居る理由になっているわけではない。
わざわざヤヨイを追い、声までかけようとしたのには、
もっと直感的な何かに突き動かされたからだ。
237 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:22:54.15 ID:2rU60daQo
イオリ「さ、行きましょう。そろそろ姿が見えなくなっちゃうわ」

そう言って、イオリは足を踏み出し、ヤヨイを見失わぬようあとを付け始める。
チハヤは少し戸惑いながらも、イオリに付いていった。

チハヤ「……声はかけないの?」

後ろに付きながらも、チハヤは小声で疑問を呈する。
イオリがヤヨイと仲がいいことはチハヤも十分承知している。
だから、そのイオリがこうしてヤヨイを尾行するような真似をしていることが、
チハヤにとっては意外であった。
当然湧いたその疑問に、イオリはちらとチハヤを一瞥する。
そして再びヤヨイに視線を戻して答えた。

イオリ「あの子が夜中に出歩くのは、今日が初めてじゃないわ。
   ここ最近になって、私が気付いただけでももう三回目よ」

チハヤ「え……?」

イオリ「一回目のとき、次の日の朝にヤヨイに聞いてみたわ。
   でもあの子……私が何を言ってるのか分からないって、そんな反応だったの。
   だから私も、多分夢でも見たんだろうって思ったわ」
238 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:25:30.44 ID:2rU60daQo
イオリ「でも二回目があった。
    だから私、もし三回目があったらヤヨイのあとを付けてみようって決めたのよ」

チハヤ「……二回目の時は、何も聞かなかったの?」

イオリ「聞かなかったわよ。
   だって、その頃はヤヨイが昼間に居眠りするようになった時期だったから……。
   『最近夜はちゃんと眠れてるのか』って、もう私聞いちゃってたんだもの。
   それであの子は眠れてるって言ってたから……。
   でも実際は違ったわ。あれだけ毎日眠そうにしてるんだし、
   多分ほとんど毎晩、こうして出歩いてたんでしょうね」

そこでイオリは言葉を切る。
チハヤは黙って続きを待った。
斜め後ろから見えるイオリの表情には、少し寂しげな色が浮かんでいた。

イオリ「私にも隠すなんて、何か理由があるんだろうけど……
   だからって寝不足になるくらい深夜徘徊を繰り返すなんてこと、
   放っておくわけにはいかないでしょ。
   だから自力で探ることにしたの。
   納得できる理由だったらそのまま見なかったことにするけど、
   もしそうじゃなかったら叱ってやるんだから」
239 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:28:05.35 ID:2rU60daQo
それから二人は、ヤヨイと一定の距離を保ちつつ、
時折木の陰に身を隠しながら尾行を続けた。
ヤヨイの動向に注意を払いながら、チハヤは、この状況を少し不思議に思った。
友人を尾行していることや深夜に出歩いていることなど、
あらゆる要素が日常とはまるで違うのだが、
チハヤにとって特に思うところがあったのはそれとはまた別の点――
こうしてイオリと同じ場所、同じ時間を共有しているということだった。

イオリ「……何? 言いたいことでもあるの?」

睨むようにこちらに目を向けたイオリとその言葉で、
いつの間にか自分が彼女を見つめていたことに気が付く。

チハヤ「いえ……別に、なんでもないわ」

視線から逃げるようにチハヤは目を逸らし、
イオリもまた、ふんと鼻を鳴らしてヤヨイに目を向け直した。

イオリ「前も言ったと思うけど、あなたと仲直りしたつもりはないわよ。
   ヤヨイのことを気にしてるみたいだから、一緒に来るのを許可してるだけ」

チハヤ「……ええ、わかってるわ」
240 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:28:42.28 ID:2rU60daQo
そうこうするうちに、ヤヨイの向かう先が明らかになってきた。
夜の闇の中、徐々に姿を現した建物。
それは――

イオリ「……なんとなくそんな気はしてたけど、まさか本当に旧校舎だったなんてね」

チハヤ「でも、どうして旧校舎なんかに……」

イオリ「もうすぐ分かるわ。ほら、行くわよ」

ヤヨイが校舎内へ入ったのを確認し、二人は足を速める。
入口の前で一度止まり、
イオリは細心の注意を払って僅かに扉を開け中の様子を伺った。
ヤヨイの姿はなく、既に一階の奥、あるいは別の階へと姿を消したようだ。
耳をすませてみるが物音はしない。

イオリは目配せをして扉をくぐり、チハヤもそれに続いた。
さて、どこから探してみようか。
考えながら数歩進んだイオリであったが、ふと、
廊下の奥で何かがきしむような音が聞こえた。
241 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:31:43.49 ID:2rU60daQo
イオリは振り返り、チハヤに目線を送る。
チハヤは黙って頷いた。
自分の聞き間違いではないようだ。
イオリは可能な限り足音を殺して、
おおよその音の出処と推察される辺りまで進む。

しばらく進んだところで、イオリの足は止まった。
そこには、階段があった。
先日使用したものと同じ階段であるはずなのだが、
渦を描きながら深淵へと下っていくその空間は、
イオリの目には今日初めて見たものに映った。

地下室――リツコに立ち入りを禁じられた場所への入口が今、
より深い闇をたたえて、あるいは誘い込むようにぽっかりと口を開けている。
あの物音がこの先から聞こえてきたものかどうかは分からない。
だがイオリは、ほんの僅かな逡巡を終え、階段を下り始めた。

螺旋状をとる石造りの階段。
纏う闇は深く、一歩一歩確かめるように、ゆっくりと下っていく二人。
しかしぐるりと一周ほど回った頃、
ぼんやりとした明かりが階下から先を照らしていることに気が付いた。
242 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:35:15.35 ID:2rU60daQo
明かりを頼りに進むと、最下層まではすぐだった。
二人の目に映ったのは、階段と同じく石造りの床と壁の廊下、
そして壁に備え付けられた蝋燭。
この時には既に二人とも確信していた。
間違いなく、ヤヨイはこの地下に居ると。

そしてここでチハヤが気付いた。
蝋燭で照らされながらも薄暗い石造りの廊下――
その奥の、壁の一部に、一筋の明かりが線を描いている。

チハヤはその明かりに誘われるように、足を踏み出した。
少し近付けばはっきりと見える。
いくつか並ぶ扉の一つが僅かに開き、そこから明かりが漏れているのだ。

チハヤの様子を見て、イオリもすぐにその明かりに気が付いた。
今度はイオリがチハヤのあとへ続いて歩く。
と、ふと前を行くチハヤが足を止めた。
どうかしたのか、とチハヤの表情を窺おうとした、その時。
243 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:36:18.80 ID:2rU60daQo
  「――さあ、こちらへ」

声が聞こえた。
ほんの短い一言であったが、それは確かに人の声だった。
そして当然のことではあろうが、知っている声だった。

チハヤは再び足を進める。
だがそれを、イオリが手を掴んで止めた。
チハヤが振り返ると、緊張した面持ちで真っ直ぐにこちらを見るイオリと目があった。
その視線の意図するところはわかっている。

『あくまで、気づかれないように』。
チハヤは頷き、イオリはそれを確認して手を離した。

そうして二人は更に明かりへ近づき、
その発生源たる部屋へ開かれた僅かな隙間に身を寄せる。
と、イオリが肩を叩いて下側を指差した。
自分が覗けないからしゃがめ、と言っているらしい。
244 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:37:19.59 ID:2rU60daQo
背の低い方がしゃがめば良いんじゃないか、とチハヤは思ったが、
今はそんなやり取りをしている暇はない。
特に表情も変えることなく、チハヤは膝を曲げその場に屈んだ。
そうしてチハヤは下方から、イオリは上方から、同時に部屋の中を覗き込む。
……その瞬間。

チハヤ「――っ!?」

チハヤは目を見開いて息を呑んだ。
扉の向こうに居たのは椅子に座ったリツコと、その横に立つヤヨイだった。
だがチハヤが真に驚いたのはそこではない。
元々ヤヨイを追ってきたのだし、
先ほど聞こえた声から、リツコの存在については察しが付いていた。

チハヤが驚いたのは、リツコの手にあったもの。
ヤヨイよりもリツコよりも大きな存在感を放つ、
その小さな道具……注射器が、チハヤの呼吸を一時止めた。
注射器を満たす液体――薬物であろう緑色のその液体は、
妖しく発光してさえ見える。
その薬物が今まさに、ヤヨイの腕に注射されようとしていた。
245 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:39:30.01 ID:2rU60daQo
次いで、チハヤの視線は注射器からヤヨイへと移った。
普段のにこやかな笑顔は見る影もない。
口は半開きに、目はぼんやりと虚空を見つめ、
誰が見ても明らかに様子がおかしい。
原因があの注射器の中の薬物であることも、疑いようはない。

イオリが起こした反応と思考も、チハヤとまったく変わらない。
そして二人は同時に考えた。

あの薬物は何なんだ。
なぜリツコはあんなものをヤヨイに注射しようとしているのか。
何か理由があるのか。
今すぐこの場で部屋に入って止めた方が良いのでは――
だがその思考は次の瞬間、霧散する。

リツコが、こちらへ目を向けたのだ。
246 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:41:47.03 ID:2rU60daQo
リツコ「……」

注射器を横の器具台に置き、立ち上がる。
そしてゆっくりと扉に近付き、押し開けた。

ヤヨイ「……ティーチャー、リツコ……?」

うわ言のように名を呼ぶヤヨイの声を背中で聞きながらリツコは……
誰も居ない廊下をしばらく見つめた。
そして数秒後、

リツコ「なんでもありません。さあ、続けましょう」

そう言って扉を閉め、リツコは微笑んだ。
椅子に座り、再び注射器を手に取り、ヤヨイの腕にあてがう。
細い針がヤヨイの白くやわらかな皮膚を貫通し、中身はすべて注ぎ込まれる。
そして空になった注射器を置き、リツコは、

リツコ「早ければ明日……でしょうか」

もう一度扉へ目を向け、薄く笑った。
247 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:43:54.15 ID:2rU60daQo



イオリ「――明日、あの部屋を探るわ」

高鳴る動悸のおさまらないままに、イオリは言った。
額に張り付いた髪を風が撫でる。
手のひらや背中にじんわりと滲む汗の理由は、
ここまで走ったからというだけだろうか。
チハヤは遠くに見える旧校舎を注視しながら、額を軽く手で拭う。

チハヤ「それじゃあ、このことはみんなには……」

イオリ「まだ言わないわ。言うとすれば、あの部屋から……何か、出てきた時ね」

『何か』、とイオリが敢えて表現をはぐらかしたのをチハヤは察した。
要するに、リツコの信用を失墜させるような何か、ということだ。
現段階ではあの行為が正当性のある医療行為なのか、
それとも別の何かなのかは分からない。
その判断がつかなかったこともあり思わず逃げてしまったが、
二人の推測はほとんどが後者へ傾いていた。
248 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:47:24.52 ID:2rU60daQo
イオリ「時間は明日の昼休み。地下への階段前で落ち合いましょう。
   二人で行くとバレやすいでしょうし、別々に行くわよ」

チハヤ「もし何かの理由で身動きがとれなかった場合は……」

イオリ「その時はどちらか一人が実行するのよ。当然でしょ。
   あんなの見て放っておけるわけないじゃない……。
   何が何でも真相を突き止めてやるんだから……!」

イオリの頭の中には、
リツコかヤヨイに直接聞くという選択肢は初めから無いようだった。
ヤヨイがこの事実を隠していたこともあるが、
それ以前に、『聞くべきではない』と直感が告げていた。
そしてそれはチハヤも同様であった。
だから、黙って頷いた。

イオリ「……早く寝室に戻りましょう。
   ヤヨイがいつ帰ってくるか分からないわ」

二人は改めて旧校舎へ続く道を一瞥し、
踵を返して足早に自分たちの寝室へと戻っていった。
249 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/16(水) 23:47:51.90 ID:2rU60daQo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分週末くらいに投下します。
250 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:47:22.21 ID:VdXuuI1Qo



並木を歩きながら、灰色の空を見上げる。
舞い散る桜の色も心なしかくすんで見えるのは、この曇り空のせいだろうか。

扉の前で改めてもう一度、チハヤは周囲を確認する。
……大丈夫だ、他の皆は全員中庭に居るはず。
リツコもこちらとは反対側へ歩いていくのを見た。

ひと呼吸おいて、旧校舎への扉を開く。
入口から真っ直ぐに伸びる廊下の先に見えた人影――
腕を組んで立っていたイオリも、チハヤに気付いて顔を上げる。
チハヤは黙って廊下を進み、ある程度近づいたところで、

イオリ「ティーチャーリツコは?」

チハヤ「大丈夫。少なくともしばらくはここへ来る様子はないわ」

イオリ「そう……じゃ、行きましょうか」

手短にやり取りを済ませ、二人は階段を降りる。
そして真っ直ぐに、例の部屋へと向かった。
251 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:47:52.21 ID:VdXuuI1Qo
部屋の前へ立つと、恐る恐るといった様子もなく、
イオリは手早くドアノブを回す。
意外にも鍵はかかっていなかった。
すんなりと開いた扉をくぐり、二人は周囲を見渡す。
隙間から覗いただけの昨日は見えなかった部屋の全体像は、
想像を大きく外すようなものではなかった。

昨晩の風景そのままに鎮座する器具台。
書架に並んだいくつかの書物。
それから、机と椅子。
注射器やその中身の液体は見当たらない。

二人はまず書架へ向かった。
そこに並ぶのは妙に古びた本ばかりだったが、
背表紙を見る限りでは特にこれといって目を引くようなものはない。
ただ、その種別ははっきりと二分されていた。

一つはアイドルに関連する本。
そしてもう一つは、化学に関する本である。

チハヤは適当な本を手に取り、パラパラとめくってみる。
イオリもまた同じように、まずは書架を調べ始めた。
252 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:48:23.06 ID:VdXuuI1Qo
二人とも初めに手に取ったのは、化学の本だった。
やはり昨晩の注射器が強く印象に残っているのであろう。
あの注射器の中身が何なのか、それを掴む手がかりがこの書物の中にあるかも知れない。

が、数冊目を通したところでイオリは歯噛みして手を止めた。
それらの本の内容はどれも専門的過ぎて、
何が書いてあるのかもよく分からなかったのだ。
こんなものをいくら読んだところで、手がかりを掴める気がしない。

チラと隣に目を向けると、チハヤはまだ本を探り続けている。
ここはひとまず、チハヤに任せよう。
この本棚以外に何か無いか……。
と改めて部屋を見回したイオリの目に、ぽつんと置かれた机がとまった。
机上には何も置いていないが、よく見れば引き出しが付いている。
イオリは持っていた本を書架に戻し、机に近づく。
そしてためらいなく開けた引き出しの中を見て、イオリは一瞬心臓が跳ねるのを感じた。

イオリ「チハヤ、ちょっと来て!」

その声色から、チハヤはすぐに状況を察する。
駆け足にイオリの元へ寄り、引き出しを覗いたチハヤは、大きく目を見開いた。
253 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:51:57.26 ID:VdXuuI1Qo



ヒビキ「それで、話って何? もしかしてお別れ会のことか?」

マコト「イオリとヤヨイは居ないけど、大丈夫なの?」

ユキホ「私は、昼間にイオリちゃんに呼ばれたんだけど……」

チハヤ「大丈夫、気にしないで。あなたたちだけに話したいの」

寝室に揃っているのは、イオリとヤヨイを除く学生全員。
チハヤから皆に話があるという珍しい状況に、
不思議そうな表情を浮かべる者、少し緊張した様子の者、反応は様々である。
だが全員、チハヤの顔を見て、何かとても大事な話であることは察しが付いていた。

アズサ「でも、どうして私たちだけに?
    ヤヨイちゃんにはイオリちゃんの方から話してあげるの?」

チハヤ「……いえ、話しません。みんなも、彼女には絶対に秘密にして欲しいんです」

そう言ってチハヤは脇に置かれたカバンから複数枚の紙を取り出し、
声を潜めて話し始めた。
254 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:52:59.21 ID:VdXuuI1Qo
ヒビキ「――ア……『アイドル量産計画』……?」

微かに震えた声でそう言ったヒビキの手にあるのは、先ほどチハヤが取り出した紙。
それこそが、昼間にチハヤとイオリがあの部屋で見つけたものであった。

マコト「な、なんだよこれ……。
   じ、人体実験だって……!? こんなの許されていいはずないよ!」

ユキホ「こ、これ、本当に……ティーチャーリツコが、ヤヨイちゃんに……?」

チハヤ「ええ……間違いないわ。確かにこの目で見たから……」

アズサ「……そんな……」

『アイドル量産計画』。
そう書かれた資料には、初めから終わりまで目を疑うような内容が詰め込まれており、
その中にはチハヤたちが昨晩見た光景を説明するものもあった。
つまりは、計画のための人体実験。
学園の生徒の中から最も能力の低い者を一名選び、
定期的に注射を打ち続けることで効果を見る。
能力の向上と引き換えに重大な副作用が生じることが予測されるが、
データさえ取れれば検体の健康状態は問わない……。
そんな内容だった。
255 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:53:52.42 ID:VdXuuI1Qo
ユキホ「し、信じられないよ、そんなの……。
   ティーチャーリツコが、私たちのことそんな風に思ってただなんて……!」

ユキホの声は震え、目には涙すら浮かんでいる。
他の物の反応も大きく変わらず、
信頼を寄せていたリツコの別の顔を知ったことが大きなショックを与えていることは
チハヤにも十分に理解できた。

ヒビキ「私だって、信じたくないぞ……。でも、嘘じゃないんだよね、チハヤ……」

チハヤ「……ええ、すべて事実。その資料ももちろんだけど、
   昨日見たことも、絶対に見間違いなんかじゃないわ……」

マコト「だ、だったらこんなの放っておけないよ!
   今すぐティーチャーリツコのところに行ってやめさせないと!」

アズサ「いえ……それは多分無理よ、マコトちゃん……。
    これだけじゃあ、簡単に誤魔化されちゃうわ」

マコト「え……どうしてですか! この資料が人体実験の何よりの証拠でしょ!?
   それに何より、チハヤとイオリが見てるんですよ!?」
256 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:55:12.21 ID:VdXuuI1Qo
一歩踏み寄り、マコトはアズサに食ってかかる。
だがそれに対してアズサは目を伏せたまま、静かに答えた。

アズサ「『昔から地下にあったものだから何も知らない』って、
    そんな風に言われちゃったらそれでおしまい……。
    チハヤちゃんたちのことも、『見間違い』だとか『夢を見てたんだろう』とか、
    いくらでも言い訳できると思うの……」

マコト「っ……そんな……」

ヒビキ「じゃ、じゃあどうすればいいんだよ!?
   そんなのもう、実験してるところを直接捕まえるくらいしか……」

と、そこまで言ってヒビキは、何かを思い出したかのように息を呑む。
そして手に持っていた資料を荒々しくめくり始めたかと思えば、
その手がぴたりと止まった。
ヒビキが凝視しているページ、そこに表記されているのは――

チハヤ「そう。次の薬剤投与は、昨日に引き続き今夜行われる。
    あなたの言う通り……今夜、みんなで地下室に行って、直接捕まえましょう」
257 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:55:43.65 ID:VdXuuI1Qo



月の光がおぼろげに、時折切れる雲の隙間から差し込む。
僅かな光は暗い校舎内を照らすには心もとないが、
一方で強烈な光と共に雷鳴が轟く。
稲光は、少女の陰を旧校舎の廊下に映し出した。
入り口付近に立つのは六人の少女。
その面持ちは、不穏な空模様に関係なく重苦しい緊張感を纏っていた。

チハヤが皆に『話』をして少し経った後、ヤヨイはイオリと共に浴場から戻ってきて、
それから長い時を待たず、やはり電池の切れた人形のようにぱったりと眠りに落ちた。
そしてチハヤたちが推察した通り、
昨晩に引き続いて、夜中に起きて外へ出た。

昨晩と同じように、ぼんやりとした表情で歩くヤヨイを
今度は全員で尾行した結果、行き着いた先も、昨日と同じであった。
258 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:56:42.73 ID:VdXuuI1Qo
先頭に立つイオリが振り向き、それを合図に皆、足を踏み出した。
慎重に、しかし迅速に、地下への階段へと向かっていく。

階段を下りながら皆は自然と手に力が入る。
そのうち何人かの手には、短めのバトンのようなもの――
能力補助装置が握られていた。

万一リツコが抵抗した場合は能力の使用すら有り得る。
その時に適切に過不足なく能力を扱うため。
そう考え、装置を握り締めているのだ。
リツコから贈られた物を、リツコと対峙するために持ち出すことになろうとは、
当時の誰もが予想などし得なかっただろう。

階段を下りきるまで、長い時間は要さなかった。
下りた先の廊下は昨夜と同じく、壁に並んだ蝋燭に薄明るく照らされている。
そして廊下の奥へ目をやったその時、皆は一瞬体がこわばるのを感じた。

だがイオリとチハヤの体がこわばった理由は、
他の者たちのそれとは似ているようで少し違った。
259 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:57:12.36 ID:VdXuuI1Qo
例の部屋の扉が、完全に開いている。
その『昨晩との違い』が、二人の心を俄かにざわつかせた。
頭によぎった予感めいたものに急かされるように、
イオリは足を速めて開かれた扉へ向かって進む。
ここからではまだ部屋の様子は見えない。
だが近付くにつれてイオリの覚える違和感は強くなっていった。

そして彼女とチハヤの予感は的中した。
部屋にはリツコの姿もヤヨイの姿もない。
注射器も薬剤もなく、
昼間に入った時の様子そのままに、無人の部屋がそこにあった。

だが、昼間は消えていたはずの明かりが灯っている。
閉めたはずの扉が開いている。
それは他ならぬ、誰かが少し前までここに居たことの証である。
260 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:59:24.47 ID:VdXuuI1Qo
ヒビキ「ま、まさか逃げられちゃったのか……?」

イオリ「だとしても、ヤヨイは少し前に旧校舎に入ったばかりよ。
    まだきっと校舎の中……少なくともそう遠くには行ってないはずだわ」

マコト「手分けして探そうよ!
   もしかしたら上の階に居るのかも知れない……ボク、見てくるよ!」

ユキホ「! ま、待ってマコトちゃん、私も……!」

アズサ「私も行くわ……。あまり離れすぎないように気を付けて。
    ティーチャーリツコとヤヨイちゃんを見つけたら、
    すぐに大きな声でお互いを呼びましょう」

そうして少女たちは三人ずつに別れ、地下と上階を探すことにした。
できれば全員で固まって動きたかったが、
想定していた場所にリツコたちが居ないとなるとやむを得ない。
今はまず現場を押さえることが最優先だ。

イオリ「……私たちも、急ぎましょう。
   可能性としては地下のどこかに隠れてる方が高いと思うから、気を付けて」
261 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 20:59:59.09 ID:VdXuuI1Qo
地下に残ったのは、イオリ、チハヤ、ヒビキの三人。
それぞれつかず離れずの距離で、隣接する部屋を一人ずつ、効率的に探っていった。
だが廊下を奥へ進み始めてすぐに、またも想定外のことに気が付いた。

地下に広がる空間が、思っていたよりもずっと広いのだ。
地上の校舎が占める面積を大幅に越えて、この地下空間は広がっている。
まるでこの地下こそが旧校舎の本体で、地上の建物は付属品であるかのような……
異様に多い部屋を探りながら、イオリたちはそんな感覚を覚えていた。

それからしばらく、少女たちは数々の部屋に出ては入り、入りは出てを繰り返した。
いくつ目かもわからない部屋の扉を開き、イオリは歯噛みする。
ここにもリツコたちの姿はない。
こんなことをしている間に、ヤヨイはまたリツコに注射を打たれているかも知れない……。
いや、きっともう打たれている。
もしかしたらもう逃げられてしまったのではないか。
上階の様子はどうなっているのだろう。
自分は今、無駄なことをしているのでは――

イオリの焦燥が限界を迎え始めた、その時だった。
262 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 21:01:28.89 ID:VdXuuI1Qo
  「あの子を助けに来たのね」

背後、部屋の出口から聞こえた声に、イオリは雷に打たれたように振り返る。
そこには二つの影があった。
同じ背丈、同じ体格、同じ顔の二人の少女が、そこに立っていた。

イオリ「だ……誰、あなたたち……!」

跳ねる鼓動を抑え、イオリは辛うじて当然の疑問を口にする。
だが二人の少女はそれに答えることなく、
すっと手を横方向に掲げ、揃って部屋の外を指さして言った。

  「あの子は向こうにいるわ」

  「この廊下の一番奥」

  「ずっと、誰かが来てくれるのを待ってる可哀想な子」

  「ずっと、ずっと、待ってる。可哀想な子」

そう言い残し、少女たちは部屋の外へ姿を消した。
イオリは一瞬の間を開け、ふと我に返ったようにそのあとを追ったが、
廊下には既に人影はなかった。
と、イオリは何かを踏み付けた感覚に、目線を足元へやり、同時に大きく目を見開く。
鍵が――この旧校舎で見つけた、鎖で縛られていたあの鍵が、そこにあった。
263 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/21(月) 21:02:03.53 ID:VdXuuI1Qo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分三日後くらいに投下します。
264 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/25(金) 22:49:48.18 ID:ao5/QTwco
気付けばイオリは、鍵を持って駆け出していた。
廊下の奥へ、奥へ、早る動悸に駆り立てられるように。
そしてついに最奥へとたどり着く。

そこには明らかに異質……一際厳重な錠のかけられた扉があった。
その扉を前に、イオリの鼓動は更に高鳴る。
二人の人影は、『あの子』がここに居ると言っていた。
つまり、ヤヨイがここに閉じ込められているとでも言うつもりなのか。

この動悸は、乱れる呼吸は、走ったせいだろうか。
緊張しているのだとすれば……一体何に?

イオリは恐る恐る、鍵を錠の穴にあてがう。
飲み込まれるように抵抗なく奥まで入った。
そして、ガチャリと音を立てて錠は解放され、
イオリが手をかけるよりも先に、
不吉な音を立ててひとりでに扉が左右に開かれた。
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