【アイマス】眠り姫 THE SLEEPING BE@UTY

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118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:28:34.88 ID:D4gNVkoho
先頭のヒビキの後ろから他の者も中を覗き込む。
そこから見える廊下は、入口と窓から差し込む陽光により明るく照らされ、
古びた雰囲気はあるものの陰鬱さなどは感じさせない。
壁や床、天井にも破損などは見られず、
想像していたよりも危険な場所ではなさそうだ、
というのが大半の者の抱いた感想であった。

そしてその感想に素直に従い、ヒビキは物怖じすることなくスッと中に数歩踏み入った。
僅かに床板の軋む音がしたが、やはり問題はないようだ。

ヒビキ「うん、しっかりしてるぞ。どこも崩れそうな感じもないし」

アズサ「まぁ〜。だったら安心ね、良かったわ〜」

ヤヨイ「もし床がボロボロだったら、ずっと飛んでなきゃいけなかったんですよね?
    そこまではしなくても良さそうかも!」

イオリ「でも一応気を付けるのよ? 危なそうなところはちゃんと飛んで移動しましょう」
119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:34:00.82 ID:D4gNVkoho
しばらく廊下を進んでいくと、ふと壁が途切れる空間があった。
少し近付けば、その空間の正体が
上階と地下へ続く階段であることがすぐにわかった。
普段使っている校舎とは違う石造りの螺旋階段は、
彼女たちの目には素晴らしく新鮮なものに映った。

マコト「地下はダメなんだよね? よーし、じゃあ上の階から行ってみよう!」

ユキホ「あっ、ま、待ってマコトちゃ〜ん!」

非日常感の溢れるこの空間に冒険心をくすぐられたのだろう、
マコトが先陣を切って上階にのぼっていき、
そのあとを慌ててユキホが付いていく。
階段は地下へも続いていたが、リツコに立ち入りを禁じられていることもあり、
もはやマコトの頭は上階への興味でいっぱいのようだった。
ただそれは、他の大半の者についても同様だったらしい。

ヒビキ「マコト、テンション上がってるなぁ〜。まあ私も気持ちはわかるけど!
   ほらみんなも行こうよ! 置いてっちゃうぞ!」

イオリ「まったく、子供なんだから……」

ヤヨイ「えへへっ、でも私もちょっとわくわくしてるかも!」

ヒビキやヤヨイだけではない、呆れたようにため息をつくイオリも、
その表情は興味深さに緩んでいる。
120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:37:09.25 ID:D4gNVkoho
アズサ「うふふっ……。さ、私たちも行きましょう、チハヤちゃん」

振り向いて言うアズサに、はい、と短く返事をして、
チハヤもアズサとともに上階へ続く階段へ向かう。
と、一段目を踏む前にチハヤの足が止まった。

チハヤ「……」

その視線は上階ではなく、地下の方へ向いていた。
それは音であったか、それとも気配のようなものであったか。
あるいはもっと漠然とした予感めいたものか……。
はっきりとは分からないが、正体の分からない『何か』が、チハヤの足を止めた。
しかし、

アズサ「あらあら、ダメよ〜チハヤちゃん。
    ティーチャーリツコも仰ってた通り、地下は危ないわ〜」

チハヤ「……そうですね、すみません」

あまりに曖昧なそれを『気のせい』だと断ずるのに、
時間も躊躇も特に必要とはしなかった。
121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:41:28.57 ID:D4gNVkoho



イオリ「流石にちょっと埃っぽいわね……。病気になったりしないかしら」

ヒビキ「あははっ、イオリってばこのくらいで病気になるくらいひ弱なのか?」

イオリ「う……うるさいわね、ものの喩えよ」

マコト「でもやっぱり、どれも年季が入ってる本ばっかりだね。
   難しそうな本もいっぱいあるし、確かに勉強になりそうな感じはするよ」

ヤヨイ「念動力の本もたくさんありますね! どれを読むか迷っちゃうかも!」

イオリ「ヤヨイはまずはお目当ての本を探しなさい。他の本はそれからでいいでしょ」

ヤヨイ「えへへっ、はーい!」

元気に手を挙げて返事をし、ヤヨイは別の書架の方へと歩いて行った。
イオリは腰に手を当ててその背中へと穏やかな笑みを向けていたが、
そんなイオリの背後からふいに声がかけられた。
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:45:35.20 ID:D4gNVkoho
チハヤ「あの、少しいいかしら」

イオリ「! チハヤ、どうかしたの?」

チハヤ「そろそろ新校舎へ戻るわ。一応、言った方がいいと思って」

イオリ「あら、もういいの? まだ来たばっかりじゃない」

チハヤ「大丈夫。読みたい本は見つけられたから」

そう言ったチハヤの手には、確かに本が数冊見られた。
いつの間に、とイオリは思ったが、
本人が目的を達成したというのなら敢えて引き止める理由もない。

イオリ「そう、わかったわ。それじゃあまた後でね。アズサも一緒に戻るの?」

チハヤ「え?」

イオリの言葉と目線に、チハヤは意表を突かれたような様子で振り向く。
するとそこには言葉通り、アズサが立っていた。
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:48:43.68 ID:D4gNVkoho
アズサ「そうね、私も一足先に戻ってるわ。
    チハヤちゃんと一緒に待ってるわね〜。他のみんなにもそう伝えておいてね」

イオリ「ええ。じゃあアズサも、また後で」

アズサ「また後で〜。それじゃあチハヤちゃん、戻りましょうか」

チハヤ「あ、はい……」

イオリに向けてにこやかに手を振った後、
アズサはチハヤの隣に並んで歩き始めた。
対するチハヤはと言うと、少し戸惑うような表情を浮かべる。
と、去って行く二人の様子を眺めるイオリの横の書架から
マコトがひょいと顔を覗かせた。

マコト「あれっ? チハヤとアズサさん、帰っちゃったの?」

イオリ「ええ、もう用事は済んだからって」
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:51:58.35 ID:D4gNVkoho
マコト「そっか。それにしても、あの二人仲いいよね!
   結構いつも一緒に居る気がするよ」

イオリ「っていうか、アズサがチハヤのことを気に入ってるみたいだけど」

マコト「あはは、そうかもね。でもそれはイオリも一緒でしょ?」

イオリ「は……?」

マコト「だって、時々チハヤのこと遠くから見てるじゃないか。
   ライバル心だってボク達の時以上みたいだし」

イオリ「な、なんでそれがチハヤを気に入ってることになるのよ!
   転校生に負けたくないって思うのは当然でしょ!」

ヒビキ「なになに、何の話?」

ヤヨイ「どうかしたんですかー?」
125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 21:57:03.71 ID:D4gNVkoho
イオリ「な、なんでもないわよ!
   それよりこの部屋はもういいわよね! 次の部屋に行きましょう!」

騒ぎを聞きつけてヒビキとヤヨイが集まってきたのを見て、
イオリは強引に話を切り替えて逃げるように部屋を出て行った。
ヒビキ達は不思議そうな表情を浮かべつつもそのあとを付いていく。
残されたマコトは苦笑いを浮かべた後、後ろを振り返り、
いくつか並ぶ書架の向こう側に居るであろうユキホに声をかけた。

マコト「おーいユキホー。次の部屋に行くよー」

……だが、返事がない。
マコトは首を傾げ、

マコト「ユキホってばー。おーい」

もう一度呼んでみたが、やはり何も返っては来ない。
怪訝な表情を浮かべ、マコトは部屋の奥へと向かいながら、
また何度かユキホの名を呼ぶ。
しかし、部屋の隅まで歩いてみたが、ユキホの姿はどこにもなかった。
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:01:45.78 ID:D4gNVkoho
マコト「ま……待って、みんな!」

その声に、次の部屋に入ろうとしていた一同は足を止める。
慌てた様子のマコトに、イオリはドアノブにかけていた手を離して振り返った。

イオリ「何よマコト、そんなに慌てて」

マコト「ユキホが居ないんだ。誰か、どこに行ったか知らない?」

ヒビキ「? いや、知らないけど……。先に別の部屋に行っちゃったんじゃないか?」

ヤヨイ「でも、ちょっと珍しいですね。
   ユキホさんが何も言わずにマコトさんの近くから居なくなるなんて」

マコト「珍しいどころか、こんなの多分初めてだよ……。
   あ……も、もしかして、何かあったのかも知れない!」

ヤヨイ「えっ? 何かって……」

マコト「ティーチャーリツコが言ってたみたいに壁や天井が崩れたり、床が抜け落ちたり……
   それで怪我をして動けなくなってるのかも……!」

ヒビキ「ええっ!? そ、そんなまさか……」
127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:05:46.15 ID:D4gNVkoho
イオリ「もしそうだとしたらそれなりの音がしてるはずだと思うけど……
   でも、無いとも言い切れないわね」

ヤヨイ「た、大変です! 早く助けなきゃ!」

ヒビキ「そ、そっか、そうだよね……。
   よし、手分けしてユキホを探そう。私は一階に行ってみるよ」

マコト「じゃあボクもそっちに行こう! イオリとヤヨイは上から探してみてくれ!」

イオリ「わかったわ。行くわよ、ヤヨイ」

ヤヨイ「う、うん!」

そうして四人は二手に別れてユキホの搜索に向かった。
居なくなったのが他の誰かであれば、彼女たちもここまですることはなかっただろう。

だが、ユキホが何も告げずにマコトの傍を離れたことなど、少なくとも記憶にはない。
離れたとしても互いに存在を確認できる距離まで。
ここ数年、常にマコトの隣に居て、
用事があって離れる時には必ず一言告げる、それがユキホという少女であった。
そのユキホがいつの間にか居なくなっていたということは、
マコトにとってはある種、異常事態であった。
128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:10:26.36 ID:D4gNVkoho
きっと何かあったに違いない、事故だろうか、事件だろうか、それとも他の――
階段を駆け下りるマコトの頭でどんどん不安が大きくなっていく。
……が、その不安はそれ以上大きくなることはなかった。

マコト「! ユキホ!」

一階に降りて廊下へ目をやった瞬間に、マコトは叫んだ。
後続していたヒビキもそれを確認する。
確かにユキホが居た。
廊下を少し進んだところ、扉の前に佇んでいる。

ヒビキ「なんだ、やっぱり一階に居たのか……。
   おーい、イオリ、ヤヨイー! ユキホ、こっちに居たぞー!」

階段を振り返り、上階へ向けて叫ぶヒビキ。
マコトはそんなヒビキを尻目に、
扉に向いて立ったままのユキホに声をかけた。

マコト「良かった……心配したんだよユキホ。急に居なくなっちゃって、何かあったの?」

ユキホ「……あ、マコトちゃん? どうしたの、そんなに慌てて」

マコト「え? ど、どうしたのじゃないよ!
   いつの間にかユキホが居なくなったから、心配して探しに来たんじゃないか!」
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:14:15.33 ID:D4gNVkoho
ユキホ「あ……そ、そっか、そうだよね。ごめんね、何も言わずに……。
   あれっ? でもなんで、私こんなところに……」

ヤヨイ「ユキホさん! 怪我はないですか!」

ユキホ「ヤヨイちゃん……。うん、大丈夫だよ」

イオリ「何よ、あっさり見つかったじゃない。心配して損したわ」

ユキホ「えへへ……ごめんねイオリちゃん。心配してくれてありがとう」

イオリ「べ……別にお礼なんていらないわよ」

素直に礼を言われて面映さを感じたか、ぷいと顔を逸らすイオリ。
だがすぐに表情を改め、ユキホの顔に指を突きつける。

イオリ「いい? もう勝手に居なくなるんじゃないわよ。
   万が一のことがあったら、
   またティーチャーリツコに立ち入り禁止にされちゃうかも知れないんだから」

ユキホ「う……そ、そっか、そうだよね。ごめんなさいぃ……」
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:21:45.79 ID:D4gNVkoho
叱られてしゅんと落ち込むユキホを見て、
イオリは両手を腰に当て軽く息を吐いた後、表情を和らげた。

イオリ「ま、分かればいいわ。次から気を付けなさい。
   それより続きを始めましょう」

そこで言葉を区切り、イオリはすぐ横の扉に目を向ける。

イオリ「ユキホ、あなたはこの部屋を探してたの? 中に本はあった?」

ユキホ「えっ? えっと……どうだったかな……」

マコト「……? 今から入ろうとしてたところじゃないの?
   ボクたちが来たとき、ドアをじっと見てたよね?」

ユキホ「あ、えっと、うん、そうだよ。私もまだ中には入ってないの」

イオリ「そう。だったら入ってみましょうか」
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:23:25.78 ID:D4gNVkoho
言いながらイオリはドアノブに手をかける。
それまでの部屋と同じく鍵はかかっておらず、微かに軋む音がして扉は開いた。
五人は部屋の中に足を踏み入れてきょろきょろと見回し、

ヒビキ「……物置か何か、かな?」

ヤヨイ「うーん……本はなさそうですね」

彼女らの言う通り、そこには本らしきものは見当たらず、
棚にはよく分からない壺や箱などが置かれていた。
それからいくつかの箱を開けてみたが、
空だったり、古びた食器が入ったりしていて、
やはり目当てのアイドルの勉強になるような本は見当たらない。

イオリ「やっぱりただの物置ね。次に行きましょう」

そう言って踵を返して出口へ向かったイオリだったが、
その時不意に、ユキホが声をあげた。

ユキホ「あ……待って、イオリちゃん」

イオリ「? 何、どうかした?」
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:26:12.41 ID:D4gNVkoho
ユキホ「あれ……」

そう言ってユキホは、振り向いたイオリの後方を指差す。
イオリがそちらに目を向けると、
棚の上、手の届かないところに、木箱がぽつんと置かれてあった。

マコト「どうしたのユキホ、イオリ……って、箱?」

ヒビキ「ん〜……? なんでアレ、あんなとこに一つだけあるんだ?」

ユキホとイオリの視線を追って、マコトたちもその箱の存在に気が付く。
そして皆、箱の中身が気になっているようだ。
もしこれが他の物と同じ場所に並んでいたなら無視していたかもしれない。
だがこうして一つだけ離れて手の届かぬところに置かれ、
一度注目してしまうと、どうしても中身が気になってしまう。

イオリ「ま、どうせ大したものは入ってないでしょうけど……」

保険を掛けるように言って、イオリは箱に指を向ける。
すると箱はふわりと浮き上がり、足元まで静かに移動した。
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:29:23.43 ID:D4gNVkoho
イオリは蓋に指をかけ、あとの四人も中身を見ようと後ろから覗き込む。
そうして蓋が取り払われた先に現れたのは、少女らの予測を外すものだった。

イオリ「……鍵?」

マコト「それになんだろう、この紙……」

ヒビキ「っていうか、なんでこんなに鎖で縛られてるんだ?」

ヤヨイ「きっとすごく大切な鍵なんですよ! もしかして、宝箱の鍵だったりするのかも!」

ユキホ「じゃあ、この紙に書かれてるのは何かの暗号……?」

彼女らの目に真っ先に映ったのは、
少女を象ったような可愛らしい装飾の目立つ鍵。
だがどういうわけかその鍵は、鎖で幾重にも縛られている。
赤い布で覆われた分厚い板が箱の底面に敷かれ、
鍵はその板に鎖で縛り付けられているようだった。
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:32:02.48 ID:D4gNVkoho
またその鍵と共にあった紙片も目を引いた。
三角形と四角形を組み合わせたような見たことのない記号の描かれたその紙片は、
ところどころ焦げたように茶色に変色している。

イオリ「この記号、誰か見たことある?」

イオリは紙片を摘み、すぐ後ろに居たマコトに手渡す。
マコトは首を傾げ、他の者の反応も似たようなものだった。
次いでイオリは鍵だけ鎖から外そうとしてみたが、
かなり厳重に縛り付けられているようで、
結局鎖の巻かれた板ごと箱から取り出した。

イオリ「ん、結構重いわね……。どこかから解けないかしら」

言いながら鎖をいじるイオリであったが、
そうするうちに、金属の擦れ合う音と共に鎖の戒めは解けた。
同時に鍵が床に落ち、イオリは屈んでそれを拾う。
とその時、ヤヨイが小さく声を上げた。

ヤヨイ「あれっ? イオリちゃん、それってもしかして、本……?」

イオリ「え?」
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:34:58.77 ID:D4gNVkoho
ヤヨイが指さしたのは、鍵が縛り付けられていた分厚い板。
それを包んでいた赤い布が鎖の戒めが解けたことでめくれ、
隠れていた部分が一部露出している。
鍵を片手にイオリが布をすべて取り払うと、
分厚い板だと思っていたものはヤヨイの言う通り、本であった。

ヒビキ「『眠り姫』……。小説か何かかな?」

表紙に印字してあったタイトルと思しき文字を読み上げるヒビキ。
そしてイオリの手から本を受け取ってぱらぱらとめくって目を通し、

ヒビキ「うん……よくあるおとぎ話って感じだ。
   でもなんでこの本と鍵が一緒に縛られてたんだろう?」

そう言って不思議そうに首を傾げる。
次いでマコトが、ちょっと貸して、とヒビキの手から本を受け取り、
隣のユキホと共に中に目を通す。
そんなマコトたちを尻目に、
イオリとヒビキとヤヨイは今度は鍵を注視した。
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:39:04.49 ID:D4gNVkoho
イオリ「どう考えたって普通の鍵じゃないわよね。
   鎖で縛られてる鍵なんて聞いたことないもの」

ヤヨイ「だよね? やっぱり、すっごく大事な鍵じゃないかなーって」

ヒビキ「でも大事っていうんならなんでこんなところに置きっぱなしになってるんだ?
   それにさっきの縛られ方、大事なものって言うより、
   『危ないもの』って感じがするような……」

イオリ「危ないって、鍵がどう危ないって言うのよ」

ヤヨイ「うーん……爆弾が置いてある部屋の鍵とか……?」

イオリ「それこそ大事なものじゃない?
   だったら逆にしっかり管理しておきそうなものだけど」

などと色々推測で話をするイオリたち。
だがその時、

マコト「もしかして、『眠り姫』が居る部屋の鍵……ってことじゃないかな」

本を見ていたマコトが、呟くように言った。
137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/26(水) 22:39:32.56 ID:D4gNVkoho
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分金曜の夜くらいに投下します。
138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:39:32.27 ID:xeQ6kF5Xo



桜の木の下で、チハヤは分厚い本にじっと目を落とす。
最後のページを眺めながら、昨日の――
皆で旧校舎に行ったあとの出来事を回想していた。

アズサと共に一足先に戻ってからは、
特に何もなく二人でただ読書をして皆の帰りを待った。
それから帰ってきたイオリたちに渡されたのが、この分厚い本だ。
話によるとこの本は何かの鍵と共に鎖で縛られていたらしく、
その理由が彼女らは気になっているようだった。

そしてなぜその本が今チハヤの手にあるのかと言えば、
ヒビキの言い出した「よく読書をしているから」という理由により、謎の解明を一任されたのだ。
どうもその場に居た皆はまったくのお手上げだったようで、
普段なら呆れ顔の一つでも浮かべるであろうイオリでさえ、
妥当性のないヒビキの提案に賛成して本をチハヤに託したのであった。
あるいは、イオリにとってはさほど重要なことではなかっただけかも知れない。

そんな、昨日の出来事を振り返り、
チハヤは本に向けてため息を吐くのだった。
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:43:47.21 ID:xeQ6kF5Xo
と、チハヤの背後からいつものように唐突に声が聞こえる。

ハルカ「『それは、開けてはいけない秘密の扉 起こすと怖い――眠り姫』……」

開いていたページの最後の一節を読み上げたその声。
振り向くと、ハルカが膝に両手をついて本を覗き込むようにして見ていた。
その後チハヤが何か反応を返す前に、やはりいつも通り隣に腰を下ろす。
そしてチハヤの腿のすぐ横に片手を付いて身を乗り出し、
もう片方の手で髪をかきあげながら再び本を覗き込んだ。

ハルカ「なんだか怖いね。どうしたの、この本」

チハヤ「……昨日、旧校舎から見つけてきた子が居て。少し貸してもらってるの」

ハルカ「へー。意外だね、チハヤちゃんこういうのも好きなんだ」

本を覗き込む姿勢そのままから顔だけ傾け、ハルカは上目遣いにチハヤを見て言った。
思わぬ近距離からの視線にチハヤは思わず目を逸らす。
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:45:48.45 ID:xeQ6kF5Xo
チハヤ「いえ、そういうわけでは、ないのだけれど……」

そうしてチハヤはことの経緯を話し始めた。
鎖の話や鍵の話を、すべて。
ハルカもきちんと座り直してチハヤの話を聞いた。

チハヤ「……本当に、おかしな話よね。
    『たくさん本を読んでるから』なんて理由で、分かるはずはないのに……」

謎に満ちた話はきっとハルカの興味をくすぐるだろう。
おかしな理由から自分に本を預けた皆を、
ハルカは微笑ましく思って笑顔を浮かべるだろう。
そう思い、チハヤは話し終えると同時にハルカに目を向けた。
だがそこにあったのは、
眉をひそめて視線を落とす、それまで見たことのないハルカの横顔だった。

チハヤ「……ハルカ?」

ハルカ「ねえ、チハヤちゃん。その本、もう読んでみた? どんなお話だったの?」

チハヤ「? えっと、主人公は私たちくらいの女の子で――」
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:49:42.39 ID:xeQ6kF5Xo
チハヤの語り始めた物語のあらすじを、ハルカは真剣な表情で聞く。
それからチハヤはハルカの様子に少しだけ戸惑いながらも話し続け、

チハヤ「――それで、ここでおしまい。『起こすと怖い 眠り姫』。
    中途半端な終わり方に思えるけれど、落丁なんかではなさそうね」

ハルカ「そっか……ここで、おしまいなんだね」

チハヤ「でもハルカ、どうして急にあらすじを教えてだなんて……。
    もしかして、何か分かったの?」

ハルカ「……ううん、何も! 頑張って考えてみたけど、
    やっぱり全然わからないね……えへへ」

そう言って笑い、頭をかくハルカ。
その顔は、チハヤの知る彼女の表情に戻っていた。
先ほどまでの固い表情は、この本と鍵について考えていたのが理由だったらしい。
そう納得したチハヤは安堵したように浅く息を吐いた。

チハヤ「鍵は、物語に出てくる『眠り姫』が眠っている部屋の扉の鍵。
    鎖で縛られていたのは、誰も眠り姫を起こしてしまわないように……。
    そういうことじゃないかって、みんなは言っていたわ」
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:52:07.81 ID:xeQ6kF5Xo
チハヤ「でも流石にそれは非現実的すぎるわよね……。
    まあ、みんなも本気で信じているわけではなさそうだったけれど」

ハルカ「だよね。『眠り姫』はただのお話だもんね」

チハヤ「けれど、もしかしたらこの物語は何かの暗喩なのかも知れないわ。
    実際の出来事をこんな風に物語として表現しているという可能性も……」

と、チハヤの言葉を遠くの鐘の音が遮った。
休み時間の終わりを告げる鐘だ。
チハヤは本を片手に立ち上がり、少し遅れてハルカも腰を上げた。

チハヤ「もう行くわね。ごめんなさい、よく分からない話をしてしまって」

ハルカ「ううん。じゃあまたね、チハヤちゃん」

優しい笑顔で手を振るハルカに、
チハヤも小さく手を振り返して桜のもとを去った。
ハルカはその背が見えなくなるまで見送った後、振り返って桜を見上げる。
数歩歩き、幹にそっと手を触れた。
そして額を寄せ、

ハルカ「……そう、だよね。ごめん……ごめんね。でも――」

呟いたハルカの言葉は、風に揺れる枝葉の音にかき消された。
同時に桜吹雪が舞い、風が収まった頃には、
彼女の姿も一本桜のもとから消えていた。
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:53:32.74 ID:xeQ6kF5Xo



――始まりは、いつからだったのだろう。
イオリたちが鍵を見つけた時?
学園からアイドルが選ばれると発表された時?
チハヤが学園に転校してきた時?
それとも、もっと以前から……?

アイドルを目指し、互いに競い合いながらも仲睦まじく、
切磋琢磨してきた少女たち。
そんな彼女らを、厳しさと愛情を持って指導し見守ってきた教師。

長い者には十年以上にもなる、学園での日常。
その日常がある者にとっては急激に、
ある者にとっては緩やかに、
しかし確実に、変わり始めていた。
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:54:50.31 ID:xeQ6kF5Xo
マコト「――キホ。ねえ、ユキホ」

名前を呼ばれるも、席に座り正面を見つめたままで一切の反応を返さない。
虚ろな瞳はぼんやりと前方の風景を反射し続けるのみ。

マコト「ユキホ、ユキホってば!」

ユキホ「……? あっ、マコトちゃん。どうしたの?」

肩を揺さぶられ、ようやくユキホの瞳に光が戻った。
きょとんとした顔で既に立ち上がっているマコトを見上げる。
そんなユキホを見て、マコトは腰に拳をあてて呆れたように言った。

マコト「『どうしたの?』じゃないよ! さっきから何回も呼んでるじゃないか」

ユキホ「え? ほ、本当?
    あっ、もう次の授業に行かなきゃいけないんだよね! すぐ準備するから!」

ユキホは慌てて机の上にあった荷物を片付けて立ち上がる。
準備が整ったのを見てマコトは浅く息を吐き、歩き出した。
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:56:20.98 ID:xeQ6kF5Xo
マコト「なんか、最近こういうの多くない? 夜はちゃんと眠れてる?」

ユキホ「えっ? うん、眠れてると思うけど……どうして?」

マコト「いや、どうしてって……。体調は? 見た感じだと、熱はなさそうだけど」

と、マコトは立ち止まってユキホの前髪をかきあげて額に手を当てる。
一瞬意表をつかれたように目を見開いたユキホだが、
すぐに照れくさそうに笑って、

ユキホ「えへへっ……やだなぁ、マコトちゃんどうしたの?
    私は別に、なんともないよ?」

触れた感覚でも高熱は感じられなかったのだろう、
マコトはユキホの額から手を離し、前髪を軽く整えてから言った。

マコト「いや……なんだか最近のユキホ、ぼーっとすることが多いと思って」

ユキホ「? そうかなぁ?」

マコト「……ううん、なんともないんならいいんだ。さ、行こう」

首をかしげるユキホを尻目にマコトは笑顔で話を切り上げ、
正面を向いて再び歩き始めた。
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:58:32.05 ID:xeQ6kF5Xo
さて、この話題が終わったのならいつもの他愛ない話をしよう。
そう言えば今朝のスープは随分熱くて、
火傷しかけた舌を冷ますように口から出していたユキホが面白かったな……
などと考え、思い出し笑いをこらえながらマコトは口を開こうとした。
だがその直前。

ユキホ「マコトちゃん」

先にユキホが口を開いた。
目を向けると、ユキホはマコトとは反対側へ顔を向け、
どこか遠くの方を見ているようだった。

ユキホ「私たちの中から、アイドルが選ばれるんだよね」

マコト「? うん、そうだね。あれからもう何日か経ったし、
   早ければそろそろ決まったりもするんじゃないかな?」

このことについて何か不安や気になることでもあるのだろうか。
変わらずユキホは向こう側を向いたままで、その表情はよく見えない。
マコトはユキホの言葉を待った。
と、数秒の沈黙を経て、ユキホは呟くように言った。

ユキホ「『お姉さま』も、一緒に居られれば良かったのにね」
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/28(金) 23:59:32.03 ID:xeQ6kF5Xo
マコト「ああ……うん、そうだね。でも仕方ないよ」

ユキホ「どうしてお姉さまは、転校なんてしちゃったんだろう?
    私、お姉さまのこと大好きだったのにな」

マコト「ユキホ……。どうしたの、急に」

ユキホ「……」

ユキホは答えない。
やはりその表情は見えず、妙な沈黙が二人を包む。
しかしマコトが改めて呼びかけようとしたのと同時、

ユキホ「そう言えばマコトちゃん、
    この前ティーチャーリツコにお願いしてたお茶っ葉、明日届くみたいなの!」

マコト「えっ?」

勢いよくマコトの方を向いたユキホの口から出た言葉は、
まったく脈絡のない話題だった。
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/29(土) 00:01:30.80 ID:AyY0ZKlGo
ユキホ「届いたらマコトちゃんに一番に淹れてあげるね! えへへ、楽しみだなぁ」

マコト「あ、うん、ありがとう……?」

ユキホ「? マコトちゃん、どうかしたの? もしかして、あんまり嬉しくない……?」

マコト「え? い、いやそんなことないよ!
   そっか、もう届くんだね。飲めるの楽しみにしてるよ、ありがとうユキホ!」

慌てて取り繕ったマコトだったが、ユキホは嬉しそうに頬を赤らめて笑った。
その顔は、何もおかしなところはないいつものユキホであった。
だが、その直前のユキホの様子は明らかに何かがおかしく、
笑顔で受け答えするマコトの心の隅に、疑問は残り続けた。

ここしばらく、『彼女』の話題は出していなかったはずだ。
なのになぜ今になって突然ユキホは、あの人の話をし始めたのだろう。
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/29(土) 00:02:31.12 ID:AyY0ZKlGo
――月明かりがカーテンの隙間から差し込み、
ずらりと並ぶベッドの一部と床を僅かに照らす。
聞こえるのは寝息と、秒針が時を刻む音だけ。
そんな中に、衣擦れの音と微かにベッドが軋む音が割り込んだ。

寝返りではない。
次いで足音が聞こえる。
誰かがベッドから降りたのだ。

それはユキホだった。
素足のままペタペタと床を歩き、寝室の扉へと手をかけ、出て行った。

一部始終を、マコトは聞いていた。
ユキホに背を向けたまま薄く開かれていた瞳に映るものは何であろうか。
奥底でじわりと疼き始めた不穏な感情をしまい込むように、
マコトは静かに瞳を閉じた。
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/29(土) 00:04:04.60 ID:AyY0ZKlGo



アミ「――それで、どうなったの?」

  「旧校舎のその桜の下には女の子が眠っていて、
  何年も何年も、そこの扉が開くのを待っているのです。何年も、何年も……」

マミ「可哀想……」

大きなベッドの上で、
今日も双子は銀髪の少女の両腕に抱きついて読み聞かせを聞いている。

アミ「誰も女の子を起こしてあげないの?」

アミはそう言って顔を上げ、
マミもまた同じように銀髪の少女の目を悲しげに見つめる。
そんな双子に少女は微笑み、本を閉じて頭をそっと抱き寄せた。
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/29(土) 00:05:19.01 ID:AyY0ZKlGo
   「アミとマミはとても優しい子ですね」

一言そう言って、少女は体を起こす。
そして二人の頭を二、三度撫でた。

   「本日はここまでにしましょう。続きはまた明日」

ベッドから降りる少女を、アミとマミは座ったまま目で追う。
少女の両足が床につき扉の前に立つ頃には既に、着替えは完了していた。
彼女のまとっている服は、学園の制服。
その背に向けて、アミとマミはにこやかに笑って、声を揃えて言った。

アミマミ「いってらっしゃい、お母様」

   「ええ、行ってきます」

少女も優しい微笑みを返して扉に手をかけ、薄暗い廊下へと出て行った。
152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/07/29(土) 00:05:56.75 ID:AyY0ZKlGo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分日曜の夜に投下します。
153 :1 [sage]:2017/07/30(日) 22:36:47.69 ID:cxXBe0FNo
やっぱり今日じゃなくて明日か明後日くらいに投下します。
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/07/30(日) 23:53:35.21 ID:c7CCAGjeo
待ってる
155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:37:51.19 ID:cYR6UUWPo



暖かい日の差し込む窓際。
部屋の中は静かで、遠くからは大きな音や少女の掛け声が聞こえる。
そんな教室に今、マコトとアズサは二人きりで立っていた。

マコト「ごめんなさい、急に相談したいなんて言って。
   でもやっぱり頼るなら一番年上のアズサさんかなって思って……」

アズサ「あらあら、いいのよ〜。頼ってもらえるのは私も嬉しいから」

今は自由時間。
他の皆は自主訓練をしたり読書をしたり各々の時間を過ごしており、
この教室には二人の他には誰も居ない。
そんな中、深刻そうなマコトの表情と気持ちを少しでも和らげるためか、
アズサはいつにも増して柔らかい笑顔を浮かべて答えた。
その甲斐あってかマコトも微かに笑みをこぼす。

マコト「はい……ありがとうございます」

アズサ「それで、どうしたの? もしかしてユキホちゃんのことで何かあった?」
156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:41:13.38 ID:cYR6UUWPo
マコト「……やっぱりアズサさんには分かっちゃうんですね、流石です」

アズサ「そんな、大したことじゃないのよ〜?
    もしユキホちゃんに関係ない相談事だったら、
    今もきっと一緒に居るだろうなって思っただけだから」

マコト「あはは、そうかも知れないですね」

アズサ「ユキホちゃんと喧嘩しちゃった、っていうわけじゃないのよね?
    さっきも楽しそうにお喋りしてたし」

マコト「はい、喧嘩はしてません。ただその……最近、ユキホが変なんです」

アズサ「変? って……どんな風に?」

辛うじて浮かんでいた笑みは既にマコトの顔から消えている。
目を伏せて少し黙り込んだ後、マコトは言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開いた。

マコト「初めは、最近よくボーッとすることが多いな……ていうくらいでした。
   でもそれが少し前からだんだん酷くなってきて……。
   うわごとみたいに、それまで話してたのとは全然関係ないことを話し出したり、
   かと思えば急に元の話題に戻ったり……。
   それから、なぜか最近、夜中に起きて寝室を出て行くことが多いみたいで……」
157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:42:42.76 ID:cYR6UUWPo
アズサ「夜中に……? そのこと、ユキホちゃんに聞いてみたりはした?」

マコト「一度、さり気なく聞いてみました。夜はちゃんと眠れてるか、って。
   でもその時は、眠れてるって言ったんです」

アズサ「そう……。ちなみにユキホちゃんの様子が変わり始めたはいつ頃から?」

マコト「多分……みんなで旧校舎に行った時からです。
   あの旧校舎の中でユキホは急に居なくなって……
   すぐに見つかりはしたんですけど、その時からもうどこか変でした」

アズサ「え? 急に居なくなった? そうだったの?」

自分たちが去ったあとにそんなことがあったのか、
とアズサは目を丸くする。
そんなアズサを尻目に、マコトはそのまま続けた。

マコト「だから多分、あの時に何か……頭を打ったとか、
   やっぱりそういうことがあったんじゃないか、って……。
   そう思ってティーチャーリツコに診てもらったんですけど、
   特にそんな異常は見つからなくて……」
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:45:39.80 ID:cYR6UUWPo
マコト「ボク、すごく心配で……。
   でもユキホに聞いてもなんともないって言われるばっかりで、
   だからそれ以上聞くこともできなくて、ボク……!」

アズサ「マコトちゃん……」

話すうちに不安が増してきたのか、
いつからかマコトの声は震え始め、目には涙さえ滲みかけていた。
そんなマコトをアズサはそっと抱き寄せる。
マコトは、背と頭に優しく触れる手の暖かさに身を委ねるように目を閉じた。

マコト「それともボク……ユキホに、何かしちゃったんでしょうか。
   色々考えちゃうんです。もしかして、ボクと話をしたくないから
   関係ない話を始めるんじゃないか、とか。
   夜中に起きてることを言わないのも、
   ボクのことが嫌いだから隠してるんじゃないか、とか……」

アズサ「そんなことないわ……。
    ユキホちゃんがマコトちゃんのことを嫌いになるなんてあるはずないもの」

マコトの頭を撫でながら言うアズサの声も浮かべた笑顔もとても穏やかで、
単なる慰めではなくアズサ自身心からそう思っていることは伺える。
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:49:09.44 ID:cYR6UUWPo
だが、不安を吐き出したいという思いから続けて発されたマコトの言葉は、
そんなアズサの表情を初めて崩させた。

マコト「でも、ユキホがいきなり話し出すことって……
   そのほとんどが、タカネのことなんです」

アズサ「……え……?」

優しく薄く開かれていたアズサの瞳がこの瞬間、大きく見開かれた。
しかし抱きついているマコトはそのことに気付かず、話し続ける。

マコト「ユキホはタカネのことを、すごく慕ってましたよね。
   でもチハヤが転校してきた頃には
   もうほとんどタカネの話をすることはなくなってたのに、最近また話すようになって……。
   ボクのことが嫌いになったから、
   昔好きだったタカネのことが懐かしくなってるんじゃないかって、
   そんな風に思っちゃうんです……」

マコトの話を聞きながら、見開かれたアズサの瞳はどこともない宙を凝視し続けている。
だがふと我に返ったように、再び微笑みを浮かべて、

アズサ「マコトちゃんったら、考えすぎよ。
    きっとたまたま昔のことを夢に見たりして、
    それでちょっとタカネちゃんのことが懐かしくなっちゃってるのよ」
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:51:55.78 ID:cYR6UUWPo
アズサ「さっきも言ったけれど、ユキホちゃんがあなたのことを
    嫌いになるなんてこと、あるはずがないわ」

穏やかながらもはっきりとそう言い切ったアズサの言葉。
その言葉は、マコトの中で必要以上に大きくなっていた不安を少なからず取り払った。
マコトはそれ以上何も言わず、
礼の代わりのようにきゅっとアズサの体を強く抱き返した。
アズサはマコトが僅かでも安堵してくれたことを体で感じ、

アズサ「……時々ぼーっとしたり夜中に起きたりっていうのも、
   心がちょっと疲れちゃってるからだと思うわ。
   マコトちゃんが一緒に居てあげたら、きっと良くなるから心配しないで。ね?」

マコト「アズサさん……」

マコトは抱きついたまま、涙目でアズサを見上げる。
普段のマコトの中性的で凛々しく端正な顔立ちは影を潜め、
近い距離からアズサを見つめるその瞳は不安と安堵に揺れるか弱い少女のそれであった。
そしてアズサがマコトに向けて優しく微笑んだ――その時。

ユキホ「……マコトちゃん、アズサさん?」
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:55:05.78 ID:cYR6UUWPo
教室の入口から聞こえたその声に、
二人はハッとして顔を向け、同時にマコトは慌ててアズサから離れる。
そこには、僅かに眉根を寄せたユキホが立っていた。

マコト「ど、どうしたの、ユキホ。ヒビキたちと能力の特訓をしてたんじゃ……」

ぐいと袖で目元を拭い、マコトは笑顔を作ってユキホに問う。
ユキホは入口に立ったまま答えた。

ユキホ「……マコトちゃんが一緒の方が練習になるからって、ヒビキちゃんが……。
   だから探しに来たの……」

マコト「そ、そっか! あはは、びっくりしたよ!
   いやあ、恥ずかしいところ見られちゃったなあ。
   さっきボクの目にゴミが入っちゃってさ、それをアズサさんに取ってもらってたんだ!
   アズサさん、ありがとうございました! もう大丈夫です!
   それじゃ、ユキホとヒビキが呼んでるみたいだから行ってきますね!」

アズサ「……ええ、行ってらっしゃい。練習、頑張ってね〜」

マコト「はい! さ、行こうユキホ!」

そうしてマコトはユキホに二の句を継がせない勢いで足早に部屋をあとにし、
ユキホも小さく返事をしてその後を付いていった。
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:56:43.95 ID:cYR6UUWPo
ユキホ「……ねぇ、マコトちゃん」

マコト「何、ユキホ?」

廊下を歩きながら、ユキホは斜め前をやはり早足気味で歩くマコトに声をかける。
マコトは歩く速さはそのままに、笑顔で振り向いた。
ユキホはほんの一瞬その笑顔から目を逸らした後、
改めて笑顔を作って、言った。

ユキホ「目、もう大丈夫?」

マコト「目? ああ、ゴミのこと? うん、もう平気だよ!
   もしかしたら前髪が入っただけかもしれないし!」

ユキホ「……そっか」

マコト「そう言えば髪も結構伸びてきたから、そろそろ切った方がいいかもなぁ。
   また時間がある時によろしくね!」

うん、とただ一言、ユキホは笑顔でそう返した。

マコト「それよりユキホ、今ヒビキはどこに居るの?
    ヒビキもボクのこと探してるんだっけ?」

ユキホ「ううん、イオリちゃんとヤヨイちゃんと一緒に練習してるはずだよ。
    マコトちゃんのことは私が探すからって、そう言ってきたから」

そうして話題は切り替わり、二人とも今の時間、今の出来事は頭の片隅に追いやった。
追いやったからと言って消えることはないと、知っていながら。
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 20:59:28.18 ID:cYR6UUWPo



ユキホがマコトを探しに行ったあと、
ユキホの言っていた通り、ヒビキはイオリ、ヤヨイと共に能力の訓練を続けていた。

あの日――学園の中からアイドルが選ばれるかも知れないと
発表された日から数日の時が経過し、皆の熱意はより熱く燃えていた。
講義は今まで以上に集中して聞き、
こと能力を鍛えるための訓練への気合の入りようは凄まじいものがある。

その気合は本来自由時間であるはずの時間まで自主訓練に費やすほどで、
今はイオリたち三人のみだが、
ここ数日の自由時間はほぼ全員が、広場で汗を流しあっていた。
激しく、ともすれば危険でもある能力訓練ではあるが、
皆よく集中し、瞳を生き生きと輝かせていた。
だがそんな中……肩で息をして苦悶の表情を浮かべているのが、ヤヨイであった。

ヤヨイ「はあ、はあ、はあ……!」

イオリ「……ヤヨイ、少し休憩しなさい。すごい汗よ」

ヤヨイ「だ、大丈、夫! まだ……!」
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 21:02:21.12 ID:cYR6UUWPo
ヒビキ「いーや、休憩した方がいい! 疲れてどんどん動きが悪くなってきてるぞ。
   これ以上無理して続けてもただ疲れが溜まっちゃうだけだよ」

ヤヨイ「あう……ごめんなさい。それじゃ、ちょっと休んできます。
   できるだけ、すぐ戻りますから……」

肩を落とし、ヤヨイは木陰へと歩いていく。
そして木の根元に座り込んで膝を抱き、訓練を再開した二人の様子を眺めた。
ずっと一緒に訓練をしていたイオリとヒビキであるが、
まったく疲れた様子を見せていない。
ヤヨイは自在に宙を飛び回る二人の姿を見て、
日陰に居るにもかかわらず眩しそうに目を細めた。

リツコ「ヤヨイさん、大丈夫ですか?」

ヤヨイ「! ティーチャーリツコ……」

不意にかけられた声に顔を上げると、
リツコが優しい笑顔でこちらを見下ろしていた。

リツコ「自主訓練は結構ですが、無茶をして体調を崩しては元も子もありませんよ?」

ヤヨイ「はい、ちょっと疲れちゃいましたけど平気です!」
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 21:05:07.07 ID:cYR6UUWPo
ぐっと両こぶしを握って見せ、健在をアピールするヤヨイ。
リツコは微笑みを崩さぬままヤヨイから視線を外す。
視線の先には、イオリたちの姿があった。
ヤヨイもまたその視線を追うようにイオリたちに目を向ける。

リツコ「どうして自分だけこんなに疲れるのか……その原因は分かりますか?」

次いで聞こえた、穏やかではあるが厳しさも感じるその声。
ヤヨイは身を縮めるように膝を更にきゅっと抱え込んで答えた。

ヤヨイ「……空を飛ぶのが下手っぴだし、
   体の動きにもムダが多いから……だと思います」

リツコ「そうですね。標準的なレベルは超えているとは言え、
   まだアイドルに選ばれるまでには達していません」

ヤヨイ「うぅ……そうですよね。でも私、頑張ります!
   旧校舎で借りた本も、いっぱい読みましたから!」

自分の現状に負けまいとするように、
ヤヨイは下がりかけた視線をぐっと上げ、もう一度遠くのイオリたちを見る。
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 21:07:51.83 ID:cYR6UUWPo
ヤヨイ「この前もイオリちゃん、褒めてくれたんです!
   だからもっともっと頑張れば、
   私もイオリちゃんたちみたいに上手に動けるようになりますよね?
   そしたら、いつか私もアイドルに」

リツコ「無理だと思います」

ヤヨイ「……え?」

明るい声を遮るように発されたリツコの言葉。
ヤヨイは一瞬言われたことが理解できずに、
笑顔を貼り付けたまま、再びリツコを見上げる。
リツコの顔からは、いつの間にか笑みが消えていた。

リツコ「数年間あなたを教えていて確信しました。
   ヤヨイさんには念動力を今以上のレベルで使いこなすのは不可能です」

ヤヨイ「……で、でも私、成長してるって、ティーチャーリツコも……」

リツコ「確かに、成長はしています。ですが本当に微々たるもの。
   それも年々、成長の速度は落ちています。
   残念ですが、もうこれ以上の成長は望めません」
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 21:10:27.31 ID:cYR6UUWPo
……ヤヨイの大きく見開かれた目に、じわりと涙がにじんだ。
辛うじて上がっていた口角は下がり、唇は強く引き結ばれる。
足元に視線が落ちる。
もう、イオリたちの姿を見ることなど、できなかった。

こんなに冷たい、突き放すようなリツコの言葉を聞いたことは初めてだった。
だがそれ以上に、自分でも薄々感じていたことを……
それでも認めたくなかった現実を突きつけられたことが、あまりにショックだった。

今回の選考には間に合わないとしても、
でもこのまま頑張ればいつか、苦手な念動力は克服できる。
そうなれば数年後には自分もアイドルに選ばれることだって、きっとある。
そう信じてヤヨイはこれまで懸命に努力してきた。
なのに……言われてしまった。
これ以上の成長は望めないと。
『あなたはアイドルになれない』と、そう宣告されたも同じだ。

ヤヨイは膝に顔をうずめ、嗚咽を漏らし、肩を震わせる。
だがその時、両肩に何かが触れた。

リツコ「泣かないで、ヤヨイさん。
   まだアイドルへの道は閉ざされたわけではありません」
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 21:13:24.06 ID:cYR6UUWPo
その声は温かく、絶望に染まりかけたヤヨイの心にじわりと染み入った。
ほとんど無意識にヤヨイの顔が上がる。
肩に触れていた手のひらは、首筋から顎を伝い、ヤヨイの両頬に添えられた。

リツコ「ヤヨイさんに念動力が上手く扱えないのは、あなたのせいではありません。
   これは体質……いえ、一種の病気のようなものです」

ヤヨイ「病、気……? 私、病気なんですか……?」

リツコ「そうです。ですが、あなたが望めば治療することができます」

ヤヨイ「っ……!」

 『自分のせいではなく、病気のせいだ』
 『だが、治療することができる』

その言葉はヤヨイにとって紛れもなく、救いであった。
ヤヨイはリツコに抱きつく。
そして涙を流しながら躊躇いなく答えた。

ヤヨイ「治してください……!
   私も、アイドルになりたいんです! だから……!」

リツコ「ええ、もちろんです」

ヤヨイの背に手を回し耳元で囁くようにリツコは言った。
その顔には再び、笑みが浮かんでいた。
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/01(火) 21:13:58.89 ID:cYR6UUWPo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分週末くらいに投下すると思います。
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:11:26.12 ID:/+ODgrNWo



ある者にとっては急激に。
ある者にとっては緩やかに。
変わり始めた日常。
どの日どの時を変化の始まりとするか、それもまた一様ではない。

鎖に縛られた鍵を発見した時か。
アイドルへの最終選考に残ったと知った時か。
チハヤが転校してきた時か。
自分が入学した時か。
それとも――。

いや、変化のきっかけなど、日常の中には無数にあるのだ。
だが彼女らの大半にとって最も大きく、
最もわかりやすい形で現れた変化は……間違いない。
そして唐突にやってきたそれは、事態を急速に進めることとなった。
171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:14:16.73 ID:/+ODgrNWo
この日、七人の学生は講義室へと集められた。
黒板にはまだ午前中の講義の板書が残っており、
日常の一コマを残す風景の中にありながら、
しかし少女らは明らかに色めき立っている。

本来なら自由時間となっているはずのこの時間だが、
昼食の終わりにリツコに全員集まるよう言われたのだ。
こんなことは今まで一度だってなかった。
何か重要な話でもあるに違いない。
つまり考えられるとすれば……。

興奮と緊張を隠しきれない様子で会話を交わす少女たちであったが、
前方入口に影が見えた途端一気に静寂する。
いつものように姿勢よく入室してきたリツコであったが、
教室中の視線は彼女の全身から、手元へと移った。
その手にはいつもの教鞭や書物はなく、
ただ一つ、赤い果実が握られていた。
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:17:08.04 ID:/+ODgrNWo
リツコ「皆さん、もう揃っていますね」

その声に一同の視線はリツコの手元から顔へと上がる。
リツコの表情は、やはりいつも通りの微笑みだった。

リツコ「自由時間にこうしてわざわざ集まってもらったのは、他でもありません。
    恐らく皆さんが想像している通り。
    今回の選考で選ばれたアイドルを、発表します」

あまりにいつも通りの調子で、あまりに平然と発されたその言葉。
だがそれは教室を俄かにざわつかせた。
ざわつきを静めるべくリツコは表情はそのままにパンパンと手を打って、

リツコ「では、前へ。横一列に並んでください」

そう指示し、少女らはその通りに動く。
ある者は待ちきれない様子で小走りに、
ある者は高鳴る鼓動を抑えるようにゆっくりと、
教室の前へ横一列に整列する。
全員が出揃ったのを確認し、リツコは皆の正面に立った。
173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:22:29.75 ID:/+ODgrNWo
リツコ「これから、儀礼に則ってアイドルの選定を行います。
   皆さん両手を前へ出してください」

そう言ってリツコは両手で受け皿を作るような仕草を見せ、少女らもそれに倣う。
次いで教卓に一時置かれていた果実を再び手に取り、

リツコ「私がこの林檎を皆さんのうちの誰か一人に手渡します。
   その人こそが、アイドルに選ばれた者というわけです。
   では……心の準備はよろしいですか?
   準備が整った人から、目を閉じてください」

これに対する少女らの反応も様々であった。
落ち着いた様子ですぐに目を閉じる者、
深呼吸を繰り返してから目を閉じる者。
しかしそう長い時間を待たず、リツコを除いた全員の瞼が下りる。

目を閉じれば、自分の呼吸音と心音がはっきりと聞こえるような気がする。
そして、リツコの足音。
遠ざかっている? それとも近付いて――

リツコ「おめでとうございます。あなたが、次のアイドルです」
174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:27:11.34 ID:/+ODgrNWo
瞬間、全員の瞼が開く。
声のした方へ視線が向く。

チハヤ「え……?」

少女らの目に映ったのは、
唖然とした表情で手元の林檎を見つめる、チハヤの姿であった。

リツコ「これからはアイドルとして、頑張ってくださいね。チハヤさん」

と、数秒後。
ひと時静寂に包まれた教室が、手を打つ音に満たされる。

ヤヨイ「チハヤさん、おめでとうございますー!」

マコト「おめでとう、チハヤ! くーっ、先越されちゃったなぁー!」

ヒビキ「悔しいーっ! 私だってすぐに追いつくからな! でもおめでとう!」

共に学び競い合った友を心から祝う少女たち。
その温かな声と拍手を全身に受け、
チハヤは未だに手元から目を上げることなくじっと佇んでいた。
175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:34:44.70 ID:/+ODgrNWo
リツコ「さて、そういうわけでチハヤさんはこの学園を『卒業』することになりますが、
   すぐにというわけではありません。
   色々と準備があるので、出立の日時は十日後の朝となります。
   それまで悔いの残らないように過ごしてくださいね。ではまた後ほど」

そう言い残して、リツコは教室を後にした。
残されたチハヤはやはり顔を伏せたままだったが
他の者たちには感極まっているように見えていたらしく、
特にそのことについて言及する者はなかった。

ヒビキ「チハヤと一緒に居られるのも残り十日かー。
   っと、そうだ! 九日目の夜にはお別れ会をしないと!
   ティーチャーリツコ、何も言ってなかったよね? 私、ちょっと聞いてくるよ!」

アズサ「あ、じゃあ私も行くわ〜。待って、ヒビキちゃ〜ん」

唐突に思い出したようにリツコを追って教室を飛び出していったヒビキを、
更にアズサが追って行く。
一同はその背を笑顔で見送ったのち、再びチハヤに目を向ける。
チハヤはまだ、その場から動いていなかった。
176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:43:21.19 ID:/+ODgrNWo
しかしここで、いつまでも下を向き続けているチハヤを見かねたか、
イオリがチハヤの横に歩み寄った。

イオリ「まったく……。チハヤ、感動するのも分かるけどそろそろ上を向きなさいよね。
   あなたはアイドルに選ばれたんだから、きっちり背筋を伸ばさなきゃ」

チハヤ「……ええ」

一言だけ、ほとんど吐息のような声でチハヤは答える。
そんな二人の様子を見て、今度はマコトが口を開いた。

マコト「チハヤはきっと、まだ心の整理がついてないんだ。
   だから今はそっとしておいてあげようよ。
   お祝いも、チハヤがもう少し落ち着いてからにしよう。ね!」

そうしてマコトは背を向け、
またユキホもチハヤを気にしつつもその後ろへつき、
チハヤから少し距離を置くように教室の後方まで離れた。

ユキホ「……大丈夫かな、チハヤちゃん。なんだか元気がないようにも見えるけど……」
177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:46:14.51 ID:/+ODgrNWo
マコト「そんなことないよ。アイドルに選ばれたのに元気がなくなるなんて、
   あるはずないじゃないか。きっと泣くのを我慢してるんだよ」

ユキホ「そう、かな。だったらいいんだけど……」

マコト「それにしても……今回は残念だったね。次の選考はいつになるのかなぁ。
   今度こそ選ばれるように頑張ろうね、ユキホ!」

ユキホ「う、うん! 頑張ろうね」

目指してきた目標に到達できなかったとは言え、
彼女たちのその表情は決して暗くはない。
アイドルに選ばれるということは決して簡単ではないことは重々承知しているし、
寧ろ最終候補まで残ったことにより自信がついた。
落ち込む気持ちよりも、次回への意気込みと友人が選ばれたことへの喜びが優っているのだ。

しかしどういうわけか、そのアイドルに選ばれた本人が、
ユキホの言うとおりに浮かない表情をしている。
すぐ近くでそれを見ているイオリとヤヨイは流石に様子を変に思い、
改めてチハヤに声をかけようとした。
だがその直前、チハヤは脇の机に林檎を置き、踵を返して出口へ向かって歩き出した。
178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:51:33.57 ID:/+ODgrNWo
イオリ「ちょっと、チハヤ? これ、持って行きなさいよ」

イオリはすぐに林檎を手に取ってチハヤを呼び止める。
するとチハヤは足を止め、俯き気味に振り向いて呟くように言った。

チハヤ「……いらないわ。欲しければ、あなたが持って帰って」

イオリ「は……? 何言ってるのよ。
   これはあなたがアイドルに選ばれた証でもあるのよ?
   チハヤが自分で持ってるべきものでしょ」

そう言ってイオリは林檎を前に差し出すが、チハヤは黙したまま受け取らない。
イオリはそんなチハヤの態度に業を煮やしたか、僅かに眉根をひそめて言った。

イオリ「……あなたの気持ちも分かるわ。不安なんでしょう?
   自分がアイドルとしてやっていけるのか、って。
   でも、選ばれたのは事実なんだからそれを自覚しなさいよね。
   アイドルはみんなの憧れなの。
   だからチハヤは、これからはちゃんとアイドルとしての責任を――」

チハヤ「やめて」
179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 21:57:45.42 ID:/+ODgrNWo
イオリの言葉を遮って発された短い言葉。
やはり呟くように出たその言葉は、
離れた位置にいるマコトとユキホには届いていないようだった。
しかしその小さな言葉には、
イオリたちの表情を困惑で満たすのに十分な冷たさがあった。

イオリ「な……何? なんで……」

チハヤ「みんなに憧れられるだとか、そんなのは、私は知らない。
    そんなこと、私は望んでない。
    誰かが勝手に決めて、勝手に向けてくる視線に、自覚も、責任も、持ちたくない」

ヤヨイ「チハヤ、さん……?」

目を伏せたままのチハヤの顔に表れた色は、何と表現すればいいだろう。
イオリとヤヨイは彼女の言葉を、ただ戸惑いながら聞くことしかできない。
しかし、去り際に発された次のチハヤの言葉は、
イオリの困惑に別の感情を上塗りさせた。

チハヤ「その林檎も、アイドルの立場も……譲れるのなら譲りたいくらい。
    私は、アイドルになんて、なりたくなかった」
180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:01:27.76 ID:/+ODgrNWo
イオリ「ッ……待ちなさいよ!!」

チハヤの背に向けて投げつけられた怒声が教室中に響く。
同時に、これも怒りを表すかのように激しい音を立てて電撃が走り、
イオリの手元から宙に浮いた林檎が無残に四散した。
ユキホとマコトは異変に気付いて目を向け、歩き出したチハヤの足も再び止まる。

イオリ「私は認めない……! あなたがアイドルだなんて!」

チハヤ「……その方がいいわ。言ったでしょう。アイドルになんてなりたくないって」

あまりに突然のことに一瞬何が起きたか理解できなかったマコトたちであったが、
ここでようやく事態が決して軽くないことを認識したようで、
表情が緊迫したものに変わった。

マコト「ちょ……ちょっと、どうしたんだよ二人とも」

ユキホ「も、もしかして喧嘩ですか? ダ、ダメだよそんな、怪我しちゃうよ……!」

座っていたマコトは立ち上がり、
ユキホも少し怯えた表情を浮かべながらも場を執り成そうとする。
だがイオリとチハヤは睨み合ったまま動こうとしない。
181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:05:22.63 ID:/+ODgrNWo
と、その時だった。

ヒビキ「みんな、お待たせー! お別れ会のことなんだけど……」

教室の扉が開き、明るい笑顔とともに入ってきたヒビキ。
しかし入った瞬間に場の空気が何やらおかしいことに気付く。

ヒビキ「えっと……? どうしたんだ? 何かあったのか?」

戸惑いながらも表情には笑顔を残してヒビキは問うたが、
マコトとユキホ、ヤヨイはただヒビキと同じように困惑した視線を返すのみ。
チハヤとイオリに至ってはヒビキに気付いてすらいないかのように、
互いに向き合ったままである。

しかし当然気付いていないはずはなく、
寧ろヒビキの登場がきっかけになったように、

チハヤ「……ごめんなさい。少し、一人にして」

チハヤがそう言ってイオリから顔を背け、教室を出て行った。
イオリはその背を追うこともなく、ただ黙って足元へ視線を落とした。
182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:10:29.50 ID:/+ODgrNWo
未だ事情が掴めないヒビキであったが、
なんとなくチハヤとイオリとの間に何かがあったことは流石に察しがつく。
だが直接イオリに声をかけることは躊躇われるようで、
説明を求めるようにマコトへと視線を送った。
その視線を受けたマコトは、小さく首を横に振った後、

マコト「イオリ……何があったの?
    『アイドルになんてなりたくない』って……チハヤ、そう言ってたよね」

ヒビキ「え……そ、そうなのか? どういうこと?」

その場の注目が、再びイオリに集まる。
イオリは目を伏せたまま、唸るように答えた。

イオリ「そんなの知らないわよ。
    でも理由なんてどうでもいいわ……。聞きたくもない。
    チハヤがそう言うんなら、私は絶対にあの子を認めない。ただそれだけだから」

そう言って、イオリも踵を返してその場をあとにする。
ヤヨイは慌ててその後ろをついて行き、
教室にはやはり困惑し続けるマコトたちと気まずい雰囲気だけが残された。
183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:14:30.39 ID:/+ODgrNWo



ヤヨイ「――チハヤさん、どうしちゃったのかな……」

イオリ「……」

廊下を歩くイオリと、後ろを付いていくヤヨイ。
ヤヨイはしきりに先ほどのチハヤについての疑問を口にしているが、
イオリは答えずに黙って歩き続けている。

ヤヨイ「どうしてアイドルになりたくないだなんて……。
    きっと何か理由があるんだよ。そうだよね、イオリちゃ……」

イオリ「私に聞いたって、わかるはずないでしょ。
    知りたかったら本人に聞けばいいじゃない」

と、ここで初めてイオリはヤヨイの言葉に反応を返す。
だがヤヨイを遮って早口気味に発されたその返事には明らかな苛立ちが表れており、
思わずヤヨイは口をつぐんだ。
184 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:16:51.30 ID:/+ODgrNWo
イオリ「……ごめんなさい。今のは八つ当たりね……。
   ヤヨイに苛立ちをぶつけたって、何にもならないのに……」

イオリは立ち止まり、ヤヨイへの謝罪の言葉を口にする。
前を向いたままでその表情は見えない。

ヤヨイ「ううん……いいの。気にしないで、イオリちゃん。
   私の方こそ、うるさくてごめんね」

イオリ「そんなことないわ……。私が一人でイライラしてるだけだもの」

ヤヨイ「……ねえ、イオリちゃん。
   イオリちゃんは、チハヤさんのこと……嫌いになっちゃった?」

イオリ「……」

ヤヨイ「私はやっぱり……仲直りして欲しいかなーって……」

長い廊下を沈黙が満たす。
時間にすれば数秒ほどの沈黙ではあっただろうが、
重苦しい沈黙に、ヤヨイはそわそわと指を動かし続けている。
だがヤヨイが耐え切れなくなる前に、イオリが静かに口を開いた。

イオリ「そうね……嫌いよ。チハヤのことなんて、大っ嫌い……」
185 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:19:57.84 ID:/+ODgrNWo
それはヤヨイが欲していない答えの一つ。
その返事を聞き、ヤヨイは強く心が締め付けられるのを感じた。
だがヤヨイの心を締め付けたのは、返事の内容そのものではなかった。

イオリ「あの子が、アイドルに選ばれたって聞いた時……私が選ばれなかったって知った時。
   すごく、ショックだったわ。
   絶対誰にも負けないって思ってたから、悔しかった……。
   でも……祝福してあげたいっていう気持ちも、同じくらいあったの。
   チハヤも私と同じだって……本気でアイドルを目指してるんだって、思ってたから……」

ヤヨイ「……」

イオリ「……ライバルだって、思ってた。アイドルを目指す者同士、絶対負けないって……。
   でも、だから、心からお祝いしようって……なのに……。
   っ……これじゃ私、馬鹿みたいじゃない……!」

肩が、声が、震えていた。
その背中から、イオリの悲しさが、悔しさが、痛いほど伝わってきた。
それが何よりヤヨイの心を締め付けた。

イオリ「私はチハヤのことが大嫌い……。だから、絶対に認めない。
    世界中のみんながあの子を認めても、私だけは絶対に認めない……!」
186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:22:47.53 ID:/+ODgrNWo
イオリ「アイドルはみんなに憧れられて、みんなに認められる存在なの。
   だから私が認めない限り、チハヤはアイドルじゃない……。
   チハヤなんかより先に、私が本当のアイドルになってやるの。
   世界中の誰もに認められる、本当のアイドルに……!」

ヤヨイ「イオリちゃん……」

そこでイオリは言葉を切り、やはり前を向いたまま俯いて黙ってしまう。
イオリは、自分の中で渦巻いている感情が何なのか、
自分自身でさえはっきりとは分かっていなかった。
怒りとも悲しみともつかない何かが堰を切って溢れ出そうになるのを堪えるように、
イオリは拳に力を入れてただ立ち尽くしていた。
が、その時。
ヤヨイの声が、イオリの心へ割って入った。

ヤヨイ「私も……私も頑張る! みんなに認められるすごいアイドルになるよ!
   それで、二人でチハヤさんをびっくりさせちゃおうよ!」

イオリ「えっ……?」

思いも寄らぬ明るい言葉に、イオリは初めてヤヨイを振り向く。
そこには、聞こえた声の通り明るい笑顔のヤヨイが居た。
187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:29:59.25 ID:/+ODgrNWo
ヤヨイ「私も、チハヤさんの言葉はすごくショックだったから……。
    だから私とイオリちゃんで、
    アイドルはすごいんだーっていうのをチハヤさんに見せてあげよう!
    そしたらきっと、チハヤさんも考え方を変えてくれるかなーって!」

胸元でぐっと気合を入れるように拳を握るヤヨイ。
その笑顔は決して作られたものではなく、
言葉にも裏のないことがイオリには十分に伝わった。
イオリは数秒、呆けたような顔でヤヨイを見ていたが、
ふっと表情を崩して袖で目元をぐいと拭う。

イオリ「そうね……そうしましょう。
    二人で、チハヤをさっさと追い越して、それでぎゃふんと言わせるの。
    ええ、そうよ……。私は、チハヤにすら
    憧れられるようなアイドルになってやるんだから!」

そう言ったイオリの表情はやはり怒っているようであったが、
先程までとは違う、前向きに作用する感情であるとヤヨイは感じた。
だからヤヨイは笑い、イオリもまた、そんなヤヨイに笑顔を返す。

イオリ「ありがとう、ヤヨイ……。あなたのおかげで、ちょっとは気が晴れたわ」

ヤヨイ「えへへ……良かった。イオリちゃんが元気になってくれて」
188 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:30:55.10 ID:/+ODgrNWo
イオリ「わ、私はずっと元気よ。
   それにヤヨイだって、最近ずいぶん調子いいみたいじゃない」

ヤヨイ「えっ? そうかな……?」

イオリ「ええ。少し前までは時々悩んでるみたいだったけど、最近はすごく明るいわ。
   今だって、もう『次』を考えてる。私も見習わなきゃね」

ヤヨイ「そんな……私に、イオリちゃんが見習うことなんてないよ。
   でも、ありがとう! これからも、一緒に頑張ろうね!」

イオリ「ええ、頑張りましょう」

そう言って笑いあった後、イオリは軽く息を吐き、

イオリ「さて、まずはチハヤに宣戦布告をしておかないと。
   仲直りってわけじゃないけど、あの空気のままじゃちょっと気まずいしね」

ヤヨイ「! う、うん!」

そうしてイオリとヤヨイは今歩いてきた廊下を、
今度は二人並んで引き返し始めた。
189 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/05(土) 22:31:23.34 ID:/+ODgrNWo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分三日後くらいに投下します。
190 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 20:33:17.66 ID:A/CxDrCMo



窓から差し込む日は暖かい。
ちょうど目の前には満開の桜も見え、
一人落ち着くにはちょうどいい場所を偶然見つけてしまったかも知れない。
そんな風に思いながらも、ガラス窓に向くチハヤの表情は暗く沈んでいた。
少し前のイオリの表情は、電撃の光と共にまだ目に焼き付いている。

アズサ「見ぃつけた♪」

不意に聞こえたその声にゆっくりと振り向く。
教室の入口に、にこやかな笑みをたたえたアズサが立っていた。
だが何も言葉を返すことなく、チハヤは再び窓の外へと顔を向ける。
アズサは表情を崩さぬままチハヤの隣に歩み寄り、
ぼんやりと外を眺める横顔をじっと見つめ続けた。

しばらく沈黙が続いたが、
隣に来ただけで何も言わずにただ見つめられ流石に居心地の悪さを感じたらしい。
チハヤは外を見たまま話を切り出した。

チハヤ「何か言いたいのなら、早く言ってください。
    みんなから、もう話は聞いているんでしょう?」
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 20:34:52.95 ID:A/CxDrCMo
アズサ「……ええ、聞いたわ。イオリちゃんと喧嘩しちゃったのよね?」

チハヤ「喧嘩、とは少し違うかと。
    私がただ一方的に、怒らせてしまっただけです」

アズサ「イオリちゃんは人一倍、アイドルへの想いが強い子だから。
    きっと、すごくショックだったと思うの。
    アイドルに選ばれたチハヤちゃんが、アイドルになりたくないだなんて……」

チハヤ「……そう思います。あとで謝っておきます。
    無遠慮な言葉を、多くぶつけてしまいましたから」

アズサ「そうね……。でも、謝ったとしても、チハヤちゃんの気持ちは変わらないのよね?」

その問い掛けにチハヤは沈黙する。
ここでの沈黙は肯定を意味することであると、チハヤもアズサも理解していた。
それでも、何か返事をした方がいい。
そう思ってチハヤは言葉を選びながら口を開く。
だが、その言葉はチハヤの喉から出ることはなかった。

アズサ「だったら、アイドルなんてやめておいた方がいいんじゃないかしら」
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 20:38:40.56 ID:A/CxDrCMo
チハヤは思わずアズサに顔を向ける。
言葉ではなく声色が、チハヤの目線を引き寄せた。
そこには笑顔のアズサが居た。
だがチハヤは、その笑顔の裏には何か別の感情があると、直感的に思った。

チハヤ「……できるなら、そうしたいくらいです」

アズサの笑顔から逃れるかのように、
体はそのまま、目だけを逸らしてチハヤは続ける。

チハヤ「ですが、アズサさんも知っているはずです。
    アイドルへの選抜は、絶対。辞退などできないと」

アズサ「確かに、そう聞いているわね。
    でもティーチャーリツコに言ってみるだけ言ってみてもいいんじゃないかしら?」

チハヤ「意味があるとは思えません。
    彼女の厳格さは、私よりアズサさんの方がよく知っているはずでは?」

アズサ「あらあら……。じゃあ、チハヤちゃんがここから居なくなるしかないわねぇ」
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 20:41:44.44 ID:A/CxDrCMo
チハヤ「え?」

今度は言葉の内容がチハヤの視線を動かした。
アズサはやはり笑ったままだ。

チハヤ「居なくなるって、どういう……」

アズサ「例えば、『脱走』するとか……。
    見張りが居るわけじゃないから、私の能力なら多分できると思うわ。
    チハヤちゃんが望むなら、手伝ってあげるわよ?」

ニコニコと微笑みながら言うアズサではあるが、
対してチハヤは怪訝な表情で目を見開き硬直する。

脱走だって?
この人は本気で言っているのだろうか。
いや、そんなはずはない。
そもそも、笑顔で話すようなことじゃない。
この人は……自分をからかっている。
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 20:46:09.01 ID:A/CxDrCMo
チハヤはこの時、初めてアズサに小さな苛立ちを覚えた。
平常のチハヤであれば、多少呆れはしても感情を波立たせることなどなかっただろう。
だがイオリとの諍いを直前に経験した今のチハヤは、心に余裕がなかった。
あるいは、アズサの言動をからかいと理解し、そこに怒りをぶつけることで、
彼女の笑顔に覚えた違和感を解消したかったのかも知れない。

チハヤ「ふざけないでください。私は今、あなたの冗談に付き合っている余裕は――」

と、僅かにではあるが珍しく荒らげた……が、その声は唐突に途切れる。
チハヤに向き合っていたアズサが、突然、
背後にかかっていたレースのカーテンを掴んだ。
そしてその右手をカーテンごと、自分たちを包むように大きく動かす。
そして一瞬後にはチハヤはアズサと共にカーテンに覆われ、
その細身の体は、長身のアズサの腕の中に抱かれていた。

チハヤは目を丸くし、思わず声を上げようとする。
だがその唇に人差し指があてがわれ、

アズサ「しーっ……人が来ちゃうでしょ?」

鼻先が触れ合うほどの距離で、アズサは囁き、笑った。
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 20:49:59.37 ID:A/CxDrCMo
唇に触れた人差し指は暫時、チハヤの呼吸すらも止めた。
人との距離がこれほど狭まったのは初めてだった。
チハヤは逃げることも忘れ、
ただ身を硬直させて鼻先のアズサの目を見つめることしかできなかった。

アズサ「冗談なんかじゃないわ。私は本気よ?」

人差し指が離れ、同時にチハヤは思い出したかのように呼吸する。
そんなチハヤを、やはりアズサはすぐ目の前で見つめ続ける。

チハヤ「……どう、して……?」

アズサ「どうしてって、何が?」

辛うじて漏れ出たチハヤの言葉を、アズサは尋ね返す。
チハヤは呼吸を整えるように数拍置き、

チハヤ「どうしてアズサさんは、私にそこまで構うんですか……?
    初めて会った時から、気になってました。
    あなたは、明らかに……意識的に、私に関わろうとしている……」
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 20:54:19.12 ID:A/CxDrCMo
チハヤ「それに、今も……。いえ、何より今が、一番疑問です。
    わざわざ脱走させてまで私をアイドルから退かせようとするなんて、
    どう考えても普通ではありません……」

アズサ「……だってチハヤちゃん、アイドルになりたくないんでしょう?」

チハヤ「本当に、それだけですか? 何か他に理由があるのではないですか?
    聞いて欲しいわけではありませんが……
    まずはなぜアイドルになりたくないのか、話を聞くのが普通かと。
    話も聞かずにいきなり脱走なんて極端な手段を取ろうとするなんて……。
    あなたが理由なくここまで常識を外れた行動を取る人だとは、私にはとても……」

一気にチハヤの口から流れ出た疑問を、アズサは最後まで聞いていた。
と、チハヤはここで初めて、
アズサの笑顔が色を変えていることに気が付いた。

アズサ「チハヤちゃんには、私がこんな常識外れなことを提案するようには思えなかった?」

チハヤ「……はい。もっと冷静で、思慮深い人かと」

アズサ「あらあら……。たった一年の付き合いだけど
    そんな風に思ってくれてたのね。ありがとう」
197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:00:07.89 ID:A/CxDrCMo
そこには、どこか寂しげな、あるいは辛そうな笑顔があった。
そしてこの時チハヤはようやく知った。
これこそが、先ほどからアズサが浮かべていた笑顔の
裏に隠されていた感情であったのだと。

アズサ「でもね、チハヤちゃん。人は必ずしも見た目で判断できるものじゃないの。
    それだけは、ちゃんと覚えてなきゃダメよ?」

そう言って、今度はアズサがチハヤから視線を外す。
窓の外を見るアズサであったが、
チハヤには、その瞳には多分窓の外の景色は映っていないのだと感じた。
少し前の自分と同じように。

アズサ「どうして私がチハヤちゃんに構うのか……もちろん、理由はあるわ。
    でも、あまり楽しい話じゃないのよ。それでも聞きたい?」

寂しげな笑顔のまま、ちらとチハヤに目を向けるアズサ。
チハヤは何も言葉は発さなかったが、
目を逸らすことなく黙ってアズサを見返す。
数秒見つめ合った後、アズサは観念したように息を吐いた。

アズサ「……チハヤちゃんがこの学園へ来る前、ここにはもう一人、学生が居たの。
    『卒業』じゃなくって、『転校』して行った子が」
198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:04:24.73 ID:A/CxDrCMo
やっぱりそうだったのか、とチハヤは思った。

一年前の夜、空き部屋を覗いてみた時に覚えた違和感。
それはつまり、ベッドの数であった。
後になって一階すべての空き部屋を調べたのだが、
ベッドの数が統一されていなかったのは自分たちの寝室と、隣の部屋のみ。
つまり、学生の数に合わせてベッドを隣室同士で移動させたのだ。

それ自体は何もおかしなことはないのだが、
学園を案内された時にヒビキの発した
『チハヤが来る前からベッドが余っていた』という言葉を考えれば、
『チハヤが来る前からベッドの数は7に揃えられていた』ということになる。
このことから、自分と入れ替わるようなかたちで去っていった学生が一人居たのだろうと、
チハヤはそう推測していた。

そんなチハヤの推理を知ってか知らずか、
アズサは特にこのことについて聞きただすようなこともせずに続けた。

アズサ「でもね……本当は違うの。
    ただ建前上、転校したっていうことになっているだけ」
199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:12:14.89 ID:A/CxDrCMo
チハヤ「……? どういうことですか?」

アズサ「転校じゃなくて、『追放』。
    人知れず、危険な方法でアイドルを生み出すための研究を続けていて……。
    それを、私が見つけてしまったの」

窓の外へ顔を向けたまま言うアズサ。
その横顔を見るチハヤの目は、流石に意外そうに細められる。
転校ではなく追放であったということはもちろんだが、
その理由もまったくチハヤの想像の外であった。

アズサ「捕まったあの日から、今もまだ罪を償い続けているのか、
    それとももう、どこかで普通に生活してるのか……私は何も知らないわ。
    チハヤちゃんが転校してくるまでは、
    その子を思い出すこともほとんどなくなってたくらい。
    だけど、あなたがここへ来て……それで思い出したの」

チハヤ「……何を、ですか」

アズサ「その子が、言っていたこと……」

そこでアズサは言葉を切る。
そしてひと呼吸置き、

アズサ「年齢にかかわらず、優秀な力を持っている子をこの学園へ誘って、
    アイドルを生み出すために利用にする……って」
200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:14:48.89 ID:A/CxDrCMo
いつからかアズサの顔からは笑顔も消え、
普段見ることのない深刻そうな表情で、外を見続けている。

チハヤ「……つまり、それで誘われたのが、私であると?
   でも、その人はもうここには居ないんですよね?」

と、アズサはチハヤに向き直る。
その顔には再び笑みが戻っていた。

アズサ「ええ、そうよ。だからきっと私の考えすぎ。
    私ってちょっと思い込みが激しいようなところがあるから、
    それでついチハヤちゃんのことを気にしちゃってたの。
    だけど、気にしすぎだって分かってても……どうしても考えちゃうの。
    チハヤちゃんがここへ来たのも、アイドルに選ばれたのも、
    もしかしたらあの子が関係してるんじゃないか、って」

そう言って、アズサはチハヤが何か返事をする前に数歩歩み寄った。
そしてチハヤの耳に口を寄せ、

アズサ「だからもしチハヤちゃんが本当にアイドルになりたくないのなら、
    私がすぐに外へ連れ出してあげるわ。
    チハヤちゃんの『卒業』の日まで……考えておいてね」

そう囁き、背を向けて去っていった。
チハヤはアズサが消えた教室の出口を、しばらく黙って見つめ続けた。
201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:18:38.95 ID:A/CxDrCMo



ハルカ「――そっか……そんなことがあったんだ。
   でも、良かったね。すぐに仲直りできて」

チハヤ「仲直り……できたのかしら」

ハルカ「まあ、完璧にってわけじゃないと思うけど……。
    でもお互いに謝ったんだから、一応仲直りって言ってもいいんじゃない?」

チハヤ「……だと良いのだけど……」

チハヤがハルカに話したのは、イオリとの諍いのこと。
そして、その後の『仲直り』のこと。
話し終えて俯いたチハヤの頭にその時の光景が思い浮かぶ。

言い争いの後、次に顔を見合わせた場で二人ともすぐに互いの非を詫びた。
チハヤは、無神経な言葉を投げてしまったことを。
イオリは、感情的になって能力まで使ってしまったことを。
しかしチハヤの頭に深く刻み込まれたのは、その後のイオリの言葉。

   『ただし、あなたをアイドルと認めるかどうかはまた別の話よ。
   チハヤの考えが変わらない限り、私の気持ちだって変わらない。
   あなたより先に私が、正真正銘本物のアイドルになって見せるんだから!』
202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:20:51.69 ID:A/CxDrCMo
ハルカ「それにしても、イオリって子もすごいね。
    そんな風に真正面から気持ちをぶつけられる子なんて、なかなか居ないよ」

チハヤ「ええ……本当に、そう思うわ。……アイドルになるのも、
    私なんかより、彼女の方が、きっとふさわしいと思うのに……」

自嘲的な笑みを浮かべ、チハヤは抱えた膝に口元を埋める。
そんなチハヤの横顔を見つめ、ハルカは穏やかに笑って言った。

ハルカ「まだ……ちゃんと聞いたことってなかったよね。
    チハヤちゃんは、どうしてアイドルになりたくないの?
    アイドルのこと、嫌い?」

その問いに、チハヤは沈黙する。
だがハルカは何も言わずに返答を待った。
そのままどのくらいの時間が経っただろうか。
チハヤはぽつりと口を開いた。

チハヤ「……嫌いだなんて……そんなことない。
   私も、アイドルは本当に……すごい存在だって、思ってる。
   でも、だから、私はアイドルにはなりたくないの」
203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:31:45.02 ID:A/CxDrCMo
チハヤ「私は今まで、自分の意思で何もしてこなかった……。
    努力や勉強も、するべきだと言われたからしただけ。
    この学園に来たのだって、ティーチャーリツコに誘われたから。
    そして今度は、私の知らない誰かが、私をアイドルにしようとしてる……。
    ただ流されて来ただけの私が、また流されるままに、アイドルになろうとしてるの」

ハルカ「……」

チハヤ「もしこのままアイドルになってしまったら、
    世界中の人たちが、きっと私のことを憧れの目で見るんでしょう?
    ただ流されただけの私を、羨望や尊敬の眼差しで見る……。
    そんなの、世界中の人を騙してることと変わらない。
    たくさんの人の想いを裏切ることと、変わらないもの……」

それは初めて吐露されるチハヤの心情であった。
学園の者には深く追求されなかったということもあるが、
やはりチハヤは、ハルカには自分の内面をさらけ出してしまう。
それはハルカの持つ不思議な雰囲気からか、
それとも学園の者ではないという適度な距離感がそうさせるのか、
チハヤ自身にも分からない。
204 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:35:11.65 ID:A/CxDrCMo
チハヤ「クラスメイトの一人に、言われたわ。
    アイドルが嫌なら逃げ出したらどうか……って。
    でも私は、逃げ出そうなんて気持ちさえ、持てないの。
    そんなことをしたら、私をアイドルに選んだ人のことも、
    応援するって言ってくれたみんなのことも、裏切ることになるから……。
    アイドルになりたくないと思ってるはずなのに、
    私はまた、今まで通り流されようとしてて……」

チハヤの目には涙らしきものは見えない。
だがハルカには、チハヤが泣いているように見えた。

ハルカ「……チハヤちゃん、優しい子なんだね」

その言葉にチハヤは顔を上げてハルカを見た。
ハルカは、いつも通りの微笑みをたたえている。

ハルカ「自分がどうこうじゃなくて、みんなを裏切りたくないから。
    それって、チハヤちゃんが何よりみんなの想いを大切にしてるってことだよね」

チハヤ「そんなことは……ないわ。私が優しいだなんて、そんな……」
205 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:37:09.72 ID:A/CxDrCMo
ハルカ「ねえ、チハヤちゃん。今からでもさ、
    自分の意思で、アイドルになってみたらどうかな。
    そしたら、チハヤちゃんに憧れる人を裏切ることにはならないでしょ?」

そう言ってハルカは笑う。
しかしチハヤはそんなハルカの笑顔から目を逸らし、

チハヤ「いえ……もう、遅いわ。
    私はもう、意思がないままにアイドルに選ばれてしまった。
    その時点で、私はみんなに憧れられるアイドルなんかじゃない……。
    偽物のアイドルなの。それに……初めにハルカに言ったことも、本当だから。
    私には、アイドルが何なのか、よくわかってない……。
    よくわからないものを本気で目指すことなんて、できないわ」

ハルカ「……チハヤちゃん……」

名を呟いたハルカと目を合わせることなく、チハヤは立ち上がる。
そして数拍置き、笑顔を作って振り向いた。

チハヤ「今日も、話を聞いてくれてありがとう。
    話ができるのもあと数回だと思うけれど……。
    一年前にあなたと会えて良かったわ。ありがとう、ハルカ」
206 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/10(木) 21:38:11.73 ID:A/CxDrCMo
今日はこのくらいにしておきます。
続きは多分明日投下します。
207 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 21:53:40.59 ID:Oh+Zy3tyo



チハヤの卒業まで、残すところ数日。
初めにひと悶着あったものの、それも既に解決をしており、
あとはその日を待つばかり。

ヒビキ「やっぱり、手作りケーキがいいんじゃないか?
    すっごく大きいケーキ、作ろうよ!」

マコト「だったらティーチャーリツコに材料を頼まないと。
   それから作る時間も相談しなきゃだよね」

ユキホ「ケーキ作りってどのくらい時間かかるのかなぁ……。
    図書館に行ったら分かるかな?」

アズサ「そうねぇ。明日にでもみんなで探してみましょうか〜」

授業の合間の教室で、少女らはわいわいと楽しげに話をする。
会話の内容は数日後に控えた、チハヤの『お別れ会』についてだ。
時折チハヤ本人に要望を尋ねながら話を進めていくヒビキたち。
チハヤもまた、複雑な気持ちではあるが友人が自分のために
色々と考えてくれているということについては決して悪い気はせず、
要望を求められた時には素直に答え、案を煮詰めるのに協力していた。
208 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 21:55:51.38 ID:Oh+Zy3tyo
先日のチハヤの「アイドルになりたくない」という発言については、
驚きと不安でつい心にもないことを言ってしまった、
ということでイオリ以外の者は納得しており、
チハヤの門出を祝う心には曇りらしき曇りもない。
あるのは僅かな寂しさばかりである。
またイオリでさえ、話し合いには一応の参加の姿勢を見せ、皆に協力していた。

だがそんな中、輪には加わっているものの
会話に参加しているとは言い難い者が一人だけ居た。

イオリ「……ちょっと、ヤヨイ。ヤヨイってば」

ヤヨイ「ん……あれ? ……あっ、ご、ごめんなさい、私また……!」

イオリの横で船を漕いでいたヤヨイが、肩を揺すられてようやく目を覚ます。
これが一度目ではない。
この日……いや、ここ数日のヤヨイは、
昼間から居眠りを始めてしまうことが多かった。
授業中はなんとか起きているようだったが、
休み時間になると電池が切れたように眠りについてしまうことが増えているのだ。

マコト「あははっ。ヤヨイ、今日も疲れちゃってるみたいだね。
   まあ確かに最近、すごく頑張ってるしなぁ」
209 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 21:56:42.21 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホ「そうだよね……。特に能力の訓練なんか、調子も良さそうだし……」

ヒビキ「でもちょっと張り切りすぎなんじゃないか?
   次のアイドル選考はずっと先だってティーチャーリツコも言ってたし、
   今から飛ばし過ぎたら身がもたないぞ」

ヤヨイ「あう、そうですよね……。でも、つい張り切っちゃって……」

イオリ「それでこんな時間から体力が切れてるんじゃしょうがないじゃないの。
    まあ、いいわ。疲れてるのは確かみたいだから、休み時間くらいは寝てなさい」

ヤヨイ「えっ、で、でも……」

イオリ「いいから。その代わり、今日の晩は早めに寝て疲れを取るのよ?」

ヤヨイ「う、うん……ごめんなさい。それじゃあ、おやすみなさい……」

アズサ「は〜い、おやすみなさ〜い」
210 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 21:57:44.05 ID:Oh+Zy3tyo
結局その日、ヤヨイは授業の時間以外はほとんど眠りについていた。
友人の門出をどんな風にして祝うか、
その話し合いに参加できていないことについては
皆も思うところがないわけではない。
だが無理強いすることでもないし、
何よりヤヨイ本人がそれを申し訳なく思っていることも十分わかっている。
だからこそ、それでも居眠りをしてしまうほど疲れているであろう
ヤヨイの体調を慮り、皆も特に何も言うことなくヤヨイを休ませた。

マコト「――そうは言っても……やっぱりヤヨイの意見も欲しいよね。
   結構チハヤに懐いてたとこもあったしさ」

ユキホ「うん……。明日は一緒に考えてくれるかな?」

マコト「まあ、今日あれだけ寝てたんだしきっと大丈夫だよ。
   夜も早めに寝るって言ってたし」

他の者より少し早めに入浴を済ませたユキホとマコトは、
ベッドに腰掛けて今日のヤヨイの様子について話す。
マコトは笑顔であったが、ユキホは心配げに眉をひそめている。
211 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:04:24.14 ID:Oh+Zy3tyo
しかしこのマコトの笑顔も、心からのものではない。
一つはやはりヤヨイのことが気がかりというものがある。
本人も言っている通り、ヤヨイにも話し合いに参加して欲しいし、
また眠気を堪えられないほど疲労が溜まっている点は心配でもある。
だが、マコトの心に僅かに雲をかけている原因の大半は、
ヤヨイではなくユキホの様子であった。

ユキホ「でも、本当に大丈夫かなぁ……。いくら疲れてるって言っても、
    今日なんか休み時間はほとんど寝てて……。
    もしかしたら夜、ちゃんと眠れてないのかも」

マコト「……うん、そうかもね」

ユキホ「そうだ、私、安眠効果があるっていうお茶をいれてあげようかな。
   そしたらきっと夜はぐっすりで、昼はばっちり起きられるよね!」

マコト「あはは、うん、そう思うよ」

ユキホは恐らく心からヤヨイの体調を案じている。
だがそのことが、マコトの心に陰を作っていた。
そしてその陰はいつの間にか、笑顔で隠せないほど大きくなっていたらしい。
212 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:05:37.72 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホ「マコトちゃん、どうしたの?」

マコト「え……?」

ユキホ「なんだか、マコトちゃんまで元気ないみたい……大丈夫?」

マコト「そ、そう? いや、そんなことないよ?」

ユキホ「もしかして、マコトちゃんも寝不足?
    えへへっ、それじゃあ、今日はマコトちゃんにもお茶いれてあげるね!
    待ってて、今……」

マコト「ボクより、ユキホが飲んだ方がいいんじゃない?」

ユキホの言葉をマコトは笑顔で遮った。
笑顔ではあったが、その目はユキホを見ていない。
正面を向いたままのマコトの横顔に、
ユキホもまた、疑問符を浮かべながらも笑顔で問い返した。
213 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:06:21.65 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホ「えっと……私が飲んだ方がいいって、どうして?」

マコト「だってさ、ほら、ユキホも最近、時々ぼーっとしちゃうだろ?
   それもきっと寝不足だと思うんだよ。だから、ね?」

ユキホ「? そう言えば、この前もそんなこと……。
    うぅ、私、そんなにぼーっとしてるかなぁ。
    確かにみんなに比べてノロマかも知れないけど……」

マコト「違うよ、そうじゃなくてさ。
   っていうか、本当に夜もちゃんと眠れてないでしょ?
   よく夜中に起きて、部屋の外に出てるじゃないか」

ユキホ「え……? 私が? いつ?」

マコト「いつって……何回もだよ。二、三日に一回は起きてるよ」

ユキホ「……? マコトちゃん、他の誰かと勘違いしてない?
   私はそんなの、ほとんど……」
214 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:07:25.98 ID:Oh+Zy3tyo
マコト「隠さないで欲しいんだ。実はずっと心配だったんだよ……。
   ユキホがこっそり、夜中にどこに行ってるのか気になってたんだ」

いつからかマコトの顔からは笑みが消えている。
向き直り、ユキホを真っ直ぐに見つめるマコトだが、
そんな真剣な眼差しにユキホが返すのは、ただただ困惑の色であった。

ユキホ「ま、待ってマコトちゃん。本当に何のこと?
    私、夜中に起きたことなんてほとんどないし、
    起きても部屋を出たことなんてないよ……?」

マコト「何を言ってるんだよ……そんなはずないだろ!?
   ボク、本当に心配なんだ!
   ユキホの様子がずっと変で、すごく心配してたんだよ!」

心に秘めていた不安を口に出してしまったことで、
マコトの感情に掛けられていた枷は今や完全に外れてしまっていた。
ユキホを心配するあまり、半ば怒り混じりに詰め寄ってしまうマコト。
そんなマコトにユキホはただ戸惑うばかりであった。
が、次のマコトの言葉は、ユキホの心の枷をも外してしまった。
215 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:08:37.16 ID:Oh+Zy3tyo
マコト「それとも、ボクに言えない悩み事とかがあるの……?
   だったら隠さないで言ってよ!
   ボクたちの間で隠し事なんて無しだろ、ユキホ!」

ユキホ「……隠し、事……?
   だったら、マコトちゃんだって私に隠し事、してるよね……?」

マコト「え……?」

ユキホ「この前、アズサさんと、マコトちゃん……。
    目のゴミを取ってもらってたって言ってたけど、そうじゃなかった……!
    ゴミを取ってもらうのに、抱き合ったりなんてしないもん!」

マコト「っ……ユキホ、気付いてたの……!?
   い、いや、今はそのことは関係ないじゃないか!」

ユキホ「関係あるよ! 隠し事は無しって言ったのはマコトちゃんでしょ!?
    なんで抱き合ってたこと隠してたの!?」

マコト「っ……あれは、ユキホのことを相談してたんだ! ただそれだけで、別に何も……」
216 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:09:34.09 ID:Oh+Zy3tyo
ユキホ「そんなの、抱き合ってる理由になんてならないよ!
    酷いよ、マコトちゃん……! 私を言い訳に使わないで! マコトちゃんの嘘つき!」

マコト「嘘なんかじゃないよ! だったらユキホの方こそ嘘つきじゃないか!」

ユキホ「私は嘘なんかついてないもん! 嘘つきはマコトちゃんだよ!
    マコトちゃんなんてもう知らない!!」

マコト「こ……こっちこそ、ユキホなんて知らないよ!」

売り言葉に買い言葉――
会話を拒絶するように布団に潜り込んだユキホに、
マコトも荒々しく言葉を投げかけて立ち上がり、その場を離れる。
すすり泣く声を背に受けながらも、
聞こえないというように強く目をつむって洗面台へと向かうマコト。

他の者が寝室へ戻ってきたのは、それから少し経ってからだった。
皆二人の様子を見てすぐ異変に気付いたものの、
マコトがこの件に触れて欲しくなさそうにしていたことにも気付き、敢えて追求はしなかった。
ただその空気もあって、その晩はもうチハヤの送別会に関する話題は出さず、
当たり障りのない会話をして就寝までの時間を過ごすこととなった。
217 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/08/11(金) 22:10:12.89 ID:Oh+Zy3tyo



ヒビキ「――あのさ、マコト。早く仲直りできないのか?」

翌朝、鏡に向かって並びながらヒビキはマコトに呟くように言った。
マコトは答えず、蛇口の水を両手で顔に打ち付ける。

ヒビキ「まあ、理由は知らないけどさ……。
   でももしこのままだとチハヤを気持ちよく送り出せないぞ」

マコト「……うん、わかってる」

タオルに顔を半分以上埋めたまま、マコトもまた呟くように答えた。
そしてそのままヒビキと目を合わせずに洗面所をあとにし、着替えを始める。
ヒビキはそんなマコトの姿を遠目に、
やれやれと言うように腰に手を当てて眺める。

マコトはそんなヒビキの視線を意に介さず、
ただ一人、手にした制服に向けて深くため息をつくのだった。
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