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乙倉悠貴「追い風が恋を連れてくる」
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1 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:32:52.24 ID:otTlPJINo
モバマスの乙倉悠貴ちゃんのSSです。地の文風味。
http://i.imgur.com/trOtsyd.jpg
http://i.imgur.com/KuWTAQv.jpg
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1499693571
2 :
1. ハードルを超えて
[saga]:2017/07/10(月) 22:34:56.70 ID:otTlPJINo
◇
「ドラマのヒロインですかっ!?」
「おう! まぁ1クールあるやつじゃなくて、4週連続のスペシャルドラマなんだけどな」
事務所に着いた私を待っていたのは、大きなお仕事のお話。
分厚い紙束をぽんぽんと叩きながら、プロデューサーさんは笑って言いました。
「そっ、それで、どんなドラマなんですかっ。どんな役なんですかっ」
「陸上部の青春モノだそうだ。学校行って、部活して、恋してって感じの」
陸上部っ! 私と同じだと思うと嬉しくなる。
授業を受けて、放課後に練習して、部活のコと一緒に帰ったりして……して……
パッと広がった想像は、『恋』にひっかかって途中で転んでしまった。
恋、コイ、こい……
上手く発音できないそれは、きっと私の中にはないものだった。
3 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:35:48.41 ID:otTlPJINo
「それで、悠貴の役は……ヒロインなんだけどな、高1の女の子なんだ。」
「はいっ!……はいっ?」
もっと大きなびっくりがやってきて、頭が混乱する。私、まだ中1ですよ……?
お芝居をやった経験もあまりないのに、年上の役をやるなんて……。
それに高校生の役なんだったらパッションの真尋さんとかっ。
「びっくりする気持ちは分かる。でも、どうしても悠貴にやってみて欲しかったんだ」
「……私の背が高いからですか?」
その考えにたどり着いて、少し拗ねてしまう。
私は、高校生に見えるほどしっかりしてなんてないと思う。
それに背が高いからってだけで、大人扱いされるのはちょっぴりイヤですっ。
4 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:36:41.66 ID:otTlPJINo
「いや、それだけじゃない」
プロデューサーさんの返事は力強いものでした。
「まぁ、高校生なのはインターハイを撮りたいとか役者さんの関係とか、大人な事情はあるんだけど……」
「細かいことを置いておいて、等身大の悠貴を、
もっとたくさんのファンのみんなに見せれるんじゃないかと思ってさ」
「ステージの上を駆け回る悠貴も魅力的だけど、
走ることが好きで、もっと可愛くなろうとしてる悠貴は、さらにキラキラしてるからな」
そう言い切ったプロデューサーさんに、ただまっすぐ見つめられます。
プロデューサーさんに見つめられると、私の身体はじわっと熱くなっていきました。
私に期待してくれてる。
期待を背負って走るのは……重くないですっ。
「はいっ! 私、やりますっ。やりたいですっ」
5 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:37:21.95 ID:otTlPJINo
「ん、そう言ってくれて良かった。 台本は後日渡すけど、まずは役作りからだな」
役作り。ヒロインの子になりきらないといけないんだよね。
そういうレッスンはもちろん受けてきたけど、やっぱり難しいだろうなぁ。
心配する私とは違って、プロデューサーさんはあんまり気にしてなさそう。
「といってもあんまり心配してないんだけどな。悠貴自身も陸上部だし」
「はいっ! ハードルとか得意ですよっ!」
「今回の役は、100mが専門の選手で、最後はガチのレースの撮影もあるそうだ。
結構ハードっぽいけど大丈夫そうか?」
「大丈夫だと思いますっ。ハードルの子は、短距離の練習もしますからっ」
普段は、部活でも、ハードルの練習をすることが多い。
ハードルは歩数が大事なので、身長の高さがいいところになるから。
私の役が短距離の子なら、部活の練習も日課のランニングもそのままで大丈夫のはず。
その共通点は、私を少しだけ安心させてくれます。
6 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:37:59.46 ID:otTlPJINo
「お芝居の方は……トレーナーさんと相談しつつだな」
「モデルの頃も表情の練習はしましたけど、お芝居は全然違いますよねっ」
ジュニアモデルをやっていたから、いろんな表情をすることは得意だと思う。
でも、お芝居は、表情だけじゃない。
顔で、声で、動きで、その役を表現しないといけない…んですよね?
「まぁ、下手っぴでも大丈夫。」
「えっ、え。そんな適当で大丈夫なんですかっ?」
7 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:38:38.94 ID:otTlPJINo
「大丈夫、大丈夫。 お芝居に重要なのは技術じゃないからな。」
「悠貴は悠貴らしく! それがピッタリハマると思ったからこの仕事を受けてきたんだし」
私は私らしく。わりと難しいことを言われているような気がします。
自分のことが1番分からないなんて良く言う話です。
「それに――悠貴ならどんなハードルだって超えられるよ」
不安なことがたくさんあったはずなのに。
そうはっきりと言うプロデューサーさんに、私はとうとう乗せられてしまうのでした。
8 :
2. わたしを知る
[saga]:2017/07/10(月) 22:39:39.94 ID:otTlPJINo
◇
私、ドラマのヒロインやりますっ。
いい感じにスタートダッシュを決めたと思ったのに。
陸上部の女の子ってことは、もうちょっと走れた方がいいのかなぁ。
あっ、でも高校生なんだったら、子供っぽくないようにしなきゃダメかなっ。
勢いで隠した不安が、ぽこぽこと湧いて、早くも失速気味です。
とにもかくにも、私は役者さんとしてひよっこすぎます。
これはやっぱりなんとかしないといけません。
プロデューサーさんは、自分でも誰でも頼ってくれていいよ、と
みんなで悠貴が上手くやれるようにサポートするから、と言ってくれました。
頼りになりそうな人……芳乃さん、肇さん、響子さん……プロデューサーさん。
たくさんの人の顔が浮かんで、ふわっと消えていって。
大事な人を忘れていました。
えへへっ、困った時は『センパイ』頼みですっ。
9 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:40:17.89 ID:otTlPJINo
翌日。
いつもの日課のランニングは、1人じゃありませんでした。
女子寮の玄関前で軽くストレッチをしながら、その人を待ちます。
「おはようございます。悠貴さん」
「おはようございますっ、泰葉さん」
うちにはたくさんのアイドルがいますが、お芝居といえば泰葉さんですっ。
何回かお仕事を一緒にしたから、頼みやすかったってのもあります。
お芝居について相談があるとお願いしたら、快く引き受けてくださいました。
しかも、一緒に走りながらお話するのはどうですか?、なんて嬉しい提案です。
なんでも次のお仕事が舞台だそうで、体力をつけなきゃとのこと。
10 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:40:50.43 ID:otTlPJINo
朝焼けが少しずつ滲んでいく空を眺めながら、
いつもよりゆっくりと走っていきます。
「ドラマのお仕事が決まったんですね。おめでとうございます、悠貴さん」
「はいっ!ありがとうございますっ。 その前にですね……」
「はい? 何でしょうか?」
「私もちゃん付けで呼んでもらえませんかっ。GIRLS BEのみなさんと同じようにっ」
誰になんて名前を呼んでもらえるかは大事だと思います。
もう長く一緒にいるのに、さん付けはちょっと寂しい感じですっ。
「……分かりました、悠貴ちゃん。これでいいですか?」
「はいっ! 泰葉さんにそう呼んでもらえるの嬉しいですっ」
11 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:41:19.27 ID:otTlPJINo
「こほん。それで、相談はドラマについてですか?」
「えっと、そうなんですっ。あんまりお芝居の経験がないので、どうしたらいいか分かんなくて」
「ふふっ。最初はみんなそうですよ。悠貴ちゃんなら大丈夫です」
スカイブルーのジャージを揺らして、静かに微笑む泰葉さんに少し見とれてしまう。
本当に泰葉さんは素敵な笑顔をするようになったと思う。
それは、アイドルになったからでしょうか、それとも――
「とりあえず、ドラマのあらすじはどんなものなんですか?」
泰葉さんに尋ねられて、現実に引き戻されます。
走っているとぼーっと考えてしまって良くないですね。
12 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:41:56.84 ID:otTlPJINo
台本は、数日前に、プロデューサーさんからいただきました。
ドラマは、高校の陸上部が舞台で、インターハイを目標に、部活内で団結したり、衝突したり、
……そして、好きな人ができたり。王道の青春モノのようです。
私の役は、短距離のヒロインで、長距離のキャプテンと少しづつ惹かれ合って。
最後、インターハイの地方大会で優勝して、その後に告白したところでおしまい。
あらすじを説明した私に、泰葉さんは優しい笑顔で言います。
「やっぱり、そのままの悠貴ちゃんで大丈夫じゃないかなと思います」
でもっ。でもっ。
気が早って上手く言えない。不安なことは山ほどあります。
今の自分よりも大人な役って、どう演技したらそれっぽくなりますか、とか。
恋をするって……どんな気持ちで演技すればいいんですか、とか。
13 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:42:38.37 ID:otTlPJINo
「じ、じゃあ、あのっ。なにか撮影が始まる前に心構えとかないですかっ」
何とかアドバイスが欲しくて、声を絞り出しました。
「ふふっ。そうですね……」
「1つあげるなら……自分のことを良く知ることでしょうか」
それは私がずっと考えていた事とは、全く違ったアドバイスでした。
泰葉さんなら、演技の考え方とか技術とか、そういうことを教えてくれるんじゃないかと。
「自分のこと……? 役のことではなくてですかっ?」
「はい。お芝居は自分を捨てて……役になりきることだってよく言われますよね」
「そうですねっ。恥ずかしがってちゃダメってよくトレーナーさんに怒られます」
「でも、今の私はあまりそう思いません。むしろ自分が大事なのではと考えています」
走りながらとはいえ、泰葉さんの言うことに真剣に耳を傾けます。
泰葉さんのお芝居の授業は続いていきました。
14 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:43:05.68 ID:otTlPJINo
泰葉さん曰く、
役に自分を近づけるのではなくて、自分に役を近づける方が大事だと。
大人の言うことを聞くだけじゃなくて、肩の力を抜いて、自分らしい演技を大事にしてほしいと。
「そのためには、まずちゃんと自分を知らないといけませんね」
何が好きか、何が嫌いか。
私が嬉しかったことは、怒ったことは、哀しかったことは、楽しかったことは何か。
自分だけの経験を、自分だけの気持ちを大事にするんだと。
15 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:43:35.52 ID:otTlPJINo
「まぁ、完全になりきる人もいると思います。
自分に役を憑依させるというか……例えば、聖靴学園の時の響子さんとか」
「ひゃっ。あ、あれはホントに怖かったですっ」
役作りの参考に見た映画を思い出して、冷や汗が出る。
可愛くて、お姉ちゃんみたいな響子さんが、あんな目をするなんて思ってもみてませんでした。
「もしかしたら悠貴ちゃんも、そういう風にお芝居できるかもしれません」
「それでも、自分を知ることは、きっと役に立ちますよ。 私が……そうでしたから」
そう言った泰葉さんは、少しだけ目を伏せました。
子役の時のことを思い出しているのでしょうか。
でも、泰葉さんはすぐに、ぱっと顔をあげます。
16 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:44:21.63 ID:otTlPJINo
「例えば、悠貴ちゃんは走ることが好きですよね?」
「はいっ! もっと遠く、速く走って行きたくて」
「ふふっ。良いことだと思います。」
自分の好きが認められるって嬉しい。
いつもの優しい顔に戻った泰葉さんは続けて言います。
「悠貴ちゃんが部活で練習を楽しんだり、自分の記録に挑戦してみたり。
そういった経験はちゃんとヒロインの役と重なって、自分だけのお芝居になります」
「大人の指導する子どもの演技は、ちょっとオーバーになっちゃうんです。」
すごく実感のこもった言葉でした。
子役だった泰葉さん自身をちゃんと自分で分かった上で、今の素敵なアイドルの泰葉さんがあるのだと。
「背伸びなんてしなくても、悠貴ちゃんらしいお芝居ができれば……
きっと高校生じゃないことだって小さな問題だと思います」
17 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:45:48.74 ID:otTlPJINo
気がつくと、いつのまにか完全に私のペースで走っていました。
慌てて、ゆっくりとしたペースに戻します。
「ご、ごめんなさいっ、泰葉さん。速くなかったですかっ?」
「大丈夫ですよ、あんまりゆっくりなのも性に合わなくって……」
「そ、そうなんですかっ。良かったですっ!」
「ふふっ。悠貴ちゃんと部活気分を味わえて私は楽しいですよ?」
こういうところが『センパイ』らしいなって思う。
泰葉さんに相談できて良かった。
優しくて、見守ってくれて、そんな大事な『センパイ』です。
18 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:46:19.49 ID:otTlPJINo
――――――
―――
ぐるっと走って2kmちょっと、周りを1周して女子寮まで戻ってきました。
眩しい朝の光が屋根に写って、穏やかに広がっています。
最後に軽くストレッチして、今日のランニングはおしまいです。
「今日は悠貴ちゃんと一緒に走れて良かったです。また困ったら頼ってくださいね」
「えへへっ、こちらこそ、ありがとうございましたっ」
泰葉さんが部屋に戻るのを見送って、
私は、泰葉さんに言われたことを噛み締めながら、自分の部屋に戻ります。
まず私を知ること。
そういえば、いいものを持っていましたっ。
本棚からいつものスクラップブックを探し出して、開いてみます。
19 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/07/10(月) 22:46:55.13 ID:otTlPJINo
私はどんな人でしょうか。
走ることが大好きです。
生野菜は苦いから苦手で、だからミックスジュース作りが好きになりました。
ジュニアモデルの頃も楽しかったけど、かっこいいとか大人っぽいじゃなくて。
背が高くても可愛いって言われるような、そんなアイドルになりたくて。
私はどんなことが嬉しかったでしょうか、どんなことが悲しかったでしょうか。
お正月にかくし芸に挑戦したり、旅番組でハワイに行ったり……
とにかくいろんなお仕事をさせてもらってきたなぁ。
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