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【クウガ×デレマス】一条薫「灰被」
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239 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:21:49.60 ID:eRGHfrTr0
さっと素早く車から降り、前面に一条と杉田、後ろに実加の三人で三角形を作り、その中央に卯月という隊列を組む。
そして、急ぐと怪しまれるので歩きで公園のステージがある場所へ向かう。
誘導により、人の大分減った道だが、それでも人が完全に居ない訳ではない。
自然に、四人で話ながら歩いている風を装って、卯月の顔を一条や杉田や実加の身体で市民から隠す。
ごくわずかな動作で行われるそれは、動きの少なさに比べて異常な程の精神力を必要とし、一条たちを疲弊させてゆく。
240 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:22:42.38 ID:eRGHfrTr0
「……この角を曲がれば、ステージが見えるはずです」
「ここまで来ると、大分人も多くなって来やがったなぁ」
「もう一息です。
どうにか正午までにステージの近くへ……」
『島村卯月が出たぞ〜。
こっちだ〜♪』
「「っ!?」」
拡声器でも使ったかのような大声、それが、一条たちのすぐ近くから聞こえた。
音のした方を見れば、緑の葉をしげらせる一本の木の上に、一瞬、志希の姿が見えた気がした。
241 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:23:29.67 ID:eRGHfrTr0
そんな声がすれば確認しに動くのは当たり前のこと。
ステージ前の人数からしたら少しの、しかし、三人で遮蔽出来ない程の量の人が一条たちの下へ向かってきた。
「マズイ!どうすんだ一条!?」
「どうもこうもない!ステージまで走り抜ける!
襲い来る市民は我々が捌く!なるべく傷つけずにな!
やるしかない!」
「はい!」
「おし!」
完璧に卯月を認識され、前方から数人の市民が走ってくる。
それを杉田と一条で強引に押し倒し、一瞬道を開く。
その道を実加が後ろに気をつけながら四人で通る。
242 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:24:39.84 ID:eRGHfrTr0
第一段が終われば第二段のさっきよりも人数が増えた塊がやって来る。
ステージ前に集まっているとはいえ、声を聞いてこちらを確認に来るのは第一段の数人、その様子を見て第二段の数人が、それにより騒ぎが大きくなり一条たちだけでは対応出来なくなるだろう。
疎らに人が襲って来る内に一条たちは距離を稼ごうとした。
それは上手く行き、第一段、第二段、第三段と一条たちが対処出来るだけの人数を相手にして彼らの間を抜け去ることが出来た。
だが、騒ぎは確実に大きくなり、徐々に一条たちは押され始める。
そしてステージまで後50mも無くなった時、一条たちの足が止まった。
243 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:29:20.51 ID:eRGHfrTr0
「邪魔すんなー!」
「退けー!」
鉄パイプやスコップ、バットやゴルフクラブ等を手にした市民が卯月を守る一条たちの間を強引に抜けようとしてくる。
それを押し返そうとするものの、一条一人に対し相手は複数。
いくら一条と言えども押し返すことは不可能だった。
空砲にした拳銃を杉田と実加が放つもひるむのはほんの数秒、一条のコートの背中部分に仕込んだ神経断裂弾用ライフル、改良型神経断裂弾用ライフルを抜くわけにもいかず、一条たちは市民相手に苦戦していた。
244 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:30:10.07 ID:eRGHfrTr0
「一条!もう限界だぞ!」
「踏ん張ってください!
……退く訳にはいかないんです!」
「一条さん、杉田さん!少しずつ回転して場所を換えてください!」
「夏目くん!策があるのか!?」
「はい!一応」
卯月を中心としてその周囲を囲んでいた三人が市民に押され、その円を小さくしながらも、円は回転し、実加を前方に、後方で二ヶ所を一条と杉田がカバーする陣形になった。
「きゃっ!?」
円が小さくなったために、手を伸ばした市民の持っていたゴルフクラブが卯月をかすり、卯月は短く悲鳴を上げた。
それに実加は焦り、その双腕に力を込める。
245 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:31:14.13 ID:eRGHfrTr0
「お、おりゃぁあああ!!」
「うわっ!?」
「なんだこの女!?」
クウガの力、変身しないでその力の何割かを引き出す。
それが実加の策。
白い未熟な姿にしか慣れないとはいえ、その力は人間を遥かに凌ぐ、その力の欠片を得て、人の波はステージの方へと押されて行く。
卯月を中心とする円も若干広くなり、少しだけ余裕が出来た。
246 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:31:51.08 ID:eRGHfrTr0
だが、ここからが問題だった。
「痛っ!」
実加の肩に、金属バットが降り下ろされた。
247 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:32:36.02 ID:eRGHfrTr0
「夏目くん!」
「こいつらは卯月の仲間だ!未確認の仲間だ!遠慮すんじゃねぇ!」
市民の集団において、リーダーという者はいないだろうが、血の気の多い者は多くいるだろう。
そんな攻撃的思考を持つ一人が、実加を躊躇せずバットで殴り、声を張り上げた。
それまでの集団は、卯月は兎も角として、一条ら三人には攻撃して良いか図りかねて攻撃らしい攻撃はしてこなかった。
だが、今の一人が大義名分を与えてしまったのだ。
「「ウォォォオオオ!!」」
先程の若者に呼応するように市民の集団が吼えた。
248 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:33:32.87 ID:eRGHfrTr0
遠慮を無くし、目の色を変えた集団が各々の武器を掲げて一条たちに襲いかかった。
「くっ!」
第一陣の木刀を一条は右腕に当て、受け止める。
一条たちとしても、これを予想していなかった訳ではない。
だが、機動力も必要とするため、装着出来た防具は籠手とすね当て程度。
攻撃を受け止めるには腕を使うしかない。
そして、それは同時に守護の瓦解と成りうる。
249 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:34:04.91 ID:eRGHfrTr0
「うぉおおお!」
「っ!クソッ!」
防御により腕を身体に寄せた一瞬、一条と杉田の間に割り込むようにして一人の市民が卯月へ向かう。
「はっ!」
どうにか足をかけ、投げ、転ばせると少し後退し卯月に近づき、崩れた陣形を前より縮めて戻す。
250 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:35:23.01 ID:eRGHfrTr0
「……やむを得ん、か」
合図は無い、がしかし、警察官三人は理解していた。
もう手加減は出来ない、と。
止めるために振るう拳に込める力が増す。
技が本格的な物へと変わる。
それでも時間稼ぎにしかならないとはいえ、警察が罪無き市民に振るって良い物では無くなって行く。
251 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:35:55.80 ID:eRGHfrTr0
「……やめて」
252 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:36:39.51 ID:eRGHfrTr0
小さく、声が聞こえた。
チラリと後ろを見れば、涙目の卯月がいた。
襲われる恐怖で泣いているのではなく、戦うことしか出来ないことに対する悲しみで涙を流しているということが一条には瞬時に理解出来た。
何故なら……一条も正にその悲しみを感じていたからだった。
暴力でしかやり取りの出来ない、とてつもない悲しみを……
隠してきた心の痛みを、卯月の涙で自覚した一条の気がほんの少しだけ緩んだ。
253 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:37:32.93 ID:eRGHfrTr0
そして、その隙は致命的な隙となった。
「オラァ!」
「あぐっ!?」
腹部へのスコップの一撃。
普段ならば十分耐えられる一撃に、一条は膝をついた。
人間の身体に深く傷が付いた時、それは比較的すぐに閉じるが治った訳ではない。
少しの衝撃で痛みと共に開く。
一ノ瀬志希による刺し傷が、その一撃により開き、一条の肌着の下の包帯に血が滲んだ。
254 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:38:14.55 ID:eRGHfrTr0
「「一条さん!」」
「一条!」
「オラァ!」
「うぐっ!?」
膝をついた一条の頭に、スコップでもう一撃。
255 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:39:15.68 ID:eRGHfrTr0
籠手でどうにか頭に直接当たるのは防げたものの、その衝撃は頭の芯まで届く。
軽い脳震盪により意識が遠退き視界が揺らぐ。
円形の布陣は崩れ、一人の壮年の男性が卯月に向かった。
その手に持つは猟銃。
猟友会か何かに所属し、それを得ているであろうその男性は、卯月にだけその弾を当てられる、絶対に外さないであろう距離まで近づき、構える。
他の市民は猟銃を恐れて離れた、ならば邪魔はなく確実に当たるだろう。
256 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:40:28.03 ID:eRGHfrTr0
そして、その肩に下げるは遺影。
一条に辛うじて見えたその姿は……第50号、熊谷和樹。
今回の未確認生命体の正体は人間、その発表を避けるために、熊谷和樹は第50号に殺されたということになっていた。
その親類であろう男性が、皮肉なことに未確認生命体第50号を憎み、未確認生命体ではない少女を殺そうとしていた。
「死ねぇぇぇええ!!」
「やめろっ!」
一条はその足を掴むものの、まだ脳は揺れており力が入らない。
そして、壮年の男性は引き金に指をかけ、別の男性は一条の頭に目掛けて止めに三回目のスコップを降り下ろそうとしていた。
ここで一条たちの抵抗も虚しく、一ノ瀬志希のシナリオ通りの展開になる。
257 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:41:12.61 ID:eRGHfrTr0
「だめぇ!!」
258 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:41:56.98 ID:eRGHfrTr0
筈だった。
視界の揺らぎが収まった一条が捉えたものは、時が止まったかのように動かずに、目を見開いてこちらを見る人々。
誰かに取り押さえられた壮年の男性。
259 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:42:30.99 ID:eRGHfrTr0
その誰かとは……
「はいはい、銃刀法違反の現行犯でシメちゃうわね」
「片……桐……さん?」
CGプロのアイドル、片桐早苗だった。
260 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:43:34.93 ID:eRGHfrTr0
だが、一条には違和感があった。
先程の制止の声。
それは片桐早苗の声とは違った。
もっと、角の無いというか……幼い声だった。
そして、動きを止めた人々の視線は、片桐早苗でも壮年の男性でも島村卯月でもなく、一条の後ろに注がれていることに気づいた。
261 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:44:12.12 ID:eRGHfrTr0
ゆっくりと、自らの背後を振り向いた一条が見たのは……
「っ!?龍崎くん!?」
スコップを降り下ろそうとして止まった男性の前に、一条を庇うように両手を広げる小さな背中だった。
262 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:45:13.75 ID:eRGHfrTr0
「刑事さん……大丈夫?」
こちらを振り向いた幼い横顔は、暴力への恐怖からか涙が零れていたが、一条を思いやる笑顔をしていた。
263 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:46:36.76 ID:eRGHfrTr0
一条が呆気に取られつつ頷くと、ホッと息を吐いて、凛とした表情に顔を変えると再び一条に背を向けた。
「刑事さんや卯月お姉ちゃんをいじめないで!
刑事さんや卯月お姉ちゃんは悪いことなんてしないもん!
刑事さんはみかくにんせーめーたいからかおるたちを助けてくれたの!
……だけど、刑事さんがみかくにんせーめーたいからかおるたちをまもってくれた時、刑事さんのことをこわいって思っちゃった。
だけど!それは悪いことをしたからじゃなくて、かおるたちをいっしょーけんめーまもろうとしてくれたからだって卯月お姉ちゃんが教えてくれたの!
刑事さんはかおるにけーさつのことをいっぱいお話してくれて……卯月お姉ちゃんはかおるといっぱい遊んでくれて……刑事さんも卯月お姉ちゃんも優しいの!
なのに……なんで……なんでみんないじめるの?」
背を向けているが、震えている声から、一条には薫が泣きながら言葉を絞り出しているのが理解出来た。
264 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:47:26.71 ID:eRGHfrTr0
年端もいかない少女の周りで、様々なことが起こった。
人が未確認生命体により殺され、優しい刑事は鬼神のような表情に変わり、未確認生命体の正体は大好きな優しいお姉さんだと言う。
未だに年齢が二桁にすら達していない少女が受け止めるには重すぎる状況。
それでも彼女は、それを必死に受け止め、その上で否定した。
社会ではなく、自分が見てきた優しい刑事さんとお姉さんを信じたのだ。
265 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:48:02.10 ID:eRGHfrTr0
「うっく……うぁ……うぇぇぇええん!」
266 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:48:46.83 ID:eRGHfrTr0
だが、耐えきれる筈もない。
様々な状況に、感情に圧し潰され、それを全て吐き出すように薫は大声で泣き出した。
裸の王様という童話がある。
それは、無邪気な子供により、嘘で塗り固められた世界が壊される物語。
今ここでも、同じことが起ころうとしていた。
幼い少女の泣き声は、絶叫は、卯月に暴力を奮おうとしていた者たちの心の揺らがせた。
267 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:49:33.49 ID:eRGHfrTr0
「……薫ちゃん」
大きな泣き声が響いている筈なのに不気味な程に静かな中で、卯月が暖かな声色で薫に語りかけた。
「卯月……お姉ちゃん……」
卯月に振り向いた薫の顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
268 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:50:44.55 ID:eRGHfrTr0
そして、感情に任せて薫は卯月の下へ泣きながら駆け寄った。
「頑張ったね……薫ちゃん」
両手を広げて走ってきた薫を、卯月は優しく抱き締めた。
「うぁ……うぁぁぁぁぁ!」
その胸に顔を埋めて、声が漏れないように顔を、口を卯月に押し付けて、薫は絶叫した。
その背中を撫でながら、卯月は何も言わずに抱き締め続けた。
269 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:51:29.76 ID:eRGHfrTr0
先程までうるさかった市民の声は聞こえない。
全員が武器を下ろし、目の前の光景に目を奪われていた。
今の卯月の姿は、人をゲームで殺す未確認生命体の姿とはおよそ正反対の位置にあった。
270 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:52:24.95 ID:eRGHfrTr0
「その……ママにはダメって言われたんだけど、早苗お姉さんにナイショでつれてきてもらったの……そしたら、卯月お姉ちゃんがいじめられてて……じゅうを持ったおじさんが出てきて、みんなおどろいてはなれたから、刑事さんと卯月お姉ちゃんを守らないとって……」
「うん……うん……ちゃんと分かってるよ……偉いね、薫ちゃん」
卯月が薫の頭を優しく撫でる。
その暖かさで、薫は涙で濡れた顔を綻ばせた。
271 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:53:47.74 ID:eRGHfrTr0
>>270
一文抜けてました。
叫びを全て吐き出し、大人しくなった薫が卯月から顔を離した。
「その……ママにはダメって言われたんだけど、早苗お姉さんにナイショでつれてきてもらったの……そしたら、卯月お姉ちゃんがいじめられてて……じゅうを持ったおじさんが出てきて、みんなおどろいてはなれたから、刑事さんと卯月お姉ちゃんを守らないとって……」
「うん……うん……ちゃんと分かってるよ……偉いね、薫ちゃん」
卯月が薫の頭を優しく撫でる。
その暖かさで、薫は涙で濡れた顔を綻ばせた。
272 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:54:32.50 ID:eRGHfrTr0
「薫ちゃんが頑張ったんだから、私も頑張らないとね。
……見てて、薫ちゃん、私も頑張るから!」
卯月がステージを見た。
その瞳にはもう涙も困惑も浮かんでいない。
強い覚悟で満ちていた。
すぅっと、卯月が大きく息を吸う、そして……
273 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:54:59.95 ID:eRGHfrTr0
「憧れてた場所を ただ遠くから見ていた」
274 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:55:33.45 ID:eRGHfrTr0
歌った。
輝くような笑顔で、力強く凛とした声で、ただ歌った。
275 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 21:57:17.00 ID:eRGHfrTr0
S(mile)ING!
https://www.youtube.com/watch?v=hsiSbpOQ0rw
276 :
◆ZfqRKaJB86
[sage]:2017/07/04(火) 21:59:37.02 ID:eRGHfrTr0
>>275
本当はフルなんですが、卯月の声だけのフルバージョンは上がっていませんでした。
フルバージョンは各自、CDなどでご視聴ください。
とても良い曲ですよ。
277 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:00:58.18 ID:eRGHfrTr0
音響機器の一つもない、楽器の音もないたった一つだけの歌声。
みんなに笑顔を、幸せを届けたいと夢を語った卯月の歌声。
それは、確かな光を放っていた。
その光は、人の心を照らす。
自らの心を照らし出され、武器を手にしていた人々は、自分の正義の歪みを自覚せざるを得なかった。
そして、その後の行動はたったの二種類。
武器を下ろし、道を開ける。
もしくは、自らの歪みを認める勇気を持てず、やけくそ気味に卯月に襲いかかるか。
278 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:02:08.94 ID:eRGHfrTr0
だが、襲いかかる彼らは止められる。
一条薫に、夏目実加に、杉田守道に、片桐早苗に、そして……ある者たちに。
彼らはずっと自分の信じる彼女を、卯月を本当に信じていいかどうか葛藤し、それを見極めるためにここに来た。
襲われる卯月を見ても、どうするのが正解なのか、自分の正義が正しいのか、自信が無く、ただ見ていることしか出来なかった。
だが、卯月が放つ光により、自分の正義の正しさを照らされ、彼らは動き出した。
その者たちを、今は『ファン』と呼ぶ。
だが、一昔前はこうとも呼んだ、『親衛隊』と。
歪みを認める勇気の無い者を取り押さえる彼らは、正しく卯月の『親衛隊』だった。
279 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:03:04.55 ID:eRGHfrTr0
もう、卯月の進む道を邪魔する者は居なかった。
ステージまで、綺麗に道が開き、そこを卯月は薫と手を繋いで歩いて行く。
ステージの階段で、薫の手を離すと、卯月はたった一人でその階段を上る。
ステージにまで上がり、武器を構えていた人々はもういない……ステージの上にはたった一人、卯月だけがいた。
280 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:03:47.38 ID:eRGHfrTr0
「愛をこめてずっと歌うよ」
281 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:04:15.32 ID:eRGHfrTr0
ステージに上がり、観客席の方を振り向いた卯月の表情は、歌い始めた時から変わらない眩しい笑顔だった。
282 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:05:22.98 ID:eRGHfrTr0
「わー!」
歌い終えた卯月を、薫の感嘆詞と拍手と笑顔が祝福した。
「「うおおおおお!」」
「……大したもんだな」
杉田が卯月にコールを送り出した『親衛隊』を見て呆れたように声を出した。
「腕、全然衰えてませんね、早苗さん」
「アイドルのレッスンってのもハードなのよ、やってみる?」
「それは一条さんだけで結構です」
実加と早苗はお互いに称えあった。
「……ありがとう、龍崎くん……おかげで助かった」
「えへへ〜♪どういたしまして!
それと、刑事さんにも!この前はありがとうございまー!
それと、お礼言えなくてごめんなさい!」
「気にするな……そうだ、龍崎くん、一日署長には興味は無いかい?」
「しょちょー?」
「一日だけ、警察官としてお仕事が出来るお仕事だ」
「ホント!?かおるやってみたい!」
「私が上に掛け合ってみよう、期待していてくれ」
「わ〜い!」
一条と薫はわだかまりを無くして語り合った。
その誰もが『笑顔』だった。
卯月が歌を通して与えたかった『笑顔』を、彼らはしっかり受け取っていた。
辺りが和やかな空気に包まれ……
283 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:06:10.23 ID:eRGHfrTr0
「……何で?」
284 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:06:40.61 ID:eRGHfrTr0
一瞬で崩壊する。
ステージに、突如として一ノ瀬志希が現れたのだ。
285 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:07:42.09 ID:eRGHfrTr0
「志希ちゃん!?」
「志希お姉ちゃん!?」
真実を知らない早苗と薫が驚きの声を上げ、周囲がざわついた。
286 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:08:47.00 ID:eRGHfrTr0
「うるさいよ」
志希が口に右手を当てる。
その右手を離した時、その手には直径3cm程の玉が握られていた。
それを志希は無造作に空に放り投げる。
「っ!?まさか!毛玉!?」
いち早く事態を把握した一条が薫を庇うように抱き締める。
と、ほぼ同時に毛玉がはじけた。
287 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:09:43.18 ID:eRGHfrTr0
毛というより、針の硬さと鋭さに変化したそれが降り注ぐ。
「「ぐああああ!」」
おそらく、ライブの際にカメラを壊したのと同じように、それは観客席にいた人々に刺さると、刺さった人は次々と倒れて行く。
「眠ってて?」
刺さった者は体内に特殊な薬品を注入され、眠りについた。
残ったのは、毛玉から逃れた……いや、標的から外されたのは、一条薫、夏目実加、杉田守道、龍崎薫、片桐早苗、そして『親衛隊』の面々のみ……会場の約2/3が一瞬にして眠りについた。
288 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:10:37.98 ID:eRGHfrTr0
「これって……まさか……志希ちゃんが……?」
「志希お姉ちゃん……?」
志希の行動は、早苗と薫に即座に真実を教えた。
289 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:11:24.54 ID:eRGHfrTr0
戸惑い、声を絞り出した二人になぞ興味無いかのように、志希は光の消えた目で卯月を見つめ、卯月も志希を見つめ返していた。
「……ねぇ、どうして?
どうして失敗するかなぁ?」
「……志希ちゃん」
一歩ずつ、ゆっくりと志希は卯月に歩を進める。
290 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:12:07.12 ID:eRGHfrTr0
一条は危機感から銃を構えたくなる衝動に刈られたものの、それを抑える。
卯月が、それを許さない。
卯月は一条たちが銃を抜くことを善しとしない。
卯月は、まだ志希と人間として向き合おうとしている。
警察官として失格だが、一条たちは卯月のその意思に賭けていた。
291 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:13:15.82 ID:eRGHfrTr0
「これで三度目……本当はあの刑事に撃ち殺させる筈だった。
護送中の暴動で殺される筈だった。
今ここで死ぬ筈だった……
なのに何故?何が卯月ちゃんを生かすの?」
「………………」
「歌って何が変わったの?
歌なんてただの振動数の組み合わせなのに、貴女の歌は何が違うの!?」
「志希ちゃん……」
「完璧だの天才だの言われたアタシの計画を!何にも無いお前が何でここまで狂わせる!?何が違う!何が違うの!?」
「うぐっ!」
卯月に近づいた志希は、激情を顕にして卯月の首を締めた。
そのまま、未確認の姿に変わりながら、力を強めて行く。
猫を思わせる異形の顔が、卯月を見つめる。
292 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:14:05.22 ID:eRGHfrTr0
だが、一条は銃を抜かない。
かつて、17年前に五代雄介を信じた時のように、島村卯月を信じているから。
「何でお前は全部持ってる!?
何がアタシと違う!?
何なの卯月ちゃんは!?
どうして貴女だけ……」
「志希ちゃん……」
首を締められ、苦しいだろうに、その様子を出さず、卯月は優しい声で呼び掛ける。
293 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:14:46.22 ID:eRGHfrTr0
「ゴメンね……志希ちゃんが何で苦しんでいるのか……私にはわからないの。
だけど……貴女の気持ちには成れないけど、貴女を思いやることなら出来る……だから、ね、お願い」
首を押さえられかすれた声で、優しく、先程の薫にしたように、卯月は志希の背中に手を伸ばして、その化け物の身体を抱き締めた。
294 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:15:19.01 ID:eRGHfrTr0
「………………志希ちゃん」
295 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:15:46.46 ID:eRGHfrTr0
そして、ただ名前を呼んだ。
続く言葉はない。
いや、それに続く数々の言葉を、声色に詰め込んで、名前を呼んだ。
296 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:16:35.86 ID:eRGHfrTr0
「うぁ…………」
志希の動きが止まる。
卯月の首を締めていた手が離れる。
「あぁ……」
その手が、卯月の背中に回り、少しずつ身体から色が抜け、志希の肌が戻って行く。
297 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:17:01.73 ID:eRGHfrTr0
そして、卯月を抱き締め返した。
志希自身の、人間の身体で。
志希の顔に表情が戻る。
その顔は…………
298 :
◆ZfqRKaJB86
[sage]:2017/07/04(火) 22:19:08.27 ID:eRGHfrTr0
ここで七章は終わりです。
まさか七章を投下するだけで一時間以上かかるとは思いませんでした。
では続けて八章を投下していきます。
299 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:19:55.15 ID:eRGHfrTr0
第八章「志希」
300 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:20:47.62 ID:eRGHfrTr0
アタシは、産まれた時から天才だった。
言葉を話すのも早く、一人で歩けるようになるのも早かった。
両親は、そんなアタシに喜んで、誉めた。
『天才だ!』『wonderful!』二、三ヶ国語を用いてアタシを称賛し、撫で、抱きしめた。
その時の両親の良い香りを今でも覚えている。
301 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:21:21.87 ID:eRGHfrTr0
アタシには人の感情が匂いで判る。
各種ホルモンやエンドルフィン、ドーパミン、アドレナリン、etc、それらが分泌された時の僅かな匂いの変化を嗅ぎ分けることが出来るらしい。
成長するにつれて、その鼻がアタシを誉める両親の匂いに混じる嫌な匂いを嗅ぎ分けるようになった。
その嫌な匂いの正体にも、賢いアタシはすぐに気づいた。
302 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:22:10.66 ID:eRGHfrTr0
それは……恐れ。
両親は、私の才能を恐れ始めたのだ。
アタシのダッド……父親は科学者だった。
ダッドは、アタシが齢六歳にして彼の論文を読み、理解した時、遂に私を誉めることすらしなくなった。
アタシが何をしようと否定も肯定もせず、叱りも誉めもしない。
それがアタシが六歳の頃のダッド。
それまでの良い匂いはしなくなり、生ゴミか何かが腐ったような匂いしか発しなくなったダッド。
303 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:23:02.48 ID:eRGHfrTr0
だけど、アタシはその匂いに惹かれた。
科学者としての知識欲故か、その酷い匂いはどこまで行き着くのか知りたくなり、更に知識を詰め込み始めた。
同年代の子と全く遊ばず、ダッドの部屋に並んだ分厚い科学の専門書とにらめっこを続けるアタシに、遂にママもおかしな匂いを出し始めた。
たぶん、それは心配と困惑の香り。
我が子の成長の仕方を憂いて放たれた香り。
304 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:23:51.25 ID:eRGHfrTr0
やり方は間違ってなかったことを知り、アタシはダッドとママの匂いを更に発酵させて行った。
まだ十にも満たない年齢で、アメリカの超一流大学に特例で入学し、見せ物を見るような周囲の視線に堪え、研究を続けた。
だけど、研究成果なんてどうでも良かった。
何を発見しようと、何を作ろうと、それはあくまでも過程に過ぎなかった……人の匂いの変化を知るための。
アタシが成果を上げる度、ダッドの匂いは嫉妬と劣等感と恐怖でどんどん酷い物になって行った。
305 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:24:44.72 ID:eRGHfrTr0
それが堪らなく嬉しくて、アタシは加速して行った。
ママが止めるのも気にせずに、寝食を惜しんで研究を続けた。
そして、アタシが12歳の時、遂にアタシの研究が終わりを告げた。
306 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:26:04.82 ID:eRGHfrTr0
ダッドが科学者人生で数十年間ずっと追い求めていた命題を、アタシが解明したのだ。
親として、科学者としてのプライドをズタズタに引き裂かれ、どうなるのかが楽しみだった。
学会でそれを発表し、小うるさい記者たちのインタビューに付き合わされすっかり帰宅が遅くなったアタシは、期待に胸を膨らませてダッドの部屋に飛び込んだ。
307 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:26:41.09 ID:eRGHfrTr0
そのアタシを出迎えたのは、酷い腐臭と、首を吊ったダッドだった。
308 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:27:12.72 ID:eRGHfrTr0
吊られて首は伸び、括約筋が弛み、足元には汚物が転がるダッドの死体。
時間的には、私が学会で発表していた途中に抜け出し、自殺したようだった。
机の上に置かれた遺書には、アタシはダッドの数十年の努力を嘲笑う悪魔だと書かれていた。
309 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:27:54.11 ID:eRGHfrTr0
そうして、アタシは12歳にしてダッドを殺した。
310 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:28:38.36 ID:eRGHfrTr0
自殺だったけど、ダッドを追い詰めたのは間違いなくアタシだ……アタシが殺したも同然だった。
その時から……周囲の目が変わった。
珍しい珍獣か何かを見るようだった不快な視線は、親殺しの化け物を見る、恐怖の視線に変わった。
311 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:29:06.25 ID:eRGHfrTr0
ママはそれに堪えきれなくなり、ママはアタシを連れて日本に逃げた。
日本に帰る前までは、どうにか正気を保っていたママだったけど、ダッドが自殺して時間が流れると、放置された食べ物が腐っていくように、少しずつママは壊れていった。
312 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:30:07.44 ID:eRGHfrTr0
岩手県の母方の実家に行けば良いものを、アメリカに渡る前に住んでいた東京に拘って、東京に、僅かに残るダッドの残滓にすがり付くママは、アタシを殴るようになった。
『産まなければ良かった』
『どうして産まれてきた』
『どうしてあの人を殺した』
『お前は悪魔だ』
それだけがその頃のママがアタシに吐き出す言葉。
アルコールと、当時笑顔になれる、疲れがとれる等と言われて広く販売されていた未確認生命体第49号の化学兵器、『リオネル』がママの主食。
固形物の栄養はほぼ摂取せずに、アルコールとリオネルに溺れるママは、みるみる衰弱していったけど、アタシを殴る力は強いままだった。
313 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:31:08.74 ID:eRGHfrTr0
結果、4年前の夏のある日、ママは死んだ。
第49号のゲゲルの被害者となって。
314 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:31:57.57 ID:eRGHfrTr0
リオネルの効果で狂気に飲み込まれ、大声で高々と笑いながら絶命したママの姿は、酷く滑稽だった。
こうして、アタシは両親を失った。
不思議と、どちらが死んだ時も涙は出なかった。
ただ、アタシが求めた酷い悪臭が無くなったことは寂しかった。
315 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:33:01.38 ID:eRGHfrTr0
ママが死んで、アタシは、引き取るというグランマの手を振り払って一人で生きることを決めて、飛行機事故、並びに集団催眠だのなんだのと言われていた第49号の事件の傷痕の残る町を宛もなく徘徊していた。
そうしてママが死んだ五日後。
アタシはいきなり路地裏に連れ込まれた。
「……何かな〜?アタシに何か用?」
「小娘一人が出歩くと危ないってことを教えてやろうと思ってな」
4人の男たち、その目的は火を見るよりも明らかだった。
316 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:34:10.00 ID:eRGHfrTr0
その男たちを前に、アタシは心の底から笑った。
「何を笑って……」
言い終える前に、その男はアタシにぶん殴られて倒れた。
「バッカじゃないの?
人間4人で悪魔をどうこう出来ると思う?」
怒りで襲って来る男たちを、アタシは軽々と投げ飛ばした。
武道の根底にあるのは力学と生物学だ。
科学という分野に置いて、アタシを越える頭脳は恐らくない。
自分の身体の限界、出来る動き、耐久力、その全てを把握することなど造作もなく、また実践するのもアタシにとっては楽なことで、4人の武道の心得もない男たちなんて相手にならなった。
317 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:35:17.48 ID:eRGHfrTr0
「つぇぇ……」
「フフッ、こっからが本番だよ?」
仰向けに倒れた男の一人に跨がり、懐から茶褐色の小さな瓶を取り出した。
「これ、何だと思う?」
「何って……」
「はい時間切れ〜。
正解はね、フッ化水素酸」
「は?」
「そうか〜、キミの軽い脳ミソじゃ解らないか。
反応性の極めて高い薬品……劇薬だよ?」
「なっ!?」
「はい!ここで問題!
人間の身体で、痛覚が一番強い場所は何処でしょう?」
「はぁ?」
「ブブ〜!歯の神経は第二位で〜す!
一位はね、目の粘膜だよ!
そうだよね〜、少しゴミが入るだけでも物凄く痛いもんね!」
「な、何を……」
「フッ化水素酸ってね、歯科医が間違えて小さな子供の歯に塗っちゃって、その子供は大の大人数人に押さえつけられてたのにそれを振り払う程の力を出して絶命したんだって!
第二位だもんね歯は!
第一位だとどうなっちゃうのかにゃ〜?」
「お、おい……冗談……だろ?」
「さて……目薬のお時間ですよ?
もっと嗅がせて?その恐怖の匂い」
風の影響等を計算に入れ、恐怖をじっくりと味わえるように目の1メートル程上から液体を一滴垂らす。
押さえつけられて動けぬ顔に自由落下で落ちる雫は、目標をズレずに相手の目玉に……
318 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:36:25.11 ID:eRGHfrTr0
「ほう?」
落ちる前に、間に入り込んだ手がその雫を受け止めた。
「リントの中にも、面白い奴がいたのだな」
むせかえる程濃厚な薔薇の香りを放つ女性がそこにいた。
319 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:37:46.22 ID:eRGHfrTr0
その女性は、恐怖で気絶した男、逃げ出した男たちなど毛ほども気にせずに、アタシを、アタシだけを見下ろしていた。
「誰アナタ?」
「私が誰なのかはどうでもいい。
それよりも訊きたい……コイツらの恐怖に歪む顔を見て、楽しいか?」
「う〜ん?わかんない。
でも……この恐怖の匂いは、大好きだよ。
だって、志希ちゃんは悪魔だから♪」
「そうか……ならば、本物の悪魔になってみる気はないか?」
白い薔薇のタトゥを入れた彼女は、アタシの頬に手を這わせて誘った。
断る理由なんて、どこにも無かった。
320 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:38:39.11 ID:eRGHfrTr0
グロンギの霊石の欠片が馴染むまで一年、体内の霊石の欠片が完全な物に再生するのに二年がかかった。
その間に、もう一人彼女に選ばれ、アタシとそいつは彼女からグロンギのことを学んだ。
殺戮ゲーム以外では人間を殺してはいけないと聞いて、酷くガッカリしたのを覚えている。
そうして一年前、ようやくほぼ完全にグロンギとなり、ゲゲルの許可を得た。
だが、ペナルティをつけられる程霊石は馴染んでおらず、最初のゲゲルはチュートリアルということで時間制限等は無し、ただし、失敗したら問答無用で殺される。
そういうことになった。
321 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:39:47.36 ID:eRGHfrTr0
なるべく人間を沢山殺したかったアタシは、どんなことをすればいいか気ままに考えながら町を徘徊していた時……アイドルのロケ現場に出くわした。
伽部凜のことは薔薇の女、バルバから聞いていた。
同じようなゲゲルも悪くない。
そう思って、アタシはアイドルになった。
そこは、つまらない、同じような匂いのする人間しかいない陳腐な世界で、アタシは酷く退屈していた。
面白くない。
アイドルなら少しは面白い人間がいるかもと思っていたのに、全員つまらない香りばかりでイライラする。
322 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:40:40.86 ID:eRGHfrTr0
そう感じていた時。
「あの……怒ってますか?」
一辺たりとも、その感情は表に出していなかった筈だった。
なのに、彼女は……卯月ちゃんは初対面のアタシにそう話しかけた。
卯月ちゃんからだけは……嗅いだ覚えのないような、嗅いだことのあるような、不思議な、良い香りがした。
323 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:41:31.86 ID:eRGHfrTr0
アタシから見て彼女は酷く平凡だった。
突出した何かは無かった。
人の感情の機微に悟い訳でもない。
それなのに、何となくでアタシの感情を読み取ってみせた。
気に食わなかった。
アタシより何もかも下のくせに、同じ目線で、馴れ馴れしく、心に触れようとする彼女が。
だから、潰そうとした。
ダッドと同じ方法で。
彼女が習得に苦労していたステップを、一回見ただけで完全にモノにして卯月ちゃんに見せつけてやった。
軽々と自分を越えられ、彼女のプライドはどうなるのか楽しみだった。
324 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:42:30.76 ID:eRGHfrTr0
だけど、アタシのステップを見た彼女の反応はアタシの予想とは全く違った。
「わぁ〜!凄いですね、志希ちゃん!」
ただの、称賛。
鼻が良いから判る。
その称賛に嫉妬や劣等感等が、微塵も含まれてないことが。
ただ、ただただ純粋に、アタシのことを誉め称えていた。
325 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:43:36.55 ID:eRGHfrTr0
思い通りにならないのが、また嫌だった。
アタシに追い付こうと、夜遅くまでステップを練習する彼女の姿が目障りだった。
どれ程才能の差を見せつけようと、卯月ちゃんは挫折せず、純粋にアタシを称賛し、自分を研鑽し続けた。
不快で堪らなかった。
自分がダメになる数歩手前まで無理をして、それでも決して壊れない彼女が。
してはいけない無理はしない、それが彼女で。
それでもやらなきゃいけない無理ならする。
そんなおかしな人間が卯月ちゃんだった。
その生き方が、アタシへの姿勢が、大嫌いだった。
326 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:45:10.44 ID:eRGHfrTr0
だから、彼女のアタシのゲゲルのキーにした。
「リントにリントを殺させる、か……面白いゲゲルだ」
「でしょ?
オマケに〜♪その時にグロンギの素質のある人間を選別すりゃ一石二鳥ってこと♪」
「お前は……ダグバをも越える存在となるかもな……」
「ダグバ?なにそれ?」
バルバは、アタシのゲゲルを肯定した。
327 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:45:50.21 ID:eRGHfrTr0
ゲゲルはスタートし、CGプロが博打の覚悟で企画したライブツアーに、アタシが参加していない時も客席に紛れ、観客を眠らせた。
ブローチで卯月ちゃんの行く場所を知り、卯月ちゃんの印象を悪くするために卯月ちゃんのみが良く行く場所にいる人物を眠らせた。
後は、トリガーを引く人間の選出。
第一候補はプロデューサーだが、残念なことに彼には力がない。
少し不満が残るが、警察を呼び、その中から選んでみるのも良いだろう。
328 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:46:22.45 ID:eRGHfrTr0
「……なぁ、志希……お前は、躊躇しないのか?」
「はぁ?」
ある日、熊谷和樹がアタシに語りかけて来た。
それまで一切干渉しようとしなかったくせに。
329 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:47:17.52 ID:eRGHfrTr0
「俺のゲゲルが始まった。
特に拘りはなく、九人殺すだけだ……俺も、人は死んだほうが良いと思ってきた……でもよ、実際に手にかけてみて……なんか……さ」
「……何言ってんの?
ここまで来て今更何を言っているの?
アナタはもう殺人者、グロンギ、戻ることは出来ない」
「……そ、そうだけどよ……」
「……そうだ、場所を提供してあげる……そこなら、アナタのゲゲルはすぐに完遂される……そこで、完全に人間を捨てちゃいな?」
万が一にも卯月ちゃんを殺させないように、熊谷の身体に薬品を仕込むと、そのライブのために状況を整えた。
掲示板に書き込みをし、プロデューサーとちひろさんを誘導して警察に相談させた。
330 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:48:12.77 ID:eRGHfrTr0
その男の匂いを嗅いだ瞬間に、トリガーを彼にすることを決めた。
一条薫、彼の匂いは独特だった。
いや、彼自身の匂いは平凡な物だ……だが、何かの残り香のような物がついている。
それは、例えるならば青空の香り、その残り香が、彼から漂っていた。
331 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:48:48.51 ID:eRGHfrTr0
そして、あのライブの日、熊谷のゲゲルは失敗した。
一条薫によって熊谷は追い払われた。
その結果にがっかりしながら着替えていた時、卯月ちゃんの様子がおかしいことに気づいた。
「どうしたの?卯月ちゃん」
「志希ちゃん……あの人、何であんなことしたんでしょう……」
「ああいう生き物なんだよ。
未確認生命体、卯月ちゃんやアタシが産まれたばっかの頃の奴らだけど、知ってるでしょ?」
「はい……でも……」
「『でも』?」
「……あの人、人を襲う時、手が震えていました……」
熊谷の奴は、怖じ気付いていたらしい。
全くもって情けない、グロンギの恥だ。
332 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:50:00.66 ID:eRGHfrTr0
だが、この状況は善い。
「……それなら、確かめに行ってみる?」
「え?」
「本当はアレはどんな人なのか……黙っててあげる、そこの窓から出ていって確かめに行ったら?
ん〜、たぶん近くの公園に行ってると思う」
熊谷に仕込んだ、眠り病のとは違う薬品のおかげで、アタシには居場所がしっかりとわかった。
「志希ちゃん……はい!行ってきます!」
「うん……おっと、ちゃんとブローチ着けてってね」
「あ、はい!」
こうして、あの一条とかいう刑事に卯月ちゃんが未確認生命体だという偽の証拠も掴ませた。
333 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:50:57.91 ID:eRGHfrTr0
あとは……
「う〜ん……」
「どったの?プロデューサー」
「志希か……いや、この前のライブが未確認のせいで大赤字になってしまってな……少し経営がな……」
「ふ〜ん……ならこれは?」
「?……何だこの書類?」
「仕事場から貰ってきたの、その合同ライブ、シークレットゲストのアイドルたちが全員眠り病になっちゃって急遽代わりのアイドルたちを探してるんだって」
「……近いな」
「だけど、それしかないんじゃない?」
「う〜ん……確かにな……検討しておく、準備期間が短いからキツいだろうけど……」
「……にゃはっ♪」
舞台は整った。
334 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:51:33.38 ID:eRGHfrTr0
「へ〜、あの刑事さん、ポレポレ知ってたんだ……」
「うん、おやっさんと結構前からの知り合いみたいだったよ」
「へぇ〜♪」
キャストも呼んだ。
335 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:52:01.31 ID:eRGHfrTr0
「調子はどうだ?」
「上々、もう超硬化形態も手に入れた……後は、時を待つだけだよ」
力も手に入れた。
336 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:52:50.56 ID:eRGHfrTr0
「……なぁ、志希」
「どったの?プロデューサー」
「……時期的に、お前が来た頃から……眠り病になる人が出てきてる。
出演してなかった公演の時、お前がチケットを購入して見に来てることがわかった。
そして、このライブの話を持ってきたのは……お前だ、志希」
「……何が言いたいの?」
「……お前は……未確認生命体……なのか?」
「………………」
「ハハッ……なんてな、悪いな、疑って」
「ん〜、卯月ちゃんじゃなくてアタシに来ちゃうか……鋭すぎるのも考えものだね〜、トリガーをキミにしなくて正解だったかも♪」
「…………志希?」
「おやすみ、プロデューサー」
邪魔者は眠らせた。
後は、本番だけ。
337 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:53:51.40 ID:eRGHfrTr0
なのに……
338 :
◆ZfqRKaJB86
[saga]:2017/07/04(火) 22:54:18.66 ID:eRGHfrTr0
失敗した。
あの刑事は、卯月ちゃんを撃たなかった。
どうして?
あの刑事は完全に卯月ちゃんを疑っていた、なのに……何で卯月ちゃんを信じたの?
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