千歌「私のぴっかぴか音頭・タイムトラベル」

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:06:00.93 ID:smyUCZOA0
サンシャイン長編
地の文あり


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1497888360
2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:06:54.86 ID:smyUCZOA0


千歌「みんな! そろそろ準備できた?」

曜「ばっちりであります!」

浴衣姿の曜ちゃんがびしっと敬礼を返してくれた。

8月15日、桟橋の上、日は既に傾きかけ。

予報通り熱帯夜を迎えつつある内浦の海を、熱を孕んだ空気がもやりと包んでいた。


果南「ほらほら、早く船に乗ってよー」

善子「クク……! 箱舟の主は、この堕天使ヨハネよ……」

花丸「船は果南さんのおじいちゃんのだよ」

お決まりの雑談を交わしながら船に乗り込む。


鞠莉「hmm...」

果南ちゃんの帯を締めなおしながら、不意に鞠莉さんが呟いた。

鞠莉「なんだか変な感じね。やっぱりお盆は慣れないわ」

果南「そう? ずっとこうだからわかんないや」

鞠莉「にぎやかなのに、sentimentalっていうか……」

ルビィ「過去を想う日、でしたっけ」

梨子「千歌ちゃんによればね。ちょっとロマンチック……。ふふっ、千歌ちゃんっぽくはないかも」

千歌「ちょっと、失礼だよー!」
3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:07:33.42 ID:smyUCZOA0


Aqoursに盆踊りに出てほしい。

地区予選出場が決まった直後、そう頼まれた。

もともと盆踊り風の曲を作りかけていただけに、二つ返事で了承した。

「過去を想う日」

それが今回のコンセプトだった。

私が提案したらしいという話に胸を張ったが、実はよく覚えていない。

練習に、ラブライブに、歌詞に、ちょっぴり夏休みの宿題なんかやってみたり。

忙しい生活のせいか、気がついたらぼうっとしていることが増えていた。

4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:08:15.08 ID:smyUCZOA0


花丸「マルは素敵だと思うずら。ご先祖様と関わるお盆らしさもあって……」

ダイヤ「ええ。これまでのことを、つい思い返してしまいますわ」

梨子「私は、今ここにいることを不思議に思うかな。昔の私が知っても絶対信じないよ」

梨子「やっぱり、考えちゃうな。もしも、こうだったらって」

ルビィ「ルビィたちが9人一緒にいるの、すごい確率だったのかな……?」

千歌「そうだよ、奇跡だよ!」

善子「もう、千歌さんはそればっかりね」

曜「すっかり口癖だもんね」

千歌「え、そうかなー…?」

皆が静かに笑う。私も笑って、配置につく。

そういえば、船の上で踊るなんて無茶な案が実現したのも、鞠莉さんと果南ちゃんがいたからこそだった。

このメンバーで、この場所で。本当に奇跡だ。

地方予選だって、この9人なら、きっと。


――本当に、そうなのかな。

5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:08:47.31 ID:smyUCZOA0


ドンドンと太鼓の重い音がした。

船の先頭で、提灯を掲げて目を閉じる。


千歌「……」


私は梨子ちゃんの言葉を胸の中で反芻していた。

Aqoursの皆の顔を想うたびに、妙な気分になった。

くすぐったいような、縮み込むような、浮いていくような、沈んでいくような。

嬉しいような、恥ずかしいような、そして、不安なような。


そうだ、私はこの時、不安だった。


太鼓が鳴り続けている。

数拍、心で数えた後に目を開ける。



「「「あっちから こっちから よっといで――――」」」



ギイギイ揺れる船の上、控えめに袖を振る。

ぽつりぽつりと、海がランタンの光で埋まっていった。

6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:09:24.02 ID:smyUCZOA0


海から見る淡島の岸は、海上の明かりと屋台の電飾で輪郭がぼやけて見えた。

私たちは曲に合わせて足を運ぶ。



「「「あっちから こっちから よっといで――――」」」



くるくると回るたび、暖かいオレンジ色の光が尾を引いた。

曜ちゃんと目が合った。

にこりと笑いかけてくれた。

私は妙な気分を抱えたまま、また回った。

蝶が飛んでいた。

私の持つ提灯の近くを、ひらりひらりと舞っている。

思わず目で軌跡を追おうとして、今度は梨子ちゃんと目が合った。

集中しなさいと目が言っている。

なぜか心がざわついた。

また梨子ちゃんの言葉が頭をよぎった。


――2人は、どうしてここにいるんだろう。

もし、2人が。ううん、皆が。

もし、もし―――
7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:09:57.25 ID:smyUCZOA0


唐突に、ぐにゃりと不気味な音を立てて視界が歪んだ。


千歌「あ、れ……?」


強烈な眩暈に襲われる。

明るいオレンジ色だった視界が痛々しい白に染まる。


千歌「う……くぅ……っ!」


手から提灯が落ちる。

足が空を切る。


千歌「ぇ……! や、やだ、助け――…!」


皆の声も、太鼓の音も、だんだんと聞こえなくなっていく。

船も、光も、夜の海も、すべてが白く溶けていく。



千歌「ぁ……」


浮遊感に目をつむり、いっそう強い眩暈に意識を失いかけて――

8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:10:42.62 ID:smyUCZOA0

そしてまた目を開けた。


千歌「ほぇ……?」


最初に目に入ったのは、くすんだ白だった。

ところどころに染みがあるが、やけに見覚えがある。


千歌「ここ、は……?」

私は何か柔らかいものに包まれていた。

先ほどまで私を襲っていた浮遊感は、もう消えていた。

太鼓の音は聞こえず、代わりにカチコチと時計の針の動く音が響く。


千歌「あれ、ここ……!?」


身を起こすと、赤い甲殻類のぬいぐるみがこちらを見つめ返していた。



まぎれもなく、私は私の部屋にいた。

9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:11:43.85 ID:smyUCZOA0

#1「私とAqours」
10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:12:26.38 ID:smyUCZOA0


◇―――――◇


千歌「え、えええ、な、なんで!? 私たち、船の上で……!」

あたふたと布団をめくる。ぬいぐるみは床に転がった。

千歌「私の部屋、だよね……でも、なんか、変……」

少しずつ意識がはっきりしてくるにつれ、私は言いようのない違和感を抱き始めていた。

昨日まで寝ていた自分の部屋。それなのに自分の部屋ではないような。


千歌「あれ、千歌、長袖だ……」

自分の着ている服も妙だった。衣替えなど、とっくの昔に終わっているはずだった。

千歌「お母さん、わざわざ出したのかな……」

私はどうなったんだろう。

船の上で踊っていて、急に眩暈がして、あのまま倒れたんだろうか。

それで家に運ばれて、パジャマも着せられて。


千歌「いやいや、それなら病院だよね」

千歌「うーん……とりあえず、誰かいないかな」

裸足のまま部屋の扉を開けて、廊下に出た。
11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:13:05.46 ID:smyUCZOA0


廊下は最近にしてはひんやりしていた。

ぺたぺたと歩いていると、黒いスーツを着た美渡姉がいた。

変だ。最近はクールビズだとかで、ジャケットは脱いでいるのに。

美渡「おー、寝坊助。早く降りていかないと遅刻するぞー」

千歌「え……?」

美渡「あ? あんた今何時か分かってないの? ほら早く顔洗って! 新年度だからって曜ちゃんと待ち合わせしてるんでしょ!」

千歌「え、ど、どういう……。曜ちゃん?」

美渡「は…? 昨日あんたが言ってたんじゃん。2年生最初の日は曜ちゃんと登校するんだーって、嬉しそうに」

千歌「新、年度……?」

千歌「い、いや、いやいやいや、盆踊りは? 私どうなったの!?」

美渡「千歌、何言ってんの……?」

美渡姉は訝しげな目を私に向けた。
12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:13:56.75 ID:smyUCZOA0


志満「あら千歌ちゃん、やっと起きたのね」

階段を上ってきた志満姉も、新学期がどうとか、曜ちゃんがどうとか声をかけてきた。


美渡「志満姉、千歌がおかしい。いや、いつも変だけど、なんというか……」

志満「え? 大丈夫? 熱があったり……」

ぴとっと志満姉が私の額に手を当てる。


志満「おかしいわね、熱はないみたいだけど……」

千歌「志満姉! 私どうなったの? ほら、志満姉たちも盆踊りの会場いたよね?」

志満「……盆踊り?」

千歌「ほら、この前言ったじゃん! 盆踊りに私たちが出るよって! Aqoursの皆で踊るって!」

志満「ええ……?」
13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:14:24.36 ID:smyUCZOA0

あまりにも話が通じない。

美渡姉にはからかわれているのかと思ったが、志満姉はいたって真剣そうだ。

何かがおかしいという思いで、徐々に鼓動が速くなっていた。


千歌「ねえ、志満姉!」

つい大きな声を出してしまう。

志満姉は少し黙り込んだ後、遠慮がちに口を開いた。






志満「あー、千歌ちゃん? 今日、まだ4月よ?」

14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:15:13.76 ID:smyUCZOA0


◇―――――◇


曜「ねえ千歌ちゃん、2年生になってもよろしくね!」

鞄をふりふり、曜ちゃんが笑いかけてくる。

千歌「う、うん……」

曜「……」

曜「……一緒のクラスだといいね! って、私たちの学年は1クラスしかないか、たはは!」

千歌「…あは、はは……」

曜「……」

曜「千歌ちゃーん……さっきの話、やっぱり気になるの? その『あくあ』がどうとかってやつ」

千歌「……っ」

曜ちゃんの何気ない言葉に、ざらりとした感情が胸を撫でる。

結局、美渡姉と志満姉の言う通り、8時ごろに曜ちゃんが迎えに来た。

新学期だから一緒に行こう、そう約束したのは私からだったそうだ。


曜ちゃんが来る頃には、私は携帯の画面も、テレビのニュースも新聞も、全部チェックし終わっていた。

そのどれもが、今日は4月8日であると言っていた。

どうやら私は、今日から2年生になるらしかった。

そして何よりも、曜ちゃんは何も覚えていなかった。
15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/06/20(火) 01:15:30.09 ID:fb+6PDJl0
つまんなそうだな
16 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:16:08.19 ID:smyUCZOA0


千歌「ねえ曜ちゃん、ほんとに何も知らない? Aqoursだけじゃなくて、盆踊りとか……」

曜「盆踊り? 去年一緒に行ったやつ?」

千歌「そうじゃなくて、ほら、サンシャインぴっかぴか音頭を……」

曜「な、なんか変な名前だね。誰が考えたの?」

千歌「誰って……! 誰って、Aqoursの皆だよ! 皆でこれがいいって、決めたじゃんっ!」

急に声を荒げた私に、曜ちゃんはびっくりしたようだった。


曜「え、え、ごめん千歌ちゃん。嫌なこと言っちゃったなら、謝る……」

しゅんと俯いたあと、曜ちゃんは小さく声を出した。

曜「その、『あくあ』についても、私全然わからなくて……。でも、千歌ちゃんが真剣なのわかるから、ごめん……」

千歌「曜ちゃん……」

曜ちゃんは本当に申し訳なさそうだ。

追求したい気持ちをぐっと飲み込んで耐える。


曜「『あくあ』、『あくあ』かあ……」

千歌「……っ…」

ぴんと来ていない曜ちゃんに、無性に腹が立った。

その『あくあ』で悩んで、すれ違って、結局曜ちゃんが真夜中にわんわん泣いたのは、ついこの前なのに。

違った、今日は4月8日だったんだっけ。

私だけ。私だけが、4か月も先の時間を歩んでいた。

17 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:16:43.68 ID:smyUCZOA0


曜「そ、そういえばさ、転校生の話」

不機嫌そうな私を見て、曜ちゃんは話題を変えた。

千歌「転校生?」

曜「うん、昨日部活の子たちが言ってたじゃん! 東京から来るんだって」

千歌「それって……」

東京からの転校生。4月。今日から2年生。もしかして。

千歌「梨子ちゃんだ……」

曜「えっ! 千歌ちゃんもう名前まで知ってるの?」

千歌「あ、ううん、えっとね」

曜「……?」

梨子ちゃんは、覚えてるかな。

家が隣なこと。お互い悩みを打ち明けたこと。一緒に曲を作ったこと。9人で想いを1つにしたこと。

千歌「覚えてるかな……」

曜「……千歌、ちゃん?」

心配そうに曜ちゃんが覗き込んでくる。

18 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/06/20(火) 01:17:20.31 ID:Q1HNWGM00
また時間モノか
ラブライブ板でやってチヤホヤされてろや
19 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:17:23.80 ID:smyUCZOA0


曜「あ、あのさ! 今日の部活のことだけどさ!」

曜ちゃんは、無理矢理出したような明るい声でまた切り出した。

千歌「部活? 曜ちゃんの水泳部のこと?」

曜「そうそう。千歌ちゃん今日も来るよね? 後輩も来るかもしれないしさ、頑張ろうね!」

千歌「……え?」

来るって、水泳部に?

曜「あれ、でも千歌ちゃん水着は? 荷物少ないけど……」

千歌「み、水着?」

曜「うん。今日はタイム更新するんでしょ? せっかく一緒に選抜合宿いけるんだからって」

千歌「ちょ、ちょっと待って、ちょっと待って……」

タイム、選抜合宿。

馴染みの薄い言葉に理解が追い付かない。

20 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:18:03.00 ID:smyUCZOA0


千歌「私が水泳部? 選抜合宿?」

曜「え、そ、そうだよ! 部内で何人か選ばれるやつ。ほら、絶対一緒に行こうねって、パパと練習したじゃん!」

千歌「……」

千歌「……スクール、アイドルは……」

曜「え……ご、ごめん。私、ほんとにわからなくて……」

千歌「……」

曜「ねえ千歌ちゃん、その、今日は変だよ。何かあったの?」

千歌「……何でも、ない」

変なのは、曜ちゃんの方だよ。美渡姉の、志満姉の、学校の方だよ。

スクールアイドル部も、Aqoursも、何にもない。

代わりに私は水泳部で、しかもそれなりに好成績?

千歌「もう、わけわかんないよ……。何でこんなことに……」

ただ過去に戻ってきただけじゃ、ないのかな。

21 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:18:49.27 ID:smyUCZOA0


学校に着いた後も、私は違和感と闘っていた。

例えば自動販売機。

以前はなかったはずの場所で、ぴかぴかと赤い体を光らせていた。

例えば校舎の壁。

ひびが入っていたはずなのに、知らない間に真っ白に塗りなおされていた。

例えば教室の机。

剥がれた木片や表面に開いた穴に困っていたのに、樹脂製の軽い机に変身していた。


千歌「私の知ってる浦女じゃない……」

ぐでんと机に頬をつける。

慣れない感触に、すぐ顔をあげた。


教室はいつもよりざわついている。

新学期なうえに、転校生まで来るとなれば当然だった。

入って来い、という先生の言葉に、一瞬まわりが静かになる。
22 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:19:36.01 ID:smyUCZOA0


梨子「あの、こんにちは……」

おずおずと入ってきた梨子ちゃんに、どきりとした。

曜ちゃんと話がかみ合わなかったことを忘れて、梨子ちゃんに期待してしまう。

大丈夫。きっと覚えてる。だって、梨子ちゃんだもん。


梨子「桜内梨子です。音の木坂から来ました。ピアノが好きで、コンクールにも出ています」

コンクール。

どくんと心臓が高鳴った。

やっぱり、梨子ちゃんは覚えているんだ。

だって、梨子ちゃんがコンクールに出られるようになったのは最近のことだ。

それまでは気持ちの上で問題があった、そう言っていたんだ。


千歌「梨子ちゃん……!」

嬉しくて、安心して、思わず声を上げる。

驚いた顔をした梨子ちゃんと目が合った。


梨子「あ、えっと、この前の!」

千歌「……え?」

梨子「ほら、道案内してくれた……。えっと……」





梨子「お名前聞いても、いいですか?」

23 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:20:19.24 ID:smyUCZOA0


◇―――――◇


千歌「……」

家に帰って、自分の部屋。

無言でどさりと鞄を落とす。

出迎えてくれた志摩姉にも、一言も声をかけずに来てしまった。


千歌「……嘘だ」

ぽつりと漏れた言葉とは裏腹に、私はわかってしまっていた。

千歌「嘘だ」

曜ちゃんは、Aqoursのことを覚えていない。

梨子ちゃんは、私のことさえ覚えていない。

千歌「嘘だ……っ!」

違う、そうじゃない。

覚えてないんじゃない。知らないんだ。

私は、今4月8日に来ているんだ。


千歌「嘘だ!!」

叩きつけるものさえなくて、拳をただ握って、また開いた。


24 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:21:36.36 ID:smyUCZOA0


千歌「だって、おかしいじゃん! さっきまで、踊ってたじゃん!」

千歌「Aqoursでラブライブに出ようって、そういう話だったじゃん!」

千歌「こんな、魔法みたいな、こんな、こんなの……っ!」

なんとか否定したくて、手当たり次第に引き出しをひっくり返す。


千歌「……!」

とさっと、ノートが床に落ちた。淡いみかん色の表紙だった。


千歌「歌詞ノート……! そう、そうだよ! 私歌詞書いたもん! 皆で歌って、踊って――」

表紙にあったはずの、Aqoursの文字はなかった。

裏表紙に書いたはずの、自分の名前はなかった。

ぺらりとページをめくる。

何も書かれていなかった。


千歌「みんなも忘れちゃったのかな……。Aqoursのこと」

呟いた途端、もしそうだったらと、恐ろしくなった。

千歌「花丸ちゃんも、ルビィちゃんも、善子ちゃんも……」

千歌「果南ちゃんも、ダイヤさんも、鞠莉さんも……」

ぶるりと震える。

25 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:22:09.29 ID:smyUCZOA0


新品の歌詞ノートを見て、よろよろと椅子に座る。

まっさらなページに目を落としているうち、視界がぼやけてくるのがわかった。


千歌「私の書いた、歌詞が……。みんなで歌った、曲が……」

理不尽だと言う思いが、ぽつりと漏れる。

何もなかった。真っ白だった。


千歌「何もない、なんにもないよ……っ! 何で、どうして!!」

ふつふつと怒りが沸き起こって来た。

拳をノートに叩きつける。
26 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:22:47.89 ID:smyUCZOA0

千歌「わけわかんないよっ! 4月? 始業式? だって、だって、踊ってたんだもん! 私、ちゃんとAqoursやってたんだもんっ!!」

ぽたりぽたりとページに無色の染みができる。

千歌「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!」

ノートのページをぎゅうっと握る。

1ページ目が、くしゃくしゃになって千切れていく。


千歌「わかんないよ! 帰してよ! 千歌をもとの場所に帰してよぉ……っ!」


子どもみたいに、手当たり次第に物を投げた。

ガンガンと音を立てて、そこらじゅうに傷ができる。

手元にものがなくなると、声にならない声を上げて、枕を思いっきり殴りつけた。

物音を聞き付けた志満姉に抱きかかえられるまで、ずっとずっとそうしていた。





―――――――

―――――

―――
27 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:23:20.97 ID:smyUCZOA0


―――


夢を見ていた。光の海だった。

私たちは、9人で浴衣を風になびかせていた。

くるりと身体をひねると、手に持った灯りがちらちらと瞬いた。

私は不安だった。

でも、何が不安だったんだろう。


『もし―――』


誰かの声が聞こえた。

それは私のようにも、Aqoursの皆の声のようにも聞こえた。

28 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:24:42.93 ID:smyUCZOA0


くらりと眩暈がした。

視界が白くなった。

動かない身体の先に、誰かの人影が見えた。


『諦めないで。会いに来て』


『もう一度、走り出して』


誰かの声がした。変に聞きなれた声だった。

千歌「待って…! 誰なの? 皆はどこにいるの!? 待って、待ってよ――――」

曜ちゃんの浴衣、梨子ちゃんの目、夕焼けに染まったAqoursの皆の顔――様々な景色が波打っている。


そのまま視界はだんだんと薄れていき、私は気だるさに包まれながら、意識を失った。






―――――――

―――――

―――
29 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:25:24.49 ID:smyUCZOA0


―――――


むくりと身を起こす。頬に手を当てて、濡れた跡をごしごしとこする。

千歌「……夢」

夢。私が過ごしたはずの時間。

必死に手を伸ばすのに、夢の残滓は炎のように揺らめいて消えた。

頭がじんと重かった。

「夜ごはん、置いてあるからね」

志満姉が書いたメモが机の上に置いてあった。

あちこちに投げつけたペンやぬいぐるみは、きちんと拾われていた。


ぽろんぽろんと、音がする。

もう真っ暗になった部屋の中、どこからかピアノの音が聞こえてくる。


千歌「梨子、ちゃん……?」

窓をガララと開ける。

少し大きくなった音色は、不思議と心地よく聞こえた。


千歌「諦めないで、会いに来て。もう一度、走り出して……」


夢で聞いた言葉を口にする。

漏れた言葉は、夜闇の中へしゅるりと消える。

30 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:26:08.57 ID:smyUCZOA0


あの声は、何だったのだろう。

いつも聞いている声だった。

千歌「私の声、だったような……」

励ますような、叱りつけるような、慰めるような、突き放すような。

甘さと苦さの入り混じった夢が、とくとくと胸で脈打っている。


千歌「もう一度、走り出して」


また、夢の言葉を繰り返す。

走り出す――どこに?

諦めない――何を?

机の上には破れたノートがあった。

携帯のカレンダーは、相変わらず4月8日を表示していた。


ああ、私はこの日から走り出したんだ。

曜ちゃんと学校に行って、梨子ちゃんに出会ったこの日から。

「もう一度」

そういうことなのだろうか。
31 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:27:01.10 ID:smyUCZOA0



千歌「もう一度、Aqoursを……」

千歌「もう一度、皆を……」

夢で聞いた言葉が、皆との思い出が、しゅわしゅわと心に染み込んでくる。

もう一度、走り出すんだ。

あの暑い暑い日に。輝いていた日々に。

そう、まだ4月8日なんだ。


軽やかなピアノの音はまだ続いている。


千歌「ねえ! 梨子ちゃん!」


大きな声で叫んでみた。

不意に音が止み、カーテン越しに人影が近づいてくる。

窓が開き、怪訝な顔をした梨子ちゃんが顔を出した。

梨子「……え? た、高海さん!? お隣だったの!?」

千歌「ねえ梨子ちゃん。お願いがあるんだ」

梨子「え、う、うん。何?」

千歌「私と、スクールアイドルやろうよ!」

32 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:28:08.39 ID:smyUCZOA0


梨子「……へ?」

千歌「スクールアイドルだよ! 歌って、踊るの! 梨子ちゃんの曲で! 私の歌詞で!」

梨子「……」

目をまん丸にして、梨子ちゃんはしばらく言葉を失っているようだった。

そして。

梨子「……ごめんなさい!」



千歌「そっか、そうだよね。……そうだったもんね!」


なくなっちゃったんじゃない。まだできていないだけなんだ。

また、ここからだ。

もう一度、走り出すんだ。



千歌「待っててね、皆。千歌、絶対帰るから」


方法すらわからないけれど。

取り戻すんだ。大好きな、Aqoursを。




―――――

―――


33 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:29:02.53 ID:smyUCZOA0


◇―――――◇


次の日から、私は毎日音楽室に通った。

はじめは苦笑いしながら受け入れてくれていた梨子ちゃんも、3日目には遠慮なくしかめっ面をするようになった。

梨子「千歌ちゃん。私にアイドルなんて無理だってば。だから、ね?」

千歌「そんなことない! 梨子ちゃんは絶対人気出るもん。知ってるもん」

梨子「……千歌ちゃんって、たまに不思議なこと言うよね。知ってる、とか」

千歌「え、そ、そう?」

梨子ちゃんには、事情を言えないでいた。

言ったところで信じてもらえないと思った。

千歌「とにかく、梨子ちゃんが必要なの!」

梨子「曲が必要?」

千歌「違うよ! 梨子ちゃんが必要なの!」

梨子「ごめんね。私、もうすぐ春のコンクールがあって」

きっぱりと梨子ちゃんは断った。

34 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:29:42.11 ID:smyUCZOA0

―――――


梨子「千歌ちゃん、また来たの?」

千歌「毎日来るよ、だって、一緒にやりたいんだもん」

梨子「そ、そう……」

梨子「でも、私はアイドルなんてやらないよ?」

千歌「いいよ、いつかやるから。千歌知ってるもん」

梨子「……」

千歌「今日はピアノ弾かないの?」

梨子「誰かさんのせいで弾けてないの」

こつんと額を叩かれた。

ピアノを第一に考えて、邪魔をされたと口を尖らせる梨子ちゃんは、なんだか新鮮だった。
35 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:30:15.10 ID:smyUCZOA0


梨子「千歌ちゃん、毎日毎日私のピアノを聞いて、飽きちゃわない?」

千歌「えー、私、梨子ちゃんのピアノ聞くの好きなんだけどなあ……」

梨子「クラスの他の子は、ちょっと聞いたら帰っちゃったよ」

千歌「そうなんだ」

梨子「それに、今日は美容院の予約があるから弾けないの」

千歌「そうなの? ……あ、私が道案内しようか? 梨子ちゃんまだこっちのことあんまり知らないでしょ!」

梨子「それはありがたいけど、恩を売っても入らないよ?」

千歌「今はそれは関係ないよー! 内浦の案内は地元民に任せなさい! って、もう梨子ちゃんにとっても地元か!」

梨子「……」

梨子「変な人」
36 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:30:54.43 ID:smyUCZOA0


ピアノのこと、音の木坂のこと、梨子ちゃん自身のこと。

たくさんの話を、梨子ちゃんに聞いた。

すでに知ってる話も、知らなかった話も、以前に聞いたことと違う話もあった。

そんな話は、すべて優しい音に乗って聞こえてくるのだった。

胸の奥がざらざらと荒れる。

梨子ちゃんのピアノ。私はそばでうんうん唸って、考え事。

Aqoursの記憶と今を重ねては、ずきりとした。


私は何も話さなかった。

話そうとすると、いつもいつも、Aqoursの影がちらついた。

口を開くと、すぐにあの日々の話がふよふよ飛び出して行きそうだった。

だから、私はこう言うんだ。


千歌「梨子ちゃんとスクールアイドル、やりたいな」

梨子「……ごめんなさい!」


梨子「ふふっ」

千歌「あ、梨子ちゃん笑ったなぁ!」

37 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:31:33.97 ID:smyUCZOA0

――――


梨子ちゃんは、私の知ってる梨子ちゃんと似ているのかな。違うのかな。

曜ちゃんは、私の知ってる曜ちゃんと似ているのかな。違うのかな。

私が梨子ちゃんの所に行き始めてから、曜ちゃんはあまり元気がない。

水泳部はどうするの。

一度だけ小さな声でそう聞かれた。


千歌「私のせいだよね……」

けれど、どうしても水泳部には足が向かなかった。

じろじろと上から皆が見る中で、無様に足をバタつかせていた自分を思い出して、顔をしかめた。


梨子「何だか、今日は浮かない顔してる」

千歌「あ、ごめんね」

梨子「ううん、気にしないで」

梨子「気が乗らないときはね、好きな曲を弾くの。まあ、今はコンクールの曲ばっかりなんだけどね」

千歌ちゃんは好きな曲とか、あるの? そう聞かれて、またAqoursと答えそうになった。

μ'sの歌を挙げると、梨子ちゃんは口の中で「みゅーず、みゅーず」と数回繰り返した後、またピアノを弾き始めた。

38 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:32:17.86 ID:smyUCZOA0


今目の前にいる梨子ちゃんは、あの頃、好きなはずのピアノに恐怖を抱いて、迷っていた梨子ちゃんとは違う。

コンクールに向かって、ただひたむきにピアノを弾いていた。

梨子「そ、その、あんまり見られると恥ずかしいんだけど……」

それでも、たまに見せる照れた顔や、じとっと睨むような顔は、記憶にある梨子ちゃんのままだった。

千歌「ね、じゃあコンクール見に行ってもいい?」

梨子「え、ええ!? それは、別に、いい、けど……」

手をわたわた振っている。

梨子「そっか……。千歌ちゃん来るのかぁ。頑張らなきゃ、ね」

ぽそりと呟いて、梨子ちゃんはぎゅっとこぶしを握った。

39 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:33:00.76 ID:smyUCZOA0

――――


4月12日。梨子ちゃんのところに通って一週間。

今日も梨子ちゃんを誘った。今日も断られた。

それでも、最近は何も言わなくても一緒に帰ってくれるようになった。

音楽室の鍵を返してくるから待ってて。そう言われた。


曜「千歌ちゃん」

夕焼けに染まった下駄箱の前で靴を履き替えていると、曜ちゃんがやって来た。

頬を上気させ、髪はしっとりと濡れている。


曜「また、行ってたの?」

咎めるような言葉に、自然と顔が下を向く。

千歌「……うん」

曜「ねえ千歌ちゃん。この前言ったよね。部活に来てって」

千歌「……うん」

水泳部には1度だけ顔を出した。散々だった日を思い出してまた顔をしかめる。

めちゃくちゃなフォームで泳ぐ私を、鬼と名高いコーチは思いっきり怒鳴りつけた。

それ以来、水泳部には行っていなかった。

40 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:33:40.50 ID:smyUCZOA0


曜「調子が悪かったのはたまたまだよ。皆気にしてない。コーチだって、きっと言い過ぎたって思ってるよ」

私は競技用の正しいフォームなんて知らなかった。

もう一度行ったところでうまく泳げるとはどうしても思えない。

曜「それに、今日は後輩の子も来てくれたんだよ。津島善子ちゃんって言ってね。私、バスがたまたま一緒で。誘ったら見学に来てくれたんだ」

千歌「え、よ、善子ちゃんが……?」

曜「あれ、知り合いだった? おかしいなあ。善子ちゃん、そんなこと言ってなかったけど」

ここ数日で気づいていた。自分の周りの、何もかもが記憶と異なっている。

梨子ちゃんはピアノを弾き続けているし、私は水泳部だし。善子ちゃんもどうやら登校を続けているようだった。

学校だって、私の記憶とはかなり違っていた。


曜「ねえ、千歌ちゃん。水泳、嫌いになった……? それとも私のこと、嫌?」

千歌「ううん、そうじゃなくて、そうじゃないの!」

曜「だったら何なのっ!」

千歌「……っ…」
41 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:34:24.09 ID:smyUCZOA0


千歌「ね、ねえ曜ちゃん。曜ちゃんは、私と一緒に、その……」

曜「……スクールアイドル?」

千歌「う、ん……」

はあ、と大きなため息をつくと、曜ちゃんはくしゃくしゃと髪を掻き混ぜた。

曜「この前、見たよ。μ'sの動画。凄かった。キラキラして、楽しそうで……千歌ちゃんが憧れるのも、わかるな」

千歌「じゃ、じゃあ!」

曜「でもさ」

曜「でも、ずっと一緒にやってきたじゃん! 水泳だって、水から顔を上げたときのキラキラが好きなんだって、そう言ってたじゃん!」

言ってない。私はそんなこと、言ってないんだよ、曜ちゃん。

曜「パパと練習だって一緒にしてさ! 昨日だって、パパ、千歌ちゃんのこと心配してたんだよ」
42 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:35:08.97 ID:smyUCZOA0


曜ちゃんのお父さん。普段はあまり会えないが、会うたびによくしてもらっていた。

千歌「お父さん、帰って来てるんだ……」

曜「え、そりゃ夜になったら帰ってくるよ」

千歌「え? 曜ちゃんのお父さん、フェリーの船長で……」

曜「へ?」

千歌「だ、だって曜ちゃん、あんまり会えなくて、少しだけ寂しいって、お父さんあんまり家にいないって、言って――」

曜「……何、それ」

しまった、と思った時にはもう遅かった。これも「違った」んだ。

曜ちゃんの声は、今まで聞いたことがないほど、低く、冷たかった。


曜「何それ、千歌ちゃん」

千歌「あ、あの、違うの。その、千歌、知らなくて」

曜「知らないって、何」

千歌「ご、ごめん、曜ちゃん。ごめ――」

バシンと、頬に衝撃が走った。
43 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:35:41.86 ID:smyUCZOA0


曜「バカ! バカ千歌ちゃん! あんなに一緒に練習したのに! パパにだって、たくさん泳ぎ方教えてもらったのに! こんなに真剣に話してるのに!!」

曜「もう知らない! 千歌ちゃんなんか梨子ちゃんとずっとアイドルやってればいいんだ!」

ぽろぽろと涙を流し、くるりと背を向けて、曜ちゃんは走って飛び出していった。

泣いているところはごまんと見てきたけれど、あんなに驚いた目は、傷ついた顔は初めてだった。


千歌「ぁ……曜、ちゃん、待って、待ってぇ!!」

追いかけようとして、足がもつれて転んでしまう。

千歌「曜ちゃん、曜ちゃんっ!!」

曜ちゃんの姿はすぐに見えなくなってしまう。

千歌「う、ぐっ……うぅ……うぅぅぅぅっ……」

よたよたと立ち上がり、じんじんと痺れる頬を押さえながら、下駄箱に寄りかかって泣いた。


梨子「お待たせ、千歌ちゃ――って、千歌ちゃん!? ど、どうしたの!?」

44 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:36:27.02 ID:smyUCZOA0

◇―――――◇


梨子「ほら、これで大丈夫。消毒も終わり。それで、曜ちゃんと喧嘩したって?」

千歌「……うん」

梨子ちゃんは私を家に連れ込んで、怪我の治療をしてくれた。

家は隣なのだからと断っても、ぐいぐいと腕を引かれた。

梨子「もう、そんな顔しないの。アイドルやるんでしょ?」

千歌「梨子ちゃんは?」

梨子「私は……」

梨子ちゃんはどこか遠い目をしていた。すぐに断られないことに違和感を抱く。

千歌「梨子ちゃん?」


梨子「……最近ね、夢を見るの」


千歌「夢?」

梨子「うん。夢の中でね、私は千歌ちゃんと……ううん、千歌ちゃんだけじゃなくて、曜ちゃんと、あと、他にも……」

梨子「9人で、踊っているの」

千歌「……っ!」

息を呑む。
45 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:37:01.28 ID:smyUCZOA0

梨子「ねえ、千歌ちゃんは知ってるの? これも、知ってるの?」

千歌「……そ、それ、は……」

どくんどくんと動悸が止まらなかった。

それは、Aqoursだ。Aqoursの夢だ。


梨子「毎日見るの。千歌ちゃんに誘われてから、毎日」

梨子「知っているなら、教えてほしいの」

千歌「梨子ちゃんは、ピアノのコンクールが、あるから……」

気づけば断っていた。

教えることで、梨子ちゃんの何かを決定的に変えてしまうような気がした。

ここ数日で、この梨子ちゃんがどれだけピアノを大切に思っているか、わかってしまっていた。

46 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:37:49.13 ID:smyUCZOA0


千歌「今は、そっちに集中した方が、いいんじゃ、ないかな……」

梨子「嘘。毎日勧誘に来る人の言う台詞じゃないよ」

千歌「……」

梨子「千歌ちゃん」

千歌「……あの、今日はもう……」

梨子「逃げないで、千歌ちゃん」

千歌「…っ!」

まっすぐな目から、視線が外せなくなる。

千歌「……わかった。話す、話すから……」

力なくそう言った。

千歌「その、すっごく長くなるんだけど、一言にするなら、ええっと……」


千歌「私、未来から来たんだ……」


梨子「……へ?」



―――――

―――
47 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:38:24.90 ID:smyUCZOA0


――――


梨子「え、っと……。予想外すぎて、何も言えないんだけど……」

話を聞き終わった梨子ちゃんは、頭を押さえて呟いた。

梨子「千歌ちゃんは、私たちがスクールアイドルをやっている未来から、跳んできたってこと?」

千歌「うん、たぶん……。でも、私の知ってる過去と違うし、詳しいことは全然わからなくて……」

梨子「そうだよね。ごめんね」

千歌「り、梨子ちゃんが謝ることじゃないよ!」

梨子「……」

梨子「そっか……、そうだったんだ……」

梨子「千歌ちゃんは、それで、私を誘ってたんだね」

千歌「……うん。だって、私の知ってるAqoursはあの9人だから」

梨子「……そっか」


それからしばらく、部屋は静かなままだった。

ちらちらとこちらを窺ったあと、梨子ちゃんがまた口を開いた。

48 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:39:11.66 ID:smyUCZOA0


梨子「ねえ千歌ちゃん」

千歌「……ん?」

梨子「私がスクールアイドルを始めたら、千歌ちゃんは帰れるの?」

千歌「……わかんない」


もう一度、走り出して。


ヒントかどうかもわからない、そんな言葉を頼りにしてしまっている。

千歌「わかんないよ、全然。でも……」


でも、それでも。


千歌「Aqoursが楽しくて、ずっとやっていたくて」

千歌「ほんとに、幸せで! みんなで先に進みたくて……っ!」

千歌「Aqoursって、すごいんだよ! すっごく仲良しで、休みの日も一緒にお出掛けしてさ! 練習だって、大会だって、いつも一緒で!」

気づけば、腕を振り回していた。何かを掴もうと、手を伸ばしていた。

けれど、手は梨子ちゃんの部屋の冷たい空気を掻くだけだった。

49 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:39:59.43 ID:smyUCZOA0


千歌「……」

千歌「たぶん、それだけなんだと思う。千歌には、それだけなんだ」

千歌「でも、ダメダメだ。絶対取り返すんだって誓ったのに。想ったのに。曜ちゃんを傷つけて、梨子ちゃんには迷惑かけて。ダメダメだよ……」

梨子「千歌ちゃん……」

梨子「ねえ、千歌ちゃんは、どうしたいの?」

千歌「……」

私は、どうしたいんだろう。

曜ちゃんと喧嘩をしてまで、戻りたいのかな。

梨子ちゃんからピアノを奪ってまで、帰りたいのかな。


ゆっくり考えていようと思うのに、気がついたら言葉が零れ落ちていた。

千歌「私は、帰りたい。またみんなで踊って、笑って、そんな日を過ごしたい」

梨子「……」
50 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:40:42.22 ID:smyUCZOA0


梨子「……私に、入ってほしい?」

千歌「それは! そう、だよ……。あ、でもでも! ピアノもやってほしいっていうか!」

梨子「……ふふっ、千歌ちゃんって、やっぱり変な人」

千歌「ええっ! そんなことないよ! 千歌なんて、ほら、普通だよ。普通星人だよ!」

梨子「えー? そうかなあ?」

普通の人は未来から来ないと思うけど。そんな冗談を言いながら、くすくすと梨子ちゃんが笑う。

梨子「……」

梨子「千歌ちゃん、もっと聞きたいな」

千歌「へ? Aqoursの話?」

梨子「うん。だって千歌ちゃん、さっき見たことないくらい素敵な笑顔をしてたから」

梨子ちゃんに頬をつつかれる。じんと痛んだ。

千歌「そ、そう、かな。えーっと、じゃあ……」





―――――

―――
51 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:41:22.91 ID:smyUCZOA0

――――


その後、梨子ちゃんにAqoursのことを話した。

何時間もかけて、一つ一つ丁寧に。

この世界のことは何もわからないけれど、Aqoursのことはびっくりするくらい詳しく覚えていた。

誰が、いつ、どこで、何をして、何が楽しくて――。

そんな話を、梨子ちゃんは文句も言わずに聞いてくれた。

梨子ちゃんは一つ一つの話に興味を持ち、質問し、驚いた。

善子ちゃんの堕天使話には手を叩いて笑い、曜ちゃんとの話では照れたように髪をいじった。


梨子「千歌ちゃんは、本当にAqoursが大好きだね」

千歌「……うん。大好き」

梨子「……そっか」

梨子ちゃんがにこりと微笑んだ。

梨子「ね、千歌ちゃん。コンクール、見に来てね」

千歌「う、うん、絶対行く」

梨子「あと、曜ちゃんとも仲直りすること。お昼休みのたびに気まずい空気とか、嫌だからね?」

千歌「うっ……。頑張ります……」

よろしい。そう言って梨子ちゃんはまた笑った。

52 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:42:10.51 ID:smyUCZOA0

――――


千歌「はあ……話しちゃったなあ……」

部屋に帰って、仰向けに寝転がる。

梨子ちゃん、一度も疑わなかったな。

Aqoursの夢を見ていたからだろうか。

それでも、救われた。


千歌「これからどうしよう……」

梨子ちゃんは結局入るとは言わなかった。曜ちゃんとは大喧嘩してしまった。

メンバー集めは、最初の一歩から大失敗だ。

どうして、あの頃は上手くいったのだろう。

何も言わないのに、曜ちゃんが名前を書いてくれて。結局梨子ちゃんも入ってくれて。

花丸ちゃんとルビィちゃんとも出会えて、善子ちゃんも来てくれて。

3年生なんて、あんなに反対していたのに、最後には……。


奇跡だよ、なんて口癖が、随分と重く感じた。

53 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:42:58.96 ID:smyUCZOA0

千歌「はあ……」

千歌「曜ちゃん、やっぱり怒ってるかな……」

曜ちゃんの、あの反応。

お父さんは、ここではフェリーの船長じゃないのかな。毎晩、家に帰ってくるのかな。

曜ちゃんは、そんなお父さんと楽しく、幸せに暮らしているのかな。


ピロンと音を立てて、携帯が鳴った。

千歌「あ、メール……よ、曜ちゃんからだ!」

慌てて開いてみると、真っ白な件名の下に、短い本文が書いてあった。



『千歌ちゃん 今日は叩いちゃってごめん。痛かったよね。でも、やっぱり心配だよ。詳しい話、いつか、いつかでいいから、絶対聞かせてね』



千歌「曜、ちゃん……」

千歌「やっぱり、曜ちゃんは、すごいや……」

じわりと潤む目を指で拭って、ポチポチと返信を打った。


『曜ちゃん 私こそごめん。……うん、絶対。絶対話すから、待っててね』
54 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:43:36.95 ID:smyUCZOA0

――――


4月14日。

コンクール会場は、格式ばった姿をした人ばかりで、少し気後れしてしまいそうだった。

梨子「あ、千歌ちゃん、こっちこっち」

声のする方を見ると、梨子ちゃんが桜色のドレスに身を包んで手を振っていた。

隣には梨子ちゃんのお母さんが静かに佇んでいる。

千歌「梨子ちゃん! ……すっごく、綺麗」

梨子「え、ええ……? て、照れちゃうな」

満更でもなさそうにそう言うと、梨子ちゃんは私の手を取った。

戸惑いながらも手を引かれて歩く。


千歌「梨子ちゃん?」

梨子「ね、千歌ちゃん。来てくれて、ありがとう」

千歌「え、う、うん……」

ぎゅっと梨子ちゃんの手に力が入る。

少し汗ばんでいるようだった。
55 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:44:13.08 ID:smyUCZOA0


千歌「……緊張してる?」

梨子「……正直」

困った顔をして、梨子ちゃんは手を離した。

梨子「毎回、緊張はするの。でも、今日は特に。今日だけは、最高の演奏がしたいから」

千歌「今日だけ?」

梨子「あ、いつもちゃんと全力だよ? でも、今日は特別」

千歌「どうして?」

梨子「……ふふ、内緒」

千歌「え、き、気になるよー!」

梨子「終わったら、教えてあげる。だから、ちゃんと見ててね」

千歌「うん……絶対に見てる」

もう一度、梨子ちゃんの手を握る。ふるふると、小刻みに震えていた。

56 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/20(火) 01:44:22.06 ID:SfFYCaLmo
入れ替わってるなら、この世界にいた方の千歌ちゃんの方がずっと苦労してそうww
57 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:44:50.19 ID:smyUCZOA0


千歌「梨子ちゃん。梨子ちゃんなら、大丈夫」

梨子「そう、かな……。だって、千歌ちゃんの知ってる私は、怖がりなんでしょ?」

千歌「確かにそうだよ。梨子ちゃんは控えめで、怖がりで……。でも、強いんだ。1人でも、仲間と遠く離れていても」

千歌「私は、それを知ってるよ」

手にぎゅっと力を込める。

梨子「……そっか」

短く呟くと、梨子ちゃんはそっと手を握り返してくれた。

梨子「千歌ちゃんは、不思議な人。急に現れたと思ったら、わけのわからないことばっかり言って。本当に、不思議……」



梨子「千歌ちゃん」


梨子「私のピアノ、聞いていてね」





―――――

―――

――
58 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:45:48.42 ID:smyUCZOA0


◇―――――◇


誰もいないステージの上。

梨子ちゃんと2人。

授賞式を済ませ、梨子ちゃん以外の出場者は全員が控室に戻っていた。


千歌「梨子ちゃんは着替えなくていいの?」

梨子「うーん、もう少しだけ」

千歌「……本当におめでとう。凄かった。その、千歌バカだから、こんな感想しか言えなくて、あれなんだけど……」

梨子「ううん、ありがとう千歌ちゃん。すっごく嬉しい」

つうっとステージ上のピアノを撫でながら、梨子ちゃんは微笑んだ。

梨子「ね、今日私が言ったこと、覚えてる……?」

千歌「今日が、特別だってこと?」

梨子「そう」

梨子「私ね……」

梨子ちゃんはふと客席の方を見た。

千歌「梨子、ちゃん……?」

一瞬、泣いているように見えた。

梨子「私ね、ピアノのコンクールに出るの、しばらくやめようと思うの」

59 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:46:21.58 ID:smyUCZOA0


千歌「え……」

千歌「な、なんで!? だって、凄かったじゃん! 来月にもう1回あるんでしょ? 今日授賞式で、役員の人がそうだって――」

梨子「出ないよ」

千歌「どう、して……?」

梨子「……」

梨子「千歌ちゃん」

千歌「う、うん……」



梨子「あと一曲だけ。聞いてほしいな」



それだけ言って、梨子ちゃんはピアノの前に座った。


梨子ちゃんはしばらく目を閉じて、深呼吸していた。

やがて薄く目を開けると、すぅっと息を吸い込んで――
60 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:46:59.11 ID:smyUCZOA0



梨子「―――ユメノトビラ ずっと探し続けた―――……」

トンと鍵盤を叩き、歌いだした。



千歌「ぁ……」



梨子「――君と僕との……つながりを探してた―――……」



ぽろぽろと流れる音が、梨子ちゃんの優しく力強い声が、全身から流れ込む。

μ'sの曲が好きだと話した時から、ずっと練習してくれていたのだろうか。


嬉しいような、つらいような顔をする梨子ちゃんを見つめながら、ただただ想う。

あの頃の思い出。Aqoursの思い出。梨子ちゃんとの、曜ちゃんとの、9人での―――



梨子「―――Yes 自分を信じて みんなを信じて―――」


梨子「―――明日が……待ってるんだよ 行かなくちゃ―――……」



行かなくちゃ。帰らなくちゃ。

梨子ちゃんの弾くピアノに合わせて、呟いた。





―――――

―――

61 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:47:40.96 ID:smyUCZOA0


梨子「……ふぅ」


千歌「梨子、ちゃん……」

最後の一音が鳴り、ステージはまた静かになった。


梨子「私、スクールアイドル、やるね」


千歌「どうして……?」

梨子「千歌ちゃんに会えたから」

千歌「私に……?」


梨子「千歌ちゃんと、友達になったから。たったの一週間だけど、一緒にいてくれたから」

梨子「Aqoursのことを話す千歌ちゃんの顔を、見ちゃったから。光り輝く舞台を、思い描いてしまったから」

梨子「千歌ちゃんにあんな笑顔をさせる経験を、私もしてみたいって。……そう思ったから」


梨子「だから、私……スクールアイドルになりたいな」


梨子ちゃんの言葉に、ほろりと頬が温かくなった。

千歌「うん……うん! 一緒にやろう、一緒に……」



梨子ちゃんに手を伸ばした、その瞬間だった。



突然、白い光が辺りを包んだ。

62 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:48:29.56 ID:smyUCZOA0


梨子「きゃあっ!」

梨子ちゃんが短い悲鳴を上げる。


千歌「り、梨子ちゃん!?」

梨子「だ、大丈夫……!」

千歌「梨子ちゃん! 服が、光って……」

梨子ちゃんのドレスの胸に近い部分が、淡く、白く光っていた。

その光は、軽く、柔らかだった。


千歌「あれ……何だろう……」


眩しさに細めた私の目に、ちらっと何かが映る。

ひときわ強く辺りが光った後、何かがひらりひらりと落ちてくる。


梨子「あれ……」



『入部届 桜内梨子』



綺麗な文字でそう書かれた短冊みたいな紙が、頭上を舞っていた。

63 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:49:11.28 ID:smyUCZOA0


梨子「これ、どこから……?」

梨子「でも、入部届だもんね。千歌ちゃん、はい、これ」

梨子が不思議そうにそれを受け取り、差し出してくる。

綺麗な手につままれた長方形の紙は、それは、まるで―――


千歌「梨子ちゃん……ありがとう……」

端の方が淡く輝くそれに、ゆっくりと手を伸ばす。



千歌「うっ……っ…!」

梨子「ち、千歌ちゃん!?」


ぐらりと眩暈に襲われた。

視界が白く染まっていく。

梨子ちゃんの顔が見えなくなっていく。


あの夏の日。船の上。

あの時も、同じ眩暈を感じていた。

64 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:49:51.83 ID:smyUCZOA0


梨子「千歌ちゃん……やっぱり、行っちゃうの……?」


千歌「梨子、ちゃん……」

だんだんと梨子ちゃんの声が遠くなっていく。


梨子「ねえ千歌ちゃん。前を向いて。止まらないで」


梨子「でもね、もし疲れちゃったら、私を――、私にAqoursの話をしたときの気持ちを、思い出してね。」


梨子「私、曲作り頑張るから。アイドルも、頑張るから。……ああでも、やっぱり、寂しいな―――」


私の視界は、真っ白になった。






―――――――

―――――

―――
65 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:50:34.90 ID:smyUCZOA0


◇―――――◇


目の前に、教室があった。

私は声も出せず、体も動かず、ただ意識だけが漂っていた。


ぼんやりと窓から明かりが差し、教室が仄かに赤く色づいている。

梨子ちゃんが静かな瞳で鉛筆を走らせる。

曜「ねえ梨子ちゃん、できたー?」

梨子「んー、もうちょっと……」

梨子「よし、できたよ」

トントンと梨子ちゃんが机を指で叩く。


なんだか、見覚えのある光景だった。

けれど、いつ見たのかはどうしても思い出せなかった。

いったい、いつ―――…。



『……』

薄い紙を手でさっと払うと、梨子ちゃんが顔を上げた。

66 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:51:15.08 ID:smyUCZOA0


『千歌ちゃん』


どこからか声が聞こえた。

優しい、桜色の声が。


『ずっとずっと、思ってたんだ。もしあの時、ちゃんと弾けていたらって』


『もう少しだけ、強い私だったらって』


『でもね、弱いから気づけたことがある』


『弱いからこそ、分かち合えたものもある』


『そういうの、全部含めて私なんだって。千歌ちゃんに出会った今なら、Aqoursで過ごした今なら、そう言える気がするな』


千歌「梨子ちゃん……?」


だんだんと、ぼやけていく。

机や窓が、雲のように尾を引いて溶けていく。

最後には、梨子ちゃんの姿もさらりと溶けた。

67 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:51:57.77 ID:smyUCZOA0

――――――――――#1「私とAqours」 
68 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:52:39.18 ID:smyUCZOA0


◇―――――◇


目が覚めた。

ざわざわと騒がしいどこかで、私の目の前には梨子ちゃんの顔があった。

千歌「う、うわあっ! り、梨子ちゃん!」

千歌「――あれっ? ここ……教室?」

辺りを見回すと、2年生の教室だった。

まだ見慣れないピカピカの机が乱雑に並んでいる。


梨子「そうだよ。もしかして、まだ寝ぼけてる?」

曜「相変わらずだなあ、千歌ちゃんは」

千歌「曜ちゃん……?」

千歌「あ、あれ? こ、コンクールは!? 梨子ちゃんは!?」

梨子「え、わ、私? 私なら、ここだけど……」

曜「えっと、ひょっとして夢でも見てた?」

千歌「夢……?」

千歌「梨子ちゃん、コンクールは?」

梨子「こ、コンクール? ピアノの? 変わった夢を見たんだね」

梨子「でも、実は私、コンクールにはそんなに出たくないと言うか、出られないと言うか……」

千歌「……」
69 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:53:10.09 ID:smyUCZOA0


梨子ちゃんだ。目の前にいるのは、控えめで、怖がりで、実は強くて。

それでもまだピアノを怖がっている、私の記憶の通りの梨子ちゃんだ。

一瞬、ほんの一瞬だけ、トロフィーを両手に抱えて満面の笑みを浮かべる「梨子ちゃん」の顔が、頭の中に浮かんで消えた。

寂しいと、「梨子ちゃん」は最後にそう言っていた。

千歌「……」

ちらりと携帯を見る。

「4月22日」

そう、表示されていた。一週間以上も時間が進んでいる。


ひらりと舞う『入部届』を思い出す。

「梨子ちゃん」から受け取った途端、眩暈がした。


梨子ちゃんは元通りになり、時間が少し進んだ。

千歌「戻って、来たのかな……」
70 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:53:46.66 ID:smyUCZOA0


ちらりと窓の外を見る。

少し曇り空。

梨子ちゃんが何かを一所懸命に書いていた、あの光景とは少し違うようだった。

あれは何だったんだろう。

「4月」に来てしまうもっと前に、あんなことがあった気がする。

思い出そうと首をひねっても、薄ぼんやりとした記憶しか出てこなかった。

おかしいな。Aqoursのことならなんでも覚えていられるはずなのに。
71 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:54:31.19 ID:smyUCZOA0


梨子ちゃんが、考え込む私の肩を遠慮がちに叩いた。

梨子「それより千歌ちゃん、もう練習の時間だよ。行こう?」

千歌「練習……?」

梨子「そう。やっと1曲目ができたんだから、踊りを考えないと」

千歌「1曲目……。スクール、アイドル……」

曜「そうだよ千歌ちゃん! これでも私、千歌ちゃんたちのステージを見るの、楽しみにしてるんだからね」

ばんばんと机をたたきながら、曜ちゃんが笑っている。

その笑顔には、少しだけ陰があるような気がした。


千歌「曜ちゃん……?」


曜ちゃんはスクールアイドルはやってないのかな。

頭はまだ混乱していたが、これだけははっきりわかった。

私は、また「違うところ」に来てしまっていた。
72 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:55:11.03 ID:smyUCZOA0


#2「私と幼馴染」
73 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:55:49.27 ID:smyUCZOA0

――――


梨子「1,2,3,4,1,2,3,4……」

体育館で、カウントに合わせてステップを踏む。

体育館には、硬めのマットを敷いた練習のしやすそうなスペースがあった。

私には見覚えのない場所だった。

学校も、変なままだった。


梨子「す、すごい千歌ちゃん! もう踊りを考えてたの?」

千歌「え、えっと……」

梨子ちゃんが見せてきた曲は、既に知っているものだった。

踊りも覚えている。

梨子「でも何だろう。少し違和感がある、かな」

梨子ちゃんが首をひねりながら動画を確認している。

違和感の正体はわかっていた。

この振り付けは、3人向けだから。

私と梨子ちゃんと、そして曜ちゃんと踊った曲だから。

浦女のスクールアイドルは、今は私と梨子ちゃんの2人だけのようだった。
74 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:56:45.88 ID:smyUCZOA0


千歌「曜ちゃん……」

梨子「もう、まだ言ってるの? それは、私も曜ちゃんがいてくれたら心強いと思うけど……」

千歌「喧嘩、してないんだよね。私と曜ちゃん」

喧嘩はどうなったのかと聞いても、梨子ちゃんは目を丸くするだけだった。

私が経験したこと全部が、なかったことになっているかのようだった。


梨子「うん、千歌ちゃんが誘って、断られただけだったよ。結局、曜ちゃんは衣装だけ手伝ってくれるって」

千歌「それじゃあ……それじゃあ意味ないのに」

小さく呟くと、梨子ちゃんは困ったように眉を下げた。

梨子「曜ちゃんだって、ずっと迷ってたんだからね。でも、最後にはやっぱりお父さんとの約束がって」

千歌「お父さんとの約束……?」

梨子「ほら、世界一の飛び込み選手になるって」

千歌「……」

話を聞くに、ここでも曜ちゃんのお父さんはフェリーの船長ではないようだった。

曜ちゃんはスクールアイドル部には入らず、水泳部で泳ぎと飛び込みの練習を続けている。


戻ったのは、梨子ちゃんだけ。

梨子ちゃん以外は、戻っていない。
75 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:57:27.57 ID:smyUCZOA0


梨子「ほら、ぼーっとしてるとダイヤさんに怒られちゃうよ」

千歌「うん……うん?」

ダイヤさん?

梨子「いつも千歌ちゃんは怒られてばっかりなんだから、ちゃんとしないと、ね?」

千歌「待って、待って! 何でダイヤさんが……?」

梨子「何でって、部長さんだし、来ると思うけど……」

千歌「ぶ、部長? 誰が? 何の?」

梨子「ダイヤさんが、スクールアイドル部の」

千歌「えええ!?」

梨子「ちょ、ちょっと千歌ちゃん、どうしたの?」

千歌「だ、だってだって! ダイヤさんだよ! そりゃμ'sの大ファンなのは知ってるけど、部長って――」

思わず大きな声が出た瞬間、重い音を立てて体育館のドアが開いた。

76 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:58:23.36 ID:smyUCZOA0


ダイヤ「誰が、何ですって?」

千歌「だ、ダイヤさん!」

ダイヤ「あら千歌さん。今日は準備体操をさぼってはいませんわね?」

千歌「え、あ、は、はい……」

梨子「生徒会のお仕事、お疲れ様です。ダイヤさん」

ダイヤ「ありがとうございます、梨子さん」

ダイヤ「さて、このままお2人の練習を見ていてもいいのですが……今日はお話がありますの」

ぽかんと口を開けている私を、ダイヤさんは部室に引っ張っていった。

部室は記憶通りの場所にあったが、少しだけ片付いていて、綺麗になっているような気がした。

ホワイトボードをコツコツ手で示しながら、ダイヤさんは私たちに座るように促した。

77 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 01:59:14.32 ID:smyUCZOA0


梨子「それでダイヤさん、話って……?」

ダイヤ「ええ……我が部存亡の危機なのです!」

梨子「そ、存亡の!?」

ダイヤ「……いいですわね、わたくしたちはこれから……」

ダイヤ「勧誘活動を行わなくてはなりません!!」

千歌「……はあ」

ダイヤ「舐めてますわね千歌さん! 皆が皆、あなたたちのように楽々入ってくれるわけではありませんわ!」

あ、楽々だったんだ、私たち。

ダイヤ「とにかく、今のままでは人数も十分ではありません。先ほど外から見た所、千歌さんの振り付けは素晴らしいですが……」

ダイヤ「それは、奇数を前提に作られたものでは?」

千歌「え、う、うん……」

梨子「千歌ちゃん敬語、敬語! 先輩だよ!」

横でこそっと梨子ちゃんがつついてくる。

78 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 02:00:23.77 ID:smyUCZOA0


ダイヤ「では、センターが必要ですわね。当然、あなたたちのどちらかにやってもらって、残りは新入部員が……」

てきぱきと文字を書いていくダイヤさんを、ぼんやりと眺める。

ダイヤさんが、部長。

ダイヤさんと、自分と、梨子ちゃんと。

普段あまりない組み合わせに、そわそわしてしまう。

「ここ」ではこれが普通なのかな。

毎日他愛もない会話をしながら、3人一緒に4月を過ごしてきたのかな。


前の世界でもそうだったのかな。

私は浦女にはスクールアイドル部はないと思い込んで、梨子ちゃんと話していた。

探せば、ダイヤさんがいたのかな。


千歌「あ、あの!」

ダイヤ「はい、千歌さん」


千歌「ダイヤさんが踊るんじゃ、ダメなんですか?」


しんと、部室が静まり返った。

ダイヤさんは少し驚いたような、それでいて困ったような顔をしてこちらを見つめていた。

79 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/06/20(火) 02:00:56.90 ID:smyUCZOA0


梨子「ち、千歌ちゃん!」

千歌「あ、わ、私、その……ごめんなさい」

また何か傷つけてしまったのだろうか。

下駄箱で涙を流す曜ちゃんの顔が浮かんできた。


ダイヤ「……いえ」

ダイヤ「気にする必要は、ありませんわ。ただ……」


ダイヤ「ただ、わたくしはもう踊りません。それだけですわ」

きっぱりと、ダイヤさんはそう言った。

千歌「……」

ダイヤ「……」
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