望月杏奈「秘密の口づけ」

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 01:00:28.43 ID:4W2TcWMi0
​「うわぁ……酷い顔だな」

うん、と。昴さんの言葉に、心の中で同意しておく。
流石に声に出して同意しにくい……と言うより、したくなかった。
当の本人はそんな杏奈の胸中なんてまったく知らずに楽しそうに笑っている……むむ。

「うへへ…………。私が選ばれし戦士だなんて……」

百合子さんは楽しそう……。本当なら微笑ましいはずなんだけど、ね。

「いつからだ? こんなに百合子がヤバくなったのって」
「昨日から……、かな…………」

そう、昴さんの言う通り百合子さんはヤバイ……。
とても、ヤバイ……。
百合子さんはよく妄想する。それはもう事務所の皆にとっては慣れっこで、今更騒ぐことじゃない。
だけど、ここ数日で状況は加速していた。
なんというか…………妄想の世界に、より深く潜って行くようになった、みたい……。

「妄想の中身を垂れ流されるのもアレだったけど、垂れ流さない代わりに、これもこれでなー」
「そう、だね……」

そう、百合子さんは妄想の内容を口に出さなくなった――これだけなら、良かったんだけど、ね……。
ただ、一つ問題が。

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2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 01:01:42.41 ID:4W2TcWMi0

「妄想してる間に、その、アイドルとしてダメな顔をするのもな」
「アイドルどころか、人としてダメだと思う…………」

言えてる、と昴さんは言いながら百合子さんの頬をつねる。百合子さんはそれも気にせずにとても人様に見せられない表情を続けていた。
うへへ……、と。
言葉にするのは難しいけど、なんというかだらしなく、そして……下品(いやらしいという意味ではない)な表情。
表情筋がバグったみたいな、そんな感じ…………。
やっぱり……ヤバイ、ね…………。
とても見ていられなくて、ふと視線を逸らすと壁に備えられた時計と目が合った。
十二時五十八分。
百合子さんと杏奈のレッスンは午前だけだったからいいけど。

「そう言えば昴さん……。そろそろ、レッスンじゃ…………?」
「あっヤベェ。クリスマスライブに向けて特別レッスンあるんだった!」

サンキュー杏奈! と言い残して昴さんはレッスン室へ向けて飛び出して行った。
強く扉を閉めた音が大きくと、びくっとなってしまう。……昴さん、ガサツ。
それにしても、六月なのに……クリスマス…………?
一瞬だけ考えようとして、やめた。この事務所には考えないで、感じた方が良いことはいっぱい……。
それに……今はもっと考えることがあるから、ね…………。
3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 01:02:18.23 ID:4W2TcWMi0

「これが神風の聖剣……? えっ、私が名付けるの…………? どうしよう……うへへ」
「……はぁ」

りりーおぶういんど。
ぶるーむてんぺすと。
そんな呟きに混じってついため息をこぼしてしまう。
こんか表情、誰にでも見せられるものじゃ…………ないと思うけど、百合子さん……気にしてないのかな…………。
でも最近、プロデューサーさんは外回りで忙しいみたいで幸運にも百合子さんはこの表情を見られていないらしい。
そう、百合子さんの大好きな人……プロデューサーさん……。

「良かったね、百合子さん…………本当に。見られてたらドン引きされてたよ……」
「うへへ……かっこいい名前だって? 良かった……」

楽しそうでなにより、そんな風に思って杏奈は百合子さんにもたれかかる。
心配料だから、これくらい……ね?
鼻をくすぐるのはフローラルな良い香り。シャンプーの匂いなんだろうけど、違うのも混ざってる気がする。
嗅いでると落ち着いてくる…………そんな感じ……。
ふわふわして、百合子さんの近くだとついつい気が抜けて……。

「ふへへ…………」
「……ぐぅ」
4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 01:02:58.17 ID:4W2TcWMi0
遠くから声がする。
とても杏奈が好きな、そんな声。
内容はよく聞き取れなくても、杏奈のことをまどろみから引きずり出すには十分だった。

「これが全ての元凶の魔王……だけど、この聖剣があれば……ふへへ」
「…………ふわぁ」

どうやら杏奈の眠り状態を回復させたのは、百合子さんの妄想だったらしい……複雑。
また時計を見ると三時ジャスト、おやつの時間を指していた。
百合子さんは、二時間ずっと妄想し続けてたのかな…………と思ったら、杏奈が寝る前には無かった本が百合子さんの膝の上に乗っていた。多分休憩代わりに読書してたんだと、思う…………。
杏奈が邪魔で動けなかったんだよね……ごめんね、百合子さん…………。

「ふへへ……これなら、勝てる…………うひひ」
あっ、謝る気無くなったかも……。

それにしても、

「眠い……。今日、もう用事なかったような……あるような…………」

うーん……。どこか、頭が回ってないかも…………。
5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 01:03:40.31 ID:4W2TcWMi0
ふわふわして、気を抜いたら寝ちゃいそう。だけど、寝るのはともかく百合子さんの邪魔になるようにはしないように……。
ちらり、と目線をやる。
その先には百合子さんの顔があって、相変わらず酷い顔だった。それにしても百合子さんも、妄想に疲れたりしないのかな…………。
そんなに、妄想が楽しいのかな……。
杏奈……達といるよりも……。

「……眠い」

だから、何も考えたくなかった。というより、やっぱり……頭が動かないかも、です…………。
とりあえず立ち上がらねば、と思って頑張って立つ。が、貧血みたいにふらふらしたので無理をせず元の体勢に戻った。
また、百合子さんに寄りかかる。
立ちあがれなかったからね……仕方ないよね…………。
良い匂い、だけど寝ないようにしなきゃ。
6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 01:04:09.59 ID:4W2TcWMi0
そんなことを思いながら――しかし、うつらうつらとしていると、騒がしい足音が耳に届いて、はっとさせられる。
誰だろう。昴さんかな、海美さんかも。
もしくは、帰ってきたプロデューサーさん……?
そこまで考え、ついでに百合子さんの形容し難く、年頃の乙女がしてはいけない表情を見つめて、杏奈は気づいた。

「この表情をプロデューサーさんが見たら……ドン引きされちゃう…………」

プロデューサーさんはここ数日忙しかったから、百合子さんのこのどうしようもない表情を知らないはず。
そして、百合子さんは……その、プロデューサーさんのことが……好きなはずだから…………。
とても、会わせられない。
だから、ヤバイ。杏奈じゃなくて、百合子さんが。

「百合子さんっ……。起きて……」
「ふへへ……宝具ゲット、やったぁ……」

体を強く揺すって見たり、声をかけても百合子さんは一向に妄想の世界から戻ってこようとしない。
そして、そんな杏奈の無駄な抵抗をしている一方でその足音は近づいてきていた。
7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 01:04:52.55 ID:4W2TcWMi0
ヤバイ、ヤバイ。
こんな、あまりに酷い表情なんかで百合子さんを失恋させるのは流石にかわいそう…………。
でも、一向に正気に戻らない……。どうしたら…………。
むむ、眠い……。
頭がやはり、回らない。
とりあえずビニール袋とか、百合子さんの頭を覆えれば……だけど、見つからないし…………。
顔を覆う……そうか、仮面とか、そういうのでも良いんだ……まあ、無いけど…………。
百合子さんのことをお姫様抱っこしてみたり……重いよね、色々。それに杏奈はされたい側かも…………。
じゃあ、じゃあ。
扉の取っ手に手をかける音がした。もう時間は無い。

仕方ない、これをやるしか――。
頑張って立ちあがって、百合子さんの正面に向かい合って、百合子さんの肩を抱いて、そして。

口づけをした。
8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 01:05:23.48 ID:4W2TcWMi0
ゲームとかで知ったほど、劇的な感触は無かった。唇と唇が触れて、柔らかい感触がそれを撫でるだけ。
でも、これでプロデューサーさんが百合子さんのあの顔を見ることも無いはず――――。

ガシャン、機械が地面に落ちたような音がした。
名残惜しい感触を振り切って、振り返る。するとそこにいたのは、

「ああああ、あまりに、しし、衝撃的で、カメラを落としてしまいました……!」
「亜利沙、だったんだ……」

足音はプロデューサーさんじゃなかった。…………いや、そうだよね。忙しいはずのプロデューサーさんがたまたま百合子さんが変顔してる時に、たまたま帰ってくるなんてなかなか無いもんね……。
やっぱり、寝起きで頭が回ってないかも。

「あ、杏奈ちゃん」
「ん……? 何、亜利沙…………」

亜利沙の顔は真っ赤で、どこか驚いてるみたい…………。
どうかしたのかな……やっぱり、頭がうーん……。
9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 01:05:59.63 ID:4W2TcWMi0
「言いふらしたりしませんから! 写真も撮ってませんし!」
「え、あ、うん」
「私も、その、さっきの光景が飲み込めなくて! だから――失礼します!」

ダダダダ、亜利沙ってそんなに速く走れたんだ、なんて思うほどのスピードで亜利沙は出て行ってしまった。
そして、部屋には杏奈と百合子さんだけが残された。
百合子さんに目をやる、と。

「今の、亜利沙ちゃん? どうしたんだろう」
「百合子さん……目が覚めたんだ…………」

正気に戻った百合子さん。ソファの上で疑問符を浮かべてるみたいだった。

「うん、たった今。息が詰まったみたいな感覚があって、目が覚めたんだ」
「息が詰まった……?」
「なんだろうね?」

本当に疑問に感じているようなそんな反応。それは、百合子さんが……あの事を覚えていないっていうことかな…………。
10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 01:06:26.90 ID:4W2TcWMi0

息が詰まったって、多分杏奈のキスのせい……うん?
自分の唇を触る。触っても何か変化があるわけじゃ無いけど、でも触ってみる。
数分前までの感触を取り戻すように。
キスをした。
…………キスを、正気じゃない百合子さんに、しちゃった。
多分お互いに初めての、キスを……。
えっ……?

「杏奈ちゃん? いきなり顔が赤くなって――大丈夫?」
「寝ぼけてて…………頭が回ってなくて、でも……えっ……?」

大変なことを、杏奈はしてしまったのかもしれない。
いや、したのだ。
女の子同士なのに、百合子さんは普通にプロデューサーさんのことが好きなのに。
杏奈は。
………………。
……………………。
11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 01:06:53.09 ID:4W2TcWMi0
「おーい、杏奈ちゃーん?」
「ゆ、百合子さん…………。覚えて、ないの……?」
「え? 何が?」

覚えてない。そんな事実に一瞬だけ、安心して、すぐに罪悪感が押し寄せてきた。
百合子さんの、大事なファーストキス………。それを杏奈は、気づかれないようにして……奪っちゃった…………。
百合子さんはプロデューサーさんにあげたかったはずなのに……。
夜景の見える公園とか……そんな二人だけの空間で、きっとプロデューサーさんと、したかったはず…………。
なのに……。

杏奈はこの日、いけない子になった。
12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 01:07:26.92 ID:4W2TcWMi0
「ふへっ、ふひひ…………。新大陸? 行きますっ……」
「相変わらずだね…………百合子さん……」

別の日、事務所。
百合子さんの妄想癖は一向に良くならないで、今日もいつも通りアイドル失格の表情を晒していた。
でも……プロデューサーさんには、まだこの顔を見られてないみたい…………。百合子さん、ツイてるね……。
百合子さんの顔を見つめる。酷い表情だけど、瞳はキラキラと無邪気に輝いていて、よっぽど楽しい妄想だって杏奈にも伝わってくる。

不意に、唇に視線が触れる。

たった、数秒だけ杏奈のものになっていた。そんな百合子さんの一部。
本当は、百合子さんはプロデューサーさんに捧げたかったもの。

「結局……杏奈、言えなかった…………」
「覚醒イベント? 燃える展開…………ふふふ」

百合子さんは何も知らずに、楽しそうに呟いている。
そんな姿を見ていると、杏奈はますます自分がいけないことをしてしまったように感じた。
杏奈が……杏奈なんかが奪って良いものじゃなかったのに…………。
13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 01:08:03.86 ID:4W2TcWMi0
「ごめんなさい……百合子さん…………」
「ふへへ……」

やっぱり、聞こえてないよね…………。
でも、聞こえてたら杏奈はどうしたんだろう。全部話しちゃうのかな……うん、きっとそうだよね…………。
嘘はつきたくないもん、特に百合子さん相手には…………。
でも話したら、百合子さんは杏奈のこと嫌いになんだろうな……。
…………それは、嫌。
百合子さんに嫌われたら……杏奈は…………。

……なら、
…………バレなければ良い。

ドスドス、ここへ向かってくる足音が聞こえてきた。
都合が良い、そう思った。
14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 01:08:43.96 ID:4W2TcWMi0

「百合子さん、百合子さん…………。プロデューサーさん来ちゃうよ……」

百合子さんに声をかける。でも、百合子さんが正気を取り戻す様子は見れなかった。
うへへ、とだらしない声をだらしない表情から漏らしている。
なら、仕方ないね……。
他に手段がないからね…………。だってこうしないと百合子さん、好きな人にドン引きされちゃうもん…………。
だから……。
立ちあがって、百合子さんの正面に立つ。百合子さんと目が合うけど、きっと気のせい。その瞳は杏奈を映してないから…………。
ふと、胸が痛む気がした――気がしただけ、杏奈の中にある良心の最後の抵抗だと思う。
だけどそんなものよりも、杏奈は欲しいもん……。
ね? 百合子さん……。

「仕方ないから、ね…………」

足音が大きくなってくる。急がなきゃ……ね。
百合子さんに軽く抱きついて、そして唇を重ねた。
やっぱり想像していたものより、全然大したことじゃない。暖かくて、柔らかい。そんな落ち着く感触がするだけ。
だけど。
この時だけは百合子さんは、杏奈のもの。
誰にも渡せない、そんな数秒だから……。
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