死んだはずの妻と出会った話

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1 : ◆2mwK9kDO1Y [saga]:2017/06/10(土) 19:52:41.47 ID:EDLtVNMv0
僕の妻は、2年前の春、死んだはずでした

突然のことでした


会社で勤務中だった僕に、上司が突然言ったのです


「お前宛に、警察からだ」


僕は、極めて平凡な人生を送ってきました


幼い頃から学習塾に通わされ

普通の高校へ進学し

平凡な大学に合格し

名も知られていないような、普通の企業に就職しました


そんな平凡な人生を送ってきた僕は、警察のお世話になるような事は、何一つとして記憶にありません


僕は昔から臆病者でしたから、警察、というワードだけで、情けないことに、心底震え上がりました


上司から乱暴に手渡された受話器を受け取り、恐る恐る耳に当てました


「もしもし?」

「フジミヤマコトさんで、お間違いないでしょうか?」

「ええ、フジミヤは私です」

「フジミヤカスミさんは、あなたの奥さんで、間違いないですか?」

「……そうですが」


僕の妻が、今、仕事にどう関係があるというのでしょうか


「大変申し上げにくいのですが……あなたの奥さんが、今日の昼頃に、交通事故に遭われましてね」

「……はあ」




「先ほど……お亡くなりになりました」


「……はあ」


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2 : ◆2mwK9kDO1Y [saga]:2017/06/10(土) 19:53:23.23 ID:EDLtVNMv0
僕はまだ仕事が残っていましたので、通話が早く終わることを願い、相手が話し終えるのを待ちました

すると、何があったのか、しばしの間相手は沈黙しました


「失礼ですが……あなたは、フジミヤマコトさんで、間違いないですよね?」


この人は、一体何を聞いているのでしょう

僕の名前の確認は、さっきしたばかりだというのに


「おかしいなあ……分かりました。それでは、至急こちらの病院へ来ていただけますか? ご本人確認が必要ですから。場所は――」



僕の頭の中は、ずっと冷静でした



薄情な男と映るでしょうか

現実が認識できていないと映るでしょうか


――そうか……死んでしまったのか、仕方ないな


僕の頭の中にあったのは、仕方ない、ということ

ただ、それだけでした


一連のやり取りを上司に告げると、僕は退社を命じられました
3 : ◆2mwK9kDO1Y [saga]:2017/06/10(土) 19:54:02.91 ID:EDLtVNMv0
僕が、真っ先に考えたこと


――今日は、こんなに早く上がることができて、嬉しい


感情が欠落しているでしょうか

情が無いと思われるでしょうか

非常識でしょうか


思えば、以前祖父が死んだときもそうでした


祖父は、誰に対しても、滅法厳しい人でした


作法が違っていれば、怒ります

礼儀がなっていなければ、怒ります

失礼があれば、怒ります


とにかく、怒るのが好きな人でした


仕事に支障が出る、面倒だ、そう思いながら

彼の葬式に参列した時、僕が思ったこと


――ようやく、怒鳴られずに済む


こんな自分だから、妻が死んだ時、僕が冷静だったことについては、何一つ疑問を感じませんでした


そう、僕自身に
4 : ◆2mwK9kDO1Y [saga]:2017/06/10(土) 19:54:42.35 ID:EDLtVNMv0
病院に到着すると、すぐに霊安室へと案内されました

電話を受けてから、僕がここへ到着するまで約三時間程の時間が経っています

身支度を整えるために、一度家に帰ったからです

身を纏うスーツに、病院の匂いをつけたくなかったのです


「遺体の確認をお願いします」


白衣の男が、僕にそう告げました

妻らしき物体の、恐らくは顔の部位に掛けられた白い布を、指でそっと剥がしました



それはまぎれも無い、妻の顔でした



頬骨が浮き出ていて、目の下が黒く、全体的に血の気が薄い

なるほど確かに、彼女は息を引き取っているのです


涙は、一滴も出ませんでした


かといって、現実を受け入れられていないわけではありません

動揺していたわけでもありません


僕は、恐ろしいほどに冷静でした
5 : ◆2mwK9kDO1Y [saga]:2017/06/10(土) 19:55:25.10 ID:EDLtVNMv0

「はい……彼女は、僕の妻で間違いありません」


その時、傍で立ち尽くし、腕を後ろで組んでいた男は、明らかに僕の出方を伺っていました


だから、きっと驚いたのです

彼の目は大きく見開かれ、口はあんぐりとしていました


ドラマか何かで得た情報によると、こういう状況では、肉親は泣き崩れるべきなのです


これまで共に過ごしてきた相手と、二度と会話を交わせない

二度と触れ合う事が出来ない

憎まれ口すら叩けない

愛を囁いても、届くことは無い

主観的には、相手との関係は、永遠に閉ざされてしまったのですから



そう、悲しむべきなのです、普通なら



であるならば、僕達夫婦は、普通ではなかったのでしょうか?

否、そうではないでしょう



僕達夫婦は、極々普通の一般家庭でした
6 : ◆2mwK9kDO1Y [saga]:2017/06/10(土) 19:56:26.41 ID:EDLtVNMv0

僕は、普通のサラリーマンです


いえ、わざわざ言わなくとも、この国で仕事に明け暮れる人種など、サラリーマンが大半を占めているのでしょうけれど


朝早く会社に出勤するために、妻がわざわざ早起きして作ってくれた朝食を、僕は一口も口にすることなく、玄関の扉をあわただしく開け放ちます

その時、僕が妻に、行ってきます、の一言を告げていたかどうかもわかりません


上司の飲み会について行くことが多かったので、僕が妻の待つ家に帰るのは、大抵の場合0時を過ぎた頃でした


妻は決まって夕食を作っていて、リビングのテーブルに突っ伏して意識を失っていました


妻は、朝にはめっぽう強く、逆に夜には死ぬほど弱いのです


今考えると、妻は、僕が帰ってくるのをずっと待っていたのでしょう

僕は、1週間に2度の頻度で19時には家に帰る事ができていたので


そして、そういう日は、不定期でした


だからこそ僕の妻は毎日、早く帰ってくるかもしれない僕のために夕食を作り、テーブルでその帰りを待っていたのでしょう


当時の僕は、彼女になんの感謝も抱きませんでした

むしろ、嫌悪感すら感じていました


僕は、メールで伝えたはずでした


「今日は食べて帰るから、作らなくていいよ」


ですが、何があろうと妻は夕食を作り、僕の帰りを待っていました


なんてことはないのです


一度、僕が夕食はいらないと言いつつも、結局上司と早くに別れて、ほとんど食べ物を口にせずに帰宅した日があっただけの事でした
7 : ◆2mwK9kDO1Y [saga]:2017/06/10(土) 19:57:02.53 ID:EDLtVNMv0

「要らないと言っただろう、食べられないよ」

「どうして作ったんだ。勿体ないじゃないか」

「頼むからメールの内容くらい理解してくれ」


僕は、妻に不誠実でした

対して妻は、僕の事をひたすら信じ続けていました


そんな生活でしたから、僕との生活の中で、彼女があまりいい思いをしていなかったであろうことは、容易に想像ができました

でも僕は、彼女に何も与えることが出来ず、恐らくは人並みの夫婦生活すら過ごさせてあげる事もままならなかったのです

ですが、そんなもの、現代社会ではありふれた話でしょう

普通の枠組みから、外れたものではありませんでした


特に財産に恵まれていたわけでもなく

かといって、貧しかったわけでもなく


普通の家庭と違う点があるとすれば、子供がいないことでしょうか

それに関しても、僕と彼女が性交渉を交わさないほどに愛が冷めきっていたわけでなく、まだそういう時期ではなかったからでした


僕は、忙しかったから


そういう事をする時は、いつも避妊をしていました

勿論、仕事がある程度落ち着いたら、子供を作る予定でした


それが、世の中の普通ですから


単純に、子供ができる前の夫婦だった、というだけの話です


僕達夫婦は、どうしようもなく普通でした

8 : ◆2mwK9kDO1Y [saga]:2017/06/10(土) 19:57:50.84 ID:EDLtVNMv0
瞬く間に、彼女との別れの儀式は進みました


僕が先導を切るまでもなく、業者の方々が段取り良く進行してくれたおかげで、僕は特に支障をきたすことなく会社に戻ることができました


何もかも、普通のはずでした




妻が死んでから、僕の普通は、普通ではなくなったのです
9 : ◆2mwK9kDO1Y [saga]:2017/06/10(土) 19:58:30.22 ID:EDLtVNMv0

ある日の事です


その日はたまたま、僕は早く家に帰ることができました


本来なら、ゆっくり体を休める事の出来る、夢のひと時……そんな日のことでした




妻が、突然、僕の前に現れたのです


いや、その表現は不適切かもしれません


妻は、いつものようにくたびれて帰宅した僕を、玄関で出迎えてくれました


「おかえりなさい、あなた」

「ああ、ただいま」


自然と僕の口から挨拶の言葉が漏れた後、その不自然さに今更ながら気が付きました


僕はなぜ、ただいまと言ったのでしょうか

僕は、一体誰に挨拶をしたのでしょうか


ふと、顔を上げました


それは紛れもなく、僕の妻でした


まず脳裏に浮かんだのは、彼女は僕の脳内で作り出された幻なのだということです


だが、僕は真っ先にその考えを打ち消しました


僕が、妻の幻影を見る理由がないのです


妻を失って、確かに感じるものはありましたが

寂寥感だとか、悲哀だとか、そういう言葉で説明できる程度でしかありません


ならば、言葉で説明できない現象が、僕の身に起こるはずもないのです


次に考えたのは、彼女は別人であるということです


誰かが妻に変装して、この場に立っているのです


色々と考えた結果、それもあり得ないと思いました

彼女は、余りにも妻に似すぎていたのです


ならば、今僕の目の前に立っているこの女は、一体誰なのでしょうか
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