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ハルヒ「古泉くんの子どもだったらあんな放蕩息子に育ってないわよ」
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14 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/14(日) 15:43:25.83 ID:laxrmAmeo
声につられて振り返ると、
ダボッとした安っぽいTシャツに七分丈のジーンズをはいた少年が立っていた。
乱暴な口のきき方とは裏腹に、田舎で道に迷った人へ問うた返答を気長に待つような、
くりっとした黒目がちな大きな瞳に温かさを感じる。
静けさと反比例するように胸騒ぎを起こす場所。
そう、もう異空間と呼んでいいと思う。
そこでホラーそのものみたいな女を目の当たりにしているというのに、
彼は関係なく日常の中にいるような平然とした顔をしていた。
しかし少年はわたしに対して何かに気づいたように一瞬、眼差しをさらにきらめかせる。
「あれ、お前……。いや、もしかして覚醒したばかりで迷いこんじまったのか?」
意味こそ判然としないが飾り気のない口調の発する言葉にわたしを心配する響きがある。
その瞳がまるで輝く一番星のように、この世界にたった一つの家路への道しるべに思えた。
改めてよく見るとわたしよりも背が低く、声変わりもしていないから、
小学六年かせいぜい中学一年くらいだろう。
あどけない顔立ちのどこかになぜか七重を思わせる。
そう思い掛けた時、ずっと向こうまで吹っ飛んだはずのさっきの女が、
逆方向の、つまり少年の後ろのほうからぴた、ぴた、と近づいてくるのが見えた。
明らかに今度は少年を怨念を持った目で睨めつけながら、ゆっくりと。
サキ「危な」
わたしが口を開くあいだに、女の姿が瞬間的に少年の間近まで移動し、
まさに仕留めようと見下ろしたとき、
女は突如天から降ってきた巨大なこぶしに、地響きを立てて潰された。
わたしは轟音と震動に硬直したが、
少年は自分の後ろ、そしてわたしの後ろのことのどちらも全く気に留めない様子だった。
わたしの背後にまたいつの間にか現れた、
物凄く大きな何かの全体像がこの子の視界には入っているはずなのに。
少年の背後のそれは、半透明だけれど、確かに巨大な腕だった。
地面に突き立ったモニュメントのような柱がクレーンのように、
ゆっくり引き上げられていくのをたどって空を見上げると、
それは青白くほのかに光る体の巨人の肩から延びていたから。
何十メートルにもそびえ立つ巨体に漆黒の空が透けて見える。
わたしは何度めか分からないが、改めて絶句した。
夢でわたしが振り返ったときに見たモノが、今目の前にあるから。
恐怖と共に、何故かこの巨人と対峙しなければならないという、ありえない義務感もある。
上を向いたまま瞬きも忘れていたわたしに淡々とした少年の声が聞こえた。
「大丈夫。敵じゃない」
15 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/14(日) 15:47:29.20 ID:laxrmAmeo
少年は膝をついて、クレーターのような穴の中に倒れている男を抱き起こしていた。
え、潰されたはずの女は?
確かに地面と巨人のこぶしの間に挟まれる瞬間を目撃したが。
道路の陥没したような窪みには女の影も形もない。
凝視しても、どう見ても眉間に皺をよせて気を失っている、痩せた若い男性だ。
見た感じかすり傷もない。
「ネットの動画から感染したのか」
うなされている男性の額に指先を当てぽつりと呟きながら、
男性の腕を自分の肩に回して持ち上げる少年。
サキ「……一体今のは何だったの。君は誰?」
「ここで説明するより、あとで柊という人が来るから、その人から聞いて」
さっさと行こうとしている。
サキ「ちょっと待って。あなた、名前は?」
「俺は……」
と言いかけて、少年は、
「いや、知らない方がいいだろう。君はまだ選んでないようだから」
サキ「だから、何の話なの?」
と言うそばから、空が一気に明るくなった。
黒い空の天頂はすでに、ふわあっと円形に拡がっていく明るい光に替わっていて、
あの青白い巨人も、繋がっていたパズルがピースに分かれるように、
うっすらと消えていくところだった。
気がつくと、ついさっきの、いつもの夕方に戻っていた。
近くを通る電車の通過音がここまで届く。
閑静なところなのに、ずいぶん様々な音が聞こえてくるものだ。
幾分傾いた日の光さえ、あちこちに色彩を与えているのだと気づかされる。
道路に目を戻すと、男性を背負った少年の姿はなかった。
16 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/14(日) 15:48:15.30 ID:laxrmAmeo
突然ですがほんのりらき☆すたクロスです。
古泉はかがみん家に婿入りしたようであります。
SOS団がこなた達のいる秋葉へ旅行した。
過去にそんなことがあったのです。
これま…いえ、今日はここまで。
17 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/14(日) 16:28:10.10 ID:gDZ6TGXX0
過去作教えて下さい!!!!
18 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/14(日) 17:41:09.16 ID:laxrmAmeo
どうぞ
http://www.vipss.net/haruhi/1278474367.html
19 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/14(日) 18:02:17.94 ID:1Z9whmzsO
背筋がぞわっと
20 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/14(日) 18:47:27.70 ID:LahMD65ZO
これは期待の新人だなあ(白目)
21 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/14(日) 20:15:06.83 ID:IiJBPt02O
よくもこんな気持ち悪いを遥かに通り越した吐き気を催すもの書けるな…
一度精神科にいって頭を見てもらった方がいいぞマジでさ…
22 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/14(日) 20:54:35.36 ID:0Pm5+px0O
ちょっと前までネットにこんなんゴロゴロいたよな
なろうとかにはまだ生息してんのかな
23 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/14(日) 20:55:58.29 ID:c6XPL5hdo
支援
24 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/14(日) 21:21:37.48 ID:2X+QGJoFO
たまげたスレだなあ
25 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/14(日) 21:48:25.98 ID:JJpsAZGmo
とりま期待
26 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/14(日) 22:17:24.42 ID:5REjFia8O
このスレ臭スギィ
27 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/14(日) 22:25:43.05 ID:oVFdCjjJo
ここに投下する勇気におっp……おっぱげた……
こんなことしてもご褒美はないんだぞ
28 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/15(月) 10:33:42.76 ID:VCMbEXDZo
別の掲示板の事を此処に持ち込まなくても…
29 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/16(火) 20:40:30.77 ID:02mMz6wWo
習慣とは怖いものというべきか、半ば自分でも呆れるのだが、
あんな目に遭ったにもかかわらず(ほぼ突っ立っていただけだけど)、
買い物袋の中身を冷蔵庫に入れなければと足を動かしたときから、
心は宙に浮いたままわたしは日常生活のルーティンに戻っていた。
お店のシャッターが下りている。
父の書いた貼り紙に小さな安堵の溜息をつき、勝手口に回って帰宅した。
蛇口を捻って手を洗い、水をコップ一杯飲み干し、さっさと食材を保存する場所へ分ける。
お釜のフタを開けると案の定だった。
鼻を近づけ匂いをかいで、勿体ないが中身をビニール袋に詰めて、生ごみ袋に入れる。
お釜と、ついでに弁当箱を洗う。
ざるにカップでお米をすくって研ぎ、外側だけ拭いておいたお釜に入れて水を量る。
夕飯の時刻に炊飯器をセットすると、かばんを持って2階に上がる。
何だったの、あれ。
柊という人が会いに来る、わたしに。いつ? それまで悶々と過ごせというのか。
誰に相談したものか。着替えながら、七重の顔が思い浮かぶ。
どう切り出したらいいか分からない。後で考えることにして、宿題に取りかかった。
30 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/16(火) 20:44:32.54 ID:02mMz6wWo
だめにしてしまったごはんは夕飯の会話のネタになってくれた。
元々毎日の食事のおりに逐一近況報告しないたちだけど、
それでもテレビのニュースについてだけ会話するより今夜は救われた。
洗い物をしながらあの少年の顔を思い出す。やっぱり、あの子は七重に似てる。
お風呂の残り湯で洗濯機を回し、また机に向かう。
残りの宿題と復習。予習は学校で、間に合う分だけすることにしている。
階下からの脱水完了メロディに脱衣所に戻り、簡単に浴槽を掃除する。
洗濯物を種々のハンガーに掛けてまとめ、再び階段を上がる。
つっかけを履いてベランダに出ると柔らかな夜風が心地いい。
近所の家々の明かりと街灯が視線を上らせるほどまばらになっていき、
やがて山の中腹を巻くように繋がる道路の街灯や、
時おり通る乗用車のヘッドライトが樹木の覆いから微かに漏れる他に光が見えなくなる。
東西の終点が見えない稜線。それは夜空よりもよほど黒々としている。
わずかに身震いを覚え、いつも以上に手早く洗濯物を干した。
部屋に戻ると、先ほど行き詰まった数学の問題に気分一新取り組む。
お店がやっていけるものかどうか分からないけど、
父の背中を見てきたし、大きなくくりでは同じ仕事につきたい。
今日予習もせずに当てられて、さっぱり答えられなかった教科書の英文。
ノートと文法書をにらめっこしてようやく理解し、ほっとする。
何度か朗読しながらペンを走らせる。こいつは後でもっと可愛がってやろう。
つい深夜になり、区切りをつけることにする。
明日の時間割分一式と今日どうしても解らなかった問題をかばんとバッグに詰め込む。
七重に教えてもらって分からなかったら先生に聞こう。
充実感と同時にどこか娯楽の足りなさを感じながら、着るものを揃える。
写真の中の母に就寝の挨拶をしてから消灯する。
布団に身を横たえながら、今日の残りごはんは冷蔵庫内に移したことを思い出す。
暗い天井を眺めながら、やはり七重に相談しようと思い、まぶたを閉じた。
31 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/16(火) 20:48:33.70 ID:02mMz6wWo
だがわたしは、七重に登校時にはどうしても話すことができず、
休み時間にも級友の「お肉は燃やして食べるもの」という迷言に、
皆で罰当たりだと爆笑しながら一昨日のごはんのことを思い出したりしていた。
そして帰り道、わたしは思い切って尋ねた。
サキ「ナナは弟っていないよね?」
七重「ううん、どうして?」
サキ「昨日、ナナに少し似てる男の子に会ったから」
突然七重は驚いたような悲しいような複雑な表情でわたしを見つめた。
サキ「どうしたの」
七重「……お兄ちゃんかもしれない……」
言ってしまってから、言ってよかったことなのか迷ってる。
民法上年下の兄が発生することってあるのかな、という疑問はあるけどここはとりあえず、
サキ「そう」
とだけ答える。七重が思い出したように、
七重「わたしの家でサキに会いたいって人がいるの、ちょうどサキが家に来る日に。
わたしのお父さんとお母さんの高校の時からの友達で」
サキ「柊って人?」
七重「えっ? なんで知ってるの?」
サキ「男の子がそう言ってたから……。
でもまさかナナの家でだとは思わなかったな」
七重「そう……じゃ、やっぱりその子って家のお兄ちゃんだ、きっと」
サキ「じゃあ、ナナん家で聞かせてね」
七重「うん」
32 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/16(火) 20:52:34.14 ID:02mMz6wWo
そして金曜日。
サキ「じゃあ、また後でね」
いったん七重と別れた。
お店にいる父に声をかけ、帰宅。
着替えてから家じゅうの掃除。父の夕食のおかずを少し作っておく。
その旨を伝え、お泊り一式を携えて出かける。
チャイムを鳴らすと、間もなく七重の返事がインターホンから聞こえた。
門扉を開け、もう何度通ったか覚えていないアプローチに歩を進める。
限られたスペースに七重とおばさんが丹精込めて育てている季節の花に心が安らぐ。
少し尻尾を振って鼻先を寄せてくるジョンのふっかりしたあご周りを撫ぜながら挨拶して、
巣に入っているツバメの親を眺めながら玄関ドアの前で待っていると、
七重が出迎えてくれた。
わたしを玄関の中に入れてくれると、静かにドアを閉め、
七重「いらっしゃい。柊さん来てるよ」
サキ「うん。おじゃまします」
七重に続いて靴を脱ぎながら、家の中に挨拶する。
サキ「おばさん、こんにちは」
ハルヒ「ああ、サキ、上がって。お茶用意してるわよ」
リビングの方から明朗活発な顔と声だけ見せると、
ポニーテールを翻しておばさんはさっさと引っこんでしまった。
これがお泊りのときの、いつものおばさんの歓迎の仕方。
よくわたしが見た事のない(七重も見たことがないらしい)、
凄いご馳走(多国籍の料理らしい)を何時間もかけてこしらえて振る舞ってくれる。
一発でこんな美味しい料理を作れるくらいなんだし、
前に料理研究家としてテレビに出てみないかって、
近所の人を通じて誘いがあったのに、おばさんは断ってる。
他にも世界の政治情勢にやたら詳しくてニュースにツッコミを入れたり、
疎い方面なんてあるのかってほどの雑学家だし、
あと大学レベルの数学や物理の問題を暇つぶしにパズル感覚で解いたりしてるらしい。
犬のジョンの世話から炊事や洗濯、お掃除をこなして、
地域の困ったことをご近所から相談されたら解決しにいって、
ながらのこれだから、最強の専業主婦であることは間違いないけど、何だか勿体ない。
でもおばさんは今のままが性に合ってるって言うし、七重も賛成とも反対とも言わない。
33 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/16(火) 20:56:35.47 ID:02mMz6wWo
七重とリビングに入ると、初めて見る人がソファに腰掛けていた。
七重のお父さんやわたしの父と同じ年頃の男性で、
知的で切れ長な目と落ち着いた柔和な表情とは対照的に、
引き締まった体つきをしているのが、グレーのジャケット姿からもうかがえた。
年齢に合わない敏捷さで男性は立ち上がると、
古泉「初めまして、柊一樹と言います。一くんから小坂さんのことをうかがっています」
サキ「あ、はじめまして」
つられて頭を下げながら応えたものの、何だか色々と疑問が先立ってしまう。
戸惑っているわたしを見て、七重が台所の流しで洗い物をしていたおばさんを呼んだ。
エプロンをしたままのおばさんに、
七重「お兄ちゃんのこと…」
と促すと、
ハルヒ「そうだサキ、黙っててごめんね。どうも、息子の一(はじめ)と会ったみたいで」
言うほどに悪びれない様子のおばさんだけど、もしかして。
サキ「あ、大丈夫です。わたし、お二人のことおじさんには黙ってますから」
おばさんと柊と名乗った男性は揃ってきょとんとした顔でわたしを見て、
それから顔を見合わせ、そして爆笑した。
ハルヒ「やだ、サキ」
と言って、まだ笑っている。わたしの横の七重まで、両手で口を押さえ顔を震わせている。
ハルヒ「古泉くんの子どもだったらあんな放蕩息子に育ってないわよ。
あ、古泉って古泉くんの旧姓ね。
あと、一は幼く見えたでしょうけど、七重の二つ年上の兄だから」
はは、勘違いで良かった。でもどう見ても中一くらいにしか見えなかったけど。
古泉「そういえば僕も男の子が欲しかったですね。家は娘ばかりですから。
いや、一くんは僕や朝比奈さんや、泉さんにとっても息子みたいなものです」
34 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/16(火) 21:00:37.41 ID:02mMz6wWo
ハルヒ「古泉くん、そう思ってくれるのならね」
何か違う話が始まったみたいだ。
ハルヒ「そちらでどんな決め事があるのか分からないけど、
一をもっと世の中に役立つように向けてくれないかしら。
今の状態って人としておかしいものだと思わない?」
古泉「ええ、涼宮さんの言うとおりだと、僕も思います。
しかし『機関』としてはですね、そう融通が利かなくて申し訳ありません。
今度のヤマを越えたらまた状況が変わるかもしれませんので、どうかそれまでは」
ハルヒ「いや、古泉くんを責めてるんじゃないのよ。
そもそもあいつが自分自身で気づいて考えないといけないことだから。
ブシンだか何だか知らないけど、幾ら有希がついてるからって、
社会と関わりを絶って電波の相手だけしてるなんて絶対に良くない。
やっぱりね、あの時高校を出たまま職を持つなり大学行くなりして、
普通に人の中で揉まれて成長していくべきだったの。
それが許されないってのなら、
せめて一が持ってる力を人のために生かすのが筋じゃない?
そこで余計なことをしたとか反応が返ってきたり、
失敗して初めて学ぶものでしょう? あの子、とにかく今のままじゃ駄目だわ」
俄然とまくし立てるおばさんに、
七重「お母さん」
と七重が冷たく口を挟んだ。おばさんは我に返ったように、
ハルヒ「はい。今日はあんたのために古泉くんは来てくれたんだったわ」
口を閉じて目をくりっとして軽く頭をさげながら、両手をぱっと顔の前に広げるおばさん。
35 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/16(火) 21:04:48.65 ID:02mMz6wWo
沈黙に促されるように、柊、あるいは古泉という人が落ち着いた声でわたしに話し出した。
古泉「一くんによると、小坂さん。君は空が真っ暗で無人で、
でも風景だけは一緒だという空間に迷い込んでしまったそうだね」
サキ「はい」
しかし言われてみれば、なぜわたしは異質な空間だとすぐに分かったのだろう。
空が急に暗くなって、周りの人が消えたのだと捉えてもおかしくない状況だったのに。
いや、それは自分から「侵入した」という自覚があったからだ。
古泉「そこでホラー映画に出てくるような女に出くわし、
襲われてるところに一くんが現れて、君を助けてくれた」
サキ「…」
ちょっと考える。
あの切迫した状況に一……七重のお兄さんだから、さんか、がいつの間にかいて、
あの能天気な態度に救われたと言えばそうだけど、
マンホールの蓋が勝手に跳ね上がったのかもしれないし、あの女を潰したのは……
古泉「それとも見た覚えのある恐ろしい巨人がその女を倒した?」
それは。
サキ「見たことがあるなんて、一さんには」
古泉「混乱させてすまない。かまをかけるつもりは無かったんだが。
ただ僕も能力に目覚めてばかりの時は、
《神人》を実際に目にする前からどういうものか知っていた、
という変な状態だったから君もそうかと思ってね」
サキ「…しんじん?」
ふとこんな話に七重がついてこれるのかと思って隣を見ると、かなり必死な顔で
七重「ごめん! サキが夢で見たって聞いてたのに。
わたし、柊さんみたいな能力を持ってないから神人ってどういうものか、
よく知らなくて」
何故かあたふたと謝られた。
七重は話の内容は理解できてて、でもあの青い怪物については見たことはないらしい。
おばさんも、柊さんとは旧知の仲らしいけど、一さんについての話のやりとりからすると、
柊さんと全く同じ立場ではないらしい。
いや、わたしに起こったことを柊さんが説明できるということは、
むしろわたしと柊さんが同じ立場なのだ。
古泉「君が見たはずの、青白い怪物のことだ。
だがこちらは害を及ぼす存在じゃない、今ではね。
敵はむしろ助けられた男性の脳に寄生していた情報生命体のほうだ。」
36 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/16(火) 21:08:50.92 ID:02mMz6wWo
情報生命体ってあの女のこと?
古泉「そうとはかぎらない。巨大なカマドウマの形をしたときだってある。
実体をもたず情報そのものとしてインターネットの中に潜み、
あるきっかけで任意のウェブサイト上に起動データがアップされると、
それを見た人の脳組織に直接、情報として感染するんだ。
人の脳に取り憑いて意識を奪い、異空間を作り出して被害者をそこへ転移させる。
その上で、宿主となった人の畏怖の対象に、本人を変異させてしまう。
具現化した情報生命体を倒せば、被害者は無事に解放される」
なんだかわけの分からない説明だが、少なくとも最後の部分だけは、
わたしがあの場所で見たことと一致している。
あの男性はペシャンコのはずなのに、傷一つついていなかった。
サキ「異空間って、あの空が全部真っ黒な場所のことですか」
古泉「君が迷い込んだのは、情報生命体が作りだした異空間を、
一くんが自身の閉鎖空間に変換したものだ」
サキ「……閉鎖空間っていうと隔離されて、閉じ込められて出られないっていう、
あれのことですか」
古泉「そう考えてくれて構わない。
詳しい話は君が知りたい範囲で追い追いするとしても、ただもう一つ」
柊さんは軽く人差し指を上げながら続ける。
古泉「わざわざ空間を変換してもらうのは、こちらの優位性を保つためだ。
彼の生み出した閉鎖空間の中でなら、
僕のような『機関』の能力者たちが情報生命体と戦う能力を存分に発揮できるから」
さっき、おばさんとの会話の中にも出てきた『機関』という組織の名称らしい言葉。
古泉「そうだね、君や僕のような能力者が閉鎖空間でなら敵と対等にわたりあえる、
と言った方がよかったか。
君は正確には偶然に閉鎖空間に迷い込んでしまったんじゃない。
閉鎖空間へ侵入することも能力の一つだと、……分かるよね、君なら」
37 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/16(火) 21:12:51.70 ID:02mMz6wWo
温かく、まっすぐな目でわたしを見ながら柊さんは言った。
見透かされている。
情報生命体や『機関』についてはともかく、
実のところわたしは閉鎖空間と神人という言葉を聞いたとき既に、
その言葉の意味するところを理解していた。
知らないうちにインストールされていたソフトが不意に起動したみたいに。
そんな自分の状態の異常さを認めたくなくて、わざと知らないふりをしたり、
一般的なイメージで確認するようなポーズをとってきた。
わたしが聞く前からわかっていたこと。
閉鎖空間は一さんの生み出した、彼の精神世界を反映させた空間。
大体が半径は数キロメートルの無人でモノクロの世界であるほかは、
現実の街並と何ら変わらない。
そして、そこに現れる神人をわたしは倒さなければならない。
なぜなら神人は閉鎖空間内の街を破壊し続け、
それに比例するように閉鎖空間は拡大し続ける。
そして、閉鎖空間が地球上全てを覆う規模になったら最後。
……言葉通りの意味でこの世界は終わるから。
そして、わたしには神人を倒す力がある。ただし閉鎖空間でしかその力を発揮できない。
そして、同じ力を持った人が他にもいることを知っている。
その認識が合っているかどうか確認するために。
また、そのことを知っているか柊さんを試すために。
わたしの卑劣な猜疑心を柊さんは見抜いたうえで、
それには触れず、ただ誠意をもって問いに答えてくれたのだ。
それに、全てではないがウラの取れる言葉があった、神人は「今では」敵ではない、と。
38 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/16(火) 21:16:56.82 ID:02mMz6wWo
サキ「はい。分かります」
古泉「『機関』には君や僕のような能力者が集まって、
一くんと連携しながら情報生命体から人々を守るために戦ってるんだ。
本来与えられた力を応用する形ではあるけどね。
今日僕はは『機関』の者として君にお願いしにきた。
我々の一員になって、君の力を『機関』に貸してほしいと」
それまでじっと、柊さんとわたしの言葉に耳を傾けていたおばさんが片手を挙げた。
ハルヒ「古泉くん、ひとつだけ言わせて」
柊さんが黙って頷く。
ハルヒ「サキ、あなたは要するに選ばなきゃいけないの。
でも逆に、選ぶってことができるのよ。
ここから先は選択によってはずっと命がけの日々を送ることになる。
反対に今聞いたことで、
それに脅かされず今まで通り普通に日常を生きていくことだってできる。
どちらが偉いとかじゃないわ、全てあなたの意志次第で決められることなのよ」
おばさんは「普通に〜」の辺りで強い目で柊さんに確認をとるような視線を合わせながら、ずっと昔からそうだったみたいに、
わたしや七重に辛抱強く説いて聞かせる時のはっきりと、抑えた口調で言った。
すぐに柊さんがおばさんの言葉を引き取る。
古泉「君は涼宮さんにとって大事な――人だし、君のお母さんのことも、側聞してる。
君が関わりたくないのなら、以降僕の方から持ちかけたりはしないよ」
話しながらおばさんと目を合わせ頷き合う柊さん。
古泉「でも、閉鎖空間や神人の気配や、
その他この件に関することで悩んだり困ったりするようなことがあれば、
いつでも力になる。同じ感覚を持った者だから理解できることもあると思うから。
あくまで君が、君の人生を歩む上での話でね。
僕は自分が今していることに誇りを持っているけど、
涼宮さんが言う通り、どちらの生き方に優劣があるわけじゃないんだ。
僕個人は、君が心から願うほうを選ぶことにこそ意味があると思う」
そしてジャケットの懐から手帳を取り出し、手早く書き込むとそのページをちぎって、
わたしに手渡した。
古泉「僕の番号だ。いつでも、どんな答えでも、掛けても掛けなくても構わない。
それじゃ、涼宮さん、僕はこの辺で」
ハルヒ「え、ちょっと。もうすぐ一品出来上がるから、その味見してからにしたら?」
古泉「それは惜しいですね。でも、今日は」
短いながらもしっかりした口調の返答に、おばさんも引き留めるのをあきらめた。
39 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/16(火) 21:20:58.89 ID:02mMz6wWo
きれいに磨かれた革靴を履きおえたとき、ふと柊さんは少しすまなそうに、
古泉「本当なら水入らずのところをお邪魔したくなかったんだけど……」
柊さんは、今日初めて何か言葉が見つからないみたいで、少し間が空いた。
それが何故なのか分からず、わたしも何か言った方がいいのかなと思い始めたとき、
後ろからぱたっと、わたしの頭におばさんの手が置かれた。
ハルヒ「大丈夫。この子はこう見えて高い順応性を持ってるから」
軽く頭を撫でられて、おばさんの方を向くと、
一点の疑いもなく信じている目で笑みを浮かべ、わたしを見守っていた。
はて、わたしはそうだったかな。
隣の七重と同じく、わたしも今きょとんとした顔をしているに違いない。
だが、柊さんは楽しそうな笑顔になっていたので、まあいいのだろう。
柊さんを門扉から見えなくなるまで見送ると、
(何だかんだでおばさんに押し付けられたお土産を掲げながらにこやかに歩いていった)、
七重とわたしは、おばさんにがっしと肩を捕まえられて両側から引き寄せられた。
ハルヒ「さあ、おしゃべりで遅れた分、巻き返すわよ!
二人とも今日は手伝ってちょうだい!」
料理は多めに作ってあって、タッパに詰めて小坂家へ持ち帰るよう指示するのも、
いつものおばさんのやり方だった。
40 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/16(火) 21:21:37.47 ID:02mMz6wWo
今日はここまで
41 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/17(水) 21:22:40.30 ID:EC+lLN310
乙
42 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/18(木) 21:13:09.60 ID:a1uWnm9Jo
七重「ねえ、サキって――」
もうぬるくなったココアをすすると、七重は宙を見つめ、
自身の頭の中で膨らんだ風船をこの部屋に浮かべるように言葉を発した。
七重「――どうするの?」
クッションを両足で挟んで床にお尻をつけたまま、
カップに視線を注ぎながらことりとローテーブルに載せ、膝を抱える。
サキ「……柊さんのこと?」
尋ねた割にどこか、答えを聞きたくないと言ってるような目が待っている。
七重「うん」
賑やかな晩餐の後、七重と久し振りにまったりと流れていた時が一時停止する。
やや不快だ。七重に対してではなく、この状況に。
わたしは女の子に、というより七重に飢えていた。
ここは、自室よりずっとくつろげるシェルターのような場所だった。
反対側からカップを置き、再びベッドに腰かけた勢いのまま上半身を倒した。
サキ「……どうかなあ。忙しいし……」
名残惜しさにぼやく。心は65パーセントくらい決まっていたから。
七重「うん、だよね。やっぱりさ」
胸越しに覗く安堵の表情が痛ましくて、わたしは天井へ目を逸らした。
サキ「でも、人を冒す或る病気があってそれはわたし達にしか治せない」
返ってくる沈黙に耐え切れず上体を起こして、七重と向かい合う。
サキ「だから……」
七重は無理に笑顔を作ってみせた。
七重「サキならそう言うんじゃないかって思ってた」
その夜は、いつもより遅くまで語らった。とりとめのない話からお互いの将来のことまで。
43 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/18(木) 21:17:11.11 ID:a1uWnm9Jo
正直なところ、わからないことの方が多い。
敵がどういう経緯でわたし達と戦うことになったのか。
戦う必然性は……。
疑問はきりがないが、結局、助けが必要な人がいて、自分に助けられる力があるのなら、
と最後に述語がつかない漠然とした感覚で、わたしは答えを出した。
教えてもらった番号に電話をかけ、わたしは伝えた。戦いに参加したいと。
44 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/18(木) 21:21:02.85 ID:a1uWnm9Jo
そして今、わたしは閉鎖空間の中を必死に走っている。
あの悪夢のように何かに追われてでなく、訓練メニューの一環としてだ。
毎日、晩ご飯の後のジョギングと称して夜八時ごろ家を抜け出し、
駅前公園の辺りですでに開いている閉鎖空間に飛び込む。
これは敵が中にいるわけではなく、柊さんが一さんに頼んで、
毎日定刻に、訓練のために開いてもらっているのだ。
閉鎖空間を開く、という言い方はなんだかおかしいけど。
父には人気のない、暗い道は避けろと言われているが、
正にそんなところをダッシュしているのである。
そう、閉鎖空間に侵入するなりジョギングは、長距離ダッシュに切り替わる。
聞いたことがない。
公園内を一周すると、訓練には絶好のコースが待っている。そう、北高への坂道だ。
登り坂を駆け上がり(駈け上がれない)、校門がゴール。
ここまで来て息が乱れない柊さんがありえない。
校庭のトラックを一周歩いて後、
陸上部の部室の壁を柊さんが吹き飛ばし(毎日来るたびに直っているけど申し訳ない)、
中の器具を拝借して筋力トレーニング。
もうここまででキツくて吐きそうになる。と言うか最初は吐いた。
筋トレでいい具合に負荷がかかったところで、
柊さんが作ってくれた足場を頼りに、校舎の横の壁をよじ登る。
屋上まで、途中落ちた所からやり直し。
屋上のふちを落ちないように一周走り、飛び降りて一とおりのメニュー終了となる。
古泉「暫定として組んでみたけど、バランス悪くないかな」
とりあえず父が心配しないくらいの時間に帰れるようにしたい。
最初のころは筋トレの途中で終了になっていたが、
だんだん壁登りの行ける高さが伸びてきた。
45 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/18(木) 21:25:05.19 ID:a1uWnm9Jo
ところで、問題があった。
勉強のことなら、帰宅してから晩ご飯の間のわずかな時間と、
ジョギングから帰ったらお風呂に入ったあとすぐ寝て、
それまでの生活より何時間か早く起きてやればなんとかなった。
問題は機関の能力者として、根本的というか決定的なところにあって、
つまりわたしは自身の紅玉化も、赤い光球を手のひらから出すこともできないのだった。
当初の訓練メニューには、神人狩りが入っていた。
一さんに制御された上で暴れまわる神人を、紅玉化して倒すのが最終目標だったが、
まずは基本の飛行技術から学ぶところで、
サキ「どうやるんですか?」
柊さんは全く予想していない質問を受けたようだった。
古泉「どうって……わからない?」
要は感覚の問題だった。あるものはある、ないものはないのだった。
そして、閉鎖空間に侵入できるのに肝心の攻撃能力が使えない、
やり方が分からない者など前代未聞らしかった。
柊さんは興味深そうに、
古泉「さすがに君みたいな例は初めてだな」
いや、それは相当ショックです。
古泉「では、できるようになると信じて、それまでは体力をつけることから始めるか」
というわけで今のメニューに変更されたのだった。
それにしても、紅玉化すれば体力なんて関係ないんじゃ、
と疑問に思い質問したことがあるが、
古泉「いや。紅玉の状態は自身が武器になるだけじゃなく、
敵の攻撃から身を守る鎧にもなるんだが、
その強さは精神力に左右されるんだ。そして、体力と精神力は比例するから」
体力をつける以外に精神力を強くする方法はないでしょうか。
柊さんはちょっと考えて、
古泉「まあ強制はしないけど、本を読むことかな。
目的のためって言うより、学生なんだし読書で損はないと思うよ」
そう言われれば、世の中には難しい本がたくさんあるなあ、
と思い始めた頃から、あまり本は読んでいない。
避けていたジャンルの読書に取り組めば、精神力も強くなるものなのだろうか。
46 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/18(木) 21:29:07.39 ID:a1uWnm9Jo
そんなある日、七重が委員会で残って、
わたしが一人で下校していると不意に声を掛けられた。
例によって中学一年の時の姿のままの、七重のお兄さんである。
一「よう」
こうして並んで歩いていると、周りからは姉弟に見えるだろう。
サキ「この間は助けてくれてありがとうございました。」
自分でも丁寧語で話しているのがおかしく感じる。
一「いや。危ない目に遭わせたのはこちらの不手際さ。
でも次からは自分の身は自分で守れよ」
分かってます。そのために毎日訓練してますから。それより、わたしに何か用ですか。
一「別に。あれからどうしてるかなと思ってさ」
サキ「おかげさまで元気です。でも一さん、高校出たままぶらぶらしてんでしょ。
もっと有意義に時間を使ったらどうですか」
一「君が下校する所を一緒に歩くなんて、今の俺にとっちゃ有意義な時間さ。
学生時代ってのが何より懐かしいし、
女学生が傾きかけた陽の中を今日の学業を終えていそいそと家路につくのを見てると、
なんかそう……ノスタルジックというか、
もう俺には縁のない光景だなって感慨深くなるもの。
あ、一応、君の高校のOBだから」
そんな小中学生にしか見えない顔をにこにこさせながら、
おっさんくさいことを言われてもなあ……。
サキ「じゃあ、わたしのクラスの担任、岡部先生って言うんですけど、
どの部活の顧問か知ってますか」
一さんは諦め気味の笑顔で前を向きながら鼻で深めの溜息をついて、
一「サキも変わらんなあ。……職員室で、俺の親父の二コ下の卒業者名簿を見てみろ、
山田って名前で載ってるから」
話がこんがらがってきた。わたしの混乱を察したように話を継ぐ。
一「ちょっと用事があって、過去に遡った。
その時北高生として潜り込んで、そのまま今まで来たのさ。
あ、言っとくけど学業面でチートは使ってないぞ。頭の方は七重と違って親父似だが、
正々堂々ギリギリ卒業したからな」
なにかBTFな事情があったらしい。いや、「そのまま今まで来た」って……?
47 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/18(木) 21:33:09.22 ID:a1uWnm9Jo
一さんが足を止めた。
前方から歩いてくる、美しいストレートロングの女性を見ている。
女性も微笑みを浮かべてこちらを見ているから、
一「朝倉さん、お久しぶりです」
知り合いなのだと、
朝倉「こんにちは、一くん。それから小坂幸さん」
思ったら、
一「サキ、すまん。また巻き込んじまった。離れるなよ」
サバイバルナイフが飛んできた。
48 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/18(木) 21:34:07.79 ID:a1uWnm9Jo
今日はここまで
49 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/18(木) 21:59:41.16 ID:WK332Tq3O
まーた香ばしいのが出てきたな
50 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/20(土) 19:11:37.29 ID:0zLMCoDIo
サバイバルナイフが私の目の前で空中に静止している。
女性の手元できらめいた刃物が一瞬でアップするみたいに目前にあったから、
「飛んできた」と後から思ったけど、
そう表現するには余りにも直線的で、回転もせずただ前にスライドするような軌跡だった。
周りの違和感に見回すと、向こうでのんびり自転車をこいでたおっちゃんが、
アクロバティックなサイクリストもびっくりの静止を保っている。
動く物が無いから、二人の会話のほか、周りに音が無い。ああ、また異次元。
51 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/20(土) 19:15:08.19 ID:0zLMCoDIo
一「どういうことですか」
淡々と一さんが女性に話しかける。
前触れもなくわたしの目の前のナイフが、
刃先からサラサラと砂のようなきらめく粒子に分解され消えていく。
かと思ったら同時に女性の手元で砂からナイフが構成されていく。
女性はナイフを手にしてしげしげと眺めながら、
朝倉「今度の戦いで、あなたとわたしがペアで北米一帯を任されたのは知ってるでしょう?
なのにあなたからは何の挨拶もないし、久し振りにわたしから会いにきたわけ」
一「それは失礼しました」
ぺこりと頭を下げる一さんに、
朝倉「ああ、それはいいの。本当のところは確かめたいところがあったから」
一「と言いますと」
女性は腕を伸ばしてナイフをわたしに向けた。心臓がどきんと鳴る。
朝倉「素晴らしいわ。さすが長門さん由来の技術ね。完璧に再構成されてる」
またわたしをダーツの的にするのかと思ったら、
片目をつぶって刃に歪みが無いか確かめていたようだ。
朝倉「実を言うと、情報統合思念体では、
あなたが前の時みたいに敵性存在に対して手加減するんじゃないか、
という懸念があるの」
手品のように大ぶりなナイフを両手の間にすとんとしまうと、
改めて一さんの方を向いて女性は話し出した。
朝倉「わたしはそうは思わないんだけどね。
偶然小坂さんが情報生命体に遭遇してしまった時の、あなたの対処から判断すると」
チラリとわたしを見てにっこりすると顔を戻し、
朝倉「それに一緒に戦うんだから今のあなたの力を見たかったし」
52 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/20(土) 19:20:22.69 ID:0zLMCoDIo
一「お分かりでしょ」
朝倉「数種のシールド展開や回避、再生しかあなた繰り返さないし判断しようがないもの。
それに、長門さんみたいに、ただ守るだけが防衛じゃない。
攻撃は最大の防御と言うでしょう?
今は、あなたの攻性情報の使用傾向を把握できる、理想的な条件下にあるわ」
保育士が、園児に描いた絵の披露をうながすような表情で、女性は、
朝倉「いまのあなたの全力を見せてみて」
女性の言葉に、一さんは一呼吸、間を置いて答えた。
一「わかりました。全力ですね」
一さんの全力って、今ここであの女性と戦うってこと――?
おっちゃんが、再びキコキコと自転車をこぎ出した。
普段耳にしているはずの、周りの風景の音がやけに大きく聞こえて戻ってくる。
ビデオの一時停止状態から再生ボタンを押したように、ふたたび動き出す世界で、
女性は一瞬あっけに取られたような表情をしたが、すぐにクスッと笑った。
朝倉「わたしから学んだことも忘れてはいないようね。いいわ、次は戦場で」
再び女性がこちらに近づいてきた。歩の進め方は優雅で自信に満ちている。
それでいて小気味いいリズムの足取りで、もしただ見掛けただけだったら、
自分もあんな風に歩いてみたいな、と真似てみてすぐ挫折するような、
とにかく溌剌とした華やぎを感じさせるものだった。
よく見たら、大人びた雰囲気だけどわたしと同じくらいの年頃だ。
流行でもない、普段着で揃えてるはずなのに着こなし、と言うんだろうか。
アクセサリと言えば小さな腕時計くらいだが、
気取らない細めの茶色の革の、小さい時計盤も金メッキのごくありふれたものだ。
全てわたし達の年代なら全然違和感のない、
清潔とはいえむしろ目立たないファッションのはずなのに、
とても洗練されて見えるのはなぜなんだろう。
何より、十人中十人が目を引かれるような美人だ。
人の輪の中にいても、パッと華が立ち目を覚まさせるような、
生きものとしての生命力と、若さを誇る美が調和している。
って見とれてる場合じゃ。でも一さんは何もしない。
53 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/20(土) 19:24:26.10 ID:0zLMCoDIo
立ち尽くすわたし達とすれ違い、二、三歩過ぎた辺りで一さんが呼び止めた。
振り返る女性に、また淡々と、
一「朝倉さんと俺が組むってどうやって決まったんですか」
え、お世話になったらしい人に背を向けたまま物を尋ねるって失礼なんじゃない?
ひやりとしたわたしだが、女性は気を悪くした風でもなく、
朝倉「決定したのは統合思念体だけど、進言したのは長門さんよ」
それを聞いて、一さんはなぜか微笑んだ。相反するように声色は変えず、
一「朝倉さん」
前を向いたまま、不敵な笑みを浮かべて、
一「全力で行きますよ。
あなたが殺されでもしたら、俺が有希さんに会わせる顔がありませんから」
女性はきょとんとしたが、やがてふっと笑い、わたしに向かって、
朝倉「あなたも、健闘を祈るわ。小坂さん」
女性が遠く見えなくなると、一さんは天を仰いでから大きく溜息をついた。
一「あー、怖かった」
いや、こっちのセリフなんですけど。
一「すまん。俺は全く予定外だったけど。
あの人はこうして君と一緒にいる所をわざわざ狙ってたみたいだ」
すまなそうに頭をかいて笑いながら、歩き出す。
サキ「朝倉さん……って、どんな人なんですか」
わたしもついていきながら、尋ねた。
一「前に世話になったことがあったんだ。
なのにさっき言われたとおり、ご無沙汰してたんだよ。
長門有希さんと同じ、情報統合思念体のインターフェース、朝倉涼子さん。
『機関』から聞いてなかった?」
サキ「いえ。お二人とも知りません。
今度の戦いとか、前の時とか、何があるのか、あったのかも」
一「それは柊さんから聞くといい。一言で表すなら、相当やっかいなことだよ。
気になることは全部聞いて、それから決めるといい」
気になることは全部というか、何の話だか全然分からなかった。
一「まあ君もボチボチ頑張れよ。じゃあ、また。
あ、岡部先生はアタリだぞ。ハンドボールだけじゃなく人間も熱い先生だから」
そう言って、すぐ先の袋小路にひょい、と入っていった。
覗いてみると、もういない。
その日の訓練がひと段落つくと、わたしはさっそく、柊さんに今日あったことを話した。
朝倉さんたちのことやその他もろもろのことを聞かせてほしいと伝えると、
古泉「かなり長い話になるから、今度の日曜は空いてるかい?」
54 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/20(土) 19:28:28.32 ID:0zLMCoDIo
日曜の午後、柊さんと待ち合わせたのは光陽園駅近くの図書館分館前だった。
古泉「待たせてすまない。急用があったもので」
サキ「いいえ。おつかれさまです」
この会話は通行人の目があるからで、待ち合わせ時間の前に閉鎖空間が開いたからだった。
古泉「いや、今さっきのは僕らが関わったわけじゃないんだ。
一くんと直接会って話す機会がなかなかなくて、
そちらの方を優先させてしまった。悪かったね。
早速行こう。君に会わせたい人がいる」
『機関』の仲間だろうか。
それにしても図書館は、わざわざ長い話をする場所ではないような。
説明に必要な本でもあるからなのかな。
55 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/20(土) 19:32:55.99 ID:0zLMCoDIo
柊さんに続き自動ドアから入ると、右手にすぐ貸出返却受付カウンターがある。
姿勢の良い人影に目を引かれると、
さらりとしたショートカットの女性の司書さんがいた。
その人はこちらにゆっくりと顔を向けた。シンプルな白いブラウスがとてもよく似合った、
知的な感じのするきれいな方だ。
長門「………………」
公共施設の運営が何でも民間委託の今時、珍しい昔ながらの物静かな司書さんのようだ。
でも不思議と、沈黙をもって迎えられても嫌な感じがしない。きっと、いい人なのだろう。
こちらをじっと見る目にもほのかに温かい雰囲気を感じる。
また今度本を借りに来ようかな、と思いつつ素通りするものだと思っていると、
古泉「長門さん、この子が小坂幸です」
と紹介された。
そう言えば、一さんがお名前を口にしていた方。慌ててお辞儀をする。
サキ「初めまして、小坂です。よろしくお願いします」
顔を上げると、長門さんが静かに椅子から立ち上がるところだった。
長門「朝倉涼子があなたに迷惑を掛けた」
僅かに頭を下げながらおっしゃった。そうか。朝倉さんの知り合いの方だったんだ。
サキ「あ、いいんです。一さんが守ってくれたみたいですから」
長門「そう」
古泉「ちょっと奥の部屋をお借りします」
長門「そう」
淡々とした会話だけ交わすと柊さんは歩き出した。
わたしはもう一度お辞儀をしてから、ついていく。
56 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/20(土) 19:36:58.38 ID:0zLMCoDIo
カウンターから、正面玄関から入ったとおりまっすぐ歩いて突き当たりを右に曲がる。
すると書架と壁に囲まれた小さなスペースがあって、
その隅の方に、今わたし達から見て向かいにドアがあった。
ちょうどわたしがドアを見つけたとき、そのドアが開いて一人の女性が中から出てきた。
長い髪を後ろで大ざっぱに留めている。小柄ながら自信に満ちた足取り。
垢抜けた雰囲気に羨望の眼差しを向けてしまう。
柊さんとその女性がほとんど同時に足を止めた。
古泉「奇遇ですね、泉さん」
こなた「おや、古泉くん! 今かがみに会ってたところだよ」
古泉「取材ですか」
こなた「ううん、今日はぶらっと遊びに来ただけ」
柊さんを旧姓で呼ぶということは、かなり前からの知り合いらしい。
こなた「あ、サキじゃん。どうして古泉くんと一緒なの?」
サキ「こんにちは、泉さん」
57 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/20(土) 19:41:00.61 ID:0zLMCoDIo
小さな図書館の片隅で、泉さんに会うとは。
七重の家で幾度か会ったことがある。時々訪れているそうだ。
おばさんとおじさんが高校の時、
部活のみんなで東京へ行ったときに知り合ってからの友人。
自分の趣味を表情豊かに熱く語ってる姿が印象的だった。
泉さんはわたしと二つ共通点がある。
誕生月が同じこと。
それから、幼い頃にお母さんを亡くされ、母親の記憶がほとんどないという点である。
学校のクラスの子が二つめの話題に触れたとき空気が微妙になるね、
その度に記憶が無いから凄く悲しいわけじゃない、と改めて説明しないといけないよね、
と何気なく話されていたのを覚えてる。
柊さんは戸惑った表情をしながら、
古泉「彼女が今度新しく入ったんですよ」
女性はテンションをすこしこちらに歩み寄るように、柊さんの顔を見て、
それから再びわたしを見つめた。好奇心を湛えた明るい瞳を持った人だ。
古泉「泉さんとは僕の女房が、それに僕も高校の時からの友人なんだ」
サキ「そうだったんですか」
こなた「どうも、よろしく。時間ができたらまた取材させてね」
悪戯っぽくウインクしながら、泉さんは名刺を差し出した。
両手で受け取った名刺を見ると、名前と住所と電話番号しか書かれていない。
そう言えば七重の家ではマンガやゲームの会話しかしてなかったから、
何してる人とか知らなかったな。
古泉「泉さんは、主にアニメーション作品の舞台になった地域と、
そこに住んでいる人との関わりを焦点にした記事を書く、ルポライターなんだよ」
へぇ。ここ、アニメの舞台になってたんだ。
泉さんは照れるように、
こなた「そんな大げさなもんじゃないって。チンピラな物書きだよ」
でも言われてみれば人懐っこさのなかにも、見抜くような鋭さも感じる。
古泉「泉さんの独自の感性と普通見過ごしがちな事柄をすくい取る視点は、
一読者として貴重ですよ。
凝り固まった頭がほぐれて、日常の中にもある面白さを垣間見るような気がします」
そういう説明をされると、どんなものか読みたくなるなあ。
58 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/20(土) 19:45:02.31 ID:0zLMCoDIo
古泉「そう言えば一くんが、ちょうど帰ってきてましたよ。会ったら喜ぶと思いますが」
こなた「え、あの子戻ってきてたの? でもまたすぐ行かなきゃいけないんでしょ?」
古泉「まだ他の場所が開いてませんから大丈夫。
それに泉さんが来たと知ったら地球の裏側からでも飛んでくるでしょうから。
電話すれば?」
泉さんは懐かしむような顔をして、
こなた「そうしようかな。ふむ、一には聞きたいことがあるし」
意地悪におどけた目でわたしをチラッと見たが、しかしふと顔を曇らせた。
こなた「でも一がこの地域に来てたってことは……」
柊さんは声を落として、
古泉「ええ。長門さんや喜緑さんがいるにも関わらず、です。そろそろ近い。
泉さんも大丈夫だとは思いますが、こちらでは一応用心して下さい」
こなた「わかった。古泉くん達もね。じゃあね」
と図書館の入り口に向かって歩きかけて、泉さんは足を止めた。
59 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/20(土) 19:49:04.59 ID:0zLMCoDIo
少しの間そのままでいたので、
古泉「泉さん?」
呼びかけに振り返った泉さんはさっきとは打って変わった深い瞳をしていて、
でも違いはそれだけで柔和な表情はそのままだったけど、
こなた「古泉くん。……あの子、わたし達にとっては子どもみたいなもので、
普通に役目に頑張ってるように見せてるけど、
ホントはわたし達より大人な面あるから……わかってあげてね」
柊さんには泉さんの言いたいことが伝わったようで、
古泉「はい。本当に泉さんには……。
森さんと常々話していますが、あなたの存在にどれだけ彼が救われているかと」
こなた「わたしだけじゃなく、古泉くんも、でしょ」
古泉「……」
大人が沈黙して、マジな目で見つめ合っているのは、あまり穏やかな光景とは言えない。
古泉「すみませんが、それは難しいんです」
こなた「……そうだね。……ごめん、この話はこれまで! じゃあね、また」
笑顔で手を振って歩いていった泉さんは、
閲覧テーブルで本を読んでいた人にも声をかけて、
二言三言フランクな感じで会話し、手を振りながら離れて、
今度はカウンターのところで長門さんにちゃきちゃき話しかけていた。
柊さんは、何か言い負かされたような流れの割にそんな泉さんを称賛し羨望するような、
僅かな笑みを束の間見せていたが、
古泉「さあ、行こう」
と泉さんが出てきたドアにわたしをうながした。
当時のわたしは、今の話の内容は、一さんも悩んでることがあるんだろうな、
ぐらいにしか思っていなかった。
それはそれで合っていたのだが、それが七重のお母さんが、
とりわけ世界の時事ニュースを見て、
なぜあんなに憤っているのかということを全然分からずにいたように、
それ以上は考えもしなかった。
60 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/20(土) 19:49:30.27 ID:0zLMCoDIo
今日はここまで
61 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/20(土) 20:19:12.62 ID:21Euqby10
乙
62 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/22(月) 20:17:12.44 ID:MYbWWDhUo
続いて中に入ったわたしが、呆けたように周りを見回していると、
柊さんは後ろで静かにドアを閉め解説を始めてくれたのだった。
古泉「市立図書館とは別に、ここでは長門さんが構築した蔵書の閲覧を許してくれている。
ほら、正面に大きい扉があるだろう。
気が向いたら、長門さんに頼んであちらを案内してもらうといい。
長門さんが文化的、歴史的、科学的価値があると判断した、
古今東西の書物が収められている。書物以外の資料もあるけど」
この奥にあるという資料、そしてそれらを収集した長門さんとはどういう人物なのか、
と気になりながらもわたしは広間の全景に目を奪われていた。
確かに足元はコツコツとした平たい床石の感触があるが、
足元の遥か下(?)の方まで奥行きのある星空が広がり、まるで全てがプラネタリウムだ。
いや、いま柊さんとわたしが立つ平面上に、
放射状の位置に並び立っている幾つかのドアやその中央にあるソファを除けば、
宇宙そのものだと言っていいくらい。
館内の隅っこのほうのはずなのに、どこにこんなスペースが、というレベルではなかった。
大小様々な、色も様々な無数の星々や銀河が散りばめられ、
足元の斜め下、遥か遠くの方を横切る彗星や、
音もなく頭上を遠ざかっていくたくさんの岩塊群が見える。
まるで身体が宇宙空間に漂っているような感覚に襲われる。
ドアにしても、中央に対し同一円周上から向かうように配置されているというだけで、
壁にはめ込まれているわけではない。
今入ってきた場所から正面の、向こうのドアだけは観音開きで一番大きいが、
他は普通の、よく見る大きさだ。
そもそも、壁自体が無く、例えばドアの後ろ側にだって歩いて回りこめそうな気がする。
63 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/22(月) 20:21:49.11 ID:MYbWWDhUo
悠久の時と広大無辺の静寂、正に天文学的スケールの力学の世界、宇宙。
絶対零度と真空の支配する情緒のかけらもない空間のはずなのに、
この広間の冬の星々を瞬かすような静謐に満たされた空気はどうだろう。
そう、寒くはないのに鼻腔を清々しく通り抜けるのは冬の大気の匂い。
それはものの輪郭を冴え冴えと峻別する数学的に美しい横顔を見せながら、
呼吸を重ねるほどに肺胞の隅々まで浄化し、
精神を重力から解放するような快さで包んでくれる。
そして冬は、春を待つ季節でもあるように、
人智の及ばぬ未踏域への畏怖のなかに不思議と憧れと懐かしさ、静かな温もりを感じる。
きっと、これが長門さんなんだ。
不意に理由もなく直感したとき、柊さんが、
古泉「実は今このカギを使ったんだ、泉さんも、僕も」
と手の平に載せた鈍く光る小さな丸っこいカギを見せた。
古泉「ここは中央ホールで、長門さんの故郷を模したデザインになっている」
散開したドアに囲まれるように中央には、一脚のソファが置かれていた。
そこまでゆっくりと歩く柊さんについていく。
古泉「座る?」
わたしは首を振った。
サキ「いえ。それより、泉さんも柊さんもこの図書館の関係者の方なんですか」
確かに「準備室」と書かれた古く変色したプレートがドアの上にはかかっていた。
そうそう簡単に部外者が入れる場所ではないのだろう。
古泉「いや。こんな奥の方にあっても、
人目につかないように長門さんにちょっと手助けしてもらってるけどね。
このカギも長門さんからもらったものだ。それからこの空間も長門さんが構築した」
空間。
サキ「教えてください。
朝倉涼子さんや長門有希さんがインターフェースとか、どういう意味なんですか。
七重のお兄さんはその人たちの仲間なんですか」
あの黒い空間に迷い込んだあたりから、わたしは、
いや、わたし達は一さんと非常に関わりがあることだけは分かっていた。
なぜ分かるのかは知らないが。
でも朝倉さんがやったような、
周りの景色が一時停止してしまうようなことは本当にサッパリ分からない。
古泉「……何から話せばいいものか。まず答えよう。
朝倉さんや長門さんはこの地球で生まれた人間じゃない」
64 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/22(月) 20:25:51.50 ID:MYbWWDhUo
つまり、あの直感通り……。いや、まさか。
目を見開いたわたしの反応を見ながらも、柊さんは話を続けた。
古泉「銀河系、いや宇宙全体に渡って広がる知性そのものの意識の集合体があるとしよう。
人類が地球上に誕生する遥か前から、
悠久の時を専ら思索と、インテリジェンス――つまり有意な情報を探索・分析し、
それによって更に思索を深めていく営みに費やす」
すみません、日本語でお願いします。
柊さんは片手の手のひらを天井の方へ軽くかかげながら、
路線バスが次に停留所に来る時刻を知らせるみたいに、
古泉「宇宙には今言ったような、情報統合思念体という存在があるんだ。
朝倉さんや長門さんはそこから人類とコンタクトするために派遣された、
有機アンドロイドなんだよ。
我々『機関』では彼らをTFEI端末と呼称しているが、簡単に言えば宇宙人」
……………。
信じられるかどうかと言うより、あんな現象を見せられては、
そう納得した方が早い気がする……。
とりあえず、では、
サキ「一さんも朝倉さんと同じ力を使えるみたいですが、宇宙人なんですか」
答えを聞きたくないなあと思いながらわたしは尋ねた。
古泉「いや七重ちゃんの兄で人間だよ。
ただ彼は、二つの特殊な能力を生まれながらに持っていた」
65 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/22(月) 20:29:53.21 ID:MYbWWDhUo
サキ「というと?」
古泉「一つは僕らの知っているとおり、閉鎖空間と神人を生み出す能力。
そしてもう一つは、どう表現したらいいのか迷うけど、
現実に合わせて自分を変えられる能力、とでも言ったらいいかな」
サキ「それって……誰でも多かれ少なかれ、そうしてるんじゃ」
柊さんは頷いて、
古泉「現実を受け入れる、ということだね。
彼の場合、状況を判断して、自分がどうすることが必要か判断したぶんだけ、
それができるようになるんだ。それも、無限のキャパシティをもって」
サキ「つまり、自分のやりたいことは何でもできる……」
古泉「いや、あくまで、彼自身が、本人の意志次第で、
制限なしの可変の対象であるという意味に限定される」
サキ「どっちも同じで問題ないじゃないですか」
柊さんは苦笑しながら言った。
古泉「大ありだよ。現実を根本から覆したり、新たに創造したりするのではないから。
一くんにはそこまでの力はない。
それに、生まれながらと言ったけど、
最初彼は、閉鎖空間を生み出し、神人を暴れさせることしかできなかった。
というより、子どものころある日、自身の生み出した閉鎖空間に迷い込んで、
神人に踏みつぶされそうになっていたんだ。
駆けつけた僕ら、機関の能力者が彼を助けたけどね」
懐かしそうな目で言う。
サキ「一さんが閉鎖空間に迷い込んだんですか?」
古泉「そう。思えばこの時すでにもう一つの能力の片鱗を見せていたのかもしれない。
しかし、それ以降何度も閉鎖空間を発生させては、
神人の破壊行動に巻き込まれて、必死に逃げ回っていたんだ。
無意識の暴走に自分自身が危険にさらされて、
彼にとって悪夢のような日々だったに違いない。
なぜこんなことになるのか、本当に理解するまではね。
それはずっと後で、閉鎖空間の空も、今と違って灰色だった」
66 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/22(月) 20:32:54.05 ID:MYbWWDhUo
そういえばわたしが見た悪夢の空も灰色だった。
古泉「ある日、彼は僕に神人の狩り方を教えてほしい、と言ってきたんだ。
今の君みたいだね。
僕は、まず紅玉化について、
これは選ばれた者にしか使えないのだと説明したんだが、
僕の目の前で彼は紅玉化してみせたんだ」
聞きながらふと思う。わたしみたいな例は初めてじゃなかったっけ。
古泉「彼の能力が発現した瞬間だったんだね。
意志の力で、機関の者しか扱えないはずの能力を獲得したんだ。
それまで逃げ回るだけだったのが、自分から向かっていこうと決めたからだと思う。
彼は機関の一員になって、僕より強い能力者になったんだ」
現実に合わせて自分を変えるって、そういうことか。
……わたしの参考にはならないな。地道にやるしかないか。
柊さんはもう、なんだか嬉しそうな顔で問わず語りに入っていた。
古泉「一くんはやはり涼宮さんと彼の子どもだよ。本当の意味で頭がよくて、
年の差なんて関係なく、友達になりたくなるようないい奴だ。
あ、話がそれたね。……そのうち、自分の精神をコントロールすることで、
閉鎖空間の発生や神人をも一くんは操れるようになった。
考えてみれば、自分の心に振り回されなければ、
閉鎖空間も神人も発生しないんだけど、一度は通る道だったんだろうね。
能動的に閉鎖空間の開閉ができるようになってから、空が黒くなった」
一さんの成長を喜ぶのは分かるけど、その発生源の子どもを命がけで助けながらだから、
なんだか人のいい話だなあと思う。
あ、そういえば、さっき閉鎖空間が開いて、一さんが来てたって言ってたような。
サキ「さっきの閉鎖空間って、一さんが情報生命体と戦ってたんですか」
古泉「さっきのは、一くんが戦っていたけど、相手は情報生命体じゃなかったんだ。
確かに一くんも情報生命体と戦うこともあるけど、
それは広範囲にわたって感染者が出たときとか、限定されてる。
さっきの閉鎖空間は、
天蓋領域のTFEIが涼宮ハルヒの半径300メートル以内に接近したために開かれ、
一くんがTFEIと交戦した」
どうしてここでおばさんの名前が出てくるんだ? 天蓋領域?
古泉「この宇宙の外にある情報意識体で、
情報統合思念体と同じく多くのインターフェイスを擁する。
彼らが涼宮さんに近づいたのは彼女をかどわかすためだ」
67 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/22(月) 20:39:01.95 ID:MYbWWDhUo
サキ「何ですって!?」
声を荒らげるわたしに柊さんは落ち着いた口調で続ける。
古泉「安心してくれ。ここは我々にとっても彼らにとっても、
最重要地点と言っていい場所であり、
長門さん達、統合思念体のTFEIの中でも精鋭で固められている。
何せ天蓋領域のターゲットである、
七重ちゃんの両親と長門さんが全て揃っている地域だから」
サキ「おじさんまで!?
それに長門さんも、どうしてそいつらに狙われなきゃいけないんですか?」
こちらが詰め寄っても、柊さんは注意深そうな表情をさらに、
慎重に考えるよう促すようにして言う。まどろっこしく感じる。
古泉「狙う理由については話の中で説明するよ。
だが先ほどの接近は、彼らも誘拐が成功できると踏んでやったとは思えない。
裏で進行している大きなことを隠すために、
一時的に長門さん達TFEIの注意を、
インターネット上から逸らすのが目的だったのかもしれない」
サキ「長門さん達も情報生命体の被害者が出ないように協力してくれてるんですか?」
知ることのできる限りの情報を全て聞いておきたい。
古泉「そのとおり。感染元になった起動データの削除や、
ネット上のどこかに巧妙に隠され仕込まれた情報生命体の探索を、日夜行っている。
情報生命体、と言ったけど、起源は情報統合思念体と同じなんだ。
感染元を断つのは、専門家に集中してやってもらったほうがいいから。
パソコンの操作はTFEIの中でも長門さんが一番上手いんだけど、
彼女はここの司書の仕事があるから。
実際の作業は他のTFEIがほとんど行って、
長門さんや喜緑さんに報告する形らしい」
サキ「喜緑さん?」
初めて耳にする名前だ。
古泉「彼女もこの近辺に住んでるから、いずれ紹介できると思う」
サキ「分かりました。今隠したとか仕込んだって言いましたよね。
もしかしてそれをやったのは……」
古泉「分かってきたね。そう、天蓋領域だ。
この宇宙で滅亡したはずの情報生命体を、兵器として送り込んできている」
兵器……戦争……。
古泉「数か月以内に情報生命体の爆発的感染が引き起こされる兆候がある。
それに乗じて彼らはきっとTFEIをつぎこんで、
七重ちゃんの両親や長門さんを奪いにくる。
それに対抗して統合思念体と機関の連合が、天蓋領域と情報生命体を迎え撃つ」
68 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/22(月) 20:42:33.96 ID:MYbWWDhUo
わたしは呆然としながら聞き、考えていた。なんでそこまで……?
古泉「……大丈夫かい?」
柊さんがソファに座るよう促したが、
わたしは力無く首を振り、頭に湧き起こる疑問をそのまま口にしていた。
サキ「……どうしてそこまでしておじさんやおばさん、長門さんを狙ってくるんですか」
古泉「延ばし延ばしで悪いけど、それについては一くんのことを話す中で説明しよう。
構わないだろうか」
サキ「……はい」
柊さんは束の間考えて、
古泉「一くんが閉鎖空間と神人を自在にコントロールできるようになったことは話したね。
そこまで戻るけど、このとき一くんは中学一年で、普通の子として生活していた。
周りの人や七重ちゃんとお母さんに隠した秘密をのぞけば。
お父さんは以前から知ってたんだ」
サキ「七重もおばさんも知ってるみたいでしたが」
古泉「もう、一くんが過去へ行くときが迫っていたから、旅立つまえに打ち明けたんだ。
二人ともよく受け止めてくれた。
彼自身も直前まで、時間をさかのぼることを知らされていなかったんだが」
そうだ、一さんもおじさんやおばさんが北高生だったころに、
もぐりこんだようなこと言ってたな。
確かに言われたとおり卒業アルバムには、山田というめがねを掛けて、
ぼんやりした子が載っていた。氏名より先に顔を見つけたくらい一目で分かったが、
コンピュータ研所属というのが意外だ。成績は良くないと自分で言ってたし。
サキ「一さんが過去に戻った理由ってなんですか。
お父さんとお母さんが結婚するように仕向けなきゃいけないとか?」
柊さんは朗らかに笑った。わたしにすわ隠し子発覚かと勘繰られたときのように。
古泉「冗談が言えるようでよかった。いや、そちらの方はもう大丈夫だった。
そうだな、朝比奈さんなら既定事項だったから、と答えるだろうし。
でも、一くんは長門さんを守るためだったと言うだろう」
69 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/22(月) 20:46:11.70 ID:MYbWWDhUo
次から次へと、新しい人やことを知らされる日だ。
サキ「朝比奈さん?」
古泉「朝比奈みくる。一くんを過去へ送る助けをしてくれた人だ。
ずっと未来から来た人で、僕と同じ高校の部活の先輩で仲間だ。
そうだ、長門さんのことを君にしっかり紹介してなかったね。
まったくあの人は……。いや、すまない。内輪のことでね。
……長門さんも涼宮さんが作った部活、いや、団の、同級生の仲間なんだ。
もともとの部室の主でもあったんだけど」
……なんだかにぎやかな部活だったんでしょうね。
古泉「そう。だがそれだけじゃなかった。
君は涼宮さんの家で、一くんが中学一年くらいにしか見えないと言ってたね。
あのときは話をそらしたけど、まさに君の言うとおりだ。
一くんは中学一年から、肉体的に年を取らなくなった」
サキ「それって余りにも人間離れして……」
柊さんはじっとわたしを見た。不謹慎なことを言ってしまった。
でもその表情にはわたしを責めるというよりは、
真剣さの中にどこか一点悲しみの色が浮かんでいるようだった。
古泉「七重ちゃんのお兄さんで、涼宮さん達の子ども。そして君の……、
これだけ言えれば、人間だと言えないかな。
過去に行ってするべきことを知ったとき、
一くんは自分の意志で、長門さんからTFEIの能力を伝授してもらった。
不老は、その特性の一つだ。
朝比奈さんからは時間跳躍の仕方を習った。
その意志をもって一度その瞬間を見れば、能力として使えるようになるんだ。
いずれも完璧に、それどころか無限の容量を持ち、申請を通すこともなく、
はるかに強力に自在に、使いこなせる。
そして、環境情報を操作して自分の記録と、七重ちゃんや両親、
そして僕らのような限られた人々を残して、周囲の人の自分に関する記憶を消し、
過去へ行った。僕らが北高の三年になったとき、新入生の一人としてやってきた」
70 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/22(月) 20:49:12.63 ID:MYbWWDhUo
サキ「長門さんを守るため?」
古泉「天蓋領域のインターフェイス達からね。ずいぶん遠回りしたけど、
やっと彼らが狙う理由に言及できそうだ。
長門さんはこのとき涼宮ハルヒ――、
一くんのお母さんを観測する役目についていた」
一さんの親ともなると過去にまでさかのぼって、観測の対象になってしまうのだろうか。
古泉「最初、天蓋領域側のインターフェイスは、
周防九曜という単体しか存在しなかったが、
ある日、長門さんが蓄積してきた観測データを彼女ごと強奪しようと、
集団で攻めよせてきたんだ。
彼らもまた、情報統合思念体に追随して涼宮ハルヒの観測データを欲していたから。
天蓋領域側が、統合思念体のTFEIについて研究しつくしていたのに対し、
統合思念体側は、天蓋領域について未知の部分が多く、不利に思われた。
彼らは朝倉さんの、情報制御による空間封鎖さえやすやすと突破できるから、
閉じ込めることもできない。
統合思念体は長門さんを奪われる前に隠そうとしていたらしい」
サキ「隠すというと……」
古泉「簡単に言うと長門さんをこの世から消して、
統合思念体の元へ戻させるということだ。
そのときそれを止めさせて、
代わりに襲来した天蓋領域のTFEI達から長門さんを守ったのが一くんだった」
サキ「彼らを一人で全て倒したんですか?」
古泉「違う。彼はそのとき一体も傷つけず、倒さなかった」
サキ「ええ?」
古泉「一くんはまず天蓋領域のTFEI達を閉鎖空間に閉じ込めると、
閉鎖空間内の時間の流れを、通常空間から切り離し、後は専ら防戦に努めたようだ」
71 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/22(月) 20:52:14.20 ID:MYbWWDhUo
意味が分からない。
サキ「それじゃあ、勝てないじゃないですか」
古泉「そう。負けず、勝たずの戦法と言える。相手の攻撃をひたすら防いで待つ」
待つって、何を。
古泉「相手の戦闘の意志がなくなるのを。そうなれば閉鎖空間を消して解放する」
帰しちゃうんですか!?
古泉「持久戦に持ち込むことで被害者が出ない限りは、
今でも基本的に一くんはそうしてるらしい」
サキ「多数のTFEI相手にたった一人で、よくそんな戦法が通じましたね」
わたしは朝倉さんしか知らないけど、
もし戦うとなったら人間は。恐らく閉鎖空間の中での機関の能力者でさえ。
しかも、その統合思念体のTFEIが苦戦を強いられる相手となると。
古泉「確かに。
でも一くんは無限の処理能力をもって、どんな攻撃を受けても一瞬で再生できるし、
彼の能力の特性を考えれば、手のうちを見せたぶんだけ相手が不利になる一方だ。
それにしたって、彼が閉鎖空間から帰ってきて、
初めてそんなことをしていたのだと分かった。
当時の僕らはただ中に入らぬよう言われ外で五分ほど待っていたんだ。
でも出てきた彼を見た長門さんによると、彼は一千年近く閉鎖空間にいたという」
サキ「1000年!?」
………………。言葉が見つからない。
古泉「長門さんのためだからと言って天蓋領域のTFEI達を殺したりしたら、
長門さんもいい気はしないだろうと言ってたが」
サキ「しかし千年って。どれだけ長い時間なのか分からないですけど、
そんな経験してよく気が狂いませんね」
古泉「長門さんの支えが大きいんだろうね。まず彼女も似たような経験をしているから。
それに、一くんは人間の立場から宇宙人の感覚に近づいていってるのに対して、
長門さんはその逆を歩んできた人だから、理解しあえるところがあるんだろう」
72 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/22(月) 20:55:14.66 ID:MYbWWDhUo
長門さんも同じように、切り離された場所で、長い時間を過ごしたことがあるのか。
サキ「ところで、そのとき天蓋領域があきらめたことで、
それで終わ……らなかったんですよね」
古泉「ああ、現在の状況は見てのとおりだ。
しかし、そのとき以来、一くんは自分がいた未来に時間跳躍を使って帰らず、
そのまま過去の時間の流れから現在まで来ているんだ。
今の一くんにこの宇宙でかなう者はいない。
彼の存在自体で天蓋領域が攻め込んでくるのを抑止している面があるから、
機関では俗説にならい武神と呼んだりする」
ん? 過去の時間の流れからそのまま帰らずに来たのなら、
子どものときの自分に会っちゃいけないとか、色々問題があるんじゃ……。
古泉「そのときから今までの経緯については、
かなり入り組んだ説明になるけどいいかい?」
あ、やっぱりいいです。
古泉「ともかく今、ふたたび天蓋領域は狙ってきている」
サキ「長門さんをまた、さらおうとしているんですね」
自分から聞きたいと言ったものの、こんなに長い話になるとは思わなかった。
古泉「長門さんだけじゃない。今回は、情報生命体とあちらのTFEIによる、
人類への侵攻を伴って、ある程度観測情報の集積が見られた本体の回収も目的だ」
本体って。
古泉「七重ちゃんのお父さんとお母さん」
73 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/22(月) 20:58:16.36 ID:MYbWWDhUo
サキ「そういうことか!!」
冗談じゃない。両親がいなくなったら、七重はどうなる?
高校は何とか卒業できたとしても、頭がいいのに大学もあきらめて就職して、
兄貴はあの通り放蕩してるし、おじいさんとおばあさんの世話を一人でして、
そのうちどうでもいいような男に捕まったりしたら……
サキ「絶対に許せない!」
古泉「君が血相を変えるなんて珍しいね。いや、十分そうするに値する状況だが」
いや、柊さん笑ってる場合ですか。
古泉「ああ、悪かった。……さて、僕から話すことは以上だ。聞きたいことはある?」
サキ「今回も一さん一人で片づけてしまえないんですか」
古泉「できない。前回は長門さんを集中的に狙ってきたけど、かれらも賢い。
世界中に情報生命体やTFEIを送りこんで、人類を攻撃しようとしている。
そうなるとこちらの防衛力も分散せざるを得ない」
サキ「だから、そいつらも全部、閉鎖空間に閉じ込めてしまえばいいでしょう」
古泉「もちろん一くんはそうするさ。
でも君は、閉鎖空間が世界中に拡がってしまえば、どうなるか分かってるだろう」
あ、閉鎖空間が世界と入れ換わってしまって、終わるんだった。
古泉「向こうもその事情を把握してる。その弱点をついて点を面につなげるように、
世界全土にわたって侵攻してくるだろう。こちらの手を封じるために。
でも、それに屈して、人々が危険にさらされるのを見過ごすわけにはいかない。
七重ちゃんの両親と長門さんを守り抜きながら、
いかに早く相手をせん滅し、閉鎖空間を消していくか。今回はその点も重要なんだ」
74 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/22(月) 21:07:13.42 ID:MYbWWDhUo
サキ「けど、世界が終わったら天蓋領域だって困るでしょう。
どういう思考回路してるんですか」
古泉「そう、謎だね。チキンレースを仕掛けてるのか分からないけど、
いずれにせよそういう戦略を取ってくるのは確かだ。
第一、涼宮さんの観測データを奪うのが目的で、
人類侵略はその手段に過ぎないんだ」
なんならわたしがさらわれて、おじさんやおばさんのことを連中に説明したっていい。
彼らがうんざりするほど聞かせてやる。
古泉「娘を持つ父親としてそれは賛成できないな。
それにしても、そもそも長門さんのデータを彼らは解読できるんだろうか。
……さて、君はどうする。
今ならまだ、全てを知らなかったときのようにとはいかないが、
草の根……つまり涼宮さんや七重ちゃんのそばにいて、
危険があればそれを我々に連絡する役につくこともできる。それだって重要な……」
サキ「何言ってるんですか。
やらなければいけないと分かってるなら、やるしかないでしょう。
戦わせてください」
柊さんはそれまでになく驚いた目でわたしを見たが、気を取り直したように、
古泉「……君がそのつもりなら、長門さんも君に何かと力を貸してくれるはずだよ。
情報統合思念体から機関に、標的の護衛に少しでも多くのTFEIを配備するため、
また、観測条件を整えるために、人類を保全してほしいという依頼が来ているから」
サキ「あきれた! わざわざ頼まれなくても、全部わたし達に切実なことばかりなのに」
古泉「お偉方の融通が利かないのは、どこも共通の事情らしくてね。
長門さんはもともと面倒見のいい人だけど、
建前があった方がやりやすいに違いないから。
統合思念体にとっては、観測の継続こそが切実な問題なんだろう。
長門さん達TFEI端末には、貴重な情報を教示してもらったり、
『機関』としてもお世話になっているから、
そういう浮世離れした感覚もあるのだと、尊重していかなくてはね」
長門さんも静かな表情をしていたけど、板ばさみで苦しいこともあるのかもしれないな。
古泉「聞き疲れしたろうし、君の考えを整理するためにも今夜はゆっくり……」
サキ「お気遣いありがとうございます! 大丈夫です! 失礼します!」
再び先ほどのドアから図書館内に戻ったわたしは、短く礼をするなり早足で歩きだした。
今のわたしには、閉鎖空間に侵入できる以外に、何も力がない。
訓練をもっと早く、多くこなせるようになって、
能力を使えるようになって、それから使いこなせるようにならなければ。
カウンターでレファレンスの相談に応じている長門さんにおじぎをすると、
わたしは自動ドアをくぐって駆け出した。
75 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/22(月) 21:08:30.63 ID:MYbWWDhUo
今日はここまで
76 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/22(月) 22:13:35.22 ID:9WZ8zlsz0
乙
77 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/24(水) 20:24:57.11 ID:vXVXQH+So
化学の教師が黒板に中間考査の範囲を書いていくと、
クラスのあちこちから溜息をもらす声があがった。
後日、教室の後ろの掲示板に、全ての教科の範囲がまとめて貼り出されるはずだけど、
今まで知らされた分だけで十分苦しい。
サキ「ふぃ〜〜。テスト範囲広いね」
と後ろの席の七重を振り返ると、何か考え込んだ表情をしている。
そう言えば朝会った時から何か元気がなかったが、
話しかけてるのに気付かないとはよほどのことだ。
七重はいつもは能天気なくらい開放的で、いい意味であまりものを考えてない。
周りが愚痴を漏らそうが、マイペースにボケて、
言った方までくだらないことに悩んでたような軽い気分に感化してしまう、
普段はそういうタチの悪い奴だ。
本人はいたってマジメなつもりでいるからますますタチが悪い。
成績優秀でおばさんに似て美人で、運動神経も抜群なのに、
肝心の性格がこんな隙だらけだから、同性異性問わずもてる。
にも関わらず、わたしが知る限り七重は誰とも付き合ったことはない。
それはともかく……、
わたしはもう一度呼びかけた。
サキ「七重、どうしたの」
七重はハッとしたように、
七重「え、何でもないよ」
サキ「嘘」
とわたしは言いながら、日番がもうほとんど消しかけている黒板を指さす。
七重「あ、わわ」
と慌ててシャーペンを走らせるも、時すでに遅し。
サキ「ほれ」
わたしがノートを見せると、
七重「ありがと」
なんと、ほとんど板書もノートに取ってない。
サキ「…………」
78 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/24(水) 20:27:57.23 ID:vXVXQH+So
わたしの無言の視線攻撃に観念したのか、手を止めてふうっ息をつき、
七重「きのう、お父さんに怒られちゃった」
そう言いながらまた書き出す。
サキ「どうして?」
七重「サキのこと」
わたしのことで、おじさんが七重を怒る?
七重「どうして止めないんだって。
……お母さんが話したの、サキを柊さんに会わせたこと黙ってるべきじゃないって」
旧友を娘の幼馴染に紹介するのがそんな禁忌事項になってたのか。
うーん、ああ、そうか。『機関』のことでだな。
七重「お母さんは、サキが自分で選んだ以上、とやかく言うべきじゃないっていうの。
お父さんはとにかく信じられない、て怒って柊さんに電話かけようとするし……。
柊さんのせいじゃないのに」
そこまで言うと、唇をくちばしのように尖らせる。
しかし何だろう、この違和感は。
この家では、他の家の子のために、本気で親子喧嘩、夫婦喧嘩を始めるらしい。
わたしは感謝してるけど、他の人から見たらかなり奇異な光景が映るだろう。
おじさんとおばさんのことだから、取っ組み合いになったのかもしれない。
同居しているおじいさんとおばあさんもびっくりしただろう。
その光景を思い浮かべると、思わずクスッと笑ってしまった。
七重「……」
今度はわたしがジトッとした目でにらまれる番だった。
ごめんごめん、なんか、ありがとね。かばってくれたみたいで。
七重「わたしだって。
……とにかく、お父さん、サキとも直接話したいって、言ってたからね」
サキ「ああ、うん、わかった」
七重はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、残りを書き写しにかかった。
一さんのことがあるのに、
わたしの心配までしてくれてる七重の前で笑ってしまって悪かったと思う。
でも、まさかその日のうちにおじさんと話すことになる、とまでは考えが及ばなかった。
79 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/24(水) 20:31:58.67 ID:vXVXQH+So
涼宮家はうちのお得意様である。
今日は七重が帰りに父の薬局に寄ってくれている。
買い物が済み、和やかに談笑していると表にお客さんの来る気配があって、
ガラスの引き戸を開けて入ってきたのは、
サキ「あ、おじさん……」
おじさんは地元の酒造会社のルートセールスをしている。
近くの酒屋に用があるとき、よく家のお店に立ち寄って父と立ち話をしていて、
時たまわたしや七重も鉢合わせするという、
よく分からない顔ぶれの集会に発展してしまうことがある。
しかし、よりによって、というか。
わたしと七重にとって居合わせるのは随分久しぶりであったのだが。
キョン「おう、いたのか」
引き戸を閉めるおじさん。七重はむすっと黙っている。
父のあずかり知らぬところで気まずい空気が漂った。
おじさんはいつものように栄養ドリンクを一本買うと、その場で飲み干した。
そしてわたし達のことはおくびにも出さずに父と世間話を一くさりすると、
入ってきた時みたいにさっさと出ていった。
しかし、おじさんは元々さっぱり物事にこだわらないというか、
おばさんと違って感情は間接的な言葉で表現するというか、
心の奥はいつも温かいのに淡々としているような人だけど、
今しがたのわたしと七重に対する態度は明らかにいつもと違う。
父は気づいてないみたいだけど。こういうことは早いほうがいい。
七重やおばさんと、おじさんの冷戦状態を長引かせる必要はどこにもないし。
七重と夕飯の買い物のためにお店を後にすると、
少し歩いたところでやっぱりおじさんは待っていた。
キョン「サキ。少し話せるか」
サキ「うん、いいよ」
と答えて、七重に、
サキ「ナナ。また明日ね」
七重はわたしを案ずるような眼差しを向け、それから、
七重「……ん。わかった」
と先に帰っていった。
話を済ませてから一緒に買い物するには、長すぎる「少し」になるに違いないから。
80 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/24(水) 20:36:00.81 ID:vXVXQH+So
二人で並んで歩き出し、おじさんが話を切り出すのを待っていると、
キョン「店に入ったとき、なんで佐々木が北高の制服を着てるんだと、一瞬錯覚したぜ」
サキ「あれ、そういえば見るの初めてだっけ」
最近、祖母にも、母とますます似てきたと言われる。
父は、ものを考えるときなどのしぐさがそっくりで驚くことがあると言う。
そういうことがあるのだろうか。
キョン「ああ。似合ってるぞ」
サキ「ありがと。外で会うのなんて久しぶりだものね」
キョン「そうだな。お前も十六か」
サキ「あ、そういえばそうだった」
おじさんはぐいっと首をこちらに向けて大げさににらみながら笑った。
キョン「おいおい」
その日に色々とあったせいでずっと後ろのほうに隠れてしまっていたな。
わざわざ自分の誕生日が祝われるのに積極的でないけど、
そういう習慣も考えものかもしれない。
話を少し戻す。
サキ「でも外見はお母さんに似てても、性格は全然違うんでしょ?」
キョン「全然、てことはない。
ものをよく見て、なおかつ動じないところなんかよく似てる」
おばさんに似たようなことを言われたような。
キョン「……だがな」
そう呟いて、おじさんは口をつぐんだ。
81 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/24(水) 20:40:02.77 ID:vXVXQH+So
自販機で買った缶飲料を渡されて、
わたしはおじさんと光陽園駅前公園の中のベンチに腰かけた。
二人とも黙ってとりあえずプルタブを起こし、飲み物を啜る。
おじさんは一息つくと、
キョン「暖かくなったな。日も長くなった」
サキ「それ、鶴屋さんとこでお花見した時も言ってた」
キョン「ほら、あの頃は花冷えで、日が傾くとまだ肌寒かったろ」
サキ「まあ、そうだね」
会話が途切れる。
キョン「お前、親父の後を継ぐのか」
サキ「そのつもりだよ」
キョン「勉強難しいだろ」
サキ「なんとかやってる。ナナにも教えてもらったりしてるし」
キョン「そうか」
再び会話が途切れる。
おもむろに、おじさんは口を開いた。
キョン「とりあえず一は殴っといた」
サキ「ちょっおじさん!? 誰が能力者になるかなんて、一さんには分からないんだよ?」
キョン「ああ。だがあいつのふざけた力にお前を巻き込んだのは確かだからな」
サキ「でもそれじゃ『機関』の人の数だけ息子を殴らないといけなくなるよ」
キョン「それはない」
おじさんはきっぱりと言い放った。
サキ「それおかしくない?」
キョン「おかしくないとも! 俺はお前が可愛いからだ!」
82 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/24(水) 20:43:02.88 ID:vXVXQH+So
……人通りの少ない公園でよかった。
サキ「ねえ、お母さんが生きてたら、このことを知ったらどう言うかな」
おじさんが前に、わたしの母のことを、
中学のときからの親友だと言ったことを思い出して、わたしはたずねた。
キョン「……まず殴られるのは俺だろうな。
それからどんなことを言ってでも、お前を止めるだろうよ」
サキ「…飄々として、物事をいつも客観的に捉える人だって言ってたじゃない」
キョン「お前に関してだけは別だ。
早くお前に会いたいと、十月も待てないようなことを言ってた」
サキ「……」
キョン「地球を侵略するエイリアンに向かってお前が戦いにいくなんてことは、
お前の親父には話さない方がいい。
だが佐々木なら、話を理解した上でお前にはそうすることを絶対に許さない。
俺は、知ってる側の人間として、お前を止める義務がある」
83 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/24(水) 20:46:04.54 ID:vXVXQH+So
わたしはおじさんを見ていたけど、おじさんは話しながらずっと前を向いたままだった。
話し終わると、缶コーヒーの残りを一気に飲み干し手に持ったまま黙っていた。
サキ「お母さんやおじさんが、その理由で止めるのなら、
おじさんもお母さんも分かってくれると思う」
おじさんは怪訝な顔を向けた。
サキ「わたしが戦うのは、おじさんが言ったその理由と全く同じだから。
わたしがおじさんやおばさんや七重が大好きだから。
こんなことに脅かされずにいてほしいから。
だから、絶対に、やめるわけにはいかないの!」
キョン「お前がそう思ってくれるのは嬉しい。
だがな、大事に思ってくれるならなおさら止めてくれ。
七重の父として、佐々木が認めてくれた親友としても言わせてもらうぞ。
何もお前がやらなくてもいい。お前の頭の良さを生かした人生の選択をだな」
サキ「柊さん――古泉さんはすごく頭の良い人だけど、能力者としても――」
キョン「甘ったれるな! 奴は特別だ。お前なんかとは年季も覚悟も違う」
……確かに偉大な先駆者である柊さんとわたしを、同列に語るのはおこがましい。
しかし、柊さんとの共通項は決して能力者、という一点だけではないと、
即座に言葉にできない何かがある。功績とはまた違うところで。
柊さんと同じ役目を負うことの誇らしさ。それは――。
閃きを探るわたしの表情を逡巡と捉えたのか、おじさんは頭を下げ、
キョン「――頼む。この通りだ。お前には、お前にまで志半ばで死なれたくないんだよ。
佐々木の分までお前は、幸せになる義務がある」
幸せ。
キョン「ああ、そうだ」
ああ。
そうだった。
ベンチを立ち上がり、見上げる空は五月晴れだった。
秋晴れは男の諦めに似て、粋だと思う。
わたしはこの空に女の執念、そしてどこまでもオプティミズムな朗らかさを感じる。
それがきっとわたしの名前に託された希望だから。
昔、父から聞かされた言葉を思い出す。
サキ「ねえ、おじさん。わたしの名前、なんで『幸』っていうか話したっけ」
84 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/24(水) 20:49:05.58 ID:vXVXQH+So
キョン「むう、さてな」
サキ「お母さんがそうつけてほしいって。由来は幾つかあって。
シャレみたいだけど5月生まれだろうからとか。
神道でいう幸魂(さきみたま)から思いやりのある愛情深い人に育ってほしいとか」
キョン「ああ、お前はそういう人間になってるよ」
サキ「ありがとう。……でもね、一番の理由はシンプルに、
『幸せになってほしい』からだって」
キョン「……ああ。だから」
サキ「わたしを産むとき、
もしもの時はわたしを優先してほしいって言ったのもお母さんなの」
キョン「サキ。だからな」
わたしは振り向く。母が心から願ったことを、おじさんに伝えなくてはならない。
考えられる限り慎重に、言葉を紡ぐ。
サキ「……確かに、この世界にとってはわたしがやらなくていいことなのかもしれない。
でもね、わたしが将来就きたいと思ってる仕事だって、そうなんだよ。
病に脅かされる人が少しでも安心して暮らせるようにわたしの力を生かしたい」
キョン「それとこれとは」
サキ「同じだよ。進路だって、目の前で起きてることだって毎日毎回、選択の連続だもの。
力を尽くして手の届かないんだったらともかく何か理由をつけて目をそらせるの?」
キョン「……」
サキ「わたしのお母さんが託した希望は、幸せは、そんな消極的なものじゃない」
少しのあいだ、表情が固まっていたおじさんは、やがて無理に笑顔を作ろうとしながら、
キョン「一を殴っておいて正解だった…」
おじさんが泣くところを初めて見た。
肩を抱いて寄り添いながら、おじさんがわたしの母を失ったことの大きさを思っていた。
やがて少し落ち着きを取り戻すと、お前は本当に似ている、佐々木は独立独歩の奴だった、
こちらが助けたくても頑なに医学の力以外頼らないと断りやがった、とおじさんは語った。
キョン「さて、時間を取らせたな」
しばらくの後、わたし達はベンチから立ち上がった。
おじさんが辺りを見回す。
サキ「何か忘れ物?」
キョン「……この場所ならあるいはと思ったんだが」
おじさんは静かに笑いながら首を振って、歩き出しながら、
キョン「いや、別にいいんだ。お前、買い物行くところだったんだろ。送ってくか?」
サキ「おじさんこそ、まだ廻る途中だったんでしょ」
キョン「いや、次まで大分間があったから構わない」
有難いけど、その気遣いを家族にまわしてほしいものだ。
サキ「ありがとう。でも、いいよ。おばさんと七重と仲直りしてね」
おじさんは決まりが悪そうに頭を掻いて、
キョン「ああ、わかった」
いつものとぼけた調子で返事した。
85 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/24(水) 20:52:21.62 ID:vXVXQH+So
駅前でおじさんと別れ、スーパーまで向かいながら、
わたしは今の、今までのわたし達のことを考えていた。
おじさんと母は、中学の時からの親友らしい。
異性間に友情は成立するか、という問いに答えは色々あるけど、
一つ言えるのは成立すると互いの結婚式の友人席の光景が、
かなり賑やかな顔触れになるということだ。
もっとも、おばさんもおじさんと一緒に父の結婚式に参列したとも言えるし、
母の場合も然り。まあ、そういう余計な説明は不要なのである。
友情にそもそもアカウンタビリティは存在しないのだから。
父と母は本当は二人で薬局を営むはずだった。
二人は大学で知り合い、一緒にお店を開こうと約束していた。
おじさんが言うには、父と母は大人しいところがよく似ていたようだ。
ただ、どちらかと言うと母のおしゃべりを聞いて、
父が考えたところを返すような関係が印象に残っていた、と。
父は遠い地方の出身だったが、両親があまりこだわりの無い人で、
二人は薬剤師の資格を取ると、揃って関西の企業に就職した。
当初は母の実家近くに部屋を借りて通勤していたが、
開業計画のことを知っていた祖母に勧められ、ちゃっかり二人ともに同居していた。
男のプライドは、と言う人がいるかもしれないが、
父は感情と論理のバランスが取れていて、母との計画の実現のために、
誰にとっても必要のない部分には本当にあっさり、執着しなかったのだと思う。
決して目立たず地味だけど芯が強く、ゆっくりとだが着実に目標へ近づいていく父と、
大人しいところは似ているけど、
めくるめく発想の量とスピードを誇るアイデアマンでもあった母は、
社内での部門は違えど、互いにアドバイスを交換しあい、
それぞれ目覚ましい研究成果を上げていたらしい。
今でも家には、勤めていた会社の人や、大学時代の友人が訪ねてくるけど、
なぜ研究者のままでいなかったのかとよく首を捻っている。
わたしが思うのは父は、祖母や母、そしてわたし達家族の側にいたかった、
母が祖母の側にいられるようにしたかったのではないだろうか。
もちろんそれが理由のすべてとは言わないが、
父は寂しがり屋ではないけど、人が幸せそうな顔をしているのを見るのが好きだから。
とにかくそんな父のおかげでわたしはここにいられる。
86 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/24(水) 20:56:23.87 ID:vXVXQH+So
二人で貯めた資金がある程度になったころ、
父が店主の調剤薬局兼わたしと父が今二階に住んでいる店舗の話が、
おばさんと鶴屋さんから入ってきた。
鶴屋さんは地元の名家の当主で、
おばさんとは高校時代からの部活でのつきあいが続いている間柄だ。
なんでもその薬局の店主の方が高齢で、近々田舎に帰って隠居するとのこと。
そのためになるべく早く売れればいいなあ、と話していたのをおばさんが聞きつけ、
鶴屋さんにあれこれ相談し、うまく話を整えた上で持ってきてくれたのだ。
地域のことには隅々まで目の届く二人のお墨付きとなれば願ってもない話だったが、
ちょうどその頃母の妊娠が分かったばかりで、父は当初乗り気ではなかった。
しかし、千載一遇のチャンスを逃すべきでないという母の強い希望に折れて、決断した。
そしてわたしが生まれ、母は亡くなった。
母の死後、既に購入していた薬局の店舗兼住居を、
父はどうするべきか考えあぐねていたらしい。
それまでは母の実家、つまりわたしの祖母の元で暮らしていたし、
生まれたばかりのわたしのことを考えると、
わざわざ今の仕事を辞めて薬局を開業するなど、正直あきらめていたらしい。
しかし、そんな父に発破をかけたのがおばさんだった。
前からちょくちょく母の実家まで遊びにきていたおばさんとおじさんだたったが、
空いたままの店舗兼住居を売りに出すつもりだと話した父に、
わたしの祖母の前で、おばさんはこう言ったらしい。
ハルヒ「あんた佐々木さんとの夢をそんなに簡単にあきらめるつもりだったの!?
いい? 二人で決めた通りにやりなさい!
子どもなんてね、親が一生懸命まっすぐ生きてる背中を見てたらそう育つもんよ。
あんたが今まで佐々木さんと一緒にあたためてきた、
描いた夢まで失くしたら、佐々木さんはどうなっちゃうのよ!」
母がもしその場にいたら、わたしはちゃんと死んでますから現実的に考えて下さい、
と言うような気がしてならないが。
ともあれ、慌てる祖母に、この娘の面倒はあたしが見る!
……とまでおばさんは言い、
その流れの先に今の、わたし達がある。
87 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/24(水) 20:56:50.00 ID:vXVXQH+So
今日はここまで
88 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/24(水) 21:19:43.18 ID:E/pKYH/Z0
乙
89 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/26(金) 21:58:49.64 ID:E8SB8aRMo
古泉「小坂、何をボーッとしているんだ。気を抜くんじゃない!」
柊さんの怒鳴り声でわたしは我に返った。
眼前にバスケットボールくらいの大きさの赤い光球が停止している。
日課となった閉鎖空間内での訓練。
ほんのわずかの間だが集中を欠いてしまった。
古泉「疲れが出ているようだが、体調管理は基本だぞ」
おじさんと柊さんとの間で何かしら話し合いがあったのかなかったのか分からないが、
このところ柊さんの鬼教官ぶりに拍車がかかっていた。
それはむしろ望むところだし、人知れず生命の危険がある役目を負う以上、
テスト期間中だから訓練はお休み、になどなるはずがない。
土台無理な条件だから、無理はしている。
しなければ、今まで平々凡々と生きてきた人間が戦うことなどできはしない。
とはいえ疲労は肉体に蓄積するもので、
ともすると立ったまま一瞬眠ってしまうこともあった。
戦いの最中で起こったことならと考えると叱咤されるのは当然のことである。
今は柊さんが様々な角度から放つ、火の玉を受け止める訓練をしていた。
受け止めるといっても直接手で触れるわけではない。
念の力で自分の手のひら近くに止めるのだ。
わたしはどうにか、これくらいはできるようになっていた。
自分から紅玉化や光球を出すことはできなくても、
味方が出した火球を受け取ることができれば、またパスしたり、
そのまま敵へ攻撃したりできる。
もちろん、受け損ねればやけどではすまない。
そして、実戦で使うときはもっと大きい火球を、
ハンドボールの試合の連係プレーのように、めまぐるしく交差させているらしい。
フェイントで来たパスに自分が命中しては笑い話にもならないのだ。
入学式の日の岡部先生の話をよく聞いてれば、と頭をかすめるときがあるが、
幽霊部員になるのがオチだと思うことにしている。
サキ「すみません、大丈夫です。いつもどおりです」
古泉「いつもどおりだと感じる日こそ、気を引き締めるべきだ。
そのいつもどおりが、一瞬で崩れる境に立っているんだと、
この場所では忘れないように」
柊さんにしてはやけに強調してるなと感じたが、実戦は最初の遭遇以来経験していない。
きっとそれだけの危険があるということなのだ。
サキ「はい。お願いします!」
90 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/26(金) 22:01:51.64 ID:E8SB8aRMo
中間考査をどうにかこうにか乗り切ったばかりのある日のこと。
校門から出てしばらく歩いていた七重とわたしに前から歩いてきた女性が声をかけてきた。
森「こんにちは七重ちゃん、はじめまして小坂さん」
なんかいつかとシチュエーションが似てるな。
戸惑いながら軽く会釈していると、
隣から七重のやや改まった口調ながら親しみのこもった声が聞こえた。
七重「あ、おひさしぶりです」
サキ(どなた?)
と目配せすると、
七重「森園生さん。『機関』の、柊さんの仲間の人だよ」
サキ「はじめまして。小坂幸です」
こちらも改めてお辞儀をする。
森「突然ごめんなさいね」
言葉とは逆に上品でぽかぽかと温かな笑顔に心がふわっと包まれる。
ちょうどそのとき、通りがかった黒塗りのタクシーを森さんが手を上げて止めた。
森「ちょっといいかしら」
助手席に座った七重が、運転手の男性にお元気ですか、とにこにこ話している。やがて、
七重「森さん、今日はどうなさったんですか」
と後部座席に顔を向けてきた。
森「小坂さんとお話したくて。どう、七重ちゃん、高校は楽しい?」
七重「はい、おかげさまで。森さんは忙しいんでしょう?」
森「いつもどおりかな。こちらもおかげさまで、相変わらず元気でやってるわ」
七重「よかったです」
七重は微笑むと、顔を戻した。
91 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/26(金) 22:04:52.79 ID:E8SB8aRMo
光陽園駅前まで来ると、七重は、
七重「あ、ここでいいです」
タクシーが停止し、七重は前後を確認して降りた。
七重「多丸さん、ありがとう。お二人とも、また遊びにきてくださいね。
サキ、じゃあ、また明日」
サキ「うん、じゃあ」
タクシーが緩やかに発進し、手を振る七重が遠ざかる。
七重にしても、いったい涼宮家にはどれくらいのお客さんが来てるのだろう。
最近はわたしもつられて人の縁が次々に繋がっている気がする。
広がる友達の輪、という言葉が勝手に頭に浮かんでいると、
森「ほんとうに忙しいところをありがとう。すこしだけ時間をいただくわね」
隣の森さんが柔和ながら凛とした微笑みを浮かべていた。
ああ、いいなあ。スマイルだけでこんなに心の凝りがほぐされる。
穏やかな言葉の響きだけで頭の後ろが心地よくぼうっとしびれてしまう。
サキ「いえ、こちらこそ。時間を割いてもらってありがとうございます」
森「古泉があなたが疲れてるみたいだ、って心配してたわ。
めまぐるしいほど、色々なことが立て続けに起こったものね。
――頑張りすぎないように、自分の時間も大切にしてね」
まだ戦力にもなっていないわたしを心配してくれる。
柊さんと森さんに、何か申し訳なく、ありがたい気持ちになった。
市内の中心部にある北口駅の、ロータリーでわたし達は降りた。
電車に乗るのかな、と思うと、目の前の喫茶店に案内され、
森さんに続いてわたしも自動ドアに迎え入れられる。
店内は落ち着いた、少しレトロな雰囲気だ。静かにクラシック音楽が流れている。
席につき、注文をすますと、
森「これ、あなたに長門さんから」
大事にしてね、と手渡されたのは、あの鈍く光る不思議なカギだった。
92 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/26(金) 22:08:33.85 ID:E8SB8aRMo
森「いくつか説明するわ。まず長門さんのライブラリの利用ができることは知ってるわね。
他にも、このカギを持って、自分の行きたい場所を念じれば、
その最寄りのドアに通じる機能があるの」
なんだか夢が広がるなあ、と思うあたり、やっぱり疲れてるのだろうか。でも。
サキ「わたしの部屋のドア、カギがついてないんですけど」
森「カギの形をしてはいるけど、囚われることはないわ。必要なとき、使えば分かるから。
ただし、よほどのことがない限り使わないでほしいの。
というのは、このカギは使うたびに、長門さんに労力を割いてもらっているの。
長門さんは遠慮なく自由に使ってくれとおっしゃっているし、
わたしから強制することではないわ。
ただ、長門さんからの友情の証しであるということは忘れないでね」
サキ「友情……」
森「『機関』ではわたしと古泉しか持っていない。いえ、わたしは例外にあたるほうね。
長門さんのごく親しい人々しか持っていないもの」
確かわたしは長門さんとはあの日が初対面だったと思うんだけど……。
森さんはそれまでの凛として思慮深い微笑みをほころばせた。
森「ほんとうはあなたが古泉から説明を受けたあと、カウンターへ戻ってきた時に、
ご自身から渡したかったそうなのだけど、あなた、一目散に駆けていったものね」
サキ「え? 森さんも図書館にいらしたんですか?」
森「はい。ごめんなさいね。あの日あの場所で、
古泉があなたに話をすることは聞いていたから、
早くあなたに会いたくて、カウンター近くのテーブル席に腰かけてたの」
すると柊さんは入館時に、森さんの前を素通りしたわけか。
森さんは面白そうに、
森「そう。古泉にも知らせず来てたのだけど、
あの子何食わぬ顔で長門さんにあなたを紹介して、行ってしまったでしょう。
わたしがそういうことをする人間だって分かってるのね」
本当に楽しそうに笑った。
森さんも茶目っ気があって親しみやすそうな方だと思ったけど、
森さんがいると分かってて直行する柊さんも柊さんだ。
同じ組織の仲間ととしてだけではない、何だか面白い関係だなと思う。
森「ともあれこうして改めて挨拶したいと思っていたの。
遅れたけど、これからよろしくね」
サキ「はい。こちらこそ、わざわざありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」
ちょっと真似たくて笑みを浮かべると、やはりとても敵わない笑顔が待っていた。
照れ隠しに小さく笑うと、森さんも笑う。
渇いた心が久しぶりに満たされるようだった。
93 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/26(金) 22:11:35.61 ID:E8SB8aRMo
注文した紅茶が運ばれてくると、
森さんはうやうやしい笑顔をウェイトレスさんに見せながら受け取った。
喜緑「どうぞごゆっくり」
背中までの長さの、ウエーブかかった髪の、美しいウェイトレスさん。
わたしと同じ年頃のはずなのに、
とても自然な所作でわたしの前に紅茶が置かれるのに見とれる。
と、森さんは居住まいを正して、
森「お世話になっています。新人の小坂です。
この方は喜緑江美里さん。
朝倉さんや長門さんと同じ、情報統合思念体のインターフェースの方よ」
あわてて頭を下げる。
サキ「はじめまして。よろしくお願いします」
トレイを運んできたときの微笑のまま、喜緑さんは軽く頭を下げ、
喜緑「はじめまして。あなたのことは長門からうかがっています。
こちらこそどうぞよろしくお願いします。
色々とお聞きになって、ご友人のことで心配がおありでしょうが、安心して下さい。
その時が来たら、七重さんのご両親を長門さんが、
そしてわたしが長門さんを守ります」
その時。
そうだ、閉鎖空間の外では天蓋領域のインターフェースが一斉におばさんやおじさん、
そして長門さんを攫いに襲ってくるのだ。
長門さんと喜緑さんが幾ら戦闘の術に長けているといっても、
相手の数はきっと多すぎるほどなんじゃないか。
そんなわたしの恐れを見透かしたかのように喜緑さんは優しく微笑んで、
喜緑「ご心配なく。策はあります。
一さんが作ってくれた時間を我々は無駄にしていたのではありませんから。
彼らが元々、我々インターフェースとのコンタクト用に造られたのであれば、
今まで収集した彼らに関するデータを基に、
彼らに対抗できるインターフェースを造り出すまでです」
94 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/26(金) 22:14:38.89 ID:E8SB8aRMo
ってそんな極秘事項っぽいこと口に出していいんですか。
喜緑さんはにっこりと、
喜緑「ええ、このカフェはお客様がゆったりと寛いでいただけるよう、
風通しがいいものですから」
もちろん筒抜けってことか。慌てて周りのテーブルをわたしは見回す。
森「幾らなんでもそんなに近くに座って、聞き耳を立ててるのではないわ。
情報統合思念体や天蓋領域の情報戦ともなると、
これくらいの情報は相手だって既につかんでるし、
喜緑さんはわたし達のために話してくれただけよ」
宇宙からだって、この喫茶店での会話を聞いたりすることができるのだろうか。
それにしても、
サキ「そんなにお互いのことを知り尽くしてるなら、いっそ和解できたら一番いいのに」
思ったことをそのまま口に出したわたしに、
静かな微笑みを絶やさず、喜緑さんが答えてくれた。
喜緑「おっしゃる通りです。ただ、外があるから内がある、そしてその逆も。
そういうものなのかもしれません」
わたしよりずっと賢い人が、不躾な口を利いたわたしに誠実に、
率直に答えてくれたように感じた。
シンプルすぎてよく分からないが、喜緑さんの言葉の意味をもう一度考えた。
なんだか神妙な気持ちになる。
喜緑「では、どうぞごゆっくり」
喜緑さんがカウンターに戻ってから、
何だか『機関』の部下としてやらかしてしまったのではないかと、
わたしは森さんに切り出した。
サキ「すみません……。森さんの前で、喜緑さんに分かったようなこと言ってしまって」
しかし、森さんが気にもせず、返してきてくれた言葉がまた意外だった。
森「いいえ、むしろわたしもこの状況に感謝している所もあるくらいよ」
95 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/26(金) 22:17:39.87 ID:E8SB8aRMo
サキ「感謝?」
森「ええ。わたし達は他国の人間をただ敵対する相手としか認識しかねない時があるわ。
領土や貿易、宗教の違い……人間同士、争いを起こす火種は数えきれないほどある。
飢えや貧困、弾圧、支配……真っ先に改善すべき問題が山ほどあるのに、
そういう状況を逆に新たに作り出しながらね。
そんな我々が一致団結するときというのは、
人類共通の敵が現れる時くらいじゃないのかしら。
不思議なことに今、『機関』の能力者は世界中の各国に均等にいるの。
そうすると、領土の広い国にはとても人員が足りないから、
いざ情報生命体が現れたという時には、
近隣の国や区域の人が応援に駆けつけることだってある。
それは侵略や交戦のあった歴史がそう古くない国同士であってもよ。
感情的なしこりは残ったままだけれど、お互いに失うことのできない仲間だから。
そして、日本なら鶴屋家のような財閥のように、
世界各域の経済を陰で動かしている方々に状況を説明して、
とりあえず軍需にお金を回さないようにとか、
僅かずつだけれど加減を変える方向づけをしてもらってる」
なんだかよく分からないが、世界中にわたし達と同じように戦っている仲間がいるらしい。
しかし、鶴屋家が『機関』と関わっていたとは。
当主の鶴屋さんのことは子どものころからよく知ってるけど、
いつもカラカラとよく笑っているイメージしかない。
だけど、こういう大事に関与していると言われればそれも信じてしまえそうな大きな人だ。
森さんはティーカップを持ち上げると、片手を包み込むように添えて静かに紅茶を啜った。
ふと、雰囲気が変わったのに気づく。
今までは微笑みは絶やさないのに隙の無い様子だったのが、
物憂げでどこか無防備な眼差しをしている。
そしてカップを持ったまま、ふと窓の外に目をやった。
中学生らしい少女達が談笑しながら通り過ぎていく。
カップとソーサーが触れ合う小さな音を立てると、
カップの中を見つめながら森さんは再び口を開いた。
森「最初のころは全て分からなかったの。
なぜ閉鎖空間と神人が現れるのか、なぜわたし達が戦うことによってしか、
世界を守れないのか。ずっと謎のままだった」
ゆっくりと顔を上げてわたしに話しかける。
森「わたしが古泉と会ったったばかりの頃、あなたと同じ年くらいの子がいたの。
年だけじゃなく、あなたはあの子と似ているところがある。
性格や容姿といったことじゃなくて、戦いに向かう姿勢がね。
そのせいか、古泉はあなたを彼女に重ねて見ているところがあるわ」
96 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/26(金) 22:44:30.63 ID:E8SB8aRMo
そう言えば、いつだったか、驚いた目でわたしを見ていたような。
ええっと、それってつまり、柊さんはわたしのことを……。
またもやあらぬ方向へ想像を走らせるわたしを見て、森さんは愉快そうに笑った。
森「言い方が悪かったわね。安心して、恋愛の意味ではないから。
あれでかなりの子煩悩で愛妻家なのよ。
そうだ、図書館で泉こなたさんに会ったでしょう」
サキ「はい。柊さんの奥さんの、高校のときからの友人だそうですね」
森「それも親友ね。あと、彼女は異世界の人なの。
泉さんから見たらわたし達が異世界人とも言えるけど」
サキ「ものすごくセレブな人だったんですか?」
森「そうじゃなくて、SFアニメやファンタジー小説などに出てくる意味での、
異次元世界の人なの」
サキ「……はあ」
森「あ、深く考えないで、そういうものだと思っておいて。
泉さんも古泉も、長門さんのカギを使って、
あちらとこちらの世界を行き来してるの。
悪い見本を言うようでなんだけど、古泉はしょっちゅうよ」
すると、あのプラネタリウムホールは中継地点の役目を果たしていたんだな。
森さんは笑顔から、思い出す表情に戻って話を続けた。
森「その子の話に戻るわね。……確かに当時、古泉は彼女を好きだった。
彼女はとても優秀で、しかもその人柄で、
ややもすると殻にこもりがちな古泉の能力を見事に引き出したわ。
二人はチームを組んで、周りが舌を巻くような連携を見せていた。
……でもある日。
その日はいつものように、神人を倒して過ぎる、
そしてわたしたちなりの日常に戻るはずだった。それが……。
……ペアの相手だった古泉が来るまで、
わたしは彼女が独りで狩りにいくのを止めていなかった。
わたしは絶対にそのことを忘れないわ」
97 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/26(金) 22:47:43.48 ID:E8SB8aRMo
悲しみを決意で振り切るように静かに最後の言葉を放つと、光る瞳をまた窓に向けている。
わたしも黙っていた。
しばらくして、目を戻すと森さんは続けた。
森「今ならわたし達が神人と戦ってきたことも、
閉鎖空間で失った仲間の命も無意味ではなかったと言える。
それで彼らが帰ってくるわけではないけど。
そうして命がけの修練を重ねてきたからこそ、
我々は閉鎖空間の中でなら敵性存在とも互角に戦える」
そう言えばさっき……エイリアンが攻めてくるからこそ人類が団結すると……。
森「逆説的な言い方だけれど……。そう考えると全てに意味がある。
涼宮ハルヒさんが統合思念体のインターフェースである長門さんや、
未来人の朝比奈さん、そして古泉を集めたお陰で、
この三つの勢力が連携を取るきっかけになったわ。
それに涼宮さんが彼と結婚したからこそ一くんが生まれたのだし」
とてもそんな見方をしたことはなかった。
森「でも、それは結果を振り返ったときに、そうとも見えるだけだから。
あなたは決して無理はしないで」
それから腕時計を見て、ちょっと驚いたように微笑みながら、森さんは言った。
森「あら、いけない。つい長くなってしまったわね。送るわ」
伝票を取る森さんに合わせるように、わたしも席を立つ。
森さんが支払いを持って下さった。喜緑さんに改めて挨拶し、
わたし達が喫茶店から出てくると、なんとさっきのタクシーが待っていてくれた。
森「この辺りでいいかしら」
買い物のことを話してないのに、降ろしてくれた場所は、スーパーにほど近い場所だった。
森「ではまた、さようなら。あなたと話せて楽しかった」
サキ「わたしの方こそカギのこと、他にも色々……ありがとうございました。
頑張りますのでよろしくお願いします」
森「こちらこそ。でも根詰めないでね」
ドアを閉め、静かに発車したタクシーが離れていく。角を曲がって見えなくなると、
わたしは小さくおじぎして歩き出した。足取りが少し軽くなったようだ。
しかしながらその歩みは、先ほど森さんが話してくれた事柄のなかで、
ある重い面があることに考えが及ぶにつれて鈍くなった。
柊さんはわたしの年齢のころ、すでに閉鎖空間で<神人>と戦っていた。
それは、どう考えても一さんの生み出したもののはずがない。
森さんは涼宮ハルヒ、つまりおばさんが柊さんたちを集めたのだと言った。
つまり……。
おじさん、おばさんはどこまで知っているのだろうか。
柊さんはおばさんにどこまで話したのだろうか。
お互い、全てを分かり合った上での、今があるのだろうか。
だからこそ、森さんはごく自然に過去にあったことを伝えてくれたのではないか。
わたしには知る由もないし、こちらから立ち入ることではないと思う。
いずれにせよおじさんもおばさんも柊さんも、今は何のわだかまりもなく、
互いに忌憚のない会話を楽しんでいるようだった。
そんな大人になりたい、と心から思う。
七重が一さんについて、わたしに多くを語ろうとしないことも、
それがきっと軽々しくは話せないことだからではないか。
いつか、きっと。
そのいつかを迎えるためには、目前の危機をまず乗り越えなければならないのだろうけど。
サキ「根詰めないで、か……」
しかし、無理をしなければならない状況が、向こうからやってくることもある。
98 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/26(金) 22:48:55.61 ID:E8SB8aRMo
今日はここまで
99 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/28(日) 20:41:52.46 ID:qwwVVpwco
思えば、その日の慌ただしさは学校の帰り道から始まっていた。
七重とわたしが光陽園駅前でしゃべっていると、おばさんの呼ぶ声がした。
こちらに向かってくる姿はいつもどおり颯爽としているが、すこし奇妙な点がある。
その手に重さをものともせずにぶらさげている、
食材を詰め込んだ買い物袋からはごぼうが突き出している。
あれではどう見ても涼宮家の通常時の冷蔵庫内適正量をオーバーしてしまうはず。
昨日、わたし達が調達したばかりだから。
おばさんはやりくり上手だけど、
セールにつられて買い込んで食材を無駄にしてしまうようなことはしないのだ。
サキ「おばさん、こんにちは」
ハルヒ「二人ともおかえり。七重、あたし川井さんとこにご飯作りにいくから、
あんた晩ご飯作っといてくれる?」
七重「あ、そうなん、わかった」
川井さん?
ハルヒ「そ。あそこ、おばあちゃんが頑張って一人暮らししてるでしょう?
息子さん夫婦も呼びたいと思ってるんだけど、
ここを離れたくないみたいで。でも掃除が行き届かないとこがあるじゃない?
見るに見かねた息子さんが三日前ホコリ被ってる戸棚拭いてくれたらしいのよね、 食器まで全部出して。
それが、戻した皿の配置が気に入らなかったみたいで、
息子さんが帰ったあと、一人で全部直したらしいのよ。
それがたたったのか、次の日起きたら腰を抜かしちゃって。
で、動けるようになるまで近所で交替で炊事とか掃除とかの世話してるの。
じゃあ、頼むわね」
合点がいったものの、
いそいそと歩いていくおばさんのすらっとした背中を見送ってると、ふいに思い当たった。
サキ「あ、ジョン」
七重「そうだ、ジョン……」
わたし達は顔を見合わせた。
普段はおばさんが夕刻にしているジョンの散歩をさせなければいけない。しかし。
犬という生きものがひたすら人間に従順だと考えるのは大きな間違いで、
実際はげんきんに人を見る。
七重が子犬の頃に拾ってきたこの雑種の大型犬は、
決して噛みはしないが何せ力が強く、しかも何を求めてか、すぐに走りたがる癖がある。
それが普段エサをやっているおばさんや、
休日にシャンプーしてるおじさんには恩を感じてか、外に出ても言う事を聞くのに、
七重やわたしは完全に同類の仲間と思われてるらしく、
二人がかりでやっと散歩が散走にならずにすむくらいだ。
100 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/28(日) 20:44:53.12 ID:qwwVVpwco
とりあえず涼宮家の上がりかまちにカバンだけ置かせてもらったわたしだが、
そこで七重が、
七重「ごめん、ちょっと待ってて」
二階へ上がっていったので、七重の祖父母に声を掛け、脱衣所を借りることにした。
ジャージに(今日は運良く体育があった)着替える必要がある。
なにせ、やつと来たら……。
庭で狂喜しているジョンに、前足であちこちどつかれながら、鎖をリードにつなぎ換える。
待ち切れないと訴えるように盛んに息荒く舌を出す顔に掛かっている首輪の、
金具の付けかえが終わるや否や、持ち手のいないリードをつけたまま犬は駆け出し、
門扉の前で、発走準備完了をしきりにアピールする。
相変わらずの欲求に一直線な姿勢に感心していると、閉鎖空間が開く気配がした。
ここから東に数十キロ離れた、関西圏の中心都市の辺りだ。
と、カチャッと玄関ドアが静かに、狭く開いて、七重が出てきた。
玄関へ元気よく出発の挨拶をしてドアを閉め、鍵をかける。
その肩にはお手製の手提げが掛かっていた。
七重「お待たせ」
ちょっとはトレーニングの成果をと考え、わたしがリードの輪の中に手首を通した。
七重は脇で綱を握る。
サキ「行こっか」
門扉を開くと、ジョンは足を踏ん張って、わたし達を前へ引っ張った。やっぱり力が強い。
なんとか散歩を維持しながら、図書館分館前まで来ると、
七重はペロッと小さく舌を出し、手提げをかけた肩をこちらに上げてみせ、
七重「長門さんに、だいぶ前から借りてたの」
と図書館の中へ入っていった。ジョンはおすわりくらいは言うことを聞く。
長門さんから借りていたのは、あの宇宙の広間の奥にある部屋の、長門蔵書の一冊だろう。
あやつ、カギをだいぶ前から持ってたことを隠してたな、出てきたらとっちめてやらねば。
あんな素敵な場所があることを黙っていたなんて。
そう考えているとふと、舌を出しハッハと息をしているジョンと目が合った。
101 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/28(日) 20:48:23.69 ID:qwwVVpwco
走るなよ、絶対に走るなよ……。
わたしの目を見て何を勘違いしたのか、
リードとわたしの片腕がたちまちビンっと直線に伸びる。
サキ「のわあっ」
それから、猪突猛進と化したジョンに駅前公園に向かって引っ張っていかれ、
三十分ほど公園内を恣意的に駆け回るはめになった。
なんとか言う事を聞かせて(というよりはジョンの気が済んだらしい)、
トイレ袋を片手にやっと涼宮家に戻ってくると、
七重が家の前にいた。図書館から出てくるとわたしとジョンが忽然と姿を消していて、
周りにも見当たらないのでしょうがなく帰ってくるのを門前で待っていたらしい。
一人にされたおかげで目に遭ったと言おうと思ったが、どこか様子がおかしい。
サキ「どうしたの?」
七重は逡巡していたが、わたしがジョンを再びつないでいる間に、
お皿に水を汲んできて言った。
七重「さっき、柊さんが…」
あのプラネタリウム広間で、急いでドアから出てきた柊さんを見かけたらしい。
かなり緊迫した様子ですぐに次のドアを開けて出て行ったので、
ろくに話をすることもできなかった、と。
突然、柊さんと森さんの言葉が頭の中をかすめた。
いつも通りだと思う時こそ……。
さっきの閉鎖空間はまだ消えていない。
そういえば、いつもならもっと早く気配が消えるはずなのに。
今さらながら胸騒ぎがし始めた。
102 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/28(日) 20:51:24.91 ID:qwwVVpwco
柊さんは、異世界の人と知り合い、そちらで結婚し家族と居住している。
長門さんのあのカギを使って、柊さんも泉さんも、
あちらとこちらの世界を行き来できるのだ。
きっと、閉鎖空間の中で何かがあって、連絡を受けた柊さんは、
向こうの世界から緊急に駆け付けたんだ。
サキ「七重、さっきって、どれくらい前?」
七重「あの部屋に入ってすぐだから、4時半ごろ」
今5時10分回ったくらいだ。
ドアを開けたら念じた目的地のすぐ近くに出られるはずだから、
柊さんが恐らく応援のために閉鎖空間に入っていってから三十分はたっていることになる。
それにもかかわらず、まだ戦いは終わってないということだ。
サキ「わたし、行ってくる」
走り出そうとすると、七重に腕をつかまれた。
七重「サキ、待って。柊さんがサキを呼ばなかったってことは、
それぐらい危険なんだってことじゃない?
『機関』の他の人だって助けにいってるよ、きっと」
七重の言いたいことは分かる。
客観的に見て、わたしのように力の使えない者は足手まといになるだけかもしれない。
でも、ケガをした人を脱出させる手助けくらいはできるかもしれない。
……って、あれ、何か忘れてないか。
サキ「ナナ!!」
七重「はい!?」
サキ「今すぐあんたの兄貴に電話して!」
七重「え……あっ。そうか!」
七重が慌ててポケットから携帯を取り出す。
そうだ、武神って呼ばれるくらいの涼宮一ならすぐ助けられるはずだ。
ていうか、なんで最初から助けに来てないんだ?
103 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/28(日) 20:54:25.24 ID:qwwVVpwco
七重「あ、お兄ちゃん? ……うん、柊さんがね、……え?」
意外そうな顔をしている七重。あいづちも忘れている。わたしはもどかしくなって、
サキ「ごめん」
と七重から携帯を奪い取った。
サキ「もしもし、一さん?」
一『サキか。どうした?』
サキ「どうもこうもない。今、閉鎖空間の中で『機関』の人が戦ってるの知ってるでしょ、 苦戦してるんでしょ?」
一『ああ。知ってる』
イライラするぐらい落ち着いた声が返ってくる。
サキ「なら話が早いわ。今すぐ敵を倒して、『機関』の人を助けて!」
一『わかった。サキが頼むのならそうするよ。……でもいいのか』
サキ「え?」
一『『機関』の人は、人々をあの敵から守るために命がけで戦ってる。
そこへ俺みたいなチート野郎が頼まれもしないのにほいさっと現れて、
敵を倒しちまっていいのか? 彼らの今までは、培ってきたものは何になるんだ』
サキ「……」
わたしの答えを待っていた一さんが静かに言葉を継いだ。
一『森さんや柊さんからは連絡が来てない。でもサキが助けろって言うなら俺は行く』
サキ「た……」
わたしは電話を切った。言えなかった。助けを頼むのが恥ずかしいからじゃない。
……ふざけんな、ちくしょう。
命より大事なものが、何があるってんだ。
握りしめた携帯を七重に返す。
七重「サキ……」
サキ「ナナ、お願い。柊さん達に何かあったら、わたし自分が許せない」
再び図書館分館へ向けて、わたしは走り出した。
冗談じゃない。死ななくてもいいはずの人が死ぬなんて、絶対に許せない。
104 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/05/28(日) 20:55:32.54 ID:qwwVVpwco
今日はここまで
105 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/31(水) 18:49:34.77 ID:LYacroRjo
サキ「長門さん、走ってすみません! カギありがとうございます!」
謝りながらカウンターの前を駆け抜ける。
突き当たりを右に曲がって、ポケットからカギを取り出しながらドアを目指す。
柊さんはこのドアを開けるとき、鍵穴にカギを差し込んでなかったと思うが、
念のためわたしはそうした。
中に駆け込むと、そこはプラネタリウムホールだった。
安堵するが、次の疑問が湧く。
このホール内に幾つかあるドアのうちどれが柊さんが行った場所へつながるのか。
わたしは見回した。あの場で七重に聞けばよかった。
いや、このカギはドアをくぐる時、念じた場所につながると森さんが言っていたから、
多分どれでもいいのだ。
すぐに止まっていた足を動かし、右斜め前のドアに向かって、再び駆け出す。
近づくと、今度は鍵穴がない。
(柊さんの行った場所へ、今開いている閉鎖空間の近くのドアへ)
右手にカギを握りしめ、左手でノブを回してドア引き、外へ飛び出す。
目の前の小便器で用を足していた、サラリーマンらしい男性がギョッと振り返った。
わたしも振り返るとトイレの個室からわたしは出てきたのだ。
閉鎖空間の気配はかなり近いが、もう少し走らないといけない。
トイレから飛び出すと、薄暗くて狭い階段の踊り場に出た。どうやら雑居ビルの中らしい。
迷わず階段を駆け下る。三階ならエレベーターよりこっちの方が早い。
ビルから明るい外へ出ると突然、騒音に包まれた。
ビジネス街の中だ。やはり、七重の家の庭で感じたとおりの地点だ。
すぐに左へ、歩道を走り出す。
ほとんど知らない所でも、地図など無くても、その場所が、境界線がどこかは分かる。
あった。
今車が行き交う、横断歩道の真ん中に、ある。
信号が変わり、駆け出して行きたかったが、横断者の足並みに合わせて歩きながら、
呼吸を整える。
その間、どんな状況があっても、すぐ反応できるように心の準備をして、入った。
106 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/31(水) 18:52:42.83 ID:LYacroRjo
騒音から切り離され、わたしは一人横断歩道に立っていた。
この広い道路の中で見回しても、情報生命体達の姿も、
機関の能力者達の姿も辺りにはない。
しかし、ビルや道路のあちこちに隕石がぶつかった跡のような穴が空き、
コンクリートの砕けた破片がそこら中に散らばっている。
足元も見ずに駆けだすのは危ない。
漆黒の空を見上げても、紅玉となった能力者は飛び交っていない。
戦闘は終わったのか。違う。
わたしは紅玉化等の能力等が使えないので、実戦に加わったことはない。
しかし、柊さんから一通りのことは教えてもらっている。
閉鎖空間内での戦闘は、敵を攻撃する者、
倒した情報生命体に寄生されていた人を避難させる者など、
幾つかの役割と段階に分かれて行っているが、
基本的に敵を全滅させれば、閉鎖空間は消滅させられるのだ。
いったいどこで戦闘は行われているのか。
とりあえず慎重に、周りを警戒し見渡しながら歩き始めると、
足下からくぐもった爆発音がした。
地下だ。歩道に、地下へ降りる階段があったはずだ。
階段を前にして、なんとなく戦闘が長引いた理由が分かってきた気がした。
この都市の地下街はまるで迷路のようになっている。
ここが戦場なら相手によっては相当厄介だ。
そろりと降りると、意外にも照明がついていた。
中には壊されたものもあるが視界を得るには十分な明るさだ。
この世界は発電所も止まっているはずなのに、なぜか電気系統は大丈夫らしい。
突然、人の怒号と物がぶつかり合うような音が聞こえた。
一刻を争う状況かもしれないとはやる胸のうちを抑える。
ただでさえ許可もなく行動中なのだ。
不要な混乱を招くことだけは少なくとも自分の認識のあたう限り避けなければならない。
曲がり角ごとに肝試しのような心持ちで通路を小走りに行きながら、
この閉鎖空間内で得られた知見を整理し今回の敵のスペックを推察する。
まず地下街に収まりきらないような巨体ではない。また、空を飛ぶことはない。
恐らく飛び道具は使わず、接近戦が得意なほうだ。
地上のあちこちの穴はみんな同じ形をしていたから、
全て機関の能力者の火球が当たった跡だろう。
それは敵が避けた数でもあり、素早い動きをするはずだ。
それでも、幹線道路のような見晴らしのよい場所では遠隔攻撃をできるほうが有利で、
敵は地下へ逃げ込み、戦場が移った。
そして、何より柊さんが応援に来なければならないほど、手ごわい相手だと言える。
たとえば――――野犬のような。
107 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/31(水) 18:55:44.66 ID:LYacroRjo
音が聞こえたと見当をつけた辺りの角で、獣の荒い息遣いが聞こえ、
そろそろと先を警戒しながら顔だけを出すと、
目の前で男性が野犬に押し倒され、今にも食いつかれそうになっていた。
野犬といっても、動物園で見たことのあるライオンくらいの大きさだ。
サキ「――うおおっ」
落ちていたガレキのブロックを火事場の馬鹿力で持ち上げ、野犬の脳天に叩きつけた。
嫌な手ごたえと共に痛恨の悲鳴を上げて、野犬が奥の方へ跳ねて転がる。
起き上がって唸る犬から目を離さずとっさに姿勢を低く、遊びを残し小さくして向き合う。
歯茎から恐ろしげな牙をむき出して、近づいてくる野犬。
溜めをつけて飛びかかってきたところに、火球がさく裂した。
わたしの後ろから、倒れていた男性が放ったのだ。
息絶えた野犬が霧のようになって消滅していくと、
そこにはスーツ姿の女性が意識を失って倒れていた。
多丸圭一「ありがとう。おかげで助かった」
サキ「大丈夫ですか?」
上半身だけ起こしていた、白髪まじりの男性のそばに膝をつくと、
多丸圭「君のほうこそ。何が起きたか信じられないかもしれないが……」
なんとタクシーの運転をしていた人だ。被害者と間違えられたらしい。
サキ「新しく入った小坂と言います。
長い時間、タクシーで送ってくれてありがとうございました」
男性は思い出したように、
多丸圭「そうだ、君か。しかし、まだ訓練中と聞いていたが」
サキ「ごめんなさい。役に立ちたくて、勝手に来たんです」
多丸圭「ふむ? これは驚いた」
目を見開く男性に、向こうから声が飛んできた。
多丸裕「兄さん!」
この人の弟さんらしい、壮年の男性だった。
108 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/31(水) 19:00:58.46 ID:LYacroRjo
わたし達は地下街の、噴水のある広場を目指して歩いている。
閉鎖空間では携帯も無線も使えないので、時間を決めて集合する段取りになっている。
多丸裕「君が来てくれなかったら、兄の命はなかった。小坂さん、本当にありがとう」
女性をおんぶしながら、多丸裕さんが温かな笑顔を向けてくれた。
わたしは足をケガした多丸圭一さんに肩を貸しながら歩いている。
わたしは会釈して、
サキ「……敵はあとどれぐらいいるんでしょうか」
あまり話したくない。情報の把握だけに努めていたかった。
多丸圭「そう多くはないはずだ。
詳しくは他の奴に聞いてみないと分からないが、相当倒したから」
多丸裕「今回は企業の会議中にでも感染したのか、被害者の数は多くて。
しかも一か所の閉鎖空間に敵が次から次へと現れた。
データが削除されない限り、感染者は増える一方だからね」
サキ「そのデータは…」
多丸圭「もう削除されたんじゃないだろうか。
TFEIの方の仕事なんだが、最近は相手の防護がキツいらしいけどね」
二人とも苦戦されたはずなのに、こんな話を明るい調子で話している。
多丸裕「それにしても能力が使えないのに閉鎖空間に飛び込んでくるなんて、
君は無茶というか無鉄砲というか」
多丸圭「そうだ。しかも初陣にして大活躍とは……。
君は強くなるよ。何、能力なんてある日突然使えるようになるもんだ」
通路に陽気な笑い声がこだまする。
幾ら二人能力者がいるといっても、もっと警戒したほうがいいんじゃ……。
多丸兄弟のお二人が、わたしに感謝してくれていて、規則を破ったわたしをかばうために、
陽気にふるまってくれるのは素直に嬉しかった。
でもわたしは噛み締めたままの口を開くことができなかった。
手のひらに突き刺さりそうなほど粗い断面のブロック。
それを全力で振り下ろした瞬間の、腕から肩に、そして背筋に伝わった殺生の感覚。
幼い頃、興味本位に昆虫をなぶり殺した思い出したくない感触。
むしろ逃避から、柊さんにぶたれたいくらいだった。
109 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/31(水) 19:04:04.47 ID:LYacroRjo
古泉「小坂! 何しに来たんだ!」
噴水のところで、柊さんと数人の能力者、そして助けられた被害者の人達が集まっていた。
怒鳴る柊さんに、
多丸圭「怒らないでやってくれ、古泉。この子は俺の命の恩人なんだ」
けげんな顔をする柊さんに、経緯を多丸兄弟が説明してくれた。
古泉「――それはそれ、これはこれです。小坂、早く帰りなさい」
サキ「はい、帰ります。ケガした人を送らせて下さい」
厳しい目で柊さんはわたしを見たが、
古泉「本来、今の君にできることは何もない。それは分かってるな。
ケガ人の救護も、被害者を無事元の場所へ送り届けることも、
我々が決めた手順がある。
しかし、その女性は君が助けた。だから責任をもって君が送りなさい。
君の処分は追って伝える。
圭一さんは、僕が送ります。いいですか」
圭一さんは笑みをこらえるような顔で目を上に向けながら、
多丸圭「ああ、頼むよ、古泉」
裕さんから替わって女性を背負わせてもらうと、
多丸裕「気にするなよ。君のことを心配してるんだ。
古泉にはあとで僕らがよく言っとくから」
とウィンクとともに小声で言われた。
言葉そのものより気持ちが嬉しくて、やっとこわばっていた口元がゆるむのを感じた。
しかし、女性を背負って地上への階段を上るのはきつかった。
隣で圭一さんは、柊さんに肩を貸してもらいながら、
多丸圭「ところで古泉、敵の数のほうは分かってるのか?」
古泉「いえ、僕も後から来たので伝聞でしか知らないのですが、
皆の情報を照らし合わせても、地下へ逃げ込んだ正確な数は分からないが、
残党は恐らく若干であろうという……」
階段を上りきると、
古泉「……ことだったんですがね」
道路は野犬の群れに埋め尽くされていた。
110 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/31(水) 19:08:05.75 ID:LYacroRjo
じりじりと円をせばめるように方々から低い唸り声が近づいてくる。
多丸圭「地下へ逃げ込むか」
古泉「いえ。素早くは動けませんし、背を向けると追ってくる。
今まで助けた人々も危険にさらすことになります」
多丸圭「そうだな。しかし、俺がおとりになる。
そのすきに地下に駆け込んで危険を知らせろ」
そのとき、地下から駆け上がってきた人物がいた。
「サキーーーーッ!」
最上段の踏み面にかけた足のばねのおつりに一瞬、
身体を浮くように揺らめかせたその人物はわたしと目が合うなり、
片足に体重をかけたままピボットターンとクラウチングスタートを同時にやってのけた。
この状況下、わたしの後方での一連の動きは首だけ振り返り見届けるしかなかったのだが、
その突発性は間近に迫る獣の群れの攻撃のきっかけになってもおかしくなかったはずだ。
あるいは、この人物のあまりに煌々たるオーラに気圧されでもしたのだろうか。
駆け寄るなりわたしを心配しながら、今度は代わりに女性を背負おうかとあたふたしだす。
当人は真剣そのものなのに場違いに駘蕩な空気をどうしても醸し出してしまい、
柊さんも圭一さんも何とも言えない表情で見守っている。
わたしはしょうがなく小声でぶっきらぼうに応えるよりほかない。
サキ「ナナ、どうして来たの? ていうかどうやって来たの?」
七重「分かんない。気づいたら来てたの。サキ、大丈夫?」
サキ「いや。悪いけど、絶体絶命よ」
七重「えぇっ!? やっぱりお兄ちゃん呼ぼうか?」
サキ「あいつには死んでも頼らん。あとここ電波届かないわよ」
七重「えぇっ!?」
七重がこんな場所にいるのがおかしいのか、こんな場所があるのが七重に許されないのか。
状況の緊迫性は変わらないままなのに心情だけがフラットにさせられてしまう。
しかしさすが、圭一さんと柊さんは切り替えも早く平然とした様子に戻っていた。
古泉「七重ちゃん、小坂。道は僕がひらくから、二人とも早くここから脱出するんだ。
小坂、その女性と圭一さんは任せたぞ」
サキ「え?」
柊さんに異変を感じた。
古泉「この場所からは必ず無事に帰すから」
柊さんの右手が青白い光に包まれている。
わたしはそれを見て何かとてもヤな予感がした。
言うなれば死亡フラグ。弟子達を守るために師匠が命と引き換えの大技を放ち、
しかもさらに悪い場合犬死にに終わってしまって、
結局残された弟子が悲しみと怒りで真の力に目覚め、敵を撃破するシチュエーション。
冗談じゃない。そんなドラマツルギーのために死なれてたまるか。
わたしは口走っていた。
サキ「待って下さい! わたしに考えがあります」
111 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/31(水) 19:12:07.45 ID:LYacroRjo
無いんだけど、女性をそろりと背から降ろし、壁にもたれかけさせる。
意外そうな表情で振り返る柊さんに、確信の表情だけ見せ、
次いで敵を見回すと一瞬で腹が決まった。
隣で身を寄せている七重に尋ねる。
サキ「ナナ、わたしを信じる?」
七重「うん」
目を交わし合うと、手を取って敵陣に向かって一緒に駆け出した。
走り出すと自分の狙いが次第に明瞭になってきた。
古泉「何をするんだ、やめろ!!」
サキ「柊さん、こいつらを引きつけて時間を稼ぎますから、
早く圭一さんとその人を! 応援呼んでください!」
もう振り返れない。
これは、賭け。
柊さんは、ヤツらの目的は長門さんと七重のお父さんとお母さんをさらうことだと言った。
でも、七重が標的だとは言わなかった。
七重は重要じゃないからか? 違う、逆だ。
きっと、ヤツらにとって七重はまだ観測の対象だから。
大事な観察対象を傷付けることは出来ない。
だから、七重が側にいればヤツらもむやみに攻撃できない。
それを逆手にとってこちらから仕掛けて相手をかき回す、ということだ。
そしてその賭けは――
見事に裏目に出た。
112 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/31(水) 19:16:08.98 ID:LYacroRjo
サキ「うわっ!」
繰り出される太い前足の爪をやっとの思いで避ける。
七重の運動神経がいいのが唯一の救いだった。
じりじりと、わたしと七重を囲む敵ににらみ返すことしかできない。
今にして思えば情報生命体は、天蓋領域にとってただの兵器、言うなれば道具に過ぎない。
配置された通りにしか動かないコマが、
こんな複雑な相関関係を踏まえているはずがない。
だけどその時のわたしはただ必死で、やらかしたという思いしかなかった。
何てことだ、よりによって七重を巻き込んで自爆するとは。
でも、後ろにいる七重はわたしが打開してくれると信じてる。
ていうかここまでしてるのに何か出ろ、力。反則だぞ。
古泉「持ちこたえろ、今行く!」
右側から柊さんの怒号と爆発音、赤い光に照らされる敵。
確認はできないけど、ヤツらの包囲をかいくぐってくるつもりだ。
――そんなの、振り出し。
また柊さんが。
窓の外を見る森さん。
サキ「いい加減に――――!!」
何か出た。
七重「サキ!?」
純白の光。
地面が揺れる。
違う、わたしが揺れてる。
全てを真っ白に包む光がわたしから周りの世界へ拡がっていくのを感じる。
音が無い。
いや、七重の呼ぶ声が……遠ざかっていく。
それが、最後の記憶だった。
113 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2017/05/31(水) 19:20:11.08 ID:LYacroRjo
一「フォークいるか?」
無機質な感じの天井がある。
静かにだけど手早く、ナシかリンゴをむく音。あ、ナシは季節じゃないし、リンゴだな。
寝たまま、頭だけ声のした方へ動かすと、どうやらここは病院の個室のようだ。
ロビーチェアのように座面の硬そうなイスに腰かけ何でもないといった様子で、
一さんが小さなナイフでむいている。
その向かいに、テーブルを挟んで二人掛けのイスに七重が横になっているのが見える。
薄手の膝掛けのような毛布をかけられて、小さな寝息を立てている。
サキ「ナナは……」
一「見ての通り無事。ケガしてた『機関』の人も無事。君を含めて全員無事」
と答えて、
一「だから、俺との話が済んだら真先に親父さんに電話するんだな」
無事だと分かった後はぼんやりと聞きながら、上半身を起こし自分の手を見る。
ジョンのリードを握ったその日に、野犬の頭にガレキを叩きつけた。
情報生命体達の中には、最初に見たあの女のように、人の姿をしたものもあるのだろう。
それをわたしはきっと殺す。本物でなくとも何者かの命を奪う。
気がつくと一さんがそばに立っていた。
皿にリンゴを切り分けたのをよそい、ここまで来てくれたらしい。
一「娘が突然道端で倒れて病院に担ぎ込まれたことになってるから」
リンゴを乗せた皿をわたしに持たせて、薄い肌がけの、
わたしの脚の上あたりにぽんと何かを置くと、近くの棚の戸を開けた。
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