俺ガイルSS 『思いのほか壁ドンは難しい』 その他 Part2

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613 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:44:59.30 ID:SkCQuLIZ0

八幡「 ……… や、友達の友達っていうか、なんつーか …… 」

三浦「 ……… あんた友達いないっしょ」

答えに窮して小学生相手にしどろもどろになる俺に対し、三浦がそっぽを向いたまま、ぼそりと鋭いツッコミを入れる。
 
八幡「ちょっ、おまっ、何てこと言うんだよ? こいつに俺がぼっちだってことがバレちまうじゃねぇか?!」


留美「 ……… そんなことない」

八幡「あん?」 

るみるみが静かに、だがきっぱりと言い切る。左右に振られた首の動きにつれて艶やかな黒髪がはらはらと揺れた。



留美「 ……… それはフツウに知ってるから」

八幡「 ……… だったら最初っから聞くんじゃねぇよ」

614 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:48:10.37 ID:SkCQuLIZ0

三浦「あんたの妹 …… じゃないよね? 前見たのと感じ違うし」

三浦も三浦で昨年の夏に一度会ったきりの小学生のことなんぞまるで覚えていないのだろう。
覚えていたらいたでいろいろと面倒臭いことになりそうなので、もっけの幸いではある。

しかし、どこかで見たことがあることに気が付いたのか、眇めた目で視線を向けられた、るみるみの身体が固く強張るのがわかった。


八幡「あー……、それで、こっちのお姉ちゃんは俺のクラスメート、な。 見た目はちょっと怖いかもしんないけど ……… 」

そこで少しだけ間を置き、できるだけ当たり障りのない紹介しようと三浦の顔色を窺いながら慎重に言葉ぶ。


八幡「 ………… 中身はもっと怖い」

三浦「ちょっと何よそれぇ?!」

八幡「おっとすまん、つい本音が」

三浦「あんた今、本音っつった? っていうか、それって全然謝ってなくなくない?」

八幡「わかった、わかったから、そんなに怒んなって、今、訂正するから、訂正。 えっと ……… 大丈夫だ安心していいぞ。 見た目ほどじゃないから、な?」

三浦「だからそれ全然フォローにもなってないしっ!?」

三浦の剣幕にたじろいだるみるみが俺の背後にそっと隠れながら半信半疑といった態で俺の耳元に小声で問うてくる。


留美( ……… ホントに? 八幡も怖くない?) ヒソヒソ

八幡( ……… いや実を言うと俺も本当は怖いんだけどね) ヒソヒソ

留美( ……… やっぱり) ヒソヒソ


三浦「 ……… あんた達、それ全然丸聴こえだし。っていうか、いい加減にしないとあーし、マジ怒るよ?」

615 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:50:54.27 ID:SkCQuLIZ0

留美「 ……… でも、きれいな髪」

溜息のともにるみるみが手入れの行き届いた三浦の金髪をうっとりと見つめる。

ふん、とばかりに小さく鼻を鳴らす三浦も褒められて満更でもなさそうで、これみよがしに指で髪を梳いて見せる。


留美「 ……… 八幡、いつも違う女(ひと)連れてる。それも綺麗な人ばっかり」

るみるみの小さな唇から淡々と漏れ出たセリフに少しばかり棘を感じるのは気のせいか。


留美「 ………… もしかして、デート中 ……… だった?」

いったい何をどう勘違いしたものか、るみるみが思いもよらないことを口にする。


八幡「や、そういうんじゃないから」

動転のあまり首がもげてあらぬ方へ飛んでいきそうな勢いで頭(かぶり)を振りながら全力で全否定すると、


留美「 ………… そう、よかった」

ほっとした表情でぽしょりと呟き、


留美「あ、違くて、そうじゃなくて」///

慌てるように打ち消すその姿がいつになく年相応に見えて微笑ましい。


八幡「わぁってるって。邪魔したんでなければよかったってことだろ?」

そんなるみるみに俺が苦笑混じりのフォローを入れてやると、


留美「 ……… やっぱり全然わかってない」

なぜか今度はふすっとふて腐れたように呟きながら、小さく口を尖らせてしまった。


……… なんかこの年頃の女の子って、やたらと理不尽なんだよな。

616 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:53:50.20 ID:SkCQuLIZ0


「もしかして、八幡さん ――― かしら?」


気が付くといつの間にか俺達の目の前に品のよい笑顔を浮かべた女性が立っていた。

年の頃はうちの母ちゃんよりいくつか若いくらい、くせのない黒い髪と涼し気な目許の辺りに、るみるみの面影が窺がえる。

八幡「 ……… え? あ、はい。 ええ、まぁ」

自分で答えておきながら、何が“ええ、まぁ”なのかよくわからない。

「娘がいつもお世話になっています」

ひとりでテンパってしまう俺に小さく頭を下げるその女性 ―― 留美母に、俺も礼を返そうとするが先程からの中途半端な姿勢なのでそれもままならない。

仕方なく今更のように腰を落ち着け、改めてぺこりと頭を下げた。


留美「べ、別にお世話になんかなってないし」///

慌てて抗議する娘にとりあわず、留美母が笑顔のまま言葉を継ぐ。

留美母「この子ったら、家ではあなたの話ばっかり」

留美「う、嘘だから。し、してないからっ! 全然してないからっ」///

良きにつけ悪きにつけ、俺の話題が他人の口に昇ることからして既に珍しい。
るみるみが家ではいったい親にどんな風に俺の話をしているのか気にならないといえば嘘になるが、母親の俺に対する態度や物腰からして、そう悪いものではなさそうだった。
それに、なんであれ気兼ねなく話せる親がいるということは、るみるみにとっても良いことなのだろう。

617 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:56:41.74 ID:SkCQuLIZ0

留美母「あらあら、この子ったら照れちゃって」

留美「照れてないんてないから。ホント、そんなことないから。ほら、お母さん、もう行こ」

真っ赤になってぐいぐいと身体を押す娘に、るみるみ母は苦笑を浮かべながらもう一度俺に向けて会釈すると、るみるみに急かされるようにしてその場を後にした。

そんな微笑ましい母子の姿を見送る俺の口許にも自然と笑みが浮かんでしまう。


―――― と、不意にるみるみがひとり、こちらに小走りで駆け戻ってきた。


八幡「ん? どうかしたのか?」

俺の問いに、しばらくは何も答えずひとりなにやらもじもじとしていたるみるみだが、やがて、


留美「 ………… から」

八幡「ん?」

留美「 ……… わ、私、八幡と同じ高校行くつもりだから」

顔を真っ赤にしながら、やっと聞こえるような小声でそう告げる。


八幡「お、おお、そうか。 ……… なんか知らんがとりあえず頑張れよ」

言うまでもないことだが、るみるみが入学する頃には俺など影も形もないだろう。逆にまだ居たとしたらそれはそれでかなり問題がある。

それでもその時のるみるみの口振りというか健気な雰囲気というかが、なんとはなしに小さい頃の小町に似ていたせいなのか、ついつい無意識のうちに妹にやるような調子で、頭にぽんと手を置いてしまう。

やってからしまったと思ったがもう遅い。

キモイとかいって怒られない内にその手を引っ込めようとしたのだが、ふとるみるみの顔を見ると照れながらも少しだけ嬉しそうに口許が綻んでいる。

完全にタイミングを失った俺がるみるみの頭に手を置いたままにしていると、しばらく目を細めてじっとしていたるみるみが、やがて思い出したように俺からすいと一歩離れ、くるりと身を翻して、再び小走りで母親の許へと走り去ってしまった。

去り際に俺にだけわかるよう小さく手を振って見せたのは、それが別れの挨拶だったのだろう。


618 :1 [sage]:2019/07/13(土) 20:58:53.17 ID:SkCQuLIZ0

三浦「 ――― ちょっとぉ、さっきの子、どう見たって中学生くらいじゃない。あんたもしかしてそういう趣味があるわけ?」

仄かに暖かい気持ちに浸りながらカプチーノを手に戻ってきた俺に対し、三浦が無遠慮な言葉を投げつけてきた。

その手にはなぜかスマホが握られている。

八幡「ん? お前どこに電話してんだ?」

三浦「アムネスティ」

八幡「ばっ、ちがっ やめっ、おまっ、何言ってんだよ! 天に誓ってもいいが、俺はシスコンであってもロリコンじゃねっつの」

三浦「なにそれ、あんたやっぱりシスコンだったの? 超キモいんだけど?」

八幡「おい失礼なこと言うな。言っとくけど別に全然キモかねぇぞ、俺の妹は」 むしろ可愛くて可愛くて仕方がないくらいだし。

三浦「 ……… あんたのことだってば」

619 :1 [sage]:2019/07/13(土) 21:02:37.80 ID:SkCQuLIZ0

三浦「それにしても、あんた年下からずいぶん慕われてるみたいじゃん」

八幡「ん? そうか? まぁ、なんか知らんが確かに子供と動物にだけは好かれるみたいだけどな」

その分なぜか同じ年頃の女子からは嫌われるんですけどね。 理由? 俺が聞きてぇくらいだよ。


三浦「そういえば、あのサッカー部のマネ ……… 一色だっけ? にも慕われてるみたいだし」

その目がますます疑い深く狭まる。

八幡「や、あれは好かれてるとか頼られてるとかそんな可愛げのあるもんじゃなくて、単に隙あらば都合よく俺を利用してやろうと狙ってるだけだろ」

何気に返した俺のその言葉に何か思うところでもあったのか、急に三浦がむっつりと黙り込んでしまう。そして、


三浦「 ……… 都合よく、か」


それきり何事か物思いに耽りながら、俺の淹れたカプチーノにそっと口をつけた。

620 :1 [sage]:2019/07/13(土) 21:04:24.29 ID:SkCQuLIZ0

このくだり、あとちょっとだけ続きます。長くなるので今日はこのへんで。

続きは近日中に。ノシ゛
621 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:31:03.18 ID:I8jB+if+0

カップを手にしたまま、三浦が少しだけ驚いたように目を丸くする。

そして、何かしら問いたげな視線をくれる三浦に、

八幡「淹れ方にちょっとしたコツがあるんだよ」

さりげなく、だが鼻につかない程度に自慢してみせる。

お湯を注いでカップを温め、その後にカプチーノを注ぐ。
最初に出てくるミルクは半分ほど使わずにそのまま捨て、シングルのエスプレッソをもう一度注ぐ。
たったこれだけのことなのだが、驚くほど味が良くなる、ドリンクバーだからこそできるテクニックである。

八幡「ちっとは元気出たか?」

三浦「別に落ち込んでたわけじゃないし」

僅かに唇を尖らせて抗議する素振りを見せるが、普段のありあまる覇気がまるで鳴りを潜めている。

三浦「っていうか、もしかしてあんたこういうの慣れてんの?」

こういうの、とはつまり女性の扱いとかそういう諸々の意味合いが含まれているのだろう。

更に俺くらいともなれば、その中に含まれる“全然そんな風には見えないんですけどぉ”というニュアンスまでわかってしまう。でっけぇお世話だっつーの。

622 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:36:10.19 ID:I8jB+if+0

三浦「 ――― あーし、隼人からどう思われてるんだろ」

不意に三浦がぽしょりと呟く。
それが俺に向けてのものなのか、単なる独り言なのかまではわからない。しかし、その意図するところは問うまでもなく明らかだ。

八幡「どうって、……… 何がだよ」

三浦「もしかしたらあーしも隼人からそんな風に思われてるだけなのかな」

自嘲気味に言いながらも、その声に微かな湿り気を帯びる。

そんな風とは、先ほど俺が口にした、“都合よく利用しようとしている”という言葉を示しているのだろう。

八幡「や、そんなこと …… 」

ないだろう、と言いかけてそのまま口ごもってしまう。あながち的外れとも言い切れないことに気が付いたからだ。

文化祭実行委員長であったあの相模南を例にとるまでもなく、三浦のポジションになり代わりたいと鵜の眼鷹の眼で狙っている女子はいくらでもいる。
だが、三浦が傍にいる限り、他の女子はおいそれと葉山には寄ってはこれない。
それはつまり、他人との間に常に一定の距離を設けようとしている葉山にとって格好の予防線の役割を果たしているということになる。

加えて、葉山が光輝けば光輝くほど、それだけ三浦に落ちる影、つまり彼女に対する嫉みややっかみは強くなる。

さすがに面と向かってということはないだろうが、見えないところで陰口や中傷、嫌がらせだってあるのかもしれない。
いかに気丈に振る舞ってはいても、そこはやはり年頃の女子だ。何も感じないということはあるまい。

果たして葉山がそこまで計算して三浦を傍に置いているのかどうなのかまではわからない。
しかし、時折垣間見せる葉山の冷淡さや酷薄さは、俺にとある女性を連想させることもまた、事実だった。

朱に交わればなんとやら。普通に考えて彼女から少なからぬ影響を受けてきたはずの葉山が、見かけどおり只の感じのいい好青年だけであるはずもない。

623 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:39:33.23 ID:I8jB+if+0

三浦「あのふたり、どういう関係なんだろ」

葉山の態度から、こいつも何かしら察していたのかも知れない。

八幡「まぁ、俺も詳しくは知らんが、なんでも親同士が古くからの知り合いらしくて、あの三人も小さい頃から姉弟みたく育ったって聞いてるぞ」

口ではそうは言ったものの、もちろんそれだけではないことは俺にもよくわかっていた。

三浦「ホントにそれだけなのかな?」

八幡「他人の家の事情なんてわからんし、それこそ憶測だけでどうのこうの言ったところで始まらんだろ」

まるで突き放すような言い方になってしまったが、事実その通りなのである。
どんなに相手に想いを寄せ、募らせていようとも、それはあくまでも自分の勝手な思い込みや独り善がりを押し付けているに過ぎない。

海老名さんではないが、相手によって引かれた線を踏み越える勇気がないのなら、やはりそれはそれまでのことなのだ。
そして、踏み込むと決めた以上は、当然相手に拒絶されることもまた覚悟の上でなければならない。

だが、三浦とて別に気の利いた答えを求めているわけではあるまい。つい思わず胸の内の呟きがポロリと漏れてしまったのだけのことなのだろう。
なまじ近しい人間なんかよりも、利害関係や後腐れがない分、むしろ行きずりの赤の他人の方にこそ本音を吐露しやすいという心理もあると聞く。

いや、よく考えたら俺も一応こいつのクラスメートだったはずなんですけどね。

624 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:42:51.11 ID:I8jB+if+0

気が付くと、窓の外を眺める三浦の頬を光るものが伝って落ちていた。そのうちにくすんとひとつしゃくりをあげる。

八幡「 ……… お前、結構よく泣くのな」

三浦「うっさい!」

返す言葉はいささか鼻声で、当然、いつものような迫力はない。先ほどの一件で余程気落ちしてるということなのだろう。

そんな三浦を見ているのに偲びなくなった俺は、少しだけ躊躇ったがそのまま黙ってハンカチを差し出す。

三浦「 ……… あんた、それ」

八幡「ちゃんと洗ってあるし、今日は一度も使ってない」

嘘ではない。最近は駅はもちろん大抵の店のトイレにもハンドドライヤーが設置されているので、ハンカチを持ち歩いていても使わずに済むことの方が多い。
そして、そのままズボンと一緒に洗濯機に放り込んでしまい、乾燥して固まった状態でポケットから出てきて母ちゃんに怒られるというのは年頃の男の子あるあるだろう。まぁ、妹に怒られるのは俺くらいかもしれないが。

暫く迷う素振りを見せていた三浦だが、結局あんがと、と照れたように小さく呟くと俺の手からそれを受け取り、


三浦「んぶっ、ち ―――――――――― ん」


……… だからなんで俺の周りってば、こんなヤツばっかりなんだよ。

625 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:45:45.38 ID:I8jB+if+0

八幡「だから言っただろ、葉山の相手は大変だぞって」

三浦「そんなことわかってるし。……… でも、しょうないじゃん」

好きになっちゃったんだから、と消え入りそうな声で呟く。

八幡「お前、あいつのどこがそんなに気に入ったわけ?」

まぁ、爽やかなイケメンでスポーツ万能、成績も学年トップクラス、父親は弁護士で母親が女医さん、しかも家はお金持ちとくれば俺だって嫁にもらってもらいたいぐらいだが。


三浦「 ………… ルックス」

八幡「って、即答だな、おい!?」

少しは考えるとかしたらどうなんだよ。色々とブチ壊しだろ。


三浦「それにイケメン連れてると、なんか気分いいし?」

八幡「 ………… いっそ清々しいほどだよな、お前って」 

おいおい、こんなメンクイ、ラーメン大好き小池さんくらいしか知らねぇぞ?


三浦「 ………… だって、最初(はじめ)はみんなそんなもんでしょ?」

八幡「まぁ、そりゃそうなんだけどな」

確かにファーストインプレッションは重要だよね。人は見かけが八割ともいうし。
つまり逆を言えばそれだけの容姿を誇りながら第一印象が最低最悪というこいつや雪ノ下はいったいどんだけ中身がアレなんだよって気もするのだが。

626 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:48:38.27 ID:I8jB+if+0

八幡「んで、いつからなんだ、それ?」

頃合いを見計らって、先程からずっと気になっていたことを切り出すと、三浦が一瞬だけキョトンとした顔になる。


八幡「 …… 目だよ、目」

言いながらひ人さし指で自分の左右の目を交互に差してみせる。


三浦「気が付いたのはやっぱ最近 …… かな」

何か言い返しかけたが、結局、観念したように三浦が白状する。

本人は別に意図しているというわけでもないのだろうが、こいつが人や物を見る時に目を眇めるクセがあることには気が付いていた。
目つきが悪いのは元からなのかもしれないが、いや間違いなくそうなのだろうが、目が悪くなったせいで更に人相が凶悪になっている。

戸部ですらすぐにそうと気が付いた雪ノ下母の容姿や、一度は会っているはずのるみるみにそれと気が付かなかったのもそのためなのかもしれない。
それでいて遠目にも葉山だと気が付いたのは、やはり恋心のなせる業なのだろうか。 いや、よく知らんけど。

627 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:52:26.20 ID:I8jB+if+0

三浦の視力が悪化した原因は聞かずとも想像できる。

いかにもギャルギャルした見かけや言動にも拘わらず、由比ヶ浜や戸部と違って三浦の成績が悪いという噂はついぞ聞いたことがない。
かといって見てくれがいくら似てるからといって、まさかビリギャルのように地頭がいいとも思えない。

恐らくそれは外見のみならず中身も葉山に釣り合うようにと常日頃からよほど根を詰めて勉強しているのに違いない。

―――― それこそ、視力が落ちるほどに。

もしかしたら三年進級時の文理選択のみならず、その先までも見据えて葉山と同じ大学を受験することすら考えているのかも知れない。

そこまで想いを募らせながら葉山に対して今一歩が踏み出せないでいるのは、家同士の約定を楯に拒まれることを恐れての事なのだろう。

確かに、今のままでは例え三浦が葉山に想いの丈を告げたところで結果は目に見えていると言わざるを得ない。

628 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:55:17.89 ID:I8jB+if+0

八幡「 ――― ひとつだけ、あいつの本心を訊きだす手立てがないわけでもない」

三浦「 ………… え?」

そんなことができるのかと問う三浦の視線をそのまま見つめ返し、それが事実であることを伝えるためにゆっくりと頷いて見せる。

簡単なことだ。葉山から全ての虚飾を剥ぎ取り、一切の言い訳を奪い去り、完全に退路を断ったその上であいつの本音を引きずり出しさえすればいい。

しかし、問題があるとすればひとつ ――――

八幡「一応断っとくが、必ずしもお前の期待するような結果になるとは限らんぞ」

例えこれから何をするにせよ、伴うであろうリスクは正確に伝えておいた方がフェアというものだろう。

それに敢えて口にこそ出さなかったが、もし俺の勘が正しければ、そうなる可能性の方が高かった。 

なぜならば葉山は ――――― 


三浦「その時は …… その時じゃん」

俯く三浦の声が僅かに震える。だが、次の瞬間には強く固い決意を込めた目で俺を睨み付けながら、きっぱりと言い放つ。


三浦「それに、隼人がこれから先も同じ想いを抱えていくより、そっちの方がずっといいと思う」

なるほど、恐らく三浦にとって葉山こそが、かけがえのない唯一無二の“本物”なのだろう ――― 俺にとっての雪ノ下でそうであるように。

629 :1 [sage]:2019/07/14(日) 23:58:35.54 ID:I8jB+if+0

正直、三浦が葉山を落とすことが出来れば俺の仕事もやりやすくなる、そういう計算が働かなかったわけでもない。
何も知らない三浦を駒として利用するのは幾分気が引けたが、なにぶん、今回は相手が相手だ。手段なぞ選んでいられないし選ぶつもりも毛頭ない。

八幡「もう一度確認するが、お前は葉山の本心が知りたいってことでいいんだな?」

俺の問いに、三浦がこくんとひとつ頷いて答える。

その瞳が、何をするつもりなのか、と問うていたが無言でスルーする。誰であれ、今はまだ手の内を明かすわけにはいかない。

しかし、その代わりとでも言うように俺はきっぱりと断言した。


八幡「 ―――― そうか、わかった。だったらお前のその依頼は、奉仕部(おれ)が責任を持って引き受ける」

630 :1 [sage]:2019/07/15(月) 00:01:16.88 ID:yJKsoavJ0

三浦「 ――― そういえば、結衣がさ、あんただったら何とかしてくれるかもって言ってた」

店を出て、寒さに白くけぶる息の向こう、数歩離れた位置から三浦が振り返りざまに俺に向けて声をかけてきた。

八幡「なんだそりゃ」

いくらなんでも買いかぶり過ぎだろ、と苦笑を浮かべる俺に、

三浦「あーしも最初聞いた時はそう思ったけど、結衣が信じるなら、あーしも信じていいかなって。 それに、今なら …… 」

不思議な色を湛えた瞳でじっと俺を見つめる。そして、


三浦「 ……… やっぱ、なんでもない」

なぜか怒ったようにそう言いながら、ついと俺から目を逸らす。

631 :1 [sage]:2019/07/15(月) 00:02:08.75 ID:yJKsoavJ0


「 ……… 思ってたより、いいヤツみたい、だな」ボソッ


632 :1 [sage]:2019/07/15(月) 00:06:20.50 ID:yJKsoavJ0

三浦「なっ? ちょっ? はぁ? だ、誰もあんたのことなんて、そんな風に思ってないし!?」


八幡「え? あ、や、お前のこと言ったつもりなんだけど?」

俺の独り言に反応して盛大に自爆したらしい三浦が真っ赤な顔で黙り込む。

そして、俺はそんな彼女に訥々と語り掛ける。

八幡「なぁ、三浦。これからも由比ヶ浜のこと、その …… 色々と助けてやってもらえるか?」

これから俺がしようとしている事で、俺たちの三人の関係は壊れてしまうかもしれない。少なくとも今までのままというわけにはいくまい。

そんな時に由比ヶ浜を支えてやれるのは、彼女のことをよく知るこいつしかいない。

それに、こいつは絶対に友達である由比ヶ浜を見捨てるような真似だけはしない。そう信じることができた。

欺瞞だろうが偽善であろうが、それでも自分の大切なものは守りたい、そんな思いが無意識に紡いだ俺の本心だった。

そんな俺に対し、三浦は少しだけ意外そうな表情を浮かべていたが、すぐに小さく頷く、―――― と思いきや、


三浦「はぁ? そんなことヒキオに言われるまでもないんですけど?」


いつものように勝気で、高飛車で、それでいて少し照れたような、はにかんだ笑みを浮かべて寄越す。


八幡「そりゃそうだ」 いかにも三浦らしい返事に俺も苦笑で応える。

633 :1 [sage]:2019/07/15(月) 00:13:13.77 ID:yJKsoavJ0

八幡「じゃ、な」

三浦「 …… ん」


いつの間にか三浦との会話にかなりの時間を費やしていたことに気が付く。

三浦はああ言ってくれたが、俺にできることといえば、せいぜいその場凌ぎによる時間稼ぎで問題を先送りにするくらいのものだ。
詭弁を弄して小手先でごまかし、既存の枠組みを壊してしまう。結局のところ誰も幸せにはならないし、そもそも俺にそんなことはできやしない。

場合によっては時間が解決してくれることもある。だが、それは最初からなるべくしてそうなっただけであり、決して誰かのせい、ましてや俺の功績というわけではない。

他人が手を差し伸べなくとも、助かる者は勝手に助かり、そうでない者もいずれは自分の足で立ち上がらなくてはならない。

そして、幸福とは有限である。誰かが幸せになる一方で誰かが不幸になり、誰かが笑う影で誰かが涙し、誰がが得をする一方で、誰かが損をしている。

しかも、大抵の場合、損をするのも正直で善良な人間なのだ。つまり逆説的にいえば損ばかりしている俺は正直者で善人ということになるんじゃね? いや、ならないか。

634 :1 [sage]:2019/07/15(月) 00:14:57.22 ID:yJKsoavJ0

いずれにせよ、誰もがみんな主人公なんて幼稚園でやる桃太郎の演劇みたいなことはありえない。

だから、みんなを救おうとするやり方では、自ずと限界が生じてしまう。事実、あの葉山でさえ、すぐ傍にいる三浦を救うことすらできないではないか。


だとしたら、

もし、本当にそうなのだとしたら、

みんながみんな幸せになる方法がないのだとしたら、



―――――― いっそのこと、みんな不幸になってしまえばいいのだ。

635 :1 [sage]:2019/07/15(月) 00:17:29.92 ID:yJKsoavJ0

キリがいいので今日はこの辺で。

このまま週2くらいのペースで……できたらいいですね。ノシ゛
636 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:01:22.06 ID:9g2X1Clv0


小町「 ――― お兄ちゃんどこ行くの?」


朝、出掛けに玄関の框(かまち)に腰掛けて靴の紐を結び直していると、背後からいきなり小町に声をかけられた。

自慢ではないが自他共に認める根っからの引きこもり体質であるこの俺が、わざわざ休みの日に、それも二日続けて朝から出かけるなんて滅多にあることではない。

いつも脳天気なお天気お姉さんが、もしかしたら今日は雪が降っちゃうかも知れませんねー、などと無責任なことを言っていたのも実は俺のせいなのかも知れない。

637 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:04:11.64 ID:9g2X1Clv0

休みの日と言えばいつも昼近くまで惰眠を貪るような兄(つまり俺)と違って、小町はニワトリや年寄り並みに起きるのが早い。
三歩歩いただけで全て忘れるところもよく似ているので、もしかしたら前世は鳥だったのかもしれない。なにしろ俺もオヤジも揃ってチキンだし。

ニワトリといえば朝一番に鳴く鳥、というのが世間一般のイメージなのだが、殊、千葉市に限って言えば朝鳴く鳥といえばそれは即ちカッコウのことである。

毎朝きっかり7時に聴こえてくる鳥の声を何の疑いも感じることなく本物だと信じ込んでいたら、実は防災無線のチェックを兼ねた時報でしたなにお前そんなことも知らねぇのかよぷすーくすくすとか言われた時のショックは、ネイティブな千葉市民であれば誰しもが一度は経験する通過儀礼のひとつだろう。

ちなみに正午の時報はウェストミンスターの鐘、午後五時は夕焼け小焼けだ。なんだよその千葉のマメチ。

638 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:06:31.13 ID:9g2X1Clv0

八幡「ん、まぁ、ちょっとヤボ用でな」

小町「 ……… ふーん、あっそ」

わざわざ呼び止めてまで訊いておきながら、あまりに素っ気ないその返事もどうかと思うが、変につっこまれても困る。

小町「御飯どうするの?」

八幡「いらね」

小町「いらないって ……… 」

少しばかり不機嫌そうになってしまった声に驚く気配が背中越しに伝わる。

八幡「や、なんつーか、今日は食欲ないんだよ」

慌ててフォローするように付け加えると、

小町「 ……… そうじゃなくって、今日はお兄ちゃんが用意する番なんだけど?」

見れば既に用意していたらしい茶碗と箸をこれ見よがしに持ち上げている。

八幡「って、そっちかよ。悪りぃけど忙しいんだ。冷蔵庫に昨日の晩飯の残りがあったろ? チンしとけ、チン」


小町「 >>お兄ちゃん ご飯まだぁ?」 チンチン

八幡「 ……… そうじゃねぇよ。レンジでチンしろってんだよ」

639 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:10:43.61 ID:9g2X1Clv0

小町「ところで、お兄ちゃん」

八幡「あん?」

小町「もしかして小町に何か隠し事とかしてなぁい?」


……… あ、これあかんやつや。

どのようなシチュであれ、女が男に対してこのセリフを口にした場合、まず間違いなく何かしらの証拠を掴んでいると考えていいだろう。
それを敢えて遠回しかつ婉曲な訊き方をしてくるあたりに、中学生にして既に女性特有の底意地の悪さを感じざるを得ない。
兄としては妹の成長を喜ぶべきなのかもしれないが、男としては素直に喜べないものがある。

雪ノ下の留学に端を発する諸々の出来事は、遅かれ早かれいずれ小町の耳に入ってしまうことはそれこそ時間の問題だ。

だからこそ小町に見咎められない内にとさっさと家を出ようとしていたのだが、早くもその目論みが外れてしまった。

内心の動揺と焦りを押し隠すようにして、顔を逸らし、わざとゆっくり腰を上げる。
つま先で軽く床を蹴り、靴を足に馴染ませるふりをするその間も、絶えず俺の背中に小町の視線が突き刺さるように注がれている気がして振り向くに振り向けない。

640 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:13:22.00 ID:9g2X1Clv0

八幡「 ……… んだよ藪から棒に」

ようやく返した言葉も、ついぶっきらぼうになる。

小町「 ……… 実は、さ、昨日の晩、結衣さんからこないだのお誘いの件で返事があったんだけど」

由比ヶ浜の名を耳にして反射的にぎくりとして振り向くと、案の定、小町が不機嫌そうに口をへの字にひん曲げていた。


八幡「お、おう、そうなのか。 ……… んで、なんだって?」

小町「“色々あって返事が遅くなっちゃってごめんね”って」

八幡「それだけか?」

小町「それだけ? ってことは、やっぱり他にも何かあったってこと?」

八幡「や、別にそういうわけでもないんだが」

ではなぜそんなことを聞くのかとツッコまれたらそれはそれでやはり返答に困ってしまう。どうやら藪をつついて出てきたのは棒ではなくてヘビだったようだ。


小町「色々ってなに? 雪乃さんとはどうなってるの? ふたりともちゃんと仲直りできたの?」

次々と質問が飛んでくる。でもお兄ちゃん聖徳太子じゃないんだから質問は一度にひとつにしてくれない?


八幡「 ……… コホンッ。 まぁ、とりあえずその件に関しては一応前向きに善処する方向で検討してはいる、かな」

小町「 ……… それってなんか政治家の典型的な国会答弁みたいだね、ダメな方の」

641 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:15:08.39 ID:9g2X1Clv0


小町「 ――― あっきれたぁ。なんでそんな大事な事、今まで小町に黙ってるかなぁ」


仕方なく事情をかいつまんで話して聞かせると、小町がぷくりと頬を膨らませる。

それにしても怒らないから正直に言ってごらんと言われて正直に答えた時に怒られる確率の高さはやはりちょっと異常。
嘘つきは社畜営業の成れの果てって学校で習わなかったのかよ。俺も習ってねぇけど。


八幡「余計な心配かけたくなかったんだよ。ほら、お前も一応受験生なんだし」

他にも色々と事情はあるのだが長くなりそうなのでその件については触れないでおく。

小町「それはそうかもしんないけどさ」」

他意はなかったにせよ結果的にはひとりだけ除け者扱いされたことになるのだから、小町としても面白くなくて当然だろう。

小町「それにしたって何がショックって、家の中でさえいつもハブられてるお兄ちゃんにまでハブられたことが小町的には一番のショックだよ。ポイント低いよ」

八幡「 ……… お兄ちゃん的にはお前のその発言の方がよっぽどショックなんだけど」

そういやたまの休みの日とか俺がいない時に限って、みんなで出前とったり外食とかしてるよな。それも結構高いヤツ。


642 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:16:45.49 ID:9g2X1Clv0

小町「それで、このままだと雪乃さん留学しちゃうかも知れないの?」

八幡「まだ完全にそうと決まったわけじゃないけどな」

小町「なるほど、色々ってそういうことだったんだね」

ふむふむと感慨深げに首肯する。

八幡「 …… まぁ、そうだな」

小町「雪乃さんは何て言ってるの?」

八幡「それが雪ノ下とは全然連絡がとれてない状況だからな」

そう言ってポケットからスマホを取り出しメーラーを立ち上げると、小町も俺の手元をのぞき込む。


小町「うわっ! 英語?! ってことは、もしかして雪乃さん、もう外国行っちゃったの?!」

八幡「 …… いやこれ、リターンメールだから」

643 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:19:01.60 ID:9g2X1Clv0

実のところ昨晩から雪ノ下に連絡しようと試みてはいるのだが、いずれも不発に終わっている。
女の子にメールしてスルーされるのは初めてではないし、恐らくはこれが最後でもないのだろうが、とにかくこのままでは埒があかない。

直接会いに行くにしても、昨日の話では今日はあねのんと一緒のはずだ。さて、これからどうしたもんかと考えあぐねいていたところでもあった。


小町「リターンメール?」

なんぞそれ、とばかりに頬にひとさし指を当て、こればかりは俺とよく似たアホ毛をハテナマークにして首を傾げる。

八幡「よくあんだろ、ほら、"間違って"ドメインごとブロックされちゃったり、"ついうっかり"メルアド変えたのを伝え忘れちゃったり」

なんだそんなことも知らねぇのかよ、とばかりにお兄ちゃんぶって答える俺に、小町がますます首を深く傾げて見せる。


小町「小町、ないけど?」

八幡「 ……… マジかよ」


俺なんてメアド交換して最初に送ったメールがリターンしてくるなんてざらざらにざらだぜ? 女子にされるとホント凹むんだよな、あれ。期待してる分だけ振り幅でかいし。


小町「あ、でも雪乃さんに限ってそんなことするような人じゃないし、きっと何か理由があるんじゃないかな、お兄ちゃんの方に」

八幡「なにそれもしかして俺の方にはそんなことをされそうな理由があるとでも言いたいわけ?」

644 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:20:30.47 ID:9g2X1Clv0

八幡「そんなわけでお兄ちゃん、悪いけど色々と忙しいんだよ。話の続きはまた後で、帰って来てからゆっくりな」

小町「あ、お兄ちゃん!?」

ちっ、仕方ない。ここはひとつ、奥の手を出すとするか。


八幡「あ ―――― っ! カマクラがタマゴ産んでる!」

小町「えっ? ホントっ?! どこどこ?」


……… いや、ふつうにネコ、タマゴとか産まねーし。だいいちカマクラはオスだろ。

なおもしつこく食い下がろうとする小町を半ば強引に振り切るようにして俺は玄関の扉を潜り抜けた。


645 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:23:35.07 ID:9g2X1Clv0


「 ―――― あら、こんなところで偶然ね」


明るく柔らかく親し気とさえいえるはずなのに、その声を耳にした途端に背筋を冷気が這い上がるような気がしたのは何も冬の朝だからというだけではあるまい。

八幡「 ……… いや偶然て、ここ俺んちなんですけど」 しかも、こんなところて。

俺のツッコミをさらりと聞き流し、その声の主 ――― 陽乃さんは開け放たれた黒塗りのハイヤーの後部座席のドアからすらり優雅に降り立つ。

そんなさり気ない仕草も、この人の場合、まるで女優のように様になる。

見るとどうやら車に乗っていたのは陽乃さんだけの様子。だとすれば雪ノ下は今、あのマンションでひとりきりということなのだろうか。


ちょうどその時、俺の背後で今しがた締めたばかりの玄関の扉の開く音がした。

小町「 ――― あれ? お兄ちゃんどうかしたの ……… って、はわわわわ、陽乃さん?!」

振り返れば扉の隙間から外を覗く小町の目が驚きのあまり真ん丸くなっている。


陽乃「およ? 小町ちゃんだ。おはやっはろー! お久し振りだねぇ」

由比ヶ浜だとまるでトイレのLEDのように無駄に明るい挨拶も、陽乃さんがやるとあざとくも魅力的に見えてしまうから不思議な。

俺は一瞬だけ迷った後、すぐにくるりと回れ右して小町へと向き直る。


八幡「小町、スマンが俺ならいないと言っといてもらえるか?」

陽乃「 ……… そこまで堂々と居留守使われるのはさすがに私も初めてなんだけど」

646 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:25:46.60 ID:9g2X1Clv0

小町「えっと、あの、今日はいったいどうされたんですか?」

陽乃「ええ。たまたまこの近くを通りかかって ――― あ、でも、ちょうど良かったわ。比企谷くんにちょっと訊きたいことがあったし?」

んなわけねーだろ、と喉まで出かかった悪態をかろうじて飲み込む。そんなタマタマ、サザエさんちにだっていやしない。


八幡「わざわざこんなところまで来ていただなくても、俺の連絡先はご存じのはずじゃありませんでしたっけ?」

もちろん俺が教えたわけはない。

横目でジロリと見ると、小町が目を逸らしながら窄めた唇からしきりにひゅーひゅーと掠れた音を漏らしている。もしかして口笛で誤魔化しているつもりかそれ?

陽乃さんは陽乃さんで、わざとらしく鼻にかかった甘い声を出しながら、しなりと身を寄せてくる。

陽乃「だってぇ、どうせ近くに寄るんだったら比企谷くんの顔が見たかったんですものぉ」


八幡「 ……… それって絶っ対、俺の嫌がる顔がって意味ですよね?」


647 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:26:48.15 ID:9g2X1Clv0

* * * * * * * * * *

648 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:29:11.90 ID:9g2X1Clv0


陽乃「 ―――――― あら、美味し」


コーヒーカップに口をつけた陽乃さんの形の良い唇に品の良い柔らかな笑みが浮かぶ。

寒い処で立ち話もなんですから、続きは中でいかがですか ――― 止める間もなく小町がそんな余計な事を言い出したせいで、結局のところ俺にとって極めつけの疫病神とさえいえる存在を家に招き入れることになってしまったわけである。

普段から何かと気のつく上に可愛くてよくできたどこへ出しても恥ずかしくないがどこにも出すつもりのない超自慢の妹ではあるのだが、こんな時ばかりはその性格が恨めしい。


八幡「すみませんね。うち、滅多に客とか来ないんでインスタントくらいしかご用意できなくて」

陽乃「いいえ、お気になさらず」

口に合うかどうかというよりも、雪ノ下の紅茶好きからしてあねのんも紅茶党なのかもしれないが、残念ながらうちの家族は揃いも揃って皆コーヒー党だ。

厳密にはその中にも更に派閥があり、小町はどちらかというとカフェオレ派だが俺はマッ缶原理主義。オヤジと母ちゃんに至っては嗜好品としてではなく気つけや眠気覚ましとしてカフェインを摂取するのが目的なので基本ストレートで砂糖もミルクも一切入れない。
ブラックなのは勤め先の会社だけにしとけばいいのに。


649 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:33:00.06 ID:9g2X1Clv0

陽乃「こちらこそ、お休みの日にいきなりお邪魔しちゃってごめんなさいね」

小町「いえいえ、お邪魔だなんてとんでもない!」

応じながら小町が両手と首をぶんぶん振り、その拍子にアホ毛がぴょこぴょこ揺れる。

小町「それに休みの日といえばいつも家でゴロゴロしてて美少女アニメが始まるとテレビの下からスカートの中を覗こうと必死になって無駄な努力してる兄の方がマジでキモくてウザくて邪魔なくらいですから」

八幡「うんうんドサクサに紛れてお兄ちゃんの恥ずかしいプライバシー晒すのやめような?」


小町「あ、ところでお兄ちゃん、お茶請けのお菓子、切らしちゃってるみたいなんだけど?」

八幡「 ……… ん? お、そうか。じゃ、すまんが小町、コンビニまでひとっ走りしてもらえるか?」

小町「かしこまっ!」

横ピースとウィンクであざと可愛く答えながら、ちゃっかり反対側の掌が俺に向かって差し出される。
どうでもいいけど、こいつってばホンッと頭脳線が短いのな。

兄妹ならではの以心伝心といやつで小町の意図を察した俺は、とりあえず自分のサイフの中から千円札を一枚取り出し、その手の上に乗っける。

それをしばらくじっと見つめていた小町だが、その目を俺に向けるや今度は顎をしゃくりながら、ふんふんと二度ほど鼻を鳴らす。

どうやら足りないということらしい。

舌打ちを一つ、仕方なくもう一枚取り出して今度はやや乱暴に掌に叩きつけるようにして追加した。


陽乃「あら、全然お構いなく。用向きが済んだらすぐに御暇(おいとま)するつもりだから」

小町「いえいえ、ホントにすぐそこなんですけど、ここはやっぱり気を利かせてわざと遠回りしてきちゃいますから、後は若いふたりでごゆっくり」

口の端から尖った八重歯を覗かせて、にっしっしと気色の悪い笑みを漏らす。


八幡「 ……… いやどう考えてもこの中で一番若いのお前だろ」

650 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:34:35.24 ID:9g2X1Clv0

陽乃「遠慮しないで座ったらどうなの?」

小町が姿を消して間もなく、陽乃さんがソファーを軽くぽんぽんと叩いて俺に促す。

いやだから遠慮するも何も確かここ俺の家だったはずなんですけどね。つか、なんでいつもさりげなく自分の隣勧めようとするかね、このひと。

陽乃さんはまるで自分の家であるかのようにいかにもといった感じにゆったりと寛いで見えるが、俺ときたらあまりの居心地悪さに文字通りホームなのにアウェイ。

互いの家に呼ぶほど親しい友達などいたことがないせいもあってか、他人が家にいる、というもうそれだけで何やらそわそわして落ち着かない。

それに俺の場合、立たされる事に関してはいつもなので特別苦にもならない。もっとも俺の場合、立たされるのは決まって矢面とか、苦境とか、窮地とかなのだが。

651 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:40:03.96 ID:9g2X1Clv0

そうは言っても、お客様相手にいつまでも立ったまま相手をするのもさすがに失礼なので、テーブルを挟んで斜向かい、物理的に限界ギリギリまで距離をとり、半ば尻がずり落ちそうな見るからに不自然な姿勢で腰掛ける。


陽乃「そういえば、比企谷くんの家に来るのはこれが初めてね」

とりたてて広いともいえぬ部屋の中を興味深げにぐるりと見回しながら、陽乃さんが感慨深げに口にする。

当然である。招きもしないのにしょっちゅう押しかけられたのでは俺としても堪ったものではない。できれば最初で最後にして欲しいくらいだ。

陽乃「たくさん本があるのね。これ、みんな比企谷くんの?」

八幡「俺のもありますけど、ほとんどはオヤジのです」

ちなみに母ちゃんと小町は実用書以外の本は滅多に読まない。比企谷家における男系の遺伝なのだろう。

陽乃「全部読んだの?」

八幡「ええ、まぁ、一応、ひと通りは」

陽乃「へぇ、もしかして将来は作家にでもなるつもり?」 

八幡「まさか。単なる趣味っていうかヒマ潰しみたいなもんですよ」

小さい頃から両親共働きで家にいないことの方が多く、幼い小町ひとり残して外に遊びに出かけるわけにもいかなかった俺は、自然、家で過ごす時間の方が長かった。
殊更本が好き、という自覚はないのだが、活字に対する抵抗は少ない。
そのせいか同年代の子供たちよりも文字を覚えるのも早かったし、難しい漢字もいつの間にか読めるようにもなったのだから、決して悪い事でもないのだろう。
今でもどちらかというとアニメよりも原作のマンガやラノベの方が好きなのは、そのせいなのかも知れない。

652 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:41:44.23 ID:9g2X1Clv0

陽乃「比企谷くんって確か大学は公立文系志望だったよね」

八幡「はぁ、まぁ、一応」

陽乃「だったら、やっぱり国語の先生目指してるのかな、静ちゃんみたいに?」

八幡「なんすかそれ」

いったい何がどう“やっぱり”なのかさっぱりわからないが、以前、平塚先生にも同じことを言われたことがあったっけか。

たまに呼び出されて顔を出すのさえ厭々だってのに、毎日職員室に通うだなんて想像しただけでもうんざりしてしまう。
間違いなく着任初日から登校拒否を起こすだろう。

それにとてもではないが俺のような人間に学校の先生が務まるとは思えない。もしできるとしたら、せいぜい生徒たちの反面教師が関の山だ。

653 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:45:33.32 ID:9g2X1Clv0

陽乃「ところで、今日はご両親は? 」

八幡「え? ああ …… 。えっと、仕事です。年度末が近いせいか、なんか最近やたらと忙しいみたいで」

うちの両親は会社が繁忙期に入ると揃って終電か、そうなければタクシーで帰ってきて次の日も始発で出かけてしまうのだが、そんな時は寝室ではなく今俺たちの居るリビングのソファでゴロ寝して仮眠をとることが多い。

なんでも一度布団に入ってしまうとそのまま起きる気力がなくなってしまうからだなのだそうだ。
そんなおばあちゃんならぬ社畜の知恵袋みたいなマメチ要らないし、できれば将来的にも絶対役に立って欲しくない。

しかし、そんなまでしてブラックな会社にしがみついているのも、ひとえに大切な家族を養うためだと思えばこそなのだろう。

俺にも小町にも何かにつけクソミソ言われているオヤジだが、それなりに汗水たらして働いている。それ以上に愚痴や文句もたれてはいるが。

まぁ、オヤジの場合、窓際遥かに飛び越えて今やギリギリ崖っぷちだからな。そうでもして一生懸命会社のために働いていますアピールでもしなけば、首がいくつあっても足りないのかも知れない。



陽乃「 ―――― そう、大変ね」


その時かけられた陽乃さんの、ごくさりげない労いの言葉に何やら不穏な響きを感じ取った気がしたが、気のせいだと思い込むことにした。

654 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:48:02.42 ID:9g2X1Clv0

陽乃「急に押しかけるような形になってごめんなさいね。もしかして今からどこか出かけるつもりだったのかしら?」

八幡「いえ、大した用でもないんで。あー……、それで俺に用って何なんですか?」

本当は訊きたいことは他にあるのだが、とりあえずは来客に対して訪問の理由を聞くのがマナーというものだろう。


陽乃「ええ、そのことなんだけど ――― 」

手にしたカップをソーサーに戻す磁器の触れ合う乾いた音が軽く耳を擦る。

少し間をおいて陽乃さんが目を細めながらゆっくりと口を開き、思いがけないセリフを俺に告げた。





陽乃「 ――― 今朝起きてから、雪乃ちゃんの姿が見えないの。比企谷くん、何か心当たりないかしら?」

655 :1 [sage]:2019/07/17(水) 20:50:00.03 ID:9g2X1Clv0

では本日はこの辺で。続きはまた近日中に。ノシ
656 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:15:30.09 ID:U7GVPbHG0


八幡「 ………… 正直、見当もつきませんね」


雪ノ下が姿を消したという事実を耳にして、驚きのあまり一方ならず動揺してしまう。
そしてそんな俺の様子を、陽乃さんが冷静な目で凝っと見ているのが分かった。

八幡「雪ノ下 ――― いえ、妹さんと連絡がとれないと何か困ることでもあるんですか?」

普通なら一時的に妹と連絡がとれなくなったという多寡がそれだけの理由で、わざわざ朝早く他人の家まで押しかけて来たりはすまい。いや俺ならするかも知れないけれど。

もしかしたら何かしら差し迫った事情でもあるということなのだろうか。


陽乃「そうね。……… 実は今日、あの子と一緒に、今住んでいるマンションの解約手続きをしに行くことになっていたの」

昨日、陽乃さんが口にしていた“明日の事”とは、つまりその事だったのだろう。しかし、

八幡「その手続きってのは直接本人がいなきゃできないもんなんですか?」

俺も詳しくは知らないが、建物自体は元々親の持ち物らしいし、単に解約するだけなら管理会社に電話一本で済みそうな気もするのだが。


657 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:17:46.97 ID:U7GVPbHG0

陽乃「んー、別にそういう訳でもないんだけど …… 」

曖昧な言葉で濁しながら、彼女はそこで一旦言葉を切ったが、

陽乃「お母さんの反対を押し切って勝手にひとり暮らし始めたのは自分だから、最後まで自分でやるって言いだして」

次に口にしたその言葉に妙に納得してしまう。
なるほど、あいつだったらそれくらいのことを言い出しかねない。
もしかしたら雪ノ下にとってのそれは“けじめ”という意味も含まれていたのかもしれない。

陽乃「そうしたら、お母さんが“それならあなたも付き添ってあげなさい”って」

八幡「それってつまり、お目付け役ってことですか?」

途中で気が変わらないように最後まで見届けろ、ということなのだろう。

陽乃「嫌な言い方だけど、その通りね」 そう言って苦笑を浮かべて見せた。

658 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:21:24.71 ID:U7GVPbHG0

八幡「でも、あいつが行きそうなところだったら、俺なんかより貴女(あなた)の方がよっぽど心当たりがあるんじゃないですか?」

それにもし仮に俺が知っていたとしても、絶対に教えるわけがないことだって百も承知だろうに。

しかしそれがわかっていながらも敢えてここまで足を運んだ、ということは、当然何かしらそれなりの思惑があってのことなのだろう。

いずれにせよ、雪ノ下の突然の失踪には今回の留学の件が絡んでいることは間違いあるまい。

まさか心変わりした、というわけでもないだろうが、もしそうだとしても、なぜまた今になって急に翻意したのかという疑問は拭い切れない。

659 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:24:56.89 ID:U7GVPbHG0

陽乃「普通なら、そうね。でも今回は今までとはちょっと勝手が違うみたいなの」

八幡「何がどう違うんですか?」

陽乃「スマホの電源もずっと切ったままにしてあるみたいだし」

八幡「たまたまバッテリーが切れているとかじゃなくて?」

別に珍しいことではない。うっかり充電し忘れてしまうことだってあるだろうし、そうでなくとも古くなったスマホはいつの間にか勝手に電源が落ちていたりするからな。

もっとも俺の場合、スマホはコミュニケーションツールとしてではなく“今スマホしてるから話しかけないでくれオーラ”を演出するためのディス・コミニケーションツールみたいなものなので実際に電源が入っていようがいまいが別に困ることはないし、そもそもわざわざそんなこともしなくても最初から話かけてくる相手からしていないのだが、一応はぼっちの嗜みというやつだ。

陽乃「でも、バッテリーの残量はまだ十分残っているはずなの」

スマホを取り出し、何やらぽちぽちと弄りながら答える。

おいおい、今この女性(ひと)、しれっととんでもないセリフ口にしなかったか? なんでそんなことまでわかるんだよ。
本人の知らないうちに位置情報特定する違法なマルウェアとか仕込んでるんじゃねぇだろうな。カレログじゃなくてイモログ?
もしかしてあいつが電源切ってあんのもそれが原因なんじゃね?

660 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:29:40.06 ID:U7GVPbHG0

ふと陽乃さんの視線が部屋の一点に注がれたまま止まる。

彼女の視線を追うと、そこはクリップポードに留められた家族の写真が数枚飾られている場所だった。

主に小町の写真がメインだが、申し訳程度に俺の写真も数枚混じっている。
家族のスナップ写真で俺だけ見切れているのが多いのは、クソオヤジが小町中心に写しているからだ。

陽乃さんが、「見ていいかしら?」と目で問うてきたので、特に断る理由もない俺は「どうぞ」と、浅く頷いて応える。

陽乃さんはすっと音もなく立ち上がると、俺のすぐ近くを横切り、立ったまま写真を眺め始める。

彼女が今、どのような表情をしているかまでは俺の座っている角度からでは見えない。

661 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:33:42.89 ID:U7GVPbHG0

陽乃「そういえば比企谷くん、この間の校内マラソン大会の時、ゴール間際で転んだんだって?」

不意に陽乃さんが、それこそどうでもいいような話題を振って来た。もしかしたら小町の運動会の写真を見て思い出しでもしたのだろうか。

八幡「そんな話、いったいどこから聞いてきたんですか?」

まるで場違いな質問に多少面喰らいながらも、ついつい問い返してしまう。

陽乃「途中まで隼人と一緒だったんでしょ?」

八幡「ええ、まぁ」 どうやら話の出所は葉山らしい。

三浦に頼まれて文理選択の答えを聞き出そうという目論見があったとはいえ、普段から運動らしい運動ひとつしていない俺が現役サッカー部のエースと並走しようとは、我ながら無茶をしたものである。

学校の部活動はたいてい体育会系と文化系に分類されるものだが、俺の所属する奉仕部はどうかというと、当然、そのどちらでもない系である。

陽乃「相当派手に転んだって聞いてるけど?」

八幡「や、そんなたいしたもんじゃありませんよ。ちょっと膝を擦り剥いたって程度です」

陽乃「 ……… へぇ、そうなんだ」

662 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:38:29.90 ID:U7GVPbHG0

陽乃「 ……… ねぇ?」

やや間をおいて継がれたその声には彼女としては珍しく、遠慮がちな響きがあった。

陽乃「それってやっぱりあの事故の後遺症のせいなの?」

八幡「 ………… 事故?」


気が付くと、いつの間にかすぐ目の前に立つ陽乃さんを俺が下から見上げる形になっていた。

本能的に身の危険を察知し、半ば腰を浮かせかけた俺の肩の辺りが、ぽんと軽く押される。


八幡「え?」


さして力を込めた様にも見えなかったが、絶妙なタイミングで押されたせいか簡単にバランスを崩してしまい、そのまま背中からソファーの上に倒れ込んでしまった。

起き上がろうとする俺の胸の辺りが、やんわりと、だが、有無を言わせぬ柔らかな重みに押し止められる。

この感触は、もしかして ……… ノー〇ラ?!


熱く湿った吐息が顔にかかるほど近く、お互いの鼻が触れ合わんばかりに迫る陽乃さんの顔に、ちょっとしたパニック状態に陥る。


陽乃「どれどれ、その傷とやら、お姉さんにもちょっと見せてごらんなさい」

663 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:44:46.57 ID:U7GVPbHG0

八幡「やっ、ちょっ、なっ?!」

泡喰って抵抗しようにも、この状況で変に押しのけようとして当たったり触ったりしたらかなりマズいものがある。

陽乃「うふふ、よーいではないかぁ♪」

必死に後ずさろうとする俺に、陽乃さんがとろけるような熱っぽい目で這い寄ってくる。しかもこの角度だと胸の圧迫感というか迫力がマジパない。


“それは 胸というにはあまりにも大きすぎた 大きく 柔らかく 重く そして豊満過ぎた それは 正に肉塊だった”


思わず脳内ナレーションが流れてしまう。しかも石塚○昇ボイスで。


八幡「全然よくありませんってば! って、なにどさくさに紛れて上まで脱がせようとしてるんですか?!」

陽乃「ついでよ、ついで。いいじゃない、別に減るもんじゃあるまいし。あら、意外と引き締まってるのね」

八幡「だからそういうことされると俺の神経がゴリゴリ擦り減るんですってば!」

陽乃「ほらほら、すぐに終わるから、あなたは大人しく畳の目でも数えてなさい」

八幡「でもこの部屋フローリングなんですけどっ!?」

陽乃「えいっ」 はむっ


いやぁああああああああ! やめてぇええええええええ!! 耳はらめぇええええええええ!!!

664 : [sage]:2019/07/19(金) 00:49:14.95 ID:U7GVPbHG0

かたんっ


その時、不意に部屋の外から小さな物音が響いてきた。

陽乃さんがすぐにその音に反応して動きを止め、それでもきっちりマウントをとった状態のまま何かしら問うような視線でじっと俺を見下ろす。


雪乃「おやおや、比企谷くんのおうち、大きなネズミでも出るのかしら?」

八幡「 ……… いえ、ネズミじゃなくてネコだと思います」

陽乃「ネコ? …… へぇ、ネコなんて飼ってたんだ? ネコ、好きなの?」

八幡「ええ。ネコは好きですよ。さすがに貴女(あなた)の妹さんほどじゃありませんけど」

今更言うまでもないことだが、雪ノ下のネコ好きはまさに超合金Zかガンダニウム並みの筋金入りだ。


陽乃「 ……… そうね。でもあれは一種の代償行為みたいなものだから」

ごくさらりと陽乃さんが口にした言葉が耳にとまった。


八幡「代償行為? それってあの ……… ?」

陽乃「そ、さすがによく知ってるわね」

全てを口にするまでもなく陽乃さんが俺の考えを読み取る。

陽乃さんの言う代償行為とは、何らかの原因によって欲求が満たされなかった場合に、それに代る行為で代替えしようとする心理行動のことである。

665 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:54:51.89 ID:U7GVPbHG0

俺の言葉を裏付けるようにして、扉の隙間から飼い猫のカマクラが顔をのぞかせ、そのままのそのそと部屋に入って来た。

冬なのにわざと扉を少し開けておく習慣はネコを飼っている家あるあるだ。
もっともこの場合はネコのためというよりも、いちいち戸を開け閉めするのが面倒だという飼い主側の事情によるものが大きいのだが。

ここで犬ならばまず間違いなく飼い主の危険を察知して即座に駆け寄ってくるところなのだろうが、部屋に入って来たカマクラはこちらを一瞥したきり後は見向きもしない。

別に俺が嫌われているとか、家族のヒエラルキーの中でも一段低く見られていると言うわけでもないし、できればそう思いたい。
ネコはイヌと違って多分に野生が残っているらしく、例え相手が誰であろうとまるで気兼ねすることなく勝手気儘、悠々自適に振る舞う可愛らしくも憎たらしい生きものなのである。


陽乃「名前はなんていうの? あ、あなたじゃなくてもちろんネコの方ね?」

八幡「 …… いちいち断らなくてもそれくらいわかりますから。えっと、カマクラです」

陽乃「ふーん。カマクラ、ね。おいで、カマクラ」

カマクラは陽乃さんに名前を呼ばれると甘えた声でにゃあとひと鳴きし、そのままとことこソファーまで近づいてきてごろんと横になる。
あまつさえ撫でれとばかりに腹まで見せやがった。

おいおい、お前の野生の矜持と飼い主である俺の立場はいったいどこにやったんだよ。 

666 :1 [sage]:2019/07/19(金) 00:57:44.87 ID:U7GVPbHG0

陽乃「私はてっきり比企谷くんは犬派だとばかり思ってたんだけどなー」

ソファーから乗り出すようにして俺の身体越しにカマクラの腹をふにふにもふもふと撫で摩りながら、陽乃さんが問うともなしに問うてきた。
カマクラが気持ち良さそうにごろごろと喉を鳴らす。

八幡「別に犬も嫌いってわけじゃありませんけど。でもどうしてそう思ったんですか?」

陽乃「そうね、犬好きの匂いがするっていうか?」

八幡「犬好き?」

思わずくんくんと袖の匂いを嗅いでみる。なるほど、確かに負け犬の匂いならプンプンしてるかしれませんけど? しかも血統書付き。

陽乃「だって、あの時もあんな必死になって車に飛び込んで来たじゃない?」

八幡「 ……… あの時?」

さきほどからの話の流れもあって、それが高校入学初日に起きたあの事故のことを意味しているのはすぐにわかった。
しかし、まるでその場で見ていたかのような口ぶりに違和感を覚え、つい同じ言葉で聞き返してしまう。


陽乃「あら、言ってなかったしら?」

言いながら、陽乃さんは今度は俺の耳元に睦言のようにそっと囁く。


陽乃「キミが事故に遭った時、私も雪乃ちゃんと一緒にあの車に乗ってたんだよ?」

667 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:02:54.44 ID:U7GVPbHG0

驚きのあまり思わずがばりと半身を起こすと、バランスを崩した陽乃さんがわざとらしく嬌声を上げる。

カマクラがビクリと跳び退き、そのままソファの陰へと逃げ込んでしまった。

陽乃「もしかしてやっとその気になったのかしら?」

八幡「なってませんて。じゃなくて、そんなこと今まで一度も言ってませんでしたよね?」

陽乃「そうだったかしら。それに、わざわざ話すようなことでもないでしょ?」

八幡「でもそれだとまるで、あなたは最初から全部知ってたみたいじゃないですか」

陽乃「もちろん全部というわけじゃないんだけどね。お父さんの立場もあるからって、キミのことは何も教えてもらえなかったし」

そういえば、あの事故の事後処理は弁護士を通じて内々のうちに示談で済ませたと聞いている。
元はと言えば勝手に路面に飛び出した俺が悪いわけであって、うちの親も恐縮しきりだったらしいが、結局のところ押し切られる形で治療費は全額負担してもらっているはずだ。
別に俺が文句を言えるような立場でも筋合いでもあるまい。

668 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:05:59.08 ID:U7GVPbHG0

その時、閃きにも似たある考えが俺の頭に浮かぶ。

八幡「もしかして、あの時、間に入った弁護士さんって ……… 」

陽乃「そ。お父さんの会社の顧問弁護士。つまり、隼人のお父さんよ。といっても、普段は交通事故の示談なんかは扱ってないみたいだけど」

八幡「ってことは、葉山も事故のことを?」

陽乃「 ……… そうね、知っていたとしても不思議はないかもしれないわね」

そんな素振りを露ほども見せなかったのは、父親の仕事とはいえ、やはり依頼人に対する守秘義務があったからなのだろうか。

陽乃「あ、それから」

八幡「 ……… まだ何かあるんすか」

陽乃「ちなみにあなたの運ばれた病院、あれ、隼人のお母さんのところよ」

当たり前のような顔で、とんでもないことを言ってのける。

さすがにそれはできすぎだろう ……、と言いたくもなるところだが、必ずしもそうとは言いきれないないところに逆に怖いものを感じる。
当初から示談に持ち込むことを念頭に置いていたのだとしたら、その方が色々と都合がよかったことだろう。

サブレの飼い主である由比ヶ浜、庇って車に跳ねられた俺、跳ねた車に乗っていた雪ノ下、示談の間に立った弁護士と俺の運ばれた病院の女医さんの息子である葉山。

なんの因果なのか、どうやら俺達は運命の糸というやつで最初からがんじがらめに縛られていたらしい。

669 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:08:44.68 ID:U7GVPbHG0

陽乃「雪乃ちゃんもあの事故のことはずっと気にしてて」

八幡「ああ、あいつもアレでいて案外、気にしぃなところがありますからね」

完璧主義故の潔癖症なのだろう。他人にも厳しいが自分にも厳しい。そしてなぜか俺に対しては一番厳しい。それってなんかおかしくね? 普段の俺に対する言動の方をもっと気にしろよ。


陽乃「あの子もあの子なりに色々と手を尽くして調べていたみたいなんだけど、あの事故のことはおろか、あなたの存在すら誰も知らなくて」

そこで陽乃さんはなぜか改めて俺の顔をまじまじと見つめる。


陽乃「 ……… あなた、いったい何者?」

八幡「 ……… いや、ただのぼっちなんですけどね」

670 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:12:55.26 ID:U7GVPbHG0

陽乃「それにしても、ほとんど諦めかけてたから、まさかあんな形で再び会うことになるとは思いもよらなかったわ。今だから言うけど、初めてキミが雪乃ちゃんと一緒にいるのを見た時は、ホントびっくりしたものよ」

そうは見えなかったが、このひとのことだ。気がついても素知らぬフリをするくらい雑作もないことなのだろう。

陽乃「 ……… てっきり雪乃ちゃんに先を越されたのかと思ったんだけど」

八幡「先を越すって ……… 何がですか?」

俺のその言葉を陽乃さんは曖昧な微笑(えみ)を浮かべて誤魔化した。


八幡「ところで、貴女はどうしてそれが俺だとわかったんです?」」

陽乃「私は静ちゃんから聞いたの」

なるほど、被害者と加害者が共に学校の関係者であるならば、当然学校側があの事故のことを把握していたとしても何ら不思議はあるまい。
本来ならもっと大騒ぎになってもおかしくないはずなのだが、相手が県議とあって学校側も色々と忖度したのやも知れない。

だとすると、もしかしたら俺があの部室の連れて来られたのも、決して単なる偶然なんかではなかったということなのだろうか。

全てを知っていながらも敢えて事故のことを俺たちに黙っていたのも、平塚先生なりに何かしら思うところがあったのかも知れない。
自ら抱える悩みや問題を自力で解決させることが奉仕部の主旨であるとするならば、それは自ずと部員にも適用されるということか。

いかにもあの先生の考えそうなことではある。

671 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:17:32.05 ID:U7GVPbHG0

陽乃「 ――― さっきの話の続き、なんだけど」

あねのんの言葉にふと我に返る。

陽乃「実はあの子はね、昔はどちらかというとネコよりもイヌ好きだったのよ」

八幡「それが ――― どうしてあんなに苦手になったんですか?」

陽乃「なぜだと思う?」

八幡「小さい頃あなたが面白半分にイヌをけしかけた、とか?」

陽乃「あ、惜しい! ……… でも、確かにそんなこともあったかしらね」


…… あったのかよ。嫌味で言ったつもりだったのに。いや、この人ならマジでやりかねないから怖いんだよな。

獅子は千尋の谷から我が子を突き落とすというが、あねのんなら教育的指導とかいう名目で更にその上から平気で岩とか投げ落とすまでしそう。
もうシゴキとか体罰っていうレベルじゃねぇだろ。虐待だ虐待。児童相談所何やってたんだよ。

そう考えると雪ノ下の抱える幼少期のトラウマの八割方はこの姉のせいなのかもしれない。もちろん血筋もあるが、あの加虐的な性格も多分に影響を受けているのだろう。

672 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:23:46.26 ID:U7GVPbHG0

陽乃「昔、ふたりでお父さんにおねだりして仔犬を買ってもらったことがあってね」

そのまま語り続ける陽乃さんの声が、いつの間にかいまだかつて聞いたことのないよう湿り気を帯びる。

陽乃「とても可愛がっていたんだけど、その犬が私たちの見ている目の前で車に轢かれちゃって」

八幡「 ……… 」

陽乃「あの子、その犬を抱えたまま、ずーっと泣いててね。あれ以来、犬、それも小さな犬は特に苦手みたい。多分、あの時のことを思い出しちゃうからじゃないのかな」

遠くを見るような目で何もない空間を見つめながら小さく付け加える。

陽乃「雪乃ちゃんが他人、それも男の人に対してあそこまで関心を持つなんて珍しいな、って思ってたんけど」

そこで言葉を切り、再度俺に顔を向ける。

陽乃「見ず知らずの犬を庇うために車の前に身を投げ出されちゃっりなんかしたら、例えガハマちゃんじゃなくってもキュンってしちゃうのは当然なのかも知れないわね」

673 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:27:11.95 ID:U7GVPbHG0

八幡「あの、ひとつ聞いていいですか?」 

陽乃「何かしら?」

八幡「由比ヶ浜の父親が務めている会社のことなんですけど」

陽乃「 ……… 驚いた。そんなことまでいったいどこから訊いてきたの?」

余程意外だったのだろう、一瞬だけだが素で驚いた表情を浮かべる。

俺はその問いには答えず、質問を続けた。

八幡「雪ノ下にはそのことを?」

陽乃「いいえ。私からは何も伝えてないわ。もしかしたらそのことでガハマちゃんと何かあったのかしら?」

八幡「由比ヶ浜とは昨日直接会いましたけど、そんな話はしてませんでしたから、多分それはないはずです」

万が一耳に入っていたとしたら、あいつの性格からして話がもっとややこしくなっていたことだろう。


陽乃「ふぅーん、お休みの日に、ふたりで? それってもしかして、デートってことかしら?」

意地悪な笑顔を浮かべたかと思うと、素知らぬ顔でいきなり俺の太腿のあたりを抓る。

八幡「ってててて! そ、そんなんはありませんてば!」

陽乃「あらら、な―んだ、つまんない。それじゃあ、いったい何をしていたの? 正直にいってごらんなさい?」

八幡「や、なにって、……… 単にふたりで映画見て、メシ食って、街をぶらぶらして、お茶して、ポートタワーから夜景眺めただけですけど」


陽乃「 ……… 比企谷くんは知らないかもしれないけれど、それを世間一般ではデートって言うんだよ?」


674 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:29:04.24 ID:U7GVPbHG0

陽乃「それで、雪乃ちゃんは昨日キミがガハマちゃんと会ってたことは知ってるの?」

八幡「ええ、その事は由比ヶ浜から直接伝えたって聴いてます」

陽乃「 ……… ふーん。なるほど、ね。 それで、か」

何やらひとり得心がいったようにふむふむと頷いたかと思うと、

陽乃「やれやれ、今更逃げたところでどうにかなるってわけでもないのにね」

呆れたようにそう呟く。

八幡「逃げる? あいつが? 何からですか? 別に逃げてるってわけじゃないんじゃないですか」

逃げるという言葉があまりにも雪ノ下に似つかわしくなかったせいもあるが、俺よりも彼女をよく知るはずの相手なのに、それでもつい庇うような口調になってしまう。

陽乃「そうかしら? 私はそうは思わないけど」

そういうところはちっとも変わってないのよね、と、ひとりごちるように付け加えた。

675 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:30:59.83 ID:U7GVPbHG0

陽乃「さて、と、コーヒーご馳走様」

訊きたい事は全て聞き出したのか、それともこれ以上ここに居たところで何も得るものはないと判断したのか、陽乃さんがあっさりと俺の上から身を離す。

八幡「無駄足踏ませてしまったようですみませんね」

陽乃「あら、なんのことかしら?」

俺の精一杯の皮肉に、あねのんは毛一筋すらも動かすことなく素知らぬ顔で応えた。

676 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:34:41.44 ID:U7GVPbHG0

陽乃さんを玄関先まで見送ると、ちょうど、帰って来た小町に出くわす。

小町「あれ、もう帰っちゃうんですか?」

その両手には菓子類の詰まった大きなコンビニの袋。こいつ、俺の金だと思っていったいどんだけ買い込んできたんだよ。


陽乃「ごめんなさいね、また今度時間のある時にゆっくり寄らせてもらうから」

小町「どうぞどうぞ! 陽乃さんなら、いつでも大歓迎です!」

陽乃「ふふふ。ありがと。小町ちゃんたらホントに可愛いわね。もう、食べちゃいたいくらい」

言いながら両手の塞がった小町をそのままぎゅっと胸に抱き寄せる。

小町可愛いという点においては俺も激しく同意せざるを得ない。
もはや国民的妹と言っても過言ではない小町を育てたのは実はワシなんじゃよガハハハとか言って自慢したくなるレベル。
もっとも、育てたのは俺ではなくて親なのだが、俺の記憶している限り小さい頃からほとんど手のかからない子だったのでそれすらも怪しい。

それにしても実の妹に対しては苛烈なまでに厳しいくせに、他人の妹にはやたらと優しいのな。

もしかしたら、ある意味それが彼女自身の代償行為なのかも知れない、――― ふとそんな考えが脳裏を過る。


小町「あわわわ、可愛いだなんてそんな正直な! あ、でも食べるんなら兄の方が超おススメですよ。もう目のあたりから腐りはじめてますけど、お肉は腐りかけが一番美味しいっていうし、今だったら消費期限ギリギリアウトです」

八幡「なんでアウトなんだよ」


小町「それに、今度はうちの両親揃っている時に来てもらえたりするとポイント高いですよ!」

陽乃「そうね、私も常々是非一度、比企谷くんの親の顔が見てみたいと思っていたところなの」


八幡「 ……… それ、明らかに違う意味で言ってますよね?」

677 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:37:46.47 ID:U7GVPbHG0

陽乃「じゃ、比企谷くん、もし、雪乃ちゃんから何か連絡があったら教えてね。決して悪いようにはしないから」

八幡「ええ、覚えておきます」

陽乃「あ、それから」

片目を瞑り、艶っぽく付け加える。

陽乃「さっきの続きはまた次の機会に」

八幡「 ……… それだけは絶対にありえませんから」

雪ノ下の名前を耳にした小町が何かしらもの問いたげな表情を浮かべてそっと俺の顔を窺がう。

俺は迷った挙句、無駄だとはわかりつつも既に背を向けている陽乃さんに声を掛けた。

八幡「あの、余計なお世話かもしれませんけど、いくら妹だからってあまり干渉し過ぎるのも却って逆効果なのかもしれませんよ」

扉に手をかけていた陽乃さんが、ふとその動きを止めたが、振り返ることなく答える。


陽乃「 ――― 私にはこんなやり方しかできないの。知ってるでしょ?」


外の世界と家の中を隔てる玄関の扉が、いつもより少しだけ長く、もの悲しい音を曳いて閉まる。

ややあって、隣に立つ小町がくいくいと小さく袖を引きながら、俺に向けてそっと呟いた。



小町「 ……… お兄ちゃん、それって特大のブーメランだと思う」

678 :1 [sage]:2019/07/19(金) 01:41:00.96 ID:U7GVPbHG0

では、本日はここまで。ノシ

やっと終わりが見えてきました。今しばらくお付き合いください。
679 :1 [sage]:2019/07/19(金) 08:33:53.85 ID:U7GVPbHG0

まぁ、他にも色々とあるんですが、ここだけ修正しときます。

>>614 6行目


そこで少しだけ間を置き、できるだけ当たり障りのない紹介しようと三浦の顔色を窺いながら慎重に言葉ぶ。
                      ↓
そこで少しだけ間を置き、できるだけ当たり障りのない紹介しようと三浦の顔色を窺いながら慎重に言葉を選ぶ。


>>673 10行目

八幡「ってててて! そ、そんなんはありませんてば!」
           ↓
八幡「ってててて! そ、そんなんじゃありませんてば!」
680 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:22:53.35 ID:018m0W4j0

転章なので今回は短めです。
681 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:29:28.52 ID:018m0W4j0

小町「そう言えば、お兄ちゃん、どこか出かけるんじゃなかったの?」

陽乃さんが去った後、小町が思い出したように話しかけてくる。

八幡「いや、予定変更だ」

先ほど家に招き入れた際、陽乃さんは玄関先でごくさりげなくだが靴を物色していた。
リビングでも一見寛いでいるようでいて、実は家の中に他に人の気配がないかと耳を欹(そばだ)てていたことにも気が付いている。

ということは、彼女が俺の家まで来た理由はひとつ ――― 雪ノ下がここにいないかと勘繰ってのことなのだろう。

俺に変なちょっかいをかけてきたのも、妹を誘き出そうとしてのことだとすれば十分頷ける。

もっともあの女性(ひと)の事だ。
もしかしたら単に俺に対する嫌がらせのためだけにわざわざ家まで押しかけて来たという可能性もなきにしもあらずなのだが。
何といっても目的のためなら手段を選ばないどころか、手段のためなら目的すら選ばないところまであるからな。

682 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:32:21.68 ID:018m0W4j0

八幡「あー…、それより小町、悪いけどちょっと金貸してもらえないか?」

昨日の由比ヶ浜とのお出かけと先程のお茶請けの菓子代で、ただでさえ乏しい俺の軍資金は既にほぼ底を尽きかけている。
どこへ行くという宛てがあるわけでもないのだが、いざという時に今手持ちの金だけでは少しばかり心許ない。

小町「またぁ? 小町だって今月は結構ピンチなんだよ?」

八幡「や、ほら、倍にして返すから ……… 宝くじで三億円当たったら」

小町「 ……… 三億円当たっても倍にしかならないんだ。っていうか、お兄ちゃん宝くじなんて買ってないじゃない」

八幡「いや、買ってるだろ、オヤジが」

小町「こんな時まで親の脛齧るつもりなんだ!? 地道に働いて自分で返すつもりがない時点でお兄ちゃん人として始まる前にもう終わってるよ?!」

八幡「よしわかった。そこまで言うんなら体で返す」

小町「 ……… それってクズ男が女からお金をせびる時のテンプレ文句だってば。 っていうかいらないしマジいらないしホントいらない」

八幡「なにをうっ! お兄ちゃん、お前をそんな薄情な子に産んだ覚えはないぞっ?!」

小町「 ………… 小町だってお兄ちゃんに産んでもらった覚えないけど」

683 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:37:26.75 ID:018m0W4j0

小町「やれやれ、でもそういうことなら仕方ないか」

ちょっと待ってて、と言い残して姿を消したかと思うと、しばらくして年頃の女の子にあまり似つかわしくない地味な茶封筒を片手に戻ってくる。

小町「はいこれ」

俺に向けて差し出された封を受け取って中を覗くと、そこにはピン札が数枚。

八幡「何これどうしたんだ?」

小町「ん? ヘソクリ」

ドヤ顔でいかにも得意げに胸を張って見せるが、残念ながらその手のマニアでもなければ腹と胸の区別すらできない。

八幡「いいのか、こんな大金?」

小町「雪乃さんのためなんでしょ? だったら小町だって、ひと肌もふた肌も脱いじゃうよ」

うんうん、やはり持つべきはよくできた可愛い妹だな。でもとりあえずお前も年頃の娘なんだから、脱ぎ散らかした下着は自分で洗濯カゴに入れるくらいしような?

小町「それに、お兄ちゃんのためでもあるもんね。あ、これって小町的にポイント高いかも」

八幡「 ……… 小町」

ポイント云々はともかく、感動のあまり思わず目を潤ませる俺に、小町が後ろ手を振りながら当たり前のような顔で付け加える。


小町「あ、利子はいいからね。それ、お父さんのだし」

684 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:38:51.98 ID:018m0W4j0


* * * * * * * * * *


685 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:45:40.32 ID:018m0W4j0


小町「 ―――― で、結局もう諦めて帰ってきちゃったの?」


ソファーにぐったり凭れかかるようにして仰向けになる俺に、小町が呆れ顔で声をかける。

八幡「 ……… いや、捜すにしたって、千葉、広過ぎだろ」

県外にお土産として持ってくと湿気ていると勘違いされてしまいがちな銚子の濡れ煎でさえ平気で食べることのできるほど千葉愛に満ちた俺としては、誇らしいと思う反面こんな時ばかりはやはりげんなりしてしまう。
ちなみにフツウの煎餅は湿気ると柔らかくなるものだが、濡れ煎は湿気ると逆に固くなる。一応これも千葉のマメチな?

小町「そのへんブラブラしてて、どこかで偶然ばったりってことはないの?」

八幡「 …… なんだよそのベタな展開」

生まれながらにして神懸かったアンチ恋愛体質の俺のことだ。例えトーストを咥えて交差点で飛び出したところで、せいぜいまた車に轢かれるのが関の山だ。

それどころか下手をすると当たり屋と間違えられて警察に捕まるかもしれない。

686 :1 [sage]:2019/07/20(土) 23:53:40.40 ID:018m0W4j0

小町「雪乃さんが行きそうな場所とかわかんないの?」

八幡「さっき陽乃さんにも同じこと聞かれたけど、正直言ってホントに見当もつかん」

小町「 ……… お兄ちゃんって、ホント使えないね。知ってたけど」

八幡「使えない言うな」

同じ学校、同じ学年とはいえ本来、代議士の娘である雪ノ下と社畜の息子に過ぎないこの俺とでは天と地ほどの差がある。
活動範囲どころか住む世界からして既に異なる。
あたかもロミオとジュリエットのようだと言えば聞こえがいいが、要は格差社会のモデルケースみたいなものだ。

八幡「だいたい、千葉にいると限ったわけでもないだろ。さすがに車はないにしても電車とか …… 青春18きっぷ一枚でどこまで行けると思ってんだよ?」

小町「でも雪乃さん、まだ17歳じゃなかったっけ?」

八幡「一応言っておくが18きっぷは年齢に関係なく買えるからな?」

しかしよく考えてみれば罪つくりなネーミングだよな。

みどりの窓口で、もじもじしながら小声で「せ、青春18きっぷ下さい」とか口にしている平塚先生の姿が目に浮かぶようだ。

小町「あ、だったら想い出の場所とか、どう?」

八幡「想い出の場所?」

知り合ってまだ一年に満たない俺達に、想い出の場所などあるだろうか?

メッセ、ららポート、千葉村キャンプ場、修学旅行で訪れた奈良京都の名刹、東京ディスティニーランド、幕張のコミュニティセンター、…… 結構あるもんだな。

さすがに遠方はないだろう。あいつ、人込み苦手だし方向オンチだし。初見の場所では予めパン屑でも捲いておかない限り戻って来られそうもない。

しかしそうなると、直近でしかも近場と言えば奉仕部の部室くらいしか思いつかないが、さすがに休みの日に特別棟には入れないはずだ。

687 :1 [sage]:2019/07/21(日) 00:05:58.60 ID:4msA1/n50

その時、今までどこに隠れていたものか、再び姿を現したカマクラがテーブルの上に飛び乗った。

小町の買ってきた袋の中身が気になるのか、コンビニ袋に首を突っ込んで中をガサゴソと物色しているうちに、偶然置きっぱなしだったリモコンを踏んづけ、その拍子にテレビの電源が入る。

画面に映し出されたのは、バラエティ番組か何かだ。いつもなら気にも留めないわざとらしい笑い声が今は耳について煩わしい。

しかし、すぐに切ろうと伸ばしかけた手がそこで止まる。

コマーシャルに切り代わって画面に登場したのは笹の葉を咥えた凶暴な面構えのパンダのキャラクター ―――― パンさんだ。

そういや昨日、映画館でも3Dリメイク版が近日公開だとかいって予告編が流れてたっけか。

パンさんが酔っ払って千鳥足で酔拳を繰り出し、悪役をばったばったと薙ぎ倒すシーンでは、既に聞き慣れたテーマ曲が流れ始める。


―――――――― そうか!


閃くものを感じた俺はソファーに置きっぱなしだった上着を引っ掴む。


小町「お兄ちゃん?!」


背後で小町が声を上げるのが聞こえたが、一縷の望みに賭けた俺は振り返ることもなくすぐさま駅へと走った。

688 :1 [sage]:2019/07/21(日) 00:07:40.27 ID:4msA1/n50

それでは短いですが、本日はこの辺で。ノシ゛
689 :1 [sage]:2019/07/27(土) 19:56:47.78 ID:/20m2WhF0

おっとっと。次の更新はできれば今月中、遅くとも来週中に。
690 :1 [sage]:2019/08/10(土) 21:10:27.83 ID:hNAt3JfZ0

この暑さの中で冬の話なんて書いてられっけ!(逆ギレ

スミマセン、調子に乗りました。もう少しお待ちください。
691 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/09/06(金) 16:22:16.94 ID:06hZQm3Do
おつかーれ
692 : [sage]:2019/11/07(木) 02:36:09.53 ID:kw0kl4XjO

* * * * * * * 

693 : [sage]:2020/01/07(火) 10:34:36.13 ID:zsmSax3y0

原作完結したのにまだ終わらん(白目
694 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/07(火) 23:25:35.85 ID:ncIkGJ6t0
ここが完結するのをずっと待ってるよ
〈●〉〈●〉
695 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/22(水) 12:13:32.59 ID:DtROEQsDO
由比ヶ浜にやった事の責任を取らせるよね?
雪乃が不利な状況で抜け駆けという最低な行為までやっておいて、このまま八幡や雪乃と人間関係を続けるとか都合が良すぎると思う
696 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:28:20.01 ID:0yGjL3CR0

ガラスに映る俺の姿を見た雪ノ下の顔に驚きの表情が広がる。


雪乃「 ……… どうして、ここだとわかったの?」

振り返ることもせず、努めて淡々と問う声にも明らかな狼狽の色が滲む。

八幡「正直、ここしか思いつかなかったんでな」

最寄りの駅からここまで走って来たせいで弾む息を抑えながら、そのまま彼女の傍らに並ぶようにして立つ。

葛○臨海水族館 ――― 先日、俺と雪ノ下、そして由比ヶ浜の三人で初めて訪れた場所である。

もし雪ノ下に心残りがあるとするならば、あの時自らの願いを口にすることの叶わなかったこの場所をおいて他にあるまい。
それにここは彼女の住まうマンションから目と鼻の先でもある。

いつぞや聴いた雪ノ下のスマホの着信音 ――― パンダのパンさんのテーマを耳にして、もしや、と思ったのだが、いつもはつれない運命の女神も、どうやら今回ばかりは俺に向けて微笑んでくれたらしい。
697 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:30:16.78 ID:0yGjL3CR0

雪ノ下の視線が水槽の中を悠々と泳ぐ魚の姿を追う。先日見た赤い魚とは違う別の魚だ。

雪乃「きっと、あの魚にはここは狭すぎたのね」

ガラスの表面をなぞるように指先で触れながら、寂しそうにぽしょり呟くのが聴こえた。

八幡「そうとも限んねぇんじゃないのか? 単に見つけられないだけなのかも知れんぞ。 ほら、赤いのは三倍速いって言うしな」
 
彼女の声の響きに居た堪れないものを感じた俺は、根拠もないままついまぜっ返してしまう。

雪乃「 ―――― 相変わらずそういう嘘は下手なのね」

そんな俺に、雪ノ下が小さく笑い、でもありがとう、と付け加えた。それがいったい何に対する礼なのかは俺にも解らない。

698 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:33:56.15 ID:0yGjL3CR0

雪乃「 ……… あなた、ひとりなの?」

何かしら意を決したかのように短い問いを口にする。

八幡「ここに来たのは俺ひとりだ」

気の利いた言葉を添えようと思ったのだが、すぐに無駄だと気が付いて諦める。

今ここには由比ヶ浜はいない。どのような理由があるにせよ、その現実が今更のように重くのしかかる。

雪乃「 ………… そう。でも、いいの?」

初めて俺に向けられた瞳が、水槽の照り返しを受けて薄暗がりの中で複雑な色を孕んで揺らぐのが見えた気がした。

八幡「 ―――― ああ。最初(はじめ)っから俺にも選択肢なんてもんはなかったんだ」

考えるまでもなく俺の出すべき答えは決まっていた。
いずれその答えを求められる日が来ると知りつつも、変化を恐れるあまり、敢えて見て見ぬふりをして先送りにしていた。
ただ単に、それだけのことなのだから。

699 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:38:15.77 ID:0yGjL3CR0

八幡「どうするつもりなんだ、これから」

留学のこと、葉山とのこと、そして俺達のこと。全てを含ませた上での俺の問い。

雪乃「正直、どうしたらいいのか、私にもわからないの」

雪ノ下が小さく首を振りながら答える。

雪乃「どうしようもないことなの」

明確に応えることができない、その苦し気な胸の内を吐露するかのように付け加えられた言葉は、まるで自分自身に対する言い訳のように聞こえた。

八幡「お前らしくないな」 

自分でも思いがけずその言葉が口を衝いて出る。
俺の知る、いや、少なくとも知っているはずの雪ノ下は、誰の前であっても決してそんな弱音を口にすると考えもしなかったからだ。


雪乃「あなたの言う私らしさって、何?」

間髪入れず返されたその問いが、行き場を喪い力なく宙に霧散する。

そしてその声の響きは、以前、俺に対して同じセリフを口にした、とある少女を思い起こさせた。

今となっては彼女たちに対する俺の認識も、全て単なる思い込みや、勝手な理想の押しつけに過ぎなかった、ということなのだろうか。


八幡「 ……… そうだな。悪かった」

自己嫌悪に囚われ、ただありきたりな言葉でしか謝罪することのできない俺に、雪ノ下は少し困ったような表情を浮かべ、


雪乃「 ―――― 出ましょうか」

静かにそう促すと、返事を待つことなくしずしずと出口に向けて歩き始めた。

700 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:40:45.60 ID:0yGjL3CR0

いつの間にか、外は白い雪が舞い始めていた。


薄暗い屋内にいたせいもあるのだろう、鉛色の雲に覆われた空の色でさえ沁みるように眩しく感じられる。

振り向けば今出て来たばかりの建物の上に覆い被さる半円形のドームが地平線に埋もれた月の骨のように見えた。

周囲は他に目立った建物や他の人影もなく、その寒々とした景色は、あたかも別の星にふたり、ひっそりと取り残されたような錯覚すら覚える。

白くけぶる息を身に纏わりつかせようにしながら音のない世界を宛てどもなく歩き続け、舞い散る雪の中に霞む彼女の姿は、手を伸ばせば届く距離だというのに、まるで今にもどこか遠くに消え失せてしまうのではないかと思われるほど切なく儚げに見えた。

701 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:42:35.70 ID:0yGjL3CR0

八幡「 ――― どこ行くつもりなんだ?」 

行きたい処があるの、少しだけつきあってもらえるかしら ――― 水族館を出る時に、それだけしか聞かされていない。

俺の声に気が付いた彼女は、僅かに歩調を緩めたが、振り返りもせず答える声だけが風に乗って届く。

雪乃「ごめんなさい。もう一度あれに乗ってみたくて」

言いながら仰ぐ雪ノ下の視線を追う俺の目に映ったものは、あの日、三人で乗った大観覧車だった。


702 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:44:23.58 ID:0yGjL3CR0

ゆっくりとはいえ、常に回り続ける観覧車に乗り込むタイミングというのがこれでいてなかなか難しい。

地方から出てきたお年寄りがエスカレーターに乗る時のおぼつかない感覚も恐らくはこんな感じなだろう。

ついそんな余計なことを考えていたせいか、


八幡「ほら」

先に乗り込んだ俺は、無意識のうちにいつものクセが出て、妹に対してやるような調子で雪ノ下に向けて手を差し延べてしまう。

目の合った瞬間、相手が小町ではないことを思い出し、少しばかりバツの悪い思いをしながら、慌てて手を引っ込めようとすると、

雪乃「 ……… ありがとう」

呟くような小さな礼とともに、小さく冷たく、まるで氷のように滑らかな感触が俺の掌の中にすべりこんできた。

703 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:47:05.06 ID:0yGjL3CR0

雪乃「 ―――― どういった風の吹き回しかしら?」


斜向かいの席に腰を下ろして程なく、雪ノ下が静かに口を開く。

手にした半券に目を落としているのを見て、それが観覧車のチケットを購入する際に俺が黙ってふたり分払ったことを意味していると気が付く。


八幡「 …… ん? ああ。こんな時は黙って男の方が出すもんだって、小さい頃からよく躾けられてるんでな」

雪乃「随分と古風なご家庭なのね。それとも、もしかしたら妹さんがいるせいなのかしら?」

八幡「いや、俺をそう躾けたのは小町なんだけどね」

雪乃「いつもふたこと目には“金がない、金がない”ってまるで口癖のように言っていたと思うけれど?」

多少押しつけがましいかとも思ったのだが、俺を見るその目が悪戯っぽく笑っているのを見る限り別に気分を害しているというわけでもないらしい。

しみったれた男だと思われるのもなんかアレな気がしたので少しばかり見栄を張る。


八幡「そのことだったら心配すんな。どうせ金の出処は隠してあった親父のヘソクリだし」

雪乃「 ……… 心配するなと言われてもそれを聞かされたら余計に心配になるのだけれど」

704 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:52:40.39 ID:0yGjL3CR0

そんな他愛のない会話を交わしているうちに、ふつりと会話が途切れてしまう。


八幡「あー……、お前のマンションって、確かあっちの方だったっけ?」

ゴンドラ内を漂う微妙な空気を誤魔化すようにして、朧げな記憶を頼りにツインタワーの方角を示す。


雪乃「そうだったかしら。ここからじゃよく見えないわね」

形ばかりに窓の外を一瞥しただけで返って来たそっけない返事は、この間とは座っている位置が違うからなのだろう。

だが、ゴンドラの高度が上がるにつれ、ただでさえ白い顔が更に色を失くしてゆくのを見て、そういえばこいつが高い処を苦手としていたことを思い出す。

恐いんならわざわざ乗らなきゃいいだろ、と言いたくもなるのだが、女子って恐い恐いとかいいながら遊園地の絶叫マシンとかにも率先して乗りたがるのな。
嫌よ嫌よも好きのうち、とは女性心理の不可解さを表す常套句ではあるのだが、俺の経験からしてマジで嫌われているだけ、という可能性の方が高いので決して鵜呑みにしてはいけない。


雪乃「良かったら、もう少し端に寄ってもらっても構わないかしら?」

八幡「ん?」

背後の窓越しに何か見えるのかしら、と振り返りながらも言われるがままに尻の位置をずらす。
すると、雪ノ下が無言のまま立ち上がり、くるりと体の向きを変えたかと思うと、すぐさま、すとんと俺のすぐ隣に腰を下ろす。


雪乃「隣に誰かいるだけでも少しは違うから」

消え入るような小さなその声は後からついてきた。

八幡「お、おう。そ、そか」

すぐ近くに感じる雪ノ下の体温のせいか、ゴンドラ内の空調は変わらないというのに、急に頬が火照り始めたような気がした。

705 :1 [sage]:2020/03/09(月) 01:55:14.30 ID:0yGjL3CR0

リハビリを兼ねて少しだけ更新。近日中にまた。ノシ゛
706 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:17:21.91 ID:IsKPfli80

今日は生憎(あいにく)の空模様だが、日本最大級を謳うだけのことはあり、晴れた日の観覧車の窓からは東京都庁やスカイツリーはもちろん、房総半島や海ほたる、遠くは遥々富士山さえも望むことができるらしい。

実は富士山くらいなら総武線沿線からでも日常的に目にすることができる、というのが千葉市民の数少ない自慢のひとつだったりするのだが。

ちなみに現在のところ日本最大の観覧車は大阪エキ〇ポシティのレッド〇ースオーサカホイールなんだそうだ。
高さ123m、72基あるゴンドラは床面は全てクリア素材で、しかも一周するのに18分もかかるとあっては、高所恐怖症の人間にしてみれば絶叫マシンどころか、まさに拷問部屋に等しいとすらいってもいいくらいだ。
わざわざそんなものに、しかも金払ってまで乗りたがるヤツなんて、せいぜいバカとハサミくらいのものだろう。何か違うか。

707 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:19:46.91 ID:IsKPfli80

そういや前回この観覧車に三人で乗った時、由比ヶ浜が「観覧車の頂上でキスしたカップルは永遠に別れないんだって」とかなんとか、どこかで聞き齧ったような頭の悪そうなジンクスをさも得意げに披露してたっけか。

あの時は「いやそれ単なる吊り橋効果なんじゃねぇの?」と、鼻先で嗤って軽く聞き流していたのだが、改めて狭い空間にこうしてふたり、肩が触れ合わんばかりの距離で座っていれば嫌でも意識してしまう。

さすがに少しばかり居心地の悪くなった俺が、さりげなく座る位置をずらそうと膝の上で組んでいた手を解いて脇に下ろすと、偶然、雪ノ下の手に軽く触れてしまった。

八幡「や、すまん」

あたふたと謝り、慌てて離そうとした俺の小指に、先ほどから黙りこくったまま俯く雪ノ下の小指がそっと絡みついてきた。

ふと見れば、艶やかな黒髪の隙間から覗く彼女の耳が微かに赤く染まっていることに気が付く。

結局、俺はそのまま何も言わずに視線だけを窓の外へと逃した。

708 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:22:23.58 ID:IsKPfli80

雪乃「 ……… ごめんなさい。あなたの期待に沿えなくて」

窓の外を眺める俺に耳に、雪ノ下がぽしょりと呟く声が届いてきた。

八幡「 ―――― 期待?」 

その言葉の意味を理解することができず、思わず聞き返してしまう。

雪乃「そう。あなたが求めていたのは"本物"だったのでしょう?」

雪ノ下が目を伏せたまま薄く微笑む。

雪乃「でも、私は違う。少なくともあなたの求めている“本物”ではないの」

訥々と語る、いつもとは異なるその声の響きが俺の胸に深く突き刺さる。

八幡「本物 …… じゃない?」

雪乃「ええ、そう。あなたがどう思っているのかは知らないけれど、本当の私は、いつも姉の影に隠れて母に怯えているだけのただ臆病で小さな子ども。姉さんの真似さえしていれば、いつかはあの人のようになれると堅く信じ、そう錯覚していたの」

そこで言葉は途切れ、ゴンドラを流れる音楽とアナウンスの声がふたりの間に落ちた束の間の沈黙を埋める。

雪乃「でもそれは違った。気がついたら、私は自分では何も決められない人間になっていたの。中身のない、意思のないただの人形。目を固くつむり、耳を塞いでじっとしてさえいれば、いつの間にか嵐は過ぎ去ってくれる。ずっとそう思っていたの。ほんと、そんなところは昔からちっとも変わっていないのね」

乾いた声で自嘲気味にそう告げる雪ノ下の横顔は、俺の目からはまるで姉と瓜ふたつに映って見えていた。


709 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:23:57.90 ID:IsKPfli80

雪乃「けれど、あなたは本物。私には決してないものを持っている。揺るぎのない信念と、自己犠牲を厭わない高潔さ。そして最後には誰でも救ってしまう優しさ」

八幡「そ …… 」

そんなことはないだろ、と、否定しかけた俺の言葉を雪ノ下が被せるようにして遮る。

雪乃「 …… だから、あなたを見ていると自分がとてもちっぽけで取るに足らないみじめな存在に思えてしまうの」

俺は改めて隣に座る雪ノ下をまじまじと見つめる。

そこには俺の憧れる完璧超人の姿はなく、ただひとり、自信を失い、怯え、疲れて、うちひしがれた俺と同じ歳の等身大の少女の姿があった。

もし、彼女の言葉が真実だとするならば、皮肉なことに俺の求めていた本物が彼女の中にあったように、彼女の希(こいねが)う何かもまた、俺の中にあったということなのだろうか。


710 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:26:10.35 ID:IsKPfli80

―――――― いや、多分それは違う。


彼女も俺と同様、自らの追い求めてやまないが、決して手にすることのできない“本物”の幻想を、他人の中に投影しているだけなのだ。

そして今のこのような状況に追い込まれたことで冷静な判断力を失い、自分が負の感情による自己嫌悪のスパイラルに陥っている事に気が付いていないだけなのだ。

だが、それと同時に、彼女の思いつめた表情を見て、俺はもうひとつ、この件を通じて自分が大きな勘違いを犯していたことに気が付く。

711 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:27:44.10 ID:IsKPfli80

昨年の夏休み明け、俺が入学式初日に巻き込まれたあの事故で、雪ノ下ただひとりがいち早く被害者と加害者という俺達の関係性に気が付いていながらも、ずっとそれを黙っていた事、そしてそれがあくまでも結果論に過ぎないとはいえ、彼女が俺たちに嘘をついていた、ということに対し、勝手に幻滅し、あまつさえ彼女を責めるかのような態度さえとってしまったことがある。

しかし、それとても本当のところは、俺の理想であり憧れでもある完璧超人であるはずの雪ノ下雪乃でさえも嘘をつくという、ごく当り前の現実を俺自身が認めたくなかったという、ただそれだけの理由に過ぎない。

そして、今度は俺の固執していた“本物”という言葉だけが、俺の知らないところで勝手に独り歩きを始め、いつしか意図せずして雪ノ下を圧迫し、無意識のうちに彼女を苦しめるようにさえなっていたに違いない。

つまるところ、雪ノ下に留学を決意させるまで追いつめたもの。それは、母親への畏怖でも、姉への劣等感でも、葉山との婚約でも、由比ヶ浜との友情でもなく、


―――――― 他でもない、彼女に寄せていた、俺自身の勝手な思い込みのせいだったのだ。

712 :1 [sage]:2020/03/16(月) 21:30:34.69 ID:IsKPfli80

短くてスミマセンが、本日はこんなところで。

次回はもう少し早くなると思います。ではでは。ノジ
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