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風俗嬢と僕

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174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/22(金) 22:46:23.83 ID:bnzY9ZNbO
半端なところですが、コメントありがとうございます。

>>156
2ちゃんにSSを落とすこと自体久しぶりなので、たぶん別人だと思いますが、最後までお付き合い頂けたら幸いです。

頂いたレスが本当に励みになってます。
もちろん完結まで書くつもりですが、最後までお付き合い頂けたら嬉しいです。

本当に、ありがとうございます。
175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/22(金) 23:49:06.13 ID:HUDZpq3HO
この絶妙な軽さがいい
おつ
176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 01:19:26.64 ID:8XG/2VHLO
それに呼応して、カズヤは前に走り出す。以心伝心ってこういうことなのかな、寸分の狂いもないパスがカズヤの足元に送られた。

相手の7番を簡単に振り切ったカズヤは、ボールを中に向かって蹴りあげた。それは弧を描きながら完全に空いてた選手に届けられて、カズヤのパスをそのまま叩いたボールはゴールに突き刺さった。

あまりに華麗なゴールに相手チームのサポーターは呆然としていて、それ以外の人たちは歓声をあげている。私から見ても、あのゴールはすごいって分かる。

ゴールを決めた喜びを爆発させる選手が走り回る中、カズヤはスタンドをじっと見ていた。どうしたんだろう。ああ、時計を見てるのかな。

残り時間はまだある。このままなら、カズヤたちの逆転だってできそうな気がする。頑張れ。

心の中でそう唱えたとき、カズヤがこちらを見てふっと笑った気がした。……気がした、それだけ。
177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 10:46:25.69 ID:bOTAOkzgO
同点になると、それまで以上にカズヤたちのチームは攻勢に出た。目に見えない流れっていうものがあるのなら、今、彼らはそれに乗っている。

シュートを打って、跳ね返されたボールを拾ってまたシュート。前半とは立場が逆になったように、弾丸の雨を浴びさせる。

でも、それはどうしてもゴールまでは辿り着けなくて。やっぱり前半みたいに、相手チームも踏ん張りを見せてくる。

後半終了まで点が入らなかったら引き分け? それとも延長とかあるのかな。決勝だから、白黒つけないわけにはいかないよね。

シュートを打っても入らないストレスは、私に無力さを痛感させる。あとちょっとなのに、そのちょっとをどうにかする力が私にはない。

残り時間が5分くらいになった時、カズヤがパスを受けた。いつもはそこからすぐにゴール前に浮いたパスを入れているのに、今回は何だか雰囲気が違う。
178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 11:03:40.71 ID:bOTAOkzgO
中に向かってドリブルを始めようとして、相手の7番も少し遅れてそれについてくる。この試合で初めてのドリブルは7番にも予想外だったのか、対応がぎこちない。

中央は水溜まりで蹴りづらそうなのに、何であっちに向かって、ドリブルで勝負をしかけるの?

私のその疑問を嘲笑うように、カズヤは右足の外側の面ででボールを軽く触って今度は外に逃げる。

上手いっ!

雨で滑るグラウンドで、急な切り返しに対応出来なかった7番はカズヤを見送るだけ。

右サイドはまだどうにかドリブルはできそうな状態で、彼はそのまま深く、深く突き進んでいく。雨の中に吹く風みたいに、その姿は力強く見える。

我慢できなくなったのか、ゴール前を固めていたディフェンダーがカズヤに向かって走り出した。

それを視界に入れると、カズヤは同点弾のふんわりしたボールとは真逆の、ゴロではないけど低くて速いパスをゴール前に向かって思いきり蹴った。
179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 11:10:02.11 ID:bOTAOkzgO
それはゴール前でワンバウンドすると、濡れた芝に触れたからかな、つるっと滑って速度が変わった。

ごちゃごちゃになったゴール前で、その変化は対応しづらかったみたいだ。

守るために人数をかけていたゴール前で、相手チームの選手の足に当たったそれはゴールに向かっていく。

キーパーも、味方に当たったボールは予想外みたいで対応が遅れた。

決してカッコいいシュートではなかった。というか、シュートですらないんだろうけど。

カズヤのゴール前に蹴ったボールは、ネットを弱く、それでも確実に揺らした。
180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 12:03:17.37 ID:bOTAOkzgO
「やったぁ!」

気づいた時には立ち上がって、私は大きな声をあげていた。黙りになっちゃった相手チームのサポーターとは正反対にね。

何だろ、今までならこんな風に喜ぶことなんてなかった。ゴールが決まったからといって私が何かあるわけではない。でもそんなことなんて関係なく、私は喜んでいる。

芝の上ではカズヤがチームメイトに囲まれて、顔をくしゃくしゃにして笑っていた。

何で彼は、あんなに急にドリブルを始めたんだろう。

それまではすぐにパスをして、自分で勝負を仕掛けることなんてなかった。なのに、さっきはいきなり挑んで、そして結果に結びつけた。

そこに何かの意図があったのか、たまたまやってみてたまたま上手くいったのかは、私には分からない。

でも、勝負を仕掛けなければ今の喜びはなかったわけで。

胸の底から、いつかもあった熱を感じてる。それは前よりも強くて、そして私にある種の衝動を焚き付ける。
181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 12:43:54.13 ID:bOTAOkzgO
勝負をしなければ状況を変えることはできない。当たり前のことを、今更教えられた気がする。

変わりたいけど変われないっていうのは、私が勝負を仕掛けていないからなのかな。寂しいからアキラと寝るとか、貢ぐとか。それは結局現状維持でしかなくて、行動としては何も変えることはできてない。

特別なことは何もない、アマチュアサッカーのただの1プレー。

それが私に与えた衝動は、計り知れない。

変わるためには、私が動かないといけない。きっかけを待ってるのじゃダメなんだ。

立ち上がったまま、呆けてそんなことを考えていると、周囲の視線を感じて慌てて座る。

そういえば大きい声も出しちゃったんだ、恥ずかしい。

グラウンドに視線を戻せば、カズヤたちも試合再開のためにポジションにつこうとしているところだった。

彼がこっちを見てる気がするのは自意識過剰なのかな。彼は私の方を見たまま自分の頭のあたりを指差して、そのまま右手を突き上げた。

……あっ、帽子? じゃあ、あれは私に?

恥ずかしさなのか何なのか、私は顔が赤くなるのを感じる。でも何だか、嫌じゃない。
182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 13:08:19.12 ID:bOTAOkzgO
試合が再開するけど残り時間はあと僅か。チームの勢いも、得点数も、カズヤたちは相手を圧倒していて。

数分の後、彼らの優勝を伝える笛が響いた。

カズヤたちは喜びのあまりに雨の中を走り回り、相手チームは項垂れたり、グラウンドに倒れてしまったり。

こんなに喜んだり悔しがったりできるほど夢中になれるものがあるのって、何だか羨ましいな。

彼らがサッカーをする理由、好きな理由なんて私には分からない。

でも、少なくとも「これが好き!」と言えるものが思い当たらない私には、彼らはとても輝いて見えた。

服とかカフェとかは好きなんだけど、それも流行りに乗っかっているだけだし。流行りが変われば、私はそれまでに好きだと思っていたものへの興味も無くしてしまう。

彼らのそれは何だかそういう好きとは別次元のものに思えて、自分を恥じそうにすらなる。

好きなものって、どうしたらできるんだろ。
183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 13:40:31.81 ID:bOTAOkzgO
選手たちはぐちゃぐちゃのグラウンドで整列をして、スタンドに向かって礼をした。その直後、ベンチに座っていたカズヤのチームメイトたちも走ってその列に向かっていく。

歓喜の輪が再び作られて、みんな抱き合って喜んでいる。スタンドにいる人たちも、拍手で彼らを称える。もちろん私も。

しばらくして、カズヤはその輪から外れて小走りでスタンドに近づいてきた。

関係者っぽい人たちは「カズー、最高ー!」「カズくんかっこよかったよー!」なんて叫んでいる。今日の主役は間違いなく彼だったし、当然だよね。

彼らに「ありがとうございます! 本戦も応援お願いします!」って返事をしながら、カズヤはこちらに向かってくる。本戦……って何だろう。
184 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 17:05:14.83 ID:yfcGwqIbO
私は傘を開いてスタンドの最前列へ向かう。カズヤも私の方を見上げていて、目があった。

「帽子、被ってくれたんだ」

二点目が決まった直後みたいに頭を指しながら、彼は言った。私は頷いて、大きな声で返す。

「かっこよかった! 優勝おめでとう!」

その言葉を耳にすると、カズヤは少し恥ずかしそうに俯いて、ありがとうと返事をくれた。

何かお互いに恥ずかしくなって、少し沈黙が起きてたら、カズヤを呼ぶ声が聞こえた。あ、オオタさんだ。

「ちょっと待って、時間あるなら待っててくれたら、後でそっちに行く!」

その言葉を残して、カズヤはオオタさんに向かっていった。

二人は仲良さそうに話しながらベンチに向かう……と思ったら、オオタさんが振り替えってこちらに手を振ってきた。私が小さく振り替えしてみると、カズヤが彼を肘で軽く小突いて笑いながら再びあちらに進んでいく。

仲良いなぁ、本当に兄弟みたい。でも、あの様子なら元カノの件で気まずいとかじゃないみたい。良かった。

その奥から、表情はよく見えないけどマネージャーの女の子がこちらを見ているから、ペコリと頭を下げてみた。

反応は無かったから、私を見てるわけじゃないのかもしれないけどね。
185 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 17:15:51.79 ID:yfcGwqIbO
後で来るって言葉を信じて私は再び雨の振り込まない席に戻ったんだけど、カズヤのチームの関係者っぽい人からすごい話しかけられちゃった。

「カズくんとはどんな関係なんですか?」

「彼女?」

「サッカー好きなの?」

大体は、そんな感じで。

どんな関係かって聞かれたら、返事に困っちゃうよね。風俗嬢とお客さん……今となっては、そんな関係では無い気がする。友達? それも何だか違うよね。

「ちょっとした知り合いです」としか、私には言えなかった。その言葉に自分でちょっと傷ついたんだけどね。

サッカーが好きかと聞かれたら、それも少し返事に困る。カズヤの応援は楽しかったけど、それ以外の試合を見たこともない私にしてみれば、サッカーが好きなのかどうかもよく分からないし。

何だか中途半端に色々とぼかした返事しかできない私を、彼らは暖かい目で見てる。どうしたんだろう、一体。

ベンチでは引き上げる準備が始まっていて、私に話しかけていた人たちも、彼らに会いに行く準備を始めた。

「待つんじゃなくて、カズくんのとこまで行きなよー」

そんな風に勧められもしたんだけど、さすがに私がカズヤに声をかけに行くのは何だか図々しい気がした。

どうしようかな、でもあの言葉が本当なら出向かせるのも悪いよね……うーん。

そんな風に悩んでいると、ユニホームからジャージ姿になったカズヤが階段から現
れた。
186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 17:21:07.13 ID:yfcGwqIbO
「お早い到着で」

「カズー、色気づいてんじゃねぇぞー」

そんな風に茶化しながら、関係者の人たちはカズヤとは入れ替わりで階段を下りていく。

カズヤはカズヤで顔を赤くして「そんなのじゃないっすから!」なんて返事をしてる。そっか、そんなのじゃないよね。

試合に負けた相手の応援団は早々に帰り支度をして出ていってたし、スタンドには私たちしかいない。何か、少し緊張する。

何て言おう、何を伝えよう。

感動した? おめでとう? かっこよかった?

言葉を探して黙ってしまった私に、彼は言葉を投げかけた。

「ありがとう」

「えっ?」

何が? と言葉を続けると、彼は笑って返事をした。

「いや、見に来てくれて。試合中に気づいてさ、嬉しかったよ、本当に」
187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 17:32:11.01 ID:yfcGwqIbO
「あ、もしかして同点に追い付いた時?」

「そうそう、時計見ようと思ったらさ、こんな雨なのにハット被ってると思って」

思い出し笑いみたいに笑うカズヤに、私は不機嫌な顔を作って反論する。

「だって、せっかくプレゼントしてくれたんだから被りたかったもん。試合見に行くまで我慢しようと思って、やっと来れたから」

その後、ふざけ半分で「似合う?」と帽子の鍔を手にして見せた。

「うん、似合う似合う」

「何それ、適当じゃない? 」

本当にー、と彼は必死に弁明するから何だか可愛く思えて、ついからかいたくなっちゃった。

「本当に似合う? 可愛い?」

首を上下に動かす彼を見て、言葉を続けた。

「じゃあ、元カノと私はどっちが可愛い?」
188 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 18:36:49.71 ID:yfcGwqIbO
「そんなのゆうちゃんに決まってるじゃん」

「えっ」

どうせカズヤは焦ってしどろもどろになると思い、「冗談だよー」なんて誤魔化すつもりだった私は、その不意打ちの言葉に反応できなかった。

顔を赤くして、「そっか……あ、ありがとう」なんて返事をするのが精一杯で、逆に私が恥ずかしくなった。でも、嬉しいのは隠せなくて、つい笑みがこぼれちゃいそう。

気まずくはない沈黙が流れているとき、階段から足音が聞こえてきた。そちらを見ると、マネージャーらしき彼女。

「いい加減にしなさいよ!」

そう叫ぶと、彼女は私のもとにむかって走ってきて。

「人の彼氏とヤっといて、カズくんまで手を出そうとしてんじゃないわよ!」

その言葉が聞こえた瞬間、私の左頬は彼女の右手に弾かれていた。
189 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/23(土) 19:34:39.57 ID:1y3mCzSWO
あーやっぱこうなるのね
190 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/23(土) 20:18:55.65 ID:OigOEww6o
>>ミユ
  _, ,_  パーン
 ( ‘д‘)
  ⊂彡☆))Д´) >>ゆうちゃん
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/23(土) 20:22:33.74 ID:81SwFrVh0
いいぞ
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 20:26:31.28 ID:yfcGwqIbO
私の彼氏は女癖が悪いって有名だった。

でも、顔も良いし友達としては悪い人じゃなかったし、付き合おうと言われたときも断る理由は見つからなかった。

でも、楽しい時間はすぐに終わる。

浮気されるのって本当に辛かった。私に魅力がないって言われているようなものだもん。

最初の浮気は許したくはなくても、特に指摘はできなかった。

そういう可能性があることを考えての付き合いだったし、カズくんに話を聞いてもらえたから少しは楽になれた。

でも、だからといって何かが解決したわけではない。

それはあくまで私が傷つくきっかけであっただけで、悪夢はそれからも続いた。
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 20:55:12.41 ID:yfcGwqIbO
彼から漂う女の香りに、私は悪酔いしていた。

最初は嫌な気持ちだったのに、徐々にそれにはなれていって、むしろ『彼氏に浮気されて可哀想な私』であることに心地よさすら感じつつあった。

カズくんだって、微妙に気を使ってくれるし。

その優しさに甘えちゃった私は、彼に依存していく。

たまにいるでしょ、彼氏がいるくせに男友達といつも一緒にいるような子。あんな子達の気持ちが、今の私にはよく分かる。

彼氏には認められなくても、カズくんは私のことを認めてはくれなくても否定もしない。それはぬるま湯みたいなものなんだけど、だからこそ抜け出ることもできない。

彼氏からも抜けられず、カズくんからも抜けられず。

気持ちの悪い湯加減に、私は中毒のように沈んでいく。
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/23(土) 23:40:01.96 ID:yfcGwqIbO
天皇杯予選が近づくと、チームの練習日も増えたりして彼氏と会う日が減って、逆にカズくんに会う日も増えた。

そうなると、私はどんどんカズくんへの異存が増していって、逆に彼氏も他の女と遊びに耽る。そしてそれに対する苛立ちで、カズくんへの異存が更に強くなる。悪循環ってこういうことなのかな。

カズくんって優しいから、多少鬱陶しくても本気で拒否してこないしね。だからこそぬるま湯なんだけど、それにつけこんで私はどんどん彼と一緒にいる時間が増えていく。

まるで、私がカズくんの彼女だと勘違いしそうなほど。

そんな勘違いをしかけていた頃。天皇杯の初戦勝利を告げる笛が鳴り、スタンドを振り返った私は見覚えのある顔を見た気がした。

それは何だか嫌なところで見た気がして、確信は持てないけど、彼氏がホテルから出てきた時に見た顔だとしか思えなくなってしまった。

そして、試合後に半行方不明になったカズくんを探しに行ったときに、私は彼女を見た。サッカーの試合会場にいるには少しお洒落しすぎな格好に見えたし、彼女はここにいるには不自然な気がしてしまった。
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/24(日) 00:03:50.01 ID:SR/PNhhLo

投下される時間がある程度決まってると嬉しいわ
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/24(日) 00:20:40.75 ID:g/L+Tvp6O
会釈をして私とすれ違う彼女からは、腹立たしいくらいに余裕を感じる。

ベンチから遠目で見た感じと少し印象が違うけど、彼女がカズくんのことを意識してるのはすぐに分かった。

そして、それから私はカズくんへの依存が強まっていく。

私のものではないのに、奪われるって思っちゃったんだよね。彼氏ではないけど、もはやカズくんは私にはいなければ困る存在だったもの。

嫉妬なのか、それとも別の感情なのか分からないけど、彼女にカズくんを譲りたくなかった。

カズくんまでいなくなったら、私は誰に頼って良いのか分からないから。

練習が終わるといつも何かに誘ったし、ヒロ兄が彼女候補と予定がある日でも私はカズくんと一緒にご飯にいったり、遊びに行ったりした。
197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/24(日) 00:30:19.82 ID:g/L+Tvp6O
カズくんも家に行きたいって要望以外は大体叶えてくれたしね。

辛いときは優しくしてくれて、気も使ってくれて。酷い言い方かもしれないけど、彼は私にとって本当に都合が良かった。

カズくんの存在で、私は心の安寧を得ていたのに、私はまたも見たくもない光景を目にする。

彼がホテルから出てきた時に連れていた女は、カズくんと仲睦まじく話していたあの女だった。

練習場と駅の間にホテル街があるせいで、私は偶然にも傷つけられてしまった。

そっか、彼は性欲が満たされるなら、私以外の女とも平気で寝るんだよね。それで私が傷つけられるなんて、お構いなしに。

そっか、それなら私も同じことをしてやろう。

他の男と寝る痛みを彼氏に、好きな相手を他の人に奪われる痛みをあの女に教えてやろう。
198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/24(日) 01:03:13.62 ID:lAyqaZwPo
屑しかいねえ…けどなんか引き込まれるんだよなぁ…
一旦乙
199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/24(日) 01:35:04.29 ID:vivO+seAO
乙!サッカー描写をもっと細かくすると野沢尚の龍時並みに面白くなるね
200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/24(日) 08:28:53.18 ID:g/L+Tvp6O
それまでは心地いい逃げ道だったカズくんを狙うのは、自分で自分の首を絞めるようなものだった。

でも、それをしないことには私の復讐は達成できない。

自分が苦しんででも、私が感じた辛さを二人にも感じさせたかったの。歪んでるよね。

私がそんな風に苦しむ決心をしていても、カズくんは中々私を受け入れてくれなかった。遊んではくれるけど、そういう空気にはならないし、手を出そうともしてこない。

あの女より魅力が無いから、カズくんは私に何もしてこないのかな。

そのコンプレックスは焦りへと変わり、あの雨の日へと繋がる。
201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/24(日) 13:25:16.23 ID:g/L+Tvp6O
カズくんは頑なに「彼女じゃない」とは言ってるけど、お互いがお互いに気にかけているのは外から見ているとすぐに分かる。

このままだと私は逃げ場を失うどころか、カズくんにまで否定されてしまう。

何よりもそれを怖がった私は、大雨という幸運の手助けを口実にホテルへ誘った。

あんなに直接誘うつもりはなかったのに。

私のワガママな誘いに彼が乗るはずもなくて、そんなの心のどこかで分かっていたはずなのに落ち込んじゃって、逆ギレして捨て台詞を残して。

幻滅されちゃったよね。

カズくんが、彼氏みたいに性欲を満たすために誰とでも寝るような男だったらよかったのに。それなら、私の復讐はあっさり叶えられたのに。
202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/24(日) 18:44:41.93 ID:g/L+Tvp6O
カズくんを使って復讐しようとしてる私が悪いっていうのは分かってる。でも、カズくんに八つ当たりみたいな怒りを持たないことには、私は耐えられそうになかった。

悪いのは私じゃなくて、誘いに乗ってこない意気地無しのカズくん。あの女と付き合ってるわけじゃなかったら、私に手を出しても何の問題もないじゃない。

私はカズくんに逃げることすらできなくなって、更に復讐にも失敗しちゃった。

それからはずっとカズくんとは会話も出来ないし、彼氏にも会う回数は減っていった。最近はイライラしてるみたいで、会ったら喧嘩しちゃいそうな気がするし都合が良いって言えば都合がいいのかな。

イライラとモヤモヤが重なりに重なって、天皇杯予選の決勝を迎えた。
203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/24(日) 18:59:38.09 ID:g/L+Tvp6O
感情としてはそんなのでも、試合は試合だ。

ヒロ兄の美人な彼女候補は、今日は来ないらしい。雨だしね、いつもいつも来るわけにはいかないだろう。

彼女を初めて見た時は、あんまり美人なものだから芸能人かモデルかと思った。何か見覚えあるなーって気がして見てると、売れてる女優に似てるのかなって。腐っても元Jリーガーのブランドは強いんだろうね、あんな美人を捕まえるなんて。

彼女が来ないからってヒロ兄のモチベーションが低いわけでもなく、カズくんもあの雨で風邪をひくことなくスタメンとして普通にプレーをしていて安心した。

自意識過剰かもしれないけど、私があんなことを言っちゃったせいでメンタルに変な影響を与えてしまってるんじゃないかって気になってたから。
204 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/24(日) 19:49:53.30 ID:g/L+Tvp6O
格上の相手に善戦をしている。

当初のゲームプランとは違うけど、あれだけ攻められた前半を一失点で乗りきったのは大きい。

ハーフタイムを迎えると、私は選手に声をかけながら給水ボトルやタオルを配る。カズくんにも渡そうと思ったけど、ベンチにいた控えの選手が渡してしまってたし、渡すものもないのに声をかけられるような雰囲気でもなくなってる私は、黙って彼を見ていた。

勝利には得点が必要だけど、点をとるための手段が見つからない。皆が悩んでいるなか、ヒロ兄はカズくんを起点にしようと提案した。

ヒロ兄、本当にカズくんのことを買っている。家でもよく「あいつはあの自己評価の低ささえ無くなればもっと良い選手になれるのに」って言ってるし。「今はまだ俺より下手かもしれないけど、そのうち絶対俺より良い選手になれるよ」とも。

ヒロ兄だけじゃない、チームメイトもカズくんのことを評価している。だからこそ予選初戦で急なフォワードへのポジションチェンジや、今日の戦術だって反論しないわけだし。

いじられキャラなのは、愛されてるからなのかな。

とにかく、カズくんは後半からは試合の主役に決まった。
205 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/24(日) 22:43:27.19 ID:g/L+Tvp6O
そして、彼はその期待に応える。まるでヒーローみたいに。

一点目はカズくん以上にシュートを決めた人が目立つスーパーゴールだったけど、二点目は圧巻だった。

あのシーンでのドリブルを読める人はそうそういない。カズくんはそれまでドリブルを封印していたし、こんな雨の日に勝負を仕掛けられるのはよっぽどのテクニシャンだけだ。

カズくんもテクニックはある方だし普通にドリブルしてもいいはずなんだけど、怯えるようにパス、パスの選択だった。それがヒロ兄も言ってた自己評価の低さでもあるんだろうけど。「自分がドリブルしても取られちゃう」ってね。

だから、あのシーンでカズくんがドリブルを仕掛けたのは意外だった。何であそこで勝負したのか分からないけど、でもそれは結果に繋がった。

汚いゴールだったけど、価千金だ。

喜びの輪は崩れていき、カズくんはスタンドに向かって拳を突き上げた。珍しい、いつもはハイタッチとかハグはしても、スタンドの観客へパフォーマンスをすることは滅多にない。

決勝の価値あるゴールだから、テンションが上がってるのかな。

それが私の勘違いだと知ったのは、試合を終えた後だった。
206 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/24(日) 22:53:47.93 ID:g/L+Tvp6O
チームメイトと喜ぶのもそこそこに、彼はスタンドに向かっていく。

それを目で追いかけると、奥にはこんな雨の日に麦わら帽子を被った女が見えた。

雨で視界はよくないけど、あの女だってすぐに分かった。

大きな声で会話をしてるから、こっちまで内容がきこえてくる。聞いてるこっちが恥ずかしくなるようなやり取り。なのに、少し羨ましいとすら感じちゃう。

私はあんたのせいでこんなに傷ついているのに、何でそんなにカズくんと仲良く楽しそうなの。

ズルいよ、何で、私だけが傷つくの、ねぇ、何で?

ヒロ兄がカズくんを呼びに行くと、彼は後でスタンドに行くと告げていた。

あんな女の幸せなんて、私が崩してやる。
207 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/24(日) 23:52:39.55 ID:g/L+Tvp6O
彼女の頬を叩いた私は、そのまま勢いで彼女を罵倒する。

「そんなに人の男とヤるのが楽しい? ねえ、私の彼氏じゃ満足できないからカズくんにも? 答えなさいよ!」

そのままもう一度手を振り上げた時に、困惑した顔のカズくんが私の手を止めた。

「な、何か分からないけどさ、落ち着けよ」

彼の言葉は私という火に油を注ぐようなもので、私は流れで彼に向かって叫ぶ。

「カズくんもカズくんだよ! こんなビッチにデレデレしちゃって! カズくんだって、飽きられたら捨てられちゃうんだよ!」

何の考えも無しに言葉は流れていく。

そして言葉と一緒に、目からは涙が流れていく。

「ズルいよ、私だって幸せになりたいよ!」

どうしようもなく惨めさを感じた私は、その言葉だけ残すとカズくんの腕を振り払い、走って逃げ出した。

これでもう、本当に逃げられるところなんて無くなったのに。
208 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/25(月) 00:15:25.54 ID:femdBJhqO
言葉の意味を理解するまで、私は身動きがとれなかった。

状況が状況過ぎて、私は何も分からないまま目の前から聞こえる言葉を拾っていく。

カズヤは戸惑った声色で彼女を制しているみたいだけど、それも振りきって叫んだ彼女はそのまま走って私の前から消えた。

彼氏と寝た? えっ?

それってつまり、あの女の子がアキラの彼女ってこと?

そういうこととしか思えないけど、それにしてもそれにしてもだ。カズヤの件といい、世間って狭すぎる。

「だ、大丈夫……?」

相変わらず戸惑ったままのカズヤは私に声をかけてきた。大丈夫……ではない、たぶん。

「えっと……」

お互いに何て言って良いのか分からなくて、さっきとは違う気まずい沈黙。

「とりあえず……帰るね……」

それが今の最善策としか思えなかった。私も混乱しているのに、彼に話せることなんて何もない。

「気を付けて」と、彼は言った。

もう既に痛い目にあったのに、何に気を付ければ良いんだろう。
209 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/25(月) 00:50:48.19 ID:kbfkjH6lo

複雑だな
210 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/25(月) 00:53:29.85 ID:kbfkjH6lo
あと一応メ欄にsaga入れた方がいいと思う
211 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/25(月) 07:23:34.97 ID:femdBJhqO
家に帰りついた私は、濡れた体をシャワーで暖める。

あの子がアキラの彼女?

その疑問だけが頭の中をぐるぐると回る。アキラって、特定の女を作るような人だったんだ。それでも私を抱くあたり彼もクズだよね……類は友を呼ぶって言うけど、私と似た者同士ってことかな。

頬の痛みはもうないけど、胸の痛みは取れなかった。でもそれは、アキラや彼女に対する怨みのせいじゃなくて。

きっとカズヤに幻滅されたであろうという現実が、私には辛かった。

夢も情熱もなくて、だらだらと風俗を続けて、ホストに貢いで人の彼氏と寝るような私。

現実に引き戻された気がする。私と彼は、生きる世界が違うという現実に。
212 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/25(月) 07:25:48.24 ID:femdBJhqO
>>199
ありがとうございます!
龍時は影響を受けた本のうちの一冊なので、レスを見たときめちゃくちゃ嬉しかったです。

>>210
ご指摘ありがとうございます。
気を付けようと思いながら、ほぼ毎回sage忘れてました……!
今後、気を付けます。
213 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage ]:2015/05/25(月) 07:46:37.83 ID:o+8sSSmxo
sageじゃなくてsaga!
必要ないかもだけど反応するワードが出たときに雰囲気崩れる
214 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/25(月) 07:49:22.07 ID:femdBJhqO
試合中にあんなことをしてくれたり、話しかけに来てくれたりで勘違いをしていたけど、彼と私の間には壁がある。

スタンドとグラウンドを分ける柵なんてものじゃない。私が立ってる暗い場所からは、彼のいる明るい場所へは辿り着ける気もしない。

勝手に私が仲良くなった気がして、勝手に私が落ち込んでる。別に、私とカズヤが親くなったわけでもないのに。

変わりたい、変わらなきゃって思いだけでは変われなくて、そのタイミングを私は逃してしまった。

だから、クズのままでいる私に神様が罰を与えたのかな。

シャワーで体は流せても、私の罪は洗うことができない。これからどうしようかということすら決められず、私は声もあげずに涙を流した。
215 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/05/25(月) 07:54:41.74 ID:femdBJhqO
>>213
sagaっていうのが何か分かってなかったんですが、これで大丈夫ですか?
お早いご指摘ありがとうございます。
216 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/25(月) 12:41:39.50 ID:femdBJhqO
プロをクビになってから、ここまで本気でサッカーを続けるとは思ってなかった。

県リーグなんかJFLですらないし、今までみたいにお金をもらえるわけでもない。

ただ、クビになったからといってそのままサッカー自体を止める踏ん切りもつかなくて、遊び感覚で入ったつもりだったんだ。

そんなところに、カズはいた。

特別、上手い訳じゃなかった。経歴を聞いても全国的には名もない地方の高校でサッカーをしていたらしいし。中学時代に県トレに入り、高校では県ベスト8。
217 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/25(月) 13:44:11.30 ID:p6rIe1Vho
乙?
218 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/05/25(月) 18:44:44.77 ID:femdBJhqO
昔の俺に比べたら、何てことはないキャリアだ。俺は、あの頃のカズの歳では一応Jリーガーだったしね。

ただサッカーをしたいだけ、友達が作りたいだけなら大学でやれば良いのに。こんな社会人チームをわざわざ選ぶなんて物好きだな。

それがカズへの第一印象だった。

プロをクビになって、夢もモチベーションも無くしていた俺はチーム加入当初は適当にプレーをしていた。

このレベルだったら、半分トラウマになっていた後ろからのプレッシャーがあっても簡単にかわすことができるしね。

手を抜いてるわけじゃないけど、情熱を捧げてもいない。

そんな俺なのに、カズは犬のようになついてきた。
219 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/05/25(月) 21:38:51.36 ID:femdBJhqO
練習が終わるといつも近づいてきてアドバイスを求められたり、ご飯行きましょうってさそわれたり。

最初は俺の「元Jリーガー」って肩書きに寄ってくるミーハーな奴かと思ったんだけど、それは自意識過剰な勘違いだった。

加入して一ヶ月くらいでやっと気づいたんだけど、あいつってマジでサッカーが好きなんだよ。

だから、自分よりサッカーが上手い俺の話を訊いたり一緒にサッカーをするのが楽しかったみたいなんだ。

それは俺がいつの間にか忘れていた「サッカーは楽しいんだ」って気持ちを呼び起こしてくれた。

プロはもちろんだけど、高校も全国区の強豪に所属していた俺にとっては、サッカーはしばらくは辛いもの、苦しみながらやるものだった。

自分が出た試合でミスをして負けると、ポジションは奪われてるかもしれない。クビになってしまうかもしれない。

楽しさ以上にその恐怖が強くなってしまって、はっきりとしたタイミングは分からなくても俺はサッカーを楽しめなくなっていた。
220 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2015/05/25(月) 21:42:10.68 ID:pVhW410/O
sageも入れるならsage sagaってスペース空ければ両方入る
221 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/05/25(月) 21:57:40.77 ID:femdBJhqO
練習をするのは、楽しいからでも上手くなりたいからでもなくて怒られたくないから。

勝ちたいのは、それが嬉しいからじゃなくて居場所を無くしたくないから。

俺も周りにいたヤツらも、それが普通だったんだ。

だからこそ、カズみたいなやつは新鮮だった。

好きだから練習をする、好きだから上手くなりたい。何てシンプルな答なんだと思うけど、それに気がつけるやつって実は少ない。

そしめ、あいつの情熱は人を巻き込む。

俺だけじゃない。チームメイトの話を聞いても「カズみたいな若いヤツには負けてられない」「カズにばかり良い顔はさせてられない」と、何かを口にしなくても周りはあいつに負けじと前に進もうとする。

カズは自主練に付き合ったりするといつも「ヒロさん、ありがとうございます」って言ってくるんだけど、感謝したいのは俺の方だよ。

サッカーって、楽しいもんな。
222 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2015/05/25(月) 22:07:53.82 ID:femdBJhqO
サッカーの楽しさを思い出させてくれたカズに恩返しをしたくて、少しでも長く練習に付き合った。

技術だけじゃない、飯を食いながら戦術の話をしたり、プロ時代の話をしてやったり。

カズはそれを目を輝かせながらうんうん頷いて聞いて、そしてどんどん上手くなっていった。

県トレに入れてたんだから基礎技術がなかったわけでもないし、試合中の状況判断や戦術適応力が上がったあいつはビックリするくらいサッカー選手として伸びた。

後で聞いたんだけど、あいつの高校って顧問の先生も未経験者の素人で、自分達で戦術を練ったり練習メニューを作っていたらしい。それでベスト8までいけるくらいなんだから、少し教えただけで成長するはずだよ。
223 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/25(月) 22:19:40.01 ID:femdBJhqO
そんなカズが、浮かない顔で練習に来る時期がしばらく続いた。

いつもバカみたいにニコニコしながらボールを蹴ってたくせに、何だか落ち着かない顔だし、自主練もせずにコソコソ帰っていく。

どうしたのか心配だったけど、カズは大学生だ。俺は高卒でプロ入りしたから大学生がどんな風に生きてるのか知らないし、きっと俺の分からない何かがあるんだろう。

相談されたら聞いてやろうと思っていたら、その直後に体調を壊してしばらく練習を休みやがった。そっか、浮かない顔だったのは体調が悪かったからなのか。

復帰してからもしばらくはキレが悪かったみたいだけど、前に比べると表情も明るくなっていた。

うん、もう心配はないかな。

そんな時、テレビのニュースでシンヤの代表入りを俺は知る。
224 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2015/05/25(月) 23:03:53.83 ID:femdBJhqO
ちっちゃい男だよな、そんなことで落ち込むなんて。『代表入りおめでとう。頑張れよ』ってメールも打つだけ打って送信はできなかった。

悪いことは続くもので、その直後には彼女にフラれた。

この一年、慣れない仕事に一生懸命だったから遊ぶ時間もろくになかったしな。それを止めることはできなかったけど、でもやっぱり辛いものは辛い。

色々苦しくて、ついカズに頼っちゃったよ。あいつも何て言って良いか分からなかったみたいだけど、聞いてくれただけで少しは楽になれた。

とはいえ、根本的な解決にはなっていない。彼女にはフラれたままだし、シンヤへのコンプレックスみたいなものは俺を縛っている。

そんな時、気分転換にと職場の同僚が合コンに誘ってくれた。そこで出会ったのがサキちゃんだった。
225 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/26(火) 00:47:42.46 ID:wQOUW5Y7o
いいねぇ、こうゆう深い話
大好き
226 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/05/26(火) 08:12:46.34 ID:Z759cfUPO
最近売れてる女優に少し似てる彼女は「最近彼氏と別れて寂しいんです」と言った。それが親近感をつくったのかな、彼女と俺は仲良くなっていた。

彼女の元彼もしていたらしく、ちょっとサッカーに興味があったらしい。プロだった頃の話をすると楽しそうに話を聞いてくれた。

「サッカーやってるとこ見てみたいなぁ」

その言葉に、今も社会人リーグで続けていることを話すと、いつか試合を見に来てくれるってさ。連絡先を交換して、その合コンからもやり取りは続けていた。

そして天皇杯予選の初戦、彼女はとうとう試合を見に来てくれることになった。当然、それだけ俺のモチベーションも上がる。
227 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/05/26(火) 17:30:11.70 ID:Z759cfUPO
浮かれた気持ちでカズにもその話をすると、なぜかあいつまで嬉しそうだった。自分のことでもないのに変なやつだよな。でも、それがカズの良いところでもあるか。

予選の初戦を迎えた。

彼女からはメールで「用事があるから到着が遅れちゃう、ごめんね」って連絡が来てた。着いた時に負けてたらカッコ悪いよな。

カズにはお気楽に「もう来てるんですか?」なんてお気楽に声をかけられちゃったよ。注意はしておいたけど、これくらいリラックスできてるなら緊張は心配無さそうだな。

同じ県リーグの相手とはいえ下位にいる相手だからそこまで苦戦はしないと思っていたのに、最後の最後でゴールを決められないまま試合は進んでいく。

こういう試合って、攻めてる方がキツいんだよ。体力的にじゃなくて、精神的にだけどさ。

前半だけで大量得点をしていてもおかしくないくらい圧倒していたのに、スコアは動いていない。

何かを変えなければ、状況は変わらないように思えた。
228 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/26(火) 21:42:06.60 ID:SaH3nK+DO
面白くて最初から一気に読んでしまた
つづき頑張って下さい
229 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/05/26(火) 22:14:48.38 ID:Z759cfUPO
何を変えれば好転するのか。

試合の大まかな流れ自体は悪くない、ただ最後のシュートが入らないだけ。こういうのって、実力だけじゃなくて運とか雰囲気とか、そういうのもあるんだよ。良い感じなのに何かダメ、みたいなことってサッカー以外にもあるよな。

そういうものを引き寄せられるやつって、何かを持ってるヤツなんだ。これは俺の経験則なんだけど、ただ上手いだけのヤツじゃなくて、『持ってる』ヤツじゃないと、こういう停滞した雰囲気は壊せない。

そんなの、うちのチームではあいつしかいない。

「カズのポジションを上げましょうよ」

その言葉は、俺からしてみれば当然の答だった。

カズはフォワードを経験したことがないみたいだけど、この一年で戦術理解度もかなり上がった。全く出来ないということはないはずだ。

それならば、あいつの持ってるものに賭けてみよう。
230 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/26(火) 22:36:35.65 ID:Z759cfUPO
同じサッカー選手として認めるのは悔しいけど、うちはカズのチームだ。

まだ実力的には負けてるとは思ってない。でも、たぶんチームメイト全員がカズのことを何かしらで認めている。

サッカーに対する情熱であったり、能力のノビ方だってそうだ。この成長速度だったら、もしかしたらそのうち俺なんか相手にならないくらい上手くなるかもしれない。

そんなあいつがゴールに近づけば、きっと何かが起きる。あいつが起こせなくても周りがどうにかしてやれる。

そんな風に俺に思わせるのも、アイツの才能の一つかも。本当に不思議なやつだよ。

自信無さげに返事をして、ピッチに向かうカズに声をかけた。

相変わらず自信無さげだよ。一年でサッカーは上手くなっても、そういうところはまだまだだな。

こいつは俺を信用してくれてるみたいだし、少しでも自信を持たせてやろうと思って柄にもなく「絶対届けてやる」なんて言っちゃったよ。

了解っすとは言われたけど、大丈夫か、本当に?

とはいえ、もう後半開始の時間だ。あとはプレーで自信を持たせてやるしかない。
231 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/05/26(火) 22:53:44.05 ID:Z759cfUPO
試合展開は前半同様にうちが攻め続けて、相手が防いでの繰り返しだ。

決定的に違うのは、カズが体力配分も無視して前線からプレッシャーをかけていることだ。元々ディフェンダーだから守備に手を抜けないのか、追い付けそうにない相手にまで全力でプレッシャーをかけている。

そのおかげで相手のロングボールやクリアの精度は前半よりかなり落ちて、結果としてそのボールをうちのチームが拾う回数も増えた。意味のないように見えるカズの頑張りは、そういうわかりづらくも明確な結果に繋がっている。

とはいえ、カズに与えられた時間はたったの15分だ。そろそろ決めないと、あいつは交代させられてしまう。

カズが全力で相手選手にプレッシャーをかけ、その勢いにビビったのか蹴られたボールはうちのキーパーまで送り届けられた。

このボールを、アイツまで届けてやる。
232 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/05/26(火) 23:07:37.80 ID:Z759cfUPO
ディフェンダーからボランチにパスが渡った時、すっと引き気味に動いた。

前半から点が入らないフラストレーションで前へ前へとポジションを取っていた俺のその動きに、マークについてた相手選手の対応が遅れた。

ジダンの得意技だったマルセイユルーレットのようにパスをトラップし、一発で前を向く。相手選手がプレッシャーをかけに来てるけど、それと同時にディフェンスラインの裏へ走り込むカズが目に入った。

言ったこと、ちゃんと分かってるじゃん。

カズの走る先を目掛けて、俺は足を振り抜いた。しまった、ミートポイントがずれて思ったより強い球足になったかもしれない。ディフェンダーを気にして焦ったか。

ミスパスになりそうなそのボールを、俺自身諦めていた。

でも、カズは愚直に追いかけている。間に合いそうにないパスに向かっている。

『俺が届けてやる』

後半に向かう前、カズに言った言葉が頭に浮かんできた。

俺が届けられなかったパスを、あいつが届けさせてくれるかもしれない。受け取りに行ってくれるかもしれない。

それは衝動となって、俺の足を前へ運んだ。

確信は持てない。でも、あいつはきっと俺のパスを受け取ってくれる。
233 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/05/27(水) 00:48:39.26 ID:YMK4ocrnO
引き気味のポジションからロングボールを出したせいで、カズとの距離はかなりある。

短距離走みたいに全力で相手のゴール前に向かって走ると、カズも俺以上の懸命さで走っている。そんな姿を見せられると、手を抜くことなんてとても出来ない。

どうにか追いついたあいつは、シュートコースも消されてしまったのにモーションに入ろうとしている。くそっ、もうちょっとだ!

「カズっ!」

その声はどうにか間に合って、カズはドフリーになった俺にパスを出した。

それをゴールに流し込むというカズに比べたら何てことはない自分の仕事を終えると、俺はあいつに向かって向かっていく。
234 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/27(水) 00:55:34.69 ID:YMK4ocrnO
カズのそのプレーでノることができたからか、二点目のスルーパスは自分でも改心のものだった。

気持ちよくパスが通って、それはカズに代わって入った選手がきっちり決めてくれた。

気持ちいい! こういうプレーができるから、やめられないんだよな。

そのまま試合を終えて、カズと一緒にダウンへ向かう。「ナイッシューです」じゃないよ。お前がナイスプレーだよ、自慢しろよ。

それにしても、カズにこそ二点目みたいな綺麗なパスを通してやりたかった。俺がこいつに決めさせてやりたかったのに、むしろこっちが決めさせてもらっちゃったよ。

ちくしょっ、でも、試合に勝ったからまだまだ予選は続く。恩返しはまたの試合だ。

そんな時、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえた。
235 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage ]:2015/05/27(水) 01:41:13.49 ID:M5qTtTMRo
おつ
236 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/05/27(水) 07:24:16.14 ID:YMK4ocrnO
声の主はサキちゃんだった。

そうだ、カズにも紹介してやろう。そう思って顔を向けると、あいつは驚いたように小さく声を漏らした。どうしたんだ?

サキちゃんが挨拶をすると、カズもそれに返事をする。

「お邪魔そうだから帰りますね」の言葉だけを残して、急に走って逃げていくし。追いかけるか悩んだけど、サキちゃんをここに一人置いておくわけにもいかない。

気ぃ使わせてしまったな。悪い、カズ。

ダウンのストレッチをしながら、彼女と話を始める。
237 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/27(水) 07:33:56.23 ID:A+L4vxiZO
続きが気になりますねぇ
238 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/05/27(水) 22:22:26.60 ID:YMK4ocrnO
「試合、スゴかったね、買ったんだね!」

彼女はカズのことをとりあえず置き、そんなことを口にした。違和感すら感じるくらい唐突だったけど、あいつを気にしててもどうしようもないもんな。面識がある俺ならまだしも、サキちゃんは初対面な訳だし。

「カッコ悪いところ見せられないからね、気合い入っちゃったよ。二点目のシーン、見てくれた?」

「うん、すごいシュートだった!」

えっ、すごいシュート?

自分で言うのも何だけど、あのシーンは俺のパスで勝負あったと思うんだけどなぁ。フォワードは決めるだけって感じで……まあ、初心者の子ならやっぱりゴールがすごく見えるのかもね。

何となくの違和感は拭えないけど、そういう感想は人それぞれだし、初心者なら尚更だろうし仕方ないのかな。

腑に落ちないまま会話を続けるけど、何か変な感じだよなぁ。うーん。

「ヒロ兄、こんなとこにいたー! もうみんな帰り支度しちゃってるよ!」

何だかんだ長い間話していたのか、不満気な声をあげながら近づいてきたミユは、一緒にいたサキちゃんを見て「あれ、お邪魔だった?」なんてぬかしやがった。お前はカズを見習えよ。

「あのー……どこかでお会いしたことありましたっけ?」

なんて冗談半分で言ってるから、売れてる女優に似てるからってそんなこと言うなよって突っ込んでおいた。

「あー、確かに似てますね! 美人さんだー、うわー……」

まじまじとサキちゃんを見るものだから、早く行けと指示を出す。

「あのさ、カズ、空気読んであっちに行ったから探しに行ってもらっていい?」

「何ー、妹を紹介もしないでさー。ヒロ兄の妹のミユっていいます。こんな兄ですがどうかよろしくお願いしますっ」

その言葉を残して、サキちゃんにペコって頭を下げるとミユは指した方に向かって行った。うーん、もうちょっと落ち着きを持てないのか、あいつは。
239 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/05/27(水) 22:35:22.73 ID:YMK4ocrnO
「妹さん、可愛いね」

「そう? 俺はもう少し落ち着きをもって育ってほしかったなー」

それこそ、カズみたいにね。あいつも半分弟みたいなものだと思ってはいるけど。

ミユとカズが結婚すれば、あいつは義弟かー。悪くないなぁ、あの二人で引っ付いたりしないかな。

そんな下らない妄想をしながら、サキちゃんとの時間を過ごす。

彼女がサッカーのことは知らなくても、俺はガールフレンドにれを求めたりはしない。普通に話すとそれなりに息もあってると自分で思うし、このままうまくいけたらいいな。
240 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/28(木) 08:11:46.55 ID:Ab/wXu1tO
面白い
241 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/29(金) 04:03:12.40 ID:k1D8tn9Do
今日はお休みか
242 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage ]:2015/05/30(土) 01:12:59.89 ID:r+Aze7SCo
おつ
243 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/05/30(土) 11:43:33.01 ID:fv5W6F4CO
あの日以来、ミユとカズの距離は縮まっていた。ていうか、ミユが一方的にカズくんカズくん言ってるだけだけど。

俺としてはその二人が仲が良いのは嬉しいんだけど、何かちょっと違和感もあるよね。今までは三人で遊ぶことが多かっただけに、仲間外れ感……みたいな。

ミユは「ヒロ兄、この間カズくんと二人で焼肉に行ってたでしょー。その仕返しだよー」なんて言ってたけど、どこまで本気なんだか。

天皇杯予選を勝ち進むにつれ、ミユのカズへのアプローチはどんどん積極的になっていた。つい聞いちゃったもんね、「お前、本当にカズのこと好きなの?」って。「どう思う?」ってはぐらかされちまったけど。

ある日、仕事の関係でたまたま練習に行けなかった日の夜に家に帰ると、ミユがめちゃくちゃ落ち込んでたんだよね。カズにフラレたのかと思ったけど、次の練習ではそれまで以上にカズに近づいていってるし。

我が妹ながら、めんどくさくて分かりづらいやつだよ。
244 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/05/30(土) 17:57:35.39 ID:94JL6IkWO
女の気持ちとかよく分からないし、妹だったり可愛がってるやつのことではあっても自分のことではない。

首を突っ込むのも野暮だし。

それに、他人のことばかりを気にしているわけにはいかない。

あの後、サキちゃんと二人で遊びに行ったりはしても、彼女はサッカーの試合には来なくなった。興味がないものに付き合わせるのも悪いしね。

遊んでて楽しいとは言ってくれてるし、そろそろ告白考えないといけないよなー。

よし、天皇杯が終わったら告白しよう。

それまではたぶん、サッカーと仕事で忙しくて付き合うことになっても今とそんなに変わらないだろうし。ちょっと落ち着いてから、告白しよう。

だからまずは、週末の決勝だ。
245 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/31(日) 20:27:42.48 ID:ZjDE/pxGO
ここ数日、引っ越しの準備でなかなか更新できませんでした。
今晩か明日からは以前通り更新するつもりなので、お付き合いしていただけたら嬉しいです。
246 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/31(日) 20:41:25.19 ID:K8J7ZRtjo
期待
247 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/31(日) 22:33:21.77 ID:QgLr32MmO
待ってる
248 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/05/31(日) 23:38:12.52 ID:z98QOhwmo
マッテル
249 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/06/01(月) 01:04:28.27 ID:0WIoLXnzO
降ったり止んだりの一週間、勝負の日は雨だった。これは番狂わせを予告する希望の雨か、それとも俺たちの気持ちを暗くする絶望の雨なのか。

何にせよ、タフな試合になりそうだ。

入場するときに横目でチラッとカズを見たけど、普段通りで安心したよ。何て言うか、最近はミユと気まずそうだったからさ、そういうのをピッチの上に持ち込むようなやつじゃないって分かってるけど、やっぱり少しは心配しちゃったよ。

試合が始まると、案の定ロングボールの蹴りあいが始まった。俺の頭の上をボールが行ったり来たりして、フォワードが競り合ったこぼれ球を拾いに行くのが今日の俺の仕事だ。

ご丁寧にも、キックスはこんな雨の日でも俺に一人マーカーをつけてきた。ちょっと荒っぽいな、こいつ。

明らかに俺が先に触れそうなボールでも、結構ガツガツ当たりに来る。ハードワーカーと言えば聞こえはいいけど、こんな雨の日にそんな選手にマークされたらたまったもんじゃない。
250 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/06/01(月) 21:09:28.58 ID:Lk2vORrjO
セカンドボールを拾いに走ると、後ろから足が伸びてくる。

JFLはアマチュアではトップリーグだし、今までの相手よりはかなりレベルが高い。準決勝の相手までは余裕をもってプレーできたけど、今回はそうもいかないみたいだ。

あの日のトラウマが脳裏をよぎって、相手に遠慮するように俺はボールを譲ってしまった。接触プレーを怖がるなんて、ダサいにも程がある。小学生だってそんなことをしたら怒られるよ。

それでも、あの時の激痛やプレーができなくなる恐怖が相手から逃げさせる。

雨が強くて滑りやすいから、その恐怖は更に増す。勢い余って相手の足が俺の足に突っ込んでくると思うと、逃げ出したいとすら感じてしまう。
251 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/06/02(火) 00:42:34.20 ID:H+ZPEi7TO
雨の日は予測できないことが起きてしまう。だからこそ番狂わせが起きやすいんだけど、それは相手にとっても同じことだ。

カズのパスは水溜まりに負けて止まってしまい、相手選手がそれをかっさらってシュートを放った。ポストに当たったそれはゴールとはならなかったけど、この試合で1番危ないシーンでもある。

カズに注意を呼び掛けたけど、しっかりしないといけないのは俺の方だよな。マーカーを避けてばかりじゃボールは拾えない。

そんな考えとは裏腹に、キックスはうちのゴールへの壁を破った。綺麗に左サイドを崩されて、長身の選手に合わせられちゃったね。

あれはある程度の選手が揃ってるチームだからできることだ。うちのチームがあんなハイクロスを上げたところで、長身の選手が揃ってるキックスのセンターバックに弾き返されるだけだ。

さて、どうやって崩したものか。

その答が出せないまま、俺たちは前半をビハインドで終える。
252 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/06/02(火) 00:51:57.53 ID:H+ZPEi7TO
一点負けてるからには、ゴールを決めなければ勝ち目がない。とはいえ、前半と同じ作戦でどうにかなるとも思えない。

あのマーカー、怖いし。自分で認めるけど、前半のブレーキ役は俺だった。接触プレーを怖がって、セカンドボールを拾えないことが多かった。

雨だからレフェリーもファールの基準が普段と違いそうだし、滑るし、とにかくビビってるのが自分でも分かる。

そんな風に自分が足を引っ張っていることは自覚していても、交代を申し出ることはできない。このチームは精神的にはカズで成り立ってるのチームだけど、技術面では俺が引っ張らないといけないこともある。でも、接触は避けたいんだよ。怖いんだよ、やっぱり。

……あ、カズだ。

頭のなかに浮かんだのは、カズに試合を作らせるプラン。要するに、普段の試合で俺がやってることをカズにさせるってこと。

真ん中はプレーしづらいし、カズの対面は正直大したことはない。

それっぽい理由を言ってみたけど、自分が怖いものから逃げたいって気持ちが一番強かった。ごめんな、カズ。
253 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/06/05(金) 08:02:02.82 ID:ninkABpoO
後半が始まると、徐々にペースが変わってきた。

相手の勢いがハーフタイムで落ち着いたっていうのもあるけど、カズが試合を作り始めたのがやっぱり正解だったかな。

ロングボールメインの作戦なのは変わらないけど、カズはキックの精度も悪くない。試合の流れは徐々にうちに呼び込めている。

ただ、カズが臆病なプレー、無難なプレーを終始選択しているのが気がかりだ。いや、まあ良いんだけどさ、雨だし、それで良い感じになってるわけだし。

ただ、勿体ないな、とも。

カズはこのピッチでもサイドでなら普通にドリブル出来る程度には技術がある。そして、ボールを奪われるリスクがあっても、勝負をしかけない選手は怖くない。

宝の持ち腐れだよ、カズ。
254 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage ]:2015/06/08(月) 23:36:13.20 ID:c4/R7QNro
やめんの?
255 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/06/09(火) 01:26:34.86 ID:MwlSMFhkO
俺のそんな気持ちを知ってか知らずか、カズは少しずつ位置取りを高めて積極的にプレーをし始める。

安定感っていうか、チームの流れが良くなったからカズも落ち着いてプレーできるようになったみたいだ。

ロングボールが多い戦術なのはそこまで変えられなかったけど、前半みたいに真ん中の選手じゃなくて、サイドの選手が蹴ることで角度がついてアーリークロスみたいになっている。

そのおかげかな、前半ほど相手に綺麗に跳ね返されることは減ってきた。真っ直ぐ向かってきたボールは、正面を向いて競り合えるディフェンダーが有利だけど、角度がつくとそれが幾分難しくなるしね。

カズが流れは引き寄せた。

あとは結果だ。
256 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/06/09(火) 12:14:49.23 ID:8hXl43RpO
引き込まれる
自分もくずだから共感出来るところがあってもやもやするけどそれがいい
257 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/06/10(水) 00:55:47.88 ID:3+SXJSG/O
相手を押し込み始めると、うちのチームのラインが少しずつ上がっていく。その分カズや左サイドバックからのロングボールの精度も上がってきて、自然と競り合いのこぼれ球も拾いやすい場所に落ちることが増えてきた。

雨のピッチでスタミナが無くなりつつあるのか、相手チームのマーカーのプレッシャーも少しずつ弱くなってきて、こぼれ球を拾いやすくなっている。あとはどこで勝負を仕掛けるか、だよな。

そんなとき、久しぶりにセンターバックがサイドを経由せずにロングボールを放った。

不意をつかれたのか、こぼれ球は俺の目の前に落ちてくる。マーカーもプレッシャーをかけてくるけど、弱くなったそれには前半ほどの恐怖心はなかった。

ボールを受けると、すぐに今日の主役になるべきカズを見る。そこだ。

いつかの試合で言ったみたいに、俺がボールを受けるとすぐに走り出したらしいアイツの走る先にボールを送る。

よしっ、完璧っ!

そのボールを受けたカズは、簡単にセンタリングをゴール前に蹴るのではなくて逆サイドへと飛ばし、そして綺麗な弾道でそれがネットに突き刺さった。
258 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/06/14(日) 17:12:59.40 ID:pkqwMzZKO
チームメイトはスーパーゴールを決めたやつに向かって走り出す。

プロの試合でも滅多に出ないようなダイレクトボレーだったけど、その前のカズも完璧だった。俺がパスを出す前に走り出すタイミング、クロスをあげる状況判断にその制度、文句無しだ。

上手くなったな、カズ。

親心みたいにそう思う。嫉妬してしまいそうなくらい、あいつは上手くなった。誉めても謙遜するんだろうけど、それでも本当に。

喜びの輪に向かって走りながらカズを見ると、少し笑っていた。やっぱり、良いプレーをしたって手応えがあるのかな。

「もう一本いくぞ!」

言葉にして、気持ちを奮い立たせる。

チームメイトからの返事、特に大きいカズの声。

まだ同点。このまま押しきる、そして勝つんだ!
259 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/06/14(日) 18:46:41.17 ID:c1TO+PyRO
試合が再開すると、俺たちのペースで試合が進んでいく。

キックスも格下と思っていた俺たちにここまで苦戦するとは思っていなかったのか、予想外の展開に慌てている。この動揺につけこまない手はない。

どんどん前線へのボールを増やし、相手のラインをズルズルと押し込んでいく。その結果、それまで以上にゴールに近い位置でプレーができるからチャンスが増えて、また相手が下がるって好循環。

それでもゴールを決めさせてくれないのはJFLの意地ってやつ? このまま押し込んで、でも逆転できずに延長になると、チームの雰囲気は確実に落ちる。

今は同点ゴールって魔法で疲れを感じづらくなってるけど、確実にみんなの動きは落ちている。雨でぬかるんだピッチのせいで、キックスを含めて全員の動きはにぶくなっている。

カズと俺くらいかな、元気なのは。とにかく、俺たちが動けるうちにゴールを決めないとヤバイ。

ボールを受けた俺は、もはやサイドバックどころかウィングに近い位置まで上がっているカズに何の気無しに横パスを預けた。

そのままゴール前へロングボールか、リターンのパスを受けるか。

俺ですら、そう考えていた。なのに、目に入り込んだのは予想外の光景。

アイツはボールを運び、勝負をしかける。
260 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/06/14(日) 18:59:14.49 ID:c1TO+PyRO
この試合、カズはほぼ全てのプレーを3タッチ以内で終わらせていた。トラップしてパスやロングボール、とにかく勝負をしていなかった。少なくとも、俺の記憶にあるうちでは。

そんなカズが、この時間になってドリブルを始めた。予想外なのは7番だけじゃなかったはずだ。

慌ててプレッシャーをかけにいった相手を、アウトサイドで急に方向転換をしてかわす。体力も無くなりかけている7番はそのターンについていけず、濡れたピッチに足を奪われ転けてしまう。

これでもう、アイツは独走状態だ。邪魔をするものはない。カズは抉るように相手陣内を突き進んでいく。

ゴール前はガチガチに固められていて、さっきはフリーだった逆サイドの選手もしっかりマーカーがついている。

少しでもゴール前の人数を増やそうと、俺もそこに向かって走りながらカズの行く先を見る。

これ以上進ませるのはマズイと判断したのか、ディフェンダーがカズにプレッシャーをかけにいこうとした、その時。

カズは楽しそうに笑みを漏らして、ゴール前へ弾丸のようなボールを蹴った。まるで、同点ゴールの時に俺があいつに出したパスみたいに。
261 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/06/14(日) 19:17:43.09 ID:c1TO+PyRO
雨で濡れた芝に触れた瞬間、そのボールは加速する。イレギュラーなそのボールは、変化に対応できなかった相手選手の足に当たると、ゴールに向かって角度を変えた。

同点弾に比べると、技術的には大したことのないものかもしれない。見映えも良くはない。

それでも、そのとき以上の歓声と歓喜が爆発した。

「カズーー!」

声をあげてカズに向かって走っていく。後ろからはチームメイトも後をついてくる。

「よくやった!」

「良い判断だった!」

「俺の同点弾が霞むじゃねぇか!」

みんながみんな、カズを囲んで称えていく。やっぱりうちは、こいつのチームだ。こいつのプレーで、チームが前に進んでいける。

喜びを爆発させているのはスタンドもそうみたいで、観客も声をあげてカズの名前を呼んでいる。

ポジションに戻りながらカズがそちらを見ると、何だか謎に自分を指差しながらスタンドにガッツポーズを見せた。

決勝のこの場面での得点に、シャイなあいつも珍しくパフォーマンスするくらいテンション上がってるのかな。

「このままいくぞ! 集中!」

そのテンションは維持したまま、油断はしないように声をかける。まだ試合は終わってない、あと少し、乗り越えてやる。勝ちきってやる。
262 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/06/14(日) 23:28:07.95 ID:r+pSh9PWO
試合終了を告げる笛が鳴ると、喜んで走り回るチームメイトを視界に入れながら、俺は腰に手を当てて一息ついた。

勝った。格上相手に、泥臭く勝った。

この雨は不幸を示唆する雨じゃなくて、番狂わせの雨だったんだな。試合前に考えてたことを思い出して、自分で少し笑ってしまった。

「おめでとう」

声をかけられた方に目を向けると、キックスのキャプテンがそこにはいた。

「オオタくんだよね、昔J2のクラブにいた」

「あっ、はい……知ってたんですか?」

試合にもろくに出られずに退団したのにね。詳しいな。

「そりゃ、相手のエースのことくらいは調べるさ」

彼は笑いながら、言葉を続ける。

「試合が始まるまでは、君を押さえれば勝てると思ったんだけどね。あとは県リーグレベルの選手だから、圧倒できるだろうって」

「始まるまで、ですか?」

何となく、言いたいことは分かっている。それを確認するように、わざわざ俺は聞き返した。
263 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/06/15(月) 00:23:32.08 ID:qPKYXRIYO
「あのサイドバックだよ。驚いたね、うちの若いやつなんかよりよっぽどしっかりしてるよ」

彼はカズの方を見た。何だろうね、自分のことみたいに嬉しい。

アイツは自分が誉められていることなんか思ってもいないんだろうな、笛が鳴ってしばらく経つのに、まだチームメイトと喜んでるよ。

「うちはアイツのチームですよ。みるみるうちに上手くなってますし」

「君と一緒にプレーできてるのも大きいんだろうね、息がピッタリで敵ながら感心させられたよ」

悔しいぐらいね、と呟いた。試合相手のことを認める、それも負けた直後になんてそうそう出来ることじゃない。

「まぁ、本戦でも頑張ってよ。俺たちに勝ったんだから、せめてJ勢と戦うところまではさ」

その言葉を残して、彼は落ち込んでいるキックスの選手に声をかけに向かっていった。

「すげぇなぁ……」

何か、器の大きい人だ。あんな人に認めてもらったんだし、本戦で恥ずかしい試合をするわけにはいかない。

挨拶のためにハーフウェーラインに向かって歩きながら、俺は頭のなかで試合をイメージする。

キックス以上に手強い相手を前に、満員のスタンドでパスを出して、ゴールが決まるところを。そして喜びの輪の中心では、カズが立って拳を突き上げてた。

気持ち良さそうだな。

……でもとりあえず、今日は疲れた。
264 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/06/15(月) 00:29:52.57 ID:qPKYXRIYO
挨拶が終わると、改めて歓喜の輪が広がった。

今度はそこに俺も加わって、ビューティフルゴールをあげたチームメイトに「まぐれ爆発させやがってよぉ!」なんてふざけて声をかけてやる。

みんなでワイワイしていると、カズがいつの間にか抜けていることに気がついた。どこ行ったんだ、あいつ?

きょろきょろ視線を泳がせていると、スタンドに向かっているのが目に入ってきた。

キックスのキャプテンが誉めてくれてたことを教えてやろうと思ってカズを追いかけていると、何やらスタンドにいる女の子と大声で会話をしている。

何だ、アイツ、やることやってんじゃん。

邪魔するのも悪いけど、この後は表彰式もある。後でゆっくり話してもらおうと、カズに呼び掛けた。
265 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/06/15(月) 00:38:12.17 ID:qPKYXRIYO
「カズー、表彰式!」

少し意地悪ににやけながら声をかけると、カズは女の子に「ちょっと待って、時間あるなら待っててくれたら、後でそっちに行く!」と言い残してこっちに向かってきた。

「何だよ、彼女?」

「違いますっ」

否定はするけど、カズの顔はちょっと紅かった。たぶんまだ付き合ってはいないのかな。でもたぶん、これから。

「カズをよろしくー!」

振り返って、彼女に向かって叫びながら手を振ってみると、あの子も遠慮ぎみに返してくれた。

「やめてくださいよっ」

そう言うと、カズは俺に無理矢理前を向かせて軽く肘を入れてくる。

悪い悪いと返しながら笑いかけると、「全くー」なんてこぼしながらもカズもニヤニヤしていた。何だよ、試合中のテンションが高かったのは、ゴールの喜びだけじゃなかったのね。
266 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/06/15(月) 07:18:29.55 ID:66643RH/O
おつ
勝ったか
熱かったな
267 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/06/15(月) 21:10:30.06 ID:MFhT3Yc7O
表彰式も終えると、カズはそそくさとスタンドに向かって行った。一緒にダウンをするのが試合後の恒例なんだけど、今日はそれも逃がしてやることにしよう。

カズ以外のチームメイトは濡れたユニホームを脱いで体を拭きながら、試合の感想を話し合っている。その大体は「勝てるとは思わなかった」「カズ、やっぱり上手くなってるよ」みたいなものだった。まあ、試合前に負けたいと思うやつはいないだろうけど、絶対に勝てるって信じていたやつはいないんじゃないかな。

「今日は祝勝会だな!」

ヤマさんがそう言うと、一斉に湧いた。まあ、今日くらいは良いよな。俺も久しぶりに飲みたいし。

前にカズと飯行った時は俺も暗い話をしてしまったし、今日は楽しくアイツと飯を食おう。そうだ、それであの女の子の話も聞きだしてやろう。

ミユ、ライバルいるじゃん。

そう声をかけようと思って妹の姿を探してみると、ミユもいつの間にか消えてしまっていた。さっきまでその辺にいた気がするのにね、どこ行ったんだ、あいつも。
268 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/06/15(月) 21:12:39.96 ID:MFhT3Yc7O
カズのこと追いかけた……とか? 嫉妬? うーん、分からない。

別に今すぐ用事があるわけじゃないけど、何となく嫌な予感がして俺はミユを探しにその場を離れた。

ヤマさんには「すぐに移動して飲みに行くから、さっさと見つけて来いよ」って言われちゃったよ。カズのことは触れないあたり、ヤマさんも微妙に空気を読んでるのかも。

カズがスタンドに行くって言ってたから、傘を片手にとりあえずそっちに向かう。

途中、すれ違ったチームメイトの家族とか恋人とかに「あざーしたっ! 妹、見ませんでしたか?」って聞いてみるとすれ違ったって言われた。

間違いない、あいつはカズを追いかけてる。

「今日はヒロくんの美人さんがいない代わりに、カズくんにかわいこちゃんが来てたわね」なんて笑ってくるから、俺も愛想笑いを返しといた。

それにしても、ミユ、何しに行ってるんだよ。空気読んでやれよー。そりゃ、俺もカズと上手くいけば良いなって思ってたけどさ。それにしても、邪魔はやめてやれよ。
269 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/06/15(月) 21:15:48.37 ID:MFhT3Yc7O
妹に心のなかで文句を言いながら、引き留めるためなのか何なのか、俺はスタンドに向かって階段を上る。

その時、スタンドから叫び声が聞こえた。何だか聞き覚えのある、女の声だ。

戸惑いながらこのまま進んで良いものかと思っていると、ミユが傘もささずに上から姿を現し、走って階段を下りてきた。俺のことをチラッと視界に入れてはいるみたいだけど、立ち止まる気配は全くない。

「おいっ、どうしたんだよ」

呼び止める俺の声も無視して、あいつは去って行こうとする。腕を掴んで止めてやりたいけど、階段でそんなことをするわけにもいかなくて。ミユを追いかけながら俺も登って来たばかりの階段を下りていく。

せっかく試合にも勝ったっていうのに、どうしたんだよ。こいつ、やっぱりカズのこと本気だったのか?

「おい、ミユっ!」

最後の段から地面に降りたとき、俺はミユの肩を掴んで振り向かせた。

「っ……!」

息を殺したまま向き合った目は充血していて、頬が塗れているのは雨のせいだけじゃないってことがすぐに分かった。

「……ごめん、先に帰るね」

その言葉を耳にした俺は、制止を振り切って走りだしたミユを、引き留めることができなかった。何でかは分からないけど、その強さに押し切られた。

「何なんだよ……」

俺の呟きは、雨が地面を叩く音でかき消された。

予想外の展開が起きるのは、サッカーの試合に限ったことじゃなかったらしい。
270 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/06/15(月) 23:40:51.13 ID:MFhT3Yc7O
ゆうちゃんを見送った後、僕はどうすべきか分からずにスタンドにぼーっと座っていた。

何だろう、何があったんだろう。

頭の中を整理できなくて、僕はひたすら出来事を振り返る。

キックスとの決勝戦、僕たちは勝った。そして、ゆうちゃんも試合を見に来てくれていた。

ここまでは良し、良かったことだ。夢でも幻でもない、現実だ。

そして、試合が終わって僕はここに来た。ゆうちゃんと話していた。ミユが来た。

ミユの言葉を頭のなかで繰り返す。

それは、僕にしても何だか認めるのは辛いものだった。でも、さっき起きた出来事も、ミユの発言も、きっと夢幻ではなく現実なんだ。
271 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/06/16(火) 01:03:20.59 ID:JwF3voJBO
スタンドから見るピッチは、何だか遠い場所みたいだった。

さっきまであそこで試合をしていたはずなのに、辿り着ける気がしない。

それと同じで、さっき会っていたはずのゆうちゃんも、すごく遠いところに行ってしまった気がする。

今、目の前にいないからとか、そんな理由じゃなくて。彼氏がいるから? それも違う気がする。

でも、はっきり分かったことがある。

僕は彼女のことを何も知らない。

少し浮かれすぎてたのかな、身の程知らずと言った方が正しいのかもしれないけど。勝手に身近に感じていて、そのくせ実は何も分かっちゃいなくて。
272 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/06/16(火) 16:42:30.28 ID:cWL7B+7qo
あいも変わらずドロドロしてんなあ…おいw
273 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/06/16(火) 18:01:04.86 ID:JwF3voJBO
何ておめでたいやつなんだ、僕は。

自嘲してしまうくらい、僕は浮かれていた。

少し幸せなことがあると、すぐに自分がダメなやつだってことを忘れてしまう。

試合でちょっと良いプレーが出来たからとか、ちょっとゆうちゃんと良い雰囲気になれたとか、ただそれだけで幸せな気持ちになって。

「救いのないやつだよな」

吐き捨てるように、言い聞かせるように呟いた言葉は、他の誰にも届かないまま僕の心だけに痕を残した。
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