109:名無しNIPPER[saga]
2023/06/24(土) 16:47:43.72 ID:r4k1/UK80
影膳に視線を落とすと、生前に楽しみにしていたあの羊羹が添えられている。間違いなく、妻の計らいであろう。まったく、この女の勘の良さと言ったら。僕は、彼女に「ありがとう」と耳打ちしてから羊羹をつまんだ。
110:名無しNIPPER[saga]
2023/06/24(土) 16:48:21.35 ID:r4k1/UK80
少しだけ頬を赤らめ微笑む妻と並んで、ゆっくりと会場を見回す。かなりの大人数がひしめき合っているがだが、誰一人として顔と名前が一致しない子はいない。ネクタイを緩めだらしなくシャツをはら毛出しているのは、僕の三男の末っ子。座敷の片隅で輪に混じることなく寿司を貪っているのは、次女の息子。先ほど泣かせてしまった玄孫は、四女の孫だ。僕の大事な家族たち。
111:名無しNIPPER[saga]
2023/06/24(土) 16:48:56.42 ID:r4k1/UK80
思えば僕の人生、妹を失い、両親を見送り、悲しみに打ちひしがれることもあった。しかし、それ以上に家族が増える幸せに満ち溢れていた。人の生き死にをそう表現するのは功利主義的であまり気持ちが良いものではないが、プラマイでいったら確実にプラスだろうさ。カントだって認めざるを得まい。
112:名無しNIPPER[saga]
2023/06/24(土) 16:49:31.97 ID:r4k1/UK80
僕は、かつて望んだ平凡な人生とは随分かけ離れた生き方をしてしまった。しかしそこには、非凡な人生でしか味わえない非凡な大きさの幸せがあった。その人生を楽しめたかと問われれば、僕は躊躇なく「YES」と答えられる。もはや、人生に悔いなどない。羊羹も既に腹の中だ。
113:名無しNIPPER[saga]
2023/06/24(土) 16:50:02.99 ID:r4k1/UK80
そんなことウトウト考えていると、とんでもない光景が目に入ってきた。
その女は、通夜に似合わぬケンタのボックスを抱えていた。艶やかな髪に、少したれ気味の目、年老いてはいるが見間違えようがない僕の二番目の妻だ。彼女は、その年齢からは想像できない素早さで僕の空っぽの肉体へと近づくとケンタのボックスを素早く棺桶へと突っ込んだ。あまりに迅速に事を為したせいか、誰一人として彼女の奇行に気付いた者はいなかった。彼女の行為が、何を意味するかはわからない。だが、あの謎宗教がらみの所作であることは間違いなかろう。
114:名無しNIPPER[saga]
2023/06/24(土) 16:50:46.51 ID:r4k1/UK80
火葬後に起きるであろう惨劇、あるいはミステリーが、既に機能を止めたはずの僕の胃をキリキリと痛ませ始めた。死んでしまった僕には、もはやどうすることもできない。ただただ天に祈るしか術はなかった。
「どうか、あのチキンが骨なしでありますように」
115: ◆CItYBDS.l2[saga]
2023/07/02(日) 00:05:55.37 ID:0geUM6AN0
♪ 2095年8月1日 日曜日 ♪
人間の骨の数は、200に及ぶと聞いたことがある。
116: ◆CItYBDS.l2[saga]
2023/07/02(日) 00:06:26.09 ID:0geUM6AN0
いくら僕の家族が多いと言っても、全員に骨拾いをさせてあげるには十分な数のはずだったが、残念なことに高温で遺体を焼きあげる火葬炉は、僕の小さく老いた骨の大部分を容易く灰にしてしまった。まあ、チキンの骨も残らず燃え尽きてしまったことを思えば「幸運にも」と言い換えても良さそうだ。
117: ◆CItYBDS.l2[saga]
2023/07/02(日) 00:06:56.95 ID:0geUM6AN0
焼きあがった(あるいは焼け残った)僕の骨は、家族の手によって粛々と骨壺に収められていった。この時ばかりは、みな神妙な面持ちで僕も少しだけ緊張してしまった。妻と長男の手で、僕の頭蓋骨がツボに納められるとドッと肩の荷が下りた気持ちだった。そして最期に残った灰を、葬儀屋さんが丁寧に集めツボに流し込む。その灰の中には、前妻が棺桶に入れたチキンの灰も混ざっていることに若干の気持ち悪さが残るが、死んでしまった僕にはどうすることもできない。
118: ◆CItYBDS.l2[saga]
2023/07/02(日) 00:07:26.96 ID:0geUM6AN0
ツボの蓋が閉じられると、急に目の前が真っ暗になった。世界からいっさいの光が消え、自分の手元すら見えない。妻の声が微かに聞こえるが、こもっていて何を言っているのか意味はわからなかった。ここにきて、僕はようやく自分が死んでしまったことを自覚した。最早、僕はツボの中の遺灰に過ぎないのだ。光が届くはずもなく、音だってまともに聞こえるわけがない。
そこは、酷く冷たく寂しい場所だった。
119: ◆CItYBDS.l2[saga]
2023/07/02(日) 00:07:58.86 ID:0geUM6AN0
「おおい、ここから出してくれ」
不安に耐えられず声を上げるも、誰に届くはずもない。失ったはずの心臓がドクンドクンと強く脈打ち、額から冷たい汗が落ちた。あまりの恐怖に気が触れそうになったその時、天から光がさした。その白く温かい光は、ゆっくりと僕の全身を優しく包み込んでいく。良かった、本当に良かった。一生ここに取り残されるのかと思った。この光は、きっと天からのお迎えに違いない。
120: ◆CItYBDS.l2[saga]
2023/07/02(日) 00:08:39.89 ID:0geUM6AN0
天を見上げると、丸く大きい影がゆっくりと降りてくる。逆光のせいで、その輪郭しかわからないがそれは人の形を為していた。浄土真宗では、死に臨み迎えに来てくれるのは阿弥陀仏と聖者たちであったはずだ。しかし、僕の傍らに降り立ったそれはかつて見た阿弥陀仏来迎図に出てくる如何なる人物ともかけ離れた姿をしていた。
121: ◆CItYBDS.l2[saga]
2023/07/02(日) 00:09:14.82 ID:0geUM6AN0
身の丈は僕の腰ほどしかなく、はち切れんばかりに膨らんだ腹に短い手足、背中からは虹色でまだらの入った翼。そして一際特徴的なのは、額にある星形のほくろとそこから伸びた一本の毛。二番目の妻が持っていた聖書に載っていた氏神様だと、すぐに気づいた。彼は、柔和な笑みを浮かべ手を差し伸べてきた。
神様自ら迎えに来てくれるなど光栄極まりない事であろうが、一抹の不安もあった。
122: ◆CItYBDS.l2[saga]
2023/07/02(日) 00:09:45.75 ID:0geUM6AN0
「できれば、妹や両親のいるはずの極楽浄土に連れて行って欲しいのですが」
神様はわかっていると言わんばかりに、うんうんと頷き再び手を伸ばす。これまで僕の人生で、幾度となく恩恵を与えてくれた神様だ。きっと悪いようにはしないだろうと、僕はその手をしっかりと握った。
123: ◆CItYBDS.l2[saga]
2023/07/02(日) 00:10:32.82 ID:0geUM6AN0
神様の手を掴むと、僕の体はふわりと浮き上がった。妻に抱えられていたツボを飛び出し、火葬場の天井を抜け高い空へとぐんぐん昇っていく。今日は雲一つない快晴だ。僕が生まれ育った土地が、隅々まで見渡せる。東に臨む太平洋は薄暗く影を落とし、西の山地に沈む夕日が街を赤く染めている。人生の最期に相応しい美しさだ。
僕は、自ずからソロモン・グランディを口ずさんでいた。
124:名無しNIPPER[saga]
2023/07/02(日) 00:11:32.51 ID:0geUM6AN0
月曜日に生まれ
火曜日に洗礼
水曜日に嫁をもらい
木曜日に病気になった
125:名無しNIPPER[saga]
2023/07/02(日) 00:12:19.14 ID:0geUM6AN0
神様が、楽し気な僕の歌に釣られてか機嫌よく肩を揺らした。それに調子をよくした僕は、今度は空中に広がる声でソロモン・グランディを高らかに歌う。神様も、それに合わせてコーラスに入ってくれた。夕焼けで真っ赤に染まった空で、僕と神様は陽気に歌い空を縦横無尽に駆け回った。きっと僕たちの歌声は、下界に残した家族たちにも、極楽浄土で待っている家族たちにも届いたことだろう。
126:名無しNIPPER[saga]
2023/07/02(日) 00:12:53.31 ID:0geUM6AN0
思えば、平凡とは随分かけ離れた非凡な人生を送ってきた。それでも僕は、ソロモン・グランディに憧れるのをやめられない。だから僕は、ソロモン・グランディを大きな声で歌うよ。だからみんなは、僕の歌を歌っておくれ。一週間じゃ収まりきらない僕の人生の歌を。
127:名無しNIPPER[saga]
2023/07/02(日) 00:13:25.94 ID:0geUM6AN0
これにて僕も一巻の終わり
128:名無しNIPPER
2023/07/02(日) 00:35:38.77 ID:2E/oO5b20
いいね 乙
129:名無しNIPPER[sage]
2023/07/02(日) 00:50:09.33 ID:zTLsEnzP0
2ヶ月以上かけてまで書く内容だったのか……
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