44:名無しNIPPER
2021/11/27(土) 22:12:58.32 ID:u50g9+A20
文香が、部屋を出てきた気配がした。もう一度、心の中で数字を数えて、振り返った。
「ありがとうね、文香」
「えっ?」
「私のためにわざわざプロデューサーに文句を言いに来てくれたんでしょ」
「そんな……ただ、私は納得できなくて……」
「そんなことまでしなくていいのに」
「そうは……行きません」
文香はプロデューサーの説明を聞いたところで、まだ納得はできていないようだ。いや、それどころか聞いたからこそ、なおさらまだなにか思うところがあるようで。
「私もこともいいけど、文香はもっと、自分のことを喜んだらどう。まずはそれが第一だと思うけど」
「そんなことを言われても……」
「私は嬉しいわよ、文香がちゃんと選ばれたこと」
言葉にすると、ちょっと皮肉めいて聞こえてしまうか。でも、それは偽りのない言葉だった。
「自分が落ちたことは……まあ、ショックがないと言えば嘘になるけど。文香が選ばれたことは、私はとても嬉しいから」
私は笑って見せたけど、文香は、複雑そうな表情のままだった。
私たちは並んで、事務所を後にする。いつもは駅に向かうけど、私は逆の方向を指さした。
「私、この後ちょっと用事あるから」
「わかりました……それじゃあ……」
「ええ」
「文香」
「はい?」
「頑張りましょう、お互いに」
「……はい」
返事は、肯定とも、否定ともとれる曖昧なニュアンスだった。
一人街の中を歩きだして、小さく息をついた。
「まあ、こんなものね」
私はつぶやいた。
その音は余りにも脆く、誰かの耳に届くこともなく真夏の雑踏に崩れて、消えていった。
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