黒埼ちとせ「メメント・ウィッシュ」
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16:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/11(木) 19:54:06.53 ID:fM9nM/xA0
「ああ、千夜か……そっちは大丈夫?」
「……これほど時間が経ったのです、多少は落ち着きました。お前に心配されるほどではありません」
「ならよかった」

 嘘だろう。鉄面皮と仏頂面を保ってこそいるが、缶コーヒーを包み込む、黒いタイツに覆われた千夜の指先は微かに震えていた。
 白雪千夜。黒埼ちとせの従者であって、俺が担当しているもう一人のアイドル。
 きっちりと一人分の間隔を開けてベンチに腰掛けた彼女のいつもと変わらないような横顔を一瞥して、声には出さずにその名前を喉元まで諳んじる。
 今でも思い出すことができる。彼女はその名が示すように夜のような、そして雪のような女の子だった。
 出会ったばかりの頃なら多分ベンチに腰掛けすらしなかったし、話しかけることもしなかったのだろう。そう思えば、随分と打ち解けられたものだが。

「……私の顔に何か?」
「いいや、何も。ただ常備薬が一つ減ったなって」
「そうですか、私は増えましたが」

 胃薬。皮肉を察して皮肉で返す辺り、本当に聡明な子だ。そこは彼女の美点だと、素直にそう思う。
 ただきっと、そう生きなければいけなかったのだろう。そう生きるしかなかったのだろう。
 彼女の過去について訊かされたのはちとせからだったし、俺はそこにあえて多くを問うことはしなかった。
 千夜はそれを望まないだろうし、本人からそれを訊いたところで、俺は青ダヌキもとい未来から来た猫型ロボットじゃない。だから、そこにあった過去を塗り替えることなんてできはしない。
 正直なところ、俺は彼女のプロデューサーとしてはあまりよくできていないのだと、今でもそう思う。

『悪い子じゃないのよ? ふふ、私の可愛い僕ちゃんをよろしくね、魔法使いさん』

 ちとせからそう紹介されるまでただの一言も喋らなかったことを覚えている。重ね合わせた年月の中で、千夜の口から紡がれた言葉に含まれた虚無と、砕けて使い物にならなくなってしまった何かのことを覚えている。


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