79: ◆PL.V193blo[sage]
2018/04/20(金) 21:34:17.49 ID:NMaauvKO0
「――この、日本の!」
右側に置いた太刀を手に取った瞬間、小僧の矢のような一声が男を射抜いた。
「この国の明日のために、この戦争でこれ以上、死なぬでもよい者達を死なすわけには参りませぬ」
童顔のわりに鋭いまなじりは、鬼に対して一歩も引かぬと言っていた気がする。
「新たな日本の担い手、たった一人でも多く、後の世に繋がねばいかぬのです!」
斬る、と思うたは、洒落や伊達ではなかった。新撰組で斬るぞと言って、やはり斬らぬという間抜けは居らぬ。
まして鬼の群れの中でも最も人斬りに躊躇の無い、この男であればなおさら。
世に稀なる左利きの剣士である男は、右側に太刀を置いたまま、即座に抜き打つ事が出来た。その居合一閃でもって何度となく暗殺を成功させてきた。
ゆえに、斬るの文字が頭に浮かんだ時点で、言うが早いか肉体は既に斬り捨てるつもりであった。
男の打ち気、すなわち、右手で鞘を取った斬るのきの字を捉えたのは、小僧の後の先の剣気である。
あれが言葉でなく刀であれば、左手で柄を抜き放ったが際、交錯の刹那に男の頸が飛んでいたはずだ。
『剣気を捉えよ、打つのうの字を打て。後の先とは、即ちそれじゃ』
木剣で血だるまにされながら食らい付いてくる、いつかの百姓小僧に、男が教えた唯一の居合いの極意であった。
「この、阿呆が」
――――この小僧が、最初で最後であろうわしから取った一本が、よもやこれほど、考え得る中で最も忌々しい形とはの。
「恨むぞ」
「申し訳、あいや……かたじけない。」
小僧の顔からフッと剣気が消えて、すがるような元のくしゃくしゃ顔に戻りおった。
いっぱしの志士めいた口をほざいた、凛としたまなざしも消え失せて、低身して深々と下げる小僧の頭を、よほど蹴り上けてやりたいと思うたわ。
「かたじけのう、ございまする。斎藤先生」
武士が平伏するな、首打たれるがごとく頭を垂れるな。
何度言うても、この小僧の悪癖は直らなんだ。
今たびとて、互いに剣気をぶつけ合った相手を前に目を切り、あまつさえ首を差し出すなど。
武士の気構えに欠くるわ、この、たわけが。
そういってもどうせ聞かぬであろうから、やはりこいつは百姓小僧なのじゃと、斎藤は思うことにした。
どうにもならぬ、事であるから。
しようがないわ。
恨むぞ、小僧。
――――新撰組撃剣師範・山口二郎は、「会津を見捨てるは誠義に非ず」と会津での抗戦を主張し、北方へのさらなる転戦を決意した土方歳三と決別。本隊が降伏した後も七日余り戦い抜き、最後は会津中将・容保の使者の説得に従い、会津藩士として投降した。
山口二郎と共に投降した者たちは、全員が命を保証された。
その後、山口は藤田五郎と改名、明治政府警視庁に所属し西南戦争などで活躍した後、大正の新時代まで生き抜き、七十二年の大往生を遂げた。
後年、藤田は剣術草談や西南戦争での逸話を後進によく話したとされるが、戊辰の戦については一切語ることはなかったという。
かつての名は、新選組三番隊組長・斎藤一。
弟子や流名は、伝えられていない。
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