高垣楓「君の名は!」P「はい?」
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67: ◆PL.V193blo[sage]
2018/04/20(金) 21:16:07.70 ID:NMaauvKO0
「わしはいい……若い者から回してやれ」

川島は地べたに腰掛けたまま、握り飯を配給しにきた少年隊士を、腕を振って下がらせた。
半分凍った握り飯だが、物資不足の今ではそれでも貴重すぎる補給だ。
ならば、少しでも元気な者からありつけさせてやるのが道理であろう。

「……くそっ……!!」

川島はずくずくと血の染みてくる、下手くそな包帯の巻かれた自らの脚を忌々しげに見つめた。

鳥羽伏見で一敗地にまみれた新撰組は、敗走を重ねた。

京を追われて、旧幕軍はひとまず大阪へ落ち延びる事となる。それは将軍慶喜公が大阪に本陣を構えていたからなのだが、退却する彼らにもたらされたのは思わぬ知らせだった。
会津・桑名や新選組がいまだ戦っているうちに、公方様は僅かな側近を伴って海路で江戸に退いてしまったという。大阪に集合したときは大阪城はすでにもぬけの殻であった。

「千兵が最後の一兵になろうとも決して退いてはならぬ」

徳川慶喜公自らのその厳命とは裏腹に、主を失った本丸の御座所には徳川将軍の金扇御馬印だけが、とるものとりあえずとでもいう風に置き去りにされていたという。
しようがないので追っ掛けるように江戸に退却したが、そこでなんと慶喜公から江戸城登城の禁止と江戸追放を言い渡され、おまけに、会津・桑名は朝敵とされてしまった。

あんぐり、開いた口が塞がらぬ、とはこの事だった。死力を尽くして戦っていたら御大将から置いてけぼり、なんとか本陣にたどり着いてみたら、今すぐ出ていけ。とどめにお前らは今日から天下を乱す逆賊じゃ、と。

その後は甲州鎮撫隊として戦ったがこれが散々な負け戦で、めいめいが散り散りになって江戸まで退却してきたら、すでに江戸は無血開城しており将軍は水戸へ蟄居していた。

ここまであからさまなもんかい、と言いたくなるほどの、トカゲのしっぽ切りであった。幕府の最前線を担った会津・桑名を身代わりに、さっさと手終い店じまい、という話だ。

将軍や御三家といったお偉方はハナから保身の事しか頭になくて、旧幕軍の将兵は捨て石にされた。そればかりか最も忠義篤く抗戦していた会津・桑名に全責任をおっ被せて、自分たちはとっとと降参してしまった。
そうなると、徳川譜代大名も親藩も次々と新政府側に付いた。孤立してゆく中、新選組はあくまで旧幕軍として戦い続け、奥州まで後退する事となった。




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