52: ◆PL.V193blo[sage]
2018/04/20(金) 20:53:15.61 ID:NMaauvKO0
この時代の庶民の年収というと、大体二十五両から三十両くらいである。
対して新選組というのは三食住まい付きで“月給”が平隊士でも十両、さらに手柄を立てたり介錯人などのお役をこなせばその都度、三両、五両と褒美やお清め代が出ていたから、確かに金回りはすこぶるよかった。
幹部である助勤以上や隊長格は三十両、局長である近藤は五十両取っていたほどで、実際、隊士の中には正妻の他に、休息所と称して妾を囲っていたものも少なくなかったのだ。
その代わり、いつ死んでもおかしくはなかった。任務中の殉職はもとより、常に内部告発や士道不覚語による切腹沙汰が後を立たなかった。
しかも蓋を開ければ、良くて脱藩、並みで中間や戸籍もないような貧乏庶民、悪ければ殺人や不貞をしでかして逐電してきたようなのもいたくらいで、いずれにしろ国許には帰れない、潰しの利かない一方通行の男たちであった。
さすがにそうとは言えぬから、皆が憂国の志のため身を投じた志士であるとは語っていたものの、実情は飯と銭につられて集まった命知らずといったところが大半であったろう。
一方、島原の花魁というのも、また法外であった。瑞樹天神のような上級芸妓であれば一晩、酒を飲むだけでも二両から三両はした。身請けともなれば数百両は要った。
ましてその最高峰たる鯉風大夫の揚げ代となれば、推して知るべしである。一応、幕府のお触れで身請け代の上限は五百両までと決まっているのだが、図抜けた人気の遊女であればその先稼ぐであろう揚げ代の見込みがご祝儀やらなんやらに加算されて、その上限を超える金額となることもあった。
鯉風太夫の身請けともなれば、おそらく千両は下るまい。
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