萩原雪歩「ココロをつたえる場所」
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21: ◆kiHkJAZmtqg7[saga]
2017/12/31(日) 21:10:05.10 ID:bbgcA4Fi0



 本番と同じ環境で練習する機会を数多く用意することができることは、765プロが劇場を有することによる恩恵の一つとして挙げられる。特に、新人アイドルにとっては公演によって顔を知ってもらう機会を増やせることに並ぶ大きなメリットと言えるだろう。
 当然ながらスケジュールの調整は必要になるものの、外部の会場と比べればそのハードルも大幅に低くなる。公演やその準備、片付けが入っていない時間であれば、ステージの広さに合わせた動きをするための練習も比較的気軽に行えるわけだ。

「衣装に袖を通して、本番と変わらないステージの上で歌い踊る……プロデューサーは気負うほどのものではないと言っていましたが、一種のリハーサルのようにも思えますわね」

「全体の流れを確認するための通し練習だから、ちょっと似てるかも? 練習には変わりないですけど」

 薄暗い舞台裏に四人揃って小声で話していた。千鶴と雪歩の言葉に、ロコは小さく身体を震わせる

「あ、改めてそう言われるとちょっとだけ緊張しますね。モモコは……こういうの、慣れてるんでしたっけ」

「え? ……え、と、うん。別に、ステージに立つなんて、珍しいことじゃないし」

 何か別のことを考えていたというわけでもないはずだけど、桃子の反応は薄く、遅れていた。少し気にかかったけど、公演で披露する曲はロコのソロが最初だ。今回はMCのパートを飛ばして進行するから、そろそろ舞台に上がらないと。

「……そうですか。それじゃあトップバッター、行ってきますね!」

 いってらっしゃいの声をひとつ背に受けて、ロコはステージへと駆けていく。ステージライトは簡素で客席も空っぽ。初めて見る光景でも何でもないのに、どうしてか胸の内側がざわついた。
 無音の舞台に、ロコの曲が流れ始める。ロコはマイクを握り、アップテンポな音楽に合わせてステップを踏む。そして、歌いだす。
 マイクを通じて劇場の音響機器から流れるロコの歌声は、彼女の耳に普段のレッスンと全く違う響きで届く。初めての経験じゃない。困惑するほどのことでもない。そのはずなのに、ロコはどうしてか追い立てられるような不安に駆られた。
 ロコは、歌を通じて表現したい感情をきちんと表に出せているだろうか。踊りはどうだろう。そんなような言葉が頭の中をぐるぐる回る。集中しているとは、とても言えない状態。
 だから、それは必然だった。ターンが一呼吸遅れたことに気づいて、焦って次のステップを踏もうとしたら、ロコの身体はおおよそ立っていられるはずもない姿勢になっていた。がたん、と硬質な音を何倍にも大きくした雑音がスピーカーから響く。

 盛大に転んでいた。その事実に気づくまでにも数秒の時間を要した。はっとして地面に転がったマイクを拾う。プロデューサーが心配して音楽を止めるその前に、もう一度歌い始める。必死だった。
 ダンスも区切りのいい所から再開して、ただやりきることしか頭になかった。気づけば曲は終わり、その間の記憶は、ほとんど残っていなかった。

 誰もいなくても、ステージに立っているアイドルとしてのプライドがロコの姿勢を保っていた。でも客席から見えない場所まではけてしまえば、もうとぼとぼと歩くばかりだ。

「その……大丈夫ですの、コロちゃん?」

「ノットソーグッド、です……。じゃなくて、ロコのことよりもまずはファイトですよ、チヅル!」

「……そう、ね。いってきますわ」

 次の出番のためにステージへ向かう千鶴には、情けない姿を思いっきり見られてしまった。張り詰めた、あるいは物憂げな千鶴の表情が瞼の裏に張り付いている。自分のせいであんな顔をさせているのだとしたら嫌だな、とロコはうつむいた。それは、なおさら暗い顔を強調させてしまうというのに。

「……ただいま、です。クールに決めたかったんですけど、ダメでした」

「おかえりなさい。……そういう日もあるよ。次、頑張ろう?」

 光の届かない舞台裏に戻ってきた。雪歩の優しげな声が、少しだけロコの気持ちを楽にした。
 桃子はロコから目を逸らしている。面持ちはほろ苦く歪んで見えた。……ロコのミスをみんなに引っ張ってほしくなんてないからと、声をかけてみるけど。

「……その、モモコ」

「…………ごめん。励ましとか、そういうの、思いつかないの。……また酷いこと、言っちゃうかもしれないから」

 返ってきたのは、配慮に包まれた否定だった。桃子の指摘は確かに厳しいものも多くて、怖いと感じることもある。でも、それ以上に苦しいのは、これから立つ舞台に注がなきゃいけない集中を桃子から奪ってしまうことだ。
 伝えようにも、どうにもできなかった。ただ、桃子の気遣いを無駄にしないために押し黙ることが、ロコにできる全てだった。


 ロコの心配とは裏腹に、その後の練習は大きなミスもなく順調に進んだ。だけど、全体曲だけはまだ上手くいかなくて、四人の動きは揃ったり揃わなかったり……ぎこちなくほんの一部分だけが重なり合っていた。



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