70:名無しNIPPER[saga]
2017/12/18(月) 20:29:39.85 ID:AHCstnE90
◇◇◇
「よろしいので?」
と、口にしたのは隣に立つマデューカスだった。
制帽のつばの下から厳しく光る彼の瞳を見返しながら、テッサは頷いて見せる。
「M9が3機中破したのは痛いですが、彼女の提示した条件なら上から予算も引き出せるでしょう。
販路はジオトロン社辺りが喉から手が出るほど欲しがるでしょうし……
逆にここで断れば、残るのは中破したM9が3機と、パイロットを失ったアーバレスト。
ウチの部隊、破産しちゃいますよ? ミスリルで唯一の<ラムダ・ドライバ>搭載機を木偶の坊にしたことも突かれるでしょうし」
「ですが、死の商人相手に譲歩など……」
「今後、テロリストとの取引をしないというのであれば、処理の手間も省けますから」
「確実ではないように思われますが」
マデューカスの言に、テッサはもう一度、送られてきたファイルの中身に目を落とした。
「ヘクマティアルが送ってきたのは、非正規な顧客のリストでした。テロリストやマフィアの、それもご丁寧に拠点の位置情報まで添えられた。
ここからは情報部の仕事になりますが、こんなものを流出させたということが露見したら――露見させますけど――彼女はもう彼ら相手に商売は出来なくなるでしょう。
それどころか、狙われる側になるかも」
「なるほど、問題はないということですな」
「いえ……むしろ、問題は増えたかもしれません」
「なんですと?」
疑問符を浮かべるマデューカスを尻目に、テッサは再びインカムマイクに指を這わせた。その顔は真剣そのものだ。
これから米軍の精鋭潜水艦10隻が哨戒している海域を突破するということにでもなれば、同じ表情にもなるだろうか。
ヘクマティアルはアーバレストのコックピットハッチに腰掛けているようで、光学カメラの映像からは外れている。
それでも、回線の向こうであの鋭利な笑みを浮かべている白い女性の貌が、テッサの脳裏にこびりついていた。
「――ところで、ミス・ヘクマティアル。貴女は常に顧客情報をポケットに入れて商談に出かける趣味をお持ちで?」
それが分水嶺だったのだろう。
ヘクマティアルの笑みが、まるで底の見えないクレバスの様に深くなった。見えないが、その気配を感じ取る。
『我が社はきちんとコンプライアンスを遵守しているよ――普段はね。
説明するまでもない。その先の答えは、既に得ているのだろう?』
「貴女は、最初からこれをわたしたちに渡す気でしたね? そもそも勝つつもりがなかったんでしょう」
『いやいや、本来はもっと有利に交渉を進められる"程度には"勝つつもりだったさ。
ナイフを突きつけあうのではなく、こちらが一方的に突き付けている状態にしたかった。
全てを掌の上で転がす陰謀家を気取るつもりはないよ。それができなくなったのは、紛れもなく君たちが掴んだ成果だ』
「けれど、貴女は欲しいものを手に入れた。犠牲を払うことになりはしましたが、当初の目的は果たした」
『ほう? 私が何を望んでいたと?』
ヘクマティアルの質問に、テッサは一瞬だけ沈黙を挟んだ。
答えは分かっている。ここまでの式からは、ひとつの明確な解答しか導き出せない。
だが、その解答が意味するところが分からない。だからこその僅かな黙考だった。
「――わたしと会話することです。違いますか?」
ほんの少しの静寂。次はヘクマティアルが沈黙を――否。
それは静寂ではなかった。ただ、その次に起きたものが静寂と真逆の、とてもやかましいものだったから、だから静かなように感じただけだった。
『……クク、ハ、アハハハハ!』
大笑。ヘクマティアルが、実に愉快そうな笑い声をあげる。予想通りの、あるいは予想以上の答えを出した生徒を前にする教師の様に。
正解、ということなのだろう。この武器商人は、ミスリルと繋ぎをつけたいが為にわざわざ挑発するような真似を――テロリスト相手の商売を行っていたのだ。
テッサは武器商人の哄笑の隙を縫って、鋭く声を差し込んだ。
「次はこちらが質問する番です――なぜ、我々に接触しようと? まさか武器を売る為ではないでしょう」
『取引をお望みなら、こちらとしては喜んで応じるところだがね――だが、その通りだ』
「では、何の為に?」
その質問に、ヘクマティアルはかねてから用意してあったスピーチ原稿を読むような滑らかさで応える。
『――世界平和のために』
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