136: ◆FlW2v5zETA[saga]
2017/05/24(水) 03:59:46.99 ID:H6iAFqcy0
愛車を駆り、青年はかつて暮らした街へと走っていた。
自らの運転では、やはり景色は違う。
過去の記憶をなぞるかのように車は国道を通り、彼の脳裏では、次々とその時々の記録が流れて行く。
左折しようと横を見れば、がらんどうな助手席が目に入る。
この景色とその位置にもまた、彼の思い出は残っていた。
長い黒髪。
不意にその影が蘇り、青年は思わず苦笑する。
制服はバッグに詰め、今の彼は私服姿だ。
左折の振動でちゃり、と胸元から金属音がした時、彼の瞳はその幻を消し去った。
運転中の彼には、当然助手席の小さなゴミが見える事は無い。
故に、そこに落ちていた一本の薄紫の髪にも、気付かずにいた。
『彼女』は、常にそばにいるのだ。
例え目の届かない場所でも、彼の現在の、様々な場所に。
車を目的の鎮守府に停め、彼は駐車場へと降り立った。
日頃艦娘達を引率する際は、他に気を向けずに済む。
だが今は、一人だ。植樹の生え方や、空の色合い。それらの一つ一つでさえ、否が応にも彼の中の思い出を蘇らせて行く。
コツコツと靴を鳴らし、それらを踏み付けて行くように彼は駐車場を越えた。
案内された更衣室もまた、懐かしさはある。
だが、白い服に袖を通した瞬間、それもすぐに消え去った。
唯一外されなかったのは、制服の下にあるペンダントのみ。
司令官としての、そして人としての彼の現在の、そばにあるもの。
ボタンを閉める前、彼は一度だけそれを握り締めていた。
「…さて、行ってくるよ。」
ポツリとこぼした言葉は、どこの誰に向けたものなのか。
それは、彼だけが知っている。
懐かしい廊下を通り、集会室へと彼は歩いていた。
その後ろ姿を、遠くから睨み付ける視線が一つ。
それはミディアムの黒髪を揺らす、とある少女のものだ。
「あいつ…!」
すぐさま追いかけようと、少女は動こうとした。
だが、彼女の肩に掛かる白い手が、それを制する。
少女が振り返ると、そこには彼女の姉が立っていた。
「……やめてちょうだい。」
「姉様…でも…!」
「…いいのよ。彼を振ったのは、あくまで私だもの。」
「…わかりました。」
妹を制し、彼女は遠ざかる背中を見つめていた。
その目はひどく切なげに、妹の目には映っていた。
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