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ソロモン・グランディに憧れて
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1 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/04/26(水) 17:50:45.83 ID:+Ne/Ufu30
ソロモン・グランディ
月曜日に生まれ
火曜日に洗礼
水曜日に嫁をもらい
木曜日に病気になった
金曜日に病気が悪くなり
土曜日に死んだ
日曜日には埋められて
ソロモン・グランディは
一巻の終わり
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1682499044
2 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/04/26(水) 17:54:27.02 ID:+Ne/Ufu30
これは、イギリスの古い童謡の一つ「ソロモン・グランディ」の歌詞。
ソロモン・グランディという男の一生を一週間になぞらえて歌っているものだ。
詞だけを読むと単調で楽しげのない平凡な人生のようだけど、その軽快な曲を通すとどこか可笑しく聞こえる歌だ。
3 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/04/26(水) 17:55:52.61 ID:+Ne/Ufu30
今日、僕は結婚をする。
歌で言えば、水曜日。
一週間の前半を終え、後は病気になって死ぬだけ。
人生の面白みのある部分は、全て終えてしまった。
でも、僕はそれでいいと思っているし。
むしろ、そうあることを願ってすらいる。
4 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/04/26(水) 17:56:31.29 ID:+Ne/Ufu30
何故なら僕は、平凡な人生を楽し気に歌うソロモン・グランディが大好きだからだ。
小説やドラマの登場人物みたいな、大きな出来事は僕には不要だ。
困難は人生のスパイスとも言うけど、スパイスで舌を痛めることだってあるだろう。
それよりも僕は、面白みに欠けるとしても湯豆腐のような優しく穏やかな人生を迎えたいんだ。
5 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/04/26(水) 17:57:16.32 ID:+Ne/Ufu30
そんなつまらない人生は嫌かい。だったら、ソロモン・グランディを聞いてみなよ。
平凡で単調な人生だって、歌い方次第でどうとでも楽しめるということを。
ソロモン・グランディが、きっと君にも教えてくれるよ。
6 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/05/01(月) 13:53:40.85 ID:dOgL4Yt70
● 1995(平成7)年1月16日 月曜日 ●
「貴方は私が一人で産んだのよ」
7 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/05/01(月) 13:55:23.29 ID:dOgL4Yt70
ちょっとした宴席で久しぶりに酒に酔った母は、僕が生まれた日のことをそう語った。勘違いされそうだけど、これは決して僕に父親がいないという話では無い。ただ単に、父が出産に立ち会わなかったというだけの話だ。
8 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/01(月) 13:55:57.38 ID:dOgL4Yt70
現に、父は母の隣でイタズラがばれて叱られた子供のようにバツの悪そうな顔をしている。その様子からは父には反省の色を伺うことができないが、母自身も本気で父を責めているわけでは無い。たまに飲んだお酒に、お茶目にも父をいじめたくなっただけのことだろう。
9 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/01(月) 13:56:29.59 ID:dOgL4Yt70
母は、僕の出産に際して車で2時間ほどかかる距離の実家に帰っていた。その日の父は、産気づいたとの連絡は受けていたものの翌日も仕事があるからと自宅に留まったそうだ。そして、日が変わり朝日が未だ昇らぬ頃に僕は生まれた。その連絡を電話で受けた父は、眠そうで不機嫌な声だったという。
10 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/01(月) 13:57:00.60 ID:dOgL4Yt70
正直なところ、出産に立ち会わないなんて酷い父親だと僕は思った。しかし、それは現代の洗練された、あるいは先鋭化したあるべき父親像に照らし合わせればの話で、昭和に育った父の感覚からすれば大したことではないのかもしれない。
11 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/01(月) 13:57:32.01 ID:dOgL4Yt70
現に、ソロモン・グランディの一生にも子供に関するくだりが一切抜け落ちているではないか。木曜、金曜と続けて病気のことを歌うぐらいなら「木曜日に子を授かり」ぐらいあっても良いはずだが。かつての父親たちにしてみれば、子供というのは母の問題であって当人には関心のないことだったのかもしれない。
12 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/01(月) 13:58:03.28 ID:dOgL4Yt70
まあ、大学まで行かせてくれた父親のことを悪く言うのも忍びないので、そこは家族を養うために大事な仕事を抱えていたと幾ばくかの擁護をしておきたい。母も、そのことがあるから父をあまり責めてはいないのだろう。
13 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/01(月) 13:58:33.85 ID:dOgL4Yt70
僕は、ふと、とある映画のことを思い起こした。その映画の中で、数学の得意な主人公はヒロインの生年月日から即座にその日の曜日をあてて見せていた。僕は、スマホを取り出しその数式を検索してみる。しかし、それが思いのほか面倒くさそうな計算だったので、僕は素直に1995年のカレンダーを調べてみることにした。
14 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/01(月) 13:59:05.22 ID:dOgL4Yt70
1995(平成7)年1月16日 月曜日
僕が生まれたのは月曜日の未明。ということは、母が産気づいたのは日曜日だったというわけだ。しかし、生まれた曜日のことを考えたところであまり実感がわかない。生まれたばかりの記憶なんてあるはずもないのだから、当然と言えば当然なのだが。それでも何とか当時の様相を、想像してみようと僕はカレンダーをよくよく見なおしてみた。おや? よく見ると1月16日は赤い文字で表記されているではないか。
15 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/01(月) 13:59:36.61 ID:dOgL4Yt70
「祝日じゃん」
口をついて出た言葉に、母の眉がピクリと動き、父がビクッと跳ねた。
僕の父は、地方の銀行員だ。銀行員というものは、公務員よろしく暦通りに休みがやってくる。当然、祝日に出勤することなどありえない。つまり、父は母に仕事だと嘘をついて出産に立ち会わなかったということになる。
16 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/01(月) 14:00:16.42 ID:dOgL4Yt70
その理由は、容易に想像できる。僕の父は、どこまでも面倒くさがりで自分勝手な男なのだ。父は、いつになるかもわからない出産に立ち会うことなど面倒この上なく感じたのだろう。
たぶん当時の倫理観からしても、それは到底許されることではないだろう。母の様子を伺うに、宴席の後で、父はしこたま怒られるだろう。そしてその母の怒りは、僕の誕生日が来るたびに再燃することは必至だ。父からすれば、今後僕の誕生日は母の機嫌が悪くなる忌々しい日として認識されることだろう。まあ、自業自得なので同情の余地はない。
17 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/01(月) 14:00:47.06 ID:dOgL4Yt70
もしかしたら、ソロモン・グランディにも同じようなことがあったのかもしれない。子供の誕生という、生涯の中でも数度しか体験しえない、そして大いに喜ばしい出来事が、歌の中に含まれていないのはやっぱり不自然だ。であれば、それは意図的に省かれているということになる。つまり、我が父と同様に、彼にとっても子供の誕生はやはり苦々しい思い出でであるのではなかろうか。
うーん、そうすると。僕の敬愛するソロモン・グランディは、実は碌でもない男だったのかもしれない。
18 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/05/02(火) 08:19:43.56 ID:WEwQGqlq0
▲ 1999(平成11)年11月15日 火曜日 ▲
ソロモン・グランディは火曜日に洗礼を受けた。
19 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/02(火) 08:20:25.95 ID:WEwQGqlq0
僕も詳しいわけでは無いが、洗礼というのは赤ん坊を水に浸すキリスト教の宗教的な儀式だったはずだ。この歌が出来たイギリスでは一般的なイベントなのかもしれないが、日本人の僕からすれば最も縁遠いものであろう。
20 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/02(火) 08:20:56.83 ID:WEwQGqlq0
ちなみに、僕の家は浄土真宗の西本願寺だ。これは、妹の葬式の時に祖母が教えてくれた。と言っても、知っているのは「南無阿弥陀仏」ってフレーズぐらいで、とても仏教徒と名乗れるほどのものではない。そのことは、幼い僕たちが神社が運営する保育園に預けらていたことからも明らかだ。
21 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/02(火) 08:21:28.26 ID:WEwQGqlq0
保育園では、正月にこそ保育園の裏にある神社(あるいは、神社の裏に保育園があると言った方が正確かもしれない。)に皆で参ったものだが。バレンタインデーにはチョコレートが振舞われ、夏にはお遊戯で盆踊りを舞い、クリスマスには父兄がサンタに扮して子供たちを楽しませた。あらゆる宗教的イベントをその場のノリで楽しむのは、宗教に寛容ないし無頓着な日本人故であろう。
22 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/02(火) 08:22:07.71 ID:WEwQGqlq0
親戚が集まる宴席となれば、思い出話に花が咲くものだ。酔った母は、本棚から僕の写真が納められたアルバムを取り出してきた。開かれたページには、幼くあどけない僕が袴姿で映っていた。右手には千歳飴と書かれた縦長の紙袋が握られていて、その背後には見慣れた神社の拝殿が見える。写真の日付は、「1999.11.15」。僕の七五三の時の写真だ。
23 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/02(火) 08:22:39.16 ID:WEwQGqlq0
スマホで当時のカレンダーを調べると、その日は火曜日だった。僕はしばし考え込む。七五三。伝統的な衣装をまとい、長寿を願う飴を食べ、神社に詣でるとなれば、それは宗教的儀式と言って差し支えはないはずだ。ならば僕は、ソロモン・グランディよろしく火曜日に日本的な洗礼を受けたということだ。
24 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/02(火) 08:23:30.25 ID:WEwQGqlq0
僕は、満足げにうんうんと頷いた。僕とソロモン・グランディにおける人生の節目となる曜日の一致なんて、ただの偶然に過ぎないことはわかっている。それにしたって、一致してないよりはいい。だって、そのほうが今後に期待が持てるだろ。
25 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/05/03(水) 07:42:41.83 ID:JzIv0dpy0
◆ 2020(令和2)年6月17日 水曜日 ◆
今日、僕は結婚する。
26 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:43:11.93 ID:JzIv0dpy0
妻との出会いは、僕が苦労して入った少しだけ偏差値の高い大学でのことだった。一つ学年が上だった妻とは、同じゼミに学び、研究テーマも似通っていたこともあり僕たちは時間を共にすることが多かった。良い年頃の男女だ、そういう仲になるのも自然なことだったと思う。
27 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:43:42.93 ID:JzIv0dpy0
先輩、もとい妻は確固たる自分を持っていて、頭もスタイルも良くて、まるで漫画に出てくるようなデキる女であった。対する僕は、平凡この上ない見た目で凡庸な頭脳で、成人男性の平均に沿ったかのような体型をしているのだが、何故だか先輩の目には僕が好ましく映ったようだ。
28 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:44:13.67 ID:JzIv0dpy0
辛うじて卒論を書きあげ大学を卒業した僕は、そこそこの会社に就職した。そうして、仕事にも慣れてきた社会人4年目、妻からの結婚願望の乗った鋭い視線にも後押しされ、僕は一世一代のプロポーズを敢行し今に至る。
29 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:44:44.43 ID:JzIv0dpy0
ソロモン・グランディの歌で言えば、結婚は水曜日。一生のうちの前半を終えたところ。あとは、病気になり病気が悪化し、死んで墓に入って一巻の終わり。でも僕は、それでいいと思ってるし、むしろそうあって欲しいとも願っている。平凡で穏やかな人生を楽し気に過ごし、そして静かに人生を終えるのだ。
30 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:45:16.80 ID:JzIv0dpy0
僕達は、結婚式は行わないことにした。それは、僕の妻が激務のあまり結婚式や披露宴に時間を割く余裕が無かったからだ。妻は、平凡な僕とは異なり超有名企業に入社し、僅か5年でその実力を示し、社内に知らぬ人はいないというほどのスーパーOLとなっていた。改めて何で、僕なんかと結婚したんだろうと思うがその心中は妻にしかわかるまい。
31 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:45:47.78 ID:JzIv0dpy0
そういうわけで、結婚式を行わず近しい親族だけを集めて宴席を設けることになったのだが。ならばせめて良いお店でと、考えを巡らす僕を止めたのは、やはり妻であった。妻は、互いに高い家柄というわけでもないのだからお金をかけることもあるまいと言うのだ。まあ、妻からそういう意見がでるのであればと、宴席は僕の実家で執り行うこととなった。僕の実家は、決して裕福というわけでは無いが曾祖父の頃に建てられた古い平屋建てで、和室の襖を外せば、宴席を設けるに十分な広さがある。
32 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:46:18.55 ID:JzIv0dpy0
男の意地もあり、料理だけは良いものを準備した。加えて妻含め、両家の女性陣が台所に立つことも無いように準備から片づけまでも業者に依頼しておいた。その甲斐もあってか、幸いなことに両家共に酒が進み、和やかに親交を温めることができている。我が父に至っては、義父と与太話に花咲かせ馬鹿笑いをあげている。
33 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:46:50.48 ID:JzIv0dpy0
一方の母も、久方ぶりの宴席で酒に酔ったのか覚束ない足取りで本棚からラベルに僕の名前が書かれているアルバムを取り出してきて親戚に披露し始めた。後ろからそっと覗き込むと、母が開いたページは七五三の時のものだった。袴姿の僕が、右手に千歳飴を握って左手をピースの形にして突き出している。そして、その隣には幼い妹を抱えた母が寄り添っていた。
この宴席に妹は来ていない。
34 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:47:21.04 ID:JzIv0dpy0
14歳の春、僕は中学三年生にもなって未だ中二病を脱しきれずにいた。漫画の主人公にあこがれ、ビルの隙間を飛び回り、悪党相手に大立ち回りを演じるといった非現実的な妄想に耽っていた。それは、代わり映えしない日常に飽きていたからかもしれない。
35 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:47:52.14 ID:JzIv0dpy0
僕は、ヒーローに必要なのは特別な力や血統だけないことを知っていた。彼らは、その物語の中で強者ではあるものの、その強さが圧倒的、絶対的であるかと問われれば疑問符がつく。常に敗北と隣り合わせになりながら、数多の格上ヴィランと戦い抜いていく。どうして、そんなことができるのか。それは、彼らの根底に信念、すなわちオリジンがあるからだ。
36 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:48:22.51 ID:JzIv0dpy0
ピーターパーカーにおけるベンおじさんの教え、エルリック兄弟の人体錬成、フジキドケンジの家族との別離。彼らから特異な能力を削り取った果てに残るもの。悲しき出来事を経て得た、強い信念。それこそが彼らの原動力なのだ。だからこそ彼らは強く、僕達の目に魅力的に映る。
37 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:48:52.80 ID:JzIv0dpy0
中学生の僕は、僕自身のオリジンを欲していた。それは中二病というより、モラトリアムに起こるアイデンティティへの渇望に近かったのかもしれない。特別な力がなくとも、何かしらのきっかけさえあれば僕は何者かに成ってこの変わらぬ日常から一歩踏み出せる。そうすれば、この退屈な日常が色鮮やかで騒々しく華やか非日常へと置換されるはずだ。オリジンが、僕だけのオリジンさえあれば!
僕の浅はかな願いは、ほどなく叶った。
妹の死だ。
38 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:49:27.84 ID:JzIv0dpy0
中学校からの帰り道に、転んで車道に入ってしまった妹は車に轢かれ死んでしまった。中学生が交通事故死したなんてことは、全国で見れば数ある事件の一つかもしれない。しかし、僕にとって、僕たち家族にとってのそれは唯一無二の家族を失うという、とてもとても重く悲しい出来事だった。
39 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:50:48.03 ID:JzIv0dpy0
連絡を受けて病院に駆けつけた時には、もう妹に息は無かった。両親が病院の先生から説明を受けている間、僕と妹は二人きりだった。妹の瞼は閉じられ、一目にはとても死んでいるようには見えない。未だ現実が受け入れられず、妹の顔をほうっと眺めていると妹の鼻から血が流れ出てきた。僕が、あわてて看護師さんに声をかけると「拭ってあげてください」と布巾を渡された。
40 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:51:18.79 ID:JzIv0dpy0
血はゆっくりと流れ続け、もらった布巾はすぐに真っ赤に染まった。僕は、妹の顔を汚すまいと自分のシャツの袖で血を拭ってあげた。妹の血は、まだほんのりと温かく僕の真っ白なシャツに染み込んでいく。血がとまる気配はなかった。
41 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:51:48.79 ID:JzIv0dpy0
妹とは、特に仲が良かったわけでは無い。かといって仲が悪かったわけでもない。他の家庭のことは知らないけれど、よくいる普通の兄妹だったはずだ。妹が生まれた時は、僕も幼くよく覚えてはいない。でも、物心がついた頃にはもう妹はいた。旅行や誕生日パーティー、僕の思い出には必ず妹も一緒だった。
42 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:52:18.76 ID:JzIv0dpy0
ふと、妹とのたくさんの思い出が記憶の片隅から湧き上がってきた。夏の縁日、妹が握っていた綿あめにかじりついて泣かれたことがあった。二人で家で留守番していた夕暮れ、仕込んだイカサマトランプで神経衰弱を挑んだにも関わらず妹に負けたことがあった。テレビゲームで、嘘の攻略方法を教えて、クリアできずに癇癪を起す妹を笑ったこともあった。
43 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:52:48.01 ID:JzIv0dpy0
学校の帰り道に、こっそり僕の背中に大量にバカをつけて二人して母に怒られたのはつい数年前のことだ。僕たちは、二人一緒に育ってきた。もし妹が死ぬ直前に走馬灯を見たのだとすれば、その思い出には僕がいっぱい出てきただろう。僕の思い出が、そうであるように。
44 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:53:17.99 ID:JzIv0dpy0
僕は、いつのまにか声をあげて泣いていた。僕の血に染まったシャツを見てか、慌てた看護師さんが代わりの布巾を持ってきた。それでも、僕の嗚咽と、妹の鼻血と、他愛のない思い出が止まることなく溢れ続けた。
妹の葬式が終わった後、僕は妄想に耽るのをやめた。
45 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:53:47.93 ID:JzIv0dpy0
非日常を求めれば、それに伴う悲しみが必ずついてくる。「大いなる力には、大いなる責任が伴う」、あるいは「等価交換」、「インガオホー」というやつだ。平凡な日常には平凡な幸せが満ちているということを思い知った時、僕の中でのヒーローが、漫画の登場人物たちからソロモン・グランディに変わった。
46 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:54:18.22 ID:JzIv0dpy0
僕は、結婚という人生の幸せの極致にたどり着いた。これからは、病気になって死ぬだけの平凡な人生かもしれない。しかし、面白おかしく過ごすのに非日常なんて何一つ必要ない。要は、楽しく過ごす気さえあればどうとでも楽しくなるものなのだ。
47 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:54:47.86 ID:JzIv0dpy0
妹の生きていたころの写真を見たせいだろうか、僕の胸中に改めて平凡な幸せをつかんで見せるという決意が燃え上がった。なるべく波風を立てずに、争いごとを避け、ごく普通に、物語のモブの一人として平凡で盛り上がりに欠ける人生を楽し気に歌い通してみせるのだ。
48 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:55:17.99 ID:JzIv0dpy0
■ 2025(令和7)年10月1日 水曜日 ■
齢30歳。僕は、二度目の結婚をすることとなった。
49 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:55:49.87 ID:JzIv0dpy0
言い訳のしようがない、ちょっとした意見のすれ違いが積み重なり前妻との結婚生活は僅か2年で破綻した。そして何やかんやがあったりなかったりして、友人の紹介から新しい妻と出会った。新しい妻は、美人とは言えないが愛嬌のある可愛らしい人であった。
50 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:56:20.92 ID:JzIv0dpy0
常識的で、気は強いとも弱いとも言えない。しかし、自分の主張はしっかりとできる女性で、交際期間中に意見がぶつかることもあったが、お互い冷静に話し合い妥協点をすり合わせることもできた。初めての喧嘩を乗り越えた時、この人とならうまくやっていけると僕はそう確信した。
51 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:56:53.18 ID:JzIv0dpy0
結婚式は、やはり行わなかった。彼女は、二度目の結婚である僕に気をつかったのかもしれない。その代わりに、僕は豪勢な新婚旅行を計画し彼女のご機嫌を取った。
52 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/03(水) 07:57:23.24 ID:JzIv0dpy0
さて、ソロモン・グランディにこそ二度目の結婚は無かったが、今時バツイチが再婚なんて平凡極まりない出来事のはずだ。僕は、まだ平凡を逸脱せずに人生を送れている。さあ、人生の水曜日は終えた。あとは、病気になって死ぬだけだ。平凡で盛り上がりに欠ける人生を、楽し気に歌い通して終えてみせる。
今度こそ、木曜日を迎えてみせる。
53 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2023/05/29(月) 23:54:57.12 ID:N2l8zYux0
なんで書き溜めないのかな?
書き溜めないでスレ立てする時の心情ってどーなってるの?
普通に友達関係や上下関係作ってる人で人間関係の最低常識が解ってる
人ならこんな非常識な事を出来無い筈なんだがな?
一応は読物で素人の発表場所で読み手をイライラさせるって
なに考えてるの?
確かに俺はお前に金銭を渡してる訳じゃない
お前もプロ意識なんてある訳じゃないと思う
でも、書き手と読み手が居たらそれは一つの作品なんだよ
これはお前の作品であり可愛い子供なんだよ
それをネットで流して俺みたいな奴からダメ出し受けて
悔しくないのか?
なんでその場凌ぎの子供を世間に晒すんだ?
ちゃんと考えて書き溜めしてからスレ立てして
恥ずかしくないお前の子供を世の中に送れよ
お前の意識の問題だぞ
54 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/05/30(火) 22:18:47.64 ID:Bz8o0KUf0
うるせえ黙って待ってろ
55 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2023/05/31(水) 21:19:12.03 ID:tLVW2+Xy0
待ってないんでエタって結構です
56 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/06/13(火) 15:33:36.85 ID:pMPOQ4q+0
★ 2025(令和7)年10月7日 火曜日 ★
こんなことになろうと誰が想像できただろうか。
57 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:34:11.53 ID:pMPOQ4q+0
食卓の中央にて、その圧倒的重量感を放っているケンタのパーティーバレル。僕は、バレルの中から無造作にチキンを取り出し食らいついた。手がベタベタになることを厭わず、恐れず、口周りにチキンの衣を纏わせ必死の形相。傍らでは、食欲を解き放ち暴れに暴れている僕を、妻が優しく見守っている。
58 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:34:41.53 ID:pMPOQ4q+0
妻の手には、ビールで満ち黄金色に輝くピッチャーが握りしめられ僕の目配せに応じてグラスへと注がれる。僕は、油で重たくなった口内にビールを流し込みその浄化を図る。その間、夫婦の間には一言の会話もなく、傍から見れば異様な光景に見えよう。いや、誰がどう見ても異様な光景である。正直なことを言うと、チキンを貪っている僕自身もこの状況に半ばパニックに陥っているのだ。
これが、とある宗教における「洗礼」の儀式であると言ったら誰が信じようか。
59 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:35:11.41 ID:pMPOQ4q+0
事の発端に触れる前に、確認をしておきたい。先に述べた通り僕の家は、浄土真宗の本願寺派だ。ただし、僕自身「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える以上のことは知らないし、その念仏だって唱えたのは法事の時ぐらいしかない。これまでの僕は、ごくごく一般的な日本人よろしく、宗教とは程遠い人生を送ってきた。
60 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:35:42.13 ID:pMPOQ4q+0
僕が洗礼を受けることとなったこの宗教は、秘密の儀礼を旨とするいわゆる「密儀宗教」という類のものであるらしく、世間一般には公にされていないものだ。聞きなれない「密儀宗教」という単語を避けるのであれば、「秘密結社」と言い換えても良いらしい。ショッカーかよ。
61 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:36:13.44 ID:pMPOQ4q+0
その思想や、宗教的儀礼、果てはその存在すら隠されているというから怪しいことこの上ないのだが、その活動は秘匿性を高めるためか真に密やかなもので過激な「カルト」とは一線を画す。妻の話を聞いた限りでは、極めて小さいコミュニティでのみ信仰されている「氏神」と言い表すのが、耳障りもよく精神衛生的にも良さそうであった。
妻曰く、この宗教に名前はない。
62 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:36:43.22 ID:pMPOQ4q+0
そう、妻曰くなのである。この「密儀宗教」の存在を僕に知らしめたのも、僕に入信を勧め説得し、その甲斐あって此度の洗礼の儀式を司祭として執り行っているのも、僅か6日ばかり前に入籍を果たしたばかりの我が妻なのだ。
63 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:37:12.91 ID:pMPOQ4q+0
俗にいう初夜、営みを終えたピロートークのさなか妻は甘く愛おしい声で僕に教えを説きだした。僕は、驚きこそしたものの愛した女の言葉とあればと真剣に耳を右75度まで傾けた。その教えは、「信じれば救われる」というごくありきたりなものであったが、妻が言うにはその「救い」の恩恵は絶対的で、俗的で、更に多大なものらしい。
64 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:38:12.05 ID:pMPOQ4q+0
宝くじを買えば当たり、恋愛はうまくいき、失せ物は見つかり、仕事も順調に進み、生涯健康で暮らせる。これらすべての恩恵が、念仏を唱える必要も、神に捧げものをする必要もなくただ「神」を信じ感謝するだけで得られるというのだ。加えて、他の宗教と並行して信仰することも構わないというから寛大極まりない。
65 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:38:42.02 ID:pMPOQ4q+0
詳細を聞けば聞くほど、胡散臭い宗教ではあるものの、改宗をする必要もなくかつその高い秘密主義から僕の改宗が親族に漏れることもあるまい。そして何より、生涯を添い遂げると誓った愛すべき妻の頼みとあっては、僕は快く信徒となることを承諾した。まあ、実生活には何ら害はないだろうという浅い考えもあった。
問題は、そのあとだ。
66 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:39:12.51 ID:pMPOQ4q+0
謎の「神」を信仰することを承諾した翌日、何とはなしに買ったスクラッチくじで一等が当たり、学生の折に半ば冗談で買ったベンダー企業の株価が暴騰し、頭を悩ませていた仕事の問題がすべて解決され、溜まり気味だった便がスルスルと流れ落ちた。それが、たった一日のうちに全て起こったのだ。あまりにも幸運な出来事の連続に、僕はむしろ恐ろしくなっていた。
67 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:39:42.21 ID:pMPOQ4q+0
なぜなら僕は、入信こそ承諾したものの心の底から「神」を信仰していたわけでは無かったからだ。僕の心中にあったのは、妻との関係を良好に保つこととのみであった。そんな僕に、これだけの俗的な恩恵を与えてくれるなんて「神」は寛大すぎる。
68 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:40:13.11 ID:pMPOQ4q+0
あるいは「神」が寛大では無かったら? 偽りの信仰心を咎められ、僕は「神」に罰せられるのではないか? そんな不安に苛まれ、僕は正直に自身が打算的で浅はかな考えであったことを妻に打ち明けることにした。話を聞いた妻は、僕を咎めるようなことはせずむしろ「私の神はすごいだろう」と言わんばかりに自慢げに鼻を鳴らしてみせた。
69 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:40:42.46 ID:pMPOQ4q+0
しかしながら、僕の受けた恩恵は妻の感覚からしても過大なものであったらしい。「神様に気に入られたのかも」妻はそう言って洗礼を受けることを勧めてきた。僕はしばしの間、考え承諾した。どのような形であれ、恩恵を受けるばかりではバランスが悪い。恋はフィフティフィフティと誰かが歌ったが、何かを与えられたらそれに報いなければ健全な関係を築くことなどできない。
70 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:41:12.12 ID:pMPOQ4q+0
僕の決意を見て取った妻は、ベットの下から「聖書」を取り出してきた。その隠し場所に、幾ばくかの疑問を感じたが今は触れるべきことではないだろう。妻は、聖書をパラパラとめくり洗礼のあり方について調べているようだ。僕は、うんうんと唸りながらページをめくる妻の後ろから聖書を覗き込んだ。
71 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:41:42.12 ID:pMPOQ4q+0
うすい茶色にくすんだページと、旧字体が散見し古い言い回しで書かれた文言が、この宗教の確かな歴史を僕に思わせた。ちょうど妻がページを進めると、左上に「神の御姿」が描かれていた。どうやら、この宗教は偶像崇拝を禁じてはいないらしい。
72 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:42:12.49 ID:pMPOQ4q+0
神は、ぷくぷくとふくれあがった赤ん坊の姿をしていた。一見ただの肥えた赤ん坊に見えるが、その背に生えたキジによく似たまだらの羽が生えており、彼あるいは彼女が尋常ならざる存在であることを指し示している。ご尊顔に目を移そう。その頬は薄く染まっていて、鼻はぺちゃんこに潰れてしまっている。お肉ではちきれそうなほっぺたのせいだろうか、目は細く開いているようには見えないが、むしろ柔和で全てを慈しんでいるような表情に見えるのは気のせいではなかろう。
73 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:43:19.79 ID:pMPOQ4q+0
神というよりも天使の姿では思った諸君は、神の額に目を向けて頂きたい。その額に光り輝く星形のほくろ、そしてそこから伸びる一筋の一本毛が、この膨れて羽の生えただけの赤ん坊が只者では無い事を思い知らしめてくれるであろう。何を隠そう愛らしくも少し間の抜けた御姿をもつこのお方こそが、我らが信仰する神その人なのである。
74 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:43:50.73 ID:pMPOQ4q+0
「鶏の肉と、酒をもって神に感謝の意を捧げよ」
妻が、聖書から導き出した洗礼のやり方は意外なほど容易いものであった。準備を整えるのに、お金も時間もさしてかからないだろう。
75 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:44:20.19 ID:pMPOQ4q+0
さて、僕が結婚僅かにしてケンタのバレルをビールで胃に流し込むに至った経緯はこれでお判りいただけたことだろう。今日、僕はようやく真にの火曜日「洗礼」を迎えることとなった。そもそもの話がだ、ソロモン・グランディになぞらえるべく、七五三を日本式の洗礼とすることに無理があった。無理やり当てはめたところで、それはただの自己満足であって本当の意味で尊敬するソロモン・グランディをなぞらえているとはとても言えない。
76 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/13(火) 15:44:51.29 ID:pMPOQ4q+0
であれば、この改めて「洗礼」を受けるに至ったことも、ある意味「神」からの恩恵であったのかもしれない。偽物の火曜日を、神がやり直させてくれたのだ。まあ、結婚の水曜日と、洗礼の火曜日がひっくり返ってしまったことに幾ばくかの気持ち悪さを感じるが、それも人生におけるご愛嬌というものであろう。それに、月単位で考えれば水曜日から6日待てば火曜日がやってくるのだから、何ら問題などないではないか。
77 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/06/14(水) 20:17:34.36 ID:O7ZfLRFN0
▼ 2035(令和17)年4月11日 水曜日 ▼
3度目の結婚をするに至りました。
78 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/14(水) 20:18:06.51 ID:O7ZfLRFN0
中には、僕のことを平凡な結婚生活を送ることすらできない甲斐性なしと罵る人もいるかもしれません。しかし、そんなことはないと僕は声を大にして言いたい。言い訳がましく聞こえるかもしれないが、確かに一度目の結婚は若気の至りといえなくもない。しかし、二度目の結婚、そして離婚に関しては僕にいっさいの責任がないと断言できる。
79 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/14(水) 20:18:46.63 ID:O7ZfLRFN0
というのも、二度目の離婚は結婚生活の失敗というよりは、お互いの幸せを願った結果にたどり着いた合理的な判断に基づくものだったからだ。あとは少しばかりの宗教的理由も含まれるけど、まあ聞いてくれ。
端的に言うと、妻が寝取られた。
80 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/14(水) 20:19:38.59 ID:O7ZfLRFN0
僕が、それをどうして「結婚生活の失敗」と認めないか説明するうえで、妻の浮気相手について少しばかり触れなくてはならないだろう。離婚時の約束で名前こそ明かせないが、彼は身長190cmを超え体重も90kg前後という絞られた肉体で、その巨体とは裏腹に世の多くの女性を魅了するベビーフェイス、決して驕ることのないストイックで誠実な精神を持ち、そして何より世界で最も優れた選手の集まるスポーツリーグで年俸500万ドルを稼ぎ出す超スーパースターだった。
81 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/14(水) 20:20:09.08 ID:O7ZfLRFN0
妻から浮気を告げられ、三人で話し合いたいと静かな料亭に呼び出された日には、如何に優しい僕といえ体中の血という血を滾らせていた。しかし、そこにスポーツ中継とニュースでしかお目にかかれない憧れの男が、心底面目無さそうな表情で現れたとなっては、不貞を働いた妻への怒りなどタンポポの種のごとく吹き飛ぶのも致し方ない。なんなら、彼のハートを射止めた我が妻を褒め称えんほどの心持ちだった。
82 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/14(水) 20:21:38.95 ID:O7ZfLRFN0
浮気相手が、超有名俳優であったらどうだっただろうか。僕は、怒りのあまりそいつを社会的に抹殺してやろうと合法非合法を問わず数多の復讐プランを謀るであろう。しかし、そうはならなかった。それは僕が、彼の熱狂的なファンであったからだ。彼のスポーツ界における成功は、単に身体的能力によって為されたわけでは無い。頑強な肉体に携えた、その高潔な精神性こそが何より彼が天より授かった才能なのだ。僕は、不信心ながら彼に信仰心すら抱いていた。そんな彼が、目の前で頭を床にこすりつけて妻との離婚を僕に乞いている。
83 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/14(水) 20:22:40.41 ID:O7ZfLRFN0
僕は、妻を彼に譲ってあげてもいいかなと。どこか、娘を嫁にやる父親のような気分になっていた。
しかし、僕とて僅かながらの男の矜持はある。いくら浮気相手が彼であったとしても、妻を寝取られたというのに快く離婚届にサインをすることなどできようがなかった。僕のサインを要求するなら、代わりにお前のサイン色紙もくださいと願い出ることも我慢したほどだ。そんな僕の躊躇を、妻は見て取ったのだろう。僕に、啓示ともとれる言葉を投げかけてきた。
「私に授けられたこの『恩恵』は、貴方にも起こりうることなのよ」
84 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/14(水) 20:24:02.96 ID:O7ZfLRFN0
彼は、妻の言葉に首をかしげたが僕にはその意味がわかっていた。「恩恵」。すなわち、この玉の輿は、あの神による恩恵であると妻は示唆したのだ。その瞬間、僕の脳裏にはありえないはずの光景が広がった。それは、僕が兼ねてより憎しみ申し上げていた星野源からその妻・新垣結衣を奪い取る妄想だ。その妄想が、一気に現実味を帯び僕の脳内を支配していった。
85 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/14(水) 20:25:26.84 ID:O7ZfLRFN0
僕は、ウ〜ンと唸った。果たして、そんなことがあり得るのだろうか。いや、いま現実に、その夢幻すら叶えてしまう神の恩恵を妻が見せつけているではないか。それどころか、神に気に入られている僕ならば、それはもはや夢と言った幽かなものではなく、限りなく到達しうる近しい将来と呼べるのではないだろうか。僕は、しばし熟考(する振りを)してから離婚届にサインをした。
86 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/14(水) 20:26:25.91 ID:O7ZfLRFN0
この経緯を聞けば、僕が此度の離婚を結婚生活の失敗ではないと断ずる理由もご理解いただけたことと思う。この離婚は、あくまで夫婦が互いの利益を尊重し、合理的な判断を下した結果に過ぎないのだ。
87 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/14(水) 20:27:00.56 ID:O7ZfLRFN0
この経緯を聞けば、僕が此度の離婚を結婚生活の失敗ではないと断ずる理由もご理解いただけたことと思う。この離婚は、あくまで夫婦が互いの利益を尊重し、合理的な判断を下した結果に過ぎないのだ。
88 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/14(水) 20:28:51.21 ID:O7ZfLRFN0
残念ながら、僕の三人目の妻は新垣結衣ではない。しかし、新たな妻は結衣に劣ることのない美貌と若さと心をもった素晴らしい女性だ。その出会いと、結婚に至るまでの恋物語は省かせてもらうが、僕は今度こそ幸せな生涯を確信している。思い返せば、人生最大の幸福と思える「結婚」を二度も経験してきた僕である。だが、それらを乗り越え谷間を抜けたその先にこそ最大の幸福、「最後の結婚」が待っていたのだ。
この麗しい妻と添い遂げることこそ、僕の人生における「水曜日」にふさわしいではないか。
89 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/14(水) 20:30:13.21 ID:O7ZfLRFN0
ひとつ、残念な知らせがある。僕の人生を振り返ってみると、どうやら憧れていた凡庸な人生からはだいぶ外れてしまっているようだ。だけど、そうにしたって。僕は未だ人生の半分も生きていない。水曜日がノー残業デーだと喜ぶ社会人はいても、その先に待っている花の金曜日や楽しい連休のことを考えれば、まだまだ期待は冷め止まないはずだ。だが、期待したところでどうにもならないのが人生だということを僕は既に知ってしまった。
90 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/14(水) 20:30:45.54 ID:O7ZfLRFN0
僕は、妹の死に直面したあの日。僕の人生から、全ての平均値以上の喜びも悲しみも取り払って、ソロモン・グランディの歌のように平凡のレールに乗って進めればと甘い夢をみた。しかし、幸運な人生や、不幸な人生がそうであるように、平凡な人生もまた望んで得られるものではないのだ。
91 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/14(水) 20:31:21.69 ID:O7ZfLRFN0
ここのところの僕は、ソロモン・グランディの歌に準じることに固執してしまっていたけど、本当に大事なことはそこじゃない。たとえ僕が、僕の望む平凡な人生を迎えられないとしても。僕は、かつて僕が抱いたこの人生を楽し気に過ごして見せるという気概は失っていない。
92 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/14(水) 20:31:54.36 ID:O7ZfLRFN0
もう木曜は「病気」だだの、金曜は「危篤」だの言うのは辞めよう。僕の人生、これから何が待ち受けているのかなんて知りようが無いのだから。ならば、どんなに苦しく悲しい出来事が待っていたとしても、僕は僕自身の人生を、面白おかしく歌い上げればいい。そのやり方だけなら僕だって知っている。
いつだったか、ソロモン・グランディが教えてくれたんだ。
93 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/06/24(土) 16:32:43.58 ID:r4k1/UK80
◎ 2095年7月30日 土曜日 ◎
僕は、とてつもなく寝相が悪い。
94 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:33:20.14 ID:r4k1/UK80
目が覚めたら上下が入れ替わっているなんてのは序の口で、ベットから落ちて床を這いずり回ることもしばしばだ。加えて鼾もすごいらしく、結婚以来、妻とは寝床を別にしていた。なんとも寂しい結婚生活に聞こえるかも知れないが、妻に迷惑をかけることに比べれば気楽なものだった。
95 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:34:11.59 ID:r4k1/UK80
そんな僕が、今日は頭から足の先まで針金を通したかのようにピンと伸ばし微動だにせず眠っている。どんなに耳を澄ましてもいびきも寝息も聞こえてはこまい。それどころか、心臓の鼓動音だってたてようはずがない。だって僕は、もう死んでしまっているのだから。
96 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:36:03.56 ID:r4k1/UK80
まさか、自分自身の死について語ることができる日が来るとは思いもしなかった。肉体から精神が解き放たれて身軽になったおかげか、年の割に体の調子はすこぶる良い。いや、この場合は体の調子というより魂の調子と言った方が良いのかもしれない。
97 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:37:51.31 ID:r4k1/UK80
ソロモングランディで言うところの、「木曜」と「金曜」、すなわち「病気」と「病気の悪化」は僕には訪れなかった。そりゃあ、風邪やインフルエンザに罹ったことはあるけど、その程度なら経験したことの無い人の方が少ないはずだ。若い時に入った医療保険の保険料を数えれば、良いバイクの1台ぐらいは容易く買えたかもしれない。保険会社にしてみれば、さぞ良いお客様だったことだろう。
98 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:39:03.74 ID:r4k1/UK80
しかし、病気をしないというのも考え物だ。だって僕は、つい昨日まで自分の足で歩けていたし、何なら明日は河川敷をジョギングでもしようかと考えていたほどだ。それが、寝て起きたらもう死んでいたから困ったものだ。死の前兆が無かったせいで、悔いをたくさん残してしまった。死ぬとわかっていれば、とっておきの羊羹だって食べておいたのに。
99 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:39:42.22 ID:r4k1/UK80
ただ、年相応に死ぬ準備だけは済ませておいて正解だった。遺影は毎年取り直しておいたし、遺産の分け方についても家族と相談を済ませてある。残された家族は、きっとスムーズに事を進めてくれていることだろう。
100 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:40:54.40 ID:r4k1/UK80
絶賛開催中の僕の通夜には、親族が山程集まって来た。しかし、長く生きていればそりゃあ親族だって増えるものさ。僕の子供たちが孫を生み、孫が曾孫を生み、曾孫が玄孫を生む。そうやって鼠算式に家族が増えていく。そういう年齢になるまで、僕は生きてきた。
101 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:41:48.51 ID:r4k1/UK80
それに、僕には三人も妻がいたのだ。ソロモン・グランディに倣って、子供に関しては特に触れることもなくやってきたが、実のところ実子が9人もいる。一人目の妻と2人、二人目と2人、最後が5人。内訳でいうと2:2:5。
102 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:42:39.24 ID:r4k1/UK80
前妻の子たちとは、離婚後も良好な関係を築けていた。それも、事あるごとにお小遣いをかかさなかったおかげだろう。彼らもよく、我が家に遊びに来ていた。腹違いの兄弟たちも、その特殊な関係性を気にすることなく仲良く過ごしていたものだ。一方で、年末からお正月にかけては僕も大分泣かされたものだ。世代をまたぐごとに鼠算式に増えていくクリスマスプレゼントとお年玉。年始は、すっからかんで初詣に行き、妻にお賽銭を無心するのが恒例の行事となっていた。
103 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:43:16.50 ID:r4k1/UK80
正直なところ、子供たちの養育や教育には莫大な金がかかった。本来の僕の稼ぎでは、到底はじき出せない額だ。だが僕には、かつてアメリカ大陸で熱狂的支持を受けたとあるスポーツ選手から頂戴した慰謝料があった。金の切れ目が縁の切れ目というが、家族の絆だって例外では無かろう。そのことを思えば、僕が子供たちとの絆を失わずに済んだのも彼のおかげなのだ。
104 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:43:49.51 ID:r4k1/UK80
ちなみに、その資金源は未だ枯れることなく残っており、僕の遺産として次の世代に受け継がれていくことになっている。
105 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:44:32.35 ID:r4k1/UK80
人の葬式だと眠くなる、「南無阿弥陀仏」のフレーズも自分のために念じられてると思えば幾分か心地よく聞こえるものだ。僕の通夜は、もちろんのこと浄土真宗の菩提寺で行われていた。
106 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:45:24.59 ID:r4k1/UK80
振る舞いの席は、大量に集まった親族によってちょっとしたお祭り騒ぎになっている。子供の騒ぐ声と、大人たちの馬鹿笑い、アルコールの臭いが部屋いっぱいに広がり皆が陽気に思い出話に花咲かせている。少しは湿っぽくやってもいいんじゃないかと眉をひそめたが、久々に集まった家族の笑顔を見ていると自然と留飲も下がってくる。まあ、大往生であったことを思えば、さもありなん。僕自身ですら、死んでしまった悲しみよりも良くぞここまで長生きしたと祝杯をあげたい気分なのだ。
107 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:46:28.48 ID:r4k1/UK80
幸いにも一番奥の席には、僕に供えられた影膳が見える。僕は、身軽な体でヒョイヒョイと机や人ごみを飛び越え自分の席を目指した。その道中、物心もついていない幼い玄孫連中が僕の方に向けて指を指したりワアワアと喚いてきたりしてきた。母から受け継いだ茶目っ気で、渾身の変顔を披露してみせたら声を上げて泣き出したのはとても可笑しかった。どうやら彼らには、僕の姿が見えているらしい。
108 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:47:10.18 ID:r4k1/UK80
僕の席にたどり着くと、その隣に老いた我が妻がチョコンと座っていた。妻は、馬鹿騒ぎに混ざることなく穏やかに家族たちのどんちゃん騒ぎを見守っている。よっこいしょっと腰を下ろすと、するはずもないドシンという音が鳴った気がした。すると、妻があらあらと僕のお気に入りだったお猪口に酒を注いでくれた。僕は少しだけ驚いたが、それを一口でグイっと飲み干した。酒が喉を通ると、文字通り冷え切った体に少しばかりの熱が宿ったような気持ちだ。まったく。妻は昔から、気の利く女であった。
109 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:47:43.72 ID:r4k1/UK80
影膳に視線を落とすと、生前に楽しみにしていたあの羊羹が添えられている。間違いなく、妻の計らいであろう。まったく、この女の勘の良さと言ったら。僕は、彼女に「ありがとう」と耳打ちしてから羊羹をつまんだ。
110 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:48:21.35 ID:r4k1/UK80
少しだけ頬を赤らめ微笑む妻と並んで、ゆっくりと会場を見回す。かなりの大人数がひしめき合っているがだが、誰一人として顔と名前が一致しない子はいない。ネクタイを緩めだらしなくシャツをはら毛出しているのは、僕の三男の末っ子。座敷の片隅で輪に混じることなく寿司を貪っているのは、次女の息子。先ほど泣かせてしまった玄孫は、四女の孫だ。僕の大事な家族たち。
111 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:48:56.42 ID:r4k1/UK80
思えば僕の人生、妹を失い、両親を見送り、悲しみに打ちひしがれることもあった。しかし、それ以上に家族が増える幸せに満ち溢れていた。人の生き死にをそう表現するのは功利主義的であまり気持ちが良いものではないが、プラマイでいったら確実にプラスだろうさ。カントだって認めざるを得まい。
112 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:49:31.97 ID:r4k1/UK80
僕は、かつて望んだ平凡な人生とは随分かけ離れた生き方をしてしまった。しかしそこには、非凡な人生でしか味わえない非凡な大きさの幸せがあった。その人生を楽しめたかと問われれば、僕は躊躇なく「YES」と答えられる。もはや、人生に悔いなどない。羊羹も既に腹の中だ。
113 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:50:02.99 ID:r4k1/UK80
そんなことウトウト考えていると、とんでもない光景が目に入ってきた。
その女は、通夜に似合わぬケンタのボックスを抱えていた。艶やかな髪に、少したれ気味の目、年老いてはいるが見間違えようがない僕の二番目の妻だ。彼女は、その年齢からは想像できない素早さで僕の空っぽの肉体へと近づくとケンタのボックスを素早く棺桶へと突っ込んだ。あまりに迅速に事を為したせいか、誰一人として彼女の奇行に気付いた者はいなかった。彼女の行為が、何を意味するかはわからない。だが、あの謎宗教がらみの所作であることは間違いなかろう。
114 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/06/24(土) 16:50:46.51 ID:r4k1/UK80
火葬後に起きるであろう惨劇、あるいはミステリーが、既に機能を止めたはずの僕の胃をキリキリと痛ませ始めた。死んでしまった僕には、もはやどうすることもできない。ただただ天に祈るしか術はなかった。
「どうか、あのチキンが骨なしでありますように」
115 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/07/02(日) 00:05:55.37 ID:0geUM6AN0
♪ 2095年8月1日 日曜日 ♪
人間の骨の数は、200に及ぶと聞いたことがある。
116 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/07/02(日) 00:06:26.09 ID:0geUM6AN0
いくら僕の家族が多いと言っても、全員に骨拾いをさせてあげるには十分な数のはずだったが、残念なことに高温で遺体を焼きあげる火葬炉は、僕の小さく老いた骨の大部分を容易く灰にしてしまった。まあ、チキンの骨も残らず燃え尽きてしまったことを思えば「幸運にも」と言い換えても良さそうだ。
117 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/07/02(日) 00:06:56.95 ID:0geUM6AN0
焼きあがった(あるいは焼け残った)僕の骨は、家族の手によって粛々と骨壺に収められていった。この時ばかりは、みな神妙な面持ちで僕も少しだけ緊張してしまった。妻と長男の手で、僕の頭蓋骨がツボに納められるとドッと肩の荷が下りた気持ちだった。そして最期に残った灰を、葬儀屋さんが丁寧に集めツボに流し込む。その灰の中には、前妻が棺桶に入れたチキンの灰も混ざっていることに若干の気持ち悪さが残るが、死んでしまった僕にはどうすることもできない。
118 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/07/02(日) 00:07:26.96 ID:0geUM6AN0
ツボの蓋が閉じられると、急に目の前が真っ暗になった。世界からいっさいの光が消え、自分の手元すら見えない。妻の声が微かに聞こえるが、こもっていて何を言っているのか意味はわからなかった。ここにきて、僕はようやく自分が死んでしまったことを自覚した。最早、僕はツボの中の遺灰に過ぎないのだ。光が届くはずもなく、音だってまともに聞こえるわけがない。
そこは、酷く冷たく寂しい場所だった。
119 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/07/02(日) 00:07:58.86 ID:0geUM6AN0
「おおい、ここから出してくれ」
不安に耐えられず声を上げるも、誰に届くはずもない。失ったはずの心臓がドクンドクンと強く脈打ち、額から冷たい汗が落ちた。あまりの恐怖に気が触れそうになったその時、天から光がさした。その白く温かい光は、ゆっくりと僕の全身を優しく包み込んでいく。良かった、本当に良かった。一生ここに取り残されるのかと思った。この光は、きっと天からのお迎えに違いない。
120 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/07/02(日) 00:08:39.89 ID:0geUM6AN0
天を見上げると、丸く大きい影がゆっくりと降りてくる。逆光のせいで、その輪郭しかわからないがそれは人の形を為していた。浄土真宗では、死に臨み迎えに来てくれるのは阿弥陀仏と聖者たちであったはずだ。しかし、僕の傍らに降り立ったそれはかつて見た阿弥陀仏来迎図に出てくる如何なる人物ともかけ離れた姿をしていた。
121 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/07/02(日) 00:09:14.82 ID:0geUM6AN0
身の丈は僕の腰ほどしかなく、はち切れんばかりに膨らんだ腹に短い手足、背中からは虹色でまだらの入った翼。そして一際特徴的なのは、額にある星形のほくろとそこから伸びた一本の毛。二番目の妻が持っていた聖書に載っていた氏神様だと、すぐに気づいた。彼は、柔和な笑みを浮かべ手を差し伸べてきた。
神様自ら迎えに来てくれるなど光栄極まりない事であろうが、一抹の不安もあった。
122 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/07/02(日) 00:09:45.75 ID:0geUM6AN0
「できれば、妹や両親のいるはずの極楽浄土に連れて行って欲しいのですが」
神様はわかっていると言わんばかりに、うんうんと頷き再び手を伸ばす。これまで僕の人生で、幾度となく恩恵を与えてくれた神様だ。きっと悪いようにはしないだろうと、僕はその手をしっかりと握った。
123 :
◆CItYBDS.l2
[saga]:2023/07/02(日) 00:10:32.82 ID:0geUM6AN0
神様の手を掴むと、僕の体はふわりと浮き上がった。妻に抱えられていたツボを飛び出し、火葬場の天井を抜け高い空へとぐんぐん昇っていく。今日は雲一つない快晴だ。僕が生まれ育った土地が、隅々まで見渡せる。東に臨む太平洋は薄暗く影を落とし、西の山地に沈む夕日が街を赤く染めている。人生の最期に相応しい美しさだ。
僕は、自ずからソロモン・グランディを口ずさんでいた。
124 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/07/02(日) 00:11:32.51 ID:0geUM6AN0
月曜日に生まれ
火曜日に洗礼
水曜日に嫁をもらい
木曜日に病気になった
金曜日に病気が悪くなり
土曜日に死んだ
日曜日には埋められて
ソロモン・グランディは一巻の終わり
125 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/07/02(日) 00:12:19.14 ID:0geUM6AN0
神様が、楽し気な僕の歌に釣られてか機嫌よく肩を揺らした。それに調子をよくした僕は、今度は空中に広がる声でソロモン・グランディを高らかに歌う。神様も、それに合わせてコーラスに入ってくれた。夕焼けで真っ赤に染まった空で、僕と神様は陽気に歌い空を縦横無尽に駆け回った。きっと僕たちの歌声は、下界に残した家族たちにも、極楽浄土で待っている家族たちにも届いたことだろう。
126 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/07/02(日) 00:12:53.31 ID:0geUM6AN0
思えば、平凡とは随分かけ離れた非凡な人生を送ってきた。それでも僕は、ソロモン・グランディに憧れるのをやめられない。だから僕は、ソロモン・グランディを大きな声で歌うよ。だからみんなは、僕の歌を歌っておくれ。一週間じゃ収まりきらない僕の人生の歌を。
127 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2023/07/02(日) 00:13:25.94 ID:0geUM6AN0
これにて僕も一巻の終わり
128 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2023/07/02(日) 00:35:38.77 ID:2E/oO5b20
いいね 乙
129 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2023/07/02(日) 00:50:09.33 ID:zTLsEnzP0
2ヶ月以上かけてまで書く内容だったのか……
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