塩見周子「煎餅ババア」

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:04:57.71 ID:a8uQb+4u0
「……あぁ、もしもしあたし」


「あーもう、何回それ言うん?
 ほら、この髪色になってそこそこキャラ立ってる所もあるんやし」


「とりあえずさ、八ツ橋とお団子。
 4種類20個入りのあったでしょ。八ツ橋はそれを8箱と、お団子は普通のと胡麻のヤツ2箱ずつ」

「メンバーの子らとプロデューサーさんのお土産の分もあるから、持ち帰り用の袋も6個入れといてくれる?」


「大丈夫大丈夫。あたしの事務所、結構人いるから余ること無いって」


「……あぁ、ちょっと待って」

「プロデューサーさーん! あたしの実家のお土産経費で落ちるー?」


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2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:05:50.37 ID:a8uQb+4u0
「大丈夫だってさ」

「いやぁ、その辺は上手いことやってるからさ、心配しないでよ」


「ううん、数字。数字で346」


「うんうん、んじゃそういう事で」

「ん、何?」


「……えー、そうかなぁ? あははは」
3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:07:52.61 ID:a8uQb+4u0
   * * *

 小さい頃は、その感情に名前を付けることができなかった。
 だから、今の今までずっと忘れていたんだけど――こうして鮮やかにフラッシュバックする程度には、その感情はあたしにとって小さくないものだったんだと思い知らされる。



 京都にあるあたしの実家は御所の裏手で代々和菓子屋をやってて、自慢じゃないけどそれなりに繁盛してたし、老舗感を出して威張ってた。
 お母さんは窮屈で口うるさい事しかあたしに言わんし、そのくせお客さんには猫なで声でヘラヘラ媚びへつらうし。
 そんな『塩見屋の娘』呼ばわりされるのが嫌で、小さい頃はずっと外をほっつき回って遊んでた。

 街中のお菓子屋さんに気ままに顔を出しては、ぶりっこ気取って試食と称するサービスをねだり、また次の店へ梯子する日々。

 そんなワガママが許されたのも、あたしが嫌ってた塩見屋のブランドがあってのこと。
 それすら気づかないくらい、あの頃のあたしはアホで、幼稚だったなぁ。
 まだ健康的な黒髪のロリシューコちゃんだった頃の話ね。

 そんで日が暮れても帰らんあたしをお母さんはますます怒るんだけど、気にもしてあげなかった。
 今にして思えば、ちょっと早めの反抗期だったんだと思う。
4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:11:48.49 ID:a8uQb+4u0
 それはさておき、京都の商人はお世辞にも一枚岩ではなくて、老舗も当然に塩見屋だけじゃない。
 あたしの実家のはす向かいにある煎餅屋さんもその一つ。

 そして、その煎餅屋さんには、煎餅ババアという恐ろしいお婆ちゃんがいた。

 ――いや、当時の小学生のネーミングセンスなんてそんなもんでしょ。
 この話で大事なのはそういうんじゃなくて、ババアの方。


「店の前ではしゃぐなぁ!! ウチの商売邪魔したいんか、あっち行けぇ!!」
「す、すみませぇん!」
「こらぁっ!! 逃げるなぁ!!」
「どっち!?」

 曰く、お父さんが小さかった頃からババアだったそうで、まあまあ妖怪である。
 思い出せる限りでも、ババアの雷が落ちた日は京都中の市街からネズミが消えるだの、店内で悪さしたガイジンさんにババアが煎餅投げつけて前歯を折っただの、穏やかならぬ噂話が絶えない。

「物乞いみたいな目ぇしてウチの店見よって! 卑しんぼなんぞ京の都におらんわ!!」
「いや、ちょ、そんな風に見とらんって…!」
「見とった!!」

 その噂をさもありなんと思わせるだけのキャラがあったのも事実で、店の前を通っただけで理不尽な因縁をつけられて怒鳴られる子供を、あたし自身何人も見てきた。
 それどころか、自分の店のお客さんに対してさえ邪険な扱いをする始末。
 要するに、ちょっと頭のおかしい人だったんだよね。
5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:12:47.02 ID:a8uQb+4u0
「都人として恥じないお行儀つけたるさかいこっち来い!!」
「ひ、ひえぇぇぇっ!」

 この世の終わりかってくらい泣き叫びながら、鬼ババアに耳根っこ引っ張られて店の奥へと消えていく男の子。
 あたしは、向かいの店先でお団子をつまみながらその様子を見て――。

 何やねん、あのババア。
 はしゃぎ声がうるさいだの行儀が悪いだの、あんたの金切り声の方がよほどうっさいし、無茶な難癖つけるんは褒められたお行儀と言えんのかい。

 なんて思ったりもした。

 だけど、義憤に駆られるほどじゃない。
 客商売やってて人間嫌いなのはどうなん? って幼心に思ったりもしたけど、一定の距離感さえ保てば火の粉も飛んでこない。
 触らぬババアに何とやら、だ。



 ところが――。

「手前のじゃあかんからな。ちゃんと奥に置いてるヤツ取ってこいよ」
6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:14:19.33 ID:a8uQb+4u0
 いつものようにふらふら歩いていると、目の前に4、5人の男子のグループがいた。
 同じクラスじゃないけど、見知った顔も何人かいて、皆そこそこヤンチャで有名なヤツら。

 そんな連中に囲まれているのは、ちょっと大人しい、見るからに気弱そうな男の子だった。

「で、でもぉ……僕は、そんなぁ……」
「俺らみんなやってきてんねん。友達ならそれくらいできて当たり前や、なぁ?」

 コッソリ聞き耳を立ててみると、どうやらその気弱な子に万引きをさせるつもりらしい。
 数の暴力にものを言わせて無理難題を押しつけ、おもちゃにしようというのだ。

 ははーん、いじめかぁ。
 男子でもそういうのあるんやねぇ。カッコよろしいゲームだこと。

 でも、あたしには関係ないし。
 面倒がこっちに来ると嫌だから、見て見ぬフリして通りすぎよぉっと。くわばらくわばら。


「大丈夫やて、ババアも最近ボケてんねんから煎餅の一枚や二枚いちいち数えたりせーへんって」


 ――その場を去ろうとしたあたしの足が、ピタリと止まった。

「み、見られたら、どのみち終わりやん……」
「見られなきゃいいだけの話ちゃうんかい。お前ほんっまにドンクサいなぁ」
7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:15:54.23 ID:a8uQb+4u0
 ババア――煎餅?

 京都の商人は一枚岩ではない。
 だけど、ババアが煎餅売ってる店で、わざわざヤンチャな男子連中のゲームの舞台になりそうな所は、一つしか思い当たらない。


 黙って連中の後をつけてみると、ほら。
 案の定、だ。

「や、やっぱ無理やて、僕……!」

 煎餅屋の手前で逃げようとした男の子の肩を、ヤンチャ男子の一人がガシッと掴む。

「俺達と友達なりたないんか? おぉ?」
「う、うえぇぇ……」
「あーあー、土壇場でヒヨるようなヤツと友達にはなりたないなー、俺は」
「俺らまで根性無しやと思われたら迷惑やもんなぁー!」
「ひぃぃ、い、ぃ……!」

 いじめられている男の子は、今にも泣き出しそう。
8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:17:37.55 ID:a8uQb+4u0
 言うまでもなく、男子連中はその子をババアの餌食にして、檻の外から面白おかしく笑いたいだけだ。
 男の子にしてみれば、その万引きに乗ろうが反ろうが、悲惨な目に遭うことに変わりは無い。

 行くも地獄、帰るも地獄。


 あーあ、ったく――。

「ん? ……塩見」

 ジーッと見ていたあたしに、ヤンチャ男子の一人が気づく。

「何見とんねん、塩見」


「奥の方のを取ってきたらええの?」

「は?」

 ポカンと間抜けな顔を浮かべる男子連中。
 あたしは、返答を待たずしてスタスタと煎餅屋の中に入っていき――。
9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:19:22.83 ID:a8uQb+4u0
「あっ、ちょ……!?」
「おい……!」

 店の中に人影は無い。
 ブゥーンという、壁に備え付けられた扇風機ののんびりした音だけが聞こえる。

 あたしは、醤油の香ばしい匂いが立ちこめる店内の奥へそのまま進み、レジ横の棚に置いてあったザラメ煎餅を1枚引っ掴んだ。

「し、塩見……ヤバいって、戻れ……!」

 ――まだ、ババアが現れる気配は無い。
 案外楽勝やんな。

 店内を見回すと、良い感じの腰掛けを見つけた。
 そこにあたしは腰を下ろし――。

 バリッ、とザラメ煎餅の袋を開けて――。

「あっ、おい!」
「塩見!」

 かった。何これ。
 口ん中血だらけになるわ。

 あろう事か、店の中でバリボリと我知り顔でババアの煎餅を食べだしたあたしを、男子連中が外からハラハラと見つめているのが視界の端に見える。
 もちろん、お会計は済ませていない。
10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:21:11.89 ID:a8uQb+4u0
 義憤に駆られた、って言うとちょっとえぇカッコしく言い過ぎだけど――。

 直感的に、おもんない事してんなー、って思った――んだと思う。
 別に、そのいじめられっ子君とあたしは仲良しでもなんでもなかったけど。

 どんだけアホな事してるか、よう見てみぃ、っていう――。
 昨日もお母さんから説教されたし、イライラしてて荒んでて、鬱憤溜まってたんだろうね。

 投げやりが極まった、あたし史上でも一番アホな行いだったのは間違いない。

 そして――。

「あんた」


 ギクリと背筋が張り詰める。

 そぉーっと声のした方へ振り返ると――。
11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:23:00.53 ID:a8uQb+4u0
 機能性が良いとは思えない厚手の着物を袖まくりして、トレードマークの襷を掛けた立ち姿。
 神経質そうな、頬骨の浮き出た細面。
 金縁の、変なヒモが付いてるデッカい眼鏡の奥に、白目無いんかってくらいちっさい一重の眼。
 これ見よがしに白髪頭に光る、ギンギラギンの瀟洒なかんざし。

 全体のシルエットとしては小さくて細い。
 だけど、京都にその人ありと言わしめるだけの威圧感は、小さいあたしを萎縮させるには十分すぎた。

「う、あ……」

 一瞬で理解した。
 あたしの気まぐれは、なんとアホな行いだったのかと。
 視界の端に見えていた男子連中達は、いつの間にか姿を消していた。

「銭は?」
「へ……?」

「銭ぃ持っとんのか聞いとんねん」

 ババアがあたしに歩み寄る。

 あぁ、もうダメだ。
 あたしも耳根っこ引っ張られて、金切り声のお行儀を説教されるんや。
 どっかのガイジンさんよろしく、ゼロ距離で煎餅手裏剣投げつけられて前歯折られるんや。
12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:24:46.32 ID:a8uQb+4u0
 直面した“本物”への恐怖に、心底悔やみ、泣き出しそうになる。

「持ってないねんな?」
「…………」

 黙って頷くしかないあたしに、ババアは――。


「ザラメは口ん中痛なるやろ」

 せかせかと店の奥へと引っ込んでいく。

 戻ってきたその手には、焼きたて? ――の煎餅が、何枚か掴んでいるのが見えた。
 紙で包み、レジ横に置いてあるビニール袋にそれらを入れ、ババアはあたしに手渡す。


「こん中で好きなヤツ、あとで婆ちゃんにコッソリ教えてな」

 そう言って、あたしにニコリと笑いかけた。
13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:26:25.21 ID:a8uQb+4u0
 わ、笑った!?!? ババアが!?

「誰にも言うたらあかんで。あんたと婆ちゃんだけの秘密や」


 あたしは、ロクな返事もできず、ただ口をパクパクさせる事しかできなかった。

 偏屈で理不尽で、お客さんや子供にも容赦の無い鬼ババアがよ!?
 とても信じられない。何せババアが笑うなんて、死んだ人が生き返るより難しい事なのだ。

 な、何で――?


 そんなこんなで、その日から煎餅ババアはあたしにとって“ばあちゃん”になった。
14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:28:55.71 ID:a8uQb+4u0
 どうしてババア、もといばあちゃんがあの日、あたしを見逃したのか?
 蓋を開けてみると、そこは京都の商人。やはり善意なんかじゃなかった。


 早い話、あたしは試食係に抜擢されたのだ。

 繰り返しになるけど、塩見屋とばあちゃんの煎餅屋ははす向かいで、イヤでも毎日顔を合わせる機会はある。
 つまり、ばあちゃんはあたしが何者なのかを知っていた。

 あたしが外をほっつき歩き、街中の新作お菓子を試食して回っていた事も。

 あたしを――『塩見屋の娘』であるあたしの舌を見込んで、ばあちゃんはお菓子のトレンドを探ろうとしたのだ。


「ばあちゃん、1枚ちょうだい」

 いつしかあたしは、ばあちゃんの店でそう言うのが日課になっていた。
 あいよ、とばあちゃんはカウンターの手元に取っておいた日替わりのそれをあたしに差し出す。
 タイミングが合えば、熱々の焼きたてをくれた。
 (でも本当はちょっと湿気ってるヤツの方が好きだったのは言わなかった)

 そして店先の特等席に腰を下ろし、バリボリと頬張る。
 通りすがりの観光客さん達に愛想良く手を振り、お店の中へ案内してあげたりもして。

 どっちの看板娘かわかんないくらい、当時のあたしは煎餅屋さんに入り浸っていた。
15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:30:57.35 ID:a8uQb+4u0
「今日のはどう? シュウちゃん」

 団体さんが捌けていったのを見届けて、ばあちゃんがあたしの隣に腰を下ろす。

「全部あたしの好みになるけど?」
「それでええんやて、ほれ」
「うーん」

 とはいえ、小学生の語彙力なんてたかが知れてるんよね。
 お醤油の香ばしさがーとか、お豆の食感がーとか、あとはえーと――とにかく、そろそろネタ切れだ。

「いっそ思い切ってさ」

 ピンッ、と人差し指を思わせぶりに立ててみせる。

「あんこを挟んでみるのはどう?」
「餡子?」
「ほら、どら焼きとか最中とかあるやん。
 海の向こうでも、サンドイッチにハンバーガーとか、炭水化物で挟むの結構あるし、意外と王道なんちゃうかなぁ」

 ばあちゃんは、胸の前でポンッと手を合わせた。

「ええねぇ!」

 ええわけあるかい。
 こんな固いお煎餅とやわやわの餡子なんて、食感の相性最悪やろ。
 ツッコミを期待したボケやったのに、さらにボケを重ねてどうすんねん。

「確かに、お煎餅ってお米やし、そう考えたらおにぎりみたいに色々試すのも悪くないかもねぇ。
 さすが、シュウちゃんは天才やわぁ。おおきになぁ」
16 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:32:36.37 ID:a8uQb+4u0
 ん?
 いや――これひょっとして、いけずか?

「あ、あのさ、あたしが考案したなんて書かないでよね?」
「何言うてんの、お菓子博士のシュウちゃんのお墨付きやで。
 お客さんも絶対喜んで買うてかれるに決まってるわよ」
「いや、ちが……」
「私には絶っ対できん発想やなぁ。
 ええなぁ若いって。どんな反響になるんか楽しみやわぁ」

「す、すみませんでした」

 ついに観念して頭を下げる。やっぱりいけずだ。

 さすが、年季の入った京都の商人。
 あたしみたいな小娘を手玉に取るくらい、お茶の子サイサイってことか。

「シュウちゃんに教えたるけどな」

 クイッと上げたばあちゃんの金縁眼鏡がキラリと光る。

「得難いものには素直に感謝するもんや。よう覚えとき」
「うっす……」
「ちゃんと返事ぃ」
「あ、はいっ、すみません」

 はいはい。
 タダで煎餅食わせてもらってる分、ちゃんとありがたく思って仕事しろ、ってことでしょ。
 あたしから頼んだ覚えないんやけどなぁ。
17 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:33:36.48 ID:a8uQb+4u0
「周子」

 家に帰り、靴を雑に脱ぎ捨てて部屋に向かうあたしを、お母さんが呼び止めた。

 何、ってついトゲのあるトーンで応じる。
 どうしても反りが合わないんだよね、この人。

「あんた、煎餅の婆ちゃんに何かあったか知ってる?」
「何かって?」

 近所でも有名よ、と言って、お母さんは続けた。

「あの鬼ババアが、すっかり大人しくなったって。
 それどころか、ようさん笑うようになっただなんて……」

「ええコトやん」
「気味が悪いのよぉ、あんた最近よう行ってるでしょう、何か知らんの?
 ほら、ちょっとボケてきただとか、ご不幸とか、重たい病気かかっちゃったとか」

「何も無いよ、知らんけど」

 さっさと話を切り上げて、あたしは階段を上がった。
18 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:34:53.43 ID:a8uQb+4u0
 ばあちゃんが――笑うようになった、か。

「ふーん……?」

 何でやろ。
 まぁ、十中八九あたしの影響なのかな、って感じはうっすらしてるけど。

 失礼なお母さんのせいで、ちょっと良くない想像をしちゃっている自分をふと見つける。

 何歳かは知らんけど、ばあちゃんも歳だ。
 本当にお父さんが子供の頃からババアやってるんだとしたら、それなりにお迎えが近いだろう。

 そういう、なんか――自分を振り返って、残り少ない人生をーとか、考えたりするんかな。ばあちゃんも。


「……いや」

 あたしが考える話じゃないか。
 今度機会があったら聞いてみるのも悪くないけど、たぶんきっかけなんてそう訪れることは無い。

 明日も明後日も、ばあちゃんの煎餅をただ気ままに食べ続ける。
 あたしがやる事は、それだけなんだ。
19 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:37:46.59 ID:a8uQb+4u0
「えー、今日は14日やな。じゃあ14番……コバ、最初の文読んで」
「はぁい」

 二つ前の席の男子がガタッと立ち、教科書を両手で広げる。

「えっと……アイハバドリーム」
「プッ」
「クスクス……」
「そこ笑うなー。コバ、気にせんで続き読みなさい」
「あ、えー……アイハブァドリーム、ザット ワンデイ……マイフォー リトル チルドレン ウィルノット ビー ジャッジド……」

 京都はガイジンさんの観光客も多いから、意外と京都人にとって英語力は馬鹿にできたもんではない。
 でも、ご大層な文法を覚えんでも、「いえーす、ぐっどぐっど」とか「ないすとぅーみーちゅー」とか適当に言えば、結構あちらさん喜んでくれるんよね。
 かく言うあたしも、そうやってニコニコのジャパニーズスマイルで客引きする術は既に心得ていた。

 だから、こうして退屈な授業受けんでも、実生活は何不自由なくできてんのやからもう良くない?
 なーんて。

「はい、お疲れさん。そうなー、ドリーム。良い言葉やなー」
20 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:39:41.04 ID:a8uQb+4u0
 本来の英語担当の先生は、産休とかでしばらくお休みみたい。
 代打で教壇に立った角刈りガチムチ体型の体育の先生が、黒板に「DREAM」とデッカい字で書いてみせた。

「キング牧師がおった頃はな、黒人ってだけで迫害される人達も大勢いたんや。
 そうでなくとも、戦争があれば若者もみんな駆り出されて……エラいことやなぁ。
 おう知ってるか? 当時の死因でな、戦死とか餓死とか、そういうのも普通に多かったんやで。今じゃ考えられへんやろ?」

 英語は苦手なのか、ガチムチ先生は得意げに脱線を続ける。

「普通に衣食住を得られて、教育も受けられる今っていうのは、それくらい恵まれた環境ってことやな。
 かつては平等こそが彼らにとっての夢やったんやけど、お前らにはもっと豊かで多様な環境が与えられている。
 せやから、それをありがたく思って、ちゃんと自分の進路と、その先にある夢をじっくり考えていかなあかんのや」

「先生は先生になるのが夢やったんですかー?」

 クラスの賑やかしぃが、茶々を入れた。
 すかさず先生は「おうよ」と胸を張る。
21 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:42:28.82 ID:a8uQb+4u0
「当時、俺が学生だった時の先生が良い人でな。ああいう人になりたいって思ったんや。
 それに、俺にとってその先生がそうであったように、俺もまたお前らにとっての恩師になれたら、っていうのも夢やな」
「せやったらさ、まずちゃんと英語の授業をしてもらわんと、なぁ?」
「何ぃ?」

 賑やかしのツッコミで、クラスが笑いに包まれる。

「馬鹿にすんなよ。俺かて教職課程受けて教員になっとんのや」
「ほんじゃさ、さっきのコバの続き読んでよ先生」
「ええで、よぅ見とけ。あー、オッホン、えー……アイハバドリーム」
「同じやん!」
「コバと同レベルや、先生!」
「うるさぁい! ラーウドリィ、ドント ビー クワイエット!」
「先生ー、それやと『静かにするな』とちゃいますの?」
「シャーラップ!」


「ははっ」

 頬杖をつきながら、思わず声が出る。
 くだらないねー。この調子ならこの授業は楽勝やな。

 とはいえ――。


 夢か。
 ふぅん――夢、ねぇ?
22 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:45:40.00 ID:a8uQb+4u0
 ガチムチ先生が言ったのは、たぶん本当なんだろう。
 戦争をやってた頃と比べれば、あたしらの人生なんて実にイージーモードで、ずっと恵まれている。

 ただ、素直に手放しで先生の言葉を飲み下すことが、あたしにはどうも出来そうになかった。

 豊かなのはそう。だけど――“多様”?

 よく言われるような、キミタチの人生には無限の可能性があるぞー、って、そういう事を言いたいのは分かる。
 分かるけど、分からない。


  ――周子もいずれ塩見屋の跡を継ぐんやから、今のうちにしゃんとおし。

  ――お仕事もお客さんの相手も、しっかり覚えとかなあかんで。ほれ、ボサッとせんで。


 勝手に敷かれたレールを後腐れなく自由に外れることができるなら、それは正しいのかも知れない。

 そりゃあ、あたしには実家の跡を次ぐ気なんてサラサラ無い。
 かと言って、小さい頃から窮屈な事を言われりゃ、あたしの中で無視できなくなるくらい塩見屋が大きくなっちゃうのも事実なんよね。
23 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:47:42.91 ID:a8uQb+4u0
 で、本当は広かったはずの視野を一方的に狭くされて、いちいちゴールをチラつかせて――。
 いざ進路を決めるステージに立たされたら、今度は無限の可能性?

 無責任に勝手なこと言ってら、っていう気持ちにしかなんないよね。

 教科書通りの綺麗事を語ればお給金もらえんねや。
 教師ってのは良いご身分やねぇ、聖職と言われるだけあるわぁ。

「塩見ぃ、何笑うとるんや」
「えっ?」
「冴島おらんから、次、16番のお前や。はよぅ続き読みなさい」
「あ、はい」

 まだ笑い声が収まらない教室で、すごすごと椅子を引いて立ち上がり、教科書を手に取る。

 I have a dream ――



 そういや、ばあちゃんって戦争体験してんのかな。
 
 ばあちゃんはなんで、煎餅屋さんなんだろう?
24 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:49:59.54 ID:a8uQb+4u0
「ウチも跡継ぎがおればねぇ」

 今日も煎餅屋さんは繁盛してる。
 疑いなく、どこぞの看板娘が与える恩恵の賜だ。

「そういや、ここって他の従業員さんおらんの?」
「おらんかったことも無いけど、皆すぐやめちゃうんやねぇ」
「え、ひょっとして煎餅、まだばあちゃんが自分で焼いてんの?」
「焼いてくれる人おらん言うたやないの」

 ――そらご苦労さんやな。
 その歳でそれだけ働いてりゃ、お迎えが来るヒマも当面は無さそうである。

 その一方で、新商品『きなこ揚げ煎』は、改良の余地ありだ。
 味は悪くないけど、気づくと制服のスカートが粉まみれになってる。
 またお母さんに怒られるなこりゃ。

「お店を畳む訳にもいかんもんねぇ、こればっかりは」
「…………」

 もらったおしぼりでスカートをはたきながら、あたしはばあちゃんの顔を覗き込んだ。

「あのさ」
「ん?」

「ばあちゃんって、どうして煎餅屋さんなんかになろうと思ったん?」
25 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:51:54.05 ID:a8uQb+4u0
 お盆を下げようとしたばあちゃんの足が止まる。

「何やの急に」
「アイハバドリーム、ってヤツ」

 あたしは、今日の授業の話をした。
 ガチムチ先生の言うことがどの程度本当なのかを、ばあちゃんを通して知りたかったのだ。


 フッ、とばあちゃんは笑った。

「別に煎餅屋さんになりたかった訳やないんよ。元々そない好きでもなかったもの」

 へぇー、と声が漏れる。
 ばあちゃんの時代だと、そうか、親同士が勝手に決めた、顔も知らん人のトコに嫁入りしてーとか、あったのかな。

 思い入れが無いのに煎餅焼かされてたんじゃ、そら己の人生呪って鬼ババアにもなるか。

「最初はね」


「え?」

 ばあちゃんはあたしの隣にストンと腰を下ろした。

「ランデブーや」
26 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:54:06.55 ID:a8uQb+4u0
「ランデブー?」

「カッコいい人がおってな。
 決まってたお見合いを蹴って家を出て、その人ん所に駆け落ちしたんよ」

 満を持して切り出されたのは、かつての旦那さんとの馴れ初め話だ。

「へぇー。やるやん、ばあちゃん」
「煎餅なんてオマケやったんよねぇ、でも結ばれて早々にその人死んじゃって」

 コミカルに肩を落とし、鼻でため息をつく。

「私に残されたのは、この店だけや。
 旦那には仕事場への出入りを禁じられとったから、焼き方だってロクに知らんのよ?
 せやかて他に従業員さんもおらんと、それからは私一人で全部やらなあかんもんねぇ」

 ――淡々と言ってるように聞こえるけど、すっごい大変でしょそれ。

「どうしたん、それ」
「どうしたも何も、やらなしょうがないでしょう」

 最初は煎餅が憎くてしょうがなかったわ、とばあちゃんはオホホホとか笑ってる。

 いや、笑い話にできんて。
 もしあたしが、今この瞬間から一人で塩見屋をやれ言われたら絶望やし、お父さんとお母さんをずーっと恨むわ。

 おまけに、お目当てのカッコいい旦那さんにも先立たれたんでしょ?
 どうやってモチベーションを保ったんだろう。
27 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:56:10.88 ID:a8uQb+4u0
「私が選んだことやからねぇ」

 もう顔も覚えとらんけどな、ってさらに大袈裟に笑い飛ばして、ばあちゃんは続ける。

「あの人との繋がりやし、あの人が愛したモンやから、私が愛してやらなしゃーない。
 その一心があったから、重たい米櫃を抱えたり、両手を火傷だらけにしたり、お客さんから何か言われても、続けてこれた。
 私にはもうこれしか無い思ったら、人間ここまで頑張れるもんなんやなぁって、自分で感心したもんや」


「これしか……」

 本当は望んでいなかったはずの境遇に立たされて――それを受け入れた。


「……ばあちゃんはさ、夢ってあったん?
 旦那さんとか、他人に依存しない、自分だけの夢」

 気づくとあたしは、身を乗り出してばあちゃんに向き直っている。

「旦那さんと結婚することがばあちゃんの夢やったんなら、そこで終わり。
 それから先は、ただ“しょうがない”で歯を食いしばって頑張るだけの人生って、そういう事なん?」
28 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 14:58:01.07 ID:a8uQb+4u0
 そんな夢の無い話ある?
 いくら惚れた人とはいえ、旦那さんの代わりとして、好きでもない煎餅のために自分の人生を消化していくなんて。


「確かに、煎餅屋は最初は私にとっての夢やなかったけど」

 遠くから、見知った常連客が歩いてくるのが見える。
 ばあちゃんはスクッと立ち上がった。

「育む夢もあるいうことやね」


「育む夢……?」

 ポツリと呟くあたしの声は、常連さんとばあちゃんとの賑やかな談笑に紛れて消える。
 かつての鬼ババアは、もうすっかり見る影も無い。


「夢……」


 その日、口の中に粘つくきな粉の甘味と一緒に、あたしの胸の中にチクリとむず痒い何かが芽生え始めるのを感じた。
29 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 15:00:43.10 ID:a8uQb+4u0
「周子、これ。この八ツ橋、四丁目のテツさんとこに届けて行ったげて」

 中学を卒業し、高校生にもなると、いよいよ塩見屋の娘としての生活が本格化していく。
 あたしの意志なんか無視して。

「えー、店番だけって約束やんか」
「ワガママ言ってりゃ回るほど塩見屋は楽やないで、ほれ」
「ちぇっ……後でお小遣いちょうだいよ」

 でも、やってみたらやってみたで、意外と悪くないなと思った。

 たくさん買ってもらえたら嬉しいし、繁盛させればそれなりにお小遣いもらえるし。
 お客さん達と楽しくお話することで常連さんが増えたり、成果が目に見える形で確認できるのが楽しかったのもあるかな。

 ていうか、今あたしが感じているやりがいは、煎餅屋で『なんちゃって看板娘』をやっていた時に、既に経験していたものだ。
 本業(?)に帰った時に、違和感なくスッと受け入れることが出来たのも、きっとそれが大きいだろう。
 小さい頃に早めの反抗期を通過したおかげで、お母さんとの仲も今は良好。

 ふふ――。
 ちょっと前までは、勝手にゴール決められてーとか敷かれたレールをーとか、一丁前に反発心を抱いてたっけ。

 結局あれも、若さ故の過ちってヤツ?
 経験したことも無い未来、知りもしない世界に対して、一方的に食わず嫌いしてだだけやんな。
 シューコちゃんにも青臭い時期があったってこと。やーん、恥ずかし。
30 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 15:02:29.36 ID:a8uQb+4u0
 その一方で――。

「……あ」

 配達を終えて店に戻る時、煎餅屋のばあちゃんと目が合った。
 店の奥から、あたしに小さく手を振っているのが見える。

 おざなりに会釈を返し、あたしは塩見屋の勝手口に進む。


 あれほど入り浸っていた煎餅屋さんには、ほとんど行くことが無くなっていた。

 ほら、やっぱりさ――。
 塩見屋の看板娘が、商売敵の商いをお手伝いするの、良くないっていうか?

 立場の違いを自覚して、ちょっと距離を置いといた方が、っていう――。

「あら周子、帰ってきてたん。何、ボサッと突っ立って」
「いや、ただいま言ったけど」
「いいから店番して、ホンマにあんたって子は、あっ、いらっしゃーい今日は暑いですねぇ〜どちらから来はったん」
「聞いてる?」

 こんなん繰り返してたら、そういう暇も無いよねー。

 ま、友達なんてコロコロ入れ替わるし、小学校時代からずーっと縁が切れてない子なんてそういないし。
 そういう、なんか――。

 それと同じ。煎餅屋のばあちゃんもさ。
31 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 15:04:04.89 ID:a8uQb+4u0
「ねぇ周子」

 夕食の席で、お母さんが思わせぶりにあたしに切り出した。

「煎餅屋のババアの話、何か知ってる?」
「何が?」

「最近あまり元気ないみたいなんよ。
 回覧板渡しに行っても、生返事しかせんようになったし。
 子供を怒鳴ったりも、全然しないでしょう?」

「ふーん」
「ふーんじゃなくて、あんたよう行ってたやないの、何か知らんの?
 ほら、ちょっとボケてきただとか、ご不幸とか、重たい病気かかっちゃったとか」
「お母さん、まぁまぁ失礼だよね」

 そうか――ばあちゃん、元気無いんだ。

 思い当たる節は、あるにはある。
 あたしの烏滸がましい主観を含めれば、それはまぁ色々と。

 だけど、今さらそれをわざわざ確かめることも――。

「ちょっと明日ね周子、ババアのとこへお届け物してくれる?」

「はぁ?」

 肉団子を取ろうとしたあたしの箸が止まった。
32 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 15:05:46.46 ID:a8uQb+4u0
「そろそろ夏やし、ほら、ちょっと早いけどお中元とか適当に言うて」
「何であたしが」
「私が行っても話が弾まんもの。あんたの方がババアも喜ぶでしょう?」
「しょーもな。勝手に決めつけんでよ」

「あの煎餅屋も京都じゃ老舗やし、観光協会の人達からも注目されてるんよ。
 商売敵云々やなくて、京を生きる同行の士として、動静を探るのは立派な仕事や。
 お願い、周子」

 そう言ってお母さんは手を合わせ、年甲斐もない猫撫で声をしてみせる。
 お父さんはというと、そんなやり取りをずっと黙って見たまま、つまらなそうに缶ビールを傾けていた。

 あたしは鼻でため息をつき、首肯する代わりに最後の肉団子を3つ全部さらってみせた。

「ありがとねぇ、周子」


 あたしにも、塩見屋の人間としての自覚が芽生えてきたのは事実だ。

 でも、白状する。
 煎餅屋のばあちゃんと距離を置いていたのは、塩見屋の看板娘だからって訳じゃない。

 単にあたしが、ばあちゃんに顔を合わせづらく思っているだけだ。
 ついでに言うとあの日以来、きな粉もあんまり好きじゃない。

 ばあちゃんと顔を合わせると、思い出してしまう。
 自分の夢を嬉々として語ったばあちゃんに対して抱いた、あのモヤモヤを。
33 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 15:08:06.91 ID:a8uQb+4u0
 あたしは――。
 塩見屋の娘として、大体もう、あたしの人生のゴールは見えていて。

 それで満足しているし、悪くないんだと今では思っている。

 ばあちゃんの話を聞くと、そんなあたしの境遇がウソだと思わされそうで、怖い。
 青臭かったあたしなりに選んだ道を、否定しなきゃいけなくなるんじゃないかって。

「夢……ううん」

 これがあたしにとっての“育む夢”なんだ。

 布団の上に寝転がり、色褪せた天井をジッと見つめながら誰にとも無しに呟き、あたしは眠りに落ちた。
34 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 15:09:29.21 ID:a8uQb+4u0
 翌日。

 塩見屋謹製の生八ツ橋(16個入)1箱が入った紙袋を下げ、あたしは煎餅屋の前に立った。

 何だか、随分久しぶりだ。
 変わらず毎日イヤでも見ている店先なのに、こんなにも気持ちが離れていたもんだと改めて自覚する。

「ご……ごめんくださーい」

 緊張して、変に声が上ずる。
 ダッサいなぁ、我ながら。


 ほどなくして、ばあちゃんがパタパタと店の奥から出てきた。

「はーいー、あら、シュウちゃん」
「うん、毎度」
「お着物綺麗ねぇ、よぉ似合ってるわ」
「どうも」

 久しぶりに顔を見せに来たあたしを、ばあちゃんは至って普通に出迎えてくれた。

「生憎今日は、シュウちゃんの好きなお煎餅置いてないんよ、堪忍や。
 代わりに、ほれ、新作の試作品でも」
「ああ、いや、そういうのはいいや」
35 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 15:11:08.71 ID:a8uQb+4u0
 ばあちゃんの気の良いお話を遮って、あたしは手前勝手なお土産をカウンターに置く。

「これ、一応ウチの人から。お中元?っていうの」
「……あらあらこんな、リッパなもん」
「リッパやないよ、あたしなんか毎日食ってるし」
「ごめんねぇ、気を遣わせちゃったみたいで」

 暑いしちょっとゆっくりしてき、と言って、ばあちゃんはパタパタとお茶の用意を始める。

 ばあちゃん一人で消費するのはエラい量だ。
 大方、あたしもここで一緒に摘まみながら、ばあちゃんと話をしてこいって意味だろう。
 お母さんめ。


 ほどなくして、二人分のお茶をお盆に載せて、ばあちゃんが戻ってきた。
 透明なガラスカップに淹れられた冷茶が、見た目にも涼しい。

 店の中の腰掛けに、二人並んで座り、塩見屋の八ツ橋を開封する。

「……へぇ〜〜」
「あんまりジロジロ見てもありがたいこと無いよ?」
「そんなこと無いわよぉ、八ツ橋なんて食べるの何年ぶりやろねぇ」

 ばあちゃんの初手はなんと、カスタードクリームの方だった。
 どこのお店でもやっているからと、あたしの提案でお父さんが渋々始めたヤツだ。

 口にしたばあちゃんの顔がほころぶ。

「美味しい?」
「えぇ、もちろん」
36 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 15:12:36.95 ID:a8uQb+4u0
「そっか」

 あたしは順当に餡子を手に取る。

 ――ん。まぁブレの範囲内。

「今度ね、お煎餅に雪みたいな白粉してみよう思ってん」

 ばあちゃんが、おもむろに新作お煎餅の話を始めた。
 相変わらず、働き者やな。

「粉糖をさんさんとお煎餅の上にまぶして……ほら、ケーキとかクッキーとかでもあるでしょう」
「粉系はあたし、やめた方がいいと思うわ」

 二つ目のカスタードに手を伸ばし、あたしは首を傾げた。

「お煎餅って、あんまり手を汚さずに食べれるのが魅力でしょ?
 お砂糖とかまぶしたら、手ぇベタベタになっちゃうし、こぼしたら服も汚れるし、せっかくの長所が無くなっちゃう」

「はぁー、シュウちゃんはお利口やねぇ」

 ほんならね、とばあちゃんはめげずに提案する。

「お箸とか黒文字で食べれば、お手手も汚れんでしょう?」
「色々台無しやない? お煎餅の意味」
「あ、でも固いと切れないから、ちょっとヤワめにするか、ふやかさないとかねぇ」
「いやだから、それもう煎餅やない」
37 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 15:14:02.22 ID:a8uQb+4u0
 いよいよボケてきたのかな。
 数年前までは京都の鬼ババアと恐れられた人が、すっかり角を無くして、シルエットもますます小さくなって。

 かつて第二の実家でもあった空間にいる事もあって、少し感傷にふけっている自分を見つける。

「ばあちゃん、どっか身体悪いとこない?」

 流れを無視し、意を決してあたしはばあちゃんに問いかけた。
 ゴクリと唾を飲み込む音が、頭の先まで響く。

「そらぁ、あちこち」

 そう言って、ばあちゃんはニコニコ笑顔で腕まくりをしてみせた。

「この歳にもなるとね、どっかしら悪ぅなるもんなんよ。
 絶好調の時の方が、むしろおかしいわ」


「……もうええわ、って、なること無いん?」
38 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 15:15:51.14 ID:a8uQb+4u0
 ここに来る前、あたしは店先からコッソリ煎餅屋の様子を観察していた。

 全盛期――かどうか分かんないけど――と比べて、明らかに客足は少なくなっている。
 入ってくる客層も、観光客は全く。せいぜいが昔馴染みの爺婆で、発展性があるとも思えない。

 まして、新商品のアイデアも、昔の方がまだマシだった。
 チラッと見えていたけど、ここ最近の新作煎餅はどれも不評で、定着せずに消えていくものばかり。
 さっきの粉砂糖煎餅の話を聞けば、さもありなんってヤツだ。

 この店が衰退の一途を辿っていくのは、誰の目にも明らかだった。

「もう十分、ようやったよばあちゃん。
 そろそろ隠居してさ、これまで頑張ってきた自分の身体を労ってやるのも悪くないんやない? って」


 ばあちゃんはニコッと笑い、隣に座るあたしの頭をそっと撫でた。

「や、ちょ……」
「シュウちゃんは優しいねぇ」

 そんな、もうそういうトシでもないって。
 恥ずかしさで耳まで真っ赤になってるであろうあたしを尻目に、ばあちゃんは楽しげだ。

「シュウちゃんがおってくれるんなら、塩見屋は安泰やねぇ」
39 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 15:17:22.15 ID:a8uQb+4u0
「……そらそうや」

 ばあちゃんの話してんのに、何であたしの話になんねん。

 どう考えても煙に巻こうとしているのは分かってるのに、あたしは敢えてその挑発に乗ることにした。


「ばあちゃん、前に言ってたでしょ?
 最初は煎餅屋は夢やなかったけど、後からそれを育んでいった、って」

「うん」

「たぶん、それと同じ。
 あたしにとっての塩見屋も、きっとこれからあたしの中で大きくなる。
 かけがえのない夢になっていく」

「うん」

「それがあたしの夢。
 かたや煎餅なんて、全然今のトレンドじゃない。
 時代遅れの駄作を量産して晩節を汚すくらいなら、潔くスパッと辞めちゃえば綺麗な思い出のままで終わるのに」

「うん」

「お煎餅に白粉しよーなんて、そんなんザラメでええやんか。
 何の捻りも無いどころか、食べる人のことも、煎餅の長所すらも考えられんくなったら、潮時とちゃうん?」

「うん」

「ちゃんと聞いてよ!」
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