速水奏「眠り姫には口づけを」

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1 : ◆WO7BVrJPw2 :2022/07/01(金) 23:00:20.95 ID:1aTlkDcE0



速水奏「ねぇ、Pさん」

奏「私、待ってるから」

奏(そう言ったのはほんの5時間くらい前のことで)


−−−


――事務所

千川ちひろ「じゃあ、本当に、帰ってしまって大丈夫ですか?」

奏「はい、大丈夫です。こちらこそ、我がまま言ってしまってごめんなさい」

ちひろ「それはいいですけど……帰りはちゃんと送ってもらうか、タクシーでも大丈夫ですので」

奏「ええ。ひとりでは帰らないようにしますから」

ちひろ「というかプロデューサーさん、ちゃんと帰ってくるか聞いています?」

奏「一応、連絡はしているので…… ちゃんとお祝いしてもらわないといけないもの」

ちひろ「それはまあ、そうかもですが……」


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2 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:01:55.97 ID:1aTlkDcE0

ちひろ「奏さんなら、お友達に囲まれて過ごすかと思っていました」

奏「誕生日が18回もあれば、一人で過ごす回があってもいいかなって思ったの」

ちひろ「そういうのは、20回以降でいいんですよ」

奏「なるほど……それじゃあ私、ちょっと背伸びしているのかもしれないわね」

ちひろ「それは少し違うような……」

奏「ふふっ…… それにほら、この方がふたりきりになった時に、気分に浸れそうでしょう?」

ちひろ「……個々人の気持ちには口出ししないですが……男の人をあまりからかいすぎないでくださいね」

ちひろ「奏さんはその傾向が強いですから。度を過ぎるとPさんでも……なんてことがあるかもしれませんよ」

ちひろ「そうかしら? ふふ、そうかも」
3 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:02:26.73 ID:1aTlkDcE0

奏「もしかして、心配されています?」

ちひろ「それはそうですよ。売れっ子アイドルとプロデューサーのスキャンダルとか、想像するだけでも恐ろしいんですから」

奏「ふぅん。それもありかしら、なんて思っていたけど……」

ちひろ「勘弁してください、お願いですから〜……」

奏「ふふ。そこまで言われたら、無碍にはできないわね」

奏「でも…… 本当にそう言うことする子だって、思われているのかしら?」

ちひろ「そんなことは…… でも、万が一ということも」

奏「無いと思うわ。だって、そこまでの度胸は無いもの」

ちひろ「……プロデューサーさんが?」

奏「いいえ、私が」

ちひろ「あら、まあ」

奏「?」

ちひろ「いえ。思ったより……ご自身を冷静に見ているなと」

奏「そうね…… 少し前まではそんな余裕もなかったけど」

奏「ここ最近は、ポーズで塗り固めなくてもいいんだなって、思うようになったかもしれないわ」
4 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:03:02.23 ID:1aTlkDcE0

ちひろ「それを聴いて、少し安心しました」

奏「そう? なら良かった」

ちひろ「釘は刺しておいたので、あとはもうお任せします」

ちひろ「では奏さん、ごゆっくり」

奏「ええ。ちひろさんも、お気を付けて。お疲れさまです」

ちひろ「お疲れさまです」

パタン

奏「……」

奏(さて)
5 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:03:32.90 ID:1aTlkDcE0

(改めて、この部屋はしばらく私の空間になる)

「独り暮らししたら、こんな感じなのかしら」

(仕事のデスクに、ソファ、ローテーブル。窓のブラインドはもう降りていて)

(テレビもあるけど、今日の映画は何をやっていたかな)

「……」

(待っている)

(そう言ったのはほんの5時間くらい前のこと)

(今日は学校へ行って、いつも通り過ごして)

(学校でも、ファンだという下級生から贈り物を貰ったりして)

(学校が終わってからは、美嘉の生配信ラジオのゲストに呼ばれ、誕生日を祝われた)

『今日はこのあと、友達に祝ってもらう予定よ』

(なんて、喋って)

「……あーあ」

(嘘をついて、こんな時間を過ごして)

(いつの間にこんなに、悪い子になっちゃったのかしら)

(全部あの人のせいにできたらいいのに)

「なんてね」
6 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:04:02.14 ID:1aTlkDcE0

「それでは」

ピッ

(あの人が帰ってくるまで)

(独りきりの映画鑑賞と洒落こみましょう)

「ああ、このシリーズね」

−−−

ジャーン

「……」

(エンドロールまで2時間)

(長かったような、あっという間だったような)

(エンターテイメントに振った作品だから、ようよう間が持ったようなもので)

(フランス映画だったら詰んでいたかしら)

チラ

「11時、5分」

(……)

「ふぅ」
7 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:04:29.98 ID:1aTlkDcE0

(嘘をついてまでして得た時間だったけど)

(あの人はまだ帰っていない)

(メッセージアプリの画面は動かない)

(遅くなるという連絡は、ちひろさんが帰る前にきたけど)

(私はそれに、はい、とだけ答えて……メッセージには、既読がついているだけ)

(だから、Pさんと連絡しているっていうのは嘘じゃない)

(けれど、Pさんが事務所に帰ってくるというか確証も無い)

「……」

(あの人は、直帰するかしら)

(でも言ったものね)

(待っているって)
8 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:05:04.19 ID:1aTlkDcE0

(家族でも友達でもない)

(独りの時間が一番長い、誕生日)

(大人になると増えるのかしら)

(SNSアプリは、と……)

「わ…… ふふっ」

(ネットを見れば、今日だけは主役になったような騒ぎで、私を祝う声はどこまでも尽きることない)

(アイドルをやっていなければ、こんな人数に祝われることもなかっただろう)

(そして、あの人に出会うこともなく、ましてや)

「……」

(あの人に祝ってほしいという、ささやかな願いも持つことは無かった)
9 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:05:33.02 ID:1aTlkDcE0

(時刻の表示は遅々として進まず)

「ふぁ ぁ……」

(コーヒーでも飲むかな……)

(サンタクロースを待つような心持ちとは裏腹に)

(ソファに深く腰掛けると、一日の疲労が覆いかぶさってくる)

「……」

(ああ、瞼が重い)

(だめ、起きていたいのに)

(私の意地は)

(微睡みに融けていく)



−−−



「……」

「……ん……」
10 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:06:03.05 ID:1aTlkDcE0

奏「あ……」

奏(……何時……?)

奏(0時、15分)

奏「……」

奏「はぁ……」

奏「帰ってきていたなら、起こしてくれたらよかったのに」

モバP(以下P)「うん。……おはよう」

奏(変わらない声。変わらない姿で。その人は向かいのソファに座っていた)

P「すまない、結構しっかり寝ていたみたいだから…… 眠り姫を起こすのは忍びないなって」

奏「あら。眠り姫は、キスで起きるものなのに」
11 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:06:32.27 ID:1aTlkDcE0

P「ゆっくり休んでもらうために、起こして帰しても良かったんだけれど」

奏「けれど?」

P「寝顔を見ていたかったって言ったら、怒るかな」

奏「それは、怒れないわね」

P「はは……本当は、ちょっと違う」

奏「……」

P「この部屋で、奏が待っていたから」

P「寝ながら、俺を待っていた。なんか……起こせなかった」

奏「そう。……ちょっと、分かるかも」

「遅くなってすまない」

奏「仕事だもの。仕方ないでしょう」

P「間に合わなかったな」

奏「でも、来てくれた」

P「……」

奏「私が帰っているかもって、思わなかった?」
12 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:07:00.93 ID:1aTlkDcE0

P「あんな電話貰ったら……メッセージでも、帰っている気がしなかったから」

P「じゃあ、待っているんだろうなって」


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prrrrr

P「はい、お疲れさまです…… ああ、奏か」

奏『お疲れさま。これからラジオのゲスト……うん、いま移動中』

P「わかった。特に問題なければ、連絡はいいよ」

奏『分かったわ。……ねぇ、今日は……』

奏『会えるかしら』

P「今日か……? このあと、地上波の企画会議で出席する必要があってな」

P「局で長時間になりそうだから、正直かなり遅いんだ」

奏『そう……』

P「だからいま言っておくよ、奏。誕……」

奏『言わないで』

P「え?」

奏『それは、会った時に聞きたいの』

P「……」
13 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:07:35.29 ID:1aTlkDcE0

P「そうか……じゃあ」

奏『ねぇ、Pさん』

奏『私、待ってるから』

P「え?」

奏『待ってる。事務所で』

奏『Pさんが戻ってくるの』


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奏「……電話口だけで済まされるなんて、嫌だったから」

P「うん。……最近はそういうの、素直に口にするようになったよなぁ」

奏「前の方が良かった?」

P「そうだなぁ。……どっちでも変わらないんじゃないか」

奏「そうなの?」

P「どっちでも、俺を困らせるのには変わりない」

奏「そうね、そうかも」

P「でも、口にしてくれる分、安心できる」

奏「そう…… じゃあ、少しはいい方向に成長できているのかしらね」

14 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:08:06.61 ID:1aTlkDcE0
P「だろうな」

P「奏のことだからそんなに心配はしていないんだけど……ご両親にはどう説明してあるんだ?」

奏「友達の家でパーティー」

P「言い訳でよくあるやつ」

奏「そうね。もしバレても構わないって思っていたし」

P「それで男と密会は、バレたら困るな」

奏「そこはあなた次第かしら」

奏「……ねぇ」

P「ん? ……ああ、遅くなっちゃったな」

奏「誕生日おめでとう」

P「ありがとう」

奏「ね。何か用意していただけたのかしら」
15 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:08:35.35 ID:1aTlkDcE0

P「あれ……ちひろさん、渡してなかったのか」

奏「ちひろさん?」

P「渡すものだけはって思って、預けておいたんだけどな……えーっと……」

奏「……」

奏「……あの人も、良い性格してるわ……」

P「え?」

奏「ううん、なんでも」

P「あ…… 先に、事務所に届いたファンレターとプレゼント」

奏「あら」

P「目は通してあるから、それらは持って帰って大丈夫」

奏「ふぅん」

ガサガサ

奏「あ…… ふふ、女性のファンも多くなったわね」

奏「ね、手紙にキスマークまで」

P「あー、あったな」ゴソゴソ

奏「映画のディスクはまぁ嬉しいけど……サメが多いのは何故」
16 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:09:01.57 ID:1aTlkDcE0

P「ちひろさん、どこに置いたんだ……うーん、と…… これだ」

奏「あった?」

P「ああ」

コト

P「どうぞ」

奏「ありがとう。開けても?」

P「うん」

ガサッ

奏「……」

P「少しは考えたんだけど……それにした」

奏「……香水」

奏「……」

奏「ねぇ。独占欲の意味があるの、御存じ?」

P「知ってる」

奏「!」

P「そういう意味じゃないと断ったうえで」

奏「……?」

P「それが似合う女になってほしい」
17 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:09:29.10 ID:1aTlkDcE0

奏「……」

奏「酷いこと言うのね。これもプロデュースの一環ってこと?」

P「拗ねないでくれよ。10割仕事ってつもりもない」

P「仕事している間柄だからこその、個人的な……」

P「……最初のファンからの、プレゼントってことで受け取ってほしい」

奏「……」

奏「個人的な、ね」

P「ああ。……まあ、奏のファン、香水とかコスメとか贈ってくれるから、事欠かないとは思うけど」

P「そういうことも全部考えて、それでもやっぱり、これにした」

奏「そう……」

奏「わかった」

奏「受け取るわ、Pさん。ありがとう」

P「どういたしまして」
18 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:09:56.74 ID:1aTlkDcE0

奏「ねぇ」

奏「香水、付けてくださらない?」

P「……まぁ」

P「それくらいいいか。誕生日だし」

奏「ええ。もう終わってしまった誕生日だもの」

奏「これくらいの埋め合わせは、ね」

P「ああ」

カチャ

奏「どこに付けるのがお好き?」

奏「手首か、首筋か。それとも胸?」

P「霧吹きならもう少し気軽に吹けるんだけどな…… 手に出して」

チャパ

P「触れるよ」

ピタ

奏「んっ」

P「耳の後ろは強く香るから、少しでいい」
19 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:10:25.15 ID:1aTlkDcE0

P「どうだ?」

奏「……」

奏「……この香り」

奏「どう感じて、どう考えてみても」

奏「高校生の私がつけるには早すぎるわね」

奏「この香りが、あなたの理想の女性?」

P「それを訊かれると、少し困るな」

奏「そうね。困らせてるかも」

P「……理想のアイドルだ」

P「いつかなれる、君のアイドル像」

奏「……」

P「でも、速水奏はそのままでいい」

P「高校生とは思えないほど大人びて見えて、背伸びをして」

P「最近は相応にはしゃいでみせたりして」

P「奏はそのまま、君の望む自分になっていい」

P「それが俺の理想の、速水奏だ」

P「その時にもしこの香水が似合っていたら、嬉しいだろうけどな」
20 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:10:55.73 ID:1aTlkDcE0

奏「う……」

P「……うん?」

奏「……愛の告白よりも緊張する言葉を貰った気分よ」

P「遅れた分の埋め合わせにはなったかな」

奏「そうね…… ……愛の告白の方は、くれないの?」

P「勘弁してくれよ」

奏「ふふっ……わかった。それはとって置いてもらうわ」

P「在庫あるかもわからないぞ」

奏「そう?」

P「ああ」

奏「ふふ…… でも、いつかは答えてくれるわ」

P「いつか?」

奏「そう。ねぇ、Pさん」
21 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:11:23.74 ID:1aTlkDcE0

奏「私もあなたを待ったのだから、あなたも待っていてね」

奏「この香りが似合う女になってみせるまで」

P「……俺が待たせたのは、数時間だった気がするけど……」

P「まぁ」

P「待っているよ。何年でも」

奏「その時は、次こそ起こしてくれる?」

P「それは……キスで?」

奏「だって、この香水が似合う女になっているんだもの」

奏「答えてくれるでしょう?」

ギシッ

P「お、おい……」
22 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:12:07.82 ID:1aTlkDcE0

 (Pさんの膝に正面から、腰を落として向かい合わせに座ると)

 (私の方が顔の位置が高くなる)

奏「ね?」

P「……参ったな」

奏(あなたは少し俯いて 笑うように息を吐いた)

P「ああ」

P「分かった」

 (それがくすぐったくて)

ギュッ

奏「香水、ちゃんと嗅げる?」

P「……少し、付け過ぎた」

奏「ふふっ」

 (私も笑ってごまかした)
23 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:13:05.24 ID:1aTlkDcE0

奏「さて、この後はどうしようかしら」

P「うん? 奏を家に送って……」

奏「あら、ダメよ。私いま、友達の家でパーティーしているんだから」

P「……ん? あ、泊まりって言ってあるのか!」

奏「ええ」

P「……あー……こっちを心配するべきだったか……」

P「どうしたもんか……」

奏「どうしましょう。どこに連れていってくれるの?」

P「……深夜なら、カラオケも映画館もダメじゃないか……」

奏「じゃあ、Pさんの家とか?」

P「あまり魅力的な提案はしないでくれ」
24 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:13:32.23 ID:1aTlkDcE0

奏「じゃあ、あなたの魅力的な提案は、どんなの?」

P「……」

P「……そうだな……」

奏「……」

P「少し寝よう」

奏「え? ……寝るの?」

P「ああ。それで、夜明けの海を見に行こう」

奏「!」

P「どこかでモーニングを取って、そしたら奏を家に送る」

P「どうだ?」

奏「……うん。それは魅力的ね。ところで」

奏「このまま寝ていいのかしら?」

ギュゥ

P「俺が寝られないからやめて」
25 : ◆WO7BVrJPw2 [saga]:2022/07/01(金) 23:13:59.28 ID:1aTlkDcE0

奏「ねぇ、Pさん」

P「ん?」

奏「眠り姫のお話ね」

P「え? ああ」

奏「キスで起こしてくれるのは素敵だと思うし、いずれ叶って欲しいと思うけど……」

奏「やっぱり私ね」

奏「シンデレラがいい」

P「……」

奏「眠り姫には口づけを。シンデレラには?」

P「ガラスの靴を」

奏「……お願いしたら、届けてくれる?」

P「……ああ」

P「履かせにいくよ」

奏「うん」

奏「ありがとう」

奏「……我がままを言うなら……」

奏「今日だけは」

奏「12時過ぎても解けない魔法がいいわ」






おわり



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