ダンテ「学園都市か」前時代史(仮)

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113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:10:51.40 ID:XVB8s0iW0
このナイトメアを生み出す際、
肥大による自滅の阻止という本来の目的のほかに、
魔帝にはもう一つの狙いもあった。
さらなる武力である。

先のスパーダは、その分身を
魔界史上屈指の「武器」として造りだしていた。
単に自己崩壊を防ぐのみならず、
さならる武力の獲得も同時に成し遂げていたのである。

当然ながら魔帝もこれを羨み、同じことを目論んだ。
最後の仕上げに果実の断片をも投じながら、
魔帝は最強の武器を造りだすべく魂を注いだ。
圧倒的な武力を、破滅の権化のように、
悪夢の具現のように、と。

そしてその目論みは成功した。
もとい、成功しすぎた。
完成したナイトメアは、まさに絶大な可能性を有していた。
湧き上がってくる力は無尽蔵の如く、
その潜在的な力量は魔帝にも見通せないほどだった。

それこそ魔界をも滅ぼしかねない、
魔帝が産みだした最高傑作、究極の兵器であった。
これがスパーダだったのなら歓喜したものの、魔帝は違った。
ナイトメアの可能性を見た瞬間、彼は怖れたのである。

なぜなら、すでに制御不能の兆候が表れていたために。
それゆえ即座に拘束し、一切の成長も許さずに力を凍結し、
虚無へと封印してしまったのである。
114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:11:28.00 ID:XVB8s0iW0
なぜ制御不能となってしまったのか、
それは根本的な魔帝の性格が原因だった。

スパーダが編み出したこの手法は、
力と魂を分けた「分身」を造りだすことであったものの、
魔帝はその本質を踏み外していたのである。

スパーダにとって、魔剣スパーダは完全なる一心同体であり、
意志が完全同期しており、そこに制御不能といった障害が発生する余地はない。
まったく同じ意志を有し、同じことを望むため、
スパーダの意に反して暴走や反乱、といった現象はそもそも起こり得なかった。

だが魔帝にとっては、ナイトメアはそうではなかった。
手段自体は「分身を造る」というものであっても、
彼が造ろうとしたのは単なる延命装置、ただの奴隷兵器である。

それゆえ誕生した存在は一心同体とは程遠い。
単なる道具として造ったために意志も有さない、
同期する繋がりすらなく、それが制御の不完全性をもたらした。

さしずめ魔帝の傲慢さが招いた結果だった。
自分はいずれ唯一無二の支配者に成る存在、
そう傲り高ぶる魔帝にとって、
己と同格を意味する真の意味の「分身」なんて許し難い。
意志を共有する一心同体なんて存在は論外だったのである。
115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:11:54.75 ID:XVB8s0iW0
彼の「創造」は理論上限界がなく、
彼自身を上回る力すらも創ることが可能だった。
スパーダのように真の「分身」としてナイトメアを造り出していたら、
魔帝の武は遥かに増していたはずだった。

それのみならず、スパーダのように己を実験材料にするほどの姿勢があれば、
「創造」の力によって魔帝の可能性はまさに無限大であった。

だがそうした可能性は、
魔帝が自ら封じてしまっていた。

言うなれば、魔帝にとって最大の敵はエーシル=ロキではなかった。
己を唯一無二の存在とするその傲慢さ、
彼の性格そのものが、彼のこれ以上の飛躍を妨げていた。
そして魔帝自身はそれに気づこうともしなかった。
果てしなく傲慢ゆえに。


こうして魔帝の試みは失敗した。
封印して完全に切り離してしまった時点で、
ナイトメアは延命装置としてはもはや機能しない。
当然のごとく新たな武力も得られない。

彼はこの手法についてはもう諦め、
他のナイトメアの原型器たちも全て封印し、あらゆる作業を取りやめた。

またこうした魔帝の頓挫を知ったアルゴサクスも、
同じ失敗を危惧してこの手法を用いるのは保留した。
そして両者は次なる手段を模索して、
今度は人間界に目を向けはじめた。
116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:12:22.37 ID:XVB8s0iW0
もともとスパーダの手法以外にも、
一つ有効と思われる手段が存在していた。

人間界に在る「世界の目」である。
事象を確定させるオリジナルたるOMNEの力、
それを用いれば、侵犯者の力を安定させることも
可能だと思われた。

だがロキ・ロプトの存在ゆえ、
そもそも人間界には容易に手出しできなかったため、
この手段は長らく脇に置かれていた。

しかしスパーダの手法が頓挫し、他の有効案も編み出せない今、
魔帝と覇王は否応なく人間界へと、
ロキ・ロプトの牙城へと挑まざるを得なくなった。
117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:12:56.42 ID:XVB8s0iW0
「世界の目」を手に入れるには、
まず何よりも隠遁後のロキ・ロプトの動向把握が必要だった。
彼らの現状、特に『無』の力の状態を明らかにしないことには、
「世界の目」強奪に取りかかるには危険すぎた。


そこで魔帝たちはまず、人間界と魔界のもっとも大きな情報ルート、
アンブラ族を利用することにした。
彼女らと交流がある悪魔たちを通しての情報収集である。

アンブラ族と結んだ悪魔は大抵
反魔帝、反覇王の姿勢だったものの、
魔帝たちはそれも気にしなかった。

むしろそれを理由にして配下に襲わせ、
生かす代わりに情報提供するよう脅迫し、
彼らを密偵として存分に利用し、情報を横流しさせたのである。

こうした手法によって、魔帝たちはしばらく
ロキ・ロプトの尻尾を掴むべく情報収集に専念した。

そしてその「尻尾」はあまり待つことなく現れた。
それは人間界内部で発生した、とある大事件が発端だった。
人間に嫉妬していた人間界の混沌神たち、
その首長たる「竜」が引き起こしたものである。
118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:13:34.09 ID:XVB8s0iW0
17 「竜」の力

エーシル=ロキは次子たる人間を愛したが、
長子たる混沌神族のことも同じほどに愛していた。
人間と同じく手厚く育てあげ、
常世の領分を与え、混沌界の全生命の魂管理を彼らに託した。

確かに人間には混沌界の支配が託されたが、
それはあくまで現世におけるものであって、
一方で混沌神族にも常世の支配者として同様の責任と権限が
与えられていたのである。

人間の優遇などはなく、エーシル=ロキはあくまで
人間と混沌神族が現世/常世から対等に繁栄するよう意図していた。
混沌神族にも並外れた才を与えており、人間と相互練磨することで共に繁栄し、
強くなるよう環境を整えていたのである。


だがエーシル=ロキが隠遁した後、
とある異物の介入によってその計画が狂ってしまった。

天界、とくに魔神たちとの接触である。
彼らがもたらした知識と技術によって、
人間は混沌神族との相互練磨の必要なく飛躍した。
すなわち混沌神族は置き去りにされた。
才が開花したのは人間側のみであり、
混沌神族の才は未成熟のまま燻ることとなったのである。

そしてアンブラとルーメンの二大氏族がその力を確立させた時代、
人間から見た混沌神族はもはや対等ではなくなっていた。
人間世界のために働く常世の管理人としかみなさなくなっており、
混沌神族にとってこうした状況は屈辱以外の何物でもなかった。
119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:14:00.59 ID:XVB8s0iW0

とはいえ、これは反感の一部分に過ぎなかった。
人間に対する負の感情、その大元はさらに昔、もっと根深いところにあった。

それはエーシルの選択、ロキとロプトへの分離である。
人間に自我は必要ない、というロプト側の意志がもし果たされていれば、
混沌神族こそが現世を含む混沌界の全てを受け継げたはずだった。

だがその魅惑的な未来は実現しなかった。
実際にはロキ側の意志が勝り、人間は第二の子となり、
「世界の目」と現世の支配権が与えられたからである。

「魅惑的な未来」は失えば「毒」となる、
その拭いがたい失意は混沌神族の心を燻らせることとなった。
もっとも、彼ら神々自身が卑しい欲を有していたわけではない。
ロプトが「魅惑的な未来」を与えたためであり、
すなわち創造主によって設定された本能に等しく、
完全に抗うことは困難なのである。

後世の視点をとれば、すでにこの頃からロプトによって
世界を狂わせる悪しき「種」が巻かれていたことになる。

神々はエーシル=ロキの選択を甘んじて受け、
しばらくは健気に、そして善意によって弟たる人間を愛したものの、
この「毒」は秘かに彼らを蝕みつづけた。

そして繁栄する人間に置き去りにされ、力関係が逆転し、
さらには人間に見下されるようになった頃。
神々の愛情は屈辱と失望によって歪み、ついに嫉妬と憎悪へ転化した。
120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:14:27.36 ID:XVB8s0iW0

こうして負の感情に傾いていった混沌神族の中から、
ついに行動を起こした存在が現れた。

彼は「混沌の使徒」、あるいは「竜王」と呼ばれていた。
「混沌の使徒」という名は、長子たる混沌神族の中でもっとも早く生まれ、
そしてもっとも力があったことから、
エーシルによって直接授けられたものである。

とはいえこの名は常用するには大袈裟だと、
また善良だった頃の彼自身はこの名を嫌ったため、
人間が成熟したこの時代には使われなくなっていた。
そして代わりに用いられたのが、
彼の姿形に由来する「竜王」の名だった。

この竜王は本来、エーシルの意志を受け継いだ高潔な神であり
混沌神族を束ねる首長として君臨していた。
くわえてエーシルから、「魂の苗床」の統括者たる役目、
そしてそれに相応しき力も与えられていた。

それはいわば人間界の「心臓」たるものだった。
苗床から生じた魂はすべて竜王に送られ、
そこではじめて生命の鼓動を与えられ、現世へと送り出された。
また一方で死した魂もすべて一度彼のもとに集められ、
清められたのちに苗床に還され、新たなる魂の糧となった。
人間界の血を巡らせる「心臓」、
彼こそが人間界の生命の鼓動を司る存在であった。

竜王は誕生以来、この大いなる役割を用い、
「苗床」統括者としての役目をこなしていった。
ひたすら真摯に、高潔なる長子の長として、
厳格かつ善良なる施政者として。
121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:14:54.11 ID:XVB8s0iW0

だが、そんな彼も豹変してしまう。
善良なる神は突如、
享楽かつ悪辣な神へと変じたのである。

そしてあらゆる秩序を誑かし、狂わせることを楽しみはじめた。
その対象は見境なく、人間の領域にまで干渉し、
現世のあらゆる物理法則を歪めて破壊と混乱を撒きちらした。

さらに人間界の心臓たる役割、その力を悪用し、
地上のあらゆる生命のほか、同族たる混沌神族たちの魂をも
取り込み始めた、つまり喰らった。
それも「喰らえるから喰らう」という、正当性なき理由によって。
こうして生と死を司っていた人間界の心臓は、
人間界を脅かす「胃袋」に成り果てることとなった。

そしてその暴食は、ある重要な神をも喰らったことで
ついに人間界を決定的に狂わせた。
その神は「冥府の観測者」、
後世ではハデスとの名でも呼ばれている存在である。

彼は「世界の目」が与えられた人間と同様の、
常世における観測と定義を司る神であった。
「魂の苗床」を含む常世の全てを監視し、
あらゆる現象の操作と安定を担っており、竜王と並ぶ重要な存在だった。

そしてこのハデスが竜王に喰らわれてしまったことで、
事態は最悪の段階に達した。
竜王とハデスの力の組み合わせ、
それは禁忌と言えるほどのものだった。
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:15:23.77 ID:XVB8s0iW0

彼らの力は共にOMNEではないものの、
かのエーシルが己の力を注いで創りだしたものである。
それゆえ部分的にはOMNEの力に準じるほどであり、
特に共通して強大な点は「上限」が無いことであった。

竜王の「心臓」、もとい今や「胃袋」というべき性質は、
理論上ではエーシル、ジュベレウスやクイーンシバほどの存在をも飲み込める、
つまりそれらの力や英知をも吸収できる、無限の器だった。

ハデスの性質も「世界の目」ほどではないにせよ、
正確に観測、もとい理解さえできれば理論上は
OMNE領域の力にも干渉できる潜在性があった。

「世界の目」とハデスの力の異なる点は、
前者はOMNEの著者のごとき力が典型的なように
理解を必要とせず無意識下においても現実全体に干渉できたのに対し、
ハデスのものは干渉する対象ごとに理解/知識と
明確な意図を必要とした点である。

こうした差から、ハデスの力は「世界の目」と似てはいるが
決して同等と呼べる代物ではなかった。

だが十分な知識さえ蓄えれば近づくことは可能であり、
少なくともこの段階の竜王は混沌神族を大勢食らったことで
その知識を奪い、人間界内の諸現象を理解したため
人間界においてほぼ全能となっていた。
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:15:50.21 ID:XVB8s0iW0

当然、次に起こったことは更なる悪夢だった。
竜王はその全能のごとき力を存分に悪意によって行使し、
人間界の悉くを狂わせ破壊した。

竜王が遊興として作った「不運」によって
あらゆる生者が苦痛と絶望にまみれ、
死による解放も許されない生ける屍とされた。

魂の供給が停止したために全ての人界種族が子を宿せなくなり、
行き場をなくした魂は亡霊となって苦しみ彷徨い、
生命の循環機構そのものも崩壊。
地上からは急激に生の息吹が失われ、人間界は悪夢の世界へと変貌していった。

一方、賢者と魔女の領域については、悪夢と化した人間界の大部分とは異なり
この段階ではまだ平常を保っていた。
竜王は天界・魔界の力についての知識が不十分だたっため、
それぞれの要素を取り込んでいた賢者・魔女の領域には
まだ干渉できなかったのである。

だが災厄から完全に逃れているわけではなかった。
二大氏族の魂の大元も、同じく竜王が司っていた「魂の苗床」だからである。
人間界の他生命と同様、
賢者と魔女も新たな魂の供給が止まったことで
子を授からないという災厄を蒙ることとなった。
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:16:22.60 ID:XVB8s0iW0
その上、竜王が賢者・魔女の領域に
干渉し始めるのも時間の問題だった。

ハデスの観測と定義の力は、対象への干渉には知識が必要であったが、
必ずも完全な理解までは必要としなかった。
部分的な理解のみでも、その範囲内だけ干渉可能であった。
相応の天魔の者を喰らって見識を得れば
その分ある程度は干渉できるようになる、ということである。

そして竜王も明らかにそれを目的とした動きをしており、
その悪意が賢者・魔女の領域に及ぶようになるのも時間の問題であった。

賢者・魔女らはすぐさま竜王の分析、対処法の模索に総力を挙げた。
だが竜王の変貌とこれら事態はあまりに予想外かつ劇的であったため、
彼らは完全に後手に回ってしまっていた。

竜王が突然正気を失った理由など当初は検討もつかず、
もちろん竜王も非協力的であったため、
速やかな原因究明も困難だった。

同様に天界勢も情報収集に注力していたものの、
状況は同じくまったく捗らなかった。
そして焦燥する彼らに追い討ちをかけるように、
ここで極めつけの悪夢たる新事実も発覚する。


竜王は人間界において全能の如く成ったのみならず、
それらの力とは別に、本物の『OMNE』の力をも有していたのである。
125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:16:49.91 ID:XVB8s0iW0

この事態もまた、予測できた者は一人もいなかった。
いるはずもない、魔神や賢者・魔女に到底及ばなかった存在が、
どうして侵犯者の如く『OMNE』を手中にできるのか。
それは不可能なはずだった。

確かに不可能を成した前例はあり、
『OMNE』域に達した侵犯者たちがまさにそうだった。
しかし彼らには、事前に超越した強さに達するという
不可能の扉をこじ開けるだけの理由があった。

しかし竜王はその強さすらなく手中にした。

どうやって、なぜ。
眠り続けていた才が覚醒したのか。
あるいは、未だ知られていない人間界の深部にて、
残されていた『OMNE』の破片でも見つけだしたのか。

それとも『何者』かによって与えられたのか。
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:17:17.98 ID:XVB8s0iW0

竜王が宿したOMNEの力は、
その性質から『混淆』と呼ばれた。
これはエーシル達オリジナルのOMNEとも、
侵犯者の複製品たるOMNEともいささか趣が異なっていた。

他のOMNEの力と違い、
『混淆』はそれ自体が強力な破壊をもたらすわけでも、
何かを創りだすわけでも、現実の定義を操るものでもなかった。

接触対象の霊的構造を「混淆」させる、ただそれだけだった。

OMNEの域ゆえに無条件で作用する、
と言えば強力にも聞こえるが、
実際には他者に直接的な危害を及ぼすことはできなかった。

霊的領域においては、もともと混淆が自然の状態だからである。
例えば魂は生命力の放出点であり、常に渦巻いて混淆しているため、
この『混淆』に触れられようとも何も変わらない。
この力は、生命にとっては基本的に無害だった。
しかし自然ではないもの、とくに霊的な人工物については逆であり、
これらに『混淆』は大きな効果があった。

そういったものは「自然ではない状態」を維持するうえで、
人工的な構造と秩序による抑制を必要としたからである。
これらにとって『混淆』の効果はまさに致命的であり、
構造が乱され、秩序が狂わされ、そして崩壊は免れなかった。

そしてこの作用には人間たち、とくに賢者と魔女は戦慄した。
賢者と魔女の武力を構築する『式』は、典型的な霊的人工物なのだから。
127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:17:44.23 ID:XVB8s0iW0

『混淆』とは、対賢者・対魔女に特化したかの如き性質、
彼らの弱点を的確に突いてきた。
そのうえ竜王が蓄えた力と知識も併せれば、
賢者・魔女にとって相性は最悪、極めて戦いにくい相手だった。

加えて、事態収拾のために竜王を殺害するなど持っての外、
それどころか損壊すら与えてはならないという点も対処を困難にさせていた。
なぜなら「人間界の心臓」たる竜王の力、そのほかハデスら他の混沌神族の力も
人間界の生命圏存続に必要だったからである。

それらはエーシルの超越的な業によって創りだされたものでもあり、複製も困難、
つまり人間界を立て直すには竜王を生け捕りにしなければならなかった。

さらには賢者・魔女にとって引導の如く、
竜王は出生前の赤子らの魂をも堂々と人質にし、大いに脅迫もした。
第一に父であり母である彼らにすれば、
これは最大の弱点を突かれた形であった。

もはや賢者・魔女は八方塞、自力解決は諦めるしかなかった。
それゆえ、人間界最強にして最大守護者と自負する彼らにとって
極めて異例ながら、魔女にとっては極めて屈辱的でもありながら、
彼らは外部勢力へ助力を求めた。

天界勢の介入である。
128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:18:19.32 ID:XVB8s0iW0
18 竜と「聖なる右」

天界においても、この竜王暴走は非常事態と受け止められ、
特に魔神たちが強い反応を示していた。

賢者・魔女と同様に魔神たちにとっても相性が悪い、というだけではなく、
「竜」というシンボルと「式を破壊する力」という組み合わせが
彼らを珍しく真剣にさせた。
彼らがかつて属していた旧世界にも
同じ組み合わせの存在があったからである。

「人間」という存在が酷似している等、
魔神たちの旧世界と「新しい人間界」は似ている部分があったが、
ここまで具体的な近似が生じたのは初めてだった。

それに対する魔神たちの反応は様々だった。
ある者は懐かしがり、ある者は研究対象として夢中になった。
そしてとあるもっとも若き魔神、「オーディン」は激しく嫌悪した。
「彼女」にとって、竜と式破壊の組み合わせは特別な意味があり、
それゆえこのような「贋物」は許せなかったのである。

そんな彼女の嫌悪に満ちた提言もあり、
魔神たちはひとまず竜王討伐が先決との意見で一致した。
この新世界の悪しき竜は即刻対処せねばならないと。

そしてその意志は天界全体としても一致していた。
ジュベレウス復活に「世界の目」が必要な以上、
それが存在する人間界の破滅は必ず防がねばならなかった。
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:18:45.76 ID:XVB8s0iW0

もはや猶予はなく、天界による早急な介入が求められていた。
だが相手が相手なだけに、討伐となると非常に厄介な面もあった。

もちろん殺害は論外。
竜王の死は人間界の完全崩壊を意味し、
そうなれば天界の最終目的たる「世界の目」も
失われてしまう可能性がある。

とはいえ生捕りにしようとも、
縛や封印は『混淆』によって壊されてしまう。
殺さず、縛や封印も用いず、
それでいながら無力化する策が必要だった。

そうして四元徳と魔神派は協議の末、
竜王の魂や力には傷つけず、その機能のみを停止する策を選定した。
簡潔に言うと、竜王の「胃袋」は天界の知識も渇望していたため、
それを逆手にとって毒を飲み込ませてやろう、という
構想自体はごく単純な作戦である。
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:19:15.39 ID:XVB8s0iW0

だが一つ問題があった。
『混淆』の障害がある以上、その飲み込ませる「毒」は
魔神の式などで作られた霊的な人工物では
役割を果たせなかったのである。

そのため、「誰か」が竜王に喰われて内部に入り、
自らが「毒」役となる必要があった。

またこの策が成功した場合、
その毒役は事実上の死を迎えることになる。
竜王の胃袋によって分解されてしまうために。

加えて、この毒役は人選においても重要な条件があった。
竜王と渡り合えるほどの力があり、
かつ竜王の自我に押し負けぬほどの強靭な精神力、
そして今の悪しき竜王にとっての毒物になるべく、
純粋な善性が求められたのである。

それら条件を満たす者たちが選定され、
魔神らによる入念な検査も行われ、
そして主神派が最終的に指名したのは
とある愚直な戦士だった。

その者はある有力派閥に所属、後世ではミカエルとも呼ばれた。
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:19:41.70 ID:XVB8s0iW0
彼の武力は、その派閥内でも上位であり、
また精神面においては特に抜きんでていた。

無尽蔵の積極性、執念の域に達している正義感、
そして周囲からは異常とさえ言われるほどの強固な善意によって、
一度決めたら何があろうと止まらず、絶対に諦めないという性格だった。

かつて最終戦争中には、明らかに勝ち目がなくとも侵犯者に挑み、
そしてやはり悲惨な結果になるも執念で常に生き延び、
傷が癒えたら再び挑む、ということを延々と繰りかえした。

その愚直さは誰しもが呆れた。
ジュベレウスからは「善良なる狂気」との賛辞を賜ったほどであり、
四元徳からは独断専行が目につく問題児として煙たがられていた。

ただし一方で、その愚直なまでの善意は
ミカエルを嫌う者たちですら認めざるを得なかった。
煙たがられ、嫌われることもあったにせよ、
その善なる戦士としての姿には全天にて評価を得ていた。

今回、竜王討伐の大任を与えられたのもその評価ゆえのものだった。
精神力と善意が必要水準に達していたのみならず、彼の戦士としての能力は
天界全ての派閥から信頼されていたのである。

そして当のミカエルもその信頼に応えた。
この確実に命を落とす任を告げられると、
彼は恐怖を抱きつつも迷わず承諾した。
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:20:07.96 ID:XVB8s0iW0

こうして速やかに準備が行われた。
ミカエルは魔神たちから訓練を受け、彼の魂も対竜王用に調整された。

魔神の式類は対竜王には使用できなかった関係上、
その調整作業は魂を削って変形させるという苦痛をともなう形で行われたが、
ミカエルは不満を訴えることなく耐えた。
またこの作業の末に、彼の右腕に
竜王の自我を貫き破壊するための「剣」としての性質が宿された。

この計画は騙まし討ちであるため、
これら準備作業はすべて秘密裏に行われた。
終了段階で事情を知っていたのは天界各派の首脳部、
魔神たち、ミカエルに近しい者たちのみであり、
賢者・魔女側には一切通告されなかった。

そしてこの方針は計画開始においても徹底されていた。
ミカエルの行動については、天界首脳部は表向きは一切関知せず、
「いつもの独断による暴走」という設定が貫かれた。

ゆえにミカエル出立の儀もなければ、付添い人もいなかった。
許されたのはごく少数の友人に簡単な別れを告げる程度であり、
彼はささやかな時間をすごしたのち速やかに天界を去った。
そして単身で竜王のもとへと向かっていった。
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:20:34.67 ID:XVB8s0iW0

ミカエルは竜王を恐れていたが、その歩みに迷いはなかった。
なぜなら、それほどまでに恐るべき存在だからこそ、
倒さねばならないと使命感をより強めたからである。

竜王と相対するや、彼はいつも通りの蛮勇を演じ、
全力をもって一騎打ちを仕掛けた。

喰われる予定でありながらあえて戦うのは、
竜王の食欲をより促進させるためだった。
絶望、失意、困惑、それらに染まった魂を竜王は特に好んだため、
ミカエルもあえて全力で戦い、
それらを備える「心折れた敗者」という役を演じようとしたのである。

彼はその役を全うした。
ミカエルは良き戦いを演じながらも敗れ、最期に喰らわれた。
無念の敗北、非業の死。
それら演出は目論み通りに醸成され、
誘われた竜王は疑うことなくミカエルの魂を味わおうとした。

その貪欲ゆえの無用心こそが、ミカエルにとっての勝機だった。
「胃袋」に取り込まれて分解されたミカエルの魂は、
竜王の最深部まで落ちこむや「剣」となり
無防備な内側から悪竜の精神を貫き、
竜王にとっての「毒物」となる善意を打ちこんだ。

そして悪竜の精神が崩壊した。
竜王とミカエルの精神は共に砕け、その魂は無秩序に混ざり合い、
彼らは共に自我を喪失したのである。
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:21:42.74 ID:XVB8s0iW0
しかし、ここからはいささか予定外の事態となった。
竜王は自我を喪失してそのまま機能停止すると思われていたが、
実際には極度の暴走状態に陥ったのである。

これは想定以上に竜王の欲望、特に食欲が強かったせいだった。
自我を喪失した竜は、おぞましき食性のみに従い
人間界そのものを喰らおうとし始めたのである。

そこで魔神たちが事態収拾を試みた。
今や竜王は理性を失ったために
『混淆』を有効活用できなくなっており、式が壊されることもない。
そしてその障害さえ無ければ、
魔神たちにとって竜王など勝負にもならない相手であった。
それこそ魔神全員が手を出すまでもなく、オーディンが1人であっさりと封印した。

竜王の暴走はそれでも止まらなかった。
封印されて他に食す存在が無くなるや、今度は己自身に食指を伸ばしはじめた。
かの竜は狂気によって己を喰らいつづけ、
やがて活動不能なまでに損壊したところでようやく止まった。
残っていたのは喰らうための『顎』、食指たる『腕』、
そして食した存在を溜め込んだ『胃袋』だけ。

とはいえ、おぞましくも幸運なことに、竜王の生命力は異常なほどに強かった。
オーディンが封印を解いて確認するや、
魂は粉砕状態だというのに未だ生命を宿しており、
残された部位も活発に蠢いていたほど。
竜王を殺さずに無力化するという目的は
なんとか果たされたのであった。
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:22:17.71 ID:XVB8s0iW0

こうして想定外の事態があったものの、
竜王を殺すことなく脅威は排除され、事態は収拾へと至った。

ミカエルはその使命を見事完遂し、
その功績を称えて四元徳はこう宣言した。
「悪竜は『聖なる右』によって倒された」と。

しかし、万事元通りとはいかなかった。
この竜王事件による爪痕は途方もなく深く、
そこから生じた新たなる問題は
全てを変えることとなったのである。

人間界のみならず、それこそ三界全ての運命をも。
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:22:46.02 ID:XVB8s0iW0
19 火種

竜王の無力化後、賢者と魔女、
そして魔神派はすぐに竜の残骸を精密調査した。

その最たる目的は、人間界の「魂の苗床」ほかハデス等の諸機能の回復、
加えて可能ならば元々の「善良な竜王」と混沌神族を復活させられるか、
もとい「悪しき竜王」の要素を消去できるかどうか、
それらを判断するためだった。

そうして残されていた断片である『顎』、『腕』、『胃袋』、
それぞれが精密調査されたが、結果は悉く悪いものだった。

まず、「善良な竜王」ふくむ元々の混沌神族の復活は困難だと判明した。
全ての断片に悪しき竜王の要素が溶けこんでおり、
それぞれを分離抽出するのは不可能だと判断された。
もしこのまま復活させようとした場合、、
そっくりそのまま「悪しき竜王」が復活することを意味していた。

そのため復活案は即座に放棄され、
必要最低限の「魂の苗床」機能のみを再起動させる方針となった。
137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:23:19.54 ID:XVB8s0iW0

だがこの「魂の苗床」のみを復活させるという案も
また別の点で困難なものだった。

これはもともと竜王だけに託された任であり、
創った大元のエーシルと竜王以外は操作不能なものだった。
そもそもこれを知っていたために、賢者・魔女・魔神たちも当初は
「善良な竜王」を復活させようとしていたのである。


一応、抜け穴はあるにはあった。
「魂の苗床」はエーシルと竜王以外は操作できない、
それが基本であったものの、詳細な調査によって
エーシルと同じ『オリジナルのOMNE』格ならば
なんとか干渉可能だと判明はした。

とはいえ、エーシルの代役など簡単に立てられるわけがなかった。
人間たちにとってまずロキが本命であったが、
かの存在は隠遁してから完全に消息を絶っており、
この竜王事件においてもなんら活動が確認できなかったため
もはや期待できなかった。

そしてロプトも同じく消失状態。
もとい、ロプトは人間に対する敵対姿勢から、
魔たるクイーンシバと並んでそもそも論外である。

となると、残るオリジナルのOMNEは一柱、ジュベレウスである。
かの女神は活動停止してはいるものの、
その魂はいまだ強き生命を宿しており
そこに接続すれば「魂の苗床」も再稼動可能。
これこそ人間界滅亡を回避する、唯一の実現可能な選択肢であった。
138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:23:55.71 ID:XVB8s0iW0

このジュベレウス案に天界主神派は大いに賛同したが、
もちろん賢者と魔女は猛烈な反感を示した。

「魂の苗床」がジュベレウスに接続されるということは事実上、
人間界の生命圏が丸ごと天界の影響下になるからである。
さらにジュベレウスは冬眠状態であったため、実質的な主導権は
ジュベレウス代理権限を有する主神派が握ることを意味していた。

これだけでも人間、特に魔女たちからは大反発を招くものだったが、
さらに主神派の思惑もまた火に油を注ぐこととなる。

そもそも主神派がこのジュベレウス代役案に同意したのは、
完全なる善意からくるものではなく
彼らの打算も含まれていたからである。

実は天界、もとい主神派からすれば、
この人間界の生命圏は金脈でもあった。
人間を糧としたクリフォトの樹があれだけの力を醸成し、
さらにその『果実』がムンドゥスをあそこまで飛躍させた以上、
人間界の絶大な利用価値は否定しようがない。
この世界に秘められている莫大な力、その潜在性は自明である。

そしてジュベレウスが眠りについてしまって以降
魔界に劣勢であり続けている天界にとって、
人間界はその劣勢を覆しうる力の源になり得たのである。

加えて人間界の生命活動を掌握することで、賢者や魔女に対する影響力も増大し、
ジュベレウス復活に必要な「世界の目」へ干渉できる機会も増す。
この人間界を救うはずのジュベレウス代役案は、
天界にとって長き苦境を打開する起死回生の一手にもなったのである。
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:24:26.44 ID:XVB8s0iW0

しかしながら、こうした姿勢はやはり道義上の問題を伴っていた。
これでは侵略するも同然、まるで魔族のような行いだ、
という拒否感が主神派内においてすらも生じたほどである。

だが天界の力がなかなか回復しない長き苦境、
そして停滞し続けているジュベレウス復活計画、
そういった状況は主神派を追い詰め、より強硬的にさせつつあった。

道義と理念の葛藤、良心と現実を天秤にかけた熟考の末、
最高指導部たる四元徳はついに一線をこえる決定を下したのである。
全てはジュベレウス復活のため、
ある程度は善を外れることも辞さないと。

人間界への協力として、ジュベレウスと「魂の苗床」を接続して再起動させる。
そしてそれを利用して人間界の生命圏そのものを掌握し、
その莫大な力を管理下におく、と。

「魂の苗床」を掌握するということは、
以降の人間界の全ての「出生」を支配するということ。
すなわち事実上、人間の隷属化を意味した。

賢者と魔女も、ジュベレウス代役案によるそうした弊害に気づいてた。
そして強い反感を抱き、
特に魔女たちの主神派に対する感情は憎悪の域に達していた。

しかし破滅を避けるには、他に選択肢は無かった。
魔女たちも憤怒を腹に抱えながらも、
この現実を受け入れるしかなかったのである。
140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:25:05.48 ID:XVB8s0iW0

こうして、竜王事件で最終的に「勝者」となったのは主神派であった。

天界各派の識者たちは、この主神派のやり方に失望し、
自らをも含めて天界そのものにも失望した。

主神派は変わってしまった、
彼らはジュベレウス復活を優先するあまり、
ジュベレウスに教わった良識を捨て去り、
忌むべき一線を越えてしまったと。


我ら天界は、もはや『善』ではなくなったと。
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 01:26:05.00 ID:XVB8s0iW0
今日はここまで
次は明日の夜に
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:11:57.75 ID:XVB8s0iW0

第二章 新人間界


1 人間界の再建


表向き、主神派は人間界を救うためとしていたが、
その手法は侵略同然であり、
またその真の思惑も隠せるものではなかった。

潜在的に反主神派である魔神たちは真っ向から反対、
天界の他派閥も懸念を表明し、
天界寄りの賢者でさえも否定的な姿勢を示し、
魔女に至っては殺意をも露わにした。

だが主神派は否定せず、むしろ開き直って利点を述べた。
これはいわば同盟である、天界はさらに強くなり、
ジュベレウス復活にも近づき、
結託によって人間界も共に強くなる、と。

さらに決め手として、こう周囲に、特に人間たちに問うた。
他に人間界救済の策はあるのか、
人間達よ、汝らに滅び以外の選択肢はあるのか、と。
これに対して明確な答えを用意できた者はいなかった。
現実問題として、人間界の生命圏を復活させるには
これしか方法がなかった。
憤怒していた魔女達ですらこの現実を否定することはできず、
ただ沈黙を返すしかできなかった。

そして主神派と対立していた魔神派も改めて熟考した末、
しぶしぶながら認める形となった。
かつての全能性と旧世界を取り戻す、というのが魔神派の至上目的であり、
それを叶えてくれる「ジュベレウスの復活」へと到る道は
魔神派にとっても最優先だとだと再確認されたからである。

天界他派閥も苦渋の判断でこれに追従、
こうして一応の承認を得て、主神派は計画をついに開始した。
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:12:23.98 ID:XVB8s0iW0

ただ、この計画は作業段階においても難儀なものだった。
ジュベレウスと「魂の苗床」を接続し、人間界の生命圏を復活させる、
と簡単には言うものの、その具体的施行は様々な段階を踏まねばならなかった。

まず最初に必要だったのは、人間界の再設計である。
竜王の暴走により、人間界の物質領域は
空と大地が溶けあうほどに法則が乱れ、
生命活動も寿命や生死の境界が修復不能なまでに乱されていたため、
人間界の全様相を作り直す必要があった。

そのうえ元の「設計図」は竜王の残骸と癒着したため再利用不能、
一から新たに再設計しなければならなかった。

さらに装いを新たにするならついでということで、
より改善された人間界の様相が望まれた。
今回のようなたった一柱の暴走だけで崩壊する構造は避け、
頑丈かつ安定した世界構造を、と。

この難解な再設計作業は、
主神派の判断により魔神派に委ねられることとなった。
これは彼らの能力と経験が最適だったからである。

かつての原初時代において、
魔神たちは世界の「書き換え」を容易く行ってきた。
しかもその対象が「人間世界」というのも現状に合致しており、
魔神たちにうってつけの仕事だった。
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:12:55.06 ID:XVB8s0iW0

魔神たちはまず、新たな生命圏を精密管理するための基盤として
大規模な霊的回路網の構築にとりかかった。

人間界深層におかれた「魂の苗床」と
天界にて眠るジュベレウスをつなぐ本線を中心とし、
そこから広がる無数の枝が人間界の生命圏を覆う、
「樹」のごとき構造がとられた。

これは末端の魂のあらゆる活動に干渉する機能も備えており、
用い方によっては、人間を霊的領域から支配することも理論上可能だった。
この巨大な霊的回路網は
魔神たちによって「セフィロトの樹」と命名された。

これは彼らの旧世界における同名の霊的構造、
そして魔界のクリフォトの樹にもかけた、
天界主神派の所業を皮肉った命名であった。

このセフィロトの樹は、実際の運用は主神派ではなく
他の天界有力派閥に委ねられることとなった。
これは主神派が天界指導部としての業務に専念するため、
また魔女の反応を鑑みた妥協という一面もあった。

管理者として選ばれた有力派閥は良識的であり、
かつてかのミカエルが属していたこともあって
人間界を救った貢献から魔女とも一定の友好を維持していた。
そのため、彼らがセフィロトの樹を運用するならば
いくらかは魔女の反発も和らぐと考えられた。

つまりこの時点では、
『樹』自体は人間を支配可能な能力を備えつつも、
主神派が直接的にそれを行使できる体制ではなかった。
これもまた、周囲からの反発を和らげるための妥協であり、
彼らは慎重に事を進めていったのである。
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:13:21.90 ID:XVB8s0iW0

そしてこのセフィロトの樹の整備にあたって、
ある大きな問題についての対応も組み込まれた。
それは竜王ふくむ混沌神族の残骸の管理、
もとい、それら神々の復活を阻止する策の構築である。

「魂の苗床」は竜王の「胃袋」等の残骸と癒着しきっており、
これを分離できなかったため
それら残骸も含めて『樹』と接続するしかなかった。

だがそこには混沌神族の残骸も蓄積されている。
OMNEたる『混淆』も含めて厳重に封印はなされていたが、
完全分離が困難な以上、やはりそれら残骸が漏れ出して、
セフィロトの樹に流れこんでしまうのは避けられず、
それが混沌神族たちを復活させてしまう可能性があった。

具体的には、「魂の苗床」から出でる新生児の魂に
混沌神族の因子が混入し、いわば「神々の子」となって
現世に産まれてしまうのである。

そして問題なのは、その混沌神族の因子には
分離困難な竜王の要素も含まれたままであること。
つまりこの「神々の子」は成長すると竜王のごとき
邪神に変じる可能性があった。
最悪の場合、悪しき竜王そのものが蘇る危険性すらあった。

146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:13:48.27 ID:XVB8s0iW0

そこでセフィロトの樹には、
こうした「神々の子」の成長を抑制する機能が組みこまれた。
人間の霊的領域の力をすべて剥奪し、
神族の因子が目覚めないようにする、というものである。

これは副作用として、人間の大幅な弱体化をもたらした。
霊的な力を削がれ、物質領域に縛られることで
どれだけ魂や精神が強くても肉体は脆いままであり、
物理的な寿命で「早死」にし、
事故や病による些細な肉体の機能不全でも容易に死ぬ。
そんな、かつて魔神たちがいた「旧世界の人間」のごとき
脆弱な種へと変じてしまうことを意味していた。

人間の生死の循環が極端に早くなることで
混沌神族の因子が開花成長する時間を与えない、という点で
この副作用自体も神族復活の抑制に役立ったが、
人間側からすれば明らかに過大な代償であった。

それこそ人間という種全体を貶められたも同然だった。
エーシルの次子として本来有していた高次の力が奪われたのだから。
また、吸い上げられた力は天界へと流れてゆくため、
まさしく搾取とも看破でき、
人間界を新たな力の源ともする主神派の思惑も滲むもの。

まさにこれは大多数の人間にとって
紛うことなき奴隷の枷だった。
魔女や賢者など、一部では例外的措置(後述)で
こうした「搾取」を回避した者たちはいたものの、
総体としては人間は大きく弱体化し、
「強き人間」の時代は終わりを迎えたのである。

そして後世まで続く「弱き人間」の時代が始まることとなった。
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:14:15.33 ID:XVB8s0iW0

こうして竜王と混沌神族の残骸の扱いや、
人間の魂や力の管理といった
霊的領域の整備は完了し、作業は次の段階へ。

今度は「物質領域」の整備に移った。

霊的な力を事実上失った人間たちにとっては
物質領域こそが生命活動の全てとなるため、
その領域の管理もまた人間界を制御する上で重要だった。

そうして霊的領域を管理する「セフィロトの樹」同様、
物質領域も管理する機構の整備が始められた。
技術的作業を担うのは再び魔神たちであった。
また彼らにとって、この作業はかなり簡単なものでもあった。
なにせ彼らの得意分野たる技術、
『位相』という機構がそのまま転用できたからである。

この『位相』技術の応用により、『膜』を被せるように
現実の表層、すなわち物質領域の在り方を定めることができた。
物理法則や環境の設定から、生態系の傾向、個体の性格などに至るまで。

さらにはその『位相』内部の物質世界はどのような過去を経て、
そしてどのような未来を紡ぐかという歴史もある程度は設定できた。
言うなれば、『位相』を完全掌握する者は
全能のごとく物質世界を操作することが可能だった。
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:14:42.33 ID:XVB8s0iW0

ただし、かつて原初世界群にて
魔神たちが有していた本来の力に比べれば、
この新しい『位相』操作機構は大きく制限されたものであり、
これを彼らは皮肉をこめて『全能お試し版』と呼んだ。

この『お試し版』、操作可能な範囲と対象はあくまで
限定された人間界の物質世界内部のみであった。
また操作できる対象も、その霊的な力が削がれていること前提であり、
強い霊的な力を有しつづけた賢者・魔女には影響は及ばなかった。

とはいえあくまで「弱き人間」を物質領域からも管理する、
そのための機構であるため、この程度の機能で十分だった。
また縮小単純化されたおかげで、
『位相』操作を受けない異物によって『位相』世界が乱されたとしても、
いつでも柔軟に操作でき、速やかに調整・修復できるという利点もあった。

そうして魔神たちは『位相』操作の基礎となる枠組みを構築させ、
いよいよ具体的な内容の設計にうつった。

新しい世代の人間はどのような世界に生きて、
どのような歴史を綴っていくのか。
魔神たちはそれぞれ新たな世界像の素案を提示し、
それらは主神派によって入念に吟味され、熟考の末に一つに選ばれた。
それはもっとも若き魔神、「オーディン」が作った素案であった。
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:15:11.32 ID:XVB8s0iW0

2 オーディンの位相群

魔神オーディンの位相案は、
他の魔神たちが提示したものとは趣が異なっていた。

他者のものは、
「この件にもっとも最適な世界像」としての位相案であったが、
オーディンだけは適正で作ったものではなく、
彼女が「個人的にもっとも望む世界象」を提出したのである。
これは、彼女が胸に抱いていたある願望に由来していた。

魔神派全体としての最終目的は、
かつての全能性と故郷の旧世界を取り戻す、というものである。
ジュベレウスのもとに集い、魔族と戦ったことも、
そして天界勢力に属していることも、
全てはその最終目的のための過程にすぎない。

しかしオーディンにだけは、その最終目的よりも
さらにもう一歩踏み込んだ目的があった。

『とある少年』のために、その少年が生きた世界を回復させる。
それこそが彼女にとっての最終目的であり、
全能性と旧世界の回復もまた過程にすぎなかった。


そして、そんな彼女にとって今回の件は大きな誘惑に満ちていた。
もしかしたら、ここで願望を達成できるかも、と。
「とある少年の世界」を位相案として提示し、それが採用されたら、
そのまま「とある少年の世界」を再建できるかもしれないと。
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:15:37.88 ID:XVB8s0iW0

ただし、これは結局は幻想であった。
オーディンの位相案が採用されたとしても、
「とある少年の世界」と同一世界には成り得ない、それは明白だった。

この人間界が在る環境は、「とある少年の世界」とは大きく異なる。
天界の主導的な統治、魔界からの介入、
そして人間界内部にも賢者や魔女、
さらに『位相』をめくった下には混沌神族の残骸など、
異なる構造や要素があまりに多くある。

これら『異物』の影響が避けられない以上、
近似はしても「同一」には成りようが無い、
創りだされる世界は結局別物だった。
もちろん、彼女もこれらを明確に理解していた。
だがそれでも誘惑に駆られてしまった。
もう一つの堪えがたい理由があったから。

過去に、大事な世界の姿を忘れてしまった経験があったために。
そのため、「とある少年の世界」もいつか思い出せなくなってしまう、
という不安がこの日に到るまで常に彼女を苛んでいた。

くわえて全能性と旧世界回復の具体的な目処が立たない現状、
すなわちジュベレウス完全復活がいつになるかわからない、
そんな状況もさらに忘却の不安を募らせいた。

そうした不安と焦燥の果てに、彼女は自覚していながら
感情的な行動へと出てしまったのである。
「とある少年の世界」を回復させる、その願いが
耐え切れないほどに強すぎたために。
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:16:04.36 ID:XVB8s0iW0

このような背景と動機だったため、
彼女の提示した『位相』案はもちろん最適なものではなかった。

一応は最低要求を満たしてはいたが、
異質な才の大量出現、大規模な混乱の可能性、
信仰体系の膨大さと不安定な傾向など、
多くの不確定要素をはらんでいた。
くわえて、『位相』の構造自体も他の魔神たちの案と大きく異なっており
それがさらに安定を損なっていた。

他の素案は、隅から隅まで設計された緻密なもの、いわば箱庭型であったが、
オーディンのものは彼女の記憶を基点として、
水面の波紋のように広がって形成されるものだった。

明確なのはオーディンが記憶している基点部分のみであり、
それ以外の大部分は不明確。
いわば「種」から大きな幹が上に伸びることはわかるも、
広がる枝葉の数や形状は成長しなければ詳細不明、といった具合だった。

言ってしまえば、彼女の素案は
新人間界の姿を定める設計図としては完璧に程遠い、
穴だらけの未完成品だった。
だが四元徳による最終選定の末、
選ばれたのはこのオーディンの未完成品だったのである。
152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:16:30.24 ID:XVB8s0iW0

理由は大別して二つ。
まず一つは、オーディン案には小細工がなかったという点である。

というのも、他の魔神たちの素案は表面上は優れていたものの、
その奥底には彼らが独断で操作できる別の管理回線、
「裏口」が隠匿されていたことが判明したからである。

どの素案も、いざという時に魔神派が管理権を奪うための保険が
あの手この手で仕込まれていた。
だがオーディンの案だけは純粋な想いで創られていたため、
小細工はまったく含まれていなかった。

そして二つ目の理由は、
その未完成な構造が逆に利点とされたことだった。
穴だらけで未完成ということは、
見方を変えれば改造の余地が多いということ。
後々に、状況に合わせた要素をその穴に埋めこむことができ、
不測の事態にも対応可能な柔軟性がある、
主神派はそう評価したのであった。
153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:16:56.57 ID:XVB8s0iW0

こうして新たな人間界の姿として、
「オーディン位相群」が正式決定された。
そして次に、「台本」の配役や演出を決めていくように、
実際の運用とオーディン位相群とのすり合わせ作業が行われた。

まずは信仰群の整備である。
新世代の「弱き人間」たちを管理する上で、
信仰体系はセフィロトの樹と並んで重要な基幹要素だった。

彼ら「弱き人間」は、賢者・魔女といった旧世代の「強き人間」とは異なり、
生まれたばかりの赤子同然で不安定かつ脆弱であるため
精神面においても導きと保護が必要だと判断されたからである。

そしてその手段として、信仰体系は最適だった。
善意的な表現をするならば、
信仰によって精神面から人間を導き、彼らを守る、というものである。
かつて自我を得たばかりの最初期の人間たちが、
エーシル=ロキによって導かれたのと同じように。

ただしこれは上辺であり、本質ではエーシル=ロキ信仰と大きく異なる。
エーシル=ロキのそれは真に人間への愛から成り、
人間に寄り添い、導き守ることを常に第一とした。

一方でこれは、人間たちの精神内部も操作し、監視し、混沌神族系を抑制し、
思念を矯正し、人間を管理しやすくするためのもの。
また、人間から奪った霊的な力を
効率よく束ねる上でも信仰は有用だった。
信仰によって思念を天界側に寄るよう矯正すれば、
霊的な力にもその思念が付加され、天界が扱いやすくなったからである。
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:17:23.42 ID:XVB8s0iW0

そしてオーディンの位相群には、
そういった管理構造に有用な信仰体系が充分に揃っていた。

この位相群は何重にもなっており、
位相の一枚一枚が信仰体系の核でもあり、
それら位相枚数、すなわち信仰体系の数は膨大だった。
それゆえ非常に幅広く、柔軟な「弱き人間」の管理が可能だった。

ただしあまりに信仰の数が多いゆえ
主神派のみで全てを管理するのは困難だったため、
天界の各有力派閥に実務が振り分けられることになった。

選定は各派閥の力量に合わせられ、
強大な派閥には相応の大規模な信仰体系が委ねられた。
例えば、セフィロトの樹の管理を任されたかの有力派閥には、
最大の信仰体系もあてがわれた。
後世において十字教と呼ばれる信仰を含む、
最終的には人類の大部分を占めるほどに大規模になると
「台本」たるオーディン位相群にて定められているものだった。

こうしてそれぞれ信仰体系をあてがわれて、
主神派・魔神派のみならず他の諸派閥も満遍なく
「新人間界」管理に参入することとなった。

またその管理の下部組織として、
人間界側で信仰体系を運営する者たちもそれぞれ組織された。
人員は「弱き人間」たちから選ばれ、
天界諸派閥による信仰管理の末端となった。
この者たちは「弱き人間」の社会において、祭祀や神官などとして、
天上の意志を社会へ浸透させる役目を担った。
155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:17:52.99 ID:XVB8s0iW0

ただし、こういった天界諸派閥の信仰管理はすべて、
本質的には主神派の代理、さらに言うと全てはジュベレウスの代理とされ、
人間たちから捧げられる信仰心は
最終的にはジュベレウスに集束するようになっていた。

あらゆる信仰の神はすべて
ジュベレウスの化身として紐づけられたのである。
これは人間から吸い上げた霊的な力や、
死後の魂をより扱いやすくするための措置だった。

ジュベレウスの名と存在を表面的には知らなくとも、
人間たちは本能的に彼女こそが『創造主』だと認識し、
思念や魂が従順に従うようにしたのである。

これこそ、主神派が人間界を「金脈」とする企ての実現でもあった。
主神派が、もとい四元徳がその気になれば、
人間の霊的な力も魂も全て自らの手中にできたのである。

ただし、これらジュベレウス信仰の機構は、
主神派強化という利己的な実利のみならず、
今後生まれる人間たちから「エーシルの次子」としての
古来のアイデンティティを奪うものでもあり、
やはり魔女の反発を強く受けることになった(後述)。
156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:18:19.39 ID:XVB8s0iW0

信仰体系の次に重要だったのは「配役」だったが、
「台本」たるオーディン位相群はそれらもしっかり対応していた。
まず混沌神族の子である者たちは、
オーディン位相群に現れる「能力者」と呼ばれる出生に配役された。
はるか後世には「原石」とも呼ばれた者たちである。

また他の「弱き人間」たちの集団も、
それぞれ整備されオーディン位相群に重ねられていった。
たとえば天界諸派閥が従えた「弱き人間」からなる下部組織、
各信仰体系の管理を地上側で担うこの集団は、
オーディン位相群における「魔術師」と呼ばれる層に配役された。

彼らの第一責務は地上側における信仰管理であったが、
それには実力行使を伴う分野も含まれており、そのための知識と技術も与えられた。

それぞれの信仰体系を脅かすほどの者、
あるいは天界の望まぬ形で人間社会の動乱が生じた場合、
一番最初に対応するのが彼ら「魔術師」であった。
また混沌神族の子、もとい「能力者」を討伐する責務も担っていた。

ただし、彼らの「魔術」は賢者・魔女の力とは全く異なるものだった。
「弱き人間」は魂があまりに小さかったため、
賢者・魔女と同じ技術を扱うことはできなかったのである。
彼らが用いた「魔術」とは、オーディン位相群の中にあった代物、
魔神たちの旧世界で使用されていた古いものがそのまま流用された。
また、式を行使するための霊的な力についても、
その供給源は賢者・魔女とは大きく異なっていた。

古の「強き人間」である賢者・魔女は自身も強大な力を有し、
さらには天界・魔界から直接引き出した力も使っていたが、
「弱き人間」は霊的な力が逆に吸いとられ、
かつ天界・魔界の力にも耐えられないため、
専用に薄められた力がセフィロトの樹を通して供給された。

すなわち彼らの魔術行使は、源の部分でこれまた天界の制御下にあったのである。
天界の意、もとい主神派の意に沿わない場合、
その魔術への供給を遮断することも可能だった。
157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:18:46.13 ID:XVB8s0iW0

それでも、この「魔術師」たちこそが
新たな人間界の地上を統べる階層となった。
というのも、賢者・魔女はこのオーディン位相世界、
もとい「弱き人間」世界には積極的に関わろうとしなかったからである。

かなりの懸念や不満を抱いていたとはいえ、
人間界再建とその維持は天界主導でなければ果たされないことを認め、
そしてその業務を乱さぬように身を退く、というのが最たる理由であった。

賢者・魔女は自らがあまりに強大であり、
オーディン位相内部、もとい「弱き人間」の世界を
容易に乱せる異物であることも自覚していた。
自分達が不用意に介入すれば、世界に予期せぬ障害や動乱を起こしかねない、と。

加えてもう一つの理由として、彼らが本来の責務たる世界の目の守護、
そして対魔族の人間界防衛に集中した、という点もあった。
魔族侵入に対処する上で、少数精鋭ゆえに「弱き人間」界隈の
雑務に関わる余裕は無かったのである。

こういったことから、「弱き人間」の地上世界は実質
「魔術師」と呼ばれた勢力が最上階層となった。
ただしこの「魔術師」たち、「弱き人間」で構成される以上は
いくら天界の支援を得ようとも限界は相応のものであり、
状況によっては戦力不足になることも考えられた。

そこで主神派は、いくらかの強き戦士を計画的に生産して賄うことにした。
「霊的な力の剥奪」という条件を特別に外した、
賢者のような強靭な肉体と天界の力を有した戦士を出現させた。
この戦士たちは「魔術師」側の切り札とされ、
オーディン位相群においては「聖人」という位置に配役された。
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:19:12.58 ID:XVB8s0iW0

こういった具合で「弱き人間」の「配役」が決められていったのと並行して、
彼らが住まう世界も細部が整備されていった。
物質領域は元々の人間界から大幅に変更され、
オーディン位相群の旧世界像がそのまま転写された。

魔女と賢者が住まうヴィグリッド、
かつてエーシルが座した霊峰フィンブルヴェトル、
その麓の古都ノアトゥーンなど、僅かな霊的要所は残されたものの、
ほぼ全域が様変わりした。

また三位一体世界では通常、生命活動は多層の領域に跨るものであったが、
「弱き人間」たちの居住域は一つの物質領域のみに限定された。
これは結果的に、「人間の住む世界」が
以前とは比べ物にならないほど狭くなることを意味していた。

これらは領域が狭いほうが天界にとって管理が容易というほか、
霊的領域を本拠としている賢者・魔女と隔絶させる目的もあった。
同時に賢者・魔女の側も「弱き人間」世界に積極的に関わることを避けたため、
この点は双方で要求が一致していた。
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:19:39.99 ID:XVB8s0iW0

こうして「台本」、「配役」から「舞台」作りまで、
オーディン位相群の適用と構築は順調に進められていった。
とはいえ当のオーディンは、
この作業段階には加わっていなかった。
「とある少年が生きた世界」を素案として提示した、
その己の行動をひどく後悔していたからである。

「とある少年」のために、彼が生きた世界を回復させる、
その強い願望のせいで衝動的にこの機会に懸けてしまったが、
この「機会」はやはり幻想でしかない。

たとえ同じ「台本」を使おうとも、
天界・魔界といった「台本」外の大きな要素が並存する以上、
同じ世界になることはない。
このオーディン位相世界でのちに現れるかもしれない「とある少年」も、
近似はしても同じではない、本質的には完全な別人となる。

しかもこのオーディン位相群は、
動機が「とある少年の世界の再構築」だったため、
「台本」としてもその「とある少年」が生きる時代までしか用意されていない。
それゆえ、この位相群が「とある少年」の時代に到達すれば、
そこからはオーディンも知らない未来、もはや似ても似つかない世界になる。

彼女は「とある少年の世界」を回復させるどころか、
冒涜するかのごとく歪んだ別世界を
創りだしてしまったのである。
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:20:06.31 ID:XVB8s0iW0

それゆえ彼女はひどく後悔した。
こうなることがわかっていながら、行動に移してしまった、
そんな己自身への失意と怒りも伴って。

しかし悔やんでもすでに手遅れだった。
もちろん、自らの素案を採用しないよう
主神派へ幾度も意見した。

だが主神派は聞き入れなかった。
そしてオーディン位相群は彼女の手を完全に離れ、
新たなる人間界の歴史として始まってしまった。

いまや彼女にできるのは、現状を受けいれることだけだった。
大切な記憶、「とある少年」に捧げるはずだった世界が、
おぞましい別物になっていく。
その陵辱にひたすら耐えるしかなかった。


そしてオーディンの他にも、
この新しい人間界をひどく嫌悪した者たちがいた。

やはり、アンブラの魔女たちである。
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:21:01.43 ID:XVB8s0iW0

3 魔女の決断


人間たちは長い間、
彼らの創造主たるエーシル=ロキだけを信仰していた。

対象がエーシル=ロキだけなのは、
彼らにとって混沌神族は無能な「兄」でしかなく、
天界と魔界はそれぞれ協力者でしかなかったために。

また、そもそも当時は人間自身が神族をも憚らないほどの力と
それゆえの気高さを有していたため、
エーシル=ロキ以外に屈するつもりは一切なかった。
そのぶん、エーシル=ロキに注がれた信仰は篤いものであり、
ロキの隠遁後もその熱意は変わらなかった。

しかしその熱意は徐々に冷めていくこととなる。
重大な問題に陥った際、たびたび人間たちはロキの神託を求めたも、
隠遁後のロキからは助言どころか、
その存在を示す兆候すらなかったために。

また世代交代によってロキと面識があった者が減っていったことも、
信仰の形骸化と認識の希釈化をもたらした。
賢者・魔女は大変な長命とはいえ完全な不老ではなく、
どれだけ壮健な者でもいずれは精神が老いて死が訪れたほか、
生き疲れて死を選ぶことも慣習としてあったからである。

そして最後に、竜王の騒乱が
エーシル=ロキ信仰に致命的な離心をもたらすことになった。
これだけの人間界の危機となっても、
ロキは一切助力してくれないばかりか、
やはり存在の兆候すら示さなかったのだから。
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:21:27.61 ID:XVB8s0iW0

エーシル=ロキはなぜ現れないのか、なぜ助けてくれないのか。

それは神頼みなどという他力本願ではなく、
人間たちが篤き忠義と責任感を有するゆえの失意だった。
「魂の苗床」を管理するのは混沌神族、
「世界の目」を管理するのは人間、
この管轄はエーシル=ロキが定めたものであり、
人間たちにとっては創造主が定めた絶対戒律も同然だった。

そのため「魂の苗床」に関わる竜王騒乱は
権限が無い人間が介入するものではなく、
エーシル=ロキのみにその資格があり、
そして同時に彼の責務である、それが人間たちの認識だった。

しかし最後までかの存在は現れず、
解決から事後処理まですべて天界の成すがまま。
人間たちは失意とともに現実を受け入れるしかなかった。

エーシル=ロキはもう存在しないも同然だと。
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:21:54.60 ID:XVB8s0iW0

そんな彼らへと、天界主神派はジュベレウス傘下に入ることを提案した。
すなわち今後はジュベレウスも信仰せよと。

賢者は、元から天界と親密だったこともあってこの提案を受け入れた。
エーシル=ロキ信仰は継続しつつも、
ジュベレウスも同格として祀ることにしたのである。
もともと賢者は天界から引き出した力も用いていたこと、
つまり間接的にジュベレウスの恩恵をすでに受けていた点も、
信仰受容に抵抗が少ない一因だった。

一方、魔女側は当然のごとくジュベレウス信仰を拒んだ。
そして天界による新人間界の管理も、
今はこれしか方法がないため現実的には認めつつも、
思想的には拒絶するということを改めて宣言した。

そこには絶対に受け入れられない一線があった。
これは理念上の問題だけではなく、
彼女たちの今後の生命に直接関わる問題だったからである。

賢者・魔女ら旧世代の「強き人間」は、セフィロトの樹とは接続されず、
またオーディン位相群という「台本」の外に在るため、
その活動自体は天界の直接干渉を受けることはなかった。
しかし人間の魂の源泉、「魂の苗床」だけは共有しており、
それが魔女たちにとって問題だった。
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:22:22.47 ID:XVB8s0iW0

問題は二つ。
まず一つ目、「魂の苗床」は基本的に
「弱き人間」を生み出すように改変されてしまったため、
今後の魔女も「弱き人間」になってしまいかねない。

主神派側は、賢者・魔女の子は「聖人」のように制限を外すとしていたが、
魔女にとってそんな配慮は何の解決にもならなかった。
天界の一存で制限をまた付加して「弱き人間」に変えられる、
すなわち望むがままに魔女の子を弱体化させられる、
そんな手段が存在すること自体が問題だった。

そして二つ目、魂の苗床は、セフィロトの樹の接続によって天界の管理を受けている。
つまり、そこから生じる魂に天界はいくらでも
手を加えることができるということ。

今後の魔女の子が「弱き人間」にされるどころか、
天界の操作を受けて別物に、それこそ天界側につく人格に修正され、
魔女勢力内部から侵食される事態すら有り得る、彼女らはそう懸念したのである。

主神派は賢者・魔女の魂には干渉しないと宣言していたものの、
これまでさんざん冷遇され対立続きだった魔女たちが
主神派を信じられるわけがなかった。

この魔女たちの懸念は、ある一面では真実でもあった。
主神派は魔女を潜在的脅威とみなしており、実際に常に優位を模索していた。
ジュベレウス復活に必要な「世界の目」、
その獲得および使用において、魔女が最大の障害となるのは自明の理。
そして今回の点はまさに、その将来的な問題を解決しうる可能性を秘めていた。

魔女たちが懸念したとおり、
いざとなれば生まれてくる魔女の子たちを「弱き人間」にして弱体化させ、
人格に手を加えて内部から侵食する、現にそのような策も選択肢の一つとして考えられていた。

当然ながら、魔女たちがこのような状況に甘んじ続けるわけがなかった。
これまで主神派の対魔女策はことごとく裏目となり
状況をむしろ悪化させてきたが、今回もその例に漏れなかった。
以前、魔界へと傾倒した際と同じように、
今回も魔女は大変な強攻策に打って出たからである。
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:22:52.21 ID:XVB8s0iW0

それは、魔界への傾倒を
究極のところまで発展させるという策だった。
具体的には、従来用いられていた悪魔との契約術をさらに強化して、
魂そのものを契約相手と同化させることにしたのである。

これにより、もし「魂の苗床」にて如何なる操作を受けていようとも、
契約を交わした瞬間にそれらが消去され、
「弱き人間」としての制限も完全排除され、
旧来の「強き人間」へと後天的に変じることができた。

加えて悪魔との魂同化によって、元々の「強き人間」よりもさらに強くなり、
より強大な新世代の魔女を輩出させることもできた。

一方で、やはり大きな代償もあった。
契約相手の悪魔と一身同体となってしまったことで、
相手からの精神汚染の危険が飛躍的に高まることとなった。
少しでも気後れしてしまうと、正気を失うか、主従関係が入れかわって
相手に従属させられる危険性が増大した。

さらに死後、その魂は契約相手に引かれる形で
魔界に落とされることにもなった。
この契約を結んだ者は死をもってしても、
苦痛から解放されることも無くなったのである。

くわえて契約そのものがきわめて高難度になり、
契約時に相手悪魔に殺される、同化の負荷に耐えられず死ぬなど、
未熟な若き魔女たちにとってはより危険な試練となった。

しかしこれら代償があろうとも、魔女たちは方針を変えなかった。
天に屈するくらいなら、魔に飲みこまれるほうが良い。
それが彼女たちの結論だったのである。

そして必然的に、これほどの強硬策は
魔女の孤立をもたらすことにもなった。
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:23:18.23 ID:XVB8s0iW0

確かに、魔女の言い分には一理あった。
そのため当初は、間に立った各派閥が魔女をなだめつつ
主神派にも譲歩を訴え、双方が納得する妥協点を探ろうとしていた。

また主神派内部ですら、首脳たる四元徳の方針に
異を唱える声があったほどである。
くわえて魔女内でも、こうした中立派の協力を得て
主神派と和解するべきとの意見もそれなりに支持を集めてはいた。

にもかかわらず最終的に強硬策に出てしまったのは、
一族のため、もとい、今後生まれてくる子供たちのためだった。
子供たちの世代が弱体化、隷属させられる可能性など、
絶対に見過ごすことができなかった。

その高潔さ、使命感の強さ、そしてなによりも「母親」として、
彼女たちは妥協することができなかった。

一方で妥協ができないのは主神派も同じであった。
何事にも優先すべきジュベレウス復活、その障害と成りうる以上、
彼らもまた魔女に対して譲歩はできなかったのである。
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:24:18.73 ID:XVB8s0iW0

こうして互いの大義と信念の衝突により、
魔女と天界の関係はより悪化していくこととなる。

主神派はついに魔女らを公に「敵」であると宣言し、
交流を全面的に絶つほどに態度を硬化させた。
天界の他の諸派閥はそこまで強硬的ではなかったものの、
やはり立場上は主神派に追随するしかなく交流を絶った。

賢者は仲介役として交流自体は保ったものの、
やはり態度は徐々に硬化していった。
そして魔神派だけは態度を変えなかったものの、
彼らは「忌まわしき新人間界」を作り上げた張本人であったことから、
逆に魔女側から避けられるようになってしまっていた。

とはいえ、それでもみな最後の一線だけは弁えていた。
主神派も魔女も、態度は硬化させつつも理性を維持し、
武力衝突だけは何としてでも避けた。

ジュベレウス復活を最終目的としている天界にとって、
それに必要な目を有する魔女との全面衝突は論外。

また魔女のほうも、人間界の守護者として
その世界が戦火に見舞われる事態は避けなければならなかった。
また心理的にも、同胞たる賢者や、
距離を置こうとも旧友である魔神派との衝突はやはり望んでいなかった。
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:24:47.37 ID:XVB8s0iW0

くわえてちょうどこの時、人間界を襲ったとある『外圧』が
諸勢力の自制をさらに促した。

突如、人間界の外縁部たる「狭間の領域」にて莫大な力が放出され、
その衝撃が人間界全体を振動させたのである。
もし人間界内部にて放出されていたら、
完成したばかりのオーディン位相群を粉砕してしまうほどの力だった。

この事件の犯人は、
その力の分析からすぐに魔帝ムンドゥスだと判明した。
行動の具体的な意図までは判然としなかったものの、
天界と人間界にとって十分すぎる警鐘だった。

魔界とそれを率いる侵犯者たち、
それこそが真の脅威なのである、
その共通認識を再確認したことが、情勢にもそれなりの安定をもたらした。

主神派も魔女も、互いに敵対しつつも
これ以上の関係悪化は
避けようと努めるようになったのである。
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:25:58.78 ID:XVB8s0iW0

しかし一方で、もはや修復不能なまでに
関係が拗れていたのも事実だった。

これ以上の関係悪化は努力と良心で防げるかもしれない、
だが以前の状態へと修復することはもはや困難だった。
主神派も、魔女も、互いに存続や信念のために必死であり、
それゆえにもう後戻りはできない。

ここから変化があるとすれば、さらなる悪化のみだった。
こうした状況は、見方を変えれば
「竜王の勝利」とも言える構図だった。

かの悪竜は討伐されてしまったが、
その悪意が従来秩序を崩壊させ、
決して掃えない緊張と不和を植えつけることに成功したからである。

天界も賢者も、そして魔女も実感していた。
竜王の騒乱によって、「何か大きなものが狂いはじめた」と。
あの一件以降、決定的な綻びが生じはじめ、
全てが悪い方向へと流れつつあると。
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:26:25.84 ID:XVB8s0iW0

そしてこの「流れ」は、
実はある存在によって
意図され引き起こされたものであった。

全ては現実と虚無の狭間に潜んでいた、
とある「黒幕」の企てである。

この真の「黒幕」の存在には、
魔神を含む天界勢も、賢者と魔女も気づいていなかった。
さらには、かの竜王自身も己がその道具となっていたことに
まったく気づいていなかった。

しかしたった一人だけ、その「黒幕」を見抜く者がいた。
先の『外圧』を引き起こした存在、
魔界から状況を観察していた魔帝である。

彼だけが真の「悪意」の源に勘付いていた。
171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:26:59.80 ID:XVB8s0iW0

4 「黒幕」と魔帝

魔帝は人間界の動向を注視していた。

肥大を続ける己の力、
それを自力で安定させることに失敗した彼にとって、
「世界の目」こそが問題を解決しうる
次なる可能性だったために。

その視線はきわめて悪意に満ちていたものの、
皮肉にも悪意に満ちていたからこそ
彼だけがある真実に気づくことになった。

ことの真相を暴くにあたって、
天界・人間界勢と比較して、魔帝には大きく三つの有利な点があった。

一つは、彼はOMNE関連の知識においては、
天界・人間界の者たちを凌駕していた点である。
当のジュベレウスが眠ってしまっている天界勢や、
「世界の目」をあくまで「与えられた者」でしかない賢者・魔女では、
OMNE分野の認識には限界があった。

一方で魔帝は自力で獲得したうえ、
大勢の侵犯者ともかつて共に戦い、あるいは共食いしてきており、
ジュベレウスとも干戈を交えた経験もあった。
さらに「果実」獲得後は自身の「創造」をより入念に分析し実験も重ねていたため、
OMNE分野の知識は天界・人間界勢を遥かに凌駕していたのである。
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:27:27.16 ID:XVB8s0iW0

二つめは、魔帝は外部から観察していたという点である。

天界・人間界勢は混迷した渦中にあり、
竜王討伐と人間界の修復、魔女の強硬策といった問題に集中するあまり、
全体像や背景への認識が鈍ってしまっていた。
一方で魔帝は第三者として全体を俯瞰し、
客観的に観察できる立場にあった。


そして三つめは、魔帝が暴虐の権化たる存在だった点である。
それは、日々魔界にて反旗の種をあえて育てるという
騒乱のお膳立てを常とする魔帝だからこその感覚だった。

人間界の動向を観察していた彼は、
その不和が高まっていく様子に既視感を抱き、すぐに悟った。
竜王騒乱から始まった秩序崩壊、この見事なまでの混乱は、
実際に己のような「黒幕」が存在するのではないのかと。

この推測は、竜王がOMNEの力『混淆』を有していた事実も後押しとなった。
かの竜は、とても自力でOMNEの領域に達しえるような存在ではなく、
『混淆』は他者から与えられたと見るほうが道理に適っていたからである。
173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:27:53.68 ID:XVB8s0iW0

そしてもし黒幕が存在するのならば、
魔帝にとって見過ごせない問題であった。
人間界を覆うほどの策略ということは、
「世界の目」もその黒幕の術中に置かれるからである。

また対抗心と占有欲から怒りも抱いた。
人間界も含めて「全て」の加虐的支配を欲している魔帝にとって、
他者が自分のように世界を弄んでいることが許せなかった。

黒幕がいるとすれば、その力量はどれほどか。
自身が将来的に目論んでいる「世界の目」強奪において、
その黒幕は障害となりうるのか。

それらを確かにするべく、魔帝はすぐに調査にのりだした。
黒幕の力量が未知数なため、調査は徹底して秘密裏に行われた。
OMNEの力を他者に与えられるほどの強者、
という可能性もある以上なおさらに。
174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:28:21.94 ID:XVB8s0iW0

黒幕の尻尾を掴むにはやはり、
まずは『混淆』について分析する必要があった。

とはいえ、『混淆』を含む竜王の残骸はこの時期、
「魂の苗床」がある新人間界の底に埋め込まれてしまっていたため、
悟られずに直接調べるのは困難になっていた。

だがこれと並行して起きた事件、魔女のさらなる魔界傾倒が
この問題も解決させた。
悪魔と魂を同化させるほどに魔女が接近してきた今なら、
彼女たちが有している『混淆』の分析記録も
入手可能だと思われた。

当然、魔帝の要求に魔女側が素直に応じる、とはいかなかった。
それどころか魔女たちは徹底的に魔帝との接触を避けていた。
魔女が同化対象にしていた悪魔の条件の一つとして、
明確に反魔帝勢力であることを定めていたほどである。

魔女は魔界に傾倒したとはいえ、あくまで力を手に入れるためであり、
決して魔族の価値観を受容したわけではない。
そして最大目的も人間界の守護であり、
ゆえに全生命を脅かしうる魔帝ら侵犯者を
やはり最大脅威とみなしていたのである。

魔女が魔帝の交渉に応じることは決してない、そこで魔帝は一計を案じた。
まずは、『混淆』には魔帝の「創造」を機能不全に陥れる鍵がある、
そんな噂をあえて魔界内に流したのである。

OMNEの力なら同じOMNEの力に対抗できる、という道理で説得力もあったため
反魔帝の者たちがこぞって興味を示し、
記録を求めて魔女に接近する者も増えることとなった。

もちろん魔女側は慎重であり、
言い寄ってきた悪魔たち全てに『混淆』の記録を渡すことはなかった。
ごく一部の、信用できる少数の大悪魔にしか与えなかった。
175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:28:51.81 ID:XVB8s0iW0

だが、ごく少数であっても
『混淆』の記録が魔界に渡ったという時点で
魔帝にとっては充分だった。
一部の大悪魔たちが『混淆』の記録を入手したと知るや、
魔帝自らが出陣し、その全員を殺害して記録を強奪した。

記録保持者を一人残さず追って殺したのは、
「『混淆』に手を出した者共の粛清」という建前を強調し、
魔帝自身が記録を求めていたという真の目的を隠すためである。

この魔帝自らが粛清に動いたことで
「創造」に『混淆』が効くという噂が
より真実味をもって魔界に広まったが、これについては魔帝はあえて放置した。
「創造」に『混淆』が効くというのが事実だとしても、
魔帝はなんら脅威を抱かなかったからである。

そもそも魔帝ら侵犯者たちは、
OMNEの力を獲得したから強大になったのではなく、
強大だったからこそ自力でOMNEの域に達して獲得できたのである。
OMNEの領域に達しない存在がOMNEの力を貰い受けたところで、
使用者の力量が不十分なのだから真の脅威には成りえない、
それが魔帝の考えだった。

また、この魔帝の放置姿勢がなくとも
「創造」に『混淆』が効くという噂は徐々に関心が失われていった。
魔帝による粛清以降、
魔女側が『混淆』の記録を門外不出としたからである。
記録を渡せばそのたびに大事な契約相手が魔帝に殺される、
これは魔女にとって不利益でしかなかった。
176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:29:20.81 ID:XVB8s0iW0

ともあれ、こうして記録入手に成功した魔帝は
すぐに詳細分析を行った。
『混淆』の力、すでに魔女によって入念な分析が行われていたものの、
由来を含めて詳細は未だ解明されていない。
それは前述のとおり、彼女たちはOMNEの力についての知識が
不足しているためだった。

反面、魔帝はその分野において遥かに優位にあり、
それまで誰も成しえなかった『混淆』解明をついに成功させた。
その結果は驚くべきものだった。
まず『混淆』は、侵犯者らが有する「複製品」とは異なり、
『オリジナルのOMNE』由来だと判明したのである。

さらに性質が、魔帝が直に知っているジュベレウスともクイーンシバとも
全く異なるものであったため、
消去法にて本来の所持者はエーシルだと判断できた。

だがエーシルが竜王に直接与えた、というのは有り得なかった。
『混淆』が単体として成立したのは竜王の暴走直前だとも判明し、
エーシルが分裂した遥か後だったからである。
すなわち、誰かが竜王に『混淆』を与えたとすれば、
その「誰か」はロキあるいはロプトだと推測できた。
177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:29:48.75 ID:XVB8s0iW0

こうして得られた知見は、
魔帝にとって想像以上の収穫だった。
『無』の力を有しているかもしれないロキの行方は、
魔帝にとって長らく最大の問題であったが、
ここでついにその影を垣間見たかもしれなかった。

しかし事はそう簡単に進まないもの。
得られた情報はきわめて有益ながら、あくまで推測の材料どまり、
確証に至るほどではなかった。

魔帝が行ったのは所詮は魔女の記録の再分析、
『混淆』そのものを調べたわけではなく、調査にはやはり限界があった。

相手はロキなのかロプトなのか、それとも未知なる第三者なのか、
それらを明確にできるほどの情報までは得られなかった。
そもそも前提として、黒幕の存在自体を確定させる材料も厳密にはなく、
今のところはまだ推測を補強する程度でしかなかい。

明確な答えを得るには、もっと踏み込んだ手法が必要だった。
魔女の間接的な記録を調べるのではなく、
黒幕へと直接迫っていくような手法が。

だが黒幕がいたとしても、その潜伏先の手がかりも皆無。
魔帝自身が人間界に直接乗りこんで虱潰しに探す、
という強行的方法も論外だった。
前述のとおり、『無』を有するロキの状態が不明な以上、
直接乗りこむわけにはいかない。

そこで魔帝は考えた末、とある大胆な手法を選択した。
「挑発」して誘い出すことにしたのである。
178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:30:20.10 ID:XVB8s0iW0

黒幕がいると前提した場合、
現時点のその目的はあくまで人間界に不和を植えつけることであり、
即時の破壊行為は望んでいないと考えられた。

OMNEの力を他者に与えられるほどの存在が
即時の人間界破壊を目的とするならば、
こんな回りくどい方法は必要ないからである。

それゆえ最終的な目的はどうであれ、
現時点では人間界を維持させることが黒幕の方針と推測できる。
ならばここで破壊的な介入があれば、
黒幕がそれを防ごうと動きだすかもしれない、
すなわち誘き出せる、そう魔帝は考えた。

当然、魔帝自ら殴りこむわけにはいかなかった。
だが大軍勢をけしかけるのも、その統率の問題で選択できなかった。

魔帝から遠く離れることで将たちが好き勝手に行動するのは確実であり、
中には「世界の目」を手に入れようと
野心に駆られる者も確実に現れるからである。
かといって大悪魔の将を単体で送りこむ程度では、
賢者・魔女によって容易に排除されてしまうため、そもそも黒幕を誘いだせない。

そこで魔帝は、ある切り札を用いることにした。
それは「ナイトメア」と呼ばれる一群である。
かつてスパーダの力の制御手法を真似て創ったものの、
実験に失敗、そのまま保存されていた魔帝の分離体の試作器たちである。

多数あったナイトメアのうち、
二番目に強力な個体を人間界に撃ちこむことにした。
果実も与えられた一番強力な個体が用いられなかったのは、
それがあまりに強すぎて
魔帝が制御しきれなくなる可能性があったからである。
179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:30:46.43 ID:XVB8s0iW0

だが二番目の個体も相応に強力であった。
これが滞りなく人間界内に到達した場合、
瞬時に爆発的な暴走を起こし、
天界勢が完成させたばかりのオーディン位相群を大きく壊し、
人間界の苗床にも損傷を与える可能性が高かった。

最終的には賢者・魔女や魔神らによって排除されるのは確実なものの、
人間界が大破壊に見舞われるのも確実。
一方で、そもそも自我なく暴走するだけであるため、
「世界の目」を欲するなどの余計な野心も抱かない。

さらにもともと実験体ゆえ、あらゆる情報を魔帝に送るように設定されており、
交戦対象の詳細を知ることも容易。
黒幕への餌として、そしてその正体を探る上では最適だった。

そのナイトメアの迎撃にもしも『無』が使用されたら、
黒幕はロキだと確定する。
『無』が使用されなくとも迎撃行動さえあれば、
その痕跡から相手の力量や性質を詳細分析して判断可能。

また一切反応がなければ、
黒幕は何ら手を打てないほどに矮小な者か、
そもそも黒幕の存在自体が魔帝の杞憂だったということも。
どのような結果になろうと、
何らかの決定的な情報を得られる可能性は高かった。

そうして黒幕を誘いだすべく、魔帝はついにナイトメアを放った。
一切の前触れなく、天界勢や賢者・魔女には
完全な不意打ちになるように。


そして結果は、彼を柄にもなく興奮させるほどのものだった。

ナイトメアは人間界の現実表層に侵入する寸前、
「狭間の領域」の一層にて破壊され爆発したのである。
明らかに天界勢や賢者・魔女が検知しえない早い段階にて、
強烈な攻撃によって一瞬かつ一撃で。
180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:31:13.18 ID:XVB8s0iW0

この瞬間、まず天界・賢者・魔女とは異なる、
未知の何者かが虚無に潜んでいる点は確定した。
そしてその存在が相応に強大な存在であることも。

ただし、『無』は使用されなかった。
ナイトメアは大変な爆発を起こし、
その爆圧が人間界を振動させていたが、
『無』が使用されていたら
そもそも爆発すら起こらないはずだった。

これを裏付ける情報は、
爆発直前にナイトメアからも魔帝へ送られてきていた。

まずその何者が行使した力の規模は、
ナイトメアを一撃で葬るだけあって強大ではあったものの、
エーシルや分離直後のロキ・ロプトと比較すると
遥かに小さいことが判明した。

少なくとも「世界の目」を狙う今の魔帝にとって、
脅威となるような水準ではなかった。
181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:31:40.87 ID:XVB8s0iW0

その情報をさらに分析すると、
ついに具体的な正体にまで迫ることもできた。
ナイトメアを葬った攻撃は、
『無』ではないにせよオリジナルのOMNEの力だったのである。
それも、魔帝が知っているジュベレウスや
クイーンシヴァの系統とは全く別物。

つまり消去法にて、エーシルから直接分かれた存在、
ロキとロプトのどちらかである可能性がきわめて高い。

さらにこれをより詳しく分析してみると、
ロキが有しているはずの『采配の力』や
『無』らしき因子は確認できなかった。
ゆえに、ここから導き出される答えはただ一つ。

ナイトメアを迎撃した何者かはロプトだった。
そして決定的な答えがもう一つ。
この何者か、すなわちロプトの痕跡が
『混淆』の因子とも合致したのである。
竜王に『混淆』を与えたのもロプトだったのである。
182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:32:26.10 ID:XVB8s0iW0

こうして魔帝の勘通り、
竜王の件には真の黒幕が存在し、
正体はロプトであることがほぼ確実となった。

残る最たる謎はそのロプトの目的。
旧来の秩序を破壊して不和の種を撒くような行動、
人間界の即時破壊ではなく、徐々に蝕むような手法、その狙いは。

だが魔帝は、その次の謎の調査にとりかかることはなかった。
黒幕ロプトの力量がほぼ判明した段階で
この件への関心を失ってしまったために。

そもそも、魔帝が人間界を注視していた大元の理由は
「世界の目」を手中にするため。
今回の黒幕調査も、その存在が「世界の目」獲得の障害に
なるかを明らかにするのが最大の目的だった。

それゆえ、黒幕=現在のロプトが
魔帝の脅威にはならないと判明した時点で
もはや優先すべき件ではなくなった。
くわえて、この調査過程でより優先すべき問題も生じていた。
それはここから類推できるロキの状態である。

ロプトが今もなお明確に存在を保ち、
相応に強大な力を行使できる状態でいたということは、
ロキの現在についても強く示唆していた。
ロプトがまだ健在なら、より強大なロキも同様に
存続している可能性が高い、と。
183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:32:55.31 ID:XVB8s0iW0

ならばロキはどこにいるのか、どのような状態か、
今でも『無』を使えるのだろうか、
使えるとしたらどの程度の水準まで使えるのか。

それらが次なる最優先事項だった。
これら明らかにすべく、魔帝は今まで以上に慎重に事を進めた。

相手が『無』を有する以上、
魔帝にとってすらも油断や過信は命取りになりうる。
それは己が相手よりも弱いことを認めたも同然という、
傲慢な魔帝にとっては屈辱的な面もあったが、
同時に彼はその「不利」を楽しんでもいた。

魔界の帝王となった彼といえども、
個としては闘争を糧とする悪魔であり、
限界に挑戦する侵犯者であり、不撓不屈の戦士でもある。

上位者への挑戦という本能的な悦びは、やはり彼をも奮わせた。
特に果実を得てアルゴサクスとアビゲイルに勝って以降、
挑戦する機会が無かったためなおさらに。
184 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:33:24.37 ID:XVB8s0iW0

しかし逸る魔帝を弄ぶかのように、ロキの捜索はまったく捗らなかった。
彼は辛抱強く監視と分析をつづけ、
ときに再び大胆に人間界への挑発を行ったが、
ロキと思われる明確な反応はなかった。

ある段階からスパーダにも事情を明かして協力させたが、
それでも進展はなかった(後述)。
ロプトさえも、最初のナイトメア迎撃からは一度も反応を見せなかった。
魔界からの干渉によって人界内でも大変な事態が幾度も起きたが(後述)、
エーシルの片割れたちは結局表立って動くことはなかった。

こうした魔帝の徒労の日々は、
新人間界の暦に比すると数千年にも及んだ。
彼にとってはさほど長い期間ではなかったが、
やはり焦らされた無為な日々は苛立たせるものだった。

そして痺れを切らした魔帝は一つの決断にいたった。
最大にして最後となる挑発を行うことにしたのである。
人間界への全面的な侵略である。
185 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:33:52.18 ID:XVB8s0iW0

さすがに大規模な侵略を受ければ、
沈黙し続けたロキも何らかの行動をとる、と考えたのである。

もしこれでも出てこなかったら、魔帝はそのまま人間界を征服し、
賢者と魔女を滅ぼして「世界の目」を強奪すれば良いだけだった。
ロキの状態がまったくわからない以上、
この決断は博打とも言えたが、
魔帝はもはや調査には辟易としていた。

『無』の危険性を承知の上で
戦士として、闘争願望の赴くままに
ロキへ挑戦する道を選んだのである。
言い換えれば、ここで魔帝は「闘争への誘惑」に、
もとい悪魔としての欲求に負けたのだった。

そして結果からいってしまえば。
この欲求、人間界侵略という決断が、
巡りめぐって魔帝自身を破滅させることとなった。
186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:34:29.79 ID:XVB8s0iW0

魔帝の欲求優先の指向は、具体的な侵略計画にも色濃く現れていた。

彼が練りはじめた侵略構想は非常に大規模なものだった。
幾万もの大悪魔の将、そして天文学的な数の兵からなる大軍勢によって、
人間界へと侵攻するというもの。

しかも単に武力で攻撃するのみならず、
魔の領域そのものを人間界に流入させて世界を上書きしてしまおうとも企んだ。
原初時代に闇が数々の世界を飲みこんだように、
人間界を飲みこんで魔界の一部にしようと。

とはいえ、魔帝の当面の目的からすれば
これだけ大掛かりな計画は無駄なものであった。
そもそも単に「世界の目」を強奪するならば、
魔帝自身と彼が所蔵するナイトメア群や選りすぐりの側近のみで良い。
魔女・賢者に標的をしぼり、そこに戦力を集中させるだけで十分だった。

わざわざ大軍勢を集めて、無数の雑兵を人間界全体に展開するような大侵攻など、
さらには人間界ごと取り込んでしまおうなんて
「世界の目」獲得には必要ない非効率な行動だった。

それでありながら魔帝が大掛かりな計画を選んだのは、
「より大勢の人間を苦しませる」という加虐欲によるものだった。
「世界の目」を有する賢者・魔女だけではつまらない、
どうせ人間界に乗りこむのなら全ての人間を虐げよう、と。

そして、こうした悪辣な姿勢もまた
ロキへのより強い挑発になりえた。
魔帝はおぞましき悪意を全面に掲げて、ロキへと迫ろうとしたのである。
堂々と戦うか、それとも人間の滅亡かと。
187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:34:56.44 ID:XVB8s0iW0

しかし実際のところ、「ロキに選択を迫る」という
魔帝側が主導するかのような認識は誤りだった。

なぜならロキは、魔帝よりもずっと早くに
「選択」を済ませていたからである。
そしてすでに行動も起こしていた。
188 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:35:29.97 ID:XVB8s0iW0

5 人間界の動向

魔帝による人間界へのナイトメア投入、
この事件は諸界の空気を一変させた。

今まで人間界に明確な行動を起こさなかった魔帝が、
ついに直接的な干渉を行ったのである。

その腹底の意図はともかく、害意は明らか。
天界・人間界にとって、不和を脇において最優先で備えるべき脅威であり、
そして魔界においては次の「標的」を示す号令に等しかった。

これまでも魔族は人間界へと侵入してはいたが、
魔界全体からすればあくまでごく少数の行動であった。
「果実戦争」時、人間界に関わった悪魔たちが
クリフォトの樹を育てた咎で魔帝に徹底的に虐殺されたうえ、
その後も侵犯者たちが人間界への介入意欲を見せなかったために、
他の有力な悪魔たちも倣って様子見していた。

だが此度の魔帝の「号令」によって、これら風潮も大きく様変わりした。
魔帝が人間界へと明確な干渉意欲を示したこと、
これをある種の「許可」と受け取り、大多数の悪魔たちも
積極的に人間界への侵入を開始した。

当初は緩やかな増加だったものの、次第にみな大胆になり、
侵入規模も個や少数から大集団へ、格も下等から高等へ、
ついには神格の大悪魔も多数侵入するようになっていった。
この変化は、新人間界の暦では数千年におよぶ緩やかなものだったが、
もたらされる被害は決して緩やかとは言えなかった。

下等悪魔であっても、群れによる侵入が起これば大量殺戮となり、
大悪魔にいたっては天変地異に等しい。
また一部の大悪魔は、単に人間を殺すのみならず、
「神」として文明を乗っ取り、人間たちの魂や信仰を汚染することもあった。
189 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:35:59.89 ID:XVB8s0iW0

こうした魂や信仰の汚染は、
天界による管理機構を根底から脅かすものであり、
必然的に彼らも盛んに悪魔迎撃を行った。

場合によっては天界から直接戦力を送り、
特に対象が大悪魔の場合、諸派閥の最高神格も直々に降臨し、
自らが担当する信仰領域を護ることもあった。

たとえば最初のナイトメア事件から約3000年後におきた
「常闇ノ皇」勢力による侵入では、
天津神派を率いる天照が自ら出陣してこれの掃討にあたった。

この勢力は複数の上位神格の大悪魔がおり、
中でも「親」たる「常闇ノ皇」は
天照でさえもしばしば窮地に陥るほどであった。

また人間側も総力をあげて対応した。
賢者と魔女は、魔界・人間界間の通り道となる霊的領域、
「狭間の領域」にて大悪魔以上を標的とした迎撃を行った。

「弱き人間」たちで構成される魔術師たちは、
オーディン位相群もとい物質領域にて、侵入してきた下等悪魔に対応した。
こうして諸勢力、特に孤立化しかけていた魔女も、
それまで抱えていた不和はひとまず抑え、
協力して対魔活動へと集中するようになっていった。

きっかけは決して喜ばしくないものの、
竜王騒乱以降に渦巻きつつあった負の感情は
しばらく影を潜めることとなった。
190 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:36:48.09 ID:XVB8s0iW0

これら無数の悪魔侵入は、
人間界の内情にも大きな変化をもたらした。
悪魔侵入はもちろんオーディン位相群には予定されていない出来事であり、
その影響は「台本」を大きく狂わせるものだったために。

天界側は「弱き人間」世界を
部分的に改変していくことでその修正にも励んだが、
やはり狂いの完全修復は困難であり、ついに明確な歪みが現れることとなる。

その最たる例は、
「弱き人間」の中から自然発生した「予定外の才人」だった。

オーディン位相群の「台本」にはそのような才が現れる予定がなく、
賢者や魔女の系統でもなく、混沌神族の因子をもつ「原石」でもなく、
また聖人などのように「弱き人間」の制限が解除された者でもないのに、
生まれながら抜きんでた霊的領域の才を有している者たちだった。

その才の傾向は様々だった。
類稀なる魔術の才、「強き人間」のような強靭な生命力、
霊的領域に対して極めて鋭敏な知覚、
中にはその全てを兼ね備えている者もいた。
彼らの出現は、オーディン位相群についての当初からの懸念、
不確定要素が多いという欠点が表面化したものであった。
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:37:16.97 ID:XVB8s0iW0

この「予定外の才人」はいくつかに大別することができた。

まずは「魔界の力を用いる弱き人間」である。
彼らは「魔剣士」、あるいは「闇の巫女」と呼ばれた。
魔女とは異なり「弱き人間」ではあるものの、
魔女のように魔界から力を引きだす者たちである。

基本的に魔の力は「弱き人間」には負荷が強すぎたが、
この才人たちは耐えられるほどに魂が強固だった。
くわえて人間界の外の力と直接触れているため、
「弱き人間」が本来は脱しえないはずのオーディン位相群からも
外れるようになった。
すなわち天界の管理下から逸脱していた。

これは「弱き人間」を管理する天界にとって
懸念材料に成りうる存在であったが、
幸いにも彼ら魔剣士/闇の巫女が管理体制を脅かすことはなかった。
魔女が彼らを保護し、知識を与え、有益な同盟者として育てたからである。

「弱き人間」の中からも魔界寄りの勢力が現れた、
それは人間界にて孤立しがちな魔女にとって朗報であり、
また予備戦力としても有益だった。
そして魔剣士と闇の巫女側としても、魔女はよき保護者であり、
教師であり、繁栄を約束してくれる有益な友だった。

また彼らは、天界による「弱き人間」管理には干渉しようとはしなかった。
反感を抱きつつも現状を黙認する魔女、
そんな彼女たちに倣い、魔剣士/闇の巫女も分を弁え、
忌まわしく思いつつも現状を受け入れていた。
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:37:43.38 ID:XVB8s0iW0

彼らは出生自体は「弱き人間」でありながらも、
立場としては「弱き人間」世界には属さない、
魔女と同じ部外者の側につくこととなった。

そして彼らは同じ魔剣士/闇の巫女以外には知識を与えず、
「弱き人間」世界の人々には可能な限り認識されないように振舞った。

また「弱き人間」の文明から距離を置き、
孤立した共同体を形成する場合もあった。
その共同体のいくつかは名や形、担い手や思想を変えつつも
遥か後世まで続くこととなる。
それらの後継として、デュマーリの巫女やフォルトゥナ騎士団などが今日知られている。

また、特に才ある女性は魔女の業を学ぶことを許されたり、
魔女の世界に迎え入れられることさえあった。

彼女たちは出生は「弱き人間」であっても、
最終的には本流のアンブラ氏族となんら遜色がない領域に達した。
数多の過酷な試練を経て、正真正銘の強大な魔女となったのである。
後世にはクレオパトラ、トゥーランドット、阿国などの名が知られている。
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:38:12.67 ID:XVB8s0iW0

一方、魔剣士/闇の巫女らと同様の才を有しながら、
魔界の力に頼らない者たちもいた。
そのうち天界の力を用いた集団は、「選ばれし者」と呼ばれた。

彼らは、いわば魔剣士/闇の巫女の天界版だった。
天界諸派閥や賢者に保護され、
一部の有望な者は賢者の業を学び、
さらに賢者族に迎えられることもあるなど、
魔界魔術師が魔女と築いた関係と同じであった。

ただし異なる部分もあった。
賢者に迎え入れられるのみならず、
さらにごく一部、天界へと転生する者もいたのである。
後世にはメタトロン、スサノオなどが知られている。
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:38:39.51 ID:XVB8s0iW0

このように諸勢力は柔軟に対応し、
出現が想定外だった才人たちを人材として最大限活用した。

だが、中には活用できない者たちもいた。
「混沌の魔術師」と呼ばれる集団である。
彼ら混沌の魔術師も才に溢れ、
セフィロトの樹の力を使わない点では他と同じだったが、
用いる力の源が魔剣士/闇の巫女や選ばれし者とは異なっていた。

彼らが力の源としたのは、その名の通り
人間界の「魂の苗床」に沈む残骸、すなわち古き混沌神族である。

混沌神族の因子をつぐ「原石」との違いは、
彼ら混沌の魔術師はその名称のとおり魔術によって後天的に
混沌神族の力を獲得した点である。
それゆえ彼らは天界、賢者、魔女のどれにも与さず、
これは諸勢力にとって問題となった。

特に彼らの思想や傾向が大きな問題となった。
魔女に倣った魔剣士/闇の巫女、
そして天界と賢者に倣った選ばれし者は、
「弱き人間」管理体制への干渉を控えたが、
混沌の魔術師はそうではなかった。

彼らは混沌神族を信奉していたため、
天界による人界管理体制に強い拒否感を抱き、
この状況を覆そうと企てたのである。
そして混沌神族の復活を目的とし、
人為的に「原石」を量産する方法も模索するなど、
現状への明らかな挑戦も始めた。
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:39:07.27 ID:XVB8s0iW0

これは天界勢や賢者にとって見過ごせなかった。
また現状を一応は受け入れている魔女にとっても目障りであり、
諸勢力の考えはここで一致した。

混沌の魔術師は排除されるべきだと。
それゆえ、この件について主神派は
存分に断固とした対応をとることができた。

まず、混沌の魔術師の徹底的な殺害が行われた。
天界諸派閥の傘下の魔術師が主に動員され、
一部の強力な者については選ばれし者や
天界の兵が直接降臨して対応した。

くわえて殺害は混沌の魔術師その者のみならず、
その周囲すらもしばしば対象となった。
主神派が僅かな影響の残留も許さなかったからである。

もし混沌の魔術師由来の知識や価値観、
例えば混沌神族の信仰等が、彼らの帰属文明にまで広まっていた場合は、
その文明もろとも「除去」されることもあった。
すなわち、大規模な破壊と殺戮を伴い、
その痕跡は神話上の天災としてのみ記憶されることとなった。
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:39:35.67 ID:XVB8s0iW0

こうしたあまりに強硬的な対応は、
さすがに主導する主神派に対して
天界諸派閥から非難の声があがるほどだった。

そして、見かねた主神派以外の諸派閥は、
独自の手段でも混沌の魔術師の排除を行おうとした。
一方的な武力行使を行うのではなく、
天界側に下るよう説得しようとしたのである。

だがこれらを主神派は断固として認めなかった。
そうした融和策は混沌の魔術師をよりつけ上がらせ、
状況を悪化させてしまうと考えていたのである。

この点については魔神派と賢者も同意見であり、
また魔女も沈黙によって、主神派の断固とした対応に賛同した。

良くも悪くも慈愛に満ちている天界諸派閥と異なり、
魔神派・賢者・魔女はこれまた良くも悪くも武断的であり、
それが最善と思うならば
迷うことなく非情な手法も選べたからである。
197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:40:02.96 ID:XVB8s0iW0

そしてこの魔神派、賢者、魔女が
揃って主神派にならうという状況は非常に稀であり、
主神派にとっては絶好の機会であった。

今ならかなり大胆な手法であっても
押し通すことができたからである。
これを機に、彼らは思い切った改革を進めることにした。
目的は「弱き人間」管理体制のさらなる強化と安定である。

まず、混沌の魔術師との融和措置をとっていた天界諸派閥からは、
処罰もかねて人間界への介入権をすべて剥奪した。
有力派閥に任せていたセフィロトの樹の運営体制についても、
その権限を剥奪し、以降は主神派四元徳の直属とした。

そのため温和な諸派閥の裁量が入りこむ余地はなくなり、
人間界へと直接降臨できる天の者も主神派と魔神派のみとなり、
管理体制において主神派の意向が唯一にして絶対となった。

主神派が天界本土を、諸派閥が人間界を、
というこれまでの分担体制が廃され、
人間界も主神派の直轄地と成ったのである。
これらによって管理体制はきわめて強固なものとなり、
混沌の魔術師を含めた諸問題により厳格な対応が可能となった。
198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:40:49.07 ID:XVB8s0iW0

さらに混沌の魔術師の出現やその影響拡大を抑制する策として、
信仰体系とセフィロトの樹の結合をさせ、
精神と知識の統制も強めた。

これによって「弱き人間」世界から
世界構造や真の歴史についての知識をすべて排除し、
「弱き人間」が真実に触れられないようにした。
以降、「弱き人間」が知り得るのは
オーディン位相群の「台本」上にある情報、物質領域内部のものに限定された。
彼らは、自分たちがオーディン位相群という
「檻」の中で生きていることすらも
認識できないようになった。

こうした情報隔絶された環境は、混沌の魔術師の成長を著しく阻害し、
彼らの寿命をも極端に短くした。
混沌神族に関する研究が困難となって強化が叶わず、
また「敵」である主神派勢についても認識不足となり、
ろくに対抗することができなくなった。

そして急激に数を減らしていき、
最終的には混沌の魔術師そのものが出現しなくなった。
混沌の魔術師に成りうる素養があっても、
才を開花させるだけの機会も知識も得られなくなったために。
199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:41:30.58 ID:XVB8s0iW0

こうして主神派は混沌魔術師の問題を解決させ、
同時にさらに管理体制を強めることも成功した。
「弱き人間」は今や完全に主神派の意のまま、
悪しき表現を憚らなければまさに「奴隷」だった。

主神派がこれだけ大胆なことを為し得たのは、
やはり魔女が表立って反発しなかったことが大きかった。
当然、魔女はこの主神派の措置を完全容認したわけではなく、
あくまで一時保留と黙認しただけだった。

今は何よりも優先しなければならない、
対魔問題に集中していたからである。

彼女たちは、外にあたる「狭間の領域」では
大悪魔級を標的にした迎撃を。
そして本拠ヴィグリッドでは、
魔帝との直接対決も見据えた「切り札」の開発に全力を挙げていた。
200 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:42:06.64 ID:XVB8s0iW0

6 魔女の苦心

こと武力に関する技術開発においては、
この時期アンブラの魔女こそ頂点としても過言ではなかった。
特に時空干渉と召喚術の分野においては魔神たちをも凌ぐほど、
開発を担う頭脳集団は卓越していた。

また魔界の協力者に不足することも無かった。
魔帝に対する危機感が増すにつれて、
反魔帝の者共も魔女側へ集うこととなったからである。

魔帝自身の「反乱の種は放置する」という趣向も影響したことで、
魔女に協力する悪魔は増えつづけ、
中には名だたる強大な悪魔も加わっていた。

特に大きな存在だったのは、
マダム・ケプリやマダム・ステュクス、
コロンゾンといった魔界でも有数の女傑たちである。
侵犯者には届かぬものの、それに次ぐ格と実力を有していたほか、
何よりも魔女たちとの相性が抜群というのが重要だった。
これら恐るべき女傑悪魔らは魔女と結び、
魔の英知や絶大な力を提供することとなった。
201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:42:36.80 ID:XVB8s0iW0

特にコロンゾンは、その後の人間界の歴史もふくめて
魔女たちに多大な影響を及ぼすこととなった。

彼女はかつて覇王の参謀として暗躍していたが、
裏ではその覇王の暗殺や、魔帝ら他の侵犯者との内紛を煽って
共倒れさせようという試みを幾度となく繰り返し、
ついにそれが発覚して逃亡に至っていた。

それゆえ、侵犯者打倒を目指す魔女たちとは
志向合致するものがあり、
彼女は積極的に協力することとなった。

そんなコロンゾンを魔女側も大いに利用した。
魔神たちと同じ世界出身で多くの知識を有し、
さらに魔神とは異なる系の英知も携えていたという点が
大変有益だったために。

彼女はアンブラの相談役である悪魔の筆頭となり、
またとある魔女の家系と一族単位で永続契約し、
その血統を「改良」し、様々な才能をも与えた。

このコロンゾン「好み」の魂と肉体へと成形された一族は、
多くの優秀な研究者や戦士を輩出したほか、
アンブラ全知識を管理する主席書記官を代々務めるほどの
名家へと発展していくこととなる。
202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:43:23.73 ID:XVB8s0iW0

だがこうした強大な悪魔たちの支援があってもなお、
侵犯者の打倒、特に魔帝打倒の「切り札」開発は困難を伴った。

もともと極めて難しいことは魔女たちも認識していたが、
協力している悪魔たちが口をそろえて
「現状の開発状況では非現実的」と警告したことで
難度がより深刻であることが示されたのである。

特にコロンゾンもそう断言したことが、魔女たちを強く焦燥させた。
古来から覇王に仕えることで侵犯者らのOMNEの力を直接観察し、
そして「分解すべきもの」として徹底研究してきた彼女の
そのような意見は、アンブラ指導部を動かすには十分だった。

この問題の解決法は唯一つ、さらなる人材と資源を開発に投じること。
もはや形振りは構ってはいられない、
より多くの才を集めるためならば、旧来の法と掟を破るのも已むを得ず。
これが指導部の下した判断であり、
それまで禁じられていた手段と方針が次々解禁された。
前述のコロンゾンによる一部魔女の血統改良、
そうした才人の「生産」もこの一例だった。

そして中でも大きな影響を及ぼしたのは、
「人間であり、才と忠誠あれば、出生も身分も問わず受け入れる」という方針である。
掟と伝統を何よりも重んじてきたアンブラ族にとって、
これは氏族始まって以来の大変革だった。
203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:43:58.71 ID:XVB8s0iW0

その門はアンブラ族内の下層身分のみならず、
氏族に属さない者たちにまで開かれた。
アンブラからの無断離脱者、罪悪による追放者、またその子供たち、
さらには出生が「弱き人間」であっても、
魔剣士/闇の巫女の項で述べたとおり受け入れられた。

さらにそこからもう一歩踏み込んで、
魔女たちは混沌神族の子、すなわち原石能力者をも受け入れ始めた。

原石の力はもともと人界の神々由来、さらに辿ればエーシルが源泉、
その潜在的価値は揺るぎない事実であった。
そして魔剣士/闇の巫女と同様、特に優秀な原石は、女性はアンブラ族へ招き、
男性にはアンブラ族と婚姻し子をなすことも認めた。

またそれらを幾世代も奨励したことで、
最終的にアンブラ族の大部分が原石系の血も継ぐようになった。
そしてこれら計画は見事に成功し、アンブラ族全体が
物質・霊的両面において世代ごとに大きく底上げ強化されていった。

彼女たちはありとあらゆる素材を用い、そして混ぜ合わせ、
自らの種を人為的に進化させていったのである。
ちなみにこの計画にもコロンゾンは主導者の一人として携わっていた。

こうした魔女による原石利用について
天界主神派はもちろん激怒したが、賢者が魔女を擁護したことと、
対魔帝という第一の優先事項もあり、しぶしぶ黙認することとなった。
主神派による人界支配強化について、魔女は譲歩し黙認した、
その代わりに、という一面もあった。
204 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:44:30.24 ID:XVB8s0iW0

使えるものは何でも使う、
このような魔女の姿勢は武装などにも強く現れた。

後世に知られるアンブラ魔女の武技といえば
代表的なのは四肢四丁の銃器を用いる格闘術であるが、
それが現れたのもこの時期である。
またロボット技術と魔女の技を融合させた魔導鎧など、
この古き時代には不釣り合いな武装も多々現れた。

これらは、オーディン位相群の情報を用いた
一種のシミュレーションと、
魔女たちの時空干渉術による産物だった。
オーディン位相群の「台本」を読み取ることで
疑似的な未来視を可能とし、そこから未来の科学文明技術などを取り出した。
あらゆる時代、あらゆる文化も系統も問わず、
有用ならば全てを進んで用いていったのである。

このように有益な素材を全て活用し、
今まで以上の切磋琢磨と競争が行われた結果、
魔女はあらゆる面において飛躍した。

血統改良や鍛錬法の最適化によって優れた戦士が激増し、
また多様な技術と才が集ったことで革新がもたらされ、
数々の強力な戦術や武装も編み出された。

中には破滅的なほどの成功となったため、
逆に使用が極端に制限された代物もあった。
その最たる例こそ、禁忌にして究極と言われた業。
クイーンシバの召喚術である。
205 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:45:03.56 ID:XVB8s0iW0

このクイーンシバの召喚術は、
侵犯者に対する切り札として編みだされた本命であった。

この三界において、確実に現存する者たちの中で、
魔帝ら侵犯者たちを上回る強者といえばクイーンシバである。
ならばその力を用いれば侵犯者達を制することも可能、
といった具合で、構想そのものはごく単純だった。

ただし実際の使用には多くの懸念材料もあった。
まず魔帝は、「果実」を食して魔界そのもの、
もといクイーンシバを味方につけているも同然だという点である。
その魔帝とクイーンシバの繋がりを
魔女の召喚術で覆せるのか、それはまったく不明だった。

魔帝との戦いの場ではクイーンシバの召喚術がうまく機能しない、
あるいは召喚できたとしても、
魔帝側につかれてしまうことも考えられた。

またクイーンシバの召喚術が正常に機能したとしても、
魔帝を完全に殺しきることは困難と考えられた。
クイーンシバにはエーシルの『無』のごとき性質はないため、
魔帝の『創造』を完全には破壊できない可能性が高かったのである。
かの存在を完全に無力化するためには、
『創造』を破壊する別の一手も必要だった。
206 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:45:32.62 ID:XVB8s0iW0

くわえて、このクイーンシバ召喚術は
使用者に絶大な負荷をもたらす点も問題だった。
術者は特別に選ばれた魔女であり、
最高水準の耐性を有する者であったが、
彼女たちですらクイーンシバ召喚の負荷は致命的だった。

術の完成時、当時最強の魔女王が試験したものの、
負荷によって長期の昏睡状態に陥ったほどである。
そのうえ引きだせたクイーンシバの力も理論値の1割未満であった。

これらのことから、クイーンシバ召喚術は
理論上は最強の切り札であっても、実際の運用や確実な成果については
大きな問題があった。

問題解決に必要なものは大別して二つ、
クイーンシバを最大限扱えるだけのさらに強大な魔女を生み出すこと、
そして『創造』を機能不全に陥れる別の術。

このうち前者は、
血統改良と鍛錬体制の洗練によってなんとか目処が立っていたが、
後者は新たなる知識と技術が求められたために
ひときわ困難なものとなった。
207 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:46:10.40 ID:XVB8s0iW0

『創造』を機能不全にしうる力は、
これまでに二つ知られていた。

エーシル=ロキの『無』、そして竜王の『混淆』である。

だが前者は保有者のロキごと行方不明。
後者も「式」の類をことごとく破壊するため、
相性的に魔女には容易に扱えない代物だった。

またそもそも、『混淆』はいまだに未知な部分が多く、
本格稼動させれば癒着している竜王の悪性も目覚めかねない。
有用ではあるが、危険を鑑みれば『混淆』利用は最後の手段であった。

それゆえ、魔女はまず第三の新たな方法を編みだそうとした。
だがその別案の研究開発は難航し、結局はすべて頓挫した。

OMNEたる『創造』を破壊できるほどの力となれば、
その破壊側も事実上OMNEの域なのである。
すなわちOMNEの力を人工的に作ってしまおうという試み同然であり、
こればかりは魔女の英知を結集させても難しかった。

こういった難航状況は賢者側でもほぼ同じであった。
彼らも『創造』を潰す方法を研究していたが、
魔女と同様に完全に停滞してしまっていた。

最大の要因は、やはりOMNEに関する知識の不足だった。
OMNEたる「世界の目」を有するとはいえ、後天的に与えられた者である以上、
魔女・賢者はOMNEの根源部分の原理がどうしても解明できなかった。
これは彼らの技術が及ばなかったわけではなく、
純粋にOMNE性質上で不可能だったためである。
208 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:46:39.47 ID:XVB8s0iW0

しかしこの問題は、不意に解決されることとなった。

魔女が有するOMNE、「闇の左目」から突如、そのOMNEの根源部分に関係する情報が
「零れ落ちてきた」のである。
この事実はすぐ賢者にも伝えられ、
彼らも「光の右目」を同様の手法で調査したところ、同じ情報が発見された。

その情報は、とある事象にまつわる記録だった。
かつてエーシルが有していたOMNEの力、『時の記憶』の稼動情報である。
これはOMNEの根源知識が不足していた両族にとって、
まさに対『創造』問題の突破口になりえた。

『時の記憶』とは、
作用としては魔女や賢者が得意とする時空干渉術に似てはいたが、
その「格」は根本的に異なっている代物である。
紛うことなきオリジナルのOMNEの力であり、その時空干渉の作用は
『創造』にも確実に効き得るものだった。

そして非常に幸運なことに、この『時の記憶』の稼動情報は
かなりの部分が魔女・賢者の技術体系にも転用できるものだった。
『時の記憶』の完全再現は不可能だが、
擬似的に一部効果を再現することは可能だった。
そして『時の記憶』のほんの一部の作用でも再現できれば、
『創造』に時空干渉できれば、そこに時間遅延、あるいは時間停止の効果を埋めこみ、
機能不全に陥れることも可能、すなわち魔帝を確実に殺しきることも。

『創造』さえ停止させてしまえば、あとはどうにでもなる。
クイーンシバ召喚術などを使用してトドメを刺すのも良し、
それができずとも、魔帝が動けぬうちに封印してしまえば良かった。

とにかくこの『時の記憶』の情報をもとに
対『創造』用の手段を確立さえすれば、
魔女たちもついに確かな勝機を得るのである。

こうして「幸運」によって光明を見出した魔女・賢者は、
共にあらゆる才を投じて『時の記憶』再現術の開発に集中することとなった。
209 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:47:09.84 ID:XVB8s0iW0

ちなみに、この「世界の目」から突如こぼれてきた『時の記憶』の情報。
これはエーシルの記憶が目の中に残っており、
それが今回になって発見されたものだと判断された。

この時期にもっとも欲していたものが発見された、
ここだけ抜き出すと都合が良い話にも聞こえるが、
全体の状況を踏まえればこれは「起こるべくして起きた」とも言えた。

この時代、魔女は飛躍的な技術向上を続けており、
そして「世界の目」を含むOMNE研究に常時注力していた点も踏まえれば、
いつ革命的な新発見がもたらされても
おかしくない状況だったと言えた。


しかし実のところ、真実は異なっていた。
この『時の記憶』の情報発見は
「起こるべくして起きた」ものではなかった。
そもそも、「目」の中に残っていたものでもなかった。

これはある存在の明確な作為、
その存在による意図的な助力だった。
だが魔女も賢者も、他の誰も真実に気づくことはなかった。

なぜなら「彼」は助力しつつも、
自身の存在は巧妙かつ徹底的に隠したから。



その者の名はロキである。
210 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:47:40.52 ID:XVB8s0iW0

7 ロキの決断

隠遁していたロキは長年、
虚無の深部から人間界を見守ってきたが、
此度の魔帝の件ばかりは己も行動する必要があると考えていた。

このままでは間違いなく人間界は戦禍に飲まれ、
さらにそれだけでは済まないということを
ロキはすでに「体験」していた。

彼はその『時の記憶』の力によって、
その恐るべき未来へと一度「旅」をしていたからである。
魔帝の人間界侵略は「終わりの始まり」であり、
ここで魔帝を破らなければ、
三位一体世界は最終的に魔帝の手中に、そんな未来へ。


魔帝の武力は三界最強というわけではない。
クイーンシバやかつてのエーシルに比べたら大きく劣り、
現在の弱体化しているロキにとっても抗えない相手ではなかった。

同じ魔族においても武力自体は互角な覇王がおり、
個に限らず集団も鑑みれば、クイーンシバ召喚術等を編みだした魔女と賢者、
そこに魔神たちも加わった総合武力は、
今や個としての魔帝を大きく凌駕しうるものだった。

だが、魔帝の最たる脅威性とは武力ではない、『創造』である。
『創造』がもたらす不死性、それを打破できないかぎり、
本質的に彼を滅ぼすことは困難なのである。

魔女と賢者もそれこそが最大の問題とみて、
この解決に尽力しているのが現状だった。
ただし、ロキはさらに大きな視点、
世界の「流れ」、もとい現実に対する著者のごとき視点から、
真の魔帝の脅威性をも看破していた。
211 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:48:08.74 ID:XVB8s0iW0

そもそもジュベレウス、クイーンシバ、
そしてもっとも強大なるエーシルすらも、
原初OMNEからは『創造』の力を引き継げなかった。

だがその複製たる力を、魔帝は己の魂内にて生じさせたのである。
これは世界の著者のごとき視点からすれば、
原初OMNEの後継者として魔帝が設定されたかのごとき、
新たな『唯一にして永遠のOMNE』の種とも見なすことができた。

彼にはいわば、世界の主役となる「運命」を掴んでいた。
そしてこれから起こる戦争こそ、
その魔帝の役柄が開花にいたる転換点だった。

「果実」獲得により、すでに魔界を手中に。
次いで人間界も手中にすれば、
魔帝は「物語における主人公」の座をついに確立する。
この世界は「魔帝の覇道を描く物語」に確定し、
この三位一体世界は彼を中心にして流れ落ちていく。

しかもそのおぞましい「物語」は、人間側も気づかぬうちに
後押ししてしまう形にあった。
人間たちの集合意識こそが、
エーシルから受け継いだもっとも強き著者のごとき力を有していたために。

彼らが魔帝を恐れるほど、脅威とみなせばみなすほど、
現実もそう描かれる、その恐怖と脅威が本物となってしまう。
ゆえに、魔帝による人間界侵略が成し遂げられたら、
そうした人間たちの恐怖と絶望からなる「追認」によっても
世界は「魔帝の物語」だと裏付けられ、もはや修正は困難となる。

そもそも魔帝がかつて食した「果実」も
このような人間の著者のごとき力を結晶化させたもの同然である。
つまるところ魔帝が人間界を手中にするということは、
無数の「果実」を食すことと同じ、魔界のみならず、
三位一体世界全ての王になれるだけの莫大な量の「果実」を。
212 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/03/22(火) 12:48:36.21 ID:XVB8s0iW0

そうしてひとたび物語が確定すれば、
並居る強者も上位者もただの通過点でしかなかった。

現在は魔界内に限定されている魔帝の「幸運」が、
全ての世界にまで適用され、全てが魔帝ムンドゥスの成功譚となる。
他者はどれだけ強くても、それこそ魔帝より強くても、
主人公たる魔帝によって敗れ去る運命が待ち受けている。

最終的にジュベレウスは眠ったまま死滅し、
クイーンシバは魔帝の全てを受容する形で取り込まれ、
そしてロキとロプトは弱体化の一途をたどり消滅。

ついにはオリジナルのOMNE全てが消失し、
魔帝こそ新たな『唯一にして永遠のOMNE』と成り、
悪夢のごとき新時代が始まる。

それがロキが『時の記憶』によって体験した、
魔帝が此度の戦争に勝利した場合に訪れる未来だった。
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