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ダンテ「学園都市か」前時代史(仮)
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1 :
◆tSIkT/4rTL3o
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:09:01.16 ID:XVB8s0iW0
ベヨネッタ3早くやりたい
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1647875340
2 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:10:42.37 ID:XVB8s0iW0
・これはダンテ「学園都市か」シリーズの前史を、改めて通史本風に書いたものです。
予定は三位一体世界の始まりからスパーダ伝説まで。
・ダンテ「学園都市か」とは、昔ここで書いていたDMC/ベヨ/禁書のクロス二次創作です。
・今回のコレはいわば各世界設定の融合実験であり、物語としては薄めです。
・DMC5/ベヨ2/禁書新約以降の設定も取り込んでおり、
旧ダンテ「学園都市か」シリーズとは設定が異なる部分も多々あります。そのため(仮)。
3 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:11:59.82 ID:XVB8s0iW0
1 原初の時代
古の時代、『OMNE』の下に無限の世界が在った。
無限の現実、無限の宇宙、
それらが『OMNE』によって形成された枠内にあり、
『OMNE』が定めた境界で隔絶され、互いに干渉することなく存在していた。
この『OMNE』とは一種の究極的な力とされているが、詳細は定かではない。
『OMNE』という名と定義自体、後世研究において成されたものであり、
それも断片的な情報に基づく便宜上のものであって、
実態は依然不明のままである。
なぜなら『OMNE』はとある終末の時まで不可侵であり続け、
『OMNE』を詳細に認識/記録できる第三者が長らく存在しなかったためである。
もし真の名があったとしても、それも今日では永遠に失われている。
とはいえ便宜上『OMNE』と称される力が
一定の形で世界群を統べていたのは事実であり、
この年代は『原初の時代』と定義される。
4 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:12:58.20 ID:XVB8s0iW0
この『OMNE』の不可侵性は極めて強固であった。
世界群の各宇宙にはそれぞれを統べる神々が存在し、
中には全能神と謳われた存在すらいたが、
彼らですら『OMNE』領域の認識は不可能だった。
『OMNE』は時間と現実の外に在り、
それらの内にいる者からすれば存在しないも同じだったためである。
物語の登場人物が著者に抗えないのと同じく、
現実世界の住人が『OMNE』に干渉することは不可能だった。
こうした『OMNE』の不可侵性は全世界に安定をもたらした。
『OMNE』によって定められた境界がそれぞれの現実を隔絶しており、
その法則が歪むことは長らくなかった。
何らかの災厄が訪れたとしても、
それはその一つの世界、一つの宇宙内で完結し、
他世界に波及することはなかった。
この強固な『OMNE』の揺り篭のもと、無限の世界、
無限の現実はそれぞれの物語を育んでいったのである。
しかしこの安定した時代は続かなかった。
ある段階でその不可侵性が破られ、
これら原初世界群は崩壊を迎えることになる。
5 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:13:38.60 ID:XVB8s0iW0
2 『闇』による崩壊
それがいつ起こったのかは定かではなく、定められるものでもない。
なぜなら原初時代には、
無限にある世界それぞれが異なる時間軸を有していたからである。
しかし一つ確かなのは、
とある者共がOMNE領域を侵犯したことが決め手となった点だった。
この者共は後世において「神域すら逸した者」、
「真理の到達者」など様々に呼ばれたが、
最終的には「侵犯者」という呼び名が定着することとなる。
「侵犯者」たちはどこの世界の住人だったのか、
一つの世界からか、それとも複数の世界から現れたのか、
後世では諸説あるものの、少なくとも出自の一つは確定している。
その一つはかつて「血の世界」と呼ばれた宇宙の住人、
後世において「魔」と称された種の生まれだった。
その「血の世界」の生命は、他世界では見られない特徴を備えていた。
「闘争」によって生命力が増幅、
あらゆる力が高密度化していくという性質である。
この増幅現象は、「血の世界」における生命にとって
捕食行為とならぶ主要なエネルギー取得方法であった。
すなわち、加害行為は捕食やそれに対する防御の手段に留まらず、
それ自体が糧でもあった。
他世界の生命にとっての呼吸や食事と同様、
かの世界の生物にとって「闘争」も生命活動に必要不可欠だった。
そのため、この生命圏は「闘争」、
さらには戦闘を誘引させる「暴虐」が至上本能として備わることとなり、
極めて攻撃的な種族体系「魔」を形成させるに到った。
6 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:14:07.52 ID:XVB8s0iW0
この「力こそ全て」とも形容される闘争と暴虐の世界にて、
彼らは際限なく戦い、そして殺しあった。
そして熾烈な競争と増幅現象の果てに、
超越的な力を有する者が次々出現し、
ついには全能神格にまで到達する存在も多数あらわれた。
これもまた、他の世界ではまず見られない異常な事態であった。
通常、一つの宇宙には一柱の全能神格という形であり、
その全能神格も各宇宙が誕生したと同時に、その宇宙の化身として出現していた。
一方で「血の世界」は、多数の後天的な全能神格がひしめくという
異常な様相となった。
ちなみにこの世界本来の全能神格は、これら「後天的な全能神格」によって殺害された。
こうした様相となった原初世界は、
「血の世界」を含めて後世では二例しか確認されていない。
そのうえもう一方の世界はとある段階で全能神格の増加が停止、
さらに減少に転じたのに対し、
「血の世界」では加速度的に増え続けた点でより異質だった。
7 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:14:35.90 ID:XVB8s0iW0
こうした全能神格がひしめく状態では、
その力が干渉しあい、世界そのものが安定を失うこととなる。
法則が破綻した「血の世界」はあらゆる事象に歯止めがきかなくなり、
力の増幅現象がさらに加速するという悪循環に陥ることとなった。
ただしこの段階では、OMNEにとってはなんら脅威ではなかった。
「血の世界」が破綻しようが、
OMNEからすればそれらも所詮は「物語」内部の出来事にすぎなかったからである。
だがその覆るはずがない構造が覆る。
ある段階で、「血の世界」の者共が「物語」の外へと飛び出しはじめた。
彼らは果てしなき力の増幅の末、有り得ないはずのことを成した。
なぜそれが可能となったのか、確かな原理は今日でも不明であり、
彼ら自身すら理解できていなかったとされる。
とはいえ不可侵のはずだった境界をも突破し、
それまで未知だったOMNE領域に踏み込んだのは事実だった。
この者共こそが「侵犯者」である。
そしてOMNEへの到達により、「侵犯者」たちは究極の力を獲得した。
彼らの魂にOMNEと同種の力が宿ったのである、
「物語の登場人物」が「著者」と同じ力を得たが如く。
8 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:15:05.17 ID:XVB8s0iW0
ただし、本来の完全たるOMNEからすれば
この「侵犯者」たちすらも矮小な存在でしかなかった。
「侵犯者」たちはOMNEと同種の力を取得したとはいえ、
それらは所詮複製された断片に過ぎなかった。
オリジナルかつ完全なるOMNEからすれば、
「侵犯者」の複製された不完全な力は塵に等しかった。
しかしオリジナルのOMNEのその完全性が、
ここでOMNE自身にとって災いとなる。
たとえ塵の如きであろうと、
不純物が侵入した時点で「完全」ではなくなる。
そしてOMNEは真に完全たる領域だったゆえに余白もなく、
「侵犯者」による微小な歪みでさえも
全体の均衡を崩すには十分な衝撃だった。
そして安定を失ったOMNEはその自らの巨大な力によって自壊し、
粉々になって現実世界へと崩落した。
9 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:15:32.72 ID:XVB8s0iW0
こうして全ての秩序が崩壊した。
OMNEによって定められていた境界が消え、
無限の世界同士が重なり、すべての時間軸がひとつに溶け合い、
そして現実が混濁していった。
それは増幅によって内圧が高まっていた「血の世界」、
もとい「侵犯者」らが率いる魔族にとっては開放の時でもあった。
オリジナルのOMNEが崩壊した今、世界の真理を握るのは
OMNEの複製を有する「侵犯者」たちだったる。
彼らこそが世界群全体を俯瞰できる唯一の観測者であり、
そして「物語」の流れを左右できる存在、
著者のごとき権限を得たのである。
しかもその力は「侵犯者」のみならず、
彼らを基点として全魔族にも波及した。
これにより、彼らの行動だけではなく思念にも力が宿り、
魔族が形成する集合意識が世界へ大きな影響を及ぼすようになる。
彼らの願望が事象の確率そのものを動かし、
すなわち運命を手繰り寄せ、
彼らが望む方向へと「物語」が流れるようになったのである。
10 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:16:08.40 ID:XVB8s0iW0
とはいえこの時、彼ら自身は、
この著者のごとき現象そのものには気づいていなかった。
「侵犯者」自身ですら、
自ら有するOMNEの力を解明しきっているわけではなく、
最深部にあるこの部分にまでは理解が及んでいなかった。
しかしそれは特に問題ではなかった。
「侵犯者」は超越的な力を得て、
魔族はそれに率いられて世界群を好きにできる、
悪辣な彼らにとって状況理解はそれで充分だった。
彼らの目的は真理に至ることではなく、闘争と暴虐の追求である。
新たなOMNEとして世界群を統べるという意図はなく、
欲望のままに魔の営みを拡大する、それだけが目的だった。
そして魔族は爆発的な侵食をはじめた。
無限の新天地へ食指を伸ばし、他世界をことごとく貪っていった。
彼らは闘争と暴虐の本能をさらに増幅させ、存分に発揮した。
全てを穢して破壊し、
自分たちの現実を「上書き」し領域を拡大していった。
この魔族拡大に抗える存在などいなかった。
それまで各世界を統べていた全能神たちですらも、
この破滅を止めることはできなかった。
「侵犯者」が獲得したOMNEの力、
そこから魔族全体に波及した著者のごとき現象により、
現実の流れそのものが魔族が望む方向へと変化していったのだから。
11 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:16:40.08 ID:XVB8s0iW0
他世界の全能神たちはこの時、悉くがその全能性を喪失していた。
オリジナルのOMNEの崩壊によって
彼らの存在基盤たる各世界の枠組みも崩壊し、
その全能性の力を形成していた法則も共に消失していた。
そのうえこの著者のごとき魔族を前にしては、
物語の登場人物たる彼らは無力だった。
全能神各をふくむあらゆる存在が魔に食われて消失するか、
あるいは「上書き」されて次々と魔の眷属となった。
物語の登場人物が著者によって容易に改変されてしまうように。
とはいえ、他世界の神格すべてが哀れな被害者というわけでもなかった。
彼らの中にも闘争や暴虐、悪意を好む者、
魔の力に惹かれた者、または既存の原初世界滅亡を望んでいた者もおり、
そのため喜んで魔に転生した神格も多かったのである。
その一方で、魔とは相容れない存在もまた多かった。
だが抵抗は不可能、この災厄から逃れる術は一つ、
ひたすらに虚無の果てへと落ち延びるしかなかった。
12 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:17:14.65 ID:XVB8s0iW0
このようにして魔族によって塗り潰された現実は、
光を飲みこむために『闇』と呼ばれた。
闇の膨張は全てを飲みこむ勢いであり、
最終的には「難民」が逃れた虚無にも達して
そこをも塗りつぶしてしまうのは明らかだった。
しかし闇による征服は、完全制覇寸前にて滞ることになる。
この災禍に抗いうる唯一の存在、
崩落していたオリジナルのOMNEが再起動したために。
13 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:17:52.85 ID:XVB8s0iW0
3 『光』の女王
現実世界に砕け落ちたOMNEは
この墜落により初めて他者から存在を認識され、
その呼び名を得ることになった。
崩壊以前のOMNEについては
その観測不能な性質ゆえ、意識や知性の有無は不明であり、
生命体と定義できるか否かも不明である。
だが少なくとも、崩壊以降の世界においては
「彼ら」は明確な自我を有した生命体の詳細として現れる。
もちろん、それらはOMNE崩壊後に獲得された姿だった。
砕けたOMNEの破片が現実世界に落ちたことで、
すなわち「物語」の中に落ちたことで、
命と自我を宿す「物語の登場人物」へ変じたのである。
そして最初に自我を宿した破片は『光』だった。
14 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:18:22.67 ID:XVB8s0iW0
その『光の女神』は目覚めるや、
まず惨憺たる現実世界の状況に嘆いた。
そしてこの嘆きを抱かせる良心こそ自分の基層であると自認し、
それによって彼女は自己同一性を獲得した。
魔の所業を拒絶する「善の女神」として屹立した彼女は、
その良心によって原初世界を修復することを決意し、
魔族に対する戦いを開始した。
具体的には「侵犯者」の討伐を目標とした。
OMNE領域を狂わせている「侵犯者」が消え去れば、
唯一のOMNEとなった彼女を核として
崩壊以前の『完全なるOMNE』を再構築でき、
それによって原初世界も修復できると考えたからである。
この光の女神の目覚めは、
闇の災禍に見舞われていた者たちにとって希望の光であった。
「偽の著者」のごとき魔に対する、
原初OMNE由来の「正統な著者」が出現したのであり、
まさに反撃の烽火であった。
15 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:18:56.28 ID:XVB8s0iW0
この女神は様々な名で呼ばれたが、
後世では祝祭/祝宴を意味する『ジュベレウス』の名が最も知られている。
それまで逃げ延びることができた原初世界群の神々は
こぞってジュベレウスの下に集結し、
彼女をOMNEの真の継承者として戴いた。
またジュベレウス側も、オリジナルのOMNEたる力で彼らを守護し、
魔族のそれと同様に現実に対する著者のごとき効力を与えた。
こうして世界にふたたび均衡が訪れ、
魔族の望むがままだった現実の流れも変わった。
反魔の徒、その武力がようやく実態を取り戻し、
抗うことが可能となったのである。
ただし、彼ら自身も魔族同様、
著者のごとき力を自認するどころか、その存在すら知らなかった。
情報漏れによってその究極原理が魔族にも知られることを
ジュベレウスが危惧したからである。
またその力を行使するうえで、
個々がその存在を知っておく必要も無かった。
反魔の意志をみなが等しく抱きさえすれば十分であった。
16 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:19:35.56 ID:XVB8s0iW0
こうしてジュベレウスのもと
現実への干渉能力を取り戻した神々、
その武力は絶大なものだった。
力が全て回復したわけではなく、
特に全能神格たちは、ジュベレウスの恩恵下でも
かつての全能性自体は回復しなかった。
その全能性を定めていた法則や基盤が、
元の原初世界ごと消失してしまっていたからである。
ただし、「戦」という概念において弱体化した存在はほどんといなかった。
例え全能性を失っても、それを可能にしていた膨大な生命力は
存続していたからである。
それどころか、直接的な武力においてはさらに高まった存在も多かった。
というのも原初世界群においては、大抵の全能神格は強大すぎるあまり
活動を制限せざるを得なかった。
最大の力の行使は各宇宙を破壊してしまう恐れがあったために。
しかし今やそういった危惧は無くなった。
とっくに全ての宇宙と法則が崩壊しきった更地同然であり、
神々が武力を抑えるべき制約は消え去っていた。
原初世界群の崩壊によって、彼らは所有していた宇宙と全能性を失ったが、
代わりにそれまで叶わなかった全力の武を解き放つ舞台を得たのである。
17 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:20:06.63 ID:XVB8s0iW0
また彼らは全能性を失っていたにせよ、
己の周囲環境を変える程度のことは可能だった。
それ自体は幻まがいの産物であったものの、
原初のOMNEたるジュベレウスから観測されることで、
現実として固定することが可能だった。
こうした手法により、神々は自身の記憶をもとに周囲を彩った。
ある神々は、自分たちが所有していた旧世界の縮図を庭園のように作り、
またある神々は、闇に食われてしまっていた眷属や臣下を復活させた。
加えてジュベレウス自身も直属の配下衆を創りだした。
彼女は慈悲深く寛容、純粋で善良であったものの、
それゆえ戦いに必須の闘争性や狡猾さが不足していたため、
この配下衆はそれを補填する武人的性質が強く備えられていた。
後世にてジュベレウス派、あるいは「四元徳派」と呼ばれた集団の誕生である。
彼らは主神直下の兵かつ組織運営を担う官僚として、光陣営の背骨となった。
こうしてジュベレウスの存在を基礎として、
神々によって金色の天空と山野が描かれ、
小さな世界群が生み出され、そこに住まう民が出現し、
これらを治める組織も構築され、
この光の領域は一つの世界として存在を確定させた。
原初世界群の崩壊後、最初に形を成した新世界。
『天界-パラディソ』の出現である。
18 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:20:34.64 ID:XVB8s0iW0
この『天界』の神々は
無数にあった原初世界群の出自である以上、
様々な性質の雑多な集団であり、
ジュベレウスのもとに集った目的もまた様々だった。
ある者共は「正義」のために。
ある者共はただ生き延びるために。
ある者共は憤怒を抱き、魔への報復を渇望して。
ある者共は、かつて己が所有していた宇宙を取り戻すために。
あるいは、それによって本来の全能性を取り戻すために。
またある者は、戦いに参じる報酬として
ジュベレウスの力で願いを叶えてもらおうという私欲を抱いて。
中には、人格がむしろ魔側に相応しき悪性の者すらもいた。
もちろん彼らはジュベレウスに真の忠誠を捧げることは無く、
関係も臣下ではなく単なる共闘、一時の同盟といった
半ば第三勢力とも言える立場にあった。
ただしそんな雑多な者たちでも、当面の目的は明確に一致していた。
すなわち侵犯者を排除し、ジュベレウスを唯一にして完全なるOMNEとして回復させ、
原初世界群を修復する。
さすれば不可能が消えたジュベレウスの力によって、
彼ら全員の望みも叶えられる。
これら多様な目的と、統一された意志をもって。
ジュベレウスのもと態勢を整えた反魔勢力は、
闇への組織的な反撃を開始した。
こうして光と闇の全面対決、
後世に語られる『最終戦争 - First Armageddon』が始まった。
19 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:21:04.26 ID:XVB8s0iW0
4 『闇』の女王
天界の出現、そして組織的な反撃をうけ、
魔側も見よう見まねでこれに対応しようとした。
侵犯者たちはそれまで個々が好き勝手に活動していたものの、
この時より集結して軍勢を形成し、
眷属たる魔の群れを率いて「戦争」を行うようになった。
しかしその水準は歴然としていた。
ジュベレウスは『天界』という世界の存在を確定させ、
その勢力基盤を固めたが、
侵犯者たちにそこまでの力はなかった。
ジュベレウスは原初のOMNEの一部分でしかないとはいえ、
その力は正真正銘のオリジナルである。
一方で侵犯者も同じくOMNEの域に達していたとはいえ、
彼らののは所詮複製であり、
オリジナルたるジュベレウスには及ばなかった。
そして直接的な武力においても闇は劣っていた。
力を解き放った神々の軍勢により、
侵犯者たちは次々と倒され、僅かな間に半数が消滅したほどだった。
また明確な組織として統制されていた光側と異なり、
魔族の「勢力」や「軍勢」の実態はなんら連帯能力がない烏合の衆であった。
くわえて魔族特有の過剰な闘争性ゆえに仲間割れも常であり、
侵犯者も含めての内紛、もとい「共食い」によってもさらに数を減らしていった。
こうした要素もあり、戦争前期は光側の圧倒的優勢で展開した。
しかし勝利まであと一歩という時期に状況が大きく変わることになる。
もう一つのOMNEの破片が安定し、それにも自我が宿ったのである。
その破片は『闇』。
その第二の自我は『闇の女王』、または『クイーンシバ』と呼ばれた。
20 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:21:49.81 ID:XVB8s0iW0
『クイーンシバ』は、ジュベレウスと異なり
世界の修復等にはなんら興味を示さず、
指導者らしき振る舞いも一切とらなかった。
また常に現実表層に存在していたジュベレウスとはこれまた異なり、
彼女は表層に現れることなく虚無にて漂うだけ。
一応自我は有するものの、極端に非活動的だったため、
他者からすれば彼女は常に眠っているも同然なほどであった。
しかしただ一点、最終戦争についての態度は明確だった。
彼女は魔族に味方したのである。
クイーンシバは、原初OMNEの『闇』を構成していた部分である。
ゆえに闇の種たる魔族は、彼女にとって我が子そのものだった。
また同様の理由で、魔族にとっても彼女こそが真の創造主に相当し、
彼らから見ればクイーンシバこそ原初OMNEの正統なる継承者だった。
そのため魔族は必然的にクイーンシバのもとに集った。
そして流浪の神々がジュベレウスを戴いたのと同様、
彼らもクイーンシバを戴いた。
またクイーンシバ側も同様、母性によって彼らに闇の恩恵を授けた。
とはいえジュベレウスと異なり、
静的な彼女は闇の指導者にはならなかった。
代わりに巣立った子を見守る母のように、
闇の子らの所業すべてを愛し、容認し、望むがままにさせた。
クイーンシバは無制限の母性、
そして無制限の寛容によって魔族を支援したのである。
またオリジナルのOMNEたるクイーンシバが観測したことで、
それまで霧のように不定形だった闇領域は形を成し、
存在を確定させ、こちらも一つの世界として完成した。
魔族もついに種の存在基盤たる新故郷を獲得したのである。
こうして二つ目の世界、『魔界-インフェルノ』が誕生した。
そこは闘争と暴虐こそが正義とされる、
悪性の者にとっての楽園であった。
21 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:22:21.50 ID:XVB8s0iW0
こうしたクイーンシバの目覚めとその影響は、
光側に傾いていた戦況を一変させた。
彼女の目覚めが遅れたのは、
OMNEとしての破片の力が大きすぎて
安定が遅れたためである。
つまりはジュベレウスよりさらに強かった。
純粋な力の規模においても、そして現実への干渉においても。
彼女はあらゆる面で受動的だったとはいえ、
その存在の大きさ故、ただ在るだけで現実の流れを変えた。
闇の濃度が高まり、魔族の集合意識もより強まったために、
『物語』が再び闇側へと傾きはじめていった。
戦いは次第に拮抗し始め、
局所では魔側が優勢になることも珍しくなくなっていった。
加えて、クイーンシバ出現のみならず
魔族本来の性質もこの戦況変化に強く影響していた。
彼らが原初時代より引き継いできた種の性質、
際限のない力の増幅現象によって。
22 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:23:02.08 ID:XVB8s0iW0
魔族にとってはクイーンシバこそが
オリジナルたるOMNEの正統継承者にして全ての創造主であり、
それゆえ正統を「騙る」ジュベレウス打倒は聖戦に等しく、
その力もクイーンシバに還すべき断片でしかなかった。
そもそもの原初世界群も始まりは闇である、それが彼らの世界観であり、
ゆえに全てを闇に帰すべし、これが彼らの道理であった。
ただし、そのような大義を本心から抱いて戦っていた魔族は
ほとんど存在しなかった。
『全てを闇へ回帰させる』『魔族の栄光のため』などと本気で考える者はまずいなかった。
なぜなら魔族は奉仕や献身といった精神性が欠落しており、
彼らの行動は常に個としての闘争と暴虐の欲求を源としていたからである。
これら欲求は凄まじく、彼らは死の危険を悟るや
その「己に死を与えるほどの武力」に惹かれて
しばしば自ら死地にとびこんだ。
彼らも生命体である以上「死」は根源的恐怖ではあったものの、
他生命圏の者達とは異なり、同時に最大級の誘惑でもあった。
この狂戦士的な種族にとって、
ジュベレウス率いる強大な軍勢との戦争はまさに最高の糧であった。
過酷な戦乱が続いても魔族が疲弊することはなく、
むしろ逆に力の増幅現象を重ねて勢いを増していったのである。
23 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:23:31.81 ID:XVB8s0iW0
大勢はいよいよ目に見えて逆転しはじめた。
当初は光側が圧倒して終結すると思われていた戦乱は、
クイーンシバ覚醒と魔族の増幅現象によって
光が攻勢を強めるほど闇も勢いを増すという悪循環に陥っていった。
そのうえ光側にとってさらに悪いことに、
この時点ですら苦戦するということは事実上の劣勢を意味していた。
なぜなら、魔族は最終戦争に全力を注いでるわけではなかったからである。
外の光陣営との戦いと平行して、
彼らは内の同族同士でも激烈な戦いを繰り広げていた。
今まで通りの共食い習慣に加えて、
魔界の頂点、もとい「最強」の座を競って
侵犯者同士の争いも激化していた。
しかもこれまた力の増幅現象の性質によって、
この内戦も彼らを強くした。
光側との戦い、加えて内戦によって侵犯者の数は激減していったものの、
果てなき共食いと増幅を重ねたことで
総合的な武力はむしろ増しつつあった。
24 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:24:06.24 ID:XVB8s0iW0
光側が優勢だった頃では、
魔の内乱は確かに光側にとって有利ではあった。
しかしクイーンシバが目覚め、戦況も拮抗しはじめてからは
その意味は正反対となった。
見出せるのは魔側の圧倒的な余力、限界なき成長であり、
光側は絶望的な未来を予測せざるを得なかった。
いずれ、ジュベレウスにも届きうる強者が出現するかもしれない、と。
そしてその悪夢はすぐに現実となった。
内外両面の激烈な戦いの末、最終的に侵犯者は四柱にまで減った。
だが魔が弱体化したというわけではない。
この四柱こそ、闘争の坩堝から生まれた最強の悪魔たちであった。
25 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:24:33.05 ID:XVB8s0iW0
5 魔の頂点
残った侵犯者はわずか四柱とはいえ、
その武威は超越の域であり、
彼らの総合武力は侵犯者が数百柱いた時代を遥かに上回っていた。
そして単純な武力のみならず、
彼らのOMNE複製たる力もついに完成の域に達し、
それぞれが独自の性質を有するまでになっていた。
個々のOMNEの性質から、彼らはそれぞれ
具現、闘争、創造、破壊という二つ名を有していた。
彼ら自身の性格と願望も様々だったが、
共通しているのはそれぞれの領分において
妥協なき究極を目指した点である。
「具現」のアルゴサクスは傲慢な覇王であり、
全てを絶望で染めることを望んだ。
「闘争」のアビゲイルは獰猛な闘士であり、
他者全ての殺害を望んだ。
「創造」のムンドゥスは悪辣な加虐者であり、
全てを苦痛で満たすことを望んだ。
「破壊」のスパーダは孤高の戦士であり、究極の武力のみを求めた。
26 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:24:59.74 ID:XVB8s0iW0
最終戦争に対する姿勢も四柱それぞれ異なっていた。
アルゴサクスとムンドゥスは支配欲に塗れていたために
原初OMNEの後継を称するジュベレウスに強い敵愾心を抱き、
それゆえ光との戦乱にも積極的だった。
また支配欲からくる虚栄心によって、魔族の大軍勢も好んで率いた。
一方、アビゲイルとスパーダも光との戦いによく身を投じたものの、
彼らの目的と性格上、戦乱そのものには根本的に無関心だった。
全ての存在と事象は、アビゲイルにとっては他者に死を与えるため、
スパーダにとっては力と技を得るための舞台/素材でしなかったのである。
とはいえ両者は戦いを求めて最前に頻繁に出没したため、
その武は光側にとって最たる脅威であった。
加えてしばしば居合わせた魔族軍もその巻き添えとなったため、
同族からも畏怖されることとなった。
また魔族の性ゆえ、彼ら四柱も潜在的に互いを敵視し、
殺害とその力を奪う機会を常にうかがっていた。
もっとも強かったのがアルゴサクスであり、
次いでほぼ同格としてアビゲイル、
そしてやや差があってスパーダ、最後にムンドゥスと続いていた。
このうち、ムンドゥスとスパーダは一時的ながらも同盟していた。
彼らは後の時代では最強の座に君臨することになるが、
この頃はまだ個々では上位二柱には抗えなかった。
27 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:25:32.46 ID:XVB8s0iW0
ムンドゥスは『創造』の力によって事実上不死だったものの、
当時は武力においては上位二柱に遥かに劣っていたため、
もし相対すれば最終的には封印か拘束され、
永遠に成すがままと成るしかなかった。
またスパーダの側もやはり劣り、
くわえて彼は不死ではなかったため、
上位二柱と干戈を交えば敗死の危険があった。
それゆえ両者は結託したが、
それでも一時膠着に持ち込むのが精一杯であり、
不利な状況は変わらなかった。
ただし、彼らが上位二柱に襲われることはなかった。
なぜならアルゴサクスとアビゲイルはお互いをもっとも警戒し、
ほぼ同格ゆえに完全膠着していたからである。
そしてムンドゥスとスパーダは劣るとはいえ、
膠着する上位二柱にとっては無視できない第三勢力であり、
またこうして反目しようとも、ジュベレウスに対抗するには
四柱全ての力が必要だという認識は全員が共有していた。
そのため情勢は三竦みとなりつつ一時の安定を得ていた。
この安定は、次に訪れるとある『大騒動』に揉まれようとも
根本的に崩れることは無かった。
28 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:25:59.11 ID:XVB8s0iW0
6 最初にして最強の堕天者
ジュベレウスは、厳密には天界統治者の身分ではなかった。
実際の天界統治は、彼女から権限を授かった別の者が担っていた。
これは光陣営の世界観に沿った構図でもあった。
彼らの世界観においては、ジュベレウスこそが原初OMNEの正統継承者、
すなわち天界のみならず闇をも含んだ『全て』を司るべき存在とされた。
そのため、いち領分に過ぎない天界の統治者などという
「下位」に座すことは憚られ、その雑務に手を汚すことも忌まれたのである。
ジュベレウス自身は気にしなかったが、彼女を戴く周囲がこれを許さなかった。
そこで、代わりにもっとも強く賢い者に権限を授け、
天界を統治させるという体制がとられた。
そしてこの天界成立から最終戦争中期にかけての時代、
天界統治者の座は「不滅の者」と称えられた存在、
あるいは「無限の者」と畏れられた存在が担っていた。
その名は『ロダン』である。
このロダンなる者、原初時代およびその崩壊期における動向は、
その出自も含めて一切不明である。
彼自身は一切過去を語らず、
唯一事情を知っていたはずのジュベレウスも語らなかったからである。
また彼が第三者の前に現れた時には、
すでにジュベレウスの加護をうけて光属性に完全転化していたため、
その力の性質から出自を判別するのも困難になっていた。
彼についてのもっとも古い記録は、ジュベレウスの覚醒直後である。
目覚めた光の女王を最初に見出した者こそ彼だと言われている。
この初邂逅時に何が話し合われたのかは例によって不明であるも、
少なくともジュベレウスは彼を信頼し、自身の副官とした。
また厳密には臣従ではなく対等の同盟だという見方もある。
というのも、ロダンに与えられた頭上の光輪は
ジュベレウスと同じ位階を示していたからである。
これは彼がジュベレウスから絶大な信頼を得たこと、
及び同位が与えられるほどの徳と知と力を有していたことを示唆する。
29 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:26:28.08 ID:XVB8s0iW0
そしてそのジュベレウスも認める力量によって、彼は天界統治を担った。
多才ゆえに業務も体制管理だけではなく、
原初時代の知識を集積しての保存作業から、神殿や聖域の設計、
果てには日常細事の相談役まできわめて多岐にわたった。
また軍事においても、性格上不向きなジュベレウスを参謀として支え、
前線の将として実務を担うこともあった。
さらに武器発明や戦術考案の業績も数え切れず、
天界の戦争能力向上にも大いに貢献した。
ジュベレウスが天界の産みの親ならば、彼は育ての親、
彼女が天界の脳ならば、彼は脊椎だった。
そしてその貢献に相応しく、彼は多くの人望を集めることとなった。
だがまったく陰がない、というわけではなかった。
彼は眩しすぎるほどに万能かつ強大である故に、
常に濃い陰もまとわりついていた。
戦場における彼は屍の山を築く闘神であり、
その武威を称える神々も多かったが、内心で戦慄する神々も多かった。
頭上の光輪が示すとおり彼はジュベレウスに匹敵するほどに強く、
かつジュベレウスにはない攻撃的で冷酷な一面も備えていたからである。
そしてこの陰は、天界内についにある疑念を生じさせた。
最終戦争が激しさを増すにつれ、こう囁く者が増えはじめた。
ロダンの絶大な力の正体はOMNEの複製ではないのか、
すなわち彼も実は侵犯者ではないのかと。
これは、戦争激化で侵犯者と交戦頻度が増えたことによる声だった。
侵犯者と交戦した者たちが、ロダンと侵犯者の近似を抱きはじめたのである。
現に彼の力の性質は、侵犯者ムンドゥスの「創造」によく似ていた。
加えて戦場にて発揮される武は、スパーダのごとく「破壊」的でもあった。
そのためジュベレウスに出会う前の彼は「血の世界」出身、
つまり元は魔族であり、最初期の侵犯者ではないか、
それこそ原初世界群を崩壊させた張本人の一人ではないか、
そう囁かれ始めたのである。
30 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:26:54.35 ID:XVB8s0iW0
しかし、当初はそのような噂など些末事であった。
戦争前期における天界の圧倒優勢、
それへの彼の多大な貢献はこの陰を容易く掃っていた。
だがクイーンシバが目覚め、「魔界」が完成し、
そして闇が徐々に押し返しはじめると彼の状況も変わっていった。
不安が陰を強め、周囲は彼に対する疑念を
静かに膨らませていったのである。
ロダンは元魔族で侵犯者なのでは。
強く闇を発する侵犯者がジュベレウスの横にいては、
女神の光も濁ってしまうのでは。
それが光の劣勢に影響を及ぼしているのでは。
そんな確証なき疑念がさらなる疑念を呼び、
日に日に反感を抱く者が増えていった。
さらに過去を知る本人とジュベレウスが、
この件において一切触れなかったのも疑念を増長させた。
31 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:27:20.97 ID:XVB8s0iW0
しかしこれはあくまで噂、
そして天界の結束は噂程度で揺らぐものでもなかった。
また、疑念を抱きつつも彼を慕う者も多く、反感一色とも程遠かった。
だが結果から言うならば、彼は失脚を免れなかった。
確証なき噂は直接的な障害にはならなかったが、
劣勢の戦況という事実は避けられなかったからである。
彼こそ具体的な戦略と戦術を練り、
戦争遂行を統括した事実上の最高指揮官。
そのため劣勢の責任も究極的には彼にあるとみなされたのである。
そしてその批判の先鋒となったのは
光の女王によって創り出された直下衆、
いわゆるジュベレウス派である。
中でも特に声を荒げたのが「四元徳」と称される者達である。
彼らはジュベレウス派を統括する最高幹部であり、
天界の序列においてロダンの次席にある者達であった。
32 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:28:01.97 ID:XVB8s0iW0
個々の武力はロダンのみならず他の神々にも劣っていたが、
彼らはジュベレウスによって創り出されたために
彼女の恩恵を特に強く受けられ、
その光の意志に沿うかぎり、力量を超えた絶大な力を扱うことができた。
いわば彼らは、ジュベレウスの超越的な武力を代理行使できた。
しかしそのような恩恵を受けてもなおロダンには敵わず、
また光の実子でありながら、
序列も「余所者ロダン」の次席に甘んじさせられる、
この境遇は四元徳たちに不満をもたらした。
この不満は、彼らが対魔戦争のために創り出された故の性質に起因していた。
「戦争」遂行のため、ジュベレウスに欠けていた闘争性や敵愾心、猜疑心などが
彼らには付加されていたが、それがロダンへの疑念をも
強く抱かせることとなったのである。
そして戦況の劣勢が、その不満を発露させる決め手となった。
四元徳はジュベレウスへと、ロダン更迭を直訴したのである。
噂には触れずあくまで劣勢の責任という理由によって。
劣勢の責任についてはロダンは弁明の余地はなかった。
事実、彼の戦略は行き詰りつつあり、
劣勢を打開するためには大幅な方針転換が必要だったからである。
33 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:28:32.63 ID:XVB8s0iW0
この件は穏便に済ませることはできなかった。
なぜなら四元徳は、ジュベレウスに正式直訴する前に
その旨を天界中に宣言したからである。
彼らはあえて天界全派閥を巻きこんだ騒動とすることで、
ジュベレウスに厳正なる即時判断を求めたのである。
この四元徳の宣言によって、
今まで腹底でロダンに疑念を抱いていた者たちは
声を揃えて彼の失脚を求めた。
一方で彼を慕う者たちも対抗して擁護を叫び、
天界の声は二分された。
劣勢なる戦況の中でこの統制の乱れは致命的であり、
これこそが四元徳の狙いであった。
いわば彼らはジュベレウスを追い詰めたのである。
そしていくばくも経たぬうちに、
ジュベレウスは厳粛なる悲しみをこめて天界の民へと告げた。
ロダンは去った、と。
34 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:29:03.20 ID:XVB8s0iW0
天界からのロダン離脱、この具体的な経緯は不明である。
例によってジュベレウスとロダン本人のみが知り、
両者とも口を噤んだからである。
ロダンに反感を抱いていた者たちは、
彼は光の女王に失脚を言い渡されるや、怒りに駆られ、
愚かにも歯向かって天界から追放された、と考えた。
一方でロダンを慕っていた者たちは、
彼は天界が二分される事態を憂い、みずから失脚を願いでて、
さらに今後も己が火種になりうると考えて去った、と考えた。
そして一部の皮肉的な者たちは、
ロダンは劣勢の天界を見放したのだと嘲った。
また後々においては、ロダンが天界を離れたのは
戦況を打開するための極秘任務をこなすためだった、
という説も唱えられた(後述)。
この極秘任務説においては、天界離脱の口実を得るために
四元徳の術策を逆に利用したとみなされている。
どうであれ確かなのは、天界を離れる際に
ジュベレウスから授かった光の力を放棄したために、
ロダンは一時的に武力の大半を失ったこと。
そして次は魔界へと向かったことである。
35 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:29:30.05 ID:XVB8s0iW0
ロダンの魔界入りを阻む者はなく、
むしろ魔側から大変歓迎された。
もともと非魔族が魔に転じる、というのは珍しいことでもなかった。
かつて原初世界群が崩壊した頃、様々な理由で
自ら闇に転じた異界の存在も多かったからである。
加えてロダンの場合、魔界にはない多くの知識を携えていたため、
そこから力を得ようとする貪欲な魔たちに好意的に受け入れられた。
多くの有力者が彼から知識を得るべく接近を試みた。
侵犯者級も例外ではなく、
ジュベレウスの力の情報を引き出そうと
侵犯者四柱みなが柄にもなく彼を歓待した。
そしてロダン側も期待に応え、
彼らが欲する知識を惜しみなく開放した。
36 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:29:59.49 ID:XVB8s0iW0
魔族がロダンに求めた知識は
やはり第一は武力の糧になり得るものであったが、
それ以外の分野でも気に入りさえすれば貪欲に吸収した。
特に天界風の荘厳な様式は魔族にとっても受けいれやすく、
魔族独特の美的感覚と融合しつつ瞬く間に広まった。
侵犯者の中では特にムンドゥスが気に入り、
己の外見をも天界様式に創り変えてしまうほどであった。
この時から彼はもとの醜悪な姿を隠し、
のちに知られる、天界の神族を思わせる容姿に成ったのである。
くわえて天界風の宮殿も創り、そこを自らの居城とした。
またムンドゥスのような支配欲のある悪魔たちは、
天界式の組織統制の知識も学び、己の勢力基盤に組みこみ、
「統治」という行為をも成し始めた。
これらはある種の「文明化」現象を魔界にもたらした。
それ以前にも有力悪魔たちは自勢力の「領分」を主張し、
「軍勢」を作ることもあったが、この時以降ようやく
それらの組織と管理が実態を伴うものとなったのである。
37 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:30:25.83 ID:XVB8s0iW0
しかし結局のところ、これら知識とその影響は
魔族にとってほとんど遊興の域を出なかった。
生存と戦争遂行のため、
という必要に迫られて構築された天界の統治体制とは異なり、
魔族のそれは結局は個人的な虚栄欲、
支配欲を満たすためだけの玩具だったからである。
勢力と軍勢もある程度は組織化されたとはいえ、
そもそも魔族の性格ゆえ、所詮は形だけであった。
「共食い」などを何ら変わらず行う、
根本的に統制困難な者共だったからである。
当然ながら、天界風の思想、すなわち平和と安寧、
慈愛や寛容、高潔なる大義と献身などについても、
魔族が吸収することはなかった。
闘争と暴虐を至上とする価値観の彼らからすれば、
これら天界の思想など理解しがたい、「精神異常」の類であった。
中には熱心に学ぼうとした者もいたものの、
あくまで獲物である天界勢を知るためであった。
この時点では、いわば「善き心」を理解した悪魔は
一体たりとも存在しなかった。
38 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:30:55.77 ID:XVB8s0iW0
ともかく、ロダンの魔界入りはこのように歓迎はされ
彼もしばらくは識者として振舞った。
天界離脱によって力を失ったため、
有力悪魔たちの支援と守護が必須だったからである。
知識の求めあらば分け隔てなく応え、ひたすら友好を維持し
侵犯者にも媚びへつらって保護をとりつけた。
その魔族へ媚びる姿勢は天界にも聞こえ
古巣ではロダンの評判は地に落ち
かつて彼を信奉した友らもみな失望する有様であった。
だが、こうしたロダンの行動は全て演技だった。
彼は確かに天界離脱時に力を失ったが、一時的なものにすぎなかった。
なぜならロダンの武力の根幹は
ジュベレウスから授けられたのではなく
それ以前から彼がもともと有していたものだからである。
ジュベレウスとの別離は、実際には光属性を捨てるだけであり
彼の本来の力自体はなんら変わらなかった。
むしろ身に合わない光属性を捨てたことで
真の強さを解き放ちうる。
そして必要なのは回復に要する時間のみ、
そのために彼は姑息な弱者を演じた。
周囲を騙し、着々と力を治癒させていったのである。
だが魔族も愚者ばかりではなかった。
ある時、彼は突然強襲された。
彼の目論見を察知したスパーダに。
39 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:31:23.82 ID:XVB8s0iW0
「破壊」たるスパーダは、全魔族中もっとも武力探求に貪欲であり
それゆえ武への嗅覚もきわめて優れていた。
その鼻がロダンの隠された力を嗅ぎつけたのである。
そしてスパーダは、純粋に強者との死闘に惹かれて
たまらず彼を強襲した。
この戦士は高い知性と合理的思考を備えていたものの
同時にひとたび闘争状態となれば一切話が通じなかった。
それゆえスパーダは「狂者」とも揶揄されていた。
ロダンはいまだ力の回復が十分ではなかったものの
ここでその武力を露にせざるを得なくなった。
そして解き放たれた彼の力は、紛うことなき闇のものだった。
「魔界落ち」によって闇へ転生したのか、
それとも元から魔族だったのか、どちらにせよ
彼はいまや侵犯者の格に匹敵していた。
それもムンドゥスやスパーダを凌ぎ、
アルゴサクスやアビゲイルに並び立つほどに。
彼はスパーダを圧倒した。
途中で漁夫の利を得ようと参じたムンドゥスをもまとめて下し、これらを追い払った。
次いで事態に気づいたアルゴサクス、
そしてアビゲイルにも挑まれたが、これらをも引き分けとした。
無限の者たるロダン、その武威は魔界全域に轟くこととなったのである。
40 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:31:55.52 ID:XVB8s0iW0
侵犯者たちは最後まで殺し合おうとはせず、
途中で引き下がったとも言われる。
だが決して手抜きの遊興ではなく、彼ら自身が全力で挑んだのは事実である。
そしてロダンが二勝二引き分けという結果を出したのも事実である。
さらに実のところ、
これほど強大でありながらロダンはまだ完全な状態ではなかった。
早期に暴かれた不完全な身でここまでの力を示していたのである。
それゆえ侵犯者たちは、懲りずに夢中になって彼への挑戦を繰りかえした。
ロダンが有する大いなる可能性にも惹かれて。
彼と戦えば、力の増幅現象によって己自身もより強くなれるとも。
さらには、ロダンの力を欲する者同士、
互いに邪魔とみて侵犯者間でも対立が発生した。
もはや彼らは最終戦争などそっちのけであった。
これこそ、ロダンが極秘任務を帯びて天界を去った、
という説の根拠であった。
魔の懐にもぐり侵犯者たちを討つ、魔を頂点から突き崩す、
まさに天界劣勢を覆す起死回生の企てである。
ただし真実はどうであれ、この騒乱は結果的に失敗した。
ロダンの力が完全回復する前に、騒動が始まってしまったからである。
彼自身には落ち度はなかった。
演技は完璧であり、彼の失態で企てが暴かれたのではない、
すべてを破綻させたのはスパーダの狂気であった。
ロダンは侵犯者四柱を相手にしばらく互角に渡り合ったものの、
予定とは異なって不完全なまま戦いが始まってしまったため、
やはり長期的には勝ち目はなかった。
連戦によっても回復が追いつかず、
彼は次第に消耗し、ついにある段階で敗れ去ったのである。
そして逃げ落ち、虚無へと姿をくらますこととなった。
41 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:32:29.31 ID:XVB8s0iW0
こうしてこの大騒乱は収拾された。
ロダンが完全体となっていれば侵犯者を滅ぼしていた可能性もあり、
さすれば天界の勝利として幕切れを迎えていたかもしれない。
しかしその未来は、魔族の気まぐれかつ狂気的な闘争性によって打ち砕かれた。
ロダンの敗北後、侵犯者はふたたび矛先を外へと向けた。
そして魔族は改めて最終戦争へと意識を集中させ、
天界はいよいよ追い詰められることとなった。
42 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:32:59.44 ID:XVB8s0iW0
7 決着
天界にとって起死回生になり得たロダン騒乱も収束し、
最終戦争もいまや佳境、魔の優勢で展開していた。
光側の前線領域はことごとく陥落し、
天界の最終防壁たる「天門」(ヘブンズドア)にまで魔の軍が迫る勢いだった。
しかしこの決定的危機を、ジュベレウスは最後の好機ともみた。
「天門」攻勢には侵犯者四柱が揃って出陣してきていたが、
これが逆に新たな起死回生の可能性をもたらした。
闇の最強戦力たる四柱、
その首が門のすぐ外に並んでいるという状況だからである。
今ならジュベレウス自らが決闘に持ち込むことで
一網打尽も不可能ではない、と。
この時、一部の強き神々がジュベレウスに反対し、
あくまで天門の守備、防戦に徹することを論じた。
彼らは今後に起こりうる「とある激変」を察知し、
それの激変が有用である可能性が高いとして
今は時間稼ぎするべきだと意見したのである。
しかし四元徳ほか天界勢の多数が決闘の案に同意したため、
彼女は決意を曲げることは無かった。
結果的にみれば、一部の神々による反対が正しかった。
だがそれをもってジュベレウスの決意を過ちとすることはできない。
そもそも反対した一部の神々自身、
その理由とした「とある激変」については全く確証が持てず
根拠の乏しさも彼ら自身が認め、説得力が無かったからである。
それにジュベレウスが四柱を討ち取れる可能性も確かにあり、
天界勢の苦境も踏まえれば、
この時点で決闘の機会をみすみす逃す理由は乏しかった。
43 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:33:30.84 ID:XVB8s0iW0
彼女は全力を解き放って出陣した。
一方で侵犯者四柱も驚きつつも恐れることはなく、
喜んでこの究極の決闘に応じた。
この決闘は、その後の世界全てを左右した重要な戦いであるにも関わらず、
詳細については一切不明である。
なぜなら当事者は多くを語らず、第三者の証人もいなかったために。
全力を解き放ったジュベレウスと侵犯者たちの決闘に近づける者、
あるいは近づいて邪魔しようとする者は誰もいなかったのである。
決着の知らせは、光と闇それぞれ違う形で伝わった。
闇側には、満身創痍の四柱が帰還するという形で。
そして光側には、ジュベレウスの魂だけが天界に落ち延びるという形で。
すなわち、拮抗した末の闇の勝利であった。
44 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:34:04.31 ID:XVB8s0iW0
ジュベレウスは肉体と力の全てを砕かれた。
辛うじて魂だけは天界へ退避することに成功したものの、
もはや活動は困難になっており、
そのまま天界深層にて休眠状態に陥ってしまった。
これにより光側の敗北は決定的となった。
ジュベレウスは死滅したわけではないため、
その加護はいまだ光の勢力全体を包んではいたが、
彼女自身の回復と目覚めは絶望的であった。
そしてジュベレウスの勝利なくして天界の勝利もなかった。
彼女の敗北によって光側は現実への干渉力を大幅減衰させ、
いまや「物語」の流れは再び魔の望むがままに陥った。
次の最終攻撃によって光は滅亡する、
天界勢は誰しもそう確信し覚悟した。
45 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:34:46.75 ID:XVB8s0iW0
しかし彼らにとって幸いなことに、
闇による最終攻撃は始まらなかった。
侵犯者四柱もまた酷く消耗していたからである。
まさに勝敗は紙一重だった。
ジュベレウスによってアルゴサクスは限界まで磨り潰され、
アビゲイルは身を、スパーダは刃を砕かれ、
ムンドゥスは存在そのものを一時消されてしまうなど、
彼らも活動を一時停止せざるを得ない状態に陥っていた。
視点を変えれば、ジュベレウスは敗北したにせよ
その代わりに時間稼ぎの役目を果たした。
そしてこの決闘のすぐ後、とある事変が起きた。
ジュベレウスに反対した一部の神々が
予測した通りになったのである。
それは光も闇も巻き込んでの、
新時代の秩序を成立させてしまうほどのものだった。
『光』と『闇』に続く、第三の新世界、
『混沌』が突如出現したのである。
46 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:35:36.74 ID:XVB8s0iW0
第一章 三位一体世界
1 『混沌』
その第三の世界は、
厳密には最終戦争の勃発前から存在していたが、
光側も闇側もまったく注意を払わなかった。
そこはいわば利用価値がない廃棄物の掃き溜めであった。
かつての原初『OMNE』墜落によって発生した崩壊の渦そのものであり、
原初世界群の残骸、砕けた無数の現実が溜まった混沌の海だった。
内部は現実が定まらない究極の混沌であり、
如何なる者、それこそ侵犯者であっても
己の存在を維持したまま深淵に到達することは不可能であった。
そしてその誰も近づけない深淵には、砕け落ちた原初OMNEの破片のうち
ジュベレウスとクイーンシバを形成しなかった残りの部分が沈んでいた。
それはこの二柱を足した分よりも大きく、
またかつての原初OMNEの中心核に相当する部分も含まれており、
もし二柱のように安定して意志が宿れば、
前者たちを超える存在となり得た。
だがこの破片たちはその力の大きさゆえに、
安定して意志が宿るようなことは永遠にないと思われていた。
固まりかけると崩壊を起こす、
そのようなことを繰りかえしていたためである。
しかしジュベレウスが敗北した直後、
その永遠に続くと思われた崩壊が停止する。
原因は不明だが、突如安定して第三の意志が宿ったのである。
彼はのちに『エーシル』と呼ばれた。
47 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:36:15.34 ID:XVB8s0iW0
エーシルは紛れもなく
原初OMNE継承者の中でもっとも強大だった。
また原初OMNEの中心核が素体であるために、
その力の性質も全OMNE中において最上だった。
その性質とは「有と無の決定者」という全てに対しての最高権限である。
エーシルは有を定義することができ、
その定義は彼が観測することによって現実として定着した。
この有を定義する力は『采配の力』とのちに呼ばれ、
それを定着させる観測の力は『世界の目』と呼ばれた。
また、その有を無に反転することもできた。
この力はただ『無』と呼ばれることになる。
このうちもっとも強大なる権限は『無』であり、
最上位である故に他のOMNEの力にも適用されうるものだった。
すなわち、あらゆる存在や事象のみならず、
ジュベレウスやクイーンシバ、侵犯者らのOMNEの力をも
一方的に抹消することが可能だった。
また過去と未来を見通し、
全ての瞬間を記憶として保存でき、
限定的ながらその記憶の中に出入りができる、
いわば時間旅行の力も有していた。
この力は『時の記憶』と呼ばれた。
48 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:36:43.00 ID:XVB8s0iW0
またこうした力の強さのみならず、
正統性も他のOMNE級とは一線を画していた。
確かにジュベレウスやクイーンシバも
原初OMNEの後継者、もとい「生まれ変わり」たる正統性はあったが、
両者の素体は断片でしかなく、また人格の連続性も怪しかった。
少なくとも、彼女たちに原初時代の記憶は無かった。
しかしエーシルは原初OMNEの核部分であり、
何よりも当時の記憶も引き継いでいたのである。
つまり事実上はこのエーシルこそが原初OMNE本人に相当した。
49 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:37:20.18 ID:XVB8s0iW0
この突如出現した超越者には、光と闇双方が震撼した。
侵犯者たちすらもその力に恐怖を抱いた。
例えば、アルゴサクスやムンドゥスは、
その「具現」や「創造」の力によって不死性を得ていたが、
このエーシルならばそれらを
『無』の力で抹消できたからである。
くわえて純粋な武力においても、エーシルは全存在を圧倒していた。
ゆえに魔界の侵犯者らも対外活動を一時停止させ、
様子見を選ぶしかなかった。
しかし外界にとっては幸いなことに、
エーシルは光と闇の戦争には介入せず、
ジュベレウスとは異なり原初世界の修復も試みなかった。
とはいえ全てに受動的なクイーンシバとも異なり、
明確な目的も有していた。
それは新しい世界を構築することである。
彼は目覚めるや、すぐに己の新世界構築にとりかかった。
『采配の力』による定義で「安定」の状態を定め、
『世界の目』による観測でその「安定」を混沌の海に定着させた。
これによって混沌の海は結晶化して安定し、
現実が一つに定まり、一つの実存世界として認められるに至った。
そこは『混沌界』あるいは『中間世界』と呼ばれた。
中間というのは、混沌であるがゆえに
光と闇両方の性質を備えていたためである。
50 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:37:59.17 ID:XVB8s0iW0
混沌界の出現は時代を一変させた。
エーシルは自ら作ったこの世界に引きこもっていたが、
それでも存在しているだけで全てに絶大な影響を及ぼした。
原初OMNE中でもっとも強いゆえに、
著者のごとき現実への干渉力ももっとも巨大だったからである。
彼はただ存在するだけで、
魔の圧倒的優勢という『流れ』を瞬時に塞きとめ、
その後の未来をも確定させてしまったほどだった。
こうして原初世界群の崩壊から最終戦争を経て、
新たな時代が始まることとなった。
原初OMNEの三つの破片から生じた三柱。
その三柱をそれぞれ基盤として成立した三つの実存世界。
それら三界の膠着と安定。
のちに『三位一体世界』と呼ばれる時代である。
51 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:38:40.29 ID:XVB8s0iW0
2 『人間』
エーシルは光と闇の戦いに直接介入しなかったが、
関心がないわけではなかった。
むしろ最終戦争も含めてあらゆる混乱を収めるためにも、
新世界を構築しようとしていた。
光陣営には幸運だったことに、彼は基本的に善良な人格であり、
光も闇も含んだ全生命の共存共栄を願い、世に安定をもたらそうと考えたのである。
そしてその方法こそ、光と闇、そこに第三の混沌世界を加えて
均衡をもたらすというものであった。
こうした彼の計画は、
未来を把握する『時の記憶』の力によって得られた見識に拠っていた。
もっとも、その未来視は完全なものではなかった。
原初時代の完全なるOMNEと比べたらエーシルでも不完全であり、
枝分かれする未来像全てを網羅することはできなかった。
だがそれでも、己の行動がもたらす未来については
すでに大まかに知っていた。
己の力はあまりに絶大すぎるため、現段階における攻撃的な行動、
つまり光と闇の戦いに直接介入してしまうと、「どの未来」であれ全てを破綻させる、
この「物語」そのものを破壊し尽くしてしまうと彼は知っていた。
そのため彼は、武力によって光と闇を制するのではなく、
原初世界群に代わる新世界構造を作って均衡をもたらす、という方法を選んだ。
そしてその新しい世界群像こそが『三位一体世界』であり、
そこに均衡をもたらす手段こそ混沌界、
ここを天界と魔界に並ぶ一大生命圏にすることだった。
52 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:39:20.17 ID:XVB8s0iW0
こうしてエーシルによって構築された混沌界は、
新たな生命圏を育んでいくこととなった。
まずは結晶化した混沌の中から、
エーシルの長子たる『混沌界の神々』が生じた。
彼らの性質は多種多様だった。
この世界は安定したとはいえ本質は混沌であり、
その混沌は光と闇を含むあらゆるものを含んでいたからである。
神々の性質は善性と悪性、光と闇、自制と堕落、聡明と暗愚、
個々それぞれであり、天界と魔界の縮図のごとき様相を呈した。
そしてエーシルはそのすべてを認めて愛情を注いだ。
彼自身も原初OMNEの中心核だったゆえに、
光と闇を含むあらゆる性質を有していたからである。
また、この長子たる神々が成長すると、
エーシルは彼らに「魂の苗床」の管理をゆだねた。
それはこの混沌界の生命源、あらゆる魂が生じる力場にして、
物語を紡いだのちに還るいわば「冥府」でもあった。
53 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:39:47.08 ID:XVB8s0iW0
そうして混沌界に生命が溢れた。
草木が現れ、虫が現れ、獣が現れ、
最後にエーシルの次子たる種が生まれた。
『人間』である。
54 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:40:14.07 ID:XVB8s0iW0
待望した次子の誕生、しかし喜びも束の間、
その生まれた彼らを見てエーシルはすぐに嘆いた。
人間は知性種になるはずだったが、
生まれてきた彼らには自我が備わっていなかったからである。
肉体は頑強であったが、なんら意志を有していない抜け殻だった。
しかし見捨てはしなかった。
彼ならば一度抹消して新種族を創り直すことも可能だったものの、
この人間たちを生まれてくる前から深く愛していた故にできなかった。
彼はなんとしてもこの人間たちを育てることを望んだのである。
だがそこには大きな障害があった。
それはエーシル自身である。
光と闇のあらゆる性質を有するがゆえに、
彼の内面には人間を深く愛すると同時に、
不完全な人間を蔑む悪意も並存していたからである。
エーシルの蔑む心はこう唱えていた。
「自我を有する子」は『混沌の神々』のみで十分、
人間は子ではなく「自我なき奴隷」にするべきだと。
55 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:40:40.43 ID:XVB8s0iW0
そこでエーシルは自らを裂き、
この障害となる悪意を己から切り離すことにした。
結果、彼そのものが二つに分離することになった。
人間の自我を認める「ロキ」、そして認めない「ロプト」である。
もっとも、元のエーシルが基本的に善良な人格であり
悪意はごく一部分でしかなかったため、分離は均等なものではなかった。
『采配』、『世界の目』、『無』をふくむ大部分の力は、
「大きな善意」たるロキの側に残されたのである。
「小さな悪意」のロプトにもいくらかのOMNEの性質と
それなりに強大な力が渡ったとはいえ、
ロキとは比較にならないほどに小規模であり、
その善意を妨害できるものではなかった。
56 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:41:07.97 ID:XVB8s0iW0
こうして善意を存分に発揮できるようになったロキは、
すかさず人間のために大胆な行動に出た。
己のOMNEの力、観測の権限たる『世界の目』を二つにわけると、
それらを人間に授けたのである。
人間たちが自分で自分を創り直せるように、
自分の運命を自分で綴られるようにと。
もちろん片割れであるロプトはこれに猛反発した。
単に方針の相違というだけではなく、
ロキとロプト自身の存在性に関わったからである。
そもそも混沌の渦からエーシルが目覚めたのも、
原初OMNEたる『采配の力』によって定義され、
『世界の目』によって自己を観測したからである。
すなわちその『世界の目』が人間に渡るということは、
エーシル自身の存在を定める権限も渡るということも意味していた。
つまりこれ以降、ロキとロプトがどのような状態になるのかは
すべて人間側の認識次第だった。
人間たちがエーシルを「真の創造主」として認識し続けたら、
ロキたちはその認識通りに強大なまま存在し続けられる。
だが逆に軽視されたら、弱体化し矮小な存在になってしまう、
そして最悪の場合は消滅の可能性もあった。
57 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:41:34.78 ID:XVB8s0iW0
だがロキは躊躇わなかった。
それほどまでに人間を愛していたから。
そして『世界の目』が人間に与えられた。
人間たちは観測しあうことで互いに認識し、
意識を確定させ、自我と知性を獲得した。
かくして人類は考える葦となり、
偉大なる繁栄の一歩を踏みだしたのである。
また、この『世界の目』の譲渡と自我の芽生えは、
エーシルの有する巨大な著者のごとき力が
そっくりそのまま人間に与えられることも意味していた。
彼ら人間の集合意識もまた、天界や魔界のそれのように
世界の『流れ』を左右する力をこれより有した。
さらに大元のエーシルの格もあって、
その影響力は天魔よりもさらに強いものだった。
人間たちの感情や願望の集合こそが、
三位一体世界全体の行く末をも定めることになったのである。
58 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:42:00.76 ID:XVB8s0iW0
人間に授けられた『世界の目』の直接管理は、
もっとも力があった二つの集団に託された。
ルーメン族は「光の右目」を、アンブラ族は「闇の左目」をそれぞれ管理し、
この世界の理を担う中心勢力となった。
とはいえ、しばらくの間はやはりロキが彼らを導いた。
さまざまな知識を与え、災害から彼らを守り、
親かつ教師として人間たちを庇護した。
人間側もロキを分離前のエーシルと同一視し、
唯一の創造主として篤く信仰するようになった。
このためロキは強大なままで在りつづけた。
一方で、もとより人間の自立を認めていなかったロプトは、
人間に関わろうとしなかったために信仰されることもなかった。
ゆえに彼は徐々に矮小化し、
やがて現実表層に在ることすら困難になり、
現実と虚無の狭間に消えることとなった。
59 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:42:28.77 ID:XVB8s0iW0
とはいえ、最終的にはロキも同じ結末となった。
ただし彼は自ら選んだものだった。
人間たちが急速に発展し、知恵と力も蓄え、
混沌界を統べられる水準にまで成長したとき、ロキは隠遁を決意。
そして現実表層から離れ、虚無へと姿を消した。
これはロキ自身にもロプトと同じ矮小化をもたらすものだった。
「エーシル=ロキ」信仰は続いたとはいえ、
ロキとの接触が絶たれることで人間側の記憶が薄れ、
信仰も形骸化し、認識も希釈化するのは確実だったからである。
しかし、やはりロキは躊躇わなかった。
人間が自立さえしてくれたら、己が矮小化しようが構わなかった。
彼は愛する人間のために己の全てを捧げ、全てを託す覚悟だった。
こうしてロキが隠遁したことによって、
名実共に混沌界の支配権が人間に移ることとなった。
それゆえ、以後この世界は『人間界』と呼ばれるようになった。
エーシルもといロキ・ロプトでもなく、
その長子、「魂の苗床」を司る混沌の神々でもなく。
次子たる人間こそが、
この混沌界の存在証明たる『世界の目』を有するが故に。
60 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:43:09.89 ID:XVB8s0iW0
こうして「人間界」は、
天魔とはまた異なる独自繁栄の道を歩みはじめた。
しかしこの繁栄は試練の幕開けでもあった。
ロキの隠遁後しばらくして、
ついに外界からの干渉が始まったからである。
注意深く観察していた天界・魔界にとっても、
これら人間界の動向は好都合なものであった。
三界最強たるエーシルが君臨していた頃は手を出せなかったが、
ロキとロプトに分離し、『世界の目』を失ったうえ、両者とも事実上の隠遁。
天魔から見れば混沌界の弱体化を意味していた。
これより天魔はそれぞれの目的を携え、
本格的に人間界への干渉を試みはじめることになる。
61 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:43:59.66 ID:XVB8s0iW0
10 「魔神」たちと天界の内戦危機
天界には「ジュベレウス派」、
あるいは「主神派」と呼ばれる集団がいた。
かのジュベレウスによって創りだされた者たちであり、
四元徳と呼ばれる存在を頂点として組織化された集団である。
彼らはジュベレウス直属として武功を重ね、
また天界の官僚的実務も担い、
雑多な神々の寄せ集めであったこの領域を安定させていた。
そしてジュベレウスが敗北し眠りについたのち、
天界の実権を握った者たちこそこの主神派であった。
その頂点たる四元徳は、
ジュベレウス代理として事実上の天界最高指導部となった。
この権力継承には他派閥の神々から反発があったものの、
主神派はそれらの大半を無視して独断できる力があった。
彼らはジュベレウスと霊的回路で直接繋がっている関係で、
「ジュベレウスの加護」の代理行使権を有していたからである。
簡潔に言えば、ジュベレウスの力を
部分的に引きだして扱うことができた。
原初世界群から集結した古き神々と比べれば、
主神派勢は武力において大きく劣っていた。
しかしジュベレウスの力を利用することで
神々に対抗できるほど武力を高められ、
さらには何度でも復活でき、またいくらでも自身の分身を創りだすこともできた。
つまり力の源泉たるジュベレウスが存在するかぎり、
通常戦闘で主神派を滅ぼすのは不可能だった。
そしてジュベレウスは活動停止しているとはいえ、死んではいない。
彼女が眠ったあとも主神派のこれら権限は効力を持ちつづけた。
主神派それ自体は天界最強ではないものの、ジュベレウスの力を背景として最高権力を
保持することが可能だったのである。
62 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:44:37.21 ID:XVB8s0iW0
こうした主神派による「臨時政権」が発足され、
さっそくジュベレウス敗北後の天界建て直しが始められた。
幸い、余裕はそれなりにあった。
ジュベレウスとの決闘による侵犯者の消耗、
そして圧倒的なエーシル出現により、
魔界側の対外活動が完全停止していたためである。
またエーシルが基本的に善良な人格だったというのも
天界に希望をもたらした。
少なくとも彼が魔界と結ぶ可能性は無く、逆に天界との接近が見こめた。
さらに彼の協力があれば、
ジュベレウスを復活させられる可能性もあった。
そうしたことから、
主神派はすぐさま多数の密偵を混沌界に潜りこませ、
エーシルと友好を結ぶべく事前調査を開始させた。
しかしそれに全力を投じるには、
先に片付けねばならない大きな問題があった。
天界内戦の危機である。
63 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:45:03.79 ID:XVB8s0iW0
この『天界』とはもともと、
主神派以外は原初世界群の生き残りであり、
それゆえ種も性質もさまざまであった。
またその目的も、光や善性、良識や大義だけではなく、
ジュベレウスがもたらす「報酬」が目当ての利己的な者たちも大勢いた。
それゆえ「光の勢力」といえど
実際には闇や悪性を備えている者も多数参じており、
雑多なる烏合の衆というのが実像であった。
そんな彼らをまとめていたのはジュベレウスという圧倒的存在、
そして彼女による勝利への約束である。
ゆえにその存在が敗北し、約束も潰えた今、
天界の統率が崩壊するのも当たり前であった。
そういった不満は主神派政権への反発となって噴出した。
なかでも特に憚らなかったのは、
「第二の魔族」と物々しい名で呼ばれた派閥。
『魔神』と称された神々である。
64 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:45:30.25 ID:XVB8s0iW0
この『魔神派』は、雑多な集まりであった天界内でも
図抜けて特異であった。
派閥の構成員は数十程度とごく少数ながら、
その全員が元は全能神格だったのである。
かつての原初時代においては、
一つの世界に一つの全能神という構図が通常であり、
この形態は天界という避難地でも受け継がれていた。
派閥は基本的に同郷集団で組まれたため、
一つの派閥に一つの元全能神格という形である。
しかしこの魔神派は違っていた。
この元全能神たちは全員が同郷だった。
つまり彼らの故郷世界には数十もの全能神がいた。
かのような状況になったのは、
その世界では後天的に全能神格を得ることも可能だったからである。
そこでは技術と鍛錬次第で際限なく高みを目指すことができ、
極めれば全能性を獲得することもできた。
この「卑小なる種から超越者が複数現れる」という性質は、
魔界の祖となった「血の世界」とも酷似しており、
それゆえ彼ら魔神派は「第二の魔族」とも呼ばれることとなった。
特にかつてロダンは、この魔神たちを研究した上で
「もし魔族がいなかったら、彼らの世界からいずれOMNE侵犯者が出現した」
と結論付けたほどでだった。
65 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:45:57.19 ID:XVB8s0iW0
くわえてその魔族に似た出生のみならず、
彼らの人格や振る舞いも第二の魔族という悪評を増大させた。
おおよそ全能神に相応しくない軽薄かつ不遜な者が多く、
ジュベレウスに対しても非礼を憚ることがなかったからである。
例えば魔神たちがジュベレウスのもとに集った際、
勝利の折には報酬として個々に
それぞれ「新たな宇宙」を授けるよう「要求」した。
魔神らの第一目的は失われた全能性の回復、
すなわちその力の行使基盤となる旧世界の回復であったが、
ジュベレウスの善意を利用してそれ以上のものも得ようとしていたのである。
この「それぞれに新たな宇宙」の要求は、大勢の魔神が同居する旧世界が
あまりに窮屈だったことによるものだった。
ジュベレウスに対するこうした魔神派の交渉は、
他世界の神々が形振り構わずにジュベレウスに縋っていた災厄下において
「極めて傲慢」と見なされても仕方のないものだった。
大器たるジュベレウスはこの要求を快諾したが、
やはり主神派などからは大変な顰蹙を買うこととなった。
66 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:46:23.56 ID:XVB8s0iW0
また、破壊や戦いを遊興とみなす彼らの趣向も
天界内では際立っていた。
魔族のように壮絶な戦いを楽しむ闘争性、
他者を殺めることに快感を抱く残忍性もあり、
最終戦争の戦場においても彼らはしばしば笑って興じていた。
ジュベレウスによる旧世界回復、
魔神たちにとって全能性の回復という
至上目的もあったにせよ、彼らにとって最終戦争は娯楽でもであった。
彼らが戦場に赴くときの判断は基本的に
「そこの戦いが面白そうかどうか」が最たる基準であった。
そしてそのような性格の集まりであるため、
魔神派自体も組織化はろくにされていなかった。
『僧正』と呼ばれた一応のまとめ役はいたものの、
明確な役割も序列もなく、そもそも派閥としての協調も薄く、
個々の判断で好き勝手に戦い、
時には獲物を巡って魔神同士で戦うほどだった。
もちろん戦争の趨勢がどうでも良いというわけではなく、
彼らなりに至極真面目に、本気で仕事していたつもりだったが、
傍目からするとその態度ゆえに不真面目にしか見えなかった。
67 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:46:50.73 ID:XVB8s0iW0
さらに魔神たちが忌み嫌われた理由として、
敵であるはずの魔界とも交流を行っていた点も挙げられる。
私的な使いを魔界へ送りこみ、
有力な悪魔と接触させての情報交換は日常茶飯事。
中には侵犯者に直結しうる繋がりすらあった。
その最たる例は、アルゴサクスの側近たる一柱、
「コロンゾン」との関係である。
「彼女」はもともと魔神たちと同じ世界の生まれだった。
コロンゾン自身は魔神たちを殺したいほど忌み嫌っていたが、
それでもこの同郷の腐れ縁で、仕方なく魔神たちと定期的に接触し、
私益のため様々な情報を交換していた。
もちろん魔神派のこうした情報収集は勝利のためであったが、
引き換えに天界側の情報、時にはジュベレウス周辺の情報も渡していたため、
特に主神派の怒りを買うことがしばしばあった。
68 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:47:20.01 ID:XVB8s0iW0
しかしそんな彼らでも、
天界内で爪弾きにされるようなことはなかった。
その悪評を捻じ伏せるだけの実力と活躍があったからである。
原初世界群が崩壊した際、他世界の全能神たちと同様、
彼ら魔神らも、存在の基幹となる故郷世界が失われたことで
全能性を喪失していた。
だが全能性を喪失してもなお内には無尽蔵の力を宿しており、
最終戦争においても彼らは圧倒的強者でありつづけた。
また中には、「窮屈」でろくに動けなかった旧世界よりも、
存分に戦える崩壊後の世界のほうが楽しいと述べる者もいた。
その武は神々が集ったジュベレウス陣営中においても群を抜いており、
ジュベレウスとロダンを除けば
彼ら魔神こそが堂々の天界最強たる派閥だった。
実際に最終戦争において
魔神派が殺害した侵犯者は合計100柱を超えており、
これは天界が討ちとった侵犯者数の三分の二を占めていた。
69 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:47:49.00 ID:XVB8s0iW0
もっとも、侵犯者が数百柱いた頃は彼らのOMNEの力も未発達であり、
戦果もそれゆえのものあった。
侵犯者が「最強の四柱」にまで減った時代には、
そのOMNEの力も洗練され完成しており、魔神たちにすら破壊困難となっていた。
とはいえ侵犯者らも魔神らの不死性を破れなかったため、
魔神は一柱たりとも戦死者をださなかった。
「最強の四柱」相手にも決定的敗北を喫することはなく、
彼らの戦いはしばしば膠着、
そしてどちらかが飽きて撤退することで幕引きとなった。
そのような傾向を踏まえて、
魔神たちはしばしば「我々は侵犯者の稽古相手」と皮肉を吐いていた。
もっともこれは事実でもあり、魔族の力の増幅現象によって
侵犯者たちは日に日に強くなっていったのである。
ともあれ、ジュベレウスはよほどのことがない限り出陣せず、
ロダンも指導部業務の合間にごく短時間しか出陣しなかったため、
頻度から言えば彼ら魔神こそが最前線における切り札だった。
苦境に陥った場合、まず頼りにされるのが彼らであり、
彼らも「楽しい戦い」を求めてその戦場へ駆けつけ、
もっとも困難な戦いを快く引き受けたのである。
またそれだけの激戦をこなしながらも、
前述のとおりその無尽蔵の生命力と不死性ゆえに
一柱も欠けることもなかった。
70 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:48:16.24 ID:XVB8s0iW0
ただし、そんな彼らでも戦争末期には意欲を失っていた。
魔神たちは常に侵犯者のOMNEを破壊するべく脆弱性を探っていたが、
「最強の四柱」のOMNEは情報的にあまりに堅牢かつ難解であったため、
末期には思うように解析が進まず苛立ちが増していった。
また陣営基盤であるジュベレウスよりもクイーンシバのほうが強大である以上、
いくら魔神派が奮起しようが、大勢はどうしても闇に傾いていった。
そのため敗戦濃厚となる頃にはみな「やる気」を失い、
出陣も面倒くさがって避けるようになった。
そしてそのような中で、魔神派は敏感にある兆候を感じとった。
新しいOMNEと新世界、すなわちエーシルと混沌界の出現を
曖昧ながら予期したのである。
決闘を望むジュベレウスに、時間稼ぎの防戦を説いたのも彼らだった。
さらには、もし新OMNE/新勢力がジュベレウス/天界よりも強大なら
あわよくば乗り換えようとも密かに考えていた。
特にジュベレウスが敗北した直後には、多くの魔神たちが
本気で天界離脱を考えるようになっていた。
彼らがジュベレウス側にいるのは
あくまで勝利すれば願いを叶えてくれるからであり、
新OMNEもそれが可能なら別に鞍替えしても良かったのである。
だが結局のところ、エーシルは原初世界を修復するつもりがなく、
魔神たちの願いを叶えてくれるような存在ではなかったため、
彼らはジュベレウス側に残らざるを得なかった。
71 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:48:50.81 ID:XVB8s0iW0
もちろん大人しく居残ろうとはしなかった。
ロダンが去り、ジュベレウスが仮死状態となった後、
彼ら魔神派を抑えられる者はもう天界にはいなかった。
加えて彼らは敗戦で苛立ってもおり、
それら鬱憤はジュベレウス代理を称する主神派への反発として
遠慮なく放たれることとなったのである。
いくら「ジュベレウスの加護」の代理行使権という
天界最高権限を握っている主神派といえども、魔神派の反発を無視することはできなかった。
厳密には、天界の神々はジュベレウスと主従契約したのであって、
主神派がその権威を継げるような正統性はなかった。
また主神派が代理行使権を握ったのも、
ジュベレウスから正式に譲られたものでもなく
彼女の敗北によって結果的にそうなっただけである。
そして主神派の器量や性格についても、
使命や規律、統制と勝利を重んじるあまり、
極端で一辺倒な思考にむかう傾向があった。
少なくとも、柔和なジュベレウスが頂点にいた時代と比べて
判断や体制が硬直的になるのは明らかであり、
魔神派はこれらの点を痛烈に指摘し、退任を要求したのである。
一方で主神派四元徳もこれらの指摘自体は一理あるとした。
しかし、それでも最高指導部からの退任は拒絶した。
それはジュベレウスによって植え付けられた生来の性格、
戦争に勝つための一切妥協しない信念、
そして頑なな使命感と用心深さゆえのものだった。
彼らは結局のところ、原初世界群から集まった『よそ者』を信頼できなかったのである。
とくに魔神派がジュベレウス/天界に対して根本的に「無責任」であることは明白であり、
そんな者共の発言を受け入れるなど論外であった。
天界の行く末、そして将来的なジュベレウスの復活を託せられるのは、
彼女から血肉を授かった『身内』の我々しかいない、それが主神派の結論だった。
たとえ信義や正統性に反しようとも、絶対に退けない一線があると。
「言霊で決まらぬのなら、武で決するのみ」
それが主神派の返答だった。
これは危険な賭けであったが、彼らには勝算があった。
それも戦って勝つのではなく、戦わずに勝つ方法があったのである。
72 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:49:16.98 ID:XVB8s0iW0
魔神派の最終目的は「旧世界と全能性を取り戻す」というものであり、
エーシルにその意図がない以上、
結局ジュベレウスの復活なくして達成し得ないものであった。
しかし天界内戦はその望みを絶ってしまう可能性があった。
なぜなら、天界こそが弱体化して眠っている彼女の揺り篭でもあるからである。
その天界を傷つけずに主神派を滅ぼすのは、
強大すぎる魔神派にとって困難かつ緻密な戦い方が強いられるものだった。
またもう一つ、エーシルとの友好という、
ジュベレウス復活の希望が芽生えたこともあって、
魔神派は武力行使を踏みとどまる、そう主神派は予想したのである。
その読みは正しかった。
もともと魔神派もこの時、幾柱かを密偵として混沌界に潜りこませており、
盛んにエーシルの情報を収集していた。
そして彼のOMNEの力を利用できたら、
ジュベレウス早期復活も可能という結論に達していた。
そのため魔神派内でも「ひとまず様子を見るべき」という
穏健派の意見が中心的だった。
73 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:49:45.34 ID:XVB8s0iW0
しかしここで一時、事態が急変した。
実に間が悪いことに、エーシルの分離、
さらに少ししてロキたちの隠遁という出来事が起きたのである。
ロキとロプトの虚無への隠遁、
それは彼らが存在しなくなったも同然であるため、
そのOMNEの力の利用によってジュベレウスを復活させるという
狙いも目処が立たなくなってしまった。
これを受けて、魔神派内は一気に主戦論が強まった。
やはり現状のままでは道はない、
ここは賭けにでて主神派を排除し、我々が天界を仕切りなおすと。
そして「眠っているジュベレウスを傷つけずに主神派を皆殺しにする作戦」を模索しはじめた。
主神派は衝撃をうけ、魔神たちと友好的な派閥の神々に説得を頼んだものの無駄だった。
友好派閥がどれだけ説得しても魔神派は逡巡すらせず、
逆に戦後の「新天界」についての話し合いをもちかけてくる有様だった、
一方で各派閥は主神派にも譲歩するよう訴えたが、
こちらもやはり受けつけはしなかった。
両派とも意志は固く、もはや開戦は避けられなかった。
そうしていよいよ全天が覚悟を決めていた時、
ここでまたもや転機が訪れた。
それは混沌界、もとい「人間界」に、
密偵として潜っていたある魔神の働きだった。
74 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:50:11.96 ID:XVB8s0iW0
魔神のなかでもっとも若輩だったこの一柱は、
混沌界の新支配者となった『人間』にいち早く接触していた。
そして友好関係を築くことにも成功し、
『世界の目』を直接調べることも許され、
きわめて有益な情報を入手したのである。
この若輩の魔神、『彼女』がもたらした情報のうち、
とくに重要なのは以下のものである。
ロキとロプトは隠遁してしまい接触は困難であるが、
人間に授けられた『世界の目』の機能は何ら失われていないこと。
そして実現には研究時間が必要であるものの、
『世界の目』はジュベレウス復活に利用できるということ、
くわえて人間側も協力的だということ。
これら吉報はふたたび天界の空気を一変させた。
もともと面子にはこだわらない気質ゆえ、
魔神派はあっさりとまた穏健派の意見に傾いた。
彼らの奔放な性格を嫌っていた主神派も、
この時ばかりはそれに感謝した。
そして拍子抜けするくらいに速やかに、魔神派は主神派政権を承認。
こうして天界の存亡をかけた内戦危機は、
一滴の血も流さずに終結した。
75 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:50:38.41 ID:XVB8s0iW0
11 天界と人間
天界内の問題を解決した主神派は、
人間界への本格的な干渉を開始した。
ただし武力を伴った敵対的なものではなく、
知識や技術の供与、思想の共有などの友好的なものだった。
友好方針をとった理由は大別して二つあった。
一つ目はやはり、ジュベレウス復活に必要な「世界の目」の存在。
そして二つ目は、人間の集合意識が有する力の存在である。
OMNEが有する著者のごとき現実への干渉力、その存在や具体的な仕組みを
主神派が把握していたわけではない。
これは依然としてジュベレウスらオリジナルのOMNEのみが知る
秘匿された世の真理だった。
とはいえ、漠然としながらもエーシルの「世界の目」が
世界の在り方を左右するという事象には気づいており、
それを与えられた人間が同様の力を有したことも察していた。
ロプトの矮小化現象からもそれは明らかだった。
もし人間たちが天界に悪感情を抱いた場合、
悪しきもの、忌まわしきもの、と天を認識した場合、
その思念が影響して、実際に天界が濁ってしまう可能性があった。
いわば人間たちの認識がそのまま現実に上書きされ得た。
76 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:51:31.11 ID:XVB8s0iW0
ちなみに、これら要素が魔界側にとって脅威になることは無かった。
そもそも天界と違い、
魔界は侵犯者に加えてオリジナルのOMNEたるクイーンシバが健在であったため、
人間たちの認識次第で弱体化するということはなかった。
また魔界は恐怖、嫌悪、憤怒、憎悪といった負の性質を糧にする。
ゆえに人間から悪しきもの、忌まわしきもの、と認識されても問題はなく、
むしろそう認識されたらより強くなり得た。
人間たちの認識が光と闇の趨勢すら左右するとはいえ、
魔界にとってはなんら脅威性はなく、
今まで通りに活動するだけだった。
一方、負の性質を糧にする魔界とは違い、
天界は慈悲、慈愛、信頼、忠義、献身などの善き性質を糧にする。
ゆえに天界は人間との友好路線を選ばざるを得なかった、
とは言うものの、こちらも特に難があるものではなかった。
元より友好は天界の気質に合致しており、
さらに人間たちに「天界は有力な支援者」という認識を抱いてもらえば
弱体化を防げられるどころかより勢力を強めることも可能と、
不利益は無かったのである。
そのため主神派による人間界との友好方針は
天界全派閥が即座に同意した。
中でも魔神派がこの方針を喜び、
人間との交流役に自分たちも参加させるよう求めた。
主神派側も、先の内紛による反感はひとまず脇に置き、
彼らの要望を全面承認した。
魔神たちは人間とよく馴染む部分が多く、
現地の友好や様々な業務を任せるうえで適任だったからである。
それもそのはずで、
なにせ魔神たちも元は「人間」だった。
77 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:51:58.98 ID:XVB8s0iW0
12 人間と魔神
人間を「人間」と呼んだのは魔神たちが始まりである。
彼らはそれまで、実際には「混沌の次子」あるいは単に「次子」と呼ばれていた。
人間という呼び名は、かつて魔神たちが属していた旧世界に由来する。
原初時代のとある世界に「人間」という知性種がいた。
彼らは肉体的にきわめて脆弱であったが、
その弱点を補ってあまりうる知恵と技術を有しており、
種としての限界を超越することが可能であった。
その究極形の一つが魔神たちである。
この魔神たちは、自身らを神と定義して「人間」と区別したが、
それでも根源的には同族たる認識を有しつづけ、
全能神格となった後もほとんどの者が「人間」を原型とする姿を維持していた。
また原初世界群の崩壊によって、この自己認識には新たな要素も付加された。
その旧世界唯一の生存者である彼らにとって「人間」のシンボルは
故郷への強い想いを抱かせたのである。
その姿は望郷の念と「旧世界と全能性を取り戻す」という目的を常に思い起こさせ、
奔放な魔神同士を協調させる重要な印でもあった。
それゆえに、混沌界に出現したエーシルの次子を見たとき、
彼らは衝撃を受けた。
その姿が旧世界の人間と瓜二つだったからである。
そして魔神たちは迷うことなく、親しみと郷愁をこめて彼らを「人間」と呼んだ。
また次子の側も後の技術交流(後述)による影響で、
自らこの名を用いるようになった。
78 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:52:26.15 ID:XVB8s0iW0
なぜ彼らの姿が旧世界の人間と酷似したのか、
魔神たちは偶然ではなく必然と考えた。
混沌界とはもともと、崩壊した原初世界群の残骸が溜まった海であり、
魔神たちが属していた旧世界情報もその中に落ちこんでいた。
そして魔神たちの故郷世界は
「第二の魔族」や侵犯者を生じえたほどの可能性もあったため、
混沌の中でも消えずに表面化した、魔神たちはそう考えた。
「人間」の姿が酷似していたのはその情報が引継がれたためだと。
ただしこれらはあくまで推測であり、実際に証明することは困難だった。
エーシルの意志が宿る以前の混沌界は
観測不能な領域だったからである。
また旧世界と新世界、それぞれの「人間」の姿は酷似しようとも、
生命としては大きな相違点もあった。
旧人間と比べて、この新人間たちは遥かに頑強で、
そして寿命も永遠に等しかったのである。
旧世界の人間は物質領域に極端に縛られていた。
魂の状態に関係なく、肉体の損壊で容易に死に、
また同じく老いてしまい短命であった。
一方この新世界の人間たちは、天界や魔界の者たちと同様
物質よりも霊的領域を基盤とする存在だった。
精神と魂が壮健であるかぎり肉体の損壊はすぐに癒え、
また内面が若ければ老いることもなかったのである。
79 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:52:52.61 ID:XVB8s0iW0
とはいえ魔神たちは、こうした違いは気にしなかった。
むしろこれら相違点は彼らをより興奮させた。
旧世界の人間が物質領域から完全離脱するには、
きわめて稀なる才と運と果てしない技巧が必要であったが、
この新人間たちは全員が生まれた瞬間から
物質領域の壁を越えていたからである。
つまるところ彼らは「人間」とはいえ、性質は旧世界の人間よりも、
その「人間の異端」の頂点である魔神のほうに近かった。
この才能の宝庫を見て、魔神たちは大いなる期待と展望を抱いた。
彼らに知恵と技術を与えて昇華させれば、
人間界そのものを『魔神界』に変貌させることも可能、
我らこそが天魔に並ぶ第三勢力として君臨することも夢ではないと。
そんな大胆な野望も抱きながら、
魔神たちは友好関係確立に注力した。
そして人間側も、最初の外世界の友として魔神を選んだ。
それは単に近似ゆえの親しみというだけではなく、
現実的な理由もあった。
80 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:53:18.85 ID:XVB8s0iW0
人間は力を求めていた。
外には天界と魔界、人間界内でもエーシルの長子たる混沌神族がおり、
そのような勢力と均衡するために力の獲得が急務だった。
だがロキとロプトの支援はあてにならなかった。
彼らは隠遁したきり反応を見せず、
いまや存在すら確認できない有様だった。
また魔神派以外の天の者たち、および魔族は、
人間からすれば完全に種として異質であり、
力やその技術体系に互換性がなかった。
一方でエーシルの長子たる混沌神たちとは、
兄弟種としての互換性はあったが、長子側がきわめて非協力的だった。
彼ら長子は、自分たちを差しおいて「世界の目」が与えられた人間に嫉妬していたからである。
その点、魔神は友好的で、
かつ思考と霊体の性質、物質の生物学的様相すべてにおいて近似しており、
力と技術の互換性も高かった。
81 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:53:44.89 ID:XVB8s0iW0
ただし、人間たちは
魔神の技術を何でも無条件で受け入れたわけではなかった。
例えば、魔神の「不死」と「無限」の式である。
魔神たちはそれらの式で魂の密度と規模を無限に、
すなわち死を克服し無尽蔵の力を獲得していたが、
人間たちはその技術の共有はせず、
魂の強化関連は独自に行うと決断した。
いくら魔神派は友好的とはいえ、
根幹を司る技術を外部勢力と共有するのは
安全保障上の問題とみなしたために。
唯一無二たる「世界の目」を守るという使命を担う以上、
全ての外勢力を潜在的脅威と仮定せざるを得ない事情があったのである。
とはいえこの事情は魔神側、
そして天界全体としても十分理解していたため、
友好活動に支障はなかった。
また、こうした人間たちの独自路線は、
魔神のもとで成熟しきっていた『式』体系に
新たな刺激を与えることになり、魔神派にとっても有益だった。
力の基盤となる魂、それを扱う方法が違えば、
発揮される力全体も変わり、視点や理解も変わる。
この新人間たちの力体系は初期こそ魔神の技術流用であったが、
次第に独自色を強めていき、
最終的に根本から異なる新体系に発展していくこととなる。
82 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:54:11.14 ID:XVB8s0iW0
こうして技術を獲得した人間は、
「知識こそが力」という理念のもと瞬く間に成長していった。
そして魔神たちが期待したとおり、その才能には著しいものがあった。
短期間のうちに神域に達する者も現れ、
技術を昇華させて独自理論も築き、
特に時空干渉術と召喚術は魔神たちをも驚かせる域に達した。
これら人間の急激成長や新たな『式』分野開拓について、
魔神たちは脅威や嫉妬などは感じなかった。
逆にこうした共同研究者の獲得は
彼らにとっても有益であった。
「世界の目」によってジュベレウス復活の可能性が見出せたとはいえ、
それを成すには専用の式を開発せねばならず、
相手がOMNEの域ということもあって
魔神たちにとっても骨の折れる大仕事であったからである。
そのためこれら共同研究者たり得る勢力の出現は大変有益だった。
成熟した魔神たちの叡智と、若く新しい才と視点を組み合わせることで、
復活式の開発を早めることが可能になった。
しかし、そのジュベレウス復活式が完成することはなかった。
完成も間近というところで、
主神派が式の開発停止を命じたからである。
主神派と魔神派の関係がまた悪化した、というわけではなかった。
変化したのは人間界の情勢だった。
人間の最強勢力の片方、
アンブラ族が魔界とも通じはじめたのである。
83 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:54:41.83 ID:XVB8s0iW0
13 主神派の失敗と「魔女」
人間は天界の友人となったとはいえ、
天界陣営に組したわけではなかった。
彼らの目指すところは天魔に拮抗する第三勢力として君臨するものであり、
その立位置は天にも魔にも寄らずあくまで中立としていた。
そのため有益な協力者であれば、
「害を成さないかぎり来るもの拒まず」というのも基本的な方針だった。
そのため天界側の助力と同様、
魔が力を貸し出してくれるのも有益と判断し、
これを受け入れたのである。
この時はすでに魔神から技術を学んで久しく、
本来は魂に互換性がない魔族の力も利用可能になっていた。
さらにアンブラ族にとっては
彼女たちが有する「世界の目」は闇を司る左目ということもあって、
闇たる魔族との相性も良好だった。
加えて、これは天界に傾きかけていた人界の情勢を
是正するという目的もあった。
というのも、天の主神派はやはり
光の右目を有するルーメン族を優遇したからである。
例えばルーメン族にはジュベレウスの加護を限定的ながらも与えたのに対し、
アンブラ族にはそういった直接的な支援は与えなかった。
ただ、待遇の差は主神派からすればそうせざるを得ない理由もあった。
ジュベレウス復活には世界の目が必要であったが、
左目が司る闇の性質が増大してしまうと、
復活させたジュベレウスの光の性質が濁ってしまいかねない、
そのように主神派は考えていたからである。
主神の属性が光である以上、こうした待遇差は必然であった。
84 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:55:10.98 ID:XVB8s0iW0
しかしどのような都合であろうと
これがアンブラ・ルーメンという二大氏族の不均衡をもたらしたのも事実であり、
様々な摩擦を生じさせた。
主神派に対し、両族に対等に接していた魔神派は常々不満を述べ、
ルーメン族も待遇を平等にするよう嘆願し、
さらにアンブラ族自身もジュベレウスの加護を要望した。
だが当然ながら、主神派はジュベレウスの光属性を理由として
周囲の声を聞き入れることはできなかった。
そのため、アンブラ族はもう一つの強大な勢力、
魔族に傾倒していったのである。
またアンブラ族がこうした強攻策に出た背景には、
待遇の不均衡だけではなく天界との世界観の違いも影響していた。
というのも天界、特に主神派は、
「世界の目」が本来はジュベレウスのものだと考えていたからである。
ジュベレウスこそが唯一のオリジナルたるOMNE継承者であり、
エーシルとクイーンシバは彼女の断片に過ぎない、
ゆえに人間が「世界の目」を保有しているのも本来は誤りであり、
正しくは天界こそが保有すべき、それが主神派の世界観だった。
これは当然、人間の世界観とは根幹から相反するものだった。
彼らにとってはエーシルこそが唯一のOMNE継承者であり、
そして人間による「世界の目」保有も正統という認識だったのだから。
85 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:55:51.83 ID:XVB8s0iW0
この世界観の相違は当初、互いに寛容さをもって違いを認めたため、
表向きには大きな問題にはならなかった。
しかし前述の待遇の不均衡という状況が重なった今、
この封じられていた反感がアンブラ族で表面化していった。
天界が「世界の目」を欲しているのは事実、
悪意がなかろうが人界の均衡を崩し、
アンブラ族を相対的に弱体化させつつあるのも事実、
これらが並んだとき、彼女たちは現状に危機感を抱いたのである。
こうしてアンブラ族は魔族と結ぶようになった。
アンブラ族は女性主体だったこともあって、
この時より「魔女」と名乗るようになった。
それまでは二部族まとめて「賢者」と呼ばれていたが、
アンブラ族の二つ名が変わったことで
これより「賢者」とはルーメン族のみを指すようになった。
ただし、魔に傾倒したとはいえ
その関係は純粋に力を求めるためだけであり、
決して魔界陣営に与したわけではなかった。
アンブラ族は人界と「世界の目」を守護する完全な独立勢力であり、
天魔含め如何なる勢力にも与さない、この方針は固持され、
個々の悪魔との契約関係においても徹底された。
魔女にとって悪魔は使役対象あるいは単なる協力者であり、
臣従させることはあっても魔女側が臣従することは固く禁じられた。
これは単に中立を守るというだけではなく、
思想や精神までもが魔に汚染されることを防ぐためだった。
アンブラ族の属性は魔とおなじ闇とはいえ、
彼女たちは人間界と「世界の目」守護を至上目的とし、
「献身と忠義」こそ正義としていたのである。
悪魔の力は有益であっても、
「闘争と暴虐」を基盤とする悪魔の価値観は
受け入れられないものだった。
86 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:56:25.12 ID:XVB8s0iW0
こうしたアンブラ族の魔への傾倒は、
当然ながら主神派に強い反感を抱かせた。
ただ、さすがに主神派自身の采配が招いた失敗であることも明らかであり、
その自省が彼らを自制させ、この時はひとまず静観に留まらせた。
もとい、気づいた時にはもう強い対抗措置は選べなくなっていた。
武力行使という強硬策も選択肢の一つとしてはあった。
魔と結んだ以上アンブラ族を敵と認定し、ここは力ずくで屈服させ、
ジュベレウス復活に必要な世界の目を「奪還」する、
それ自体は主神派の世界観に則れば「正当な手段」の一つではある。
だが現実的には困難であった。
アンブラ族の武力はすでに極めて高く、打倒は容易ではない。
さらには魔族の大規模介入をも招きかねない。
加えてアンブラ族に同情的な魔神派がどう動くかもわからない。
これだけ成功が不透明な以上、武力行使という選択肢は無いも同然。
主神派は、少なくともこの時点において強硬策は論外とし、
アンブラ族と魔の関係を黙認することを選んだのである。
その黙認という選択は、もちろん主神派にとって耐えがたいものだった。
ジュベレウス復活という至上計画が崩れてゆくにもかかわらず
ただ静観するしかできなかったからである。
実際にアンブラ族と魔族のつながりが、
「世界の目」にも影響を及ぼしはじめることとなった。
魔界の力が、アンブラ族が有する「闇の左目」に流れこみ始めたのである。
これは主神派からすると紛れもない「汚染」であった。
こんな状態の目を用いてジュベレウスを復活させた場合、
ジュベレウスも悪しき性質を備えてしまうのでは、
そんな悪夢に主神派は苛まれた。
冒涜的な魔神派は「『黒きジュベレウス』のほうが気が合いそうだ」とむしろ喜んでいたものの、
やはり主神派には到底受け入れられないものであり、
復活式が開発停止に至ったのも、これが最大の理由だった。
87 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:57:09.82 ID:XVB8s0iW0
今回ばかりは、主神派も自分たちの過ちを認めるしかなかった。
ジュベレウス復活のため光の属性を優遇した結果、
かえって闇が増大してしまったのだから。
ただし、アンブラ族の魔への傾倒は副次的ながら益もあった。
そのおかげで、以前と比べて悪魔への対処が容易になったという点である。
エーシルが隠遁して以降、人間界への悪魔侵入は徐々に増大しつつあった。
侵犯者やそれに次ぐ上位者たちは、
隠遁したロキの行方を警戒して本格介入はしなかったものの、
知能が低い大多数の下等悪魔は
憚ることなく人間界へと食指を伸ばしていったのである。
彼らは人界生命を手当たり次第に殺害し、その魂を貪り喰らった。
またある程度の知能がある悪魔は、魂の「味付け」のために人間を誑かし、
恐怖や苦痛を与えることも好んだ。
だが当然それら悪行は野放しにはされなかった。魔へと傾倒したアンブラ族が
これら無法者の討伐を積極的に行い始めたからである。
それ以前からも、アンブラ・ルーメン族は
人界の守護者として、侵入した悪魔の狩りを行ってきていた。
他にもエーシルの長子たる混沌神族や、
二大氏族には劣るもののそれ以外の人間たち、
そして天界からも協力として兵が頻繁に参じていた。
変わったのはその活動の比率だった。
アンブラ族の魔への傾倒以降、悪魔狩りの9割以上をアンブラ族が
担うようになった。
これについての理由は複数あった。
まずは「正義」を証明するため。
魔へ傾倒したとはいえ、魔界陣営に与したのではないことと、
今までと変わらず人界の守護者であると。
次いで、人界内の最大守護者となり、主導権を強めること。
悪魔狩り活動をアンブラ族の制御下におくことで、
天界による派兵といった介入を減らし、
人界内における天界の影響力を削ぐのが狙いだった。
88 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:57:37.33 ID:XVB8s0iW0
そして最後に、討伐した悪魔の魂や亡骸等は
魔界由来の有益な資源であるという実利である。
中でも特殊能力を有する悪魔は、
素材として様々な魔導器に流用できるため
好まれてアンブラ族に狩られることとなった。
一方そのように優先的に狩られる対象がある傍ら、
利用価値や脅威性の低さゆえに後回しにされた対象もあった。
そしてそれらの中にとある『樹』があった。
後に『クリフォト』と呼ばれる魔界樹である。
89 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:58:26.86 ID:XVB8s0iW0
14 『クリフォトの樹』
かの魔界植物はある時から、
人間界にまで根を下ろし、そして人間を捕食対象とし、
その血を糧とする生態を獲得した。
しかし当初、魔界側はもとより、アンブラ族ら人間側もこの樹のことは気に留めなかった。
悪魔たちにとってはただの草木でしかなく、またアンブラ族からすれば
「動物的な悪魔」侵入のほうが大きな被害で目立ち、
かつ素材としての利用価値も高かったからである。
この樹も人間を殺害したとはいえ
後世の『レッドグレイブ事件』とは異なり、
当時は一度の捕食で一人か二人を殺す程度、
かつ捕食頻度も稀であった。
そのため、基本的にアンブラ族の対応は
「余裕があったら駆除する」という消極的なものだった。
だが次第に、この魔界植物はその特性ゆえに
徐々に注目されはじめる。
後世にて『クリフォト』の名が付けられるかの樹は、
殺して吸いとった人間の血と魂を
大きな力に変換するという特性があったのである。
そして力を渇望する魔族ならば当然のこと、
この事実がひとたび明るみになるや、瞬く間に魔界全体に知れ渡り
こぞって利用されることとなった。
人間界に根を誘導し、人間を襲わせ、
樹を育て、そこから力を得る、
そのような手法が流行となったのである。
90 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:59:05.81 ID:XVB8s0iW0
こうも大規模になれば当然、
アンブラ族ら人間界側もすぐに事を認識し、
悪魔たちの「農業」を優先的に阻止しようとした。
だが人間界の側からでは、この樹の排除には限界があった。
そもそも魔界側では大量に生息していたため、
いくら人間界側で処理しようと根本的な解決にはならなかった。
加えてある程度成長してしまうと、
人間界側に現れている部分を刈るだけでは樹を殺すこともできず、
一時的な活動停止に追いやるのが精一杯だった。
とはいえ、この一大流行は
魔界側の事情によって唐突に終わることとなる。
発端は、クリフォトの樹にあったもう一つの特性、
『果実』の存在が世に知られたことによる。
91 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:59:32.70 ID:XVB8s0iW0
15 『魔王の果実』
ある時、もっとも成長していた樹が『実』を生じさせ、
それを食した悪魔が劇的な力の向上を見せた。
それでも侵犯者やそれに次ぐ上位者たちには及ばす、
その悪魔は最終的にはあっけなく殺害されたが、
一方で『実』がもたらした効果は
侵犯者を含めて魔界全体の注目を浴びた。
なにせ有象無象の下等悪魔が、
一瞬にして諸神級にまで昇華したのである。
そこで高度な知能を持つ悪魔たちも研究に乗り出したことで、
その『実』が不完全な出来損ないだったということも判明した。
そして物事を想像できる知性がある悪魔なら、誰しもがこう思った。
より成長した大樹に実る完全状態の『果実』ならば、
どれだけの力を得られるのだろうかと。
少なくとも、前例がないほどの『何か』を得るのは確実視され、
その期待が期待を呼んでいつしかこう言われるようになった。
「『果実』を食した者は、魔界最強と成る」と。
92 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 00:59:59.06 ID:XVB8s0iW0
そうして『果実』を巡る大騒乱が始まった。
多くの悪魔がこぞって樹を育てようとし、
また競争相手の樹を破壊して妨害、
あるいは育った樹を横取りするなど、
魔界全土にて激戦が展開した。
一方、侵犯者ら四柱は当初、この騒乱を傍観していた。
というのも、姿をくらませたロキを警戒して、
人間界関連への表立った干渉を控えていたからである。
エーシル=ロキが保有しているであろう『無』の力は
侵犯者たちのOMNEの力をも消し去れる。
そしてロキは隠遁したとはいえ、
さすがに侵犯者自らがこの「農業」で人間界に介入すれば
再び現れるのではないか、そう侵犯者たちは警戒していた。
93 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:00:32.98 ID:XVB8s0iW0
とはいえ、もちろん最後まで傍観するつもりはなかった。
侵犯者らも果実の力に惹かれていたのは同じであり、
くわえてアルゴサクス、アビゲイル、
そして同盟しているムンドゥスとスパーダ、
この三派のうちどれかが果実を獲得すれば、
膠着は崩れて残り二派は敗北しかねない。
それゆえ彼らも虎視眈々と果実を狙った。
迂闊に動けばロキの再起を招くのみならず、
侵犯者間の休戦も崩れて無駄に消耗しかねない。
そこで下賎の者共の樹が育つのを待ち、
果実を宿す直前に強奪し、誰よりも先に食す。
それが侵犯者たちが等しく考えていたことだった。
ムンドゥスとスパーダも一応は組んでいたとはいえ、
胸中では互いに出し抜こうともしていた。
94 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:01:10.09 ID:XVB8s0iW0
そうしてついにその時が訪れた。
この侵犯者同士の果実競争においては、
武力も当然重要であるが、
第一には情報収集と行動の早さが帰趨を決した。
まず、もっとも強きアルゴサクスとほぼ同格のアビゲイルは、
強者たる油断あってか、この点で後手となってしまった。
次いで三番手だったスパーダは相変わらず何を考えていたのか不明だったが、
同じく出遅れた。
完全な果実を生じさせるクリフォトの大樹はどれか、どこにあるのか、
それを最初に見極めたのはムンドゥスだった。
侵犯者四柱のうち己はもっとも、
それも勝負にならぬほど弱い、彼はそれを自覚し、
並々ならぬ劣等感を抱いていたからこそ、
その差を補うべく誰よりも
情報収集に力を入れていたのである。
優位に立ったムンドゥス、それはほんの僅かな余裕ではあったものの、
他三柱を出し抜くには十分だった。
彼は速やかに目当ての大樹へと赴き、
その樹を育てていた所有者を殺害して強奪した。
相手は魔界中に名を馳せていた強者たる悪魔だったものの、
もちろん侵犯者たるムンドゥスの敵ではなかった。
そして完全なる『果実』の誕生を目の当たりにし、
収穫し、ついに食した。
95 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:01:36.27 ID:XVB8s0iW0
その効果は誰しもが想像した以上だった。
半分食しただけでも彼の武力はアルゴサクスと同等なまでに昇華し、
加えてOMNEたる『創造』の力もより完璧かつ強大に。
もはやこの時点でも
侵犯者間の序列を覆すほどの飛躍であったが、
果実はさらにもう一つの力をムンドゥスにもたらした。
それはいわば魔界の『理』である。
これはエーシルが人間たちに与えた力、
もとい世界の『流れ』を左右させる著者のごとき力が、
クリフォトの樹によって魔界向けに転化、
結晶化されたものだった。
その効果をより具体的に言うならば、
魔界内部の物事は彼が望む方向へと流れ、
魔界において彼の在る状況は常に有利となる。
すなわち彼は魔界でもっとも『幸運』となった。
96 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:02:06.29 ID:XVB8s0iW0
ただし、その原理を理解していたのは
当時はジュベレウスらオリジナルOMNEたちのみであり、
こうした果実の詳しい原理を理解していたのも
ムンドゥス自身含めて魔界にはいなかった。
また、これだけの代物を産むクリフォトの樹の性質が、
はたして自然に備わったものなのか、
それとも何者かの作為によるのかも定かではない。
当時では、『果実』は闇の創造主たるクイーンシバの御業だという説が唱えられていた。
より知見が深まった遥か後世においては、
エーシルの片割れであるロプトが、
ある遠大な策略のため仕組んだとの説も唱えられたが、
真実はやはり不明である。
だが謎に満ちていたとはいえ、
この果実によってもたらされる結果自体は
誰もが即理解できるほど明確だった。
飛躍した武力、完璧となった『創造』の力、
そして魔界そのものを味方につけるかの如き『幸運』。
武力においては同格であるはずのアルゴサクス、次ぐアビゲイルも、
あらゆる『不運』が働いてムンドゥスには勝てない。
もはや魔界において敵はいなくなった。
97 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:02:32.99 ID:XVB8s0iW0
魔界における全ての主導権を掌握したムンドゥスは、
瞬時に次なる行動に移った。
まずはクリフォトの大樹をことごとく刈った。
己につづく『果実』獲得者の出現を防ぐために。
次いで己が新たな魔界最強だと証明すべく、
単身で平定に取りかかった。
まず標的になったのは他の侵犯者である。
アルゴサクスは武力では互角ながらも、
魔界そのもの、まさにクイーンシバが味方するかの如き
ムンドゥスの「幸運」を前に、勝ち目はないと判断して屈服した。
今はひとまず彼の覇を認め、機会を待つ道を選んだのである。
一方でアビゲイルはかの「幸運」を恐れず、
武力が互角ならば勝機十分だと挑んだが、
あえなく敗北して魔界外の虚無に落ち延びることとなった。
そしてスパーダは元々ムンドゥスと組んでいたこともあり、
衝突せずにそのまま彼の覇を認めた。
また、純粋に『果実』のもたらす力、
そしてそれが作り出した『最強たるムンドゥス』を
観察したいという好奇心にも突き動かされていた。
98 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:02:59.35 ID:XVB8s0iW0
こうして侵犯者たちの新序列が定まった時点で、
魔界におけるムンドゥスの覇は事実上確定した。
残る下々の平定など彼にとって片手間でも易かった。
ある者たちはその力に魅せられて忠誠を誓い、
ある者たちは憎悪しつつもひとまず屈服し、
ある者たちは抗い続けて虐殺され、
最終的に魔界全域が彼の支配を認めるに到る。
そうして名実共に頂点となったムンドゥスは、
『闇の創造主の長子』としてクイーンシバの代理者を名乗り、
クイーンシバに代わって魔界の実効支配を宣言。
そして自らを『魔帝』と称した。
ただし、もちろんこれら宣言は
すべて彼の傲慢な支配欲を飾る建前にすぎなかった。
クイーンシバの代理者と名乗りつつも、
腹底ではかの女王に平伏すつもりもなかった。
彼の支配欲は際限なく、いずれはクイーンシバの力をも
我が物にしようと考えていた。
とはいえ、このような魔帝の露骨な野心も含めて、
クイーンシバ側は底知れぬ寛容さで全てを受けれた。
魔帝のこの極めつけの傲慢さもまた「子」の美点であるとし、
沈黙によって彼の暴挙も承認した。
こうして闇の創造主からも認められ、魔帝はついに全魔統一を果たした。
原初時代の「血の世界」まで遡っても例がない、
魔族の歴史において初めてのことだった。
99 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:03:45.30 ID:XVB8s0iW0
15a 魔界の動向 頂点の者たち
こうして魔界はムンドゥスのもと統一された。
ただし平和が訪れたわけではなかった。
果実を巡る騒乱が終わろうとも、魔族の価値観と本能ゆえ
武力衝突は魔界全土で常時繰り広げられた。
そしてそんな世界を統べる魔帝も、
その闘争の日常を全面的に推奨していた。
ムンドゥス支配に、治安維持などという概念はもちろん存在しなかった。
むしろ争いが少ない領域に対しては配下を派遣して荒らし、
「治安破壊」と言える措置を執った。
これら絶え間ない騒乱は魔族の力の増幅現象をより促進し、
弱者を滅し強者をより強め、種全体のさらなる強化に繋がった。
この措置は副作用としてしばしば魔帝に対する反乱機運を生じさせたが、
それもまた闘争の種だとし、魔帝は容認した。
彼の直接支配圏では「反乱する自由」もあったのである。
こうした魔帝の統治方針は、単に暴虐と闘争という魔族の本能のみならず、
彼自身の悪辣な欲望も背景にあった。
魔帝の最大願望は全てを支配することであるが、
単に支配するだけではなく、それが加虐的なものであり、
「奴隷」に最大の苦痛を与える関係であることを大前提としていたのである。
それゆえ反乱を容認し、大規模な挑戦を喜んで受けた。
機会を与えず最初から封じてしまうよりも、
機会を与えてから叩き潰すほうが大きな苦痛を与えられると。
100 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:04:16.11 ID:XVB8s0iW0
反乱が発生したとき、魔帝はまず
反乱者が力と自信を蓄るのを静かに待った。
そして自ら挑戦してきたところで、ようやく魔帝は力を見せつけて、
高ぶっていた反乱者の闘志と自信を粉砕した。
魔帝に挑んだ自身の愚かさ、そして弱さを徹底的に知らしめ、
最大の屈辱と敗北感のなかで殺害した。
あるいは死が救いとなるような者であれば、
殺さずに凌辱しつづけ、永遠に辛苦を抱かせたまま
従属させるという生き地獄を歩ませた。
魔帝によるこれら加虐的な遊興への執心は並々ならぬものがあった。
「奴隷」たちをより苦しませるために、
『創造』の力を用いてわざわざ手の込んだ舞台を用意することもあった。
苦痛や屈辱を最大化させるためなら、
相手に不釣合いな労力をつぎこむことも惜しまなかった。
ムンドゥスの『創造』の力は、新たな命を小手先で創りだせるほどであり、
その気になりさえすれば三位一体世界とは別の新世界を創り出すことさえ可能だったが、
彼はそんなことに一切興味をもたなかった。
そもそも自ら創りだした「操り人形」相手では、
彼の加虐欲を満たすことはできなかったからである。
『創造』で新生命すらも容易に創りだせるが、
容易であるがゆえに自身の被造物は無価値であると彼はみなしていた。
虐げるために創った存在を虐げて何が面白いのか、と。
生来の自由と独立性を有する存在から、それらを奪って虐げてこそ意味がある、と。
つまるところ、彼が魔界における「闘争と暴虐の日常」を推奨したのも、
「魔族強化のため」などという方針は建前に過ぎず、
本質は個人的な悪意に満ちた欲求によるものだった。
新世界を生み出せるほどの『創造』という力を有しながら、
彼には創造的志向は欠片もなく、
この力はもっぱら他者を支配し虐げることに注がれたのである。
101 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:04:42.55 ID:XVB8s0iW0
こうした魔帝の趣向は、魔界の価値観からしても外道とされ、
この世界においてですら彼は暴君と呼ばれたほどだった。
しかしそのような憎悪は魔帝をより喜ばせるだけだった。
また闘争と暴虐が魔族の性である以上、
道を外れようともやはり「暴虐の権化」たる魔帝に惹かれるものも多く、
進んで彼の僕となる者も後を絶たなかった。
魔帝はそのような者たちを快く受けいれ、直属の軍勢として組織させた。
この魔帝軍は群を抜いて魔界最大規模であり、
彼らはその圧倒的戦力をもって、魔帝の暴政の伝道者として
魔界中に戦乱と破壊を撒き散らしていった。
ただし、この直属軍であっても主の加虐欲からは逃れられなかった。
特に理由なき処刑や殺し合いの命令など、
魔帝の遊興による災難は彼らにとっても日常茶飯事だった。
102 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:05:09.76 ID:XVB8s0iW0
この魔帝に次いで権勢を振るったのは、
やはりアルゴサクスである。
彼がムンドゥスから攻撃を受けず、
さらには魔界第二の地位を得ていた理由は、
早々に負けを認めただけではなかった。
たとえ屈したとはいえ、武力自体はアルゴサクスも互角、
ムンドゥスにとっては特に警戒すべき存在ではあったが、
それ以上にその武力の利用価値が大きかったからである。
特に対ロキに備えての意図が大きかった。
エーシルの力の大部分を有するロキ相手では、やはり
魔界頂点となったムンドゥスでさえ劣勢の感は拭えなかったのである。
この点はアルゴサクスも同様に認識しており、
ゆえに互いに激しい敵意を抱えながらも、
表向きはムンドゥスを上位とする同盟の形に収まっていた。
103 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:05:40.39 ID:XVB8s0iW0
こうしてアルゴサクスは、
魔帝から魔界のほぼ半分にも相当する領域を与えられ、
その権勢を振るうこととなった。
これは傍目からすると大変な大盤振る舞いであったが、
やはりアルゴサクスにとっては屈辱的であった。
いくら高待遇とはいえ、下位の者という烙印は拭えない。
かつて遥か弱者だったムンドゥスによる露骨な蔑みも耐えがたい。
さらには覇王自身も並々ならぬ支配欲があり、
第二位に甘んじることは不愉快極まりないものだった。
しかし果実を逃した現状、当面は魔帝に従うほかなく、
彼はその抑えた鬱憤を己の支配域への執着として発散した。
とくに、他者を絶対服従させることに快感を抱いた。
放任的だった魔帝とは異なり、覇王の統治はきわめて強権的だった。
各有力者へ徹底して絶対服従を強制し、
生じた反乱の機運は育てることなくすぐさま根絶した。
臣従させた悪魔たちを組織し、魔帝と同様に直属軍も作りあげた。
その規模は魔帝軍に次ぐ第二のものであり、
彼の強権支配の執行者としてその武名を轟かせることになった。
104 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:06:07.08 ID:XVB8s0iW0
ただし大戦力ではあるも、やはり魔帝軍との差は歴然であり
この明らかな劣等もまた覇王の不満を募らせるものであった。
魔界半分を手中にしながらこうまで配下の差があったのは、
やはり魔界頂点たる魔帝のほうが人気があったために
多くの人材が集まったこと、くわえて覇王勢力の増大を抑えるため、
魔帝からの「嫌がらせ」もあったからである。
魔帝はしばしば、間引きと称して覇王領へと軍を差向け、
覇王配下の有力者を殺害した。
もちろん覇王も黙っているわけがなく、時には報復として同様の行動をとった。
すなわち両者は同盟関係でありながら、同時にしばしば戦争状態でもあった。
魔界は魔帝によって統一されていながら、
同時に魔帝と覇王に二分され争っていたのである。
ただ、闘争を史上本能とする魔界の常識に照らせば、
この程度の「矛盾」は矛盾にはならなかった。
両者とも悪意と憤怒をぶつけ血の応酬を繰り返したが、
それは悪魔にとっては古来からの普遍的な習慣でしかなく、
対ロキを念頭とした同盟関係には何ら影響を及ぼさなかった。
105 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:06:33.15 ID:XVB8s0iW0
一方、スパーダの日常は、
魔帝や覇王とはまた異なるものだった。
その性格や武技から最強の魔界騎士、あるいは魔剣士とも呼ばれた彼は、
己の欲求に忠実という点では同じだったものの、
他二柱とは異なって支配欲は欠片もなかった。
スパーダの最大欲求は、『武』の果てなき渇望である。
彼はまず、果実を得たムンドゥスの力を観察し、
それに飽きると今度は魔界中を放浪した。
一応はムンドゥスの副官という立場ではあったが、
彼は自由に魔帝のもとを離れ、各地を好き勝手に巡り、
強者と決闘したり、戦乱に飛びいり参加したりと
気の向くままに闘争一色の日々をすごした。
もちろん襲来される側にとっては歩く災害同然だった。
とはいえ、魔帝や覇王に比べたら悪評は無いに等しかった。
強者にしか興味がないゆえに、戦乱に飛びこみ参加する場合も必ず強者側を狙い、
相手が魔帝勢だろうが覇王勢だろうが構わず斬捨てたからである。
そのため彼にはそんな意図が無くとも、結果として感謝されることすら多々あった。
そして魔帝や覇王も、そもそも配下の犠牲など気にも留めず、
また戦いとなれば話が通じないスパーダなら仕方ない、として黙認していた。
106 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:07:00.98 ID:XVB8s0iW0
武の探求に全てを捧げる姿は、武人気質な悪魔たちの信奉をも獲得した。
また彼の経歴もその人気に拍車をかけていた、
スパーダは侵犯者の第一世代ではなかったからである。
魔帝や覇王、アビゲイルらは
原初世界の崩壊を引き起こした第一世代の侵犯者であるが、
スパーダは崩壊後の最終戦争中にて侵犯者格に達した者だった。
それゆえ後進の悪魔たちにとって目標であり憧れにもなった。
侵犯者の領域は数が限定されているわけでも、
成れる時期が限定されているわけでもない、
どんな卑小な生まれであろうと、才と鍛錬次第で後からでも超越者に成りうる。
スパーダの来歴はこれらを証明しており、
武人気質の悪魔たちは彼に憧れ、彼を目標としたのである。
そして中には直接スパーダに会い、師事を乞うものすらいた。
彼はそのような申し出を快く承諾したが、
代わりにその教えは死の代償を伴った。
当時の彼は加減しなかったため、
大半の弟子希望者が最初の手合わせで殺害された。
なんとか死なずにいくらか修練についていけた場合でも、
やはりすぐに限界がきて、死か離脱かを迫られた。
しばらく後の時代になるとまた事情が変わるが、
この頃のスパーダは師弟の友情なるものは一切築こうとせず、
常に孤高であり続けた。
107 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:07:47.87 ID:XVB8s0iW0
そんな孤高の姿もまた一部の悪魔たちからは憧れとされたが、
彼自身はそういった周囲からの熱意にも無関心だった。
そもそも当時のスパーダは、他者の生命や人格そのものに無関心だった。
彼の行動を支配していたのはひたすらな武の探求願望、
究極的には悪意も善意も含まれない純粋な好奇心である。
そして純粋ゆえに「無垢」でもあり、
曲解も偏見もなくあらゆる知識を柔軟に学び、そして真に理解しえるという、
探求においてより好循環となる性質も備えていた。
果実を巡ってムンドゥスに出し抜かれても、怒りや悔しさはなく
抱いたのは強くなったムンドゥスへの興味でしかなかった。
しかし一方で、その無垢な好奇心は
恐ろしいまでの冷酷さをも備えさせた。
ひたすら純粋ゆえに、彼にとって世の全ては
武力探求のための「材料」でしかなかったからである。
結果として彼の他者に対する行動は、
時としておぞましいほどに冷酷なものとなった。
これはある意味で、魔帝や覇王よりもさらに「悪」と言えた。
魔帝は他者の苦痛を快楽にし、
覇王は他者が服従することを快楽にしていたとおり、
善悪はともかく、他者の人格や意志そのものを
見定めようとする意識が両者にはあったからである。
だが当時のスパーダにはそのような意識自体が欠落していた。
極端に言えば、彼の見る世界に『他者』は存在しなかった。
108 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:08:17.45 ID:XVB8s0iW0
またもう一つ、その性格において魔帝や覇王とは大きく異なる点があった。
かの二柱は保身の塊であったが、
スパーダにはそれが無いも同然だったのである。
彼にとっては力の探求こそが全てであり、
その目的のためには己自身ですら研究材料になり得た。
彼が後進でありながら侵犯者の域に達したのも、
己をも標本として扱い、
無謀な闘争や実験に放りこむという姿勢が一因だった。
それこそ下位の大悪魔が侵犯者格に挑戦するような、
悪魔視点から見ても正気の沙汰ではない行いを繰り返してきた。
そしてありとあらゆるものを貪り、
自我が別人と言えるほどに変質することも厭わずに吸収同化し、
己を強制的に進化させるという狂気的な手法も繰りかえした。
スパーダはまさに、
「力の渇望」や「闘争性」といった悪魔的性質が凝縮された、
きわめつけに純化された「悪魔の中の悪魔」だった。
魔帝ムンドゥスが魔界の実効支配者ならば、
スパーダはそれこそ悪魔の象徴ともいえる存在だったのである。
109 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:08:51.38 ID:XVB8s0iW0
このように三柱はそれぞれのやり方で、
基本的には欲求に忠実に活動し、魔界を意のままにした。
もちろん下々がその状況を全て受け入れたわけではない。
闘争と暴虐は全魔族にとっての本能、下克上の願望は誰しもが有しており、
ゆえに反乱や挑戦はあとを絶たなかった。
だがそれは自殺行為にも等しく、
聡明な者たちはやはり現状で耐え忍ぶ道を選んだ。
そして上辺では魔帝や覇王に従いつつも、
裏では修練を積み、様々な手で力の強化法も模索した。
その第一の手は、やはり人間界であった。
クリフォトの樹を抜きにしても、
魔帝や覇王の支配が及ばず、
エーシル系の新たな力に触れられる可能性があるこの世界は、
雌伏を耐える悪魔たちにとって魅力的なものだった。
そしてそのような人間界への注目は、侵犯者三柱も例外ではなかった。
むしろOMNEの領域たる超越者だからこそ、
エーシル世界の動向にひときわ強く注目し、
エーシル=ロキの絶大な力に警戒し、そして興味と羨望を抱き、
いつかは手中にしたいと三柱全員が考えていた。
だが、彼らはやはり積極的には動けなかった。
下々の悪魔達とは異なり、侵犯者は強大がゆえに、
隠遁していたエーシル=ロキが再臨して迎撃されるかもしれない、
という危惧、そしてもう一つ。
巨大化し続ける力による『自滅』の危険性である。
110 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:09:19.03 ID:XVB8s0iW0
16 強者の悩み
ロキとロプト。
分離したとはいえ、その力が消滅したわけではない。
大元のエーシルを鑑みれば、隠遁した今もなお
クイーンシバをも上回る力を有し得る。
それが侵犯者たちの共通認識であり、そして数少ない怖れでもあった。
だが、その力の差もいずれは克服できる、それもまた彼らの共通認識であった。
エーシル=ロキ・ロプトとは違い、侵犯者は今後も強くなり続ける、
そして全てを上回るはずという確信があった。
ジュベレウス、クイーンシバ、エーシル、ロキ、ロプト、
これら『オリジナルのOMNE』の破片は、
一度形を成した後はきわめて安定していたが、
安定していたゆえに完成しており、それ以上は強くなることも無かった。
しかし侵犯者たちの力、『複製されたOMNE』はそうではなかった。
複製であるゆえに不完全かつ不安定であったが、
不完全である限り、伸び代もあったのである。
くわえて力の増幅現象という魔族としての性質も
そこに大きな相乗効果をもたらすため、
将来的にもさらなる成長が見込めた。
とはいえ、巨大化し続ける力は危険も伴う。
特に大きな問題だったのは、力が肥大した果てに制御困難に陥り
器たる魂が耐えきれずに砕けてしまう、自壊による死の危険性である。
ムンドゥスらこの時代まで勝ち残った侵犯者たちは、
この「自滅」がいずれ避けられない段階にまで達していた。
このまま力が肥大し続ければ、
いずれ自分自身の力によって圧死してしまうのが目に見えていた。
かつて原初時代、OMNEの領域が安定を失って自壊したように。
111 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:09:45.52 ID:XVB8s0iW0
こうして侵犯者たちは、ある段階で外的な活動を控え、
自身の力の完全なる制御方法を模索することとなった。
人間界への本格的な介入、すなわちエーシル=ロキへと挑む前に
まずはこちらを解消しようと。
そして様々な試行錯誤の末、最初に成功させたのは
やはり己すら実験材料にしてしまうスパーダであった。
彼は己の力を分離させ、
「分身」として分散することで制御する、という方法を編みだした。
方法としては我が身を裂くようなもの、
エーシルのロキ・ロプト分離とも似ていた。
分離した力は、スパーダが自ら鍛えた魔剣に納められ、
彼は己と同じ名をその分身たる剣に与えた。
『魔剣スパーダ』の誕生である。
112 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:10:19.94 ID:XVB8s0iW0
これは完全な解決方法ではなかった。
器を二つにしたことで単に許容量を増やしたというだけであり、
言ってしまえば肥大による自己崩壊を先送りにしただけだった。
とはいえ、当分はこれで安泰であり、
他の完全なる解決策を編みだすうえで
充分な時間を与えてくれることとなった。
また、もしその時まで妙案がなくとも、
再び新たな分身たる魔剣を産みだせば良いともスパーダは考えていた。
この暫定的な成功は魔帝や覇王も大いに参考した。
魔帝はすぐにスパーダの方法を模倣し、
まずは分離した力を容れるための器の作成にとりかかかった。
しかしそう簡単にはいかなかった。
「創造」の力をもってすれば容易と魔帝自身は驕っていたが、
いざ始めてみると初期段階である器作成からはやくも頓挫した。
なぜなら、彼は何かを組み立てるうえでは全能の如き力を有していたが、
一方で全知には程遠く、『魔具』、もとい
『魔導武器』の製造に必要な知識が不足していたのである。
そこで、魔界随一の名工と謳われる悪魔マキャベリが
魔帝の命令によって知識を補い、こうしてある傑作群が産みだされた。
後世において「ナイトメア」と称される魔導兵器群の原型たちである。
この「ナイトメア」と呼ばれる試作の器たちは、
スパーダにとっての魔剣スパーダと同様、いわばムンドゥスの分身の卵であった。
そうして造りだした原型の中から、
もっとも完成度が高い素体を選び、魔帝は仕上げにとりかかった。
力と魂を吹きこみ、己が食した「果実」の一部をも与え、
恐るべき存在を造りあげたのである。
113 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:10:51.40 ID:XVB8s0iW0
このナイトメアを生み出す際、
肥大による自滅の阻止という本来の目的のほかに、
魔帝にはもう一つの狙いもあった。
さらなる武力である。
先のスパーダは、その分身を
魔界史上屈指の「武器」として造りだしていた。
単に自己崩壊を防ぐのみならず、
さならる武力の獲得も同時に成し遂げていたのである。
当然ながら魔帝もこれを羨み、同じことを目論んだ。
最後の仕上げに果実の断片をも投じながら、
魔帝は最強の武器を造りだすべく魂を注いだ。
圧倒的な武力を、破滅の権化のように、
悪夢の具現のように、と。
そしてその目論みは成功した。
もとい、成功しすぎた。
完成したナイトメアは、まさに絶大な可能性を有していた。
湧き上がってくる力は無尽蔵の如く、
その潜在的な力量は魔帝にも見通せないほどだった。
それこそ魔界をも滅ぼしかねない、
魔帝が産みだした最高傑作、究極の兵器であった。
これがスパーダだったのなら歓喜したものの、魔帝は違った。
ナイトメアの可能性を見た瞬間、彼は怖れたのである。
なぜなら、すでに制御不能の兆候が表れていたために。
それゆえ即座に拘束し、一切の成長も許さずに力を凍結し、
虚無へと封印してしまったのである。
114 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:11:28.00 ID:XVB8s0iW0
なぜ制御不能となってしまったのか、
それは根本的な魔帝の性格が原因だった。
スパーダが編み出したこの手法は、
力と魂を分けた「分身」を造りだすことであったものの、
魔帝はその本質を踏み外していたのである。
スパーダにとって、魔剣スパーダは完全なる一心同体であり、
意志が完全同期しており、そこに制御不能といった障害が発生する余地はない。
まったく同じ意志を有し、同じことを望むため、
スパーダの意に反して暴走や反乱、といった現象はそもそも起こり得なかった。
だが魔帝にとっては、ナイトメアはそうではなかった。
手段自体は「分身を造る」というものであっても、
彼が造ろうとしたのは単なる延命装置、ただの奴隷兵器である。
それゆえ誕生した存在は一心同体とは程遠い。
単なる道具として造ったために意志も有さない、
同期する繋がりすらなく、それが制御の不完全性をもたらした。
さしずめ魔帝の傲慢さが招いた結果だった。
自分はいずれ唯一無二の支配者に成る存在、
そう傲り高ぶる魔帝にとって、
己と同格を意味する真の意味の「分身」なんて許し難い。
意志を共有する一心同体なんて存在は論外だったのである。
115 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:11:54.75 ID:XVB8s0iW0
彼の「創造」は理論上限界がなく、
彼自身を上回る力すらも創ることが可能だった。
スパーダのように真の「分身」としてナイトメアを造り出していたら、
魔帝の武は遥かに増していたはずだった。
それのみならず、スパーダのように己を実験材料にするほどの姿勢があれば、
「創造」の力によって魔帝の可能性はまさに無限大であった。
だがそうした可能性は、
魔帝が自ら封じてしまっていた。
言うなれば、魔帝にとって最大の敵はエーシル=ロキではなかった。
己を唯一無二の存在とするその傲慢さ、
彼の性格そのものが、彼のこれ以上の飛躍を妨げていた。
そして魔帝自身はそれに気づこうともしなかった。
果てしなく傲慢ゆえに。
こうして魔帝の試みは失敗した。
封印して完全に切り離してしまった時点で、
ナイトメアは延命装置としてはもはや機能しない。
当然のごとく新たな武力も得られない。
彼はこの手法についてはもう諦め、
他のナイトメアの原型器たちも全て封印し、あらゆる作業を取りやめた。
またこうした魔帝の頓挫を知ったアルゴサクスも、
同じ失敗を危惧してこの手法を用いるのは保留した。
そして両者は次なる手段を模索して、
今度は人間界に目を向けはじめた。
116 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:12:22.37 ID:XVB8s0iW0
もともとスパーダの手法以外にも、
一つ有効と思われる手段が存在していた。
人間界に在る「世界の目」である。
事象を確定させるオリジナルたるOMNEの力、
それを用いれば、侵犯者の力を安定させることも
可能だと思われた。
だがロキ・ロプトの存在ゆえ、
そもそも人間界には容易に手出しできなかったため、
この手段は長らく脇に置かれていた。
しかしスパーダの手法が頓挫し、他の有効案も編み出せない今、
魔帝と覇王は否応なく人間界へと、
ロキ・ロプトの牙城へと挑まざるを得なくなった。
117 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:12:56.42 ID:XVB8s0iW0
「世界の目」を手に入れるには、
まず何よりも隠遁後のロキ・ロプトの動向把握が必要だった。
彼らの現状、特に『無』の力の状態を明らかにしないことには、
「世界の目」強奪に取りかかるには危険すぎた。
そこで魔帝たちはまず、人間界と魔界のもっとも大きな情報ルート、
アンブラ族を利用することにした。
彼女らと交流がある悪魔たちを通しての情報収集である。
アンブラ族と結んだ悪魔は大抵
反魔帝、反覇王の姿勢だったものの、
魔帝たちはそれも気にしなかった。
むしろそれを理由にして配下に襲わせ、
生かす代わりに情報提供するよう脅迫し、
彼らを密偵として存分に利用し、情報を横流しさせたのである。
こうした手法によって、魔帝たちはしばらく
ロキ・ロプトの尻尾を掴むべく情報収集に専念した。
そしてその「尻尾」はあまり待つことなく現れた。
それは人間界内部で発生した、とある大事件が発端だった。
人間に嫉妬していた人間界の混沌神たち、
その首長たる「竜」が引き起こしたものである。
118 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:13:34.09 ID:XVB8s0iW0
17 「竜」の力
エーシル=ロキは次子たる人間を愛したが、
長子たる混沌神族のことも同じほどに愛していた。
人間と同じく手厚く育てあげ、
常世の領分を与え、混沌界の全生命の魂管理を彼らに託した。
確かに人間には混沌界の支配が託されたが、
それはあくまで現世におけるものであって、
一方で混沌神族にも常世の支配者として同様の責任と権限が
与えられていたのである。
人間の優遇などはなく、エーシル=ロキはあくまで
人間と混沌神族が現世/常世から対等に繁栄するよう意図していた。
混沌神族にも並外れた才を与えており、人間と相互練磨することで共に繁栄し、
強くなるよう環境を整えていたのである。
だがエーシル=ロキが隠遁した後、
とある異物の介入によってその計画が狂ってしまった。
天界、とくに魔神たちとの接触である。
彼らがもたらした知識と技術によって、
人間は混沌神族との相互練磨の必要なく飛躍した。
すなわち混沌神族は置き去りにされた。
才が開花したのは人間側のみであり、
混沌神族の才は未成熟のまま燻ることとなったのである。
そしてアンブラとルーメンの二大氏族がその力を確立させた時代、
人間から見た混沌神族はもはや対等ではなくなっていた。
人間世界のために働く常世の管理人としかみなさなくなっており、
混沌神族にとってこうした状況は屈辱以外の何物でもなかった。
119 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:14:00.59 ID:XVB8s0iW0
とはいえ、これは反感の一部分に過ぎなかった。
人間に対する負の感情、その大元はさらに昔、もっと根深いところにあった。
それはエーシルの選択、ロキとロプトへの分離である。
人間に自我は必要ない、というロプト側の意志がもし果たされていれば、
混沌神族こそが現世を含む混沌界の全てを受け継げたはずだった。
だがその魅惑的な未来は実現しなかった。
実際にはロキ側の意志が勝り、人間は第二の子となり、
「世界の目」と現世の支配権が与えられたからである。
「魅惑的な未来」は失えば「毒」となる、
その拭いがたい失意は混沌神族の心を燻らせることとなった。
もっとも、彼ら神々自身が卑しい欲を有していたわけではない。
ロプトが「魅惑的な未来」を与えたためであり、
すなわち創造主によって設定された本能に等しく、
完全に抗うことは困難なのである。
後世の視点をとれば、すでにこの頃からロプトによって
世界を狂わせる悪しき「種」が巻かれていたことになる。
神々はエーシル=ロキの選択を甘んじて受け、
しばらくは健気に、そして善意によって弟たる人間を愛したものの、
この「毒」は秘かに彼らを蝕みつづけた。
そして繁栄する人間に置き去りにされ、力関係が逆転し、
さらには人間に見下されるようになった頃。
神々の愛情は屈辱と失望によって歪み、ついに嫉妬と憎悪へ転化した。
120 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:14:27.36 ID:XVB8s0iW0
こうして負の感情に傾いていった混沌神族の中から、
ついに行動を起こした存在が現れた。
彼は「混沌の使徒」、あるいは「竜王」と呼ばれていた。
「混沌の使徒」という名は、長子たる混沌神族の中でもっとも早く生まれ、
そしてもっとも力があったことから、
エーシルによって直接授けられたものである。
とはいえこの名は常用するには大袈裟だと、
また善良だった頃の彼自身はこの名を嫌ったため、
人間が成熟したこの時代には使われなくなっていた。
そして代わりに用いられたのが、
彼の姿形に由来する「竜王」の名だった。
この竜王は本来、エーシルの意志を受け継いだ高潔な神であり
混沌神族を束ねる首長として君臨していた。
くわえてエーシルから、「魂の苗床」の統括者たる役目、
そしてそれに相応しき力も与えられていた。
それはいわば人間界の「心臓」たるものだった。
苗床から生じた魂はすべて竜王に送られ、
そこではじめて生命の鼓動を与えられ、現世へと送り出された。
また一方で死した魂もすべて一度彼のもとに集められ、
清められたのちに苗床に還され、新たなる魂の糧となった。
人間界の血を巡らせる「心臓」、
彼こそが人間界の生命の鼓動を司る存在であった。
竜王は誕生以来、この大いなる役割を用い、
「苗床」統括者としての役目をこなしていった。
ひたすら真摯に、高潔なる長子の長として、
厳格かつ善良なる施政者として。
121 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:14:54.11 ID:XVB8s0iW0
だが、そんな彼も豹変してしまう。
善良なる神は突如、
享楽かつ悪辣な神へと変じたのである。
そしてあらゆる秩序を誑かし、狂わせることを楽しみはじめた。
その対象は見境なく、人間の領域にまで干渉し、
現世のあらゆる物理法則を歪めて破壊と混乱を撒きちらした。
さらに人間界の心臓たる役割、その力を悪用し、
地上のあらゆる生命のほか、同族たる混沌神族たちの魂をも
取り込み始めた、つまり喰らった。
それも「喰らえるから喰らう」という、正当性なき理由によって。
こうして生と死を司っていた人間界の心臓は、
人間界を脅かす「胃袋」に成り果てることとなった。
そしてその暴食は、ある重要な神をも喰らったことで
ついに人間界を決定的に狂わせた。
その神は「冥府の観測者」、
後世ではハデスとの名でも呼ばれている存在である。
彼は「世界の目」が与えられた人間と同様の、
常世における観測と定義を司る神であった。
「魂の苗床」を含む常世の全てを監視し、
あらゆる現象の操作と安定を担っており、竜王と並ぶ重要な存在だった。
そしてこのハデスが竜王に喰らわれてしまったことで、
事態は最悪の段階に達した。
竜王とハデスの力の組み合わせ、
それは禁忌と言えるほどのものだった。
122 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:15:23.77 ID:XVB8s0iW0
彼らの力は共にOMNEではないものの、
かのエーシルが己の力を注いで創りだしたものである。
それゆえ部分的にはOMNEの力に準じるほどであり、
特に共通して強大な点は「上限」が無いことであった。
竜王の「心臓」、もとい今や「胃袋」というべき性質は、
理論上ではエーシル、ジュベレウスやクイーンシバほどの存在をも飲み込める、
つまりそれらの力や英知をも吸収できる、無限の器だった。
ハデスの性質も「世界の目」ほどではないにせよ、
正確に観測、もとい理解さえできれば理論上は
OMNE領域の力にも干渉できる潜在性があった。
「世界の目」とハデスの力の異なる点は、
前者はOMNEの著者のごとき力が典型的なように
理解を必要とせず無意識下においても現実全体に干渉できたのに対し、
ハデスのものは干渉する対象ごとに理解/知識と
明確な意図を必要とした点である。
こうした差から、ハデスの力は「世界の目」と似てはいるが
決して同等と呼べる代物ではなかった。
だが十分な知識さえ蓄えれば近づくことは可能であり、
少なくともこの段階の竜王は混沌神族を大勢食らったことで
その知識を奪い、人間界内の諸現象を理解したため
人間界においてほぼ全能となっていた。
123 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:15:50.21 ID:XVB8s0iW0
当然、次に起こったことは更なる悪夢だった。
竜王はその全能のごとき力を存分に悪意によって行使し、
人間界の悉くを狂わせ破壊した。
竜王が遊興として作った「不運」によって
あらゆる生者が苦痛と絶望にまみれ、
死による解放も許されない生ける屍とされた。
魂の供給が停止したために全ての人界種族が子を宿せなくなり、
行き場をなくした魂は亡霊となって苦しみ彷徨い、
生命の循環機構そのものも崩壊。
地上からは急激に生の息吹が失われ、人間界は悪夢の世界へと変貌していった。
一方、賢者と魔女の領域については、悪夢と化した人間界の大部分とは異なり
この段階ではまだ平常を保っていた。
竜王は天界・魔界の力についての知識が不十分だたっため、
それぞれの要素を取り込んでいた賢者・魔女の領域には
まだ干渉できなかったのである。
だが災厄から完全に逃れているわけではなかった。
二大氏族の魂の大元も、同じく竜王が司っていた「魂の苗床」だからである。
人間界の他生命と同様、
賢者と魔女も新たな魂の供給が止まったことで
子を授からないという災厄を蒙ることとなった。
124 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:16:22.60 ID:XVB8s0iW0
その上、竜王が賢者・魔女の領域に
干渉し始めるのも時間の問題だった。
ハデスの観測と定義の力は、対象への干渉には知識が必要であったが、
必ずも完全な理解までは必要としなかった。
部分的な理解のみでも、その範囲内だけ干渉可能であった。
相応の天魔の者を喰らって見識を得れば
その分ある程度は干渉できるようになる、ということである。
そして竜王も明らかにそれを目的とした動きをしており、
その悪意が賢者・魔女の領域に及ぶようになるのも時間の問題であった。
賢者・魔女らはすぐさま竜王の分析、対処法の模索に総力を挙げた。
だが竜王の変貌とこれら事態はあまりに予想外かつ劇的であったため、
彼らは完全に後手に回ってしまっていた。
竜王が突然正気を失った理由など当初は検討もつかず、
もちろん竜王も非協力的であったため、
速やかな原因究明も困難だった。
同様に天界勢も情報収集に注力していたものの、
状況は同じくまったく捗らなかった。
そして焦燥する彼らに追い討ちをかけるように、
ここで極めつけの悪夢たる新事実も発覚する。
竜王は人間界において全能の如く成ったのみならず、
それらの力とは別に、本物の『OMNE』の力をも有していたのである。
125 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:16:49.91 ID:XVB8s0iW0
この事態もまた、予測できた者は一人もいなかった。
いるはずもない、魔神や賢者・魔女に到底及ばなかった存在が、
どうして侵犯者の如く『OMNE』を手中にできるのか。
それは不可能なはずだった。
確かに不可能を成した前例はあり、
『OMNE』域に達した侵犯者たちがまさにそうだった。
しかし彼らには、事前に超越した強さに達するという
不可能の扉をこじ開けるだけの理由があった。
しかし竜王はその強さすらなく手中にした。
どうやって、なぜ。
眠り続けていた才が覚醒したのか。
あるいは、未だ知られていない人間界の深部にて、
残されていた『OMNE』の破片でも見つけだしたのか。
それとも『何者』かによって与えられたのか。
126 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:17:17.98 ID:XVB8s0iW0
竜王が宿したOMNEの力は、
その性質から『混淆』と呼ばれた。
これはエーシル達オリジナルのOMNEとも、
侵犯者の複製品たるOMNEともいささか趣が異なっていた。
他のOMNEの力と違い、
『混淆』はそれ自体が強力な破壊をもたらすわけでも、
何かを創りだすわけでも、現実の定義を操るものでもなかった。
接触対象の霊的構造を「混淆」させる、ただそれだけだった。
OMNEの域ゆえに無条件で作用する、
と言えば強力にも聞こえるが、
実際には他者に直接的な危害を及ぼすことはできなかった。
霊的領域においては、もともと混淆が自然の状態だからである。
例えば魂は生命力の放出点であり、常に渦巻いて混淆しているため、
この『混淆』に触れられようとも何も変わらない。
この力は、生命にとっては基本的に無害だった。
しかし自然ではないもの、とくに霊的な人工物については逆であり、
これらに『混淆』は大きな効果があった。
そういったものは「自然ではない状態」を維持するうえで、
人工的な構造と秩序による抑制を必要としたからである。
これらにとって『混淆』の効果はまさに致命的であり、
構造が乱され、秩序が狂わされ、そして崩壊は免れなかった。
そしてこの作用には人間たち、とくに賢者と魔女は戦慄した。
賢者と魔女の武力を構築する『式』は、典型的な霊的人工物なのだから。
127 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:17:44.23 ID:XVB8s0iW0
『混淆』とは、対賢者・対魔女に特化したかの如き性質、
彼らの弱点を的確に突いてきた。
そのうえ竜王が蓄えた力と知識も併せれば、
賢者・魔女にとって相性は最悪、極めて戦いにくい相手だった。
加えて、事態収拾のために竜王を殺害するなど持っての外、
それどころか損壊すら与えてはならないという点も対処を困難にさせていた。
なぜなら「人間界の心臓」たる竜王の力、そのほかハデスら他の混沌神族の力も
人間界の生命圏存続に必要だったからである。
それらはエーシルの超越的な業によって創りだされたものでもあり、複製も困難、
つまり人間界を立て直すには竜王を生け捕りにしなければならなかった。
さらには賢者・魔女にとって引導の如く、
竜王は出生前の赤子らの魂をも堂々と人質にし、大いに脅迫もした。
第一に父であり母である彼らにすれば、
これは最大の弱点を突かれた形であった。
もはや賢者・魔女は八方塞、自力解決は諦めるしかなかった。
それゆえ、人間界最強にして最大守護者と自負する彼らにとって
極めて異例ながら、魔女にとっては極めて屈辱的でもありながら、
彼らは外部勢力へ助力を求めた。
天界勢の介入である。
128 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:18:19.32 ID:XVB8s0iW0
18 竜と「聖なる右」
天界においても、この竜王暴走は非常事態と受け止められ、
特に魔神たちが強い反応を示していた。
賢者・魔女と同様に魔神たちにとっても相性が悪い、というだけではなく、
「竜」というシンボルと「式を破壊する力」という組み合わせが
彼らを珍しく真剣にさせた。
彼らがかつて属していた旧世界にも
同じ組み合わせの存在があったからである。
「人間」という存在が酷似している等、
魔神たちの旧世界と「新しい人間界」は似ている部分があったが、
ここまで具体的な近似が生じたのは初めてだった。
それに対する魔神たちの反応は様々だった。
ある者は懐かしがり、ある者は研究対象として夢中になった。
そしてとあるもっとも若き魔神、「オーディン」は激しく嫌悪した。
「彼女」にとって、竜と式破壊の組み合わせは特別な意味があり、
それゆえこのような「贋物」は許せなかったのである。
そんな彼女の嫌悪に満ちた提言もあり、
魔神たちはひとまず竜王討伐が先決との意見で一致した。
この新世界の悪しき竜は即刻対処せねばならないと。
そしてその意志は天界全体としても一致していた。
ジュベレウス復活に「世界の目」が必要な以上、
それが存在する人間界の破滅は必ず防がねばならなかった。
129 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:18:45.76 ID:XVB8s0iW0
もはや猶予はなく、天界による早急な介入が求められていた。
だが相手が相手なだけに、討伐となると非常に厄介な面もあった。
もちろん殺害は論外。
竜王の死は人間界の完全崩壊を意味し、
そうなれば天界の最終目的たる「世界の目」も
失われてしまう可能性がある。
とはいえ生捕りにしようとも、
縛や封印は『混淆』によって壊されてしまう。
殺さず、縛や封印も用いず、
それでいながら無力化する策が必要だった。
そうして四元徳と魔神派は協議の末、
竜王の魂や力には傷つけず、その機能のみを停止する策を選定した。
簡潔に言うと、竜王の「胃袋」は天界の知識も渇望していたため、
それを逆手にとって毒を飲み込ませてやろう、という
構想自体はごく単純な作戦である。
130 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:19:15.39 ID:XVB8s0iW0
だが一つ問題があった。
『混淆』の障害がある以上、その飲み込ませる「毒」は
魔神の式などで作られた霊的な人工物では
役割を果たせなかったのである。
そのため、「誰か」が竜王に喰われて内部に入り、
自らが「毒」役となる必要があった。
またこの策が成功した場合、
その毒役は事実上の死を迎えることになる。
竜王の胃袋によって分解されてしまうために。
加えて、この毒役は人選においても重要な条件があった。
竜王と渡り合えるほどの力があり、
かつ竜王の自我に押し負けぬほどの強靭な精神力、
そして今の悪しき竜王にとっての毒物になるべく、
純粋な善性が求められたのである。
それら条件を満たす者たちが選定され、
魔神らによる入念な検査も行われ、
そして主神派が最終的に指名したのは
とある愚直な戦士だった。
その者はある有力派閥に所属、後世ではミカエルとも呼ばれた。
131 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:19:41.70 ID:XVB8s0iW0
彼の武力は、その派閥内でも上位であり、
また精神面においては特に抜きんでていた。
無尽蔵の積極性、執念の域に達している正義感、
そして周囲からは異常とさえ言われるほどの強固な善意によって、
一度決めたら何があろうと止まらず、絶対に諦めないという性格だった。
かつて最終戦争中には、明らかに勝ち目がなくとも侵犯者に挑み、
そしてやはり悲惨な結果になるも執念で常に生き延び、
傷が癒えたら再び挑む、ということを延々と繰りかえした。
その愚直さは誰しもが呆れた。
ジュベレウスからは「善良なる狂気」との賛辞を賜ったほどであり、
四元徳からは独断専行が目につく問題児として煙たがられていた。
ただし一方で、その愚直なまでの善意は
ミカエルを嫌う者たちですら認めざるを得なかった。
煙たがられ、嫌われることもあったにせよ、
その善なる戦士としての姿には全天にて評価を得ていた。
今回、竜王討伐の大任を与えられたのもその評価ゆえのものだった。
精神力と善意が必要水準に達していたのみならず、彼の戦士としての能力は
天界全ての派閥から信頼されていたのである。
そして当のミカエルもその信頼に応えた。
この確実に命を落とす任を告げられると、
彼は恐怖を抱きつつも迷わず承諾した。
132 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:20:07.96 ID:XVB8s0iW0
こうして速やかに準備が行われた。
ミカエルは魔神たちから訓練を受け、彼の魂も対竜王用に調整された。
魔神の式類は対竜王には使用できなかった関係上、
その調整作業は魂を削って変形させるという苦痛をともなう形で行われたが、
ミカエルは不満を訴えることなく耐えた。
またこの作業の末に、彼の右腕に
竜王の自我を貫き破壊するための「剣」としての性質が宿された。
この計画は騙まし討ちであるため、
これら準備作業はすべて秘密裏に行われた。
終了段階で事情を知っていたのは天界各派の首脳部、
魔神たち、ミカエルに近しい者たちのみであり、
賢者・魔女側には一切通告されなかった。
そしてこの方針は計画開始においても徹底されていた。
ミカエルの行動については、天界首脳部は表向きは一切関知せず、
「いつもの独断による暴走」という設定が貫かれた。
ゆえにミカエル出立の儀もなければ、付添い人もいなかった。
許されたのはごく少数の友人に簡単な別れを告げる程度であり、
彼はささやかな時間をすごしたのち速やかに天界を去った。
そして単身で竜王のもとへと向かっていった。
133 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:20:34.67 ID:XVB8s0iW0
ミカエルは竜王を恐れていたが、その歩みに迷いはなかった。
なぜなら、それほどまでに恐るべき存在だからこそ、
倒さねばならないと使命感をより強めたからである。
竜王と相対するや、彼はいつも通りの蛮勇を演じ、
全力をもって一騎打ちを仕掛けた。
喰われる予定でありながらあえて戦うのは、
竜王の食欲をより促進させるためだった。
絶望、失意、困惑、それらに染まった魂を竜王は特に好んだため、
ミカエルもあえて全力で戦い、
それらを備える「心折れた敗者」という役を演じようとしたのである。
彼はその役を全うした。
ミカエルは良き戦いを演じながらも敗れ、最期に喰らわれた。
無念の敗北、非業の死。
それら演出は目論み通りに醸成され、
誘われた竜王は疑うことなくミカエルの魂を味わおうとした。
その貪欲ゆえの無用心こそが、ミカエルにとっての勝機だった。
「胃袋」に取り込まれて分解されたミカエルの魂は、
竜王の最深部まで落ちこむや「剣」となり
無防備な内側から悪竜の精神を貫き、
竜王にとっての「毒物」となる善意を打ちこんだ。
そして悪竜の精神が崩壊した。
竜王とミカエルの精神は共に砕け、その魂は無秩序に混ざり合い、
彼らは共に自我を喪失したのである。
134 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:21:42.74 ID:XVB8s0iW0
しかし、ここからはいささか予定外の事態となった。
竜王は自我を喪失してそのまま機能停止すると思われていたが、
実際には極度の暴走状態に陥ったのである。
これは想定以上に竜王の欲望、特に食欲が強かったせいだった。
自我を喪失した竜は、おぞましき食性のみに従い
人間界そのものを喰らおうとし始めたのである。
そこで魔神たちが事態収拾を試みた。
今や竜王は理性を失ったために
『混淆』を有効活用できなくなっており、式が壊されることもない。
そしてその障害さえ無ければ、
魔神たちにとって竜王など勝負にもならない相手であった。
それこそ魔神全員が手を出すまでもなく、オーディンが1人であっさりと封印した。
竜王の暴走はそれでも止まらなかった。
封印されて他に食す存在が無くなるや、今度は己自身に食指を伸ばしはじめた。
かの竜は狂気によって己を喰らいつづけ、
やがて活動不能なまでに損壊したところでようやく止まった。
残っていたのは喰らうための『顎』、食指たる『腕』、
そして食した存在を溜め込んだ『胃袋』だけ。
とはいえ、おぞましくも幸運なことに、竜王の生命力は異常なほどに強かった。
オーディンが封印を解いて確認するや、
魂は粉砕状態だというのに未だ生命を宿しており、
残された部位も活発に蠢いていたほど。
竜王を殺さずに無力化するという目的は
なんとか果たされたのであった。
135 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:22:17.71 ID:XVB8s0iW0
こうして想定外の事態があったものの、
竜王を殺すことなく脅威は排除され、事態は収拾へと至った。
ミカエルはその使命を見事完遂し、
その功績を称えて四元徳はこう宣言した。
「悪竜は『聖なる右』によって倒された」と。
しかし、万事元通りとはいかなかった。
この竜王事件による爪痕は途方もなく深く、
そこから生じた新たなる問題は
全てを変えることとなったのである。
人間界のみならず、それこそ三界全ての運命をも。
136 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:22:46.02 ID:XVB8s0iW0
19 火種
竜王の無力化後、賢者と魔女、
そして魔神派はすぐに竜の残骸を精密調査した。
その最たる目的は、人間界の「魂の苗床」ほかハデス等の諸機能の回復、
加えて可能ならば元々の「善良な竜王」と混沌神族を復活させられるか、
もとい「悪しき竜王」の要素を消去できるかどうか、
それらを判断するためだった。
そうして残されていた断片である『顎』、『腕』、『胃袋』、
それぞれが精密調査されたが、結果は悉く悪いものだった。
まず、「善良な竜王」ふくむ元々の混沌神族の復活は困難だと判明した。
全ての断片に悪しき竜王の要素が溶けこんでおり、
それぞれを分離抽出するのは不可能だと判断された。
もしこのまま復活させようとした場合、、
そっくりそのまま「悪しき竜王」が復活することを意味していた。
そのため復活案は即座に放棄され、
必要最低限の「魂の苗床」機能のみを再起動させる方針となった。
137 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:23:19.54 ID:XVB8s0iW0
だがこの「魂の苗床」のみを復活させるという案も
また別の点で困難なものだった。
これはもともと竜王だけに託された任であり、
創った大元のエーシルと竜王以外は操作不能なものだった。
そもそもこれを知っていたために、賢者・魔女・魔神たちも当初は
「善良な竜王」を復活させようとしていたのである。
一応、抜け穴はあるにはあった。
「魂の苗床」はエーシルと竜王以外は操作できない、
それが基本であったものの、詳細な調査によって
エーシルと同じ『オリジナルのOMNE』格ならば
なんとか干渉可能だと判明はした。
とはいえ、エーシルの代役など簡単に立てられるわけがなかった。
人間たちにとってまずロキが本命であったが、
かの存在は隠遁してから完全に消息を絶っており、
この竜王事件においてもなんら活動が確認できなかったため
もはや期待できなかった。
そしてロプトも同じく消失状態。
もとい、ロプトは人間に対する敵対姿勢から、
魔たるクイーンシバと並んでそもそも論外である。
となると、残るオリジナルのOMNEは一柱、ジュベレウスである。
かの女神は活動停止してはいるものの、
その魂はいまだ強き生命を宿しており
そこに接続すれば「魂の苗床」も再稼動可能。
これこそ人間界滅亡を回避する、唯一の実現可能な選択肢であった。
138 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:23:55.71 ID:XVB8s0iW0
このジュベレウス案に天界主神派は大いに賛同したが、
もちろん賢者と魔女は猛烈な反感を示した。
「魂の苗床」がジュベレウスに接続されるということは事実上、
人間界の生命圏が丸ごと天界の影響下になるからである。
さらにジュベレウスは冬眠状態であったため、実質的な主導権は
ジュベレウス代理権限を有する主神派が握ることを意味していた。
これだけでも人間、特に魔女たちからは大反発を招くものだったが、
さらに主神派の思惑もまた火に油を注ぐこととなる。
そもそも主神派がこのジュベレウス代役案に同意したのは、
完全なる善意からくるものではなく
彼らの打算も含まれていたからである。
実は天界、もとい主神派からすれば、
この人間界の生命圏は金脈でもあった。
人間を糧としたクリフォトの樹があれだけの力を醸成し、
さらにその『果実』がムンドゥスをあそこまで飛躍させた以上、
人間界の絶大な利用価値は否定しようがない。
この世界に秘められている莫大な力、その潜在性は自明である。
そしてジュベレウスが眠りについてしまって以降
魔界に劣勢であり続けている天界にとって、
人間界はその劣勢を覆しうる力の源になり得たのである。
加えて人間界の生命活動を掌握することで、賢者や魔女に対する影響力も増大し、
ジュベレウス復活に必要な「世界の目」へ干渉できる機会も増す。
この人間界を救うはずのジュベレウス代役案は、
天界にとって長き苦境を打開する起死回生の一手にもなったのである。
139 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:24:26.44 ID:XVB8s0iW0
しかしながら、こうした姿勢はやはり道義上の問題を伴っていた。
これでは侵略するも同然、まるで魔族のような行いだ、
という拒否感が主神派内においてすらも生じたほどである。
だが天界の力がなかなか回復しない長き苦境、
そして停滞し続けているジュベレウス復活計画、
そういった状況は主神派を追い詰め、より強硬的にさせつつあった。
道義と理念の葛藤、良心と現実を天秤にかけた熟考の末、
最高指導部たる四元徳はついに一線をこえる決定を下したのである。
全てはジュベレウス復活のため、
ある程度は善を外れることも辞さないと。
人間界への協力として、ジュベレウスと「魂の苗床」を接続して再起動させる。
そしてそれを利用して人間界の生命圏そのものを掌握し、
その莫大な力を管理下におく、と。
「魂の苗床」を掌握するということは、
以降の人間界の全ての「出生」を支配するということ。
すなわち事実上、人間の隷属化を意味した。
賢者と魔女も、ジュベレウス代役案によるそうした弊害に気づいてた。
そして強い反感を抱き、
特に魔女たちの主神派に対する感情は憎悪の域に達していた。
しかし破滅を避けるには、他に選択肢は無かった。
魔女たちも憤怒を腹に抱えながらも、
この現実を受け入れるしかなかったのである。
140 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:25:05.48 ID:XVB8s0iW0
こうして、竜王事件で最終的に「勝者」となったのは主神派であった。
天界各派の識者たちは、この主神派のやり方に失望し、
自らをも含めて天界そのものにも失望した。
主神派は変わってしまった、
彼らはジュベレウス復活を優先するあまり、
ジュベレウスに教わった良識を捨て去り、
忌むべき一線を越えてしまったと。
我ら天界は、もはや『善』ではなくなったと。
141 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 01:26:05.00 ID:XVB8s0iW0
今日はここまで
次は明日の夜に
142 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:11:57.75 ID:XVB8s0iW0
第二章 新人間界
1 人間界の再建
表向き、主神派は人間界を救うためとしていたが、
その手法は侵略同然であり、
またその真の思惑も隠せるものではなかった。
潜在的に反主神派である魔神たちは真っ向から反対、
天界の他派閥も懸念を表明し、
天界寄りの賢者でさえも否定的な姿勢を示し、
魔女に至っては殺意をも露わにした。
だが主神派は否定せず、むしろ開き直って利点を述べた。
これはいわば同盟である、天界はさらに強くなり、
ジュベレウス復活にも近づき、
結託によって人間界も共に強くなる、と。
さらに決め手として、こう周囲に、特に人間たちに問うた。
他に人間界救済の策はあるのか、
人間達よ、汝らに滅び以外の選択肢はあるのか、と。
これに対して明確な答えを用意できた者はいなかった。
現実問題として、人間界の生命圏を復活させるには
これしか方法がなかった。
憤怒していた魔女達ですらこの現実を否定することはできず、
ただ沈黙を返すしかできなかった。
そして主神派と対立していた魔神派も改めて熟考した末、
しぶしぶながら認める形となった。
かつての全能性と旧世界を取り戻す、というのが魔神派の至上目的であり、
それを叶えてくれる「ジュベレウスの復活」へと到る道は
魔神派にとっても最優先だとだと再確認されたからである。
天界他派閥も苦渋の判断でこれに追従、
こうして一応の承認を得て、主神派は計画をついに開始した。
143 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:12:23.98 ID:XVB8s0iW0
ただ、この計画は作業段階においても難儀なものだった。
ジュベレウスと「魂の苗床」を接続し、人間界の生命圏を復活させる、
と簡単には言うものの、その具体的施行は様々な段階を踏まねばならなかった。
まず最初に必要だったのは、人間界の再設計である。
竜王の暴走により、人間界の物質領域は
空と大地が溶けあうほどに法則が乱れ、
生命活動も寿命や生死の境界が修復不能なまでに乱されていたため、
人間界の全様相を作り直す必要があった。
そのうえ元の「設計図」は竜王の残骸と癒着したため再利用不能、
一から新たに再設計しなければならなかった。
さらに装いを新たにするならついでということで、
より改善された人間界の様相が望まれた。
今回のようなたった一柱の暴走だけで崩壊する構造は避け、
頑丈かつ安定した世界構造を、と。
この難解な再設計作業は、
主神派の判断により魔神派に委ねられることとなった。
これは彼らの能力と経験が最適だったからである。
かつての原初時代において、
魔神たちは世界の「書き換え」を容易く行ってきた。
しかもその対象が「人間世界」というのも現状に合致しており、
魔神たちにうってつけの仕事だった。
144 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:12:55.06 ID:XVB8s0iW0
魔神たちはまず、新たな生命圏を精密管理するための基盤として
大規模な霊的回路網の構築にとりかかった。
人間界深層におかれた「魂の苗床」と
天界にて眠るジュベレウスをつなぐ本線を中心とし、
そこから広がる無数の枝が人間界の生命圏を覆う、
「樹」のごとき構造がとられた。
これは末端の魂のあらゆる活動に干渉する機能も備えており、
用い方によっては、人間を霊的領域から支配することも理論上可能だった。
この巨大な霊的回路網は
魔神たちによって「セフィロトの樹」と命名された。
これは彼らの旧世界における同名の霊的構造、
そして魔界のクリフォトの樹にもかけた、
天界主神派の所業を皮肉った命名であった。
このセフィロトの樹は、実際の運用は主神派ではなく
他の天界有力派閥に委ねられることとなった。
これは主神派が天界指導部としての業務に専念するため、
また魔女の反応を鑑みた妥協という一面もあった。
管理者として選ばれた有力派閥は良識的であり、
かつてかのミカエルが属していたこともあって
人間界を救った貢献から魔女とも一定の友好を維持していた。
そのため、彼らがセフィロトの樹を運用するならば
いくらかは魔女の反発も和らぐと考えられた。
つまりこの時点では、
『樹』自体は人間を支配可能な能力を備えつつも、
主神派が直接的にそれを行使できる体制ではなかった。
これもまた、周囲からの反発を和らげるための妥協であり、
彼らは慎重に事を進めていったのである。
145 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:13:21.90 ID:XVB8s0iW0
そしてこのセフィロトの樹の整備にあたって、
ある大きな問題についての対応も組み込まれた。
それは竜王ふくむ混沌神族の残骸の管理、
もとい、それら神々の復活を阻止する策の構築である。
「魂の苗床」は竜王の「胃袋」等の残骸と癒着しきっており、
これを分離できなかったため
それら残骸も含めて『樹』と接続するしかなかった。
だがそこには混沌神族の残骸も蓄積されている。
OMNEたる『混淆』も含めて厳重に封印はなされていたが、
完全分離が困難な以上、やはりそれら残骸が漏れ出して、
セフィロトの樹に流れこんでしまうのは避けられず、
それが混沌神族たちを復活させてしまう可能性があった。
具体的には、「魂の苗床」から出でる新生児の魂に
混沌神族の因子が混入し、いわば「神々の子」となって
現世に産まれてしまうのである。
そして問題なのは、その混沌神族の因子には
分離困難な竜王の要素も含まれたままであること。
つまりこの「神々の子」は成長すると竜王のごとき
邪神に変じる可能性があった。
最悪の場合、悪しき竜王そのものが蘇る危険性すらあった。
146 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:13:48.27 ID:XVB8s0iW0
そこでセフィロトの樹には、
こうした「神々の子」の成長を抑制する機能が組みこまれた。
人間の霊的領域の力をすべて剥奪し、
神族の因子が目覚めないようにする、というものである。
これは副作用として、人間の大幅な弱体化をもたらした。
霊的な力を削がれ、物質領域に縛られることで
どれだけ魂や精神が強くても肉体は脆いままであり、
物理的な寿命で「早死」にし、
事故や病による些細な肉体の機能不全でも容易に死ぬ。
そんな、かつて魔神たちがいた「旧世界の人間」のごとき
脆弱な種へと変じてしまうことを意味していた。
人間の生死の循環が極端に早くなることで
混沌神族の因子が開花成長する時間を与えない、という点で
この副作用自体も神族復活の抑制に役立ったが、
人間側からすれば明らかに過大な代償であった。
それこそ人間という種全体を貶められたも同然だった。
エーシルの次子として本来有していた高次の力が奪われたのだから。
また、吸い上げられた力は天界へと流れてゆくため、
まさしく搾取とも看破でき、
人間界を新たな力の源ともする主神派の思惑も滲むもの。
まさにこれは大多数の人間にとって
紛うことなき奴隷の枷だった。
魔女や賢者など、一部では例外的措置(後述)で
こうした「搾取」を回避した者たちはいたものの、
総体としては人間は大きく弱体化し、
「強き人間」の時代は終わりを迎えたのである。
そして後世まで続く「弱き人間」の時代が始まることとなった。
147 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:14:15.33 ID:XVB8s0iW0
こうして竜王と混沌神族の残骸の扱いや、
人間の魂や力の管理といった
霊的領域の整備は完了し、作業は次の段階へ。
今度は「物質領域」の整備に移った。
霊的な力を事実上失った人間たちにとっては
物質領域こそが生命活動の全てとなるため、
その領域の管理もまた人間界を制御する上で重要だった。
そうして霊的領域を管理する「セフィロトの樹」同様、
物質領域も管理する機構の整備が始められた。
技術的作業を担うのは再び魔神たちであった。
また彼らにとって、この作業はかなり簡単なものでもあった。
なにせ彼らの得意分野たる技術、
『位相』という機構がそのまま転用できたからである。
この『位相』技術の応用により、『膜』を被せるように
現実の表層、すなわち物質領域の在り方を定めることができた。
物理法則や環境の設定から、生態系の傾向、個体の性格などに至るまで。
さらにはその『位相』内部の物質世界はどのような過去を経て、
そしてどのような未来を紡ぐかという歴史もある程度は設定できた。
言うなれば、『位相』を完全掌握する者は
全能のごとく物質世界を操作することが可能だった。
148 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:14:42.33 ID:XVB8s0iW0
ただし、かつて原初世界群にて
魔神たちが有していた本来の力に比べれば、
この新しい『位相』操作機構は大きく制限されたものであり、
これを彼らは皮肉をこめて『全能お試し版』と呼んだ。
この『お試し版』、操作可能な範囲と対象はあくまで
限定された人間界の物質世界内部のみであった。
また操作できる対象も、その霊的な力が削がれていること前提であり、
強い霊的な力を有しつづけた賢者・魔女には影響は及ばなかった。
とはいえあくまで「弱き人間」を物質領域からも管理する、
そのための機構であるため、この程度の機能で十分だった。
また縮小単純化されたおかげで、
『位相』操作を受けない異物によって『位相』世界が乱されたとしても、
いつでも柔軟に操作でき、速やかに調整・修復できるという利点もあった。
そうして魔神たちは『位相』操作の基礎となる枠組みを構築させ、
いよいよ具体的な内容の設計にうつった。
新しい世代の人間はどのような世界に生きて、
どのような歴史を綴っていくのか。
魔神たちはそれぞれ新たな世界像の素案を提示し、
それらは主神派によって入念に吟味され、熟考の末に一つに選ばれた。
それはもっとも若き魔神、「オーディン」が作った素案であった。
149 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:15:11.32 ID:XVB8s0iW0
2 オーディンの位相群
魔神オーディンの位相案は、
他の魔神たちが提示したものとは趣が異なっていた。
他者のものは、
「この件にもっとも最適な世界像」としての位相案であったが、
オーディンだけは適正で作ったものではなく、
彼女が「個人的にもっとも望む世界象」を提出したのである。
これは、彼女が胸に抱いていたある願望に由来していた。
魔神派全体としての最終目的は、
かつての全能性と故郷の旧世界を取り戻す、というものである。
ジュベレウスのもとに集い、魔族と戦ったことも、
そして天界勢力に属していることも、
全てはその最終目的のための過程にすぎない。
しかしオーディンにだけは、その最終目的よりも
さらにもう一歩踏み込んだ目的があった。
『とある少年』のために、その少年が生きた世界を回復させる。
それこそが彼女にとっての最終目的であり、
全能性と旧世界の回復もまた過程にすぎなかった。
そして、そんな彼女にとって今回の件は大きな誘惑に満ちていた。
もしかしたら、ここで願望を達成できるかも、と。
「とある少年の世界」を位相案として提示し、それが採用されたら、
そのまま「とある少年の世界」を再建できるかもしれないと。
150 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:15:37.88 ID:XVB8s0iW0
ただし、これは結局は幻想であった。
オーディンの位相案が採用されたとしても、
「とある少年の世界」と同一世界には成り得ない、それは明白だった。
この人間界が在る環境は、「とある少年の世界」とは大きく異なる。
天界の主導的な統治、魔界からの介入、
そして人間界内部にも賢者や魔女、
さらに『位相』をめくった下には混沌神族の残骸など、
異なる構造や要素があまりに多くある。
これら『異物』の影響が避けられない以上、
近似はしても「同一」には成りようが無い、
創りだされる世界は結局別物だった。
もちろん、彼女もこれらを明確に理解していた。
だがそれでも誘惑に駆られてしまった。
もう一つの堪えがたい理由があったから。
過去に、大事な世界の姿を忘れてしまった経験があったために。
そのため、「とある少年の世界」もいつか思い出せなくなってしまう、
という不安がこの日に到るまで常に彼女を苛んでいた。
くわえて全能性と旧世界回復の具体的な目処が立たない現状、
すなわちジュベレウス完全復活がいつになるかわからない、
そんな状況もさらに忘却の不安を募らせいた。
そうした不安と焦燥の果てに、彼女は自覚していながら
感情的な行動へと出てしまったのである。
「とある少年の世界」を回復させる、その願いが
耐え切れないほどに強すぎたために。
151 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:16:04.36 ID:XVB8s0iW0
このような背景と動機だったため、
彼女の提示した『位相』案はもちろん最適なものではなかった。
一応は最低要求を満たしてはいたが、
異質な才の大量出現、大規模な混乱の可能性、
信仰体系の膨大さと不安定な傾向など、
多くの不確定要素をはらんでいた。
くわえて、『位相』の構造自体も他の魔神たちの案と大きく異なっており
それがさらに安定を損なっていた。
他の素案は、隅から隅まで設計された緻密なもの、いわば箱庭型であったが、
オーディンのものは彼女の記憶を基点として、
水面の波紋のように広がって形成されるものだった。
明確なのはオーディンが記憶している基点部分のみであり、
それ以外の大部分は不明確。
いわば「種」から大きな幹が上に伸びることはわかるも、
広がる枝葉の数や形状は成長しなければ詳細不明、といった具合だった。
言ってしまえば、彼女の素案は
新人間界の姿を定める設計図としては完璧に程遠い、
穴だらけの未完成品だった。
だが四元徳による最終選定の末、
選ばれたのはこのオーディンの未完成品だったのである。
152 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:16:30.24 ID:XVB8s0iW0
理由は大別して二つ。
まず一つは、オーディン案には小細工がなかったという点である。
というのも、他の魔神たちの素案は表面上は優れていたものの、
その奥底には彼らが独断で操作できる別の管理回線、
「裏口」が隠匿されていたことが判明したからである。
どの素案も、いざという時に魔神派が管理権を奪うための保険が
あの手この手で仕込まれていた。
だがオーディンの案だけは純粋な想いで創られていたため、
小細工はまったく含まれていなかった。
そして二つ目の理由は、
その未完成な構造が逆に利点とされたことだった。
穴だらけで未完成ということは、
見方を変えれば改造の余地が多いということ。
後々に、状況に合わせた要素をその穴に埋めこむことができ、
不測の事態にも対応可能な柔軟性がある、
主神派はそう評価したのであった。
153 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:16:56.57 ID:XVB8s0iW0
こうして新たな人間界の姿として、
「オーディン位相群」が正式決定された。
そして次に、「台本」の配役や演出を決めていくように、
実際の運用とオーディン位相群とのすり合わせ作業が行われた。
まずは信仰群の整備である。
新世代の「弱き人間」たちを管理する上で、
信仰体系はセフィロトの樹と並んで重要な基幹要素だった。
彼ら「弱き人間」は、賢者・魔女といった旧世代の「強き人間」とは異なり、
生まれたばかりの赤子同然で不安定かつ脆弱であるため
精神面においても導きと保護が必要だと判断されたからである。
そしてその手段として、信仰体系は最適だった。
善意的な表現をするならば、
信仰によって精神面から人間を導き、彼らを守る、というものである。
かつて自我を得たばかりの最初期の人間たちが、
エーシル=ロキによって導かれたのと同じように。
ただしこれは上辺であり、本質ではエーシル=ロキ信仰と大きく異なる。
エーシル=ロキのそれは真に人間への愛から成り、
人間に寄り添い、導き守ることを常に第一とした。
一方でこれは、人間たちの精神内部も操作し、監視し、混沌神族系を抑制し、
思念を矯正し、人間を管理しやすくするためのもの。
また、人間から奪った霊的な力を
効率よく束ねる上でも信仰は有用だった。
信仰によって思念を天界側に寄るよう矯正すれば、
霊的な力にもその思念が付加され、天界が扱いやすくなったからである。
154 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:17:23.42 ID:XVB8s0iW0
そしてオーディンの位相群には、
そういった管理構造に有用な信仰体系が充分に揃っていた。
この位相群は何重にもなっており、
位相の一枚一枚が信仰体系の核でもあり、
それら位相枚数、すなわち信仰体系の数は膨大だった。
それゆえ非常に幅広く、柔軟な「弱き人間」の管理が可能だった。
ただしあまりに信仰の数が多いゆえ
主神派のみで全てを管理するのは困難だったため、
天界の各有力派閥に実務が振り分けられることになった。
選定は各派閥の力量に合わせられ、
強大な派閥には相応の大規模な信仰体系が委ねられた。
例えば、セフィロトの樹の管理を任されたかの有力派閥には、
最大の信仰体系もあてがわれた。
後世において十字教と呼ばれる信仰を含む、
最終的には人類の大部分を占めるほどに大規模になると
「台本」たるオーディン位相群にて定められているものだった。
こうしてそれぞれ信仰体系をあてがわれて、
主神派・魔神派のみならず他の諸派閥も満遍なく
「新人間界」管理に参入することとなった。
またその管理の下部組織として、
人間界側で信仰体系を運営する者たちもそれぞれ組織された。
人員は「弱き人間」たちから選ばれ、
天界諸派閥による信仰管理の末端となった。
この者たちは「弱き人間」の社会において、祭祀や神官などとして、
天上の意志を社会へ浸透させる役目を担った。
155 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:17:52.99 ID:XVB8s0iW0
ただし、こういった天界諸派閥の信仰管理はすべて、
本質的には主神派の代理、さらに言うと全てはジュベレウスの代理とされ、
人間たちから捧げられる信仰心は
最終的にはジュベレウスに集束するようになっていた。
あらゆる信仰の神はすべて
ジュベレウスの化身として紐づけられたのである。
これは人間から吸い上げた霊的な力や、
死後の魂をより扱いやすくするための措置だった。
ジュベレウスの名と存在を表面的には知らなくとも、
人間たちは本能的に彼女こそが『創造主』だと認識し、
思念や魂が従順に従うようにしたのである。
これこそ、主神派が人間界を「金脈」とする企ての実現でもあった。
主神派が、もとい四元徳がその気になれば、
人間の霊的な力も魂も全て自らの手中にできたのである。
ただし、これらジュベレウス信仰の機構は、
主神派強化という利己的な実利のみならず、
今後生まれる人間たちから「エーシルの次子」としての
古来のアイデンティティを奪うものでもあり、
やはり魔女の反発を強く受けることになった(後述)。
156 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:18:19.39 ID:XVB8s0iW0
信仰体系の次に重要だったのは「配役」だったが、
「台本」たるオーディン位相群はそれらもしっかり対応していた。
まず混沌神族の子である者たちは、
オーディン位相群に現れる「能力者」と呼ばれる出生に配役された。
はるか後世には「原石」とも呼ばれた者たちである。
また他の「弱き人間」たちの集団も、
それぞれ整備されオーディン位相群に重ねられていった。
たとえば天界諸派閥が従えた「弱き人間」からなる下部組織、
各信仰体系の管理を地上側で担うこの集団は、
オーディン位相群における「魔術師」と呼ばれる層に配役された。
彼らの第一責務は地上側における信仰管理であったが、
それには実力行使を伴う分野も含まれており、そのための知識と技術も与えられた。
それぞれの信仰体系を脅かすほどの者、
あるいは天界の望まぬ形で人間社会の動乱が生じた場合、
一番最初に対応するのが彼ら「魔術師」であった。
また混沌神族の子、もとい「能力者」を討伐する責務も担っていた。
ただし、彼らの「魔術」は賢者・魔女の力とは全く異なるものだった。
「弱き人間」は魂があまりに小さかったため、
賢者・魔女と同じ技術を扱うことはできなかったのである。
彼らが用いた「魔術」とは、オーディン位相群の中にあった代物、
魔神たちの旧世界で使用されていた古いものがそのまま流用された。
また、式を行使するための霊的な力についても、
その供給源は賢者・魔女とは大きく異なっていた。
古の「強き人間」である賢者・魔女は自身も強大な力を有し、
さらには天界・魔界から直接引き出した力も使っていたが、
「弱き人間」は霊的な力が逆に吸いとられ、
かつ天界・魔界の力にも耐えられないため、
専用に薄められた力がセフィロトの樹を通して供給された。
すなわち彼らの魔術行使は、源の部分でこれまた天界の制御下にあったのである。
天界の意、もとい主神派の意に沿わない場合、
その魔術への供給を遮断することも可能だった。
157 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:18:46.13 ID:XVB8s0iW0
それでも、この「魔術師」たちこそが
新たな人間界の地上を統べる階層となった。
というのも、賢者・魔女はこのオーディン位相世界、
もとい「弱き人間」世界には積極的に関わろうとしなかったからである。
かなりの懸念や不満を抱いていたとはいえ、
人間界再建とその維持は天界主導でなければ果たされないことを認め、
そしてその業務を乱さぬように身を退く、というのが最たる理由であった。
賢者・魔女は自らがあまりに強大であり、
オーディン位相内部、もとい「弱き人間」の世界を
容易に乱せる異物であることも自覚していた。
自分達が不用意に介入すれば、世界に予期せぬ障害や動乱を起こしかねない、と。
加えてもう一つの理由として、彼らが本来の責務たる世界の目の守護、
そして対魔族の人間界防衛に集中した、という点もあった。
魔族侵入に対処する上で、少数精鋭ゆえに「弱き人間」界隈の
雑務に関わる余裕は無かったのである。
こういったことから、「弱き人間」の地上世界は実質
「魔術師」と呼ばれた勢力が最上階層となった。
ただしこの「魔術師」たち、「弱き人間」で構成される以上は
いくら天界の支援を得ようとも限界は相応のものであり、
状況によっては戦力不足になることも考えられた。
そこで主神派は、いくらかの強き戦士を計画的に生産して賄うことにした。
「霊的な力の剥奪」という条件を特別に外した、
賢者のような強靭な肉体と天界の力を有した戦士を出現させた。
この戦士たちは「魔術師」側の切り札とされ、
オーディン位相群においては「聖人」という位置に配役された。
158 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:19:12.58 ID:XVB8s0iW0
こういった具合で「弱き人間」の「配役」が決められていったのと並行して、
彼らが住まう世界も細部が整備されていった。
物質領域は元々の人間界から大幅に変更され、
オーディン位相群の旧世界像がそのまま転写された。
魔女と賢者が住まうヴィグリッド、
かつてエーシルが座した霊峰フィンブルヴェトル、
その麓の古都ノアトゥーンなど、僅かな霊的要所は残されたものの、
ほぼ全域が様変わりした。
また三位一体世界では通常、生命活動は多層の領域に跨るものであったが、
「弱き人間」たちの居住域は一つの物質領域のみに限定された。
これは結果的に、「人間の住む世界」が
以前とは比べ物にならないほど狭くなることを意味していた。
これらは領域が狭いほうが天界にとって管理が容易というほか、
霊的領域を本拠としている賢者・魔女と隔絶させる目的もあった。
同時に賢者・魔女の側も「弱き人間」世界に積極的に関わることを避けたため、
この点は双方で要求が一致していた。
159 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:19:39.99 ID:XVB8s0iW0
こうして「台本」、「配役」から「舞台」作りまで、
オーディン位相群の適用と構築は順調に進められていった。
とはいえ当のオーディンは、
この作業段階には加わっていなかった。
「とある少年が生きた世界」を素案として提示した、
その己の行動をひどく後悔していたからである。
「とある少年」のために、彼が生きた世界を回復させる、
その強い願望のせいで衝動的にこの機会に懸けてしまったが、
この「機会」はやはり幻想でしかない。
たとえ同じ「台本」を使おうとも、
天界・魔界といった「台本」外の大きな要素が並存する以上、
同じ世界になることはない。
このオーディン位相世界でのちに現れるかもしれない「とある少年」も、
近似はしても同じではない、本質的には完全な別人となる。
しかもこのオーディン位相群は、
動機が「とある少年の世界の再構築」だったため、
「台本」としてもその「とある少年」が生きる時代までしか用意されていない。
それゆえ、この位相群が「とある少年」の時代に到達すれば、
そこからはオーディンも知らない未来、もはや似ても似つかない世界になる。
彼女は「とある少年の世界」を回復させるどころか、
冒涜するかのごとく歪んだ別世界を
創りだしてしまったのである。
160 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:20:06.31 ID:XVB8s0iW0
それゆえ彼女はひどく後悔した。
こうなることがわかっていながら、行動に移してしまった、
そんな己自身への失意と怒りも伴って。
しかし悔やんでもすでに手遅れだった。
もちろん、自らの素案を採用しないよう
主神派へ幾度も意見した。
だが主神派は聞き入れなかった。
そしてオーディン位相群は彼女の手を完全に離れ、
新たなる人間界の歴史として始まってしまった。
いまや彼女にできるのは、現状を受けいれることだけだった。
大切な記憶、「とある少年」に捧げるはずだった世界が、
おぞましい別物になっていく。
その陵辱にひたすら耐えるしかなかった。
そしてオーディンの他にも、
この新しい人間界をひどく嫌悪した者たちがいた。
やはり、アンブラの魔女たちである。
161 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:21:01.43 ID:XVB8s0iW0
3 魔女の決断
人間たちは長い間、
彼らの創造主たるエーシル=ロキだけを信仰していた。
対象がエーシル=ロキだけなのは、
彼らにとって混沌神族は無能な「兄」でしかなく、
天界と魔界はそれぞれ協力者でしかなかったために。
また、そもそも当時は人間自身が神族をも憚らないほどの力と
それゆえの気高さを有していたため、
エーシル=ロキ以外に屈するつもりは一切なかった。
そのぶん、エーシル=ロキに注がれた信仰は篤いものであり、
ロキの隠遁後もその熱意は変わらなかった。
しかしその熱意は徐々に冷めていくこととなる。
重大な問題に陥った際、たびたび人間たちはロキの神託を求めたも、
隠遁後のロキからは助言どころか、
その存在を示す兆候すらなかったために。
また世代交代によってロキと面識があった者が減っていったことも、
信仰の形骸化と認識の希釈化をもたらした。
賢者・魔女は大変な長命とはいえ完全な不老ではなく、
どれだけ壮健な者でもいずれは精神が老いて死が訪れたほか、
生き疲れて死を選ぶことも慣習としてあったからである。
そして最後に、竜王の騒乱が
エーシル=ロキ信仰に致命的な離心をもたらすことになった。
これだけの人間界の危機となっても、
ロキは一切助力してくれないばかりか、
やはり存在の兆候すら示さなかったのだから。
162 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:21:27.61 ID:XVB8s0iW0
エーシル=ロキはなぜ現れないのか、なぜ助けてくれないのか。
それは神頼みなどという他力本願ではなく、
人間たちが篤き忠義と責任感を有するゆえの失意だった。
「魂の苗床」を管理するのは混沌神族、
「世界の目」を管理するのは人間、
この管轄はエーシル=ロキが定めたものであり、
人間たちにとっては創造主が定めた絶対戒律も同然だった。
そのため「魂の苗床」に関わる竜王騒乱は
権限が無い人間が介入するものではなく、
エーシル=ロキのみにその資格があり、
そして同時に彼の責務である、それが人間たちの認識だった。
しかし最後までかの存在は現れず、
解決から事後処理まですべて天界の成すがまま。
人間たちは失意とともに現実を受け入れるしかなかった。
エーシル=ロキはもう存在しないも同然だと。
163 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:21:54.60 ID:XVB8s0iW0
そんな彼らへと、天界主神派はジュベレウス傘下に入ることを提案した。
すなわち今後はジュベレウスも信仰せよと。
賢者は、元から天界と親密だったこともあってこの提案を受け入れた。
エーシル=ロキ信仰は継続しつつも、
ジュベレウスも同格として祀ることにしたのである。
もともと賢者は天界から引き出した力も用いていたこと、
つまり間接的にジュベレウスの恩恵をすでに受けていた点も、
信仰受容に抵抗が少ない一因だった。
一方、魔女側は当然のごとくジュベレウス信仰を拒んだ。
そして天界による新人間界の管理も、
今はこれしか方法がないため現実的には認めつつも、
思想的には拒絶するということを改めて宣言した。
そこには絶対に受け入れられない一線があった。
これは理念上の問題だけではなく、
彼女たちの今後の生命に直接関わる問題だったからである。
賢者・魔女ら旧世代の「強き人間」は、セフィロトの樹とは接続されず、
またオーディン位相群という「台本」の外に在るため、
その活動自体は天界の直接干渉を受けることはなかった。
しかし人間の魂の源泉、「魂の苗床」だけは共有しており、
それが魔女たちにとって問題だった。
164 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:22:22.47 ID:XVB8s0iW0
問題は二つ。
まず一つ目、「魂の苗床」は基本的に
「弱き人間」を生み出すように改変されてしまったため、
今後の魔女も「弱き人間」になってしまいかねない。
主神派側は、賢者・魔女の子は「聖人」のように制限を外すとしていたが、
魔女にとってそんな配慮は何の解決にもならなかった。
天界の一存で制限をまた付加して「弱き人間」に変えられる、
すなわち望むがままに魔女の子を弱体化させられる、
そんな手段が存在すること自体が問題だった。
そして二つ目、魂の苗床は、セフィロトの樹の接続によって天界の管理を受けている。
つまり、そこから生じる魂に天界はいくらでも
手を加えることができるということ。
今後の魔女の子が「弱き人間」にされるどころか、
天界の操作を受けて別物に、それこそ天界側につく人格に修正され、
魔女勢力内部から侵食される事態すら有り得る、彼女らはそう懸念したのである。
主神派は賢者・魔女の魂には干渉しないと宣言していたものの、
これまでさんざん冷遇され対立続きだった魔女たちが
主神派を信じられるわけがなかった。
この魔女たちの懸念は、ある一面では真実でもあった。
主神派は魔女を潜在的脅威とみなしており、実際に常に優位を模索していた。
ジュベレウス復活に必要な「世界の目」、
その獲得および使用において、魔女が最大の障害となるのは自明の理。
そして今回の点はまさに、その将来的な問題を解決しうる可能性を秘めていた。
魔女たちが懸念したとおり、
いざとなれば生まれてくる魔女の子たちを「弱き人間」にして弱体化させ、
人格に手を加えて内部から侵食する、現にそのような策も選択肢の一つとして考えられていた。
当然ながら、魔女たちがこのような状況に甘んじ続けるわけがなかった。
これまで主神派の対魔女策はことごとく裏目となり
状況をむしろ悪化させてきたが、今回もその例に漏れなかった。
以前、魔界へと傾倒した際と同じように、
今回も魔女は大変な強攻策に打って出たからである。
165 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:22:52.21 ID:XVB8s0iW0
それは、魔界への傾倒を
究極のところまで発展させるという策だった。
具体的には、従来用いられていた悪魔との契約術をさらに強化して、
魂そのものを契約相手と同化させることにしたのである。
これにより、もし「魂の苗床」にて如何なる操作を受けていようとも、
契約を交わした瞬間にそれらが消去され、
「弱き人間」としての制限も完全排除され、
旧来の「強き人間」へと後天的に変じることができた。
加えて悪魔との魂同化によって、元々の「強き人間」よりもさらに強くなり、
より強大な新世代の魔女を輩出させることもできた。
一方で、やはり大きな代償もあった。
契約相手の悪魔と一身同体となってしまったことで、
相手からの精神汚染の危険が飛躍的に高まることとなった。
少しでも気後れしてしまうと、正気を失うか、主従関係が入れかわって
相手に従属させられる危険性が増大した。
さらに死後、その魂は契約相手に引かれる形で
魔界に落とされることにもなった。
この契約を結んだ者は死をもってしても、
苦痛から解放されることも無くなったのである。
くわえて契約そのものがきわめて高難度になり、
契約時に相手悪魔に殺される、同化の負荷に耐えられず死ぬなど、
未熟な若き魔女たちにとってはより危険な試練となった。
しかしこれら代償があろうとも、魔女たちは方針を変えなかった。
天に屈するくらいなら、魔に飲みこまれるほうが良い。
それが彼女たちの結論だったのである。
そして必然的に、これほどの強硬策は
魔女の孤立をもたらすことにもなった。
166 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:23:18.23 ID:XVB8s0iW0
確かに、魔女の言い分には一理あった。
そのため当初は、間に立った各派閥が魔女をなだめつつ
主神派にも譲歩を訴え、双方が納得する妥協点を探ろうとしていた。
また主神派内部ですら、首脳たる四元徳の方針に
異を唱える声があったほどである。
くわえて魔女内でも、こうした中立派の協力を得て
主神派と和解するべきとの意見もそれなりに支持を集めてはいた。
にもかかわらず最終的に強硬策に出てしまったのは、
一族のため、もとい、今後生まれてくる子供たちのためだった。
子供たちの世代が弱体化、隷属させられる可能性など、
絶対に見過ごすことができなかった。
その高潔さ、使命感の強さ、そしてなによりも「母親」として、
彼女たちは妥協することができなかった。
一方で妥協ができないのは主神派も同じであった。
何事にも優先すべきジュベレウス復活、その障害と成りうる以上、
彼らもまた魔女に対して譲歩はできなかったのである。
167 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:24:18.73 ID:XVB8s0iW0
こうして互いの大義と信念の衝突により、
魔女と天界の関係はより悪化していくこととなる。
主神派はついに魔女らを公に「敵」であると宣言し、
交流を全面的に絶つほどに態度を硬化させた。
天界の他の諸派閥はそこまで強硬的ではなかったものの、
やはり立場上は主神派に追随するしかなく交流を絶った。
賢者は仲介役として交流自体は保ったものの、
やはり態度は徐々に硬化していった。
そして魔神派だけは態度を変えなかったものの、
彼らは「忌まわしき新人間界」を作り上げた張本人であったことから、
逆に魔女側から避けられるようになってしまっていた。
とはいえ、それでもみな最後の一線だけは弁えていた。
主神派も魔女も、態度は硬化させつつも理性を維持し、
武力衝突だけは何としてでも避けた。
ジュベレウス復活を最終目的としている天界にとって、
それに必要な目を有する魔女との全面衝突は論外。
また魔女のほうも、人間界の守護者として
その世界が戦火に見舞われる事態は避けなければならなかった。
また心理的にも、同胞たる賢者や、
距離を置こうとも旧友である魔神派との衝突はやはり望んでいなかった。
168 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:24:47.37 ID:XVB8s0iW0
くわえてちょうどこの時、人間界を襲ったとある『外圧』が
諸勢力の自制をさらに促した。
突如、人間界の外縁部たる「狭間の領域」にて莫大な力が放出され、
その衝撃が人間界全体を振動させたのである。
もし人間界内部にて放出されていたら、
完成したばかりのオーディン位相群を粉砕してしまうほどの力だった。
この事件の犯人は、
その力の分析からすぐに魔帝ムンドゥスだと判明した。
行動の具体的な意図までは判然としなかったものの、
天界と人間界にとって十分すぎる警鐘だった。
魔界とそれを率いる侵犯者たち、
それこそが真の脅威なのである、
その共通認識を再確認したことが、情勢にもそれなりの安定をもたらした。
主神派も魔女も、互いに敵対しつつも
これ以上の関係悪化は
避けようと努めるようになったのである。
169 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:25:58.78 ID:XVB8s0iW0
しかし一方で、もはや修復不能なまでに
関係が拗れていたのも事実だった。
これ以上の関係悪化は努力と良心で防げるかもしれない、
だが以前の状態へと修復することはもはや困難だった。
主神派も、魔女も、互いに存続や信念のために必死であり、
それゆえにもう後戻りはできない。
ここから変化があるとすれば、さらなる悪化のみだった。
こうした状況は、見方を変えれば
「竜王の勝利」とも言える構図だった。
かの悪竜は討伐されてしまったが、
その悪意が従来秩序を崩壊させ、
決して掃えない緊張と不和を植えつけることに成功したからである。
天界も賢者も、そして魔女も実感していた。
竜王の騒乱によって、「何か大きなものが狂いはじめた」と。
あの一件以降、決定的な綻びが生じはじめ、
全てが悪い方向へと流れつつあると。
170 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:26:25.84 ID:XVB8s0iW0
そしてこの「流れ」は、
実はある存在によって
意図され引き起こされたものであった。
全ては現実と虚無の狭間に潜んでいた、
とある「黒幕」の企てである。
この真の「黒幕」の存在には、
魔神を含む天界勢も、賢者と魔女も気づいていなかった。
さらには、かの竜王自身も己がその道具となっていたことに
まったく気づいていなかった。
しかしたった一人だけ、その「黒幕」を見抜く者がいた。
先の『外圧』を引き起こした存在、
魔界から状況を観察していた魔帝である。
彼だけが真の「悪意」の源に勘付いていた。
171 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:26:59.80 ID:XVB8s0iW0
4 「黒幕」と魔帝
魔帝は人間界の動向を注視していた。
肥大を続ける己の力、
それを自力で安定させることに失敗した彼にとって、
「世界の目」こそが問題を解決しうる
次なる可能性だったために。
その視線はきわめて悪意に満ちていたものの、
皮肉にも悪意に満ちていたからこそ
彼だけがある真実に気づくことになった。
ことの真相を暴くにあたって、
天界・人間界勢と比較して、魔帝には大きく三つの有利な点があった。
一つは、彼はOMNE関連の知識においては、
天界・人間界の者たちを凌駕していた点である。
当のジュベレウスが眠ってしまっている天界勢や、
「世界の目」をあくまで「与えられた者」でしかない賢者・魔女では、
OMNE分野の認識には限界があった。
一方で魔帝は自力で獲得したうえ、
大勢の侵犯者ともかつて共に戦い、あるいは共食いしてきており、
ジュベレウスとも干戈を交えた経験もあった。
さらに「果実」獲得後は自身の「創造」をより入念に分析し実験も重ねていたため、
OMNE分野の知識は天界・人間界勢を遥かに凌駕していたのである。
172 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:27:27.16 ID:XVB8s0iW0
二つめは、魔帝は外部から観察していたという点である。
天界・人間界勢は混迷した渦中にあり、
竜王討伐と人間界の修復、魔女の強硬策といった問題に集中するあまり、
全体像や背景への認識が鈍ってしまっていた。
一方で魔帝は第三者として全体を俯瞰し、
客観的に観察できる立場にあった。
そして三つめは、魔帝が暴虐の権化たる存在だった点である。
それは、日々魔界にて反旗の種をあえて育てるという
騒乱のお膳立てを常とする魔帝だからこその感覚だった。
人間界の動向を観察していた彼は、
その不和が高まっていく様子に既視感を抱き、すぐに悟った。
竜王騒乱から始まった秩序崩壊、この見事なまでの混乱は、
実際に己のような「黒幕」が存在するのではないのかと。
この推測は、竜王がOMNEの力『混淆』を有していた事実も後押しとなった。
かの竜は、とても自力でOMNEの領域に達しえるような存在ではなく、
『混淆』は他者から与えられたと見るほうが道理に適っていたからである。
173 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:27:53.68 ID:XVB8s0iW0
そしてもし黒幕が存在するのならば、
魔帝にとって見過ごせない問題であった。
人間界を覆うほどの策略ということは、
「世界の目」もその黒幕の術中に置かれるからである。
また対抗心と占有欲から怒りも抱いた。
人間界も含めて「全て」の加虐的支配を欲している魔帝にとって、
他者が自分のように世界を弄んでいることが許せなかった。
黒幕がいるとすれば、その力量はどれほどか。
自身が将来的に目論んでいる「世界の目」強奪において、
その黒幕は障害となりうるのか。
それらを確かにするべく、魔帝はすぐに調査にのりだした。
黒幕の力量が未知数なため、調査は徹底して秘密裏に行われた。
OMNEの力を他者に与えられるほどの強者、
という可能性もある以上なおさらに。
174 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:28:21.94 ID:XVB8s0iW0
黒幕の尻尾を掴むにはやはり、
まずは『混淆』について分析する必要があった。
とはいえ、『混淆』を含む竜王の残骸はこの時期、
「魂の苗床」がある新人間界の底に埋め込まれてしまっていたため、
悟られずに直接調べるのは困難になっていた。
だがこれと並行して起きた事件、魔女のさらなる魔界傾倒が
この問題も解決させた。
悪魔と魂を同化させるほどに魔女が接近してきた今なら、
彼女たちが有している『混淆』の分析記録も
入手可能だと思われた。
当然、魔帝の要求に魔女側が素直に応じる、とはいかなかった。
それどころか魔女たちは徹底的に魔帝との接触を避けていた。
魔女が同化対象にしていた悪魔の条件の一つとして、
明確に反魔帝勢力であることを定めていたほどである。
魔女は魔界に傾倒したとはいえ、あくまで力を手に入れるためであり、
決して魔族の価値観を受容したわけではない。
そして最大目的も人間界の守護であり、
ゆえに全生命を脅かしうる魔帝ら侵犯者を
やはり最大脅威とみなしていたのである。
魔女が魔帝の交渉に応じることは決してない、そこで魔帝は一計を案じた。
まずは、『混淆』には魔帝の「創造」を機能不全に陥れる鍵がある、
そんな噂をあえて魔界内に流したのである。
OMNEの力なら同じOMNEの力に対抗できる、という道理で説得力もあったため
反魔帝の者たちがこぞって興味を示し、
記録を求めて魔女に接近する者も増えることとなった。
もちろん魔女側は慎重であり、
言い寄ってきた悪魔たち全てに『混淆』の記録を渡すことはなかった。
ごく一部の、信用できる少数の大悪魔にしか与えなかった。
175 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:28:51.81 ID:XVB8s0iW0
だが、ごく少数であっても
『混淆』の記録が魔界に渡ったという時点で
魔帝にとっては充分だった。
一部の大悪魔たちが『混淆』の記録を入手したと知るや、
魔帝自らが出陣し、その全員を殺害して記録を強奪した。
記録保持者を一人残さず追って殺したのは、
「『混淆』に手を出した者共の粛清」という建前を強調し、
魔帝自身が記録を求めていたという真の目的を隠すためである。
この魔帝自らが粛清に動いたことで
「創造」に『混淆』が効くという噂が
より真実味をもって魔界に広まったが、これについては魔帝はあえて放置した。
「創造」に『混淆』が効くというのが事実だとしても、
魔帝はなんら脅威を抱かなかったからである。
そもそも魔帝ら侵犯者たちは、
OMNEの力を獲得したから強大になったのではなく、
強大だったからこそ自力でOMNEの域に達して獲得できたのである。
OMNEの領域に達しない存在がOMNEの力を貰い受けたところで、
使用者の力量が不十分なのだから真の脅威には成りえない、
それが魔帝の考えだった。
また、この魔帝の放置姿勢がなくとも
「創造」に『混淆』が効くという噂は徐々に関心が失われていった。
魔帝による粛清以降、
魔女側が『混淆』の記録を門外不出としたからである。
記録を渡せばそのたびに大事な契約相手が魔帝に殺される、
これは魔女にとって不利益でしかなかった。
176 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:29:20.81 ID:XVB8s0iW0
ともあれ、こうして記録入手に成功した魔帝は
すぐに詳細分析を行った。
『混淆』の力、すでに魔女によって入念な分析が行われていたものの、
由来を含めて詳細は未だ解明されていない。
それは前述のとおり、彼女たちはOMNEの力についての知識が
不足しているためだった。
反面、魔帝はその分野において遥かに優位にあり、
それまで誰も成しえなかった『混淆』解明をついに成功させた。
その結果は驚くべきものだった。
まず『混淆』は、侵犯者らが有する「複製品」とは異なり、
『オリジナルのOMNE』由来だと判明したのである。
さらに性質が、魔帝が直に知っているジュベレウスともクイーンシバとも
全く異なるものであったため、
消去法にて本来の所持者はエーシルだと判断できた。
だがエーシルが竜王に直接与えた、というのは有り得なかった。
『混淆』が単体として成立したのは竜王の暴走直前だとも判明し、
エーシルが分裂した遥か後だったからである。
すなわち、誰かが竜王に『混淆』を与えたとすれば、
その「誰か」はロキあるいはロプトだと推測できた。
177 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:29:48.75 ID:XVB8s0iW0
こうして得られた知見は、
魔帝にとって想像以上の収穫だった。
『無』の力を有しているかもしれないロキの行方は、
魔帝にとって長らく最大の問題であったが、
ここでついにその影を垣間見たかもしれなかった。
しかし事はそう簡単に進まないもの。
得られた情報はきわめて有益ながら、あくまで推測の材料どまり、
確証に至るほどではなかった。
魔帝が行ったのは所詮は魔女の記録の再分析、
『混淆』そのものを調べたわけではなく、調査にはやはり限界があった。
相手はロキなのかロプトなのか、それとも未知なる第三者なのか、
それらを明確にできるほどの情報までは得られなかった。
そもそも前提として、黒幕の存在自体を確定させる材料も厳密にはなく、
今のところはまだ推測を補強する程度でしかなかい。
明確な答えを得るには、もっと踏み込んだ手法が必要だった。
魔女の間接的な記録を調べるのではなく、
黒幕へと直接迫っていくような手法が。
だが黒幕がいたとしても、その潜伏先の手がかりも皆無。
魔帝自身が人間界に直接乗りこんで虱潰しに探す、
という強行的方法も論外だった。
前述のとおり、『無』を有するロキの状態が不明な以上、
直接乗りこむわけにはいかない。
そこで魔帝は考えた末、とある大胆な手法を選択した。
「挑発」して誘い出すことにしたのである。
178 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:30:20.10 ID:XVB8s0iW0
黒幕がいると前提した場合、
現時点のその目的はあくまで人間界に不和を植えつけることであり、
即時の破壊行為は望んでいないと考えられた。
OMNEの力を他者に与えられるほどの存在が
即時の人間界破壊を目的とするならば、
こんな回りくどい方法は必要ないからである。
それゆえ最終的な目的はどうであれ、
現時点では人間界を維持させることが黒幕の方針と推測できる。
ならばここで破壊的な介入があれば、
黒幕がそれを防ごうと動きだすかもしれない、
すなわち誘き出せる、そう魔帝は考えた。
当然、魔帝自ら殴りこむわけにはいかなかった。
だが大軍勢をけしかけるのも、その統率の問題で選択できなかった。
魔帝から遠く離れることで将たちが好き勝手に行動するのは確実であり、
中には「世界の目」を手に入れようと
野心に駆られる者も確実に現れるからである。
かといって大悪魔の将を単体で送りこむ程度では、
賢者・魔女によって容易に排除されてしまうため、そもそも黒幕を誘いだせない。
そこで魔帝は、ある切り札を用いることにした。
それは「ナイトメア」と呼ばれる一群である。
かつてスパーダの力の制御手法を真似て創ったものの、
実験に失敗、そのまま保存されていた魔帝の分離体の試作器たちである。
多数あったナイトメアのうち、
二番目に強力な個体を人間界に撃ちこむことにした。
果実も与えられた一番強力な個体が用いられなかったのは、
それがあまりに強すぎて
魔帝が制御しきれなくなる可能性があったからである。
179 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:30:46.43 ID:XVB8s0iW0
だが二番目の個体も相応に強力であった。
これが滞りなく人間界内に到達した場合、
瞬時に爆発的な暴走を起こし、
天界勢が完成させたばかりのオーディン位相群を大きく壊し、
人間界の苗床にも損傷を与える可能性が高かった。
最終的には賢者・魔女や魔神らによって排除されるのは確実なものの、
人間界が大破壊に見舞われるのも確実。
一方で、そもそも自我なく暴走するだけであるため、
「世界の目」を欲するなどの余計な野心も抱かない。
さらにもともと実験体ゆえ、あらゆる情報を魔帝に送るように設定されており、
交戦対象の詳細を知ることも容易。
黒幕への餌として、そしてその正体を探る上では最適だった。
そのナイトメアの迎撃にもしも『無』が使用されたら、
黒幕はロキだと確定する。
『無』が使用されなくとも迎撃行動さえあれば、
その痕跡から相手の力量や性質を詳細分析して判断可能。
また一切反応がなければ、
黒幕は何ら手を打てないほどに矮小な者か、
そもそも黒幕の存在自体が魔帝の杞憂だったということも。
どのような結果になろうと、
何らかの決定的な情報を得られる可能性は高かった。
そうして黒幕を誘いだすべく、魔帝はついにナイトメアを放った。
一切の前触れなく、天界勢や賢者・魔女には
完全な不意打ちになるように。
そして結果は、彼を柄にもなく興奮させるほどのものだった。
ナイトメアは人間界の現実表層に侵入する寸前、
「狭間の領域」の一層にて破壊され爆発したのである。
明らかに天界勢や賢者・魔女が検知しえない早い段階にて、
強烈な攻撃によって一瞬かつ一撃で。
180 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:31:13.18 ID:XVB8s0iW0
この瞬間、まず天界・賢者・魔女とは異なる、
未知の何者かが虚無に潜んでいる点は確定した。
そしてその存在が相応に強大な存在であることも。
ただし、『無』は使用されなかった。
ナイトメアは大変な爆発を起こし、
その爆圧が人間界を振動させていたが、
『無』が使用されていたら
そもそも爆発すら起こらないはずだった。
これを裏付ける情報は、
爆発直前にナイトメアからも魔帝へ送られてきていた。
まずその何者が行使した力の規模は、
ナイトメアを一撃で葬るだけあって強大ではあったものの、
エーシルや分離直後のロキ・ロプトと比較すると
遥かに小さいことが判明した。
少なくとも「世界の目」を狙う今の魔帝にとって、
脅威となるような水準ではなかった。
181 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:31:40.87 ID:XVB8s0iW0
その情報をさらに分析すると、
ついに具体的な正体にまで迫ることもできた。
ナイトメアを葬った攻撃は、
『無』ではないにせよオリジナルのOMNEの力だったのである。
それも、魔帝が知っているジュベレウスや
クイーンシヴァの系統とは全く別物。
つまり消去法にて、エーシルから直接分かれた存在、
ロキとロプトのどちらかである可能性がきわめて高い。
さらにこれをより詳しく分析してみると、
ロキが有しているはずの『采配の力』や
『無』らしき因子は確認できなかった。
ゆえに、ここから導き出される答えはただ一つ。
ナイトメアを迎撃した何者かはロプトだった。
そして決定的な答えがもう一つ。
この何者か、すなわちロプトの痕跡が
『混淆』の因子とも合致したのである。
竜王に『混淆』を与えたのもロプトだったのである。
182 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:32:26.10 ID:XVB8s0iW0
こうして魔帝の勘通り、
竜王の件には真の黒幕が存在し、
正体はロプトであることがほぼ確実となった。
残る最たる謎はそのロプトの目的。
旧来の秩序を破壊して不和の種を撒くような行動、
人間界の即時破壊ではなく、徐々に蝕むような手法、その狙いは。
だが魔帝は、その次の謎の調査にとりかかることはなかった。
黒幕ロプトの力量がほぼ判明した段階で
この件への関心を失ってしまったために。
そもそも、魔帝が人間界を注視していた大元の理由は
「世界の目」を手中にするため。
今回の黒幕調査も、その存在が「世界の目」獲得の障害に
なるかを明らかにするのが最大の目的だった。
それゆえ、黒幕=現在のロプトが
魔帝の脅威にはならないと判明した時点で
もはや優先すべき件ではなくなった。
くわえて、この調査過程でより優先すべき問題も生じていた。
それはここから類推できるロキの状態である。
ロプトが今もなお明確に存在を保ち、
相応に強大な力を行使できる状態でいたということは、
ロキの現在についても強く示唆していた。
ロプトがまだ健在なら、より強大なロキも同様に
存続している可能性が高い、と。
183 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:32:55.31 ID:XVB8s0iW0
ならばロキはどこにいるのか、どのような状態か、
今でも『無』を使えるのだろうか、
使えるとしたらどの程度の水準まで使えるのか。
それらが次なる最優先事項だった。
これら明らかにすべく、魔帝は今まで以上に慎重に事を進めた。
相手が『無』を有する以上、
魔帝にとってすらも油断や過信は命取りになりうる。
それは己が相手よりも弱いことを認めたも同然という、
傲慢な魔帝にとっては屈辱的な面もあったが、
同時に彼はその「不利」を楽しんでもいた。
魔界の帝王となった彼といえども、
個としては闘争を糧とする悪魔であり、
限界に挑戦する侵犯者であり、不撓不屈の戦士でもある。
上位者への挑戦という本能的な悦びは、やはり彼をも奮わせた。
特に果実を得てアルゴサクスとアビゲイルに勝って以降、
挑戦する機会が無かったためなおさらに。
184 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:33:24.37 ID:XVB8s0iW0
しかし逸る魔帝を弄ぶかのように、ロキの捜索はまったく捗らなかった。
彼は辛抱強く監視と分析をつづけ、
ときに再び大胆に人間界への挑発を行ったが、
ロキと思われる明確な反応はなかった。
ある段階からスパーダにも事情を明かして協力させたが、
それでも進展はなかった(後述)。
ロプトさえも、最初のナイトメア迎撃からは一度も反応を見せなかった。
魔界からの干渉によって人界内でも大変な事態が幾度も起きたが(後述)、
エーシルの片割れたちは結局表立って動くことはなかった。
こうした魔帝の徒労の日々は、
新人間界の暦に比すると数千年にも及んだ。
彼にとってはさほど長い期間ではなかったが、
やはり焦らされた無為な日々は苛立たせるものだった。
そして痺れを切らした魔帝は一つの決断にいたった。
最大にして最後となる挑発を行うことにしたのである。
人間界への全面的な侵略である。
185 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:33:52.18 ID:XVB8s0iW0
さすがに大規模な侵略を受ければ、
沈黙し続けたロキも何らかの行動をとる、と考えたのである。
もしこれでも出てこなかったら、魔帝はそのまま人間界を征服し、
賢者と魔女を滅ぼして「世界の目」を強奪すれば良いだけだった。
ロキの状態がまったくわからない以上、
この決断は博打とも言えたが、
魔帝はもはや調査には辟易としていた。
『無』の危険性を承知の上で
戦士として、闘争願望の赴くままに
ロキへ挑戦する道を選んだのである。
言い換えれば、ここで魔帝は「闘争への誘惑」に、
もとい悪魔としての欲求に負けたのだった。
そして結果からいってしまえば。
この欲求、人間界侵略という決断が、
巡りめぐって魔帝自身を破滅させることとなった。
186 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:34:29.79 ID:XVB8s0iW0
魔帝の欲求優先の指向は、具体的な侵略計画にも色濃く現れていた。
彼が練りはじめた侵略構想は非常に大規模なものだった。
幾万もの大悪魔の将、そして天文学的な数の兵からなる大軍勢によって、
人間界へと侵攻するというもの。
しかも単に武力で攻撃するのみならず、
魔の領域そのものを人間界に流入させて世界を上書きしてしまおうとも企んだ。
原初時代に闇が数々の世界を飲みこんだように、
人間界を飲みこんで魔界の一部にしようと。
とはいえ、魔帝の当面の目的からすれば
これだけ大掛かりな計画は無駄なものであった。
そもそも単に「世界の目」を強奪するならば、
魔帝自身と彼が所蔵するナイトメア群や選りすぐりの側近のみで良い。
魔女・賢者に標的をしぼり、そこに戦力を集中させるだけで十分だった。
わざわざ大軍勢を集めて、無数の雑兵を人間界全体に展開するような大侵攻など、
さらには人間界ごと取り込んでしまおうなんて
「世界の目」獲得には必要ない非効率な行動だった。
それでありながら魔帝が大掛かりな計画を選んだのは、
「より大勢の人間を苦しませる」という加虐欲によるものだった。
「世界の目」を有する賢者・魔女だけではつまらない、
どうせ人間界に乗りこむのなら全ての人間を虐げよう、と。
そして、こうした悪辣な姿勢もまた
ロキへのより強い挑発になりえた。
魔帝はおぞましき悪意を全面に掲げて、ロキへと迫ろうとしたのである。
堂々と戦うか、それとも人間の滅亡かと。
187 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:34:56.44 ID:XVB8s0iW0
しかし実際のところ、「ロキに選択を迫る」という
魔帝側が主導するかのような認識は誤りだった。
なぜならロキは、魔帝よりもずっと早くに
「選択」を済ませていたからである。
そしてすでに行動も起こしていた。
188 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:35:29.97 ID:XVB8s0iW0
5 人間界の動向
魔帝による人間界へのナイトメア投入、
この事件は諸界の空気を一変させた。
今まで人間界に明確な行動を起こさなかった魔帝が、
ついに直接的な干渉を行ったのである。
その腹底の意図はともかく、害意は明らか。
天界・人間界にとって、不和を脇において最優先で備えるべき脅威であり、
そして魔界においては次の「標的」を示す号令に等しかった。
これまでも魔族は人間界へと侵入してはいたが、
魔界全体からすればあくまでごく少数の行動であった。
「果実戦争」時、人間界に関わった悪魔たちが
クリフォトの樹を育てた咎で魔帝に徹底的に虐殺されたうえ、
その後も侵犯者たちが人間界への介入意欲を見せなかったために、
他の有力な悪魔たちも倣って様子見していた。
だが此度の魔帝の「号令」によって、これら風潮も大きく様変わりした。
魔帝が人間界へと明確な干渉意欲を示したこと、
これをある種の「許可」と受け取り、大多数の悪魔たちも
積極的に人間界への侵入を開始した。
当初は緩やかな増加だったものの、次第にみな大胆になり、
侵入規模も個や少数から大集団へ、格も下等から高等へ、
ついには神格の大悪魔も多数侵入するようになっていった。
この変化は、新人間界の暦では数千年におよぶ緩やかなものだったが、
もたらされる被害は決して緩やかとは言えなかった。
下等悪魔であっても、群れによる侵入が起これば大量殺戮となり、
大悪魔にいたっては天変地異に等しい。
また一部の大悪魔は、単に人間を殺すのみならず、
「神」として文明を乗っ取り、人間たちの魂や信仰を汚染することもあった。
189 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:35:59.89 ID:XVB8s0iW0
こうした魂や信仰の汚染は、
天界による管理機構を根底から脅かすものであり、
必然的に彼らも盛んに悪魔迎撃を行った。
場合によっては天界から直接戦力を送り、
特に対象が大悪魔の場合、諸派閥の最高神格も直々に降臨し、
自らが担当する信仰領域を護ることもあった。
たとえば最初のナイトメア事件から約3000年後におきた
「常闇ノ皇」勢力による侵入では、
天津神派を率いる天照が自ら出陣してこれの掃討にあたった。
この勢力は複数の上位神格の大悪魔がおり、
中でも「親」たる「常闇ノ皇」は
天照でさえもしばしば窮地に陥るほどであった。
また人間側も総力をあげて対応した。
賢者と魔女は、魔界・人間界間の通り道となる霊的領域、
「狭間の領域」にて大悪魔以上を標的とした迎撃を行った。
「弱き人間」たちで構成される魔術師たちは、
オーディン位相群もとい物質領域にて、侵入してきた下等悪魔に対応した。
こうして諸勢力、特に孤立化しかけていた魔女も、
それまで抱えていた不和はひとまず抑え、
協力して対魔活動へと集中するようになっていった。
きっかけは決して喜ばしくないものの、
竜王騒乱以降に渦巻きつつあった負の感情は
しばらく影を潜めることとなった。
190 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:36:48.09 ID:XVB8s0iW0
これら無数の悪魔侵入は、
人間界の内情にも大きな変化をもたらした。
悪魔侵入はもちろんオーディン位相群には予定されていない出来事であり、
その影響は「台本」を大きく狂わせるものだったために。
天界側は「弱き人間」世界を
部分的に改変していくことでその修正にも励んだが、
やはり狂いの完全修復は困難であり、ついに明確な歪みが現れることとなる。
その最たる例は、
「弱き人間」の中から自然発生した「予定外の才人」だった。
オーディン位相群の「台本」にはそのような才が現れる予定がなく、
賢者や魔女の系統でもなく、混沌神族の因子をもつ「原石」でもなく、
また聖人などのように「弱き人間」の制限が解除された者でもないのに、
生まれながら抜きんでた霊的領域の才を有している者たちだった。
その才の傾向は様々だった。
類稀なる魔術の才、「強き人間」のような強靭な生命力、
霊的領域に対して極めて鋭敏な知覚、
中にはその全てを兼ね備えている者もいた。
彼らの出現は、オーディン位相群についての当初からの懸念、
不確定要素が多いという欠点が表面化したものであった。
191 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:37:16.97 ID:XVB8s0iW0
この「予定外の才人」はいくつかに大別することができた。
まずは「魔界の力を用いる弱き人間」である。
彼らは「魔剣士」、あるいは「闇の巫女」と呼ばれた。
魔女とは異なり「弱き人間」ではあるものの、
魔女のように魔界から力を引きだす者たちである。
基本的に魔の力は「弱き人間」には負荷が強すぎたが、
この才人たちは耐えられるほどに魂が強固だった。
くわえて人間界の外の力と直接触れているため、
「弱き人間」が本来は脱しえないはずのオーディン位相群からも
外れるようになった。
すなわち天界の管理下から逸脱していた。
これは「弱き人間」を管理する天界にとって
懸念材料に成りうる存在であったが、
幸いにも彼ら魔剣士/闇の巫女が管理体制を脅かすことはなかった。
魔女が彼らを保護し、知識を与え、有益な同盟者として育てたからである。
「弱き人間」の中からも魔界寄りの勢力が現れた、
それは人間界にて孤立しがちな魔女にとって朗報であり、
また予備戦力としても有益だった。
そして魔剣士と闇の巫女側としても、魔女はよき保護者であり、
教師であり、繁栄を約束してくれる有益な友だった。
また彼らは、天界による「弱き人間」管理には干渉しようとはしなかった。
反感を抱きつつも現状を黙認する魔女、
そんな彼女たちに倣い、魔剣士/闇の巫女も分を弁え、
忌まわしく思いつつも現状を受け入れていた。
192 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:37:43.38 ID:XVB8s0iW0
彼らは出生自体は「弱き人間」でありながらも、
立場としては「弱き人間」世界には属さない、
魔女と同じ部外者の側につくこととなった。
そして彼らは同じ魔剣士/闇の巫女以外には知識を与えず、
「弱き人間」世界の人々には可能な限り認識されないように振舞った。
また「弱き人間」の文明から距離を置き、
孤立した共同体を形成する場合もあった。
その共同体のいくつかは名や形、担い手や思想を変えつつも
遥か後世まで続くこととなる。
それらの後継として、デュマーリの巫女やフォルトゥナ騎士団などが今日知られている。
また、特に才ある女性は魔女の業を学ぶことを許されたり、
魔女の世界に迎え入れられることさえあった。
彼女たちは出生は「弱き人間」であっても、
最終的には本流のアンブラ氏族となんら遜色がない領域に達した。
数多の過酷な試練を経て、正真正銘の強大な魔女となったのである。
後世にはクレオパトラ、トゥーランドット、阿国などの名が知られている。
193 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:38:12.67 ID:XVB8s0iW0
一方、魔剣士/闇の巫女らと同様の才を有しながら、
魔界の力に頼らない者たちもいた。
そのうち天界の力を用いた集団は、「選ばれし者」と呼ばれた。
彼らは、いわば魔剣士/闇の巫女の天界版だった。
天界諸派閥や賢者に保護され、
一部の有望な者は賢者の業を学び、
さらに賢者族に迎えられることもあるなど、
魔界魔術師が魔女と築いた関係と同じであった。
ただし異なる部分もあった。
賢者に迎え入れられるのみならず、
さらにごく一部、天界へと転生する者もいたのである。
後世にはメタトロン、スサノオなどが知られている。
194 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:38:39.51 ID:XVB8s0iW0
このように諸勢力は柔軟に対応し、
出現が想定外だった才人たちを人材として最大限活用した。
だが、中には活用できない者たちもいた。
「混沌の魔術師」と呼ばれる集団である。
彼ら混沌の魔術師も才に溢れ、
セフィロトの樹の力を使わない点では他と同じだったが、
用いる力の源が魔剣士/闇の巫女や選ばれし者とは異なっていた。
彼らが力の源としたのは、その名の通り
人間界の「魂の苗床」に沈む残骸、すなわち古き混沌神族である。
混沌神族の因子をつぐ「原石」との違いは、
彼ら混沌の魔術師はその名称のとおり魔術によって後天的に
混沌神族の力を獲得した点である。
それゆえ彼らは天界、賢者、魔女のどれにも与さず、
これは諸勢力にとって問題となった。
特に彼らの思想や傾向が大きな問題となった。
魔女に倣った魔剣士/闇の巫女、
そして天界と賢者に倣った選ばれし者は、
「弱き人間」管理体制への干渉を控えたが、
混沌の魔術師はそうではなかった。
彼らは混沌神族を信奉していたため、
天界による人界管理体制に強い拒否感を抱き、
この状況を覆そうと企てたのである。
そして混沌神族の復活を目的とし、
人為的に「原石」を量産する方法も模索するなど、
現状への明らかな挑戦も始めた。
195 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:39:07.27 ID:XVB8s0iW0
これは天界勢や賢者にとって見過ごせなかった。
また現状を一応は受け入れている魔女にとっても目障りであり、
諸勢力の考えはここで一致した。
混沌の魔術師は排除されるべきだと。
それゆえ、この件について主神派は
存分に断固とした対応をとることができた。
まず、混沌の魔術師の徹底的な殺害が行われた。
天界諸派閥の傘下の魔術師が主に動員され、
一部の強力な者については選ばれし者や
天界の兵が直接降臨して対応した。
くわえて殺害は混沌の魔術師その者のみならず、
その周囲すらもしばしば対象となった。
主神派が僅かな影響の残留も許さなかったからである。
もし混沌の魔術師由来の知識や価値観、
例えば混沌神族の信仰等が、彼らの帰属文明にまで広まっていた場合は、
その文明もろとも「除去」されることもあった。
すなわち、大規模な破壊と殺戮を伴い、
その痕跡は神話上の天災としてのみ記憶されることとなった。
196 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:39:35.67 ID:XVB8s0iW0
こうしたあまりに強硬的な対応は、
さすがに主導する主神派に対して
天界諸派閥から非難の声があがるほどだった。
そして、見かねた主神派以外の諸派閥は、
独自の手段でも混沌の魔術師の排除を行おうとした。
一方的な武力行使を行うのではなく、
天界側に下るよう説得しようとしたのである。
だがこれらを主神派は断固として認めなかった。
そうした融和策は混沌の魔術師をよりつけ上がらせ、
状況を悪化させてしまうと考えていたのである。
この点については魔神派と賢者も同意見であり、
また魔女も沈黙によって、主神派の断固とした対応に賛同した。
良くも悪くも慈愛に満ちている天界諸派閥と異なり、
魔神派・賢者・魔女はこれまた良くも悪くも武断的であり、
それが最善と思うならば
迷うことなく非情な手法も選べたからである。
197 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:40:02.96 ID:XVB8s0iW0
そしてこの魔神派、賢者、魔女が
揃って主神派にならうという状況は非常に稀であり、
主神派にとっては絶好の機会であった。
今ならかなり大胆な手法であっても
押し通すことができたからである。
これを機に、彼らは思い切った改革を進めることにした。
目的は「弱き人間」管理体制のさらなる強化と安定である。
まず、混沌の魔術師との融和措置をとっていた天界諸派閥からは、
処罰もかねて人間界への介入権をすべて剥奪した。
有力派閥に任せていたセフィロトの樹の運営体制についても、
その権限を剥奪し、以降は主神派四元徳の直属とした。
そのため温和な諸派閥の裁量が入りこむ余地はなくなり、
人間界へと直接降臨できる天の者も主神派と魔神派のみとなり、
管理体制において主神派の意向が唯一にして絶対となった。
主神派が天界本土を、諸派閥が人間界を、
というこれまでの分担体制が廃され、
人間界も主神派の直轄地と成ったのである。
これらによって管理体制はきわめて強固なものとなり、
混沌の魔術師を含めた諸問題により厳格な対応が可能となった。
198 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:40:49.07 ID:XVB8s0iW0
さらに混沌の魔術師の出現やその影響拡大を抑制する策として、
信仰体系とセフィロトの樹の結合をさせ、
精神と知識の統制も強めた。
これによって「弱き人間」世界から
世界構造や真の歴史についての知識をすべて排除し、
「弱き人間」が真実に触れられないようにした。
以降、「弱き人間」が知り得るのは
オーディン位相群の「台本」上にある情報、物質領域内部のものに限定された。
彼らは、自分たちがオーディン位相群という
「檻」の中で生きていることすらも
認識できないようになった。
こうした情報隔絶された環境は、混沌の魔術師の成長を著しく阻害し、
彼らの寿命をも極端に短くした。
混沌神族に関する研究が困難となって強化が叶わず、
また「敵」である主神派勢についても認識不足となり、
ろくに対抗することができなくなった。
そして急激に数を減らしていき、
最終的には混沌の魔術師そのものが出現しなくなった。
混沌の魔術師に成りうる素養があっても、
才を開花させるだけの機会も知識も得られなくなったために。
199 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:41:30.58 ID:XVB8s0iW0
こうして主神派は混沌魔術師の問題を解決させ、
同時にさらに管理体制を強めることも成功した。
「弱き人間」は今や完全に主神派の意のまま、
悪しき表現を憚らなければまさに「奴隷」だった。
主神派がこれだけ大胆なことを為し得たのは、
やはり魔女が表立って反発しなかったことが大きかった。
当然、魔女はこの主神派の措置を完全容認したわけではなく、
あくまで一時保留と黙認しただけだった。
今は何よりも優先しなければならない、
対魔問題に集中していたからである。
彼女たちは、外にあたる「狭間の領域」では
大悪魔級を標的にした迎撃を。
そして本拠ヴィグリッドでは、
魔帝との直接対決も見据えた「切り札」の開発に全力を挙げていた。
200 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:42:06.64 ID:XVB8s0iW0
6 魔女の苦心
こと武力に関する技術開発においては、
この時期アンブラの魔女こそ頂点としても過言ではなかった。
特に時空干渉と召喚術の分野においては魔神たちをも凌ぐほど、
開発を担う頭脳集団は卓越していた。
また魔界の協力者に不足することも無かった。
魔帝に対する危機感が増すにつれて、
反魔帝の者共も魔女側へ集うこととなったからである。
魔帝自身の「反乱の種は放置する」という趣向も影響したことで、
魔女に協力する悪魔は増えつづけ、
中には名だたる強大な悪魔も加わっていた。
特に大きな存在だったのは、
マダム・ケプリやマダム・ステュクス、
コロンゾンといった魔界でも有数の女傑たちである。
侵犯者には届かぬものの、それに次ぐ格と実力を有していたほか、
何よりも魔女たちとの相性が抜群というのが重要だった。
これら恐るべき女傑悪魔らは魔女と結び、
魔の英知や絶大な力を提供することとなった。
201 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:42:36.80 ID:XVB8s0iW0
特にコロンゾンは、その後の人間界の歴史もふくめて
魔女たちに多大な影響を及ぼすこととなった。
彼女はかつて覇王の参謀として暗躍していたが、
裏ではその覇王の暗殺や、魔帝ら他の侵犯者との内紛を煽って
共倒れさせようという試みを幾度となく繰り返し、
ついにそれが発覚して逃亡に至っていた。
それゆえ、侵犯者打倒を目指す魔女たちとは
志向合致するものがあり、
彼女は積極的に協力することとなった。
そんなコロンゾンを魔女側も大いに利用した。
魔神たちと同じ世界出身で多くの知識を有し、
さらに魔神とは異なる系の英知も携えていたという点が
大変有益だったために。
彼女はアンブラの相談役である悪魔の筆頭となり、
またとある魔女の家系と一族単位で永続契約し、
その血統を「改良」し、様々な才能をも与えた。
このコロンゾン「好み」の魂と肉体へと成形された一族は、
多くの優秀な研究者や戦士を輩出したほか、
アンブラ全知識を管理する主席書記官を代々務めるほどの
名家へと発展していくこととなる。
202 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:43:23.73 ID:XVB8s0iW0
だがこうした強大な悪魔たちの支援があってもなお、
侵犯者の打倒、特に魔帝打倒の「切り札」開発は困難を伴った。
もともと極めて難しいことは魔女たちも認識していたが、
協力している悪魔たちが口をそろえて
「現状の開発状況では非現実的」と警告したことで
難度がより深刻であることが示されたのである。
特にコロンゾンもそう断言したことが、魔女たちを強く焦燥させた。
古来から覇王に仕えることで侵犯者らのOMNEの力を直接観察し、
そして「分解すべきもの」として徹底研究してきた彼女の
そのような意見は、アンブラ指導部を動かすには十分だった。
この問題の解決法は唯一つ、さらなる人材と資源を開発に投じること。
もはや形振りは構ってはいられない、
より多くの才を集めるためならば、旧来の法と掟を破るのも已むを得ず。
これが指導部の下した判断であり、
それまで禁じられていた手段と方針が次々解禁された。
前述のコロンゾンによる一部魔女の血統改良、
そうした才人の「生産」もこの一例だった。
そして中でも大きな影響を及ぼしたのは、
「人間であり、才と忠誠あれば、出生も身分も問わず受け入れる」という方針である。
掟と伝統を何よりも重んじてきたアンブラ族にとって、
これは氏族始まって以来の大変革だった。
203 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:43:58.71 ID:XVB8s0iW0
その門はアンブラ族内の下層身分のみならず、
氏族に属さない者たちにまで開かれた。
アンブラからの無断離脱者、罪悪による追放者、またその子供たち、
さらには出生が「弱き人間」であっても、
魔剣士/闇の巫女の項で述べたとおり受け入れられた。
さらにそこからもう一歩踏み込んで、
魔女たちは混沌神族の子、すなわち原石能力者をも受け入れ始めた。
原石の力はもともと人界の神々由来、さらに辿ればエーシルが源泉、
その潜在的価値は揺るぎない事実であった。
そして魔剣士/闇の巫女と同様、特に優秀な原石は、女性はアンブラ族へ招き、
男性にはアンブラ族と婚姻し子をなすことも認めた。
またそれらを幾世代も奨励したことで、
最終的にアンブラ族の大部分が原石系の血も継ぐようになった。
そしてこれら計画は見事に成功し、アンブラ族全体が
物質・霊的両面において世代ごとに大きく底上げ強化されていった。
彼女たちはありとあらゆる素材を用い、そして混ぜ合わせ、
自らの種を人為的に進化させていったのである。
ちなみにこの計画にもコロンゾンは主導者の一人として携わっていた。
こうした魔女による原石利用について
天界主神派はもちろん激怒したが、賢者が魔女を擁護したことと、
対魔帝という第一の優先事項もあり、しぶしぶ黙認することとなった。
主神派による人界支配強化について、魔女は譲歩し黙認した、
その代わりに、という一面もあった。
204 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:44:30.24 ID:XVB8s0iW0
使えるものは何でも使う、
このような魔女の姿勢は武装などにも強く現れた。
後世に知られるアンブラ魔女の武技といえば
代表的なのは四肢四丁の銃器を用いる格闘術であるが、
それが現れたのもこの時期である。
またロボット技術と魔女の技を融合させた魔導鎧など、
この古き時代には不釣り合いな武装も多々現れた。
これらは、オーディン位相群の情報を用いた
一種のシミュレーションと、
魔女たちの時空干渉術による産物だった。
オーディン位相群の「台本」を読み取ることで
疑似的な未来視を可能とし、そこから未来の科学文明技術などを取り出した。
あらゆる時代、あらゆる文化も系統も問わず、
有用ならば全てを進んで用いていったのである。
このように有益な素材を全て活用し、
今まで以上の切磋琢磨と競争が行われた結果、
魔女はあらゆる面において飛躍した。
血統改良や鍛錬法の最適化によって優れた戦士が激増し、
また多様な技術と才が集ったことで革新がもたらされ、
数々の強力な戦術や武装も編み出された。
中には破滅的なほどの成功となったため、
逆に使用が極端に制限された代物もあった。
その最たる例こそ、禁忌にして究極と言われた業。
クイーンシバの召喚術である。
205 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:45:03.56 ID:XVB8s0iW0
このクイーンシバの召喚術は、
侵犯者に対する切り札として編みだされた本命であった。
この三界において、確実に現存する者たちの中で、
魔帝ら侵犯者たちを上回る強者といえばクイーンシバである。
ならばその力を用いれば侵犯者達を制することも可能、
といった具合で、構想そのものはごく単純だった。
ただし実際の使用には多くの懸念材料もあった。
まず魔帝は、「果実」を食して魔界そのもの、
もといクイーンシバを味方につけているも同然だという点である。
その魔帝とクイーンシバの繋がりを
魔女の召喚術で覆せるのか、それはまったく不明だった。
魔帝との戦いの場ではクイーンシバの召喚術がうまく機能しない、
あるいは召喚できたとしても、
魔帝側につかれてしまうことも考えられた。
またクイーンシバの召喚術が正常に機能したとしても、
魔帝を完全に殺しきることは困難と考えられた。
クイーンシバにはエーシルの『無』のごとき性質はないため、
魔帝の『創造』を完全には破壊できない可能性が高かったのである。
かの存在を完全に無力化するためには、
『創造』を破壊する別の一手も必要だった。
206 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:45:32.62 ID:XVB8s0iW0
くわえて、このクイーンシバ召喚術は
使用者に絶大な負荷をもたらす点も問題だった。
術者は特別に選ばれた魔女であり、
最高水準の耐性を有する者であったが、
彼女たちですらクイーンシバ召喚の負荷は致命的だった。
術の完成時、当時最強の魔女王が試験したものの、
負荷によって長期の昏睡状態に陥ったほどである。
そのうえ引きだせたクイーンシバの力も理論値の1割未満であった。
これらのことから、クイーンシバ召喚術は
理論上は最強の切り札であっても、実際の運用や確実な成果については
大きな問題があった。
問題解決に必要なものは大別して二つ、
クイーンシバを最大限扱えるだけのさらに強大な魔女を生み出すこと、
そして『創造』を機能不全に陥れる別の術。
このうち前者は、
血統改良と鍛錬体制の洗練によってなんとか目処が立っていたが、
後者は新たなる知識と技術が求められたために
ひときわ困難なものとなった。
207 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:46:10.40 ID:XVB8s0iW0
『創造』を機能不全にしうる力は、
これまでに二つ知られていた。
エーシル=ロキの『無』、そして竜王の『混淆』である。
だが前者は保有者のロキごと行方不明。
後者も「式」の類をことごとく破壊するため、
相性的に魔女には容易に扱えない代物だった。
またそもそも、『混淆』はいまだに未知な部分が多く、
本格稼動させれば癒着している竜王の悪性も目覚めかねない。
有用ではあるが、危険を鑑みれば『混淆』利用は最後の手段であった。
それゆえ、魔女はまず第三の新たな方法を編みだそうとした。
だがその別案の研究開発は難航し、結局はすべて頓挫した。
OMNEたる『創造』を破壊できるほどの力となれば、
その破壊側も事実上OMNEの域なのである。
すなわちOMNEの力を人工的に作ってしまおうという試み同然であり、
こればかりは魔女の英知を結集させても難しかった。
こういった難航状況は賢者側でもほぼ同じであった。
彼らも『創造』を潰す方法を研究していたが、
魔女と同様に完全に停滞してしまっていた。
最大の要因は、やはりOMNEに関する知識の不足だった。
OMNEたる「世界の目」を有するとはいえ、後天的に与えられた者である以上、
魔女・賢者はOMNEの根源部分の原理がどうしても解明できなかった。
これは彼らの技術が及ばなかったわけではなく、
純粋にOMNE性質上で不可能だったためである。
208 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:46:39.47 ID:XVB8s0iW0
しかしこの問題は、不意に解決されることとなった。
魔女が有するOMNE、「闇の左目」から突如、そのOMNEの根源部分に関係する情報が
「零れ落ちてきた」のである。
この事実はすぐ賢者にも伝えられ、
彼らも「光の右目」を同様の手法で調査したところ、同じ情報が発見された。
その情報は、とある事象にまつわる記録だった。
かつてエーシルが有していたOMNEの力、『時の記憶』の稼動情報である。
これはOMNEの根源知識が不足していた両族にとって、
まさに対『創造』問題の突破口になりえた。
『時の記憶』とは、
作用としては魔女や賢者が得意とする時空干渉術に似てはいたが、
その「格」は根本的に異なっている代物である。
紛うことなきオリジナルのOMNEの力であり、その時空干渉の作用は
『創造』にも確実に効き得るものだった。
そして非常に幸運なことに、この『時の記憶』の稼動情報は
かなりの部分が魔女・賢者の技術体系にも転用できるものだった。
『時の記憶』の完全再現は不可能だが、
擬似的に一部効果を再現することは可能だった。
そして『時の記憶』のほんの一部の作用でも再現できれば、
『創造』に時空干渉できれば、そこに時間遅延、あるいは時間停止の効果を埋めこみ、
機能不全に陥れることも可能、すなわち魔帝を確実に殺しきることも。
『創造』さえ停止させてしまえば、あとはどうにでもなる。
クイーンシバ召喚術などを使用してトドメを刺すのも良し、
それができずとも、魔帝が動けぬうちに封印してしまえば良かった。
とにかくこの『時の記憶』の情報をもとに
対『創造』用の手段を確立さえすれば、
魔女たちもついに確かな勝機を得るのである。
こうして「幸運」によって光明を見出した魔女・賢者は、
共にあらゆる才を投じて『時の記憶』再現術の開発に集中することとなった。
209 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:47:09.84 ID:XVB8s0iW0
ちなみに、この「世界の目」から突如こぼれてきた『時の記憶』の情報。
これはエーシルの記憶が目の中に残っており、
それが今回になって発見されたものだと判断された。
この時期にもっとも欲していたものが発見された、
ここだけ抜き出すと都合が良い話にも聞こえるが、
全体の状況を踏まえればこれは「起こるべくして起きた」とも言えた。
この時代、魔女は飛躍的な技術向上を続けており、
そして「世界の目」を含むOMNE研究に常時注力していた点も踏まえれば、
いつ革命的な新発見がもたらされても
おかしくない状況だったと言えた。
しかし実のところ、真実は異なっていた。
この『時の記憶』の情報発見は
「起こるべくして起きた」ものではなかった。
そもそも、「目」の中に残っていたものでもなかった。
これはある存在の明確な作為、
その存在による意図的な助力だった。
だが魔女も賢者も、他の誰も真実に気づくことはなかった。
なぜなら「彼」は助力しつつも、
自身の存在は巧妙かつ徹底的に隠したから。
その者の名はロキである。
210 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:47:40.52 ID:XVB8s0iW0
7 ロキの決断
隠遁していたロキは長年、
虚無の深部から人間界を見守ってきたが、
此度の魔帝の件ばかりは己も行動する必要があると考えていた。
このままでは間違いなく人間界は戦禍に飲まれ、
さらにそれだけでは済まないということを
ロキはすでに「体験」していた。
彼はその『時の記憶』の力によって、
その恐るべき未来へと一度「旅」をしていたからである。
魔帝の人間界侵略は「終わりの始まり」であり、
ここで魔帝を破らなければ、
三位一体世界は最終的に魔帝の手中に、そんな未来へ。
魔帝の武力は三界最強というわけではない。
クイーンシバやかつてのエーシルに比べたら大きく劣り、
現在の弱体化しているロキにとっても抗えない相手ではなかった。
同じ魔族においても武力自体は互角な覇王がおり、
個に限らず集団も鑑みれば、クイーンシバ召喚術等を編みだした魔女と賢者、
そこに魔神たちも加わった総合武力は、
今や個としての魔帝を大きく凌駕しうるものだった。
だが、魔帝の最たる脅威性とは武力ではない、『創造』である。
『創造』がもたらす不死性、それを打破できないかぎり、
本質的に彼を滅ぼすことは困難なのである。
魔女と賢者もそれこそが最大の問題とみて、
この解決に尽力しているのが現状だった。
ただし、ロキはさらに大きな視点、
世界の「流れ」、もとい現実に対する著者のごとき視点から、
真の魔帝の脅威性をも看破していた。
211 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:48:08.74 ID:XVB8s0iW0
そもそもジュベレウス、クイーンシバ、
そしてもっとも強大なるエーシルすらも、
原初OMNEからは『創造』の力を引き継げなかった。
だがその複製たる力を、魔帝は己の魂内にて生じさせたのである。
これは世界の著者のごとき視点からすれば、
原初OMNEの後継者として魔帝が設定されたかのごとき、
新たな『唯一にして永遠のOMNE』の種とも見なすことができた。
彼にはいわば、世界の主役となる「運命」を掴んでいた。
そしてこれから起こる戦争こそ、
その魔帝の役柄が開花にいたる転換点だった。
「果実」獲得により、すでに魔界を手中に。
次いで人間界も手中にすれば、
魔帝は「物語における主人公」の座をついに確立する。
この世界は「魔帝の覇道を描く物語」に確定し、
この三位一体世界は彼を中心にして流れ落ちていく。
しかもそのおぞましい「物語」は、人間側も気づかぬうちに
後押ししてしまう形にあった。
人間たちの集合意識こそが、
エーシルから受け継いだもっとも強き著者のごとき力を有していたために。
彼らが魔帝を恐れるほど、脅威とみなせばみなすほど、
現実もそう描かれる、その恐怖と脅威が本物となってしまう。
ゆえに、魔帝による人間界侵略が成し遂げられたら、
そうした人間たちの恐怖と絶望からなる「追認」によっても
世界は「魔帝の物語」だと裏付けられ、もはや修正は困難となる。
そもそも魔帝がかつて食した「果実」も
このような人間の著者のごとき力を結晶化させたもの同然である。
つまるところ魔帝が人間界を手中にするということは、
無数の「果実」を食すことと同じ、魔界のみならず、
三位一体世界全ての王になれるだけの莫大な量の「果実」を。
212 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:48:36.21 ID:XVB8s0iW0
そうしてひとたび物語が確定すれば、
並居る強者も上位者もただの通過点でしかなかった。
現在は魔界内に限定されている魔帝の「幸運」が、
全ての世界にまで適用され、全てが魔帝ムンドゥスの成功譚となる。
他者はどれだけ強くても、それこそ魔帝より強くても、
主人公たる魔帝によって敗れ去る運命が待ち受けている。
最終的にジュベレウスは眠ったまま死滅し、
クイーンシバは魔帝の全てを受容する形で取り込まれ、
そしてロキとロプトは弱体化の一途をたどり消滅。
ついにはオリジナルのOMNE全てが消失し、
魔帝こそ新たな『唯一にして永遠のOMNE』と成り、
悪夢のごとき新時代が始まる。
それがロキが『時の記憶』によって体験した、
魔帝が此度の戦争に勝利した場合に訪れる未来だった。
213 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:49:11.02 ID:XVB8s0iW0
この恐るべき未来を回避する手段はただ一つ、
ここで魔帝を挫くのみ。
そしてロキには一つだけ、確実に勝利できる手段があった。
彼が有する『無』の力である。
エーシルだった頃に比べれば遥かに矮小化しており、
今は魔帝そのものを直接抹消することも、
連続して使用することも困難だった。
だが、魔帝の『創造』を消すだけならばまだ可能だったのである。
他にも覇王やスパーダのOMNEの力を消すことも可能、
このロキの力と天界・人間界の総力を併せれば
魔帝陣営のみならず魔界そのものに勝利することも
十分に可能だった。
しかし実のところ、
今のロキはこの『無』という手段を選べなかった。
魔帝とはまた別の問題があり、
そのためには『無』をここで使うわけにはいかなかった。
それはもう一つの脅威、ロプトの存在である。
214 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:49:53.15 ID:XVB8s0iW0
ロプトという思念は、かつてのエーシルのうち
「人間に自我を与えることを拒否した部分」が核になった存在である。
それゆえ潜在的には魔帝と同様、人間にとって最大級の脅威であり、
人間に自我を与えたロキにとっての宿敵でもある。
その宿敵ロプトが今、
力を取り戻すべく長大な策略を進めていること、
かの竜王事件がそのロプトの計画の一部だともロキは知っていた。
そしていずれ訪れるかもしれない遠い未来。
復活したロプトとの決戦では、
『無』こそが最後にして唯一の切り札となることもすでに知っていた。
だからこそ、ロキは今ここで『無』を使うわけには行かなかった。
単に力を温存するためではなく、
「『無』の力をいまだに使える」という事実をロプトに知られないように。
というのも、将来の決戦においてロプトに勝利するには、
「ロキは矮小化によって『無』の力を喪失した」と
ロプトに誤認させ隠しておく必要があったからである。
かの未来の決戦時、ロプトはロキから多くの力を奪うが、
『無』の残存は知らなかったためにこれを奪い損ねてしまい、
その残った『無』よってこそロキは逆転勝利するのである。
そしてこれこそ、唯一の勝利の未来でもあった。
そのため、今ここで『無』を使って魔帝に勝ってしまうと、
当然ロプトに知られてしまい、
その場合の未来はどのような選択をしても
全ての結末においてロプトに『無』を奪われて
ロキが敗北することが確定していた。
215 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:50:27.79 ID:XVB8s0iW0
ロキが勝利するには、かの決戦まで『無』を秘匿するしか方法がなかった。
それゆえ魔帝への『無』使用は困難であり、
彼は別の方法をとらねばならなかった。
そしてこの「『無』を使わずに魔帝を倒す」未来へつながる唯一の道こそ、
ロキが『時の記憶』についての情報を魔女と賢者に与える、
という行動をとることであった。
彼は誰にも悟られないよう長期間かけて
少しずつ「世界の目」に『時の記憶』の情報を送りこんでいったのである。
人間たちの「心」が、勝利をもたらすよう願いをこめて。
これこそ、かの魔女たちが
「世界の目」から見出した情報の真実だった。
また一つ幸いだったのは、
この時期はロプトからの妨害は一切なかったため、
これら作業が非常に円滑にできた点である。
当時、ロプトは予想外の魔帝の行動に振り回され、
状況に手が出せなくなり活動を一時停止していたのである。
ロプトもロキと同様、『時の記憶』の断片を有しており
未来も体験可能であったが、エーシルから分離した際の配分の関係上
力が弱かったロプト側はその精度も低かった。
それゆえロプトは未来の分岐を選別しきれずに見誤っていた。
当初、彼は自身の力を回復させてから魔帝を処理する予定だったものの、
復活前に魔帝が動くという未知の未来へと到ったために
手を出せなくなっていたのである。
ちなみに、『無』の力は消滅したとロプトが誤認してしまったのも、
さらには「ロキが勝つ未来」を見落としたのも、
この精度の低さが原因だった。
216 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:51:16.58 ID:XVB8s0iW0
ただし、ロキも未来の全てを掌握できたわけではなかった。
「『無』を使わずに魔帝を倒す」未来につながる、
とはいえ確実にそこに至るわけではなかった。
むしろあらゆる段階で「魔帝が勝つ」未来に即座に転じてしまいかねない、
絶望的なまでに不安定で成就の可能性が低い道筋だった。
そもそもこの道筋はロキも脇役でしかなかった。
この未来の結果を決定する最大要因は「人間の心」であり、
その動向をロキはひたすら見守ることしかできない、
という代物だったのである。
だがロキに迷いはなかった。
もとより彼は、己を裂いてまで
人間に「世界の目」と自我を与えた神である。
誰よりも人間の可能性を信じる彼にとっては、
「人間の心」に未来を託すなど
むしろ当然の行いであった。
217 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:52:02.09 ID:XVB8s0iW0
8 魔女と刺客
魔女と賢者は切り札となりうる知識を獲得したが、
状況は切迫していた。
ちょうどこの時期、魔帝が「現れぬロキ」に痺れを切らして
ついに人界侵略に向けて本格的な準備をはじめたからである。
魔帝軍の召集がはじまった、
その情報を魔女は契約相手の悪魔を通して掴み、
また天界や賢者もそれぞれの情報網で事態を把握し、
より尽力して備えを固めていった。
くわえて竜王事件以来、
魔女は賢者との知識共有を禁じていたが、
この時期ばかりはそれも一時的に解禁された。
さらに禁止されていた魔神との交流も復活、
一時的に在りし日の関係に戻ったことで共同研究が大幅に進展し、
数々の成果がもたらされることとなった。
中でも目覚しい成果は、
賢者たちによる、不可能に思われていたジュベレウス召喚術の完成である。
『時の記憶』の理論を組み込むことで、過去から完全状態のジュベレウスを
ごく短時間ながら召喚することが可能となったのである。
またこれを魔女のクイーンシバ召喚術と融合させることで、
もっとも強力なはずの『原初のOMNE』をも擬似的に構築することが理論上可能であり、
これも完成が急がれた。
そして最大の課題であった『創造』への対応手段もついに目処がたった。
実験的な式が完成し、試験において
『時の記憶』の限定的な再現を成功させたのである。
これをより強化・安定化すれば、
『創造』の時間をも支配して機能停止に陥れることも可能。
いよいよこの切り札の実用化にむけて、魔女と賢者はあらゆる才を投じて
開発を加速させていった。
218 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:52:29.88 ID:XVB8s0iW0
そしてその開発陣の中に、
特に抜きんでた才人がいた。
エヴァという名の魔女である。
219 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:53:40.24 ID:XVB8s0iW0
エヴァは、一応はアンブラ族の血筋ではあったものの、
祖母がかつて一族から追放された所謂「孤高の魔女」であり、
彼女も元々は同様の身分だった。
祖母の追放理由は、
竜王事件後も魔神たちとの交友を続けたためだった。
優秀な研究者であったが、
研究を優先するあまり禁を破って魔神との関係を続けたため、
アンブラ指導部の怒りを買って追放されたのである。
以来、エヴァの祖母は「弱き人間」世界の辺境にくだり、
表面的には隠遁しつつも独自の技術研究を続けた。
そしてその長年の成果は、
対魔の機運が高まったことで陽の目を見ることとなった。
アンブラ族が掟を緩和してあらゆる人材を集めるようになると、
すぐに祖母も招かれ、その才を再び発揮することとなったのである。
ただしその娘、エヴァの母にあたる者は招かれなかった。
生まれつき魔女としての力が弱く、
才の有無以前に魔女としての長寿すら保てないという
水準だったために。
しかしその者の娘、エヴァは異なっていた。
祖母をも超えるほどの魔女たる才があったのである。
220 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:54:11.11 ID:XVB8s0iW0
彼女は成人前の段階で、
すぐさまアンブラ族へ招かれることとなった。
ただし当初、彼女はこの誘いを受けるかは迷っていた。
魔女の業のさらなる探求、そして人間界を守るという使命感に高揚した一方、
「才なし」として母の一族復帰は許さないアンブラ指導部への反感、
そして魔女としては虚弱である母を、
たった一人残してしまうことへの抵抗があった。
またエヴァ自身が抱く使命感についても、
若さゆえの狂信ではないのか、
それゆえ盲目になって道を誤ってしまうのでは、
この今までにない熱意に身を委ねてもいいのだろうか、
といった疑問や恐れを自ら抱いてしまっていた。
しかし、そこで母が諭した。
行動を起こすこと、機会を掴むこと、
前に踏みだすことを恐れてはならないと。
確かに行動が報われるとは限らない。
正しき道を歩んだつもりでも、それが間違った結果となることも多々ある。
しかし、物事が隙あらば悪しき結果に向かう今の時代、
正しき道を歩もうとしなければ、正しき結果は訪れない、と。
そして、アンブラ族の掟に反してでも意志を貫いた祖母のことも挙げ、
己が正しいと思う道を歩め、と母は告げた。
それら言霊が揺るがぬ勇気となり、
エヴァは母の元から旅立つこととなった。
221 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:54:37.44 ID:XVB8s0iW0
魔女の本拠地、ヴィグリッド入りした彼女は、
その才を見込まれすぐに最上位の開発研究陣に加わることとなった。
ただしアンブラ族に正式復帰できたわけではなかった。
思想と価値観が主流派とは相容れなかったからである。
離別のきっかけとなった彼女の祖母は、
竜王事件後も魔神と友好関係を続けたとおり、
当時の魔女主流派たる強硬思想とは相容れない考えの持ち主だった。
その思想はエヴァもしっかりと受け継いでいたうえ、
彼女は生来の優しさからさらに穏健かつ協調路線であった。
「相手が天界主神派であろうと慈愛をもって受け入れるべき」と発言するほどであり、
アンブラ族主流派からすれば紛うことなき要注意人物だった。
才は認められようとも、彼女の人格そのものは
やはり追放に足る「異端」と認識されていたのである。
ただし異なる思想や価値観の存在は、
多角的な視点や発想をもたらすためさらに研究が進む、
という利点はアンブラ族主流派も認めざるを得ず、
エヴァも重要な立場に就くことが許されることとなった。
222 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:55:03.66 ID:XVB8s0iW0
そして彼女は大きな期待をうけ、
魔術の先端研究に専念することとなった。
その間、いくつかの悲しい出来事があった。
まず祖母が、大悪魔によって殺害された。
戦闘ではなく、契約の場における裏切りだった。
魔女の魂は美味だと悪魔の間では評判であり、
契約するそぶりを見せて喰らおうとする者も少なからずいた。
覇王の側近たるアスタロトなど、
非常に高位の存在までもがそのような悪辣な企てをしばしば行っていた。
またしばらくののち、もう一つの悲しみがあった。
母が老衰で生を終えたのである。
魔女の寿命は霊的な力次第であったが、
母はその魔女としての性質が弱く、「弱き人間」のように物質領域寄りだったため
肉体の老いによって寿命も定められてしまっていた。
そしてエヴァは最重要人物ゆえにヴィグリッドの外には出られなかったため、
母を看取るどころか葬儀すらできなかった。
だが彼女は、悲しみや不満によって任を滞らせることはなく、
逆にそれらを糧にしてさらに研究に没頭し、己の道を邁進しつづけた。
それが祖母や母へ向けた、
彼女ができる精一杯の弔いの形でもあった。
223 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:55:32.68 ID:XVB8s0iW0
「闇の左目」から『時の記憶』の情報が発見された当時、
彼女はいまだ150歳ほどと魔女としてはまだまだ若輩であったものの、
すでに開発研究の中心人物となっていた。
それゆえ、彼女につけられた護衛も厳重だった。
大悪魔の諸神格と渡りあえるほどの最精鋭が常に複数名そばにおり、
時には賢者や魔神が応援警護に加わることもしばしばあった。
ただし、単に彼女が重要人物というだけではなく、
この時期の状況的にも厳重にせざるを得ない理由があった。
すでに魔帝からの密偵や刺客が人間界に多く侵入してきており、
しばしばヴィグリッドの周辺でも確認されていたからである。
その目的も明らかに、対『創造』技術についての情報収集と開発妨害だった。
これは開発が魔帝にもすでに知られているということであったが、
同時にそれは有益な一つの答えも示してくれていた。
魔帝がここまで執拗に情報収集と妨害を試みてくるということは、
魔女たちが研究しているものを脅威とみなしているということ。
本当に魔帝を倒しうる力を備えうる、
というのを魔帝自身が半ば認めたわけでもあり、
これは魔女のパートナー悪魔たちを繋ぎとめる上で
相当の宣伝効果ともなった。
224 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:56:08.46 ID:XVB8s0iW0
そしてもちろん、
魔女/賢者/魔神たちは妨害に対する備えも固めていた。
エヴァを含め開発陣の守りは厳重であり、
それこそ魔帝が自ら出陣でもしないかぎり鉄壁であった。
また、もし魔帝自身が動いたとしても、
予め用意してあるあらゆる対応策を起動させ、
魔女と賢者の総力をあげて迎撃を行う態勢も整えられていた。
魔帝の動きを事前察知して迎え撃てば、
大変な犠牲は避けられないものの、
エヴァたちが対『創造』技術を完成させるまで
持ちこたえることは可能と判断された。
この時期、魔女と賢者の武力はまさに
魔帝とその軍勢全てとも
正面から戦える水準にまで達していた。
くわえて魔神たちの全面的な支援もあったため、
天界と人間界の連合はようやく確かな勝算も描けるようになりつつあった。
だが忘れてはならないのは、
脅威は魔帝だけではないということ、
侵犯者は三柱いたのだから。
225 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:56:58.81 ID:XVB8s0iW0
当然ながら諸勢力は
他の侵犯者の情報収集にも尽力していた。
覇王アルゴサクスについては、その傲慢と虚栄と支配欲ゆえに
常に堂々と君臨していたため動向把握は難しくなかった。
彼はこの時、侵略準備を進めている魔帝陣営とは異なり、
ただ状況を静観していた。
覇王は予備戦力として魔界に残るよう
魔帝から要請されていた、というのが建前であったが、
実際には互いの反目が最たる理由だった。
魔帝は、覇王に新しいクリフォトや果実、
「世界の目」を横取りされることを警戒していたのである。
一方覇王側は、魔帝のさらなる成功に手を貸すなど論外であり、
とにかく魔帝の失敗を望んでいた。
そしてこれら両者の反目は当然、
天界/人間界の連合にとって好都合だった。
少なくとも覇王はすぐには参戦しない、それが確かなだけでも
非常に大きな余裕ができた。
226 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:57:43.28 ID:XVB8s0iW0
だが一方で、残るもう一柱、
スパーダについては問題があった。
そもそもの動向把握が難航を極めていたために。
彼は単独で魔界を放浪していたうえ、
魔女の情報網でも把握しきれない奥地をもうろついていたため、
おおまかな居場所を知ることすら難しかった。
また一時的に居場所を把握できたとしても、
そこからの行動もスパーダの性格ゆえに予測困難であり、
すぐにまた見失ってしまっていた。
魔帝と覇王については、
支配者として振舞うために行動指針は明確であり、
善悪はともかくその行動予測の信頼性は高いものだった。
一方でスパーダはその時々の闘争心や好奇心で動く一匹狼であり、
どう動くかはまるで予測できなかった。
それでも、魔女たちは長年かけて断片的な情報を集め、
エヴァたちの研究開発が成就しかけていたこの時期、
ようやくスパーダの足取りも割りだしはじめていた。
そしてついに大まかな居所を掴んだが、その情報にみな絶句した。
かの侵犯者スパーダは人間界の内部、
しかも彼らのすぐ『懐』にいたのだから。
227 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:58:14.72 ID:XVB8s0iW0
この時期、ヴィグリッドにいたのは魔女や賢者のみらなず、
出生が「弱き人間」である魔剣士/闇の巫女と選ばれし者も大勢いた。
魔女や賢者は圧倒的戦力を誇るが、
人口が少ないためどうしても作業数には限界があり、
諸雑務をこなすために魔剣士/闇の巫女と選ばれし者からも
才人や戦士を募って支援兵団を組織していたのである。
ただし誰でも受け入れるわけではなく、
なによりも魔帝側の刺客や密偵の侵入を防ぐため、
何重もの魂・精神の解析を通過しなければならなかった。
これは絶対に『敵』が通過し得ないものだった。
この解析のもっとも重要な項目は
「人間的な慈しみや情を有しているか」、
「人間界に対する敵意や悪意を有しているか」である。
物質的な肉体や力の性質は技術さえあればいくらでも偽装できたが、
魂と精神の完全偽装は困難なものである。
そこを上述の項目などで精査することで、「悪魔的精神」の者、
すなわち「敵」を確実に炙り出すことができた。
しかもこれら解析は「世界の目」による観測が基盤となっていたため、
欺くことは絶対に不可能だった。
228 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:58:41.14 ID:XVB8s0iW0
そしてこの厳重な解析を通過し、支援兵団に加わった中に
とある一人の「銀髪の魔剣士」がいた。
彼はフォルトゥナという地の生まれと自称していた魔剣士であり、
支援兵団内では抜きんでた技と知識を有する勇猛な戦士だった。
また精神解析を容易に通過したその人格は、
寡黙で冷静、公正と明晰、慈悲と献身をたずさえていたために人望を集め、
魔女・賢者からも評価され、支援兵団の幹部位も与えられるほどだった。
それゆえ、彼はしばしば魔女居住域の重要区画にも立ち入りが許可された。
支援兵団でこのような待遇を受けられたのはごく一部の幹部のみであり、
これは魔女・賢者からの信頼の証でもあった。
229 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:59:09.03 ID:XVB8s0iW0
しかしその関係は長くは続かなかった。
「銀髪の魔剣士」が支援兵団に入って9年経った頃、
魔女がついにスパーダの足取りを掴みはじめたからである。
かの侵犯者が人間界に侵入していたという衝撃の事実が判明し、
魔女・賢者はすぐにスパーダが降り立った地域へと調査班を送りこみ、
その足取りをさらに追っていった。
ここまでくればもう時間の問題だった。
スパーダの現在地の特定も、そして「彼」の正体が暴かれるのも。
ゆえに「銀髪の魔剣士」は先手をとった。
ヴィグリッド内にて、その証たる絶大な力を解き放って、
自らがスパーダであることを明かしたのである。
230 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 12:59:39.94 ID:XVB8s0iW0
対創造の切り札が完成間近という重要な時期に起こった、
魔女と賢者の計画を根底から破壊しかねない大事件だった。
人間たちは完全に不意を突かれた。
二大氏族は強固な迎撃網を入念に準備していたものの、
その内側からいきなり侵犯者が現れたからである。
それでもすぐにジュベレウスやクイーンシバの召喚術など、
究極戦力の使用許可が下されたが、
結局このときは実戦使用にはいたらなかった。
スパーダが「なぜか」すぐに立ち去ったからである。
対創造の切り札開発を潰そうとはせず、
それどころか一人の死者も発生させずに。
さらにここでもう一つ、誰も予期してなかったことも起きた。
スパーダは立ち去る際に、
かの才ある魔女エヴァを連れて行ったのである。
しかも誘拐ではなく、彼女が同行を望んだために。
もちろん相手がスパーダだと知った上である。
231 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:00:08.28 ID:XVB8s0iW0
これら立て続けの予想外の事態に、
魔女と賢者は大いに混乱した。
彼らはすぐにスパーダと、
彼に同行した「反逆者エヴァ」を追撃するのと並行し、
諸問題の調査にも乗りだした。
『世界の目』を基盤にした解析、その「敵」を確実に見抜く鉄壁を
スパーダはどうやって欺いたのか、
我々魔女と賢者は何を見誤ったのかと。
だが実のところ、スパーダは解析を「欺いた」わけではなかった。
また解析に何かの不備があったわけでもなく、
魔女と賢者が何かの失敗を犯したわけでもなかった。
そして、むしろ逆に、この事態は「成果」と誇っても良いものだった。
実は彼ら人間たちこそが、
スパーダに「ヴィグリッドを傷つけない」という道を選ばせたも同然なのだから。
人間たちは気づかぬうちに大変なことを成し遂げていたのである。
232 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:00:49.10 ID:XVB8s0iW0
ただ、あまりにも予想外の事態であったために、
彼女ら/彼らはその成果を成果として認識することができなかった。
これは仕方のないことだった。
魔界の脅威が迫っている現状において、
悪魔の中の悪魔たる侵犯者スパーダを
「味方」として認識することなど到底困難だった。
絶対にあり得ないはずなのだから。
だが、これこそがロキが密かに導いた、
絶望的なまでに可能性が低くも
「人間の心」によって果たされる勝利への道筋。
そして、一つの愛の物語でもあった。
233 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:01:26.32 ID:XVB8s0iW0
第三部 「伝説の戦い」
その戦いは史上最大でもなければ、史上最強でもない。
はるか古から現代にかけて、
規模や武力で凌ぐ戦いはいくつもある。
古においては天魔の超大戦。
中世においては賢者と魔女の全面戦争、
そして天界の介入による魔女の滅亡。
現代においてはスパーダの息子らと孫による数々の死闘。
生き残りにして最強たる魔女らによる、
ジュベレウスとロプト=エーシルの打倒。
そして第三次世界大戦から発展し、
三界全勢力と魔女やスパーダ血族も参じた大戦、
旧ジュベレウス派の完全失墜、古の悪竜の滅亡など、
より大きい戦いの例は数多ある。
だが歴史的な意味合いにおいて、
世にもたらした影響においては、此度の戦いを越えるものはない。
それまでの世の運命が集束し、
それからの世の運命が決定づけられた。
全ての転換点にして新たなる始まりである。
それゆえにこの戦いは「伝説」と謳われた。
234 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:02:07.15 ID:XVB8s0iW0
1 迷える怪物
スパーダが人間界に本格的に関わりだしたのは、
ヴィグリッドの支援兵団入りから約千年ほど前である。
当時ロキの調査を行っていた魔帝に事情を明かされ、
秘密裏に協力したのが始まりだった。
魔帝はスパーダへ、大胆にも人間界への潜入調査を提案した。
これはロキを大いに挑発しうる行為であり、
かの存在が「無」を使えた場合には最初に餌食にされることを意味していたが、
スパーダはその危険も承知で引きうけた。
武力の探求のためなら己すら材料にするスパーダにとって、
三位一体世界最強といわれたエーシル、
その要素を受け継ぐロキの力には
やはり抗しがたい魅力があった。
また、スパーダはかつて「無限の者」を突如襲ったとおり、
とにかく自ら飛びこんで直接体験するという性格でもあったため、
ためらう要素は一切なかった。
くわえて彼は、人間のことも大いに気になっていた。
人間はエーシルが創り出した種であり、
その自我も世界の目によって生じたもの、
すなわち人間たちもまたエーシルの力が直結した存在だからである。
さらにあの「果実」の原料となるほどの未知なる因子、
そして賢者と魔女の目覚しい成長と力量も魔界まで轟いており、
スパーダが彼らに興味を抱くのも当然だった。
それゆえ人間界に潜入できた暁には、
エーシル関連のみならず人間についても
徹底的に調べあげようと考えていた。
235 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:02:36.13 ID:XVB8s0iW0
そうして彼はすぐに行動を開始した。
まずは魔帝から提供された人間の「検体」で基礎知識を得た。
この人間たちは、魔帝が配下の悪魔らに拉致させてきたものである。
スパーダはその「検体」たちを解剖して精査し、
人間の霊的・物質的構造を一通り学んだ。
そしてそれを元に己の魂外殻を人間に偽装させ、
さらに肉体を物質的には人間そのものに作り変えた。
また己の悪魔としての力は完全に封じ、一切外に漏れ出さないようにした。
こうして成されたスパーダの偽装はきわめて高水準だった。
物質領域における再現は完璧であり、肉体は生物学的には人間そのもの、
少なくとも、その魂と精神の深部を調べられないかぎり、
ロキ・ロプト以外には見破れないと断言できるほどであった。
このように「人間の銀髪の魔剣士」姿となったスパーダは
いよいよ人界に赴き、魔帝から託されたロキの捜索を開始した。
しかしその仕事は一向に進展しなかった。
スパーダの偽装潜入に気づいていないのか、それとも静観してるのか、
ロキ・ロプトの動きは全く確認できず、収穫は一切なかった。
そのため、スパーダはひとまずロキ捜索を中断し、
個人的な目的である人間の研究を進めることにした。
このスパーダの「寄り道」は魔帝も承認していたものだった。
そもそもこの悪魔が好き勝手動くのは魔帝も承知の上であり、
また人間の理解はエーシルの力の理解にも繋がり、
それゆえ別方向からロキに接近できる可能性もあったからである。
236 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:03:17.98 ID:XVB8s0iW0
根本的に武と力にしか関心が無いゆえに、
どんな対象でも武と力の物差しによって評価する、
そんなスパーダからすれば、人間はまさに驚くべき種だった。
誕生したのが最終戦争後という日が浅い種だというのに、
すでに三位一体世界の一角を占める勢力として成熟していたからである。
とくに魔女・賢者は戦闘能力においては
いまや魔界の諸神格と戦える水準、
最強の者たちならば侵犯者とも渡り合えるほどであり、
武力の成長速度においては魔族をも凌駕するほど。
原初時代から存続してきた魔族や、
原初時代の難民で構成された天界勢とも違う、
より高性能ともいえる次世代の知的支配種だった。
スパーダにとってはこれ以上ない研究対象であり、
興味は表面的な強さのみならず、その成長や強さの源、
すなわち人間の精神部分にまで向けられることとなった。
237 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:04:00.88 ID:XVB8s0iW0
そしてその際限がないスパーダの好奇心は、
己の身で直接体験するという彼お馴染みの手法によって発揮された。
スパーダは人間社会の内部に堂々と踏み込んでいった。
文明を渡り歩き、農村から都市、貧困層から支配層まで、
あらゆる部分に紛れこんでは人間を直接観察し、
彼らの精神や営みに触れた。
スパーダの人間偽装は完璧であり、
一度たりとも正体を見破られることはなかった。
周囲の人間のみならず天界による監視網でさえも
彼を「弱き人間世代の生まれ」と判定していた。
ただし、魔女・賢者にだけはスパーダは接近しなかった。
その高度な解析技術、そして「世界の目」によって魂・精神の深部まで調べられ、
正体が見破られる可能性があったために。
238 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:04:35.21 ID:XVB8s0iW0
ロキ捜索が完全に暗礁に乗り上げていたこともあって、
スパーダは人間研究により没頭していった。
入念に観察し、「検体」を採取し、実験を繰りかえして精査し、
人間についての理解を日々深めていった。
その研究方法は、「検体」として扱われた人間からすれば
想像を絶するほど凄惨でおぞましい所業であったが、
当時のスパーダはもちろん一切気に留めていなかった。
そうして人間の生物学的側面のみならず、
彼らの精神世界を構築する思考や信仰、欲望、感情、
そして「道徳」や「慈愛」という魔族にとって無価値といえる分野まで、
ありとあらゆるものを調べあげ、
仕上げに自ら現場体験することでより理解を深めた。
こういった研究の当初、スパーダがこの人間世界に抱いた印象は
ひどく否定的なものだった。
闘争と暴虐もあれば、調和と慈愛も含む人間世界。
その矛盾溢れる様相は、
「悪魔の中の悪魔」「闘争の象徴」と謳われるほど突き抜けていたスパーダには
苛立たしいほど散漫で濁った世界に見えたのである。
しかし人間の視点に立ち、体験し、学ぶことで
その認識は徐々に変わることとなった。
239 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:05:01.38 ID:XVB8s0iW0
人間の思考と行動を模倣して直接体験する、
とくに調和や慈愛を味わうことになるなんて、
基本的に悪魔にとっては苦痛と屈辱しかなかったが、
スパーダは全く気にしなかった。
彼にとっては力の探求こそが全てであり、
その目的の前には保身や自尊心などは無いも同然だったから。
彼が後進でありながら侵犯者の域に達したのも、
己を実験動物のように絶え間ない闘争の渦に放りこみ、
自我の変質すら厭わずにあらゆる要素を取りこんで
己を改造してきたがゆえだった。
こうした極端な探求姿勢は、人間を学ぶ上でも同じだった。
彼は己を実験動物として、
さまざまな人間の要素を組み込んでいったのである。
彼にとってはいつものこと、
喰らった悪魔や性質を吸収して、新たな知見や力を手に入れる、
そんな数え切れないほど繰り返してきたことを
また繰り返しただけだった。
240 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:06:57.59 ID:XVB8s0iW0
そのように人間の要素を徐々に取り込むことで、
スパーダは他の悪魔には不可能な知見を獲得していくこととなった。
中でもとくに彼を興奮させたのは、もとい認識を改めることとなったのは、
先に人間界に抱いていた「散漫で濁った世界」という否定感だった。
その散漫さ、中でも人間の思念と感情の「不明確さ」こそが
むしろ人間の強さの一因だとスパーダは気づいたのである。
人間の思念や感情はきわめて強烈であるにもかかわらず、
それぞれの境界が不明瞭であり、溶けあって混沌としていた。
忠誠、大義、そして愛情といった要素が、
憤怒、憎悪、嫉妬などといった要素と同居しており、
また愛情と憎悪など、悪魔にとっては相反するはずの感情が
一つに溶け合ってしまうことさえしばしばあった。
これは悪魔の視点からすると実に奇妙だった。
思念や感情は、強ければ強いほど明確であり不変、
というのが魔族の普遍的な精神構造だったために。
そのような悪魔の価値観からすれば、
こうした人間の曖昧な感情は精神異常や虚弱の証だった。
なぜなら思念や感情は闘争行動に直結しており、
それが曖昧ということはまさしく「弱さ」だった。
だからこそ、スパーダも当初はこの世界に悪い印象を抱いたのだった。
だが人間世界では実のところ、それは逆に強さでもあった。
不安定さが彼らの思念や感情の強さにつながっていた。
思念や感情が大きく揺れ、その振り幅の大きさゆえに
反動で振り切った際には凄まじい衝動を形成したのである。
241 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:07:28.85 ID:XVB8s0iW0
中でももっとも振り幅が大きかったのが「愛情」であった。
愛情には明確な境界などなく、
あらゆる衝動から転化し、またあらゆる衝動にも転化しえた。
大義や忠誠、無上の献身にも、
憤怒や憎悪、嫉妬や浅ましい欲望にも、
ありとあらゆる思念や感情に直結し、溶け合うこともできた。
さらにそれらによる感情発露の強さも並外れており、
人間たちを頻繁に非合理な行動にも駆りたてるほどだった。
そして、そうした精神活動が彼らの才と正しく結合すれば、
魔女や賢者に代表される「人間の強さ」が発揮されうる。
たとえば魔女を魔界傾倒という困難な道へ突き動かし、
そして困難ながらも成功させたのも、一族の未来を守るため、
より究極的には子を守る母親としての愛情が根底にあったためである。
これら判明した人間特有の「強さ」は、スパーダを久々に真に興奮させた。
この魔族とはまったく異なる形で得られる「強さ」とは、
彼にとっては未開拓の新系統の分野、まさに新たな力の宝庫だった。
そしてスパーダの探究心はより加速し、
その手法もさらに踏み込んだものになっていった。
部分的に人間の要素を己に組みこむだけではなく、
思念や感情といった根幹部分の全てを一気に取り込もうとした。
だが、それは悪魔視点からすると大いなる「過ち」だった。
242 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:08:06.57 ID:XVB8s0iW0
人間の不安定な感情や思念をも取りこむ、
これは自我の変質どころか悪魔の範疇をも外れかねないものであり、
まともな魔族ならば絶対にやらなかった。
しかしスパーダはやはり違った。
彼は躊躇わずに人間的な精神のすべてを己の中に打ちこんだ。
そしてついに獲得した人間的な思念や感情、
その影響はすぐにスパーダの目に映る世界を変えた。
「人間的精神」で彩り豊かな人間世界を見るや、
それまでの興味や驚きだけではなく、美しさへの感動も抱いた。
野山を歩めば心地よさを抱き、
騒がしい人間の町では喜悦や高揚、不快感や怒りも抱いた。
さらに周囲の人間の表情や佇まいに共感することでより情動は増し、
生き生きと浮かびあがる人間社会の営み。
人間の思念と感情を手に入れたことで見えてくる情感世界、
その息吹にスパーダは魂から酔いしれた。
だが、それは「悪酔い」だった。
開花したスパーダの人間的精神は、思わぬ副産物も生じさせた。
それまで彼自身が当たり前のように行っていた人間の拉致、
様々な実験、分解、精査といった行為がどれだけ「残虐」なものだったのか、彼は真に理解した。
そして「人間的なスパーダ」部分は耐え難いほどの自己嫌悪を抱かせたのだった。
243 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:08:55.73 ID:XVB8s0iW0
自覚した時にはすでに遅かった。
人間のことを研究材料としては見られなくなっていた。
彼らに行ってきた研究は害悪であり、それを「非道」だと思うようになり、
それを行ってきた己に怒りをも抱いてしまう。
これはスパーダの生涯において最も劇的な変化だった。
それまでの彼は他者のみならず、己自身すら鑑みずに実験材料にするほど、
人格や生命それ自体にはなんら価値を認識していなかった。
しかしここで彼は生まれて初めて、
他者の人格や生命そのものに価値を見出し、
それを一方的に破壊する行為を「非道」とも感じた。
これはスパーダの存在そのものを揺らがしかねない一大事だった。
彼の根源的欲求は武力の探求であり、彼の人格も行動もすべてが
その欲求を基礎として形成されていたはずだった。
無数の悪魔を貪って取りこんできても
この探究心だけは一切薄まることはなく、
スパーダという人格を維持してきた不変の核であった。
だがいま、その核が揺れはじめていた。
人間に対する非道、その自己嫌悪が、絶対的欲求だったはずの武力探求を鈍らせ、
従来の「スパーダ」という人格を蝕みはじめていた。
彼が見出した人間の思念と感情の「強さ」は、
皮肉にも彼自身を殺すも同然の猛毒だった。
244 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:09:30.68 ID:XVB8s0iW0
その毒はもはや止めようがなく、
スパーダは次第に己の在り方をも見失いはじめた。
武力探求をもとめる生来の衝動と、
探求よりもさらに「大事なこと」を示す人間的性質、
相反する本能や情感がぶつかり、彼の思考をひどく淀ませた。
思考も自意識も揺らぎ、スパーダは生涯で初めて途方に暮れた。
自己がこれほど信用ならなくなったことは今まで一度もなかった。
闘争に身を捧げた成り上がりの時代も、侵犯者としてOMNEの力を獲得し、
超越的な戦士として名を轟かせてからも、
一度も自信を失うどころか、一瞬の迷いすらも抱いたことはなかった。
だからこそ、彼はここで果てしなく途方に暮れた。
原初時代より激烈な闘争を勝ち抜いてきた屈指の怪物が、
人間の幼子のように出口が見えない不安に苛まれることとなった。
だがそれほどの状態になろうと、
スパーダは人間的な部分を捨てることはなかった。
技術的に切り離しは可能であり、また彼もそうすることを幾度も考えたが、
迷った末に結局いつまでもできなかった。
245 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:10:07.60 ID:XVB8s0iW0
そのようにスパーダは鈍い苛立ちと苦悩のなか、
ぼんやりと人間世界に浸る日々を過ごした。
そして、そのまま数百年経ったある時、魔帝から言伝が届いた。
ロキ捜索は切り上げ、人間界への全面侵略に移るという旨である。
くわえて魔帝からの新たな要望も付加されていた。
その内容は以下のとおりである。
魔女と賢者が「世界の目」から
エーシルの力の情報を抽出することに成功し、
対魔への切り札として応用を試みている。
それは侵犯者をも脅かす可能性があるため、
賢者・魔女に接近してこれを探り、最終的には排除せよ、と。
自分は安全圏に座し、厄介ごとはスパーダに押しつける、
そんな魔帝の意図は明らかだったが、スパーダはこれを快諾した。
ただし、人間界に訪れた時とは異なり
快諾の理由は力の探求ではなかった。
スパーダがこのとき欲したのは、賢者と魔女が行っていた支援兵団の募集、
そこで実施されていた精神解析を受けることだった。
246 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:10:34.55 ID:XVB8s0iW0
賢者と魔女が行っていた精神解析、
それは魔帝の手先が紛れこむのを防ぐためのものだったが、
スパーダにとっては今の個人的問題を解決しうる糸口でもあった。
解析には「世界の目」の力も使用されており、
精神の深部をも確実に見抜くことができたからである。
これは今のスパーダにとって、
己の真の姿を映し出してくれるたった一つの「鏡」だった。
「世界の目」の解析によって明確な答えを出してもらえば、
見失いかけている己を再び見定めることができる。
悪魔であると明確に判定してもらうことで、
人間的要素による汚染も止めることができ、
このくだらない「迷い」からも抜け出せる、スパーダはそう考えた。
もちろん、この解析を受けて悪魔と証明された時点で
賢者・魔女にも正体を知られるものの、
その段階ではもう姿を隠す必要もなかった。
悪魔スパーダとして力を解き放ち、
魔女・賢者と存分に戦い、例の切り札開発も潰すだけ。
それが「悪魔としてのスパーダ」が思い描いていた展開だった。
247 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:11:11.71 ID:XVB8s0iW0
だが、そうはならなかった。
精神解析を問題なく通過してしまったために。
スパーダの精神深部を覗いた「世界の目」は、
彼を「人間」だと観測したのである。
究極にして正確無比な「世界の目」、その判定に疑う余地はなかった。
ただし、スパーダは完全に失意に沈んだわけでもなかった。
「悪魔としてのスパーダ」は嘆いた反面、
「人間的なスパーダ」の部分はやはり安堵を抱いていた。
これで人間を実験材料にするような真似をもうしなくても済む、
あらゆる生命を武力探求に捧げるという「非道」を止められると。
それもまた人間的要素に「汚染」された思考によるものだったが、
もはやこの思考を遮るものは無かった。
「世界の目」がそう認めた以上、
「人間的なスパーダ」こそが今のスパーダの正当な人格である。
その揺るぎない答えを前にしては、
もはや「悪魔としてのスパーダ」部分は抵抗力を失っていた。
248 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:11:38.16 ID:XVB8s0iW0
そうしてひとたび受け入れてしまえば、
今までの迷いが嘘のように思念は澄みわたり、
不明確だった自意識は一気に再構成されていった。
その過程で何かが捨てられるようなことはなかった。
本来の悪魔としての部分から、新たな人間的性質まで、
すべてが融合し一つとなった。
それゆえ、彼は「別人」に生まれ変わったわけではなく、
ましてや人間に転生したわけでもない。
一時は自己を見失いはしたものの、
最終的には記憶と「スパーダ」だという自意識は完璧に連続し、
生命としては悪魔であることも変わらなかった。
変化はただ一つ、「人間の心」を獲得したという点のみ。
すなわち、彼は「人間の心を有する悪魔」という、
史上初めての存在へと成った。
そしてこのスパーダの変化は、
三位一体世界すべてにとっても大きな意味を持っていた。
もちろん当時の彼は知る由もなかったが、
ここから「救世主の伝説」が始まったとしても過言ではないほどに。
249 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:12:05.86 ID:XVB8s0iW0
心機一転したスパーダは、
そのまま賢者・魔女傘下の支援兵団員となって
業務をこなすようになった。
精神解析を通過した成り行きでしかなかったものの
彼もまんざらではなく、むしろ嬉々としてその職務に身を投じた。
人間的精神を完全に受けいれた今、その衝動を阻むものはなかった。
幼子が周囲のありとあらゆるものを学んで己を形成していくように、
スパーダは夢中で人間と共に行動し、「人の心」を成長させていった。
賢者や魔女が出張るほどではない案件、
下等悪魔の排除などの任によって人間界中に赴き、
人間の戦士たちと共に戦いを重ねた。
そして友情を育み、次第に人望を集めるようにもなった。
彼は思慮深くて冷静でありながら、大胆で熱意にも満ち、
さらには慈しみ深く献身的だったからである。
スパーダはいまや人界のあらゆる存在に深い慈愛を抱き、
その「人の心」はこれ以上ないほどの善人そのものだった。
そんな彼を、周囲の者たちは
「非の打ち所がないほどに高潔」と称えたほどだった。
250 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:12:34.61 ID:XVB8s0iW0
また悪魔としての力は完全に封じていたとはいえ、
膨大な経験ゆえに「弱き人間世代の魔剣士」としても
彼は図抜けた能力を発揮した。
くわえて精神解析でも完璧な評価を受けていたため、
賢者・魔女にも「全幅の信頼に足る」と認められて
位もまたたく間に向上した。
それによってヴィグリッド中心部、
魔女と賢者の区画にも立ち入りが許可され、
賢者・魔女とも個人として交友するようにもなった。
そうして共に過ごすようになった魔女と賢者、
その生き様もまた、スパーダにとってこれ以上ないほどに美しいものだった。
人類の頂点であり圧倒的最強の集団なだけあって、
その思念の強さと描きだされる精神世界もまた圧倒的に濃密。
人類種の保存のため、一族の存続のため、
そして究極的には親や兄妹、伴侶、ひいては子の未来のため。
そんな彼らの並々ならぬ覚悟と信念にスパーダは唸らされ、
その忠誠と絆には心底から震わされた。
251 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:13:10.59 ID:XVB8s0iW0
しかし一方で、スパーダは変えられない現実も常に意識していた。
それは彼が悪魔であり、侵犯者であるという事実である。
彼が人間界にとって究極の敵であることは今も変わらない。
人間たち、この友人たちとはいずれ敵として相対しなければならない。
人間世界を破壊し、殺し尽くさねばならない日が来るのだと。
それはスパーダにとって嘆かわしい未来でしかないが、
その日が訪れたら確実に成すつもりでもあった。
彼は悪魔たる思念を捨てたわけではなく、全てを同化させたのである。
ゆえに人間的でありながら、冷酷で闘争を是とする悪魔的な一面もまた
今でも彼の素顔の一つでもあった。
それは一種の諦めとも言えた。
いくら人間的な心を育みようが、所詮は悪魔なのだと。
自分は、この友人たちにとってはやはり災厄なのだと。
友人らはみな本質的に敵であり、決して真に理解し合えることはないのだと。
誰一人として。
彼はヴィグリッドにて生涯で初めて
友人と呼べる存在、それも大勢に恵まれたが、
それゆえに真の「孤独」というものも思い知らされ、
日々苛まれ続けたのであった。
そしてそのような日々の中、
スパーダは一人の魔女と出会うこととなる。
彼女の名はエヴァといった。
252 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:13:45.02 ID:XVB8s0iW0
2 運命
きっかけは、支援兵団の在籍三年目に
スパーダが再び精神解析を受けたことだった。
正体を疑われたのではなく、
逆に以前の解析において最高評価を受けていたために、
研究資料としての価値を見出されたからである。
彼の解析情報は「もっとも善良なる精神構造」の一例として、
さまざまな分野にて参考資料として活用されることとなった。
そしてその解析を担当したのがエヴァだった。
二人は知り合うや、双方とも純粋かつ好奇心豊かだったために
自然と互いに関心を抱いた。
スパーダは、エヴァのアンブラ主流派とは相容れない
異端児としての人柄に興味を抱いた。
一方エヴァは、スパーダの「もっとも善良なる人間」という希少性と、
人間界各地を渡り歩いてきたという経歴に興味をもったのである。
幾日かに分けて行われた解析、
作業の合間にて他愛もない会話を重ねるうちに、
その関係は身分の垣根をこえて
まずはささやかな「友情」を生みだした。
そしてその友情は解析が終わった後もつづき、
次第により親しきものとなっていき、
スパーダは非番時にしばしば彼女を訪ね、
エヴァも休憩時間を彼との会話に費やすようになっていった。
253 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:14:26.64 ID:XVB8s0iW0
そんな日々を重ねるうちに、
スパーダの内側にて好奇心ではない別の感情が芽生えはじめた。
エヴァの仕草や、会話に垣間見える生来の優しさ、
どんな相手であろうと慈愛によって受け入れようとする姿勢。
それでいながら、必要とあれば誰だろうと容赦しない秘められた闘争心、
そして子供のような無邪気さと、相反する冷めた憂いの同居。
そうした彼女の人柄に、スパーダは次第に吸い寄せられていった。
もっと話したい、もっと知りたい、もっと時間を共有したい。
そんな情動が日に日に彼の心を占めていった。
一方、エヴァの側も徐々に惹かれつつあった。
スパーダはよく、彼女の興味に応えて、
自身の人間界各地の探訪体験を話していた。
内容は国、文明、文化といった広範な視点のみならず、
とある日の街角にて見かけた人間模様などの細部にまでわたり、
そこで語られる情景にエヴァは夢中になった。
彼女はヴィグリッドの外で育ったとはいえ、
幼少から祖母の元で徹底した魔女教育の日々を過ごしたため、
「弱き人間」の社会のことは直接的にはほとんど知らなかった。
アンブラ族に招かれてからも厳重なヴィグリッド中央に篭ったままであり、
それゆえスパーダの未知なる外の物語に大変関心を寄せた。
そして当初は純粋に話を楽しんでいたが、
次第にスパーダという人格そのものにも彼女の意識は向いていった。
話自体の面白さのみならず、スパーダの語り口や視点には
無意識のうちに彼の純粋にして善良な人間性が溢れており、
それが優しきエヴァにとって心地よいほどに共感できたのである。
254 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:14:58.07 ID:XVB8s0iW0
彼女はしばしば思うようになった。
自分もいつか、彼が語る「物語」に現れるのだろうか、と。
彼の純粋にして善良な語り口で自分も描かれる、
そう思うと嬉しくてたまらなかった。
できることなら、自分自身もその物語を聞いてみたい。
彼が紡ぐ「エヴァとの友情」の話を、自分も隣で聞いてみたい。
そんな彼女のささやかな願望は徐々に膨らみ、
そしていつしか、いっそのことその物語自体を
二人で共有したいとも思うようになっていった。
それも二人だけの「特別な物語」として。
双方の好意はとくに秘められたものではなかった。
お互いに純粋素直ゆえ、隠すこともなかったからである。
そして互いの想いに気づいても齟齬など一切なく、
二人の絆をさらに深めていった。
エヴァは最重要人物ゆえ護衛が常についていたため、
肌が触れるどころか二人きりにすらなれなかったが、
それでも両者にとっては十分だった。
話しこんで、笑いあい、そして時に沈黙して見つめ合う。
身分差と高度な警戒環境のため制限されながらも、
二人はゆっくりと「愛」を育んでいった。
255 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:15:25.94 ID:XVB8s0iW0
二人の身分や立場はともかく、
間に紡がれた関係自体は人間世界ではありふれた、
何の変哲もない恋物語だった。
だがそれゆえにスパーダにとっては大きな意味があった。
これこそが彼の人間的精神を完成させる上での
最後の要素だったからである。
特定の誰かに特別な愛を抱き、そして同様に自分も愛される。
そのありふれながらも人間だからこその特別な感情を得て、
彼の「人の心」はついに完璧なものとなった。
これは彼にとって新たなる人生の始まりであり、
そして大いなる試練の到来をも意味していた。
「人の心を有するスパーダ」、
その幼年期は終わり、夢心地の日々もいよいよ終わりを迎える。
そして過酷な現実に向きあう時が訪れる。
256 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:15:57.84 ID:XVB8s0iW0
3 選択
現実問題として、近いうちに魔帝は必ず侵略を開始する。
以前ならば、スパーダはそれに呼応して人間界を攻撃するつもりであった。
人間的な心がどうであろうと、不変の現実たる悪魔の本分を優先して。
しかし特定の存在をも愛し、人の心を完成させてしまった彼は、
もはや今までのようには考えられなくなっていた。
エヴァにも刃を向けなければならない事態、それを想像してしまうと
彼の冷酷な悪魔的一面すらも揺らいでしまっていた。
それゆえ、魔帝側について人間を攻撃することにも
大きな迷いを抱くようになっていた。
また「中立で参戦しない」という選択肢も受け入れがたいものだった。
ひとたび戦端が開かれたら
人界が甚大な被害に見舞われるのは避けられない。
一応は勝機があると考えている賢者・魔女による推計ですら、
人類の9割以上が死亡すると算出されていたほどである。
それは事実上、現行の人間界が一度ほぼ滅亡するということであり、
そんな光景をただ眺めているのもスパーダには耐えられなかった。
257 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:16:25.50 ID:XVB8s0iW0
とはいえ、反対に人間側について魔帝陣営と戦う、
という選択肢にも大きな抵抗感があった。
彼は人間に惹かれ慈しむようになったが、
そのような「心」を有したからこそ
魔族への同胞意識も感じるようになり、
魔界への郷愁も抱くようになっていたからである。
そして此度の戦で人間側につくということは、
単に同胞を殺すという問題に留まらなかった。
魔帝陣営と衝突するということは、全魔族の敵となるということ。
スパーダを「闘争の象徴」と信奉してくれている無数の同胞たち、
悪魔的とはいえ、彼らがどれだけの誇り、誉れと憧れを捧げてくれていたのか、
「心」を有している今だからこそスパーダはその篤さを理解できていた。
魔界において至高の英雄とみなに謳われる、
その真の意味に初めて気づいたのである。
しかし人間界側につけば、その全ての思いを裏切ることを意味していた。
そんな処遇はやはりスパーダの「心」をひどく痛ませた。
これは「人間の心を有する悪魔」として自己を確立したがゆえの板ばさみだった。
愛を知った彼は、その純粋さゆえに
両方の世界をも愛してしまっていた。
開戦そのものを回避できれば全て丸く収まりうるが、
そんなものは夢物語にすぎなかった。
魔帝の目的は「世界の目」の強奪であり、
そして最終目的は「全て」を支配することであり、
その悪意は魔帝そのものが倒される以外に潰えることはない。
ゆえにスパーダはどちらかを選択しなければならなかった。
魔界か、それとも人間界か。
彼にとって究極の選択であり、
当然すぐに答えを出せるものではなかった。
くわえて時機も悪く、彼自身が決断する前に周囲の状況が動いてしまった。
258 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:16:58.20 ID:XVB8s0iW0
彼が支援兵団に在籍して九年目のある日、
ヴィグリッド内が俄にざわめくこととなった。
かの長らく行方知れずだった「侵犯者スパーダ」、
その足取りがついに判明し始めたのである。
決め手となった情報は、魔女が契約している悪魔から噂として得られたものだったが、
その裏にある真実にもスパーダはすぐに勘付いた。
この時期にこれだけ具体的なスパーダの情報、
噂の大元の発信源は間違いなく魔帝であると。
そしてこれは事実だった。
スパーダは賢者・魔女の懐に潜りこんだものの、
その後は報告も妨害工作もせず、
あげくに対創造用の切り札が完成しかけているというのにいまだ沈黙、
そんな状況に魔帝は痺れを切らしたのである。
くわえて魔帝は、
「スパーダは対創造用の技術を我が物にする気では」
という疑いも少なからず抱きはじめていた。
そのため意図的に彼の情報を流して揺さぶり、
無理やり行動に移させようとしたのである。
速やかにやるべきことをやれと。
259 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:18:47.15 ID:XVB8s0iW0
これはまさに、スパーダの現状を大きく崩す一手だった。
ひとたび手がかりを得たら、
賢者と魔女はその技術を駆使して必ずスパーダに辿りつく。
彼が人間界に入ったこと、
そしてここヴィグリッドに向かったこと、
さらには潜り込んだこともすぐに発覚し、
この「銀髪の魔剣士」の正体も暴かれることになる。
そしてこの満たされた日々もついに終わる。
魔帝の一手は的確に、
スパーダへと否応なく行動の時を突きつけたのである。
だが、魔帝側は一点だけ見誤っていた。
それは彼が悪魔的悪意の権化であり、
人間的性質とは程遠い人格であるがゆえの失敗だった。
スパーダの精神状態をまったく理解できていなかった。
この男がいまや悪魔的な衝動ではなく、
人間的な心で動いていることを。
ましてや人間を「愛」しているなど思いもよらなかった。
260 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:19:13.36 ID:XVB8s0iW0
選択を迫られたスパーダの思考は、
魔帝がまったく予期していなかった方向へと進んだ。
この状況に陥った際、彼が真っ先に抱いたのは
「人間か悪魔か」などという自己の問題ではなく、
ひたすらな周囲への心配だった。
「スパーダ」の正体が発覚してしまえば、
付き合いのあった人間たちを巻きこんでしまうのでは。
エヴァや友人たちは賢者・魔女の当局から反逆などを疑われ、
厳しい措置をとられてしまうのでは。
そんな危惧がスパーダの意識を支配したのである。
それまで彼を苦悩させていた「どの陣営につくか」という問題を
脇に退けてしまうほどに強く。
261 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:19:40.86 ID:XVB8s0iW0
ただ幸い、状況を精査してみると、
友人もエヴァもみな危険はなさそうだった。
やはり賢者・魔女当局からの嫌疑は免れないものの、
世界の目による精神解析によって
彼らの無実が証明されうるからである。
そしてそのように危惧が一旦落ち着いたところで、
スパーダはようやくこの己の思考が意味するものを自覚した。
人間界と魔界、どちらにつくかという「選択」はすでに果たされていたのだと。
「心」はとっくに答えを出していた。
なにせ魔帝からの「伝言」を受け取った瞬間、
真っ先に考えたのは周囲の人間のことだったのだから。
彼は一切躊躇うことなく、
意識するまでもなく人間側に立っていた。
そして魔を裏切ったことに対する胸の痛みで、彼はこれまた自覚した。
とっくに果たされていた選択、それを自覚するのを避けていたのは、
この魔への同胞意識と郷愁のせいだとも。
選択しなければと思いつつも、
開戦までは選択しなくていい、できるだけ長く人と魔の両方と繋がっていよう、
そうどこかで我侭を抱いてしまっていたと。
262 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:20:17.95 ID:XVB8s0iW0
しかし今や、そのような甘さは断たなければならなかった。
魔帝の「伝言」は甘えていたスパーダを叩き起こし、
とことん悪辣にして冷酷な現実を突きつけてきた。
おぞましい悪意が愛する者たちを滅ぼそうとしている、
その揺るぎない事実を前にして、彼はついに覚悟を決めた。
同胞を裏切ることへの負い目は依然あったが、迷いは消えた。
己にとって何がもっとも重要なのか、何をすべきなのか、
いまや彼の「心」は明確に見定めていた。
愛する人間たちを、そして彼らの世界を守る。
同胞たる魔族のすべてを敵に回してでも、
全身全霊をかけて人間の生命と尊厳を守りぬく。
それがスパーダの「心」より発露した意志であり、
「力の探求」に代わる新たな根源的欲求だった。
すなわち、ついに彼は「正義」に目覚めたのである。
263 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:20:44.44 ID:XVB8s0iW0
4 裏切りの愛
魔帝と戦い、人間界を守る。
それはスパーダにとっても至難だった。
まず対魔帝にあたっては、
スパーダですらも賢者・魔女の支援が不可欠だった。
彼には魔帝の「創造」を崩す術がないからである。
そして幸い、最終的にはそういった支援は期待できた。
侵犯者同士が衝突するとなれば
賢者・魔女たちにとって好都合なのは自明だからである。
スパーダが魔帝と戦えば、ある段階で介入してきて
両方弱まったところで両者をまとめて討伐、
そのような行動を賢者・魔女がとるのは容易に予測できた。
スパーダは道連れになるが、
魔帝を倒せるなら、人間界を守れるなら、
共に討たれようとも構わなかった。
264 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:21:14.92 ID:XVB8s0iW0
元より、賢者・魔女に共闘を申しこむつもりはなかった。
聞く耳を持たれないのは確実だった。
正体を明かした上での彼の言葉など、
人間側からすれば信用に足る要素など一片も無い、確実に罠だと考える。
「スパーダ」という存在の過去の所業、
そしてそれを踏まえた人間達の評価と敵意は、
どのような言葉をもってしても拭えるものではないのだから。
そのため、彼はもうヴィグリッドに居続ける理由はなかった。
むしろ人間側に余計な混乱をもたらさないためにも、
速やかに離脱するべきだった。
そうしてスパーダは立ち去ることに決めたが、
そこで彼は少し逡巡した。
状況的には誰にも何も言わず去るのが最善、
というのはわかっていたが、親しき者たちのことを思うと
心象的にはとにかく辛いものがあった。
特にエヴァである。
愛した「銀髪の魔剣士」がスパーダだった、
それを知ったときの彼女の衝撃と悲嘆を思うと、
どうしても心が痛んでしまった。
自分は「悪魔」に誑かされたのか、と彼女は思うかもしれない。
全ては偽り、愛も幻に過ぎなかったのか、と。
265 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:21:44.99 ID:XVB8s0iW0
愛する人にそう受け取られてしまうなんて、
スパーダには耐え難いものがあった。
人の心を獲得し、本物の愛を知ったからこその苦痛だった。
そしてスパーダは理性と感情の狭間で悩んだ末、
去る前にエヴァに真実を告げることにした。
魔帝に挑めばスパーダですら命を落としうる、
それゆえ真実を語る確かな機会は今しかない、
そんな理由もあった。
エヴァに、人間側に、
今のうちに「スパーダの真実」を託しておきたかった。
彼女たちと絆を育んだのは悪魔的な誑かしなんかではなく、
本当に愛していたと伝えておきたかった。
たとえ信じてもらえずとも、せめて記憶しておいてほしかった。
それは人の心を得たがゆえの、
スパーダの最後の我侭だった。
266 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:22:11.36 ID:XVB8s0iW0
彼はいつものようにヴィグリッド中央に赴き、エヴァを訪ねた。
そして普段どおりの穏やかな口調で、
真実の全てを告げた。
己の正体のこと。
人間に興味を引かれ、
観察と非道な実験を続けた末に人の心を得たこと。
人間たちを慈しむようになり、彼女を愛したこと。
そしてそれゆえに人間側に立つということを。
これが話された場所は
エヴァの地位ゆえに完全監視下であり、
発言も一語一句記録される環境であったため、
スパーダの告白はそのまま魔女・賢者全体へ、
ひいては人間界に向けたものともなった。
267 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:22:38.42 ID:XVB8s0iW0
この途方もない話に、
壁際で聞いていたエヴァの護衛の魔女たちは当初
何かの冗談だとして誰も真に受けていなかった。
だがエヴァだけは彼が真実を話していると最初から理解した。
内容は信じがたくも、彼の目に嘘はないと確信したのである。
そしてそれを裏付けるように、スパーダは直後に
人間の偽装を解いた。
露になったおぞましい魔界闘士の姿、出現する破壊の魔剣。
溢れだす破滅的な魔の力。
そしてかの侵犯者の力を瞬時に検知して、
ヴィグリッド中に響きわたる非常事態の警笛。
そのように示された真実を受けて、
最初に動いたのは護衛の魔女たちだった。
彼女たちはもちろん驚愕していたとはいえ、
精鋭ゆえ行動に微塵の遅れは無く、
瞬時にスパーダへと攻撃をしかけたのである。
268 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:23:05.42 ID:XVB8s0iW0
しかしその行動は、
この悪魔が侵犯者スパーダであることを改めて証明したに過ぎなかった。
彼女たちは容易く制圧された。
命を奪われるどころか、
大きな怪我すら負わずに気絶させられるという形で。
精鋭とはいえ、所詮は侵犯者の相手ではなかった。
このスパーダと真っ向から戦えるのは、
長老たちや抜きんでた英傑などのごく少数に限られていた。
とはいえ逆に言えば、その域の者たちが集結してくれば
スパーダですらも危険というわけでもある。
その者らにクイーンシバやジュベレウスの召喚術、
さらにはその融合型であるOMNEの召喚術などを持ち出されたら、
スパーダもここで殺されかねなかった。
当然ここで死ぬわけにも、
ましてやヴィグリッド中央でそんな破滅的な戦いを
繰り広げるわけにもいかない。
最強格の魔女・賢者が集ってくる前に脱出せねばならず、
いよいよエヴァとの別れのときだった。
エヴァの様子は驚愕と失意、
そして困惑に包まれて呆然としていた。
できればその負の感情を拭うべくもっと説明したかったが、
スパーダにはもう時間はなかった。
彼はささやかな別れを告げ、最愛の人に背を向けて退室しようとした。
きっともう二度と会えない、その覚悟の上で。
269 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:23:31.80 ID:XVB8s0iW0
しかしそこで思わぬことが起きた。
エヴァに呼び止められたのである。
それも彼女の立場上、
絶対にあってはならない言葉によって。
彼女は一言、放った。
「共に」と。
270 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:23:58.72 ID:XVB8s0iW0
その言葉には、発したエヴァ自身が誰よりも驚いていた。
よく考えず、ろくな意図もなく
衝動的に発してしまったからである。
だがそれゆえに純粋な感情から発露した言霊、
スパーダと同じく「心」に突き動かされてのもの。
彼のおぞましい正体を突きつけられたにも関わらず、
彼女の愛は揺れていなかった。
エヴァはその己自身に大いに驚き、
そして今の発言が己の立場を危うくするともすぐに気づいた。
ここでの会話は全てが記録されており、
そして相手が「スパーダ」と知った上でのこの発言は
反逆と見なされ得ると。
同胞たちからの糾弾を避けるには、
すぐに失言を撤回し、スパーダへ拒絶を示す必要があった。
だがエヴァは躊躇ってしまった。
振り向いたスパーダ、その瞳に心を奪われたからである。
おぞましい悪魔の姿、赤き眼光。
それはそれは忌まわしいはずなのに、その瞳の奥に感じる心は、
「愛した人間の男」のものと何ら変わらなかった。
人間の変装が解けて純魔に戻ったにもかかわらず、
エヴァが愛した存在は変わらずにそこにいた。
愛する人が正しき道を歩もうとしている、
それがこの瞬間エヴァが目にした「スパーダの本当の姿」だった。
271 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:24:26.97 ID:XVB8s0iW0
彼女の頭の中では、魔女としての理性が叫んでいた。
信じるな、誑かされるな、相手は所詮は悪魔であると。
悪魔は単なる契約対象であり、
愛させることはあっても魔女側から愛するなど禁忌。
しかしそんな魔女としての鉄則を前にしても、
彼女の心はもう止まらなかった。
こみ上げてきた衝動の中、かの祖母の姿が脳裏に蘇った。
アンブラ族の掟に反してでも、己の道を貫いたその生き様を。
そしてエヴァの旅立ちを後押ししてくれた、かつての母の言葉も響いた。
前に踏み出すことを恐れるな、
己が正しいと思う道を歩め、と。
それら家族の生き様が、思い出がここでエヴァを導いた。
己の中に生きつづける母たちの支えを受けて、彼女は前に踏みだした。
魔女としての禁忌を犯してでも、
同胞たちに反逆者と見なされてでも、
全人類に憎まれることになろうとも。
この恐るべき「悪魔の中の悪魔」たる存在を信じて、
彼が果たそうとしている「正義」に自分も全身全霊を捧げる。
そして彼を愛しつづける、と。
その大いなる勇気と覚悟を胸にして、エヴァは再び口にした。
今度は真っ直ぐスパーダを見すえ、
手を差しだしながら、改めて一言。
「共に」と。
272 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:24:55.40 ID:XVB8s0iW0
その二度目の発言、そして彼女の佇まいの意味するところは、
スパーダもすぐに理解した。
「我侭」で真実を告げたばっかりに彼女を道連れにしてしまった、
そんな後悔と己への怒りに駆られたも、
それ以上に喜びが一気に溢れた。
なぜなら、彼女が全てを受け入れてくれたから。
たとえ正義を果たせたとしても
人間たちが真の意味で受け入れてくれることはない、
エヴァとの特別な愛も終わる、
なぜなら自分は恐るべき「スパーダ」なのだから、
なんて覚悟していた「悪魔」にとって、
ここで彼女が示してくれた愛は究極的な救いであった。
スパーダは糸引かれるように、
エヴァが差しだした手をとった。
それは二人が初めて直接触れあった瞬間だった。
溢れる想いのままに彼女を引き寄せ、
花婿のごとくその身を抱きあげたスパーダ。
そして花嫁のごとくその胸に身をあずけたエヴァ。
二人は互いの体温、鼓動、そして愛情を重ねて、
速やかにヴィグリッドから姿を消した。
273 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:25:21.66 ID:XVB8s0iW0
この時の二人は事実上、
全てを敵に回したも同然だった。
かたや同胞の魔族に抗う道へ、
かたや同胞の魔女から大逆と見なされる道へ、
三界全てからの孤立を意味する瞬間だった。
だが二人にはもう躊躇いなんてなかった。
この先に果てしない孤立が、
そして恐るべき困難が待ち受けていようとも、
それが非業の結末を迎えようとも。
それらに立ち向かう勇気を、そして受け入れる不動の覚悟を
この「愛」が与えてくれたのだから。
274 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:25:49.28 ID:XVB8s0iW0
5 前夜
ヴィグリッドから脱出した二人は、
現実と虚無の間にある「狭間の領域」に潜った。
そして魔帝側へ先制攻撃を行うための準備を始めた。
これは当初の予定にはなかったものである。
もともと、スパーダは魔帝軍の侵攻開始後に動く予定だった。
彼には「創造」を破る術がないため
賢者・魔女の介入が必要であり、
それを確実に得るには開戦後に参戦するべきと考えていたからである。
しかしエヴァの同行がその制約を解消することとなった。
彼女はすでにいくつもの対創造用の試作式を完成させ、
それらを組み込んだ魔導器製造や試験にも携わった経験があった。
その彼女の技能とスパーダの力を合わせれば、
魔帝軍の侵攻開始を待たずに動くことができ、
人間界への被害を最小限に抑えることが可能だった。
エヴァの選択は、スパーダに精神的支援のみならず
最良の活路をも与えてくれたのである。
275 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:26:24.01 ID:XVB8s0iW0
エヴァはすぐに創造を破るための準備にとりかかった。
とはいえ、彼女は対創造器機の試作経験があったとはいえ、
それは同じく天才的な大勢の研究仲間と
最高の設備がそろった環境でこそ成しえたもの。
一方で今はたった一人でろくな設備もない。
くわえて時間も乏しかった。
ヴィグリッドで何があったのか、そしてスパーダが何を示したのか、
それらは確実に魔帝の耳にも届き、
激怒した帝王が数日中に動きだすのは明白だった。
これら環境では、いくら才女エヴァとはいえ作業は難しかった。
そこで彼女は、自身が記憶していた対創造用の試作器のうち、
もっとも製造が簡単なものを参考にした。
それは魔女の得意分野である時空干渉術に
OMNEたる「時の記憶」理論をそっくりそのまま組み込んだだけのもの。
そしてアンブラでは、とある理由で実運用は困難と判断されていたものでもある。
まずあまりに効果が強すぎるため、制御不能に陥る危険性があり、
くわえて創造を破るほどの効果を出力させると
抑制が効かずに使用者にも大変な負荷をもたらす代物だった。
そもそも製造が比較的簡単なのも、
制御用の式や使用者への防護策が一切含まれていないからである。
とはいえ、今はそれらは問題にはならなかった。
力を式で制御する賢者・魔女にとっては相性が悪い代物だったが、
力を力で強引に制御する純魔、さらには侵犯者たるスパーダならば、
この負荷にも耐えられると考えられたからである。
276 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:26:54.84 ID:XVB8s0iW0
粗末な環境、そして少ない時間に急かされる中、
エヴァは技術と力のすべてを投じて苦行のごとき作業を行った。
対創造用の中ではもっとも構造が簡単だったとはいえ、
それでもOMNEの領域を扱う超越的な代物である。
式は常軌を逸したほどに難解であり、
またその構築作業や魔導器素材の精錬にも
精神を消耗させる最高度の魔女の技を使用せねばならなかった。
この専門分野ではスパーダですらも手出しできるものではなく、
彼はただ見守ることしかできなかった。
そしてその身を捧げるかのごとき作業の末、
彼女はついにやり遂げた。
類稀なる才と力、そして信念と愛情が篭められた唯一無二の品、
のちに時空干渉術の最高傑作とも言われた魔導器、
「時の腕輪」がついに完成した。
277 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:27:21.80 ID:XVB8s0iW0
こうして準備は整った。
戦いの段取りは至極単純。
魔帝軍が集結し、いざ進撃開始という寸前で、
その陣中にスパーダが単身で突入。
「時の腕輪」を用いて創造を機能不全にし、魔帝を殺害する。
もしくは殺害が叶わなければ、最低でも封印する。
エヴァは人間界側に残らざるを得なかった。
もともと戦士型ではないうえ、
「時の腕輪」製造によって消耗も酷かったために。
それゆえ、準備を終えた二人は
残り時間を大切に、穏やかに過ごした。
これまでと同じように語りあい、笑いあい。
そしてこれまでできなかったこと、
お互いに触れあったりもした。
深く愛しあい、ただの女と男として、ここに永遠の契りを交わした。
愛情を重ねる中で、スパーダは彼女のもとに生きて戻ることを誓い、
エヴァもそれを心から望んだ。
現実的には困難な約束だと互いに承知していたが、
困難だからこそ誓うことに意味があった。
愛の絆、未来への希望こそが、
戦う者にとって守るべき存在をより意識させ、
困難な場において強さになるのだから。
278 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:27:48.89 ID:XVB8s0iW0
そうして彼らがヴィグリッドを去って五日後、
ついにその時が訪れた。
魔帝が号令を発したのである。
その言霊は憤怒をともなって魔界中で受け取られ、
魔帝傘下の者どもが即座に動いた。
以前から入念な準備が行われてきたこともあって
魔帝軍の陣容はまさに屈指の域、
これだけの魔族戦力が集ったのは最終戦争以来であった。
そしてそのような魔界側の動きを受けて
スパーダもすぐに動いた。
時の腕輪を身につけ、彼は単身で出陣した。
人間界を守るという固き信念、そして深き愛情を胸に抱いて。
ここに『伝説』の舞台は整った。
279 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:28:51.89 ID:XVB8s0iW0
6 『伝説』
幾万もの大悪魔の将、
そして無尽蔵とも言えるほどの数の兵、
それら屈指の戦力が魔界の淵に集結していた。
「闘争と暴虐」を正義とする軍勢、
彼らは人間界へのあらゆる悪意、
そして「反逆者スパーダ」への底なしの憤怒を携えて、
魔帝からの進軍指示を待っていた。
しかし彼らが人間界に踏み込むことはなかった。
なぜなら最強の魔剣士が立ち塞がったのだから。
その大軍勢の陣中へ、スパーダはたった一人で突入した。
それは傍目からすれば無謀な戦いではあったが、
実際には軍勢側こそが無謀だった。
「闘争の象徴」、「破壊の権化」、
「悪魔の中の悪魔」、「最強の刃」と謳われた武力。
その魔界中が憧れ、魔族の誇りともされてきた破壊の力が今、
魔族へと向けられたのである。
開かれた戦端はまさに地獄絵図、
悪魔にとってすらも悪夢そのものだった。
魔軍の憤怒の咆哮は、
スパーダによってすぐに悲鳴へと変わった。
「哀れな悪魔」たちを襲う災厄、
斬り捨てられた無数の断末魔が魔界全域を振動させ、
三界全てに知らしめた。
魔界史上最大の戦い、
もとい史上最悪の「虐殺」が始まったことを。
280 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:29:19.25 ID:XVB8s0iW0
愛という感情を有しているスパーダにとって、
この同族虐殺は己の身を切り刻むも同然だった。
しかし愛を有しているからこそ「人間を守る」という信念は揺るぎなく、
その信念によって力はより増幅し、彼をさらに強くした。
皮肉なことに人の心が、その愛の感情が、
スパーダを恐るべき「破壊」の極致、
さらなる高みへと昇華せしめたのである。
とはいえ彼は単身、いくら絶大な力を振るおうとも、
これだけの軍勢を短時間で全て葬るのは難しかった。
そのため高等悪魔以下の雑兵に対しては
ほとんど狙いを絞ることはしなかった。
標的は主に大悪魔級の将であった。
スパーダは彼らに狙いを絞って殺害した。
特に魔帝直属の将は絶対に逃さなかった。
この直属将たちは、魔帝の掲げる人界侵略の担い手、
いわば魔族の中でもっとも人界への悪意に染まった層である。
生かしておけば後に大いなる禍根となるのは必至、
ゆえに根絶やしにする必要があったのである。
また将らの大半も、敗北は承知の上で
自らスパーダという「死」へ挑みかかっていった。
憤怒と憎悪、そして絶望と恐怖により、
自暴自棄な闘志に呑まれてしまったからである。
そしてごく一部の将は戦場から離脱しようとしたが、
彼らも死から逃れることはできなかった。
スパーダの迅速にして執拗な追撃により、
悉くが狩り殺されていった。
281 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:29:46.57 ID:XVB8s0iW0
そうしてスパーダ突入から人間界基準で2時間後、
「虐殺」は終結した。
ここで殺害された大悪魔は三万柱に達していた。
その中には魔帝直属の将、数にして一万柱も含まれていた。
侵攻軍に参じていた魔帝の直属将は
一柱残らず皆殺しにされた。
そしてその強者たちの惨劇を目の当たりにし、
無数の雑兵たちはみな逃げ散っていた。
これほど多くの大悪魔が一度に殺戮され、
これほどの魔族の恐怖に満ちた戦場は、
原初時代から今まで、そしてこれ以降も存在しなかった。
「闘争と暴虐」の真骨頂をもって、
スパーダは魔界全土へと知らしめたのである。
人間界に侵略しようものならどうなるか。
人間を滅ぼそうなどと考えればどうなるか。
その答えがこの地獄絵図である、と。
282 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:30:17.21 ID:XVB8s0iW0
7 『宿命』
スパーダによる大虐殺を、
魔帝は己の宮殿から静かに眺望していた。
内では憤怒を最高潮にまで滾らせながら。
魔帝にとってかの軍勢は使い捨ての玩具でしかなかったが、
彼らを見殺しにした理由はそれではなかった。
今の彼にはスパーダしか見えていなかったからである。
この瞬間、魔帝にとっては配下軍どころか、
魔界も人間界も、ロキや「世界の目」すらも全てがどうでもよくなっていた。
彼はただスパーダのみを見、その生命の破壊のみを熱望し、
そのためにひたすらに闘志を研ぎあげていた。
その憤怒はもはや臨界点を超えており、
彼の行動規範たる加虐欲すらも押しのけられていたほど。
加虐による「快楽」ではなく裏切りへの「清算」のみが
今の彼が求める全てだった。
魔帝は自我を有して以来初めて、
欲望を忘れるほどに憤怒したのである。
283 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:30:45.51 ID:XVB8s0iW0
その怒りは、ある種の「信頼」の裏返しでもあった。
人間的な友情や親近感は一切なくとも、
アルゴサクス・アビゲイルに対抗するために協力し、
共に耐え忍んだゆえの悪魔なりの仲間意識、
スパーダの妥協なき「破壊」の探求姿勢も評価し、
その生き様にはムンドゥスなりに共感も抱いていた。
そしてロキの件でスパーダにだけは助力を求めたように、
魔帝は打算的ながらも「信頼」とも呼べる姿勢を向けていたのである。
だからこそ、スパーダの裏切りにだけは
魔帝は真に「怒り」を抱いた。
「魔界を捨てた」「人間側に組した」なんて事柄は
今はもう本質的にはどうでもよかった。
生涯で唯一、ただ一人認めていた者が裏切った、
ゆえに他のすべてを忘れさせるほどに魔帝を憤怒させた。
一方でスパーダにとっては、その魔帝の怒りすらも心を痛めるものだった。
悪魔としてのスパーダにとっても、
魔帝こそがもっとも己に近き存在だったからである。
そして皮肉なことに、人の心を有している今だからこそ
スパーダはその関係にある種の情すら抱いてしまっていた。
それゆえに裏切られた魔帝の怒りは当然と思えてしまい、
負い目すらも抱いていたのである。
しかしその心痛がスパーダの闘志を鈍らせることはなかった。
むしろそのような「人の心」があるからこそ、
人間界を守るという信念、
そして打倒魔帝の決意はやはり揺らがなかった。
284 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:31:16.07 ID:XVB8s0iW0
いまや舞台は完璧に整っていた。
いよいよ宮殿に向かうスパーダ、
そして憤怒を携えて待ち受ける魔帝。
その相対を邪魔する第三者はいない。
軍勢に合流していなかった魔帝直属の将もいたが、
この場に参じる者はいなかった。
また覇王アルゴサクスも当然のごとく傍観を選んだ。
己こそ正統な魔界頂点だと自負していた覇王にとって、
魔帝とスパーダの仲間割れはもちろん歓迎するものだった。
ゆえに邪魔者はなく、決闘は完全なる一対一に。
スパーダと魔帝、再会した両者は言葉を交わすことはなかった。
その意味が無かったからである。
これより魂そのものを衝突させて、
あらゆる衝動と思念を互いに曝け出すのだから。
両者は一拍の沈黙の後、その全ての力を解放し、
ついに究極の戦いが始まった。
285 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:31:48.77 ID:XVB8s0iW0
その決闘は、魔帝が瞬時に創った隔離領域にて行われた。
これは彼自身が自らのために設計し、
強度を極限まで高めた決闘用の「舞台」だった。
両者は俗宇宙から離れた隔絶世界にて、
あらゆる殻を捨て去り、ただただ純粋な戦士と成り、
総力を、そして曝けだした思念をひたすらに衝突させた。
ゆえにこの決闘はある種の『会話』であり、
そしてお互いのあらゆる要素の『共有』でもあった。
両者の全てが交差し摩擦する中、スパーダの剥きだしの思念を通して、
魔帝はそこで初めて「人間の愛」に触れた。
だがそれに魅了されたスパーダとは異なり、
魔帝が抱いた感情はさらなる「憎悪」だった。
悪意の権化たる魔帝にとって、
人間の愛など恐ろしいほどに不快に感じられたのである。
真っ向から拒絶し、そしてよりスパーダに失望し、憎悪し、
さらなる悪意を放つ、
それが「人間の愛」を知った魔帝の回答だった。
286 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:32:15.60 ID:XVB8s0iW0
対してスパーダの側も、その曝けだされた激情に触れたことで
魔帝の本性を改めて理解した。
垣間見えるは完全無欠たる真の悪意。
そのおぞましき本性には充足や限界はなく、
あらゆる存在、事象を糧にして無限に増大していくのだと。
それは究極の実現力たる『創造』と結びつくことで、
その悪意は最終的には人間のみならず全ての生命、全ての存在、
果てには『有』と『無』の根源をも覆い尽くしうるのだと。
そしていずれ、原初時代の『唯一のOMNE』の如く、
魔帝の悪意こそが次世代の絶対真理へと成る。
それがスパーダが垣間見た恐るべき未来だった。
スパーダは極限を超えていく戦いの中で、
ごく一瞬ではあるもエーシル=ロキと同じ領域に踏みこみ、
そしてロキのように絶望的な未来を知ったのである。
とはいえそんな未来を垣間見ようとも、
スパーダの成すべき使命は変わらなかった。
それどころかそんな未来が見えてしまったからこそ、
なおさらに信念が強まり、彼の力も一太刀ごとに圧を増していった。
魂に宿す人間の心、そして何よりも大切な人への想い、
「愛する力」がスパーダをさらなる高みへと押し上げた。
それはいわば、スパーダ自身が体内で『果実』を醸成したも同じ、
もといそれ以上の現象だった。
287 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:32:53.85 ID:XVB8s0iW0
悪魔に人間の要素を加えることで、その悪魔の力は飛躍的に増しうる。
それは『果実』が究極的な形ですでに証明している。
とはいえ、この『果実』が究極的な形というのは、
実のところ誤り、むしろほど遠いものであった。
『果実』は多数の人間の魂と血で作りだされるものの、
所詮は死者によるもの、残骸の集まりでしかなく、
もっとも重要な人間の要素が欠落していた。
それは『心』である。
そしてスパーダにはそれがあった。
彼の内にある人間の要素はたった一人分、しかし紛れもなく生きた心。
物事を感じ、愛し、そして意志の力を生みだすという点で、
時間が止まってしまった死者の残骸とはまるで比較にならない。
そして悪魔の力へ与える影響も『果実』の比にならない。
悪魔に人間の要素を加えることで、悪魔の力は飛躍的に増しうる、
その究極系を真に証明したのは『果実』ではない。
この瞬間のスパーダこそがそうだった。
『果実』によってもたらされていたはずの魔帝の「運命」は、ここに消え始めた。
ある段階で、スパーダの武は魔帝を凌駕し、
「運命」もまた魔帝からスパーダの手中に移り始めた。
そして勝利への最後の一手が発動した。
愛するエヴァが授けた切り札、「時の腕輪」が。
288 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:33:32.49 ID:XVB8s0iW0
限界を超えたスパーダを動力源とし、
魔女の技巧がついに魔帝の「創造」を捕らえはじめた。
愛する二人の絆で紡がれるかのように、
スパーダが刃を振るうたびに効力は増し、
「創造」の機能は低下し、魔帝の再生速度は鈍化していった。
そして魔帝の神々しき巨躯すら維持困難に陥れ、
不定形の醜悪な内部を晒させるまでに。
もはや武力と威厳は形も無く、
憎悪と屈辱に呻きながら這う有様に。
魔帝ムンドゥス。
侵犯者にして、『果実』を食したことで
絶対的強者として魔界に君臨した傑物。
運命を手中にし、永劫に勝利し続けるはずだった覇者が、
ついに敗北する時が訪れた。
289 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:33:59.66 ID:XVB8s0iW0
しかし完璧とまではいかなかった。
スパーダは「創造」を極限まで鈍化させはしたが、
完全な機能停止に追いこむことはできなかった。
「創造」の根幹部分が
スパーダや魔女たちの知識をも超えて頑強であり、
「時の腕輪」の式が対応し切れなかったからである。
ゆえに魔帝を殺し切るのは不可能だった。
そこで彼は苦肉の策として、三位一体世界の外、虚無への封印を選んだ。
魔女とスパーダの知識を併せても
「創造」を完全には破れないと判明した以上、
現時点で採りうる道は封印しかなかった。
恐るべき禍根を残すことになっても、
それこそ、未来において災いが訪れるとわかっていても。
訪れる「かもしれない」ではなく、
「必ず訪れる」と理解していても、である。
290 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:35:01.35 ID:XVB8s0iW0
これもまた、この極限の戦いの中で垣間見えた未来の一つであった。
そしてスパーダ同様、この未来はムンドゥスにも見えており、
彼は敗北の瞬間にありながら悪辣に笑った。
悪魔と人間が存在するかぎり、終わりは無い。
いつか必ず次の騒乱が発生し、再び雌雄を決する機会が訪れる。
そしてその次なる戦いこそこのムンドゥスが勝利する、
そう魔帝は確信し、封印間際にてスパーダへ言葉を放った。
スパーダよ、束の間の「愛」とやらを嗜むが良い。
その貴様の「愛」こそが我が復讐の糧である、と。
このムンドゥスは必ず復活を遂げ、
貴様が愛する世界、愛する人間、
そして愛する女、その悉くを破壊する、と。
それも容易に滅しはしない、
人間共には緩慢なほどに時間をかけて陵辱の限りを尽くし、
「愛」という事象も貶めてやる、と。
291 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:36:11.77 ID:XVB8s0iW0
それは人間の「愛」を知ったが故の、
「愛」を標的にした復讐の決意。
スパーダの心理を理解したからこその、
スパーダがもっとも恐れる形の悪意を示した形だった。
だが愛を抱く彼、スパーダは気圧されはしなかった。
時の腕輪から感じられるエヴァの存在と愛情、
それを支えにして彼は魔帝へと反撃の言霊を放った。
貴様の悪意が成就することはない。
貴様はこれより、完全に滅するその日まで敗北し続ける、と。
必ず『人の心』が貴様を滅ぼす、と。
そうして魔帝ムンドゥスは虚無へと封じられた。
スパーダからの反撃の予言により憤怒し、
さらなる復讐の糧にしながら。
292 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:36:52.91 ID:XVB8s0iW0
こうして戦いは終わった。
魔帝による人間界侵略は阻止され、
魔帝、そして魔族そのものが、
魔界史上初めてとなる完全敗北を喫した。
『果実』の運命をも破る圧倒的な武、
もはや彼の前に立ちはだかる者などいなかった。
生き残った魔帝配下は完全に逃げ散り、
覇王すらも慄いて。
そしてスパーダは帰還した。
愛する世界へ、愛する人のもとへ。
293 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:37:20.35 ID:XVB8s0iW0
8 また逢う日まで
魔帝軍が殲滅、そして魔帝が敗北。
それもスパーダただ一人によって。
その報せは三界全てを震撼させた。
衝撃に包まれた魔界と同様、
天界と人間界においても、まずは喜びよりも
戦慄をもって受け止められた。
そのうえスパーダが人間界に戻ってきたという点がより彼らを緊張させた。
取って返す刃で次は天・人に襲い掛かってくるのではと。
この反応は当然のものだった。
彼らの認識において「スパーダ」とは侵犯者、
すなわち最大の脅威そのものである。
ヴィグリッドにて人間界に味方する意志を表明し、
そしてその宣言どおりに魔帝を打ち倒そうとも、
それでも天・人界側からすれば根本的に信用できる存在ではなかった。
むしろスパーダの言葉と行動があまりに善良すぎたため、
かえって「悪魔らしい誑かし」と疑念を抱かれたのである。
294 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:37:47.28 ID:XVB8s0iW0
それゆえ、帰還したスパーダが
天界・人間界諸勢力との話し合いを打診した時も、
彼らは決闘の申し出のように受けとって臨戦態勢を取るほどだった。
しかし一方で、魔女と賢者のうち一部の柔軟な者らが
スパーダが本当に善良である可能性も考えはじめていた。
これは、彼がヴィグリッドに潜入していた頃の行動を
入念に分析したことによる結論だった。
「世界の目」による精神分析の記録も含め、
全ての分析結果が彼の良心を裏付けており、
論理的な否定は困難だったのである。
「悪魔は信用に値しない」という経験則のみで
これら公正な分析結果の全否定は無理がある、
それはスパーダに反感を抱いている天界・魔女・賢者の主流派も重々承知しており、
事実を明確にするには直接確認するのみという点でも意見が一致していた。
それゆえ最大級の警戒と敵意を抱きつつも、
各勢力はひとまずスパーダとの話し合いに応じることにした。
295 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:38:26.83 ID:XVB8s0iW0
定められた会談の場所は、
かつてエーシルが座した霊峰フィンブルヴェトル、
その麓にある太古の広場、「神儀の間」とも呼ばれる霊域。
そこにスパーダは人間の姿をとり、エヴァと共に現れた。
また天界側からは四元徳、主だった魔神、各派閥の長が。
賢者・魔女側からは双方の「世界の目」保持者、長老たちと
対侵犯者用の式で身を固めた英傑たちが出席した。
天・人の最大級の戦力がここに集結していた。
犠牲を顧みなければ、ここでスパーダ殺害も不可能ではないほどであり、
実際、場合によっては彼らはその覚悟であった。
そうして始まった一触即発の会談にて、
スパーダとエヴァはまず魔帝封印に至る経緯を説明した。
スパーダが人の心を手に入れたこと、
エヴァと愛し合ったこと、人間界を守るために魔帝に挑んだこと。
みなに「時の腕輪」に記録された情景をも見せて、
軍勢殲滅から魔帝との決闘、封印までの一部始終をも明らかにした。
その屈指の戦いを見て、
魔女・賢者の戦士たちは闘争心を刺激されて興奮し、
魔神たちも参戦を逃したことに悔しがった。
ただし好意的な反応はそのような一部のみであり、
他大多数はスパーダの恐るべき武力に改めて警戒し、
また魔帝を殺しきれずに封印という結果についても
失望を隠さなかった。
296 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:38:57.52 ID:XVB8s0iW0
ただ、スパーダが非難されることはなかった。
「時の腕輪」は即席品とはいえ、そこに用いられた対創造用の式は
この時点における賢者・魔女の技術の粋を集めたものである。
しかしそれでも創造の完全打破が不可能だった以上、
封印こそが現時点における唯一の方法であることに
否定の余地はなかった。
加えて天・人側に一切損害なく勝利が成し遂げられたのである。
これは彼らにとって想定外なほどの喜ぶべき結果であり、
スパーダの貢献もまた否定しようがなかった。
それゆえ、天・人側はひとまず彼の功績を認めざるを得ず、
四元徳や魔女・賢者の長老たちは
冷ややかながらも賞賛と謝意を述べた。
そして次に問うた。
我々に何を要求するのか、と。
天・人側は対話を続ける意思を示したが、
この会合を「スパーダからの取引」とも見ていた。
すなわちスパーダの功績は認めつつも、
彼そのものを受け入れたわけではない。
勝利を材料にして何かを要求してくるはず、というこの捉え方が、
「悪魔たるスパーダ」への拭いきれない疑念を示していた。
とはいえ、この態度もスパーダ自身の過去の所業ゆえのもの。
「人の心を持つスパーダ」にとって
この彼らの反応はやはり悲しいものだったが、
それでもスパーダの話を聞こうとする彼らの譲歩には
彼はむしろ救いの念をも抱いた。
そして彼らの譲歩を利用し、
今まさに「取引」しようとしている己にも嫌悪を抱いた。
実のところ、天・人側のその穿った見方はある点で正しかった。
スパーダ側も「要求はない」と言えば嘘だったからである。
297 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:39:24.73 ID:XVB8s0iW0
確かにこの戦いそれ自体に打算はなく、
愛する存在を守りたい一心で挑んだものではあった。
本来は、功績を取引材料にするという考えはまるでなかった。
しかし戦いが終わった今となっては、
やはり状況は変わっていた。
スパーダは個人的な願望を強く意識していた。
このまま人間界に永住し、エヴァと共に暮らす、という未来である。
過去の所業を踏まえれば
とてもそのようなことを望める身ではなく、
そしてその巨大な武力も鑑みれば、
人間界永住など天・人側にとっても受け入れがたい要望。
それらはスパーダも重々自覚していた。
しかし、どうしても諦められなかった。
愛する世界にて、愛する人と暮らしたい。
それは人の心を有し、愛を抱いたからこそのわがままだった。
298 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:39:59.63 ID:XVB8s0iW0
スパーダは具体的に、三つの要望を出した。
まず一つ目は、彼が人間界に住まうことの許可。
二つ目は、エヴァがアンブラ族から抜けることの許可。
そして三つ目は、スパーダとエヴァが共に暮らすことの許可。
これらはエヴァの希望でもあった。
それらを聞いた天・人側は、やはり最初は難色を示した。
まずスパーダの人間界定住は、
魔帝を超えうる彼の武力がやはり問題であった。
いくら彼にその気がないと言えども、侵犯者である以上は
論ずるまでもなく天・人側にとって最大級の脅威である。
スパーダの魂そのものが武力の塊であるため、
武装解除を条件に定住、というのも困難。
特に賢者と魔女は「同居人」として、
常に喉元に刃が突きつけられるも同然の状況を
受け入れなければならない。
だが一方で、スパーダを人間界に置く利点もいくつかあった。
まず武装解除は叶わずとも、スパーダの行動の制限や
監視を条件付けることは可能という点である。
この点について、特に魔女と賢者が
その常時監視下にできることは有益だと考えた。
これはかつて、スパーダの行方を長らく捉えきれず、
そのうえヴィグリッドに潜入された前例がある故の考えだった。
「野放し」にして再び見失うことこそ危険では、と。
299 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:40:29.93 ID:XVB8s0iW0
また、彼の存在は今後の対魔界戦略において有益という点もあった。
魔帝が封印され、その配下有力者たちもほぼ皆殺しにされたとはいえ、
依然として魔界には覇王とその大勢力が存在しており、
他にも準侵犯者級や野心的な勢力が多く残っている。
また魔帝も死んではおらず、いずれ復活の可能性がある。
それら将来的な脅威に対する場合、
スパーダは最大の用心棒に成り得るのも事実であった。
そうして諸要素を話しあい、危険性と利点を天秤にかけ
天・人側は一致して結論した。
まず一つ目の要望については、ヴィグリッド等の要所への接近禁止、
および監視を条件に、スパーダの永続的な人間界在留を認めると。
しかし残り二つのエヴァに関する要望については、
スパーダたちの望み通りにはならなかった。
これらに対する魔女側の応えは以下のものだった。
エヴァは裏切りで咎められることは無く、
今回の件は功績として認められ、そして身分も回復される。
だが彼女には今までと変わらず、
今後もヴィグリッドにて研鑽に携わってもらう、と。
エヴァはアンブラ族の財産であり、アンブラの魔女であり続ける。
そしてアンブラの魔女であり続けるかぎり、
今日以降スパーダと会うことは許されない、と。
300 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:41:17.14 ID:XVB8s0iW0
魔女側がエヴァの才と知識を手放すわけがないのは当然。
そしてそのアンブラの魔女たる彼女とスパーダが結ばれるというのも
天界・人間界の情勢が許すわけがなかった。
傍から見れば、それはスパーダとアンブラの同盟と映り、
さらに子を授かろうものなら決定的となる。
アンブラ内ではその「同盟」の力を利用しようという強硬論者の声が強まり、
他勢力ではそれを警戒し、敵視する声も強まる。
そして天界主神派、魔神派、賢者、魔女らの微妙な勢力均衡は崩壊し、
それぞれが強硬手段に出て破滅的な事態に陥りかねない。
そして少なくともこの時は、
魔女をはじめ諸勢力はそのような混乱は望んでいなかった。
対魔帝でせっかく形となった平和と協調、当面はその維持に努めようと。
腹底にはそれぞれ野心、軽蔑や敵意を抱いていようとも。
実のところ、スパーダとエヴァは最初から
このような応えが返ってくるのはわかっていた。
拒否を承知であえて要望したのは、ひとえに愛し合ってることを
各勢力首脳が集まるこの場で今一度、宣言したかったからである。
人間界を守った本当の力が何だったのか。
魔帝を倒したのは確かにスパーダの武力とエヴァの知識であったが、
その二人を突き動かした心とは、根底にあった意志とは一体何だったのか、
それを改めて告げるためだった。
301 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:41:54.64 ID:XVB8s0iW0
もちろん、それをこの場の皆がすぐ納得することはなかった。
侵犯者の示すものなど疑うべきであり、
エヴァは洗脳されているだけだという認識が
やはりこの期に及んでも強かった。
だが一方で彼らは愚か者でもない。
警戒はしつつも、スパーダの言動に嘘がない可能性も
改めて現実的に考えはじめていた。
とくに賢者と魔女はそうだった。
スパーダとエヴァの言葉は、僅かながらも確かに
彼らの「人の心」にも届き始めていたのである。
そのためか、この会合の後半には、
当初のような一触即発の空気は消えていた。
一定の緊張感はありつつも、場合によってはスパーダと討つなどという
選択肢は放棄され、今はひとまず彼を受け入れる方向へと
諸勢力の意向は統一されたのであった。
302 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:42:36.71 ID:XVB8s0iW0
その後、会合では様々な細事が話し合われた。
スパーダは人間界に在留する際、
天界および魔女賢者による常時監視を認めること。
人間界内におけるスパーダの武力行使は、
人間に危害を及ぼしうる悪魔のみを対象とすること。
天界と人間界内の情勢に対して、中立と不介入を貫く等々。
そして今後の魔界動向についての意見交換と、
諸状況における対応の確認、様々な案の相談もなされた。
それら案の中でも特に議論が交わされたのは、
スパーダが提示した魔界を封印するという構想である。
これは文字通り魔界と人間界の間を遮断し、
根本的な面からの悪魔侵入の抑制を図るものであった。
もちろん魔女に協力する悪魔のための隙間は残さねばならず、
また「網」にかかりにくい弱き悪魔の侵入までは構造的に防ぎきれなかったが、
それでも強大な悪魔の侵入を
ほぼ抑えられる画期的な案であることは間違いなかった。
諸勢力は好意的に受け取り、また魔女側も
「網」の管理が魔女と共同で行われることを条件に賛同し、
可能なかぎり早く実現することが決定された。
303 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:43:03.14 ID:XVB8s0iW0
そうして会合は終わった。
こうしてスパーダは人間界に受け入れられ、
真に帰るべき世界を得たのである。
ただ、まさしく彼にとって新たな人生の始まりであったが、
一方で離別の時でもあった。
会合の終わりにおいて、
スパーダとエヴァの最後の会話が許された。
言葉数は少なかった。
互いに手を軽くとり、ささやかな言霊で愛を確認。
そしてエヴァがこう口にした。
あなたが最強の魔剣士であるかぎり、
そして私がアンブラの魔女であるかぎり、と。
それ以上は続けなかった。
だがお互い、その後に続く言葉や、
そこから広がる話の意味は理解していた。
お互い現状のままでは、一緒になることは許されない。
だが、もしも力と身分を捨てることができたら、と。
304 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:43:50.85 ID:XVB8s0iW0
魔帝を倒したとはいえ、世はいまだ脅威に溢れている。
覇王や、その他にも恐るべき強者は多くいる。
それらを排除できたとしても、魔界自体が暴虐と闘争のゆりかごであり、
新たな脅威は未来永劫に現れ得る。
それに天界と人間界、主神派と賢者と魔女らも、今は協調しながらも、
潜在的には解消が難しい対立を抱えている。
その中でスパーダとエヴァのような者が、武力や才能、
そして何よりも献身の心を捨て去るなど、困難と言うほかなかった。
世の災厄を無視して、守れる存在を見捨てて、戦いから離れるなんて。
だが現実がどうであろうと、それを重々理解していようとも、
スパーダは望みを捨てられなかった。
なぜなら愛しているから。
不可能であろうと、愛する人と一緒になりたいという願望は消えない。
抑制はできても、その夢は捨てられない。
ささやかな希望をこめて、スパーダは別れを告げた。
「さようなら、愛する人よ。また巡り逢える日まで」
そうして二人は手を離し、
別々の人生を歩み始めていった。
305 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:44:28.11 ID:XVB8s0iW0
スパーダは会合の後、後世においては新大陸と呼ばれる地にて、
ある二つの刃を鍛えた。
それは魔剣スパーダと同様、彼の分身たる刃、
だが前者とは籠められた象徴も意志も全く異なっていた。
魔剣スパーダは破壊者、すなわち「侵犯者スパーダ」の象徴であった。
だが新たな二つの刃が象徴するのは、現在の「新しいスパーダ」
「魔との離別」と、「人と魔の融合」である。
彼はその二つの刃、もとい分身を創り出すことで、
今のスパーダが何者であるかを改めて再確認し、意志を形にした。
もう魔界に寄り添うことはない。
今後は「人の心」に従い、己の信ずる道を進むと。
306 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:45:14.31 ID:XVB8s0iW0
こうしてスパーダは伝説となったが、
彼の戦いが終わることは無かった。
むしろそれからの戦いは、彼の生涯において
もっとも苦悩に満ち、そして初めての無力感をも味わわせるものとなった。
対魔帝戦のごとき「巨悪を倒せば済む」、という単純な構図ではなく、
その戦いの真の相手は、そもそもスパーダの刃では断ち切れないものだった。
それは竜王による騒乱から撒き散らされた「負の種」。
人間界を覆い、さらには天界にまで伝染した、
拭いがたい疑念、嫌悪、憎悪、憤怒そのもの。
その「負の種」は魔帝という共通脅威によって
しばらく寝静まっていたものの、
スパーダの勝利によって状況は変わった。
天界と人間界の諸勢力は、
今のところは協調路線を維持しようとしていたものの、
対魔帝という最大の動機は無くなってしまった。
そして諸勢力が対魔帝のために準備した莫大な武力は、無傷で残存。
いまや「負の種」が開花するには絶好の条件がととのっていた。
三位一体世界のすべてを巻き込んで、
人間界はこれより自滅の道を転がり落ちることとなる。
再燃した不和によって留まることを知らず、
天対人、そして人対人という恐るべき未来へ。
スパーダにとっては「守るべき存在」同士が殺し合う、
未曽有の苦難の時代へ。
「負の種」の主、ロプトの望むがままに。
―――
307 :
◆tSIkT/4rTL3o
[sage saga]:2022/03/22(火) 13:46:02.38 ID:XVB8s0iW0
おわりです。
308 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2022/03/24(木) 11:26:42.48 ID:dz9KEzXxO
SS避難所
https://jbbs.shitaraba.net/internet/20196/
309 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2022/03/25(金) 06:45:21.96 ID:Gry+iFqo0
乙
310 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2022/03/29(火) 13:28:55.94 ID:wt3MHN8qO
学園都市かも完結してもう10年経つのか・・・早いな…新作は書くんですか?
311 :
◆tSIkT/4rTL3o
[sage saga]:2022/03/29(火) 19:23:16.76 ID:cq8s6iSN0
>>310
具体的な予定はないです
ぼんやりと考えてるのは色々ありますが、実際に書くかは未定です
312 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2022/05/06(金) 01:02:59.32 ID:gFShh7b2O
なっっつかしいなぁ
313 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2022/05/06(金) 18:04:40.90 ID:rYV+b3N9O
SS避難所
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