真・恋姫夢想【凡将伝Re】5

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402 :一ノ瀬 ◆lAEnHrAlo. [saga]:2023/10/16(月) 20:21:30.30 ID:Ev8kVMSl0
真名。それはこの世界においてその人の存在を示すモノ。
真名。それはこの世界において許しなく口にすると問答無用で殺されても文句を言えないモノ。
真名。それを奪われるということは人としての尊厳、それを奪われると同じ。いやそれ以上に重いことである。

「全く……前代未聞ですよ」
「空前絶後でしょねー。真名を奪い、名を奪い、字をすら奪う。いっそ死を賜った方がましなんでしょうが……。楽には死なせないとしても、です。流石の風もドン引きなのですよ〜」

苛烈、と言っていいだろうと郭嘉は思う。法を司る曹操に諮ることもなく独断で下したその決定は、紀霊の此度の蜀と名乗る不逞の賊軍に対する憤りを内包しているに違いない。

「にしても、姓名どころか真名まで奪うとは……。そのような暴挙……!」

焚書、肉刑すら可愛く思えるほどのことである。

「州牧代理を自己都合で殺し、その罪を糾弾されると開きなおる。
 あげく、自らが皇帝を僭称する。いや、これは首謀者ではなくともその量刑、死ですら生ぬるいでしょう。
 二郎さんの裁定、割と妥当じゃないかなと風は思うのですよ〜」

くふふ、と笑う程立に郭嘉は柳眉を逆立てる。

「にしても、あまりと言えばあまり。これから、かつて関羽と呼ばれていたモノは生涯その尊厳、誇り。それらを全否定されることになります。いっそ死を賜る方が温情というものでしょう」

郭嘉はこれで名門の生まれである。その、実家のコネ(人脈、しがらみ)が煩わしくて名を偽り放浪するくらいのお転婆――紀霊談――ではあったのだが。いや、だからこそ紀霊の裁定には思うところは少なくない。
そのような無体、董卓にだってしたことはなかったのだ。
403 :一ノ瀬 ◆lAEnHrAlo. [saga]:2023/10/16(月) 20:21:55.82 ID:Ev8kVMSl0
「――あ」

――すとん、と胸に落ちた。

「そですね。稟ちゃん、二郎さんはとっても優しくて、甘いお方なのですよ」

程立の声に郭嘉は頷く。項垂れる。
一体、自分はあの青年のお気楽な笑顔の裏にある葛藤をどれだけ斟酌できていたのかと。

「ほんと、賈駆さんは愛されてたと思うのですよね〜」

賈駆。そして董卓一派。

「……なるほど。畏れ多くも禁裏を血に濡らしての宦官誅殺が市井にまで知れ渡っていること。魔王なぞという悪名が広がる。いかにも不自然です」

――ひどいものに至っては劉協や皇甫嵩を誅殺したのだという言説まで流布している。その紀霊の悪名に隠れて意外なほどに董卓一派については気にする者は少ないのだ。

「悪名を以て悪名を制す。そして彼女らはその死を以て将兵を救い、満足して死んでいったというわけですか。
 ――全く、度し難い」

思えば、風説の制御こそが彼の最も得意とする手法。そしてその傍には張勲という情報処理のエキスパートがいるのだ。手足となる張家がいるのだ。いたのだ。
つまりそういうことだろう。

「本当に。度し難い」

もや、と何か不愉快なものが棟にこみ上げてくる。

「くふふ。清廉な英雄については星ちゃんが受け継いでくれましたからね。
 まあ、それについて星ちゃんも色々と思う所があったみたいですが〜」

「風、貴女は!」

郭嘉が語気を荒げるもどこ吹く風。

「さて、そろそろ参りましょか〜?」

そう。軍師二人と天下無双。奇しくも荒野を彷徨っていた三人とその拾い主。その四人で今後の方策が話し合われるのだ。それは北伐の始末だけでなく、中華全土の行方すら左右するであろう。

「天下の差配思うが儘。宿願が叶ってよかったですね?」

茶化す程立をうるさいとばかりに一つこづく。

「おお、ひどいひどい。卑しくも軍師ならば口舌にて掣肘を加えるべきと思うのですが〜」

「言ってなさい。まあ、私たちのやるべきことは決まっていますが」

此度の戦で晒した不様。それをあの青年の責とさせるわけにはいかない。それは二人に共通した認識である。

「……あの方はまだ漢朝に必要なのですから」

常のように淡々と呟く郭嘉。程立はくふふ、と笑みを漏らすのみであった。

「郭嘉、程立参上いたしました」

淡々とした声で述べる
どっかりとふんぞりかえる紀霊に軍師二人が恭しく頭を下げる。
そして郭嘉は不快気に鼻を鳴らし、程立はくふふ、とほくそ笑む。
二人の視線は好意的とはけして言えず、その人物を貫く。即ち、かつて関羽と呼ばれていた存在を、だ。
何故この場に彼女がいるのか、などという問いを郭嘉は発しない。この北伐の始末。それに必要な材料であるからだろうと見当をつける。そして、その、姓も名も、字も真名も奪われた哀れな存在の悄然とした有様に僅かに憐憫を覚える。

紀霊とは何者か。そう問われれば郭嘉は迷いなく答えるであろう。「人たらし」であると。

敵も味方も、彼に接すれば老若男女を問わずに彼を好ましく思ってしまうのだ。そう、政敵――かつての何進や今の曹操――であっても、だ。更には彼の魅力に籠絡される人物の多いことよ――無論自分を含めてだが――と郭嘉は内心苦笑する。

そうだ。紀霊の、なんとも言えない魅力をもってすれば彼女を籠絡することも――時間を要しただろうが――可能だったはずだ。
そして、そんな紀霊。彼が全力で心を折りに行けばどうなる。それはつまり、ご覧の有様というやつである。

「ぽきり、といっちゃったみたいですね〜」

くふふ、と笑う親友にどこか空恐ろしいものを感じながらも郭嘉は辛うじて鉄面皮を保つ。

「二人ともよく来てくれた。これから、この北伐の始末をつけようと思う。ああ、この字伏せは気にしない方向で」

見れば涼しい顔をして趙雲は紀霊の傍――字伏と紀霊の中間――に立っている。おかしな気を起こしても趙雲ならば指一本触れさせないであろう。まずはそこに安心し、郭嘉は気を引き締める。戦争というものは始めるよりも終わらせる方がずっと難しい。その終着点をどうするか。それがこの場で決められるのだからして。
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