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晴れ空に傘
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1 :
◆WiJOfOqXmc
:2021/12/19(日) 16:44:40.44 ID:3G18+uH30
SS「晴れ空に傘」
男「今日の面接もダメだった」
男「地元のしょぼい中小企業だったってのに、クソが」
男「もう潮時だろ。死ぬか」
笛吹川にかかる橋の欄干に、短い右足をのせる。
よれよれになったスラックスの太腿部分が、ピンと張った。
頭を出して、眼下を見つめる。
先日の雨のせいか、濁った川水が勢いよく流れていた。
高さはゆうに20mほどはあるだろうか。
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1639899880
2 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 16:53:43.50 ID:3G18+uH30
男「ここから飛び降りたら、確実に死ねるな、ハハ」
不意に、両足がガクガクと震えた。
怖いのか? そんなはずはない。
これで楽になれると思うと、楽しみで武者震いしているんだ。
今日落ちた会社も、実は社員採用ではなく「バイト採用」だった。
そう、俺は就職するどころか、バイトとして働くこともできないゴミなのだ。
男「俺の何が悪いってんだよ……畜生、ボケが」
男「こんなクソみたいな世界」
3 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 16:56:43.49 ID:3G18+uH30
これまでの出来事が脳内で再生される。
大学時代就活をするも、自身の理想と現実の乖離が激しく一つも内定を得られなかったこと。
脆弱だったメンタルは壊れ、そこから2年間も実家に引きこもっていたこと。
気づけば俺は、25歳職歴なしのニートになっていた。
そして今、バイトからでもいいと一念発起し再び面接を受ける日々だが……。
男「バイトですら、どこも俺を雇ってくれない」
男「どいつもこいつも、口を開けばどうして新卒時に就職できなかったのか、とか」
男「2年間も引きこもって親に申し訳ないと思っていないのか、とか」
男「面接と関係ないことばっか訊いてきやがって」
4 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 17:03:50.66 ID:3G18+uH30
今日受けてきたバイトの面接で言われたことが、脳内でこだまする。
『君みたいな若いだけの軟弱な無能は、いらないんだよね』
『いらないんだよね』
そしてその場で「お断り」された。
男「俺は無能で、クズで、ゴミだ」
男「これ以上生きていたって、親に迷惑をかけるだけだ」
男「もう、楽になっちまおう」
5 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 17:07:48.87 ID:3G18+uH3o
ふと顔を上げると、笛吹川の土手に沿って、オレンジ色の夕焼けが染み込んでいた。
地平の彼方に見える遠くの町並みは、きらきらと光ってまぶしい。
あーあ。クソ、綺麗だな。
今際に見る最期の景色としては、悪くない。
そんなしょうもないことを思った。
この根図橋の上から見える世界はこんなにも綺麗だってのに、
どうして「俺の世界」はこんなにもクソだったのか。
次生まれる時は、もう少しまともな人間になれますように。
6 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 17:11:37.15 ID:3G18+uH3o
橋の欄干にかけていた右足に力を込め、身体を乗り出す。
その瞬間だった。
少女「こんな所で、何してるんですか……?」
男「はあ?」
まるで窓辺の風鈴のように、凛として澄んだ声。
振り返ると、そこには女子中学生が立っていた。
制服を見るに、俺の母校である南中の生徒だ。
ただ、おかしなことがひとつ――。
こんなにも天気の良い夕暮れだというのに、ビニール傘をさしていた。
https://i.imgur.com/np8uT4R.jpg
7 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 17:16:33.60 ID:3G18+uH3o
少女「もしかしてですけど、飛び降りとか……」
男「だったらどうする?」
俺がそう訊き返すと、少女は驚いたのか「え」と身をすくめた。
男「ここで俺が飛び降りようとして、何が悪い?」
男「君には関係ないことだろ? 早く帰ってくれ」
俺はもうヤケであった。
せっかく踏ん切りがついて楽になれると思ったのに、こんな形で水を差されるなんて。
この世界は、本当に最後の最期まで俺の邪魔をしやがる。
8 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 17:25:22.48 ID:3G18+uH3o
少女「本当に死のうとしてるんですか…?」
男「だったら何? お願いだから帰ってくれ」
少女「嫌です」
その子は俺の強気な姿勢にも怯むことなく、その場を動かなかった。
少女「死ぬのは絶対にダメです。むしろ貴方が帰るまで私も帰らないです」
男「あのな……こんな不審者に話しかけて、そっちこそ危ないぞ」
男「もしここで俺が君を襲ったらどうすんの?」
9 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2021/12/19(日) 17:26:51.60 ID:fpiw9UKrO
すごい挿し絵?がある
支援
10 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 17:30:07.57 ID:3G18+uH3o
少女「その時は警察を呼びます」
男「襲われてから呼んだんじゃ遅いだろ」
少女「別に、いいです。たとえ私が襲われたとしても、貴方が死ななければ」
ここまで話して、急激に興が醒めた俺は、欄干にかけていた右足を下ろした。
男「どうしてそこまでして止めるの? 俺が死んだって君には関係ないはずだろ」
少女「どうしても何も、ここは私の通学路ですから。そんな所で死なれたら誰だって嫌ですよ」
男「通学路……?」
なるほどな、と思った。
どうして見ず知らずの染みったれた男をここまで庇うのかと疑問だったが、そういう理由だったのか。
それならば、納得ができる。
通い慣れた通学路で自殺者が出て、なおかつその直前の姿を見た、なんてことになったらトラウマだろう。
11 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 17:48:48.20 ID:3G18+uH3o
男「なるほど、合点がいった」
男「そういうことなら死ぬのはやめる」
少女「本当ですか…!」
少女はぱっと目を見開くと、笑みをこぼした。
丁寧に切り揃えられたショートカットが、少しだけ揺れる。
笑うとその少し焼けた顔から、年相応のあどけなさが垣間見えた。
男「ああ。嫌な思いさせて悪かったよ。じゃあ、俺は帰るから」
少女「はい。気をつけて」
男「ああ、それと――次からはおかしな人を見かけても、声をかけるなんて真似はやめたほうがいい」
男「場合によっては本当に危ないからね。自分のことを大事にするんだよ」
男「……余計なお世話かもしれないけど」
12 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 17:51:13.47 ID:3G18+uH3o
俺がそう声をかけると、少女はしばらくぽかんとしたあと、
「わかりました。ありがとうございます」と控えめな笑顔を見せた。
俺はそれに安心し、地面に置いてあった萎びたカバンを手に取って、その場を離れようとした。
すると、少女はなんとまあ律儀なことに、去り際の俺に向かって「さようなら」と手を振った。
こんな所で死のうとしていた明らかな『不審者』である俺に、
そんな分け隔てのない優しさを見せたのだ。
まるでこの世界のすべてを肯定するような少女の懐の深さに、
胸がきゅっと締め付けられた。
そして少しだけ悩んだあと、俺は意外なことを口にしていた。
ほんの些細な出来心で……。
男「そのビニール傘、素敵だね」
男「……じゃあ、また」
13 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 17:57:03.53 ID:3G18+uH3o
それからすぐに踵を返して歩き始めたから、あの子がどんな顔をしていたかは分からない。
ただ、こんなにも天気の良い日にビニール傘をさしているなんて明らかに普通ではないし、
どうしても気になってしまったのだ。
かといって「なんでそんな物さしてるんだ?」なんて直球に訊ねるのは無粋な気がして、
去り際の一瞬に、俺はそれを褒めることにした。
どんなことであれ、褒められて嫌な気持ちになる人はいないはずだし、
こんな俺に”優しさ”を向けてくれたあの子に、少しでも報いたいと思った。
今日のこの出来事が、あの子にとって不快な記憶にならないように。
きっと、もう二度と会うこともないあの優しい少女が、
あの橋を通るたびに少しでも嫌な気持ちにならないように……。
そんな俺の、浅はかで愚かしい気遣いのつもりだった。
14 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 18:02:21.46 ID:3G18+uH3o
その後、俺はすぐにもう一つ隣の橋へと向かった。
当然、おとなしく帰るつもりなどなかった。
今日は俺の中で完全に「死ぬ日」だったし、
それだけはあの子に止められたからと言って、決して揺らぐことのない決心だった。
”あの橋で死ぬのはやめた”だけ。
ならば隣の橋まで移動して、そこから飛び降りればそれでいい。
じつに簡単な話だった。
15 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 18:07:16.04 ID:3G18+uH3o
隣の橋に至るまでの道中、シーズンを迎えた桃畑が辺りを埋め尽くしていた。
夕焼け空に映えた桃の花は、ただでさえ鮮やかなピンクの花弁が一層色濃い影を落とし、
不気味なほどに美しく揺れていた。
視界一面が、そんな妖艶なピンク色に染まった光景は、
まるで死後の世界に通じているような気がした。
20分弱歩くと、すぐに隣の橋にたどり着いた。
隣の橋は、先程の根図橋に比べるとやや高さは劣る。
しかし、こちらの橋の方が遥かに人通りが少なく、その分死ぬには”うってつけ”だった。
きっともう、誰の邪魔も入らないはずだ。
16 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 18:10:23.88 ID:3G18+uH3o
錆びついた橋の欄干に触れ、深呼吸をする。
日は傾き、辺りは少し暗くなり始めていた。
この逢魔が時に――きっと死神が俺のことも迎えに来てくれるはずだ。
死神、いるか。
今から、「そっち」へいくぞ――。
そして俺は目を瞑って、欄干に右足をかけた。
そのまま体重を「向こう側」に持っていこうとしたその時。
17 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 18:14:27.63 ID:3G18+uH3o
少女「危ないです!」
その叫び声とともに、俺は思い切り引き戻され、派手に尻もちをついた。
男「いってえ……!」
少女「何してるんですか!」
地面に座り込む俺を見下ろしていたのは、先ほどの中学生だった。
走ってきたのか、ぜえぜえと肩で息をしている。
男「な、なんで君がここにいるの?」
少女「その……心配だったので、あとをつけてました」
男「マジかよ……」
18 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 18:21:32.65 ID:3G18+uH3o
男「どうしてそこまでするわけ? あの橋で飛び降りなければ、君には関係ないんだろ?」
少女「だって……違ったから」
男「……は?」
少女「思ってた人と……違ったからです」
男「どういうこと?」
少女「おかしな人だと思ったら、私の事とか普通に心配してくれて」
少女「上手く言えないですけど……こんな優しい人に死んでほしくないって思っちゃったんです」
少女はいつの間にか涙目になっていた。
19 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 19:07:36.84 ID:3G18+uH3o
男「それであとをついてきたってこと?」
少女「……はい」
少女はそう答えると俯いてしまい、しばらくなんとも言えない沈黙が生まれた。
そして、彼女はすんすんと鼻をすすり始めた。
はっきり言って、非常にきまりが悪い。
こんな場面を目撃されたら、それこそ誰かに通報されてしまうかもしれないし、
傍から見たら、俺は女子中学生を泣かせた変質者にしか見えないだろう。
……それにしても。
さっきは、本当にあと一歩で死ねるところだったのに。
正直、さっきの俺は完全に”いっていた”。
本気で体重を「向こう側」へ預けていたし、この子が来なければ本当に……。
幸か不幸か、またしてもこの子に命を救われてしまったわけだ。
20 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 19:15:58.38 ID:3G18+uH3o
俺は深くため息をついた。
それに反応して、少女もこちらに視線を向けた。
案の定、涙でぐしゃぐしゃになってしまった顔で。
男「あのね。気持ちは嬉しいけど、俺はそんな大それた人間じゃないし、優しくなんかもない」
男「なんの価値もない、死んだほうがいい人間なんだよ」
少女「なんで?」
出し抜けに少女が声を荒げたので、体がびくりと反応してしまう。
少女「どうしてそんな風に言うんですか?」
少女「絶対にそんなことありません」
21 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 19:17:13.86 ID:3G18+uH3o
男「じゃあ、君に俺の何がわかる? 俺なんか誰にも必要とされない無価値の人間なんだよ」
俺がそう言うと、少女は不意にビニール傘を広げて空にかざした。
仄暗い夕闇のなかに、透明で無機質な花が咲いた。
少女「あなた、”これ”を見て、さっきなんて言ってくれましたか?」
男「……え?」
少女「言ってくれたじゃないですか、さっき」
男「す、素敵だねって……」
少女「ですよね」
不思議なことに、少女は目に涙を貯めたまま、小さな笑みを浮かべた。
22 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 19:23:34.92 ID:3G18+uH3o
少女「そんなこと、初めてだったんですよ」
少女「私、どんな日でもビニール傘をさすんです。晴れの日も、曇りの日も、当然雨の日も」
少女「それこそ、いつでもです。学校に行く時も、買い物に行く時も、どんな時も……」
男「へえ……」
反応ともとれない気の抜けた声を出すと、少女は「ふふ」と控えめに笑った。
少女「だからみんな言うんです。いつもビニール傘なんかさして、頭がおかしいのかって」
少女「まあ……当たり前ですよね」
少女「それでも、私は決してさすをのやめないから」
少女「ますます言われるんです。変なやつだ――って」
23 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 19:28:51.42 ID:3G18+uH3o
男「それなら、さすのをやめたらいいんじゃない……?」
少女「そうですね……そのとおりだと思います」
少女は目を細めて、遠くの空を見つめる。
ほとんど残り火程度になった夕日が、周囲に長くてぼんやりとした影を作っていた。
少女「ただ……それだけはできないんです」
そう言うと、少女は俺の方に視線を落とした。
24 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 19:36:54.79 ID:3G18+uH3o
少女「正直、私だって分かってます。晴れた日にビニール傘をさすなんておかしいって」
少女「そんな変わり者、いじめられて当然だって分かってます……」
少女「でも、それでも、どうしてもビニール傘をささないといけないんです」
男「どうして……?」
少女「それは、言えないです……けど……」
男「なんで――」
俺は、開きかけた口をすぐに閉じた。
これ以上踏み込んで詮索するのは違う気がしたし、
ここまでの決心をするのだから、この子にとって相当大事な理由があるのだろう。
25 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 20:19:38.12 ID:3G18+uH3o
少女「ずっとずっと、そんな風に悩んでいたんです」
少女「まわりに色々言われながら、ビニール傘をさす日々の中で……」
少女「ずっと――誰にも言えずに悩んでました」
少女「そしたら貴方は、ビニール傘を”素敵だ”って褒めてくれた」
少女「どういうつもりで言ったのかは分からないけど、私はそれが本当に嬉しかったんです」
少女「ありのままの私を認めてもらえたような気がして」
少女「大げさですけど、なんだか救われました……」
26 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 20:22:07.43 ID:3G18+uH3o
少女「だからね……思ったんです」
少女「そんなあなたには、”絶対に生きていてほしいな”って――」
27 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 20:23:32.65 ID:3G18+uH3o
透明な傘をさす少女は俺を見て、にっこりと微笑んだ。
それは温かな春の陽射しのように、俺の心を優しく照らす。
まるで、あの有名なモネの絵画のようだった。
俺は迂闊にも、ぽろりと一粒、涙をこぼした。
そして堰を切ったように、次から次へと涙が溢れ出した。
『生きていてほしい』
そんなこと、今まで言われたことがあっただろうか。
親に、友人に、社会に、クソだ無能だと罵られ、すっかり自分の殻に閉じこもっていた俺。
こんなにも純粋で無垢な「祈り」を捧げてもらったことが……
これまでの人生であっただろうか?
28 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 20:25:31.16 ID:3G18+uH3o
少女「生きていてくれて、よかったです。これでお礼が言えますから」
少女「さっきは、どうもありがとう」
うららかであった。
涙まじりの少女の笑顔は、うららかで、どこまでも透き通っていた。
まさに光。
この世界はどこまでもクソしか広がっていないと思っていた俺に差し込んだ、
あまりにも無垢な光。
29 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 20:28:22.52 ID:3G18+uH3o
男「お、お……俺は……うっ……」
とめどなく溢れる涙のせいで、上手く言葉が紡げない。
この子に、なにか声をかけてあげるべきなのに、何も出てこなかった。
少女「……つらいことがあったんですね」
少女「きっと優しい人だから、人一倍つらかったんですね」
少女「でも、もう大丈夫です」
少女は穏やかな眼差しで俺を見つめていた。
優しい微笑みとともに。
少女と俺の間に柔らかな風が通り抜ける。
30 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 20:30:07.47 ID:3G18+uH3o
男「俺も本当は……死にたくなんかない」
男「分かってるんだ。でも、なにもかもが上手くいかなくて、生きてる意味を見失った」
男「俺みたいなクズに、生きている意味はないんだって」
そう言うと、少女は何度か首を振ったあと、「そんなことない」と呟いた。
少女「あなたは優しい人です。少なくとも私はそう思ってます」
男「そう言ってくれるのは嬉しいけど……俺たちはさっき会ったばかりで、ほんの少ししか話してないんだよ?」
男「君は若くて純粋だから、そう錯覚してるだけだよ」
少女は「それでいいじゃないですか」と笑う。
少女「錯覚だって構いません。誰かを悪く思うより、ずっと素敵なことだと思います」
男「…………」
31 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 20:32:26.66 ID:3G18+uH3o
若さというのは、未熟さであったり無鉄砲であったり、ある種の”過ち”であると思っていた。
しかし、目の前にいるこの子はどうだ。
なんの疑いもない瞳で、こんな終わってしまった男を見つめてくれている。
ちゃんと、「ひとりの人間」として。
彼女の前では、俺はゴミでもクズでもなく、一人の「優しい人間」なのかもしれなかった。
今まで、自分のことをそんな風に思えたことはなかった。
だからこそ、信じてみたくなった。
彼女の瞳の中にいるであろう、「一人の人間としての自分」を、信じてみたくなった。
そんな自分に、会ってみたくなった――。
32 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2021/12/19(日) 20:38:21.66 ID:5KIOj2vMO
え、なにこのスレめちゃくちゃいいんだけど
女の子の「素敵な錯覚」っていうセリフすごくぐっときた
>>6
のイラストもすごくいい、素敵
凝ってるなあ〜
33 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 22:05:16.77 ID:3G18+uH3o
少女「どうして、死にたいなんて思っちゃったんですか?」
少女「……なにがあったんですか」
少女は恐る恐るといった感じで訊ねてきた。
隠しても仕方ないので、俺はありのままを語る。
男「就活に失敗して、大学卒業してからずっと引きこもってて……今日も、バイトの面接にすら落ちちゃって」
男「それをずっと他人のせいにして生きてきた」
少女「でも、だからって……」
男「俺はもう25歳なんだ。25にもなって何もできないなんて、本当に恥ずかしいことなんだよ」
男「だから、死んじゃってさ、何もかも終わらせて楽になろうって思った」
男「そのはずだったのに、死ぬこともできずに、今ここにいる。こんな醜態を晒してね」
男「それが……俺のすべてだよ」
34 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 22:46:35.33 ID:3G18+uH3o
少女「それならよかったです」
少女「んーん、本当によかった」
男「え……?」
少女「だって生きて、今ここにいるんですもん」
少女「たとえそれがどんなに格好つかなくても、死なずに、飛び降りることもなく、今ここで私と話してる」
少女「私からしたらそれがすべてで、それ以外はどうでもいいです」
男「どうでもよくなんてないよ……また明日から仕事を探さないと」
少女「どうでもいいんです。本当にどうでも」
少女「生きてこの世界にいるってだけで、それ以外のすべてがどうでもよくなるくらい、それは素敵なことなんです」
少女「……本当ですよ」
そう言うと、少女は笑顔でこちらを見つめた。
「ふふ」と笑うと、ふわりと小首を傾げてみせた。
綺麗なショートヘアが、さらりと流れる。
35 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 22:51:30.01 ID:3G18+uH3o
少女の言っていることは嫌になるほどただの綺麗ごとだった。
まだ社会の理不尽や不条理を何も知らない中学生の戯言。甘言。
……のはずだった。
なのに、この子が言うとなぜか不思議と信じてみたくなった。
縋ってみたくなった。
ただの思いつきや勢いで言っているのではない……そんな気がした。
男「わかったよ」
男「……でもさ」
少女「はい?」
男「生きていくには、働かないといけない」
男「みんな働いて、その対価をもらって、懸命に生きてる」
男「俺はそんな”当たり前”もできない半端者なんだ」
男「生きてるのがたとえどんなに”素敵な”ことだったとしても、俺は生きてるだけで誰かに迷惑をかけてるんだよ」
36 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 22:53:49.02 ID:3G18+uH3o
少女「仕事は……そんなに大事ですか」
男「ひとまず、なにか働き口を見つけない限り、自分でもまたいつ希死念慮に駆られるかは分からない」
少女「キシ……ネンリョ?」
男「ああ、ごめん。”死にたい気持ち”ってことかな」
そう言うと、少女は「初めて聞いた言葉だぁ」と小声でつぶやく。
男「本当は俺だって君に、もう死なないって約束できたらどれだけいいことか」
男「でもそんな保証はできない」
男「……情けない話だけどね」
37 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 23:07:35.65 ID:3G18+uH3o
少女「それはとても悲しいです……」
男「申し訳ない」
少女はビニール傘をさしたまま、俯いた。
俺も言葉が出てこなくなって、しばらくまた静寂が訪れた。
少しだけ燃えていた西の空も完全に炭となって、辺りにはすっかり春の夜が訪れていた。
少女「ああ、そうだ……!」
ふと、だった。
草の香りや桃の花弁を運ぶ夜風が吹いた時、少女は出し抜けに口にした。
少女「うちに来てください」
38 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 23:15:38.53 ID:3G18+uH3o
俺はその誘いに唖然とした。
言っている意味がまったく分からなかったからだ。
男「ごめん。言ってることがまったく分からない」
男「どうして俺が、君の家に?」
男「さっきも教えたろ? あまりそういうことは言わない方がいい」
戸惑う俺とは対照的に、少女はけろっとした様子だった。
少女「大丈夫なんです。私の家に来たら、きっとすべてがうまくいきます」
男「いやいやいや、ワケわかんないよ。どういうこと?」
少女は構うことなく歩きはじめ、「付いてきてください」と元気に言った。
39 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/19(日) 23:20:47.66 ID:3G18+uH3o
たまらず、ずっと座り込んでいた俺も立ち上がって、少女の後を追う。
男「待ちなよ」
男「頼むから、待って」
必死に呼び止めると、少女は傘をくるりと一回しして振り返った。
男「言っとくけど、俺たちはお互い名前も知らない他人なんだ」
男「もうこれ以上は関われないよ」
俺がそう言うと、少女はじっとこちらを見た。
そのまどかな瞳は、どこか野良猫のように挑戦的な雰囲気を宿していた。
40 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2021/12/19(日) 23:53:12.75 ID:5ywd3nf5O
おもしろいな
最後まで読みたいからがんばってね
41 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/20(月) 03:45:03.45 ID:f7viqcKro
少女「――凪」
ぽつりと、少女が口にした。
男「な、なぎ?」
少女「私の名前です。――凪。覚えました?」
男「あ、ああ……」
凪「それで、あなたの名前は?」
男「俺の名前は……男」
凪「そうですか。男さん、よろしくお願いします」
42 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/20(月) 03:46:08.26 ID:f7viqcKro
凪「これでもう私たちは他人じゃないです。そうですよね?」
男「そんなこと言ったって……」
凪「いいんです。付いてきてください。ここから歩いて15分もかからないです」
そう言って”凪”と名乗った少女は躊躇なく歩き始めた。
凪の様子があまりにも自信たっぷりなので、言われるがまま付いていく。
男「わかった。もう付いていくよ。でも本当に何があるの? お家の方に迷惑だよ」
凪「迷惑なワケないです。きっとすごく喜びます」
俺なんかが訪れて喜ぶって……一体どんな家庭だっていうんだ。
それに、娘がこんな見ず知らずのクズ男を連れてきたら親御さんはショックを受けるのでは……?
次第に頭のなかは、そんな当然のクエスチョンマークで一杯になっていった。
43 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/20(月) 03:47:53.33 ID:f7viqcKro
くるくると透明な傘が揺れる、凪の小さな背中を追って歩くこと15分。
俺は”とても見覚えのある”建物の前にいた。
そのこじんまりとした、でも白くてどこか清潔感のある家屋には――
『七瀬川学習塾』
という看板が掲げられていた。
男「こ、ここって……」
凪「私のお家です」
凪「まあ、こっちは塾なんで、正確には家は隣ですけどね」
凪はそう言って、塾舎の隣にある二階建ての一軒家を指差した。
44 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/20(月) 04:08:55.33 ID:f7viqcKro
男「この塾が君ん家? 嘘だろ?」
凪「嘘じゃないですよ、ここは私の家です」
男「信じられねえ……俺、中学の時ここに通ってたんだ……」
凪「ええ、本当ですか!」
凪は目を丸くしてこちらを振り返った。
そりゃ道端で死のうとしていた男が、かつての自分ん家の生徒だったら驚くのも無理はない。
ただ、嘘じゃない。
確かに俺は中学の三年間、サボることもなくここに通い続けた。
かつてはひたむきで、中学でも”有望株”であった俺は、
この夫婦が営む小さな個人塾に通いながら、部活にも打ち込んでいた。
この辺じゃ噂の、文武両道の”優等生”だったんだ……。
45 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/20(月) 04:45:18.91 ID:f7viqcKro
男「じゃあ七瀬川先生――いや、陽子先生と剛先生は……」
凪「私のお母さんとお父さんです」
男「そうだったのかぁ……」
言われてみれば、凪からは確かに二人の面影を感じた。
陽子先生の穏やかさをまといながら、目鼻立ちははっきりとした剛先生の雰囲気。
そう言われてみると、この子こそがまさしくあの二人の子なんだ、という気さえしてきた。
そういえば当時、二人がよく「娘が幼稚園に行ってねぇ」とか、
「こんど幼稚園の運動会が……」とかそんなエピソードを話していた。
そう、他ならぬ凪のことを。
今の今まで、すっかりと忘れていた記憶だが――
何かのきっかけで、こんなにも鮮明に蘇ってくるなんて。
もう、十年も前のことだ……。
46 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/20(月) 04:48:54.65 ID:f7viqcKro
今まで味わったことのないような、不思議な感情が湧き上がってくる。
男「それで、陽子先生と剛先生は……あの二人は今も元気?」
凪「はい、元気ですよ」
男「そっか、よかった……」
安堵して、思わず息をついた。
二人の、あの朗らかな笑顔が頭をよぎる。
塾の先生というと厳しいイメージを持たれがちだが、陽子先生と剛先生は違った。
個人経営の塾ということも相まってか、実にのんびりとした雰囲気の場所だったのだ。
47 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/20(月) 04:49:48.23 ID:f7viqcKro
塾舎を見ると、曇りガラスの向こうから白い灯りが溢れている。
男「今日は授業日なの?」
俺がそう訊ねると、凪は「そうですね……」と宙を仰いだ。
凪「たしか、小学生の日だったと思います」
凪「授業は終わったはずですけど、今はお母さんが事務処理とかしてるんだと思います」
男「そっかぁ……」
ここに通い詰めた、かつての記憶がありありと蘇ってくる。
48 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/20(月) 04:50:59.33 ID:f7viqcKro
大人から見れば、中学生ってのは呑気なもんに見えるけど、
当時は当時で、本当に悩みや苦しみは尽きなかった。
親や教師からのプレッシャーはひどいし、勉強も部活も大変だ。
恋愛だって苦しかったし、友人関係にだって本当に悩んだ。
でも、ここ――「七瀬川塾」に来ると、そんな日常の重圧から解き放たれた。
先生二人は、中学生だった俺の抱えていた悩みをいつも真摯に受け止めてくれたし、
勉強以外の相談にも沢山乗ってくれた。
どんなに悩んでいても最後は決まって笑顔になっていたし、
「きっとどうにかなるよ。あんま気にしちょしね」というのが二人の口癖だった。
49 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/20(月) 04:52:48.10 ID:f7viqcKro
親にも友達にも言えない悩みを唯一打ち明けられたのは、陽子先生と剛先生だけで、
俺は毎回ここに訪れるのが楽しみで仕方なかったんだ。
凪「じゃあ、付いてきてください」
凪はそう言うと、塾舎の入り口へと近づく。
男「待って、心の準備が……」
この向こうに、陽子先生がいる。
いくら親しかったとはいえ、十年も前のことを覚えているのだろうか?
いや、根本的な疑問は解決していない。
そもそもなぜ俺はここに連れてこられているのか……?
50 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/20(月) 04:54:24.34 ID:f7viqcKro
しかし、時すでに遅し。
凪はビニール傘を畳んで、勢いよく入り口の引き戸を開けていた。
凪「お母さーん! ただいまー」
棚にスニーカーを仕舞いながら、元気に声を上げる。
そしてすぐに、奥の方から聞き慣れた声が返ってくる。
陽子「おかえり、今日は遅かったね」
そこには陽子先生がいた。
電話やら書類がごちゃごちゃに置かれた事務机に座って、
帳面(当時からそう言っていた)にペンを走らせる先生が。
51 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/20(月) 04:56:08.45 ID:f7viqcKro
陽子先生は、こちらにゆっくりと視線を向けた。
陽子「あれ、アナタ……」
少ししわが増え、体型もちょっとだけ太ったけれど、そこにはあの日のままの先生がいた。
男「先生、俺……」
陽子「男くん、だよね……? 嘘ォ、何年ぶり……?」
男「十年ぶり、くらいですかね……」
陽子「そうだよね、それくらいになるさね……元気にしてたの?」
男「はい、それなりに、やってました。先生もお変わりないようで、何よりです」
陽子「私は相変わらずだよ……それにしてもこんな突然、どうしたで?」
先生は何度かぱちぱちと瞬きをしたあと、凪を見た。
52 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/20(月) 04:57:03.24 ID:f7viqcKro
陽子「凪が連れてきたの?」
凪「うん、じつは根図橋で――」
男「あ、待ってください」
俺はまずい、と思ってすぐに話を遮った。
きっと凪は何も考えていない。
このままだと、これまでに起きたことを正直にすべて吐き出しかねない。
しかし、俺と凪に面識があるということを、どう説明する?
よもや、根図橋で死のうとしていたところを助けられました、なんてバカ正直に言うまい。
53 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/20(月) 04:58:14.60 ID:f7viqcKro
凪が余計なことを口走る前に、急いで取り繕う。
男「それが、なんだか急に懐かしくなっちゃって……」
男「近くを通ったものだから、久しぶりに覗いてみようかな、なんて思ったんです」
陽子「あらぁ、そうだったんだ。嬉しいね、覚えててくれて」
陽子先生は朗らかに笑う。
笑うと線になるその優しい眼差しも、かつてとなにも変わっていない。
凪「う、うん。そうなの。それでね、家の前で私と会ったんだよね」
陽子「それはまた偶然ねぇ」
凪もなにかを察したのか、一生懸命話を合わせ始めた。
54 :
◆WiJOfOqXmc
[sage saga]:2021/12/20(月) 04:59:49.65 ID:f7viqcKro
陽子「男くんは会ったことないよね? その子は娘の凪」
陽子「もう中三だっていうのに、落ち着きがなくて困った子なのよ」
凪「余計なこと言わないで。ってか、外で自己紹介はしたからもう分かってるよ。ね?」
そう言うと、凪はこちらを振り向いてわざとらしくウインクをしてみせた。
『話を合わせろ』という意味だろう。
いやいや、最初にボロを出しそうになったのは凪の方なのに……。
なんでそっちが得意げに主導権を握っているんだ。
俺はふうと一つ息を吐いてから、話を合わせる。
男「そうなんです。ちょうどさっき家の前で会って、少し話を聞いてもらって」
男「娘さん、大きくなりましたね」
陽子「そうね――男くんがここにいた時は、凪もまだ幼稚園だったから」
陽子「時が流れるのは速いね」
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