【ウマ娘】小さなトレーナーと白い奇跡【みどりのマキバオー 】

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27 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/07(土) 23:52:26.00 ID:H/R4DuwY0
「なにボサッとしてんだよ。走るんだろ? 一緒に走るなら邪魔にはならないよな。ゴルシ様が併せに付き合ってやるんだから感謝しろよ。あと、やべーと判断したらすぐ止めるからな」

「ゴールドシップ……」

「なぁ、お友達も一緒に走るのは構わねーけどよ。もう時計測っちまって良いのか?」

「ええ、お待たせしました。よろしくお願いします」

「マックイーン。お前誰と話してるんだ?」

「親切なネズミさんですわ」

 マックイーンはそう答えると、呆気に取られていたゴールドシップを横目に駆け出した。

 後日、ゴールドシップが学園中にバラまいたマックイーン遂に覚醒! 見えないネズミが見えてしまう≠ニいう見出しのビラによって、全校生徒からマックイーンに奇異と同情の目が向けられるのだった。
28 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/07(土) 23:53:19.11 ID:H/R4DuwY0
 昼休みにもなると、トレセン学園内の学食はウマ娘たちで大いに賑わう。自動車並みのスピードで走る彼女たちにとってエネルギーの補給という意味でも食事も立派なトレーニングの一環である。また、年頃の女子ということもあり、大半の生徒たちは学友、ライバルたちと会話に花を咲かせるのだ。

 ただし、一部例外もいる。一人黙々と食事に徹したいと思うものもいれば、人付き合いが得意ではなく基本的に一人が好きというものもいる。エベレストのように聳え立つ白米とおかずを瞬く間に食べ終え、おかわりへ向かっているオグリキャップや隅っこで身を竦めるように食事をしているライスシャワー。気恥ずかしそうにウィニングチケットとビワハヤヒデから少しだけ離れた場所に座っているナリタタイシン等がその部類だ。

 復学してからはマックイーンも周りを避けるように一人で食事をしていた。最初のうちは多くのウマ娘が心配して話しかけてきていたが、近寄り難い雰囲気を放っているマックイーンに萎縮して今ではその頻度は減っていた。しかし、今日はいつもと違っていた。
29 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/07(土) 23:54:06.18 ID:H/R4DuwY0
「マックイーンさん、これ……食べてください! スピカのみんなはマックイーンさんのこと、いつまでも待っていますから!」

 スペシャルウィークはそう言うと、マックイーンのテーブルに大きな段ボールを置いて去って行った。箱の中身は大量のニンジン。次にやって来たのはメジロドーベルとメジロライアン。マックイーンと同様、メジロ家のウマ娘である。

「みんなマックイーンのこと心配してるからさ……辛かったらいつでも戻って来なよ」

「おばあさまも良い精神科医を見つけてくれるって言ってたし。あまり気を落とさないでね」

 身に覚えのない憐れみの視線や激励に困惑しているマックイーンの元へと次にやってきたのは、同じチームのメンバーであるウオッカとダイワスカーレットだった。
30 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/07(土) 23:55:04.85 ID:H/R4DuwY0
「よ、よぉ、マックイーン」

「聞いたわよ。精神的なストレスで幻覚が見えているんですって?」

「ちょっ、ちょっとなんなんですの? 一体誰がそんなことを」

「ゴールドシップから」

「まったくあの人は……」

「他のみんなもトレーナーもマックイーンのこと心配してるんだよ。例え走れなくたってマックイーンは俺たちの大事な仲間なんだから。テイオーだってお前のコト」

 ウオッカの言葉を遮るように、マックイーンは勢いよく立ち上がると食事が済んだ空の食器が乗ったトレーを手にして二人に背を向けて答えた。

「心配して頂けるのは有難いですが、ヘンな同情なら無用ですわ。それにわたくしは諦めてなどいません。テイオーに会ったら伝えておいてください。次はわたくしの番だと」

 それだけ伝えると、マックイーンは二人を背に食器返却口へと向かって行った。
31 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/07(土) 23:55:45.06 ID:H/R4DuwY0
「それにしても、随分な言いがかりですわ。わたくしが錯乱しているだなんて。ネズミさんを幻覚だなんて……」

「マックイーン!」

 返却口で独り言を呟いたマックイーンに対して大声で話しかけきたウマ娘が一人。

「ウチは信じるで、あんたの話。そのネズミになんや運命的なモンを感じるわ!」

 同じ芦毛であり、小柄な体躯ながらも白いイナズマ≠ニ称される実力者、タマモクロスは親指を立ててマックイーンにニカっと微笑みかけていた。

「あ、ありがとうございます……」

 マックイーンはただ、愛想笑いで相槌を打つことしか出来なかった。
32 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/07(土) 23:58:34.44 ID:H/R4DuwY0
 その日の放課後も、マックイーンは旧校舎にてトレーニングを行っていた。未だに足には時折激痛が走り、幾度と無く足を止めてしまう。その度にもう全盛期のようには走れないという現実を直視させられる。その絶望感を振り切るようにマックイーンは再度走り込みを行う。ただがむしゃらにその繰り返し。まるで、出口の見えないトンネルを進んでいるような感覚に陥っていた。

「おーい、たれ子! どうした! もうやめちまうのか!? お前さんの覚悟ってのはそんなもんか!?」

 小さい体からは想像もつかないほど大きな檄が飛ぶ。極秘トレーニングの間、ネズミは片時も離れず懸命にマックイーンを支えていた。足の痛みと共に湧き上がる焦りや不安は、その声を聞くと不思議と和らいだ。ネズミの声から伝わってくる自信や安心感はまるで熟練のトレーナーそのもの。その声援に背中を押される度に幾度と無く救われてきた。自分は決して一人ではないと奮い立つことが出来た。

「まだまだ! もう一本お願いします!」

「おう! よーい、スタート!」

 スタートの合図と同時にマックイーンは走り出す。その姿を見る度にネズミの脳裏にはぼんやりと懐かしい記憶の断片が蘇っていた。その記憶は相変わらず霞がかっており、輪郭さえおぼろげではあったが確かに自分は以前、今と似た状況にあった。
33 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/07(土) 23:59:11.98 ID:H/R4DuwY0
白い毛並みが走る姿を遠くから眺めている。

 それがとても誇らしく、同時にとてもつらい。

 懸命に走るマックイーンの姿に、大事な誰かを重ねていることだけは自分でもわかる。しかし、それが誰なのかまでは思い出せない。ただ直感でわかることは全てを思い出したその時、自分はもうここには居られないだろう。何となくだが、ネズミはそんな予感がしていた。

「はぁ、はぁ、はぁ……。如何でしたか、ネズミさん。さっきより良いタイムが出せたとは思うのですが」
 
 ぼんやりとしていたネズミに、トラックを一周してきたマックイーンが息を切らしながら話しかける。

「お、おぉ。タイムな。……あー、悪い。時計押し忘れてたわ。すまねぇな」

「随分ぼーっとされてましたわね。そんなにわたくしの走りに見惚れてたのですか? それとも、わたくしの走る姿に誰かを重ねていたとか」

「へっ、見惚れるほど立派な走りなもんかよ。でもまぁ、当たらずとも遠からずってとこかな。休憩がてらチョイと話とくか」

 ネズミはそう言うと、マックイーンによじ登ると頭の上に座って話を始めた。
34 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:00:13.48 ID:OS/CCdyu0
「俺はな。ここに来る前は多分お前と同じくレースに関わっていたんだと思う。まだ記憶はおぼろげなんだが、どうも体は覚えているみてぇなんだよ。お前の走る姿を見ていると居ても立っても居られないっつーか、ふつふつと湧き上がる熱いものを感じるっつーかよ。お前の言う通り、俺はお前の走る姿に誰かを重ねているらしい。そいつのことを未だに思い出せないってのが心苦しいがな」

「その方はわたくしに似ていますの?」

「いや、多分お前とは真逆だな。ブサイクで、お前さんほど品も良くねぇし、どうしようもねぇくらいドンくさい奴だった気がする。でもそいつはお前に負けないくらいすげー根性の持ち主だった。居並ぶ強豪に囲まれても一歩も退くことなく、色んな奴らの想いをその小さな体に背負って緑の上を懸命に走っていた。それを俺はすぐ近くで見ていた。そう、丁度お前の頭の上に乗っている今みてーにな」

 ネズミはふと自分の手に目をやる。すると、手が透け始めていることに気づいた。不確かだった記憶が形を成していくつれて徐々に自分の存在が消え始めていることの証明。ネズミは、自分に残されている時間はあと僅かであると悟った。

「ネズミさん?」

「あ、あぁ、まぁ、要するに今話したことが全部本当かどうかは俺にもわからねぇってコトさ。すまねぇな、こんなくだらねぇ話でトレーニングを中断しちまってよ」

「いいえ。ネズミさんの話はきっと全て本当の事ですわ。現にこの数日トレーニングに付き合ってくださいましたが、あなたの指示やアドバイスは全て理に適っていました。共に走っているかのような安心感や一体感がありましたわ。それこそ、まるで熟練のトレーナーが側にいてくれているかのような。本当にレースに関わっている者でなければこうはいきません」

「へっ、よせやい。褒めても俺様のトレーニングは優しくならねーぞ?」

「寧ろ望むところですわ。では、次の一本はこのまま走りましょう。そうすれば、何か思い出すかも知れませんわ」

「「ちょーっと待ったー!!」」
35 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:01:19.89 ID:OS/CCdyu0
 ネズミを頭の上に乗せたまま、マックイーンが再びスタート位置についたところで二人分の大声が響く。ネズミにとっては初めて見るウマ娘だが、マックイーンには昼休みぶり。声の主はダイワスカーレットとウオッカだった。

「あなたたち。どうしてここが?」
 
「ゴールドシップからよ」

「あんのお喋りウマ娘は……。で、何の用です? あなたたちもわたくしを止めに来ましたの? それともまさか、練習に付き合ってくださるのかしら?」

 マックイーンの問いに対しての返答は実に意外なものだった。

「その両方よ」

「どういうことですの?」
 
「俺たちさ。昼休みの時にマックイーンが言っていたことが気になって、ゴールドシップから色々聞いたんだよ。テイオーと決着をつけようとしていること。その為にここで隠れてトレーニングしていること」

「アタシたちもウマ娘だもの。もし自分が同じ立場だったらって考えると、きっと同じ答えを選んでいたと思う」

「だけどやっぱり、俺たちはお前に無理をして欲しくねぇんだよ。でも、気持ちが分かるからこそどんな言葉を並べても今のお前を説得出来る自信がねぇ。だから……」

 ダイワスカーレットとウオッカは、マックイーンを挟むような形で同じスタート位置へと並んだ。

「距離は1600m。お前が勝ったら俺たちはもう何も言わねぇ」

「その代わり、アタシたちが勝ったら問答無用で連れて帰るわ」
36 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:02:48.94 ID:OS/CCdyu0
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37 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:03:43.93 ID:OS/CCdyu0
 一方的な条件を提出してきた二人のチームメイト。随分と乱暴な物言いに聞こえるかも知れない。しかし、マックイーンはその言葉の裏にある二人の優しさ、そして真意をしかと理解していた。

 もしも二人がマックイーンの体のことだけを心配していたのであれば、条件提示などせずにトレーナーかメジロ家に密告すれば良い。しかし、二人はそれをせずに勝負という形に持っていったのはマックイーンの気持ちが痛いほど理解出来るからこそ。ならばこそ、そこにもはや言葉は不要。走りで語るのみ。ウマ娘らしくレースで引導を渡すのがせめてもの情けであると考えたからである。また、1600mのマイル距離はダイワスカーレット、ウオッカの脚質に適している。つまり、ライバルとして本気でぶつかるという覚悟と意思の表れであると共にマックイーンの足への負担を考え、敢えてそう長くない距離を選んだのだ。

「ふふっ、本当にわたくしは幸せものですわね。こんなにも想ってくれる仲間に囲まれているんですもの」

 マックイーンはジャージのポケットから銀のコインを取り出した。これがスタートの合図。親指で弾かれ天高く舞い上がったコインが地面についた瞬間、三人はほぼ同時に地面を蹴って走り出した。
38 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:04:30.50 ID:OS/CCdyu0
 左回りのコースでまず先に前へ出たのはダイワスカーレット。それを追う形でマックイーン、ウオッカが続いている。風を受けてたなびくツインテールが実にうっとうしい。すかさずマックイーンは大外を狙い右側へと抜けようとした。しかし、背後から向けられた凄まじいプレッシャーがマックイーンの追い抜きを止めた。

 後方を横目で確認すると、すぐ斜め後ろには殺気めいた視線と闘気を放っているウオッカがいた。マックイーンはこれに似た感覚を知っている。春の天皇賞にて自身の連覇を阻んだライスシャワーが仕掛けてきたものと非常によく似た走法。しかし、プレッシャーの質そのものはまるで違っていた。ライスシャワーが放っていたものは息が詰まりそうなほど凄まじい重圧だったのに対して、今のウオッカが放つプレッシャーはまるで鋭利なナイフ。背筋をぞくりとさせるほどの冷たささえ感じる威圧は隙を見せた瞬間に背後から刺されるのではないかと錯覚するほど研ぎ澄まされていた。

 先行するダイワスカーレットも、背後のマックイーンを絶対に前へ行かせまいと意識を耐えずこちらへと向けているのがわかる。この二人は確実に自分を仕留めるための走りをしている。普段いがみ合っている二人とは思えないほど、見事なまでのコンビネーション走法。加えて、マイル距離ということもありじっくりと打開策を見出す時間さえ与えてもらえない。マックイーンは焦りがまるで毒のように思考を蝕んでいくのを感じていた。
39 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:05:15.33 ID:OS/CCdyu0
「随分苦しそうじゃねーか、たれ子」

 不意に耳元で声が聞こえた。その時、今の自分は一人で走っているのではなかったということを思い出した。

「なに迷ってやがるんだ。今ここで行かねーと負けちまうぞ」

「そんなことはわかっています! ですが……」

 二人に挟まれる形で前にも後ろに出れずにいる内に、残された距離は500mを切ろうとしていた。多少無理をすれば二人を抜き去り前へと行けないことはない。しかし、その無理が今は致命的。ただでさえ足の寿命を前借りして走っているのだ。今は奇跡的に動けている足だが、本来ならいつ動かなくなっても不思議ではない。自身の最期の走りを捧げるのはここではないことはわかっている。しかし、ここを乗り越えなければどのみち先はない。加えて、もう迷っている時間も残されていない。
40 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:06:02.38 ID:OS/CCdyu0
「あの二人は間違いなくお前が動くのを待ってやがる。中途半端な仕掛けじゃまず刈り取られるだろうよ」

(そろそろ後ろの二人も仕掛けてくる頃ね。でも絶対に行かせない!)

(マックイーンが仕掛ける瞬間を狙って、一気に差す!)

 言われずとも、前後から痛いほどに感じる二人の気迫が雄弁に語っている。しかし、ネズミが言う通りここが判断を下せる最終地点であることも確かである。

「モタモタしてんじゃねー! 絶対に勝たせてやるから、俺を信じろ! マックイーン!」

 ネズミの小さな体から迸る炎のような熱意と気迫が、マックイーンの迷いを一気に焼き払った。

「良いでしょう、あなたを信じますわ!」
41 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:07:05.74 ID:OS/CCdyu0
 マックイーンは意を決して負傷している足にぐっと力を入れた。その瞬間、左足に凄まじい痛みが走る。苦痛に顔を歪めるマックイーンだが、その足の痛みは頭上のネズミによってすぐに消し去られる事となる。

「来るわよ、ウオッカ!」

「おうよ! 絶対に行かせねぇ!」

「でかした、たれ子! 漏らさねーようにケツの穴をしっかり閉めとけよ!」

 大口を開けたネズミの鋭い前歯が、マックイーンの脳天に突き刺さった。

「んあああああ?! 痛っったぁぁぁぁぁ!!!!」
42 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:07:57.94 ID:OS/CCdyu0
 突如、足の痛みを帳消しにしても余りあるほどの凄まじい痛みがマックイーンの頭天から足の先まで全身へと一気に駆け巡る。その瞬間マックイーンの思考は停止し、まるで痛みから逃げるように無我夢中で走った。無意識にかけていた自制のリミッターが、ネズミの噛みつきにより外されたのだ。

 普段のマックイーンからは想像もつかないほどの素っ頓狂な絶叫と共に見せた渾身のラストスパート。ダイワスカーレットとウオッカが驚愕したのは、何よりもその速さ。

 これが繋靭帯炎を発症した者の走りだと誰が信じるだろうか。そのキレ、力強さはまさしく在りし日のマックイーンそのもの。否、或いはそれ以上。あまりにも衝撃的な展開にやや混乱気味ではあるが、ただ一つ言える確かなことは徹底的にマークしていたはずのマックイーンが自分たちの包囲網を突破して遥か先へ独走しているという事実だった。

「な、何よあれ……。本当に怪我してるの?」

「つーか、前より速くなってるんじゃねーか?」

 喜ぶべきか悔しがるべきか。複雑な心境を抱えるダイワスカーレットとウオッカは勝者であるマックイーンの元へと駆け寄ろうとしたが、肝心のマックイーンは頭を摩りながら「どうかお構い無く! ホントに!」とだけ言い放ち、旧校舎のトイレに向かって一目散に走り去ってしまった。
43 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:08:56.61 ID:OS/CCdyu0
 チームメイトである二人との対決から二週間が経った。

 一人と一匹の二人三脚により、マックイーンの走りは全盛期のそれに戻りつつあった。足を踏み込む度に走っていた激痛はもう無い。すっかり慣れたコースを走りながらその時≠ェ近いことをマックイーンは悟っていた。

「よぉ、そろそろ時間だせ。たれ子」

「ええ、わかっていますわ。それといい加減たれ子はお辞めなさいったら」

マックイーンはネズミを頭に乗せ、迎えが来るトレセン学園の校門へと向かった。今日は左足の定期検診の日。じいやの運転する車に乗り、マックイーンは久しぶりに実家のメジロ家へと戻った。

 レントゲン撮影、触診。いつも通りの流れ。出来上がったばかりのX線写真を一瞥した主治医は、処置室にじいやとマックイーンを呼んだ。

「そのお姿を見た時にまさかとは思いましたが……」

 主治医はジャージ姿のマックイーンへ向き直り、続けた。

「やはり学園を辞めさせてでもご実家にて療養させるべきでした」
44 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:09:45.62 ID:OS/CCdyu0
 その一言に最も動揺したのは執事のじいや。当のマックイーンはと言うと、顔色一つ変えずにただ黙ったまま主治医を真っ直ぐに見ていた。その姿勢にマックイーンの覚悟を見た主治医は、ハッキリと告げた。

「この怪我の中、よくぞここまで仕上げられました。足の筋力、関節の柔軟さ、どれも以前の状態に限りなく近い。歩行の状態から見ても痛みももう感じていないご様子。しかしながらここまで酷使してしまった以上、もはや手遅れです。今後、車椅子での生活を覚悟しておいてください」

 マックイーンは自分の足の状態を何となくは察していた。あれだけの激痛が消えるほど過酷なトレーニングをしておいて完治などするはずがない。泥をかぶり、頭をかじられながら取り戻した走りは、所詮はかりそめ。限界を超えた先にあるエクストラターン。それこそ、今こうしている間にも儚く消えるかも知れない有限の中にあるものだとマックイーン自身も気付いていた。だからこそ時間が惜しい。一分一秒も無駄にはしたくはない。残された時間を使いたい相手を待たせているのだから。

「率直に聞きますわ。わたくしはあとどのくらいであれば全力で走れますの?」

 主治医は対面する少女の瞳の中に気高き王者の威厳を見た。まだあどけなさを感じるが紛れもなくメジロの名を継ぐ者。当主メジロアサマより脈々と伝わる逆境を覆す力≠ェ彼女の中にも確かに受け継がれているのだと確信した。取り乱しながら答えてはならないと叫ぶじいやの言葉を無視し、主治医はマックイーンに告げた。
45 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:10:38.93 ID:OS/CCdyu0
「怪我の具合から診ても3200mは間違いなく走れません。3000、いや2400。それがお嬢様に残された最後の距離です」

 余命2400m。それは奇しくもトウカイテイオーが最も得意とする距離。その言葉を聞いたマックイーンは、かつてライバルに送った言葉を思い出していた。

『メジロ家のウマ娘たるもの、完全な勝利無くして栄光は有り得ません。次はあなたの距離で叩き潰して差し上げますわ』

 じいやの反対を押し切り学園の寮へと戻ったマックイーンは、その日の夜にテイオー宛に果たし状を出した。
46 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:11:32.17 ID:OS/CCdyu0
 勝負の前日は雨が降っていた。

 窓を打ち揺らすほどの激しいものではなく、一定のリズムを刻むかのような静かな雨。

 明日の明け方には止み、早朝から快晴の予報が出てはいたがマックイーンの心中はあまり穏やかとは言えなかった。

 寮室の窓から見える景色は厚い灰色の雲に覆われている。普段は練習に勤しむウマ娘たちの声や足音で賑わっているが、今は雨音しか聞こえない。

 窓辺で物憂げな表情を浮かべるマックイーンは、彼女は今どうしているのだろうかと思いをめぐらせていた。せっかく淹れた紅茶には全く手をつけず、すっかり冷めてしまっている。マックイーンは服の右裾が引っ張られていることに気づき、視線をそちらへと向ける。
47 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:12:23.64 ID:OS/CCdyu0
「なにぼけーっとしてやがるんだよ。さっきからずっと呼んでるんだぜ? 明日は大事な勝負だっていうのに随分呑気じゃねーの。もしかして余裕の表れってやつか?」

 ネズミはそう言うと、マックイーンの腕を伝って頭の上へと一気に駆け上った。旧校舎でのトレーニング以来、すっかりそこがネズミの定位置になっていた。

「余裕だなんてとんでもない。果たし状を出してからずっと不安ですわ。いっそ、明日なんて永遠に来なければと心の何処かで願うほどに……。今までたくさんのプレッシャーを受けてきましたが、これほど走るのが怖いと思える日もありませんでしたわ」

 明日で全てが決する。勝敗も、未来も。例えそれが望まない結果であっても受け入れなければならない。明日は自分が最強のステイヤーとして残せる最期の蹄跡になるだろう。ならばこそ、絶対に悔いが残らない走りにしなければならない。そう思えば思うほど不安や焦りは否応にも積もるものだ。
48 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:13:29.34 ID:OS/CCdyu0
「ですが、やはりわたくしは彼女と競いたい。テイオーとの約束を果たしたい。おそらく、これが神様がわたくしに与えてくださった最後のチャンス。この機を逃したら、きっと死ぬよりも辛い後悔を抱えながら生きていくことになる。それに、わたくしは絶対に負けません。今日までわたくしを支えてくれた全ての人たちに報いるためにも彼女を倒して真の最強を示して潔くターフを去りますわ」

「へっ、そうかい。そこまでの覚悟が決まってンなら今更発破をかけるのはヤボってもんだな。その支えてくれた奴らのためにも絶対に勝つんだぜ」

「あら、その中にはあなたも入っていますのよ? ネズミさん」

「はぁ? な、なんで俺もなんだよ。つい最近転がり込んできたただの小汚ねぇネズミだぜ?」

「わたくし一人では今の自分には成れていなかった。そしてきっと、明日という日を迎えることは出来ていなかった。あなたが居てくださったからこそ、今のわたくしがあるんです。ですから、改めて言わせてください。ありがとう、ネズミさん」

「バッ……よせやい! 俺はただ、一緒にいりゃ何かを思い出せそうだったから付き合ってやってただけさ。礼なんて言われる筋合いはねーよ」

「まったく、素直じゃありませんわね」

 気恥ずかしそうに顔を赤らめたネズミは、マックイーンの頭から膝の上へと飛び降りた。
49 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:14:33.68 ID:OS/CCdyu0
「そんなことより、レースの対策とかちゃんと考えてんのか? 馬場の状態もこの雨じゃ明日はどうなるかわからねぇんだぞ」

「ええ、もちろんですわ。距離は2400m。この距離はテイオーが最も得意とする距離。そう、彼女が二冠目を獲った日本ダービーとほぼ同じ条件で……って、聞いてますの? ネズミさん ネズミさん?」

日本ダービー

 その言葉を聞いた瞬間、ネズミの小さな頭に鈍器で殴打されたかのような衝撃が走った。今まで解けなかったパズルのピースが次々と順調に組み上がっていくような感覚。ネズミの頭の中に様々な記憶が流れ込んできた。

「あ、あぁ、大丈夫……大丈夫だ……。ただ、ちょいと腹の具合が悪くてな。すまねぇがちょいと便所に行ってくるわ。長グソになるかもしれねぇから俺のことは気にせずレースのことに集中しててくれ。明日までにゃバッチリ治して応援に行くからよ」

「あっ、ちょっとネズミさん!?」

 ネズミはそう伝えると、マックイーンの部屋を飛び出して行った。
50 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:15:11.85 ID:OS/CCdyu0
 混乱している、というのが率直な感想だった。

 マックイーンの部屋から飛び出したネズミは、寮の外へと飛び出した。幸い、雨はすっかり上がっていたが地面は水溜りや泥濘みが多く、非常に走りにくい。だが、こうして走っていないと頭がパニックでどうにかなりそうな衝動に襲われていたのだ。無我夢中でひたすら走っていたネズミが止まれたのは、濡れた芝生に足をとられて前のめりに倒れてからだった。

「痛ってぇなチクショウ。どうしちまったんだよ俺は。どこに行っちまったんだよあいつらは。もやもやしやがるぜ。一番大事なことだけが思い出せねぇ」

 自分が何者で、どこにいたのか。ある程度の記憶は戻っている。しかし、直近の記憶のみが未だにスッポリと抜けてしまっていた。何故自分はここにいるのか。そして他の連中はどこにいるのか。思い出した記憶のカケラと短いながらもここで過ごしていた記憶が頭の中で乱雑に散らばっており、小さなネズミの頭では記憶の処理が追いついていないのか絶えずズキズキと痛みが続いていた。
51 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:16:00.05 ID:OS/CCdyu0
「とにかくここがどこか調べねぇことには始まらねぇ。場所さえわかれば、あとはいざとなりゃ長距離トラックの荷台にでも潜り込んで北海道へ向かえばいいだけだ。そうと決まればとっととこっからオサラバして……」

 泥を払って立ち上がったネズミは、改めて辺りを見渡して言葉を失った。何も考えずここまで走って自分が迷い込んだこの場所に、とても見慣れた光景が広がっていたからだ。

 緑の芝、それを挟むように白いラチがあり、距離を示すハロン棒、そしてゴール板。

「ははは、なんつーか、因果なモンだよなぁ。どこまで行っても。記憶なんて無くたって無意識に俺は此処を求めちまう。もう体がぶっ壊れちまっていても、こっから溢れてくる衝動はやっぱ抑えきれねぇよ。そう、例え……」

 自身の左胸に手を当てていたネズミは、ふっと笑ってその先を言葉にするのを止めた。本物のレース場を目にしたことでほぼ全てを思い出した以上、それを口にするのは野暮。鼓動を刻んでいない左胸から離した手に目をやると、今にも消えてしまいそうなほど透けていた。

「レースの神様ってやつぁ、あのお嬢ちゃんだけじゃなく俺にまで最後の機会を与えてくれたみてぇだな。まぁ、こうしてここに呼ばれたのも意味があるんだろうよ。今の俺にしてやれることは限られているが、せめて明日は思いっきり走らせてやりてぇ。となると、やるべきことはアレしかねぇわな」

 ネズミは踵を返して来た道を戻っていく。程なくしてネズミは一枚の雑巾を咥えて帰ってきた。
52 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:17:14.34 ID:OS/CCdyu0
「こいつをやるのは朝日杯以来だな」

 そう呟いたネズミは濡れたターフを自分の体以上の大きさもある雑巾で丁寧に拭きあげていく。何もしてやれない以上、せめていい馬場で悔いのないよう思い切り走らせてやりたい。ネズミが心からそう思えたのは、マックイーンで二人目だった。

 ネズミが雑巾掛けを始めてどれくらいの時間が経っただろうか。日の出までまだ時間はあるとはいえ、2400mもの距離を一匹のネズミの力だけで拭きあげていくのは無理がある。しかし、決してネズミは諦めようとはしなかった。疲労は既に限界を迎えている。水を含んで重くなった雑巾を持ち上げる力はもうない。雑巾の下敷きになりながらも、ネズミはターフの水気を拭き取ろうと懸命にもがく。そんな時、体を覆っていた雑巾が持ち上がった。
53 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:17:48.80 ID:OS/CCdyu0
「お、おめぇは……」

 雑巾を持ち上げたのは、以前マックイーンの元にやってきた帽子を被った芦毛のウマ娘だった。確か名をゴールドシップと言っていただろうか。

「ちょうどいいところに雑巾が落ちてるじゃんか〜。うっし、いっちょ気合い入れてやってやろうじゃねーか」

 ゴールドシップはそう言うと、雑巾をきつく絞ってネズミ同様に濡れたターフを拭いていく。相変わらず、マックイーン以外には自分の姿は見えていないようだった。

「ったく、俺様の雑巾を取るんじゃねぇよ。仕方ねぇ。もう一枚パクってくるか」

 新しい雑巾を取りに行くために再びターフを後にするネズミ。残って雑巾掛けをしていたゴールドシップは、小さく独り言を呟いた。

「ありがとな、あいつを支えてくれて」
54 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:18:36.41 ID:OS/CCdyu0
 暖かい風が吹いていた。

 昨日の雨とは打って変わり、眩いばかりの晴天。長い冬の終わりを告げるかのように、桜の花びらが静かに舞っている。

 真新しい制服に身を包んだ多くの新入生が、期待と不安を胸にトレセン学園の門を潜る。

 他の生徒たちよりも少し遅れて二人のウマ娘が走る。新たな季節の始まり。新たな時代の幕開け。

 そしてこれから行われるのは新たな時代の前日譚であり、旧世代のウマ娘たちがかつての約束を果たす物語。
55 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:19:13.14 ID:OS/CCdyu0
 トレセン学園内にある本物のレース場を模した練習コース。そこにあるビュースタンドは既に20万人を超える観客で埋め尽くされていた。
 
 全国の競馬関係者、ファン、そして入学式を終えた新入生を含めた学園の在校生一同。

 非正規のレースであり、あくまで非公式のもの。しかしながらその価値は三冠達成の瞬間を目撃する以上の価値がある≠ニ触れ込みが各社の競馬新聞により報じられた。

 現生徒会長のシンボリルドルフの働きかけもあり、今回の模擬レースを本番さながらのレース同様に観客を動員して大々的に行なう運びとなったのだ。

 始めは二人だけで誰にも知られず行われるはずだった。それがここまで大きな催し物となるまでに至ったのは、一人のウマ娘の暗躍があったからである。

「まぁ、暗躍もクソも、あたしがチクッたからなんだけどな」

 ルービックキューブを片手に得意げな表情を浮かべたままゴールドシップは胸を張ってチームメンバーの前でそう告げた。

「まったく、ちょっとは反省しなさいよね。あの後、トレーナーもメジロ家の人たちもてんやわんやだったんだから」

「結果的にマックイーンの練習に手を貸しちまった俺たちも言える義理は無いけどな。つーか、なんで泥だらけなんだよ?」

「ヤボなことは聞くなウオッカ。そんなことよりほら、始まるぞ」
56 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:21:01.62 ID:OS/CCdyu0
 ウオッカの質問には答えず、ゴールドシップはスターティングゲートを指差す。そこには、錚々たる顔ぶれがジャージ姿で並んでいた。

「前日の雨が嘘のような快晴。暖かな春の陽気の助けもあり良馬場との発表がありましたここトレセン学園には、世紀の対決を一目見ようと多くの観客、関係者が詰めかけております。今回のメインは何と言っても一枠一番トウカイテイオーと一枠二番メジロマックイーン。このチームスピカ二大スターウマ娘の対決ですね、細江さん」

「そうですね。宝塚記念では見られなかった中距離対決への注目も勿論ですが、今回有志で参加を表明してくれた他のウマ娘たちからも目が離せません。誰が勝ってもおかしくない、まさに世紀の一戦になることは間違いないでしょう」

「そうなんです。なんと今回の模擬レースには、総勢十四名のウマ娘が出走登録をしております。まずは二枠三番には同じくチームスピカよりスペシャルウィーク。更に二枠四番にはチームリギルよりエルコンドルパサー」

「今回の模擬レースは日本ダービーと同条件ですのでトウカイテイオー同様、ダービーウマ娘としての貫禄を存分に見せつけてくれるでしょう」
57 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:22:05.87 ID:OS/CCdyu0
「ダービーウマ娘と言えばこの娘も外せません。三枠五番にはトウカイテイオー同様に無敗で二冠を達成したミホノブルボン。そしてそのミホノブルボンとメジロマックイーンの悲願を阻んだ黒い刺客、ライスシャワーが三枠六番にて出走です」

「ミホノブルボンとトウカイテイオーの無敗二冠対決、そしてライスシャワーとメジロマックイーンのリベンジマッチにも注目したいですね」

「続いて四枠七番よりイクノディクタス、四枠八番からはマチカネタンホイザが参戦です」

「スピカに続いて頭角を現しているチームカノープスの二人。特にイクノディクタスは大阪杯での雪辱を晴らす絶好の機会ですからね。気合いも充分に入っていると思いますよ」

「えー、ここでお知らせ致します。同じくチームカノープスで六枠十四番にて出走を予定しておりましたツインターボですが、返しの時点で全力を出し切ってしまい既にスタミナ切れを起こしてしまったとのことで出走除外とのことです」

「トウカイテイオーとの対決を本人が誰よりも楽しみにしていただけに、非常に残念ですね」
58 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:23:19.00 ID:OS/CCdyu0
「さぁ、気を取り直しまして五枠九番、十番からは新世代、BNWよりウィニングチケットとビワハヤヒデが参戦」

「ウィニングチケットもダービーを獲ってますし、ビワハヤヒデも有馬でのリベンジに燃えていると思いますよ」

「六枠十一番、十二番からは芦毛の二大巨頭、怪物<Iグリキャップと白いイナズマ<^マモクロスが出走致します」

「トウカイテイオー、メジロマックイーン同様に鎬を削ってきたこの二人の対決にも目が離せません」

「最後はこの娘、七枠十三番よりメジロパーマーです」

「同枠での出走を予定していたツインターボの分も豪快でハイペースな大逃げに期待したいところですね」

「十三名の優駿たちが今、ゲートに入り体勢整いました」
59 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:24:07.19 ID:OS/CCdyu0
 スターティングゲートに入ったマックイーンは、隣で準備運動がてらに首を回しているウマ娘に話しかけた。こうして彼女と言葉を交わしたのはいつぶりだろう。色々話したいことを頭の中に用意していたつもりだったが、何を置いてもまずはこの言葉を先に伝えなければならない。

「お待たせしました」

 桜の花びらを運ぶ風が栗色の髪を撫でている。柵越しに青い瞳を真っ直ぐこちらへと向けたトウカイテイオーは、マックイーンを見つめ返して答えた。

「ううん、全然。やっと一緒に走れるんだね」

「ええ。芝2400。天気晴れ。馬場状態良」

「負けて泣いちゃっても知らないよ。ボク、最強のウマ娘だからね」

「望むところですわ」

 固唾を呑んで歴史的瞬間を見守る観客たち。歴史に蹄跡を刻むべく出走の合図を静かに待つウマ娘たち。まるで世界が静止したかのような静寂が辺りを包んでいた。

 そして今、ゲートが開くと同時に世界は動き出す。
60 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:25:16.86 ID:OS/CCdyu0
「「「うぉぉぉおおお!!!!」」」

 20万人もの大歓声でスタンドが揺れている。様々な想いや願いを胸に十三名のウマ娘たちがターフを駆ける。まず先頭に立ったのはマックイーン。それに並走する形でミホノブルボン、メジロパーマーの三名が三つ巴の先頭争い。その三馬身後ろをエルコンドルパサー、イクノディクタス、ビワハヤヒデ、ウィニングチケットが追走。そこから更に二馬身後ろをスペシャルウィーク、内側から離れてやや大外へと向かいましたトウカイテイオー、オグリキャップ、マチカネタンホイザ、タマモクロス、ライスシャワーの順位でレースは進んでいく。

(序盤は大外後方から様子見。そこから足首のバネを活かして一気に上がってくる。まさに定石通りのテイオー走法。ですが、わたくしは負けるわけにはいかないんです!)

 既に壊れている左足に力を込め、何のためらいもなくマックイーンは第一コーナーを抜けたところで一気に距離を離しにかかったのだ。
61 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:25:53.85 ID:OS/CCdyu0
「おーっと! なんとここでメジロマックイーンが仕掛けて行ったぞ! これは予想外! 異常と言えるくらい速すぎる展開ですがどう見られますか細江さん」

「冷静で聡明な彼女らしからぬ走り方ですね。序盤からこのペースでは後半のスタミナ切れも充分ありえますよ」

「さぁ、メジロマックイーンの大逃げに釣られて他のウマ娘たちも一気に上がってきた! 先頭は変わらずメジロマックイーン。二番手にメジロパーマー、その後ろ三番手にミホノブルボン、エルコンドルパサーとウィニングチケットがほぼ横並び。その一馬身後ろにオグリキャップ、スペシャルウィーク、ライスシャワー。更にその二馬身後ろにイクノディクタス、トウカイテイオー、ビワハヤヒデ、タマモクロス、最後尾にマチカネタンホイザという順番であります」

「ライスシャワーより後ろの娘たちは実に冷静ですね。この意外過ぎる急展開にも動じずにきちんと自分たちの走りに徹しています。こうなるとメジロマックイーンに釣られてペースを上げてしまった娘たちが掛かってしまうのも時間の問題かもしれませんね」
62 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:27:13.11 ID:OS/CCdyu0
 マックイーンの最も危惧する敵は後方にはいない。いるのは自身の左足。例えるならタイマーの見えない時限爆弾を抱えて走っているようなもの。爆発が避けられないなら、せめてゴール板を駆け抜けて盛大に散りたい。そんな願いがマックイーンの走りに反映されている。生き急いでいるように見えるのならば、それが真実。彼女の今抱えている境遇を誰もが知っているからこそ、痛々しくも懸命に走るその姿に心を打たれるのだ。大観衆の視線と声援を独占するマックイーンはペースを落とさず下り坂を進み、独走状態で第三コーナーへと差し掛かった時、そこからレースは大きく動くことになる。先頭を行くマックイーンにも観客席から轟いた大きな歓声とどよめきがそれを伝えていた。

「七番手、六番手、五番手、ここにきてスパートを掛けてきたのはやはりこの娘だトウカイテイオー! メジロマックイーン逃がすまじとグングンと距離を詰めている! 大外不利も何のその! トウカイテイオーがきているぞ! トウカイテイオーがきているぞ! まさに無重力状態だトウカイテイオー! 三度の骨折を経験したとは思えないほど鋭い走り! あっという間に二番手ミホノブルボンを抜き去り、今先頭のメジロマックイーンと並んだ!」
63 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:28:03.95 ID:OS/CCdyu0
「きましたわね、テイオー!」

「今日こそ勝たせてもらうよ、マックイーン!」

「望むところですわ!!」

 互いに並び、顔を見合わせ僅かに言葉を交わした後、二人は前を向いて更に速度を上げる。そのスピードに他のウマ娘はどんどん引き離されていく。

「どうしよう! 全然距離が縮まらないよハヤヒデ! このままじゃ入着すら出来ないよぉ! タイシンに怒られちゃう!」

「無駄口を叩くなチケット! 今一番問題なのは、我々の先頭を走っている二人が故障して再起不能とまで言われた旧世代のウマ娘ということだ!」

 目の前で起こっているありえない展開に、理詰めの走法を得意とするビワハヤヒデの額にもじんわりと焦りが滲む。有馬記念の時はあくまで仮説の域だったが、二度も見せつけられては認めざるを得ない。トウカイテイオーの持つポテンシャルは決して計算などでは測れないのだと。悔しさの中にどこか清々しさを感じていたビワハヤヒデの横を別の計算外≠ェ凄まじい速度で駆け抜けて行った。
64 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:28:48.88 ID:OS/CCdyu0
「幾度となく……。幾度となく挫折を味わいながらもその度に立ち上がってきた不屈のトウカイテイオー。同じく絶望の淵に立ちながらも鋼の強さで再びターフへと舞い戻ってきたメジロマックイーン。二人のウマ娘が今、最終コーナーに差し掛かった! もう言葉はいらないか!?」

「いや、まだだ!」

 実況の言葉を遮るかのようにマックイーンの耳元で聞こえた声。そこには、走るマックイーンの耳にしがみついたネズミがいた。

「ネ、ネズミさん!? いつからそこに?」

「んなこたぁどうでもいいんだよ! もう一人、すげー勢いで突っ込んでくる奴がいるぜ! もっとスピードを上げねーとこのままじゃすぐに追いつかれ……」

 後方で状況を伺っているネズミの声が止まった。マックイーンの問いかけにも答えず、ネズミはただ黙って後ろから追い上げてくるその小さな影を見つめていた。マックイーンは再度場内に湧き上がった歓声でその追走者の存在を知ることとなる。
65 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:29:31.74 ID:OS/CCdyu0
「これは奇跡か神懸かりか!? 猛烈な勢いで上がってくるウマ娘がいるぞ! タマモクロス! タマモクロスだ! 小柄な体躯を活かして内ラチ沿いから凄まじい追い込みを見せる! 最後尾から中団をまさかのゴボウ抜き! あっという間にメジロパーマー、ミホノブルボンすらも追い抜き、トウカイテイオーとメジロマックイーンに喰らい付かんばかりだ!」

 白くて、小さな体だった。
 泣き虫で、甘ったれだった。
 だけどそいつは、負けん気と根性は他のどの連中にも負けなかった。

 涙を流しながら猛追撃を仕掛ける芦毛の小さな姿。その姿こそが彼の記憶の最後のピース。ネズミは今、すべてを思い出した。


『一言くらいホメてくれたっていいでしょ
 よくやったって言ってよ
 厳しすぎるのね おやぶんは』
66 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:30:17.32 ID:OS/CCdyu0
(そうだ……俺はあの時、あいつに言ってやれなかったこと。それがずっと心残りだったんだ)

 たった一言。あの日、あいつに言ってやられなかった心からの賛辞。それだけが唯一の心残りであり、無念だった。それに気づいた時、ネズミの体が淡い光に包まれる。

 残り200m。
 残された時間は、あと僅か。
67 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:30:51.32 ID:OS/CCdyu0
「並んだ並んだ! 驚異の末脚で二強に並んだのはスピードでもスタミナのウマ娘でもない! 根性のウマ娘、タマモクロスであります!」

 最終直線でまさかの三者横並びのデッドヒート。熾烈な先頭争いを繰り広げる三人にはもう周囲の熱狂や歓声は届いていない。彼女たちの意識や視線は眼前のゴールにのみに向けられていた。

「まさかまさかの三つ巴! トウカイテイオーかメジロマックイーンかタマモクロスか! 夢のレースの終演はもうすぐだ!」

『なぁ、マックイーン。懸命に走ってるとこ悪いが聞いてくれ。いや、きっと俺の独り言なんざ、こうして耳元で喋ろうが聞こえちゃいねーだろうがよ。お前のおかげで全部思い出せたぜ、自分が何者なのかをな。もし覚えてたらで構わねぇから、最後に一つだけ頼まれてくれ。このレースが終わったら』

「横並びの大激戦! 今三人並んでゴールを駆け抜けた! ここで着順掲示板に写真の文字! クビかアタマかハナ差か! このレースを制したのは一体どの娘……な、なんとこれは!!?」
68 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:32:13.59 ID:OS/CCdyu0
 あれから一週間が経った。

 日本ダービーと同条件で行われた模擬レースはあくまで練習試合という名目で行われたものでありながら、ファンの間では歴史には残らないが、記憶に残る名勝負≠ニ囁かれている。

 とある総合病院の入院病棟。その中でも最も高額な個室の扉をトウカイテイオーは叩いた。

「はい、どうぞ」

 中から返事が返ってきたことを確認し、中へと入る。どうやら今日は一番乗りらしい。ここ数日は親族や学友、URAの関係者たちが多く彼女の元へと訪れていたため、こうして二人きりで会うのは随分久しぶりだった。
69 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:33:03.43 ID:OS/CCdyu0
「まぁ、テイオー」
 
 キングサイズの大きなベッドで横になっていたマックイーンはテイオーの姿を見ると、上体を起こして笑みを見せた。

「少し痩せたね。ちゃんと食べてる?」

「心配なさらずとも食欲は健在です。食事も三食デザート付きでパクパクですわ。まぁ、ほぼ寝たきりですから筋肉は確かに落ちたかもしれませんわね」

 憂いの表情を浮かべたマックイーンは、やや俯いて布団越しに自身の左足を摩る。

「今はしょうがないよ。それにお医者さんも言ってたじゃない。ゆっくりリハビリをやっていけばまた歩けるようにはなるって」

 慌ててフォローを入れるテイオーの必死ぶりがなんだか可笑しくて、思わず吹き出したマックイーンはテイオーの松葉杖を指差して答えた。

「同じ怪我人のあなたにだけは言われたくありませんわ」

「あ、あはは。だよね」
70 : ◆3OwI56KSYQ :2021/08/08(日) 00:33:50.69 ID:OS/CCdyu0
あの日、並んでゴールを駆け抜けた二人は揃って故障。怪我の程度は違えども、これまで限界を超えて酷使してきた二人の足はもう二度とレース復帰は出来ないと宣告されていた。実質、あのレースが二人にとって全力で臨めた最後の勝負だった。

「あーあ、勝ちたかったなぁ〜」

 松葉杖を立てかけ、マックイーンの横にある椅子へと座ったテイオーは天井を見上げながら大きく伸びをしながらそう呟いた。

「それはこちらも同じですわ」

 あの時、写真判定での二人の結果は同着。己の全てを賭して全力を出し切ったレースで絶対勝ちたかった相手との試合で互いに優劣を決めれなかったのだ。そしてもう二人に再戦の機会は訪れないという現実。しかし、意外にも二人はこの結果を受け入れていた。寧ろどこか誇らしく、心は充実感で満ちていた。
71 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:34:42.66 ID:OS/CCdyu0
「ねぇ、マックイーン」
 
「なんですの? テイオー」

「足が良くなったらさ、天気のいい日にお散歩行こうよ。どこか公園にでも行ってさ、噴水の周りを歩いてぐるっと一周するの。それで決着を付けるってのはどう?」

 目尻に涙を浮かべて微笑みながら、マックイーンは答えた。

「ええ、約束ですわ」

 いつになるかはわからない。
 
 でもいつか、そんな未来をもう一度共に歩んでみたい。例え走れないとしても二人並んで。これからもずっと一緒に、どこまでも。
72 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:35:35.35 ID:OS/CCdyu0
「あー、イチャついてるトコ悪いんやけどウチも入ってええかな?」

 突然の第三者の声に驚いて振り返るテイオーとマックイーン。そこにいたのは小柄な芦毛のウマ娘、タマモクロス。何やらまずいものを見たと言わんばかりに伏し目がちにそわそわしていた。

「い、いや、ちゃうで! ちゃんとノックはしたんや。でも返事なかったから……。別に邪魔するつもりはなくてやな」

「わかってますわ。それに、わたくしとテイオーはそんな疾しい関係じゃありませんから」
 
「まぁ、どっちでもええわ。それより、ほれ見舞いや。ついでにアンタにもな、テイオー」

 タマモクロスはそう言うと、抱えていた紙袋からリンゴを取り出すと二人へ一つずつ手渡した。残り一つを齧りながら、タマモクロスは続けた。
73 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:36:20.96 ID:OS/CCdyu0
「案外元気そうで安心したわ。それ食って早いとこ怪我を治して復帰しーや。あのレースでのウチとの決着もまだやねんから」

 あの日のレースが記憶に残る名勝負と言われる所以は、まさにそこにあった。

『なんとこれは!? 同着であります! 前代未聞の三人同時の一着判定だー!!』

 模擬レースなれど、日本ダービー三人同着という前人未到の大快挙を成し遂げたのだ。あの日のレース映像は各動画サイトにあげられており、一日で三百万以上の再生数を叩き出した。本来であれば二人きりでひっそりと行われる予定だったレースは今や伝説となり、この瞬間も全世界のレースファンたちの心に刻まれ続けている。
74 : ◆Nsqe9nXw7g :2021/08/08(日) 00:37:29.20 ID:OS/CCdyu0
「ほな、ウチはそろそろ帰るさかい。ターフで待っとるで。二人とも」

『もし覚えてたらで構わねぇから、最後に一つだけ頼まれてくれ』

 タマモクロスの背中を見た瞬間、マックイーンの脳裏にあの日の言葉が鮮明に蘇った。そうだ、伝えなければならないことがある。大事な約束はもう一つあったのだ。マックイーンは帰ろうとするタマモクロスを慌てて呼び止めた。

「ま、待ってください!」

「ん? なんや、まだリンゴ欲しいんか?」

「あなたに、大事な伝言を預かっていました」

『このレースが終わったらあいつに。お前の隣を走るあの芦毛のチビにこう伝えておいてくれ』

「よくやった、流石は俺様の自慢の子分だぜ≠セそうですわ」


おわり
75 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2021/08/08(日) 01:57:12.81 ID:Q+YhXWPk0
>>19
メール欄に saga と入れると
殺す
これこのように。次書くことがあるなら覚えとくとええで

いい話だったわ、ゴルシちゃんがいい味出してた
76 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2021/08/08(日) 02:38:38.63 ID:+X3veNpB0
とても良い話でした。描写のタッチも言葉運びも綺麗で、思わず魅入ってしまいました。
もし次作など書かれるご予定などありましたら、ぜひ拝見させていただきたく思います……!
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