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【ミリマス】馬場このみ『3月19日』
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1 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2021/03/19(金) 12:00:11.40 ID:wEzeH4cQ0
あの時君がくれたものは少しあったかくて、いつしか宝物になった。
けれど、新しい扉の向こうには、あの時照れくさそうに笑った君が居なかった。
君はあの時のことを覚えてるのかな。きっとこの想いは、ずっと胸の奥のまま。
初めて出会った今だから、もう一度。
──もう一度、恋をしよう。
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1616122809
2 :
◆Kg/mN/l4wC1M
:2021/03/19(金) 12:04:23.59 ID:wEzeH4cQ0
その日は、雨が降っていた。
俺は、携帯を握ったままで、もう片方の手で窓ガラスに触れた。
体の芯が凍えてしまうほどに、ただ、冷たかった。
左手の中にある携帯に目をやった。
何度見ても、そこには何も表示されていない。
ただ、真っ白なページだけが表示されていた。
そのせいか、画面上部のステータスバーの時刻表示が何度も目に飛び込んできた。
そこには12:00と表示されていた。
傍の机の上には、写真立てが置かれている。
写真の中の彼女、馬場このみと目が合って──俺は写真立てをそっと倒した。
出来る事ならば、これからも彼女の隣に居たかった。
彼女の選んだあの道の先を、彼女と歩いて行きたかった。
けれどもう、それは叶わない。
3 :
◆Kg/mN/l4wC1M
:2021/03/19(金) 12:05:23.30 ID:wEzeH4cQ0
ガラスの向こう側の世界は静かで、雨音に全部吸収されてしまったみたいだった。
雨水が地面を叩き、水が流れる音だけが耳に届いた。
だけど、自分の心は穏やかではいられなかった。
俺はもう一度だけ、祈るようにして携帯の画面を見た。
それでも、画面の表示は何も変わらない。
そこには、さもそれが当然であるかのように、ただ白い画面が表示されていた。
白という色を、これほど受け入れ難く感じたのは初めてだった。
この日は、何もする気になれなかった。
4 :
◆Kg/mN/l4wC1M
:2021/03/19(金) 12:05:58.88 ID:wEzeH4cQ0
◇
次の日の朝、ベッドから起きて、いつものように携帯を触った。
昨日のことがもし夢だったなら、どれほど良かっただろう。
あるアイコンが指に触れて、真っ白な画面が表示される。
その度に、心が沈んだ。
その気持ちから目を背けるように、俺は重たいスーツを着こんで、おもむろに家を出た。
前日と真逆で、空には雲一つなかった。
気温も、少し暑いくらいだった。
まるで自分が、淀みなく回っている世界から取り残されてしまったみたいだった。
否応なしに降ってくる日差しは、その眩しさの分だけ俺の心に陰を作った。
そう簡単に割り切れるわけがなかった。
別れが来ることなんて、ずっと前から決まっていたはずなのに。
彼女は最後のときまで笑っていた。
俺はきっと、彼女のように強くはいられない。
5 :
◆Kg/mN/l4wC1M
:2021/03/19(金) 12:06:40.11 ID:wEzeH4cQ0
残り香を探すように、気がつけば事務所に来ていた。
階段を上がって、すぐのところに入口の扉が見える。
よく見慣れた、何でもない扉だった。
ドアノブへと伸ばしたはずの俺の手が、それに触れる数センチ手前で止まった。
扉の先へ進むのが怖かった。
昨日の出来事が夢であったのなら。
何事もなかったかのように、彼女とこの場所で会えたのなら。
そんな都合の良いことばかり浮かんでは消えていく。
それにすがりそうになる自分が嫌だった。
結局俺は、扉の前でしばらく動くことができなかった。
意を決して、ドアノブをぐっと握って、扉を開けた。
事務所の中に入って辺りを見回すが、やはり彼女はいなかった。
心に穴が空いたみたいだった。
──そんなこと、初めから分かっていたはずだったのに。
それからずっと、机仕事に没頭した。
その方が何も考えずにいられた。
6 :
◆Kg/mN/l4wC1M
:2021/03/19(金) 12:07:14.01 ID:wEzeH4cQ0
二、三時間経ったくらいだろうか。
社長に急に呼び出された。
応接室で面接をしていたらしいのだが、なんでも急用が入りそちらに出向かなくてはならなくなったそうだった。
「それじゃあキミ、あとは頼んだよ」
社長はネクタイを締め直して、足早に駆けて行く。
俺は頭を掻いて、今一つ状況が飲み込めないまま件の応接室へ向かった。
応接室の前で立ちどまって、深呼吸をした。そして、右手でドアを何度か鳴らした。
「失礼します」
そう言って俺はドアを開けた。
7 :
◆Kg/mN/l4wC1M
:2021/03/19(金) 12:07:47.84 ID:wEzeH4cQ0
その先に見えたのは彼女──馬場このみだった。
自分の目を疑った。
そんな事ある訳がないって。
──だけど、見間違える筈なんてなかった。
その瞬間、頭の中にたくさんの記憶がよぎった。
彼女と出会って、宣材写真を始めて撮ったとき。
彼女が初めてソロ曲をステージで歌ったとき。
そして、彼女との最後の──海外の水上都市で、写真集の撮影をしたときの事も、鮮明に覚えている。
明るい茶色をした、ちょっとくせ毛がちな髪も。
落ち着いていて、相手を優しく見つめる瞳も。
小さくて小動物みたいなかわいらしさを湛えた姿も。
昔から、ずっと知っている。
8 :
◆Kg/mN/l4wC1M
:2021/03/19(金) 12:08:17.56 ID:wEzeH4cQ0
椅子に座ったままの彼女と目が合った。
今すぐにでも駆け寄りたかった。
だけど彼女は、俺がそうするより先にうやうやしく立ち上がって、言った。
「初めまして。馬場このみと申します。本日は、よろしくお願いいたします」
彼女は、まるで初対面みたいに深く頭を下げて、それからそっと微笑んだ。
──本当は分かっていた。
彼女とは、これが初めての出会いなんだ、って。
自分の祈りは祈りでしかなかった──ただ、それだけの事だ。
「──初めまして。こちらこそ、よろしくお願いします」
だからきっと。これでいいんだ。
9 :
◆Kg/mN/l4wC1M
:2021/03/19(金) 12:08:47.72 ID:wEzeH4cQ0
「それじゃ、まずは志望動機から──」
それから俺は、面接としてありがちな、なんでもない質問をいくつか投げかけた。
聞きたい事、話したい事は山ほどあったけれど、それは胸の奥にしまい込んだ。
形式ばった会話のなかで、彼女の素の立ち居振る舞いが何度も顔をのぞかせた。
目の前の彼女と話すたびに、それが自分の良く知っている彼女と同じだと、俺は何度も気づかされた。
10 :
◆Kg/mN/l4wC1M
:2021/03/19(金) 12:09:41.56 ID:wEzeH4cQ0
「でも、私をアイドル志望と思うだなんて……。悪い気はしないわね。ウフフッ♪」
彼女は、昔と変わらない笑顔だった。アイドル、馬場このみと。
「──馬場このみさん。もしよかったら……本当にアイドルとしてやってみませんか?」
俺は名刺を取り出して、彼女に両手で差し出した。
俺は思いを巡らせた。
彼女が、満場の喝采を浴びて、光溢れるステージに立つ──そんな瞬間を。
『貴方には笑顔でいてほしい』。
そんな身勝手で単純な願いだった。
初めて出会った今だから、もう一度。
──もう一度、恋をしよう。
11 :
◆Kg/mN/l4wC1M
:2021/03/19(金) 12:10:39.75 ID:wEzeH4cQ0
◆
部屋の中で単調な電子音が響いた。
頭が重い。ぼうっとする。
「…………ぅ……」
音は段々と大きくなっていく。
思考がまとまらない。
私は、動かない体を無理くりに引きずって、何とか布団から抜け出した。
むくりと起き上がって、ベッドの上でぺたんと座る。
瞼はまだ開かない。
頭が揺れる。
少しずつ、意識が戻っていく。
「っ……朝……」
単調な電子音は今も鳴りっぱなしだった。
半ば手探りでベッドの上の携帯電話を見つけて、電子音を止める。
濡れた目元を指で拭ってから、ベッドからのそりと立ち上がった。
出し抜けに鳴ったアラームの音で、私は──馬場このみは、夢から醒めた。
12 :
◆Kg/mN/l4wC1M
:2021/03/19(金) 12:11:10.80 ID:wEzeH4cQ0
◇
次の日の朝、私はクローゼットからスーツを出していた。
ごく最近まで着ていたはずなのに、私にはそれが新鮮に見えた。
胸がチクリと痛んだ。
黒色のスーツに身を包んで、私は家を出た。
昨日と違って、空は晴れ晴れとしていた。
日差しは夏のように鋭くて、思わず手で陰を作る。
その眩しさは、私が密かに持っていた淡い期待を、胸の一番奥へ追いやってしまうのには十分だった。
13 :
◆Kg/mN/l4wC1M
:2021/03/19(金) 12:11:38.20 ID:wEzeH4cQ0
面接で話す内容を頭の中で確認しているうちに、目的の建物に到着した。
階段を上がったすぐ先のところに、765プロダクションと書かれた扉がある。
扉の前に立って、心臓が速くなるのが分かった。
私の胸の内側は、緊張と不安と……それと祈るような気持ちがない混ぜになったみたいだった。
扉の横に据え付けられたチャイムのボタンに、指を近づけた。
だけど、それに触れる寸前で、伸ばしたはずの指が止まった。
息を吐いてから、私は腕時計を覗いた。
まだ予定の時間よりほんの少し早かった。
早く着きすぎても迷惑よね、と胸の中で小さく言い訳した。
そうして私は、決心が付かずにいる自分の心を押し隠した。
14 :
◆Kg/mN/l4wC1M
:2021/03/19(金) 12:12:50.99 ID:wEzeH4cQ0
それから少しして、私は時間に背中をせっつかされるような形で、チャイムを鳴らした。
「馬場このみさんですね。初めまして、事務員の音無小鳥と申します」
彼女は柔らかい物腰で、丁寧にそう言った。
そして、その隣には、眼鏡をかけた初老の男性──高木社長が立っていた。
胸の片隅にあった祈るような気持ちは、容易く霧散した。同時に、緊張で背筋が伸びた。
社長は一瞬だけ部屋の奥の方を気にする素振りを見せたが、私にはそれを気にかけるほどの余裕はなかった。
それからすぐに、私は応接室に案内された。
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