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【ミリマス】電話越しのシガレット
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1 :
伊丹
[age]:2020/11/21(土) 00:44:01.40 ID:F8D/mY4l0
「あっ莉緒!こっちこっち!」
待ち合わせの駅前で、探しビトは私を見つけるや否や、年甲斐もなく手をブンブン振って、ピョンピョン飛び跳ねてる。
昔からバタバタ騒がしい娘だったけど、全然変わらない。
だからあだ名は―――
「ちょっと、バタ子!あんまり大きな声で呼ばないでよ!一応私、芸能人!」
変装の為に付けたサングラスをくいっと上げて私はしかめ面を作る。
「あはは〜、そういやそうだったわね!
我が校が誇る"残念マドンナ"百瀬莉緒も、今や押しも押されぬアイドルであったなー」
白々しい。分かって言ってる!
でもすぐに笑顔が溢れてしまう。
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1605887041
2 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 00:44:58.77 ID:F8D/mY4l0
大学時代の友達、バタ子。
卒業してからちょくちょく連絡はしてたけど、こうして会うのは久しぶり。
「さ、バタ子殿のオススメのお店とやらはどこかしら。舌の肥えた芸能人である私のおメガネに適うかしら?」
「紳士が集う、絶品の和風グリルチキンがいただけるお店ですわ!
またの名を、おっさんのたまり場の焼き鳥屋とも言うけど!」
でも、まだ会って3分足らずなのに。
そんな冗談を言い合ううちに、会えなかった時間なんて一瞬で消えてなくなって。
すっかり、"あの頃の私達" になる。
「さ、行こ!」
バタ子が案内するために私の前へ躍り出る。
そのとき、彼女の振りまいた香りに、私は小さな違和感を覚えた。
3 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 00:45:52.61 ID:F8D/mY4l0
もくもくと煙が充満する店内。
バタ子と私は、カウンターで肩を並べてる。
目の前ではおじさんが忙しなく串をひっくり返してる。
店のあちこちでにぎやかな話し声と店員の威勢のいいオーダーを繰り返す声が、居心地の良い喧騒になって、私達の話を弾ませる。
「街なかでよく見るわ。
化粧品の広告だかの、デカデカ印刷されたアンタの顔。オシャンなおべべ来てさ。売れてんのねー」
バタ子は瓶ビールをグラスに注いで、それをグビッと煽る。
「まぁ、ね!
仕事をとってきてくれる人が……
プロデューサーくんが、デキる人だから」
ビールの注がれているグラスの縁を、人差し指でなぞりながら応える。
「ふーん…」
ジトッとした目線を私に向けて、ねぎまにかぶり付く。
4 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 00:46:40.23 ID:F8D/mY4l0
「バタ子はどうなのよ。仕事。雑誌の編集なんて、忙しそうじゃない」
「入って1年のぺーペーなんか、先輩編集の後ろについての研修………って体だけど、ようはパシリよ、パシリ!
元号変わったって奴隷制度はまだ残ってることを実感した一年よ!」
まくしたてるように話してから、
顔を伏せて腰掛けたイスの下で両足をバタバタさせる。
「むーー、先輩厳しくてさー。
妥協しないし、私の雑誌企画の穴、速攻見つけてさー。連日企画を差し戻されるのー!
後ろについてくだけでも大変なのに!」
でもすぐに足を止めて。
少し物思いに耽る顔をして。
「あー先輩のこと考えたら、もームリ。ちょっと外出てくるわ」
そう言って急に腰を上げる。
5 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 00:47:48.48 ID:F8D/mY4l0
「どこ行くのよ」
私の後ろを通り過ぎようとするバタ子。
「んー。ちょっと、外の空気…」
「タバコ、でしょ?」
私がそう口にすると、ピタッと足を止める。
「気づいてたの?」
「コロンで隠してるけど、分かるわ。
ここ喫煙OKのお店だし、ここで吸えば?」
「……匂いついても、知んないわよ」
「こんな焼き鳥屋に連れてきて、それ言う?」
上げた腰をドカッと下ろして。
言ったからには遠慮しないとばかりに迷わず箱を取り出して一本引き抜いて、口に咥えて、火をつける。
6 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 00:48:54.52 ID:F8D/mY4l0
深く煙を吸って。
そして、溜まった鬱憤を一緒に吐き出すように、勢いよく煙を吐き出す。
目はトロンとして。どこか恍惚とした表情。
そんな様子を見ていると、つい聞きたくなる。
「おいしい?タバコ」
人差し指と中指にタバコを挟んだまま、バタ子は応える。
「まずい。
先輩が吸ってる銘柄と一緒だし。仕事思い出すし」
チリチリと長くなる灰を、灰皿の縁に当てて落とす。
もう一度咥えて、今度はゆっくり味わうように煙を吐き出す。
「……でも、やめらんない!」
そうイタズラに笑う。
メイクで隠してるけど、目元の黒さは私には分かる。学生の時では見られなかった、疲れた顔。
7 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 00:49:58.09 ID:F8D/mY4l0
「ストレス、溜まるの?」
「あのね、莉緒。女がタバコ吸うキッカケは2つ。
ストレスか、男の影響。
私は、どっちだかわかるでしょ?」
私はジッとバタ子がタバコを咥える姿を見る。
「男だ」
「ぶっ!けほ!けほ!」
出すはずの煙を飲み込んで咳き込むバタ子。
「あら、図星?」
「ホント、アンタには昔から隠し事出来ないわね…。確かに、キッカケは会社の先輩が吸ってたから」
「ふーん?それだけ?」
チラと横目でバタ子を見やる。
8 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 00:51:34.27 ID:F8D/mY4l0
気まずそうに目を泳がせてから、ため息をついて話す。
「……あーもう、白状するわ。
その先輩、ちょっといいなって思ってる。
仕事めちゃ厳しいけど。
その分、イイ仕事したら素直に褒めてくれんの。
そしたらね、なんか無性に舞い上がっちゃう。やられちゃってんだろうな私」
ほら、ご満足?と、腹いせに私の皿からぼんじりを奪って、ガチッと串に食らいつく。
「やだ!オフィスラブってやつ!
トレンディードラマやってるわねぇ。応援するわよ♪」
私は皿に残ったレバーを口に運んで、結露だらけのグラスを煽る。
バタ子は灰皿にタバコを押し付けて、私を見据える。
「アンタはどうなのよ。いい人、いるの?」
アイドルには、恋愛はご法度。
百も承知で彼女は聞いてきてる。
そんな目だ。
「いい人……ね」
それを聞いて真っ先に思い出す、あの顔。
新曲を持ってくる時の嬉しそうに私の名前を呼ぶ、あの顔。
『莉緒!』って。
9 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 00:53:22.19 ID:F8D/mY4l0
なんだか顔が火照ってくる。
お酒、回ってきたかな?
バタ子は、そんな私をニヤニヤと見てくる。
「やーん!いるんだ!中学生みたいな反応♪
……ウブな莉緒ちゃん♪」
摘んだ焼き鳥の串を、私の方へ指してツンツンつつく。私はプイッと顔を逸らす。
「彼とは別に、そういうんじゃないから!ぷ、プラトニック?な、……オトナの関係よ!」
使い慣れない横文字を使って。
瓶からビールをグラスに注いで、一気に煽ってガン!とグラスを置く。
喉は冷えてるのに、顔は湯気が出そうなくらい、あつい。
10 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 00:54:00.79 ID:F8D/mY4l0
バタ子は頬杖をついて、聞いてくる。
「……じゃあ、アンタさ。
私がなんで、先輩と同じ銘柄のタバコ吸ってるか、分かる?」
「んー……おいしいから?」
プッ!と吹き出すバタ子。
「アンタさ、妙にカンの鋭い所あるくせに、そういうとこ、ほんと残念だわ…」
ってあはは!と笑う。
もう、なんなのよ!
「で、そのナゾナゾの答えは?」
「答えはね……言わない!アンタも女ならさ。私の気持ち、いつか分かるから」
ん、んー?
タバコを吸う……気持ちが?
11 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 00:54:54.09 ID:F8D/mY4l0
◆
「あ、莉緒……」
「あ、プロデューサーくん……」
劇場の掃除当番だった私は、ゴミ袋を出そうと裏口の扉を開けたとき。
階段に腰掛けてる、彼……プロデューサーくんと、バッタリ出くわす。
その口には、白くて、短い棒みたいなものが咥えられてる。
―――タバコだ。
彼は、バツの悪そうな顔をして、ソレをしまおうか逡巡していたようだけど。
結局、ソレを咥えたままモゴモゴ話す。
「ちょっほ、どくよ」
「う、うん」
ゴミ袋を捨てて、階段に戻ってくる。
プロデューサーくんは、同じところに座ったまま、
口から煙を、モクモク出してる。
12 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 00:58:03.07 ID:F8D/mY4l0
「ふぅー……莉緒。お疲れ」
タバコの煙を燻らせながら、そうポツリ。
「プロデューサーくん。タバコ、吸うんだ。はじめて知った」
見慣れない彼の姿に、私はそう、聞かざるを得ない。
「隠してたわけじゃ、なかったんだけどな。
ただ、あんまり見られたくなかったよ」
アイドルの営業活動とは、人との縁をいかに多く作るかだ。
芸能界の、とりわけクリエイターには喫煙者が多く、喫煙所に入れば、皆平等な"喫煙者"となる。
肩書や立場をいっとき忘れ、煙を燻らせながらリラックスし、談笑する。そんな場所。
普段は話せないような雲の上の人と話すことができる、いわば『恰好の営業場所』をほっておくわけにはいかず、
いつしかタバコを常備するようになったんだとか。
13 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 00:59:08.34 ID:F8D/mY4l0
「正直、俺自身あまり好きな方じゃないから、吸いたくはないんだけどな。
完全に仕事道具さ。ひと箱を何ヶ月も保たせてたんだが、吸わなさすぎてシケってきちゃって。
捨てるのももったいないし、たまにこうして吸ってるんだ」
そう言って、またタバコを咥えて、天を仰ぎ、口から煙を真上に吐き出す。
私に煙が掛からないようにしたんだろう。
「べつに、隠れて吸わなくてもいいじゃない?」
「莉緒みたいな大人なら、いいとは思うんだけどさ。ほら、年頃の娘たちも多いし。
タバコって、いい印象ないだろ。変なことで嫌われたくないんだ」
そんなことで彼を嫌いになる娘は誰もいないと思うけど。
短くなったタバコの煙を吐き出し終わったとき、上目遣いに彼は話す。
「……莉緒。
すまないが、このことは他の娘には……」
この顔を見るに、本当に気にしているんだろう。
14 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 00:59:36.60 ID:F8D/mY4l0
「いいわ。黙っててあげる」
「助かる!」
携帯灰皿にジュッとタバコを押し付ける。
「多分、可憐や桃子には感づかれてるかな。
でも、吸ってるところを初めて見られたのが、莉緒で良かった」
「初めて。そう、なんだ」
ふたりだけの、秘密。
このみねぇさんや、風花ちゃん、歌織ちゃんも、知らないコト。
彼が戻ろう、と裏口から劇場に入るとき。
彼の背中から漂う匂いを嗅ぐ。
彼の吸うタバコの銘柄特有の匂いだろうか。
煙臭さの中の、ちょっと甘い香り。
私は不思議と、気分が高翌揚していた。
15 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:00:16.44 ID:F8D/mY4l0
◆
ある日。
劇場でダンスレッスンを終えてから、交通費の申請書類の記載に不備があったらしく、765プロの事務所へ寄る。
すぐに修正が終わって、事務員の青羽美咲ちゃんと世間話してると、ケータイが鳴る。
「あら?プロデューサーくんからだ」
明日のボーカルレッスンの時間が遅れるって事務連絡。私はすぐに了解のメッセージ返信する。
「プロデューサーくん、今日はどこにいるのかしら」
そうポツリと呟くと、美咲ちゃんが笑って、天井を指差す。
「プロデューサーさんなら……」
16 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:01:02.83 ID:F8D/mY4l0
◇
事務所屋上の重たい扉を開ける。
屋上の端の丸椅子に腰掛けて、タバコに火をつけようとしてる男性ひとり。
来るはずのない来客に、ポカンと口を開けて驚いている。
差し入れの缶コーヒーを差し出しながら、声をかける。
「メッセージ、見たわよプロデューサーくん♪」
「お、おう。ありがとう。
来てたのか。ここ、青羽さんに聞いたのか?」
「ええ。またタバコ?」
頻繁に吸っていると思われているのが心外なのか、ムッとする。
「またとは失礼だな。
前、誰かさんに見つかったから、場所を変えただけさ」
彼はライターを掲げて、『いいか?』と無言で聞いてくる。
私は頷いて、一歩離れて距離をとる。
17 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:01:42.37 ID:F8D/mY4l0
口に咥えたタバコに火を付けて、深く吸ったあと、口からゆっくりと吐き出す。
今回も、私に煙が掛からないように、上を向いて。
「ねぇ、おいしい?」
バタ子に聞いたときのように、尋ねる。
彼も、人差し指と中指にタバコを挟んだまま応える。
「まずいよ。
俺にとっては仕事道具だし。
吸ってると、やっぱり仕事のこと考えちゃうよ。息抜きになりゃしない」
そう言いながらまた白い棒を口に運ぶ。
タバコを吸ってる間は、目をトロンと細めて、どこか遠くを見ているよう。
携帯灰皿に灰を落とすとき、ジッと見てる私に気づいて、声をかける。
「悪い。くさいよな。すぐ終わらせるよ」
「う、ううん。別に!」
いつもと違う彼の表情に、ドキッとする。
煙臭さの中に、特有の甘い香りが私の鼻腔をくすぐる。
18 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:02:24.60 ID:F8D/mY4l0
前、バタ子に言われたことを思い出して、聞いてみる。
「プロデューサーくんが初めてタバコ吸ったの、いつ?」
「……ハタチニナッテカラダヨーホントダヨー」
ふざけてわざとカタコトで話す。
「うん。で、ホントは?」
私の有無を言わせぬ問いに、
観念したようにクスリと笑って話す。
「15だったかな。クラスメイトと河原でコソコソ吸ったのがはじめかな」
「ワルねー」
呆れたように私が言うと、彼は笑う。
「ははは!まぁノリと勢いさ。男子中学生なんてそんなもんだ。
でも、吸い方がわからなくてな。
煙を思い切り飲み込んで、ものの見事にむせたよ。んで、今になるまで、それっきり!」
煙を吐いて、目を細めて愉快そうに話す。
19 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:02:53.75 ID:F8D/mY4l0
バタ子が言っていたキッカケとは、違うのね。
私はバタ子が語った、女のタバコを吸うキッカケを彼に話す。
「ははは!なるほど。ストレスか、男の影響か!なかなか面白い娘だな」
煙を吐きながら、ケタケタと笑う。
「で、そのあとのナゾナゾ、わかる?」
彼にも聞いてみる、バタ子のナゾナゾ。
「憧れの人と同じ銘柄のタバコを吸う理由、か。
単純じゃないか?同じものに揃えることで、その人に近づきたいって意志の現れだろ。
なんともいじらしいじゃないか」
うーん、そうかしら。
あの娘のことだから、もうちょっとなにかありそうな気がするのだけれど。
20 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:03:33.20 ID:F8D/mY4l0
「さ、もう日が暮れる。戻ろう」
彼はそう言って、丸イスから立ち上がる。
もうしけっててだめだな、と呟いて、クシャっとタバコの箱を握り潰す。
私は、すかさず声をかける。
「あ!それ、捨てるんでしょ?空き缶と一緒に捨てておくわ。ちょうだい?」
「お、いいのか?なんか悪いな」
彼は私に手の中のモノを手渡して、扉まで歩いていく。
彼の後を追いながら、受け取った手の中のそれを、少し弄ぶ。
「へー、この銘柄、か」
21 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:08:12.65 ID:F8D/mY4l0
◆
今日は清涼飲料水のCMの仕事。
PV撮影は先日終えていたので、CMソングの収録だった。
ひと仕事終えて、今は765プロの社用車での帰路。車内のBGMは、さっき撮ったばかりの私の歌のデモCD。
彼は運転しながら、助手席の私に嬉しそうに話す。
「……うん。莉緒の歌声に合ってる。
監督に挨拶にいったら、また仕事したいって絶賛だったぞ!」
「ふふっ、CMの完成が楽しみね!
全国のいたいけな青少年が溢れ出るセクシー悩殺されないか心配だわー♪」
そんな会話をするうちに、ふと思い出す。
22 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:09:09.47 ID:F8D/mY4l0
「ねぇねぇプロデューサーくん。今日、私見てたんだから♪『挨拶まわり』ってやつ!」
彼は現場でたびたび、『挨拶に行ってくる』と言って姿を消すことがあったけれど、
今はその『挨拶』は喫煙所に行っていたのだと分かった。
彼はああ、と声を上げる。
「収録の合間、監督が喫煙所に行ったのを見たからな。そういうの、結構目ざとく見てるんだ」
ニヤリ、と笑う彼。
「なんか、監督とすごく楽しそうに話してたわね。何の話してたの?」
ひっそりと後をつけて、喫煙室で監督とバカ笑いする彼を見た。
普段、見れない彼の顔。
気になる。
「他愛もない話だよ。男同士の喫煙室での会話なんて、女子が聞いたって楽しくもなんともないさ、きっと」
そういうものかしら?
学校で男子が隠れてしてた、エッチな話と似てるのかしら?
23 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:10:13.76 ID:F8D/mY4l0
私はスンスン、と車内の匂いを嗅ぐ。
「匂い」
「え?」
「タバコの匂い。今日は、しないんだ」
「……消臭スプレーとミントタブレットは常備してる」
彼の喫煙者としての気遣いは、きっと100点満点なんだろう。でも、私としてはーーー
「ねぇ、今はタバコ吸わないの?」
「吸わない。クルマ、匂いつくし」
「ふーん、そっか」
ちょっと残念。とポツリつぶやく。
24 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:11:30.78 ID:F8D/mY4l0
渋滞で一向に進まないクルマに、
彼は握っているハンドルを人差し指でトントンと叩きながら話す。
「おいおい莉緒。
まさか煙草に興味あるんじゃなかろうな?
アイドルが喫煙なんて、ウチのイメージ的に、絶対NGだぞ!」
「分かってるわよ。自分の立場くらい、ね」
アイドルと、喫煙。
決して相容れることのない2つのワード。
とりわけ清純性を求められるこの業界で、アイドルの喫煙なんて週刊誌に抜かれたら、
ウチのような小さな事務所ではただごとでは済まなくなる。
25 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:12:38.22 ID:F8D/mY4l0
彼は続ける。
「莉緒。今回はいいけど、あんまり喫煙室に近づくんじゃないぞ?副流煙なんか吸ってみろ。喉に影響が出るかもしれないんだからな」
「大丈夫よ。遠くで見てただけなんだから」
「これから、センター公演が控えてて、喉を大切にしないといけないんだから……」
「……え?」
ーーー今、センターって言った?
私は、彼の顔をじっとみつめる。
彼は言ってから、
やべ、と口に手を当てる。
しばし、静寂。
夕方の幹線道は一向に進まない渋滞にハマってしまっていて。
車内には、低く唸るエンジン音と、エアコンのヌルい風を感じる。
26 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:14:03.43 ID:F8D/mY4l0
「……ねぇ、プロデューサーくぅん?」
「は、はい」
「誰の、センター公演だって?
もう一度、君の口から教えくれるかな?ねぇねぇ〜!」
目が泳いでいる彼のスーツの裾をクイクイ、と引っ張る。
「ま、まだ企画段階だから!ちゃんと企画が通ったら伝えようと思ってたんだよ!」
思わぬ失言に冷汗をかきながらそう弁明する彼。
「ふーーん。そっか、そうなんだ♪
私の、センター公演、考えくれてたんだぁ」
段々と実感が湧いてきて、
気分は高まって、ニヤニヤが抑えきれなくなってしまう!
「聞いちゃったからには絶対、企画通してね!
期待してるわよ、敏腕プロデューサーくん♪」
そう言って、わたしは彼の脇腹をつんつん突っついてやる。
彼は、観念したように、分かったよ!と苦笑いを返してくれる。
クルマは、遅々として進む様子はなさそうだ。
27 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:17:20.61 ID:F8D/mY4l0
◆
「百瀬莉緒、センター公演決定を祝って!」
「かんぱーーーい!」
なみなみとビールが注がれたグラスを、チン、と鳴らす。
私のセンター公演の企画が正式に通ったと彼から報告があった、今日。
その記念に、前バタ子と飲み会した焼き鳥屋に、彼を連れてきたのだった。
このみねぇさんや風花ちゃんも誘ったんだけど、今日は各々用事があるみたいで、パスされちゃった。
ちょっと残念だけど、私は黄色いシュワシュワで喉を潤す。
「はーー!美味しい!やっぱり、これよね!」
「あんまり飛ばしすぎるなよ!センターなんだし」
「センターだから、トバすのよ!
セクシーに!アダルティーに、ね♪
ライブも仕事も、イケイケどんどんよー!」
調子に乗って、そんなことを口走っちゃう私。
「はは!頼もしいな。うん。莉緒のステージ、俺も楽しみにしてるぞ!」
28 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:18:20.99 ID:F8D/mY4l0
しばらく飲んでから、私は彼に尋ねる。
「ねぇ、プロデューサーくん。
私のセンター公演だけど、チケット用意できないかしら?」
「お?別に構わないけど」
私がチケットを頼むなんて、かなり珍しいこと。
彼の目が、少し詮索するように私を見る。
「ほら、前話した、バタ子。あの子にセンター公演の件を話したら行きたい!って」
彼は、ああ、と思い出す。
「あれから先輩とはどうなんだ。なにか聞いてるか?」
彼も人の恋愛話が気になるのか、少し食い気味に聞いてくる。
29 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:20:02.24 ID:F8D/mY4l0
「それがね。2枚欲しいんだって。本人と、例の先輩の分!
私のセンター公演を、都合よくデートに使うんだって!ほんと小賢しいったらないわー!」
私はビールを飲みながら、テンション高く彼に話す。
「ははは!そりゃいい!でも、嬉しそうだな?」
「そりゃ、ね!上手くいってほしいもの。いい娘だし」
そう言ってから、私は豚串を味わう。
彼はグラスにビールを注ぎながら、力強く話す。
「なら、ますますいい公演にしないとな!」
「うん。私、がんばるわ。
明日だって私はオフだけど、このみねぇさんや歌織ちゃんにお願いしてボーカルレッスンお願いしたし!」
「気合を入れるのはいいが、本来はオフなんだし、無理はしないようにな?」
私は返事の代わりに、自分のグラスを彼のグラスにカツン、と当てる。
お互い、そのグラスを煽ってグビグビと飲み干す。
私は、ぷはー!なんてオヤジ臭く声を上げる。
30 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:20:57.47 ID:F8D/mY4l0
彼はというと、何やらモゾモゾしている。
「なぁ莉緒。ここ、喫煙OKらしいな」
「そうね。あちこちから煙、上がってるわね」
ああ。と言ってカバンから小さな箱のようなものを取り出す。
「……タバコ、吸っていいか?」
「どしたの?珍しい!」
「いや、その莉緒の友達のことを聞いてたら、無性に一本吸いたくなってな。こんなこと、自分でも珍しいと思う」
そういうこと。
少し恥ずかしそうにもじもじしてるあたり、ホントに珍しいことなんだろう。
31 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:21:44.37 ID:F8D/mY4l0
「……許可する!
私の公演にむけての開戦の狼煙をあげなさい!」
ピシッと豚串の先端を彼へ向けて突き立てる。
彼も、ん!と頷いて、口に咥え火を付ける。
私達の席の真上にある換気扇に向けて勢いよく、煙を吐き出す。
煙は換気扇へ吸い込まれ、外へ吐き出されていく。
「あはは!たーまやー!」
お酒が入ったからなのか、バカみたいなことでふたりで大笑いしてしまう!
32 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:23:01.59 ID:F8D/mY4l0
そんなとき、机においた彼のケータイから、着信音が鳴る。
「あ、悪い莉緒。ちょっと出てくる。すぐ戻るから」
そう言って、彼は吸いかけのタバコを灰皿の縁に置いて、外へ行ってしまう。
「ちぇー、せっかく楽しい気分だったのにぃ。水、さされちゃたなぁ」
そうひとりつぶやいて、チビ、とビールを飲む。
ふと灰皿を見ると、吸いかけの彼のタバコから、薄く煙が立ちのぼっている。
33 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:23:57.12 ID:F8D/mY4l0
さっきまで、彼が持っていたもの。
口に含んでいたもの。
まじまじと見つめる。
チリチリと灰が長くなっていって。
ある程度の長さになると、ポテ、と落ちる。
ああ、このまま短くなっていくんだ。
無くなっていくんだ。
そんなことをぼんやりと考えながら、
私は、恐る恐る、それをつまみ上げる。
今まで、彼越しに嗅いでいた匂いの元が、
今、目の前にある。
34 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:24:49.70 ID:F8D/mY4l0
煙臭くて。
でもほんのり、甘い香り。
最近、気になる香り。
手にとるだけ、間近で見るだけ、と決めていたのに。
まるでそうすることが、ごくごく自然なことのように。
それを、
少しずつ、
少しずつ、
唇に近づけてしまう。
10センチだけ、5センチだけ、あと少しだけ。
もう少しで、唇に触れる――――
35 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:25:19.51 ID:F8D/mY4l0
そのとき。
私の手が、誰かに掴まれる。
我に返って見上げると、電話を終えて戻ってきた、彼だった。
その目は、さっきまでの楽しい雰囲気とは違って、
明らかに、怒気を孕んでいた。
私が持っていたソレを奪うようにして、灰皿を壊す勢いで、強く押しつぶす。
彼は鼻息荒く私に言い放つ。
「帰るぞ、莉緒」
36 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:25:55.56 ID:F8D/mY4l0
◇
「ねぇ、まって!プロデューサーくん!」
店の会計を済ませると、彼はカツカツと早足で歩く。そんな彼に私は必死で着いていく。
私が声をかけても、聞いてくれない。
こんなこと、初めて。
お店から少し離れた駅前の公園で、ようやく彼は足を止める。
私の息が整うのを待たず、彼が振り向いて話す。
「莉緒。なんでタバコなんて、吸おうとした?」
「なんでって。分かんない!」
息も上がって、動悸、止まらなくて。
全部が急すぎて、頭は真っ白で。
本当に、わからない。
37 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:26:38.94 ID:F8D/mY4l0
「分からないわけあるか!
大事な公演が決まって、莉緒の喉にもしものことがあったらどうするんだ」
「……ごめんなさい。でも、本当に、分からないの」
こうべを垂れて、頭を左右に降る。
本当に、わからないから。
今は、そう弁明するしかない。
「……確認するけど、吸ってないんだな?」
私は、俯きながら、コクリと頷く。
彼は少し溜飲が下がったように、深く息を吐いて。
一言。
「今日はもう、帰ろう」
38 :
伊丹
[sage]:2020/11/21(土) 01:27:46.13 ID:F8D/mY4l0
◆
あれから、彼は駅まで送ってくれた。
別れ際、二言、三言話して彼とは、別れた。
会話の内容を覚えていないくらい、疲れていた。
何も考えられなくて。
家に帰って、シャワーも浴びないで、メイクもろくに落とさないで、泥のように眠った。
今は、自宅でひとりでいる。
結局私は、自主練をお休みすることにした。
朝起きて鏡を見て、こんな顔で外に出るなんて、とても出来なかったから。
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