ロード・エルメロイU世の事件簿 case.封印種子テスカトリポカ

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/09/21(月) 20:18:45.96 ID:amUbMXcr0
事件簿二次創作。最終巻までのネタバレあり

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1600687125
2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/09/21(月) 20:21:06.47 ID:amUbMXcr0
「……大丈夫ですか、師匠」

「も、問題ない」

 どこかからどう見ても問題の"ある"様子で、自分の師匠であるロード・エルメロイU世は応えた。どう問題かというと、控えめに言って今すぐ死んでも「ああ、やっぱり」と納得してしまいそうなくらい生気がない。

 だが、それも仕方ないことと思われた。師匠の体力の無さは今更だが、加えて環境がすこぶる悪い。簡易的な"強化"を施している自分とて、この場における疲労感は誤魔化しきれるものではなかった。

 周囲は見渡す限りの植物に覆われている。そのおかげで直射日光にさらされることはなかったが、それでも気温は30度を超えるだろう。何より湿度は最悪のひとことで、むわっとした熱気とそれに付随する濃い密林の匂いは常に鼻腔を苛んでいた。

 野放図に伸びた木々とその枝は、太陽光線から我々を守ってくれる傘というよりは、ここに閉じ込める為の檻といった印象の方が強い。周囲に渦巻く濃密過ぎるマナもその要因ではあるだろう。

 一般的に知られるこの地の密林とは、気候も植生も異なっているらしい。強大な地脈の影響だという。

 事前に貰っていたライネスの忠告通り、自分はそれらしい格好に着替えていた。吸水性・揮発性に特化した肌着の上に、通気性に優れたウェア。さすがにこの環境でフードは被れない為、フラットの幻術で顔を変えて貰っていた。今回はいま首にかけているペンダントを基点にしたそうで、着脱するだけでオンオフが切り替えられるよう改良されている。起動してから十日ほどはもつそうだ。

 もっとも、同行を強く願い出たフラット――最後は自分の旅行鞄の内部空間を魔術で拡張してそこに隠れようとした――を師匠がアイアンクローで黙らせることになってしまった為、このペンダントが胸の上で弾むたび、罪悪感で心の底の方がチクチクと痛んだ。ちなみに師匠に見て貰ったところ、この礼装を量産できればエルメロイの借金が1割くらい減るらしい。フラットの魔術の特性上、複製など夢のまた夢ではあるが。

 とまれ密林を歩くなら、服装には気を使わなくてはならない。選択肢は概ね二つ。高温多湿の環境に耐える為半袖半ズボンにするか、虫食い対策にある程度快適さを捨てて薄手の長袖を着るか。自分は露出への気恥ずかしさから後者を選んだ。当初はフードが無いことに頼りなさすら覚えていたが、緑の檻に包まれてから10分でそんな些細な心配事をする余裕は消えうせている。

 一方師匠はというと、変わっているのは髪を後ろで大雑把に束ねているくらいで、一見いつも通りのスーツ姿に見えた。が、実際のところはいくつかの耐環境魔術が組み込まれている、今回の為に用意した簡易礼装であるらしい。とはいえ、性能的には自分が着込んでいるウェアと大差はなく、それなのに値段を比べると大分高額だ。

 腐ってもロードである以上、最低限の威厳を示すために必要だ、とは師匠の言である。致命的にスポーツウェアが似合わず、試着した姿をライネスに大笑いされたことは関係ないらしい。

 どちらにせよ、文明の利器も魔術も大いなる自然の前には敵わないという点では一緒だった。険しさは剥離城アドラの時の山道とは比べ物にならない。とめどなく流れる汗が頬を伝い顎から滴る感触は最初こそ不快なだけだったが、いまはそれを通り越して純粋に危機感のようなものを募らせている。何の危機感かと問われれば、着実に脱水症状へ近づいていることに対する危機感と言う他ないが。
3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/09/21(月) 20:21:48.12 ID:amUbMXcr0

「うむ、シンデレラよ。死ぬ前にこの水を飲むと良いガオ」

「……あ、ありがとうございます」

 横合いから妙な訛りのある英語と共に差し出された、竹製の水筒を受け取る。

 差し出してきたのは、一言でいえば怪人だった。年齢は20半ばの女性で、顔立ち自体は整っているといっても良いだろう。

 だがその恰好は滅茶苦茶だった。妙にゆったりとした民族衣装のようなもの――化野菱理の身に着けている振袖に似ていたが、華美さは全くない――に身を包み、どうやら水筒と同じく竹で出来ているらしい棒のようなものを手にしている。竹を割って作った4枚の板を組み合わせ、それを皮や弦で固定した武器のようだ。柄尻でジャガーを象ったストラップが揺れていた。彼女はこれをバン・ブレードと呼んでいる。恐るべきことに、メキシコ空港からずっとこの恰好だった。

 ティグレ・ヤガーと名乗ったその女性は、師匠が魔術協会の支部伝に雇った現地のガイドらしい。だが褐色がかった肌色はともかく、顔立ちはここに来るまでに見た現地人のものとは違うように見えた。それこそ、自分の知っている中では菱理や蒼崎橙子に近いように思える。あくまで顔立ちは、という話で、人物としての印象はむしろ真逆だったが。

 もっとも、いまはそんなこと気にもならない。水筒の栓を抜き、水をあおる。自分で持って来た分の水は腰のホルダーに括りつけていたが、取り出す手間すら惜しい。こくり、と染み込ませるように少量を含むと、その清涼感に全身が打ち震えた。

「……す、すまないが私にも貰えないか」

 震える手をこちらに伸ばしながら、師匠。砂漠を数日間も彷徨った遭難者のような悲愴さを漂わせている。目線で水筒の持ち主に許可を求めると、どうぞどうぞと身振りで示してきたので手渡す。師匠はお礼もそこそこに、ぐびぐびと中身を喉の奥に流し込み始めた。

「イッヒヒヒヒヒ! 間接キスならお前が後の方が良かったんじゃないかグレいてっ!」

 背負ったザックのサイドから声。そこで揺れている、布で包んだアッドを肘で一度打つ。密林を歩くのに両腕は自由になっていた方が良いとの判断からこうなったわけだが、お仕置きに振り回される危険性が減ったことを悟ったアッドのおしゃべりは常に比べて酷くなっていた。肘打ちはこの密林に入ってからしばらくして見出した、現状自分ができる精一杯の反撃である。

 だがそれもそろそろ打ち止めだ。アッドの軽口を容認するのと、肘打ちに要する体力を天秤にかけ始めている自分がいる。この場所では、無駄な体力を使う余裕は本当にないのだとそろそろ実感していた。

 中米はユカタン半島の熱帯雨林。いわゆるジャングルの真只中に、自分たちはいるのだ。
4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/09/21(月) 20:22:27.23 ID:amUbMXcr0
          *

 切っ掛けは二週間ほど前に遡る。あの激動の冠位決議の後、スラーの再建が終わり、ようやくかつての日常が戻ってきた頃だった。

 いつものようにアパートに呼び出され、師匠が借りている部屋のドアの前で立ち止まる。髪を整える為だ。身だしなみではない。金色に変色した一房が誰の視界にも映らないように、フードの下へ掻きあげるようにして押し込む。

 事件の後、自分の身体に残った変貌の証。実をいうと、こっそり染めたり切ったりと色々試しては見たのだが、翌日には必ず元の色・長さに戻ってしまう為、どうしようも無かった。

 溜息をひとつ零してから、扉を開く。中からはすでに師匠と、もうひとつ、聞き覚えのある声が響いていた。どうやらライネスが来ているらしい。

 自分を呼んだ上でのことだから、聞かれて困る会話でもないだろう。そう判断して声のもとに向かうと、具体的な内容も耳に届き始める。

 そこで気づく。今日の師匠とライネスの会話はいつもと立場が入れ替わっていた。ライネスが押し付ける無茶振りに師匠が苦言を呈することが多いのだが、今日は逆のようだ。

「……しかしね、我が兄よ」

 奥から響いてくるライネス・エルメロイ・アーチゾルテの声が、具体性を保ったまま、後ろ手に部屋の扉を閉めるこちらへ到達した。

「いささか以上に、性急すぎる選択だと思うがね」

「……座して待っていて好転する状況でもあるまい」

 これまたいつも通りの不機嫌そうな表情と声音で、師匠が応じるのが聞こえる。歩みを進め部屋の中を覗き込むと、二人が挟んで向かい合っているテーブルの上には、何枚かの資料らしき書類と大きな地図の様なものが置かれていた。拡大されている為、当時の自分にはそれがどこの地図か分からなかったが。

 自分で淹れたのであろう紅茶を不味そうに啜りながら、師匠が続ける。

「私の個人的事情を抜きにしても、だ。これほどまでの"利権を得る権利"が、弱体化したエルメロイ派のもとまで転がり込んでくることなど、そうはないだろう」

「否定はしないよ。しかし逆に言えば、それほどまでの異常事態だということだ。火中の栗に手を突っ込む馬鹿はいない――ここに例外が生まれようとしているわけだが」

 ライネスの皮肉っぽい言葉に、師匠はふんと不満そうに鼻を鳴らした。会話が停滞するのを見計らって、その間隙に滑り込む。

「あの……グレイです。遅くなりました」

「やあ、グレイ」

 声を掛けると、ライネスがこちらに向かってひらひらと手を振って迎えてくれた。ソファに座る彼女の背後には、いつもの様に水銀メイドであるトリムマウが控えている。

「君からも我が兄上殿に言ってくれないかな? そこまで逼迫した状況でもないのに、死ににいくような真似はよせと」

「お前の持って来た剥離城の案件も、危険度で言えば似たようなものだったが」

「やれやれ、過去のことをネチネチと。まるで小姑のようだ」
5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/09/21(月) 20:23:14.08 ID:amUbMXcr0

「……それで、結局何の話なんです?」

 再び舌戦が再開されそうな気配を察し、先んじて質問をする。話の端々から判断するに、これまでの様な厄介事なのだとは思うが、師匠の方が積極的に介入しようとしているのは珍しい。

 質問に答えてくれたのはライネスの方だった。紅茶のカップを弄ぶように摘まみあげながら、「さて、どこから話したものか」などと呟き、焦らすように目線を虚空に彷徨わせる。

「そもそもの切っ掛けは、魔眼蒐集列車(レール・ツェッペリン)ということになる。あの時のことは覚えているかな?」

「魔眼蒐集列車、ですか」

 当然覚えている。というより、忘れられるようなものではない。

 魔眼蒐集列車は、吸血鬼――死徒、それも上級死徒の眷属によって運行される特殊な列車だ。師匠の"宝物"が盗まれた折に乗り込むことになった、現代に至ってなお伝説と名高い神秘。師匠は文字通り死にかけるし、サーヴァントやアインナッシュといった化け物には襲われるしで、良く生きて帰れたものだと思う。

 正確に言えばその後も一度だけ乗る機会があったのだが、ライネスが"あの時"というからには、彼女自身も乗り込んだ一回目の方だろう。

「ああ。あの時、兄上がメルヴィン・ウェインズに借金をしただろう?」

「え……?」

 簡単な確認作業をするような調子のライネスだが、自分には心当たりがなかった。

 メルヴィン・ウェインズ――師匠のことを本名で呼ぶ、数少ない人間。

 まさか知らない内に、師匠はあの調律師にお金を無心していたというのか。

 そんな混乱をみてとったのだろう。師匠が助け舟を出してくれた。

「ライネスの言い方では思い当たらないのも無理はない。メルヴィンが家財を質草に方々からオークションの資金を捻出してくれたことだ」

「ああ、それなら――」

 納得しかけて、しかし再び首を捻る。

 師匠が言っているのは、オークションを引き伸ばすために競り合いに介入した時のことだろう。メルヴィンは電話一本で自身の何もかもを質にいれ、親友と呼ぶ師匠にベットしてくれた。だが、

「……あれ? でもあのオークションは結局、成立しませんでしたよね? なら、お金は払わなくて済んだんじゃ」

 そう言うと、師匠は深く溜息を吐いた。それが自己嫌悪から来るものであることは、その時は分からなかったが。

 後を引き取ったライネスは、師匠のその様子がおかしくてたまらないという風に、嗜虐に満ちた笑みを浮かべている。

「君ならその認識でもいいんだが、仮にも君主であるところの兄も同じ考えだった、というのは少々いただけない。愛すべき義妹に面倒事を押し付けていたツケが回ってきたというわけだ」

「どういうことです?」

「貴族同士での融資というのは、返せば終わりというものじゃないんだよ。その本質は金の貸し借りではなく、コネクションの結実にある。当然、貸した側が有利なね。"あの時、お前が困っているのを助けてやったのだから、一生恩に着て貰う"というわけさ。あちこちから電話一本で借金をする、なんて無茶をしたメルヴィンにもこれは当てはまる」

 言われて愕然とする。メルヴィンとは事件の後に話す機会もあったが、あの飄々とした態度の裏側には、こちらに気を使わせないようにという配慮があったのだろうか。

 そんな自分の狼狽振りに、ライネスは手を振りながら口の端を歪めた。

「ふふふ、ちょっと意地悪な言い方だったかな? 実際のところはそう大した問題でもないよ。あいつは兄上よりはよほど貴族だからね。借りる相手は出来るだけ選んだようだし、返した後の立居振舞も心得ている。そうだな、君の立場で例えるなら、この前新調したという手入れ道具を君の師匠が踏んづけて壊してしまった、という程度の痛手だろう」

「……それは」

 なんとも、どう受け取って良いのか分からない。バイト代から奮発したブラシにはそれなりに思い入れがあるが、所詮はバイト代から支払える程度のものだ。ましてや壊した相手が師匠であるというのなら、多少落ち込みこそすれ、そう引きずらない気はする。

 というより、そのケースなら師匠が自分から弁済を申し出るような――

「……ああ、つまり」

「やあ、さすがは内弟子だな。師匠のことをよく理解しているらしい。そう、その話を聞きつけた兄上が、自発的に借りを返そうとしているわけだ。それも返さなくていいような借りをね」

 集中した自分とライネスの視線を受けて、師匠は鬱陶しげに眉根を寄せた。

「……お前が言ったことだろう。貴族間の貸し借りの危うさについては」

「ああ、言ったとも。いつもそういった面倒事を誰かに押し付けている我が兄上殿には、よーく覚えて頂きたいものだ。だがね? 命を賭してまでそれを返せと言った覚えはないな」

「命を……?」

 何とも剣呑な単語だ。思わず窺うような上目づかいで見てしまうと、ライネスはむぅと呻いてソファの背もたれに体重を預けた。

「メルヴィンが借金相手に作った"借り"は、さっきも言った通りウェインズ家にとっては大したものじゃない。が、ロード・エルメロイU世"個人"にとってはちょっと手の出ない領域の話なのさ。誠意を見せてくれれば、愛しい義妹が甲斐性のない兄に貸してあげてもいいのだけどね?」

「愛しい義妹とやらのアドバイスに従って、下手な借りはつくらないことにしている」

「ふん。そしてそこにいる我が兄は、あろうことかこのご時世に宝探しへ行こうとしているわけさ」

「発掘調査、だ」

 訂正するように言葉を差し挟んだ師匠は、何かを決心するように息を吐いてから自分に向き直った。
6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/09/21(月) 20:24:14.32 ID:amUbMXcr0

「グレイ。今回は私と一緒にメキシコまで行ってもらいたいんだ」

「メキシコ」

 急に出てきた異国の名前に、思わずオウム返ししてしまう。

 恥ずかしながら、当時の自分が持っていたかの国についての知識は非常に薄っぺらで、国名からはタコスくらいしか連想できなかった。少なくとも密林を歩くことになるなど、この時点では思ってもいなかったのである。

「最近――といっても、1年以上前だが。未調査の遺跡が発見されたんだ。時計塔が所有しているユカタン半島の原生林でね」

「時計塔が所有している……?」

 首を傾げた自分に、師匠が補足をしてくれる。

「珍しいことじゃない。人の手が入っていない土地は、魔術師にとっては色々と使い出がある。表向きは国や個人の所有となっていても、実際は時計塔全体で管理している霊地、というのはいくつか存在するんだ」

 この場合の"全体で"というのは、つまりはどこかの家や特定の派閥が管理しているわけではない、ということらしい。(「まあ、建前上、表向きはね?」とはライネスの言だ)

 仮にここで未調査の、魔術的な関連の強い遺跡が発見された場合、その発掘権を誰が得るかは時計塔的な公平さを以て決められる。つまりは陰謀と暗闘の勝利者が得ることになるわけだ。

「……そこまでする価値が? その、遺跡発掘に?」

「当然、あるとも。神秘は古いほど強力で価値が高い。年代にもよるが、当時の魔術礼装などが残っていればそれだけで大儲けだろう。イゼルマの時の、竜の血を受けた菩薩樹の葉のような規格外の呪体が出てこないとも限らない。コーンウォールを片っ端から掘り返すような無茶をした家もあるほどだ」

「はぁ……でも、それだけの価値があるなら、その……」

「そうだ。弱体化したエルメロイにそのような権利を獲得する力はない。最初に獲得したのはトランベリオだった。正確には、"最初の発掘権"を手に入れた家は、ということだが」

「トランベリオ……それは確か、民主主義派の」

 冠位会議を経て、自分も少しは時計塔の派閥について知識をつけている。

 三大貴族の一角、トランベリオ。民主主義派の首魁と言ってもいい存在だ。発掘権の獲得を果たしたというのも頷ける。しかし、"最初の"?

 疑問を口にすると、師匠はいつものように答えを返してくれる。

「公平を建前にしているからな。成果が出ている限り調査は継続できるが、失敗、あるいは権利を放棄すれば次の者が……というわけさ。だが本来、二番手以降の者に権利が回ってくるなどいうことは起こり得ない。先ほども言った通り、未調査の遺跡の価値は計り知れないからだ。仮に礼装や呪体が出てこなくとも、遺跡の造り自体が当時の魔術基盤の重要な資料になり得る。万全の体勢で挑むだろう」

「けれど、失敗した?」

 先述の理由でエルメロイまで発掘権が回ってきた、ということなら、今のところ発掘にはどの派閥も成功していないという理屈になる。

「もちろんトランベリオの本家が動いたわけじゃない。実際に行動したのはその分家筋だが、十分な力は持っていた。準備にも粗はなかったと言えるだろう。少なくとも、発掘チーム全員が行方不明になる、なんてことは誰も予想していなかったさ」

「全員が、行方不明……あの、師匠。それって、物凄く危ないんじゃ」

 言いながら、窺うようにライネスを見やる。不安げな自分の表情を見てだろう。彼女はにんまりとした笑みを浮かべながら、こう付け足した。

「その後も都合三度派遣された調査チームの全てが同じ轍を踏んでいる、と結べば完璧だ。50人近い魔術師が挑んで、ただのひとりも生還していない、とね」

 そもそも弱小のエルメロイ派が5番目に権利を手に入れられた理由も、他のロード達があまりの異常さに様子見を始めたからだという。

 ……それは、本当に危険だということを意味していた。

 魔術師とは、基本的に死に難い生き物である。魔術刻印が宿主を生かそうとするというだけではない。魔導の要は"継承"にあるからだ。自身の魔術を子孫に伝え、根源を目指し続けるシステム。故に、彼らは絶滅と断絶こそを最も恐れ、その対策に余念がない。

 ロンドンに来てからこちら、遭遇した事件はどれも剣呑に過ぎる物揃いだったが、この件もそれらに勝るとも劣るまい。
7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/09/21(月) 20:24:43.10 ID:amUbMXcr0

 だから、訊ねた。

「師匠、本当に行く必要があるんですか?」

 視線を向け直して、師匠と相対する。

 師匠もまたソファに座り直し、こちらを正面に捉えた。いつもの藪睨み気味の瞳に真剣さを宿らせて、短く言い切る。

「ああ、ある」

「では、お供します」

「……いや、待て待て」

 横からライネスが声を上げた。頭痛でも堪えるように額を押さえている。

「私の話を聞いていたかい? 今回の件は本当に危険なんだぞ。考古学科の精鋭調査チームまでもが壊滅するなんて常軌を逸してる」

「……でも、師匠の頼みですから」

 ライネスが心配してくれているのは分かるが。

 師匠があるというのなら、あるのだろう。その手助けを自分はしたい。

 それでも彼女の気遣いを無為にするような形になってしまったことに、申し訳なくなって視線を向ける。ライネスは自分の視線にうっ、と息を詰まらせるように身体を震わせると、やがて溜息を吐きながら頭を振った。諦観。そんな形容が相応しいだろうか。 

「……そ、それに。師匠は無茶はしても無理なことはしないと思いますし」

 そんなライネスの様子に、つい、言い訳するような言葉が口をついて出てしまった。縋る様に師匠の方を見る。
8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/09/21(月) 20:25:35.44 ID:amUbMXcr0
「……とりあえず、説明をしよう。グレイ、こっちへ」

 手振りで座る様に促された、師匠の隣へ腰をおろす。次いで、机の上に広げられた資料の一枚を師匠は示した。

 それは1枚の絵だった。おそらく、手書きの物を印刷機でコピーしたのだろう。ところどころに掠れのような汚れまでもが映り込んでいる。

 絵の内容を見て、自分が最初に連想したのはピラミッドだった。石造りの四角錐。エジプトのものと大きく違うのは、頂上にあたる部分に直方体の構造物を頂いていることだ。エジプトのピラミッドの上部を切断して、小さな石造りの小屋を乗せたような外観。小さくて分かりにくいが、その直方体の構造物から中に入れるらしい。入り口のような穴が開いている。

「先ほども言ったが、これはユカタン半島で発見された遺跡だ。意匠からアステカのものと見て間違いないだろう」

「アステカ……確か、生贄の風習で有名な文明でしたっけ」

「正確には、アステカというのはメソアメリカ文明の一時代・一部地域の名称だな。アステカの最隆盛はほんの500年ほど前に過ぎないが、メソアメリカ文明自体の起こりは古い。紀元前――紛うことなき神代に生まれた文明だ」

 神代――未だ、神秘が神秘として存在した時代。秘匿せずとも、その力を十分に発揮した時代。

 基本的に神秘は古ければ古いほど強大になる。仮に神代の神秘が残っているというのなら、確かにその遺跡には大きな価値があるのだろう。

 師匠は頷きながら絵図に指先を乗せる。示したのは、ピラミッドの頂点にある直方体の辺りだ。

「さて、君の言った通り、彼らは神に対し人間を贄として捧げた。この遺跡もその儀式に使われたものだろう。見たまえ、遺跡上部に設けられた部屋の前に台座がある。この上で人間を生きたまま解体し、摘出した心臓を供物としたんだ。そのショッキングさから、アステカ=生贄という認識が現代でも――あるいは現代だからこそ広く認識されたのだろうな」

「生きたまま、ですか……」

「そう、生きたまま捧げる、というのが"神の食料は人間の生き血である"という彼らの宗教観では大切だったんだ。おまけに彼らは捧げる生贄を貴いものとする為、何人もの嫁を宛がい、酒や麻薬を望むだけ摂らせたそうだよ。さらには生贄に捧げる人間にも特別な資質を求め、選別を行っていたらしい」

 現代にそぐわない残酷さ。"普通"から外れたがゆえに、それはひどく目立つことになる。

 外見のグロテスクさだけにならそれなりに耐性があるが、それでも同胞たる人間を解体して捧ぐ、という風習は自分の目には奇異と映った。

「何故、人間なんでしょう」

「何故とは?」

「あの、だって――別に、わざわざ人間を殺して捧げる必要があるんでしょうか? もっとヒツジとかヤギとかでもいいような」

 自分で言っている内に、何だか的外れで馬鹿なことを論っているような気になってくる。頬が紅潮して、最後のほうはもごもごと呟くことになってしまったが、師匠はきちんと聞き取ってくれたらしい。顎に指を這わせながら、ふむと頷いて、

「そうだな。もちろん生贄と一口にいっても、全てが全て人間を贄とするわけではない。人身御供の風習は世界中で見られるが、同じくらい牛馬などの動物を捧げるケースも確認されている。とはいえ、貴重な労働力をわざわざ殺してしまう、という点では一緒だ。当時はトラクターもカルチベーターも無かったことだしな」

 一度紅茶で口を湿らせてから、師匠は続きを紡いでいく。

「では何故人を殺して捧げたのかといえば、生贄という儀式が『代替を願う神秘』であるからだ」

「代替を願う……何かを、代わって貰う?」

「その通り。宗教的な結束を強める、口減らしの便利な建前など、その文化によって細々とした付与はあるが、根底にあるのは『何かを支払う代わりに、超常の存在に願いを叶えて貰いたい』という欲求だ」

「……お金を出して、パンを買うみたいに?」

「ふむ。確かに理屈で言えば同じだろうが」

 自分の例えが子供じみていたからか、師匠が苦笑の様なものを浮かべた。思わず顔が熱くなる。

「だが神による奇跡を求めるなら、対価もそれに釣り合うものでなくてはならないというのは自明の理だろう。つまるところどうして同族(ヒト)を捧げるという行為に辿り着いたかといえば、当時彼らが所有しているものの中でもっとも価値があるものが"それ"だった、という答えになる」

「……人間の、命」

「正解だ。特にアステカの場合を言うのなら、彼らは牛馬のような大型の家畜を持たなかったということもあるし、先ほども言った神の食物は人間の血であるという宗教的な価値観も手伝ったのかもしれない。人間の三大構成要素――肉体、精神、魂の内、アステカでは第一要素である肉体を重要視したわけだ」
9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/09/21(月) 20:26:55.89 ID:amUbMXcr0

 最大の誠意を見せることで、最大の見返りを期待する。

 信仰とは対極にあるようで、しかしその実、両者は切り離せない関係にある。自教を信じれば不幸になる、などという宗教は存在しないからだ。

 現世での悩みが無くなる、死後の幸福が約束される、来世では解脱に至れる――信仰と引き換えに、"何か"を得ることが宗教の本質と言える。あるいは、本質になってしまったというべきだろうか。

「理由は、ええと、何となくわかりました。じゃあ、彼らは何を望んだんですか? アステカの生贄文化がこうまで有名になっているってことは、儀式が行われたのは一回や二回ではなかったんでしょう?」

「アステカの生贄が有名なのは、頻度の他にも残虐性や生贄用の捕虜を取るために戦争をしたことなどにも依るが……何を望んでいたのか、は簡単だ。彼らが願っていたのは太陽を存続させることだよ」

 太陽の、存続――言葉の意味としては確かに単純だったが、すぐには理解出来なかった。自分にとって太陽が頭上にあることは、呼吸する酸素に困らないのと同じ程度には当たり前だったからだ。

 そんな自分の混乱を見てとったのか、師匠が続ける。

「彼らにとって太陽とは神であり、やがてその隆盛には終わりが来ると信じられていた。だから彼らは太陽が飢えないように生贄を捧げたというわけだ」

「太陽を神様に見立てる、というのは分かりますけど……神様が、終わる?」

「別段、珍しい考え方ではない。終末論は多くの宗教で見られる思想だ。最後の審判なんかは有名だし、ヒンドゥーでもユガという考え方がある。アステカも同じだ。太陽である神の滅びと共に、あの神話の世界観は更新されている」

 世界観の更新。

 自分もよく知る創世神話とは異なる、創造と滅びの二重螺旋。

「アステカの神話観でいえば、今の太陽は5つ目の太陽であり、現在は5番目の世界なんだ。4度世界と太陽は滅び、そして新たな太陽と世界を迎えた。この遺跡は1番目の太陽――テスカトリポカを奉じる為の遺跡だ」

 師匠が絵の一部を指さす。どうやら遺跡の壁面に彫刻が施されているらしい。細かい意匠までは判別できなかったが、それがテスカトリポカという神の似姿なのだろう。

「テスカトリポカ。アステカ神話において、善神ケツァル・コアトルと対立する悪神だ。アステカの民は他民族の神を取り入れることにも否定的ではなく、神話にも複数の異なるパターンが見られる為、一概には言えないがね。
 それでもテスカトリポカとケツァル・コアトルが直接的に争ったという描写は散見される。太陽の座を奪い合ったものや、ケツァル・コアトルが生贄の風習を止めさせたものが有名だな。テスカトリポカは太陽神の属性を持つが、同時に夜の神であるともされるのは、こうしたケツァル・コアトルとの対立からくるものだろう。善悪、昼夜。コインの裏表の様に、両者は実に近しい存在だ。ケツァル・コアトルを"白いテスカトリポカ"と呼ぶことさえある。あるいは、元はひとつの神性であったものが二つに分かれたのかもしれないな」

 師匠の講義を聞きながら、資料を見つめる。テスカトリポカに生贄を捧げる為の遺跡。そう聞くと、どこかおどろおどろしくさえ見えてくる。

 その時、ふと自分は妙なことに気づいた。

「師匠、調査隊の方は誰も戻ってきていないんですよね? では、この絵は?」

「正確に言えば、発見したのは遺跡そのものではないんだ。見つけたのは遺跡の場所を知る部族が住む村でね。その絵も部族のひとりが描いたものらしい。調査隊を派遣する前に、協会が買いとったそうだ」

「部族……ですか?」

「外界と接触しない部族、というのは全く存在しないわけではない。有名なのはアンダマン諸島の未接触部族だが、この森も魔術協会によって意図的に人の手が入らないようにしていたからな。とはいえ、こちらは完全に外部との接触を絶っていたというわけではなかったらしいが……」

 最後の台詞に関しては何やら歯切れが悪かった。思わず問うような視線を向けてしまうが、師匠は首を横に振って、

「いや、その辺の報告だけどうにも曖昧というか……要領を得なくてな。幸い、英語を喋れる者はいるらしい。それに関しては現地で確認するとして、話を戻そう」

 師匠は地図を指さした。それはユカタン半島の拡大図らしい。ほぼ緑一色で表現されている紙面に、赤インクで幾つか丸印が付けられている。

「これまでの調査隊が部族の村まで到達しているのは確からしい。そこから遺跡に向かって出発し、道中ないし遺跡の調査中に行方不明になっているというのが、おおよその見解だ」

「何者かに襲われている?」

「加えて逃げ延びた者もいないというのなら、遺跡の内部で、という線が濃厚だな。魔術的な遺跡なら、それは古代の魔術師の工房と同じだ」

 他人の工房においては、大規模な魔術はほとんど使えない。土地それ自体に防衛の魔術が仕込まれているなら、マナを取り込むことも難しいからだ。

「では……イゼルマの防御を天候魔術で壊したように、拙の"槍"で遺跡の機構を?」

「いや、他の調査隊も似たようなことは考えた筈だ。宝具のような規格外はないにしても、アトラム・ガリアスタの天候魔術と同レベルのものを用意することは――容易とは言わないが――十分に可能だろうしな。そもそも調査する遺跡を壊してどうする」

 言われてみればその通りではあるのだが。
10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/09/21(月) 20:28:01.63 ID:amUbMXcr0

「じゃあ、どうするんですか?」

「魔術師としての格はどう考えてもこちらの方が低いのだから、彼らと同じ方向で考えても同じ轍、いやそれ以下を踏むだけだ。つまり、我々は考え方を根本から変えねばならない――その内のひとつとして、こんなものを用意した」

 そういって、師匠がポケットから何かを取り出し、机の上に置く。

「……携帯電話?」

 黒い樹脂製の直方体。ボタンの配置などは自分も持たされている携帯電話にそっくりで――つまるところ、どう見ても携帯電話にしか見えなかった。

「ふむ。とはいえ、件の密林では電波など入らないぞ? マナと地脈の関係で魔術による通信も不可能だ」

 横から覗き込んでいたライネスも首をひねっている。

 どうやら魔術的にも外部から隔絶された土地らしい。であるからこそ、古代魔術の遺跡などというモノが手つかずで残っていたのだろうが。

 集中する自分達の視線に、師匠はいつもの調子で講義を始める。

「まず前提として、我々が遺跡の探索をして無事に帰ってこられる、という目はないものと考えていいだろう――我々より能力も経験もある専門のチームが失敗しているのだからな。多少の創意工夫で魔術師としての実力差を覆せるなら、私はとうの昔に色位にでもなっているさ」

「そこで冠位と言わないあたり、兄上殿の器も知れるというものだが」

 ライネスが茶々を入れる。楽しそうな嘲りを浮かべながら、しかし少しだけ真剣な光を瞳に宿して、

「無事に帰ってこれない? ならば出立の許可など出せないぞ。忘れてやしないだろうが、エルメロイへの借りを全て返済しきるまで、君は髪の毛からつま先に至るまで私の所有物だ」

「人の話はきちんと聞け。私はこう言ったんだ――"遺跡の探索をすれば"、無事に帰ってこられないと」

 実に単純な論理を説明するように、師匠はその方策を告げた。

「ならば話は簡単だろう――遺跡の探索をしなければいいだけのことだ」
11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/09/21(月) 20:28:59.00 ID:amUbMXcr0
          *

 それから数分を掛けて行われた、師匠の計画の概要を聞いて、

「……まさか、そんな抜け道が」

 白痴のようにぽかんと口を開けてしまっていることに気づいて、慌てて口元を引き結ぶ。

 言葉通り、まさか、という思いが胸の内に渦巻く。だが同時に、師匠の語った仮説と対策には確かな説得力が感じられた。

「最終的なことは現地で確かめる必要はあるし、まだ分からない点もいくつかあるが――生還を第一に考えて行動すれば問題はあるまい。成果を得られるかどうかは分からないにしても、身の安全は九分通り守られるだろうからな。なんなら我々の次に調査を行う者に、この情報を売りつければいい」

 そう言って、師匠は葉巻に火を点けた。部屋に薄く紫煙が漂い、その淡いヴェールの向こう側でライネスがぱちぱちと手を叩いている。

「……なるほど。兄上、やっぱり君はちっとも魔術師らしくないな」

「……皮肉を挟まないと会話できないのか、お前は」

「褒めているつもりだよ? なるほど、確かにこれはお歴々には思いつかない手管だろう。何しろ、情けないことこの上ない! ロードの家門がこんな手管に頼ったと知れたら、それはもう恥ずかしくて表も歩けないだろうさ」

 にんまりと笑うライネス。だがすぐに唇を尖らせ、抗議の視線を師匠に向ける。

「それならグレイが来る前に、私に説明してくれていても良かっただろうに。お陰で無駄に喉が渇いてしまったよ」

「二度手間だろう」

「おやおや、こんなに愛らしい義妹になんて言い草だ。加えて、今回はスポンサーでもあるのだけどね」

「スポンサー? てっきりライネスさんは、師匠が行くことに反対の立場だと思っていましたけど」

 尋ねると、ライネスは散乱する机上の資料から、クリップでまとめられた一束を選び出した。指でつまみあげると、資料の山の一番上に置き直す。

 どうやらそれは名簿らしい。人の名前と、簡単なプロフィール。顔写真が載っている。

「反対だとも。だが、エルメロイまで発掘権が転がり込んできたのは事実だ。駄目元で調査チームは送るつもりだったよ。まあチームと言っても、今のエルメロイにそんな人材はいないからね。募集を掛けて集めただけの寄せ集め、烏合の衆だ。それに兄上殿がついていこうとするのを諌めに来たというわけさ。ただ、きちんと生還するつもりがあるのなら話は別だ」

「それでも15人か。中々の人数を集めたものだ」

「ほとんどが食い詰め者のニューエイジさ。一発逆転狙いのね。兄上殿が参加すると分かっていたら、教室の生徒連中がこぞって挙手したかもしれないが」

「その場合は私の方で弾く」

 師匠がその資料を手に取りぱらぱらとめくる。一応、これから共に密林へ向かうチームだ。事前の把握は大切だろう。

 だがライネスはそんなもの待っていられないとでもいう風にソファから立ち上がり、ぱちりと指を鳴らした。背後で控えていたトリムマウが音もなく移動し、師匠の腕を取って立ち上がらせる。

「……何の真似だ」

「資料は後でも読めるだろう? 本格的なジャングルを歩くとなれば、それ相応の準備が必要だ。出不精の君たちを慮って、私が店を選んであげよう」

「出不精は余計だ」

「本当のことだろう。君たち二人は暇さえあれば部屋に籠りっぱなしで。それに、兄上御用達の仕立て屋には登山靴どころかスニーカーすら置いてないじゃないか」

「ちょっと待て、なんでお前が私の贔屓してる店を知って――」

 抗議の声を上げる師匠を、トリムマウが強引に引きずっていく。師匠のフィジカルでは、エルメロイ家の筆頭礼装に敵う筈もない。

 唖然とその光景を見送ってしまった自分に、ライネスは悪戯っぽい笑みを向けた。

「君の服も私が選んであげよう。うん、機能美と見た目を両立させた奴をね」

「お、お手柔らかにお願いします」

「ふふふ、さて、どうかな。しかし、ジャングルでフードはいただけない。かといって帽子では頼りなさそうだし……いっそその辺は、フラットあたりに知恵を借りると良い。まあ奴のことだ。今回の調査にくっ付いて来ようとするだろうが、なに。それで苦労するのは兄上だ」

「……ありがとうございます」

 ライネスの気遣いに自然と頭が下がる。こほん、と彼女は咳払いをひとつすると、話題を変えた。

「ところで、兄上はああ言ってたが、調査では気を抜かない方がいい。アッドを手放さないようにね」

「はい、それはもちろんですが……師匠の言う通りなら、危険なんてなさそうな」

 自分がそういうと、ライネスは笑みを深めた。皮肉気に片眉を撥ね上げて、肩をすくめて見せる。

「そうかい? 探偵が早々に推理を語った時は、えてしてその推理を無意味にするようなトラブルが起こるものだ――くれぐれも気をつけたまえ」
12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/09/21(月) 20:30:09.67 ID:amUbMXcr0
          *

 数日後、自分はメキシコの地をどうにか踏みしめることに成功していた。ふらふらとした、おぼつかない足取りではあるが。

「……大丈夫かね、レディ?」

「だ、大丈夫です」

 ロンドンはヒースロゥからメキシコ・シティ空港まで、実に12時間にも及ぶ空の旅は、自分の耳に多大なダメージを与えていた。気圧の差によって鼓膜が引っ張られ続けたせいである。

 恐ろしく妙な感覚だ。耳がぼうっとするとでも言えばいいのだろうか。自分を心配する師匠の声も、分厚い布越しに聞くような茫洋さがある。この時はまだいつものフードも被っていたが、その内側にクッションでも挟んでいるかのような気分だ。

 耳抜きなる技法を用いると予防できると聞いたが、とうとう自分は習得できなかった。慣れない状態で無理にやろうとすると、逆に鼓膜を痛めるらしい。師匠は慣れたものらしく、耳へのダメージはほとんどないようだ。昔、世界中を旅をしていたというからその経験だろうか。

 ともあれ、冒頭とは全く逆の立場で、自分は師匠の袖を掴んでどうにか歩いていた。平衡感覚もどことなく狂っている気がする。

 何とかその状態で入国審査をパスし、ボストンバッグに詰めた荷物を受け取る。トランクはやめておけ、というのは師匠から念を押されていた。常に肩からたすき掛けにかけていられるようなものでないと、目をつけられてすぐに盗まれるらしい。

 目の前に広がる空港のエントランスと、雑多な人ごみ。倫敦で多少は慣れたつもりだったが、人口密度で言えばこちらも勝るとも劣らない。情報量の多さに目を回しそうになる。

 メキシコの首都であるメキシコシティは、元をただせばアステカ王国の首都でもあった。それをスペイン人たちが征服し、打ち壊して今の街を造ったのだという。

 時計を見やると、現地時間で朝の5時。イギリスとこちらの時差は6時間。時差ボケもかなりあるが、こちらに関しては師匠が用意してくれた魔術薬で体内時計をリセットできるらしい。

「……それで、師匠。これからの予定は? いえ、例の村へ向かうのは分かっていますが」

 違和感を噛み砕くように強く合わせた歯列の隙間から、どうにか質問を紡ぎだす。

 ライネスによって選定された調査チームは、すでに部族の村へ向けて出発しているらしい。自分達は彼らの後を追い、村で合流してから遺跡へ向かう予定だった。

 師匠もまた小ぶりの旅行鞄を肩にかけながら応えた。

「南アメリカ支部の支部長が出迎えてくれるらしい。断ったのだが、強引に押されてな」

「支部……協会のですか?」

「ああ。教会ほどではないが、時計塔は世界各地に支部を持っている。とはいえ、そこに詰めているのは大抵が食い詰め者の分家筋だがね。アルビオンのスパイよりはましだろうが」

 霊墓アルビオン。時計塔の地下に存在する異界。

 三大貴族ほどの勢力ならば、分家筋をその異界に放り込むことなど躊躇いなくやってのける。事実、それがこの前の事件において、大きな謎を産みだす要因のひとつとなっていたのだから。

 ここの支部とやらも、それは同じらしい。僻地での仕事を押し付けられている、ということなのだろう。

「まあ、アメリカ大陸における協会の支部は北と南にひとつずつしかないし、配置されている人員も少ない。今回の件で成果を出して時計塔に返り咲こうと考えるのは、むしろ魔術師としては真っ当な考え方だ。とはいえ、ゴマを摺るならもっと摺り甲斐のある相手にしたほうがいいだろうに」

「……それって、つまり」

 ぼんやりした頭で、しかし聞き逃せない違和感を手繰り寄せる。

「その人、師匠を接待しにくるってことですか!?」

「……何故、そこまで驚くのかね、レディ」

「あっ、いえ、その」

 師匠が訝しげにこちらを見てくるが、まさか『師匠が人に接待される場面がどうしても想像できなかった』などと言える筈もない。
13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/09/21(月) 20:31:09.22 ID:amUbMXcr0

 しどろもどろに言い訳を探していたが、幸い、師匠の気は直ぐに逸れた。もっとも、それが全くもって『幸い』でなかったことは、すぐに知れることとなったのだが。

「いえーーーい! アイム・ナンバー・ワーン! ガオーーー!」

 唐突に、そんな声――いや、咆哮が人ごみ溢れる空港内に響き渡る。

 反射的に自分と師匠はそちらへ目をやった。周囲の人間も同様だ。

 見れば、眩暈がするほど大勢の人でごった返している筈のロビーに、一か所だけ空白が出来ていた。

 その中心には二つの人影。ひとりは昏倒して床に突っ伏している中年の白人男性。

 そしてもうひとりは、あろうことかその男性の頭を踏みつけ、手に持った棒のようなものを掲げている20代半ばほどの女性だった。先ほどの咆哮も彼女のものらしい。

 遠巻きに見ている群衆の隙間から、状況を確認する。天下の往来でこの狼藉。どう考えても関わり合いにならない方がいい。

「師匠、早く離れましょう」

 相手を刺激しないように、小声で促して師匠の腕を引く。

 だが師匠は動こうとしなかった。怪訝に思って師匠の顔を見ると、「ファック……」と呟きながら目を覆っている。

「あの……どうしたんですか?」

「……信じがたいが、あの女性が踏みつけているのは、出迎えてくれるはずだった南米支部長のように見える」

「えっ」

 思わずぱっと振り返って、視線を女性に戻す。

 そうやって急に動いたのが不味かったのだろう。獲物の動きに反応する野生動物の様に、女性の瞳がこちらを捉えていた。

「おおっ、ユーが噂のエルメロイ三世ガオ!? メロイメローイ! ヘーイ、ナイストゥーミーチュー!」

 踏みつけていた支部長を放置して、こちらへずかずか歩いてい来る女性。モーゼの海割の如く、人ごみが彼女を避けるように道を開けた。

 逃げられない状況になったのを悟ったのか、師匠が溜息を吐きながら手を挙げて応じる。

「……U世だ。ロード・エルメロイU世。君は支部の関係者か?」

「NONO! 私は遺跡までの水先案内人! っていうかそっちが雇ったんだガオ?」

 妙な訛りのある英語で、妙な服を着た彼女が自己紹介をしてくる。

「ティグレ・ヤガーだガオ。お兄さんが依頼した人? じゃあそっちのお嬢ちゃんは?」

「あ、あの、内弟子のグレイです」

「グレイ! 灰! よーし、今日からお前シンデレラな! レッツ・プロデュース!」

「え? え?」

 どんな理屈でそうなったのかは一ミリも分からないが、彼女の中で自分をシンデレラと呼ぶことが決定したらしい。「よろしく、シンデレラ」と親しげに肩を叩いてくる。

 困った。どう返すべきだろうか。

 そんな風に思考を巡らしていると、答えを出す前に師匠が動いた。自分と彼女の間に割りいるように、ずいと一歩前に踏み出てくる。

「結構。では、ミズ・ヤガー。何故、そこで支部長が気絶しているのか説明して貰えるかね?」
14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/09/21(月) 20:32:35.44 ID:amUbMXcr0

 その質問に、彼女は明確かつ簡潔に答えてきた。

「ヤガーって呼ぶなーーーーーーー!」

 スパァン! と、恐ろしいほど気持ちのいい音が響く。

 全く見えなかったが、それは彼女が手にしていた棒切れをフルスイングした音らしい。頭を一撃された師匠が、悲鳴も上げられずに昏倒して床に寝転がった。支部長と同じように。

「え、な、師匠!? な、なにを」 

「全く、人の名前は正しく呼ばなきゃダメだガオ。シンデレラもそう思うよね!」

「師匠! この状況で拙を独りにしないでください! 師匠!」

 ぺちぺちと懸命にほっぺたを叩くと、どうにか師匠は意識を取り戻したらしい。ファックファックと呻きながら、生まれたての子羊のように震えつつも起き上がってくれる。

「……な、なるほど、ホワイダニットは分かった。つまり、君の文化ではファミリーネームで呼ぶことが失礼に当たるのだな、ミズ・ティグレ」

「ティグレって呼ぶぬぁーーーーーーー!」

 再び快音が響き、師匠が本日二度目の失神に陥る。

 まさか師匠のホワイダニットが通じないなんて。頭を叩かれて朦朧としていた為か。いや、別に必殺技でも何でもないのは分かっているけれど。

「何なのか! イギリス人はみんなこうなのガオ!? へい、シンデレラ! 私の名前を呼んでみな!」

 そしてもう一度師匠に起きて貰おうとほっぺたを強めに叩いている最中、最悪なことに意味不明の矛先がこちらを向いた。

「え、えーと……」

「答えられぬというのなら、このバン・ブレードの錆びになって貰うガオ……そう、まさしく物語のシンデレラのようにな!」

「あれってそんなバイオレンスな話でしたっけ……!?」

 ともあれ、どうやら彼女は本気のようだった。或いは狂気か。その剣閃は単純な威力はともかく、鋭さに関していえば以前戦ったフェイカーのものに勝るとも劣らない。自分一人での強化効率では見切ることすらできないだろう。

 公衆の面前でアッドを変形させるわけにいかない以上、対抗手段は彼女の納得する答えを返すしかない。一本道でスフィンクスに遭遇した気分だ。

「え、あれって魔法使いによって復讐の手段を手に入れたシンデレラが、王家に反逆する話でガオ? 灰で目潰ししてからの必殺剣がバンクで――」

 ちょっと続きが気になることを言っているが、どうにか彼女の声を頭から締め出して適切な解答を考える。

 ティグレ、では駄目。ヤガー、でも駄目。

 思い浮かんだ答えはあるが、外せば気絶。ここは思案のしどころだ。
15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/09/21(月) 20:33:42.53 ID:amUbMXcr0

「10、9、8、5、4、2……」

 だが唐突にカウントダウンが開始されたので、そんな猶予は無かった。

「ティ――ティグレ・ヤガー?」

 ままよ、と祈りながら回答する。

 彼女は動かない。その空白に、答えが違っていたのでは、という恐怖心が募る。ティグレ・ヤガーという名前は出鱈目で、真名を当てるまで殴り続けてくるのでは。そんな愚にもつかない妄想が頭をよぎる。

 やがてヤガーはその場で屈むと、その姿勢から垂直跳びでもするように身体を勢いよく伸ばした。種子が発芽する様子を、早回しで再生したような動き。ここまで来て段々理解できて来たが、その動きに意味など無いのだろう。勢いそのままにヤガーが叫ぶ。

「お〜あたりぃ〜!」

 どうやら『フルネームで呼ぶ』で合っていたらしい。

 喜色満面といった様子でこちらの肩をばしばし叩いてくるティグレ・ヤガーに、曖昧な笑いで返す。正直、かなり痛い。

 しかし、これでようやく落ち着いて話が出来そうだ。

「動くな! 武器を捨てて跪け!」

「え?」

 横合いからの声に振り向くと、そこには揃いの制服に身を包み、ティグレに対し拳銃を向ける男性二名。

 ああ、そういえば、実に当たり前のことだが。

 空港のロビーで暴れていれば、警備員が来るのだ。

 銃を突き付けられたティグレは、そろそろと両手を挙げながら(ちなみにバン・ブレードは持ったままだった)、「ヒュゥー……」と口笛を吹いた後、ニヒルな笑いを浮かべてこちらに振り返ってくる。

「どうします、ボス?」

「ええ!?」

 全く予想していなかった角度からの言葉に、自分はただ慌てることしかできない。
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