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高垣楓「あなたがいない」
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1 :
◆eBIiXi2191ZO
:2020/09/13(日) 22:42:56.50 ID:kh3F9e+N0
・モバマス・高垣楓さんのSS
・ちょっと長い
・完結してますけど、ゆっくり更新
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1600004576
2 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 22:44:05.79 ID:kh3F9e+N0
それは、一本の電話だった。
3 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 22:44:57.55 ID:kh3F9e+N0
「はい、CGプロでございます」
春の日の朝。
事務所には私とちひろさんしかいない。いつものようにちひろさんが電話を取る。
「はい。確かに、Pは私共の社員ですが……え」
いくらかの沈黙。そして、私は聞いた。
「あの、どういうことでしょうか。事実なのでしょうか。Pが……亡くなったというのは……」
凍り付く時間。
そう、確かに聞いたのだ。
Pさんが、亡くなったという、言葉を。
―― ※ ――
4 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 22:46:15.19 ID:kh3F9e+N0
事務所の中に私とちひろさんしかいなかったのは、幸いだった。
にわかに信じがたい言葉を飲み込み、私は電話が終わるのを待つ。
ちひろさんの蒼白な顔。それだけで、先ほどの言葉は真実なのだろうと思われた。
「……どう……しましょう」
ちひろさんがうめくように呟く。私はなんとか、言葉を絞り出した。
「ちひろさん……まず、社長さんに。それから……ええと……」
先ほどの電話を思い出しなさい……どこに安置されていると言っていたの?
「社長さんとちひろさんで、病院に行ってください……私は、残ります」
「えっ、それでは……」
「今はほら、人がいませんし。スタッフの方に事情をお話ししないとなりませんし」
「でも」
「早く、社長さんとちひろさんが会ってあげて……くださいね?」
5 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 22:47:13.52 ID:kh3F9e+N0
私は「お願いします」と告げ、ちひろさんを送り出そうと試みた。
ちひろさんは震えながらも頷き、社長さんへ連絡をする。私は給湯室へ向かい、スタッフが来るまでにお湯を沸かそうと、準備をする。
ずるり。
給湯室に入った途端、足に力が入らなくなる。軽いめまい、そして。
「……なぜ……Pさん」
ぺたんと、へたり込む私。今ここにある現実を、私は受け止めきれずにいた。
だがふと、Pさんの顔が浮かぶ。
そうだ、こうしていられない。Pさんならどうする?
私はどうにか起き上がり、お湯を沸かし始める。
なにかしないと……その気持ちだけが、私を動かしていた。
6 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 22:48:05.95 ID:kh3F9e+N0
ほどなく、スタッフが出社してくる。
私は取り急ぎ、Pさんが病院にいるという事実だけをスタッフに伝え、ちひろさんを向かわせた。
なにせ内容が内容だけに、他のアイドルに話が伝わればどれほど混乱するか分からない。
事業部長などの上役は、もう少し遅く出社するだろう。それまでは。
混乱を最小限に。意識を集中する。Pさんならどうするだろうかと、そのことを考えて。
今日出社するスタッフが、あらかた事務所にそろう。
私は部長さんから「大まかに話は聞きました」と告げられ、別室に呼ばれた。ちひろさんと社長さんはここに、いない。
7 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 22:49:00.86 ID:kh3F9e+N0
「高垣さん……ありがとうございました」
「いえ、大したことはできませんでしたが」
「いや本当に……P君が亡くなったことを、今のところ抑えてくださって」
「……それは」
Pさんなら、公開すべきところを関係スタッフと意思統一を図るだろう。
今はまだ、それすらできていない。そう考えて抑えていただけだ。
「Pさんだったら、と。そう思って」
「それがありがたいんです。社長が戻ったら、残りのスタッフに話をすることになりますが、たぶん大きく混乱するでしょう。
私たちスタッフは、全力で皆さんをサポートしますが、アイドルの皆さんのサポートを少し、お願いしないとならないかも、しれません」
「それは、たぶんそうだろうと、思っています」
「本当に……本当に申し訳ない」
部長さんは私に頭を下げた。その姿に戸惑いを隠せない。なぜなら。
私もどうしていいのか……分からない。
「とにかく。社長さんがお戻りになったら、ということで」
「そうですね、ええ、そのとおりだ……まず、社長の帰りを待ちましょう」
8 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 22:50:23.80 ID:kh3F9e+N0
しばらくして、アイドルも事務所に顔を出し始める。
スタッフをやりくりして、各々の仕事先へ向かわせる。
私は幸い、今日はレッスンだけ。社長さんが戻るまではとお手伝いをするけれど、実際は違う。
レッスンをする気になれないでいたのだ。
なにかをしていないと、ひどく落ち着かなかった。
そして、社長さんが戻ってくる。ちひろさんは、一緒にいない。
事務所内にいるスタッフに招集をかけ、社長室に入っていく。私は電話番の名目で、同席を遠慮した。
不思議と、電話はかかってこなかった。私はカールコードを手でもてあそぶ。
社長室ではどんな話をしているのだろう。
気にはなるけれど、おそらく私たちアイドルが聞いていいことではないだろう。それが想像されるだけに、余計に気が重かった。
そして、みな重苦しい表情を浮かべ、社長室から出てくる。
スタッフのひとりが私に「社長がお呼びです」と声をかけた。
なんだろう?
不安な気持ちを抱えながら、私は社長室のドアをノックした。
9 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 22:51:36.25 ID:kh3F9e+N0
「高垣です」
「どうぞ」
簡潔なやり取り。
私は社長室へ入っていく。中では、社長さんと部長さんが立っていた。
部長さんに促され、私たち三人は応接ソファーに腰かける。
「高垣さん」
社長さんが切り出す。私は「はい」と返事をして、次の言葉を待った。
「P君のことですが……ここからは、この三人と、ちひろ君だけの秘密とさせてください」
どきり。その言葉ひとつで私は知った。
ああ、彼は確かに。
亡くなったのだ、と。
「分かりました」
私と部長さんが頷く。
社長さんは、ふうとため息をひとつこぼし、言葉を放った。
10 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 22:52:36.62 ID:kh3F9e+N0
「私とちひろ君が病院に着いた時にはもう、彼は、亡くなっていました。そして今、スタッフにはその事実を伝えました」
「……」
「ここからが、秘密にしていただきたいことです……ほどなくして、警察が病院に来まして、私とちひろ君、そして彼のお姉さんが事情聴取を受けました」
「えっ?」
私は声を上げた。
警察? なぜ?
「救命センターの先生がおっしゃっていました。彼の死因は、一酸化炭素による中毒死。車の中で、発見されたそうです」
「……」
「彼の持ち物に、遺書らしきものがあったそうです。警察は、自死の可能性が高いけれど、念のためにと私たちに……」
私も部長さんも、声が出ない。声にならない。
『自死』
その単語が、私を苛む。手が震え、視線が定まらなかった。
11 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 22:53:35.48 ID:kh3F9e+N0
「彼は、自ら死を選んだんです……」
それ以上、誰も、なにも、話せない。
私は両手で顔を覆い、うつむく。
部長さんの手が、握られたまま震えている。社長さんが、目を伏せている。
いたたまれない時間。私たち三人は、社長室で無為に時を過ごす。そのことを、いったい誰が責められるだろう。
涙は、不思議と流れてこなかった。そうだろう。
私はここに至ってもなお、信じていないのだから。
沈黙だけが、私たち三人を慰めていた。
12 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 22:54:28.52 ID:kh3F9e+N0
ちひろさんは帰ってこない。
社長さんの指示で、スタッフ経由でアイドルたちに、Pさんが亡くなったことを伝える。
仕方ないことだ。人の口には戸が立てられないし、いつどこから、彼が亡くなった事実を聞くか分からない。
むしろ早めに手を打つことで、少しでも動揺を収束させる狙いがあった。
そうは言っても、ショックは計り知れない。
告げられたアイドルたちから、次々と社内SNSにコメントが入ってくる。信じられないと、悲痛な言葉があふれかえる。
ああ、これから。
どうなるんだろう。
私はなぜか、そんなことを考えていた。
Pさんならどうするのだろう? そう思うことで、私は私を保っていたのかもしれない。
考えても、仕方のないことなのに。
13 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 22:56:01.74 ID:kh3F9e+N0
ちひろさんが帰ってきたのは、もう夕方になろうとする頃だった。
私の顔を見て一言「ごめんなさい」と呟き、力なく社長室へと向かう。
彼女がなにを話すのかなんて、私には分からないこと。
だがちひろさんのまぶたはややはれぼったくて、相当に泣きはらしたのだろうということは容易に想像できた。
そして、社長室から戻ったちひろさんが、よろよろと席に着いた。私は少しぬるくなったお茶を、彼女へと差し出す。
「お疲れさまでした」
「いえ……楓さんにはご迷惑をおかけしました。本当にごめんなさい」
「……いえ、そんなこと」
彼女の口からは、謝罪の言葉しか出てこない。ちひろさんの心を考えると、私はどう言葉を返したらいいのか分からなかった。
「Pさんのお姉さんに、お会いしました」
ちひろさんはそう切り出す。
14 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 22:57:02.65 ID:kh3F9e+N0
「お姉さんに、ですか?」
「はい……弟がいろいろお世話になりました、と、お礼を言われて……」
そう言うとちひろさんは、ぽろぽろと涙をこぼす。
「私……なにもPさんに報いることしていないのに……お礼を言われるなんて、そんな……」
それ以上、言葉を紡ぐことは難しかった。そして、ちひろさんが涙を流す横で、相変わらず泣けずにいる、私。
いったい、なんなのだろう。この、私は。
「他のスタッフさんにお任せして、私たちはお先に失礼しましょう。たぶん社長さんも、そうおっしゃったのでしょう?」
ちひろさんはうつむいたまま首肯する。
私はちひろさんを連れ立って、ロッカールームへ向かった。そして、ちひろさんを着替えさせる。
鼻をすする音が、ロッカールームに消えていった。
事務所の中に指示の声が響き渡る。スタッフの混乱が続く中、私とちひろさんはお先に上がることとした。
15 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 22:58:18.62 ID:kh3F9e+N0
「ちひろさん? マンションまで送りましょうか?」
私の提案に、ちひろさんはかぶりを振る。さすがに今の彼女をそのまま電車へ預けてしまうのは、不安でしかない。
通りに出てタクシーを捕まえる。
「ほら、私も一緒に乗りますから。帰りましょう?」
「……ごめんなさい」
要領を得ないちひろさんと一緒にタクシーに乗り込む。幸い私は、ちひろさんの自宅を知っていた。
無言のまま通りを走っていくタクシー。
ちひろさんが実家住まいでよかったと、私は安堵している。親御さんに送り届けられれば、とりあえず安心していいだろうと思う。
今の彼女にかける言葉はまだ、見つからない。
もどかしい時間が過ぎ、ようやく彼女の自宅へタクシーが到着する。
親御さんに簡単に事情を説明し、私はちひろさんを引き渡す。
タクシーを待たせているからと、お茶を辞退してすぐ自分のマンションに向かった。
16 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 22:59:30.24 ID:kh3F9e+N0
車内。私は流れる街灯りをぼんやりと眺めている。
今日は本当に、いろいろとありすぎた。目まぐるしく変化する状況に、理解が追い付かない。
今こうしている間も、これが現実と思えない私がいる。
女子寮を出てマンションを借りてもらったのは正解だった。
たぶん今、女子寮の中は混乱の渦真っただ中だろう。その環境でクールダウンすることは、とても難しいことに思える。
タクシーがマンションに着く。私はじりじりとした頭痛を抱え、部屋へと戻った。
がちゃり。玄関からリビングへ向かうと、冷蔵庫のうなりが私を出迎える。
いつもの光景。
しかし今の私には、その音すら煩わしく感じた。
ソファーにバッグを放り、そのまま寝室へ。私はベッドへ倒れこむ。
はあ。
ため息をこぼす私。ベッドで横になると、体が異常にこわばっていたことに気付いた。
そうか、ずっと気を張って、冷静を装っていたのか。
ようやく冷えてきた頭で、私は思う。
17 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 23:00:14.02 ID:kh3F9e+N0
あれは、現実だったのだろうか。
部長さんの落胆する表情。社長さんの苦悩の色。そして、ちひろさんの涙。
耳には、スタッフの指示の声。そして。
『自死』の言葉。
忘れたくても忘れられない、その響き。
ベッドに横になり、徐々に体が弛緩してようやく、その言葉の意味を理解するようになる。
Pさんは自ら、消えることを選んだ。心を打ち明けることなく、ひとりで決め、そして実行した。
その気持ちが理解できるとかできないとか、なぜ打ち明けてくれなかったとか。
私は、そんな独りよがりなことを思ってしまうのだ。でも。
18 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 23:00:44.32 ID:kh3F9e+N0
私は、彼ではないのだから。
19 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 23:01:24.85 ID:kh3F9e+N0
その事実が、心に突き刺さる。
だが彼は、デビュー前からずっと、私を担当してくれたプロデューサー。そして、この芸能界で最も深く長いお付き合いをしている、大切な人。
私たちは二人三脚で、シンデレラロードを歩いたのだと思っている。
そのことに気付いて、私は理解した。
そう。彼は、ベターハーフなんだ。
私は、私の半身を失ったんだ。
ほろり。
両の目に、温かいものがこみ上げてくる。私はタオルケットで、顔を押さえた。
言葉が出てこない。いや、言葉にできない。私のベターハーフ。
私はようやく、泣くことが、できた。
―― ※ ――
20 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/13(日) 23:02:53.62 ID:kh3F9e+N0
※ 今日はここまで ※
副業の合間を縫って更新します。
毎日は無理そうなので、しばらくずっとお待ちください(←?
ではまた ノシ
21 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/09/14(月) 00:43:23.38 ID:AZmn02Jho
おつ
きたい
22 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/09/14(月) 11:54:14.94 ID:SzajDXTSo
乙
23 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:03:53.23 ID:Od9IjqsH0
投下します
↓ ↓ ↓
24 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:04:49.23 ID:Od9IjqsH0
朝が、きた。
どうやら、そのまま眠ってしまったらしい。起き上がると鈍い頭痛がする。
昨日のことを思い出したりするけれど、今日は今日でいつもの日常が待っている。仕事が待っている。
くらくらする頭を、シャワーで洗い流す。いくらかさっぱりはするものの、気持ちはまったく晴れない。
昨日の今日で気持ちが切り替えられるのならどんなに楽だろうと想像するけれど、簡単に切り替えられないから私なのだ、などと自分に言い訳をした。
悲しいかな、どんなに嘆いたところでPさんが帰ってくるわけじゃない。
それよりも彼が残してくれたスケジュールを、私はこなさねばならない。それが唯一彼に報いることなのだと、その時の私は思っていた。
玄関を出る。
私ははっとした。そうだ、もうPさんの送迎は、ないのだ。
アイドルとして名前も売れシンデレラガールの称号を得た私が、電車で通うなど問題が大いにありすぎる、と。
担当が責任をもって送迎する、それが事務所のやり方。
Pさんが私を迎えに来る、それが今までの私の日常だったのだ。
そして今、日常は打ち破られている。
足がすくむ。どうしようという気持ちがぐるぐると、私を締め付けた。
でも、Pさんの残してくれた仕事があるからと、そう自分に言い聞かせながら私はタクシーを捕まえた。
25 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:05:56.49 ID:Od9IjqsH0
昨日より遅くに、事務所へ着いた。ドアを開けるとそこにはスタッフの右往左往と、アイドルたちの沈んだ顔。
事務所の中は昨日よりもずっと重く、ずっと深かった。少しは想定していたとはいえ、この雰囲気に飲まれそうになり、一歩が踏み出せない。
「楓ちゃん」
ふと声をかけられ視線を向けると、瑞樹さんが手を振って待っていた。
「瑞樹さん……今日は」
私が声をかけようとすると、彼女は手で言葉を制しかぶりを振った。
「楓ちゃん……大変だったわね」
「いえ……私よりもむしろ、ちひろさんや社長さんのほうが」
「それはそうでしょうけど……楓ちゃん、P君と一番古い付き合いじゃない。だから心配になって」
瑞樹さんは一番に、私のことを気にかけていた。
26 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:06:56.49 ID:Od9IjqsH0
確かに私とPさんは古い付き合いで、彼にスカウトされ、彼のプロデュースでデビューし、彼のおかげでシンデレラガールにまで登り詰めた。
その間に彼は何人かのアイドルを同時にプロデュースしていたこともあったけれど、今は私だけとなっていた。
なぜか。
それは、私が事務所の看板アイドルだからということが大きかった。
稼ぎ頭のプロデュースを専属のプロデューサーが行う、異例と言っても過言ではなかった。
私は確かに、特別扱いされていたのだ。
瑞樹さんは、私の次に彼がプロデュースを手掛けたアイドルで、彼女とはユニットを組んだこともある。
この業界の酸いも甘いも互いに知った、戦友と言ってもいい存在。
今でこそ彼女は、セルフプロデュースで安定した仕事をこなしているけれど、それは前職がアナウンサーという経験がなせるものだと、私は知っている。
Pさんの次に付き合いの長い彼女だから、こうして心配をしてくれるのだろう。本当にありがたい。
27 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:07:39.84 ID:Od9IjqsH0
「まあ、大丈夫とはとても言えないですけど……でも、Pさんが残してくれた仕事がありますから」
私がそう答えると、瑞樹さんは「待って」と言い、私と目を合わせる。
「ダメ。ダメよ。そんな物分かりのいい楓ちゃん、P君が望んでる楓ちゃんかしら?」
瑞樹さんは言う。彼女の言いたい意味は分かる気もする。
しかし今は、それではいけない。私は視線を外し、瑞樹さんに言った。
「ごめんなさい……今はこうしていないと、自分自身どうかなってしまいそうですから……」
私は瑞樹さんに、ひどい言い訳をした。彼女はため息をひとつ、こぼす。
「そうね。昨日の今日だし、気を張ってしまうのは仕方ないわ。でも」
瑞樹さんは再び視線を向ける。
「張りすぎた弦は、いつか切れるわ」
瑞樹さんは私の肩をぽんと叩くと、スタッフに声をかける。
「それじゃあ、現場へ行ってきます。みんな、頑張りすぎないでね」
言葉を残し彼女は、事務所をあとにした。
28 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:08:23.61 ID:Od9IjqsH0
残された私はまず、Pさんのデスクに向かった。
彼がいないのは事実。でも彼のデスクで当日のスケジュールを確認することが、私のルーティーン。
だからいつものように、そう、いつものように。
デスクの上の閉じられたノートパソコンを、私は撫でた。
ゆっくりと開け、電源を入れる。しばらくして、慣れ親しんだ画面が浮き出てきた。
彼から教えてもらったパスワードを入力する。目の前に浮かび上がる、見慣れたデスクトップ。私はマウスを動かし、社内SNSを立ち上げた。
29 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:09:02.79 ID:Od9IjqsH0
「私にパスワードを教えて、いいんですか?」
「もちろんです。見られて困るものは全然ありませんし、一緒にスケジュール確認するなら、このほうがいいでしょう?」
「私、Pさんに内緒で、エッチなホームページの履歴を探しちゃうかもしれませんよ?」
「いやいや楓さん。これ、ちゃんとウェブフィルターがかかってますから、最初から見られませんよ」
「あら。じゃあ一度は見ようとしたんですね?」
「……ばれました?」
「ふふふっ」
「あははは」
そんな冗談を交わしたことを、不意に思い出す。少し心が、痛くなった。
スケジュールを目で追っていると、ちひろさんがそばにやってきた。
30 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:09:54.19 ID:Od9IjqsH0
「楓さん……昨日は本当に、ありがとうございました」
「いえ、ただ一緒に帰っただけですから。少し、落ち着きましたか?」
「ええ……まあ」
ちひろさんは沈んだ表情を浮かべる。当たり前だ。たった一日で落ち着けるはずもない。お互いの慣用句が、むなしく響く。
「スケジュールの確認、ですか?」
ちひろさんが私に尋ねる。
「ええ、まあ。いつものことなので」
「そうですね……あ、そうだ」
そういうとちひろさんは、Pさんの袖机を開け、大判手帳を取り出した。
「これ、楓さんが持って行ってください」
彼女は取り出した手帳を、私に渡す。
31 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:10:33.88 ID:Od9IjqsH0
「え? ちひろさん、勝手にPさんの手帳出して、いいんですか?」
「はい。Pさんには以前から『ここに手書きのスケジュールとか入れておきますから、いつでも見てください』って言われてましたから。
ほんと、Pさんはオープンな人ですよね」
そう言ってちひろさんは、無理に笑顔を作った。
「ありがとうございます。じゃあ遠慮なく」
「あ、あと。これを」
ちひろさんはそう言うと、私にメモを渡す。そこには、日付と時間、そして。
「……これ」
「はい。先ほど事務所に連絡がありました。Pさんの告別式の、場所です」
そこには、日付と時間と、告別式の斎場が、書かれていた。
32 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:11:22.25 ID:Od9IjqsH0
慌ただしい日々は続く。それでも。
私はどうにか、告別式で焼香できる時間をひねり出すことに成功した。
当日は収録の仕事が入っていたけれど、中抜けをして斎場に向かうことができるよう、事務所のスタッフが手配してくれていた。
みんなギリギリの心理状態であろうに、本当にいくら感謝しても足りないくらい。
テレビ局から中抜けし、車で移動する。そんな中ふと、漫画で読んだのだったか、火葬場で煙を見上げるというシーンを思い出す。
しかし実際は近所の迷惑になるからと、煙は見えなくするよう工夫をしているのだそうだ。
それを私に教えたのは、Pさんだった。
なぜそんなことを知っているのだろうと不思議に思ったことを、私は覚えている。
今、私は思う。
煙が見えたなら、どれほど心がざわつくのだろうか。
それを確かめる術は、ない。
33 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:12:28.09 ID:Od9IjqsH0
そして到着した告別式、僧侶の読経が響く。中に入ると、驚くほど人がいなかった。
小さな祭壇に、社長さんやちひろさんなど事務所スタッフ数名、それからおそらく、彼のお姉さん。
両手で十分数えられる人数。私は茫然とした。
お姉さんと思しき人は、私の顔を見てわずかに会釈した。
そうだ、あまり時間がない。
わずかな中抜けしかできない以上、少ない時間の中で彼を惜しむしかない。
祭壇に誘導され、遺影を見る。その姿はいつ頃の写真なのだろうか。
社会人というにはまだ少しあどけない表情で、おそらく大学生の頃なのだと想像できた。
私の知らない頃の、Pさん。
そして、無垢の棺の中に眠っているだろう、私の知っているPさん。
彼の顔を見ることが、怖い。
そんな気持ちがよぎる。
私は一歩、また一歩と、焼香台へ向かう。僧侶へ一礼し、遺影に向かう。
焼香をつまむと、ひとつ、またひとつとくべていく。
煙の奥で笑う、Pさんの表情。私はそれをしっかりと目に焼き付け、手を合わせた。
願わくは、彼岸への旅路が安寧でありますように。そして、いつか私がそちらへ旅立つことがあれば。
彼に、会えますように。
そして、私はすぐにお暇をする。お姉さんに会釈をひとつ、社長さんとちひろさんにも会釈を。
ちひろさんは落ち込んだ表情を浮かべたまま、私に頷き返した。
結局彼の顔を伺うことは、しなかった。
いや、できなかった。
34 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:13:13.56 ID:Od9IjqsH0
収録へ戻る車の中。私は、臨時でマネジメントをしてくれているスタッフに話しかけた。
「本当に」
「……なんです? 楓さん」
「……あっけないものですね」
私は、どういう意味でそんなことを言ったのだろう。それきり、会話は途切れた。
今頃、Pさんはどうなっているのだろう。
もう火葬場へと向かったのだろうか。
煙が見えたなら、なんて思ったけれど、それをこうして想像するだけで、ちりちりと痛みを感じる。
無言のまま、車はテレビ局へ滑っていく。
窓から伺える街の喧騒が、私を日常へ戻るよう強いているようで、心がざわついた。
目を伏せ、アイドルへ戻る作業へと、私は没頭する。
まぶたの裏では、先ほどの遺影が、私に笑いかけていた。
―― ※ ――
35 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:14:18.80 ID:Od9IjqsH0
手帳を、開く。
Pさんが残してくれた、私のスケジュール。それは半年先まで埋まっていた。
もちろん、これから詳細を調整する必要があるものばかりだけれど、私たちアイドルのスケジュールをこれだけ埋めておけるというのは、やはりPさんの力量が並外れていることの証左と思う。
カレンダーの後ろ、メモのところにはびっしりといろいろなアイディアや備忘録、彼の考え方や私のことなどで埋め尽くされていた。
彼のすべてとは言わないけれど、手帳には想いが詰まっていた。
シンデレラガールを射止めたあとも、トップアイドルとして私があり続けられるようにと、いつもいつも考えてくれていた。
書かれている文字ひとつひとつを惜しむように、私はなぞっていく。
本当に、私は大事にされている。私は……Pさんに報いたい。
そう、決心した。
36 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:15:26.03 ID:Od9IjqsH0
社長さんから、Pさんの後任の打診を受ける。Pさんの先輩で、プロデューサーとしての実力も確かな人だった。
「高垣さんには酷な話だと思っています。だが我々も万全の体制で、引き続き頑張っていきたいと考えています」
「……」
「よろしく、お願いしたい」
Pさんを失ったとは言え、仕事は続いていくわけで。各所への配慮を考えれば、たぶんベストなのだろう。
しかし、私は逡巡する。
Pさんには、やりたかったことがまだまだあった。できるなら、それを実現したい。それが私にできること。私の心は囚われていた。
「ありがとうございます」
私は社長さんに一礼する。しかし。
「でも、今はお受けできません……ごめんなさい」
私は言った。
37 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:16:08.17 ID:Od9IjqsH0
「……それは、P君のことが忘れられない、ということなのですかね?」
社長さんが問う。
「そういう気持ちがないと言ったら嘘になります……でも、それ以上に」
私は、まっすぐに告げる。
「私自身を信じて、しばらくセルフプロデュースでいきたい、と。そう、考えています」
「セルフ、ですか……ふむ」
社長さんはなにやら考えている。
「川島さんの例もありますけど……やはり今後のことを考えると、分かりましたとは、さすがに」
「そうだろうと、私も思います。でも」
そう言って私は、バッグからPさんの手帳を取り出す。
「それは?」
「これは……Pさんの、スケジュール帳です」
「……そう、ですか」
テーブルの上に置かれた、黒いシンプルな手帳。社長さんはそれを手に取り、ぺらぺらとめくり始めた。
「私はちひろさんからこれを預かりました。そして中を見て、Pさんの思い描く先を想像しました」
「……なるほど」
「私は、この想いに報いたい。そう、考えています。そしてそれは」
私は一息つくと、社長さんの目を見る。
「私自身がトップアイドルであり続けること、そこに繋がるものだと、確信しています」
38 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:17:13.10 ID:Od9IjqsH0
わがままだということは十分分かっている。だがどうしてもこれだけは、譲れない。
社長さんは手帳をテーブルに置くと、両手を組んで私に言った。
「高垣さんの想いは分かりました。ただ、それでもセルフでというのは、承諾できません」
「……」
「チームを組みましょう。そのリーダーは、高垣さん、あなたで」
「……えっ」
「私たちが高垣さんをバックアップします。彼の想いを実現できるよう、頑張りましょう」
私は、なにを言われたのか一瞬、分からなかった。今も少し、混乱している。
「マネジメントと営業のスタッフの人選は任せてもらいます。それと、先ほどのプロデューサーは、アドバイザーとして参加させます」
「……」
「では、詳細は後日、詰めていきましょう」
「……あ、はい」
なにかがあっけなく決まっていく。拍子抜けするほどに。でも、これで。
Pさんに、報いることができる。
私は、彼ではない。だから彼のようにできるとは思わない。
それでも、彼の意志を継ぐということが私にとって、なにより重要なことなのだ。
こうして私は、困難な道を進むことを決めた。それがどういう結果をもたらすか、分からないのだけれど。
それでも、私は幸せだった。
39 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:18:25.87 ID:Od9IjqsH0
翌日。オフであった私に一本の電話が届く。チームの構成について打ち合わせをしたい、ということだった。
私は早速事務所へ顔を出した。
「おはようございます」
「あ、楓さん。お待ちしてました」
ちひろさんが出迎える。
彼女の表情は明るさを取り戻しつつある、とは言い難い。
時間が人を癒やしてくれるとは言うけれど、そうすぐに解決できるほど人の心は単純じゃない。
たぶんそれは、私にも言えることだ。
会議室には社長さんと、チームのメンバーとなるであろう人たちが集まっていた。
先輩プロデューサー、ベテランマネージャー、そして営業兼事務のメンバーがふたり。
中心に座る社長さんが言う。
「うちの事務所で考えうる、ベストメンバーを用意しました。まあ、高垣さん専属とはさすがにいきませんけど」
それは致し方ない、というか、それが当然だと思う。
集まってくれた面々はすでに担当アイドルが複数いるわけだし、引き抜くわけにいかない。兼務というのは至極妥当な話だ。
40 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:19:06.98 ID:Od9IjqsH0
「いえ、ありがとうございます。正直、ここまでしていただけると、私のプレッシャーが」
「いやいや、私たちのほうがプレッシャーですって。ほんと、お手柔らかに」
私の言を受けて、プロデューサーが言う。少し、場の雰囲気が和らいだ。
メンバーの顔触れをもう一度確認し、私はバッグからPさんの手帳を取り出す。そして、それをプロデューサーに渡した。
「これが、Pさんの全部、です。よろしくお願いします」
「分かりました、お預かりします。あとこれはスキャンしてお返ししますね」
「え?」
「だって、彼のすべて、でしょう?」
そうか、プロデューサーは私に、最大の配慮をしてくれたのだ。これが私にとってどれほど大切なものなのかを、彼は知っているのだ。
Pさんの先輩であるからこそ、そうしてくれた。
心が、詰まる。
ありがたいと思う気持ちはあるけれどそれ以上に、もう彼はいないという、現実を突きつけられた気がした。
「よろしく、お願いします……皆さん、頑張りましょう」
チームのみんなが頷く。私は言葉を絞り出すのが、精いっぱいだった。
41 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:20:15.89 ID:Od9IjqsH0
翌週から仕事の合間を縫って、ミーティングが開かれる。
私がリーダーになったとは言え、企画からスケジュール管理まで行うのはチームの他のメンバー。
私はアイディア出しとパフォーマンス、それを求められている。実際、仕事のスケジュールは半年先まではある程度埋まっている。そこは問題ない。
「やはり、ライブでしょうか……」
私は切り出す。
チームを作っているからこそ、先々にある道標(ランドマーク)を表さねばならない。それもはっきりと目立つように。
「そうなるでしょうね」
私の切り出しに、プロデューサーは頷く。
「楓さんはどういうコンセプトでやってみたいと思ってます?」
プロデューサーは言葉を続けた。
42 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:21:11.65 ID:Od9IjqsH0
「そうですねえ……ホールはあまり大きくなくていいんです、と言うか、あまり大きくないほうがいいんですが。
私の肉声が聞こえるくらいの近さで、アコースティックなライブがやってみたいです」
「ああ、なるほど。アコースティックですか」
コンセプトはある程度、分かってもらえそうな雰囲気。
「ただ、やはり楓さんクラスのアイドルがライブを行うのなら、五百から千人のハコでは、小さいと思います」
マネージャーはそう意見する。これにはプロデューサーも同意した。
「営業的には二千人くらいまでのハコでPAは使用。演奏はアコースティックオンリーでいくのはどうでしょう?」
プロデューサーは落としどころを探る。そのコンセプトなら、Pさんが思い描いていたライブに近いもののような気がした。
「そうですね……それなら、いいかと」
私は答える。
「分かりました。基本はそれで。ライブの時期は一年後くらいでしょうかね。ハコを押さえる関係がありますし」
「はい。それでいきましょう」
43 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:21:58.43 ID:Od9IjqsH0
プロデューサーのざっくりしたスケジュールに、私はゴーサインを出す。
チームの道標は決まった。あとは詳細を詰めていく作業へ移る。
チームが、事務所が、人々が、慌ただしく動いていく。私の新しいスケジュールは徐々に、密に埋まっていく。
それが私にはありがたかった。
なぜならPさんのことを思い出さずに、済むから。
私が私であるために今は、仕事にまい進する。
それが今私に求められていることだと、勝手に思っていた。
仕事にレッスンに、私は時間を割いていく。Pさんを想いつらくなることは少なくなり、それは見事に成功しているようだった。
仕事に私を捧げ、半年が過ぎた。
―― ※ ――
44 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:22:56.95 ID:Od9IjqsH0
※ 今日はここまで ※
徐々に、お話は進んでいきます。
ではまた ノシ
45 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 21:33:58.33 ID:Od9IjqsH0
余談
芦名星さん逝去の報道に、心乱してます
46 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/09/14(月) 21:49:51.77 ID:sRegz+Goo
単純に好奇心で聞きたいんですが、紙で出したものの再録をここでする理由ってなんですか?
逆(掲示板SS→紙の同人誌)なら修正をしたいとかあるのかな、と思いますが
それと、音葉SSの続きはもう書かないんですか?
47 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/14(月) 22:03:12.58 ID:Od9IjqsH0
>>46
再販はしないよってことと、単純に自分の作品を公開したいってことですかね。
公開なら渋もあるけど、やっぱり速報の投下スタイルが私は好きです。
音葉SSを覚えていただいてるとは……書きたいのはやまやまですが、今現在は精神的余裕がないので……
がんばりますとしか……
48 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/18(金) 22:36:28.28 ID:QGubcxXe0
投下します
↓ ↓ ↓
49 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/18(金) 22:37:02.91 ID:QGubcxXe0
「おはようございます」
私はいつものように、事務所へと顔を出す。
「おはようございます、楓さん」
ちひろさんは笑顔で応えてくれた。
こうして日常に至るまで、半年と言う時間がかかってしまった。
それほどPさんを失った影は大きく、どれほど折り合いをつけることが難しかったことか。
私は、折り合いがついたのかしら?
「今日はレッスンですね」
「ええ」
いつもの会話、しかし今日は少しだけ違っていた。
50 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/18(金) 22:37:32.62 ID:QGubcxXe0
「ところで楓さん……ちゃんと食べてます?」
「え?」
ちひろさんの何気ない一言。私はちょっぴり驚いた。
「ええ、もちろん。アイドルは体が資本、ですからね」
「ですよねー。あ、気を付けて行ってらっしゃい」
ちひろさんは私を送り出してくれた。そう。
私は、嘘を吐いている。
51 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/18(金) 22:38:02.97 ID:QGubcxXe0
決して食べていないわけじゃない。あまり食欲が湧かないのだ。
もちろん体が資本だと分かっている。だから私は、きちんと食べるように努力していた。
それでも、体重は以前よりかなり落ちていた。食べているのに、増えない。
私にも分からなかった。
仕事が忙しいからなどと言ったところで、減る限度というものがある。
ふらついていてはみんなが心配する。私なりに頑張っている、はずだ。
でも確かに、なにを食べてもあまり味を感じない。
以前なら美味しいお酒と美味しい食事で私の心は満たされていたし、それを得るためにこの仕事をやっているのだとさえ、思っていた。
ところが、どうだろう。今の私はなにを食べても、感動しない。食事をすることがまるで修行のようだ。
もともとやせ型だったこともあって、体重が減っていること自体あまり気付かれていないように感じる。
それでも察知されることを嫌って、このところ体型が隠れるラフな服装を好んで選んでいた。
こんなごまかしでいつまでも騙せるはずがない。私は不安で仕方なかった。
52 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/18(金) 22:38:40.12 ID:QGubcxXe0
レッスンでもそうだ。ハードレッスンを受ければ当然、体を酷使する。
ついていけなければトレーナーさんから指摘されるし、心配もされる。
だから私はどんなにつらくても、それを顔に出さないよう努力した。
「どうした、高垣! 遅れてるぞ!」
「はい! すいません! 大丈夫です!」
「大丈夫なわけないだろう! ……もういい、今日はここまでにする」
ベテラントレーナーさんから、レッスンの終了を告げられる。
「……はい。すいませんでした」
「……高垣。少し休んだほうがいいんじゃないか?」
「いえ、仕事は待ってくれませんし。まあ、ちょっとハイペースだったかもですから、多少スローペースでぼちぼちやります」
「あまり感心しないな……きちんと休むことも、アイドルの仕事だぞ。きちんとクールダウンしろ。あと」
ベテラントレーナーさんは言った。
「しばらく、私のレッスンは受けなくていい」
「え?」
「こんな状態では、身に付くものも身に付かないからな。もう少し体調を整えてから、もう一度来い」
「……はい」
53 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/18(金) 22:39:09.89 ID:QGubcxXe0
もう、ごまかしも限界にきていることを、感じずにはいられない。
疲れ切った体を引きずり、私はマンションへ帰る。送迎はベテランマネージャーが、その役を担ってくれている。
「高垣さん、大丈夫ですか?」
「ええ、なんとか。今日のレッスンはずいぶんとハードでしたから……ゆっくり、休みますね」
「ぜひそうしてください。無茶だけは、しないでくださいよ」
「もちろん。承りました、ふふっ」
そんなたわ言を述べ繕いつつ、車はマンションへと近づいていた。
54 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/18(金) 22:39:37.30 ID:QGubcxXe0
「……ただいま」
誰もいない部屋。
私は独り言が多くなった。
バッグをソファーへと放り、キッチンのガスコンロに火をつける。お酒のつまみに、鍋に入った作り置きの煮物を温めるのだ。
そして冷蔵庫から私は日本酒を取り出した。
「今日は……これかな」
山形の『惣邑』。Pさんが好きで、たまにお相伴に与っていたお酒。
四合瓶からガラスの冷酒器へ移し、お猪口と一緒にリビングのテーブルへと置いた。そして私は、キッチンへ戻って鍋の様子を眺める。
ちりちりと泡立ちはじめる音を聞きながら、揺らぐ碧い炎をぼんやり見つめていた。
55 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/18(金) 22:40:24.84 ID:QGubcxXe0
どうしてしまったのだろう、私は。
Pさんが亡くなった衝撃で、食欲が落ちているのだろうか。
そういう分かりやすい理由なら、もっと打ちのめされた気持ちになってしかるべきものなのに、私はそこまで悲しくなれない。
ちひろさんの悲嘆に暮れた顔を思うたびに、私は薄情なのかしらと訝ることもしばしばだった。
決してそんなつもりはない。あの時私は確かに、泣き疲れて眠ってしまうくらい泣けたのだ。
そして、Pさんがベターハーフであったと、気付いたはずだ。
ところがどうだろう。
あれから半年が過ぎ、私は仕事にかまけてPさんを忘れようとしているのではないか。そんな馬鹿なことを考えることが、たまにある。
忘れられるはずもないと思う気持ちと、実はそれほど痛みに思っていないのではという疑念。
矛盾を抱えていても私は、なにかアプローチしようとせずただ立ち竦んでいるだけじゃないのかしら。
アイドルとしての自分を一番に考えるべきところで、私は思考を浪費しているような感覚に囚われていた。
ことことと鍋から小気味いい音が聞こえてくる。火を止め、小鉢に煮物を取り分けた。
56 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/18(金) 22:41:11.87 ID:QGubcxXe0
「それじゃあ、いただきます」
冷酒器からお猪口へ、お酒を注ぐ。澄んだ命の水をありがたく、頂戴する。
「?」
違和感を抱く。
このお酒の持つ豊かなうまみが、口の中に感じられない。一昨日開栓したばかりなのに、そんなわけはない。
煮物に箸をつける。飴色をした大根を一口、ほおばる。
おかしい。妙な甘ったるさを強く感じる。
もう一口、お酒を含む。先ほどとは違う、妙な痺れを感じた。
私、変だ。
57 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/18(金) 22:41:45.02 ID:QGubcxXe0
味覚が安定しない。自分の舌は、どうなってしまったのか。
不安な気持ちが膨らんでいく。
私は慌ててキッチンへ戻り、コップに水を汲む。やわらぎ水で口をリセットし、お酒を呑み始めた。
先ほどよりはましになった気がする。
私は安堵した。やはり疲れなのだろうか、ベテラントレーナーさんもマネージャーさんも、私に休むよう進言してくれる。
そうね、お酒をゆっくりいただいて、ゆっくり休んで、明日の英気を養いましょう。
水を挟みつつ、私は結局四合瓶ひとつ空けることとなった。
あまり酔った気がしない。もう少しなにか呑もうか。
ロック用に置いてあるラムが、冷凍庫に鎮座している。私はこれを取り出して、ショットグラスに注いだ。
ぐいっ。氷も入れない刺激物が、私ののどを焼く。
うん、今日はこれでお開きにしよう。明日の仕事のことを考えつつ、私はテーブルを片づけ始めた。
ベッドに潜る。眠くない。
まああれだけお酒を入れたし、そのうち眠くなるだろうと思いながらも、私の頭はさっぱり茹だっていなかった。そう言えば。
最近私は、いつ『酒あわせ……』と言っていただろうか。
ふと、そんなことを、思った。
58 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/18(金) 22:42:27.42 ID:QGubcxXe0
翌々日。チームのミーティングでプロデューサーから言われる。
「楓さん」
「はい」
「ペースを、落とします」
「……え? どうして?」
突然のペースダウン発言に、私は驚いた。
「いや、楓さん。どうしてもないでしょう? ……ベテラントレーナーさんから聞きましたよ」
ああ、そういうことか。
ひょっとしたらとは思ったけれど、もはやごまかしが許されない状況なのだと、観念するしかなかった。
「楓さんだからということで我々もバックアップに努めていましたけれど……ありていに言えば、楓さん、頑張りすぎ」
プロデューサーのきつい一言に、チームのみんなが頷く。
「どうも空き時間を見つけては自主練していたそうじゃないですか。そういうところは美徳だと思いたいですけど、さすがに心技体そろってはじめて、そう言えるんじゃないかと」
「……そう、ですね。ごめんなさい」
「いえ、謝って欲しいわけじゃないです。もちろん、我々の当面の目標はライブに設定してますけど、それはまだ先の話です。今から根詰めてどうするんです?」
「……」
「心配なんですよ、我々だけじゃなく、スタッフみんなが」
「……そうですね」
私はそう答えるしかなかい。
59 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/18(金) 22:43:12.95 ID:QGubcxXe0
「心配かけてすいません……ありがとう」
「いえ、チームですから」
プロデューサーが笑う。私の心は晴れなかった。
チームなのだから……そう言って私の心配をしてくれる。他のスタッフだって、トレーナーさんだって、ちひろさんだって、私が大丈夫なのかと心配する。
当然だろう、私はこの事務所のアイドルであって、ひとつの商品なのだから。
……え?
私は、なにを思ったの?
あさましい自分の思考を封印する。そう、私はやり遂げなければならないのだから。
それが、私のとれる道なのだから。
営業さんのアプローチしている仕事の内容を吟味し、私のスケジュールは徐々に軽くなっていく。
目を離すと無理をしそうだと、レッスンの時にはマネージャーが必ず付いた。
そこまで私は無理していないのだけれどと思いながらも、彼らの心配を和らげるのも私のやることなのだろうな、と自分で歯止めをかける。
60 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/18(金) 22:43:51.89 ID:QGubcxXe0
ペースダウンを余儀なくされたものの、負荷を軽くしたことが思いもよらず好循環を生む。
私の歌に鋭さが加わったと、評判が上がったのだ。果たしてそれは、本当に負荷を軽くしたおかげなのだろうか?
私には実感がなかった。
私は今までどおり歌ってきたし、なにも変えたところなどない。鋭さと言われても、それがなにを指しているのかさえ、見当もつかない。
「最近の楓さん、ずいぶん評判がいいですね」
「そうですか?」
「ええ。歌の力がさらに上がったと、収録スタッフからも驚きの声です。ほんと、私も鼻が高いですよ」
マンションへの帰り道、マネージャーがそんなことを言う。
「それは嬉しいですけど、あんまり実感がなくて」
「いやそれは、楓さんのレベルがさらに上がった、ってことじゃないでしょうか」
マネージャーはそう言うけれど、私にはどうしてもそう思えない。
まだまだ、私はもっと高みを目指さなくてはならない。私はまだやり続けなくてはならない。
私は。
「楓さん?」
「……はい?」
「どう、しました?」
マネージャーが、私を呼んだ。
「いえ、なんでも」
「いや、なにか深刻に考え事をしてたように見えたので」
「うーん、今日はなにを呑もうかしら、って」
「まあ命の水も、ほどほどに」
「ですね、ふふふっ」
お酒、か。そう言えばあれから、あまり美味しいって思いながらお酒をいただいていないなあ。
最近はなにを食べても、なにを呑んでも、あまり味を感じない。生きている実感がない。
車は、まもなくマンションへ着こうとしていた。
61 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/18(金) 22:44:32.04 ID:QGubcxXe0
朝。
いつもの気だるさではなく、妙な重苦しさをもって起き上がる。
今日はレコーディングに向けてのレッスンだっけ。目覚めを呼び起こすため、シャワーを浴びる。シャワーの粒がピリピリと肌に痛い。
昨日の車の中で、私はなにを考えていたのだろう。
周りの評判と、私の実感。それが乖離していくほどに、私の心は軋みをあげる。
私はまだ、なにも成し遂げていないし、なにもファンにあげられていない。私は、もっと頑張らなければならないのに。
ずきり。
頭が痛む。片頭痛のような痛み。
待って。私は今日、レッスンがあるの。行かなきゃ。
私がそう思うほど、痛みが私を苛む。息が上がる。
その場にへたり込み、私は深呼吸しようと試みる。うまく息ができない。
意識がなにかに持っていかれるような感覚。
これは、なに?
濡れたままの体を引きずり、私はどうにかリビングまでやってくる。バッグからスマホを取り出し、事務所へ電話をした。
『おはようございます。CGプロでございます』
「……ち、ちひろ、さん」
『はい……楓、さん?』
「……ごめん、なさい……だれ、か」
『……楓さん! 楓さん!』
私は、意識を手放した。
―― ※ ――
62 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/18(金) 22:45:20.64 ID:QGubcxXe0
※ 今日はここまで ※
ではまた ノシ
63 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2020/09/19(土) 02:19:40.76 ID:gSlMKMxqo
おつ
64 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/19(土) 15:23:50.82 ID:+7YhSCXJ0
投下します
↓ ↓ ↓
65 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/19(土) 15:25:12.33 ID:+7YhSCXJ0
気が付くと、私はベッドに寝かされていた。見たことのない天井、のわけがなく、ここは私の寝室だった。
「気が付きました?」
声のほうを向けば、ちひろさんがそこにいた。
「あ」
「ほんと、びっくりしましたよ?」
「そうそう。ほんとよかった」
ちひろさんとは違う声がする。少し顔を上げると、清良ちゃんが一緒にいた。
「ああ、清良ちゃんまで……ごめんなさい」
「いいんですよ。あ、無理に起きちゃダメね」
清良さんは私を寝かしつける。
「ちひろさんから急に電話をもらって、大変! どうしたのかしらって思ったけど。でも、頭も打ってなかったみたいだし、顔色も悪くなかったから、とりあえず寝かせて様子を見ましょう、って」
「……清良ちゃん」
「過呼吸を起こしたんじゃないかしら。なにか心配事でも?」
「……」
答えられない。心配事と言われても、私には思い当たる節がない。
清良ちゃんはなにかを察したのか、柔らかい笑顔を向け、こう言った。
「でも、どこか悪くしているかもしれないから、今日中に病院に行ってくださいね? あと」
「あと?」
「トップアイドル高垣楓が緊急入院、なんてことになったらそれこそスキャンダルですよ?」
「……ああ」
66 :
◆eBIiXi2191ZO
[sage saga]:2020/09/19(土) 15:25:39.94 ID:+7YhSCXJ0
少し朦朧とした頭で、清良ちゃんの言葉を反芻する。
そうだ、ここで例えばちひろさんが救急車を呼んだとする。そうすれば私は、どこかの総合病院に担ぎ込まれることになる。マンション界隈は大騒ぎになるだろう。
そして、それをマスコミがかぎつければ。
トップ記事の、できあがり。
「ほんとに……ありがとう、清良ちゃん」
「いいえ、ちひろさんの機転にお礼、言ってくださいね」
「ええ。ちひろさん、ありがとう」
「いえ、ほんとよかったです。あと、病院は私がいいところを知ってますから。今日はそこに行きますからね」
「え、でも。今日は」
「ここに来る前、レッスンはキャンセルしておきましたから。観念して私と、病院に行きましょうねー」
どうやら有無を言わさず、私は病院送りにされるらしい。彼女たちの配慮に、私はほっとする。
ちひろさんの言葉を聞いて、私は少し眠くなってきたらしい。
「もう少し、休んでもいいですか?」
「はい、午後になったら行きましょうね」
誰かがいる安心。私は久しぶりに眠った、気がした。
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