高垣楓「あなたがいない」

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1 : ◆eBIiXi2191ZO :2020/09/13(日) 22:42:56.50 ID:kh3F9e+N0

・モバマス・高垣楓さんのSS
・ちょっと長い
・完結してますけど、ゆっくり更新



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1600004576
2 : ◆eBIiXi2191ZO [sage saga]:2020/09/13(日) 22:44:05.79 ID:kh3F9e+N0

 それは、一本の電話だった。

3 : ◆eBIiXi2191ZO [sage saga]:2020/09/13(日) 22:44:57.55 ID:kh3F9e+N0

「はい、CGプロでございます」

 春の日の朝。
 事務所には私とちひろさんしかいない。いつものようにちひろさんが電話を取る。

「はい。確かに、Pは私共の社員ですが……え」

 いくらかの沈黙。そして、私は聞いた。

「あの、どういうことでしょうか。事実なのでしょうか。Pが……亡くなったというのは……」

 凍り付く時間。
 そう、確かに聞いたのだ。
 Pさんが、亡くなったという、言葉を。

―― ※ ――

4 : ◆eBIiXi2191ZO [sage saga]:2020/09/13(日) 22:46:15.19 ID:kh3F9e+N0

 事務所の中に私とちひろさんしかいなかったのは、幸いだった。
 にわかに信じがたい言葉を飲み込み、私は電話が終わるのを待つ。
 ちひろさんの蒼白な顔。それだけで、先ほどの言葉は真実なのだろうと思われた。

「……どう……しましょう」

 ちひろさんがうめくように呟く。私はなんとか、言葉を絞り出した。

「ちひろさん……まず、社長さんに。それから……ええと……」

 先ほどの電話を思い出しなさい……どこに安置されていると言っていたの?

「社長さんとちひろさんで、病院に行ってください……私は、残ります」
「えっ、それでは……」
「今はほら、人がいませんし。スタッフの方に事情をお話ししないとなりませんし」
「でも」
「早く、社長さんとちひろさんが会ってあげて……くださいね?」

5 : ◆eBIiXi2191ZO [sage saga]:2020/09/13(日) 22:47:13.52 ID:kh3F9e+N0

 私は「お願いします」と告げ、ちひろさんを送り出そうと試みた。
 ちひろさんは震えながらも頷き、社長さんへ連絡をする。私は給湯室へ向かい、スタッフが来るまでにお湯を沸かそうと、準備をする。
 ずるり。
 給湯室に入った途端、足に力が入らなくなる。軽いめまい、そして。

「……なぜ……Pさん」

 ぺたんと、へたり込む私。今ここにある現実を、私は受け止めきれずにいた。
 だがふと、Pさんの顔が浮かぶ。
 そうだ、こうしていられない。Pさんならどうする?
 私はどうにか起き上がり、お湯を沸かし始める。
 なにかしないと……その気持ちだけが、私を動かしていた。

6 : ◆eBIiXi2191ZO [sage saga]:2020/09/13(日) 22:48:05.95 ID:kh3F9e+N0

 ほどなく、スタッフが出社してくる。
 私は取り急ぎ、Pさんが病院にいるという事実だけをスタッフに伝え、ちひろさんを向かわせた。
 なにせ内容が内容だけに、他のアイドルに話が伝わればどれほど混乱するか分からない。
 事業部長などの上役は、もう少し遅く出社するだろう。それまでは。

 混乱を最小限に。意識を集中する。Pさんならどうするだろうかと、そのことを考えて。
 今日出社するスタッフが、あらかた事務所にそろう。
 私は部長さんから「大まかに話は聞きました」と告げられ、別室に呼ばれた。ちひろさんと社長さんはここに、いない。

7 : ◆eBIiXi2191ZO [sage saga]:2020/09/13(日) 22:49:00.86 ID:kh3F9e+N0

「高垣さん……ありがとうございました」
「いえ、大したことはできませんでしたが」
「いや本当に……P君が亡くなったことを、今のところ抑えてくださって」
「……それは」

 Pさんなら、公開すべきところを関係スタッフと意思統一を図るだろう。
 今はまだ、それすらできていない。そう考えて抑えていただけだ。

「Pさんだったら、と。そう思って」
「それがありがたいんです。社長が戻ったら、残りのスタッフに話をすることになりますが、たぶん大きく混乱するでしょう。
私たちスタッフは、全力で皆さんをサポートしますが、アイドルの皆さんのサポートを少し、お願いしないとならないかも、しれません」
「それは、たぶんそうだろうと、思っています」
「本当に……本当に申し訳ない」

 部長さんは私に頭を下げた。その姿に戸惑いを隠せない。なぜなら。
 私もどうしていいのか……分からない。

「とにかく。社長さんがお戻りになったら、ということで」
「そうですね、ええ、そのとおりだ……まず、社長の帰りを待ちましょう」

8 : ◆eBIiXi2191ZO [sage saga]:2020/09/13(日) 22:50:23.80 ID:kh3F9e+N0

 しばらくして、アイドルも事務所に顔を出し始める。
 スタッフをやりくりして、各々の仕事先へ向かわせる。
 私は幸い、今日はレッスンだけ。社長さんが戻るまではとお手伝いをするけれど、実際は違う。
 レッスンをする気になれないでいたのだ。
 なにかをしていないと、ひどく落ち着かなかった。

 そして、社長さんが戻ってくる。ちひろさんは、一緒にいない。
 事務所内にいるスタッフに招集をかけ、社長室に入っていく。私は電話番の名目で、同席を遠慮した。
 不思議と、電話はかかってこなかった。私はカールコードを手でもてあそぶ。
 社長室ではどんな話をしているのだろう。
 気にはなるけれど、おそらく私たちアイドルが聞いていいことではないだろう。それが想像されるだけに、余計に気が重かった。

 そして、みな重苦しい表情を浮かべ、社長室から出てくる。
 スタッフのひとりが私に「社長がお呼びです」と声をかけた。
 なんだろう?
 不安な気持ちを抱えながら、私は社長室のドアをノックした。

9 : ◆eBIiXi2191ZO [sage saga]:2020/09/13(日) 22:51:36.25 ID:kh3F9e+N0

「高垣です」
「どうぞ」

 簡潔なやり取り。
 私は社長室へ入っていく。中では、社長さんと部長さんが立っていた。
 部長さんに促され、私たち三人は応接ソファーに腰かける。

「高垣さん」

 社長さんが切り出す。私は「はい」と返事をして、次の言葉を待った。

「P君のことですが……ここからは、この三人と、ちひろ君だけの秘密とさせてください」

 どきり。その言葉ひとつで私は知った。
 ああ、彼は確かに。
 亡くなったのだ、と。

「分かりました」

 私と部長さんが頷く。
 社長さんは、ふうとため息をひとつこぼし、言葉を放った。

10 : ◆eBIiXi2191ZO [sage saga]:2020/09/13(日) 22:52:36.62 ID:kh3F9e+N0

「私とちひろ君が病院に着いた時にはもう、彼は、亡くなっていました。そして今、スタッフにはその事実を伝えました」
「……」
「ここからが、秘密にしていただきたいことです……ほどなくして、警察が病院に来まして、私とちひろ君、そして彼のお姉さんが事情聴取を受けました」
「えっ?」

 私は声を上げた。
 警察? なぜ?

「救命センターの先生がおっしゃっていました。彼の死因は、一酸化炭素による中毒死。車の中で、発見されたそうです」
「……」
「彼の持ち物に、遺書らしきものがあったそうです。警察は、自死の可能性が高いけれど、念のためにと私たちに……」

 私も部長さんも、声が出ない。声にならない。

『自死』

 その単語が、私を苛む。手が震え、視線が定まらなかった。

11 : ◆eBIiXi2191ZO [sage saga]:2020/09/13(日) 22:53:35.48 ID:kh3F9e+N0

「彼は、自ら死を選んだんです……」

 それ以上、誰も、なにも、話せない。
 私は両手で顔を覆い、うつむく。
 部長さんの手が、握られたまま震えている。社長さんが、目を伏せている。
 いたたまれない時間。私たち三人は、社長室で無為に時を過ごす。そのことを、いったい誰が責められるだろう。

 涙は、不思議と流れてこなかった。そうだろう。
 私はここに至ってもなお、信じていないのだから。
 沈黙だけが、私たち三人を慰めていた。

12 : ◆eBIiXi2191ZO [sage saga]:2020/09/13(日) 22:54:28.52 ID:kh3F9e+N0

 ちひろさんは帰ってこない。
 社長さんの指示で、スタッフ経由でアイドルたちに、Pさんが亡くなったことを伝える。
 仕方ないことだ。人の口には戸が立てられないし、いつどこから、彼が亡くなった事実を聞くか分からない。
 むしろ早めに手を打つことで、少しでも動揺を収束させる狙いがあった。
 そうは言っても、ショックは計り知れない。
 告げられたアイドルたちから、次々と社内SNSにコメントが入ってくる。信じられないと、悲痛な言葉があふれかえる。

 ああ、これから。
 どうなるんだろう。

 私はなぜか、そんなことを考えていた。
 Pさんならどうするのだろう? そう思うことで、私は私を保っていたのかもしれない。
 考えても、仕方のないことなのに。

13 : ◆eBIiXi2191ZO [sage saga]:2020/09/13(日) 22:56:01.74 ID:kh3F9e+N0

 ちひろさんが帰ってきたのは、もう夕方になろうとする頃だった。
 私の顔を見て一言「ごめんなさい」と呟き、力なく社長室へと向かう。
 彼女がなにを話すのかなんて、私には分からないこと。
 だがちひろさんのまぶたはややはれぼったくて、相当に泣きはらしたのだろうということは容易に想像できた。
 そして、社長室から戻ったちひろさんが、よろよろと席に着いた。私は少しぬるくなったお茶を、彼女へと差し出す。

「お疲れさまでした」
「いえ……楓さんにはご迷惑をおかけしました。本当にごめんなさい」
「……いえ、そんなこと」

 彼女の口からは、謝罪の言葉しか出てこない。ちひろさんの心を考えると、私はどう言葉を返したらいいのか分からなかった。

「Pさんのお姉さんに、お会いしました」

 ちひろさんはそう切り出す。

14 : ◆eBIiXi2191ZO [sage saga]:2020/09/13(日) 22:57:02.65 ID:kh3F9e+N0

「お姉さんに、ですか?」
「はい……弟がいろいろお世話になりました、と、お礼を言われて……」

 そう言うとちひろさんは、ぽろぽろと涙をこぼす。

「私……なにもPさんに報いることしていないのに……お礼を言われるなんて、そんな……」

 それ以上、言葉を紡ぐことは難しかった。そして、ちひろさんが涙を流す横で、相変わらず泣けずにいる、私。
 いったい、なんなのだろう。この、私は。

「他のスタッフさんにお任せして、私たちはお先に失礼しましょう。たぶん社長さんも、そうおっしゃったのでしょう?」

 ちひろさんはうつむいたまま首肯する。
 私はちひろさんを連れ立って、ロッカールームへ向かった。そして、ちひろさんを着替えさせる。
 鼻をすする音が、ロッカールームに消えていった。
 事務所の中に指示の声が響き渡る。スタッフの混乱が続く中、私とちひろさんはお先に上がることとした。

15 : ◆eBIiXi2191ZO [sage saga]:2020/09/13(日) 22:58:18.62 ID:kh3F9e+N0

「ちひろさん? マンションまで送りましょうか?」

 私の提案に、ちひろさんはかぶりを振る。さすがに今の彼女をそのまま電車へ預けてしまうのは、不安でしかない。
 通りに出てタクシーを捕まえる。

「ほら、私も一緒に乗りますから。帰りましょう?」
「……ごめんなさい」

 要領を得ないちひろさんと一緒にタクシーに乗り込む。幸い私は、ちひろさんの自宅を知っていた。
 無言のまま通りを走っていくタクシー。
 ちひろさんが実家住まいでよかったと、私は安堵している。親御さんに送り届けられれば、とりあえず安心していいだろうと思う。
 今の彼女にかける言葉はまだ、見つからない。

 もどかしい時間が過ぎ、ようやく彼女の自宅へタクシーが到着する。
 親御さんに簡単に事情を説明し、私はちひろさんを引き渡す。
 タクシーを待たせているからと、お茶を辞退してすぐ自分のマンションに向かった。

16 : ◆eBIiXi2191ZO [sage saga]:2020/09/13(日) 22:59:30.24 ID:kh3F9e+N0

 車内。私は流れる街灯りをぼんやりと眺めている。
 今日は本当に、いろいろとありすぎた。目まぐるしく変化する状況に、理解が追い付かない。
 今こうしている間も、これが現実と思えない私がいる。

 女子寮を出てマンションを借りてもらったのは正解だった。
 たぶん今、女子寮の中は混乱の渦真っただ中だろう。その環境でクールダウンすることは、とても難しいことに思える。
 タクシーがマンションに着く。私はじりじりとした頭痛を抱え、部屋へと戻った。

 がちゃり。玄関からリビングへ向かうと、冷蔵庫のうなりが私を出迎える。
 いつもの光景。
 しかし今の私には、その音すら煩わしく感じた。
 ソファーにバッグを放り、そのまま寝室へ。私はベッドへ倒れこむ。

 はあ。
 ため息をこぼす私。ベッドで横になると、体が異常にこわばっていたことに気付いた。
 そうか、ずっと気を張って、冷静を装っていたのか。
 ようやく冷えてきた頭で、私は思う。

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