魔王と魔法使いと失われた記憶

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538 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/11/15(日) 08:24:39.32 ID:BgM8hp3DO
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539 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/16(月) 20:24:31.04 ID:6z/X/rfuO




第23.5話




540 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/16(月) 20:25:31.89 ID:6z/X/rfuO
「ご苦労様です」

私の前に、朝食が並べられる。芋を蒸し、裏ごししたものに塩を振ったもの。
そしてケルの葉にオリーブ油を軽く振ったもの。そして、トリス名産の大豆のケーキ「トフ」だ。
味はどれも薄味だが、しかし十分な栄養価を持つ。毎朝同じ食事だが、食の楽しみなど私には無縁だ。

客間にいるのは私だけだ。一人で食事をするのも、もう20年以上になる。
私には家族など要らない。ただ、神のみ傍にいればよい。

手を合わせ、世が太平であることへの祈りを強く念じた。


朝6の刻ちょうど。私、ミカエル・アヴァロンの一日はこうして寸分変わらず始まる。
541 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/16(月) 20:26:19.18 ID:6z/X/rfuO
#

食事が終わり、まずやるのは説法だ。それは旅先においても変わりはしない。
テルモンのユングヴィ教徒は皆敬虔だ。モリブスの不信心な連中とは違い、皆静かに聞いている。
そして水浴びをした後、身支度を整えて職務に入る。8の半刻。これもいつも通りだ。

職務はいつも、補佐のユリウスが持ってくる書類に沿って行われる。
まずは……彼女の様子を見ることからだ。統治府の4階の貴賓室に、彼女はいる。

「失礼しますよ」

「……はい」

彼女はただ窓際にたたずんでいた。

「お変わりは?」

「いえ、特に」

「そうですか。……『女神の雫』は」

「まだできません。あと、数日」

「分かりました。静かに待ちましょう」

貴賓室は整然と片づけられている。彼女は食事も何も必要としない。水と日光。それさえあれば生きていけるという。
彼女に感情はあるのだろうか。ふと、そんな考えが頭をよぎった。


彼女は、後数日すれば処刑される定めだ。
「女神の雫」さえ手に入ればいい、というわけではない。むしろそれは副産物に過ぎない。


彼女が生きていることは……いや、彼女が誰かと子を為すことは、大いなる災厄に繋がりかねない。
それは、150年前の教訓だ。そのことをユングヴィ教団はよく知っている。あるいは……彼女自身も。


「……怖くはないのですか」

「何がですか」

「死ぬことです。神に召されることを受け入れているということでもないでしょう」

一瞬、メディアの動きが止まった。

「……母なる大地に戻るだけですから」

……わずかな感情の揺らぎがあった。彼女を想う、あのゴンザレス家の青年が理由か。
それは、恋慕なのか。それとも……種を残そうという本能なのか。どちらにしろ、それは絶たれねばならない。

「そうですか。とにかく、お待ちしておりますよ」

部屋を出て、私は静かに息を付く。彼女の存在を早いうちに知れたのは幸甚だった。テルモンから急いで引き返した甲斐があったというものだ。
あと数日。あと数日でイーリスは救われるだろう。そして、未来の災厄も絶たれる。これを神に感謝せずして、何を感謝しようというのか。

笑みが思わずこぼれたのに気付き、私は咳払いする。次の目的地では、こんな表情は禁忌だ。
向かう先は、統治府の3階。そこには、もう一人の客人がいる。
542 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/16(月) 20:26:55.64 ID:6z/X/rfuO
#

「失礼します」

先ほどとは打って変わって、荒れた様子の部屋だ。部屋の隅で、年老いた男……エストラーダ侯の目が光った。まるで幽鬼のように。

「……できたのですか」

「いえ、まだ。あと数日と」

「あと数日!?それまでに、ファリスが死んだら……!!?」

私は彼に近寄り、手を頭の上に乗せた。気付かれぬよう、鎮静化の魔法をかける。

「大丈夫です。私たちが必ず見つけ出しますから」

「……本当でしょうな」

疑念が強まっている。言葉巧みにやり過ごしてもう2週間近くが経つが、さすがにもう限界か。
もし既にファリスが(恐らく)死んでいることを告げれば、彼の刃は私に向くだろう。

ネリドと一緒に、彼を消してもよかった。しかし、彼の娘に対する執着は利用できる。
そう考え、彼だけは生かしておいたのだった。……ある薬を投与しながら。

良心の呵責はない。所詮、モリブスのユングヴィ教徒は邪教徒だ。邪教徒は人ではない。家畜以下だ。
ただ、家畜と違って利用価値も場合によってはある。エストラーダ侯が、まさにそれだった。
もし、エリック・べナビデスとプルミエール・レミューがロックモールに来たならば……エストラーダ侯は、彼らを討つための刺客足り得る。
そう思って彼を残したが、動きは一向になかった。

シェリルがしくじったのは聞いている。そして、アリス・ローエングリンが来たらしいことも。
彼女は危険だ。ただでさえ危険なのに、ジャック・オルランドゥの元に戻ったのは非常に危うい。下手にモリブスには手を出せなくなった。
だとしたら、べナビデスとレミューが来るのを迎え撃つ方が得策だ。私がロックモールに戻ったのは、メディアの件だけでなく彼らへの対応も理由と言える。

それだけに、エストラーダ侯を抑えるのが限界に近付いているのは正直よろしくない。
「処分」を視野に入れるべき時が来てしまったのかもしれない。

……あと1日が限度か。そう思いながら、私は首を縦に振った。

「私が約束を違えたことなどございましたか?」

「……信頼しておりますぞ、大司教殿」

部屋を出ようとしたその時、外から禍々しい気配がした。……これは。
543 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/16(月) 20:27:23.04 ID:6z/X/rfuO
私は溜め息をついてドアを開ける。果たして、その男は階段を塞ぐように立っていた。

「……オーバーバックさんですか。今までどこに」

「お前の言う通りの『鼠狩り』さぁ」

「仕事はしているのでしょうね」

ニヤリと彼が嗤った。

「それだがなぁ……2ついい知らせがあるぜぇ。まず、お前が追っていた『魔王エリック』と、昨晩会ったぜぇ」

「何ですって!!?」

やっと来たか!ロックモールを通らずに皇都に着くのはかなり難しい。険しい山を越えねばならない上、補給もままならない。
女連れならば、確実にここを通るはずだと踏んでいたが……

そして、オーバーバックが魔王と会ったということは。

「始末はしたんでしょうね」

「いやぁ。少し遊んでそれきりだぁ。せっかくだから、長く遊び相手になってほしいからなぁ」

「……舐めているのですか」

激しい落胆と怒りが沸いてきた。世界を災厄から遠ざける機会をおめおめと逃すとは!

オーバーバックを睨み付けると、彼はその笑みを深くした。

「舐めてねえぜぇ?そもそも、俺とお前の関係は何だぁ?上司と部下かぁ?
違うなぁ、ただの契約関係だぁ。そしてそこには、『エリック・ベナビデスを消す』は入ってねぇ……」

「それでも六連星の一員か」という言葉が出かかって、私はそれを必死で抑えた。

確かにオーバーバックは六連星だ。しかし、その意思は誰にも縛れない。たとえ、アルベルト王でも。あるいはハンプトン卿でも。
彼の力は、あまりに強大だ。六連星に入れたのは、この男が危険すぎるから味方に引き入れたという理由以上のものはない。

そして、他の六連星と違い……この男には、世界を守ろうとする意思は全くない。
ただ、好きな時に飲み、好きな時に博打を打ち、好きな時に女を買う。その意思を縛るには、あまりにこの男は強大なのだ。

「分かってるなぁ、大司教さまぁ……俺にとっては、『記憶』がどうだとか関係ねぇんだよぉ……ヒリヒリするような勝負ができればそれでいぃ……。
せっかくだからもう一つ教えてやるよぉ。多分だが、カルロスってガキと魔王は組んでるぜぇ」

「……本当ですか??」

「ああ、恐らくなぁ。だが、俺はこれ以上タッチしねぇぜぇ?『狩り(ハント)』以外に、今の俺の興味はねえからよぉ」

何という僥倖!!世の災厄を、2つ同時に取り除ける好機が舞い降りるとは!!
やはり、神は私を愛しておられる。何と素晴らしき日か。

「……ええ、いいでしょう。好きになさい」

「ククク……じゃあ、俺は消えるぜぇ」

トントントン、とオーバーバックが階段を降りる。私はエストラーダ候に向けて振り返った。


「貴方に、向かってほしい所があります」


544 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/16(月) 20:27:50.52 ID:6z/X/rfuO
キャラ紹介

ミカエル・アヴァロン(47)

男性。181cm、63kgのやせ形。細目で短い白髪頭で、いつも穏やかな微笑みを湛えている。
イーリス聖王国のユングヴィ教団大司教。東の原理主義派(元教派)を束ねる。

温厚で几帳面だが神経質。常に同じ時刻に同じ行動をすることを旨としており、全ての欲は不要と断じている。
金にも美食にも女性にも関心がなく、清廉潔白が服を着て歩いているような男。愛するのは神のみと公言して憚らない。
とはいえ、厳格ながら人格者でもあり、人望は厚い。
ユングヴィ教団の教えに徹底して忠実な男でもあり、殺人や姦淫などは決して行わない。
ただ、自らの手を下さないやり方で都合の悪い人間を「消す」ことはある。

また、世俗主義派を邪教徒と捉えており、表面上はともかく内面では人として扱っていない。
「人でない者」、つまり敵に対しては徹頭徹尾冷酷であり残虐である。そのため、イーリスには彼を恐れる人も少なくない。

戦闘能力は白兵戦については低い。ただ、魔力は甚大であり当代でも屈指の存在なのは疑いない。
アヴァロンの過去については一切不明。ただ、神への絶対帰依を誓う理由はそのあたりにあるようだ。
545 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/16(月) 20:28:33.64 ID:6z/X/rfuO
今回はここまで。シェイド視点→プルミエール視点と続く予定です。
546 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/11/17(火) 17:40:57.47 ID:/TdwIN4DO
乙乙
547 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/18(水) 22:58:29.08 ID:lSBzGI7SO




第24-1話




548 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/18(水) 22:59:52.34 ID:lSBzGI7SO
統治府に近付くに従って、兵士の数が増えてきた。一昨日より多いかもしれない。

「そんなにあの娘が重要なのかねえ」

「よく分からないにゃ。殺す相手を守る意味はもっと分からないにゃ」

ボクらはプルミエールの魔法で人間に化けていた。持続時間はほぼ半日。魔法が解けるまでは、ボクらは姉弟か親子にしか見えないだろう。
魔法がかかっているとは言っても、デボラさんの胸は相当に目立つ。周囲の男たちの目がそっちに行くのは気に食わない。

「よう姉ちゃん。幾らだ……」

言い寄ってきた男の首筋に、短剣が突き付けられた。

「売りもんじゃないよ。『蜻蛉亭』はどっちだい」

「ひいっっ!!?あ、あっちだ。その物騒なもんをしまってくれっ」

デボラさんが鞘に短剣を納める。さすがに抜刀が速いな。

「『蜻蛉亭』?」

「ああ。一度主人の護衛を受けた所でね。あたしに貸しがあるはずさ。
1度しか行ったことがないから、場所の記憶は曖昧だけどねえ」

「なるほどにゃ。でもそこで情報貰えるのかにゃ?」

「統治府に娼婦を派遣する高級娼館だからね。まあ何かしら中の様子は分かるだろうさ」

統治府から200メドほどしか離れてない場所に、それはあった。蔦まみれの不気味な館。あれが「蜻蛉亭」らしい。
549 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/18(水) 23:00:23.05 ID:lSBzGI7SO
#

「お嬢様、『蜻蛉亭』に御用で?」

館の呼び鈴を鳴らすと、執事風の初老の男が出てきた。

「主人のカサンドラはいるかい。デボラ・ワイルダが来たと言えば分かるはずさ」

「……お待ちを」

5分ほど待つと、ボクらは中に通された。化粧水の濃い空気が鼻を付く。外観はああだけど、中は豪奢でいかにも娼館という感じだ。

「御主人、客人に御座います」

「通して」

執務室兼私室と思わしき部屋に入ると、初老の婦人が髪を櫛でとかしていた。顔には皺も少し見えるけど、十分現役で通りそうなほど美しい。
おっぱいも大きそうだし、あるいはここで得意客を取っているのかもしれないな。ボクは熟女趣味じゃないからちょっとお断りだけど。微かに甘い匂いもする。

婦人が顔を上げると、訝しげな表情になった。

「……本当にデボラ?」

「ちょっと狙われててねえ。耳は魔法で隠してるんだ」

「……その声と顔立ち、言われてみればデボラ・ワイルダね。変装は弟の……誰だっけ」

「ウィテカーさ。今日はいないけど、まあそんなとこさね。半年ぶりだけど、健勝そうで何よりだよ」

「お蔭様でね。貴女に命を救われたからこそ、私の今はある。ジャレッド、お茶を」

「畏まりました」

男が去っていく。

「しかし、急な訪問ね。貴女に護衛の仕事を頼む予定は今のところないわよ?
それとも何かしら、その可愛らしい男の子を、私にくれるとでも?」

思わずブルッと身震いした。カサンドラという女(ひと)はかなり綺麗だけど、さすがにボクの守備範囲じゃない。

「ははは、そういうわけではないさ。ちょっと、貸しを返して貰いたくてね」

「貸しを返す?」

「ああ、大したことじゃないさ。統治府で何が起きてるか、分かるかい?ここからも娼婦を送ってるんだろう?」

男がお茶を運んできた。それを一口啜ると、ふうとカサンドラさんが溜め息をつく。

「私には何もできないわ。統治府相手の商売は開店休業状態。ここ数日の物騒な動きと関係があるのかしら」

「多分大有りさ。どうなんだい」

「ユングヴィの偉いのが来てるって話。ユングヴィは私たちを目の敵にしてるから」

デボラさんがボクを見た。やはりあれはアヴァロン大司教だったか。

「誰かの出入りは?例えば、緑色の髪の女とか」

「……ちょっと分からないわ。あと数日で統治府での商売は通常通りになるって聞いたけど、情報はそれくらい。私にできることはないわ、申し訳ないけど」

「そうかい」

デボラさんが辺りを軽く見渡した。……微かに音が聞こえる。喘ぎ声だろうか。

「……ところで、テルモンの連中が随分来てるみたいだねぇ。結構な人数じゃないかい?」

「……何が言いたいのかしら」

カサンドラさんが眉を潜めた。デボラさんは肩を竦める。

「いや、これだけ来ると連中相手の商売は儲かってるんだろ?ここも満室みたいじゃないか。
それとあんた、すぐにここにあたしらを入れなかったね。客、ついさっきまで取ってたんじゃないかい?多分、テルモンの高官……違うかい」

「……目ざといわね」

彼女が苦笑する。そうか、彼女は商売上不利になる行動ができないわけか。だから、協力を拒んでいる……
550 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/18(水) 23:01:28.86 ID:lSBzGI7SO

「というわけで交渉さ。あたしらはあそこにいる人物に接触したい。統治府には関与できなくても、さっき言ったテルモンの高官からなら何とかできるだろ?」

「口利きをしろってことね。……そうね、不可能じゃない。でも、多少の面倒は伴うわね。報酬は?」

「命を救った貸しがあるだろ?まあ、それに加えて、モリブスの花街からこっちに何人か送れなくはないね。給金を弾むという条件で」

「いつからワイルダ組はそっちにも手を出しているのかしら?用心棒なら分かるけど」

「まあ、色々花街はあたしらに貸しを作ったからね。質は保証するさ」

ふむ、ともう一度カサンドラさんがお茶を飲んだ。

「……分かった。3時間後、もう一度ここに来て。これからもう一人、テルモンの第4皇子を客として取るの。彼経由で話を附けられる」

「第4皇子……随分年下だねぇ」

「ふふ、可愛い坊やは好きなの。母親の愛情に飢えた坊やは特に。……そうそう、その坊やを多分使うことになるけど、いいかしら?」

「……ボクかにゃ?」

フフフ、と妖しい笑いをカサンドラさんが浮かべた。

「ええ。ユングヴィは姦淫は禁じているけど、色事は禁じてないのよ。貴方なら、多分気に入る人がいるわ」


……そういうことか。ボクはげんなりした。


「……ここは、男娼も扱ってるのにゃ?」

「あら、子供なのによく知ってるわね。この子、何者?」

「ボクは「それは詮索しないでおくれ。まあ、信頼は置ける奴さ」」

ボクの言葉をデボラさんが遮った。……確かに、身の上を明かさない方が正解か。
ただ、ボクを男娼として送り込むというのは正直勘弁だ。ボクはデボラさんに耳打ちした。

(男の相手なんて死んでもゴメンにゃ)

ボクは確かに見た目がいい。女装だって多分似合うだろう。ただ、男に犯されるなんてまっぴらゴメンだ。

デボラさんは少し目を閉じた後、微かに笑った。

(大丈夫、考えがある。抱かれる必要なんてないから安心しな)

(本当にゃ?)

(あたしに任せな)

「相談は終わったかしら?」

デボラさんが頷いた。

「ああ。3時間後だね」

「ええ。その子も一緒にお願い」
551 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/18(水) 23:02:24.95 ID:lSBzGI7SO
#

「考えって何にゃ?」

ボクはかき氷が乗った匙を口に入れた。ロックモール名物らしいけど、マゴの実から取った蜜とあいまって実に美味しい。モリブスに戻ったら作ってみよう。

デボラさんはグバのジュースを飲むと、周囲をうかがって小声になった。

「渡しとくよ」

「……これって」

デボラさんが、懐から何かを取り出す。
手渡されたのは、黒い球だ。受け取ってすぐ、それがいかに危険なものか察した。

「そう、爆裂魔法を込めた『爆弾』だよ。魔力を通せば、離れた場所でも起爆できる」

「何でそんなものを持ってるにゃ?危ないにゃ」

「何が起こるか分からないからね。ロックモールにあいつがいると聞いて、組から持ってきたのさ。籠城したのを炙り出すためには、必要になると思ってた。
あたしの魔力を通さない限り爆発はしないから安心しな」

「……見えたにゃ。ボクはこれを置いたら、すぐに猫になって逃げるにゃ。そしてそれを受けて起爆すれば……」

「統治府は火事になり、アヴァロンはメディアを連れて出てくる。そこをエリックたちと叩く。どうだい?」

確かに、筋は通る。アヴァロンが「グロンド」を使って逃げるかもしれないけど、やってみる価値はありそうだ。

しかし……この作戦には、一つ見落としがある。


「オーバーバックはどうするにゃ」


デボラさんが言葉に窮した。あの男は、どこにいるのか分からない。そして、間違いなく只者じゃない。

「……それだね。敵はアヴァロンだけじゃない。炙り出しても、オーバーバックってのに守られていたら簡単じゃないのは分かる」

「対策が必要にゃ。あいつを引き離さないと……」

「賭場にいるって言ってたね。そこで何とか……え?」

デボラさんの表情が固まった。信じられないものを見たように、口がポカンと開けっ放しになっている。

ボクも振り向いて彼女の視線の先を見た。


……馬鹿なっっ!!?


カフェの入口に、黒い眼鏡の男がいた。短い黒髪に、黒と緑の斑の服。その異様な出で立ちから、客がざわめいた。

あの外見……間違いない。オーバーバックだ。
552 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/18(水) 23:02:56.47 ID:lSBzGI7SO
奴は一直線にこちらに向かってきた。ニヤニヤとした、気持ち悪い笑みを浮かべながら。
逃げるかどうかを逡巡する暇もなく、奴はボクらの隣の席に座った。

「暑いなぁ」

……気付いている?それともただの挨拶?

デボラさんが探るように言う。

「……まあ、 南国だからねえ……何か、用かい」

「ククク……いいねぇ、すぐ逃げないのは修羅場潜ってるなぁ」

「……あたしらを狙って来たのかい」

微かに声が震えている。
そもそも、どうしてボクらがここにいることを奴は知ったんだ?

それに答えるかのように、ニタァとオーバーバックの笑みが深くなった。

「品定めさぁ……。面白い気配を感じたんでなぁ。雑魚ならすぐに狩るつもりだったが、これは『太らせて』から狩るのが正解だぁ……」

何を言っている??確実に言えるのは、こいつはボクらの居場所を何かの方法を使って知っている、ということだ。
……冷や汗が額を伝ったのが分かった。

オーバーバックが、不意にボクの方を見た。

「……にしてもお前。回復が早いなぁ。殺さない程度に加減はしたが、腕取れてるかと思ってたぜぇ」

……!!?ボクの正体を、こいつは知ってる!!?

「……どうして分かったにゃ」

「俺には真実が『見える』んだよぉ。どんな魔法も、俺の前では無意味だぁ。
……せっかくだから、注文するぜぇ。焼きビーフン……はねぇなあ。この『パンシート』にするかぁ。一応、麺類らしいしなぁ」

まるでボクらがいないかのように、オーバーバックは気ままに振る舞っている。「殺そうと思えば殺せる」とでも思っているのか?

「何が望みにゃ」

「あぁ?さっき言っただろぉ、品定めってなぁ。あとは改めて警告だぁ。
緑髪の女には手を出すなぁ……依頼主からの依頼でなぁ、そこだけは契約上果たさなきゃいけねぇんだよぉ」

「契約主……アヴァロン大司教にゃ?」

「さあなぁ……ただ、俺の契約にはお前らを消すことは含まれていねぇ……何もしねぇんなら、将来性に免じて見逃してやるよぉ」

ガタン、と急にデボラさんが立ち上がった。目の前のかき氷は、すっかり溶けてしまっている。

「……行くよ」

「……分かったにゃ」

もちろん、アヴァロン大司教の件を諦めたわけじゃない。ただ、この場は早く立ち去りたかった。
エリックの言う通り、この男は……危険だ。底が全く見えない。

「おうおう、せっかくだから名物の『パンシート』でも見ていけよぉ。
……というか狐の女ぁ。お前、どこかで見たことがあるなぁ」

「知らないね」

オーバーバックの笑みが、さらに深まった。


「いやいや、会ったことがあるぜぇ……ああそうだ、あれは15年前だぁ。確か、名前は……パメラ」


553 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/18(水) 23:03:51.84 ID:lSBzGI7SO


デボラさんが驚きをあらわにして振り返った。パメラ??確かそれは……


「何であんたが、母さんの名を……」


「そうかぁ、親子かぁ。似てるはずだぁ、マナの感じも気配もぉ……」

「あんたっ、母さんを何で知ってるっ!!!」

「ククク」と愉快そうに……いや、恍惚に満ちた様子でオーバーバックは口を開いた。


嫌な……とても、嫌な予感がする。


「俺が殺った、最強の相手の一人だったぜぇ……あれは愉しかったぁ……」

554 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/18(水) 23:04:21.85 ID:lSBzGI7SO



「貴様ぁっっっ!!!!!」



デボラさんは懐から銃を抜こうとする。しかし、それより遥かに速く……どこからか取り出したか分からない長銃を、オーバーバックはデボラさんの鼻先に突き付けていた。


「見逃してやるって言ったのによぉ……残念だぜぇ」


つまらなそうにオーバーバックが呟く。……そして。

555 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/18(水) 23:04:48.23 ID:lSBzGI7SO




バァンッッッ!!!



銃声が、響いた。



556 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/18(水) 23:05:38.27 ID:lSBzGI7SO
キャラクター紹介

ハーベスタ・オーバーバック(年齢不詳、30代?)

男性。短い黒髪にサングラス、迷彩服を好んで着る。身長183cm、体重78kg。見るからに鍛え上げられた身体を持つ。
服装は明らかに北ガリア大陸のどこの国とも違う。南ガリアやアトランティア大陸でも同様の出で立ちはない。
鼻はそれほど高くはなく、常にニヤニヤと笑っている。どこか間延びした喋り方が特徴。

北ガリアの秩序維持を担う組織「六連星」の一人だが、立ち位置は他の5人とは大きく異なるようだ。
契約を重視し、契約外の行動は極力避けている様子が伺える。戦闘狂のようだが、「獲物は太らせてから狩る」が信条でもある。決して話が通じない男ではない。

趣味は博打とB級グルメ。盲人のようにも見えるが、目は見えているようだ。本人曰く「真実が見える」というがその真意は不明。
武器は深紅の長銃「紅蓮」。その戦闘能力は極めて高いが、その素性含め一切が謎に包まれている。
557 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/18(水) 23:08:18.50 ID:lSBzGI7SO
第24-1話はここまで。24-2は予定を変更してプルミエール以外の人物からの視点とします。

パンシートはフィリピンの焼きそばパンシットカントンに近いものです。
ロックモールの食文化は東南アジアのそれをイメージしてもらえば大体合っています。

なお、オーバーバックの発言からは随所に単語など違和感があるかと思われます。
これについてははっきりとした理由があります。明らかになるのはずっと後ですが。
558 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/18(水) 23:17:07.03 ID:lSBzGI7SO
なお、オーバーバックのCVは故野沢那智さんをイメージしてもらえば多分大体合っています。
559 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/11/18(水) 23:18:38.13 ID:trYrx1zF0
560 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/22(日) 14:04:35.53 ID:Y/Qr2n33O




第24-2話




561 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/22(日) 14:09:09.65 ID:Y/Qr2n33O


子供の頃見たあの光景を、あたしは未だにハッキリと覚えている。


父さんと母さんは、家を空けることが多かった。
2人と過ごした時間より、ジャック先生やアリスさん、あるいはベーレン候の家族と一緒だった時間の方が長かったかもしれない。
それでも、寂しさは感じなかった。一緒にいる時は、できる限りの愛情を注いでくれたから。
どこかの遺跡に向かう2人を、精一杯手を振って送り出す。それがあたしとウィテカーにとっての1週間の始まりだった。


父さんたちは、冒険から帰る度に嘘みたいな土産話をしてくれた。
とてつもなく巨大で知恵のあるドラゴン。ひとりでに動く、機械の兵士。機械が勝手に掃除をしてくれる不思議な邸宅……
どこまで本当なのか、当時のあたしには分からなかった。でも、真偽なんてどうでもよかった。


世の中は謎に満ちていて、だからこそ面白い。
きっと、父さんと母さんはそれを伝えたかったんだと思う。


そんな2人が、冒険先にあたしたちを呼ぶことはほとんどなった。
ただ、一度だけ連れていってくれた場所がある。モリブス南西部の、サンターナ山地だ。


丸3日かけて、あたしたち一家は山地を探索した。巨狼や二角熊のような、獰猛な魔物にも出合った。
すごく怖かったけど、どこか安心してもいた。父さんたちが守ってくれたから。そして、山地の奥にそれはあった。


『……うわぁ』


そこにあったのは、一面の花畑。花は全て、虹色に輝いていた。


『きれいでしょ』

母さんが穏やかに言う。

『うんっ!!すごくきれい……何て花なの?』

『名前はないわ。私たちが見付けた。ね、リオネル』

父さんが頷く。

『ああ』

『これ、皆に見せてあげたいなあ。ジャック先生やアリスさんにも』

『そうだな。だが、彼らはともかく、世の中には知られてはいけない花でもある』

『どうして?』

母さんが、足元の小石を花畑に投げ入れた。その刹那。
石が落ちた辺りが、一瞬のうちに黒く染まった。

『……え』

『花が『攻撃された』と感じたの。そして、花は猛毒を放つ』

父さんが何かを呟く。すると、花は元の虹色に戻った。父さんは「すまなかったな」と足元の花を軽く撫でた。

『この花畑は生きている。もし、大勢の人がここに来れば、ここは荒らされてしまうだろう。
そして、大勢の人が死ぬ。この花の毒によって』

『そうね。……知られることが、必ずしもいいこととは限らない。世界は美しいけど、封じられた方がいい事実もあるの』

父さんと母さんが、一瞬悲しげな表情になった。

『どうして父さんたちは、あたしたちをここに連れてきたの?』

『そのことを教えるためだよ、デボラ、ウィテカー。お前たちにも、きっと分かる時が来る』


父さんたちが、何を伝えようとしたのかは未だにハッキリとは分からない。


ただ、あの花畑の美しさは、きっと一生忘れることはないだろう。


562 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/22(日) 14:09:48.74 ID:Y/Qr2n33O
#


何で、こんなことを思い出しているんだろう?


目の前には、銃口があった。……ああ、そうか。



これが、走馬灯か。



……父さん、母さん。ごめん。
ウィテカー、後は頼んだよ。



唇を噛むと、目の前を何かが通った。……そして。


バァンッッッ!!!!!


銃声。


563 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/22(日) 14:10:33.25 ID:Y/Qr2n33O


……あたしの意識は、まだある。
腰の辺りを、誰かが強く抱き締めていた。


「限界突破(リミットブレイク)!!!!」


視界が一気に上へと移る。天井に当たると思った瞬間、目には家々の屋根が広がっていた。


「え」


ドスン、と衝撃が走る。シェイドが、私と一緒に屋根に降りたと認識するまで数秒かかった。

「逃げるにゃ」

「……は?」

「いいから逃げるにゃ!!!ボクにおぶさるにゃっっ!!!」

よく事態が飲み込めないまま、シェイドに背負われる。すると、風のように彼は屋根の上を走り始めた。……迅いっ!!

後ろから追ってくる気配はない。でも、彼は屋根から屋根へと飛び移る。私をおぶった状態で。……こんな力が、どこにあったのだろう?

不意に、彼が態勢を崩した。地面へと落ちそうになったのを見て、私は彼から離れる。そして、今度は私がよろめく彼を抱いて飛び降りた。

「ぐっ!!!」

肩と腰に強い痺れを感じた。いくら小柄でも、人を抱きながら数メドの高さから跳ぶのはさすがに厳しい。
シェイドはというと、はぁはぁと荒い息をついている。あたしを救うために、かなり無茶をしたのは明白だった。

「……ちょっと待ちな」

手を彼の額に当てる。恐らく、さっきの「限界突破」とやらは、相当に体力とマナを消費する魔法だったはずだ。
とすれば、これで何とかなる。手が黄色く光り始めた。
564 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/22(日) 14:11:06.61 ID:Y/Qr2n33O

「……くっ……にゃっ!!?」

シェイドの目に精気が戻ってきた。彼は慌てて飛び起きる。

「何やってるにゃ!!逃げなきゃ……」

「多分、もう大丈夫さ。『時間遡行』で肉体を少し元に戻したから、体力やマナと同時に記憶も戻っちゃったみたいだね」

周囲を見渡す。「蜻蛉亭」のすぐ近くだ。

「……すまなかったね……あたしのせいで、こんなことに」

「いいにゃ。ボクに親はいないけど……ご主人やアリスさんが殺されてたら、同じことをしたと思うにゃ」

「ありがとう……一生恩に着るよ」

「ボクこそにゃ。あれは切り札だけど、反動も大きいにゃ。
……治してくれて本当に助かったにゃ」

ニッと笑うシェイドの頭を、思わず撫でた。

「意外といい奴だね、あんた」

「じゃあ後でおっぱい……あだっ」

あたしはシェイドの頭に拳骨をくれてやった。

「冗談とは分かってるけど、そんな余裕はないよ。これから、どうするんだい?
エリックたちと合流しようにも、大分距離がある。何より、オーバーバックと次に会ったら……」

「……エリックたちとは後でにゃ。今戻ったら、まとめて一網打尽にされかねないにゃ」

「なら、どうしてここに……あっ」

そうか、闇雲に逃げてた訳じゃないのか。蜻蛉亭には、今テルモンの皇子がいる。オーバーバックが何者かは知らないけど、あそこにいれば少なくとも暴れることはできない……!

あたしの様子を察したのか、シェイドがニヤリと口の端を上げた。

「さすがデボラ姉さんにゃ。理解したみたいだにゃ」

「時間には少し早いけど、あそこで待つことはできる。オーバーバックに気付かれたとしても、皇子の手前荒事には及べない……考えたね」

「にゃ。むしろ問題は帰りにゃ。あいつはボクらを見逃すとは言ってたけど、どこまで本当かは謎にゃ。こればかりは運否天賦にゃ」

運次第、か。でも、選択肢はない。

「行くよ」

あたしは「蜻蛉亭」の呼び鈴を鳴らした。
565 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/22(日) 14:11:41.60 ID:Y/Qr2n33O
魔法紹介

限界突破

肉体能力を爆発的に引き上げる魔法。肉体強化魔法を得意とするシェイドの切り札でもある。
筋力や動体視力、反射能力が通常の数倍になるため、エリックの「加速」に近い効果が期待できる。
違うのは、筋力自体も跳ね上がっているため一撃の効果は「加速5」よりはずっと高い点。
また常軌を逸した跳躍などは「加速」ではできない利点でもある。
半面、「加速」ほどの速度では動けない。また、音速を超えることによる衝撃波の発生も不可能である。

持続時間は2分ほどであり、終了後は反動で動けなくなる。「加速『閃』」を使ったエリックのように、本来は数時間マトモな行動はできない。
「時間遡行」でこのデメリットを打ち消せるデボラとの相性は非常に良いと言えるだろう。

なお、使用時には若干の溜めが要る。
オーバーバックに不穏な気配を感じたシェイドは、事前準備を済ませていた。
このため、銃が出た瞬間に「限界突破」を発動。銃を跳ね上げて天井に穴を作らせ、そこから脱出ということをやってのけている。
566 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/22(日) 14:18:56.60 ID:Y/Qr2n33O


第24-3話
567 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/22(日) 14:19:41.75 ID:Y/Qr2n33O
窓からの潮風が、私の髪を揺らした。陽射しは強いけど、このお蔭で存外過ごしやすい。

エリックは静かに本を読んでいる。シェイド君たちが出かけてから、ずっとこんな具合だ。

「あいつ、意外と読書家なんだな」

お茶を飲みながらカルロス君が言う。窓際にいるエリックは返事を返さない。

「確かに……時間があると寝ているか本を読んでるかですね。魔術書が多いですけど」

「……そうなのか」

複雑そうな表情で彼がエリックを見る。私はカップを置き、窓際に向かった。

「何の本を読んでるの?」

「これだ」

「……『マイク・ダーレン自伝』?マイク・ダーレンって、確か」

「ダーレン寺開祖だ。武の真髄を振り返りたい時には、いつも読むようにしている」

「私も読んでいい?」

エリックは一瞬無言になった。断られるかと思ったけど、机に積まれている中から一冊の本を渡された。

「これなら理解しやすいだろう」

「あ……ありがと」

手渡された分厚い本には「放浪記」とある。どういうことだろう?

「開祖ダーレンが世界各地を回った時の旅行記だ。武人でなくても、暇つぶしにはなる」

マイク・ダーレン。300年前にロワールに武人たちの聖地「ダーレン寺」を開いた伝説の人物だ。
その人物像は謎に包まれている。こんな自伝があることなんて、初めて知った。

「開祖ダーレンって、どんな人だったのかしら」

「武人にして魔術師、哲学者にして冒険者だったらしいな。本来は皆伝を受けていないと読ませてはいけないが、この際いいだろう」

「え」

「まあ読めば薄々分かる」

羊皮紙に書かれた文字はかなり達筆だ。ただ、読みにくいというわけでもない。
文章自体も小説家が書いたかのように滑らかで美しい。情景が目に浮かぶかのようだ。

中身は当時の世界各地の情勢や風物、人々の営みを中心に書かれている。時折挟まる武術への考察が非常に面白い。
300年前も、世界はあまり今と変わらない。貧富の差や権力者の横暴、それでも生き抜こうとする庶民のしたたかさ。
そして、ダーレンという人は常に弱者の側に立っていた人だったらしい。

興味深く読んでいくと、ある所で手が止まった。


「……え?」

568 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/22(日) 14:20:16.19 ID:Y/Qr2n33O

私が目にしたのは、「サンタヴィラ滞在の項」という章だ。
かなり頻繁に訪れているらしく、馴染みの宿に泊まった辺りの情景からその章は始まっていた。
そして、彼がここに来た目的。それは……

「気が付いたか」

エリックが私を見た。

「……うん。開祖ダーレンって、遺跡の探索も行ってたのね」

そう、彼が訪れていたのは「ガルデア遺跡」。魔王ケインが、正気だった時に調査を行っていたという遺跡だ。

「そうだ。そして、そこから先数ページが破られている」

「……!!本当だ……」

「ああ。何か、誰かにとって不都合なことが書かれていたのだろうな。『放浪記』には破られたページが幾つかあるが、中でもこの項が一番多い」

「何でだろう……まさか」

エリックが頷いた。

「父上の件と関連があるのかもしれないな。これが世に出回っていないのも、あるいはそういうことなのだろう」

誰が一体ページを破ったのだろう?あるいは、「サンタヴィラの惨劇」の真相を知る人物が、ダーレン寺にいるのだろうか?
569 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/22(日) 14:21:11.30 ID:Y/Qr2n33O


もやもやした気持ちを抱えていると、玄関の方から声が聞こえた。

「今帰ったよ」

「お帰りなさい!どうでした」

居間に現れたデボラさんとシェイド君は、どこかすっきりしない表情だ。

「いい話と悪い話がある。いい話は統治府に潜り込めるめどが一応立ったということ。悪い話は、オーバーバックに襲われたってことだね」

「何っ!!?」

エリックが立ち上がった。シェイド君が険しい表情になる。

「エリックの言う通りだったにゃ。あいつはボクらの手に負えないにゃ。しかも、どうやってるか知らないけど、ボクらがどこにいるかを把握できてるみたいだったにゃ」

「……よく無事だったな」

「それはボクも驚いてるにゃ。帰りにもう一度襲われるかもとは思ってたけど、その気配すらなかったにゃ。
『何もしなければ見逃してやる』という言葉がどこまで本当かは知らないけど」

エリックが腕を組んだ。

「どういうことだ?」

「『契約』、とか言ってたね。あたしらを殺すことは、それに含まれてないと。
あくまでメディアを守ることだけが目的みたいだった」

「契約……相手はアヴァロンだな。そこまでして『万病の薬』とやらが欲しいのか?」

「さあね。ただ、恐らくはオーバーバックは、アヴァロンの警護までは任されてない。
あんたはアヴァロンを狙ってるんだろう?メディアにさえ手を出さなければ、多分上手く行く」

カルロス君の顔色が変わる。

「ちょ……ちょっと待てよ!!?じゃあ何か?メディアは見捨てるのか??」

「……オーバーバックをどうにかしなきゃいけないにゃ。デボラ姉さんにとってあいつは仇だけど……」

「仇?」

どういうことだろう?デボラさんの表情は沈んでいる。

「あいつは、母さんを殺したのは自分だと言った。多分、父さんも……。
ただ、相対して分かった。今のあたしやシェイドじゃ、そしてエリックでも、あいつは倒せない。本気で来られたら、多分……」

「……やはりか。メディア奪還は諦めて、アヴァロンの確保だけ考えた方が……」


「ふざけるなっっ!!!」


カルロス君が叫ぶ。

570 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/22(日) 14:21:40.12 ID:Y/Qr2n33O

「体よく利用しておいてそれか!!?俺にとって、彼女が戻らなかったら何の意味もないっっ!!
所詮貴様は魔王ケインの息子だな、父さんを殺したのもどうせ報酬目当て……」

「……話は最後まで聞け」

「!?」

彼の喉元に短剣が突き付けられている。エリックが低い声で続けた。

「本来ならお前の女を救う義理はない。だが、受けた恩は無下にするなというのが父上の教えでな。
ここを使わせてもらっているだけでも借りはある」

シャキン、と短剣が鞘に納められる。

「理性的に考えたら、お前の女を無視した方がずっと安全だ。だが、俺の信念上そうも言ってられない。お前もそうだろう、デボラ?」

「まあね。そんなことしたら、父さんや母さん、そして旦那に憑り殺されてしまうよ。
でも、オーバーバックをどうにかしないと、話は先に進まない。誰かいい案、あるかい?」

皆、口を閉じてしまった。エリックやデボラさんすらお手上げの相手だ。……正直、倒す方法なんて……


「倒す」方法?


いや、違う。倒す必要がないとしたら?
私とエリックの目的も、カルロス君の願いも、オーバーバックを倒さずとも実現はできる。
彼が手を引いてくれるために、必要なことは……


「契約」……ひょっとしたら!?


私は手を挙げた。


「一つ、考えがあるの」


571 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/22(日) 14:22:12.16 ID:Y/Qr2n33O
用語紹介

ダーレン流

マイク・ダーレンにより約300年前に始まった武術の一派。
己の肉体のみを武器としているが、魔法と組み合わせた攻撃も行う。
実践重視であり、ロワール公国軍は皆大なり小なりこれを修めている。
総本山はロワール北部のダーレン寺。「政武分離」を掲げるロワール公国だが、その影響力は極めて大きい。

武術として強力であるというだけでなく、その哲学含めて信奉者は多い。
北ガリア大陸各地にダーレン寺の分寺があり、ユングヴィ教団と並ぶ宗教勢力としても存在している。
その教えは内省的かつ禁欲的。他者救済に重きを置くのがユングヴィであれば、自己救済・自己研鑽を目的とするのがダーレンと言える。
この教義の違いのため、ロワールとイーリスの間ではしばしば宗教戦争が勃発している。
とはいえ、ここ20年は互いに魔族という共通の仮想敵を持っているため小康状態のようだ。

開祖マイク・ダーレンの人物像については謎が多く、数多くの伝説がまことしやかに流れている。
その多くは説話として残っているが、歴史的資料は極めて少ない。エリックが持っている「マイク・ダーレン自伝」は複製ではあるが、それでも超希少である。
これをエリックが持っている理由は現在のところ不明。ただ、エリックが数少ない「皆伝」の保持者であるのは間違いないようだ。
572 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/22(日) 14:26:01.53 ID:Y/Qr2n33O
今日はここまで。更新遅れ申し訳ありません。
マイク・ダーレンは「オルランドゥ大武術会」の同名人物とほぼ同じです。
ただ、彼が辿った人生まで同じとは限りませんが。

次回からロックモール編の本番です。
573 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/11/23(月) 02:16:46.83 ID:clGPlxwDO
574 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:17:29.93 ID:dbHTZ14LO



第25-1話



575 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:18:50.81 ID:dbHTZ14LO
「……これが、ボク、にゃ?」

下がスースーする。姿見の向こうには、薄手のワンピースに身を包んだ少女がいた。

「へえ」とデボラさんが感嘆したように言う。

「よく似合ってるじゃないか。プルミエールの助けがあるとはいえ」

「……複雑な気分にゃ」

「蜻蛉亭」の従業員の腕は、すこぶる良いらしい。何でも女主人のカサンドラさんが、化粧術に精通しているからなのだそうだ。
彼女の実年齢を聞いて少々驚いたけど、あの肉体とこの化粧があれば客は確かに取れるだろう。

「うふふ、誇っていいわよ?それだけ素材がいいということだもの。
正直、即うちで雇いたいくらい。そのつもりはなあい?」

「遠慮するにゃ」

「あらら、つれないわね。じゃあデボラ、この子を一晩預けてくれないかしら?とても愉しい夜になると思うのだけど。もちろん、その子にとっても」

「それも断るね。そこまで暇でもないんだ」

「む、残念ねえ。その子もまだ若いんだから、悦楽の真髄を味わうには早い方が良いと思うのだけど」

正直に言えば少し心が動かされたけど、それはおくびにも出さないでおいた。
実年齢を知らなかったら「お願いするにゃ」とか口走っていただろうけど、さすがにちょっと離れすぎている。彼女が老いにくいエルフでないのは、結構残念なことだ。

「それにしても、何で女装しなきゃいけないのにゃ」

「向こうの要求よ。そういうのが好きな殿方は、決して少なくないの。しかもこれほどの見た目麗しい子は本当に希少なのよ。つくづく残念。
彼をたまに貸してくれたら、ワイルダ組にさらなる便宜を図れるのだけど」

「まあ、それは今度別の形で報いてやるさ。時間は、10時からだったかい。聖職者も随分と朝からお盛んだねえ。
しかも原理主義のイーリス派だろう?アヴァロン大司教にバレたら、控えめに言って即破門だろうに」

カサンドラさんが肩をすくめた。

「側近だから彼の予定は把握しているのだそうよ?それで無理矢理時間を作って、女装させた御稚児趣味に走るのだから業が深いわ」

「禁欲主義のなれの果てということかい。まあ、お蔭でつけ込む隙ができるわけだけどねえ」

ボクは小さく頷いた。

「確認にゃ。まず統治府に潜り込んだら、客と接触。準備と称して部屋を抜け出し、爆弾を設置。
そして猫に化けて逃げる……これでいいにゃ?」

「ああ。前に話していたのと違うのは、あんたが『限界突破』を使ってメディアごと逃げること。
メディアが死んでは意味がないからね。あんたのあの力なら、多分いけるはずさ。
オーバーバックが来たら、あたしとエリック、プルミエールが引き受ける。そこに片が付き次第、アヴァロンに対応する……」

「そのためにはオーバーバックの射撃をどうするかにゃ。初撃を避け、奴と話ができる状況を作れれば……」

「勝機はあるね」

カサンドラさんが呆れたように首を横に振った。

「にしても、アヴァロン大司教に喧嘩を売るなんて、あなたも無謀ねえ。まあ、テルモンの支配下にはいるのはこちらとしても御免だけど。
税金、酷いらしいからねえ。あの暗愚なゲオルグ帝からナイトハルト伯に世が変われば……」

「言っても詮無きことさ。それに、あたしらの目的は世直しじゃない。
詳しくは言えないけど、正直ただの私情だよ。まあ、ベーレン侯の依頼もあるけどね」

「まあ、何だっていいわ。商売しやすくなる方を、私は選ぶ。だから協力した」

「そして失敗は許されない、ね。まあ承知しているさ」

デボラさんが不意に、ボクを軽く抱き寄せた。

「……頼んだよ」

「分かったにゃ」
576 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:20:17.69 ID:dbHTZ14LO
#

統治府の中は、まるで豪奢な宮殿だった。宮殿なんて行ったこともないのだけど。
特権階級御用達の娼館や賭場を兼ねているというのも納得だ。ボクは2階の奥の部屋に通された。

「失礼しますに……ます」

思わず語尾が変わりそうになったのを、必死で直した。部屋の奥のベッドには、30前後の男性が座っている。

「おお……これは可憐な」

てっきり脂ぎった中年が出てくるかと思っていただけに、ちょっと拍子抜けした。身なりには清潔感のある、顔立ちの整った男だ。

「本日の伽を務めさせていただきます、シェイラと言います。よろしくお願いしますに……ます」

「ははは、緊張しているのかな。さあ、こっちへ」

男はボクを呼び寄せると、隣に座るよう促した。……いきなり押し倒されるようなら、然るべき対応を取らせてもらう。

「は、はあ」

「新人と聞いているからね。そこまで無茶はしないよ。それにしても、本当に可憐だ……。今までの男の娘の中でも、ちょっと図抜けている」

「お、お褒めに預かり光栄です。……確か、ユリウス様、ですか」

「ああ。今日はしっかり癒してくれたまえ。そうだな、まずは按摩でもしてもらおうか」

「え?」

「気苦労が絶えなくてね。15分ほどでいい。伽はその後で構わないさ」

変わった男だ。余程疲れているのだろうか。

「ではうつぶせになっていただければ。……どうかされたのですか?」

「ははは、まあね……厳しい上役を持つと、こうでもしないとやってられないのさ」

上役……ミカエル・アヴァロンか。

「厳しい、のですか」

肩を揉みながら訊く。

「ああ。……うん、実に具合がいい。本職が按摩だったりするのかな?」

「お戯れを」

御主人にいつも按摩を頼まれているせいだろう。こういう時に役立つとは思わなかったが。

ユリウスという男は、ふうと息を付いた。

「……猊下は全てにおいて正しい。しかし、正し過ぎる。それに外れた者は、決して許されないのさ」

「罰、ですか?」

「ならいいのだけどね。消えるんだよ。いずこへと」

……「グロンド」を使っているんだ。ボクの背筋に冷たいものが流れた。粛清か。

「消える、と」

「ああ。理由は不明、どうやっているかも分からない。でも、とにかく『消える』」

「今こうしているのも、危ないのでは?」

「大丈夫。猊下は3階にいらっしゃる。客人と話されているらしい。時間になるまで、猊下は決してその予定を曲げない。つかの間の自由、ということだよ」

客人?メディアは4階のはずだから、エストラーダ侯が3階にいるのか。しかし、彼を匿う理由はよく分からない。何を考えているのだろう?

「客人、ですか」

「ああ。どうにも猊下の御心はよく分からない。……腰の辺りも頼むよ」

ボクは腰に手を移した。

「御心?」

「ああ。モリブスの邪教徒を保護したのもそうだが、あの緑髪の少女だよ。破滅を招くなら、即殺せばいいものを」
577 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:21:38.95 ID:dbHTZ14LO

……破滅??

「どういうことですか?」

「ああ、喋り過ぎたな。……まあ、私も詳しく知らないんだがね。何せ、150年ぶりのことだから」

150年……前に、「女神の樹の巫女」が現われた時に、何かあったのだろうか。

「その時に何があったのですか」

「ああ。伝説でしかないけどね、『女神の樹の巫女』の子供が、人を食い始めたんだそうだ。
で、手に負えなくなったんで当時の大司教が封印したとか聞いてる。……ああ、この話は内密にしてくれよ。私も消されてしまうから」


……!!!


体温が一気に下がった気がした。……そういうことか。

このユリウスという男の言葉に、どれほどの真実味があるかは知らない。しかし、メディアの言葉にやっと合点が行った。


もしそれが本当なら、彼女とカルロスは……絶対に結ばれてはいけない。


しかし、もう一つの疑問は残る。ユリウスは、それについては多分答えを知らない。


それは、「なぜすぐにメディアを殺さなかったのか」という問いだ。彼女の体液から取れる薬ができるまで、待っているとでもいうのか。

今すぐ動いた方がいい、とボクの本能が告げた。できるだけ早く、メディアに会わないと。

「……ちょっと、小用を足してもいいですか」

「ん?構わないよ。戻ったら、伽としようか」

好色な目で、ユリウスがボクを見る。そっと重ねられた手を振りほどこうとする誘惑に、ボクは何とか耐えた。
もう、彼に会うことはないだろう。多分。


部屋をそっと出る。その刹那、禍々しい気配を上から感じた。……何だこれは??

578 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:22:44.56 ID:dbHTZ14LO


オーバーバック?いや、あいつとは違う。この気配は……魔物にむしろ近い。


ボクは周囲を見渡し、まず化粧室に入った。爆弾を置くと、猫に姿を変えその窓の隙間から外に出る。
気配がしたのは、東側の方だ。こちらは西側だから、ちょうど逆。見に行きたいという欲求はあったけど、本能がそれを押し留めた。
それに構わず、4階のバルコニーへと駆け上がる。


果たして、そこにはメディアがいた。
その手には、前に来た時にはなかった緑色の大きな宝石が握られている。


カリカリと窓をひっかく。彼女がわずかな驚きとともに、ボクを迎え入れた。

「……あなたは」

「君を迎えに来たにゃ、カルロスが待ってるにゃ」

「……!!カルロスが……」

「ここはもうすぐ火事になるにゃ。その前に逃げるにゃ」

「……私は、ここで死ぬべき定め。ここに残るわ」

ボクの中に、迷いが生じた。ユリウスの言っていたことが本当なら、世界にとって彼女は確かに生きてはいけない存在なのかもしれない。
ただ、子をなさなければ大丈夫だとすれば……

「それは本心かにゃ?」

「……」

禍々しい気配は、さらに強まっている。これ以上ここに残るのは危険だと、獣としての本能が訴えかけていた。

「もしここで死にたいならそれはそれでいいにゃ。でも、君が少しでも生きたいと願うなら、ボクと一緒に逃げるにゃ」

ボクは宙返りをして、再びヒトの姿に戻った。幻影魔法の効果は切れているけど、この際それはどうでもいい。


ゾグンッ


下から、誰か来る気配がする。1人……いや2人??

579 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:23:16.00 ID:dbHTZ14LO


ボクはメディアに手を差し伸べる。


「いいから来るか、来ないか、どっちなんにゃっ!!!」


メディアが逡巡する。小刻みに震えた手が、少しだけ前に出た。
ボクはそれを掴み、魔力を溜める。


ドアがノックされるのと、魔力が十分練られるのと、ほぼ同時だった。


「限界突破(リミットブレイク)!!!!」


彼女を抱いて、ボクは窓を破る。それが合図となって、館から轟音が響いた。

580 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:23:47.16 ID:dbHTZ14LO
キャラクター紹介

ユリウス・ストロートマン(31)

男性。ユングヴィ教団イーリス聖教会の司教。
名門の子として生まれ、修道院でエリート教育を受ける。優秀ではあるが、過度に禁欲的な生活の反動から性的嗜好が歪んでいる。
もっとも、これ自体はユングヴィ原理主義派には少なからずあることであり、同性愛趣味は過度でなければ問題ないというのが一般的であった。

問題は、ユリウス・アヴァロンはそれすら禁忌として厳に禁じたこと。
禁忌を破った教徒は幹部であろうと文字通り「消されて」おり、一種の恐怖政治に近い状態となっている。
このため、異性愛だけでなく同性愛も地下に潜った状態でなければ行えない状況となっている。
ユリウスはその優秀さからアヴァロンからある程度の行動の自由を得ており、時折男娼を買うことでその欲求を満たしていた。
とはいえ、締め付けの強化から直近の禁欲期間は数カ月にも及んでおり、それが彼をして統治府内での買春という相当にリスキーな行為に走らせたといえるだろう。

本人は極めて紳士的であり温厚。外見の良さもあり、男女問わず好意を持たれやすい人物。
恋愛経験は年下の修道僧相手に何度かあったが、締め付けの強化に伴い別れている。
581 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:24:41.81 ID:dbHTZ14LO
失礼しました。上の記事でユリウス・アヴァロンとあるのは「ミカエル・アヴァロン」の間違いです。
582 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:26:19.90 ID:dbHTZ14LO



第25-2話



583 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:26:49.42 ID:dbHTZ14LO


統治府から誰かが飛び出したのが見えた。シェイド君だ。


それを確認し、デボラさんが目を閉じ集中する。やがて、統治府から爆音が聞こえた。
被害を小さく留めるために、威力は小さめに抑えたという。ここまでは計画通りだ。


「ここまで、シェイド君たちが来れるでしょうか」

「……さあね。だけど、そうしてくれないと話にもならない」

シェイド君とメディアさんと思われる影は、屋根から屋根へと猫の……いや、豹のように飛び移っていく。凄まじい迅さだ。
まだ、オーバーバックと思われる人影は見えない。私たちがいるこの路地まで、距離はもう50メドもない。大丈夫、行けるはずだ。

様子を見ようと路地を出た刹那。


ドグン


……重く、気味の悪い気配を向こうから感じた。そこには……深紅の銃を担いだ、黒と緑の男。

584 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:27:37.42 ID:dbHTZ14LO


彼が、私を見て嗤った。


「やはりなぁ……雁首並べて、一網打尽だぁ」


銃がシェイド君に向けて構えられる。……まずいっっ!!!


「加速(アクセラレーション)5!!!」


オーバーバックに向けて駆け出す黒い影が見えた。こういう時のために潜んでいた、エリックだ。


「おぉ」


オーバーバックはすかさず標的を変える。白い閃光が、エリックの至近距離で放たれた!


ヴォン


「嘘っ!!?」


思わず叫んだ。銃から放たれた閃光は、向こうの家の壁を粉々に砕いた。……何という威力。
いや、驚くべきはそこじゃない。あの至近距離で、弾丸を避けたエリックがおかしい。「加速」をかけているからといって、あんなことが常人で可能なの?

「はっ!!いいねぇっ!!」

エリックの拳を、オーバーバックは銃身で受ける。エリックは思わず後方に退いた。

「くっ……」

「いやぁ、愉しいねぇ……もう少し熟れてからの方が食べ頃だがぁ……」

「……止まりなさい」

私は、震える手でアリス教授から貰った「魔導銃」をオーバーバックに向けた。彼が呆れたように笑う。

「おいおい姉ちゃん、そんなへっぴり腰じゃ俺は撃てねぇぜぇ……」

「やってみないと、分からないわ」

シェイド君たちが路地に辿り着く。「ここは任せたよ」と、デボラさんが息が上がっているシェイド君を引っ張った。

「……随分、悠長なんだな」

睨み付けるエリックに、オーバーバックが銃口を向ける。私への警戒が解かれてないのは、すぐに分かった。

「そりゃなぁ。そこから逃げるのは、転移魔法でも使わないと無理だぁ……お前らを片付けてからでも、十分間に合うぅ……」

悔しいけど、オーバーバックの言う通りだった。「転移の玉」は稀少品で、アリス教授をもってしても簡単には作れないとのことだった。
「あなたたちにも持たせられればよかったのだけど」と、心底申し訳なさそうにしていたのが目に浮かぶ。

ただ、もし使っていたらオーバーバックはすぐに私たちを殺し、デボラさんたちを追っただろう。
彼は、私たちがどこにいるのかを把握できる。それが本当なら、逃げを打つ意味はない。


私は呼吸を整えた。……大丈夫、分かってたことだ。

585 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:28:04.77 ID:dbHTZ14LO


「オーバーバックさん。……提案があるの」

「んん?命乞いかぁ??」

クックックと、オーバーバックが笑う。


「……私たちと契約を結ばない?」


586 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:28:36.88 ID:dbHTZ14LO


「ほぅ??」


これは、賭けだった。正攻法で行っても、オーバーバックを倒せる見込みは多分ない。
私は彼に会ったことがなかったけど、エリックやシェイド君の口振りからこの男の危険性は何となく分かった。
そして、逃げても無駄だ。その上でアヴァロン大司教を捕らえ、かつメディアさんを救うなら……これしかない。

オーバーバックが、契約という言葉を使っていたのが肝要だった。この男の行動原理は、契約だ。まるで傭兵のように動くなら、雇い主を私たちに変えればいい。

問題は、対価だ。金なら、エリックが持つ宝石がある。どれほどの価値があるのか正確には分からないけど、少なくとも1000万ギラ以上はあるはずだ。
それ以外のものを……例えば、私の貞操を求められたら?分からない。ただ、穏やかに済む対価を私は願っていた。

もう一度呼吸を整え、私は口を開く。

「……あなたが、メディアさんを守るという契約を結んでいるのは知ってる。だから、それに上書きする形でこちらも契約を結ぶわ。
……『私たちに危害を加えない』という契約を」

オーバーバックの口の端が上がった。

「対価は何だぁ?俺は金じゃ動かねぇ……女も、名誉も要らねぇ」

「……!?じゃあ、何を対価にあなたはアヴァロン大司教と」

「お前らにそれが払えるとは思えねぇ……」


ズォンッッ!!!


オーバーバックのマナが、一気に膨れ上がった!まずいっ!!……私の賭けは、失敗に終わったんだ。

私は魔導銃を握り直す。こうなったら、できるだけ足掻くしか、ない。エリックの表情の険しさが増した。


ごめんなさい、教授。エリザベート。
そして……ごめんなさい。エリック。


587 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:29:03.52 ID:dbHTZ14LO


覚悟を決めた瞬間、オーバーバックのマナが萎んだ。……どういうことだろう?


「いや、待てよぉ?……お前が、プルミエール・レミューかぁ?」

「……え、ええ。だとしたら?」

オーバーバックの顔から、初めてあの気味が悪い笑みが消えた。

「……なるほどなぁ……あるいは、お前らに乗る方が正解かぁ?」

「何を、言ってるの」

口の中が乾く。再び、オーバーバックがニヤリと笑った。


「俺の記憶を調べろぉ……今すぐでなくていぃ……」


588 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:29:34.49 ID:dbHTZ14LO

「え?」

思いもかけない言葉に、私は固まった。エリックが、掠れた声で訊く。

「……どういうことだ」

「俺には記憶がねぇ……15年前からの記憶が、一切だぁ。
だから、俺はそれを取り戻すために、アヴァロンたちと契約を結んだぁ……
だが、その女なら確実に俺の『記憶』を取り戻せるはずだぁ。それが、1つ目の対価だぁ」

「……まだ対価が?」

「この場でお前らを見逃し、債務不履行になるのを上回るには、それなりの対価が要るぅ……
お前らが、もっと強くなったら、俺と戦えぇ……期限は、俺と次に会う時だぁ」

エリックが、私を見た。これは、その場しのぎに過ぎない。そう訴えていると、すぐに察した。

ただ、1つ目の対価は不可能じゃない。今の私が「追憶」で遡れるのは10年前までだけど、もう少し頑張れば15年前の記憶は分かりそうだ。
問題は、2つ目の対価。要は、「オーバーバックに殺されろ」ということだ。しかも、次にいつ会うかなんて、分かったものじゃない。


私は、目をつぶった。……ここが、正念場だ。


589 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:30:07.22 ID:dbHTZ14LO

「……いいわ。でも、条件がある」

「条件ん?」

「ええ。今の私じゃ、15年前にあなたに何があったかは分からない。だから、時間をちょうだい。……そう……1ヶ月ぐらい」

「1ヶ月ぅ?」

私は頷いた。このまま行けば、サンタヴィラまで大体そのぐらいで着く。どちらにせよ、それまでには20年前まで「思い出せる」ようになっていなければならないのだ。

オーバーバックは渋い顔になった。

「……3週間だぁ。そこまで待てねぇ……」

思わず唾を飲み込んだ。

「……いいわ」

「プルミエールッッ!!?」

エリックが叫ぶ。オーバーバックの笑みが深くなった。

「いいぜぇ……!!契約、成立だぁ……」

向こうから、人々の叫び声が聞こえる。統治府から、人が逃げ出しているのだろう。その中に、アヴァロン大司教もいるはずだ。

オーバーバックが、パチンと指を鳴らす。しばらくして、彼の後ろに黒い空間の歪みができた。……転移魔法?

「俺はしばらく消えるがぁ、せっかくだから一つ情報をくれてやるぅ……
俺をやり過ごしたからといって、安心しないことだぁ。『怪物』が、まだ残ってるぜぇ……」

「何っ!!?」

「クックック……俺とやるまで、死んでくれるなよぉ。そして、殺しがいのある獲物になれぇ……」

そう言い残し、オーバーバックは消えた。


それとほぼ同時に……禍々しい気配を、私は感じた。今まで感じたことのないような、おぞましい気配を。

590 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:30:37.78 ID:dbHTZ14LO


「誰かぁっっ!!!娘が、娘がぁっっ!!!」


「逃げろぉっっ!!!喰われ……があああっっっ!!!」


悲鳴が、ハッキリと聞き取れるほどに大きくなった。……何かが、近付いてきている!!?


「……逃げる、にゃ」

シェイド君が、路地から出てきた。

「え?」

「何かは分からないにゃ……でも、とにかく逃げるにゃっっ!!!」

エリックが、シェイド君の言葉を無視して叫び声がする方に駆け出す。

「エリックッ!!」

「お前らは先に逃げろ!!」

「そんなことを……」

遥か向こうに、2人の人影が見えた。遠くて顔までは見えない。

しかし……そのうちの1人からは、無数の細長い……触手か枝のようなものが生えているのが分かった。
それが次々と人々を捕まえている。……何なの、あれは??

591 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:31:07.49 ID:dbHTZ14LO


「……何てことを」


緑髪の少女が、強ばった表情で呟いた。

「何なんだいあれはっっ!!?」

デボラさんの叫びに、彼女は弱々しく首を振る。

「……多分、あれは……私の前に来ていた客人。私の血で……人にあらざる者に変わってしまった」

「……え」

私は向こうを振り返る。……そんな、馬鹿な。



あれが、エストラーダ候だと言うの??


592 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:32:01.89 ID:dbHTZ14LO
キャラクター紹介

カサンドラ・アーヴィング(49)

女性。高級娼館「蜻蛉亭」主人。普段は茶色の髪を上にまとめている。
50近いが、その肉体と技巧、そして卓越したメイクで未だに客を取っている。目尻に皺はあるものの、30半ばでも十分通用する程度には若々しい。
すっぴんでもかなり美しいが、それを他人に見せることはまずない。
年少の、できれば10代の客を好んで取る傾向にある。いわゆるショタコンであり、現役を続けているのは実益も兼ねている。

娼館の主人としては優秀で、目利きには定評がある。また、やむにやまれぬ事情から娼婦や男娼に落ちた者には手厚い保護を与えている。
実はモリブス出身ではなくテルモン出身。ただ、反皇室側の人間でありモリブスのワイルダ組(引いてはベーレン家)との関係が深い。
テルモン皇室からの刺客をデボラが撃退したことで、その関係性はさらに強まった。

なお、年齢上後継者を探しているがなかなか見当たらない様子。
593 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/25(水) 23:32:44.20 ID:dbHTZ14LO
今日はここまで。カサンドラは再登場の機会があるかもしれません。
594 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/11/26(木) 12:14:06.58 ID:XT5o9q4DO
乙です
595 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/11/27(金) 00:24:53.98 ID:qrUUkpVDO
596 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/30(月) 22:01:14.16 ID:KnL3hUx3O



第25-3話



597 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/30(月) 22:02:33.37 ID:KnL3hUx3O


「エストラーダ候……」


プルミエールが呟く。あれが、か?


2人の男まで、まだ50メドほどある。ただ、どちらがエストラーダかは大体分かった。
法服に身を包んでいるのがアヴァロンだろう。とすると、もう片方……ボロボロの服で、背中から枝か何かを生やしているのが、エストラーダか。

俺は彼には会ったことがない。ただ、保守派ではあるものの比較的マトモな男とは聞いている。今の、まるで怪物じみた人物とは、全く重なりあわない。


ビシュウッッッ!!!


遥か向こうから、枝が投げ槍のように飛んできた!?それはプルミエールに向かっていく。……まずいっ!!


ザンッ


「え」

「言ったはずだ、早くしろっっ!!ここは俺が何とかするっっ!!」

追撃のように向かってくる「枝の触手」を、俺は短剣で叩ききる。

「……分かった」

一瞬躊躇した後、プルミエールが頷く。去り際、「死ぬんじゃないよ」とデボラが言い残した。

もちろん、死ぬつもりはない。俺が逃げるだけなら、多分「加速」を使えば容易いことだ。
ただ、ここで足止めしないと、身体能力は普通の女に過ぎないプルミエールは危うい。まして、あのメディアという女が戦えるとも思えない。俺が時間を稼ぐだけ稼がないと……!

遥か向こう、アヴァロンが不機嫌そうに顔を歪めたように見えた。エストラーダは無差別に「枝の触手」を伸ばし、逃げ惑う人々を絡め取っている。
そして、絡め取られた人々は……


「がああああっっっっ………」


10メドほど先で、枝に捕まった男がみるみるうちに萎んでいく。よく見ると、あちらこちらに皮と骨だけになった死体が散乱していた。

「チッ」

捕まったら死ぬ、ということか。それにしても、これは……惨い。惨すぎる。


俺の腹の中から、灼熱の何かが込み上げてきた。


「アヴァロォォォンッッ!!!!」


叫びと同時に触手が5本飛んできた。俺は「2倍速」を発動し、それを交わす。服が、僅かに破けた。……2倍じゃ足りないか!?


「加速(アクセラレーション)5!!!」


俺は5倍速に切り替えた。前は精々数秒しか持続できなかったが……今なら、30秒は持続できる!!


10本以上の触手が、一気に俺に襲い掛かる。1本の動きは「遅い」。しかし、数があまりに多い。
剣を振るい枝を叩き斬りながら、俺はジグザグに動いて一気に距離を詰める。


残り40メド……30……20……10…………!!!


アヴァロンの顔が、ハッキリ見えた。その顔は驚きで見開かれている。……獲れる!!
598 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/30(月) 22:03:31.38 ID:KnL3hUx3O
刹那、俺の視界が塞がれた。エストラーダが背中から生えていた枝を束ね、丸太のようにして俺に打ち付けてきたと知ったのは、その寸前だった。


「ぐおっっ!!!」


俺は大きくしゃがんだ。頭の上を、巨大な何かが通りすぎる。
そして、俺は短剣を構えて距離を取った。「加速」は一度解除している。


「驚きましたね。今のを避けるとは」


遥か向こうで、ガラガラガラと建物が壊れるのが見えた。さっきのヤツが当たったのか。

「アヴァロン……なぜこんなことをしているッッ!!!」

「貴方も含め、神の教えに反する者の『救済』ですよ……それより、オーバーバックさんはどうしました」

アヴァロンの額には皴が寄っている。怒りを必死で押し殺しているかのようだ。
エストラーダが再び触手を動かそうとしているのを、奴が手で制した。

「生憎だったな。奴は寝返った」

「……!!?馬鹿なっ!!!」

「信じるか信じまいが、お前の勝手だ。少なくとも、ここからは手を引いた。あとは、お前らだけだ」

アヴァロンの顔が紅潮した。

「……だからあの男を引き入れるのに、私は反対したのです……とにかく、貴方にはここで『消えて』頂きます」

アヴァロンの手が振り下ろされた。それを合図に、エストラーダが触手とともに俺に襲い掛かる!!


ビュンッッ!!!ビヒヒュンッッ!!!!


高速の鞭打が、風切り音を上げる。「5倍速」を発動しつつ、俺はそれを何とか交わす。
速度はさほどでもない。しかし、やはり問題は手数だ。そして、5倍速を解いた瞬間に……恐らく、俺は捉えられる。

アヴァロンが杖……恐らく「グロンド」を構えたのが視界のの隅に見えた。魔法の効果範囲は分からないが、あれに巻き込まれたら終わりだっ!!!

逃げる余力を考えると……「音速剣」を使えるのは、実質1回。今撃つべきか?それとも……


ビシイッッ


「グアッッ!!?」


触手のうちの1本が、かすかに俺の手首に当たった。短剣が、カランと地面に転がる。


ニヤリ、とアヴァロンが笑ったように見えた。……舐めるなっっ!!!
599 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/30(月) 22:04:02.71 ID:KnL3hUx3O


「加速(アクセラレーション)7、『乱』!!!!」


音速手前まで抑えた速度で、俺は間合いを詰めた。アヴァロンを庇うようにエストラーダが立ち塞がり、「枝の触手」を束ねた盾を作る。しかし、この程度!!!


ドグォォォ!!!


拳に鈍い手応え。それと同時に、「盾」は木っ端微塵に吹き飛んだ。
アヴァロンまでは、もう残り3メドもない。この「速度」で奴が対応できるはずもない!!!

600 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/30(月) 22:04:46.38 ID:KnL3hUx3O


カッッ


黄色い光が、一瞬放たれる。
その直後……奴とエストラーダの姿が、消えた!?


「……驚きましたよ」


視界の向こう、20メドほど先に、奴らはいた。転移魔法?こんな一瞬で??
……いや、違う。魔法じゃない。奴は、「グロンド」の力を自分に向けた。それで、緊急回避したわけか!?

アヴァロンは、実に忌々し気な目で俺を見た。

「ただ単に『速く動ける』魔法じゃないですね?もしそうなら、エストラーダの攻撃をほとんど見切っているのはおかしい」

「……詐欺師や奇術師が種を明かすと思うか」

「ごもっとも」

「エストラーダに何をした」

エストラーダは、人形のようにアヴァロンの前に立っている。理性がないのは明白だ。

「先ほどの台詞、そっくりお返ししますよ」

テルモン兵が集まってきた。……攻めるべきか、退くべきか。

左足に体重を乗せる。……「閃」は使えない。
多分2人を殺せるだろうが、周辺への被害は大きい。何より、逃げるだけの体力もなくなる。
「音速剣」の射程でもない。とすれば、もう一度「5倍速」で近づくしかない、か。

行くことを決断した時、アヴァロンが腕時計を一瞥した。そして、「グロンド」が再び光る。

「……まだ、『調整』が不十分なようですね。それに、オーバーバックさんの裏切りで予定が狂いました。もう、退く時間です。
……必ず、貴方を殺し、彼女を取り戻します。予定は、全て忠実に遂行されねばならない」

調整?そう思う間もなく、2人は光の中へ消えた。
601 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/30(月) 22:05:13.66 ID:KnL3hUx3O
「何をしているっっ!!」

テルモン兵が俺に詰め寄ってくる。俺は「5倍速」を使い、その場から一気に離れた。

「え!?」

「消えた!!?」

風景が風のように流れる。プルミエールたちは、多分カルロスの家へと向かったはずだ。

俺の中には、アヴァロンたちを取り逃がした屈辱より、アヴァロンが退いたことへの疑問が渦巻いていた。

確かに、あのままやっていたらどちらが勝っていたかは分からない。
いや、俺の余力からすれば、長期戦に持ち込めば恐らく奴らが勝っていたはずだ。だから、俺は短期決戦を挑もうとした。
なのに、アヴァロンは退いた。……エストラーダは、完全な状態ではない?

まだ疑問はある。アヴァロンが、無軌道な殺戮に動いた意味だ。

原理主義派の中でも、過激派は世俗主義派を邪教徒だとみなしているのは知っている。そして、原理主義派にとってロックモールという街はそれ自体が禁忌の塊だ。
だからと言って、罪なき人々を殺す意味は何だ?あるいは、そこまでアヴァロンは狂っているのか?


とりあえず、幾許かの時間はできた。あのメディアという女が、その答えを持っているとすれば……一度、ちゃんと問いたださねばならない。

602 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/30(月) 22:05:49.60 ID:KnL3hUx3O
技紹介

「乱」

エリックの魔法「加速(アクセラレーション)」の7倍速。音速手前まで速度を落とすことで、周辺に被害を与える衝撃波の発生なしに行動することができる。
ただ、非常に繊細な調整が必要なため、修行前では使いこなせていなかった。
音速手前まで加速されることで、打撃の威力も相当程度高まっている。これを「乱打」することで、相手を圧殺するのが本来の骨子である。
なお、本編では一瞬のうちに10発ほどを「盾」に打ち込んでいる。現状での持続時間は10秒程度。
603 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/30(月) 22:06:39.85 ID:KnL3hUx3O



第25-4話



604 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/30(月) 22:07:07.24 ID:KnL3hUx3O

「メディアっ!!!」

カルロスの別荘に着くや否や、彼はメディアの方に駆け寄った。そして、感極まったように彼女を胸に抱く。

「……良かった……本当に……!!」

「……ごめんなさい。私、言っていないことが……言えなかったことが、たくさんある」

「いいんだ……君が戻ってきただけでも、俺は……」

カルロスが涙をゴシゴシと拭いて、あたしを見た。

「……心底恩に着る。あんたは親父の仇だけど……もう、いい」

「……問題は、これからだと思うけどねえ」

逃げ去り際にちらっと見えた、あの惨劇。エストラーダ侯に、一体何があったのだろう?
あんなことになった以上……もう、ただじゃ済まない。既にベーレン侯の元には、軍の派遣を要請する早馬が飛んでいるはずだ。

そして、それにこのメディアという女は、恐らく深く関わっている。これで「めでたしめでたし」となることは、まず考えられない。

「まず、エリックを待つにゃ。あいつなら、少なくとも逃げ切れると思うけど……」

シェイドの言う通りだ。あいつの「加速」は恐ろしく汎用性が高い。どういう原理かは分からないけど、認識速度まで加速されているようだった。だから、防御に徹すればそう簡単にはやられない。
1年前にカルロスの父親を討った時、「回転銃」の銃弾の雨を容易く潜り抜けていったのを思い出す。

「あ」

プルミエールが街の中心部の方を見た。エリックが、息を切らしながらこちらに走ってくる。

「エリック!!」

着くや否や、エリックは力尽きたように崩れ落ちた。それをプルミエールが抱きかかえる。

「……大丈夫、だ。魔力を、使いすぎた、だけだ」

「アヴァロン大司教と、エストラーダ侯は」

「……逃げた。まず、少し、休ませてくれ……色々、話したい、ことがある」

メディアが視線を落とした。感情が薄い子だと思っていたが、その行動からは幾許かの後悔のようなものが見えた。


……さて、鬼が出るか蛇が出るか。


605 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/30(月) 22:07:51.35 ID:KnL3hUx3O
#

「さあて、色々聞きたいことはあるんだけど……まずはあんたが本当は何者か、だねえ」

メディアの表情は乏しいけど、僅かに沈んでいるようにも見える。
カルロスが、彼女の右手に自分の手を重ねた。

「……メディア、俺は大丈夫だから」

微かに彼女が頷く。

「まず確認にゃ。君は、『女神の樹の巫女』。それで合っているにゃ?」

「……それが本当は何者なのか、あなたは知っているの」

「……あ、言われてみればにゃ。古い歴史書の、断片的な記述でしかボクも知らないにゃ……」

「でしょうね。都合の悪い箇所はユングヴィ教団が徹底して消したから」

「……解せんな。なぜユングヴィの連中が絡んでくる?」

体力回復の薬湯を飲みながら、エリックが訝し気にメディアを見る。

「ユングヴィが絡む理由は多分分かるにゃ、ボクを呼んだユリウスって男から聞いたにゃ。
150年前に、『女神の樹の巫女』の子供がユングヴィ教団の幹部まで登り詰めたって話はしたにゃ?その子供が、大量殺戮を行ったらしいのにゃ。
ただ、何がどうなってそんなことになったかは知らないにゃ。君は何か知ってるにゃ?」

「……ええ。それには、私の正体を言わなければいけない」

「正体?」

チラリ、とメディアがカルロスの方を見た。

「俺は大丈夫、覚悟はできてる」

「……ありがとう。まず、私は人間じゃない。あの、『女神の樹』の一部」

「……『一部』?」

「ええ。私……『女神の樹』は、繁殖する相手を持たないわ。同族に雄体はいないし、受粉もできない。
ただただ長い間、孤独に生きるより他ない生命。ただ、それでも本能が、子を残そうとすることはある。
そういう時に私が生まれるの。『雌蕊』として」

「『めしべ』?何だそれは」

ポンとシェイドが手を叩いた。

「学術書にあったにゃ。植物は、雌蕊に花粉を受粉することで繁殖するにゃ。……ああ、つまり」


「ええ。私は、ヒトの精を受けるための器。そして、子を為したら消える運命」


606 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/30(月) 22:09:18.48 ID:KnL3hUx3O

「……!!そんなっっ!!?」

ガタン、とカルロスが立ち上がった。

「……ああ、そういうことかい。あんたがこいつに抱かれなかった理由は」

こいつはこいつなりに、カルロスを愛しているのだろう。だからこそ、永遠の別れに繋がる行為を避けていたわけか。

「……それもある。でも、あと2つ理由がある」

「2つ?」

「ええ。まず、私の体液は強力な薬になる。原液を直接飲めば、人外の力を得られるほどに。
そして、続けて飲み続ければ……人の姿を失い、『雌蕊』を守るための騎士となるわ」

「……まさかっ!!?」

プルミエールが顔面蒼白になった。メディアが顔を伏せる。

「……ええ。あなたたちが見た、あの男性。彼は、私の血を飲んでしまったのだと思う」

「血?」

「あのアヴァロンという司教に囚われ、私はまず指を切られたわ。そして、血を採取された。
150年前にあったことは、ユングヴィの中では語り継がれていたみたい。前の『私』の伴侶が、私の死後に怪物と化したことを含め」


ドンッ


激しい音がした。エリックが、薬湯の入った陶器を机に叩きつけたのだ。

「外道がっ……!!アヴァロンは、初めからそのつもりでエストラーダを生かしておいたわけか!!
奴は血を得るために、お前を捕らえた。違うか」
607 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/30(月) 22:10:09.76 ID:KnL3hUx3O
そういうことか。……確かに、反吐が出る。
アヴァロン大司教の人となりは、薄っすらではあるけど聞いていた。


教義に忠実で温厚篤実、弱者に手を差し伸べる聖人。
……ただし、敬虔な信徒相手に限る。


モリブスの世俗派を、奴は獣より下の存在としか見ていない。
そんな奴が、モリブスの世俗派の長であるネリドと一緒にエストラーダ邸を訪れていたという時点で何かを察するべきだった……!

メディアが、軽く首を振る。

「それはあると思う。でも、それだけじゃない」

「もう一つの理由……子供が、大量殺戮を行ったという話にゃ?」

シェイドに、小さく彼女が頷いた。

「150年前、何が起きたかという記憶は『本体』を通して知っているわ。そして、『本体』は当時の『娘』と精神的に繋がっていた。
何が起きたかは、詳しくは分からない。でも、『女神の樹』はヒトから樹の姿に変わる時に、多量の生命を必要とするわ。多分、その時に……」

「生命としての本能、というわけにゃ。……そして、アヴァロンはその可能性を摘もうとしたわけにゃ」

「ええ。あの人は、邪悪ではない。少なくとも、本人は正しいことをしているとしか思っていない。
そして、世界のことだけ考えるなら、それは正しい。私は……子を為してはならぬ運命(さだめ)」


「ふざけるなっ!!!」


カルロスが立ち上がった。
608 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/30(月) 22:10:49.85 ID:KnL3hUx3O

「君はどう考えているんだ!!世界のことなんて、そして今後のことなんてどうでもいいっ!!
君の、本当の気持ちを知りたいんだよ!!」

メディアが言葉に窮した。会ってから僅かの時間しか経ってないけど、この娘は無感情じゃない。少しだけど、感情はちゃんとある。

長い沈黙の後、彼女の目から涙が一筋流れた。

「……分からない。これが『本体』の本能なのか、それとも私の感情なのか。
でも……許されるなら……私は、カルロスともっと一緒にいたい。でも、そんなこと……できるはずもない」

「メディアっ……!!」

カルロスが、彼女を胸に抱いた。

……若さだねえ。ただ、感情だけではどうしようもないことは、ある。

「じゃああんたはどうすればいいと思うんだい?清い関係を一生続けたまま、遠くに逃げるのかい?」

「……いや、アヴァロン大司教は討つ。……話はそれからだ。とにかく俺にも、何か手伝えないか??」

「……あんたは、その子の側にいてやんな。それがその子のためにもなるはずさ」

カルロスは、前線には出せない。アヴァロンたちをここで迎え撃つことになるだろうけど、迂闊に彼を晒せばまず狙われるだろう。
それに、彼女の精神を安定させる要因にもなる。多分、これが最適だろうね。


ところが……シェイドが納得していないように首を捻った。


「……どうしたんだい?」

「いや、あまり良くない予感がするにゃ。根拠はないにゃ、ただ……」

「ただ、何だい?」

「誰かもう一人、2人についているべきだと思うにゃ。万一の時の備えにゃ」

「まあ、そうだねえ……」

そうなると、アヴァロンとエストラーダ相手に3対2か。ただ、あの怪物と化したエストラーダ相手にこれは少し難しいかもしれない。
それに、テルモン軍とユングヴィ教徒もいる。味方ごと殺したアヴァロンに、どれだけ付いてくるかは別としてもだ。


あたしは悩んだ挙げ句、結論を下した。


「いや、2人の所まで辿り着けないようにすればいいさ。テルモン軍への工作は、あたしがやっとく」

「どうするにゃ」

「カサンドラを通してみるさ。第4皇子が彼女の客として来たからね、そこから頼み込んでみるよ。
さすがにアヴァロンの今回の所業は、テルモンとしても看過できないはずさ」

「……分かったにゃ。ボクも同行していいかにゃ?」

「構わないよ」
609 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/30(月) 22:11:16.74 ID:KnL3hUx3O
#



この時下した選択を、あたしは後悔することになる。



610 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/30(月) 22:11:44.18 ID:KnL3hUx3O
キャラクター紹介

メディア(?)

女性。長い緑髪と白い肌で、どこか超然とした印象を与える。
基本的には無表情に近いが、感情がないわけではない。人間性は僅かながらにある。

その正体は「女神の樹」の「雌蕊」。樹本体から分離し、人間に擬態することで男性の精を受ける。こうすることで、次世代の樹を生み出す。
子供は女性しか生まれない。成人と共に樹に形を変え、周辺の生命エネルギーを吸い取ることで成長する。
そして、その際には甚大な被害が発生する。これが150年前にイーリスで起きた事件の真相である。
この際に、当時の大司教が「グロンド」を使って僻地に樹を飛ばしたことで一応の決着を見ている。

女神の樹の自意識としては、自己の生殖本能が人類にとって害であることを認識しており、それはメディアにも受け継がれている。
そもそも女神の樹自体が現在進行形で僅かながらもロックモール住民の生命を吸うことで存在しているため、人に危害を加えかねない繁殖の帰結は望ましいものではないという意識があるようだ。
メディアが自分の死に対して諦観していたのは、これが理由である。

とはいえ、人間的感情がないわけではないでもなく、カルロスに対する恋慕の感情もまた本物である。
この結末がどのようになるのかは、現状では全くの不明である。

なお、彼女の存在をアヴァロンがどうして知ったのかは別途明かされることだろう。
ちなみに、メディア自身の実年齢は1歳である。その1年で彼女が誰の元にいたのかは、まだ明かされていない。
611 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/11/30(月) 22:13:22.60 ID:KnL3hUx3O
今日はここまで。

次回ですが、少し思案中です。以下のどれかから多数決で選ぼうと思います。
なお、大筋に影響はありません。

1 このまま26話へ(戦闘メイン)
2 エリックとプルミエール
3 アヴァロンの現状

3票先取とします。
612 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/11/30(月) 22:28:11.36 ID:iPz53eh10
2
613 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/11/30(月) 22:53:03.48 ID:TITpAFaDO
2
614 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/12/01(火) 00:11:21.13 ID:uDSzzSe+0
2
615 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/01(火) 09:31:17.04 ID:iyEjcrKOO
2とします。
展開上一度アヴァロン側は書かなければならないことが判明したので、そっちはさらっとやります。
616 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 21:54:39.25 ID:bvl3ZNmeO



第25-5話



617 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 21:55:33.73 ID:bvl3ZNmeO

海が良く見える岩場に、彼は腰掛けていた。ザザァ……と波の音だけが聞こえる。

「エリック、そろそろ時間」

「……もう、か」

潮風が、彼の赤みがかった髪を揺らした。月光に照らされた彼の顔は、普段よりずっと精悍に見える。

「何か変わったことは?」

「いや、何も」

アヴァロン大司教の夜襲に備え、私たちは交替で見張りをしていた。彼が最初で、私が2番目だ。
夜目が利くシェイド君がその次で、最後がデボラさんという順番になっている。

「くれぐれも、無理はするな。多少は場数を踏んだとはいえ、お前1人で戦いは……」

「分かってる。怪しい気配があったら、すぐに家に戻って対応、でしょ?」

「ああ。向こうの人数にも依るが、基本は逃げだ。テルモンの支援を受けられるのは、明日からだからな」

デボラさんとシェイド君が、夕方にテルモン軍と話を付けてくれたのは大きかった。
テルモン軍にも犠牲者がおり、大司教への不信が出始めているという。「少なくとも大司教の確保までは協力しよう」ということらしい。

それでも、ユングヴィの神官兵はまだいる。彼らがどれだけいるのかは知らないけど、一気に来られたら厳しい状況には変わりないのだ。

「そうね。じゃあ、あとは私に任せて。まだ疲れ、抜けてないんでしょ?」

「いや……少し俺も残る」

「え」

「嫌か?」

私はブンブンと首を振った。嫌なはずがない。ただ、予想だにしなかっただけだ。

ポンポン、と彼が岩場を叩いた。ここに座れ、ということみたい。

「……いいの?」

「そこにずっと突っ立ってるつもりか?」

私はおずおずと座った。何か、心臓の音がうるさい。

エリックは何も話さず、私の方も見ずに月をじっと見ている。警戒はまだ解いてないみたいだけど、何か話してくれればいいのに。
私はというと、会話のきっかけを掴めずにいた。エリックは、何のために残ったんだろう?
618 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 21:56:04.10 ID:bvl3ZNmeO
沈黙を破ったのは、彼の方だった。


「……どうするんだろうな」


「えっ」

「カルロスとメディアのことだ。全部終わって、奴らが生き延びれたとして……そこに未来はあるのか?」

「未来って……一緒に生きられるんだから、あるに決まって」

「いや、違う。カルロスは男で、メディアは女だ。人外だとしても。
そして、互いに想い合っている。そういう男女が、全く触れ合わずに生きることなどできるのか?」

できる、と言いかけて私は口をつぐんだ。前の私なら、躊躇わずそう言っていただろう。でも、今の私は……違う。

隣の少年に、もっと触りたい。触ってほしいと思っている。許されるなら、その先まで。
彼は意識しているか分からないけど、口付けだって交わしている。あの感触は、まだ忘れてはいない。

だから……カルロス君とメディアさんが繋がれた枷が、あまりに重いことを私は理解してしまった。
そう、愛し合っている2人は、1つになりたいと思うはずだ。それが決して許されないとしたら?

エリックが溜め息をついた。

「……分かったみたいだな」

「そんな……!!じゃあ、どうすればいいのよ……」

「それに答えが出ているなら、ここに残りはしないさ」

彼は足元の小石を拾い上げ、海へと放り投げた。

「俺は男だ。だから、カルロスが自分の欲求に耐えられるとは、そんなに思っていない。
まして20になるかどうかのガキだ。普通に考えたら、好き合ってる女がいたらヤりたくて仕方ないに決まってる」

「じゃあ見捨てろって言うの??」

「……いや、それはできないし、したくもない。だから上手い解決法がないか、あの話を聞いてからずっと考えていた」

「だから、私に?」

彼が頷いた。

「もしお前がメディアなら、どうする?」

「私がメディアさんなら?」

「ああ。俺は女じゃないからな。それはお前の方がきっと良く分かる」

私が彼女なら……どうするだろう?
619 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 21:56:52.61 ID:bvl3ZNmeO
決して結ばれることはできない。それはカルロス君の破滅だけでなく、多くの犠牲を招きかねないからだ。
なら、彼に抱かれるのを拒みつつ、一緒に生きられるだけで良しとするの?それはそれで、生き地獄を彼に味わせることになる。


とすれば……私なら、きっと身を引く。トンプソン先生のように、精神感応魔法に長けているわけじゃないけど……できれば、彼の記憶を消した上で。
傷付くのは、自分だけでいい。彼には、自分のことは忘れてもらって幸せに生きてほしい。……そう考えるんじゃないか。


でも、じゃあメディアさんはどうするのだろう?自ら命を絶つのだろうか。自分の生死には頓着がなさそうな人だ、そうするかもしれない。
もし、記憶を消す手段があるとしたら……


私は首を強く振った。そんな結末は、あっちゃいけない。

620 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 21:57:25.79 ID:bvl3ZNmeO
「どうした?」

「ううん……ちょっと。嫌なことを考えちゃって」

「……そうか」

エリックが、もう一度足元の小石を投げた。さっきより強く。

「2人は、どこまで分かってるんだろう」

「さあな。カルロスは多分、そこまで考えていないだろう。ただ、メディアは違うはずだ。
だから、意図してあいつを遠ざけていた。そんな気がする」

「……!でも、さっきは……」

「ああ。あの娘もカルロスに惚れている。会えば耐えられなくなると、知ってたんだろう。
あるいは、無感情に見えるのも演技かもしれない。自分を騙すための」

「……本当に、何もできないの?例えば、彼女を人間にするとか……」

荒唐無稽な思い付きだった。それができれば、どんなに幸せだろう。
でも、そんな奇跡は起きないのを、私は知っている。エリックも、不快そうに顔を歪めた。

「……できるわけがないだろう。そんな、お伽噺じみたことが……」


その時、エリックの表情が固まった。

621 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 21:58:20.31 ID:bvl3ZNmeO
「どうしたの?……まさか、アヴァロンが来たとか」

「いや……違う。お伽噺じゃない。不可能じゃないぞ、それは」

「え?」

「魔物が人間になった例を、俺たちは知ってる」

「えっ、誰なの?」

エリックがニヤリと笑った。


「察しが悪いな。シェイドだ」

622 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 21:58:49.52 ID:bvl3ZNmeO
「ああっっ!!!」

私は思わず叫んだ。そうだ、シェイド君はもともと偽猫(デミキャット)だった。それがアリス教授によって亜人の姿になれるようになったんだった。とすれば……

「鍵はアリス教授が握っているわけ?」

「そうなるな。まあ、それも全部アヴァロンたちを何とかした上でのことだが」

エリックが立ち上がり、うーんと伸びをした。

「2人には、このことを話すの?」

「いや、全部終わってからだ。第一今日はもう遅い。……やはり、残って良かった」

「え?」

「お前のおかげだ。俺だけじゃ、こんな考えにはたどり着けなかったからな。……見張り、よろしく頼む」

エリックは微笑むと、ポンと私の肩を叩いて家の方に消えていった。

#


そして……夜が明けた。長い1日が、始まろうとしていた。


623 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 21:59:41.56 ID:bvl3ZNmeO
用語紹介

偽猫(デミキャット)

猫に良く似た魔獣。人里周辺に住んでおり、農作物を荒らす害獣として知られる。猫との違いは尻尾が2本ある点にある。
7〜8歳児並みの知能を持ち、とても悪戯好き。簡単な言葉を話す個体もいる。
好事家の中には偽猫をペットとして飼う者もいる。ただ、とにかく悪戯好きのため、飼い慣らすのは苦労するようだ。
戦闘能力も魔獣としては高めのため、冒険者でも中級以上ないと戦闘は回避すべしというのが定評である。

シェイドはもともと偽猫としてはかなり知能が高く、それが魔術生命体にする一助になったようだ。
なお、シェイドは悪戯好きではないが、その欲求が大体(巨乳の)女性に向いているもよう。
624 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 22:00:08.49 ID:bvl3ZNmeO



第26-1話



625 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 22:00:54.94 ID:bvl3ZNmeO
目が覚めて時計を見る。5と半刻。枕は変わっても、寸分違わないことに私は満足した。
ここには信徒はいない。いるのは私と、「魔法環」で拘束されているエストラーダだけだ。

残る血はわずか。完成前に彼を解き放ったのは、私らしからぬ失敗だった。

闖入者の存在に気付いた時、私は行動の予定を早めてしまった。メディアと、「女神の雫」を奪われるのを避けるためだ。
しかし……相手の力量は、私の想定を上回っていた。……何たる失態。
しかも、こういう時のために「契約」を結んでいたはずのオーバーバックが寝返ったのは、完全に考えもしていなかった。
626 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 22:01:21.83 ID:bvl3ZNmeO


……許されない。


許されない許されない。


許されない許されない許されない許されない。


627 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 22:02:03.06 ID:bvl3ZNmeO


全ては、予定通り、予想通りに行われねばならない。こんなことはあってはならぬ。断じて。そう、断じて。


掌に熱い痛みを感じた。血が一筋、流れている。拳を握りすぎたらしい。

……いけない、怒りを、外に出してはならない。神は、それをお許しにはならない。
そもそも、最初に予定を破ったのは、私だ。その後の一連の「予想外」は、全て戒律を破った私への天罰なのだ。


大きく呼吸をする。大丈夫、全て問題ない。心の在り方も、平時に戻った。
メディアと「女神の雫」は、すぐにでも取り戻せる。オーバーバックにしても、そもそも信頼などしていなかった。
まずは盗人たちを討ち、その上で彼女を殺す。ロックモールの邪教徒どもは、その上で浄化してやればいい。予定は狂ったが、台無しになったわけではない。

私は最後の血の瓶を手に取り、自我を失ったエストラーダに与えた。もう、口で飲ませなくてもよい。ただかけるだけで、植物のように吸収するのだ。


「……………カァァァァ…………!!!」


叫びと共に彼の身体が桃色に輝いた。……よし。これで昨日のようなことはあるまい。

エリック・ベナビデスが退いてくれたのは幸甚だった。
あの時、もうエストラーダは動けなくなっていた。私が戦えば問題なかっただろうが、私が自ら手を下すのは教義に反する。

時計は6の刻に近付いていた。ここには、食事番の信徒はいない。だが、何も問題ない。

私は部屋の片隅にある銀色の大きな箱……「冷蔵庫」を開けた。そこには、蒸し芋の裏ごしとケルの葉のサラダ、そして「トフ」が入っている。
事前に命じておけば、これは必ず望み通りの物を時間通りに作ってくれる。冷えているのは、この際やむを得ない。予定通りの時間に、予定通りのものが食べられることが何より大事だ。

食事の後は説法。聞く者が邪教徒のエストラーダだけであっても、時間通りにこなさねばならぬ。ロックモールの「浄化」と、盗人たる魔王の討伐は……それからだ。
628 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 22:02:36.44 ID:bvl3ZNmeO


ジリリリリ!!!


「モニター」の近くから音が鳴る。……耳障りな音だ。
しかし、これが……「電話」が鳴ることはほとんどない。誰だ?


私は受話器を手に取った。

「……もしもし」

『やはりいたかよ』


「……!!デイヴィッド・スティーブンソン!!?」


629 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 22:03:12.71 ID:bvl3ZNmeO
あまりに予想外の声に、私は絶句した。なぜ彼が?
そして……なぜ私がここにいることを知っている?

……気に食わない。心底気に食わない。現状は、あまりに想定を外れている。

そんな私を嘲笑うように、スティーブンソンは「ククッ」と嗤った。

『さぞ腰を抜かしてるだろうなあ、偽善者の司教さんよ。まあ隠す理由もねえから種明かししてやる。『シェリル』の『パランティア』だよ』

「何ですって」

『あんたの戻りが遅いから念のため『見たら』この有り様だ、そうだ。で、俺にお鉢が回ってきたってわけだな』

「……彼女自身が来ればいいでしょう」

『ところがそうも行かねえ。トリスで『本体』がヤバくなりかけてな、『主端末』ごと逃走中だ。まあ、亡命先はうちの国だろうよ。
そんなわけで、俺がそっちに向かうことになったってわけだ』

「貴方自身の任務は?アリス・ローエングリンを追っているんでしょう」

『ああ、『それも兼ねて』だ。モリブスのジャック・オルランドゥのとこを急襲したが、藻抜けの殻でな。どこかに消えやがった。
とすれば、魔王御一行がいるここが目的地と踏んだ。援軍が来て嬉しいか?』

「手出しは無用です。予定にない」

カカカカカと、耳障りな笑いが受話器から響いた。目の前にいたら、躊躇わず「グロンド」を握っていただろう。

『と言うだろうと思ったぜ。まあそっちはそっちでやりな。俺は勝手にやらせてもらう、魔王狩り含めてな』

「……それが言いたかっただけですか」

『いや……ハーベスタ・オーバーバックの件だ。なぜ裏切られた?』

スティーブンソンの声が低くなった。
630 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 22:03:47.93 ID:bvl3ZNmeO
「私の知ったことじゃない」

『にしてもだ。俺たちは15年も、『契約』であいつを縛り付けてきた。逆に言えば、15年は従順だった。それが何故急に心変わりする?』

「……待たせ過ぎた?」

『それなら不平不満は言ってたはずだ。それに、極力そうならないように、あいつにはでき得る限りの自由を与えていた。
さらに言えば、あいつには多分、普通の時間の概念がない。1年も15年も似たようなものだ。……何かやらかしたな?』

いや、そんなはずはない。むしろ、相当気を遣っていた。だから、魔王は余程の「好条件」を出したはずだ。
強敵と戦う機会?魔王たちと戦うという話なら、こちらもいつだって命じられる。それは決定打じゃない。

……

…………まさか。


「プルミエール・レミュー……」


631 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 22:04:19.95 ID:bvl3ZNmeO
『…………!!!それか!!!』

「ええ。彼女の『追憶』が、人に対しても使えるなら……人の記憶を思い出させるものならば……寝返りは、あり得る」

そうだ。彼女の魔法は、土地の記憶を呼び起こすものとばかり思っていた。クリス・トンプソンの情報からも、そう判断していた。
しかし、もし人の失われた記憶も取り戻せるなら。「自分が何者かを調べる」ということを契約の対価とする私たちより、遥かに彼女は優位に立つ。


そして、オーバーバックの正体は……


ゾクンッ


凍り付くような悪寒。もし、彼が自分が何者かを思い出せば……世界は破滅へと近付くと、私は確信した。
「サンタヴィラの惨劇」と同じか、あるいはそれ以上に……この真実は「知られてはならない」。

632 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 22:04:47.05 ID:bvl3ZNmeO

『……まずいな』

「ええ。本当に始末すべきは、彼女だった」

『了解だ。俺も極力急ぐ』

電話がブツリと切れた。時計はもう6の刻。朝食を取るべき時間を過ぎている。

「……忌々しい……!!!!」

私は椅子を蹴り上げた。あらゆることが、予定通りになっていない。心底忌々しい……!!


彼らがどこにいるか、凡その見当は付いている。襲撃予定は朝の9の刻。


予定された、平穏で無駄のない日々を取り戻すのだ。


633 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 22:05:13.55 ID:bvl3ZNmeO
用語解説

「冷蔵庫」

秘宝の一つ。我々が知る冷蔵庫とかなり近いが、動力源は謎。温度調整は任意でできる。
また、事前に命令した食事を自動で作り、冷蔵庫で保存する機能もある。食材がどこから来ているのかは謎だが、かなり幅広い注文に対応できるらしい。これがロックモールにある理由は現状では不明。

なお、アヴァロンがいる場所は以前六連星のリモート会議が行われた場所でもある。
これがある部屋は、ロックモール市街からやや離れた場所にあるようだ。
634 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/04(金) 22:06:23.44 ID:bvl3ZNmeO
今日はここまで。次回以降は戦闘シーン多めです。

なお、この「冷蔵庫」は過去作に近いものが出ています。
635 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/12/04(金) 22:30:43.23 ID:/QifgMJn0
636 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/08(火) 21:56:45.08 ID:NFy1JhCKO




第26-2話




637 : ◆Try7rHwMFw [saga]:2020/12/08(火) 21:58:37.50 ID:NFy1JhCKO
「思っていたよりは寄越したものだねえ」

目の前には重装備のテルモン兵が7人。小隊長と思われる男が、兜を片手にあたしとシェイドの所に来た。
年齢は40ぐらいか。無精髭で武骨な印象を与える。場数はそれなりに潜っているようだ。

「カルツ・ヴェルナーだ。シュヴァルツ第4皇子の命でこちらに参上した」

「ああ、よろしく頼むよ。にしても、思ったよりちゃんとした援軍で驚いたね」

「皇子の命だからな。モリブスとはあまりいい関係ではないが、テルモンがモリブスを攻撃したという風説が流布されれば国益に関わる。
何より、昨日の殺戮。こちらも6人が死んだ。ユングヴィには適切な回答を求めたいものだが」

「なるほどにゃ、ロックモール制圧はユングヴィの意向が強いということにゃ?」

「と聞いている。彼らからの要請を受け、皇帝陛下が我々を送ることを決断された。
まあ、陛下の御心は分からないが、シュヴァルツ皇子はそもそも乗り気ではないよ」

「だろうねえ」

もしテルモンが本気でロックモールを制圧しようというなら、皇子は娼館に通わないだろう。
利権拡大を狙ったテルモンが、アヴァロンの誘いに乗ったというのが妥当な読みか。

問題はアヴァロンだ。あいつはメディアを奪うためなら手段を選ばない。
さらに、エリックが言っていた「救済」の言葉も気になる。ユングヴィ教に背くとして、この街そのものを破壊しつくそうとしている可能性すらある。

シュヴァルツ皇子の説得には、この仮説が効いた面もあった。あたしたちにとっても、そしてテルモンにとっても、アヴァロンは敵なのだ。だから、この男たちを寄越したのだろう。

「街中の警備はどうなってるにゃ」

「万全だ。しばらく戒厳令を敷くということにはなってい……」


あたしの視線の向こう。防風林に隠れる形で、何人かの人影が見えた。
そしてそこから放たれたのは……緑色の「枝の槍」。


「伏せなッッ!!!!」


ザクッッ!!!!


「グハッ!!?」


血飛沫が、あたしの頬にかかった。数十メド先から放たれた「槍」の何本かが、反応が遅れたテルモン兵の胸を貫いたのだ。
やられたのは、3人か。さすがに隊長のヴェルナーは避けている。

「なっ!?」

「家の中に逃げなっ!!あたしたちが対処するっ!!」

「しかし……」

「しかしもクソもないよ!!死にたいのかいっ!?」

ヴェルナーが家に向かって駆け出すのと同時に、防風林から、5人の人影が現われた。アヴァロンとエストラーダ侯、そしてあとの3人は教団の兵士か。

「愚かな……あの皇子は、神に逆らう選択をしたようですね」

「……どこの神様かねえ」

あたしは銃を構える。杖を構えたアヴァロンが、一瞬光ったように見えた。

「来るよ!!!」

あたしとシェイドも、家の方に走る。それから程なくして、何者かが近くに現れる気配があった。


シャアアアアッッ!!!


「枝の触手」が、あたしたちに襲い掛かる。来やがったね!!

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