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花丸「私の天使」
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1 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:05:49.89 ID:qe4+sBJv0
ラブライブ!サンシャイン!!SSです。
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1594555549
2 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:08:08.89 ID:qe4+sBJv0
どこの国にも言い伝わっているようなお話、幼子への脅し文句。
「あの山には入ってはいけないよ。悪魔が住んでいて、攫われてしまうからね。」
母親に言われた子供は身を震わせて大きく頷くと、そそくさと寝室に向かう。
窓から見える、黒く禍々しい雰囲気を纏う夜の山。部屋を包む暖色の灯り。
これは昔々の寓話。御伽の世界の「アクマ」と1人の少女のおはなし。
3 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:08:37.54 ID:qe4+sBJv0
「──んん……」
柔らかな陽光が青々とした木々の犇めく森に遅い朝を告げる。
その中心で、一際大きい大木が暗緑色の両手を広げていた。
枝が絡み合う大木の中は、まるで頑なに夜を保っているかのようだった。
「うーん……よく寝たわね。」
暗がりから声がする。
ぱらりと葉が一枚落ちると同時に、黒い影がすとんと地面に降り立った。
黒く落ち着いた装束に体をすっぽり包み込めるほどの大きな翼。
腰の下からはきめ細やかな尻尾がゆるりと伸びている。
悪魔と呼ぶにはあまりにもしなやかで美しく、しかし天使と呼ぶのは憚られるほど妖しげで威圧的な佇まいであった。
「ちょっと寝すぎたかしら……?」
それは気怠そうにうんと大きな伸びと欠伸を一つすると、大きな翼を一振りし、一気に巨木の頂点に静かに着地する。
尻尾を揺らめかせながら、周りの草木を威圧するように辺り一面を瞰望する。
「今日も平和な一日ね。」
眼下の街の赤焦げた色の屋根を一瞥しながらふっと息を吐く。
何も変わらない平穏な一日のはじめを身体中で感じながら、まるで雲に降り立つかのようにすとんと地に足を着ける。
さぁ、今日も変わらない一日を──
4 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:09:07.06 ID:qe4+sBJv0
「だれ……?」
「うわーーー!!!!」
頭のてっぺんから爪先の先まで電気が走ったように驚き、思わず幹の寝床に姿を隠す。
訪れた静けさの中でひらひらと緑色の葉が舞い落ちている。
ゆっくりと木の幹の隙間から下を覗き込むと──
「ふ……うう…………うわーん!!!」
まだ年端もいかない子供だろうか。
びっくりして大きく見開いた目にやがてゆるゆると涙が溜まり、割れんばかりの声で泣き始めてしまった。
「わわ……ごめん!ごめんって!とりあえず泣き止んでー!」
目の前の手のつけようのない子供を前にこっちも泣きたくなる。
どうしていいのかわからず、とりあえず子供の頭を撫でてみる。
「うぅ……ひっく……」
だんだん落ち着いてきたのか、その子供は涙でぐちゃぐちゃの顔をゆっくりと上げる。
茶色の柔らかく長い髪と自分の腰ぐらいまでしかない体。
少し薄汚れたワンピースはお転婆という言葉がぴったりな印象だった。
しかし、そんなことを気にする暇もなく、その子供が恐怖の対象であるかのような目線を送りながら、口をパクパクさせる。
「あなた……なんで!」
またもや大きな声にびっくりしたのか、子供の顔は一転、再び泣き出しそうになる。
「だ、大丈夫よ。落ち着いて……落ち着いてぇ……」
とりあえず彼女に聞きたいことはいろいろとあるが、まずは落ち着かせないと話にならないと思い、ゆっくりと彼女を宥める。
5 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:09:44.05 ID:qe4+sBJv0
数分もすると、ようやく子供は落ち着きを取り戻したようだ。
真ん丸な瞳で不思議そうにこちらを見上げている。
透き通った琥珀のような瞳がとても綺麗だ。
「……それであなたのお名前は?」
「くにきだ……はなまる」
泣き疲れたのか、花丸と名乗る少女はぽつりぽつりと話してくれた。
「おばあちゃんと山に来たんだけど……おばあちゃんとはぐれちゃって……」
話しながら、花丸は三度泣きそうになる。
「だ、大丈夫よ!私がおばあちゃんのところまで連れて行ってあげる!」
思わず言葉が口を衝いて出て、自分でも驚く。
なぜ自分は今出会ったばかりの少女を助けようとしているのだろう?
自分の力で勝手にここまで来たんだ、どうせ家も近くだろうし、近くにそのおばあちゃんとやらもいるだろうに。
そして、何より私は────
「ホント?見つけてくれるずら!」
瞳をきらきらと輝かせながら、花丸の顔が華やぐ。
「……ええ、連れてくわ。」
目の前の花丸の顔を見ると、あれこれ考えていたことなど、ヨハネの頭の中から消えていた。
乗りかかった船と自分に言い聞かせる。
大丈夫。近くまで連れて行くだけ。
6 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:10:19.17 ID:qe4+sBJv0
「おねえちゃんのおなまえは?」
「私の名前……?よ、ヨハネよ。」
自らを名乗ることなんて何時ぶりだろう。
「ずら〜!かっこいいおなまえだね!」
心の底から楽しそうにその場で何度も跳ねる花丸を見て、思わずヨハネの顔がほころぶ。
「ほら、探しに行くわよ。」
似つかわしくない笑顔を浮かべた自分がなんだか恥ずかしくて、思わず顔を背ける。
「しゅっぱーつ!」
花丸の小さな手がヨハネをぐいっと引っ張る。
秋の柔らかな太陽は、森の中を意気揚々と歩いて行く花丸と、尻尾と翼を丁寧に畳み、花丸に引っ張られていくヨハネを優しく照らしていた。
「ねえ、花丸……って言ったっけ?」
「はーい!」
自分が迷子であることなど忘れたかのように、元気よく返事をしながら花丸は満面の笑みで振り返る。
「あんたって──」
──なんで、私の姿が見えるの?
花丸と会ってから、ヨハネの頭にはこの疑問が貼り付いている。
なのに、満面の笑みの花丸の顔を見ていると、途端に言葉が出てこなくなる。
だいたい、こんな年端もいかない子供に聞いてわかるわけがない。
「なんでもないわ。」
微笑を浮かべてヨハネは誤魔化す。
7 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:10:52.66 ID:qe4+sBJv0
数十分ほど経っただろうか。
時折ちろちろと流れていた清流は、いつの間にか音を立てて流れていた。
「花丸……花丸!」
「あ、おばあちゃんずら!」
前方からおろおろと駆け寄ってくる年配の女性を見つけて花丸はぴょんぴょんと跳ねていた。
「おお……よかった。心配したよ……本当に……」
「あのね、ここまで優しいお姉ちゃんが連れてきてくれたんだ!」
すっかり安心しきったように強く花丸を抱きしめるおばあちゃんの胸の中で、花丸は後ろを指差す。
「……あれ?」
「おやおや、この子は。夢でも見ているのかい?」
髪の毛に着いた木の葉を摘み取り、優しく頭を撫でている祖母をよそに、花丸の目は自分が歩いてきた道に釘付けになっている。
そこには少女の姿などなく、あるのは小川を包み込む木漏れ日だけだった。
*
*
「ふぅ……とっても疲れたわ……」
木々のすぐ上を弱弱しく飛びながら、ヨハネはため息をつく。
(思えば、人間と話したのは初めてね。)
今朝からの非日常の連続で、ヨハネは若干の疲れを感じていた。
寝床である大樹の木陰に横になる。
幾重に折り重なる葉の裏側を眺めながら、ヨハネは物思いに耽っていた。
(どうしてあなたには私の姿が見えるの?)
一番聞きたかった質問が頭の中に思い浮かぶ。
そう。私の姿は人間からは見えないはずなのだ。
それなのに、何故?
浮かんだ疑問は微睡みの中で泡沫のように消えていき、ヨハネは昼寝に引きずり込まれていった。
8 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:11:23.41 ID:qe4+sBJv0
それから数日が経った。
ヨハネの微かな疑問には平穏な日常が降り積もっていく。
幹の上から山を俯瞰し、華美に虫を惹きつける花々を眺め、最近子供を産んだ狼に微笑む日常が。
彼女が通ると、獣道の植物は嬉しさに朝露を震わせ、獣は鼻を鳴らして頭を垂れる。
「あら?」
いつものように森のパトロールをするヨハネの目の前には足を怪我した鹿が震えていた。
おそらく、崖から足を滑らせてしまったのだろう。
徐々に親鹿の生命力が減っていくのが視える。
この鹿がここで死ぬことは明白だ。
近くで不安げに鼻を鳴らす小鹿も同様の運命を辿るのは明白だった。
「ちょっと待ってなさいよ。」
ヨハネはゆっくりと近寄ると、生々しい傷跡にそっと手をかざす──。
ヨハネの手が輝くと、不思議なことに鹿の傷跡がみるみるうちに塞がっていく。
よろよろと立ち上がった鹿は元通りになった足で森の奥に消えていった。
「次は気をつけなさいよ。」
──支配者。その言葉がぴったりな佇まい。
この山の種々雑多な生き物たちを統べる支配者──。
ヨハネはそういう存在なのだ。
一息ついて帰ろうとしたその時。
9 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:12:10.80 ID:qe4+sBJv0
突如さっと太陽を横切る黄色い影が現れた。
威厳を持って地に降り立ったそれは、「天使」と呼ぶにふさわしい姿形をしている。
きょろきょろと辺りを見渡すと、凛と澄んだ声で呼びかける。
「ヨハネ!ヨハネはどこにいるのデース!」
突如木々ががさがさと揺れ、慌てふためくようにヨハネは駆け込んでくる。
「来るなら前もって連絡してよ、マリー!何でいきなり来るのよ!」
「私は前もって連絡していたわ。あなたが便りを読んでいないだけよ。」
得意気に彼女が指差した先には、枝に小さく括り付けられた文があった。
「あんなの、わかるわけないじゃない!」
憤慨するヨハネに対して、マリーと呼ばれた女性はどこ吹く風といった感じで聞き流す。
「まあまあ、こうして会えたんだし……それにしても」
一呼吸おいて目を閉じたマリーは大きく深呼吸する。
「本当にここの森の空気は美味しいわね。動物植物もとても幸せそうなのが、空から見てるだけで理解できるわ。」
満足げな表情のマリーはヨハネをみて微笑む。
「あなたが森を愛し、愛されている何よりの証拠ね。素敵な場所だわ。」
「この間まで私と同じ地位だったくせに、急に上から目線になるわね……」
「直属の上司に向かって、そんな口をきいていいの?」
意地悪そうな笑みを浮かべるマリーを見て、ヨハネは大きなため息を一つつく。
「そういえば、ヨハネ。」
ふと、風向きががらりと変わる。
先ほどまで射し込んでいた日光は厚い雲に覆われていた。
仄暗くなった森の中でマリーの瞳が黄金色に妖しく煌めいている。
木々は囂々とまるでヨハネに対して牙を剝いているかのようだ。
おどろおどろしいマリーの雰囲気に、思わずヨハネは気圧され、生唾を飲み込んだ。
「さっき、あなたに会う前に一匹のシカを見かけたわ。怪我をしていた。けれど、その傷の治り方に少し違和感を覚えたわ。」
ヨハネはその場で硬直したかのように、その場から一歩も動けなかった。
「私が何を言いたいのかはわかるわよね、ヨハネ。あなた、また手を加えたわね。この森の生態系に。」
木々はマリーの怒りを表しているかの如く騒めき、枝は音を立てて撓っていた。
森は闇夜かと錯覚するぐらい陰の境界を無くし、ヨハネとマリーを包み込む。
「気持ちはわかるわ。それがあなたの優しさなのも理解してる。でもね、自然界には寿命があるの。理があるの。運命があるの。それにあなたが手を出すことはどこかに綻びを生じさせるの。あなたにその埋め合わせができるのかしら?」
マリーの言葉一つ一つが、ヨハネに突き刺さる。
「生き物の生命力が視える私達の役割を理解しなさい。感情を排してこその天使なのよ。」
マリーはそこまで告げると、さっと目の色を変える。
黄金色の瞳はいつもの柔らかな目線に戻り、いつの間にか太陽を覆っていた分厚い雲は何処かへと千切れ飛んでいる。
「ま、あなたはよくやっていると思うわ。そこは自信持っていいわ。」
ちょっとやりすぎちゃったわね、と呟きながら、彼女はヨハネに微笑みかけた。
10 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:12:47.64 ID:qe4+sBJv0
「けどこれだけは言っておくわ──」
一度そこでマリーは一呼吸おいて──
「行き過ぎた優しさはあなた自身を滅ぼすわよ。」
──冗談めかしたように笑いながらそう言ったが、マリーの目は一切笑っていない。
彼女の黄金色の輝きはヨハネに畏怖のようなものを植え付けるには十分すぎた。
ヨハネはマリーが去った後、へたへたとその場に座り込み、呆けているほかなかった。
11 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:13:14.53 ID:qe4+sBJv0
*
*
12 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:13:54.65 ID:qe4+sBJv0
黒々とした山の麓、街の外れの小さな家からは陽だまりのような灯りが漏れていた。
「花丸や、そろそろ食事ができるから運んでおくれ。」
部屋の窓から夜の山を眺めていた花丸は、後ろを振り返り元気よく返事をする。
「はーい!今日の晩御飯って何ずら?」
「今日はね、花丸の大好きなサラミがあるよ。」
柔らかな笑みを浮かべつつ慣れた手つきでサラミを薄く切るおばあさんは、思わぬ好物の登場に小躍りしている花丸を見やる。
穏やかで幸せな時間だけがゆっくりとそこに流れていた。
13 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:14:29.37 ID:qe4+sBJv0
「ねぇ、おばあちゃん。」
「なんだい?」
継ぎ接ぎだらけのブランケットを被りながら、食事の支度をする自分の祖母に声をかける。
静けさの中で、草が風と擦れ合う音だけが辺りに響いていた。
「この前ね、山で迷子になったとき、お姉ちゃんが助けてくれたんだ。」
「まあ!どこの誰かしら!一度お礼でも言いたいものだわ!」
そんな話はもっと早くにしてほしかったわ、とぶつくさ呟きながら、おばあさんは目を丸くする。
「優しいお姉ちゃんで、おばあちゃんに会うまで送ってくれたずらー!」
「おや、そうなのかい?花丸は1人で降りてきているように見えたんだがねぇ……」
首を傾げるおばあさんを見て、花丸はけたけた笑っている。
「……そりゃ、不思議なこともあるもんだねぇ。」
それだけの言葉を花丸に対して紡ぐ。
「けれど、花丸。一人で森に行くのは危ないからダメだからね。」
嗄れた声で優しく花丸に呼びかける。
顔に深く刻まれた皺には、たくさんの陰が揺らめいて踊っていた。
「あの森には恐ろしい悪魔が住んでいてね、あなたみたいな小さな子が一人で入ると、どこかへ連れ去られてしまうからね。」
まるで演出であるかのように外の風が一瞬強くなり、黒いシルエットの草木はザワザワと騒めき合っている。
年のいった子なら鼻で笑うような脅し文句だが、5つになったばかりの子供を震え上がらせるには充分すぎた。
「おねえちゃんは大丈夫ずら……?帰り道に襲われてないかなぁ。」
「大丈夫よ。あなたを助けてくれるぐらい優しいんだもの。悪魔もきっと見逃してくれるわ。」
優しく頭を撫でられながら、花丸は「さあもう寝なさい。」と急かされる。
14 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:15:05.86 ID:qe4+sBJv0
しばらくの間、ヨハネとの夢のような遭遇は花丸の心の中で残っていた。
けれども、少しずつ降り積もる日常はヨハネとの出会いの上にうっすらと覆い被さる。
夏、秋と季節は過ぎていく。
山にうっすらと雪が積もる頃には、振り返っても木漏れ日しかなかった場所をぽつねんと眺めることもしなくなっていた。
15 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:15:35.41 ID:qe4+sBJv0
*
*
16 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:16:14.93 ID:qe4+sBJv0
「いってきまーす!!」
「花丸!帽子被っていきなさい!」
叫びすぎて思わず咳き込む祖母から薄汚れた白い帽子を受け取るや否や、花丸は子供たちの喧騒の方に駆けだしていく。
嵐が去った後のような家の中を見渡し、おばあさんはふぅとため息をついた。
段々と小さくなっていく帽子の上で、花をあしらった小さなペンダントが揺れていた。
「毎日毎日……子供は元気だこと。」
小さなつむじ風か去った後かのような静かな家で、そう呟いた。
ヨハネとの邂逅から一年が経とうとしていた。
17 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:16:52.19 ID:qe4+sBJv0
「五月蠅い……」
苛々とヨハネは顔の前を飛翔する羽虫を黒い翼で振り払う。
「ああ、もう……」
心底うんざりだと顔をしかめる。舌打ちの1つでもしてやりたい気分だ。
最近のヨハネを悩みの種が、このがやがや声だ。
「もーいーかーい!」
「まーだだよー!」
また聞こえてきた。
この山はそんなに大きな山でもないが、子供の遊び場としては大きすぎるくらいだ。
それなのに……
「なんでよりにもよって人の寝床の傍で遊ぶのよー!」
誰にも聞こえない叫び声をあげる。
叫んだところで、声が止むわけなし。わざとらしくため息を一つついて、今日もよろよろと喧騒とは無縁の昼寝場所を探そうとした、その時。
18 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:17:36.13 ID:qe4+sBJv0
「待https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1594555549/ってー!!」
ビクッとして思わずヨハネは自分の寝床である大樹に身を隠す。
(今のは近かった……!)
人から見えないと分かっていても、やはりあまり気分は良くないもので、一応姿を隠しておく。
案の定、大樹のすぐ近くを子供が走り去っていく。
ポトリ、と人影から何かが落ちる音がした。
おや、と思い、ヨハネはその落ちた物に手を伸ばす。
それは花をあしらった小さな小さなペンダントだった。
「まったく、最近の子供は不注意ね……」
取りに来るようなら返してあげようかしら。
そんなことを思いながら、物珍しそうにそれをしげしげと眺める。
「小綺麗なペンダントね……。人間の衣装って段々と派手になっていくわね。」
数十分ぐらい経っただろうか。
昼寝場所でも探しに行こうと腰を上げようとしたときに、2人の子供の姿が見えてきた。
「確か、この辺で落としたはずなんだよ……」
「でも、この草むらじゃ見つからないよ。」
片側の子は今にもしゃくり上げそうになっている。
「でも、これはおばあちゃんと街に行ったときに買ってくれた大切なものずら……」
「大丈夫だよ、花丸ちゃん。ルビィも一緒に謝ってあげるから。」
ヨハネは今にも泣き出しそうな顔の上の帽子に当たるようにペンダントを落とした。
ピンク色の左右で髪を束ねた女の子が怪訝そうに、地面に落ちたそれを摘まみ上げる。
裏腹に、白い帽子を被った女の子は木々の隙間、何かが落ちてきた虚空を見つめる。
その子と目が合った瞬間、ヨハネは雷に打たれたように動けなくなっていた。
その口が何か言葉を発する前に、徐々に顔が明るくなっていく女の子が嬉しそうに声をあげる。
「よはねおねえちゃん!」
19 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:18:30.97 ID:qe4+sBJv0
>>18
間違えたので、ここ読まないでください。
次の投下が17の続きです。
20 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:19:11.09 ID:qe4+sBJv0
「待ってー!!」
ビクッとして思わずヨハネは自分の寝床である大樹に身を隠す。
(今のは近かった……!)
人から見えないと分かっていても、やはりあまり気分は良くないもので、一応姿を隠しておく。
案の定、大樹のすぐ近くを子供が走り去っていく。
ポトリ、と人影から何かが落ちる音がした。
おや、と思い、ヨハネはその落ちた物に手を伸ばす。
それは花をあしらった小さな小さなペンダントだった。
「まったく、最近の子供は不注意ね……」
取りに来るようなら返してあげようかしら。
そんなことを思いながら、物珍しそうにそれをしげしげと眺める。
「小綺麗なペンダントね……。人間の衣装って段々と派手になっていくわね。」
数十分ぐらい経っただろうか。
昼寝場所でも探しに行こうと腰を上げようとしたときに、2人の子供の姿が見えてきた。
「確か、この辺で落としたはずなんだよ……」
「でも、この草むらじゃ見つからないよ。」
片側の子は今にもしゃくり上げそうになっている。
「でも、これはおばあちゃんと街に行ったときに買ってくれた大切なものずら……」
「大丈夫だよ、花丸ちゃん。ルビィも一緒に謝ってあげるから。」
ヨハネは今にも泣き出しそうな顔の上の帽子に当たるようにペンダントを落とした。
ピンク色の左右で髪を束ねた女の子が怪訝そうに、地面に落ちたそれを摘まみ上げる。
裏腹に、白い帽子を被った女の子は木々の隙間、何かが落ちてきた虚空を見つめる。
その子と目が合った瞬間、ヨハネは雷に打たれたように動けなくなっていた。
その口が何か言葉を発する前に、徐々に顔が明るくなっていく女の子が嬉しそうに声をあげる。
「よはねおねえちゃん!」
21 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:20:03.13 ID:qe4+sBJv0
おそらく、自分の中で過去最大の失態になるだろうな、と思いつつ、確実にヨハネの中でじわじわと焦りが蓄積していく。
(完全にやってしまったやつね、これ。)
一周回ってむしろ冷静になった頭でそんなことを考える。
よく考えたら特徴のある語尾を聞いたときに気づいておくんだった。
「わぁ〜!ヨハネちゃんずら!久しぶりにまた会えたね!!」
下からぴょんぴょんと手を伸ばす花丸に対して、ヨハネは身体の硬直を解くことができない。
けれども、喜びに満ち満ちている花丸とは対照的に、もう一人の少女は目の前に異様な光景が広がっているかのような顔をしている。
「だ、誰と話しているの……花丸ちゃん?」
「誰って、ここにいるお姉ちゃんが見」
その言葉を聞き終わる前に、ヨハネは緊張が限界点に達して、突然バネが弾けたように空中高くへ舞い上がる。
「ずら!ヨハネおね……」
なにか微かに耳に残ったような気がしたが、ヨハネは気にせずにその場から遠く離れようとする。
(完全にやってしまった。)
ヨハネの背をじとりと嫌な汗が流れる。
(完璧に見られた。)
頭をぽりぽり掻く。
「マリーにでも知られたら、首絞められるだけじゃ済まないでしょうね……」
その日一日、ヨハネは途方に暮れたようによろよろと山の奥を飛び回っていた。
天の川が空の頂に橋を架ける頃、ようやく戻ってきたヨハネは弱弱しく地面に着地し、力尽きたようにその場で寝てしまった。
22 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:20:38.69 ID:qe4+sBJv0
「ハネ……」
「……ネおねえちゃ……」
薄く光が刺す方向から声が聴こえてくる。
薄目を開けると、目の前にひらひらと白いものがはためいている。
「ヨハネお姉ちゃん……?」
「うわっ!?」
驚いて飛び上がろうとしたが、翼はその場で空を切り、幹にどしんと追突する。
「は、なまる?」
はらはらと舞う葉の中で、おずおずとその名前を呼ぶ。
「ずらー!良かった!覚えておいてくれたんだ。」
「……え?」
「昨日、私が見つけたとき逃げて行っちゃったから、私のこと忘れちゃったのかと思ったずら……」
「そんなことないわよ!ただ、昨日は、その、驚いちゃって……」
いつの間にか逃げようという思考は無くなっていた。
「その……花丸はいったい何の用でここにいるの?」
昨日身に着けていた帽子を大事そうに抱える花丸に声をかける。
徐々に高くなる太陽が、鼻の頭が汚れた花丸を照らしていた。
「帽子のことお礼言いたくて。」
嬉しそうに目の前に突き出された帽子には、昨日拾ったあのペンダントが丁寧に刺繍されていた。
「ヨハネお姉ちゃん、ありがとう!」
ありがとう。その言葉がヨハネの心に染み渡る。
自分の心がじんわり暖かくて、なんだかくすぐったくて、まるで背骨が熱を持ったようだった。
思わず、恥ずかしさでヨハネは尻尾を丸める。
23 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:21:30.60 ID:qe4+sBJv0
「別にいいわよ。今度から無くさないようにしなさいよ。」
顔が赤いところを気取られたくないのか、ヨハネはぷいっと顔を背ける。
「ねぇねぇヨハネお姉ちゃん、せっかくだから遊ぼうよ!」
「遊ぶって──」
突飛なことを口走る花丸を見て、ヨハネはきょとんとしたような顔つきになる。
「あなた私が怖くないの?」
「怖くないよ?」
「この翼や尻尾を見ても?」
「かわいいずら。」
矢継ぎ早に質問してもぽんぽんと即答される様を見てやれやれと首を振る。
(可愛いねぇ……)
自分には似つかわしくないと思っていたこんな単語が、こんな小さな子から聞けるなんて、ヨハネは思いもしなかった。
「ねえ、遊ぶずら〜」
「わかったから引っ張らないの!」
「じゃあ、かくれんぼね!ヨハネちゃんがおに!」
やいのやいの言いながら森の中に消えていく花丸を見つめ、ヨハネは一つ溜息をつく。
自分の口角が自然と上がっている様を自覚し、少し気恥ずかしい。
こんな戯れ事、すぐ飽きるだろう。
「もーいいかーい」
遠くから、もーいいよーと声が聴こえてくる。
(この森を熟知してる私に勝負を仕掛けるなんてね……)
ちょっと手を抜いてやるか、なんて思いつつ、わざとらしく探し回ってあげる。
24 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:22:02.73 ID:qe4+sBJv0
「もう疲れた……きゅうけいさせて……」
「えー?まだ遊び足りないー!」
「勘弁して……もう2時間もぶっ続けで遊んでんのよー!」
花丸の無尽蔵な体力を甘く見てたことを後悔しつつ、花丸は軽々しく遊びの誘いに乗った自分を恨めしく思っていた。
「それに、もうそろそろ夕方よ?おばあちゃんが心配するわ。」
窘めるように花丸の肩を叩く。
早くも太陽は彼方の山の背中を橙色に塗り、自身の影は背丈より大きくなっている。
「むぅ……じゃあ、また今度遊びに来てもいい?」
ヨハネは一瞬だけ逡巡するような素振りを見せたが、すぐに優しそうな顔を浮かべ「いいわよ。」とだけ返した。
「ほら、もう帰りなさい。」
なんだか首から上が熱を放っているような気がして、ヨハネは何となく居心地が悪かった。
手を振りながら笑顔で去っていく花丸を見送ると、ヨハネにはずんと今日一日の疲れが圧し掛かってきた。
「さっさと寝ますか……」
大樹に向かって数歩進んだところで、ふと花丸が立ち去って行った方向を振り返る。
「……私もお人好しね。」
自嘲気味にふっと笑い、翼を一振りして天空に舞い上がる。
25 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:22:38.50 ID:qe4+sBJv0
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26 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:24:31.27 ID:qe4+sBJv0
「花丸、遅いわねぇ……」
まだ外は明るくても、もう時刻は17時を過ぎている。
6歳になった女の子が一人で出歩くには遅い時間だ。
心なしか、コトコトと鍋蓋が踊る音が普段よりも響く気がした。
不意に胸の辺りがキリキリと痛んで、思わず近くの椅子に半ばもたれ掛かるように腰掛ける。
心臓が喉の下辺りにある気がした。
ドクン、ドクンという心音がやけに大きく響く。
ゼエゼエという喘ぎ声と椅子が軋む音だけが部屋に木霊していた。
「おばあちゃんただいまー!」
今の自分とは対照的な、元気な声が扉から聞こえてくる。
「おや、花丸。遅かったわねぇ。」
額に浮かんだ脂汗を慌てて拭き取り、花丸にニッコリと微笑みかける。
「良い匂い〜!」
「さあ、ご飯にしましょう。花丸、手伝っておくれ。」
いつもと変わらない柔和な笑みを顔に貼り付けて、徐に椅子から立ち上がる。
27 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:25:03.48 ID:qe4+sBJv0
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28 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:25:40.15 ID:qe4+sBJv0
扉を開けて、オレンジ色の灯りの中に花丸が消えていくのを確認すると、ヨハネはほっと胸を撫で下ろした。
今は夏だ。
森の中からは時折、おどろおどろしい獣の声が聞こえてくる。
稜線の輪郭が朧になるほど暗くなった宵闇の空を音もなく飛びながら、ヨハネは自分一人の静けさに包まれていた。
──私のことが見える少女。
なぜ、彼女には私の姿が見えるのだろう。
会ったときから頭のどこかにずっとこびりついている疑問。けれども、ヨハネはそんなことを花丸には聞かなかった。
「──そうよね。」
ヨハネは自分の気持ちがわかったように清々しい顔つきを浮かべる。
私のことが見えるとか、どうして私が見えるとか、そんなことは二の次でいい。
ただ嬉しかった。
自分はこの世の生物を超越した存在であり、この山の守護者であることも理解していた。
たまに響く子供たちの笑い声は自分とは違う世界に住んでいる生き物だと自覚していた。
なのに、なのに──
あの子は唯一、その距離感に踏み込んできたのだ。
それがとても心地よかった。
初めて触れる花丸。
その温もりや優しさがとても嬉しかった。
守りたくなった。
(次はいつ会えるかしら。)
この素晴らしい日々がずっと続いて欲しい。
そう願いながら、ヨハネはいつものように眠りについた。
29 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:26:08.19 ID:qe4+sBJv0
それから、花丸は時折ヨハネの元を訪れるようになっていた。
ヨハネが眠そうに瞼を開ける頃には、根の上でつま先立ちをした花丸が、ぴょこぴょこ跳ねながら自分を見上げていた。
「今日も来たの?」
嬉しい気持ちを隠して、わざと澄ましたような顔をする。
「今日はね、おばあちゃんがお弁当作ってくれたずら!」
「あんた、なんて言ってここに来たのよ。普通、お弁当なんて持たせないわよ。」
「友達と遊んでくるって言ったら、お弁当持たせてくれたずら。」
「可愛い顔してなかなか策士じゃない。」
「えへへ……事実だもん。」
綺麗に包まれた小さなお弁当箱を突き出す花丸は、してやったりという表情をしている。
「まったく……毎日毎日、よくこんな場所に来て飽きないわね。」
「えへへ、ヨハネちゃんと遊ぶの楽しくて。」
30 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:27:36.80 ID:qe4+sBJv0
2人はいつしか毎日のように遊ぶ仲になっていた。
花丸はヨハネが知らない子供の遊びやお話をたくさん知っていたし、ヨハネは花丸が知らない獣道や空の景色をたくさん知っていた。
「花丸の体力に、ついていくの、しんどすぎよ……」
肩で息をしながら、ヨハネは木の根元に座り込む。
「ヨハネちゃんこそ、かくれんぼの途中で飛ぶのずるいずら!今度からそれ禁止!」
「あんたこそ、私が『まあだだよ!』って言ってるのに、お構いなしに探しに来るじゃない!尻尾とか翼隠すの大変なんだからね!」
「飛ぶ方がずるいずら!」
「わかったわよ……ほら、お昼ごはんにしましょ。」
わかりやすく拗ねる花丸を宥めて、大樹の陰に座り込む。
決まって二人はお昼ごはんの時になると、ヨハネの寝床の大樹の2人寄り添ってご飯を食べていた。
火照った体を撫でる涼風は、陽射しに反してとても心地よい。
31 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:28:09.80 ID:qe4+sBJv0
「ねぇ、ヨハネちゃん。」
「なによ。」
「せっかくだから、2人でなんかお揃いのアクセサリー作ろうよ!」
「アクセサリー?」
「そう!シロツメクサで作るの。」
この辺の山々では春から秋にかけてシロツメクサが咲き誇り、それはまるで白色の絨毯のように山を彩るのだ。
「悪くないわね。どのあたりに咲いていたっけ?」
「あっちの方だよ。ヨハネちゃんはこの辺りに住んでいるのに、あんまりそっちには行かないの?」
「あんたたち子供がよく遊んでいるじゃない。ちょっと近寄りがたいのよね。」
「ヨハネちゃんも他の子と一緒に遊べばいいのに。」
「……それは」
ヨハネは言葉を詰まらせる。
久しぶりに会ったときに、花丸の隣にいたピンク色の髪をした少女の、怪訝そうな顔を思い出す。
(花丸にしか私は見えないのよ。)
(他の子は私が歩いても飛んでも、見えないし聞こえないの。)
(それが普通。見えるあなたが特別なのよ。)
幾片の言葉がヨハネの頭の中を駆ける。
「……いいの。私は花丸と仲良くできれば、それでいいの。」
「えへへ……私だけ特別だ。」
花丸は照れくさそうに頬を赤らめていた。
「そうと、決まったら早くご飯食べなきゃ!」
「ほら、そんなに慌ててると喉に詰まらせるわよ。」
照れくさそうに笑う花丸の背中をさすりながら、ヨハネは花丸に微笑みかける。
32 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:28:49.41 ID:qe4+sBJv0
「圧巻の景色ね……」
「すごーい!綺麗ずらー!」
昼ご飯を食べ終わった2人は、一面のシロツメクサに覆われたシロツメクサの花畑にいた。
さらさらした花丸の栗色の髪が白い花と同じように風に弄ばれるように乱れ舞っている。
そよぐ昼下がりのシロツメクサの中で踊り跳ねる花丸は、本物の天使が地上に舞い降りてきたようで、ヨハネはその可憐な姿に思わず見蕩れてしまう。
「何してるの、ヨハネちゃーん!」
「ああ、ごめんごめん。少し考え事をしてた。」
少し怒ったような花丸の声で、ヨハネは現実に引き戻された。
花丸のそばに座り込んで、丁寧に花を摘み取る。
「こうやって編むずら。」
「花丸、花を編むの上手ね。」
「おばあちゃんが昔に教えてくれたずら。ヨハネちゃんには、マルが教えてあげる。」
「よろしく頼むわね。」
慣れた手つきで花を葛に織り込んでいく花丸とは対照的に、ヨハネは少しぎこちなさそうに手を動かしている。
「できたずら!ヨハネちゃん、見て!できたよ!」
即座に自分の頭に被せると、想定より小さかったのか、花丸の頭の上に載せただけになる。
小さな輪が花丸の頭にぽっかり浮かんでいて、少し滑稽だった。
「花丸!それ小さすぎるって!」
腹を抱えながらヨハネは笑い転げる。
「ずらー!」
「あっはっはっは!お腹がよじれる……!」
2人は時折笑いながら、肩を寄せ合って座っていた。
それはまるで、年の離れた仲の良い姉妹のようだった。
33 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:29:31.20 ID:qe4+sBJv0
「なんだか眠くなってきた……」
しばらく経った頃、花丸の茎を編む手が徐々に覚束なくなり、舟を漕ぐように頭を傾けだすと、ぽすりとヨハネの膝の上に落ちる。
すぅすぅと規則正しい寝息を立てながら眠る花丸の頭を撫でながら、ヨハネの口元は自然と綻ぶ。
「寝顔も可愛いじゃない。」
製作途中だった花の冠を丁寧な手付きで結わえ、それを花丸の頭に優しく被せてあげる。
完成した自分の冠と交互に眺めると、満足げな顔をして睡魔に身を任せ、ヨハネもゆっくりと眠りにつく。
遠くの教会から、そよ風に乗って鐘の音が聴こえてきた。
34 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:30:40.21 ID:qe4+sBJv0
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35 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:31:20.68 ID:qe4+sBJv0
ゴーーーーーーーーン…………
少し古い香りがする教会。
目の前の壇上で神父が淡々と説教する中、ルビィは周りの黒い大人たちを不思議そうに眺めていた。
一年前と同じ匂いがする。ルビィはそう感じた。
一年前と同じ近所の教会。同じ神父。みんな同じ格好。
けど、一年前とは少し違う。
一年前は、たくさんの白い花があって、もっとたくさんの人が祈りを捧げていて、あそこには白い棺が置かれていて、最後にお父さんやお母さんと一緒に棺に近寄って、その中を覗き込むと────。
36 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:32:27.33 ID:qe4+sBJv0
記憶の中の姉はいつも優しかった。
今のみんなの服装のような黒髪をしていた。
道を歩くときはいつも手を繋いでくれて、引っ張ってくれた。
ルビィが転んで泣きそうなときは、そっと額にキスをしてくれて。
そんな姉は一年前に突如亡くなった。
毎日元気に山や街に出かけていた姉は、ある時から急に元気がなくなって、そこからはあっという間だった。
とても悲しかった。
お父さんやお母さんも泣いていたし、ルビィもたくさんたくさん泣いた。
それからだ。お父さんとお母さんがルビィに「近くの山には入ってはいけないよ。」って言うようになったのは。
今でもルビィは花丸ちゃんたちと外で遊ぶときは反対側の別の山に行くようにしてる。
だって、お父さんやお母さんが言う「アクマ」がいるのは怖いもん────。
お父さんとお母さんはお姉ちゃんの大事な式だからって言うけど、ルビィにはここから逃げ出したい。
鐘の音がルビィの心にまるで重石のように乗っかって、お姉ちゃんがもういないことをもう一度わからせられたような気がする。
ああ、いつものように花丸ちゃんと遊びたいな。
37 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:33:08.26 ID:qe4+sBJv0
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38 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:33:47.55 ID:qe4+sBJv0
今日もまた、頭の上で揺れるシロツメクサの冠が見える。
あれを被ってきたときは、私と遊ぶ合図の様なものになっていた。
「このシロツメクサの冠ね、ルビィちゃんが褒めてくれたんだ。」
「良かったじゃない。それにしても、ルビィってあのときのピンク色の髪の子?」
「そうだよ!私の一番の友達なんだ!」
嬉しそうに話す花丸の冠は若干萎れかかっている。
作ってからだいぶ時間が経っているし、当然だ。
「段々枯れてきちゃったわね。今日は新しいもの作りに行く?」
「行く行く!ヨハネちゃんのお花は長持ちしてるね〜。」
確かに自分の冠を見てみると、その葛は一向に擦り切れる気配もないし、花弁は野に生えているかの如く凛と咲いている。
「けど、私も新しいものを作るわよ。今度はネックレスにでもする?」
「髪の色と合ってるねっておばあちゃんも褒めてくれたから王冠がいい!」
他愛のない会話を続けながら歩き出そうとしたとき、ふとヨハネは茂みに手紙が括り付けられていることに気づいた。
手を伸ばすと、そこにはよく見知った字でこう書かれていた。
『チャオ〜☆
元気にしてるかしら?
暇だし、今晩遊びに行くわね〜
マリー』
39 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:35:40.66 ID:qe4+sBJv0
「ハァーイ、ヨハネ。」
白い月が殊更大きく見える晩だった。
「久しぶりね、マリー。」
彼女に見透かされてしまうような気がして、白い花の冠は枝の奥にかけてある。
「なんだか寂しくなって、来ちゃったのよ。」
「らしくないじゃない。」
少し茶化したように言ってみたが、目の前のマリーはヨハネが見たことないような沈んだ顔をしていた。
「……なにがあったのかは知らないけど、気晴らしに散歩でもしましょ。」
「ちょっと気分がのらないだけよ。優しいわね、ヨハネは。」
「あ、当たり前じゃない!」
あたふたするヨハネを見て、マリーはいつもの笑みを浮かべる。
「相変わらず褒められ慣れてないところは可愛いわね〜」
「追い返すわよ?」
「ごめんごめん……冗談だって。」
いつもの調子を取り戻したマリーと膨れっ面のヨハネはふわりと空に舞い上がる。
40 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:36:35.14 ID:qe4+sBJv0
眼下に見えるは灯りの消えた空っぽの街。
やいのやいの駄弁る天使達は、音もなく春の夜空を滑るようにゆっくりと飛んでいく。
天蓋では、ゆっくりと北斗七星が満月に水を撒こうとしていた。
「今日は楽しかったわ。ありがとね。」
「こちらこそよ。また気分が沈んだら、このヨハネのところにいつでも来なさい。」
胸を張るヨハネを見て、マリーはくすくすと笑っている。
「じゃあ、そろそろ帰るわね。」
「待って!」
気づいたらマリーを引き留めている自分がいた。
怪訝そうに振り返るマリーを前に、ヨハネはしどろもどろになってしまう。
「あ、えっと。この間、ふと小耳にはさんだ話なんだけど、私たちの姿が見える人間っているのかしら?」
思わず嘘をついたが、マリーの瞳にはその場しのぎのヨハネの嘘など、見透かされている気がしてしまう。
突然の質問に面食らったようなマリーはしばし考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「……私も聞いた話なんだけどね、いるにはいるらしいわよ。小さな子供には見えることがらしいわ。」
それだけ言うと、マリーはくるりとヨハネに背を向けて、空に向かって翼をはためかせる。
「──ああ、それと」
ヨハネの方を振り返らずにマリーは告げた。
「子供と言っても、みんな見えるわけじゃないわ。」
41 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:37:24.15 ID:qe4+sBJv0
「もうすぐ死ぬ子供だけに見えるそうよ。」
42 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:38:05.50 ID:qe4+sBJv0
朝の陽射しは僅かな木漏れ日となって、ヨハネを照らす。
昨日ほど寝付けない夜は初めてだった。
今日だけは頭の上で揺れるシロツメクサの冠が私に近づいてくるのを見たくない。
花丸にどんな顔をして、何を話しかければいいのかわからなくなりそうで。
昨日のマリーの言葉は、絶えずヨハネの頭の中で幾度となく反芻を繰り返す。
(マリーだって誰かから聞いただけだ。確証もない。)
必死に自分に言い聞かせる。
それに、私は生き物の生命力を手に取るように視ることができる。
花丸は毎日元気そのものじゃない。
絶対に大丈夫。
そう思わずにはいられなかった。
43 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:38:36.68 ID:qe4+sBJv0
ヨハネの願い通り、花丸はその日来なかった。
次の日も来なかった。
その次の日も来なかった。
そのまた次の日も、来なかった。
44 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:39:29.50 ID:qe4+sBJv0
(あいつ、さすがに心配かけすぎでしょうが。)
5日間も花丸が山に来ない日々が続いた。
白い花の冠は未だに幹の奥に隠したままだ。
ヨハネは居ても立っても居られなくなり、夜半にこっそりと花丸の家を覗きに行くことにした。
(大丈夫。花丸ならきっと大丈夫。)
あれから、譫言のように毎日自分に言い聞かせている台詞だ。
出発しようとしたヨハネは、ふと思い立ったように踵を返す。
幹の奥から、あの冠を二つ取り出す。
驚くことに、その花は未だに瑞々しく、たった今作ったかのように綺麗な姿を保っている。
前に来たときは、上空から眺めているだけだった家の前にストンと降り立つ。
ひっそりと森の入り口に佇む家は、小ぢんまりとしていた。
(さて、花丸はいったいどこに……)
とりあえず窓から覗き込んでみると、中には小さくみすぼらしいベッドが1つ置かれていた。
そこを覗き込んだヨハネは思わずあっと声を出しそうになる。
(花丸!)
ベッドに横たわっていた花丸は息も絶え絶えに、薄く開いた目でこちらを覗き込んでいる。
顔も体も火照っているのが、窓越しでも判った。
「ヨハネ……ちゃん……?」
できるだけゆっくりと窓を開けると、花丸の弱弱しい声が聞こえてきた。
「いいわよ、そのままで。静かに寝てなさい。」
傍の椅子には、──花丸のおばあちゃんだろうか──老婆が座り込み、こっくりこっくりと規則正しく船を漕いでいる。
顔には明らかな疲労の色が見られ、老婆が花丸を甲斐甲斐しく看病していたことが窺える。
「ヨハネちゃん、ごめんね。なんだか、家に帰ってから体が重くて、ずっと寝てなきゃいけないの。お医者さんも来たんだけど、なんかよくわからなかったって。」
喋るだけで辛そうだ。
ヨハネは慌てて花丸の背中を摩る。
「しゃべらなくていいわよ。大丈夫、大丈夫。」
枕元には、ルビィと書かれたお見舞いの手紙の他に、ヨハネと一緒に作った2つの輪っかが置かれている。
どちらの輪も、花は枯れて葛は萎れて、どうにかその形を保っていた。
そして、山を統べるヨハネには目の前の花丸の命が、枕元の花に負けず劣らず、涸れようとしているのが視えてしまった。
45 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:40:40.24 ID:qe4+sBJv0
「ねぇ、マルは死んじゃうのかな?」
震える手でヨハネの手を握りながら、不安げな目で花丸はそう尋ねる。
ヨハネの脳裏にマリーの言葉がフラッシュバックした。
──もうすぐ死ぬ子供だけに見えるそうよ──
ヨハネは一瞬だけ逡巡した後に花丸に微笑みかける。
「大丈夫、私がここへ来たのよ。」
確証なんてない。嘘でもそう言うしかなかった。
気怠そうに呼吸する花丸の頭に持ってきた葛をそっと戴せてあげる。
「ヨハネちゃんの冠、すごく長持ちするね。まるで魔法みたい。」
まるで、あの日の花畑の様に2人の頭は白い花に彩られていた。
「さあ、寝なさい。元気になるように私がここで寝るまで見ててあげる。」
ぎゅっと小さな花丸の手を握ってあげる。
そっと花丸もヨハネのきめ細やかな指を握り返す。
「また、元気になったら遊びに行ってもいい?」
「……勿論よ。」
すっと目を閉じる花丸を見て、ヨハネは必死に泣きそうになるのを堪える。
(お願いします……花丸を、この子を……)
(救ってください……!)
誰に祈るわけでもない。誰かに縋るわけでもない。
それでも、今のヨハネにできることはこれだけだった。
ただただ、ヨハネは祈った。
今にも消えかかりそうな花丸の荒い吐息を受けながら、ヨハネは朝まで祈り続けた。
46 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:41:09.20 ID:qe4+sBJv0
祈った。
47 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:41:44.24 ID:qe4+sBJv0
──祈った──
48 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:42:40.35 ID:qe4+sBJv0
小鳥の囀りがいつの間にか寝てしまったヨハネをゆっくりと起こす。
「花丸……?」
目の前の花丸は穏やかな表情ですやすやと眠りについている。そして、驚くべきことに──
熱が引いている。
正直、昨夜はいつ死んでもおかしくない状態だった。
それが、まるで風邪が治ったかのように熱が引いている。
いくら何でも、ここまで身体に反動が来ずに治るのはおかしいとさえ思った。
ふと、扉の向こうから、老婆の苦しそうな空咳が聴こえてきた。
ヨハネは花丸の頭から冠を取ると、花丸を起こさないように窓からゆっくり抜け出し、疲れた身体を引き摺るように歩き始めた。
とりあえず花丸が助かったことの安堵と一晩中起きて居たことで体は鉛のように重たかった。
49 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:43:14.01 ID:qe4+sBJv0
翌日、花丸はにこにこ顔でヨハネの下を訪れた。
「ヨハネちゃん、風邪治ったよ!ずっと来れなくてごめんね。」
(違う。あれは風邪なんかじゃない。)
申し訳なさそうな表情の花丸に対して、ヨハネは雷に打たれたような顔をしていた。
奇跡が起きた?そんな馬鹿なことが起こるはずがない。
しかし、目の前の花丸を見ていると、そうとしか思えない。
事実、今にも消えそうだった花丸の命は、再び力強く動き出している。
「お花のかんむり置いてくれたんだよね。ありがとう!」
あれやこれやと考えを巡らせるヨハネとは対照的に、花丸はすっかり元気になったのか、無邪気に語り掛けてくる。
頭の上ではヨハネが昨日花丸に被せたシロツメクサが揺れていた。
50 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:44:10.12 ID:qe4+sBJv0
ヨハネの疑問は解決されることなく、ただ時間だけが過ぎて行く。
1週間ほど経った頃。
花丸と遊ぶ元の日常が戻ってきたと思っていた矢先のことだった。
「ヨハネ……ちゃん……。頭がふらふらする……。」
顔を真っ赤にした花丸は覚束ない足取りで現れると、ヨハネにもたれ掛かるようにして、倒れ込んでしまったのだ。
「花丸……花丸!」
ヨハネの呼びかけにも応えない。
今すぐにでも、花丸の家まで飛んでいきたいが、今の花丸は動かすのも危なそうな状態だ。
涼しげな木陰に花丸を寝かせると、自分が影になるように大きい翼で花丸を覆った。
「花丸……お願い……。」
花丸を助けたい。
もっと花丸と一緒にいたい。
その想いしかヨハネには無かった。
頭の中には常にマリーに告げられた言葉がこびりついている。
それでも、ヨハネは奇跡を信じるしかなかった。
(お願いです……私がどうなってもいいから……)
──────
────
「これは一体……?」
すぅっと目に見える速さで、花丸の頬の紅潮が取れていく。
氷に漬けているかのように、燃えるほど火照った身体から熱が消えていく。
「な……なんなの、これは……?」
目の前で起きる異様な現象にヨハネの目は釘付けになっていた。
51 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:45:43.26 ID:qe4+sBJv0
今しがた生命力が涸れかけていた花丸は、みるみるうちに生命力に満ちていく。
やがて、異変の中心でゆっくりと花丸が目を開けた──。
「ヨハネちゃん……?」
「は、花丸……体は何ともない?」
恐る恐る尋ねると、花丸はゆっくりとこちらに笑いかけてきた。
血色の良くなった顔が日の光を浴びている。
「平気だよ。少し寝たら身体が楽になった感じ。」
平気なわけない。普通なわけない。
たった数分寝ていただけで、生死の境を彷徨っていた身体が普通に戻っている?
「とりあえず、今日はもう帰ったほうがいいわ。ほら、家の近くまで送っていくから。」
ゆっくりと花丸の背を支え、起こしてあげる。
本当になんともない。
さっきまでの具合の悪さが嘘のようだ。
でも、確かに花丸の生命力はさっき尽きていた──。
もうすぐ死ぬ子供────
脳裏に貼りついた言葉はいつも影のようにヨハネの思考に付き纏う。
花丸はこの短い期間で2回も生死の境を彷徨っている。
紛れもない事実。
だとしたら、今目の前で起こっていた不思議な現象はいったいなんなのだ?
何か大きな力がはたらいているかのように、花丸を死の淵から救い出す力。
そんなものがあるのか?
52 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:46:22.24 ID:qe4+sBJv0
「ヨハネ……ちゃん……?なんだか怖い顔してるずら……?」
「ほぇ?ああ、ごめんなさい。ちょっと考え事してて。」
「もう!さっきからマルが沢山お話してるのに!」
目の前の花丸の柔らかそうなほっぺが、風船のように膨らむ。
「ごめんごめんって。それにしても、さっきぶっ倒れたのが嘘ってくらい元気そうね。」
「えへへ、なんだかヨハネちゃんになでなでされたら、元気がわいてくるずら。」
「まるでヨハネちゃんが魔法使いみたいだね!」
「何言ってるの。」
頭を悩ませている自分とは対照的な、花丸の呑気な返事に思わず笑みがこぼれる。
──今はただ、この子と一緒に過ごしていたい。
それだけでいい。ただ、この子とずっと一緒にいたいの。
53 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:47:28.97 ID:qe4+sBJv0
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54 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:48:17.28 ID:qe4+sBJv0
ゆっくりと眼を開ける。
しなやかに伸びた睫毛を夏の風が撫でる。
徐に上体を起こし、いつも綺麗に整えているブロンドの髪をかき上げて、マリーは昼寝をしていたことに気づいた。
「昼寝するなんて珍しいわね……。」
──悪い夢を見ていた。
やたらとうるさい夢だった。
静かなモノクロの世界で一人快適に生きていたのに、急にうるさい声が響いて景色に色がついて。
でもなんだか、懐かしくて心地よい夢だった。
上体を起こした今は、不思議と夢の断片も覚えてられないほど朧気になってしまったが。
(なんだか頭が痛いわね……)
左手で頭を掻きつつ欠伸をするマリーの手が、何かに触れた。
小綺麗な便箋には、丁寧な字で『マリー様』と記されている。
その封筒を見たマリーは小さく舌打ちをする。
やれやれ。面倒事じゃなければいいんだけれども────。
55 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:48:46.91 ID:qe4+sBJv0
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56 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:49:31.83 ID:qe4+sBJv0
今日の不思議な現象を理解できずに考え込むヨハネの遥か頭上、徐々に高度を下げ始めた太陽を掠めるように何かが飛んだ。
それはゆっくりとヨハネの前に降り立つ。
「ごきげんよう、ヨハネ。」
目の前にいたのは、マリーだった。
「連絡も寄こさずに、いきなり訪ねてくるなんて珍しいわね。」
突然の来訪者に驚くヨハネにマリーはつかつか歩み寄る。
「そうね。それより──」
「日々、人間の女の子と戯れる気分はどう?」
「え……」
思わぬ発言にヨハネは目を見開く。
「今、なんて……」
明らかに動揺の色を隠せないヨハネと同様に、マリーの目の奥の方も何かが揺らめいているかのようだ。
「言った通りよ、ヨハネ。たまに遊びに来た時に、やけにこのあたりで人間の匂いがすると思ってたの。」
淡々とマリーは続ける。
「それで今日の昼間、こっそりと上空から覗いていたのよ。すると、あなたが女の子と一緒にいる姿を見かけたってわけ。まったく、あなたがあんな質問したときに勘付いておくべきだったわ。」
57 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:50:27.34 ID:qe4+sBJv0
滔々と語るマリーは、ようやくそこで一息ついた。
マリーはこちらと目を合わせようとしてくれない。
様々な感情が頭の中で渦巻く。
それでも、聞きたいことはこれだけだった。
何かに縋りつきたい思いでいっぱいだった。
「本当に……本当に、私の姿が見える子は──花丸はもうすぐ死ぬ子供なの?」
「ええ、そうよ。」
マリーは苛立たしそうに頭を振る。
それは、受け入れなくなかった残酷な答えだった。
「そう……なのね……」
自分の頭の中ががらんどうになった気がした。
自分があの子と出会って、仲良くなることは彼女の「死」を意味していたのだ。
これじゃあまるで、自分はあの子にとって────
(アクマね。)
受け入れたくなかった事実の重みを初めて自覚した気がした。
58 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:51:06.74 ID:qe4+sBJv0
「ヨハネ。もう二度とあの子に近づかないこと。これはあの子を、この山を守るための上からの命令です。」
そんなヨハネに対して、マリーは冷ややかに言い放った。
「そんな……!」
首を横に振るヨハネにマリーは詰め寄る。
「いい加減にしなさい!自分が何をしたのかわかってるでしょ。」
「わからないわよ!たった一回でも会ってはいけないのはなんでなのよ!」
「ッ……!そんなにわからないなら、自分の目で確かめなさいよ!」
言うや否や、マリーはヨハネの首根っこをひっつかむと、茜色に染まっていく空に向かって急上昇する。
「ちょっ……!マリーいたっ!」
前後不覚になるほどの激しい加重がヨハネを襲う。
数秒経って、ヨハネは空中で乱暴に突き放された。
「いきなり何す……ん…………」
ゲホゲホと咳き込み、涙が滲んだヨハネがうっすらと目を開け、今まで自分が立っていた山を見下ろすと──
「何よ……これ……?」
眼下に広がっていたのは、変わり果てた山の姿だった。
青々とした木々が並んでいた森は、まるで爆発でもあったかのように放射状に木々が黒く疎らになっている。
いや、そうじゃない。目を凝らすと、一つ一つの木々は全て立ち枯れていて、生命力が全く感じられない。
そして、その爆心地に位置していたのは──
花丸の家だった。
「いい加減、現実を見なさい。」
下の惨状から目を離すことができないヨハネにマリーの声が降り注ぐ。
59 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:52:08.58 ID:qe4+sBJv0
「あなたが仲良くなった女の子はすでに死んでいるはずの命だった。」
ヨハネは思わず耳を覆う。
それでも指の隙間から、容赦なくマリーによる「現実」が耳に流れ込む。
「あなたはその子の命が尽き果てるはずだった夜に、あの子に会いに行った。」
嫌だ。
「そして、無意識のうちにあなたはこの山の様々な命を犠牲にあの子を救ってしまった。」
聞きたくない。
「その結果がこれよ。寿命を引き延ばすなんて無茶やってるの。あの子はあと10時間ぐらいしか持たないわ。あなたがやっていることは、ただの延命──」
「もうやめてぇ!」
耳を押さえる手は震え、頭蓋は心臓があるかのように脈を打つ。
「もう、やめて……」
「……やめる訳にはいかないわ。あなたは禁忌を犯した。あなたのせいで、山の環境は滅茶苦茶。このままだと、あなたは悪魔の位に落とされてしまう。」
「アクマ……」
そんなの──
(今の私にぴったりじゃない。)
押し黙ったヨハネに、マリーはおずおずと声をかける。
「つらいのはわかるけど、お願いだから言うことを聞いて。」
「マリーに……なにがわかるのよ!」
マリーは何もわかっちゃいない。
花丸と会ったこともないくせに。
自分にとってかけがえのない存在がどんなものか、わかってなんかいないくせに。
「私と同じ気持ちになんか、なったことがないくせに!」
60 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:54:10.72 ID:qe4+sBJv0
「ヨハネ……」
目の前のマリーは大きく目を見開いている。その眼には、凛とした煌めきも怒りの色も無かった。
ただ、少しだけ悲しそうに揺らいでいた。
少しの時間が流れ、マリーはゆっくりと後ろに下がり始めた。
「……私は言うことは言ったし、もう帰るわ。」
「あの、マリー。少し言い過ぎたわ。」
とても小さく見えるマリーの背中に向かって、ヨハネはおずおずと声をかける。
「…………」
マリーは口を噤んだまま、こっちを見ない。
「……確かに私にあなたの気持ちは分かっていないわね。」
こちらを向かないまま、マリーは続ける。
「ヒートアップしてごめんなさい。まあ、忠告だけは出来て良かったわ。」
それ以上は何も言わずに、マリーは茜色の空へ吸い込まれていくように飛んでいった。
ただの延命治療。悪魔の所業。私はアクマ。
残されたヨハネの頭の中を、自責の言葉が飛び交う。
夜通しヨハネは少し冷たくなった地面に蹲っていた。
いつの間にかさっき沈んだ太陽はもう反対側の山から顔を出そうとしていた。
(花丸に会いたい。)
急に不安感がヨハネを襲う。花丸はまだ生きているのか──。
いや。生きていたとして、私はもう花丸に会う資格なんてあるのだろうか。
花丸にとっての私は──
61 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:56:43.24 ID:qe4+sBJv0
ふと、近くの茂みでかさりと音が鳴る。
「花丸!」
音の正体はヨハネが一番会いたかった人だった、が──。
様子がおかしい。花丸の目は泣き腫らしたように真っ赤で、嗚咽は今も止まっていない。
「いったいどうしたの──」
昨日見た、花丸の家を中心に自分が起こした惨状が脳裏をよぎる。
私が花丸の周りの生命力を奪い去った、あの事件が。
とても嫌な予感がした。
「死んじゃった……。」
嗚咽を必死に抑えながら、絞り出すように花丸は答えた。
「おばあちゃんが……死んじゃった。」
嫌な予感は的中した──。
62 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:57:26.68 ID:qe4+sBJv0
自分が殺した。
自分は最愛の人のかけがえのない人を殺したのだ。
花丸を守りたい、という自分のエゴが殺した。
それでも、花丸を守りたかった。
必死だった。
私という「悪魔」に残っているのは花丸だけだ。
私という「悪魔」を好いてくれているのは彼女だけだ。
せめて彼女の前でだけは「天使」の仮面を被らなくてはいけない。
だって、本当の私の素顔を見たら、きっと嫌われてしまう。
63 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:58:02.57 ID:qe4+sBJv0
……本当に?
この仮面を外したら、私は花丸に嫌われる?
仮面を被ったまま、私は花丸と最後の時間を過ごすの?
「悪魔」の私を、花丸は好きでいてくれる?
64 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:59:04.63 ID:qe4+sBJv0
いや──
仮面を被って好かれるくらいなら、正直に悪魔の私は嫌われてしまえばいい。
例え花丸を悲しませることになっても、私は花丸に嘘はつきたくない。
65 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 21:59:56.88 ID:qe4+sBJv0
花丸の背中を優しく撫でてあげる。
目の前でこんもりと盛り上がった土は、墓と呼ぶにはあまりにも簡素だった。
こんな幼子が大事な家族を亡くして、平気でいられるわけがない。
「ヨハネちゃん、ありがとう。」
目の前で無理して笑顔を作っている花丸は、知らないのだ。
私が花丸を助けたいがために、その他大勢の生き物の命を犠牲にしたことを。
私のせいで、花丸のたった一人の家族が亡くなったことを。
本当だったら今頃、花丸はこの世にいないことを。
「あのね、花丸。」
──私が真実を打ち明けたら、受け入れてくれるだろうか。
「花丸に言わなきゃいけないことがあるの。」
──仮面を外した「悪魔」を、それでも抱きしめてくれるのだろうか。
「私は──」
その場の時間が止まって、自分の鼓動だけが動いているような気がした。
「あなたの悪魔なの。」
66 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 22:01:08.90 ID:qe4+sBJv0
怖くて顔を上げることができない。
「私、知ってたずら。」
「えっ?」
思わず素っ頓狂な声が出る。
「というか、そんな気がしてたというか……」
ヨハネの声にびっくりしたのか、花丸はたじろいでいる。
「ルビィちゃんと一緒にいたときに会ったことがあったと思うんだけど、あの後ルビィちゃんが話してくれたんだ──。」
花丸はヨハネに、花丸とルビィがヨハネに逢った日の出来事を話し始めた──
67 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 22:03:03.75 ID:qe4+sBJv0
──────
────
──
「花丸ちゃん……?大丈夫……?」
「全然平気ずら?」
「今、ルビィには何も見えてなかったのに、花丸ちゃん、誰かに声かけてた……。」
「ルビィちゃんには見えなかったの?」
「ねぇ、今の花丸ちゃん変だよ。まるで、ルビィのお姉ちゃんみたいだった……。」
「ダイヤお姉ちゃんのこと?」
「う、うん。お姉ちゃんも今の花丸ちゃんみたいに、ある日突然ルビィの家の近くの山で、ルビィには見えない『誰か』と話し始めて……。」
「その日から、お姉ちゃんがよく熱を出すようになって、お医者さんが来たりしたんだ。」
「そして、お姉ちゃんが亡くなる2日ぐらい前に、ルビィには見えないお友達がいなくなっちゃったってしょんぼりしながら帰ってきたんだ。」
「ルビィちゃん……。そんなことがあったの。」
「だから、お父さんとお母さんはあの山には悪魔が住んでいて、お姉ちゃんに取り憑いたんだって、近寄っちゃだめだってルビィに言うようになって……。」
「だから、花丸ちゃんも気を付けてね。あんまり山に行きすぎると悪魔に取り憑かれちゃうよ。」
「大丈夫だよ、ルビィちゃん。ヨハネちゃんは優しいから!」
「それなら良いんだけど……。」
──
────
──────
──そこまで話し終えると、花丸はにっこりと笑った。
「それにね、おばあちゃんは前から体調がよく悪くなっていたずら。」
笑った花丸の瞳からぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちる。
「だから、とても悲しいけどヨハネちゃんのせいじゃないずら。」
ヨハネは、花丸の話をただ黙って聴きながら、彼女の頭を優しく撫でることしかできなかった。
68 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 22:03:56.87 ID:qe4+sBJv0
「だから、自分のことを悪魔なんて言わないで。」
花丸はヨハネの腰のあたりにぎゅっと抱き着いた。
「ヨハネちゃんは私の天使だよ。」
「花丸……。」
徐々に抱き着いた花丸が体を預けてくる。
「ヨハネちゃんがどっか行っちゃったら、マルも死んじゃうんだって。だから、ヨハネちゃんはどこにも行かないでね。」
花丸の体は熱を帯び、息づかいは荒くなっている。
「……ええ。ずっと一緒よ。」
ゆっくりと花丸に膝枕をしてあげる。
「ヨハネちゃん、マル眠くなって来ちゃった……。」
ヨハネの優しそうな微笑みから、一筋の涙が流れる。
(私の命を全て擲っても構いません──。どうか、あとほんの少しだけこの子に時間をください──!)
ヨハネが願った途端、黒く艶やかに光っていた翼と尻尾が白く光り輝き、ヨハネと花丸は白い光に包まれた。
「花丸、私こそあなたと出会えて本当に楽しかったわ。」
頬を伝っていた涙が、白い滴となって花丸に落ちる。
白く輝いていた翼と尻尾が、端の方から少しずつ空に溶け込むようにして消えていく。
「あなたに会えて、誰かを愛することがわかった気がするの。」
急速に目の前が暗くなっていく。白い滴が花丸に落ちる度に、身体から力が抜けていく。
白く輝いていた翼と尻尾は、もう半分ほど空に消えている。
「だから花丸、ありがとう。」
そう言うと、ヨハネは花丸の額にそっとキスをして、そのまま花丸の頭を優しく撫で始めた。
やがて、花丸を撫でる手が緩やかになり、翼と尻尾が全て空に消えた時には、ヨハネは微笑みを湛えたまま動かなくなっていた。
69 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 22:06:02.27 ID:qe4+sBJv0
「ヨハネちゃんが先に寝ちゃってるずら。」
くすくす笑いながら、花丸はよろよろと立ち上がると、ヨハネの寝床だった大樹に手を伸ばす。
「こんなに綺麗に取っておいてくれたんだ。」
枝から引き出した花丸の手には、シロツメクサの冠が握られていた。
覚束ない足取りで動かなくなったヨハネの元まで戻ると、それをそっとヨハネの頭に被せてあげる。
そして、自分のポケットからも同じように冠を取り出すと、自分の頭に被せた。
「えへへ、お揃いずら。」
2人の冠は、まるで摘んだ時の状態を留めているように煌めいていた。
「ヨハネちゃん、本物の天使みたいずら。」
言い終わらないうちに、花丸は倒れ込むようにヨハネの膝に寝転がり──
そのまま、2人が二度と動くことはなかった。
陽だまりのように穏やかな表情のまま。
70 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 22:07:15.21 ID:qe4+sBJv0
満天の星空を見上げて、ふっと息を吐く。
今頃、ニンゲン達は二重星が現れたと騒いでいる頃だろう。
寄り添うように白い二つの星が細々と煌めいているなか、夜風にブロンドの髪を靡かせ、マリーは物思いに耽っていた。
手に一枚の紙を握り、足元には便箋の破片が乱雑に散らばっている。
『ヨハネ殿が従わなかった場合、即刻その場で貴殿が討ち取る事。』
笑い飛ばすように、手紙の内容を虚ろな目で読み上げる。
(そんなことできるわけないじゃない。)
文章の続きは激しく握りつぶされていて読めない。
(私にできることは見てみぬふりをすることだけだった。)
「あの子、今頃怒っているかしら。それとも、もうとっくに愛想つかされてるかしら。」
誰に語り掛けるわけでもなく、ぼそっと呟く。
(誰かを見捨てることで、位が上がる。)
先程、輝き始めた新星を仰ぎ見て、足元に散らばっているもう一枚の手紙を摘まみ上げる。
そこには『能天使昇級の知らせ』と書かれていた。
(私の方がよっぽど悪魔だわ。)
新星の下で煌々と輝く赤い星を見つめる。
(思えば、あのときもそうだった。)
頭の中に1年前の情景が浮かび上がる。
丁度、この辺りで休んでいた時だった。
黒髪を振り乱したあの子が、私に声をかけてきたんだっけ。
71 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 22:08:23.11 ID:qe4+sBJv0
『──きゃっ!びっくりしましたわ!』
『──……あなたはいったい誰ですの?』
『──私?わたくしは、ダイヤですわ!』
『──また今度、遊びに来てもいいでしょうか?』
全てが楽しかった。
私の世界に色がついた。
そして────
私はあの子を見捨てた。
72 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 22:11:13.50 ID:qe4+sBJv0
茂みの中に隠れて、私の名前を叫ぶあの子の声を全て背に受けて。
私は、ヨハネのようにはなれなかった。
そして、教会の鐘が聴こえる最中、今日と同じような便箋が私の元に──。
(私が悪魔に近づくことで、私の位は上がる──。)
それからだ、ヨハネに先輩だなんて呼ばれるようになったのは。
その日の晩。私は空にダイヤを、赤い星を輝かせた。
せめてものの枕花だった。
「ダイヤ、私は──」
上を見上げたマリーの瞳は濡れていた。
「あなたに胸を張れる天使になれていないわ。」
そして今日、また一つ新星が増えた。
『私と同じ気持ちになんか、なったことがないくせに!』
頭の中に、ヨハネの言葉が木霊する。
(感情を排してこその天使、か。)
私が行き着く先は、本当に天使なのかしらね。
「ねぇダイヤ、ヨハネ。」
私もそっちへ行けるかしら。
少しだけでも近づいてもいいかしら。
73 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga]:2020/07/12(日) 22:12:03.48 ID:qe4+sBJv0
マリーは徐に立ち上がる。
さらに立派になった翼はどこか冷たさを内包している気がした。
そのまま頭上の赤い星に向かって、凄まじい勢いで羽ばたき始める。
「ダイヤ。あなたは私を許してくれるかしら。」
星との距離は縮まる気配がなく、翼に感じる冷気は凄まじくなってくる。
「ヨハネ。あなたにも謝らないと、ね。」
空気が薄くなり、朦朧とする意識のなか、懸命に翼を動かす。
マリーの体は夜の低空へ段々と小さくなっていき、やがて地平線の下に沈むように消えていった。
白い二重星は、まるで二つ並んだシロツメクサのように、いつまでもいつまでも輝いていた。
《おわり》
74 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[saga sage]:2020/07/12(日) 22:14:12.15 ID:qe4+sBJv0
終わりでございます。お目汚し失礼いたしました。
ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。
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