小美浪あすみ「仕方ねーな。アタシがひと肌脱いでやる」

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2020/07/04(土) 03:41:54.97 ID:ybIwhY18O
「ん? どした、後輩」

もしも俺に。
古橋文乃のような文章力があれば。
もしも俺に。
緒方理珠のような計算力があれば。
もしも俺に。
武元うるかのような魅力があれば。
もしも俺に。
桐須真冬のような美しさがあれば。

「気にすんなよ。お前はよくやってるさ」

果たして、そうだろうか。
俺は上手くやれているだろうか。
天賦の才に囲まれて、埋もれて、息もままならず窒息しているだけではないのか。

「チアノーゼは見られない。落ち着いて、ゆっくり息をしろ。吐くほうを優先するんだ」

ふと我に返ると、どうしようもなく焦る。
天才達への憧憬が募り、自分に失望する。
そして気づくのだ。俺は天才ではないと。

「大丈夫。お前にゃアタシが居る。平気だ」

そうして過呼吸の発作を起こした俺に寄り添ってくれたのは、小美浪あすみ先輩だった。

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2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2020/07/04(土) 03:45:24.16 ID:ybIwhY18O
「どうだ、ちっとは落ち着いたか?」
「あ、ありがとうございます、先輩」

小美浪診療所の診察台に寝かされて、適切な処置を施された俺の呼吸は随分楽になった。

「んな重病人みてーな顔すんなよ。ちとしんどいしゃっくりみてーなもんだと思え」
「そ、そうなんですか……?」
「うんにゃ。厳密には全然違う。しゃっくりは横隔膜の痙攣によるものだが、過呼吸は血液中の酸素濃度のバランスが崩れた結果、酸素過多で二酸化炭素不足となった状態を指す。そうすっと、延髄は無意識に酸素過多状態を改善するために呼吸を停止させるんだが、大脳のほうはそれを異常と捉えて呼吸させようとする」
「はあ……なんか難しいですね」
「要するに、身体の状態に対して延髄と大脳の認識がズレていることによって引き起こされる勘違いってわけだ。そして後輩。お前はいま、自分が過呼吸に陥ったと捉えているかも知んねーが、それこそが勘違いだ」
「え? それってどういう意味ですか……?」
「お前が感じた息苦しさは過呼吸ではなく、過換気症候群によるものだ。過呼吸が主に運動によって生じるのに対して、過換気症候群は心理的な要因によって引き起こされる」
「はあ……」

流石は医学部志望。おまけに医者の娘。
理科が苦手なのが不思議なほどに詳しい。
もはや苦手というのは無理があるほどに。
3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2020/07/04(土) 03:48:57.26 ID:ybIwhY18O
「つーわけで、後輩」
「はい、なんですか?」
「今日はアタシが優しくしてやんよ」

そう言って言葉通り、小美浪先輩は優しく微笑んで、同じく優しい手つきで頭を撫でる。
その心地よさに思わず目を細めてしまいそうになるが、先輩の口の端が意地悪くつり上がるのを見て、俺は堪らず抗議した。

「びょ、病人を揶揄わないでください!」
「だから、病人面すんなって。さっきも説明しただろ? 原因は心理的なもんだってよ」

声音は優しいのに、言葉は厳しい。
平然とそんな風に振る舞える小美浪先輩はとても器用な人なのだろう。素直に憧れる。

「お前は考えすぎなんだよ。そもそも、どうして周りと自分を比べる必要がある?」

そうは言っても世の中そのように出来てる。
個がそれぞれ自我を持って存在しているのだから、競い合い、比べたくなるのは必然だ。
4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2020/07/04(土) 03:51:51.88 ID:ybIwhY18O
「先輩だって、焦ることはあるでしょう?」
「そんなもん、しょっちゅうだよ。なにせアタシは浪人生だからな。焦るに決まってる」

小美浪先輩は去年、受験に失敗した。
浪人生となった彼女は予備校に通い、その学費を稼ぐためにメイド喫茶で働いている。
しかし、普段の彼女からは焦りは感じない。

「でもよ、どうしようもなくなるくらい焦ったって仕方ないだろ。それはモチベーションにするべきもので、ぶっ倒れるくらい負担になるようならそもそも考えるべきじゃない」

言われて理解する。考え方の問題なのだと。
焦燥をモチベーションにするのは、難しい。
ならばそれを考えることは控えるのが賢明。

「アタシは町医者の娘だからな。患者にはいろんな人が居て、そこに区別はない。精神的な疾患だろうが、肉体的な疾患だろうが患者にとって病気は病気でしかなくて、それを治したくて医者に頼るんだ。そしてそんな患者を治してやるのが医者の務めだと思っちゃいるが、だからと言って、全ての病気を治してやることは出来ねぇ。何故だかわかるか?」

見当もつかず首を横に振ると、こう続けた。

「医者がどんだけ最善を尽くしたとしても結局、助かるか助からないかは患者次第だからだ。だから、後輩。お前次第なんだよ」
「俺、次第……?」
「お前がそんな風にしょぼくれた顔をしているうちはいつまで経っても良くならねーってこった。だからほら、笑え。さっさと笑わねーと、ねじ切るぞ」
「そ、そんなことを言われても……」

いきなり笑えと言われても困ってしまう。
それこそ、医師ではなく漫才師の領分だ。
しかし小美浪あすみ女医は優秀な医師だ。
5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2020/07/04(土) 03:54:36.38 ID:ybIwhY18O
「仕方ねーな。アタシがひと肌脱いでやる」

そう言って、白衣を腕まくりした小美浪先輩がおもむろに乗り、覆い被さってきた。

「せ、先輩、何を……!?」
「んー? なんだ、コッチは元気だな、後輩」
「こ、これは俺の延髄が勝手に……!」
「ひひひ。今さっき教わったことをちゃんと応用出来て偉いぞ〜。でも触ってやんない」

先輩に上に乗られた途端に元気を取り戻した俺の一部分の触診を断られて、意気消沈していると女医は紅潮した頬をぴたりとこちらの頬に当てて、こそばゆい囁きを耳打ちした。

「今からおしっこすっから」
「え?」
「お前に拒否権はないから。だってお前はアタシの後輩で、患者だからな。助けないと」

俺は医学的な知識など持ち合わせていないがこれだけは言える。この女医はおかしい。
これは治療ではなく、欲求の解消である。
先輩はそれは俺の勘違いと言うだろうが。

敢えて言おう、勘違いしているのは先輩だ。
6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2020/07/04(土) 03:57:12.01 ID:ybIwhY18O
「せ、先輩、それはいくらなんでも……!」
「大丈夫大丈夫。天井の染みを数えてるうちに終わっから。痛くもないし、怖くもない」

たしかに痛くはないだろうが、怖すぎる。
何を言っているんだろう、この人は。
知れず、呼吸が早まって、息苦しくなる。

「ハッ……ハッ……ハッ……!」
「む? また発作か。たく、しゃあねぇな」

まるで、なんでもないことのように。
自然な仕草で髪を耳にかけて、先輩は。
俺の唇に自らの唇を押しつけて、塞いだ。

「むぐっ!?」

息が出来ない。苦しい。なのに、楽になる。
乱れた呼吸が嘘のように鎮まる。不思議だ。
全部先輩のせいなのに何故こんなに嬉しい。

「ぷはっ……どうだ、後輩。楽に……って!」
「うぐっ……ぐすっ」
「な、何で泣いてんだよ!? どうした!?」

長いキスが終わったあと、俺は泣いた。
その理由はわからない。頭がクラクラする。
この涙は果たして。弄ばれた悔しさなのか。
それとも、先輩の接吻に対する喜びなのか。

わからない。俺には何もわからないけれど。

「ほら、もう泣くな」
「うう……小美浪、先輩……」
「せっかくのかわいい顔が台無しだぞ」

たぶん、俺はあなたに、恋をしたのだろう。
7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2020/07/04(土) 03:59:27.89 ID:ybIwhY18O
「よし、呼吸は正常に戻ったな」
「お、お手数おかけしました……」
「いいってことよ。可愛い後輩のためならキスのひとつやふたつ……もっかいすっか?」

それはとてつもなく魅力的な提案だった。
もしもここで頷きさえすれば、先輩は先程の妄言を取り消してくれるだろうか。しかし。

「あ、その前に用を済ませとかないとな」
「よ、用とは……?」
「やだなぁ、後輩ってば。もちろん小用に決まってんだろ。言わせんなよ、恥ずかしい」

なら言わないでくださいよ。俺は懇願する。

「せ、先生。どうか、お願いします……」
「ん? なんだ、言ってみろ」
「お願いですから、普通の処方箋を……」
「残念ながら、個人的感情で患者に処方する薬を選ぶことは出来ない。劇薬なら尚更な」

劇薬なんていらない。そんなもの必要ない。

「先輩、お願いだから、普通に愛して……」
「悪いな、後輩。アタシが抱くこの想いは普通じゃ収まらねーんだ。だから、覚悟しな」

さっき個人的感情で薬は選ばないって言ったのに、やっぱり先輩は意地悪で、天邪鬼だ。
8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2020/07/04(土) 04:01:20.07 ID:ybIwhY18O
「わかりました……もう好きにして下さい」
「おう。神妙にしな、後輩」

せめて何も見ないようにと思い、両手で顔を覆うと、恐らくスカートを捲り上げたと思われる衣擦れの音がして先輩の準備が整った。

「手、どけろ」
「やです」
「いいから、アタシの顔を見ろ」

強引に顔を覆う手を退けられて、目が合う。

「うう……先輩の意地悪」
「なんだ、また泣いてんのか?」
「だって、こんなのあんまりですよ……」
「お前、ほんとかわいいな」

俺の目尻を伝う涙を親指で拭うと、先輩は再び唇を重ねてきた。するとまた嬉しくなる。
何をされても良いと思える。まるで魔法だ。

「怖いか、後輩?」
「そりゃあ、怖いですよ……」
「じゃあ、キスしながらしてやるよ」

何をとはもう聞くまでもない。
というか、口を開く前に塞がれた。
そしてその時がきた。ジワリと尿が滴る。
9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2020/07/04(土) 04:02:38.37 ID:ybIwhY18O
ちょろりんっ!

「フハッ!」

下腹部に伝わる温もりでもうダメだった。
唇の隙間から愉悦が漏れる。先輩ごめん。
大脳ではなく延髄から哄笑を命じられた。

「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

くそ。なんなんだ、俺は。何故嗤うのか。
これじゃあ、完全に異常者だ。狂ってる。
こんな姿をあいつらが見たら、失望する。
生徒のこんな姿をあの先生が見たら泣く。

なのに何故だろう。すごく気が楽だった。

ちょろろろろろろろろろろろろろろろんっ!

「フハハハハハハハハハハハハッ!!!!」

ああ、水希。
お兄ちゃん、頭おかしくなっちゃったよ。
父さん、ごめん。
こんな長男で申し訳ない。だけど、俺は。
10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2020/07/04(土) 04:04:28.54 ID:ybIwhY18O
「いいんだよ、後輩。お前は、お前だろ?」

そうだ。俺は俺だ。他の誰でもない。
自分はその程度であると、認めよう。
それはとても度し難くて、理想と現実とのギャップによって大脳と延髄の認識にズレが生じるかも知れないが、構うものか。何故なら。

「アタシがそんな成幸のことを愛してやる」
「俺もあなたを愛してます……あすみ先生」

どれだけ平凡で才能の欠けらもない俺のことを、それでも愛してくれる人が居るから。
だから俺には自分を認める義務があるんだ。
唯我。その姓に相応しい在り方で生きよう。

「ありがとうございます、先輩」
「気にすんな。完治おめでとう、後輩」
「いえ。俺の病気は不治の病みたいです」
「それなら退院は無理だな。仕方ないからアタシが一生、付きっきりで看病してやるよ」
「はいっ! よろしくお願いします!」

俺が患った病は、一生治りそうもなかった。


''天才には不幸か、貧乏か、[x]が必要だ。でないと天才はすぐに思いあがる。"


【ぼくたちは普通に愛することが出来ない】


FIN
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