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十時愛梨「それが、愛でしょう」
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1 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2020/06/18(木) 17:37:35.09 ID:n4MKx+790
・モバマスSSです
・地の文があります
・多少の独自設定があります
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1592336457
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1592469454
2 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2020/06/18(木) 17:38:38.75 ID:n4MKx+790
1.「マジックナンバー」
小さい頃、魔女に出会ったことがある。
そんな話をしても、大体が冗談だと思われたり、それとなく可哀想な子を見るような目で見られたり、ひどいときはいい病院を紹介されたりするのだろう。
実際、友達に話をしたときはジョークかどうかを直球で尋ねられたりもした。
だけど、それがもしトップアイドルに会ったことがある、ということであれば、多分ちょっとした自慢話になって、教室の中でちょっとちやほやされたり、ちょっと妬まれたり、そんなことがあるのかもしれない。
魔女。トップアイドル。まるで接点のない言葉たち。
すぅ、と大きく息を吸い込みながら、私は何度も鞄に履歴書が入っていることを確認して、駅から程近い場所にそびえ立つ事務所の正門に手を伸ばそうとしていた。
「はぁ……」
ああ、緊張する。
緊張するどころの話じゃない。吐き出した息から魂が漏れ出ちゃってるんじゃないかって思うぐらいだ。
それだけじゃない。心臓はばくばくと、人に聞かれてないか心配になるぐらいうるさく跳ね回っていて、ここだけ、何か大きくてとてつもないものに時間の流れが押しつぶされているみたいに、一秒が引き延ばされて。
魔女。トップアイドル。人が聞けば、きっとその二つの言葉に接点はないのだろうけれど、私にとってその二つは同じものだった。
引き延ばされていく時間の中で、記憶の引き出しから不意にそんな思い出がこぼれ落ちて、どこまでも延びていく一秒の中を、鮮やかに駆け抜けていく。
私が今、芸能事務所の門を叩こうとしていること。そしてそこからアイドルを目指していること。
その二つと、切っても切り離すことの出来ない、小さい頃の思い出話。そして、私の旅の始まりのことだった。
3 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2020/06/18(木) 17:39:38.38 ID:n4MKx+790
◇◆◇◆◇
歌うことが大嫌いだった。
今の私が聞けば笑って、今の私を知ってる人が聞けば冗談だと思うかもしれない、もう一つの本当のことだ。
子供の頃、っていっても今も子供には変わらないんだけれど、小学校に上がる前ぐらいの私は、それはもう歌が大嫌いで仕方なくて、お遊戯会とかで合唱をするときは決まって口パクで済ませていたものだから、保育士さんは相当手を焼いていたのだと思う。
思い返すと申し訳ないけれど、過ぎたことはどうしようもない。
だから、心の中で謝っておく。ごめんなさい先生。思い返す度に恥ずかしさに顔を紅くする黒歴史だった。
それで、そんなに歌が大嫌いだった私がどうしてアイドルになろうなんて酔狂なことを考え始めたのかというと、それはやっぱり、小さい頃に出会ったあの人の、魔女のおかげに違いない。
忘れることもできない、六歳の冬だった。
卒園式まであと少し、ってことに何か風情とか情緒とかを感じられるぐらい心は発達していなかったけど、ただ卒園式が嫌だという気持ちでいっぱいだったことは今でもはっきりと思い出すことができる。
別に、幼稚園に何か思い入れがあったわけじゃない。
というか、そんな郷愁を感じられるぐらいの歳でもなかったから、幼稚園を出て小学生になるっていう未来については、他の子たちと同じで楽しみにしていたように思う。
一年生になったら。朝の教育番組で流れていた歌のフレーズを思い起こす。
友達が百人なんて出来る訳ねーだろ、って、ませた男子はバカにしていた。
実際皆、口にこそ出さないけれど、そんな感じに冷めてたけれど、それでもせめて十人、いや、二十人、クラス皆と友達になって、ランドセルを背負ったり、知らない勉強をしたり。
そんな、他愛もなくてあやふやな未来予想図を描いていたような気がする。勿論、その中には私も含まれていた。
4 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2020/06/18(木) 17:40:46.82 ID:n4MKx+790
じゃあ、楽しみだったんじゃないのかって考える。
新しい場所に行くための卒園式。それは確かに、楽しみで、待ち遠しいことだった。
だけどそれ以上に、卒園式を締めくくるのに欠かせない合唱がプログラムに含まれていること。それが、嫌で嫌で仕方なかったのだ。
私が魔女に出会ったのは、住んでるマンションから、大人の足で大体徒歩一分もかからないぐらいところにある児童公園に、そんな憂鬱を抱えながら一人で歩いた土曜日のことだった。
お父さんは休日出勤で、お母さんは内容こそなんだかよくわからないけど電話の応対をしていたから後で来る。そんな限定的な状況と、公園が住んでいるとこに近くて、ご近所さんやお隣さんもよく使っているから許された、限定的な一人でのお出かけ。
普通、子供だったら興奮しそうなものだけれど、私のちっぽけな心は見上げる空とは正反対に、ぐちゃぐちゃの灰色で塗り潰されていた。
『――ちゃんは、どうしていつも、歌ってくれないの?』
卒園式に向けて皆が最期の合唱の練習に励んでいる中で、私は頑なに歌わなかった。いつもリズムに合わせて、餌を貰うときの金魚みたいに口をぱくぱくとさせるだけ。
いい加減卒園も間近だというのに、そんなことを繰り返していた私に業を煮やしていたのだろう。先生は、いつもよりも怒りの色を濃くして、そんなことを訊いてきたのを覚えている。
答えはわかっていた。だけど、それを答えたところでどうにかなるものじゃないというのは、小さかった私には説明こそできないかもしれないけれど、心のどこかでは理解していたんだと思う。
だから、黙り込んだ。答えられないし、できたとしても答えたくなかったから。
歌うのが嫌で、歌わせようとしてくる先生も嫌いで、聞こえてくる歌なんてロックもポップも児童向けの合唱曲も、全部が全部大っ嫌いで。
当然そんなこと、お父さんやお母さんに言えるはずもない。
連絡帳にはばっちり書かれてしまったようだけど、唇を引き結んで黙りこくっている私に、お父さんもお母さんも何も訊いてこなかったのは、優しさなのか匙を投げていたのか。それについては今も、判断がつかない。
でも。
公園に足を踏み入れて、真っ先に聞こえてきたのは一つの歌だった。
5 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2020/06/18(木) 17:41:58.30 ID:n4MKx+790
マンション近くの公園で休日なら、利用しているのは私だけじゃない。実際その日も隣の隣ぐらいに住んでる友達や、近所じゃないけどよく公園で見かける小学生だったりお年寄りの人だったり、色んな人が好き勝手に遊んだり、それを見てどこか穏やかな顔をしてみたりとそれぞれに憩いの場を利用していた。
だけど、子供たちのきゃーきゃーという叫び声より、中身はわからないけどきっと嫌なことで盛り上がっているんだろうな、ってことぐらいは察せられるおばさんたちの井戸端会議より、電話の向こうで嫌なことでもあったのか、電話を耳に当てながらへこへこと頭を下げながら申し訳ありません、を繰り返しているサラリーマンの声より先に、私の鼓膜を振るわせたのは、大っ嫌いだったはずの歌だった。
ああ、今でも覚えている。
その瞬間に私は、見えない、だけど大きな足に背中を蹴飛ばされたみたいに、歌声のする方へと走り出していた。
きっと大人が早足で道を行くのよりも遅い、子供の全力疾走。
不思議だった。
大っ嫌いなはずなのに、聴きたくなんてないはずなのに、その時は、私が辿り着く前にその歌が終わってしまわないことをただひたすらに祈っていたのを覚えている。
今でも歌が嫌いだったら、きっと頭がおかしくなったのか、冬の寒さでネジが外れてしまったかを疑いたくなるような、心と身体があべこべになったみたいな。
そんな、疾走だった。
6 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2020/06/18(木) 17:42:51.62 ID:n4MKx+790
冬だから、水を止められて枯れている噴水の近くに並べられた、所々塗装が剥げているベンチの真ん中に腰掛けて、その人は歌っていた。
今でも忘れない。綺麗だと、言葉にも情緒にも乏しかった子供の心にも、ただその一言が浮かんで落ちたこと。
それぐらいに、その人は綺麗だった。
何が、と訊かれたら、今も昔も答えは変わらない。
――全部。
子供心に、公園に来る人の顔や姿は大体覚えているから断言できた。この辺では絶対に見たことがない顔だ。私が知っている中では一番綺麗なお母さんより、幼稚園の中でも一際美人で男子たちの憧れの的だった年中組の先生より、ずっと綺麗な顔だった。
もしこれがあのひとじゃなくて、よからぬことを企んでいる不審者とかだったら、私の人生はきっとあそこで終わっていたのかもしれない。
だけど幸いなことに、あのひとは不審者や殺人鬼じゃなくて魔女だった。
考えてみたら、同列に並べられそうな言葉だけれど、そこには決定的な違いがある。
顔だけじゃない。まだその時の私にはわからなかった言葉を紡ぐ歌声も、そして、何より。
じっと、砂場に転がる石の一つになったみたいに体育座りをして、私はそのひとの歌を聴いていた。歌わないからはっきりと聞こえる、子供たちの合唱とも呼べないような合唱も、教育テレビから流れる童謡も、たまにお母さんが確認する音楽番組で流れている流行の歌も、全部が全部大っ嫌いだったはずなのに、どうしてかそのひとの歌だけは、一秒たりとも聞き逃してはいけないと、子供心にそう思っていたことを覚えている。
7 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage saga]:2020/06/18(木) 17:43:43.94 ID:n4MKx+790
なんだか、神様に祈る牧師さんみたいだと、そんなことを思っていたのかもしれない。
クリスマスになると現れる、サンタさんの格好をしたおじさんと、片手に聖書を抱えて何だかよくわからない話をする牧師さん。
言ってることは、小さい頃の私たちでも理解できるようにとても簡単に噛み砕かれたものだったけれど、そんなありがたい言葉より、礼拝が終わった後にサンタさん役をしているおじさんがくれるパラソルチョコより、かくあれかし、と言い換えられる一言を唱えて何かを真剣に祈っている牧師さんの顔が、私にとっては印象的だった。
多分こんな事を街角で宣ったなら、今でも怒られる気がするけれど。
きっと牧師のおじさんは、あの時の私と同じような気持ちだったのかもしれない。
声が途切れて、歌が締めくくられたのだとわかると同時に、あの時の私は不遜にもそんなことを考えていたのだ。
『あはは、聴いてくれてありがとうございますっ』
多分そのひとにとっては、何の気もない鼻歌とか、そんなつもりだったのだろう。
少しだけ恥ずかしそうに頬を染めながら、そのひとはぺこりと小さく頭を下げる。
だけど、飴玉で出来た鈴を鳴らしたみたいなそのひとの声が聞こえたときに周りを見れば、集まっていたのは果たして、私だけじゃなかった。
遊具に集まってヒーローごっこをしていた男の子たちも、井戸端会議に花を咲かせていたおばさんたちも、電話越しに何やら誤り続けていたサラリーマンも、砂場でおままごとをしていたお隣の子も。
通り過ぎていく風とか車とか、そういうものを除けば、公園にある全ての音がなくなっていた。そのひとの、砂糖菓子みたいに甘くて、宝石みたいに綺麗な声以外の全部が消えてしまったみたいに、公園は静まりかえっていた。
二曲目を歌うつもりはないのだろう。そのままベンチに座り込んで、何かを思い出したみたいに宙を眺めているそのひとを見て、皆はまるで最初から歌も、そのひともいなかったみたいに、元の場所へと戻っていく。
サラリーマンの人が右手に持っていた空のペットボトルがゴミ箱にぶつかって、がたん、と無機質な音を立てる。
きたないな、と、そう思った。普段なら気にすることもないはずなのに、あの歌を聴いた後だと、それ以外の全部が汚く聞こえてしまうぐらいに、澄んだ、綺麗な歌声だった。
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