【ミリマスSS】かつて守るべきものだった者

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1 : ◆uYNNmHkuwIgM [sage saga]:2020/06/12(金) 21:22:15.60 ID:BHjCA0Mo0

「じゃあ隅子さんにコーヒー1つ、よろしくね。」

マスターからホットコーヒーがのったお盆を1つ受け取り、『隅子さん』と呼ばれたお客さんのもとに運ぶ。

『隅子さん』とはお客さんの本名ではなく、マスターが付けたあだ名だ。いつも店内の奥の奥、薄暗い2人がけの席に座る女性。だから『隅子さん』。ただのオヤジギャグ。

街中から少し外れた小さな個人経営の喫茶店。客足はまばら。もう少し明るい席に座れば穏やかな昼時のコーヒーブレイクを楽しめるのに、彼女はいつもその席に座る。窓から差し込む光や店内の照明を背にして、まるで身を隠すように。

まぁ『まるで』とは言ったが、俺だけは知っている。本当に彼女は身を隠していることを。はぁ...とため息を一つき、俺は彼女にコーヒーを差し出した。

「お待たせいたしました、コーヒーをどうぞ。」

彼女は開いていた手帳をパタンと閉じ、こちらを向いた。少し目深に被ったベレー帽から、彼女の顔が覗く。細くまっすぐな眉に切れ長な目、言葉にするなら容姿端麗。客観的には。

  

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2 : ◆uYNNmHkuwIgM [sage saga]:2020/06/12(金) 21:24:19.31 ID:BHjCA0Mo0

「ありがとう、店員さん。」

そう言って彼女は軽く微笑んだ。端整な顔にほんのりと柔らかさが加えられ、世の殆どの男性はこの笑顔に吸い込まれるんじゃないかと思うくらいの魔力があった。客観的には。

「それでは、ごゆっくりおくつろぎください。」

俺は彼女の笑顔を営業スマイルでかわし、すぐさま踵を返す。一歩踏み出そうとしたところ、くいっと服の裾を引っ張られた。ピキッとこめかみの辺りが歪むのを抑え込んで、営業スマイルで後ろに向き直す。

「店員さん可愛いから、もっとお話ししたいな。」

そう言って彼女はパチっとウインクをした。アイドルが写真撮影でやるような、味付けの濃いあざとさマシマシウインク。

 
3 : ◆uYNNmHkuwIgM [sage saga]:2020/06/12(金) 21:26:01.70 ID:BHjCA0Mo0

またピキッとこめかみの辺りがひきつる。そうなっては彼女の思うつぼだ。いつもいつもこうやって、この人は俺をからかってくる...。こちらも負けじと営業スマイルをマシマシにして返す。

「すみません、次のお客様のご注文が入っておりますので。」

そう言うと、彼女はわかりやすくむすーっと膨れっ面になった。「表情から感情が読み取りやすい、まるでドラマみたいですね流石です」と心の中だけで毒づく。

彼女は仕方ないなと言いたげにふっと息をひとつつき、さっきまでの作った表情とは違うふにゃっとした笑顔で俺に言った。

「それなら仕方ないね。お仕事頑張って、りっくん。」

「りっくんはやめろ...。」

我が姉北沢志保に小声で返し、生暖かい視線を背中に感じながら俺は厨房に戻った。

  
4 : ◆uYNNmHkuwIgM [sage saga]:2020/06/12(金) 21:27:42.15 ID:BHjCA0Mo0

「どうだった?デート申し込まれたりなんかした?」

厨房に戻った俺を、ニヤニヤしたマスターが出迎えてくれた。『隅子さん』の正体を知らないマスターは、彼女と俺の関係について大きな勘違いをしてしまっている。

というのも、どうやら姉さんは俺がシフトに入っていない日は店に来ないらしい。だからマスターの中では、『隅子さん』は俺目当てで店に来る健気な女性となっている。

「いやなんで俺のシフト日そんなに正確に把握してるの?それ現代ではストーカーと呼ぶのでは?」と思ったけれど、これ以上話を掘ると藪蛇になりそうなので、あえてつっこまないでおいた。

 
5 : ◆uYNNmHkuwIgM [sage saga]:2020/06/12(金) 21:28:52.05 ID:BHjCA0Mo0

「いやぁ、お話ししたいって言われただけです。仕事中って断りましたけど。」

そう言うと、マスターは少しつまらなさげに「ちえっ」とこぼした。コイバナ大好き女子じゃあるまいし、やめてくださいよ。

「まぁ、ウチはこの通り忙しすぎず暇すぎずだからさ、君は頑張ってくれてるし、もっと気楽にしていいんだよ。」

良いことを言いながら、マスターの視線は俺と『隅子さん』の方をキョロキョロ忙しく往復する。いや、いい言葉の裏に「サボって彼女との時間をとれ」って下心がありますよね。やっぱり心はコイバナ大好き女子だな。

「あはは、ありがとうございます。」

マスターのあふれる期待を遮るよう、俺は軽く返事をした。

 
6 : ◆uYNNmHkuwIgM [sage saga]:2020/06/12(金) 21:30:04.31 ID:BHjCA0Mo0

バイトからの帰り道、スマホのカレンダーを眺めて今月のシフトを確認する。頭の中で数字を積み上げて、そこに時給を掛ける...のは流石に暗算では無理だから、電卓アプリを立ち上げる。算出された数字を眺めていると、思わずはーっとため息が出た。

「あんだけ働いて...これだけしか稼げないのかぁ...。」

マスターは良くしてくれているし、高校生バイトが働くにはいい店なのだけど、やっぱり稼げる額には限界がある...。とにかくお金が欲しい。もっともっと稼がないと。

じゃないと、俺はいつまでもこのままだ...。

 
7 : ◆uYNNmHkuwIgM [sage saga]:2020/06/12(金) 21:32:08.91 ID:BHjCA0Mo0


数日後、

午前の授業が終わり、昼休みに入る。待ってましたと言わんばかりに教室がざわつき、各々家から持参したお弁当を取り出す。

例に漏れず俺も鞄から弁当を取り出し蓋を開けようとする...開けようとす...る...開けようと...。

「おーいどうした陸?早く弁当開けろよ。」

なかなか弁当の蓋を開けられない俺に、昼食時いつも隣を陣取る友人が声をかける。そうだね、俺も早くすっかすかの腹にご飯を流し込みたいよ。でもね、まぁいろいろと事情があるのです。とりあえずお前は後ろを向いたほうがいい。

「陸君早く今日のメニュー教えて!」

「今日は私も頑張ってきたから負けないよ!」

友人の後ろには、ぎゅうぎゅうにオーディエンスが押し寄せている。女子8割男子2割、俺の弁当箱の蓋が開くのを待ち焦がれている様子だ。そこまで期待されると、一般人の俺としては尻込みしてしまう。

 
 
8 : ◆uYNNmHkuwIgM [sage saga]:2020/06/12(金) 21:34:15.28 ID:BHjCA0Mo0

「えっと、冷蔵庫にあったもので作ったからそんなに期待しないでね。」

期待外れとがっかりされても困るので、そうワンクッション置いてハンデをかける。すると、オーディエンスから罵声が飛んできた。

「そうやって陸君は女子の努力を粉砕するの!」

「女子力王者が何を言う!早く開けろ!!」

これ以上何を言っても火に油だと察し、これ以上燃え広がらないように俺は弁当箱の蓋を開けた。ピーマンの肉詰め、卵焼き、野菜スティックにウインナー、それにご飯。ほら、普通の弁当でしょ?

オーディエンスは骨董品の鑑定でもする様に、弁当の中身に視線を注いでいる。あんま見るものでもないでしょ?君たちが手に持っているお弁当の方がずっと煌びやかだし、美味しそうだよ。

何秒かの沈黙の後、オーディエンスの1人が言葉を発する。

 
9 : ◆uYNNmHkuwIgM [sage saga]:2020/06/12(金) 21:35:48.52 ID:BHjCA0Mo0

「...負けた。」

その子の手元を見ると、唐揚げや根菜の煮物、レタスにパスタ、彩り豊かなお弁当があった。

「いや、そっちの方が美味しそうじゃない?いろんな色で綺麗だし。」

そういうと、その女の子の表情が悲しい顔に変わる。

「ダメ。私のお弁当は色彩が多いだけ。ひとつひとつのお料理の形は陸君みたいに整ってない。全体の色彩にこだわりすぎて、これは食べるものって1番の基本を忘れてたの...。」

「いや、その辺の好みは十人十色じゃないかなぁ」とつっこもうとしたら、次々とオーディエンスから喝采の声が上がった。

「さすが...1番ありふれたメニューで差をつける者こそ、絶対的王者。」

「女子力選手権チャンピオンは伊達じゃない...圧倒的嫁力。」

オーディエンスからたくさんの拍手をいただき、ついでに隣の席の友人からもスタンディングオベーションをもらい、この訳のわからないコントは終了した。

 
10 : ◆uYNNmHkuwIgM [sage saga]:2020/06/12(金) 21:37:16.01 ID:BHjCA0Mo0

「それにしても、お前本当に料理上手いよな。」

友人は、俺の弁当から盗んだピーマンの肉詰めを頬張りながらそう言った。俺もお返しに、そいつの弁当から盗んだ唐揚げを頬張りながら答える。

「まぁ、小さい頃から作ってるしな。慣れだよ慣れ。」

「そっか、すげぇな。」

何気なしに俺を褒めた友人のリアクションに、少し居心地が悪くなるようなむず痒さを感じる。

俺は小さい頃から家事を一通りこなしていて、料理、掃除に洗濯、裁縫などなど、同年代の誰よりも上手かった。でも、それは小さなガキにはなんのステータスにもならなくて、「男のくせに」ってバカにされるばっかりだった。

そんなわけで、さっきのコントでの称賛もそうだけど、俺のこういう面にポジティブな評価をされるのに慣れていない。俺はむず痒さを誤魔化すように友人に言葉を返した。

「まぁ、俺にはこんなことしかないからな。」

 
11 : ◆uYNNmHkuwIgM [sage saga]:2020/06/12(金) 21:38:52.78 ID:BHjCA0Mo0

ホームルームも終わり、急いで教科書やノートを鞄につっこむ。教室を後にしようとしたとき、声をかけられた。

「陸、帰り暇?女子高の子たちとこの後カラオケに行くんだけど、お前も行く?」

「陸がいると女子たちのテンションも上がるだろうからさ、な?行こうぜ。」

そう誘ってきた友人達は、なんとも浮ついた顔をしていた。これは結構可愛い子を揃えているとみえる。そう考えると魅惑的なお誘いではあったけれど、ホイホイとついていくわけにはいかなかった。

「悪い、今日バイトなんだ。」

「今日も?よく働くなぁ。」

「ほぼ毎日じゃね?マジやばくね?」

そういえばこいつらの誘いをいつも断ってばかりだな、これで何連続だろうと頭の中で指を折る。悪いとは思うけど、こればかりは仕方がなかった。

「金がいるんだ、すまん。」

そう言うと、友人たちは仕方ないなと諦めたようだった。

 
12 : ◆uYNNmHkuwIgM [sage saga]:2020/06/12(金) 21:40:58.22 ID:BHjCA0Mo0

「よーし、次は陸の予定に合わせてセッティングするわ。」

「どういう子が好み?やっぱクール美人系?」

「やっぱ」とはなんだ「やっぱ」とは。俺はクールな美人系よりも、笑顔がぱぁぁっと可愛くて明るい子が...なんてそんなどうでもいいことを考えていると、友人達が言葉を続けた。

「でもさ、そんなに金が欲しいなら、芸能界とかありなんじゃね?陸くらいのイケメンなら人気出ると思うし、姉ちゃんのコネとかでいけるんじゃね?」

「てか、何回かスカウトされたことあるって聞いたぜ。なんで断ったの?」

思いもかけない言葉に驚いて、俺はさっとその場を後にする。

「姉さんと違って俺は一般人だよ、そんな世界無理だって。そろそろ時間だから行くわ。よければうちの喫茶店来いよ、じゃあな。」

 
13 : ◆uYNNmHkuwIgM [sage saga]:2020/06/12(金) 21:42:33.37 ID:BHjCA0Mo0

つかつかと早足で学校の最寄り駅まで向かいながら、さっきの友人の言葉を思い出す。確かに俺は何度かスカウトを受けたことがある。いかにも業界人な風貌の人に名刺を渡された。渡された名刺は、悪いと思いながら近くのゴミ箱に捨てた。持っておくと、心が揺らぎそうだったから。

確かに芸能界はお金はたくさん入ってくるんだと思う。俺はそれをよく知ってる。身をもって。だけど、それは俺が目指してるやり方じゃない。芸能界だけは選んではいけない。

グッと足を強く踏み込んで、アスファルトを蹴る。硬い地面の反発が足の裏に、ふくらはぎに痛みを伝える。その痛みが自分の足で歩いていることを教えてくれた。

 
14 : ◆uYNNmHkuwIgM [sage saga]:2020/06/12(金) 21:44:37.73 ID:BHjCA0Mo0



「じゃあ陸君、今月のお給料。」

今日の営業も終わり、店の掃除もそろそろ終わりに差し掛かった頃、マスターから声がかかった。マスターのところに行き、給与明細の入った封筒をもらう。

「陸君ほんとに頑張ってくれてるから、上乗せしておいたよ。」

マスターはそう言って、早く開けて見てみろと言わんばかりにドヤ顔をするので、封筒を開けて明細を見る。「おぉ」と思わず声を漏らしてしまうほど、給料が上乗せされていた。素直に嬉しいのだけど、やや罪悪感も生まれてきたのでマスターに問う。

「これホントにいいんですか?」

マスターは上機嫌で言葉を返す。

「あぁ、陸君がバイトに入ってくれてから、マダムから若い女の子までホントたくさんのお客さんが来るんだよ。噂になってるらしいよ、イケメンがコーヒーを運んでくれる小さな喫茶店って。」

あくまで一般人の俺は、そこまで話題になるような人物ではないと思うのだが、このお店に貢献できているのは嬉しい。それに、下世話だが、やっぱりバイト代を上乗せしてもらえたのは格別の嬉しさだ。明細を見ながらホクホクしていると、マスターが優しい声で俺に告げた。

「陸君、頑張ってくれてるのは嬉しいんだけどね、私は時々心配になるんだよ。」

 
15 : ◆uYNNmHkuwIgM [sage saga]:2020/06/12(金) 21:46:42.18 ID:BHjCA0Mo0

心配?この店は順調だってさっき言ったばかりなのに、心配することがあるんだろうか?

「高校生、青春真っ只中じゃないか。青春は一度きり、返ってこないんだよ。それをほとんど毎日こんなチンケな喫茶店に費やしていいのかなって?」

それを聞いて、マスターは本当にいい人だと思ったのと同時に、胸にズキッと痛みが走る。そうだ、青春は一度きり。俺にとっても、そしてきっとあの人にとっても。奪われた青春は返ってこない。そうすれば、奪った側はどう償えばいいのだろう?思考に暗い影が立ち込めたところに、マスターは言葉を続ける。

「だから、その上乗せしたお金で『隅子さん』と楽しんでくるといい。ディズ○ーシーとか行ってパレードでも眺めながらね...うひひひひ。」

クラス内で初めてできたカップルをからかう女子中学生みたいに、グフグフ笑うマスター。ほんとコイバナ好きだな。俺の思考はマスターのピンクな妄想に浸食されてしまったらしく、モヤモヤ考えるのもバカらしくなってしまった。

 
16 : ◆uYNNmHkuwIgM [sage saga]:2020/06/12(金) 21:48:05.59 ID:BHjCA0Mo0


家の玄関の前まで来て、鞄の中から封筒を取り出す。貰った給料を早速引き落として、封筒は厚みを増した。これを見たら、みんなはどんな顔するだろう。期待に胸を膨らませて、玄関のノブを回す。

「ただいま。」

リビングには母さんと、珍しく姉さんもいた。2人は上機嫌に俺の帰りを迎える。

「おかえり、ご飯そろそろできるから着替えてきなさい。」

「おかえり、今日は早く現場が終わったから、一緒にご飯食べれるね。」

姉さんは仕事柄家でご飯を食べることは少ないし、母さんも度々仕事で遅くなることがある。だから、本当に言葉どおり久しぶりに家族3人での夕飯だ。

 
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