喜多見柚「フライバイ」

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1 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:12:39.66 ID:yU6CR/tX0


モバマスの喜多見柚ちゃんのSSです。


https://i.imgur.com/rg5LP2x.jpg
https://i.imgur.com/SbPIP57.jpg

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1577200359
2 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:13:43.79 ID:yU6CR/tX0


喜多見柚。ひと呼んで喜多見の袖チャン。

『喜び多かれど袖で見るだけ』

心の周回軌道の上をふわふわと漂って。距離はそのままでも、楽しいことはいつだってすぐ側にあった。
それだけで人生とやらは歩いていけると思ってた。

○月×日 応答願ウ

アタシを呼ぶ声が聞こえる。すごく怖くて、耳をふさいだままで。
やっと変われるかもしれない、やっぱり変わらないかもしれない。

どっちだってなにも分からないままの方がずっとイヤだ。

教えてもらった声を、吹けない口笛のメロディーにのせて、今そっと羽根を広げる。
目的地はトクベツな場所、舞台袖から何歩も先、アタシだけのスポットライトがある。
3 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:14:32.50 ID:yU6CR/tX0





「アタシはここっ♪」

 アイドルは楽しいっ。でもちょっとだけ大変なこともある。いつだってみんなに見えているのはお山のてっぺんだけで、その下にはレッスンとかリハとかたくさんの下準備に支えられている。今日もお昼から広いレッスンルームで今度のステージの打ち合わせ。立ち位置とか合間の振りとかを考えてみるのもアタシたちの仕事になっている。

「柚ちゃん、またすみっこ?」

「えへへ、柚チャンはみんなをサポートする方が向いてるんだー」

 色とりどりのテープが教えてくれる想い想いの立ち位置。いつものように舞台袖に近いところを選んで、びしっとポーズを決める。
4 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:15:13.18 ID:yU6CR/tX0


「たまには真ん中とかどう?」

 部屋の真ん中、目立つようにバミられたところとアタシを間をみんなの視線が行ったり、来たり。変な感じの空気になってしまう前に、困らせちゃう前に、いつもと変わらない笑顔で元気良く答えた。

「んー、こっちの方がファンのみんなと近いからさっ♪」

 どうやら納得してくれたみたいだ。みんなの話題の中心がセンターを誰がやるのかに戻っていく。プロデューサーサンが決めてくれたら早いんだけどなーなんて思いつつ、わいわい、がやがやと楽しそうな空気を肌で感じながら、ココロの底にちくりと刺さるものがある。

 そこはまだ柚にはきっと似合わないってこと。
5 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:16:05.54 ID:yU6CR/tX0





 冬がぴゅっと冷たい風と一緒にやってくると、アタシはどうしようもなく嬉しくなる。みんなにお祝いしてもらえる誕生日があるし、プロデューサーサンと出会った想い出の聖夜だってある。お仕事だって、お遊びだって、年の終わりに向けて心残りをすべて片付けてしまおうと、みんなでてんやわんやの大騒ぎ。

 忙しいことは良いこと! 

 なかなか鳴り止まない携帯の通知を横目に、プロデューサーサンが持ってきてくれるたくさんの楽しいを両手いっぱいに抱えられるそんな季節が好きだ。アタシ的にちゃんと言い直すなら好きになった。

 友達と遊ぶ放課後も、ゆるーくバドミントンする夕暮れもキライじゃなかったけれど、きっとアタシはなにか物足りなかったんだと思う。不満もないけど、ロマンもない、みたいな。今の柚は待ってればサンタさんがもっと楽しいことをプレゼントしてくれる。そんな今が「ちょうどよくて」、ついぼーっとしてしまったり。

 だからこんな感じに思いがけないプレゼントがびっくり箱だといつも以上に驚いてしまう。
6 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:16:45.04 ID:yU6CR/tX0


「駅伝……大会?」

「はいっ、ぜひ一緒にどうかなって聞いて回ってるんですっ!」

 事務所のソファーでレッスンまでの時間をのんびりする昼下がり、肇チャンに寄りかかりながら一緒に雑誌を眺めているところに、ちょっとだけ息を切らして悠貴チャンはやってきた。ソファーの向かい側では美世サンが真剣そうにスマートフォンのレースゲームに挑戦していて、まだまだこちらには気づいてなさそう。

「ふふっ、もうそんな季節ですもんね」

「肇さんっ」

 ゆるやかに微笑む肇チャンに期待できるものを感じたのか悠貴チャンの表情がぱあっと明るくなる。そんなふたりのやり取りを聞いたアタシはどんな顔をしているように見えたんだろう。
7 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:17:19.52 ID:yU6CR/tX0


「ううぅ、アタシはちょっと……」

「だ、ダメですかっ?」

「うぅ、悠貴チャン、その顔はずるいよーっ」

 うるうるな瞳でそんなことを言われたらだいぶ迷ってしまう。ランニング、ランニングかぁ。普段のトレーニングでもちょっとだけ歩けないか考えるくらいなのに。体力に自信がないってわけじゃないんだけど。

「あたし車出してあげよっか」

「ホントですかっ!?」

「美世サン、聞いてたのっ!」

 さっきまで渋い顔でスマートフォンとにらめっこしてた美世サンはうーんと身体を伸ばして、ゲームは難しいー、なんて呟きながら答えた。
8 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:17:56.25 ID:yU6CR/tX0


「目の前で話してたら気付くってばっ」

「すごく集中してらっしゃったので……」

 肇チャンの一言にアタシも大げさにうんうんと頷けば、アタシがちょっとだけ崩しちゃった空気もすぐに元通り。応援とかなら喜んで行くよーって返そうかな。そう思っていたら悠貴チャンはまだ諦めてなかったみたいだった。

「楽しいかどうかって見ているだけじゃ分からないと思うんですっ」

「おぉ、情熱的だ」

「うわーっ、それはもっとずるいよーっ!」

 ずるいの波状攻撃を仕掛けてくる悠貴チャンが手強すぎる。ここはびしっとはっきり断らないと!って柚の面倒くさいセンサーがずっと警報を鳴らしている。なんにでもほいほいつられていくわけじゃないんだってこと。楽しいことは楽なことだって思ってること。
9 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:18:27.32 ID:yU6CR/tX0


「えっと、うんと、正直に言うと面倒なことはナシの方向で……」

「……残念ですっ」

「そのかわりにみんなで遊びにいこうよっ! ゲームセンターとかどうカナ?」

 この提案は成功したみたいだ。みんなの顔に「それは面白そうだ!」って色を見つける。肇チャンや美世サンがここに行こうよって話をし始めたのを見て、アタシはようやくほっとする。

 ほどほどに頑張って、ほどほどに楽しむ。それが柚ライフのモットーなので。
10 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:19:51.04 ID:yU6CR/tX0





 今度の定期公演で、アタシは悠貴チャン、肇チャン、美世サンの3人と一緒のステージがある。みんなそれぞれ忙しくなってきているからこうして揃ってレッスンができる機会はなかなか貴重だったり。

「柚ちゃん、レッスンやるよー」

 自然と年長者の美世サンが場を仕切ることが多くて、こうしてリーダー役を買って出てくれる。でも、センターはまた別なんだって。4人ユニットだからセンターはいなかったり、その時々で変わったりする体制を取っているってプロデューサーサンが言ってた。アタシはまだ真ん中に立ったことがない。

「あっ、レッスンの準備だね? オッケー、オッケー!」

 悠貴チャンと肇チャンとお喋りしていたアタシはぴょんと立ち上がってコミカルなポーズを決めてみる。悠貴チャンはおぉーって顔をしてくれるけど、手慣れている肇チャンには平然とスルーされちゃった。
11 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:21:00.00 ID:yU6CR/tX0


「美世サン、なるべくラクな感じの方向でー!」

「もうっ、柚ちゃんったら」

 肇チャンはお姉ちゃんみたいだって思うことがある。今のやり取りもなかなか姉妹っぽくて良い。

「大丈夫、大丈夫。フマジメになったり、投げやりにならないっ。これも柚ルール!」

「そ、それは初めて聞きましたっ」

 悠貴チャンはちょっと素直すぎるかもっ。なんにでも驚いたり、笑ったりしてくれるから、ついついからかうのをやめられなかったりして、美世サンにそこまでだよーって言われるのがお決まりの流れ。
12 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:21:35.77 ID:yU6CR/tX0


 まだ始めのころのレッスンだからトレーナーさんなしで、まずは課題を自分たちで消化するところがスタート。この3人と一緒のレッスンはなかなか楽だなって思うことがある。だってボーカルは肇チャンが、ダンスは悠貴チャンが、ビジュアルは美世サンがとっても頼りになるから。

「うぇっ、アタシ、課題多くないカナっ?」

「そうですか?」

 でもそれはそれ、これはこれ。みんなの課題をちらっと見てみると、だいたいどこか良いところが書いてあって、そういうところは課題が少なかったりする。アタシは全部均等に課題が振ってある。マルもバツもなくてサンカクばっかり。ホントこういうところだなって自嘲が喉元まで出かかった。

 アタシはなにやってもフツウだ。そこが良いよって言ってくれる人が、自分だけのトクベツを見つけていくのを何度見送ってきたことだろう。自分だけの味ってなに。個性なんて言葉をアタシは知らない。だからアタシはまだどうしてアイドルになれたのか分からない。アタシにとってスカウトされたことは奇蹟だとしか思えなかった。
13 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:22:12.00 ID:yU6CR/tX0


「しょうがないっ……今日もゆるーく、楽しく、レッスン、レッスンっ!」

 アタシはずっと、お気楽に鼻歌フフフーンって生きてきたと思うんだ。それはあんまりアイドルになってからも変わっていなくて、これからも変わっていかないのだろう。だってそれがフツウの子に唯一できることだから。

 悠貴チャンにいらずらして、肇チャンにこらこらって顔をされて、美世サンにシメてもらう。なんでも最初からできるわけじゃないけど、フツウの範囲でちょっとだけできるようになったら嬉しい。それがふらふらと歩く私にはとっても似合ってる。

 アタシは今日のレッスンも楽しかった。いつも通りに。
14 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:22:40.12 ID:yU6CR/tX0





「レッスンの調子はどう?」

「へへっ、すっごく楽しいよーっ♪」

 レッスン終わり、こうしてプロデューサーサンがアタシの家まで送ってくれることも珍しくなくなった。満員電車はイヤだし、そういうとこ汲んでくれてるのかなーって思うと嬉しくてくすぐったい。こういうときは助手席に座らせてもらえるのもなんだかトクベツ感があって好きだ。みんなにも同じコトしてるのかな?

 他愛のない会話、ゆったりと流れ続けるラジオ。時々プロデューサーサンの横顔を見ながら、こうかな、あれかなっていろんなところにトスを出してみる。どんなトスもプロデューサーサンなら拾ってくれる。それがついつい楽しくって、今日の表情をちゃんと見ていなかったのかもしれない。
15 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:23:14.27 ID:yU6CR/tX0


「なぁ、柚」

 アタシの家が近づいてきた頃。そのトスが急に鋭くなったことを声色で気付いて、アタシは身構える。なにか怒られることしちゃったかな。トレーナーさんに怒られるのは慣れっこだけど、プロデューサーサンに怒られるのはイヤだなぁ。一度深呼吸をしたことを気付かれないように祈りながら、ロブを打つようにできるだけふんわりと返す。

「……なーにっ?」

「今度のステージのことなんだけど」

「ん」

「柚にセンターをお願いしたいんだ」

 赤信号、街ゆく人も周りの車も、ラジオから流れる音楽も、すべてが止まった。
16 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:23:44.01 ID:yU6CR/tX0


「……っ」

 それは難しいコトなんじゃない? アタシの中の警報が真っ先に告げる。真ん中ってのは全力で頑張るコトをしているヒトのための場所なんじゃないかって。そこにアタシが相応しいとはどうしても思えなかった。

「こ、今度のステージのテーマはなに?」

「ほらっ、歌なら肇チャンだし、踊りなら悠貴チャンだし、見た目なら美世サンだし!」

「……テーマは冬なんだ」

 その声色がまっすぐすぎてアタシは何も言えなくなってしまう。「Four Wind Colors」。アタシ、悠貴チャン、肇チャン、美世サンのユニットの名前。季節をテーマにしたアタシの大切なつながりのひとつ。

 冬はトクベツな季節だ。きっとユニットのだれにとってもトクベツな想いはあるのかもしれないけれど、春夏秋冬、全部がアタシの季節だと思うこともあるけれど、それでも冬はずるいくらい大切なものだ。
17 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:24:26.17 ID:yU6CR/tX0


 急にプロデューサーサンが分からなくなった。アタシの気持ちを分かってくれているのか、そうじゃないのか。

「あ、アタシはっ」

「前にでるタイプじゃないって言うんだろ?」

 アタシはちょっと下がったところで、みんなを盛り上げるくらいが安心なんだ。それがアタシたちふたりだけの内緒だと信じていたのに、そっと裏からサポートしてくれてるってたくさん感謝していたのに。

「今の柚なら大丈夫。柚にはもっともっと楽しいことをあげたいなって、そう思ってる」

 プロデューサーサンの一言は今日一番ずるかった。
18 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:24:53.64 ID:yU6CR/tX0


 託されようとしているものの重さなんか知らないくせに、膨らむばかりの想像に苦しむ。いろんな人にがっかりされるアタシの幻にカラダの震えが止まらない。これは冬のせいかな、それともプロデューサーサンの、アタシのせいかな。 答えに迷っている間に車はアタシの家の前に着いていた。

「今すぐ答えがほしいわけじゃないよ、ちょっと考えてみてほしい」

 テールランプがカーブの先に消えた。アタシは寒空の下、まだ立ち尽くしている。
19 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:25:27.43 ID:yU6CR/tX0





「わぁっ」

「はい、悠貴チャンの勝ちーっ」

「やっぱりおかしいって、普通の運転ならこうはならないよー」

 勝利の笑顔でゆるんだ悠貴チャンをぱしゃり。がっくりしてる美世サンの姿は勘弁してあげよう。この前の悠貴チャンのお誘いを断っちゃった代わりに、みんなでゲームセンターに遊びにきたところ。車に詳しいからこそレースゲームには混乱しちゃってる美世サンは面白い。肇チャンと顔を見合わせて、アタシはまた笑った。

 あれから何日も立った。何にも手がつかなくて、よく転んだりして、いろんな人に心配された。きっと今日の誘いにみんなが乗ってくれたのも、そんなアタシを見かねたのかもしれないってモヤモヤがずっと消えなかった。
20 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:25:56.10 ID:yU6CR/tX0


「次はなにしよっかーっ♪」

 それをできるだけ顔に出さないようにいつもよりもはしゃいでみたりする。そんなアタシはピエロみたいだと思う気持ちを精一杯誤魔化そうとするけど、全然追いつかない。いつか誰かにそっと触れられてしまうことが怖い。それなんだったらいっそのこと。

「柚ちゃん?」

 完全に固まってしまっていたアタシのぼやけた視界に肇チャンの優しい顔が写る。悠貴チャンの顔も美世サンの顔もはっきりしてくる。みんながこっちを向いてる。いつのまにか包囲されてしまっていた。
21 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:26:22.22 ID:yU6CR/tX0


「柚ちゃん、どうかしました?」

「……今度の公演でセンターをやらないかって」

 自分でもこの答えは意味不明だと思った。慌てて取り繕おうとしてもどうしたらいいか分からなくて。でも、美世サンは首を傾げることもなく素直に受け取ってくれた。

「そうなんだ! 冬は柚ちゃんの番なんだね」

「そのっ、まだ受けるかどうか迷っててっ!」

「え、どうしてですかっ?」

 素直な悠貴チャンの一言はなかなか重かった。自分史上一番深刻に捉えているアタシが考えすぎなのかな。アタシの世界の見え方がフツウじゃないのかってぐらぐら揺れてしまうほど。
22 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:26:55.94 ID:yU6CR/tX0


「えっ、えっ、みんなは迷ったりしないの?」

「うーん、ちょっと勇気がいるなって思うことはありますけどっ」

「あたしのときは光栄だって思ったなぁ」

 人は人、アタシはアタシだ。でもこうも考えてることが違うんだってことが一瞬ココロの中をよぎる。でも顔に出すにはアタシは臆病すぎた。その間に話はこれまでみんながセンターを務めてきたステージのことに変わっていく。

「肇ちゃんのときはもう歌がすごかったよね」

「悠貴ちゃんはスタイルから踊りが映えてました」

「いえいえっ、美世さんは大人の女性って感じがして素敵でしたよっ」
23 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:27:37.08 ID:yU6CR/tX0


 みんなにとってのトクベツがどこかにあるんだってことをアタシはまた目の前で見送るだけなんだろうか。好まれるような強くて優しいヒトじゃないのは、そして、どやってできるなにかがないのは、どうしてだっけ。

 アタシにとってセンターは眩しいスポットライトのあたる場所。トクベツなヒトのための場所だ。

『今の柚なら大丈夫』

 聞こえないはずのプロデューサーサンの声がリフレインする。ねぇ、今度こそ、今度こそ。マジメになったらアタシは変われるかな。そんなココロの叫びは誰にも聞こえなかったはずなのに、その答えを返すように3人が笑うから。アタシはまた分からなくなってしまう。

「柚ちゃんならきっと大丈夫です」

「うんうん」

「はいっ」

 みんなが次のゲームを求めて歩き出す。遅れて数歩。アタシはアタシのことを信じてあげられないけど、そんな顔をしてくれる友達のことは信じさせてくれないかなと、なにかに願った。
24 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:28:04.14 ID:yU6CR/tX0





「プロデューサーサン、時間ある?」

 みんなと遊んだあと、オレンジのお日様がそっとその目を閉じていく時間。予感が導いてくれるままに事務所へと向かっていく。エレベーターがあがっていくのさえ舞い上がる雪みたいにゆっくりに感じられた。ルームのドアを開ければ、目的の人は思ったとおりに、土曜日だっていうのにいつものデスクに座っていた。

「ちょっと待っててな、これを打ち終わったら」

「おっつかれサン♪ コーヒーでもいれてあげよっか?」

「なんか用事で来たんだろ? 俺こそ淹れてくるよ」

「いいから、いいからーっ」
25 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:28:32.73 ID:yU6CR/tX0


 プロデューサーサンの顔を見続けていたら、なんだかいろんなものが揺らいじゃうような気がして、給湯室へとさっと逃げる。やかんのお湯が沸くのを肘をついて眺めていることに気付いてこれは重症だって苦笑いをした。お揃いの模様で並んだマグカップ。お湯をどれだけゆっくり、ゆっくり注いでも、あっという間に終わってしまう。時間稼ぎにはどうやらなってくれないらしい。

「はいっ、コーヒーお持ちっ!」

「ありがとな」

「で、何の用事だったんだ?」

 待ってましたと言わんばかり。当然の質問の答えに詰まる。マグカップのコーヒーに写ったアタシはどんな顔をしているだろうか。全然言い出せなくて、揺れる水面に合わせてぐちゃぐちゃだったりしないだろうか。
26 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:28:58.96 ID:yU6CR/tX0


「ちょっと待って、待ってっ」

「ん、いつまでも待つよ」

 プロデューサーサンがゆっくりと微笑む。アタシたちが出会ったときの光景が重なってみえる。そのことにアタシのココロは耐えられなくて、ようやくぽつぽつと言葉が零れ落ちていった。

「柚さ、昔から目立ちたがる子じゃなかったんだ」

「知ってる」

「よく袖チャンってからかわれた、楽しいことも袖で見てるだけーって」

「……それは知らなかったな」
27 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:29:27.43 ID:yU6CR/tX0


 楽しいことがあっても、前髪とパーカーで隠して、袖で見ているだけの女の子。前髪をぱっつんにしたのは変わろうと思ったからだっけ。袖で見ているのは変わらないまま、でも楽しい雰囲気を味わうことはできるようになった。

 アタシだってトクベツになりたいよ、プロデューサーサン。現実と理想の間をふらふらと歩いてきたアタシにとって、マジメで全力なことは眩しすぎる。ずっと怖くて逃げてきたことだけれども、変われるなら変わってみたいんだ。

 センターはきっと誰もが一度は憧れる場所。これまでのアタシには似合わなくても。これからのアタシには?

 長い人生どこかで頑張りどきってのはやってくるんだろう。今こそマジメになってみるときなのかもしれない。でもそれをまっすぐ伝えられなくて。ココロの奥底を、弱さを決して見せないように、できるだけ明るく、おどけて。
28 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:29:56.00 ID:yU6CR/tX0


「あのね……」

 最初の一言が思ったよりも弱々しくて慌てて取り繕ってしまう。これじゃ心配されちゃう、ダメダメっ。

「ゆ、柚チャン、センターやっちゃうよっ!」

「……大丈夫か?」

 プロデューサーサンには逆効果だったみたいだ。ほんの少しだけ怪訝な色が混じったことをアタシは見逃さない。

「大丈夫、大丈夫♪」

 今度はちゃんとした声色になった。ちゃんと悩んだし、相談もしてみたし。それに。

「柚にだって、特別に光るなにかがあるはずだし? プロデューサーサンが選んでくれたんだから」

 なにより、あなたが望んでくれるなら。たまには一番だって目指してみてもいいでしょ。
29 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:30:57.14 ID:yU6CR/tX0





 マジメ柚チャンがどこにいるか知ってるカナ? みんな知らないんだって、アタシも実は知らない。だけどセンターって1番目立つところに立つなら、このままじゃダメだってことだけは分かってる。だから探しにいってあげなくちゃ。

「柚さんっ、おはようございますっ」

「ふぁぁー……おはよー、悠貴チャン」

「眠そうですねっ、一緒にストレッチからしましょうっ」

 朝7時、女子寮の前で、悠貴チャンと待ち合わせ。早寝早起きはしてるつもりだったけれどさすがに眠くて。しばらく朝ご飯を早めにしてってお母さんにお願いしたら、熱でもあるのかって顔で見られてしまったことは内緒にしておこう。悠貴チャンの手を借りながら足や背中をぐいっと伸ばす。
30 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:31:24.19 ID:yU6CR/tX0


「柚さんが一緒に走ろうって言ってくれるなんてっ、嬉しいですっ!」

「この前は駅伝のお誘い断っちゃったし、それにちょっとねっ」

「ちょっと?」

 まだのんびりとしか動けないアタシと違って、きびきびとストレッチを進めていた悠貴チャンの手がふと止まる。こちらを見つめてくる瞳がなにか面白そうなことを見つけたみたいにきらきらを帯びていく。

「なにかあるんですかっ? なんですかっ?」

「内緒ーっ♪」

「えーっ、教えてくださいよっ」
31 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:31:57.31 ID:yU6CR/tX0


 ふたりの笑い声が白くゆらめく呼吸と一緒に朝焼けの空に響く。ゆっくりと走り出せば、悠貴チャンはペースを合わせてくれる。部活のときはもっとだらっとみんなで走ってるなーなんて反省すれば、なんだか今の自分が熱血漫画の主人公になったような気分になる。いやいやいや、それはアタシのキャラじゃないっ。

 「センターのこと、受けられたんですねっ」

 走っている間、いつものお返しとばかりに悠貴チャンの質問攻めにあったアタシは、とうとうこの企みの本音をバラしてしまった。悠貴チャンの反応が、アタシのことを信じてくれたあのゲームセンターのときと同じだったことにすごく安心する。

「アドリブとかしたら怒られそうだなーっ」

「私は柚さんのアドリブの振り付け好きですよっ」

「でもでも、センターなんだったらそういうとこちゃんとしないと!」
32 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:32:24.55 ID:yU6CR/tX0


「んー」

 悠貴チャンのどうなんだろうという小さな呟きは足音にかき消されてしまいそうだった。だからアタシは答えるのをやめてしまう。アタシのイメージするセンターと、悠貴チャンのイメージするセンターは少し違うのかもしれない。これはアタシが無事にセンターを務められたら聞いてみようと思う。

「それより、ダンスのコツとか今度教えてよっ」

 もうこうなったら直すとこは全部直しちゃう。生まれ変わった柚チャンになるような、そんな気分で。
33 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:33:03.90 ID:yU6CR/tX0





「ということで肇チャン先生、お願いしまーすっ」

「先生はやめてください、柚ちゃん」

 悠貴チャンとのランニングが終わったら女子寮のシャワーを拝借して、今度は肇チャンのレッスンへ。肇チャンが朝からのレッスンを欠かさないことは知っていたけれど、こうしてこの時間に顔を見合わせるのはきっと初めてだと思う。まだまだアタシの知らない景色がたくさんある。

「センターの心得も一緒に教えてねっ♪」

「うーん、心得ですか……たぶん私に教えられることはあんまりないと思うんですけど」

 そう言いながらも今度歌う曲について細かく指導をしてくれる肇チャンはやっぱり優しくて強い人だ。
34 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:33:32.32 ID:yU6CR/tX0


「どうかなっ?」

「はいっ、うんと、柚ちゃんはソロが多くなるのでもうちょっと声がでるといいですね」

「声量かぁ、すぐに身につかないかなぁ」

「そこばっかりは練習あるのみですね……」

 練習あるのみ。事務所でも歌上手な肇チャンが言うと重みがある。やっぱりアタシとは違う。もうなーんも知らない素人じゃないつもりだったけれど、どうやら全然足りないらしい。

 もっと、もっとマジメに。いつもはわざとのんびり走っていくアタシにもできないことはないんだって信じるしかなかった。
35 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:34:06.06 ID:yU6CR/tX0


「でも柚ちゃんには柚ちゃんの歌い方ってあると思います」

「えーっ、そうかなぁ」

「そうですよ」

「……アタシはもっと上手く歌えるようになりたいっ」

 上手く歌えるってすごい。ちょっとだけできる柚チャンになったアタシには、なにができそうで、なにができなさそうなのか、また良く分からなくなっていた。そういうときは誰かを頼るしかなくて。肇ちゃんはなにかを言いたそうだったけれど、アタシの目を一度だけ見てから、何も言わずにまたコンポの再生ボタンを押してくれた。
36 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:34:32.81 ID:yU6CR/tX0





 改めてセンターってなんなんだろう。ただ真ん中に立っていれば、MCの役を担えば、ステージの中心にいても怒られないだろうか。アタシにとってそこはただスポットライトがあたる場所だけにはどうも思えなかった。

「喜多見、周りを見過ぎだ! もっと自分のことに集中っ」

「はーいっ」

 アタシがセンターになるって決まってから全体レッスンにはベテトレさんが付いてくれるようになった。前までのステージだってついてくれていたはずなんだけど、どうしてかあんまり印象がない。それはきっと視線の違いなのかもって思った。今回はベテトレさんの視線の中心がアタシにあるっていうだけでもう心臓がバクバクする。
37 : ◆tues0FtkhQ [saga]:2019/12/25(水) 00:35:00.18 ID:yU6CR/tX0


 センターって指揮者みたいだって感じた。

 アタシを中心にして、周りに悠貴チャン、肇チャン、美世サンがいる配置。アタシのことが見えていても、いなくても、振りで、声で、アタシは全体の流れを作らなくちゃいけない。アタシが基準なんだってことになかなか慣れない。いつもなら気にしないことばかり気にしてしまって、振りも歌もワンテンポ遅れがちになってしまう。そうするとみんなにも影響が出て、微妙なズレがさらに大きな違和感になる。

 やっぱり真ん中って難しい。みんながセンターのときだったときはもっと、もっと良いパフォーマンスだった。まだ、まだ足りない。アタシが伸ばせる限界まで手を伸ばしてみないといけないのかも。
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