白雪千夜「足りすぎている」

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 20:44:38.25 ID:QXbKSZYO0
「お戯れを、お嬢様」
 箒を持ち直し、階段を上がろうとする私を、お嬢様はなおも引き留める。

「お戯れてなんかないよ、本気で言ってるの」
「本気であるなら、なおさらタチが悪いです」

 知らず、ため息が出る。
 お嬢様の悪い癖だ。どうやらまた始まったらしい。

「私にどうしろと仰るのですか」

「だから、さっきから言っているでしょう」
 ウンザリとした態度を見せてしまう私を尻目に、お嬢様は愉快そうに胸を張ってみせる。

「すごく大手の芸能事務所らしいよ?
 悪いことは言わないから、話だけでも聞いてみてあげたらどう? ね?」

「お言葉ですが、お嬢様はもう少し世間をお知りになるべきかと」


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2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 20:47:04.88 ID:QXbKSZYO0
 曰く、都心部へお出かけになられた際、芸能関係者を名乗る男から声をかけられたのだという。
 耳障りの良い口車に気を良くして、自らの素性だけでなく、私の事まで紹介してしまうなど――。

「そのような誘い文句は、男が女性をたぶらかすための常套句です。
 お嬢様の魅力は確たるものとしてございますが、故に安売りすべきものではありません」


「あ、じゃあ私の方も、言わせてもらうけどね」

 ぷくっと頬を少し膨らませて、お嬢様は私に顔を近づけてきた。

「千夜ちゃんはもっと自分を知るべきだよ」

「自分を、ですか」
「そう、千夜ちゃんは自分がいかに魅力的な人なのかを知らない。
 一度きりの短い人生、それはすごく悲しいことなんだよ?」

「お戯れを」
 首を振り、私は壁に掛かる時計を見上げた。

「その男は、何時にこちらに来るのですか?」
「そろそろ来るんじゃないかな。あっ、話聞いてくれる気になった?」
3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 20:48:16.40 ID:QXbKSZYO0
「キッパリと断り、二度とこの屋敷に近づかないよう、私の方から強く念を押しておきます」

 主の世話は従者の務め、とはいえ――余計な面倒ごとを嬉々として拾ってくるのは慎んでいただきたい。
 まして、相手が男では何があるか知れない。御身は大事にしていただかなくては。

「それと、どんな男か、特徴を教えていただけると助かるのですが」
「あーっ! ちょっと千夜ちゃん!」

「自分のことは、自分が一番よく分かっています。お気遣いにはおよびません」

 気まぐれを起こしたお嬢様を説き伏せることは難しい。
 これ以上は不毛な議論になるため、私は階段を上がった。

「とにかく、すごく大きな人が来るから、ビックリして警察とか呼んじゃダメだよ。
 それじゃあ、私出かけてくるね」

 そうだった。
 今日は麓の町へ出向き、4月から始まる学校の編入手続きをしに行くのだった。
 本来であれば私と一緒に済ませるはずだったが、体調を崩されてしまい、お嬢様の分が先送りになってしまったのだ。

「行ってらっしゃいませ。どうかお気をつけて」

 慌てて階下へ降り、お見送りをする。
 おじさまの車に乗り込み、お嬢様が出て行かれると、途端に屋敷は静かになった。
4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 20:50:43.75 ID:QXbKSZYO0
 ルーマニアから日本に戻り、東京での生活を始めるまでの間、私とお嬢様は黒埼家のおじさまの屋敷に身を寄せていた。
 少しの間だけでも空気の綺麗な所で静養された方が、お嬢様の身にも良いだろうという、おじさまと私の判断だった。

 東京の住居の契約は、まだ行っていない。
 いっそここから学校に通ったらどうかと、お嬢様を溺愛するおじさまのご提案もあったが、さすがに交通の難がある。
 私はまだしも、お嬢様のお身体にはご負担になるだろう。

 かといって、近ければどこでも良いという訳にもいかない。
 おじさまと一緒に物件を探してみるが、私もおじさまの気がうつってしまったのか、どこにしても不安が残ってしまう。
 まして奔放なお嬢様のことだ。危険がない所を探すことは難しい。

 やはり、どこかで決断をするべきなのだろう――。
 悩みから半ば目を背けるように家事に没頭するうちに、もう新年度が始まろうとしていた。
5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 20:53:59.86 ID:QXbKSZYO0
 窓を開け、書斎の埃をはたき、桟を雑巾で丁寧に拭く。
 屋敷の部屋数は多く、床掃除には掃除機より箒の方が取り回しは利く。
 一度、お嬢様がルンバを買ってきたことがあったが、物と段差が多いこの屋敷では限られた場所しか機能しない。精度も知れている。

 黒埼家の従者となってしばらく経つ。
 ブランクはあれど、この屋敷もルーマニアへ発つ頃と何も変わっていない。
 私には、誰よりもこの屋敷の構造を理解しているという自負がある。

 そう。私にはそれで十分だった。
 人には分というものがあり、相応の役割がそれぞれにある。
 華やかな夢に彩られた人生を送る人もいれば、それを支える人もいる。
 何に価値を見出すのかは、自分が決めること。

 だというのに、お嬢様の言動にはしばしば理解に苦しむものがある。困ったものだ。
 第一、すごく大きな人が来るとか――何かとアバウトが過ぎる。

 改めて嘆息しながら、お嬢様のベッドのシーツを直していた時、呼び鈴が鳴った。


 招かれざる客が来たか――。

 私は手短に最低限の身だしなみを調え、玄関に歩み寄ってドアスコープを覗き込んだ。

 視界は真っ黒だった。
 おそらく、その男のスーツだろう。ドアのすぐ傍に立っているとは、よほど勇んだ性格と見える。

 お嬢様はああ言っていたが、いざという時は、その手合いを呼ぶことになるだろう。
 私は覚悟を決めて、慎重にドアを開けた。
6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 20:55:09.24 ID:QXbKSZYO0
 ――――。

 なるほど、お嬢様の言ったことは間違っていない。

 私を待ち受けていたのは、まるで熊のように大きい男だった。
 ドアスコープの視界が真っ黒だったのは、この男がドアのすぐ近くに立っていたのではなく、あまりに体が大きいために視界が塞がれていたからだと理解した。

「白雪千夜さん、ですね?」

 私の名を確認しつつ、男は胸元から名刺を取り出し、その厳めしい体格とは不釣り合いなほど慇懃な姿勢で腰を折った。

「私は、こういうものです」

 両手で丁寧に手渡された、その名刺に書かれた名前は――。



「……さんびゃく、よんじゅうろく、プロダクション?」
7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 20:56:11.74 ID:QXbKSZYO0
「みしろ、と読みます」

 首を傾げる私に、男は注釈を加えた。

「弊社の代表が『美城』と申しますので、これを当てた数字となります」


 ――346プロダクション。

 シンデレラプロジェクト、プロデューサー、か。

 珍妙な名前からして、信用ならない会社だ。
 シンデレラなどという調子の良い文句も、夢見る女子を釣り上げようという邪な意図を感じずにはいられない。

 だが、お嬢様は話を聞くようにと仰った。


「どうぞ、中へ」
8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 20:58:21.36 ID:QXbKSZYO0
 男をゲストルームに案内し、紅茶を出す。
 椅子の背にもたれることの無いまま、男は頭を下げた。まるで背中に大きな定規が刺さっているかのようだ。

「コーヒーの方が、よろしかったでしょうか」
「いえ、お気遣いなく……あの」
「何か?」

 男は部屋を少し見渡して、不思議そうな表情を浮かべて私を見た。

「あなたは、お掛けにならないのですか?」

 ――お茶を出した後も、私が立ったままでいるのが気に掛かるらしい。
 お嬢様からは、聞かされていないのだろうか。

「なぜ私が立っているのか、その理由は二つです。
 一つは、私が黒埼に仕える従者であること。
 主の命令を抜きに、私がこの屋敷にあるものを自由に扱うことなどありません」

 まるで奇異なものに直面したかのように、男は目をしばたいている。
 人に仕えるということに馴染みが無かった男なのだろう。

「そしてもう一つは、あなたと長話をする気など無いという意思表示です。
 どうぞ、ご用件をお話しください」


 男は、首の後ろを掻いて、その手を膝に置き直した。

「あなたには今、夢中になれるものはありますか?」

「えっ?」
9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 21:01:50.98 ID:QXbKSZYO0
 大方、歯の浮くような誘い文句が矢継ぎ早に飛んでくるのだろうと思っていた。
 私のような魅力の無い者に、どのような褒め言葉を繰り出してこれるものかと、高を括っていたのは認める。

 しかし――少し意表を突かれたが、男の続く言葉にはある程度の予測はついた。

「……この家に仕えること。それが私の使命です」

 私はかぶりを振った。

「夢中になるというのは、余裕のある者のみに許された行為です。
 お嬢様をはじめ、黒埼の世話をすることは、私にとって夢中になるならない以前に、行わなければならないこと。
 今の私が持て余しているものなどありません」

 この男は、私を芸能界へスカウトしに来た。
 鬱屈した、漠然とした不満感をくすぐって、これまでどれほどの夢見る思春期世代の女子を誘い込んだことだろう。
 安いロジックに惑わされるほど、私は自分を見失ってなどいない。

「それで、今のあなたは幸せなのですか?」

 しかし、なおも男は、真っ直ぐに私の目を見て問いかけてくる。
10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 21:04:51.45 ID:QXbKSZYO0
 ――知った風なことを。
 人の幸不幸を、この男は定義できるというのか。

「はい、幸せです。
 他に何か、ご用件はありますか?」

「アイドルに興味は…」
「ありません。先ほど申したとおり、余裕も興味も、これっぽっちもありません。
 他には何か?」


 言葉に窮したらしい男は、もう一度首の後ろを掻いた。
 困った時の癖なのだろうと推察される。

「また、お伺い致します」

 頭を下げ、男が椅子を引いて立ち上がったのを見計らい、私は玄関へエスコートした。

「生憎ですが、もうお越しいただかなくとも結構です」
 ブレずにキッパリと言い切る。ここで対応を誤っては、後々面倒だ。

「お嬢様ほどのお方であるならまだしも、アイドルなるものについて、私に務まる要素などありません。
 あなたも、私のような者にいつまでも構うことなく、本来のお仕事をなされた方がよろしいかと」
11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 21:06:17.92 ID:QXbKSZYO0
 こんな山深くまでわざわざ足を運んできた相手に対し、いくらか気が引けた思いも無いわけではない。
 だが、この男も好きでここに来たのだ。たとえ骨折り損で終わることに、まさか文句は言うまい。


「最後に、一つだけお伝えしたいことがあります」

 ドアを開け、退出を促したところで、男は再び口を開いた。

「あなたがこの屋敷に仕える喜び、そこから得る幸せを、否定するつもりは毛頭ありません。
 私は、あなたに可能性を提示したいのです。
 一歩を踏み出し、広がった世界で出会うものの尊さもあるのだと知ってほしい」

「言わんとすることは、分からないでもありません」
 そうやって新たな売り物を手に入れたいという意図は。

「ですが、それを私が求めるかどうかは別の話です。お引き取りを」
12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 21:08:59.79 ID:QXbKSZYO0
 頑とした態度を見せつける私に、男は黙って頭を下げて車に乗り、屋敷を去って行った。


 まったく――芸能界というのは極めて図々しい輩の集まりだな。
 一体何様のつもりだろうか。

 だが、自分の仏頂面に感謝する。
 これだけ愛想の悪い態度を見せつければ、あの男も見当違いだったと納得したことだろう。


 アイドル――と言ったな。

 イメージが微塵も沸かない。
 お嬢様は私に、一体何を期待したというのか――。

 つくづく困ったものだ。
13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 21:10:39.25 ID:QXbKSZYO0
 一通り家事を終えて自室で休んでいると、時計は夕刻を指そうとしていた。

 おじさまとお嬢様、遅いな――。
 だが、そろそろ夕食の準備をしなくてはならない。

 昨日は魚、今日は――挽肉があったから、ハンバーグにでもするか。
 他のおかずは、サラダと、オニオンスープ――ほうれん草もソテーして、野菜室もさらえてしまおう。
 明日は買い物に出る必要があるな。


 ――むっ。
 冷蔵庫の余りものをまとめて片付けようとしたのが間違いだったか。
 少々、量が多くなってしまった。

 おじさまや私はともかく、お嬢様は小食だ。
 今日の夕餉は、タッパーの出番が多くなることを覚悟する。

 下ごしらえをして、おじさま達をお待ちする準備が整ったところで、呼び鈴が鳴った。
14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/11/22(金) 21:12:27.40 ID:QXbKSZYO0
 ――?

 妙だな。おじさまもお嬢様も、帰宅を報せるのに呼び鈴を鳴らすことはない。
 また客人だろうか。こんな時間に?


 玄関のドアスコープを覗き込むと、視界は真っ黒だった。

 日が落ちたからではない。
 この黒は――あの男のスーツだ。

 三顧の礼といったところか。
 だが、舌の根も乾かぬうちにやってくるとは図々しいにもほどがある。

 私はつい、ドアを勢いよく開けた。

「言ったはずで……? ……!?」


「ただいまー、千夜ちゃん♪」
「夜分に、失礼致します」


 ドアの前には、先ほどの男と――お嬢様が、並んで立っていた。
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