【艦これ】山城「不幸のままに、幸せに」

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122 : ◆yufVJNsZ3s [sage saga]:2019/10/15(火) 01:58:02.25 ID:ZRvbolp/0
>>121
ありがとうございます。今すぐにギャルゲーシリーズと単発作品も網羅しましょう。
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/16(水) 03:49:46.26 ID:4lvS3kWIo
没になったトラック島は壊滅しましたからみてる
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/17(木) 13:51:23.60 ID:blhg1PulO
ギャルゲーから
全部すき
125 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:02:58.20 ID:oirXOrgR0

「……」

 紺色のスクール水着を身に着けた少女たちが、私たちの目の前に立っていた。一人の男を囲むように――護るように、一部の隙もなく。
 その佇まいは一見すると傅く下女のようでさえあるのに、私は熱気にも似た空気の泥濘に囚われて、微動だにできない。手のひらが汗ばむがそれさえも拭えず

 八畳か十畳かそれくらいの広さのレンタルオフィス。その男は安っぽい椅子に背を預け、さわやかな笑みを浮かべている。随分と美形で、広報官がどこかの芸能事務所から連れてきたと言えば信じてしまいそうになるくらいだが、けれどその笑みの奥底は知れない。
 私たち「浜松泊地」のメンバーは、後藤田提督を先頭に、壁を背にして直立している。両足の踵をつけ、背筋をぴんと張り、間違っても不敬のないように。

126 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:03:38.70 ID:oirXOrgR0

「後藤田、元気か。調子はどうだ」

「可もなく不可もなく、と言ったところです」

 恐らく後藤田提督の方が年齢は5、6も上だろう。ただし三尉と一佐、階級の差は歴然としている。空と海という管轄の違いはさして垣根の役割を為さない。
 とはいえ、その関係性はどこか気軽さもあった。男は軽く提督へと話しかけるが、そこにはきちんとした敬意が払われているように感じられたし、提督も敬語で応じこそするけれど、あくまで形式的なものに過ぎない。

「また新しい艦娘を拾ったんだってな。その後ろの美人がそうか」

「てーとく」

 側近のうちの一人、桃色の髪の少女がじろり、睨みつけた。男は喉の奥で笑う。

「悪い悪い、怒るなよゴーヤ。冗談だ」

「ったく」

 眼鏡の少女が額を抑える。桃色の少女が腕を組む。瞳に星の散った少女があくびを噛み殺す。紅色の少女が大きく嘆息。
127 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:09:03.23 ID:oirXOrgR0

 その一連のやり取りは、きっと五人の間でのみ通じる符丁のような何かだったのだろう。わたしと姉さまが目配せで意図を伝え合っていたように、そうやって五人は互いの絆を確かめ合っているのだ、そんな気がした。
 彼女たち全員の薬指には指輪が輝いている。

「ま、新入りに話があるのは本当だ。おれは国村。国村健臣。名前くらいは聞いたことあるだろう? ……というのは少し自信過剰にすぎるか」

 反応していいものだろうか? 周囲を窺うと、後藤田提督から大淀、大鷹まで、みんなが私を見ていた。
 唾を呑みこんで、半歩前に出る。

「いえ、お名前だけなら何度も」

「そうか。おれも随分と有名になったもんだな」

「有名税もだいぶ払ってるでち」

「まぁそう言うなよ。たま……田中のおっさんの後釜ってだけで、敵が多くっていけねぇ」

「ちなみに、そこのコンセントんとこに盗聴器仕掛けられてたのね」

「やっぱりか。確認させといてよかったな」

「どうします? このレンタルオフィスの法人、裏とりますか?」

「どうせ小金もらった従業員の仕業でしょ。わかりっこないわよ」

128 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:12:22.20 ID:oirXOrgR0

「お前ら少し黙ってくれ。おれは『浜松泊地』に用があって、北海道まで来たんだ。
 んで、新入り、CSARにはもう慣れたか?」

「いいえ、残念ながら、入って日が浅いので」

「いずれ嫌でも慣れる。それこそ『残念ながら』だが、おれは人遣いが荒い方なんだ。悪く思うなよ。おれのせいじゃない。おれに仕事のやり方を教えてくれた野郎のせいだ。
 おっと、失礼。話が脱線したな。なに、難しい話じゃねえ。軽い説明なら後藤田やらお仲間からあったろうが、決して忘れて欲しくない本懐というものもあってな」

 本懐。CSARの? それとももっと政治的ななにか?
 わからない。この国村一佐という男の、それこそ本懐が読み取れない。真意を探ろうとしているうちに、気づけば手のひらの上で踊らされているのではないか、そんな疑念。いや、探ろうとする行為そのものが既に呼び水?

129 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:13:32.04 ID:oirXOrgR0

「勘違いしないで欲しいんだが、CSARは単なる救助作業じゃあない。勿論、誰かを救うことは名誉なことで、重要なことだ。だが、本懐はそこになく……つまりおれたちは、大人の都合で誰かが犠牲になるのを防ぎたいわけだ」

「……」

 私は心の中でいま彼の言った言葉を反芻し、肚の中へと納めて、どうして後藤田提督と親密なのかを理解した。似たような言葉を、先日、私は甲板の上で聞いている。

 大人の都合。犠牲。
 このひとは、私がそうやって使い潰されそうになって、沈みかけ、拾われて、そうした紆余曲折の結果としてここに立っていることを知っているのだろうか? ……知っているのだろう。無根拠にそう感じた。同時に、それは随分とおかしな話であるようにも。
 現場主義者の国村健臣。それはきっと彼にとっては都合が悪い立場のはずだ。わざわざ風上を向いて歩いているようなもの。何が楽しくて、あるいは何が楽しくなくて、そんな真似をしているのか。

130 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:18:48.77 ID:oirXOrgR0

「……っ!」

 つい覗き込んでしまった彼の瞳の色を見て、背筋が凍りそうになる。
 眼を逸らしてからしまったと息を呑む。けれど彼はにやり、意地の悪そうな笑みを浮かべるばかり。

「ゴーヤ」

「なぁに」

「『おれ』は狂っているか? 『俺』もまた狂ってんのかな?」

「たまにそーゆーわけわかんないことを言わないで欲しいでち」

「悪い悪い。んで、なぁ、新入り。他人のために頑張ってくれよ。自分のために頑張ると、人間、とかく手を抜きたがる生き物だ。理屈と膏薬はどこにでもつく。自分に言い訳をするのは簡単だからな」

「……善処します」

 言って、疑問が浮かぶ。他人のために。誰のために?
 私にはもう、そんな相手なぞどこにもいやしないというのに。

131 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:19:49.25 ID:oirXOrgR0

「んで、後藤田よぅ。目的の用事なんだが」

「はい」

「『イベント』の予兆が感知された。お前らにも当然出張ってもらうことになる。忙しくなるから覚悟しておいてくれ」

「イベント、ですか」

 僅かな逡巡、思案の間を挟んで、後藤田提督。

「……眉唾だとばかり思ってましたが」

「深海棲艦が徒党を組んで襲ってくるだなんて、気軽に話せる内容じゃねえよ。ただでさえ色々うるせぇんだ。戦争をやめろだの、艦娘の労働環境がどうだの……敵と和解できないのか、だの。ひひひっ」

 深海棲艦という存在、艦娘の在り方、敵対路線――どんなに最善を尽くそうと試みたところで、反対する派閥は必ず出てくる。それも同じ組織の中からではなく、市井の一般人の中から。
 私たちは既に辟易し、耳を塞いでいるそれら外野の声を、さすがに上層部はまるきり無視はできないのだろう。少なくとも、「意見を参考にします」というポーズはとっておかなければならない。

132 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:26:45.25 ID:oirXOrgR0

 そんな中でのイベント――私も後藤田提督ときもちは同じだ。まさか本当に、深海棲艦による統率のとれた襲撃があるだなんて。

「そんな顔をするんじゃねぇよ」

 自分のことを言われたのかと思い、はっとする。しかしどうやら違ったようだ。というよりも……大淀にはじまり、大鷹、不知火、グラーフ、なんとポーラまで、信じがたいといった表情を浮かべている。後藤田提督だって。
 もしかしたらこんな表情は見慣れているのかもしれない国村一佐は、酷く不愉快そうに笑った。

「散々、深海棲艦は意識も命もない化け物だ、なーんてのたまってきてたのに、今更混乱の種なんか蒔くわけにはいかねぇよ。信じられないか?」

「頷き難いのは事実ですが、そこを問うのが仕事ではないんで」

「大人の態度だな。ありがたい。
 規模に関しては不明だが、予定では鎮首府一つ、泊地二つが合同で邀撃にあたる算段をつけている。お前ら『浜松泊地』には、通常通りの任務……つまり救難救護を頼みたい」

「敵の数、質、目的、全て不明ですか?」

「深海棲艦のことが明瞭になったことなんざ一度もねぇよ。そうだろう?
 ただ、これは脅かすわけじゃあねぇが、最悪のパターンだと……トラック、聞いたことくらいはあるだろう」

133 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:27:14.86 ID:oirXOrgR0

「あぁ……」

 ため息にも似た声を出す後藤田提督。わかる。私でさえも、その遠い南洋の泊地のことは、聞き及んでいる。
 数年前に深海棲艦の襲撃にあって滅んだという泊地。まさかそれがイベントによるものだったなんて。

「詳細は秘匿回線で共有するが、あんまりのんびりもしてられんみたいだ。近々でブリーフィングも控えている」

「わかりました。しかし、秘匿回線を使うのなら、わざわざ北海道まで来る必要はなかったのでは?」

「あぁ? そりゃあお前、あれだよ」

 どれだ?

「新人の顔も見たかったし、こういう重要な話は、最初だけでも対面しておくほうが後々いい方法に進みやすい。それに……」

 国村一佐は周囲をちらり、見回す。何があるでもないというのに。
 いや、違う。彼の周囲には少女たちがいる。手塩に育てたという噂の、はじまりの潜水艦、その四人が。

「こいつらが旅行に行きたいとうるっさくてきかねぇんだ」

134 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/19(土) 01:28:06.97 ID:oirXOrgR0
―――――――――――――
ここまで
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/19(土) 11:52:32.88 ID:y9q/Soqeo

国村さぁぁぁぁん
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/19(土) 15:38:16.83 ID:khZpo2XRo

「イベント」、なるほど「イベント」ね
137 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:10:07.92 ID:0ARiWsal0

「……この仕事も難儀ですね」

「どうした、唐突だな」

「常に哲学は個人の頭の中に、ポン、渦巻いているらしいぞ」

「そもそも山城、お前、実戦まだじゃねぇか」

「しないに越したことはないでしょうリーチ」

「『しないに越したことはないでしょうリーチ』ってなんだ、淀の字」

「期待値的にはすべきだぞ。なぁ?」

「当然だグラ子。裏も乗るしな」

「いえ、まさにその通りで」

 私は手元の牌に目を落とした。牌姿は正直にいってよくない。十順目を過ぎてなおリャンシャンテン……素直にベタオリが正道なのだろうが、現物は二つきり。どこまで安牌でしのげるか。
 とりあえず現物だ。三萬を切る。

「チー」

 すかさずグラーフからの鳴き。二風露目だ。迷わずの打八索は生牌で、聴牌気配が濃厚。もし和了されるとしてもグラーフのほうが傷は浅そうに思える。

138 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:11:40.30 ID:0ARiWsal0

「仕事がなくていいものなのかな、と思ったの。こんな」

 対子の北を切る。声はあがらない。セーフ。

「船の中で麻雀なんかやって」

 グラーフがツモり、手牌を倒す。タンヤオ、ドラ1。500・1000。
 親っかぶりだ。連荘の目はなかったとはいえ、こうやってこつこつと削られるのが一番きつい。点数は17800でラス、トップは33500のグラーフ。満貫直撃で逆転圏内ではあるが。

「だけど、大淀の言うとおりなんだわ。『便りがないのがよい便り』というか……暇ということは、平和ということなのよね」

 こんな、暇を持て余して麻雀に興じることができるくらいには、いまの私たちには余裕があった。自由もまたあった。
 北海道を出立して幾日か経ったけれど、緊急の要請がかかることは一向になく、台風の接近による天候の不順も相まって、岩手のあたりで停泊を余儀なくされている。外に出たところで寂れた港があるばかり。必然的に引きこもらざるを得ない。
 こうやってのんびりとしていられるのは仮初の平和に過ぎないのだろう。こうしている間にも、きっと、世界のどこかで誰かが苦しんでいる。泣いている。不幸な目に遭っている。この安寧は単なる無知に他ならないのだ。

139 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:13:38.90 ID:0ARiWsal0

 だから、知覚できない以上は、この世界は平和なのである。麻雀に興じられる程度には。
 
 そうなのだろうか? そうなのだろう。それは随分と利口な――「お利口さん」な判断のように思えてしまって仕方がない。

 姉さまの、諦念に満ちた笑顔が、脳裏にちらつく。

 誰かを救うために自らを犠牲にする必要はないと提督は言った。普く正しさを凝縮したような言葉。ただし、それは後藤田一という男の言葉ではないように感じた。あくまでCSARを預かる「後藤田提督」の言葉なのだと。
 本心はなかったとしても、蓋し至言ではある。私だって誰かの身代わりになりたくて入隊を希望したのではない。
 自分の手に余ることを望んでも零れ落ちていくばかり。それもまた後藤田提督が私に言ったことだ。過去や未来、あるいは期待や誇りを胸に抱き、人は死地へと飛び込んでいく。しかしできないことはできない。高潔な志は最後のひと踏ん張りを与えてくれるが、互いの力量差をひっくり返すほどではない。

140 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:15:17.17 ID:0ARiWsal0

 拳を握りしめる。
 不幸というこの困ったやつを、力いっぱい殴りつけたとして、玻璃のように砕けてくれるものか?

「山城」

 声をかけられてはっとする。オーラス、一巡目。まだ私は手をあけてもいない。

「……これは」

 十種十一牌。南、白、そして九筒だけが欠けている。ドラは發で、それが二枚。

 最後にこんな爆弾を寄越してくれて。
 倒して流したところでどうにもならない。どうせラスなのだから、前に出るしかない。
 とはいえ聊か判断に困る。欲しいのはあくまで満貫直撃、あるいは倍満ツモ。役満は少しばかり贅沢に過ぎる。特に国士なんて警戒される可能性は高いのだ。

 ドラの發が二枚あるのもまた難しい。早い順目で鳴ければドラ3狙いもできるが、この局面でドラが簡単に出るとは思えない。流局すればいいだけのグラーフは硬く打つはずだし、大淀も牌は絞る方だ。頼みの綱は提督だけ。
 そしてドラ3を目指すのであれば、この牌姿は単なるゴミに等しい。混一を絡めても跳満止まり。

 とりあえず、急かされるように二策を切る。

141 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:16:35.13 ID:0ARiWsal0

 2着の大淀は28100点、3着の提督は20600点。大淀は5200出上がりでもだめだし、1000・2000ツモでもだめ。1300・2600以上がトップ条件。提督は満貫をツモれば2着には浮上できるものの、それは私も状況は同じで、苦しい勝負と言っていい。
 さて、どうするか。こんなところで引いてきた――この半荘で初めての――赤五萬を憎々しげに眺めての逡巡。
 この役満風な配牌は罠なのではないか? くそったれな神様が不幸な私に見せつけた偽りの甘露なのではないか? 国士無双は難しく、それならば満貫ツモ、あるいは大淀かグラーフからの出上がりを期待したほうが、まだ上がり目は有りそうな気がする。
 その可能性を追求するならば、この赤五は重要だ。發が暗刻にならずともドラ2赤1で満貫がとれる。ダマテンにならないのは痛いが……。

142 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:18:06.78 ID:0ARiWsal0

「戦争の最中にも一過性の平和はあります。台風の眼のような」

 大淀は手牌をかちゃかちゃと弄びながら、薄く笑う。

「戦いなどないほうがいいのは当たり前ですが、戦いなどないのが当たり前という認識は、極めて深刻な誤謬を我々に齎します。備えた上での平和なのです。平和の上に胡坐をかいて、備えないなどもってのほか」

「おう、淀の字、急にどうした」

「いえ、山城さんが随分悩んでいるみたいだったので」

「我々艦娘は、随分れっきとした備えだからな」

「えぇそうです、グラーフさん。我々自身が戦いから眼を背けるのは敵前逃亡に他なりません。致命的な……名誉を傷つける敗北です。負け犬と呼ばれてもおかしくはない」

「私は負け犬にはならないわ」

 赤五を切る。僅かに三人の顔色が変わる。

143 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:19:05.90 ID:0ARiWsal0

 私はやはり怒っているのだろう。ありとあらゆる、様々なことに。身の回りに普く不幸や、助けられなかった誰かや、これからまみえる戦火に包まれた海に。
 生きることは辛いことの連続だった。ただ、それでも、辛いことに慣れたことは一度もなく、そして生きたくないなんて思ったことも一度たりとてない。負けてばかりの人生だが、人生と敗北を等号で結びつけるような人間ではない。

 苦しく死ぬか、楽に生きるか。

 後者を選ぶには、私は少し、不幸に過ぎた。

 きっとこの怒りをぶつける矛先を探しているのだ。
 頭上の拳を振り下ろし、勝ち取ってこその人生なのだ。

 目指すは役満、国士無双。

 ツモは進んでいく。河は二段目へと差し掛かり、山も半分近くが消えた。發は出ない。シャンテンも変わらない。發、東、一萬が対子の十種十三牌。残るは白、南、九筒。

「クソ、どうする……?」

 提督が唸る。舌打ちをして、手牌をじっと眺め、そして一枚に手を懸けた。

「どうだっ」

 發。

144 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:20:51.13 ID:0ARiWsal0

 視線が吸い寄せられる。手が止まる――止まってしまう。まずい。大淀とグラーフがこちらを見る。ばれた。發が手元に二枚あること、そして何より、僅かな逡巡を。
 発声を迷ったということは、まだ聴牌してないということである。役満の気配はそれだけで他家の動きを止める。が、それはこちらが聴牌している「かもしれない」からこそ作用する。
 なんてことだ。自分で自分に怒りが向いた。この卓における私の脅威は消滅した!

 ここぞとばかりに大淀が白、そしてグラーフも合わせての白。ドラ表示牌が白なので、あと一枚。
 私のツモ――發。發! どうする? どうする!?
 發ドラ3だと満貫止まり。混一、あるいは対々をまぜて跳満。だめだ、足りない。ツモってもグラーフは捲れない。二着で満足するか? できるのか?

 指先が汗で滑る。

「私は負けない」

 ツモ切り。あくまでゴールは決まっている。

 勝ち負けとは結果だけで論ずることのできることではない。たとえ今負けていても、不幸の最中であったとしても、勝利を、幸福を希求しもがくこと、その姿勢、それこそがこの山城という女の道程に他ならない。
 血を吐きながら、這いつくばって、無様に、みっともなく。

 私は幸せを目指す。怒りに身を焼きながら前へと進んでやる。

145 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:21:27.74 ID:0ARiWsal0

「ツモ切りってことは、ひとまずこれで安心だな」

 そう言って、提督の手から放たれたのは、無情な白。
 ほっと弛緩した空気が流れる。これで私の役満の目は消えた。グラーフも、大淀も、私を意識から外そうとしている。蚊帳の外に置こうとしている。

 許せない。

 させるものか。

 大淀が怪訝そうな目でこちらを窺っている。私の目に、闘志が宿っていることに気付いたのだろう。
 私にはまだ道が残されていた。混老七対子、リーチ、ツモ、裏裏で倍満。目指すべきは勝利、勝利するにはそれしかない。

 ツモ牌は北。これで四対子。残りのツモは九回。間に合うか?

 大淀が聴牌気配。しかし点数が足りていないのか、あるいはこちらを警戒しているのか、特に動きはない。提督もツモが悪いのか先ほどからツモ切りを続けている。
 グラーフは完全にベタオリに入っており、私たち三人の捨て牌から通りそうな牌をひたすら切り続けている。

146 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:22:57.14 ID:0ARiWsal0

 残り七巡。ツモは中。
 残り四巡。ツモは九策。

「っ!」

 張った。混老七対子、待ちは西。山には、一枚。可能性はある。

「リーチ」

 打、九筒。発声はない。
 千点棒が小気味よい音を立てて卓へと転がる。

「クソ、だめだな」

 提督は、恐らく対子落としなのだろうか? 三萬を切った。名実ともに降りたのだ。

「リーチですか」

 大淀が言う。

「なら、足りますね。その三萬、ロンです」

 断么九、一盃口、赤。5200。

「御無礼」

 大淀は悪魔のような顔で笑った。
147 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2019/10/23(水) 02:24:07.78 ID:0ARiWsal0
――――――――――――
ここまで
謎の麻雀回。

なんか、こう、艦娘たちの日常をだらだらと書いていきたい。
もうちょっと漫画とかが書けたらなぁ。
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/10/23(水) 07:54:03.80 ID:DniX85fHO
こういうのも好きよ
乙乙
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/12/13(金) 00:01:21.83 ID:UUi0rN470
やっと追いついたー 次の更新はいつかな?
150 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:15:54.79 ID:5AFgp54J0

「だめだだめだ。大淀、ちっとは手加減しろよ、素寒貧だ」

「いいじゃないですか。たんまりもらってるんでしょう? 『上官殿』」

 牌を倒しながら、後藤田提督は自らもまたカーペットの上に倒れた。その口調は投げやりと勝算が半分ずつで、大淀は上半身を彼へと僅かに寄せると、にんまり笑う。
 グラーフがこれまでの点数をまとめている。大淀が独走状態でトップ。グラーフは小勝ちにとどまったが、チップの枚数は誰よりも多い。三位が後藤田提督、四位が私だが、チップを加味すればトントンと言ったところか。

 私はとりあえず、誰かが崩してくれることを期待して万札を二枚出した。懐は痛いが、不思議な、不思議と、満足感があった。高揚感もまた。
 もし誰も見ていなければ、私も後藤田提督のように空を仰いでいたかもしれない。

 同じように万札をテーブルへと置き、彼は立ち上がる。

151 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:16:23.89 ID:5AFgp54J0

「余った分は呑みにでも使え」

「だめです」と、大淀。「賭け事での勝ち負けはきちんとしませんと。その上で、奢ってください」

「相変わらず細けぇやつだ。なら、戸棚の日本酒、四合瓶のほうな、あけちまってくれ。悪い酒じゃないんだが、少し甘口すぎたな」

「命令とあれば」

「んで、代わりと言っちゃなんだが、片付けは頼む。仕事からは逃げられんらしい」

 こめかみを押さえて……恐らく通信が入っているのだろう。
 私ですら気づいたそのしぐさ、大淀とグラーフが気づかないはずもなかった。一瞬で目の色が変わる。紫電が走る談話室の空気。踵を軽く浮かせ、号令ひとつで射出される火の玉のひとのかたちがそこにはある。

「落ち着け」

 短く、後藤田提督はまずそれだけを言った。

「血に飢えた狼か、てめぇらは」

「必要とあらば」

 即答の主はグラーフ。怜悧な彼女はいつもの毅然さをそのままに、顎を上げる。相手を真っ直ぐに射抜く。

「私たちにこの生き方を与えてくれたのは、他ならぬ提督、あなただろう」

152 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:16:51.89 ID:5AFgp54J0

「安心しろ、救難じゃあねぇ。事務仕事だ」

「急を要する事務仕事、ですか。プリントの提出期限が過ぎていましたか?」

 笑う大淀は、その実笑っていない。グラーフも変わらず後藤田提督の機微を見逃すまいとしている。

「当たらずとも遠からず、だな。先週の予算審議で、うちの活動内容に指摘が入ったらしくてな」

「監査でも入るのか?」

「そういうわけじゃねぇが。ま、最近は少なくなってた縄張り争いだよ。海軍だけで十分だと、そういうことらしい。会敵回数と戦闘規模、負傷者の数、弾薬や油の消費……そりゃあ、失敗した作戦を除いて計上してんだ、当然だわな」

 その声には怒りよりも呆れが強く浮かんでいたように思う。
 よっこいせ。おじさん臭い掛け声で後藤田提督が腰を起こすと、釣られるようにグラーフも立ち上がった。

「データのまとめや資料作成くらいは手伝おう」

「悪いな、グラ子」

「なぁに。私たちは一蓮托生なのだ、そんな言葉など聞きたくないな。
 それでももし提督、あなたに慮る気持ちがあるというのなら、今度酒でも奢ってくれればいい」

「はは。覚えておくさ」

「頼んだ。いい店を見つけたんだ」

153 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:17:23.27 ID:5AFgp54J0

 そう言って二人は部屋を後にした。かつん、こつん、廊下に反響する二人分の足音。

「……」

「……」

「ねぇ」

 零れた私の言葉を大淀は聞き逃さないでいてくれたようだった。すぐに「なんです?」と返ってくる。

「グラーフって」

「それ以上は、野暮ってもんですよ」

「いや、でも、あれで隠してるつもりなの?」

「えぇ、まぁ。本人的には?」

 好意を。

 私は見た。見てしまった。後ろに回した手、その指が、もじもじと乙女の喜びを示していたのを。
 色恋とは縁遠い世界にいたせいか、私自身そういうのにとても疎いから、もしかしたら間違っているのは私のほうなのかもしれないけれど。……グラーフはいまにもスキップしていきそうに思えた。
154 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:18:14.92 ID:5AFgp54J0
 年の差はかなり離れているが、それが大した障害になるようには見えない。なんなら「艦娘」というこの身のほうがよっぽどだろう。顔の好き嫌いは十人十色だから捨て置くとして、性格に関しては文句のつけようもない。
 真っ直ぐな人は心地いいものだ。あの人はぶれずにこちらを想ってくれるし、こちらがぶれないことを知れば、尊重してくれもする。たった数週間、同じ船に乗っていただけの私でさえそうなのだ。グラーフ、彼女の心境やいかに。

「うふふぅ、いーいですよねぇ、あーゆーのぉ」

 頬を赤く染めてポーラが立っていた。紅潮は、しかし、恋の話に現を抜かしているからではもちろんない。豊満な肢体に押し付けられたワインのボトルはそろそろ底が尽きそうだ。グラスさえ持っていない。まさか、喇叭?
 私のそんな疑問へポーラは親切にマルをくれた。目の前で実演してみせて、壁へと背中を預ける。

155 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:19:04.27 ID:5AFgp54J0

「来たばっかりのころ、わぁ、もう、ずーっと、こう、こうだったんですからぁ」

 眉を吊り上げてみせる。寡黙なしかめっ面。

「ドイツ軍人はみんなそうなんですかね? いや、軍人とはかくあるもの、なんでしょうか」

「そんなにひどかったの?」

「上司の命令はぁ、ぜったーい! なんでーす」

 相変わらずふわふわほわほわした調子でポーラ。

「そんなのつまんないじゃないですかぁ? ねー? 山城さんもそう思いますよねーえ?」

 私は大淀を見た。海軍のスパイを、同時に空軍の頼れる味方を。
 選ぶことができる、というのは大切なことだ。そこには当然苦しみも併存している。選択に限らず、私たちの全ての行為には責任が伴い、痛みも生まれ、だからこそ踏み出す一歩が力強くなるのである。
 大淀は選んだ。不知火と大鷹も、全てを失ってなお戦いに身を投じることを選んだ。ポーラは……。

156 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:20:43.01 ID:5AFgp54J0

「?」

 ついに空になったボトルの底を天へと向け、数滴、舌の上へと落とす。

「……」

 私だって、海の上に残ることを選んだ。選んだのだ。そう、私が。誰に強制されたわけでなく、他ならぬ自分自身で。
 このまま負け続けるわけにはいかなかった。不幸せに甘んじるわけにはいかなかった。
 幸せは勝ち取るものだ。少なくとも、私にとっては。勝ち取ってこそ。自らが手を伸ばし、掴んだものにこそ、至上の幸福が宿っている。だから私はいまここにいる。こうしている。生きている。

 もしも全てが終わった暁には、私にも恋ができるだろうか? あのグラーフのように、姉さま以外の誰かのことを想って、澄み渡る笑顔を浮かべることができるだろうか?
 あるいは、誰かの隣を歩きたいと、そう思えるときが来るのだろうか?

157 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:21:52.17 ID:5AFgp54J0

「だいじょーぶ、ですよぅ」

「……人の心を読まないでくれる?」

「ぜーんぶうまく行くんですから。そーゆーことにしときましょー。ね? だって、ヤじゃないですかぁ、肝臓のこと気にしてお酒飲むのって」

 ボトルの口を一舐めして、うふふ、と笑う。

 リズムを崩されている、と思った。まるでなんにも考えていないような彼女の、まるでなんでも見通しているような瞳が、どうにも恐ろしさを伴って私に飛沫を降らせているらしい。
 大淀はやれやれといった調子で牌とマットを片付けにかかる。私も手伝おうとした矢先、卓の手前、結局テンパイ止まりだった逆転手が眼に入った。

 これが未来の私である可能性は大いにあった。
158 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/19(水) 21:22:41.98 ID:5AFgp54J0
―――――――――――――――
ここまで。リハビリ

頑張らなくても書けるようになりました(なります)

待て、次回。
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/19(水) 23:24:12.63 ID:GhjYyNvy0
更新嬉しい
待つぞ次回
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/19(水) 23:36:09.49 ID:5dL7xoVoo
舞ってる次回
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/19(水) 23:48:55.85 ID:9aQaBcf6O
ヒャッハー更新に感謝、次をじっくり待つぞ
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/20(木) 08:54:06.84 ID:8yqurxRgo
乙乙
めちゃくちゃ待ってたから更新されて凄く嬉しい
163 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:19:50.82 ID:cZJ7+2AW0

 波を切り、風を切って、船は悠々と進んでいた。私は甲板で行き先を見ている。何もない海原を。
 平和な海だった。水平線の上に僅かな積雲が積み重なっているばかりで、空は遠近法によってその青さをどんどん薄めていく。
 それは喜ばしいことだった。そのはずだった。医者や警察は暇であればあるほどいい。兵士もまた然り。だから、私がこうして甲板でのんびりしていられるということは、世の中が平和な証左でもある。

 髪の毛が乱れる。風が体温を奪う。体がぶるりと震えたので、そろそろ頃合いか、踵を返して鉄扉を目指した。

 体内で熱が渦巻いている気がした。

 それは後藤田提督が言うには「怒り」なのだ。私は姉さまのように諦めを無駄に抱いては生きられない。胸に怒りを抱いて生きていて、深海棲艦も、海軍も、この世に普くありとあらゆる不幸も、とかく私を苛立たせる。
 脚を向けた談話室では大鷹がノートに書き取りをしていた。離れたソファでは不知火が文庫本を読んでいる。

164 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:20:19.05 ID:cZJ7+2AW0

「どうしましたか? 誰かお探しで?」

 活字から視線を逸らして不知火。私は小さく頭を振った。

「いえ。手持無沙汰で、どうもね」

 後藤田提督の旗下に就き、「浜松泊地」の一員となって既に二週間ほどが経過したが、CSARとしての活動はその間に一度もなかった。
 無論遊んでいたわけではない。細々と体の検査はあったし、そうでなくとも条約や作戦行動についての知見は得なければならなかった。彼女たち仲間と呼吸を合わせるための演習も何度も行った。
 わかっている。戦いの最中に何ができるかは、戦いの前に何をしてきたかに大きく左右されうる。実戦にすぐに出たがるのは新参兵にはありがちで、ゆえに彼らはすぐに死ぬ。そして私はとっくに新参を過ぎてしまっている。

 心臓が大きく脈を打った気がした。
 血潮の熱さが体表にまで伝わっている錯覚。

 いや、あるいは、錯覚ではないのかも。

165 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:20:44.66 ID:cZJ7+2AW0

「そうですか。本ならいくらか貸せますが」

「大丈夫、気持ちだけありがたく受け取っておくわ」

 不知火はちぃとも気を害した様子を見せず、また「そうですか」とだけ呟き、活字へと目を戻す。
 大鷹のほうは勉強のようだった。艦娘の就学形態は様々だ。大きな港湾に拠点があるのならそこから直接学校に通うこともできる。そうでなくとも、中規模以上の鎮首府であれば、サテライト授業は大抵どこでも完備している。
 ここは船の上だからまず間違いなく後者だろう。宿題か、予習か。どちらにせよ微笑ましいことだ。

『あぁ、もしもし』

 後藤田提督の声が脳内に響く。それは私だけではなかったようで、不知火も、大鷹も、電撃が走ったように立ち上がった。

『客だ。後部第一甲板、緊急の梯子に取り付いている』

166 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:21:11.66 ID:cZJ7+2AW0

 客? 客だって?
 ここは海の上なのだけれど。
 ……というか、取り付いている?

 え?

 一瞬敵襲かとも思ったが、それにしては後藤田提督の声に緊迫感がない。不知火と大鷹も、当意即妙といったふうでぱたぱた部屋の外へと駆け出していく。

「あ、あのっ。山城さんもっ」

 大鷹が振り返って声をかけてきた。

「集合です、全員集合! あの、そういう決まりになってます!」

「わかったけど……どういうこと? 客って、誰? ここは海の上でしょう?」

「そんなの関係ないです。だってわたしたちは、ほらっ、艦娘ですからっ。
 青葉さんが、あの、わかりますか? 『艦娘通信』の、青葉海士長が来てくれたんですよっ!」

167 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:22:26.52 ID:cZJ7+2AW0

 艦娘通信。

 私は当然その単語に訊き覚えがあった。というよりも、艦娘をやっている人間で知らないのなら、そいつは間違いなくモグリだろう。
 広報課が発行する無味無臭な、ともすれば戦意高揚のためだけのビラとは異なる、血の通った広報新聞。日本中を縦横無尽に駆け回り、南はトラック、北は小樽まで、手当たり次第に記事にしていく……。
 なるほど、そう考えれば新たに発足したCSARへの取材なんてぴったりではないか。空軍と海軍、その微妙な関係のはざまで広報課が仕事をしないのならば、万雷の拍手ととともに取材へとやってくるのはさもありなん。

 艦娘、青葉。

 薄い紫色を基調とした彼女は、首からぶら下げた威圧感のある一眼レフ、そして年季の入った肩掛け鞄といった軽装で、よいしょ、梯子を上り終えた。
 足元が濡れている。まさかと思ったが、航行している状態からそのまま飛びついたらしい。なんて超人技だ。

168 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:22:56.45 ID:cZJ7+2AW0

 艦娘通信。

 私は当然その単語に訊き覚えがあった。というよりも、艦娘をやっている人間で知らないのなら、そいつは間違いなくモグリだろう。
 広報課が発行する無味無臭な、ともすれば戦意高揚のためだけのビラとは異なる、血の通った広報新聞。日本中を縦横無尽に駆け回り、南はトラック、北は小樽まで、手当たり次第に記事にしていく……。
 なるほど、そう考えれば新たに発足したCSARへの取材なんてぴったりではないか。空軍と海軍、その微妙な関係のはざまで広報課が仕事をしないのならば、万雷の拍手ととともに取材へとやってくるのはさもありなん。

 艦娘、青葉。

 薄い紫色を基調とした彼女は、首からぶら下げた威圧感のある一眼レフ、そして年季の入った肩掛け鞄といった軽装で、よいしょ、梯子を上り終えた。
 足元が濡れている。まさかと思ったが、航行している状態からそのまま飛びついたらしい。なんて超人技だ。

169 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:24:18.79 ID:cZJ7+2AW0

 既に私と大鷹以外が整列していた。対面するように後藤田提督。その後ろに、大淀、グラーフ、ポーラ、不知火。なんとポーラは酒瓶を抱えていない。

「ご、ごめんなさいっ」

 慌てて並ぶ。踵をつけ、爪先の開きは三十度。

「国村さんから話は聞いている。ありがとう。よく来てくれた」

 国村一佐が?
 いや、それもまた納得のいく話ではある。CSARの根回しをしたいのならば、政治的なレベルと同じように、現場のレベルにも悉皆周知しておくのは合理的だ。
 ようは既成事実を作ってしまえばいい。既に深く根ざしてしまったシステムを消失させるのは並大抵のことでは済まない。属人的な存在から脱するには、広報がもっとも手っ取り早い。

「いえ。こちらこそ、国村一佐の新たな試み、それを独自に取材できるのは喜ばしいことです。任務もまた献身的だ。実は、お話はかねがね国村のほうから伺っておりました。酷く厄介な立場にいるということも。
 この青葉、そして艦娘通信、微力ながらお手伝いさせてください」

 敬礼。背筋をまっすぐに、中天へと向けて。
 こちらも合わせる。

170 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:25:41.33 ID:cZJ7+2AW0

「さて、青葉海士長殿とも無事合流を果たすことができた。もしかしたら突然のことに戸惑いを覚えている者もいるかもしれない。今後の作戦について話そう。
 我々『浜松泊地』は、今後『イベント』の対処にあたる基地の援護へと向かう。海域は現状不明だが、台湾付近、あるいは南下しフィリピン周辺である可能性が高い。一度神戸に停泊し、そこで必要物資を各自で用意、出発する予定だ。
 神戸着は明朝6時前後を想定、出発は24時間後の明朝6時。そこから作戦海域までは、途中会敵を挟まなければ、一日半で到着する見込みになっている。……何か質問は」

「援護ですかぁ? イベントの対処、じゃなくてぇ?」

 ポーラの発言の内容には全員が首肯した。誰もが気にかかっていた表現――もしくは、意図的に引っかかるようにされたのかもしれない。
 後藤田提督の返事もまた想定されていたかのように素早かった。

171 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:26:19.38 ID:cZJ7+2AW0

「対処は複数の基地が合同で行う。佐世保が指揮系統を担うかたちで、パラオ、呉から戦力をいくらか集めるようだ。航空戦力は岩国からも募る。
 繰り返しになるが、俺たちの任務はあくまで救難救助。火器の使用は許可されているが、突出した独断専行は認められない」

「台湾、あるいはフィリピン沖……東シナ海からインド洋までというのは、聊か範囲が広いのではないか?」

「現時点での海域予想がそうだというだけだ、グラーフ。最初は広く浅く配置し、敵の出現頻度や規模にあわせて適宜狭めていくということらしい」

「なるほど。ちなみにその『イベント』予想の正確性はどれほどなんだ?」

「さぁな。少なくとも、トラック泊地強襲の予想は的中させたそうだが」

 トラック空襲――一度滅んだトラック泊地は、二度は滅ばなかった。大規模な敵襲を邀撃したという噂は聞いていたが、そんな裏があったとは。

172 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:26:49.74 ID:cZJ7+2AW0

「……」

 少しばかり青葉の顔がこわばっていた。どうやら私以外に気づいてはいないようで、しかしそれも私と目があった途端に、すぐ曖昧な笑みへと変化してしまう。

 一際強く海風が吹いた。後藤田提督はあっさりと踵を返し、船内へと手招きする。

「少し外は寒ィな。わざわざ立って話をすることもねぇだろう。青葉海士長には船内の案内もしなくちゃならんし」

「階級はいりません。青葉、で結構です」

「……そうか、助かる。お前らも、折角有名人と会えたんだ、聞きたいこともあるだろう。青葉、いくらか付き合ってもらってもいいか?」

「はい、勿論です。こちらから皆さんに訊きたいことも、山ほどありますんで」

 足音の反響する船内を歩きながら、後藤田提督はグラーフと作戦に至る背景を話し、大鷹、不知火、ポーラは青葉と愉快そうにやり取りをしている。
 私がぼうっとその背中を見ていると、大淀はわざと足取りを緩め、こちらの隣につく。

173 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:27:15.15 ID:cZJ7+2AW0

「どうしましたか?」と彼女は問うた。
「不思議なものね」と私は応じた。

「怖いのに、愉快で仕方がないのよ」

 これから先に待ち構えているであろう私の人生が、不幸が、なぜだかとびきり輝かしい光に思えて、最早この昂ぶりを抑える術がわからなかった。
174 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/24(月) 21:28:30.77 ID:cZJ7+2AW0
―――――――――――
ここまで。

もうプロットとか忘れてるぜ。

待て、次回。
175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/25(火) 04:54:48.46 ID:+rMyXzX8o
176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/25(火) 13:33:10.81 ID:hTLFgIDMo
蒔ってる次回
177 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/25(火) 23:46:01.31 ID:OpIC7hvy0


 ぎらぎらと照りつける苛烈な陽光。なんとか耐えつつ、私たちは冷房のいくぶんか効いた建屋へと、まるで流浪の民のような足取りで入っていく。
 海沿いは普通潮風のために体感温度はすこぶる気持ちいいはずなのに、やはり関東のほうとは気候が違うからか、直射日光が痛みさえ伴っていた。変な形で日に焼けてはいまいかと、私はわかるはずもないのに、手で首の後ろを拭う。

 後藤田提督は半袖でこそあったけれど、ぴしりと第一ボタンまでとめていた。金色の階級章がきらきらちかちか、光を反射して輝いている。海帽はひさしの部分が黒い。熱を吸収して熱くならないのだろうか、と思った。
 艦娘はその身に神を降ろし宿している。所謂「神様の加護」というやつで、並大抵の環境変化などはへいちゃらなはずなのだが、さすがに紫外線にまで無敵とはいかないようである。

178 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/25(火) 23:46:39.05 ID:OpIC7hvy0

 タオルで汗を拭う後藤田提督、そして私たちの前に、一組の男女が姿をあらわした。

「……」

 舌の上で電気が弾けた。眼の表面がやたらに渇き、意識的に数度、まばたきをする。
 脚の親指に力を籠める。大地はちゃんとそこにある。

 周囲をこっそり窺えば、どうやら私だけではないようで。

「……」

 人数分の沈黙。しかし、現れた二人は我々にまったく無頓着なのか――それとも、最早慣れっこなのか―――ひまわり畑のような笑顔をこちらへと向けていた。

「遠路はるばるようこそお越しくださいました! 長い旅路でお疲れでしょう! 本当ならすぐにお部屋へ案内したいところですが、申し訳ない、少しお時間を頂戴いたします!」

「こっちこっち! みんなが待ってるっぽい!」

 既に顔と名前の予習は船上で済ませてあった――今回の作戦で総指揮を執る、佐世保鎮首府の代表である、三神提督。そしてその筆頭秘書艦である、駆逐艦・夕立。

179 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/25(火) 23:47:47.80 ID:OpIC7hvy0

「……行くぞ」

「……はい」

 後藤田提督に声を掛けられ、私たちはそこでようやく自らの身体の自由を得る。

 私は夕立という少女の背中へと目をやった。

 べっとりと、どす黒い、錆びた血の色が貼りついている。

 いや、背中だけではなかった。肩、胸元、そして首筋から頬、額に至るまで、飛沫がそこかしこに付着しているのだ。
 その正体を私は知っていた。私たちは知っていた。深海棲艦の体内を循環する、命脈としての汚れた油に他ならなかった。
 なんら珍しいものではない。変哲のある代物ではない。だって彼女もまた艦娘なのだから。

 だのに。

 なんだ。
 なんなんだ、あれは。
 まだ年若い少女特有の無邪気さ、天真爛漫さ。そして狂った野犬のような血と死の臭い。それらが両立するだなんて。

180 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/25(火) 23:48:52.15 ID:OpIC7hvy0

 そして彼女の隣を歩く三神提督も、まるで意に介した様子を見せないのがまた恐ろしく在った。普通は一度身を清めさせるべきではないのか? 入渠させるべきではないのか? 後藤田提督が第一ボタンまで閉めているように。

 深海棲艦の尽滅を誓う防衛省、その嚆矢となった二つの鎮首府である呉と佐世保。あまりにも住む世界が違うと感じてしまうのは、いや、もしかしたら、私の身の上が余りにも不幸すぎるだけかもしれないが。
 そうであってくれと半ば願いながら周囲を伺うも、どうやら私はそこまでは不幸ではなかったらしい。

 眩暈のままに通された部屋は、応接室と呼ぶには僅かに広く、会議室と呼ぶには少々手狭な、中途半端な部屋だった。「ロ」の字型に並べられた長机に、それぞれ数人ずつがついている。

 誰何の必要はなかった。やはり、資料で見知った顔だった。

181 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/25(火) 23:50:40.38 ID:OpIC7hvy0

「……杉崎だ。所属は呉」

「同じく、呉から来ました。筆頭秘書艦の加賀です」

「パラオの敦賀徳一郎。階級は一佐」

「戦艦、霧島です。よろしくお願いします」

「後藤田だ。本隊は空軍特務七班、現在の所属は無し。CSARを預かっている。……後ろの六人がメンバーだ。全員、挨拶を」

 後藤田提督に促されるままに名乗っていく。品定めをされているような、算盤を弾かれているような、そんな不快感が拭えない。
 少なくとも、歓迎はされていないようだった。理由はいくつもあるように思われたけれど、比重の同定は難しそうだ。単に空軍と海軍という派閥の溝であるかもしれなかったし、戦わない艦娘というイレギュラーへの戸惑いなのかもしれなかった。
 もしかしたら、見捨てたはずの艦娘が地獄の淵から戻ってきたことへ、恐怖しているのかも?

182 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/25(火) 23:54:18.52 ID:OpIC7hvy0

 大丈夫、大丈夫。そう自分に言い聞かせる。
 怒りはある。収まるどころか募るばかりだ。いまも私の胸の内で、煌々と、轟々と、天高らかに火の粉を巻き上げる篝火。だけれど、違う。目の前の彼ら彼女らは違う。
 私は私と敵対する全てが敵だとは思わない。

 戦いの次元は最早そんなところには存在しないのだ。

「これで今回の作戦の首脳が勢ぞろいしたことになりますね。ぼくはこの佐世保を預からせてもらっている三神と申します。で、この子は筆頭秘書艦の夕立です。ほら、夕立」

「よろしくね! みんなで頑張って、この作戦を成功に導くっぽい!」

 まばらな拍手。打っているのは三神と後藤田の二人を除けば、霧島、青葉、ポーラ、大鷹だけ。

 そうして簡単なブリーフィングを挟んだのちに解散となった。内容としては予習してきたものと大して相違なかったが、どうやら状況は私が考えていたよりも逼迫してはいないらしかった。

183 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/25(火) 23:56:48.77 ID:OpIC7hvy0

 私たちの参加する作戦の概略はこうだ。台湾付近において敵集団の動きが活発になる兆候が見られたため、事実確認および緊急性が高いと判断した場合に先手を打ってこれを撃滅すること。
 また、敵集団による九州沿岸、あるいは沖縄、パラオ、ないしトラックへ攻撃性の高い移動が認められた場合、即座に防御網を構築し、これを邀撃すること。
 仮に緊急を要しない場合であったとしても、可能な限りに置いて敵集団の活性化の原因の調査、解明にあたり、今後の本土防衛の糧とすること。

 私はてっきり開戦の日がすぐそこまで迫っているものだと思い込んでいたのだが、まずは事実確認かららしい。よく考えれば当然の話であるが、その段階でCSARが出張るという必要性が想定の範疇外だったのだ。
 その件については大淀と不知火が説明してくれた。つまりは、いきなり現れた「自称・味方」を信用できるかという問題に帰結する。

 なんて馬鹿らしい話だろう。

184 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/26(水) 00:03:19.36 ID:qvCJo9Rv0

「悲しい話ですね。志を同じくした仲間さえも、時間という篩にかけねば信用できないというのは」

 青葉は呟く。

「でも、どうでしょう? 同じ組織に所属しているという理由だけで盲目的に信用してしまうのも、健全とは言い難いのでは?」

 不知火のその笑みは極めて自嘲的だった。大鷹も目を伏せる。
 私も含めてみんな仲間に見捨てられた身の上だ。防衛省や沿岸警備部や、特殊遊撃作戦任務群のことなどは、古傷を抉る思い出にしかならない。
 どちらの論にも一理ある。その上で私は「くだらない」と切って捨てることができそうに思えた。だってそうではないか。過去に囚われるばかりの人生なんて、不幸極まりないだろう。

 そうでしょ、ねえ。
 姉さま。

「そうですかね。……そうですね」

 青葉はまた呟いた。先ほどよりも小さく、消え入りそうな声で。

 
185 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/02/26(水) 00:05:09.93 ID:qvCJo9Rv0
―――――――――――
ここまで。

書けるところを書けるぶんだけ。
186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/26(水) 00:15:36.15 ID:V6mPFPEGO
乙、筆が乗ってる時に突っ走るのは良いことだよ、案外そんな時の方が面白いモノが書ける
187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/03/05(木) 04:16:44.89 ID:rKFui6ino
おつおつ
188 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:01:18.31 ID:d80kTEDO0

 佐世保鎮首府はとにかく巨大だった。広大だった。
 護岸工事が為された岸部のすぐそばには中枢施設が三棟建っている。それぞれが四階建ての集合住宅ほどは有りそうなサイズで、渡り廊下によって繋がり、鳥瞰すれば「コ」の字型になっているのがわかるだろう。

 開いた部分から建物を見て左側が佐世保鎮首府の艦娘たちの宿舎である。一階が玄関と浴場、談話室を兼ねた食堂となっており、二階以上は全て居室。二人部屋が十八、一人部屋が十二あるそうで、割り当ては階級によって決まっているらしい。
 中央、「本館」と呼ばれる棟は文字通り業務の中枢を担っている。ここには会議室や執務室、資料室などが存在し、私たちが最初通された部屋もこの棟だ。階級の高い人間も来るからなのか、設えが見るからにきちりとしているのが見るからにわかる。
 最後の棟には訓練機能と就学機能が集約されており、購買や食堂もここにある。サテライト学習機能を備えた教室や、提携を結んだ大学の論文を閲覧できるシステム、学習補助教員も週に三回来ているという。

189 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:02:21.47 ID:d80kTEDO0

 こんなしっかりとした施設を建ててペイできるのだろうか? そんな考えを持ち込むのは、もしかしたら資本主義に毒されているのかもしれない。国防は政治経済と切っても切り離せない関係だけれど、政治経済によって国防の揺らぐことはあってはならないことだと思う。
 恐らくこの佐世保という鎮首府は実験施設でもあるのだ。より艦娘を効率よく運用し、兵器として転用させる方法を、上層部は日夜探っているに違いない。有用性を判断されたものだけが、全国の前線基地へと膾炙する。
 海軍の敵は何も深海棲艦ばかりではない。空軍も言ってしまえば――悲しいことに――そうなのだろう。だから大淀がいる。そして技術供与を受けている神祇省相手にも、対抗意識を燃やしている。

 愚かな話だ。そう断じてしまうのは、私が単なる一介の兵士であり、政治や権力と距離を置いた民衆でしかないからだろうか? 誰が、どこが、国防の最たる担い手であるかなんて、どうでもいいことだろうと思ってしまうのは。

 そんなだから。

190 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:02:55.17 ID:d80kTEDO0

 じじ、じっ、じりっ、じりじじ、じじぃっ。

 脳内で砂嵐が吹き荒れる。
 考えるな。考えてはいけない。
 怒りに呑まれてしまうから。

 そんなだから、私たちは見捨てられたのだ。
 「失敗」の烙印を恐れた奴らの手によって。

 ぎゅっと握りしめた右手、その人差し指を掬うかのように、そっと柔らかい感触が添えられた。思わず愕然とした気さえして、振り向いた先には大鷹が儚く微笑んでいる。

 大丈夫ですか? と、聞かれた気がした。

「大丈夫よ」

 答えても、大鷹は小首をかしげるばかりだが、幸いなことに手は離さないでいてくれた。

 三棟から少し離れて巨大なクレーンの突き出たドック、電子錠とパスコード認証によって固く閉ざされた研究所、運動用のトラックなど至れり尽くせりだ。海へと視線を回せば演習のためのブイがそこかしこ。
 私たち来客が寝泊まりする別棟も近くにあり、花壇の草花がつつましやかに、けれど確かな手入れをもって出迎えてくれている。

191 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:04:19.94 ID:d80kTEDO0

 出入りしている業者の詰所、防災倉庫、あるいは資材庫など、説明を受けながら鎮首府内を回るだけでもゆうに一時間は経過してしまっていた。夕張は先頭を歩きながら快活に、こちらを見ながら後ろ歩きで、捲し立てるように言葉を紡ぐ。
 私たちは所属ごとに塊になりながら歩いていた。「浜松泊地」、呉、パラオの順番だ。さきほどの顔あわせの時にはいなかった、呉とパラオの残りの五人もいる。やはりどこも六人一組で作戦にあたるようだ。

 夕張が私たちを案内するのは、勿論私たちが作戦終了までこの佐世保に厄介する以上は当然なのだが、それ以上に牽制の意味を込めているように感じられた。
 「近づくな」という言葉の意味は単純ではない。親切心から来ているのでなければ、そこには言外の忠告を孕む。詮索するな、ここは私たちの庭なのだから、という。
 西側の防風林、その奥にある有刺鉄線を備えた塀を見ながら、私は考える。
 
192 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:15:48.58 ID:d80kTEDO0

 
 あぁくだらない。私は意識して大鷹の、言葉遊びではないけれど、まるで太陽にも似た温度の手のひらを確かめた。
 派閥やら、利権やら、面子やら、そういった面倒くさいモノモノが世の中にはたくさんある。それら全てが悪で不必要だと断言できるほどには私は青くも熟れてもいない。しかし、かといって、許容できるほどのおおらかさもない。
 作戦を成功に導くことこそが第一義。でも、防衛省にも国にも忠誠を誓ったことは一度たりともなくって。

 姉さま。
 あなたの分まで幸せに生きてみせます、幸せになってみせます、そんなのはあまりにも陳腐だけれど。
 たとえ空気を求めて喘ぐ無様な姿であってもいい。それでも光を希求するように、私は生きていきたい。

 生きていきたいのだと、つい最近知った。

 不幸の最中であったとしても、幸せになろうとすることはできるはずだから。

193 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:16:25.36 ID:d80kTEDO0

 視界の中では青葉が夕立と交渉していた。「もう少し」だとか「そこをなんとか」だとか聞こえてくる。大方鎮首府の中の写真をどれだけ、どこまで撮ってもいいかを確認しているのだろう。

 誰もが幸せになりたいのだ。なりたがっている。けれど、希求……そう、希求だ。希う。あるいは恋のように、激しく燃え盛る心の火炎を宿す人間が、どれほどいるか。
 たとえばいま盛り上がっている青葉と夕立、彼女たちにも彼女たちなりの幸せのかたちがあって、それを求めているはずだ。果たしてその恋は身を焼き焦がすほどなのか。

 手のひらの暖かさを感じる。

 たいよう。

「あなたは幸せになりたいと思う?」

「えっ?」

 素っ頓狂な声。当たり前か。
 ごめんなさい、変なことを訊いたわ。そう返すのが自然で理想だった。しかしなぜだか私はそうせずに、

「幸せよ」

 と念を押してしまう。

194 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:17:45.72 ID:d80kTEDO0

 大鷹は歩みを止めないままに私の指を数度ぎゅ、ぎゅと握る。その存在を確かめるように。そうして、いつになく真剣な面持ちで、言う。

「なりたいです。なりたくて、たまりません」

「……」

 そう。
 なら、それは、きっと、恋ね。希っている違いないわ。

「で、でも。きっとみなさん同じなんだと思います。おんなじ。卑下するつもりじゃありませんけど、やっぱり、普通は艦娘になんてなりませんから」

「悉皆検査が義務付けられても?」

 現代に甦った徴兵制とみなされる向きもある艦娘の悉皆検査であるが、仮に素質ありと判断された場合でも、入隊は決して義務ではない。血と油にまみれた戦いに報いるだけの報酬は提示され、あとは本人と家族の意志次第。
 私と姉さまには拒否する選択肢なんてなかった。不幸な境遇が変わらないのなら、せめて少しでもいい待遇を選ぼうとしただけだった。

195 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:18:56.53 ID:d80kTEDO0

 まぁ、でも、大鷹の言葉はそういうことなのだろう。そういう意味なのだろう。
 同じ。おんなじ。
 きっと殆どの艦娘が、望んで艦娘になろうとしたわけではなくて――なんらかの事情に背中と足の裏を炙られて、その結果艦娘に身を窶しているに違いない。

 私たちの前では夕張と青葉の話にようやく決着がついたようだ。夕張はこちらへ向き直って、海の方を親指で示す。

「日没まではもうちょっと時間があるっぽい。夕食は、今日は豪勢にパーティだって話だから、それまでにお腹を空かせておくのも悪くないと思う」

「や、どもども、青葉です。『艦娘通信』という個人紙を発行していて、このたびは国村一佐の推薦もあり、作戦の従軍記者として参加することになりました。よろしくお願いします」

 国村という名前を出しただけで、僅かに艦娘たちの間にどよめきが走る。興味を示す者。露骨に顔を顰める者。反応は様々だ。
 恐らく青葉は意図的に彼の名前を出したのだ。周囲の反応を窺い、誰がどの派閥で、どんな思想を持っているのかあたりをつけるために。同時に自らの後ろ盾を明確にすることで、いらぬいざこざに巻き込まれないようにするために。
 青葉は続ける。

196 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:20:05.23 ID:d80kTEDO0

「深海棲艦の存在、そして艦娘の奮戦が公にされ、広く支援を募られるようになってから数年が経ちます。そうですね、かの『鬼殺し』で一悶着あったころでしょうか。しかし、いまだ我々艦娘は、大手を振って地元に凱旋できる身分ではない。所詮汚れ仕事の請負人です。現代に甦った徴兵制の犠牲者です。深海棲艦を撃ち殺す調和の破壊者とまで。
 悔しい話じゃあないですか! この青葉が今回記事にするのは、決して作戦行動が全てではありません。『艦娘』として働くみなさん、そして『人間』として生きるみなさんを活き活きと描き出す記事にしたいと考えています。
 よろしくお願いいたします」

 お辞儀。

「と、言うわけで」

 夕張は笑った。口の端から涎が一滴、糸を引いて地面へ垂れる。
 その目は爛々と輝いている。

「今から演習場で、親睦でも深めよう?」
197 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 11:23:11.35 ID:d80kTEDO0
―――――――――――
ここまで。

前作、前々作を読んでるのが前提とか、もう一見さんのことを考えるつもりが微塵もなくて草。

待て、次回。
198 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/03/08(日) 16:13:53.85 ID:KMafcUvEo
乙。


乙だけど、夕立と夕張が途中で混線してるっぽい?
199 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/03/08(日) 21:48:47.82 ID:Prl96ueZ0
メロン乙

前から思ってたけど鎮首府って鎮守府だよな?そういう単語なの?
200 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/08(日) 23:06:57.27 ID:d80kTEDO0
>>198-199
色々誤字申し訳ないです……。
201 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/03/09(月) 10:42:53.16 ID:MabMH+5Co
舞ってる次回
202 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/15(日) 12:40:31.96 ID:lzhGd5a70

 十七人目の演習相手――もとい、「挑戦者」であるポーラが倒れた。彼女は数秒だけ水上に仰臥していたけれど、すぐに反動をつけて立ち上がる。

「いやぁ、本当に強いですねぇ」

 口内から黒煙を吐きだして笑うポーラ。痛覚設定をできるだけ下げての演習なので、痛みはあってないようなものである。それでも絹のような髪の毛が焦げ付いてしまっているのは見るに堪えない。
 本人は、寧ろそんなことよりもこのあとの一杯のほうが大事らしかった。顎に指先を当てて「晩酌は何にしましょうかねぇ」と嘯いている。

「さぁ、次は誰が来るっぽい?」

 夕立は笑った。犬歯を剥き出しにして。

 演習規定に基づいた、オーソドックスな1VS1での十七人抜きは、考えずともに埒外の所業だとわかる。しかも無補給、無休憩でのぶっ通しとなればなおさらだ。
 個の強さで全てが決まるのはあくまで決闘であり、私たちの赴く戦争、あるいは戦闘はまた別次元の論理で動いている。とはいえ、銃弾と爆炎の舞い散る最中では、個の強さに頼らなければいけない側面も少なくはない。

203 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/15(日) 12:41:11.60 ID:lzhGd5a70

 そう言った意味で、なるほど確かにこの夕立という少女は、佐世保の鎮守府、深海棲艦相手の最前線基地を任せられるに足る存在なのかもしれなかった。

「強かったですか?」と不知火が尋ねる。同じ駆逐艦という艦種同士、思うところはあるのかもしれない。
 受けてポーラは「肺活量が凄いですぅ」と答えた。端的に、それだけ。

 その表現は個性的ではあったものの、腑に落ちる点も多い。近距離戦から中距離戦への移行、あるいはその逆が、夕立は恐ろしいほどにうまいのだ。
 決して相手の得意な距離に持ち込ませない。近づけば離れ、離れられれば追いすがる。一旦体勢を崩されてしまえば、その隙に一瞬で喰らい尽くされるだろう。

 ざじり。護岸の上、砂を踏みしめて、一歩前に踏み出した加賀は呆れ顔。

「そろそろ、夕食の時間でしょう」

「ってことは、加賀さんがラストってこと?」

 夕立の台詞にはいくらかの挑発が含まれていた。まさか呉の筆頭秘書艦が、戦いを挑まれて逃げるわけはないでしょう? と。当然加賀にもそれは伝わっていて、怜悧な表情が一瞬だけ崩れる。

204 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/15(日) 12:41:40.95 ID:lzhGd5a70

 はぁ、と加賀はため息をついた。諦念を多分に含んだものだった。

「だから子供はきらいなんです。後先を考えない……」

 波音静かに加賀は水面へと立った。

 演習開始の合図とともに、夕立は一気に吶喊する。巨大な水飛沫を上げながら、一目散に一直線、加賀を狙う。
 加賀の応対。矢を掛ける、弦を引く、構える――放つ。川のせせらぎのような静けさを伴った動作。

 私の傍らで、大鷹とグラーフが驚愕の吐息を零す。

 艦載機へと変化した矢、その爆撃を夕立は最小限の動き、そして引き続き最短距離を往く。生半可な攻撃では、狂犬は止まりそうにない。
 加賀はまたも矢を放った。素早く、冷静で、縮みつつある彼我の距離など一顧だにしないという風だった。

 一層激しさを増した火炎の驟雨を夕立は紙一重でかわし続けるも、さすがに連戦に次ぐ連戦の果てでは無理があるのか、目に見えてその機敏さは失われつつあった。脳内では避けているのだろう。しかし、体が追いついていない。服や髪の毛の端々へ火が燃え移る。

205 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/15(日) 12:42:10.83 ID:lzhGd5a70

 僅かに動きの遅れた瞬間を加賀は無論見逃さない。矢筒から、次弾を手に取る。塗り分けられた矢筈はそれぞれ艦載機の種別をあらわしている。赤、青、緑、そして赤と緑の斑。
 射出。そして顕現。立体的な集中砲火を夕立は奇跡的な身のこなしで最小限の被害に喰い留めるも、それはあくまで奇跡、神業の類であって、そう長くは続かない。

 顔面への直撃。

「あぁははははぁっ!」

 黒煙とともに、炎を纏いながら、夕立は加賀に迫る。

 更に顔面への追撃。

 驚異的な足腰の粘り。異常なほどに強い体幹。転倒、最悪卒倒してもいいはずの一発だったはずだ。だのに夕立は上体をぐらつかせただけでなく、さらに、そこから一歩、吸い込んだ熱気を吐きだしながら。

 踏み出す。
 踏み込む。

 そうして三度。

206 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/15(日) 12:42:36.31 ID:lzhGd5a70

 ぶすぶすと焼け焦げる音がこちらまで聞こえてきそうだった。夕立の身体から力が抜け、ぐらり、そのまま後ろへと体勢を崩す。

「――」

 なにがそこまでさせるのか。夕立がたたらを踏み、堪える。

 そのことを加賀も知っている。

 四度。

 ついに、ようやく、夕立は水面へと背中をつけた。肘から先が痙攣している。それもなくなると、加賀が人心地ついた面持ちで弓を下げ、額の汗を甲で拭った。

「……」

 その場にいた誰もが、まるで恐ろしいものの片鱗を見てしまったようだった。夕立の身体能力も、加賀の精緻さも、人間の枠組みをとうに超えている。
 いや、艦娘は人の身に神を宿す。とっくに人外であると言われてしまえばそれまでだけれど、ここまでハイレベルな演習――と言ってしまっていいものなのだろうか?――が見られるとは思ってもいなかった。
 ともすれば、すぐさま夕立が飛び起きて、加賀へと向かっていくんじゃないかという気さえして。

207 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/15(日) 12:43:55.33 ID:lzhGd5a70

「はいはーい! 本当に時間ですよー!」

 だから、佐世保の次席である吹雪が手を叩いてみなの時間を進めたとき、私は率直にほっとしたのだった。助けられたような思いがしたのだった。
 吹雪はけれど慣れっこなのだろう。よく見れば佐世保の艦娘たちは、困った顔こそしているけれど、驚愕に目を見開いてはいない。吹雪が夕立の脚を引っ張って移動させているうちに、呉、パラオ、そして私たちと、先頭について案内を買って出る。

「ほら、行くわよ。広いんだから迷わないようについてきてよね」

 案内役の五十鈴の背中を追っていく。彼女は追いすがる青葉、大淀と何やら話しながら、手をひらひらさせていた。その内容は聞き取れなかったが、大方夕立のことだろうとは察しが付く。
 グラーフと大鷹は加賀の戦い方について、不知火とポーラも感想戦。そして私のもとには、そっと近づく影が。

208 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/15(日) 12:44:48.01 ID:lzhGd5a70

「凄かったわね」

 パラオの霧島だった。眼鏡の奥の瞳は興奮に濡れている。

「凄かったけど」

 あんな戦い方を私は学んできていない。我が身を摺り切り、銃火に炙りながら敵へ突っ込むやりかたを。

「《猟犬》夕立の面目躍如ってところかしら。同時に加賀も、ね」

「面目躍如、ね」

 反応してから、だめだ、鸚鵡返しばかりだと気付く。これではまるでコミュ障である。

「トップランカーはさすがに気迫が違うのね」

「それもあるけど、夕立は示して見せたのよ。自分の在り方ってやつを。なるべくしてなるのが運命なら、あるべくしてあるのは自助努力によってのみでしょ?
 佐世保は今回の指揮系統を担っているから、作戦の成功も失敗も、大きく彼らの名誉を左右させる。万が一にも失敗させるわけにはいかない。戦って、戦い続けて、作戦を成功に導く。それが夕立の在り方なのよ」

 我々は戦う。ついてこい。それが佐世保の矜持であると、言葉ではなくその姿で、雄弁に語って見せた。

209 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/15(日) 12:45:18.20 ID:lzhGd5a70

 在り方、か。
 それは妙に、私にとってもクリティカルな言葉だった。

「誰にだって在り方の一つや二つ、あるものだと思うわ」

「私にも?」

 意地悪そうに霧島はにんまり笑って見せた。私は彼女のことを知らない。どうして彼女が私に話しかけてきたのかさえわからないくらいなのだ。それでも、ふんわりとした確信を持って言える。

「たぶん。そうでなければ、艦娘なんてやっていられないもの」

 死は信念のあるなしに関わらず平等だろうけれど、それでも、戦場にいる全ての者に信念がある。

「私たちは少々特殊だから」

「少々で済むかなぁ」

 笑われてしまった。理知的な外見とは裏腹に、屈託なく笑った霧島のその表情は、言うほど特殊であるようには見えない。勿論外見や表情からその人間の過去を押しは過労だなんて言う行為が傲慢そのものではあるのだけれど。
210 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/15(日) 12:46:08.49 ID:lzhGd5a70

 艦娘などその殆どがわけありだ。疎外やら機能不全家族やら賎民やら。しかし同時に、霧島の弁を借りるとするならば、それはあくまで運命である。「なるべくしてなった」。
 それだけではひとは生きてはいけない。運命の導きが果たして本当にあるとして、結局我々は、あるべくしてあらねば生きていけないのだ。

 組織に入った理由が、そのまま組織に居続ける理由になる必要はない。
 地獄から逃げ出すために艦娘を志望したこの身なれど、今はもう、人生から逃げようとは思わない。

「まぁでも、そうね。在り方。……生きるための杖がなくては、歩きづらいか」

 霧島は海の向こうを見ながら呟いた。

211 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/15(日) 12:46:56.03 ID:lzhGd5a70

「CSAR、でしたっけ」

「え? あ、はい」

「国村さんの肝いりだとか。人が死ななくなるのはいいことね、ほんと。本当に」

「私は新入りだから、あんまり偉そうなことは言えないの。人でも六人っきりだし」

「でも、これから増やしていくんでしょ。いきたいと、考えている」

「えぇ」

「なら、それがいいことなのよ。そう思う」

 ここまで真っ正直に自らの行いを褒められた経験がなかったので、一瞬思考に空白が生まれる。あくまで一瞬だ。

「ありがとう。頑張るわ」

 私は歩く。食堂では夕餉が待っているはずだった。
212 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/15(日) 12:48:08.62 ID:lzhGd5a70
――――――――――――
ここまで

無駄に設定に凝りだすのが設定中の背負った業。

待て、次回。
213 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/03/15(日) 16:30:19.64 ID:qqLVo0cco
お疲れ様です
舞ってる次回
214 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/21(土) 10:46:20.24 ID:pQ00XHC/0

 少し、飲みすぎてしまったかもしれない。日本酒党の私は、ポーラの持ってきたワインとは相性があまりよくないようだ。優れない気分を立て直そうと、夜風にあたるべく、大淀を起こさないように部屋を出る。
 廊下は薄暗い。ぽつぽつ等間隔で夜照明に照らされている。当然ながら、人気はない。

 と、脚が停まる。私は自分が佐世保の鎮守府にいることを思い出したからだ。例えば不用心に出歩いた結果、赤外線のセンサーに引っかかって警報が鳴る……最悪侵入者とみなされて撃たれては困る。
 ううむ、廊下で窓を開けるくらいに留めておくべきだろうか。
 窓に近づけば、月光に照らされた人影が、ちょうど私の真下を歩いている最中だった。その姿は影に落ち込んでいて誰何は叶わないが、右手に弓を持っている。ならば恐らく空母の誰か。

215 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/21(土) 10:55:54.20 ID:pQ00XHC/0

 ということは、恐らくではあるが、外に出られないことはないらしい。まぁ当然か。周辺海域の見回りに緊急出動など、青葉ではないけれど、夜討ち朝駆けは艦娘の常套。そのたびにいちいち警報を切るのはあまりにも面倒だろう。
 見るからに怪しいところに近づかなければ問題あるまい。研究所とか、備品庫だとか。そう判断して、私はふらふらと、階段を下りていく。

 外に出るための扉には施錠はされていなかった。単にいつもそうなのか、それとも先ほどの空母が内鍵を開けたのか。
 なんとなく、先ほどの空母はあっちに向かっていったなという思いで、棟の裏手へと回る。

 当然鎮守府や泊地といった前線基地は海沿いにある。しかし、佐世保は大きい。あまり海風は感じない。それでも確かに潮のにおいだけは確かにあって。
 購買の照明が煌々と灯っているのが、かなり離れた位置からでもわかった。なんてコンビニエンスなのだろう。ともすれば、いまも海のどこかで、佐世保の艦娘たちは夜警に出ているのかもしれない。

 右へ曲がれば夕方に向かった演習場になっていて、そこにベンチがあることを知っていたから、私はそちらへと曲がった。

216 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/21(土) 10:58:22.80 ID:pQ00XHC/0

「あ」

 先客がいた。こんな夜更けだというのに胴着さえ身に着けて、弓を構えている。確か夕食時は私服だったはずだ。また着替えたというのか。
 さきほどの人影の正体がわかると同時に、一体なぜ、なにをしにここへ、といった疑問が湧いてくる。彼女は夕食後の宴会を早々に退散していたはずである。酔い覚ましとは考えにくい。

 彼女もまたこちらに気付いたようだった。ちらり、視線だけをやって、射形は崩さない。
 的がなくても射られるものなのだろうか。ベンチに座って、加賀を見る。

「……なに?」

「あぁ、ごめんなさい。気が散る?」

「用事があるわけではないの?」

「酔い覚ましの散歩。邪魔になるようだったら場所を変えるけど」

「お願いできる? わたし、あなたちのことが好きではないみたいだから」

217 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/21(土) 11:11:02.04 ID:pQ00XHC/0

 疑問と苛立ちの両方が、殆ど同時にやってくる。それは悪天候の日、濃い灰色の暗雲から、水平線のさらに向こうに落ちる稲妻の群れに酷似していた。
 次の加賀の言葉も、そして私自身の言葉も俟たずして、ベンチから立ち上がった。

「……ひどいご挨拶じゃない」

「そうね。申し訳ないとは、思っている」

 真実味のない言葉だった。加賀はこちらへ視線を向けず、射形も、やはり、崩さない。先ほどから数分はその体勢でいる。
 肩を掴んで「こっちを見ろよ」とやりそうになる衝動を抑える。夕方、演習の終わり、霧島との会話が脳裏をよぎったからだ。

 在り方。

 加賀は筆頭秘書艦だ。彼女の肩には、責任がある。呉の名前と誇りを背負っている。なにより、彼女には呉の他の艦娘たちを導かなければならない。そんな彼女の言動がこれ? まったき信じられない事実。
 無論、全てにおいて、どんなときでも、その役割で居続けることは難しいだろう。立場が求めるふるまいと本心は必ずしも一致しない。いまの加賀が筆頭秘書艦の仮面を脱ぎ捨てている可能性だって否定はできない。

218 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/21(土) 11:13:13.77 ID:pQ00XHC/0

 それでも。それでも、なら、どうして彼女は射形を崩さない? 胴着を身に着けたまま、遠くを見据えている?

 それはとても難しいことに思えた。なにより奇妙に思えた。推論のちぐはぐ感。きっと間違っているからだ。

「CSARが?」

「……えぇ、まぁ、そうね」

 あなたたち、と加賀は言った。あなた、ではなく。
 海軍と空軍の領域。防衛省と神祇省の領域。仕事には自らの範囲というものが必ずあって、そうでなければ万事においてぐずぐずになってしまうだろう。上の人間ほどそれにこだわる。矜持から来るものなのか、既得権益から来るものなのか。
 加賀はそちら側なのか? 努めて悪態をつくならば「旧態依然の」人間なのか?

219 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/21(土) 11:24:26.43 ID:pQ00XHC/0

「言っておくけれど」

 喧嘩腰にならないように、それでもはっきり怒りを露わにして、言葉を選ぶ。

「私たちの仕事は誰にも邪魔させないわ」

「……」

 たっぷりと間を開けて、加賀はまた「そうね」と言った。

「互いの仕事に全力を尽くしましょう」

 私はすぐさま踵を返した。悪酔いはすっかり冷めてしまっていたが、別の感情が胸中を支配して、このままではまるで寝られそうになかった。
 加賀、彼女にもまた彼女なりの何かがあって、心に決めた在り方や過去が今の彼女を形作っているのだとして、それでも慮ってやれるほどには私は優しい人間ではなかったのだ。

「どきどきしてましたよ」

 物陰から、青葉が声をかけてくる。
220 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/21(土) 11:25:43.33 ID:pQ00XHC/0

「割って入っては、来なかったのね」

「や、勿論殴り合いになる前には止めるつもりでした。

 肩を怒らせながら歩く私の速度は、たぶん少し早い。青葉は困ったように笑いながら、一眼レフを肩からぶらぶら揺らしつつ、ついてくる。

「あの人は……」

 言葉を選ぶ。

「『ああ』なの?」

「そうですね。気難しい人ではあります。有名な話です。その代り、個人での戦闘能力も指揮能力もずば抜けていて……必勝請負人ですから」

「なにか私たちが気に障るようなことをしたとでも?」

「それはないとは思いますが。そもそも交流が浅いですし」

 なら、なぜ。どうして。

「あんなことを言われなくっちゃならないの」

221 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2020/03/21(土) 11:28:07.67 ID:pQ00XHC/0

 戦うことは大事なことだ。戦わずして、真に大切なものは守れない。しかしそれと同時に、同じくらい、誰かを助けることは重要なはずだった。

 怒りが鎌首をもたげる。

「……免罪符になるとは思いませんが、艦娘になる人間などみぃんなワケありです。古株は、特に。あの態度が本心なのかそうでないのか青葉にはわかりませんが、偏屈で頑ななだけでは呉という大所帯を率いることはできないでしょう。
 きっと、理由があるんだと思います。それとなく調べてみますよ」

「余計な詮索はしないほうがいいんじゃない」

「よく言われます」

 青葉は頬を掻いた。

「それでも、ねぇ、山城さん。自分にもっと力があれば、だなんて、きっと殆どの人が思うことです。青葉だってそうです。
 このまま作戦が何事もなく終わって――少なくとも表面上は――加賀さんとお別れした時、きっとモヤモヤが残るでしょう。青葉はそれが嫌なんですよ。もっとできたはずだと、うまくやれていればこんなことにならなかったのにと生きていくのは」

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