モバP「持たざる者と一人前」

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1 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:09:21.44 ID:FCK0uUJh0
モバマスSSです。 公式設定とはずれた勝手な設定があります。
またP視点に偏重しているのでアイドル成分は薄く、登場も遅いです。
それでも宜しければ、読んでいただけると幸いです。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1564668561
2 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:11:31.83 ID:FCK0uUJh0
□ ―― □ ―― □


 俺には何にもない。

 それは才能って意味でもそうだったし、財力やら権力やらって意味でもある。お袋と親父には悪いけど取るに足らない一般農家の、取るに足らない一人息子だ。

 当然学校の成績なんかも中の中。ひいき目なしに言えば中の下。運動も出来ないことはないけれど、だからって体育祭とかのクラス対抗戦には名前すら上がらない程度。

 周りの大人たちはたぶん、最低限の期待はしてくれていたと思う。トンビがタカを産んだ可能性だってあるって。だから誰だって期待はする。俺だってするだろう。

 けどまあ、そんな期待はいつの間にか消えていた。当然だよな、何にもないんだもの。それに文句を言うつもりはないけれどね。過度な期待なんて重荷でしかない。

 そうとも、そんなちっぽけな期待でさえ俺にはキツかった。だから意地の悪い奴は俺のことを、何をやっても“半人前”だなんて言った。ありがたかったね、正直なところこれ以上ないピッタリな評価だった。

 だからってこれまでの人生で何かをやる時に手を抜いたつもりはない。少なくとも俺は俺の“一人前”を果たしてきたつもりだった。やれるだけのことはやった。例えそうじゃなかっても今更だ。
3 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:12:06.52 ID:FCK0uUJh0
 だから俺だけは俺を信じてやれる。俺にはやりたいことがある。アイドルのプロデューサーってものが、俺はやりたいんだ。

 何を一人前にって思うかもね。俺みたいな半人前には無理な夢だって。俺だってそう思う。客観的に見ればその通りだ。

 けど、夢だ。だから諦めない。当然お袋と親父には反対された。それでも俺は曲げなかった。たった一度の人生だ、賭け金としては安いかもしれない。けれどそれでも博打を打ってみたかった。

 『一念岩をも通す』なんてことわざがある。だから俺は想い続けるよ。やる気だけはあるなんて性質の悪い言い分だろうけれど、これが“持たざる者”の“持てるだけ”だから。

「――ねぇ、苦しくないの? 辛くないの?」

 もちろん! 苦しくなんて、辛くなんてあるものか。これまでずっとがむしゃらにやってきたんだ。これからもそうするだろう。

 例えそこに至る道が困難を極め、踏破するだけの才能がなくても。俺だけじゃ無理でも君がいればって可能性を感じたから、声を掛けたんだ。

 俺は今回こそ、岩を通そうとしている。

 どうかな、君はどう思う? 君にとって俺は……どうだろうか?
4 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:13:20.97 ID:FCK0uUJh0
□ ―― □ ―― □



『うーん、駄目か……。まあそうだろうと思ったけど』

 初夏もすぎもうすぐ夏だと宣言するような日差しが、せせら笑うように俺を襲っていた。昨日の雨のせいか、妙に蒸し暑いのも不快指数を跳ねあげている。

 手に持つ携帯電話――今ではもう絶滅危惧種と化したガラケーのメールアプリに浮かぶ、新着なしの文字。俺は来るはずがない連絡が来るのを待ち続けている。

『アイドルをやりませんか!』

 ここ数日、そうやって声をかけたアイドル候補の女性たちを思い出す。そもそも話を聞いてもらえなかったのが大半で、ナンパかキャッチだと思われてでも話を聞いてもらい、押し付けるように連絡先を書いた無地の名刺を渡したのが二人。

 どちらも迷惑そうに受け取っていたから、新手の詐欺と思われて通報されなかったのが幸運だったと思うべきなのかもしれない。

 俺は額に浮かんだ小さな汗をぬぐうと、ガラケーを閉じてアパートの鉄階段を登り、突き当りの一室、二〇四号室の鍵を開けた。扉の向こうは埃っぽい、1Kの小さな部屋だ。

 高校卒業後、上京してからもう三年以上経つ。夢への道は果てしなく遠い。プロデューサーどころかスタッフにさえなれてもいない。

 最初はシンプルな話だと思った。芸能プロダクションに新入社員として入ってプロデューサーになればいいと。だから履歴書を送った。そのほとんどは無駄に終わったが、中には面接に進めることもあった。

 けれどどこも採用してはくれなかった。俺の夢を告げた時の面接官の言葉は記憶に新しい。
5 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:13:48.95 ID:FCK0uUJh0
「我々が売るべきものは顧客の夢だ。君の夢ではない」

 ……結局芸能プロダクションへの就職活動は二十連敗を超えたあたりで数えるのをやめた。だから別の道を探すことにした。だったら俺がプロダクションを作ればいいんだ、と。

 限りなく名案だと思った。別に大きなプロダクションである必要はない。俺と、アイドル一人だけのプロダクション。そんなちっぽけなものでも俺の夢は果たせるはずだって。

 だから街中で見かけたこれは、と思う女性に声もかけた。……初めて声をかけた女性の言葉は、昨日のように思い出せる。

「……頭、おかしいんじゃないですか? 無理ですよ、そんなもの」

 当然の回答だった。人脈もコネクションもない。後ろ盾や資金があるわけでもない。実績もなければ手腕があるわけでもない。ないない尽くしの男についていく奴はいない。わかっていたことのはずだ。

 結論として、それは的を射ていた。それから二年間、俺は誰も彼もに振られ続けている。
6 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:14:15.59 ID:FCK0uUJh0
『……もう一年ない、か』

 上京するとき、お袋と親父に誓った期限がある。それが四年だった。今年中に俺はプロデューサーにならないといけない。もし出来なければ……田舎に帰って家業を継ぐことになるのだろう。

 継げるものがあるだけ恵まれている方だ、なんて思いながら扇風機をつけると、ごろんと部屋に寝転がって天井を見る。

 そしてケータイを取り出し片手で小器用に開いた。型落ちもいいところだがとある理由で買い替えるつもりはない。あと夜勤バイトで食いつないでいる人間にそんな余裕はないってのもある。

 俺はぷちぷちとボタンを押して、一つの動画を呼び出した。それはとあるゲリラライブの映像だった。

 そこに写っているのは一人のアイドルの姿。今から四年前の高校生の頃、修学旅行で来ていた東京の街角で撮った物だ。画質も音質も悪く、時間もほんの数十秒の短いもの。

 この女性が誰かはわからない。たまに誰かに聞いてみたけれど誰も知らなかった。だが――。
7 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:15:21.85 ID:FCK0uUJh0
『……“アイドル”だよなあ。やっぱり』

 こんな動画よりもずっとずっと、俺の脳裏には彼女の姿も声も鮮明に残っている。とても綺麗だった。もちろん容姿という意味でもある。そして心地の良い声の持ち主だった。だから惹かれたのだとは思う。

 けれどもそれが本質ではなくて、彼女にはどうしようもなく抗えないまぶしさ、説明のできない魅力があった。俺が決して持ち合わせることのないそれ故に、彼女は紛れもなく偶像《アイドル》なのだと思った。

 そうとも、彼女が俺にこの世界を教えてくれた。これが“夢を売る”ということなら、世にアイドルファンがこれほどいる理由もわかるというものだ。

 あれ以来、この彼女が俺にとっての“アイドル”の基準になっている。それは簡潔に言えば、感動というもの。だから俺はアイドルのプロデューサーになりたい、なんていう先の見えない道を選んだ。

 “アイドル”を生み出せる人になりたい。純粋な憧れ、そして目標。そう言った一種の終着点として、夢を見てしまった。

 馬鹿なことだとは承知していた。けど、夢だから。俺は顧客の夢も、俺の夢も満たせる“アイドル”のプロデューサーになりたかったのだから。
8 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:16:11.11 ID:FCK0uUJh0
『うだうだ考えてないで、もう一回出かけるかな』

 それでもいい加減、何か成果を出したいと思っている。いや、そんなものは三年も前からずっとだ。一応、数少ない人脈を伝って小さなインディーズレーベルと懇意にさせてもらっている……と俺は思っているけれど、それは成果とはとても言えない。

 プロデューサーとしてのいろはさえ知らなかった俺に、ちょっとしたアドバイスをしてくれた人たちというだけだから。ちなみに二回目からは講義料を取られた。その分しっかりとは教えてくれたけれど。

 彼らと働くことは考えた。だが採用してもらえるとは限らないし、採用してもらえたとして、たぶんそれはプロデューサーとしてではない。分不相応と言われようとも、俺はプロデューサーになりたいと思う。

 だがこの三年で俺は俺の夢がいささか無謀だと知りつつあって、でも諦めはしなかった。やる気だけは有り余るほどあるのだ。それが俺の“持てる限り”なのだとすれば、やる気を損なうわけにはいかない。

 ひとしきり休息を取った俺は、やがてリクルートスーツよりかは幾らかモダンでシックなスーツに着替える。二着三万円のたぶん安い部類それは、上京する俺に最後まで反対していたお袋と親父が、それでもと買ってくれた贈り物。

『おーし、じゃあ行きますか!』

 大切なスーツでびしっと決め、そんな風に気合を入れる。ああ、なんだかいいことが起こりそうだ。
9 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:17:02.03 ID:FCK0uUJh0
□ ―― □ ―― □




『……なーにが“いいことが起こりそう”だよ。やれやれ……災難だな、本当』

 げんなりしていた。原因は簡単だった。ケータイを落としたのだ。

 全く進展を見せないスカウト活動に精を出し、二度ほど変質者として通報しますよ! と脅された帰り道。なんでも新進気鋭のアイドルグループがライブイベントをしていたらしく、通りはかなりの人混みだった。そしてそこを何とか押し通ろうとした。

 俺だって興味がないわけじゃない。伊達でアイドルプロデューサーを目指しているわけじゃない。だから視察……というと偉そうだから見学ということにしておいて、そのライブが行われる場所に行った。

 それが良くなかった。いやあ、凄い人だった。通りの人混みなんて足元にも及ばないほどの人だかりで。おかげでどこの誰がライブをやっているかも分からなかった。遠くから聞こえてきた歌声は、そのほとんどが歓声のせいでかき消された。

(骨折り損のくたびれ儲けだな、これじゃ)

 内心苦笑をしながらその場を離れようとしたのだが、まあ、そう簡単に抜け出せるはずもない。歩行者天国どころか満員電車の車内のような有様。

 そして三十分ほどかけてようやく道の端っこにたどり着いた時に気付いた。ケータイがない、と。
10 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:17:29.59 ID:FCK0uUJh0
 最初はスられたとも思ったのだけれどあんな型落ちもいいところのケータイ、金を貰ったって欲しがる人はいないだろう。だが俺にとってはかけがえのないケータイだった。あの動画を見れるのは、あのケータイだけなのだから。

(……こんなことなら早々に買い替えておくべきだったかな。ああ、ちくしょう)

 今更悔いても仕方がない。一縷の望みをかけて最寄りの交番へと向かいながら、俺は嘆息する。もっとも、あのデータをどうにかして残しておく術は限られていたと思う。型落ち過ぎて吸い出す手段はないだろう。

 メールに添付するにせよ、サイズが重すぎて――あくまで当時の基準だが対応していない始末。いまならクラウドとか、ファイル共有サイトとか、そういう便利なサービスが仕えたんだろうなと思わずにはいられなかった。

『……届いていると、いいなあ』

 そんな風に思いつつも交番へとやってきた俺は、中のデスクで座っていたお巡りさんに声を掛ける。人の好さそうな、まだ若い人だ。

『あの、すみません。ケータイ落としたんですけど。……届いてないですかね』

「うん? ケータイ? スマートフォンですか」

『ああ、スマホじゃないです。何でしたっけ、ガラケーです』

「なるほど、ガラケー。落としたのはいつ頃ですか?」

『本当についさっきです。一時間も経っていなくて……』

「わかりました、確認をしますのでそちらに座っていてください」

 お巡りさんはそう言って遺失物を管理しているだろう奥の部屋へと消えていく。
11 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:18:30.13 ID:FCK0uUJh0
(あの様子じゃ多分届いていなさそうだな……)

 そんな風に悲観的に考えつつ、とりあえず傍のパイプ椅子に腰を掛けた。それから三分ほど経つ。お巡りさんはまだ戻ってこない。

『やっぱり駄目そうだな……』

 肩を落とした、その時だった。

「――すみません。落とし物、届けに来たんですけど」

 交番内にそんな声が響いた。妙に耳に残る少女の”凛”とした声。俺はふと、俯いていた顔を交番の入り口へと向ける。

 刹那、びりりと体中に電気が走ったかのような感覚。

 そこにいたのは声の印象に違わない、クールな印象を受ける一人の少女だった。

 黒髪と呼ぶには幾らか茶色がかったロングヘアーが風によってかすかに揺れ、耳たぶにあるピアスが見える。外国の血が入っていないだろうに、その瞳は光の加減か、僅かに碧が含まれているように見えなくもない。

 どこか気だるげな表情は無愛想と評されることもあるだろう。どこかを見ているようで見ていない……とてもつまらなさそうな、そんな目つきの鋭さも相まって、キツめの印象を与える。

 だが俺にはその胡乱な目がなぜか、ひどく目に留まった。何かを秘めているようなその奥にある既視感。

 気が付けば全くの無言で、全身全霊彼女を凝視していた。
12 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:19:01.49 ID:FCK0uUJh0
(――この子しかいない)

 うわごとのように俺は思う。そして声を掛けようと思って……今自分のいる場所を思い出す。交番だ。ああ、くそ。流石にそこまでネジは吹っ飛んでいない。喜ばしいことだ、多分。でも、ちくしょう、この機会を逃すわけには。

 そんな葛藤を抱いている俺に彼女も気付いたらしい。ただ、単に先客として扱われたのだろう、軽く会釈だけを俺に向けてから覗き込むように交番へと入ってくる。

 もうこの季節には暑いだろうに、長袖と思われるシャツにカーディガンを羽織った彼女。第一ボタンを開けて緩めたネクタイと首元にあるシルバーのネックレスが映える、なんとも都会の女子高生という感じだ。

 それからグレーのスカートから伸びるすらりとした脚。いや、男ならそういう物に目を取られるのは仕方ないと強弁したいところだけれど、そういう物を差し引いても彼女の制服姿はひどく似合っている。

 なんというか垢ぬけている。そして学生にありがちな軽率さをそこまで感じない。崩れた制服から遊び人の印象を受けてもおかしくないのに、雰囲気は落ち着いている。

 そこにあるのは第一印象の無愛想さが転じた、ある種の実直さだと気づくのに時間はかからなかった。堂々としているというか、度胸があるというか。一言でいうと、「真っすぐ」というのが似合う。
13 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:20:28.69 ID:FCK0uUJh0
 ……と、そんなことを思っているうちにふと気づいた。彼女の持っている物。とても、とっても見覚えがある。傷だらけの蒼いケータイ。折れ曲がったワンセグ用のアンテナと、汚れで黒ずんだどこかのご当地キャラのストラップ。

 ――あれは俺のケータイでは?

 好機だ、好機でしかない! そう思って声を掛けようとした瞬間、

「お待たせしました。調べたところ、どうもケータイの落とし物は届いていないですね。申し訳ないのですが、遺失物の届け出を作成しますので、詳しい特徴をお伺いできますか」

 奥の部屋へ消えたお巡りさんが、ここぞというタイミングで戻ってくる。目の前の少女に声を掛け損ねた俺は、一瞬にして言葉の吐き出し先を失い、金魚のように二度、三度と口を動かして。

 そしてようやく言葉を纏めることが出来た矢先、今度は少女の言葉が俺を遮る。

「あの。落とし物拾ったんですけど……もしかしなくてもこの携帯電話、この人のじゃ」

 そうだとも、君のそのケータイは俺のだ。今すぐお礼を言って受け取りたい。思わず手を伸ばしそうになる。

 けれどまたしてもその行動は、お巡りさんの言葉で阻害された。うーんままならない。
14 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:21:00.56 ID:FCK0uUJh0
「うーん、もしそうだとしても一応規則ですからね。お手数ですけれど、確認と書類を作成しますのでご協力いただけますか」

「……まあ、いいですけど」

「申し訳ありません。ああ、そちらのお兄さんも。ちなみにそちらの方が持っている携帯電話で間違いないですか?」

『えっ? ああ、ええと、はい。たぶん、その合ってます、青のケータイで、ご当地ストラップで。あー、番号とか、言った方がいいですかね。アドレスとかも』

 そしていきなり俺に話を振られたので少ししどろもどろになってしまった。ほんと急に話を振るのはやめてほしい。お巡りさんは人の好さそうな笑みを浮かべると、

「ああ、そこまでしなくても大丈夫です。一応、書類に残すだけですからね。身分証とか、あります?」

 俺にそう尋ねた。

『えっと、免許でいいですか』

 乗ってないけどね。乗る機会もない。お金ないし。

「ああ、はい、結構ですよ。そちらのお嬢さんも、椅子に座ってお待ちください」

 てきぱきと書類作成の準備に取り掛かったお巡りさんに免許を渡しつつ、彼がケータイを受け取るときに合わせてちらり、と彼女の方へと目をやった。

 特に面倒そうな様子も見せず、椅子に座ってさっきまで聞いていただろう音楽プレイヤーをポケットにしまい込んでいる。当然名前なんてわかるはずもない。今時小学生でもあるまいし、名札がついているはずもなくて。

 そうだ、落とし物を見つけた人には一割だか二割だか、お礼を支払う的なことを聞いたことがある。そのどさくさに紛れて――。
15 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:21:35.34 ID:FCK0uUJh0
(……いや、これは完全にヤバい思考だ。ないな、うん、ない)

 そろそろ暴走し始めていたので理性で押さえつけ、落ち着かせるために交番の天井を見上げる。無機質な白の天井。防音材か何かかは分からないけれど、所々穴が開いている。あれは何のためにあるのだろうか。

 そんな取り留めもないことを考えていると、お巡りさんが二枚の紙ぺらを俺と、少女の方へ差し出した。

「すみません、お二人ともこちらの書類に諸々、記載いただけますでしょうか」

 一枚は拾得物届け、もう一枚は遺失物届け。落とし物を見つけましたって奴と落とし物をしましたって奴。もちろん俺が書くべきなのは遺失物届けの方。

 俺はボールペンを走らせる。手で文字を書くのなんて久しぶりで、幾分か字が汚くなってしまったことに若干のショックを受けつつ、十分読み取れるはずの文字を書きこんでいく。そうして俺がちょうど書類を書き終えようとしていたとき。

「これでいいですか」

「……はい、大丈夫ですよ。すみません、お手間を取らせて」

「いえ。もう、帰っても大丈夫ですか」

「はい、ご協力感謝いたします」

 隣で少女が書類を書き終えたらしい。しまい込んでいた音楽プレイヤーを取り出しながらお巡りさんに紙を差し出している。俺は努めてその紙を見ないようにしつつ、一気に書類を書き上げた。

 俺の脳内に去来する、“彼女と二度と会えないかもしれない”という思い。鈍痛にも似たそれがひどく俺の頭を揺らし、瞬間的な焦燥を生み出していた。

 俺は極限まで勢いを抑え込みつつ、迅速にお巡りさんへと書類を差し出す。その間に彼女はスクールバッグを肩にかけて、交番を後にしようとしていた。
16 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:22:02.09 ID:FCK0uUJh0
『大丈夫ですか、これで。なんか不足とか……』

「ええと、特になさそうです。ご協力、感謝いたします」

『いえ、こちらこそお手数をおかけしたようで。ありがとうございました』

 そう言って一気に立ち上がる。もうすでに彼女は交番の外へと出ていた。急いで、後を追う。

 いた、交番からほんの数メートル。いまにも雑踏に溶け込もうとしている彼女の姿。

『あのっ!』

 彼女は応えない。もう、イヤホンを耳につけているのかもしれない。でも言わなきゃ。

 何を? 俺の連絡先? 名前を教えてほしいっていう思い? スカウトの言葉?

 ――違う、そうじゃあない。いま伝えなきゃいけないのはそうじゃない。俺は息を吸い込んで、そして言った。決して大きくはないけれど、万感の思いを込めて。
17 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:22:29.07 ID:FCK0uUJh0
『ありがとう。ケータイ、拾ってくれて』

 その言葉に、彼女は一瞬だけ足を止めて、そして軽くこちらを振り向いた。ちらりと目が合う。胡乱だと思っていたその目はじっと俺を見据えている。……なんてことだ、胡乱なんて、とんでもないじゃないか。

 彼女は微かな笑みを浮かべ、じっとこちらを見ていた。少なくとも俺にはそう見えた。そして射貫かれるような鋭い視線の中にあった、“良かった”なんていう安堵の色。

 もちろんそれも俺がそう感じたにすぎないけれど、きっと間違いじゃあない。そう信じたい。

 彼女は軽い会釈を俺に交わし、再び前を向いて歩いていく。とてつもない強さと真っすぐさの象徴。俺にとってその後姿はそう見えた。

 それで、俺はもう駄目だった。ほぼ無意識に取り出したケータイ。頭は何も命令を下していないのに、体が勝手に動いたとしか思えない手つきでカメラを起動させて。

 雑踏の中へ消えゆく、制服姿の少女へとそれを向ける。どこか、映画でも見ているかのようなそんな気分で。

 “いいことは起こった”。そう思った瞬間。

 ぴぴっ。かしゃっ。

 交番の前、雑踏に、そんな電子音が響いた。

18 : ◆v0AXk6cXY2 [saga]:2019/08/01(木) 23:25:17.64 ID:FCK0uUJh0
本日はここまでになります。
また数日中には続きを投稿する予定です。
ありがとうございました。
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