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真美「ベランダ一歩、お隣さん」
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91 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:07:52.38 ID:5Y2de4vS0
もっと兄ちゃんに甘えたいな。
「兄ちゃん、もっとー」
「仕方ないな、真美は」
そう言って、兄ちゃんが首回りを優しくもみほぐしてくれて。
「あはははっ、ちょ、くすぐったいってばぁ!」
「そういや前、くすぐりみたいで苦手だって言ってたな」
今度は肩を軽く、リズムを刻みながらぽんぽん叩いてくれて。
小さい子を落ち着かせるような、優しく寝かしつけるような……。
子どもっぽいって思われるかもだけど、兄ちゃんにこうされるの、好きだよ。
92 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:09:57.42 ID:5Y2de4vS0
兄ちゃんがしてくれる一つ一つが、真美を幸せにしてくれる。
「兄ちゃん、おやつー」
「何が食べたい?」
「白いやつー」
真美が上半身を起こすと、兄ちゃんがフォークを片手に待ってて。
「真美。はい、あーん」
「あーんっ」
ぱくっ。
兄ちゃんが差し出してくれたショートケーキを一口。
んー!
やっぱり、甘味は正義っしょ。
93 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:10:34.69 ID:5Y2de4vS0
「そんなにケーキが好きか?」
「うん、好きだけど……」
「だけど?」
兄ちゃんが食べさせてくれるから、こんなに美味しいの。
ぱくぱく。
「はい、今度は兄ちゃんがあーん」
「同じフォークでいいのか?」
「いいから! あーん!」
「はいはい。あーん」
兄ちゃんも一口ぱくり。
付き合ってあげますよ、って顔してるけど、真美知ってんだかんね。
兄ちゃんも甘味が好きで好きでたまんないって。
「……悪くない」
ほぉら、口元がちょっと緩んでる。
94 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:11:00.96 ID:5Y2de4vS0
食べ終わったら、兄ちゃんの膝の上にお座り。
兄ちゃんの腕をシートベルトみたいに掴むと、優しく抱え込んでくれて。
「兄ちゃんってあったかいね」
「冷たかったらそりゃあ死んでるからな」
「真美、あったかいかな?」
「ああ。ホッカイロみたいだ」
「……使い捨て?」
「まさか」
目を閉じると、背中越しに兄ちゃんの鼓動が伝わってくる。
95 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:11:27.64 ID:5Y2de4vS0
あったかい。
優しさの温度。
心の温度。
それは、兄ちゃんの?
それとも、真美の?
一つ確かなのは、兄ちゃんと一緒にいると幸せになれるってこと。
96 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:11:57.00 ID:5Y2de4vS0
そうだよ、兄ちゃん。
「……幼女が侵入してきた」
「なにをー!」
兄ちゃんと出会って。
「ほれ、お食べなさい」
「今日はカステラだー!」
おやつ食べて。
「ねね、ドライブいこーよドライブ!」
「えぇ……卒論の要項出さんといけないんだけど……」
いっぱい遊んで。
「はっぴばーすでー!」
「お前、いつの間に人の誕生日調べやがった!?」
たくさん騒いで。
97 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:12:23.28 ID:5Y2de4vS0
「んっふっふ〜、真美が事務所に来てびっくりした?」
「お前らなあ……ドッキリのために人生を変えるなよ……」
兄ちゃんといる時。
兄ちゃんと何かする時。
兄ちゃんはね、真美を幸せにしてくれるんだ。
兄ちゃんと初めて会ってから、一緒に何かするたんびに、少しずつ幸せが大きくなってったんだよ。
ただのお隣さんなのに。
ねえ兄ちゃん、どうしてかな。
98 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:12:50.18 ID:5Y2de4vS0
むくり。
「……ん……ふあぁぁ……」
って真美、いつの間にか寝ちゃってたみたい。
窓の外は真っ暗。
もうけっこー夜遅くじゃん……。
あーあ、さっきのは全部夢かぁ。ざーんねん。
「あ……毛布?」
隣のベッドを見ると、亜美が小さな寝息をたててた。
帰ってきて、寝てる真美に気付いたのかな。
「……あんがとね」
はいじゃってた毛布を掛け直してあげると、亜美は小さな寝言をごにょごにょ言って寝がえりを打った。
「お疲れさま、亜美」
亜美は亜美で、とっても疲れてるんだよね。
99 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:13:16.45 ID:5Y2de4vS0
すっかり寝ちゃったせいか、ぜーんぜん眠くなかった。
ちょっと大人ぶって、夜風にでも当たってみよっかな。
セーターを着て、ベランダに出てみる。
「わ、けっこーさむいなー」
はーって息を吐くと、白い霧ができた。
霧は、さっきの夢みたいにすぐに消えちゃった。
「……どーして兄ちゃんと一緒だと、幸せになれるのかな」
今もこうして兄ちゃんのことを考えると、とっても幸せであったかい気分になる。
同時に、いま隣に兄ちゃんがいないことが、とっても寂しくて切ない気分になる。
「兄ちゃーん……真美に変なまほーかけたー……?」
ベランダの手摺りに顎を載せながら、ちょっと文句を言ってみた。
もちろん答えは返ってこないけど。
100 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:13:48.73 ID:5Y2de4vS0
「……むー」
なんか気に入らない。
これは、そうだ。ぜんぶ兄ちゃんが悪い。
文句を言ってやらないと。
「とうっ」
室外機のダクトを掴んで、ひとっ飛びでベランダに飛び乗る。
レッスンの成果かな、前よりも軽々と登れた。
「ちえいっ」
そして壁のパイプを掴んで、隣のベランダへひとっ飛び。
手摺りから飛び降りて、兄ちゃんの部屋の前に来てみた。
101 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:14:22.89 ID:5Y2de4vS0
電気消えてるし、誰もいないっぽいけどね。
なんかもやもやするから、とりあえず兄ちゃんに文句言っとこう。
「兄ちゃんのばーか」
「隣の部屋から来た幼女になんか罵倒されてるな」
「うぁぁぁぁああっ!?」
い、いきなり足元から声がしたぁ!!
「しんにゅーしゃ!? ふほーしんにゅーしゃ!? 兄ちゃああああん!!」
「いやいやいやいやふほーしんにゅーしゃはお前だからね?」
「……あれ?」
……よく見たら、いつぞやのよーに、兄ちゃんがベランダに座り込んでた。
もおおおおお!!
びっくりするってばぁ!
102 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:14:51.92 ID:5Y2de4vS0
「いきなり夜中に侵入されてビビってるのはこっちだからな」
「ごもっともです」
真美は何も言い返せなかった。
顔から火が出そーなくらい恥ずかしかったけど、戻るのもなんだから、兄ちゃんの隣に座った。
「体調、もう大丈夫か?」
「う、うん。ここまで来れるくらいには」
「反省、してるか?」
真美の顔を覗きこむ兄ちゃんの表情は、少し心配そうで、少し怒ってるようにも見えた。
「……ごめんなさい」
「ん、分かればよろしい」
もう無茶はするなよ、と真美の頭を撫でた。
うん、無茶しないよ。兄ちゃんに心配かけたくないもん。
103 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:15:19.86 ID:5Y2de4vS0
「兄ちゃん、ここで何してんの?」
「ん? 空を見てたんだよ」
「空?」
「ほら、今日は星が綺麗だろう」
兄ちゃんに言われて見上げると、空はきれーに晴れて、星がぽつぽつと光ってた。
「都会だからそんなに多くはないけどな。それでも、冬の晴れ空ならそこそこ見える」
「ほんとだ、けっこー見えるね」
「そんな空を、明日はオフだし、意味もなく眺めてたわけだよ」
「ふーん」
よくテレビで見るよーな満天の星空、というわけじゃないけど、ところどころで星が光ってる。
都会っ子にとっては、これでも珍しいなーって思ったり。
でもそれ以上に、兄ちゃんと見上げる星空はとっても輝いて見えた。
104 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:15:49.41 ID:5Y2de4vS0
「悩んでいるんだろう」
「えっ」
空を見上げたまま、兄ちゃんが呟いた。
いきなり図星を指されて、真美はとっさに上手い返事ができなかった。
「なんで、そんなこと……」
「真美のことは、見てりゃ分かる」
兄ちゃんはくすくす笑ってから、真美の頭に手を載せた。
「アイドル、辛いか」
「辛くなんかないよ!」
アイドルは、辛くないよ。
そーじゃなくてね、真美は。
続く言葉が出てこなくて、視線だけが逃げるように泳ぐ。
105 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:16:17.64 ID:5Y2de4vS0
「この馬鹿真美め」
「わっ?!」
兄ちゃんが急に、真美のことを抱きしめた。
うあうあっ!? い、いきなしなにすんのー!?
「ににに、にーちゃん!?」
驚く真美を、兄ちゃんは割れ物に触るように、抱きしめたまま優しく撫でた。
「ごめんな、真美」
「……え?」
ほっぺたが、兄ちゃんの胸のあたりに当たる。
いつか背中越しに聞いたゆっくりとしたリズムが伝わってくる。
106 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:17:19.50 ID:5Y2de4vS0
「俺に合わせようと、無理してるんだろう」
「そんなこと……」
ない。
とは言えない。
兄ちゃんと一緒にいたくて必死なのは、ほんとだから。
そのことに兄ちゃんが気付いてくれてたのが、どこかで嬉しかったから。
「……」
返事の代わりに、兄ちゃんの胸の中に顔をうずめた。
視界の外で小さなため息が聞こえて、少し大きな手のひらが、真美の背中をぽんぽんと叩いた。
「無理はしなくていい」
兄ちゃんは続けて言った。
「アイドル、休もうか」
がばっと、真美は顔を上げた。
107 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:17:52.38 ID:5Y2de4vS0
なんで兄ちゃん、そんなこと言うの?
「……やだ」
アイドルを休めって。
それは、真美じゃ力不足だから?
「やだ、やだ!!」
真美じゃ、兄ちゃんと一緒にいる資格がないから?
やだ、やだよ兄ちゃん!
「真美、頑張るから! もっともっと、兄ちゃんが認めてくれるくらい頑張るから!!」
お願い、お願いだよ兄ちゃん!
きっと結果を出すから!
だから兄ちゃん!
「真美のこと、見捨てないでよ……!」
108 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:18:43.03 ID:5Y2de4vS0
涙がとまんない。
鼻もぐすぐすいう。
やだ、やだ、ってちっちゃい子が駄々をこねるみたいに、真美は泣いた。
真美はまだ、そこそこちっちゃい子だけどさ。
そんな真美を兄ちゃんは、もう一回優しく抱きしめてくれた。
「何言ってるんだ。見捨てるわけないだろう」
「ほんっ……とぉっ……?」
「そんな嘘ついてどうする」
真美は兄ちゃんの肩に顎を乗せて、ちっちゃく嗚咽をもらす。
「真美は焦りすぎだ。子どものくせに」
優しい声で、兄ちゃんが諭すように呟く。
兄ちゃんの声を聞いてたら、真美も少しずつ落ち着いてきた。
109 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:20:10.10 ID:5Y2de4vS0
「何もそんな長期間休養しろってんじゃない。一か月でも、一週間でも、一日でも。ちょっと休んで、本当にやりたい形を探してごらん」
真美の身体を少し離してから、目を見て兄ちゃんが微笑んだ。
「一人で休むのが嫌なら、事務所でだらだらしててもいい。俺も合間に話を聞いてやるさ。逃げやしない」
「……ほんと? 真美が全然前に進めないからって、置いてったりしない?」
「お前、俺がそんな薄情者だと思うのか?」
ずびっ、と鼻をすすってから、真美は首を横に振った。
「……思わない」
「だろ? 結果なんてすぐに出す必要はないさ。お前、まだ小学生なんだからな」
「でも、亜美は」
「チャンスは人それぞれ。亜美の場合、運が良かっただけかもしれないし、焦らなかったのもプラスに働いたかもな」
真美はずっと焦りっぱなしだった。
思い返してみると、そのせーで全力を出し切れてなかったことが多かったかもしれない。
真美、急ぎ過ぎてたのかな。
110 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:20:52.36 ID:5Y2de4vS0
「真美、ずっと不安だったんだ」
兄ちゃんに涙を拭いてもらいながら、観念した真美ははくじょーした。
「みんながどんどん前に進んで、亜美も上手くいってて、真美だけが置いてかれて」
そんな真美の話を、兄ちゃんは黙って聞いてくれた。
背中にまわされたままの手が、とってもあったかい。
「このままじゃ、兄ちゃんにも見放されちゃうんじゃないかって」
「なかなか上手くいかないから、プロデューサーが頑張るんじゃないか」
そりゃ、そーだけどさあ。
でもね、こっちにとっては不安で不安で仕方ないんだよ。
「真美の取り柄は、元気とやる気だけだから。それを活かして前に進むには、めいっぱい頑張るしかないっしょ」
「んー……」
兄ちゃんがちょっと唸って黙り込んだ。
あれ……真美、なんかいけないこと言っちゃった……?
111 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:21:22.33 ID:5Y2de4vS0
ちょっと迷ったような顔をする兄ちゃん。
「あー……真美の取り柄は、元気とやる気だけじゃないよ」
「他に何があるっていうのさー」
「えーとだな」
しばしの沈黙。
……ほーら、思い付かないじゃん。
ふぉろーしよーとしてくれるのは嬉しいけど、真美が一番分かってるもん。
「ないでしょ? 兄ちゃん、無理しなくて――」
112 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:21:48.97 ID:5Y2de4vS0
「可愛いからな、真美は」
「い……へっ?」
ん?
んん??
兄ちゃん、今、なんて言った?
「兄ちゃん、なんて言ったの?」
「可愛いって言った」
…………。
えええええええええええええええええ!?!?!?
113 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:22:22.02 ID:5Y2de4vS0
「えっ!? あ、あえっ……に……兄ちゃん!?」
「お世辞じゃないよ。こんな妹がいたらなーって何度も思ったしな」
「あ……そう……」
って、やっぱりそういうことじゃーん!
もー、キタイさせないでよね、兄ちゃんのばか!
「ってかさー……アイドルってみんな可愛いじゃん、真美なんかより……」
「そんなことはないさ」
拗ねて頬を膨らませたら、兄ちゃんの人差し指につんつんされた。
ぷひゅーと空気が抜ける。
「理屈じゃなくてさ、真美って見ててすごく可愛いんだ。見た目だけじゃなくて、仕草とか、声とか、笑顔とか」
「あ、あぅ……」
に、兄ちゃん……。
そんな風に言われると、恥ずいってばぁ……!
114 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:22:48.23 ID:5Y2de4vS0
「技術的なものも勿論大切だけど、そういう天性の雰囲気っていうのかな。アイドルにとってはとても重要だ」
って、結局アイドル論になるんだね。
兄ちゃんは、真美の気持ちを持ち上げて落とすのが上手いですなー。
でも、悪い気はしないよ。
兄ちゃんが可愛いって言ってくれたんだもん!
「ねぇ兄ちゃん、真美ってアイドルに向いてると思う?」
「ああ、まるでアイドルになるために生まれてきたかのようだな」
「んふー」
口元が緩む。
悪い気がしないどころじゃないや。
真美、ちょーにっこにこしてる。
そのまま兄ちゃんの膝の上にごろんと横になった。
115 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:23:19.24 ID:5Y2de4vS0
「真美、ちょっとアイドル休もうかな」
「そうするか」
横になった真美の頭を、兄ちゃんが優しく撫でてくれる。
寒い冬空の下のはずなのに、春先みたいにあったかい。
うあー……癒されるぅ……。
「少しの間ね、どんなアイドルを目指すのか考えたいの」
「そりゃいいことだ。ずっと突っ走りすぎてたからな」
「うん。ちょびっとだけ」
兄ちゃんは、真美のことをちゃんと見てくれてる。
ゆっくり、自分のペースで進んでいいんだ。
それにね、真美、ちょっと考えたいことがあるんだ。
116 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:23:47.07 ID:5Y2de4vS0
「ね、兄ちゃん」
「ん?」
「……んっふっふ〜、なんでもないよん」
「変なやつだな」
兄ちゃん。
真美ね、ずっと兄ちゃんのこと追っかけてた。
兄ちゃんといると楽しいし、兄ちゃんがいないと寂しいから。
でもそれってね、ただそれだけじゃなかったんだよ。
「てやっ」
「いっ!? なんだよ、いきなり人の脇腹突いて」
「ふふふふ」
117 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:24:16.67 ID:5Y2de4vS0
何かあるたびに不安だった。
兄ちゃんが知らないとこで、みんなで仲良くしてるんじゃないかって不安だった。
真美を置いて、どっかに行っちゃわないかって不安だった。
誰か他の人に、兄ちゃんを取られちゃうんじゃないかって不安だった。
それって。
「にいちゃーん」
「今日の真美はやけに甘えん坊だな」
「真美、まだ小学生だからいいんだよー」
兄ちゃん。
真美のこの気持ちは、きっと。
118 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:24:55.13 ID:5Y2de4vS0
あのベランダの夜からね、真美、ちょー考えたんだよ。
実は、答えなんて最初から分かってたけど。
でも、真美にとっては初めてのことだったから。
ほんとにそーなのかな?って。
119 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:25:24.47 ID:5Y2de4vS0
そんなことを聞いてみたら、ピヨちゃんが教えてくれた。
「ふふふ。真美ちゃん、きっとあなたが思っている通りよ」
「やっぱりそーなのかな?」
「女の子は誰もが通る道よ。ううん、きっと男の子も」
「兄ちゃんも通ったのかな」
「多分ね。それはとっても特別で、幸せなことなの」
真美が話してる間、ピヨちゃんはとっても微笑ましそうだった。
120 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:25:56.31 ID:5Y2de4vS0
みんな、同じようなことを言ってた。
はるるんは、あわあわと驚きながら、心地よいものだって教えてくれた。
千早お姉ちゃんは、しばらく黙り込んだ後に、切ないものだって教えてくれた。
ミキミキは、すっごくテンション高めに、情熱と戦争だーって教えてくれた。
表情は人それぞれだったけど、でもみんな、何かを思い出しながら幸せそうだった。
人によっては、前のことなのかな。
人によっては、今のことなのかな。
でもそれが例えいつのことであったとしても。
この気持ちって、幸せなものなんだね。
121 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:26:22.96 ID:5Y2de4vS0
ずっと言葉でしか知らなかった。
人の話とか、物語の中でしか知らなかった。
遠いどこかの出来事だと思ってた。
でも、それは今、真美の中にある。
「兄ちゃん」
「どうした?」
「んっふっふ〜」
「おいおいなんだお前、にこにこして」
兄ちゃん。
真美ね、きっと初めてね。
122 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/18(火) 21:26:49.32 ID:5Y2de4vS0
恋、してるんだよ。
123 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:16:20.83 ID:3PIsBOKz0
真美は今、いっぱいの幸せを持ってる。
少し想いを巡らせるだけで、あったかい気持ちに包まれる。
このあったかさが、たくさんの人に伝わりますように。
「真美、そんなアイドルになりたいな」
「いい目標じゃないか。とってもアイドルらしいし、真美らしい」
まだ全部は言えないけれど、真美なりに考えたことを兄ちゃんに伝えた。
たくさんの人に、このあったかさを届けたいんだよ。
124 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:16:47.22 ID:3PIsBOKz0
そう言うと、兄ちゃんは嬉しそうに笑った。
「アイドル双海真美、リ・バースだな!」
「え、げろげろげー?」
「……頼むからカメラの前ではそういう発言は慎んでくれよ……」
そう言ってから、一緒に笑い合った。
久しぶりだね、兄ちゃん。
兄ちゃんが働き始める前みたいで、懐かしいな。
「兄ちゃん。真美、頑張るよ」
そのためにさ。
「真美の手、引いてね?」
「ああ。プロデューサーに任せとけ!」
繋がれた手のひらを、兄ちゃんの体温が伝う。
これがあれば、何も恐れずに進めるよ。
125 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:17:24.85 ID:3PIsBOKz0
アイドルに復帰してからは、もう無理はしなくなった。
焦らなくていい。
亜美より遅れちゃうのは少し悔しい気もするけど、それはそれ。
亜美は亜美で、真美は真美。
真美なりのやり方で、すぐに亜美に追い付くから!
「だって、兄ちゃんが手伝ってくれるもんね」
「他のみんなだって俺が手伝ってるんだからな」
「うあうあ! 結局びょーどーじゃん!」
「当たり前だろうが」
「あ、隙あり」
「あっ! おま、十割コンボは禁止って言っただろ!」
空き時間にがちゃがちゃとコントローラーを弄りながら、兄ちゃんとアイドル論を語り合った。
126 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:17:54.51 ID:3PIsBOKz0
「そういえばドラマのオーディションの話が来てたんだった。やるか?」
「えっ!?」
「隙あり」
「ぬわーーー!? 兄ちゃんのひきょーもの!」
「大人は汚いのさ」
大人げない、兄ちゃんちょー大人げない!
しょーがくせい相手に何やってんのさ!
「で、オーディション受けるか?」
「え? 嘘じゃないの?」
「オーディション自体は本当だよ」
「受けるよ! もち受けるに決まってんじゃん!」
話を聞いたら、連続ドラマのチョイ役で、ヒロインの恋敵の一人だって。
恋して負ける役かぁ……ちょっと縁起悪いけど、勿論やるよ!
でも小学生で恋敵役って、それいいの?
127 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:18:24.73 ID:3PIsBOKz0
兄ちゃんには二つ返事で参加を伝えた。
オーディションは意外とすぐで、特別な対策とかはしなかった。
「急な話で悪かったな。勝算のほどは?」
「んっふっふ〜、真美、負け戦はしない主義なのだ!」
と見栄を張ったはいいものの、やっぱりオーディションはきんちょーするよ。
でも、心を落ち着けて、出来る限りのことをするっきゃないよね!
気を引き締め直して、自分に、よし!って言い聞かせた。
ちょーどその時、真美の名前が呼ばれた。
「真美は、真美らしくやればいいんだよね」
独り言を呟いて、会場のドアを開けた。
128 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:18:53.30 ID:3PIsBOKz0
恋が実らなかった気持ちを、自由に表現してほしい。
それが、審査員の人から言われた、オーディションのお題。
自由ってことは、セリフとか設定とかはかんけーないんだよね?
えーっと、恋が実らなかったら……。
もし、真美の恋が実らなかったら。
「っ……」
……あれ?
なんだろ、まだ演技始めてないのに……。
129 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:19:22.86 ID:3PIsBOKz0
「……やだ……」
真美の恋が、実らなかったら。
もし兄ちゃんに、振られたら。
誰かに、取られてしまったら。
「やだ……やだ、やだやだやだぁ……!」
ごめん、真美。
申し訳なさそうな顔でそう言う兄ちゃんの顔を思い浮かべたら。
頭の中が、ぐちゃぐちゃになってきて。
「なんで……真美じゃ、ダメなの……?」
兄ちゃん、どうしてそんなこと言うの?
真美、兄ちゃんと一緒だったじゃん。
130 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:19:49.08 ID:3PIsBOKz0
これからも一緒でしょ?
嘘だよね、兄ちゃん。
「ひっぐ……ぁ……うぁ……!」
でも、分かってる。
嘘じゃないんだ。
兄ちゃんは、もう真美とは一緒に居てくれない。
もう兄ちゃんは、真美から離れてっちゃう。
兄ちゃんと笑うことは、もう。
131 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:20:18.49 ID:3PIsBOKz0
「ぅあ……うあぁぁぁぁぁああああん!!」
ぼろぼろと雫が零れ落ちる。
両足はまるで真美のものじゃないみたいに、がくんと折れ曲がった。
「行かないで、行かないでよ! 真美、いっしょーけんめー頑張るから!」
勢いよく膝が床に落ちて、めっちゃ痛いはずなんだけど。
それよりももっともっと、心が痛かった。
「真美のこと、見ててよぉ……」
オーディションが終わるまで、痛みは消えなかった。
132 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:20:49.71 ID:3PIsBOKz0
そんなオーディションが終わると、血相を変えた兄ちゃんが真美のところへ来た。
「ま、真美! 大丈夫か!? そんなに辛かったのか!?」
「え?」
ちょーマジな兄ちゃんが、がんめんそーはくって感じで真美の肩を掴む。
「兄ちゃん兄ちゃん」
「な、なんだ? 審査員の人に酷いこと言われたのか? 上手くいかなかったのか? 大丈夫だからな、真美――」
「いや兄ちゃん。あれ、演技だからね?」
「……え?」
ぽかんと口を開けたまま思考を停止した兄ちゃん。
「迫真の演技だったっしょ? 審査員のおっちゃん達、誉めてくれたよ!」
「え? あ、おう……」
空回りしてたことに気付いて、ちょっと恥ずかしそうな兄ちゃん。
んっふっふ、ういやつよの〜。
133 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:21:22.10 ID:3PIsBOKz0
「マジか……完全に騙された……」
「騙すとはしっけーな。真美は、きちんとオーディションに応えて演技をしたのだよ!」
「む……それはそうだな。大変失礼いたしました、お嬢様」
「うむ、分かればよろしい」
演技は難しくなかったよ。
辛い気持ち、悲しい気持ち、恋する真美には理解できるから。
休みの間に沢山考えたし、無茶してレッスンしてたお陰で、技術はそこそこ身に付いてたし。
でも、実はちょっとズルしちゃったんだ。
……ちょびっと。
ちょびっとだけね?
……兄ちゃんのことそーぞーしたら、ちょびっとだけ本気で泣いちゃった。
これは、真美だけのヒミツだかんね。
134 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:21:56.70 ID:3PIsBOKz0
だからちょっとだけ、回復しないとダメなのだ。
「ねぇ兄ちゃん、頑張ったからご褒美ちょーだい!」
「ケーキは昨日食べたでしょ」
「ううん。頭撫でてー」
「またか。それだけでいいのか?」
「いいの。兄ちゃんは頭撫でマイスターだから、めっちゃ気持ちいいんだよー」
「そうかそうか、そう期待されちゃあ断れん」
お疲れ様、という表情で、兄ちゃんが真美の頭に手を載せた。
わしわし。
「ちょっと痛い」
「マッサージだと思え」
ぽふぽふ。
兄ちゃんの手は、真美の手よりもずっとおっきい。
その手が真美に触れる度に、真美の幸せポイントはちょっと増えるのだ。
135 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:22:32.15 ID:3PIsBOKz0
「真美!」
「ど、どしたの兄ちゃん?」
オーディションから四日。
事務所でやよいっちと二人ババ抜きをしてたら、兄ちゃんが飛び込んできた。
「いきなしそんな声出されたらびっくりするってばぁ」
「……ったぞ」
「え?」
「オーディション! 受かったぞ!!」
「……」
え、オーディション?
136 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:22:59.44 ID:3PIsBOKz0
「……受かったの?」
「ああ!」
……。
「やたあああああああああああああ!!!!」
受かった!
初めて、初めてオーディションに受かった!
真美、やったよ!
「やった……やったぁ!」
「ああ、やったな、真美……!」
「うん……うん……!」
泣き崩れそうな真美を、兄ちゃんが優しく抱きとめてくれた。
やったんだ……やっと真美、本当のスタートを切れたんだ……!
137 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:23:35.94 ID:3PIsBOKz0
「と、ここでお祝いとしたいところなんだが……」
「な、何かあるの?」
「ああ……話には続きがあってな……」
兄ちゃんが思わせぶりなことを言い出した。
え、なんだろ……何か条件とかあるのかな……。
でもどんなことだって、勝ち取った役のためなら……!
「準ヒロインだ」
「どんな厳しい要求が出ても……ん?」
じゅんひろいん?
「先方から連絡があってな。オーディションを受けた役じゃなくて、準ヒロインをやってほしいと」
「誰が?」
「真美が」
「真美が?」
「そうだ」
138 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:24:07.45 ID:3PIsBOKz0
ちょっと待って兄ちゃん。
どゆこと?
真美が、真美が準ヒロイン?
「おい、真美、どうした?」
「……」
「あっ、こいつ驚きのあまり思考停止してやがる!」
あはは、美味しかったなぁ、兄ちゃんと食べたケーキ。
また二人で食べたいな、あーんって……。
「しっかりしろ真美!」
「うっ、うあうあ〜!? な、何!?」
「何じゃないよ。お前、準ヒロイン勝ち取ったんだぞ!」
「……」
「あっ、また思考停止しやがった」
えへへ、あーん……。
139 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:24:56.54 ID:3PIsBOKz0
夜は、兄ちゃんと二人で祝勝会。
もっと大勢から祝ってもらった方がいいんじゃないかって言われたけど、二人がいいって言った。
でも、と言いかけた兄ちゃんを、事務所総出で止めにかかってくれた。
優しいなぁ、みんな。
「はー……やっぱり白いやつは美味し……」
「何でベランダで食べるんだ。中で食べればいいのに」
「ここ、真美の特等席」
「うちのベランダですけど」
「あ、黒いのもーらいっ」
「あぁっ! 俺のブラウニーが!」
もぐもぐ、ごっくん。
やっぱり兄ちゃんと食べるケーキが一番美味しいね。
140 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:25:23.91 ID:3PIsBOKz0
「はい、兄ちゃん」
「うん?」
「あーん」
「いや、いいよ」
「真美、兄ちゃんのケーキ食べちゃったもん。あげなきゃいけないんだよ?」
「えっとだな」
「あーん!」
「……はいはい、あーん」
観念したように、兄ちゃんはショートケーキをもぐもぐ食べる。
なんだかんだで美味しそうに食べてくれると、真美も嬉しくなってくるよ。
買ったの、兄ちゃんだけど。
141 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:25:58.80 ID:3PIsBOKz0
「準ヒロイン、できるかな」
「できるさ」
しょーじき、ちょっと自信がなかった。
オーディションは勝つ気満々だったけど、まさか準ヒロインなんて。
「真美ならできると審査した人が思ったからこそ、この話が来たんだ」
「でも、真美はまだまだだよ。あのおっちゃんたちだって、真美の実力知らないし……」
「そう、真美の実力を知らない」
兄ちゃんは残ったブラウニーをばくんと一飲み。
チョコがついた人刺し指を、少し舐めた。
なんかえっちぃ。
「あの日見た演技だけで、真美にはできると思った。でも、真美の本気はそんなもんじゃない」
真美のことを見て、にっこり笑う。
俺は知ってる、と言わんばかりの顔で。
142 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:26:34.40 ID:3PIsBOKz0
「だから、お前の本気を見せてやれ。主役も食っちまう勢いで」
「うん」
兄ちゃんが言うと何でも、本当にそうなるように思える。
初めて会った頃は疑い半分なことばっかだった。
いつの間にか真美、兄ちゃんのこと、こんなに信用してたんだね。
そんなに信用できる兄ちゃんだから、好きになったんだけど。
「これがヒロイン!」
「おぉっ、豪快にケーキにぶっ刺したな!」
「そしてこれをっ……こうだああああ!」
「豪快な一口!」
がぶっ!
このちょーしで、真美の力を見せつけてあげるもんね!
143 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:27:01.01 ID:3PIsBOKz0
「おい、口の周りにクリームが」
「はれ?」
っとと、豪快にやりすぎてクリームがべちゃべちゃついちゃった。
取らなきゃ……えっと、ティッシュか何かを……。
「ああもう、ここだここ」
「ぅえっ?」
ぴっ、すっ。
兄ちゃんの人差し指が、真美の口元のクリームをぬぐった。
「ん、甘い」
「……」
あれ、その人差し指って……。
さっき、兄ちゃんが自分で舐めた……。
144 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:27:40.16 ID:3PIsBOKz0
「……!」
「どうした、顔真っ赤だぞ?」
ぼんっ!って音がした。
え、兄ちゃんが舐めた指で、真美の口元を、その指また舐めて……。
「……うあうあ〜!? に、兄ちゃんのえっちーー!!」
「な、何ぃ!?」
「ばかばかばか!!」
に、兄ちゃん何してんの!
部屋の中からクッションを持ってきて、兄ちゃんの頭をぼすぼす叩く。
ばか! ばかーーー!!
「えっなんだ!? と、とりあえずすまん!」
「ばかーーーー!!!!」
145 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:30:21.46 ID:3PIsBOKz0
……結局、真美がやることになったのは、ヒロインの妹役。
ほぼ全話で、レギュラーキャストとしてお話に絡んでくる。
メインのお話は主人公とヒロインの恋愛だけど。
真美の役は、一生懸命二人のために奔走して、時に笑って、時に泣いて。
それで、最後に二人が結ばれた後は、一緒に頑張った相手の弟に恋をする。
真美のデビュー作品は、そんな大きな役になっちゃった。
「しかもメインヒロインは、今流行りのファッションモデルじゃん……」
「主人公はイケメン俳優……こりゃ宣伝も結構打つんだろうな……」
「うあうあ〜! ぷれっしゃーになること言わないでよー!」
「はっはっはっは」
……なんて焦ったりもしたけど、始まっちゃえばなんてことはなかった。
毎回毎回、収録のたびに必死で、ビビってる余裕なんてなかったよ。
ダメ出しもされたし、大変なことも多かった。
でも、空回りしてたあの頃に比べれば、どってことないよ!
146 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:31:11.62 ID:3PIsBOKz0
放送初日は、ずっとそわそわしてた。
「おーい、真美」
「……」
「テレビに意識集中し過ぎだろ……聞こえてない……」
「いいじゃないですか。真美ちゃんにとっては、かけがえのない大切な一瞬ですから」
「……そうですね」
どこかから、兄ちゃんとピヨちゃんが話す声が聞こえた。
でも、今の真美にはそれどころじゃない。
……あ、真美のシーン!
「真美ちゃんの初登場ね!」
「……わぁ……!」
「どうだ、真美?」
「わぁ……!!」
「はぁ、幸せそうな顔して……良かったな」
画面越しに見る自分の姿は、とってもとっても、生き生きとしてた。
147 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:32:08.27 ID:3PIsBOKz0
エンディング曲は、ヒロインと真美が二人で歌うタイアップ曲。
ゆーめーな曲のカバーだし、正確には真美の曲じゃない。
でも真美は、少しずつ前に進んでる。
兄ちゃんの隣を歩いていくための一歩。
焦らなくていい、自分のペースで。
いつか、兄ちゃんが真美のスケジュール管理であっぷあっぷになっちゃうくらい!
その日が来るまで、真美、ぜーったい負けないかんね!
148 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:32:46.85 ID:3PIsBOKz0
宣伝やキャストの人気もあって、真美が出演したドラマは話題を呼んだ。
そして、そこでレギュラーキャストとして頑張ってた真美も、注目を浴びた。
……最初の頃の『双海亜美の姉』っていう呼ばれ方は、ちょっとむかっと来たけど。
でも亜美と一緒にバラエティ出た時、そう言った芸人さんに亜美がヘッドロックくらわしてたの見て、ちょっとすっきりした。
「亜美」
「ん、どったの?」
「あんがとね」
「え? ヘッドロック?」
「ううん。毛布掛けてくれたこと」
「……なんだっけそれ?」
「んっふっふ〜、覚えてないならいいよん」
「えーーっ!? ちょー気になるじゃん!」
教えてと騒ぐ亜美に枕を投げつけて、布団にもぐりこんだ。
亜美のばーか。
大好き。
149 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:33:19.70 ID:3PIsBOKz0
何かきっかけがあると、人生って大きく変わるみたい。
ドラマがヒットしてから、いろんなお仕事が来るようになった。
ラジオとか、ジュニアモデルとか、バラエティとか、インタビューとか。
そんな中、真美もとうとう自分の歌を出すことになった。
メジャーでは初めてのCD発売。
「えっ、真美のCD?」
「ああ。本当はCDが先だったんだが、最初のキャストの仕事がトントン拍子で進んで、タイミング逃しててさ」
「真美、自分の歌がもらえるの!?」
「そうだとも。デモ聴いてみるか?」
「うんっ!」
150 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:33:50.75 ID:3PIsBOKz0
『Do−Dai』。
それが、真美のデビュー曲。
んー、この歌詞、なんかデジャヴなんだよね……。
いつものキミでも良かったって、ナデナデしてくれたよ……。
……。
ってこれそのまんま真美と兄ちゃんじゃん!
「……ねぇ兄ちゃん」
「ん?」
「この歌詞、兄ちゃんが考えたの?」
「全部じゃないけどな」
「ねぇ、そうなの?」
「プロデューサーと社長と律子と、三人で考えていたのを見たけれど」
すっと通りすがりの千早お姉ちゃんが一言。
「ふふ、私はその歌、嫌いじゃないわ」
151 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:34:17.65 ID:3PIsBOKz0
「……こ、これ、全国で発売するんだよね?」
「そうだぞ」
「……ライブとかやって、歌うんだよね?」
「活動が増えるのは嫌か?」
そうじゃなくてさぁ……。
なんて言うんだろ、こう……。
自分のヒミツをみんなに向かって叫んでるみたいで……。
「……っ!」
「ど、どうした。歌が気に入らなかったか?」
「ち、ちがわいっ!」
うあー! うあー!
どーしよ、めっちゃ恥ずい!
152 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:34:45.31 ID:3PIsBOKz0
収録中も、見に来てる兄ちゃんの方が気になって仕方なかった。
何度もリテイク出して、そのたびに歌い直して……。
しかもやり直しごとに、兄ちゃんとの恥ずかしい思い出を歌わされるんだよ!?
もう思い出しただけで顔真っ赤っかの大爆発だよー!
そんでさ、収録終わったら兄ちゃん、何て言ったと思う?
「うんうん。恋する少女の恥じらいが良く表現できてた」
とか大真面目に関心してんだよ!?
信じらんない!
誰のせーで恥じらってたと思ってんのさーーー!!
153 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:35:20.23 ID:3PIsBOKz0
……色々と思うところもあったけど、真美のデビュー曲は、発売してすぐに話題を呼んだ。
ドラマの後だったし、真美のお仕事も増えてたし。
さすがにいきなりランキング一位!なんてことはなかったけど。
それでも定期的にラジオで流れたり、テレビで流れたり……。
「……あ、真美の曲だ……」
学校からの帰り道、近所の商店街でDo−Daiが流れてた。
近くを歩く同級生がスピーカーを見上げて、三人で真美のことを話してる。
後ろを歩く真美には気付いてない。
これって真美ちゃんの歌だよね、とか、そんな他愛ない会話。
「……すごく、嫌だ」
何故か、とっても嫌な気持ちになった。
154 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:35:46.38 ID:3PIsBOKz0
なんでだろう。
真美、おかしいな。
ふつー、自分の歌がいっぱい流れて、みんなが話題にしてくれるって、いいことのはずなのに。
なのに真美は今、真美の歌を聴きながら話してる同級生に、すごくイライラしてる。
……ううん、違う。
「真美の歌をみんなが聴いてることが、すごくやだ……!」
真美は耳を塞いで一目散に家へ帰った。
おかしいよ、おかしいよ!
真美、おかしくなっちゃったの?
どうして、どうしてさ!
155 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:36:19.53 ID:3PIsBOKz0
それからしばらく、気分は晴れなかった。
それどころか、毎日のようにどこかで真美の曲を聴くたびに、どんどん嫌な気持ちが積もってく。
「アンタ、最近変よ?」
「うん……真美も、そう思う」
心配したいおりんが声をかけてくれた。
「そんな落ち込んで……自分でも理由が分かってないわけ?」
「分かってるといえば分かってるけど、分かんないといえば分かんない……」
「歯切れ悪いわね」
だって、真美自身にもよく分かんないんだもん。
原因は自分の歌だって分かってるけど、どうしてそれを聴いて嫌な気分になるんだろう。
そこが全然分かんないんだよ。
156 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:36:47.68 ID:3PIsBOKz0
真美の話を聞いたいおりんにも、よく分かんないみたい。
「律子はどう思う?」
「真美のこと?」
いおりんが、事務仕事をしてたりっちゃんを呼ぶ。
いわく、よく分んなかったらりっちゃんに聞くのが一番だって。
作業をわざわざ中断してくれたりっちゃんに話すと、少し険しい表情になってから、ため息をついた。
「はぁ、そういうことね……。あの人、何考えてるのかしら……!」
「りっちゃん、分かったの?」
「多分ね」
りっちゃんは何か分かったみたいだけど、真美といおりんはまだ理解できない。
真美の前まで来てしゃがみこんだりっちゃんが、優しい声で言った。
157 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:37:57.76 ID:3PIsBOKz0
「あなたは何も悪くないわ。私があなたでも、きっと同じ気持ちになるもの」
「そーなの?」
「それに、ごめんなさい。私にも責任の一端があるわ」
そう言って何故か、りっちゃんが真美に謝った。
「……これは一回、社長とプロデューサーと、三人で話す必要がありそうね」
申し訳なさそうな表情で、りっちゃんがまたため息をつく。
それと同時に、給湯室の方からピヨちゃんが入ってきた。
「こっこーあここああったかここあ♪ ……って、三人ともどうしたの?」
雰囲気暗めの真美たちを見て、ピヨちゃんが不思議そうな声を出す。
「えっと……」
真美は、今まで話してたことをピヨちゃんにも話した。
ピヨちゃんだけ仲間はずれっていうのも、なんかやだよね。
158 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:38:29.68 ID:3PIsBOKz0
あったかいココアを右手に持ったまま、ピヨちゃんは真美の話を聞いてた。
最初はいつものちょっと緩い感じだったピヨちゃんの表情が、少しずつ硬くなってくみたいに見えて。
真美が少し涙目で話し終える頃には、険しい表情をしてた。
「なんで真美、嫌な気分になるんだろ。折角、みんなが歌を聴いてくれてるのに」
「それは……」
この場で言っていいものなのか、迷うようにりっちゃんが黙り込んだ。
159 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:39:03.96 ID:3PIsBOKz0
事務所が静まり返ったちょうどその時、玄関の方から声が聞こえた。
「戻りました」
兄ちゃんの声だ。
「兄ちゃん……」
いつもならすぐに飛んでいくのに。
今日はなぜか、あんまり会いたくなくて、足が動かなかった。
そんな真美を見て、ピヨちゃんが小さく唇を噛んだ。
「お、なんだ。みんな居るじゃないか。おかえり―くらい言ってくれてもいいだろうに」
兄ちゃんが事務所に入ってきた。
なのに、なんで……なんで真美、こんなに……。
160 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:39:44.80 ID:3PIsBOKz0
何も分からないまま、真美は泣きそうだった。
「えっ」
そう思った時、目の前のピヨちゃんが兄ちゃんの方を振り向いた。
真美はびっくりした。
いおりんも、りっちゃんも。
だって、ピヨちゃん、マジ切れ寸前って顔してたんだもん。
がちゃんっ!
「うぉっ!! こ、小鳥さん!?」
ピヨちゃんが、持ってたマグカップを勢いよくデスクに置く。
割れそうな音がして、中のココアが少し飛び散った。
「プロデューサーさん……何してるんですか」
「えっ!? 何してるってこっちの台詞……」
161 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:40:24.11 ID:3PIsBOKz0
ばしんっ!
けっこー大きい音が響いた。
ピヨちゃんが、兄ちゃんのほっぺたを思いっきり引っ叩いた音。
兄ちゃんは突然のことに、頬を押さえながら目を白黒させてる。
「真美ちゃんの歌の歌詞、プロデューサーさんが考えてたんですね」
「そ、そうですが……」
「私てっきり、真美ちゃんと二人で考えたんだと思ってました」
ピヨちゃんが兄ちゃんに詰め寄る。
兄ちゃんはじりじりと、壁際へ追い詰められていった。
162 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:41:03.97 ID:3PIsBOKz0
「女の子の大切な大切な、秘密の宝物を、何勝手にぶちまけてるんですか!」
「っ!」
ピヨちゃんの言葉に、兄ちゃんがハッとしたような表情をする。
次の瞬間、ピヨちゃんの二発目が兄ちゃんを襲おうとした。
でも、兄ちゃんに手のひらが当たる直前で、ピヨちゃんはなんとか手を止めた。
全身を震わせながら、声も震わせながら。
「真美ちゃんにとって、あなたとの思い出がどれだけ大切なモノなのか、分かってますか……!?」
「あ……俺……」
ピヨちゃんはうつむいて息を切らせながら、涙声になってる。
兄ちゃんは、なにも答えられなかった。
それを見ている真美からも、止まりかけてた涙が出てきた。
163 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/19(水) 19:41:56.71 ID:3PIsBOKz0
「大切な思い出を気付かない内に曝け出さされて! どれだけ辛い思いしたと思ってるんですかぁっ!!」
「っ……」
ピヨちゃんの叫び声が事務所に響きわたる。
兄ちゃんは項垂れたまま、何も言わなかった。
「……小鳥さん、それくらいに。私も一緒に作詞を詰めてた段階で、そこまで気が回っていませんでした。私も悪いんです」
りっちゃんがそっと、ピヨちゃんを諌める。
それを見てる内に、真美の中で堪えてたものが、耐えきれずに漏れ出した。
「……ひぐ、えっぐ、ぁぅ……」
いっしょーけんめー堪えた。
いおりんが泣きそうな顔で、真美のことを抱きしめてくれた。
「ぅぇぇ……」
泣き声を張り上げたいのを我慢して、押し殺した。
ぼろぼろ涙をこぼすいおりんの胸の中で、小さく泣いた。
164 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:06:27.28 ID:l0zubfjX0
……。
アイドルになるって、何も楽しいことばっかじゃない。
人から注目されると、思ってもなかったところから傷つくこともある。
大変なのは、レッスンや本番だけじゃないんだ。
「はー……」
家に帰ってベランダから外を眺めながら、そんなこと考えてた。
あのあとは、いおりんにギュッてしてもらったまんま少し泣いて、落ち着いた。
直後に来た社長さんが、兄ちゃんとピヨちゃんとりっちゃんの三人を社長室に連れてった。
真美はレッスンをお休みして、家に帰ってきちゃった。
「……兄ちゃん、真美、めーっちゃ傷ついてたんだかんね」
ピヨちゃんが言ってくれるまで、はっきりとは気付かなかったけどさ。
165 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:07:14.65 ID:l0zubfjX0
やっぱ男の人ってでりかしーない!
女心、なーんも分かってないし!
兄ちゃんには、ピヨちゃんのバチンでしっかり反省していただかないと!
「……でも、会いづらい……」
どんな顔して会ったらいいのかな……。
いつもの真美らしく、元気いっぱいな感じかな。
うーん、上手くいく気がしない……。
「真美」
「うおえうあぁぁぁあっ?!」
って、い、いきなり声がしたぁ!
だ、誰?! てきしゅー!?
166 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:07:41.64 ID:l0zubfjX0
「こっちだこっち、隣のベランダ」
びっくりする真美の声にびっくりした兄ちゃんがいた。
「び、びっくりした……いきなりベランダ越しに声掛けられたらビックリするよ!」
「ベランダ渡り常習犯の言葉じゃないな……」
隣のベランダからこっちを覗きこみながら、兄ちゃんが苦笑する。
もー!
乙女のぷらいべーとを覗くなんて、ほんとにでりかしーがない!
「いっぱい傷付けちゃってごめんな、真美」
「ん……いいよ」
「無理しなくていいんだぞ」
「ピヨちゃんがバチンってやってくれたから、ちょっとすっきりした」
兄ちゃんは思い出すように、まだちょっと赤い左頬を押さえた。
167 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:08:08.03 ID:l0zubfjX0
「まさか、いつもにこにこしてる小鳥さんがあんなに怒るなんてな……」
「社長室では何話してたの?」
「社長直々に、激怒されたよ」
思ってたより、ふつーに話せた。
良かった、真美の杞憂だったんだね。
ちょっと元気が戻ってきた!
「んっふっふ。真美の心を弄んだ罰だよん」
「……本当に悪かった」
「そ、そんなしんこくそーにしないでよー!」
せっかく明るくなってきたのに!
また、暗い気分になってきちゃうじゃん……。
168 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:08:36.92 ID:l0zubfjX0
「俺は、思い上がってたんだな」
ちょっと遠くに見える繁華街の明かりを見ながら、兄ちゃんが呟いた。
「真美がトントン拍子に進んでいくのを見て、自分の成果だと勘違いして」
「勘違いなんかじゃないよ」
そうだよ。
真美、兄ちゃんが居てくれたからここまで来たんだよ?
「いや、真美自身が出した結果だよ」
だらんと上半身を手摺りに寝かせる兄ちゃん。
危ないってば……。
「そんな当たり前のことも忘れて、勝手に突っ走った結果がこのザマだ」
俺だってペーペーの新米なのにな、と自嘲気味に笑う声が聞こえた。
169 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:09:03.38 ID:l0zubfjX0
兄ちゃんは、とっても辛そうだった。
「兄ちゃん、そっち行っていい?」
「……」
「返事がないってことは、おっけーでいいよね」
手摺りに飛び乗って、ひょいっと隣のベランダへ行く。
真美には、もう手慣れたもんよ!
使ってるの、足だけど。
「んっしょっと」
兄ちゃんの横に座る。
なのに、兄ちゃんはずっと遠くの街を見てる。
「ん!」
くいくいと、兄ちゃんのズボンの裾を引っ張る。
兄ちゃんは、その時初めてハッと気づいたように真美を見て、隣に座った。
170 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:09:30.12 ID:l0zubfjX0
夜の風が、ベランダに座り込む真美たちに吹きつける。
「うー、さぶいさぶい……兄ちゃん、真美より薄着だけどだいじょーぶ?」
「ああ」
「んもー、暗いってばぁ!」
ていっ!と兄ちゃんのおでこを小突く。
いきなり真美の攻撃を受けて、なされるがままに仰け反る兄ちゃん。
数秒間をおいて、仰け反った身体を戻したけど、やっぱり兄ちゃんは暗いままだった。
「ごめん、真美」
「だからー、もういいってば。それよりもさ――」
「違うんだ」
真美の声を、兄ちゃんが遮る。
「違うんだ……」
兄ちゃんは、何故だか泣きそうだった。
171 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:10:05.68 ID:l0zubfjX0
謝って項垂れる兄ちゃんを見て、真美はなんとなく分かった。
「俺は、知ってたんだ」
その言葉を聞いても、真美は全然驚かなかった。
そっか、そりゃそーだよね。
あれで気付かなかったら、とーへんぼくとかいうレベルじゃないって。
「そんなに深く考えてなかった。誰にでもよくある、憧れみたいなものだろうって」
「むう、そんなてーどだったら真美、あんなに必死にレッスンしないよ」
「そうだな、そうだよな」
また風が吹いた。
さぶい、ちょっと厚着してるのにまだ寒い。
そう思ってたら、兄ちゃんが上着を脱いで、真美に羽織らせてくれた。
「その気持ちを歌詞にしたら、きっといい歌になると思った。真美なら上手く歌えると思った」
上着、すっごくぽかぽかして、暖かい。
172 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:10:45.74 ID:l0zubfjX0
「真美の想いを知ってて、踏みにじったんだ、俺は」
兄ちゃんはゆっくりとゆっくりと、自分を締め付けていく。
「疑いすらしなかった。自分はいい仕事をしてるって」
兄ちゃん、震えてるじゃん。
寒いんだよね。
明日も仕事なんだから、無理しちゃダメだよ。
「小鳥さん、怒ってたな。あの人、アイドルじゃない素のお前たちを、誰よりもよく見てるから」
そだよ、ピヨちゃんは自分のことよりも何よりも、真美たちのことを一番に考えてくれてるもん。
でも真美、知ってんだかんね。
兄ちゃんがお軽い声で事務所に入ってきた時、りっちゃんの拳が一番力入ってたの。
よかったね、キレたのがりっちゃんじゃなくて。
「……社長室で放心してたら、律子にも一発もらったよ」
あっ、結局貰ってんじゃん。
173 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:11:13.61 ID:l0zubfjX0
「兄ちゃん、震えてる」
「あ……本当だ。情けないな……」
「上着脱いじゃったもんね」
兄ちゃんの後ろに回り込む。
そして、いつか兄ちゃんがしてくれたみたいに、真美の手をシートベルトみたいにして、後ろから抱きしめた。
「二人羽織りー。これで寒くない?」
「寒くは……ない」
そう言いながら、兄ちゃんはまだ少し震えてる。
だから、真美はシートベルトを少し強くした。
兄ちゃんの震えは、少しずつ治まってった。
174 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:11:47.69 ID:l0zubfjX0
「本気だったんだな、真美は」
「うん、そーだよ」
真美はいっつもいっつも、兄ちゃんのことばっか考えてた。
美味しいもの食べた時、兄ちゃんもこれ好きかな、とか。
かっこいーアクセ見つけた時、兄ちゃんに似合うかな、とか。
授業中暇な時、兄ちゃんは今頃なにしてるのかな、とか。
レッスンしてる時、兄ちゃんならどこを直せって言うかな、とか。
おっきなことも、ちっちゃなことも。
何を考えてる時でも、最初に兄ちゃんのことが出てくるんだ。
「ずっとずっと、考えてたよ」
見返りなんてなくてもいい。
女の子って、その人のことを想うだけでも、とっても幸せな気持ちになれるんだよ。
175 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:12:19.01 ID:l0zubfjX0
「そんな大切なものを弄んだのに」
兄ちゃんの声が、また少し震えた。
「なんで、お前……そんな風に笑えるんだよ……」
ぽたり、ぽたり。
当たる何かはとってもつめたい。
でも腕を伝っていくそれは、真美には心地良かった。
「真美だって今、何とも思ってないから笑ってるわけじゃないよ」
当たり前じゃん。
辛かったよ。
あの歌詞を作った時、兄ちゃんは真美を見てくれてなかった。
176 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:13:22.91 ID:l0zubfjX0
でも、今は違う。
兄ちゃんは、真美のことを見てくれてる。
真美の想いに向き合って、こんなに苦しんでる。
真美の想いを考えて、こんなに悩んでる。
「今は兄ちゃん、何よりも誰よりも、真美の想いを、真剣に考えてくれてる」
すっごく、すっごく嬉しい。
「真美、悪い子だから。真美のせいで辛い気分にさせてごめんなさい、って言えないんだ」
だから、おあいこだね。
もう、悪いのは兄ちゃんだけじゃないよ。
真美は兄ちゃんに怒るつもりもないし、怒る資格もないんだよ。
177 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:13:51.15 ID:l0zubfjX0
「それに最初からね、真美が兄ちゃんのこと、怒れるわけないじゃん」
兄ちゃんを抱きしめたまま上を見ると、繁華街の明かりは見えない。
夜空は真っ暗、星一つない。
それがとっても、寂しかったからかな。
兄ちゃんを抱きしめる腕に、少し力が入る。
少し腫れた兄ちゃんの左頬に、後ろから覗きこむように顔を出した真美の右頬が触れる。
頬が触れ合ってる所に、なんか水みたいなのが伝ってきた。
兄ちゃんからかな。
それとも、これは真美から?
ぴったりくっついてるから、分からないね。
178 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:14:23.70 ID:l0zubfjX0
目を閉じると。
「兄ちゃんが、好きだから」
流れるように自然と、声が出てきた。
「子どもの憧れとかじゃない」
兄ちゃんの肩に、力が入る。
「好き」
兄ちゃんが真美の手を、強く握った。
「好き、だから」
笑ってるはずなのに、涙が溢れてきちゃった。
179 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:15:01.39 ID:l0zubfjX0
兄ちゃんの手に、もっと力が入る。
ちょっと痛いよ、兄ちゃん……。
「ま、み……」
いっしょーけんめー、兄ちゃんは声を押し殺した。
うん、いいよ、無理に喋ろうとしなくても。
今喋っちゃったら、大変なことになっちゃうもんね。
「ん」
だから返事の代わりに、腕にもっと力を込めた。
兄ちゃんが目を強く瞑って唇を噛み締めながら、震えてる間、ずっと。
慌てなくていいよ。
真美はずっと待ってるから。
180 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:15:33.60 ID:l0zubfjX0
――どれくらい経ったかな。
兄ちゃんがやっと落ち着いて、鼻をすすりながら真美の方を見た。
「みっともないとこ見せちゃったな」
「真美だってこれまで散々見られたもん。たまには兄ちゃんが見せてくれてもいいじゃん」
「そういうものか……?」
色々な話は置いといて、真美はちょっと勝ち誇ってた。
いっつも兄ちゃんが真美をフォローする側だったもん。
でも今は、真美の方が若干ゆーりかも?
「なあ、真美。さっきの」
「兄ちゃん、今はなんも言わないで」
兄ちゃんの唇に人差し指を当てて、続く言葉を遮った。
しーっ。
181 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:16:23.71 ID:l0zubfjX0
「返事はいらないよ、兄ちゃん」
「でも、お前……」
「だってさ、仮に真美にとって嬉しい答えだったとしてもさ」
……よーはそれって、ろりこんでしょ?
「それはそれで不味いよね」
「ぐっ……ま、まぁそれは、そうだが」
「だから、いま返事を聞きたいわけじゃないんだよ」
兄ちゃんが社会的に抹殺されちゃうんじゃほんまつてんとーだし……。
それに、真美は今、その言葉が欲しいわけじゃないんだよね。
真美が考えてるのは、もっと先のこと。
182 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:16:54.68 ID:l0zubfjX0
「兄ちゃん、真美のこと好き?」
「……んんっ!?」
あっ、言葉がシンプルすぎた。
兄ちゃん、完全に思考回路が固まってる。
「ああうん、変な意味じゃないよ? 担当アイドルとしてでも、お隣さんとしてでも、何でもいいんだけど」
「な、なんだ……そりゃ好きに決まってるさ。とっても大切だよ、真美のことは」
んふー。
そーゆー意味じゃないってわかってても……。
……やば、好きって言われるの、めっちゃ嬉しい。
「じゃあこれからも、兄ちゃんの傍に居ていい?」
「ああ、それは勿論……でも、俺は……」
「真美はいいの、今はそれで」
兄ちゃんを抱きしめてた手を放す。
ちょっと名残惜しい。
183 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:17:32.87 ID:l0zubfjX0
月明かりを背に、兄ちゃんの前で両手を広げる。
「もし兄ちゃんに好きな人ができたら、全力でおーえんしてあげる」
事務所、女の子いっぱいいるしね。
「もし兄ちゃんが告られて悩んだら、後押ししてあげる」
事務所、兄ちゃんを好きな子いそうだしね。
「でも、もしこのまま何年か経った時」
今のまま、楽しい時間が回り続けて。
「兄ちゃんが真美のことを、小さな子どもじゃなくて、一人の“女の子”として認めてくれる時が来たら」
今のまま、隣に真美がいたら。
「真美に、返事を聞かせてよ」
それが真美の、たった一つのお願い。
184 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:18:08.29 ID:l0zubfjX0
すっごく自然に、笑みがこぼれた。
えっへん。
言いたいこと全部、兄ちゃんに言ってやったぜ。
なんだかいぎょーを成し遂げた気分!
ぜんぶぜんぶ、これからなんだけど。
「……わぁっ!?」
って思ってたら、急に兄ちゃんに抱きしめられた!
え、なになに!?
ど、どしちゃったの、もしかして兄ちゃんロリコンだったの!?
「……ってるさ」
「はえ?」
なんて言ったの?
よく聞こえなかったよ。
185 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:18:40.99 ID:l0zubfjX0
「ずっと、待ってるさ」
今度の声は、はっきり聞こえた。
「俺も、その日が来るのを」
兄ちゃんの囁くような声が。
「……待っててくれるの?」
「今、真美が笑った時、見えたんだ」
「何が?」
「その日が」
兄ちゃんの声を聞いてると、落ち着く。
兄ちゃんが好きだから、落ち着くのかな。
それとも、落ち着くから、好きになったのかな。
186 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:19:07.70 ID:l0zubfjX0
兄ちゃんにとってまだ真美は、恋愛とか、そーゆー相手じゃない。
それは真美が一番分かってる。
でも兄ちゃんは、待とうとしてくれてる。
ちっちゃい真美の気持ちを知って、それに本当に応えられる時まで。
「何年くらいは確実に待ってくれる?」
「そういう身も蓋もない聞き方をするか?」
「……四、五年くらい?」
「割と現実的な数字を弾き出してきたな……」
兄ちゃん。
今日は、まず第一歩を踏み出せたかな。
これまでは妹みたいなものだって思われてたけど。
「真美、頑張るね」
「慌てなくていいさ。俺はどこにも逃げないよ」
今日からは、少し前に進めるよね。
187 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:19:48.27 ID:l0zubfjX0
ベランダに吹く風が、少し穏やかになった。
「ああ、そうだ」
「どったの?」
「小鳥さんと律子が、明日夕飯奢ってくれるって」
「え! 兄ちゃんずるい!」
「騒ぐな騒ぐな。お前も連れてくから」
「やたー!」
さっきまでの風は、真美の心を攫っていってしまいそうで、怖かった。
「何食べたい?」
「キャビア」
「容赦ないなお前」
「もしくは松坂牛」
「容赦ないな……」
でも、いま吹いてる風は、冬なのにとっても心地良い。
188 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:20:20.57 ID:l0zubfjX0
兄ちゃんと二人で座って、夜風に当たりながら空を見る。
お互いに無言になって、とっても静か。
なんか、今はあんまり喋りたくないんだ。
兄ちゃんと二人きりの静かな時間を、ゆっくり過ごしたい。
「……あ、流れ星」
でも、そっこーで沈黙を破ったのは真美だった。
「星もあんまり見えないのに、珍しいな」
「兄ちゃん、お願い事言えた?」
「あー、考える余裕もなかったよ」
そう答える兄ちゃんの視線がめっちゃ泳いでた。
嘘ついてる顔だ。
189 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:20:49.71 ID:l0zubfjX0
「何考えてたの?」
「……秘密」
「いじわる」
ぼすり、と兄ちゃんの膝に寝っ転がる。
すかさず、兄ちゃんが真美の髪の毛をくしゃくしゃーって乱す。
「うあー、やめれー」
「今流行りの頭皮マッサージを受けてみろ」
「うおー……効くぅー……」
……あんまり妹モドキを脱却できてない気がする。
まぁ、まだ仕方ないかな。
「ゆっくり、慌てずに、だよね」
真美がそう言ったら、くしゃくしゃするのを止めて、優しく撫でてくれた。
んふー……そんなふーにされたら……真美、寝ちゃうよ……。
190 :
◆on5CJtpVEE
[saga]:2019/06/20(木) 02:21:23.09 ID:l0zubfjX0
この幸せは、いつまで続くかな。
ちょっとの間だけ?
それとも、これからずっと、ずっと?
真美にはまだ分かんない。
でも、一つだけ確かなのは、今この瞬間がとっても幸せだってこと。
「兄ちゃん……」
「ん?」
「……んっふっふー、なんでもない」
夢心地の中で、いつかきっとと願う、その日を想い描きながら。
目を瞑ったまま、兄ちゃんのぬくもりを感じてた。
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