真美「ベランダ一歩、お隣さん」

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155 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:36:19.53 ID:3PIsBOKz0

それからしばらく、気分は晴れなかった。

それどころか、毎日のようにどこかで真美の曲を聴くたびに、どんどん嫌な気持ちが積もってく。


「アンタ、最近変よ?」

「うん……真美も、そう思う」


心配したいおりんが声をかけてくれた。


「そんな落ち込んで……自分でも理由が分かってないわけ?」

「分かってるといえば分かってるけど、分かんないといえば分かんない……」

「歯切れ悪いわね」


だって、真美自身にもよく分かんないんだもん。

原因は自分の歌だって分かってるけど、どうしてそれを聴いて嫌な気分になるんだろう。

そこが全然分かんないんだよ。
156 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:36:47.68 ID:3PIsBOKz0

真美の話を聞いたいおりんにも、よく分かんないみたい。


「律子はどう思う?」

「真美のこと?」


いおりんが、事務仕事をしてたりっちゃんを呼ぶ。

いわく、よく分んなかったらりっちゃんに聞くのが一番だって。

作業をわざわざ中断してくれたりっちゃんに話すと、少し険しい表情になってから、ため息をついた。


「はぁ、そういうことね……。あの人、何考えてるのかしら……!」

「りっちゃん、分かったの?」

「多分ね」


りっちゃんは何か分かったみたいだけど、真美といおりんはまだ理解できない。

真美の前まで来てしゃがみこんだりっちゃんが、優しい声で言った。
157 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:37:57.76 ID:3PIsBOKz0

「あなたは何も悪くないわ。私があなたでも、きっと同じ気持ちになるもの」

「そーなの?」

「それに、ごめんなさい。私にも責任の一端があるわ」


そう言って何故か、りっちゃんが真美に謝った。


「……これは一回、社長とプロデューサーと、三人で話す必要がありそうね」


申し訳なさそうな表情で、りっちゃんがまたため息をつく。

それと同時に、給湯室の方からピヨちゃんが入ってきた。


「こっこーあここああったかここあ♪ ……って、三人ともどうしたの?」


雰囲気暗めの真美たちを見て、ピヨちゃんが不思議そうな声を出す。


「えっと……」


真美は、今まで話してたことをピヨちゃんにも話した。

ピヨちゃんだけ仲間はずれっていうのも、なんかやだよね。
158 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:38:29.68 ID:3PIsBOKz0

あったかいココアを右手に持ったまま、ピヨちゃんは真美の話を聞いてた。

最初はいつものちょっと緩い感じだったピヨちゃんの表情が、少しずつ硬くなってくみたいに見えて。

真美が少し涙目で話し終える頃には、険しい表情をしてた。


「なんで真美、嫌な気分になるんだろ。折角、みんなが歌を聴いてくれてるのに」

「それは……」


この場で言っていいものなのか、迷うようにりっちゃんが黙り込んだ。
159 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:39:03.96 ID:3PIsBOKz0

事務所が静まり返ったちょうどその時、玄関の方から声が聞こえた。


「戻りました」


兄ちゃんの声だ。


「兄ちゃん……」


いつもならすぐに飛んでいくのに。

今日はなぜか、あんまり会いたくなくて、足が動かなかった。

そんな真美を見て、ピヨちゃんが小さく唇を噛んだ。


「お、なんだ。みんな居るじゃないか。おかえり―くらい言ってくれてもいいだろうに」


兄ちゃんが事務所に入ってきた。

なのに、なんで……なんで真美、こんなに……。
160 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:39:44.80 ID:3PIsBOKz0

何も分からないまま、真美は泣きそうだった。


「えっ」


そう思った時、目の前のピヨちゃんが兄ちゃんの方を振り向いた。

真美はびっくりした。

いおりんも、りっちゃんも。


だって、ピヨちゃん、マジ切れ寸前って顔してたんだもん。


がちゃんっ!


「うぉっ!! こ、小鳥さん!?」


ピヨちゃんが、持ってたマグカップを勢いよくデスクに置く。

割れそうな音がして、中のココアが少し飛び散った。


「プロデューサーさん……何してるんですか」

「えっ!? 何してるってこっちの台詞……」
161 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:40:24.11 ID:3PIsBOKz0



ばしんっ!



けっこー大きい音が響いた。

ピヨちゃんが、兄ちゃんのほっぺたを思いっきり引っ叩いた音。

兄ちゃんは突然のことに、頬を押さえながら目を白黒させてる。


「真美ちゃんの歌の歌詞、プロデューサーさんが考えてたんですね」

「そ、そうですが……」

「私てっきり、真美ちゃんと二人で考えたんだと思ってました」


ピヨちゃんが兄ちゃんに詰め寄る。

兄ちゃんはじりじりと、壁際へ追い詰められていった。
162 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:41:03.97 ID:3PIsBOKz0

「女の子の大切な大切な、秘密の宝物を、何勝手にぶちまけてるんですか!」

「っ!」


ピヨちゃんの言葉に、兄ちゃんがハッとしたような表情をする。

次の瞬間、ピヨちゃんの二発目が兄ちゃんを襲おうとした。

でも、兄ちゃんに手のひらが当たる直前で、ピヨちゃんはなんとか手を止めた。

全身を震わせながら、声も震わせながら。


「真美ちゃんにとって、あなたとの思い出がどれだけ大切なモノなのか、分かってますか……!?」

「あ……俺……」


ピヨちゃんはうつむいて息を切らせながら、涙声になってる。

兄ちゃんは、なにも答えられなかった。

それを見ている真美からも、止まりかけてた涙が出てきた。
163 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/19(水) 19:41:56.71 ID:3PIsBOKz0

「大切な思い出を気付かない内に曝け出さされて! どれだけ辛い思いしたと思ってるんですかぁっ!!」

「っ……」


ピヨちゃんの叫び声が事務所に響きわたる。

兄ちゃんは項垂れたまま、何も言わなかった。


「……小鳥さん、それくらいに。私も一緒に作詞を詰めてた段階で、そこまで気が回っていませんでした。私も悪いんです」


りっちゃんがそっと、ピヨちゃんを諌める。

それを見てる内に、真美の中で堪えてたものが、耐えきれずに漏れ出した。


「……ひぐ、えっぐ、ぁぅ……」


いっしょーけんめー堪えた。

いおりんが泣きそうな顔で、真美のことを抱きしめてくれた。


「ぅぇぇ……」


泣き声を張り上げたいのを我慢して、押し殺した。

ぼろぼろ涙をこぼすいおりんの胸の中で、小さく泣いた。
164 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:06:27.28 ID:l0zubfjX0


……。


アイドルになるって、何も楽しいことばっかじゃない。

人から注目されると、思ってもなかったところから傷つくこともある。

大変なのは、レッスンや本番だけじゃないんだ。


「はー……」


家に帰ってベランダから外を眺めながら、そんなこと考えてた。

あのあとは、いおりんにギュッてしてもらったまんま少し泣いて、落ち着いた。

直後に来た社長さんが、兄ちゃんとピヨちゃんとりっちゃんの三人を社長室に連れてった。

真美はレッスンをお休みして、家に帰ってきちゃった。


「……兄ちゃん、真美、めーっちゃ傷ついてたんだかんね」


ピヨちゃんが言ってくれるまで、はっきりとは気付かなかったけどさ。
165 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:07:14.65 ID:l0zubfjX0

やっぱ男の人ってでりかしーない!

女心、なーんも分かってないし!

兄ちゃんには、ピヨちゃんのバチンでしっかり反省していただかないと!


「……でも、会いづらい……」


どんな顔して会ったらいいのかな……。

いつもの真美らしく、元気いっぱいな感じかな。

うーん、上手くいく気がしない……。


「真美」

「うおえうあぁぁぁあっ?!」


って、い、いきなり声がしたぁ!

だ、誰?! てきしゅー!?
166 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:07:41.64 ID:l0zubfjX0

「こっちだこっち、隣のベランダ」


びっくりする真美の声にびっくりした兄ちゃんがいた。


「び、びっくりした……いきなりベランダ越しに声掛けられたらビックリするよ!」

「ベランダ渡り常習犯の言葉じゃないな……」


隣のベランダからこっちを覗きこみながら、兄ちゃんが苦笑する。

もー!

乙女のぷらいべーとを覗くなんて、ほんとにでりかしーがない!


「いっぱい傷付けちゃってごめんな、真美」

「ん……いいよ」

「無理しなくていいんだぞ」

「ピヨちゃんがバチンってやってくれたから、ちょっとすっきりした」


兄ちゃんは思い出すように、まだちょっと赤い左頬を押さえた。
167 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:08:08.03 ID:l0zubfjX0

「まさか、いつもにこにこしてる小鳥さんがあんなに怒るなんてな……」

「社長室では何話してたの?」

「社長直々に、激怒されたよ」


思ってたより、ふつーに話せた。

良かった、真美の杞憂だったんだね。

ちょっと元気が戻ってきた!


「んっふっふ。真美の心を弄んだ罰だよん」

「……本当に悪かった」

「そ、そんなしんこくそーにしないでよー!」


せっかく明るくなってきたのに!

また、暗い気分になってきちゃうじゃん……。
168 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:08:36.92 ID:l0zubfjX0

「俺は、思い上がってたんだな」


ちょっと遠くに見える繁華街の明かりを見ながら、兄ちゃんが呟いた。


「真美がトントン拍子に進んでいくのを見て、自分の成果だと勘違いして」

「勘違いなんかじゃないよ」


そうだよ。

真美、兄ちゃんが居てくれたからここまで来たんだよ?


「いや、真美自身が出した結果だよ」


だらんと上半身を手摺りに寝かせる兄ちゃん。

危ないってば……。


「そんな当たり前のことも忘れて、勝手に突っ走った結果がこのザマだ」


俺だってペーペーの新米なのにな、と自嘲気味に笑う声が聞こえた。
169 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:09:03.38 ID:l0zubfjX0

兄ちゃんは、とっても辛そうだった。


「兄ちゃん、そっち行っていい?」

「……」

「返事がないってことは、おっけーでいいよね」


手摺りに飛び乗って、ひょいっと隣のベランダへ行く。

真美には、もう手慣れたもんよ!

使ってるの、足だけど。


「んっしょっと」


兄ちゃんの横に座る。

なのに、兄ちゃんはずっと遠くの街を見てる。


「ん!」


くいくいと、兄ちゃんのズボンの裾を引っ張る。

兄ちゃんは、その時初めてハッと気づいたように真美を見て、隣に座った。
170 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:09:30.12 ID:l0zubfjX0

夜の風が、ベランダに座り込む真美たちに吹きつける。


「うー、さぶいさぶい……兄ちゃん、真美より薄着だけどだいじょーぶ?」

「ああ」

「んもー、暗いってばぁ!」


ていっ!と兄ちゃんのおでこを小突く。

いきなり真美の攻撃を受けて、なされるがままに仰け反る兄ちゃん。

数秒間をおいて、仰け反った身体を戻したけど、やっぱり兄ちゃんは暗いままだった。


「ごめん、真美」

「だからー、もういいってば。それよりもさ――」

「違うんだ」


真美の声を、兄ちゃんが遮る。


「違うんだ……」


兄ちゃんは、何故だか泣きそうだった。
171 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:10:05.68 ID:l0zubfjX0

謝って項垂れる兄ちゃんを見て、真美はなんとなく分かった。


「俺は、知ってたんだ」


その言葉を聞いても、真美は全然驚かなかった。

そっか、そりゃそーだよね。

あれで気付かなかったら、とーへんぼくとかいうレベルじゃないって。


「そんなに深く考えてなかった。誰にでもよくある、憧れみたいなものだろうって」

「むう、そんなてーどだったら真美、あんなに必死にレッスンしないよ」

「そうだな、そうだよな」


また風が吹いた。

さぶい、ちょっと厚着してるのにまだ寒い。

そう思ってたら、兄ちゃんが上着を脱いで、真美に羽織らせてくれた。


「その気持ちを歌詞にしたら、きっといい歌になると思った。真美なら上手く歌えると思った」


上着、すっごくぽかぽかして、暖かい。
172 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:10:45.74 ID:l0zubfjX0

「真美の想いを知ってて、踏みにじったんだ、俺は」


兄ちゃんはゆっくりとゆっくりと、自分を締め付けていく。


「疑いすらしなかった。自分はいい仕事をしてるって」


兄ちゃん、震えてるじゃん。

寒いんだよね。

明日も仕事なんだから、無理しちゃダメだよ。


「小鳥さん、怒ってたな。あの人、アイドルじゃない素のお前たちを、誰よりもよく見てるから」


そだよ、ピヨちゃんは自分のことよりも何よりも、真美たちのことを一番に考えてくれてるもん。

でも真美、知ってんだかんね。

兄ちゃんがお軽い声で事務所に入ってきた時、りっちゃんの拳が一番力入ってたの。

よかったね、キレたのがりっちゃんじゃなくて。


「……社長室で放心してたら、律子にも一発もらったよ」


あっ、結局貰ってんじゃん。
173 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:11:13.61 ID:l0zubfjX0

「兄ちゃん、震えてる」

「あ……本当だ。情けないな……」

「上着脱いじゃったもんね」


兄ちゃんの後ろに回り込む。

そして、いつか兄ちゃんがしてくれたみたいに、真美の手をシートベルトみたいにして、後ろから抱きしめた。


「二人羽織りー。これで寒くない?」

「寒くは……ない」


そう言いながら、兄ちゃんはまだ少し震えてる。

だから、真美はシートベルトを少し強くした。

兄ちゃんの震えは、少しずつ治まってった。
174 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:11:47.69 ID:l0zubfjX0

「本気だったんだな、真美は」

「うん、そーだよ」


真美はいっつもいっつも、兄ちゃんのことばっか考えてた。


美味しいもの食べた時、兄ちゃんもこれ好きかな、とか。

かっこいーアクセ見つけた時、兄ちゃんに似合うかな、とか。

授業中暇な時、兄ちゃんは今頃なにしてるのかな、とか。

レッスンしてる時、兄ちゃんならどこを直せって言うかな、とか。


おっきなことも、ちっちゃなことも。

何を考えてる時でも、最初に兄ちゃんのことが出てくるんだ。


「ずっとずっと、考えてたよ」


見返りなんてなくてもいい。

女の子って、その人のことを想うだけでも、とっても幸せな気持ちになれるんだよ。
175 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:12:19.01 ID:l0zubfjX0

「そんな大切なものを弄んだのに」


兄ちゃんの声が、また少し震えた。


「なんで、お前……そんな風に笑えるんだよ……」


ぽたり、ぽたり。

当たる何かはとってもつめたい。

でも腕を伝っていくそれは、真美には心地良かった。


「真美だって今、何とも思ってないから笑ってるわけじゃないよ」


当たり前じゃん。

辛かったよ。

あの歌詞を作った時、兄ちゃんは真美を見てくれてなかった。
176 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:13:22.91 ID:l0zubfjX0

でも、今は違う。

兄ちゃんは、真美のことを見てくれてる。

真美の想いに向き合って、こんなに苦しんでる。

真美の想いを考えて、こんなに悩んでる。


「今は兄ちゃん、何よりも誰よりも、真美の想いを、真剣に考えてくれてる」


すっごく、すっごく嬉しい。


「真美、悪い子だから。真美のせいで辛い気分にさせてごめんなさい、って言えないんだ」


だから、おあいこだね。

もう、悪いのは兄ちゃんだけじゃないよ。

真美は兄ちゃんに怒るつもりもないし、怒る資格もないんだよ。
177 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:13:51.15 ID:l0zubfjX0

「それに最初からね、真美が兄ちゃんのこと、怒れるわけないじゃん」


兄ちゃんを抱きしめたまま上を見ると、繁華街の明かりは見えない。

夜空は真っ暗、星一つない。

それがとっても、寂しかったからかな。


兄ちゃんを抱きしめる腕に、少し力が入る。

少し腫れた兄ちゃんの左頬に、後ろから覗きこむように顔を出した真美の右頬が触れる。


頬が触れ合ってる所に、なんか水みたいなのが伝ってきた。

兄ちゃんからかな。

それとも、これは真美から?


ぴったりくっついてるから、分からないね。
178 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:14:23.70 ID:l0zubfjX0



目を閉じると。



「兄ちゃんが、好きだから」



流れるように自然と、声が出てきた。



「子どもの憧れとかじゃない」



兄ちゃんの肩に、力が入る。



「好き」



兄ちゃんが真美の手を、強く握った。



「好き、だから」



笑ってるはずなのに、涙が溢れてきちゃった。


179 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:15:01.39 ID:l0zubfjX0

兄ちゃんの手に、もっと力が入る。

ちょっと痛いよ、兄ちゃん……。


「ま、み……」


いっしょーけんめー、兄ちゃんは声を押し殺した。

うん、いいよ、無理に喋ろうとしなくても。

今喋っちゃったら、大変なことになっちゃうもんね。


「ん」


だから返事の代わりに、腕にもっと力を込めた。

兄ちゃんが目を強く瞑って唇を噛み締めながら、震えてる間、ずっと。


慌てなくていいよ。

真美はずっと待ってるから。
180 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:15:33.60 ID:l0zubfjX0


――どれくらい経ったかな。

兄ちゃんがやっと落ち着いて、鼻をすすりながら真美の方を見た。


「みっともないとこ見せちゃったな」

「真美だってこれまで散々見られたもん。たまには兄ちゃんが見せてくれてもいいじゃん」

「そういうものか……?」


色々な話は置いといて、真美はちょっと勝ち誇ってた。

いっつも兄ちゃんが真美をフォローする側だったもん。

でも今は、真美の方が若干ゆーりかも?


「なあ、真美。さっきの」

「兄ちゃん、今はなんも言わないで」


兄ちゃんの唇に人差し指を当てて、続く言葉を遮った。

しーっ。
181 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:16:23.71 ID:l0zubfjX0

「返事はいらないよ、兄ちゃん」

「でも、お前……」

「だってさ、仮に真美にとって嬉しい答えだったとしてもさ」


……よーはそれって、ろりこんでしょ?


「それはそれで不味いよね」

「ぐっ……ま、まぁそれは、そうだが」

「だから、いま返事を聞きたいわけじゃないんだよ」


兄ちゃんが社会的に抹殺されちゃうんじゃほんまつてんとーだし……。


それに、真美は今、その言葉が欲しいわけじゃないんだよね。

真美が考えてるのは、もっと先のこと。
182 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:16:54.68 ID:l0zubfjX0

「兄ちゃん、真美のこと好き?」

「……んんっ!?」


あっ、言葉がシンプルすぎた。

兄ちゃん、完全に思考回路が固まってる。


「ああうん、変な意味じゃないよ? 担当アイドルとしてでも、お隣さんとしてでも、何でもいいんだけど」

「な、なんだ……そりゃ好きに決まってるさ。とっても大切だよ、真美のことは」


んふー。

そーゆー意味じゃないってわかってても……。

……やば、好きって言われるの、めっちゃ嬉しい。


「じゃあこれからも、兄ちゃんの傍に居ていい?」

「ああ、それは勿論……でも、俺は……」

「真美はいいの、今はそれで」


兄ちゃんを抱きしめてた手を放す。

ちょっと名残惜しい。
183 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:17:32.87 ID:l0zubfjX0


月明かりを背に、兄ちゃんの前で両手を広げる。


「もし兄ちゃんに好きな人ができたら、全力でおーえんしてあげる」


事務所、女の子いっぱいいるしね。


「もし兄ちゃんが告られて悩んだら、後押ししてあげる」


事務所、兄ちゃんを好きな子いそうだしね。


「でも、もしこのまま何年か経った時」


今のまま、楽しい時間が回り続けて。


「兄ちゃんが真美のことを、小さな子どもじゃなくて、一人の“女の子”として認めてくれる時が来たら」


今のまま、隣に真美がいたら。


「真美に、返事を聞かせてよ」


それが真美の、たった一つのお願い。

184 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:18:08.29 ID:l0zubfjX0

すっごく自然に、笑みがこぼれた。

えっへん。

言いたいこと全部、兄ちゃんに言ってやったぜ。

なんだかいぎょーを成し遂げた気分!

ぜんぶぜんぶ、これからなんだけど。


「……わぁっ!?」


って思ってたら、急に兄ちゃんに抱きしめられた!

え、なになに!?

ど、どしちゃったの、もしかして兄ちゃんロリコンだったの!?


「……ってるさ」

「はえ?」


なんて言ったの?

よく聞こえなかったよ。
185 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:18:40.99 ID:l0zubfjX0


「ずっと、待ってるさ」


今度の声は、はっきり聞こえた。


「俺も、その日が来るのを」


兄ちゃんの囁くような声が。


「……待っててくれるの?」

「今、真美が笑った時、見えたんだ」

「何が?」

「その日が」


兄ちゃんの声を聞いてると、落ち着く。

兄ちゃんが好きだから、落ち着くのかな。

それとも、落ち着くから、好きになったのかな。
186 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:19:07.70 ID:l0zubfjX0

兄ちゃんにとってまだ真美は、恋愛とか、そーゆー相手じゃない。

それは真美が一番分かってる。

でも兄ちゃんは、待とうとしてくれてる。

ちっちゃい真美の気持ちを知って、それに本当に応えられる時まで。


「何年くらいは確実に待ってくれる?」

「そういう身も蓋もない聞き方をするか?」

「……四、五年くらい?」

「割と現実的な数字を弾き出してきたな……」


兄ちゃん。

今日は、まず第一歩を踏み出せたかな。

これまでは妹みたいなものだって思われてたけど。


「真美、頑張るね」

「慌てなくていいさ。俺はどこにも逃げないよ」


今日からは、少し前に進めるよね。
187 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:19:48.27 ID:l0zubfjX0

ベランダに吹く風が、少し穏やかになった。


「ああ、そうだ」

「どったの?」

「小鳥さんと律子が、明日夕飯奢ってくれるって」

「え! 兄ちゃんずるい!」

「騒ぐな騒ぐな。お前も連れてくから」

「やたー!」


さっきまでの風は、真美の心を攫っていってしまいそうで、怖かった。


「何食べたい?」

「キャビア」

「容赦ないなお前」

「もしくは松坂牛」

「容赦ないな……」


でも、いま吹いてる風は、冬なのにとっても心地良い。
188 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:20:20.57 ID:l0zubfjX0

兄ちゃんと二人で座って、夜風に当たりながら空を見る。

お互いに無言になって、とっても静か。

なんか、今はあんまり喋りたくないんだ。

兄ちゃんと二人きりの静かな時間を、ゆっくり過ごしたい。


「……あ、流れ星」


でも、そっこーで沈黙を破ったのは真美だった。


「星もあんまり見えないのに、珍しいな」

「兄ちゃん、お願い事言えた?」

「あー、考える余裕もなかったよ」


そう答える兄ちゃんの視線がめっちゃ泳いでた。

嘘ついてる顔だ。
189 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:20:49.71 ID:l0zubfjX0

「何考えてたの?」

「……秘密」

「いじわる」


ぼすり、と兄ちゃんの膝に寝っ転がる。

すかさず、兄ちゃんが真美の髪の毛をくしゃくしゃーって乱す。


「うあー、やめれー」

「今流行りの頭皮マッサージを受けてみろ」

「うおー……効くぅー……」


……あんまり妹モドキを脱却できてない気がする。

まぁ、まだ仕方ないかな。


「ゆっくり、慌てずに、だよね」


真美がそう言ったら、くしゃくしゃするのを止めて、優しく撫でてくれた。

んふー……そんなふーにされたら……真美、寝ちゃうよ……。
190 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 02:21:23.09 ID:l0zubfjX0

この幸せは、いつまで続くかな。

ちょっとの間だけ?

それとも、これからずっと、ずっと?

真美にはまだ分かんない。

でも、一つだけ確かなのは、今この瞬間がとっても幸せだってこと。


「兄ちゃん……」

「ん?」

「……んっふっふー、なんでもない」


夢心地の中で、いつかきっとと願う、その日を想い描きながら。

目を瞑ったまま、兄ちゃんのぬくもりを感じてた。
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/20(木) 17:06:02.49 ID:Rnsij3g30
おつ
この辺までは読んだ覚えたがある
192 : ◆on5CJtpVEE [sage]:2019/06/20(木) 21:17:49.46 ID:6v6J+R0WO
>>191
当時は投下も遅く、すみませんでした
改めて目にしてもらえて幸いです、ありがとうございます
193 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:51:02.28 ID:l0zubfjX0

兄ちゃんに想いを伝えた後も、過ごす日々はあまり変わらなかった。

ちょっと変わったことと言えば、街中で真美の歌を聴くと、ちょっと誇らしくなったこと。

それと、仕事中、兄ちゃんと目が合う回数が増えたことくらい。


「兄ちゃん、ぼーっとしてどったの?」

「ん? ああ、なんでもない」


そんで、何事もなかったかのように仕事に戻る。

そんな感じ。
194 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:51:43.92 ID:l0zubfjX0

「あれ? 真美、足押さえてどうしたの?」

「やよいっちー、ちょっと足が痛いー」

「捻ったの?」

「そうじゃないんだけど……」


真美がちょっと困ってたりすると、


「その靴、そろそろ小さいんじゃないか?」

「あ、そうかも」


前よりも細かいところに気付いてくれるようになった。

真美のこと、しっかり見てくれてる。

それが伝わってきて、真美もがんばろーって気になるんだ。
195 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:52:10.17 ID:l0zubfjX0

また春が来ると、真美は中学生になった。

げーのーかつどーに協力的な、私立の中学校。

亜美と二人で入ると、クラスではちょっとした話題になった。


「うえー……質問攻め疲れたー」

「バテバテだね」

「だってさーひびきん、みんなよーしゃないんだもん。あれならマスコミのほーが楽だよー」


中学生ってすとれーとに言うよね。

まったく、みんなお子ちゃまだなぁ。


「大丈夫だぞ、しばらくすれば落ち着くから」

「そーいや、ひびきんもげーのーかつどーのために転校してきたんだよね」

「最初はもみくちゃにされたよ……」


でも今は、仲良い友達とふつーにのんびりしてるって。

いいなー、真美も早くそーなりたい。
196 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:52:38.44 ID:l0zubfjX0

確かに二、三ヶ月もすると落ち着いてきたけど、新しい悩みもできた。


「うーん……どうしよ」

「すっぱりキッパリ、言っちゃえばいいって思うな」

「そうだよね……」


真美の前には、二つの封筒。

それぞれに、同じがっこーの男の子の名前が書いてある。

まぁ、そういうことだよね。


「ミキミキはずぱーーーって言ってる?」

「すっごい数が来るから正直メンドーだけど……一応勇気出して伝えてくれてるし、返事してあげないと可哀想なの」


そっかぁ、そうだよねぇ。

もしあの夜、兄ちゃんにてきとーな返事をされてたら、真美だって嫌だったもん。
197 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:53:06.94 ID:l0zubfjX0

ごめんなさいって伝えると、二人ともすっごく落ち込んでた。

でも最後に、返事をくれてありがとうって言ってくれた。

ごめんね、二人とも。

でも真美、断るのはアイドルだからとかじゃなくて、好きな人がいるから。


「告白されたんだって?」

「うんむ。真美は可愛いですからなー」


兄ちゃんに本日のイベントをご報告。


「モテモテだな、真美」

「そうだよん。これで入学以来、七人目?」

「……マジか」


あれ? 八人だっけ?

真美の返事を聞いて、兄ちゃんは複雑そうな表情をした。
198 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:53:35.54 ID:l0zubfjX0

「ねぇ、兄ちゃん」

「なんだ?」

「もしかしてさ、今の話聞いて、兄ちゃん――」

「って、そろそろ出ないと収録間に合わないぞ!」

「うあうあ!? もーこんな時間なのー!?」


兄ちゃんは慌ててスマホ片手に車のキーを取りに行った。

やばば! 真美も何も準備してないよー!

さっさと荷物用意しなきゃ!


「……でも今、兄ちゃんさ。少しだけど」


真美の思い違いとか、自惚れとかでなければ。

……んっふっふー。
199 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:54:05.26 ID:l0zubfjX0

中学生になってからは、前よりもげーのーかつどーに費やす時間が増えた。

学校に行ってる時間の方が少ないくらい。

毎日毎日、分刻み……ってほどじゃないけど、なかなかのハイペース。

でも、亜美はもっと忙しいんだよねー。

さすがは竜宮小町ですな。


「亜美ほど売れてないお陰で、こうやってのんびりする時間もちょっと多いんだけどね」

「ほう、それはアレか。遠回しに仕事増やすなと仰せか」

「いえいえ兄ちゃん様、滅相もないであります」


兄ちゃんが書類ざんぎょーしてる後ろで、いおりんが買い溜めてたオレンジジュースをゴクリ。

うむうむ、やはりいおりんのオレンジジュースはいい味してますなぁ。


「勝手に飲んでどやされても知らんぞ」

「だいじょーぶだいじょーぶ、いおりん自分で飲んだ量覚えてないから」
200 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:54:38.23 ID:l0zubfjX0

「ほう、自信満々だな」

「いおりんが怖くてアイドルやってられるかってーの。おいちい」

「そうか、なら俺のフォローもいらないな」

「ふえ?」


兄ちゃんが何言ってるのかさっぱり分からんぜ。

うん、分からない分からない。


「ふぅん……真美、いい度胸してるじゃない」


だから、後ろから怒りが伝わってくる足音なんて聞こえてないぜ。


「いえいえ伊織お嬢様、真美は毒が入ってないか身を呈して確かめてたわけで」

「ちょっと顔貸しなさい」

「行ってらっしゃい」

「に、兄ちゃんの裏切りものーーー!!」


給湯室に連れてかれて、頭ぐりぐりされました。
201 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:55:05.05 ID:l0zubfjX0

いてて……酷い目にあったよ……。


「伊織は?」

「荷物取りに来ただけみたい。もう帰ったよん」

「そうか」


短く返事をして、兄ちゃんはまた仕事に戻る。

今事務所にいるのは、真美と兄ちゃんだけ。

かちこちかちこち、時計の音が静かな事務所に響く。


「もう夜だぞ。帰りな」

「明日休みだし、もちっとだらだらしてくー」

「親御さんが心配するぞ」

「ちゅーがくせーになったし、兄ちゃんと一緒ならいいってお言葉貰ったよ」


ミキミキのせくちーグラビアを見ながら教えると、小さなため息が聞こえた。
202 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:55:34.81 ID:l0zubfjX0

「遊べるわけでもないのに、なんで事務所に残ってるんだ」

「真美は、兄ちゃんと同じ空間にいるだけで幸せなの」

「うぐ」


雑誌を読みながらのんびり答えると、なんかダメージ受けたよーな声が聞こえた。

兄ちゃん、割と弱い。

しばらくウンウン唸ってから、いきなりガタンと立ち上がった。

ちょっとびっくりした。


「……今日はダメだ、作業が進まん。飯食って帰ろう」

「おー!」


よっしゃー! 兄ちゃんの奢りだー!


「北京ダック!」

「それは小鳥さんに頼め」


窓の鍵に戸締りよーし!

では行こうではないか、兄ちゃんクン!
203 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:56:08.78 ID:l0zubfjX0

ファミレスに着くと、先客がいた。


「あれ? プロデューサー、こんばんは」

「真美ちゃん、お疲れ様」

「ちっ……まこちんにゆきぴょんか……」

「えっ、なんでボクたち舌打ちされてるの?」


店員さんに一言伝えて、まこちんたちの席へ行く。

じょーだんだよまこちん、じょーだんじょーだん。

……七割くらいは。


「やーりぃ! プロデューサーの奢りですね!」

「雪歩、好きなもの頼んでいいぞ」

「ありがとうございますぅ」

「ボクは?!」

「まこちんは奢る側っしょ?」

「誰が彼氏だよ!」
204 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:56:34.77 ID:l0zubfjX0

兄ちゃんと二人が良かった……って気持ちもなくはないけど。

やっぱりご飯は皆で食べたほーが楽しいよね!


「そういえば雪歩、この間のCM良かったよ。らしさが出てた」

「はいっ、ありがとうございます!」

「その調子なら、ファンもすぐに増えるな。しっかり自分の可愛さを表現できてるよ」

「えへへ……そんな、照れちゃいますぅ……」


……。

げしっ。


「あだっ!?」

「ぷ、プロデューサー?」

「つま先……いや、なんでもない……なんでもない……」


顔を引き攣らせて涙目の兄ちゃんが、こっそりこっちを見る。

ふーん、真美知らないもんね。
205 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:57:10.28 ID:l0zubfjX0

「でも最近、真美もすっごく可愛くなったと思いません?」

「うぇっ!?」


っとここで、思わぬとこから真美へ矛先が向いた。

ま、まこちん、いきなりキラーパスはキツいっしょ!?


「え、いや、あはは……」

「真美、最近恋でもしてる? なんちゃって! はははっ!」

「あ、あはは……」


ま、まこちん。

気付いてないんだ、気付いてないんだね!?

隣見てよ、ゆきぴょん超オロオロしてるよ!

ってああっ!

兄ちゃん、何の話?って顔しながら太もも必死につねってる!

ま、真美には分かる! アレ爆笑我慢してる顔だ!!
206 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:57:38.59 ID:l0zubfjX0

「どう思います、プロデューサー?」

「……んんっ!?」


と、ここで兄ちゃんにパスが回った。

高みの見物から一転、兄ちゃんの反応が止まった。

心なしか、顔色がサーッと青くなってるように見える。

んっふっふー、ざまみろ、真美のこと笑ってるからだよん!


「……!」


ゆきぴょんが固唾を飲んで兄ちゃんの反応を窺ってる。

映画のクライマックスを見守る勢いで……。


「あ、あー……」


兄ちゃんの口から悩む声が漏れる。

さて兄ちゃん、まこちんのパスをどう受ける!
207 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:58:30.88 ID:l0zubfjX0

「……ああ、可愛いというか……女の子として、魅力的になってきてる、と思う」


ぼんっ。

あれ、何の音だろ。

キッチンでなんか爆発したのかな?

なんかちょー熱くなってきた。

まさか火事とかじゃないよね?


「ねぇ真美、なんでそんなに赤くなってるの?」

「……えっ」


……うん、まこちんに聞かれるまでもなく分かってた。

さっきの音も、この熱さも、あれだよね。

真美のほっぺただよね。


「え、あ、ううん、えっと……」


な、何も場を取り繕う言葉が出てこない。

うあ……めっちゃ恥ずかしい……。
208 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:59:20.01 ID:l0zubfjX0

ゆきぴょんが打って変ってめっちゃ顔輝かせてる。

これがあれだね、こないだ国語でやった水を得た魚ってやつだね!


「うんうん! 真美ちゃん、すっごく魅力的になってきてるよ!」


ゆ、ゆきぴょんは味方だと思ってたのにー!


「真ちゃん、メニュー貸して!」

「メニュー? はい」


え、何してんのゆきぴょん?

なんで勢いよくメニューめくり始めて……。


「これっ! これ頼もう? カップルドリンク! そこの二人で!!」

「いやいやいやいや」


謎のメーターが振り切れそうなゆきぴょんに、兄ちゃんが冷静にツッコミを入れる。


「あ、このカップルドリンクお願いします」


まこちーーーん!!!
209 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 21:59:53.14 ID:l0zubfjX0

目の前にはでんっと、おっきなハートのグラス。

……頼んじゃったものは仕方ないから、飲むしかないよね。


「さっさと飲むか……」

「そだね……」

「ひゅーひゅー!」

「飲んじゃってくださぁい!」


囃したてる二人とは対照的に、真美たちの気分は真っ暗だった。

ゆきぴょんもまこちんも、仕返しするかんね……!


「お、覚えてろー!」

「真美……事後処置は後で考えるとして、現実と向き合おう……」

「お、おおう……そだね、兄ちゃん……」

「うっらやましいなぁ、お二人さん!」


特にまこちんは絶対泣かす。
210 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:00:22.17 ID:l0zubfjX0

ストローをちょっと咥える。

目線を少し上に上げると、兄ちゃんと目が合った。


「に、兄ちゃんこっち見ないでよ……」

「仕方ないだろう、ストローは向かい合わせで固定なんだから」


何この恥ずかしい時間。

ほっぺた真っ赤っかで真美火山が大噴火。

こんなことになるなら、さっさと帰ればよかった……。


真美、今は兄ちゃんと一つのコップから飲んでるんだ。

……また顔が熱くなってきた……。


「そして悔しいことに、このドリンクめっちゃ美味しいよ」

「果実味溢れる濃厚な味わいだな」


いつもみたいな軽口だけど、兄ちゃんはちょっと変な感じだった。

なんかちょっと挙動不審。
211 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:00:57.52 ID:l0zubfjX0

「ごちそうさまでした!」

「真美ちゃん、また明日ねー」

「おう……二人とも、気をつけて帰れよ……」

「ゆきぴょん……また事務所でね……」


ご飯を食べて、よーやく二人から解放された。

……あの後、あーんまでやらされるし、生きた心地がしなかったよ。

そりゃ真美も兄ちゃんにあーんとかやってたけどさ、やりたいけどさ!

他人が見てる前で言われてやるのってなんか違うじゃん!


「恥ずかしかった……」

「俺もドッと疲れが出てきた……」


家への帰り道を歩きながら、兄ちゃんと二人でさっきのエンカウントイベントを思い出す。


「……せっかく二人でゆっくりできると思ったのに」


真美からぼそっと不平が漏れる。
212 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:01:29.09 ID:l0zubfjX0

すると、兄ちゃんがいつもと違う道を指さした。


「今日はこっちの道から帰るか」

「え? 遠回りじゃん」

「ゆっくり帰れるだろう」


そう言って、真美の返事を待たずに方向を変えて歩き始めた。


「兄ちゃん待ってよー!」


追いついて、こっそり兄ちゃんの手を握る。

ちょっと驚いたように真美の方を見たけど、仕方ないなって感じの顔で、握り返してくれた。


「あ……」

「ん? 違ったか?」

「ううん、これでいいの!」
213 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:01:57.40 ID:l0zubfjX0

歩いてる時、ふと兄ちゃんが真美の頭を凝視してきた。

え、なになに、ゴミでもついてんのかな?


「お前、背伸びたな」


って、そんなことかいっ!


「真美だって成長期だもん。そりゃーぐいぐい伸びるってもんよ」

「ちょっと前まで、あんなにちっちゃかったのになぁ」


確かに、中学入ったころから急に伸び始めたかも。

これは、オトナへの道が着実に進んでいる証拠ですな!
214 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:02:32.77 ID:l0zubfjX0

「ふふん、真美だってオトナの階段登ってるんだぜー」

「そうなんだな……」


真美が満面の笑みで見上げると、兄ちゃんは照れるみたいに慌てて目線をそらした。

なんかこういう兄ちゃん、珍しいかも。

でも、手はしっかり握ってくれてる。


「兄ちゃん、照れてるの?」

「否」

「目を見て言ってよ」

「拒否」


兄ちゃんは家に着くまで終始ぎこちなかったけど、なんか可愛かった。

カップルドリンクのせいかな?

ゆきぴょんへの仕返しは、少し手心を加えてあげよう。

ただしまこちん、てめーはダメだ。
215 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:03:05.79 ID:l0zubfjX0

そうなんだよ。

最近、兄ちゃんがぎこちない。

こないだも休みの日にベランダから侵入したら……。


「よっと、おじゃましまーす」

「んっ!? ま、真美か。どうした?」

「遊びに来たの! ねね、新しいゲーム買ったからやろうぜい!」

「暇してたし、あんまハードなのでなけりゃいいぞ」

「うむうむ、そんじゃちょっと隣にしつれー」

「お、おう」

「……どうして距離とるの?」

「いや、密着してたら暑苦しいだろう」


てな具合で。

いまさら何言ってんのさ、これまでそんなの全然気にしてなかったじゃん。
216 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:03:39.97 ID:l0zubfjX0

「慌てたりする兄ちゃん見てるのは楽しいけど、ちょっと距離も感じるんだよね」

「そうかしら? これまで通り、仲良し二人に見えるわ」


あずさお姉ちゃんは、お茶を飲みながらのほほんと言った。

そりゃ仲悪くなったわけじゃないけどさ。

なんか、前みたいに馴れ馴れしくできないんだよー。


「他にも、あーんとか絶対にやらせてくれなくなったし、薄着してると怒られるし」

「……お父さんかしら?」

「なんかつまんなーい!」

「うふふ、でもそれって、大人として見られ始めてる証拠じゃないかしら?」


お? おぉ!

そーいう見方もできるんだ!


「なるほど……真美がせくちーなのがいけなかったんだね……」

「せ、せくちーかは分からないけれど」
217 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:04:24.74 ID:l0zubfjX0

そこで真美は、一計を案じた。

秋、まだ夏の暑さが残る時期。


「やっほ、兄ちゃん!」

「やっと来たか……って、わざわざ浴衣着てきたのか!」

「そなんだよー、ひびきんに着付け手伝ってもらってたんだけど、手間取っちゃって」


兄ちゃんを近所の神社のお祭りに誘った。

ここんとこ忙しかったけど、ピヨちゃんに無理言ってスケジュール合わせてもらえたぜい!

亜美は恨めしそうにしてたけど。

しっかたないじゃーん、亜美は真美より売れっ子だもんねぇ。

んっふっふ〜。


「気合入りまくってるな……」

「似合ってるかな?」

「まぁ、そりゃ」


む、そっけない返事。

ぜーったいにメロメロにしてみせるんだかんね!
218 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:04:51.53 ID:l0zubfjX0

すっごい数の人。

あらかじめ待ち合わせてないと絶対合流できないっしょ。


「すごい人ごみだねー」

「もしはぐれたら入口の所に集合な」

「あーい」


焼きそばたこ焼きわたあめかき氷……。

あんず飴ソースせんべいチョコバナナ射的金魚すくい……。


「今日は息抜きだ。好きなだけ奢ってやろう」

「ホント!?」

「……やっぱり節度を持ってな」

「一気にカッコ悪いぜ兄ちゃん」
219 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:05:33.35 ID:l0zubfjX0

「こんだけ人いると、真美のファンも一人くらいいるのかな」

「一人なんてもんじゃないと思うぞ。何十人と居るかもな」

「まったまたぁ、大げさだよチミィ」

「CDの売上とか見てると、割と現実的な数字だと思うが」


……。

えっ、真美のCDってそんなに売れてんの?


「髪型変えてみたけど、ばれないかな……」

「真美といえばサイドテール、って感じで浸透してるし、そうそう気付かれないよ」


今日の真美はお団子ポニー。

いつもとイメージ変えて変装代わりに……。

というのは建前で、実際のところは、


『男なんてうなじ見せれば一発なの』


というミキミキの台詞を信じての髪型なんだけど。
220 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:06:09.57 ID:l0zubfjX0

「兄ちゃん、この髪型似合ってる?」

「うん、いつもの髪型も可愛いけど、浴衣によく合ってる」

「……」

「なんだ、急に目をそらして」

「な、なんでもない!」


いや、自分から話振っといてなんだけどね?

面と向かって言われると恥ずいんだってば!

そしてさりげなく、うなじを……。


「しかし浴衣って涼しそうだな。首回りとか」

「う、うん。めちゃ涼しいよ」

「いいなぁ。俺も浴衣にすりゃよかったかな」


ってミキミキ全然だめじゃーん!

メロメロどころかがんちゅーにないじゃん!

嘘つきー!
221 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:06:38.36 ID:l0zubfjX0

でも兄ちゃんの浴衣かぁ……。

ちょっと見たかったかも。


「お、面白いもんがあるぞ」

「えっ、なになに!?」


兄ちゃんが指さす方向には、お面屋さん?


「兄ちゃん、さすがに真美」

「あのラインナップを見てみろ」

「そういう歳じゃ……ってうえぇっ!?」


ま、真美たちのお面が並んでるー!

えっ、あれ事務所的に許可とかどうなの?


「許可した覚えはないんだがな……」


あっ、やっぱ無許可なんだ。
222 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:07:13.05 ID:l0zubfjX0

「でも、ついつい買っちゃったね」

「いや、こんな面白いもんあったら買わざるを得ないだろう」

「しかも全員分。ねっきょー的なファンだと思われてるよ」

「俺としては、横にいた高校生が訝しげにお前のこと見てたのが気になってたけどな」

「……妬いてんの?」

「アホ」


真美のお面を斜め掛けして、隣の屋台で買ったたこ焼きをぱくぱく。

偽物とはいえ、自分の顔を被るのは何とも複雑な気分ですな。


「たこ焼き一個くれないか」

「いいよん。はい、あーん」

「自分で食べます。ひょいっとな」

「うあうあー! ごーとーだー!」


やっぱりあーんはやらせてくんない。

兄ちゃんのけちんぼ、かいしょーなし!
223 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:07:53.62 ID:l0zubfjX0

それにしても、今日はなんでこんなに人が多いんだろ。

何かイベントでも重なってるのかな?


「もうすぐ、少し離れた川で花火大会をやるんだと。ここから割と見えるらしいぞ」

「へー、だから人がいっぱいいるのかな」

「だろうなぁ。この祭りは毎年来てるけど、こんなの初めてだ」


ふうん、兄ちゃん、去年までも来てたんだ。

真美は去年、どうしたっけ。

亜美と一緒に輪投げ荒らししてたっけ?


「ごちそーさまでしたっと。ゴミ捨ててくんねー」

「はいよ」


次は何食べよっかなー。

それとも、射的でもやろっかなー。
224 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:08:25.08 ID:l0zubfjX0

なんてのんびりと構えてたんだけど……。


「あああああ人波に流されるううううう!」


も、戻れない! 来た方向に戻れないよ!

ぬわあああおっちゃんとおばちゃんのサンドイッチに潰されるー!

『流れに逆らわず、一方向にお進みください』って!

そしたら兄ちゃんとはぐれちゃうよー!


「そして、完全にはぐれてしもうた……」


人が少なくなってきたとこで、ようやく流れから抜け出せた。

ぐにゃぐにゃ歩き回ったせいで、自分がどこにいるかも分かんなくなっちったよ……。
225 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:08:58.16 ID:l0zubfjX0

待ち合わせは入口のとこって言ったっけ。

とりあえず行かなきゃ。


「えーっと、多分あっちだよね。兄ちゃんにメールを打って、と」


……ちゃんと兄ちゃんと会えるかな。

待ち合わせ場所を決めはしたけど……こんなに沢山人いるし……。

なんか無性に不安になる。

とっても、心細い。


「それにしても、カップルが多いですなあ」


右を見ても左を見ても、いちゃいちゃいちゃいちゃ。

真美と兄ちゃんも、さっきまではそう見えてたのかな。

それともいいとこ、兄妹かな。


「何年後か分からないけど、ぜーったいにそーゆー関係で来てやる」


そんな宣言を胸に、自分を奮い立たせる。
226 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:09:34.67 ID:l0zubfjX0

入口の鳥居近く。

兄ちゃんはちょっと心配そうに、境内の方を見てた。


「お、いたいた。真美!」


兄ちゃんが真美の名前を呼ぶ。

居た、ちゃんと居てくれた――!


「……ってうわっ!? いきなり抱き着くな!」

「兄ちゃんっ……!」


ちゃんと合流できるって信じてたけど。

兄ちゃんの声を聞いたら、我慢してた不安感が一気に込み上げてきた。


「怖かったー!」

「はいはい、よしよし。もう怖くないから、とりあえず離れなさい」


ぐすん。兄ちゃん、もちっと優しくしてくれてもいいのに。

でも、頭撫でてくれたから許してあげる。

……んで、落ち着いたら真美、一個思い出したことがあるんだけど。
227 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:10:13.58 ID:l0zubfjX0

「兄ちゃん、思いっきり真美の名前呼んだよね」

「あ」


こっそり周囲を窺うと、何人かの人がこっち見てる。

これ、けっこーめんどいパターンじゃない?


「よし、逃げよう」

「ナイス判断、真美もそう思ってた」


幸い、周りの人も真美だって確信はしてないみたい。

真美と兄ちゃんは逃げるように、こそこそと人ごみの中へ入ってった。

追いかけてくる気配もないし、ギリセーフかな?


「ほら、はぐれないように手を放すなよ」

「う、うん!」


兄ちゃんが差し出してくれた左手を握る。

放さないよ、放すわけないじゃん。

神社に二人っきりだって放さないもん!
228 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:10:41.16 ID:l0zubfjX0

「撒いたみたいだし、とりあえず人ごみを抜けよう」

「おっけー!」


兄ちゃんに手を引かれて、誰もいない、ちっちゃな社の裏手に回る。

ふー、やっと一息つけるぜ……。

兄ちゃんもホッとしたように、近くの岩に腰掛けた。


「ん? もう人ごみは抜けたし、手放してもいいぞ」

「……やだ」

「やだってなぁ」

「だめ?」

「だめ、ってわけでもないが」


兄ちゃんが座ってる岩はけっこーおっきい。

隣に真美が座るスペースあるかな?
229 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:11:11.68 ID:l0zubfjX0

「んー、ギリギリだね」

「そっちにも座りやすそうな岩あるだろう」

「隣がいい」

「はいはい」


仕方ないなという風に、兄ちゃんはちょっとだけずれてくれた。

これなら真美も座れるね。


「よいしょっと」

「狭くないか?」

「狭い方がある意味いいかも」


兄ちゃんと近い。

兄ちゃんと密着してる。

なんかドキドキする……。
230 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:12:00.06 ID:l0zubfjX0

その時、視界の端が明るく光った。

直後、どーんと大きな音。


「花火始まったみたい」

「なるほど、確かにこの神社は見るために丁度いいな」

「ここだと木が邪魔で、ほとんど見えないね」


境内の方だとバッチリ見えそう。

だからこんなにお祭りも混んでんだね。

兄ちゃんの横でぼーっと考えてると、次から次へと花火が上がる。

どーん、どーん。


「折角だし、花火見に行くか?」

「んー、いいや。また人ごみに入ってくの、疲れるっしょ」

「一理あるな」

「それに真美ね、花火って音聴いてるだけってのも好きなんだ」


どーん、どーん。

心地良い音と振動が、真美の身体を揺らす。
231 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:12:40.20 ID:l0zubfjX0

なんだろ。

さっきよりも、胸が超ドキドキする。

花火の響きのせいかな?

遠くの方からわいわいがやがや、たくさんの声が聞こえる。

そこから離れて、真美と兄ちゃんは二人きり。


「真美、どうした?」

「……」


なんだか、やっちゃいけないことをしているような、イケナイ背徳感。

それと一緒に、のぼせたように頭がぼーっとなる。


「疲れたのか? ならこのままもう少し休も――」

「兄ちゃん」


名前を呼ぶと、兄ちゃんがこっちを向く。

いつもの兄ちゃんの表情。


それを見たら、なんか我慢できなくなった。
232 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:13:19.12 ID:l0zubfjX0


「――っ!」


どーん、どーん。

花火の音と人々の喧騒が響く。

その中で、兄ちゃんが何か言った。

でも、真美には聞こえないよ。


「んっ……」


暖かい。

柔らかい。


「ん……」


自分でも、ちょっとびっくりしてる。

でも、今身体を動かしてる真美は、とっても冷静で。


「……っぷはぁ」


のぼせあがった頭は、何も考えらんない。

一つだけ理解できたのは、兄ちゃんが多分これまで見た中で、一番驚いた顔をしてること。
233 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:14:00.29 ID:l0zubfjX0

「真美、お前……」

「……んっふっふー、油断大敵だよ、兄ちゃん」


自分で言うのもなんだけど、真美、なんでこんなに冷静なんだろ。

けっこーなことしたよね、今。


「易々とすることじゃないぞ」

「易々とじゃないよ」


理屈じゃないんだよね。

身体が、勝手に動いてた。


「易々となんかじゃ、ないよ」


もう一回、言った。


「兄ちゃんだから、だよ」

「そう、か」


真美の返事を聞いて、兄ちゃんは黙り込んだ。

やりすぎちゃったのかな。

真美がしたこと、いけないことだったのかな。
234 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:14:55.40 ID:l0zubfjX0

「わっ!?」


そんな風に思い始めた時、兄ちゃんが真美の頭をぽんぽんと撫でた。

そのまま軽く引き寄せられて、兄ちゃんに寄りかかる形になる。

な、何するの? 何かされちゃうの?!


「真美」

「えっ、あ、な、何?!」

「確かにいいな、音だけって言うのも」


いつも優しい声だけど、それよりもっと少し優しめに、兄ちゃんが言った。

その途端、強張った真美の身体から、ふっと力が抜ける。

……もー、びっくりさせないでよ。

真美が言えたことじゃないけど。


「うん」


こてんと、兄ちゃんに身体を預ける。

そして花火が終わるまで、二人でゆっくり、遠くの響きに耳を傾けてた。
235 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:15:21.82 ID:l0zubfjX0



ちょっと背伸びしすぎたかな。


でも、兄ちゃんとの距離は縮まったかな。


236 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/20(木) 22:15:52.80 ID:l0zubfjX0

帰り道は、手をつないで帰った。

ほとんど何も喋らなかったけど、それでよかった。

こないだはぎくしゃくというか、照れながらだったけど。

今日は当たり前のように、穏やかな雰囲気。


喋れないんじゃないや。

喋りたくないんだ。


二人っきりの、この穏やかな時間が、いつまでも続きますように。
237 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/06/21(金) 01:04:32.66 ID:YSRSVhbvo
おつおつ
優しい世界だ
238 : ◆on5CJtpVEE [sage]:2019/06/21(金) 22:42:01.66 ID:ob1y39C8o
>>237
ありがとうございます。
最後まで見守っていただけると幸いです。
239 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:16:33.95 ID:ob1y39C80

「それでそれで、昨日はどーだったんだ!?」

「ミキがアドバイスしたんだから、勿論モノにしたよね?」


そんな真美のささやかな願いは、翌日そっこー潰された。

事務所に入るなり、ひびきんとミキミキに拉致監禁。

給湯室で両手をわきわきさせながら迫られた。


「ミキミキ、兄ちゃんにうなじ攻撃はかすりもしなかったよ」

「……うそ!?」

「浴衣は似合ってるって言ってくれた!」

「着崩れなかった?」

「うん。ひびきんが綺麗にやってくれたから、ばっちぐーだったぜい」

「ふふん!」

「ミキは……ダメなオンナなの……」


ダメだこれ。

しばらくはみんなにわいわい騒がれそうだね。
240 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:17:02.48 ID:ob1y39C80

夜、寝ようとしたら亜美に声をかけられた。


「兄ちゃんとはうまくいってんの?」

「うまくも何も、スタ→トスタ→にも立ってないよ……」

「お祭り行ったんじゃないの?」

「……行ったけど」


布団の中で、兄ちゃんとの出来事を思い出す。

改めて思い返すと、なんかすんごくむず痒いよ!

タオルケットを被ってじたばたじたばた。


「んっふっふ〜、どこまでいったの? ちゅーした?」

「ちゅーした」

「やるねぇ真美さん、ちゅーしたんだ……ってまじで?」

「うん」

「……やるねぇ」


一言返事をするのにも顔が真っ赤っか。

亜美は感慨深げに、ウンウンと頷いてる。
241 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:17:42.25 ID:ob1y39C80

「そんで?」

「えっ?」

「そんで、その次は?」

「その次って……のんびり花火の音聞いて、帰ったけど」

「えー……そこはパッと舞って、ガッとやってチュッと吸ったんなら、はぁぁぁぁあんでしょ!」

「やんないよ!」


もう、亜美ってば人事だと思って!


「でも、うかうかしてると兄ちゃん取られちゃうよ?」

「それは……そうなったら、仕方ないよ」

「えぇ? 仕方ないって……真美、そんなんでいいの?」

「もし兄ちゃんが本当にそれを望むなら、真美は止めらんないよ」


勿論、イヤに決まってんじゃん。

でも、兄ちゃんの気持ちは兄ちゃんのもの。

真美が学校で告白を断ったみたいに、兄ちゃんのことを決めるのは、兄ちゃん自身だから。
242 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:21:11.48 ID:ob1y39C80

別に、兄ちゃんは真美を選んでくれるって約束したわけじゃないし。

キスだって、真美が一方的にしただけ。

これ以上のことを、真美は兄ちゃんに求められないよ。


待っててって言ったから。

待ってくれるって言われたから。


真美にできるのは、なるべく兄ちゃんに好きな人ができないといいなぁ、ってちょっぴり思うくらい。

神様が、真美のお願いを聞いてくれることを祈るだけ。

どうか、真美が待ち望んでいるその日が来ますように――。
243 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:21:39.83 ID:ob1y39C80

真美はその日を待ち続けながら、ずっと兄ちゃんの傍にいた。

その間、色んなことがあった。


事務所のみんなは、それぞれみんな、テレビでよく見るようになった。

テレビに出ない時も、何かしらのイベントで飛び回る日々。

兄ちゃんと、本格的にプロデューサー業へシフトし始めたりっちゃんが頑張ったおかげだよ。

今では真美もレギュラー番組が三本あるし、CDも新譜出すと、もうちょっとで十位台に届きそうなくらい。


でも忙しくなるとやっぱり、兄ちゃんとの会話は減る。

それでも真美は、できる限り兄ちゃんの傍にいた。

兄ちゃんの方も、なるべく真美と一緒にいる時間を作ってくれてた、と思う。


デスクで固まったまま兄ちゃんがウンウン唸ってたのは、そんな日々にも慣れてきて、真美が中学三年生になった頃だった。
244 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:22:22.08 ID:ob1y39C80

「兄ちゃん、何生まれそうな声出してんの?」

「生まれないから困ってるんだよ」

「赤ちゃん? それとも卵?」

「何が卵か。一応俺も、胎生である哺乳類の端くれだからな」

「その前に男として出産を否定してよ」


デスクの上で、何やら書いては消し、書いては消しを繰り返してる。

どれどれ、何か知んないけど真美さんが採点してしんぜようではないかね。


「って引き出しにしまって鍵かけちゃダメー!」

「仕事の邪魔するんじゃないの。で、何か用があったんじゃないのか?」

「あ、そだった」


危ない危ない、すっかり忘れてた。

そうだ、真美にはじゅーだいな使命があったのだ!
245 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:22:50.01 ID:ob1y39C80

真美は二枚の紙きれをポケットから出す。


「兄ちゃん兄ちゃん、これなーんだ!」


ぴらぴら。


「それ……遊園地のチケットか?」

「だいせーかい!」


んっふっふ〜、なんとビックリ、商店街のくじ引きで当たったのだ!

今度の日曜日、兄ちゃんとオフが被ってるのは調査済みだぜい!


「遊園地ねぇ。ここ数年くらい行った記憶がないな」

「ねね、今度の日曜に一緒に行こうよ!」

「えーっと、今度の日曜は……あ」


手帳をめくっていた兄ちゃんの手が止まった。

少し、申し訳なさそうな表情をしてる。
246 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:23:46.31 ID:ob1y39C80

兄ちゃんの返事は、真美をさいだいきゅーにがっかりさせるものだった。


「悪い、用事が入ってるな……」

「えええええええええ!?」


う、うそ!?

一昨日、久しぶりの休みだーみたいなこと言ってたのに……!


「ライブに向けて忙しくなるから、今度の日曜逃したらしばらく休み被りないじゃん……」

「すまん、許してくれ……」


えええ……うそー……。

完全に遊ぶ気満々で、アトラクションどう回るかとかスポットとか全部調べてたのに……。


「でも、用事あるんじゃ仕方ないよね……」


兄ちゃんは何度も謝ってくれたけど、真美の気分は完全に萎え萎えだった。

ここ数日、これを目指して毎日過ごしてたのにー……。
247 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:24:12.37 ID:ob1y39C80

でも兄ちゃんにも、色々と都合があるよね。

急に仕事入っちゃったのかもしれないし、友達と会ったりするのかもしれないし。

兄ちゃんの身体は真美だけのものじゃないしね。


「……って、なんかえっちい言い方かも」

「へ? 何が?」

「わあああああっ!? やよいっち!?」


きょとんとした顔をしたやよいっちに背後を取られてた。

え、聞こえてないよね?

だいじょぶだよね?


「ななななんでもないっしょ!」

「ふーん。へー、そーなの?」

「うんっ!」


汗がだらだら。

怪しいなーと呟きながらやよいっちに顔を覗きこまれるたびに、ドキッ!っとする。
248 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:31:51.49 ID:ob1y39C80

「でも真美、なんか暗いかも。どうしたの?」


とりあえずさっきの発言は聞こえてなかったみたいで良かったぁ……。

でも、やっぱりテンション下がってるのは隠せないね。


「兄ちゃん、日曜予定あるって……」

「あ、昨日言ってた遊園地のお話?」

「うん」


完全に浮かれて、やよいっちとか千早お姉ちゃんに自慢しちゃったもんね……。


「他の日は合わないの?」

「ぜーんぜん。しばらくはずっとお仕事とレッスンだよー」

「そっかー。ソロライブやるんだもんね」
249 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:32:21.34 ID:ob1y39C80

そう。

実は中学最後の夏には、真美のソロライブが決まってるのだ。

東京ドーム貸し切り!ってわけにはいかないけど、そこそこおっきめのライブハウスでやるんだよん。

でも初ソロライブなのに、社長さんも思い切りいいよねー。


「そうなると、このチケットも持て余しちゃうなぁ」

「行かないの?」

「なんか一気に行く気がなくなってきた……」

「そーなんだ……」


あ、そういえば昨日話した時、やよいっち少し行きたそうにしてたっけ。


「じゃあやよいっち、これあげるよ」

「はわわっ!? さ、さすがにそれは……」

「なんか利用期間決まってるみたいだし、勿体ないじゃん」

「うぅ……でも……」

「千早お姉ちゃんでも誘ったら?」


ちなみに行きたそうにしてたやよいっちを、千早お姉ちゃんがチラチラ見てたことは知ってんだかんね。
250 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:32:47.90 ID:ob1y39C80

「でも、ただでもらうなんて……」

「そんじゃ、今度遊びに行ったときに美味しいご飯食べさせてよー、やよいっちスペシャル!」

「そ、そんなのでいいの?」

「やよいっちはもう少し自信持った方がいいと思うよ」


やよいっちのご飯、めっちゃ美味しいんだよ。

もやしパーティー以外の普段のお食事も、ぜつみょーな味付けでお姫ちんをも唸らせるのだ。

……お姫ちんの場合、何出しても唸りながら食べるけど。


「まぁまぁとりあえず、はいっチケット!」


少し強引にやよいっちに押し付ける。

なんかこのまま持ってると、チケット見る度にテンション下がりそうだし……。


「あわわっ! えっとえっと、ありがとね、真美」

「いいってことよ!」


近い内にライブの準備も始まるし、いつまでも暗いままじゃね。

明るく明るく、ポジティブにポジティブに……。
251 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:33:14.87 ID:ob1y39C80

そう思ったから、日曜は街に遊びに行ったんだ。

ほんとははるるんが、どこかに遊びに行こうって誘ってくれたんだけど。

何だかそんな気になれなくて、一人で出てきた。


「おっちゃん、ソフトクリームちょーだいっ!」


ニコッと笑って注文すると、ちょっと多めにサービスしてくれた。

うむうむ、キミはきっと出世するぞ。


最近はアイドルばっかり頑張ってたから、たまには自分へのごほーびってやつ?

んー、やっぱりソフトはミックスですな!


「はー……お昼下がりに食べるソフトクリームは格別ですぜ……」


なんか映画のワンシーンみたいだよね。

階段座って舐めてたら、真美もせくちーに見えるかな?

イケメンにナンパされちゃったりして!

兄ちゃん以外アウトオブがんちゅーだけどね、ごめんね!
252 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:33:41.67 ID:ob1y39C80

「……あれ?」


階段に座ろうとしたその時、視界の端に見慣れた人がいた。


「あ、兄ちゃん!」


左手の時計をちらちら気にしながら、兄ちゃんが早歩きで通り過ぎてった。

真美のほーには気付いてない。


「兄ちゃんの外行き私服、かっこいいなー……じゃなくて!」


遠目にぽけーっと見てたけど、ハッと気付いてすぐにソフトクリームを食べきった。

これから誰かと待ち合わせなのかな?

よーし、それなら真美もごあいさつしないとね!


「友達と話してる時に、いきなり不意打ちで抱きついたらびっくりするかな?」


んっふっふ〜、兄ちゃんの慌てる顔が目に浮かぶぜ!
253 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:34:08.59 ID:ob1y39C80

思い付いた名案を早速実行しようと思って、兄ちゃんを追いかけた。

距離はちょっと離れてたけど、走ればあっという間。


「急ぎつつ、気付かれないように……」


兄ちゃんが少し先の角を曲がった。

一瞬見失いかけて焦ったけど、その先は確か曲がり角はないはず。

だいじょぶ、十分間に合う距離!


「逃さないぜ、兄ちゃん!」


ターゲットを追う探偵みたいにかっこよく角に隠れながら、兄ちゃんが曲がって行った方を見た。
254 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:34:34.99 ID:ob1y39C80


「っ!」


慌てて角に隠れ直した。


見つかったから、じゃない。


心臓がバクバクいってる。

驚いたからとか、恥ずかしいからとかじゃない。


緊張と、恐怖。


「うそ……」


ねぇ、兄ちゃん。

嘘、だよね?


「にい、ちゃん」


こっそり、もう一度、角の先を覗きこむ。

さっきと同じ場所に、兄ちゃんはそのまま居た。
255 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:35:03.06 ID:ob1y39C80

すっかり忘れてた。

兄ちゃん、今日約束あるって言ってたんだよね。

だから真美、こうして一人で日曜日を過ごしてたんだよね。

やよいっちに、遊園地のチケットもあげて。


「ねぇ、兄ちゃん……」


忘れてたんじゃないや。

忘れようとして、わざと忘れてたんだ。


だから、ほんとは、もしかしたらとは、一瞬思ったんだけど。

兄ちゃんに言われた時、可能性は一番最初に思いついたんだけど。


せめてせめて、知らないふりをして、兄ちゃんには聞こえない、小さな声で聞く。
256 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:35:29.17 ID:ob1y39C80



とっても、仲良さそうだけど、さ。


「その女の人、誰……?」


兄ちゃんは、真美の知らない女の人と、楽しそうにお喋りしてた。


257 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:45:57.06 ID:ob1y39C80

え、だれ?

兄ちゃん、真美はその人知らないよ?


あ、そっか、お仕事関係の人だよね。

あはは、びっくりしちゃったよ!

もう兄ちゃんってば、私服でお仕事なんて誤解を招くようなこと……。


「……あ」


女の人が、兄ちゃんに抱きついた。

腕を組むみたいに、ぎゅっと。


「――ッ!」


真美は、兄ちゃんから目を逸らして走った。

兄ちゃんの方に背を向けて、家へと一目散に。
258 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:46:24.13 ID:ob1y39C80

誰もいない家へ逃げ帰って、部屋に飛び込んだ。

ベッドへ倒れこみ、うつぶせたまま、さっきの光景を思い出す。


「……すごく、綺麗な人だった……」


兄ちゃんと同い年くらいかな。

真美みたいな子どもなんかじゃなくて、ちゃんとした大人だった。


「……そっか。兄ちゃんにも、春が来たんだね」


良かったぁ。

兄ちゃんの将来、少し、心配してたんだよ。


「だから、これは……」


喜ぶべきこと、だよね?
259 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:46:52.54 ID:ob1y39C80

そのはず、なのにさ。


「なんで真美、こんなに嫌な気持ちになってるの……?」


真美、自分で言ったじゃん。

兄ちゃんに好きな人ができたら、応援してあげるって。

兄ちゃんが迷ったら、後押ししてあげるって。


「だからさ、真美、お祝いしてあげなきゃいけないのに」


ねぇ、なんで?

なんで、あの人と一緒にいてほしくない、なんて思ってるの?


「最低だよ……真美、悪い子だよ……」
260 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:47:19.31 ID:ob1y39C80

応援してあげなきゃ、って気持ち。

応援したくない、って気持ち。


二つが頭の中でごちゃごちゃするよ。


「やっぱり、真美じゃダメだったのかな……」


せめて、あと五年早く生まれてたらなぁ。

でもそれだと、兄ちゃんの部屋に行ったりしなかったかも。

結局どう足掻いても、真美の恋は叶わなかったのかな。


「千早お姉ちゃんが言ってた『切ない』って、こういうことなのかな」


兄ちゃんを好きになったことは後悔してない。

兄ちゃんを好きになれて、本当に良かった。


でも、この気持ちがずっとずっと続くのは……辛いよ。
261 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:47:50.42 ID:ob1y39C80

月曜日、事務所に行く足取りは重かった。


「……兄ちゃんとどんな顔して会ったらいいんだろ」


しょーじき、今はまともに話せる気がしない。

でもライブもあるし、レッスンをサボるわけにはいかないよね。


そんなことを考えながら事務所のドアを開けようとした時、中からはるるんと兄ちゃんの話し声が聞こえた。


「プロデューサーさん、昨日一緒にいた方って……」

「えっ、見てたのか?」

「す、すみません! お買い物してたら、お二人でカフェに入っていくのを見かけて……」

「あいつは……大学時代の同期だよ」

「そう、なんですか……」


あの綺麗な人、大学行ってた頃の知り合いなんだ。

じゃあ、真美よりも出会いは早いじゃん。

……なーんだ。真美のほーが、後出しだったんだ。
262 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:48:17.26 ID:ob1y39C80

それっきり、中から会話は聞こえてこなかった。

なんか、すぐに入るのも気まずいよね……。

一度表に出て、誰かが来るのを待とうかな。


少し待ってたらあずさお姉ちゃんが来たから、一緒に事務所に入った。


「おはようございます」

「おはよ」

「二人ともおはよう」


返事があったのは兄ちゃんだけ。

ソファーで湯呑を抱えながら俯いてたはるるんは、少し遅れて真美たちに気付いた。


「あ……おはようございます」


いっしょーけんめー笑ってるけど、元気がない。

そっか……はるるんも、だったんだね。
263 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:48:43.82 ID:ob1y39C80

スケジュールの確認をしてから、兄ちゃんから逃げるように事務所を出る。

そしてレッスン場へ行って、真美はレッスンレッスン、そしてレッスン。


「うーん」


しばらく練習してから通しで一曲流した後、様子を見てたトレーナーさんが唸った。


「あれ……真美、何か失敗してた?」

「内容自体は及第点よ。でも、真美ちゃんらしさが弱いと言うか、全力を出し切れていないと言うか」

「あー」


たはは……引き摺っちゃってたみたい。

気持ちが漏れ出しちゃうようでは、真美もまだまだですなぁ。
264 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:49:10.17 ID:ob1y39C80

「急な追加で大変だろうけど新曲もあるし、頑張ってね」

「うん、初めてのソロライブだもんね」


これまでやってきた歌は、それなりにできてる。

あとは、ライブで初お披露目の新曲だ。

……このままじゃダメなのは分かってるんだけど、兄ちゃんのことが頭から離れないよ。


「よりによってまた、恋の歌なんだもん……」


今回は作詞も作曲も知らない人だけど。

でもモヤモヤした沈んだ気持ちのままじゃ、どんな歌だって魅力は引き出せない。

トレーナーさんも心配してるし、なんとかしないとダメだよね、真美。
265 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:49:39.05 ID:ob1y39C80

前向きになるための、手っ取り早い方法。


「そんなのあったら苦労しないけど……」

「お願いだよぉりっちゃん! そのずのーだけが頼りなの!」

「そうねぇ……私の場合、人のために何かをするようにしてるわ」


人のために?


「結局、後ろ向きな時って、自分のことはいくら考えても、どんどん沈んでくだけだから」

「うんうん」

「誰かのために動いてれば、悩みも少しずつ晴れてくかもしれないわね」


やっぱりっちゃんってすごいなぁ。

自分が大変な時こそ人のため、かぁ。


「真美、頑張ってみる」

「ライブ前だし、あんまり深刻にならないようにね?」
266 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/21(金) 23:50:05.03 ID:ob1y39C80

兄ちゃんのことは、事務所のみんなは知らない。

はるるんだけは気付いてるっぽいけど。

だから、気付かれて心配かけないように、明るくしてないとね!


「でも、人のためかぁ……」


何しよっかな?


「……って、絶好の人助けがあるじゃん!」


色々と複雑だけど……ええい、ままよ!

悩まないで動く!

そうすればきっと、大丈夫だよ!


大丈夫、だよ。
267 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:38:48.68 ID:F7aS3gER0

「ねね、兄ちゃん。このお店知ってる?」

「いや、知らないな。美味しそうなフレンチですこと」

「最近、若い女の人の間で人気なんだって!」

「なんだ、連れてって欲しいのか?」

「違うよ! 兄ちゃんもいいオトナなんだから、お店のレパートリー増やさないと、ってだけ!」


次の日から、真美は兄ちゃんを支えることにした。

あの人と兄ちゃんが上手くいくように、陰からこっそりと助けるんだ。

兄ちゃんってば仕事に関係ない流行はゼンゼンおっかけないんだもん。


「デザートが絶品っぽいよ?」

「マジかよ、もう行くしかない」


真美のお助けで兄ちゃんが幸せになれたら、とっても嬉しいから。
268 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:39:32.50 ID:F7aS3gER0

「んー、へー、ほうほう」


女性誌読んで流行りのお店を調べたり。


「なるほど、ああいう行動が好感度上がるんだね」


街中でカップルを観察したり。


「みんな、こういうのが欲しいんだー」


アクセ屋さんでプレゼント品の傾向をまとめたり。


女の人とお付き合いする上で、兄ちゃんのためになりそうなことをてってー調査!

それからそれを、それとなーく兄ちゃんに教えてあげるんだ。

教えてあげた情報を、兄ちゃんが上手く使えるかは分からないけど……。

それくらいは自分で頑張ってもらうとしよう。
269 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:39:58.39 ID:F7aS3gER0

確かに、りっちゃんの言うとおりかも。

何か人のために目的を用意してがむしゃらにやってると、悩んでる暇がないね。


「真美ちゃん、最近調子戻ってきたわね」

「そう? ならこの調子でジャンジャンバリバリ、ライブに向けて頑張っちゃいますね!」

「菊地さんのモノマネ、上手いわねぇ」

「んっふっふ〜。真美、ライブで一人765プロコーナーもやるんだよ」


トレーナーさんも、ホッとしたような反応を見せてくれた。

新曲の方はまだちょっとぎこちないけど、まぁ多分なんとかなるっしょ。


「お前、最近情報通になってきたなあ」

「トップアイドルを目指すなら、様々な流行を知ってなければならないのだ!」

「ほーう、意識が高いのはいいことだ」

「ちなみに、最近の二十代女性の間ではこんなアクセが流行ってるんだってー」

「何だこりゃ、変なの」

「真美はけっこー好きだけどねー」


育成計画も少しずつ進んでるし、この調子ならきっと、兄ちゃんも上手くいくはず。

上手くいく、はず。
270 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:40:24.42 ID:F7aS3gER0

「喉かわいたー」


じゅるじゅると、コンビニで買ったジュースをすする。

レッスンの帰り道に、なんとなく駅の前でぼーっとしてみた。

最近はライブに調べ物に、忙しかったかんね。


「んっふっふー、買っちゃった!」


そしてそして、片手に持ちたるはコンビニの袋!

その中には……。


「ふおぉ……白いやつ……!」


赤いイチゴが乗った、白いショートケーキ。

最近はコンビニも、色々あるんですなぁ。
271 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:40:51.48 ID:F7aS3gER0

フォークを袋から出して……。


「いっただっきまーす!」


ぐさっ!

哀れショートケーキ伯爵、討ち取られたり!

イチゴ男爵は後回しにしてやろう。

せーぜーいちごのいの言葉でも考えるがいい!

……なんか違う?


「あむっ!」


フォークを一直線にお口の中へ!

ぱくっ。
272 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:41:21.81 ID:F7aS3gER0


……。


あれ。


「おかしいな……?」


もう一口。

ぱくっ。


「……」


もぐもぐ。


「……全然、美味しくない」


味はケーキ。

勿論、前に食べたのよりは安いやつだけど。

でも、もっともっと美味しいはず。
273 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:41:47.37 ID:F7aS3gER0

何口食べても、美味しくない。


「疲れ過ぎて舌がどーにかなっちゃったのかな……」


プラスチックの蓋をして、ケーキは袋にしまった。

ご飯のあとに食べれば美味しいのかも。

亜美にずるっ子って言われるかもだけど。


「あのケーキ屋さんのなら、今食べても美味しいかな」


駅の前にあるケーキ屋さん。

いつだったか、兄ちゃんが買ってきてくれたお店。

店員のお姉さんがニコニコしながら、箱にチョコレートケーキを詰めてた。
274 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:42:13.71 ID:F7aS3gER0

でも、美味しい美味しくない以前に、食べたいって思わない。

チョコレートケーキ、ショートケーキ、フルーツタルト。

いろんなケーキのポスターが出てるけど、食欲がわかない。


「あの人、誕生日かな」


眺めてると、大学生くらいの男の人が、大きな箱を受け取ってた。

ワクワクしてるみたいに笑ってて、ケーキ屋のお姉さんもさっきよりいっぱい笑ってる。

きっと誰かを喜ばせてあげようと思って、今頃とっても幸せで。


「あ……」


だめだ、これ。

275 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:42:41.33 ID:F7aS3gER0


目頭が熱いよ。


「ダメだよ……真美、ダメだってば……」


唇をめいっぱい噛んだ。

でも、涙が溢れてきちゃう。


「美味しかったなぁ……」


あの夏の日。


「兄ちゃんと食べたケーキ、美味しかったよ……」


ぽろぽろ。

止まんないんだよ。

嫌なのに。

嫌なのに。

幸せな思い出を思い出しちゃって。

止まらなくて。

涙が、出てきちゃうんだ。
276 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:43:09.14 ID:F7aS3gER0

真美、決めたじゃんか。

もう迷っちゃダメなんだ。

進むしかないんだよ。

それが、兄ちゃんのためなんだよ。


そう何度言い聞かせても。

真美の中の真美が、納得してくれない。


『なんで真美が、こんな思いしなきゃなんないのさ!』


分かってるんだよ、真美も。

でも、この思いのやり場がなくて。


「あのときのケーキ……美味しかったなぁっ……!」


男の人が足早に駅へ向かっていく後ろで、出てくる言葉が止められなかった。

持って帰ったケーキは、結局食べなかった。
277 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:43:44.47 ID:F7aS3gER0

そして、暑い夏のある日。


「とーとーこの日が来ましたなぁ……」


ソロライブの日が、やってきた。


「仕上げはバッチリか?」

「あたぼうよ! ここで仕上がってなかったら、真美はおまんまの食い上げだぜ!」

「その言葉は間違……ってないのか。ないのか!?」

「ねぇ兄ちゃん、真美の日本語ってそんなに信用ない?」


会場に向かう車の中で、他愛もない会話。


「日本語はさておき……昨日のリハは新曲がちょっとぎこちなかったが、まぁ大丈夫だろう」

「あ……うん」


ちょっと動揺しちった。

でも兄ちゃんは運転に集中してて、こっちは見えてない。
278 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:44:12.94 ID:F7aS3gER0

「お、おぉ……でか……」


到着したライブハウスは、リハで来た時よりもずっと大きく見えた。


「えっ、真美ここでやんの?」

「お前は何を言っているんだ」


口元をつままれて、むにむにされる。

むぬー、やめれー!


「ライブ当日だってのに、朝から気が抜けてるんじゃないか?」

「そ、そんなことないって」

「そうか? 冗談は抜きに、もし体調悪くなったりしたらすぐに言うんだぞ」

「分かってるってば」


平静を装ってるつもりだったんだけど……。

心がどこかモヤモヤしてる。

やっぱり兄ちゃんには、完全には隠しきれないね。
279 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:44:52.89 ID:F7aS3gER0

「俺はちょっとスタッフさんのところに行ってくる。衣装のチェックとかしててくれ」

「りょーかい!」


真美の返事を聞くと、兄ちゃんはバタバタとステージの方へ走っていった。

もうすっかり、やり手プロデューサーって感じですなぁ……。


「えーっとバイタルサンフラワーでしょ、グッドラックターコイズでしょ、ダークゾディアックでしょ……」


一つ一つ衣装のチェック。

うん、アクセも含めて漏れはなし、っと。


「本当にそうでしょうか?」

「のわぁぁぁぁぁああっ!?」


ぬっひゃぁ!

だ、誰!? いきなり後ろから声かけてぇ!
280 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:45:24.50 ID:F7aS3gER0

「ふふふ。驚きすぎですよ、真美」

「お、お姫ちんじゃん……もうっ、びっくりさせないでよ!」

「そしてデザートトラベラーは、たった今、わたくしがお持ちしました」

「げっ、めっちゃ漏れあんじゃん……」


そういえば仕事入ってない子が何人か、手伝いに来てくれるんだった。

お姫ちんに手伝ってもらいながら、改めて衣装やアクセをチェックチェーック。


「えーっと、チェックMYノートがこれで……この名前、誰が付けてるんだろ」

「名前、ですか?」

「いろんな衣装あるけどさ、覚えにくい上に一部はちょっと痛いよね」

「真美。そのようなことを言ってはなりません。グッドラッタコじぇっ」


ねぇお姫ちん。

思いっきり噛み噛みで言われても説得力ないんだけど。
281 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:45:53.53 ID:F7aS3gER0

そんな感じで和やかに進んでたけれども。

確認がひと段落ついた時、不意に言われた。


「ここしばらく、心ここにあらず、といった様子が時折見受けられます」


先ほどの見落としの時も、と付け加えながら、お姫ちんは心配そうな顔をした。

気付いてたのは兄ちゃんだけじゃないみたい。

たはは……ダメダメだね、真美ってば。


「奢りや怠慢でないことは分かります。何か懸念でも……?」

「ううん、何でもない。ただ疲れてぼーっとしちゃってただけだよ」


雑多なアクセ類をまとめて、確認作業は終了。

この話題は、早いとこ切り上げたかった。
282 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:46:22.86 ID:F7aS3gER0

「さて、これで搬入物の確認は大丈夫でしょう。何かお手伝いすることは?」

「ありがとね、お姫ちん。あとは歌詞のチェックしようと思ってたくらいだから、だいじょぶだよー」

「……そうですか。ならばわたくしは斜向かいの控室におります」


何かあればお声かけを、と言い残して、お姫ちんは楽屋を後にした。

多分、真美の気分に気付いて、察してくれたんだと思う。

ごめんね、お姫ちん。


「それじゃ、歌詞チェックしよっと」


本番で飛んだら怖いもんね。

特に新曲は――。


「……待ち焦がれる恋の歌、かぁ」
283 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:46:51.16 ID:F7aS3gER0

今回は兄ちゃんが決めたわけじゃなくて、社長の知り合いから貰った曲らしい。

トレーナーさん伝手に聞いたんだけど。


「アナタは、待っていてくれますか――」


歌詞カードを見ながら口ずさむ。


「光に届く、その時を――」


真美にとっては初めての、優しいバラード。

これまではずっと、元気な曲とかばっかだったもんね。


「この最後のサビの歌詞、時々ふっと忘れかけちゃうんだよね」


歌詞を読むたびに、ぐさりと刺さる。

だから、頭が忘れたいのかも。
284 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:47:20.14 ID:F7aS3gER0

とんとん。

楽屋のドアが、小さくノックされる。


「真美、入っていいか?」

「あ、いいよー」


兄ちゃんだ。

そろそろ、ステージの方も整ってきたのかな。


「機材のセッティングが終わったから音出しやるぞ。来てくれ」

「あいよー」


トコトコと兄ちゃんについてく。

そんな真美を見て、兄ちゃんはまた心配そうな顔をした。
285 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:47:45.57 ID:F7aS3gER0

「やっぱり元気がないな」

「ううん、そんなことないもん」

「いつもなら張り切って前を歩くだろう」


そーかな。

そーだったかも。

今の真美は、アヒルの子みたいに兄ちゃんの後ろをついてくだけだもんね。


「……へっへん! そんなこと言われちゃ、真美も張り切るしかないっしょ!」

「おいっ! 待てっ!」


だだだっ、と。

兄ちゃんの横を、すり抜けるように走り抜けた。


「機材持ってる人もいるんだから危ないぞ!」

「あ、そっか、気をつけるね!」


兄ちゃんの顔を見ないように。

空元気を、精一杯の盾にして。
286 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:48:12.12 ID:F7aS3gER0

ステージに駆けこもうとしたとき、誰かとぶつかりそうになった。


「わわっ!?」

「おっとはるるん! めんごめんご」

「び、びっくりしたぁ……真美、危ないよ?」

「ちょっと慌て過ぎちった!」


積み上げられた段ボールの影から出てきたのははるるんだった。

隣には千早お姉ちゃんとやよいっち。

結構いっぱい来てんだねー。

……うちの事務所、お仕事大丈夫なのかな。
287 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:48:42.90 ID:F7aS3gER0

「初めてのソロライブだからって羽目をはずしてはダメよ」

「千早お姉ちゃんはお堅いですなぁ。やよいっちには甘いのに」

「そ、それとこれとは話が違うでしょう!」

「そうだよ! 千早さん、真美にも結構甘いんだよ?」


え? そうなの?

あんまり普段、そういう感じはしないけど。


「そうだね……今のが私だったら正座させられてるね……」

「いい歳して中学生と並ぼうとするんじゃないわよ」


不貞腐れたはるるんと、呆れた表情の千早お姉ちゃん。

あはは、そんな姿を見てたら、少し気分が明るくなってきたよ。
288 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:49:09.51 ID:F7aS3gER0

「真美、また無理してない?」


はるるんが、真美の顔を覗き込みながら呟いた。

千早お姉ちゃんもやよいっちも、ちょっと心配そうに見てる。


「してないよ」

「本当に……?」

「してないから、だいじょぶ」


うん、大丈夫。

そう、自分に言い聞かせるように。
289 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:49:37.90 ID:F7aS3gER0

一瞬の沈黙の後、スタッフさんが真美を呼ぶ声がした。

準備、出来たみたい。


「それじゃ行ってくんね!」

「あっ……」


はるるんが、何か言いかけた。

でも、真美は知らんぷり。


何歩か駆けたところで、はるるんの声が聞こえた。


「もっと私たちを頼ってくれても、いいんだよ」


ちょっと寂しそうに笑うはるるんの声。

その声に引かれつつ、スタッフさんのとこへ向かった。
290 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:50:15.15 ID:F7aS3gER0

音出しは特にトラブルもなくおしまい。

リハーサルは昨日、入念にやったからね。


少し予定が押し気味だったけど、いよいよ本番。

幕の間からこっそり覗くと、いつの間にかお客さんが客席を埋めて、ちょっと先走ったサイリウムが光ってる。


「おっし真美、準備はいいな?」

「もうマリカースタート前からアクセル全開状態だぜ!」

「いいですか真美、あのげえむは押しっぱなしだと滑ってしまってスタートできないのです」

「知ってるよ……お姫ちんがテンパってた時に教えてあげたの真美じゃん……」

「衣装のチャックは大丈夫? メイクは崩れてない? 最初の歌、どっちの足から出るか覚えてる?」

「千早お姉ちゃん、そんなオロオロしなくても大丈夫だから」

「心配なんですよね、千早さん」

「千早ちゃん、まるでお受験前のお母さんみたいだよ……」


みんなが思い思いの言葉で、真美のことを後押ししてくれる。
291 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:50:45.85 ID:F7aS3gER0

そして、オープニングBGMが鳴り響く中。


「それじゃあ、暴れてこい!」

「おうさっ!」


ぐいっと。

兄ちゃんの手が、真美の背中を押した。


いつもならいっぱい勇気を貰えるのに。

今日はまるで、無理矢理追い出されたみたいで。

兄ちゃんとの距離がひらいてくみたいで。

兄ちゃんはもう、真美とは違う世界に居る人みたいで。


「へーい! 会場の兄ちゃん姉ちゃん! 最初からフルスロットルでいくよーーっ!!」


本当は真美こそ、後押ししてあげなきゃいけないのに。

嫌なこと考えてる自分が、大嫌い。
292 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:51:22.37 ID:F7aS3gER0

「スタ→トスタ→!」


兄ちゃんに応援するって嘘をつく自分が嫌い。

みんなに大丈夫だよって嘘をつく自分が嫌い。

ファンのみんなに笑顔の嘘をつく自分が嫌い。


「あなたのハートに、バキューン!」


ライブが一曲、また一曲と進んでく。

無理矢理作った笑顔が、だんだん苦しくなっていく。


「見っつっけたんっ!」


今後ろから膝かっくんされたら、全部ぼろぼろと崩れちゃいそう。
293 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:51:57.57 ID:F7aS3gER0


客席のみんなが盛り上がる。

真美はステージの上で一人ぼっち。


時々舞台袖を見ると、十数歩のところに兄ちゃんがいる。

いつもならそれを思うだけで元気がいっぱい湧いてくるのに。


今はこの十数歩が、とっても遠い。

294 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:52:23.97 ID:F7aS3gER0

演出の合間を縫っての衣装替え。


「着替える時間はほとんどないよ!」


はるるんが慣れた手つきで着替えを手伝ってくれた。

着替え用の演出時間は、あと二十秒。


「はるるん」

「なに?」

「真美、嘘ついてた」


あと十秒。


「真美、大丈夫なんかじゃ、ないんだ」


あと五秒。


「真美、嘘ついてたんだよ」
295 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:52:50.55 ID:F7aS3gER0

「知ってたよ」


え?


「真美はもっと、素直になっていいんだよ」


はるるんは、笑いながらそう言った。

……素直になって、いい?


「ほら、演出終わっちゃう」

「あっ、行かなきゃ!」


やばっ、出遅れちゃう!

急いで行かなきゃ!
296 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:53:18.12 ID:F7aS3gER0

「お待たせーっ! 後半もバクハツしてくよー!」


素直に、かぁ。

このステージに立ってるのは、素直な気持ちかな。


「さあ! ここから星へー!」


それは間違いないよ。

このライブが決まった時、最初はすっごいワクワクしたし、早くステージに立ちたいって思った。

なんでだろ?


「この世界ってば私だけ!」


真美、そんなにみんなの前で歌ってダンスしたかったのかな。
297 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:53:43.42 ID:F7aS3gER0


そもそも、真美、なんでステージに立ってるんだっけ。


楽しいから?


そういや真美、いつからそんな風に思えるようになったんだろう。

最初はどうしたらいいか分からなくて、あんなにもがいてたのに。


最初は?


あれ?


真美、なんでアイドル始めたんだっけ。

298 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:54:12.58 ID:F7aS3gER0

そうだ。

あの日、思ったんだ。


『真美も兄ちゃんと一緒に行けたらなー……ぜーったい毎日楽しいのに』


兄ちゃんと同じ道へ進んで、兄ちゃんと並んで歩きたいって思ったんだ。


そして、今日のライブは、その答えの一つだから。

ここまで二人で来れたことの、一つの証明だから。


だから真美、このステージが待ち遠しくて、たまらなかったんだ。
299 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:54:51.00 ID:F7aS3gER0

セットリストの最後は、懐かしのデビュー曲。

この曲を初めて歌ってから、もう結構経つんだね。


「デートしてくれま・す・か?」


揺れるサイリウムが、とっても綺麗。

色とりどりの光が揺れる度に、色んなことを思い出すよ。



ケーキをもらった。

就職のお祝いをした。

事務所のオーディションを受けた。

練習のしすぎで倒れちゃった。

一緒にベランダで星を見た。



そして……恋をした。


300 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:55:26.34 ID:F7aS3gER0

ドラマで準ヒロイン貰ったよね。

ピヨちゃんとりっちゃんにビンタ貰ってたよね。

そんで真美、兄ちゃんに告白してさ。

お祭りに連れ出して、キスまでしちゃって。


あー、ほんとに、あっという間だったなぁ……。


「っ……」

そんな夢みたいな日々も、もう少しで終わりなのかなぁ……。


「恋バナ、お・わ・り!」


終わらせないと、ダメなのかなぁっ……!

301 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:56:00.81 ID:F7aS3gER0

「兄ちゃん姉ちゃんたちー! 今日は来てくれてありがとーーー!!」

たくさんの声を浴びながら、ステージを後にする。


セトリの最後が終わって、あとはアンコール。

一曲目が千早お姉ちゃんとやよいっちのゲストステージ。

そして二曲目に用意されてるのは、今度発売する真美の新曲。

二人が歌ってるうちに着替えないと……。


「よし、真美。衣装はこっちだ!」

「うんっ!」


舞台袖で待っていた兄ちゃんに急かされて、楽屋前を急ぐ。

ねえ、兄ちゃん。

真美、こんな風に一緒にいるだけで、ちょー幸せなんだよ?
302 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:56:26.96 ID:F7aS3gER0

と、そのとき。

兄ちゃんの携帯の着信音がなった。


「ん、誰だ……?」


急ぎながら、兄ちゃんが携帯を見た。

そして、ぼそりと呟いた。


女の人の、名前。


「っ!」


直感で、思った。

それたぶん、あの人の名前、だよね。
303 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:56:53.32 ID:F7aS3gER0

がしゃあん!

って。

真美の中で、何かが崩れる音がした。


「あとでかけ直せばいいか……真美?」


どうして?

真美、いっしょーけんめー諦めようとしてるんだよ?

でも、このステージがきっと、最後だからって……。


「おい真美、どうして立ち止まってるんだ? 急がないと……」


今だけは真美の兄ちゃんでいてほしいって。

そう思ってたのに。


「……真美?」


なんで……。

なんで、さ……。
304 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:57:21.07 ID:F7aS3gER0




ここは、真美と兄ちゃんだけの場所なのに……!



305 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:57:50.78 ID:F7aS3gER0


「なんで……ここにまで来るのさ……!」


足が勝手に、逆方向へ走り出した。


「?! おい、真美っ、どこに行くんだ!?」


後ろから、兄ちゃんの声がした。


やだ。

やだ、やだやだやだ!!


真美、もうダメだよ。

これ以上、歌えない。

踊れない。

いつもの表情をしてらんない。
306 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:58:17.85 ID:F7aS3gER0


「真美!」


兄ちゃんが真美を呼べば呼ぶほど。

もう、真美は苦しいだけなんだよ。

こんな場所、居たくない。


大好きな兄ちゃんが、誰かに持ってかれちゃうのを見てるだけなんて!

307 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:58:42.50 ID:F7aS3gER0


「はぁっはぁっはぁっ……」


兄ちゃんを振りきって、裏の方まで逃げて来ちゃった。

今頃、千早お姉ちゃんとやよいっちは大変かな。

スタッフさんたちも、慌ててるかもしれない。

ライブもぜんぶ、ぶち壊しかもしれない。


あはは。


真美、さいてーじゃん……。

308 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:59:10.58 ID:F7aS3gER0

自分の思い通りにいかないからってさ。

ぜんぶ放って逃げて、逃げて……。


「……うぁ……ぅっく……」


なにやってんのさ、真美……。

ぜんぶぜんぶ、自分で決めたことじゃんか。


このステージに立つことだって。

兄ちゃんを応援することだって。


ずっと、兄ちゃんの隣にいるって。

この想いが報われないとしても……ずっと、ずっと……。


それはぜんぶ、自分で……!

309 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 07:59:40.34 ID:F7aS3gER0


「みぃつけた」


ぽんっと、肩を叩かれた。

振り向くと、かわいいリボンが揺れてた。


「真美、メイクが涙でぐしょぐしょだよ?」

「ばる゙る゙ん゙……」

「ふふっ。私、そんな怪獣みたいな名前じゃないよ」


そんなふーに声かけられたら。

そんな、ぜんぶ知った上で微笑むような、優しい声で話しかけられたら。

積み上げてたものが、一気にがらがら崩れちゃう。


「……ッうあぁぁぁああぁぁぁぁああああんっ!!」

「うん。真美、頑張ったんだよね」


はるるんの顔見たら、もう堪えらんなくて。

胸の中に飛び込んだ。

もう、辛かった想いが、我慢してたことが、ぜんぶ溢れてきて……!
310 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 08:00:07.37 ID:F7aS3gER0

「ごめんなさっ……ごめ、ごめんなさい、ごめ……あううぅぅぅぅ……!」

「もー、なんで真美が謝るの」

「だって、ちはやおねーちゃんにも、やよいっちにも、いっぱいいろんな人にメーワクかけて……!」

「それなら大丈夫だよ。ほら、聞こえるでしょ?」


そう言って、はるるんが涙を拭ってくれた。

耳を澄ませてみると、会場からファンの兄ちゃん姉ちゃんたちの歓声が聞こえた。


「ちゃんとステージは続いてるよ」

「うん」

「ね? 二人だって、伊達に人気アイドルやってるわけじゃないんだよ」

「……うん」


はるるんに優しくされると、悲しい気持ちが少しずつ楽になってく。

やっぱり、はるるんってすごいや。
311 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 08:00:37.70 ID:F7aS3gER0

「落ち着いたら、プロデューサーさんのところに行こう?」

「っ……なんで、さ……」


兄ちゃんのことが出てきたとたん、また胸がきゅっと締め付けられる。

はるるん、真美が辛いの、分かってるでしょ?

なんでここにきて、そんな意地悪を言うの?


「真美、プロデューサーさんから何も聞いてないんだよね」

「……そう、だけど」


でも聞くまでもなく、いちもくりょーぜんじゃん。

あの女の人に、ベタ惚れなんでしょ?
312 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 08:01:07.58 ID:F7aS3gER0

「真美が今度出す新曲、あるよね」

「うん……でも、しょーじきあんま歌いたくない」


待ち焦がれる、恋の歌。

今の真美にとって、いちばん辛い歌。

だって、待って待って待った結果、真美はダメだったんだもん。


「こんな時に歌ったら……酷い歌になっちゃうよ」


歌って、心を込めて歌うんだもん。

今あの歌詞を歌おうとしたら、きっと、悲しさと妬みにまみれちゃう。

歌も、ファンの兄ちゃん姉ちゃんも……可哀想だよ……。
313 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 08:01:34.83 ID:F7aS3gER0


「わぷっ!」


なんて考えてたら、急に目の前が真っ暗になった。

代わりに、顔にふにょふにょと柔らかい感触。


「あのね」


はるるんが、真美を抱きしめながら呟いた。


「ほんとはね――」


こそっと、そのまま真美に耳打ちした。

……え……?

なにそれ……。

真美、聞いてないんだけど……。
314 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 08:02:04.55 ID:F7aS3gER0

「でも、社長の知り合いの人がって……」

「プロデューサーさん、いっつも裏目裏目だね」


そう言ってはるるんは、くすっと笑った。

それって……。


「ほら、早くプロデューサーさんのところに行ってあげないと」

「え、でも千早お姉ちゃんたちが」

「大丈夫大丈夫、貴音さんもいるから。お姉さんたちに任せなさい!」


はるるんがフフンと力こぶを作る。

つんつんってつつくと、くすぐったそうな表情とともにへにゃっとした。
315 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/22(土) 08:02:30.91 ID:F7aS3gER0

「……ありがと、はるるん」

「うん、どういたしまして」


急がなきゃ。

はるるんに背を向けて、真美は楽屋の方へ駆けだした。


「私は、ダメだったけど」


後ろから、小さなつぶやきが聞こえた。

真美は振り返らずに、兄ちゃんのとこを目指した。


「真美は、大丈夫だから」


潤んだ声が、真美の背中をぐいって押した。

316 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/22(土) 18:42:28.20 ID:Ntp7if/30
復帰したのか 投下乙
317 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/06/22(土) 21:15:55.39 ID:YNHMUbVqO
くっそ切ないな
もらい泣きするぞ
おつおつ
318 : ◆on5CJtpVEE [sage]:2019/06/23(日) 00:10:25.89 ID:5i4lUinvo
>>316
恥ずかしながら戻ってまいりました
完結までさほどかかりませんので、よろしければご覧いただけると幸いです

>>317
そこまで感情移入して読んでいただけて嬉しいです
最後まで見届けてあげてください
319 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:12:27.17 ID:5i4lUinv0

背中を押されて戻った、楽屋の近く。


「真美! どこに行ったんだ?!」


血相変えて、衣装箱の裏を探してる兄ちゃんが居た。

……真美、もうそんなとこ隠れるほどコドモじゃないんだけど。


「兄ちゃん」


だから真美は、できる限り大人っぽく聞こえるように、静かに兄ちゃんを呼んだ。

真美の声を聞くや否や、呼ばれたペットみたいに振り返る兄ちゃん。

あはは、焦りすぎだってば。


ばぁか。

320 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:13:17.78 ID:5i4lUinv0

「真美! なんで急に……!」


ちょっと怒りつつも、心配で仕方ないって感じの兄ちゃん。

ごめんね。

でも、ホントにガマンできなかったの。


「ごめんなさい」


そのことは、謝るから。


「謝るから、一個だけ教えて」


はるるんに後押ししてもらわなきゃ、怖くて聞けなかった言葉。
321 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:13:43.82 ID:5i4lUinv0

「さっきの携帯の着信、あの女の人、だよね」

「……!」


真美の質問を聞いて、兄ちゃんは息が詰まったような顔をした。

なんだろ、驚きと憤りと後悔をまぜこぜにしたような感じ。

ほんの一瞬のことだったけど、ぐるぐると季節が巡るみたいに兄ちゃんの表情が変わった。


「お前……知ってたのか」


帰ってきた答えは、さっきまで真美が、何よりも恐れていた言葉だった。
322 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:14:10.74 ID:5i4lUinv0

その言葉は、ただの知り合いの一人とかじゃない、って証拠。

うん、知ってたんだ。


「ごめんなさい。前に街で兄ちゃん見つけて、追っかけてたら……」

「……そう、だったのか」


やっちまった、と兄ちゃんが手のひらで顔を覆った。


「そうだよな、そりゃそうか、それで最近……」


そのまま、兄ちゃんの指の隙間から呟きが漏れる。

真美にかける言葉を探すように、あれこれ言い掛けるんだけど、結局続かない。
323 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:14:37.71 ID:5i4lUinv0

「ね、兄ちゃん」


だから真美は、兄ちゃんが喋りやすいように、怯えた心を押し殺して言った。

なるべくなるべく、優しく優しく。


アイドル始めて、辛かったとき。

あの夜ベランダで、兄ちゃんが話しかけてくれたときみたいに。


真美は、怖くないよ。

真美は、ちゃんと聞くよ。

って、兄ちゃんに聞こえるように。


「その人、兄ちゃんの、彼女さんなのかな」


どんな答えが返ってきても、真美自身が、ちゃんと聞いてあげられるように。
324 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:15:17.10 ID:5i4lUinv0

「一昨日、告白されたんだ」


真美の表情を見て、声を聞いて、兄ちゃんも少し落ち着いたみたい。

ステージの方を気にしてたから、大丈夫だよ、って言ったら、話し始めてくれた。


「最近、何かと理由をつけて誘われてたんだ。大学時代の同期でね」

「うん、知ってる」

「マジかよお前スパイか何かか」

「真美の目は、いついかなる時でも兄ちゃんクンを見張っているのだよ」


そう胸を張って言うと、兄ちゃんも思わず小さく吹き出した。

事務所での会話を盗み聞きしただけだけど。


「風呂もか」

「別に見張ってもいいけどさ、ふつー逆じゃない?」

「お前は事務所から前科者を出したいのか」


ああ、すっごく久しぶりかも、この感じ。
325 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:15:43.26 ID:5i4lUinv0

「で、告白にはなんて答えたの?」

「断った」


携帯を取り出して、兄ちゃんはぽちぽち操作し始めた。


「さっきのも、ただのお礼だったよ。返事をくれてありがとう、って」

「せっかくきれーな人だったのに」

「そうだな、大学でも人気だったよ」


携帯を閉じて、兄ちゃんが視線を真美に移した。

悲しそうな辛そうな、どんよりした雨の日みたいな視線。
326 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:16:13.61 ID:5i4lUinv0

「バレてたらすぐに問いつめられると思ってた。そしたらちゃんと答えりゃいい、急に話しても不安がらせるだけだ、って」

「真美だって、少しずつだけどオトナになってるんだよ?」

「ああ、俺の考えが甘かった。前科もあるのに、どうしようもないな」

「そだよ、もう前科者じゃん」

「本当にな」


衝動的に、兄ちゃんの服の裾を掴んだ。

その手を、兄ちゃんが優しく握ってくれる。

あったかい。

あったかいなぁ。
327 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:16:41.98 ID:5i4lUinv0

「ごめん、ちょっと嘘」


ホントは、オトナだから気を遣ってたんじゃない。


「怖かっただけなんだ。あの人誰って聞いて、好きな人って言われたらって」


直接聞かない理由を作って、逃げてただけなんだよ。

兄ちゃんのためって理由を。


「じゃあ、なんで急に聞こうと思ったんだ?」

「はるるんに聞いたから」


何が、とは言わない。

でも兄ちゃんは、その一言でぜんぶ分かったみたいだった。
328 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:17:28.25 ID:5i4lUinv0


「アナタは、待っていてくれますか――」


小さく、兄ちゃんにだけ聞こえる声で、口ずさむ。


「光に届く、その時を――」


優しいバラードの、ワンコーラス。

さっきまでは怖くて歌えなかった歌詞。

真美の歌を聴いて、兄ちゃんは眉をしかめた。


「やめなさい」

「んっふっふー、他も全部歌えるよ」

「マジでやめなさい」


待つことも許してくれないのに、なんでこんな歌詞を歌わせるの、って思ってたけど。

329 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:17:57.51 ID:5i4lUinv0

「春香め……本人には言うなと念を押しておいたのに……」

「でもはるるんが教えてくれたから、真美は兄ちゃんに聞けたんだよ」


はるるんが教えてくれなかったら、この歌は嫌いなままだった。

きっと真美は、この歌詞みたいに待ち続けるだけの損ばかり。

兄ちゃんはあの女の人に取られちゃうんだって、辛いままだった。


でもほんとは。


「この歌詞、男の子の歌だったんだね」

「……」


ずっとずっと待ってたのは、真美だけじゃなかったんだね。

330 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:18:34.38 ID:5i4lUinv0

嬉しいんだ。

胸が幸せで、はちきれそうなくらい。

はるるんに言われるまで気付けなかったのだけが、悔しいけど。


「あの日、真美に言ったこと」


いつか、星のない空を二人で見上げたベランダ。

面と向かって、初めて告白した夜。

そこで兄ちゃんは言ってくれた。


「覚えてて、守ってて、くれたんだね……」

「当たり前だろう、このおませさん」


口元が震えて、視界が霞んだ。
331 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:19:08.77 ID:5i4lUinv0

分かってた。

はるるんに言われて気付いて、ここに来るまでには、そうだったんだって理解してた。


「でも、実は違うんじゃないかな。ギリギリで気持ちが変わったんじゃないかな、って」


たった今の今まで、少しだけ。

少しだけ、不安だったんだ。


「答えは最初から決まってたよ」

「兄ちゃんの?」

「ああ」


短く答えて、兄ちゃんは真美の頭をぽんぽんと撫でた。

うー。それ、ずるい。
332 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:19:37.47 ID:5i4lUinv0

「ちびっこに手を出す変態ではないが」

「それは流石に引くよ」


そりゃそうだ、と言って兄ちゃんが笑う。

真美、その顔好きだよ。

兄ちゃんがほんとにたまにだけ、真美にだけ見せてくれる表情。


「でも、この子が大きくなったら……一人の女性になったら、俺はきっと好きになるんだろうなって」

「へ?」

「うん、変な話だけどさ、あのとき、確信したんだ」

「……うぇっ!?」


き、急に真顔で、とんでもないことを言わないでよ!

頭がフリーズしちゃったじゃん!
333 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:20:22.07 ID:5i4lUinv0

そ、そしたら兄ちゃん……今はどう考えてるのかな……。


「あのさ……真美、オトナになれた?」

「まだだな」


即答された。


「えーーっ!? だっていま言ったじゃん! あんな歌詞も書いてくれたじゃん! アレ兄ちゃんからのあんさーっしょ!? オッケーっしょ!?」

「バカ言え、義務教育を受けてる身でオトナと抜かすか」

「ぐ、ぐぬぬ……」


これは確かに言い返せない。

真美、まだ中学生だもんね……。

どんなに背伸びしても、仮に今すぐおひめちんやあずさお姉ちゃんみたいなないすばでーになっても、中学生は中学生。

オトナとは言えないね。
334 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:20:52.34 ID:5i4lUinv0

「それでな、真美。一つ頼みがあるんだが」

「頼み?」


なんだろ。

兄ちゃん、いつになく真面目な顔してる。


「ああ。来年の五月二十二日の夜、時間作れるか」

「え……」


五月二十二日。

それって、真美の……。


「その日、時間が取れたらでいい。俺にくれないか」

「……うん」


空けないわけ、ないじゃん。

335 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:21:18.86 ID:5i4lUinv0

「真美、それまで頑張れるか?」

「うん」

「それまで待てるか?」

「うん」

「それまで、待っていてくれるか?」


兄ちゃんが、真美の目を見ていった。

真美も、兄ちゃんの目をまっすぐ見た。


「うんっ!」


そんで、はっきり聞こえるように、絶対に兄ちゃんが聞き逃さないように。

思いっきり声を張り上げて、うなずいた。
336 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:22:10.42 ID:5i4lUinv0


きっと、今の声は聞こえたと思う。


「ほんじゃ今日最後のステージ、行ってくんね!」


なんでって、真美を見る兄ちゃんの目が、とってもあったかかったから。

気合を入れた真美の背中を、ぽんと押してくれた手が、とってもあったかかったから。


「ああ、行ってこい」


兄ちゃんが笑顔でそう言ってくれるだけで。

真美、こんなにこんなに、心が湧きたつんだよ。


「真美のステージから、一秒たりとも目を離しちゃダメだかんね!」


知ってるでしょ、兄ちゃん。

真美、こんなにこんなに、兄ちゃんのことが大好きなんだよ。

337 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:22:38.91 ID:5i4lUinv0

舞台袖へ行くと、はるるんがお姫ちんの衣装チェックをしてた。


「双海真美、ただ今帰還いたしましたっ!」

「おや、もう大丈夫なのですか」

「めんごめんご、もうだいじょうぶいっ!」


ピースピース!

らぶあんどぴーすだぜっ!


「ならば、私の出番は必要ありませんね」

「ありがとね、お姫ちん!」

「真美、とってもいい顔してるね」

「んっふっふー、今の真美は百人力だよん!」


着かけてた衣装を脱ぎながら、お姫ちんは安心したように小さく息を吐いた。

みんなに心配、かけちゃったな。
338 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:23:25.70 ID:5i4lUinv0

「ちょうど千早ちゃんのお笑い道場夏場所が終わったところだから、このまま入れ替わっちゃおうか」

「待ってなにそれ超見たいんだけど」

「やよい、小道具持って二人で戻ってきて……あ、よかった! ジェスチャー通じたみたいだね」

「カメのエサとか何に使ったの!? どんなステージやってたの?!」

「まこと、素晴らしいステージでした……」

「お姫ちん涙で潤んでるし! うあうあー! 真美がいない間に何が起こってたのさーー!?」


な、なんかすっごくレアなタイミングを逃した気がする……!

戻ってくる千早お姉ちゃん達も、なんかやり切ったような清々しい表情だし……。


「ほら、真美の出番だよ!」

「えっ!? あ、うん、い、行ってくんね!」


お姫ちん、はるるんの隣でそんな涙拭きながらハンカチ振らないでよ!

気になるじゃん! 気になってステージに集中できないじゃーん!
339 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:24:05.59 ID:5i4lUinv0

ステージの方からは、ファンの兄ちゃん姉ちゃんの歓声が聞こえる。

その声を背に、千早お姉ちゃんとやよいっちが帰ってきた。


「もう大丈夫なの?」

「うん、あんがとね、やよいっち。二人とも、ごめんなさい」

「謝りたいなら後で聞くわ。あんまり口にすると、ステージに影響が出るから」

「ん、そだね!」


腕をぐるんぐるん回す。

ぐるーんぐるーん。

よっしゃー、やる気全開!!


「あ、千早お姉ちゃん」

「何かしら?」

「……お笑い道場夏場所、あとで見せてね」

「ふふふ、ステージをしっかり締めることができたら、ね?」


おっけー……。

この双海真美、やったろーじゃん!!
340 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:24:31.86 ID:5i4lUinv0


それじゃ、ステージに――。


――。


――あれ。

外から、声が聞こえる。


何か、よく聞き馴染みのある言葉だ。

いつもいつも、毎日のように聞き馴染みのある……。

なんだっけ、これ。


それが、少しずつ冷えてた真美の身体を、暖めてくれる。

341 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:24:58.88 ID:5i4lUinv0


あ、そっか。

これ、あれだよ。


真美の名前だ。


みんなが、真美の名前を呼んでるんだ。


そっか、そうだよね。

みんな、真美の歌を聴きに、ここへ集まってきてくれたんだもん。

他の誰でもない、真美の歌を聴きに来てくれてるんだ。

342 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:25:50.04 ID:5i4lUinv0


そうだね。


「……よしっ、いま行くよん」


真美が兄ちゃんと一緒に目指してきたものってさ。

結局、みんなを笑顔にすることで。

みんなに明るい何かを届けることで。


兄ちゃんと一緒に歩いてくことでもあって。

765プロのみんなと一緒に頑張っていくことでもあって。

ファンのみんなに全力で気持ちを伝えていくことでもあって。


うん、そうなんだ。

このステージを、全力でやり切ることがさ。


「めんごめんごみんなーーー! たっだいまーーー!!」


真美がずっとずっと、目指してきたことなんだ!

343 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:26:27.08 ID:5i4lUinv0

「わぷっ! まぶしー!」


照明ってこんなに眩しかったっけ?


目が慣れて、もう一回見回すと、ファンのみんなが笑ってた。

あ、何人か心配そうな顔してる人がいる。

ちょっとバレちゃってたのかな……真美の不安。

もーダメダメじゃん、真美ってば。


「いやー、実は朝から頭のちょーしがまいっちんぐでしてなー。でも、もう大丈夫!」


笑顔でブイってやったら、心配そうにしてた人たちも安心したような表情になった。

良かったぁ。

いまの真美、ちゃんと笑えてるんだ。


「こーんなハイテンションで出てきてアレだけど……最後の新曲、ちょっとちっとりなんだよねー」


ぺろっと舌を出すと、みんなが笑ってくれた。
344 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:26:54.55 ID:5i4lUinv0


「真美の気持ち、いっぱいいっぱい詰め込むからね」


視界の正面。

PA機材の中に紛れ込むように、兄ちゃんがいた。

目が合うと、にっこり笑ってくれた。


「みんな、聴いてね」


マイクを、力いっぱい握りしめる。


ファンのみんなに、心のこもった声が届くように。

正面の兄ちゃんに、真美のメッセージが届くように。


「歌います」


真美の、素直な心を。

想いを、歌います。

345 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:27:36.72 ID:5i4lUinv0

最後のトリは、暖かいバラード。

兄ちゃんがずっと温めてくれた、密かな想い。


「――」


さっきまで口にするのも怖かったのになー。

無意識に身体を動かすみたいに、するする歌える。


「――」


頭、真っ白。

でも、ココロが沸き立って。

声がどこまでも響いていって。


すっご。

すごいこれ、初めての体験だ!
346 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:28:21.92 ID:5i4lUinv0


「――」


頭では歌詞と全然違うこと考えてるのに。

今もこんなワケわかんないことアレコレ考えてるのに。

なんだろ、こう、考えてることと口にしてることが一致してるような。


「――」


口にする言葉は違うけれど、いま、真美が考えてることを歌ってるんだ。

自分がいま、どんな言葉を口にしてるかも頭に入ってこないけど。

いやまぁ、多分ちゃんと歌詞歌ってるよね、多分。


「――」


……多分、歌ってるっしょ?

347 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:28:48.25 ID:5i4lUinv0


それはきっと大丈夫。

だってほら。


「――」


眩しい眩しい照明の向こうから。

兄ちゃんが、こっち見てもっと眩しく笑ってるもん。


「――」


多分歌詞違ったら顔面ユーハクで変な踊り踊ってるだろうし。

あ、ユーハクじゃないや、ソーハク?

ユーハクじゃ死んじゃってるね。

うらめしや〜!

348 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:29:22.38 ID:5i4lUinv0

ファンの兄ちゃん姉ちゃんたちが、真美の心に合わせてサイリウムをゆらりゆらり。

ごめんねみんな。

真美ってばちょっと自分勝手に歌っちゃってるよね。


「――」


でもきっと、その自分勝手も、なんとなくみんなに伝わってる。

それでもみんなみんな、優しく励ますような、あったかい目で見てくれてる。


「――」


だからステージ上の真美も、ヒャクパー素直な心で歌えるんだ。

真美の最高に素直な心……。

そう、オーバー・トップ・クリア・マミンド!

……マミンドってアキンドみたいでおっちゃんくさい、やっぱなし。
349 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:29:58.51 ID:5i4lUinv0


「――」


いっぱいいっぱいの想いが、歌に重なってく。

兄ちゃんと出会ってから、今日までの日々。

さっきまでとは違って、幸せに感じる想い出。


「――」


夢みたいな日々は、終わらない?

夢みたいな日々は、これから始まる?


「――」


違うよ、そうじゃない。


「――」


ほわほわと泡みたいだった夢から、目を覚ますんだ。


「――」


夢じゃなくて、朝を迎えて、真美は。

350 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:30:42.53 ID:5i4lUinv0


「――」


目が合う。

兄ちゃんと。


「――」


もうすぐラストのサビの、本当の最後。

兄ちゃんが答えをこめてくれた、あの歌詞。


「――」


真美の口がフレーズを歌う。

とっても自然に。

当たり前のように。


ごくごく自然に、本来の言葉とは、違う言葉で。

351 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:31:24.54 ID:5i4lUinv0



「ワタシは、待っていますから」



「光が照らす、その場所で」




兄ちゃんが、目を見開いた。


照明の光かな。


ちょっぴり目元が、光って見えた。


352 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:32:35.28 ID:5i4lUinv0


余韻を残して、静かに歌が終わる。


歌い終えたとき、みんなが笑ってくれた。

ワーワー叫ぶんじゃなくて、余韻を繋ぐみたいに、ただにっこり笑って拍手してくれた。

ぱちぱち、ぱちぱちって音が会場に響く。


歌い終えた途端、ボーっとしちゃった。

ぼやーっとした頭のままで見渡すと、舞台袖でみんなが笑ってた。


どれくらいだろ。

しばらく、ボーっと会場を見回してた。

そんで呆けたまま、正面を見た。

兄ちゃんが、拍手しながら口をぱくぱく動かしてた。

なんて言ってるんだろ?

耳に付けたモニターイヤホンから、声が聞こえた。
353 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:33:08.91 ID:5i4lUinv0

『まだステージ終わってないぞ、ドアホ』


「誰がドアホかっ!!」


キィーーーン!


「い゙っ!?」


さ、叫んだ拍子にマイクの共鳴がぁーーー!!

和やかムードだった会場は一転サツバツ!

みんな一斉に「い゙っ!?」って顔して耳を塞ぐ!


「うあーーー! PA切ってーーー!!」


音響さんが耳を塞ぎながら慌ててボリュームを落とす。

さ、最後の最後に、何やってんだぁぁぁぁ……。
354 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:33:52.37 ID:5i4lUinv0

でも、おかげでしめっぽい感じはどこかへバイバイ。

どこかから湧いたクスクス笑いが、少しずつおっきくなった。

もーこりゃ笑うしかないっしょ、センパイ。


「ご、ごめんねー兄ちゃん姉ちゃん、スタッフさんにボヤッとするなドアホーって言われちゃってさー、えへへ」


次の瞬間、会場が笑いに包まれた。

見れば、兄ちゃんもはるるん達もばくしょーしてんじゃん!

兄ちゃんは自分のせーだってジカク持ってよ!

というか千早お姉ちゃん笑い過ぎでしょ!

何お姫ちんの肩バンバン叩いてるの!

お姫ちん肩叩きみたいで気持ち良さそうだし!


「えぇ〜っと、まぁそのだねぇ、真美のライブだしこんなしょーもないオチでもパーペキ問題なしだよねっ!」


この流れで、真美らしくビシッと締めないとだかんね!


「そんなわけで兄ちゃん姉ちゃん達! 今日はありがとーーーーっ!」


叫ぶと、改めて会場いっぱいの盛大な拍手。

最後にとびっきりの笑顔を見せてくれて、真美は本当に満足だよ、みんな。
355 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:34:18.27 ID:5i4lUinv0

ステージが終わって。

舞台袖へ引っ込むと、みんながいた。

モチロン、PA席から戻ってきた兄ちゃんも。


「真美……」

「兄ちゃん……」


見つめ合う。


「兄ちゃん……!」


駆け出す。


「兄ちゃぁぁぁあん!!」


そして……!

356 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:34:55.44 ID:5i4lUinv0

「何してくれとんねん!!!」

「おぐふぅっ!?」


駆け寄って兄ちゃんの腹部に渾身の右ストレート!

まこちん直伝の一撃を喰らえい!!


「誰がドアホじゃーーーっ!」

「だ、だってお前がステージ上で呆けてるかぐぅっ!?」


二発目!


「お陰で恥かいたよ!」

「だ、誰か助けてくれ!」

「助けが必要ですか?」

「手伝うわ」

「お姫ちん! 千早お姉ちゃん!」

「待ってくれ、何で俺二人に羽交い絞めにされて」

「ラストブリットぉ!!」

「やめぐえっ!」


三発目ェ!!

357 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:35:41.63 ID:5i4lUinv0

一分後。


「いいか、真美。人のお腹は殴っちゃいけません。学校で習わなかったか?」

「習わなかった」

「だろうな、俺もこんなこと言ったのは初めてだ。もうやるなよ」

「善処します」


お姫ちんと千早お姉ちゃんがはるるんとやよいっちに連行されると、真美はたちまち兄ちゃんに捕まった。

首根っこ掴まれて子猫摘まみ上げるみたいな……。

可愛くにゃーって鳴いてみたけど、残念ながら許してもらえませんでした。


「お前ね、感極まるのは仕方ないけど、ステージ上で長々と呆けるんじゃないよ。新人でもないんだから」

「だってー……」


このステージは、さ。

それだけ色々なモノが詰まってて。

それだけ色々なモノに気付いて。
358 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:36:37.33 ID:5i4lUinv0


「真美にとっては、それだけ、とっても特別なステージだったから」


兄ちゃんの掴む力が、少し弱まった。


「真美がアイドルをやってきた理由が、やっと分かったんだよ」


兄ちゃんの手が、真美から離れた。


「真美が追いかけてたものが、やっと見えたんだよ」


兄ちゃんの手が、宙ぶらりん。

その手にそっと、真美の手を添える。


「夢や憧れの一歩先の景色が、さ」


ぎゅーっと兄ちゃんの手を握る。

握り返してくれる。

あったかい。

手も、心も。

359 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:37:26.85 ID:5i4lUinv0


真美の大切なソロライブは、静かに幕を下ろした。


帰る間、真美も兄ちゃんも何も話さなかった。

ただ二人で並んで、何も言わずに家へ帰った。

ちゃんと、決めたから。


来年の五月二十二日。


もう真美たち、分かってるもん。

真美たちが出会ったこと。

今日まで頑張ってきたこと。

あの日二人でした約束。


それは全部、その日に繋がってる。

お互いに、お互いが待ってることを分かってる。


兄ちゃんと二人で作り上げてきた、大事な大事なタカラモノ。

二人でずっと待ち続けてきた、大切な大切なタカラモノ。

360 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:37:55.22 ID:5i4lUinv0


もう慌てなくてもいいから。

怖がらなくてもいいから。


ただただいつもみたいに怒って、泣いて、笑って。

みんなで手を繋いでさ、毎日を過ごせばいいんだ。


兄ちゃん。

真美、しっかり春を待ってるかんね。

安心していいよん。

んっふっふー。

361 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:38:44.30 ID:5i4lUinv0

そんな夏も、セミがぼとぼと落ちたら終わりを告げて。

それでもいつも通り、変わんない毎日が、一日一日過ぎてく。


秋は、みんな全力で食欲の秋。

ひびきんとはるるんの差し入れを、いつかみたいにお姫ちんが食べつくしたり。

やよいっちと珍しくノリノリないおりんの主導で、みんなで焼き芋したり。

ピヨちゃんとあずさお姉ちゃんが、こっそり事務所で呑み会してるのが見つかったり。


冬は、犬は喜び庭駆けまわり、猫はこたつで丸くなる。

まこちんと亜美の雪合戦の流れ弾が、りっちゃんの顔面に直撃したり。

いつもと逆でミキミキの膝枕でぐっすりな千早お姉ちゃんを、みんなでじーっと観察したり。

ゆきぴょんとの雪かき勝負で、社長さんがぎっくり腰になったり。
362 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:39:29.38 ID:5i4lUinv0

そんなみんなと一緒に、真美と兄ちゃんも笑ってた。

モチロン、そんなてんやわんやをぼーっと眺めてたわけじゃないよ?

言ってないだけで、どちらかとゆーとトラブルの原因は大体亜美と真美……あ、やっぱなんでもない。

りっちゃんに一発貰っちゃうし。


学校にアイドルに、忙しい日々。

少しずつ移り変わってく季節。


あっ、そういやはるるんが年末のアイドルフェスタで大賞取ったよ!

事務所に入った頃、「今年こそトップアイドルになる」とか言ってたっけ。

ちょっとチコクだけど、ゆーげんじっこーは素晴らしいですなあ。
363 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:40:14.39 ID:5i4lUinv0

そんなわけで、年末は事務所ではるるんのお祝い。

さすがに同じ時間には全員揃えないけど、色んな人が入れ代わり立ち代わり!


「ぷへー、見てるだけで疲れるぜい。ピヨちゃん、それお酒?」

「ぶどうジュース。ふふ、こんなところでお酒なんて呑まないわよ」

「秋にりっちゃんにチョー怒られたもんね」

「うっ」


事務所内のあっちこっちでわいわいがやがや。

ほんと、色んな人いるなー。

りっちゃんの親戚に、研修生の人たちに、よく番組で一緒になる人も……。

チャオって何語だっけ?
364 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:40:41.46 ID:5i4lUinv0

「はるるんってば人気者ですなー」


なぁんて眺めてたら、少しそわそわしながらはるるんがこっちに来た。


「どしたのさーはるるん。もにょもにょしちゃって」

「いやあ、あはは……その……」


なんか少し、恥ずかしそうというか、言いにくそうというか、そんな顔してる。


「ねえ、真美。ちょっとお願いがあるんだけど……」

「なになにー?」


お願いってなんだろ?
365 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:41:11.23 ID:5i4lUinv0

「えっと……」


ごにょごにょごにょ。

ふんふん、ナルホドナルホド。


「……はるるんってば律儀ですなあ」

「だ、だって、真美が嫌な気分になるかもしれないし……」

「はるるんに対して嫌な気分になんてなるわけないじゃん! むしろ、真美のせいで……」

「言いっ子はなし、だよ」


しっ、と指を口に添えられた。

笑ってそう言えるはるるんは、真美なんかよりずっとずっと強い。

はるるんに何をお願いされたかって?

女の子のヒミツは、暴かないもんですぜ。
366 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:41:39.58 ID:5i4lUinv0

そーこーしてるうちに、はるるんが兄ちゃんに声をかけて、二人でこっそり給湯室へ行った。

気付いてるのは、りっちゃんに千早お姉ちゃん、あずさお姉ちゃんにいおりんくらいかな?

お姫ちんは表情読めなさすぎる……。


「春香とプロデューサー、どこ行ったんだ?」

「ひびきん……つっこむのは野暮ってもんだぜ……」

「えっ、自分デリカシー欠けてたか!?」


あわあわするひびきん。

うん、ひびきんはそんなひびきんのままでいてね。
367 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:42:19.65 ID:5i4lUinv0

数分して戻ってきたはるるんは、とってもにこにこしてた。


「はー、すっきりした」

「兄ちゃんに言ったの?」

「うん」


はるるんがコップを片手に、真美の隣にちょこんと座る。


「私もそのうち、いい人見つかるといいなぁ」

「はるるんは、だいじょーぶだよ」

「あはは。それ、私が言ったことの真似っ子だ」

「バレちった? んっふっふー」

「勝者の余裕だねぇ」


はるるんは真美の顔を見て、もっかいおっきく笑った。

真美も一緒に、おっきく笑った。
368 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:43:05.49 ID:5i4lUinv0

はるるんから遅れること数十秒。

兄ちゃんが給湯室から戻ってきた。

全く、兄ちゃんもスミに置けな……い……?


「あれ、プロデューサー殿。ほっぺたに絆創膏なんて貼ってどうしたんですか?」

「ち、チキンのアルミホイルで切っちゃってね」


……。

……ん?

んんん!?


「あ……あ……! まさかはるるん!」

「……てへっ、最後だし、ちょっとくらい、ね?」


や、やってくれましたなああああああはるるんめえええええ!!!
369 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:44:26.37 ID:5i4lUinv0

そんな慌ただしいお祝いパーティーの帰り道。


「ぐぬぬぬ……はるるんめぇ……!」

「今回はカンゼンハイボクですなあ。約束してもらったからって油断し過ぎっしょ」

「ぐぬぬぬ……」


今日は久しぶりに、亜美と二人で帰るとこ!

兄ちゃんはオトナの時間とか言いながら飲みに行っちゃったからねー。


「はるるんがあそこまでやるとは……ウカツだった」

「でも真美、あんま怒ってないよね」


不思議そうに、亜美が聞いてきた。

ん? うん? うーん……。


「まぁはるるんだし?」

「あー、ちょっと分かる。なんか怒る気にならないよね」

「あとひびきんとか、やよいっちとか」


あそこらへんはもう、なんか許されちゃう感じですからなー。
370 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:45:26.38 ID:5i4lUinv0

「まぁ、それは半分冗談で」

「半分は本当にそんな感じなんだね」

「あのソロライブやってからさ、気持ちがボーっとしちゃってるんだ」


兄ちゃんと約束をしてから。

ぷつっと何かの糸が切れたみたいになっちゃって。

毎日が楽しいし、暖かいし、幸せなんだけど。


「燃え尽き症候群?みたいな感じ」


毎日が夢見心地で。

なんだか、現実じゃないみたいで。

あの約束で、欲しいものを貰い切っちゃったような気もして。


「このまま、幸せを独り占めしちゃっていいのかなーって、続くのかなーって、ふっと思う時があるんだ」


そう言って隣を見ると、亜美は少ししてから、にっこり笑った。
371 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:45:52.91 ID:5i4lUinv0

「いいじゃん」


そー言って、亜美が抱き着いてきた。

あ……亜美に正面から抱き着かれるのって、けっこー久しぶりかも。


「真美、ずっとずっと頑張ってきたじゃん」

「うん」

「我慢してきたじゃん」

「うん」

「それがやっと、報われたんじゃん」

「……うん」


亜美から、いつもと違うシャンプーの匂いがする。

いい匂いだなー。

なんて言ったら、ゆきぴょんとかピヨちゃんがなんか反応しそうだね。
372 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:46:38.51 ID:5i4lUinv0


……とか思ってた、次の瞬間!


ぺちーん!


「のあーっ!? ななななにすんのさー!」


いっきなし亜美にぺちーんされた!

ま、真美が何したって言うのさ!?


「こんのばか真美! むしろばみ!」

「な、なんだとう!? そのリロンだと亜美もばみじゃん!」


こんにゃろめー!

って、亜美の顔見てみたらさ。


「そんなオトナっぽいのさ、真美の柄じゃないじゃん」

「っ……」


ジョーダンぽく笑いながら、ちょっと寂しそうだった。
373 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:47:17.67 ID:5i4lUinv0

「真美ってば、ずーっとオトナっぽすぎだよ」

「そ、そりゃあ真美たちだっておっきくなってきたし」

「なんかいつも人に気を遣ってるしさ、知らないとこで一人で悩んでるしさ」

「う……」


ぐさり。

ばれてたんだ。

やっぱ双子の間じゃ、隠し事は無理かぁ……。


「なんか別の人になっちゃったみたいで、亜美が知ってる真美はどっかに行っちゃいそうで」

「……」

「……亜美さ、ちょっと怖かったんだよ?」


ぴとん。

亜美が脱力してもたれかかってきた。


「……ごめんね、亜美。真美は真美だよ」

「ばーか。ばか真美。ばみ」


亜美は安心したように、ちっちゃく笑った。
374 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:48:41.48 ID:5i4lUinv0

「もっと素直になろ?」

「素直に?」

「だって亜美たち、まだコドモじゃん」

「それもそっかぁ。兄ちゃんもぎむきょーいくまではコモドって言ってたし」

「オオトカゲ?」


真美たちも、もうすぐ高校生。

そしたらイヤでもオトナの入り口に立つんだ。

だったら、今の内に素直にコドモでいたほうがいいのかな。
375 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:49:09.62 ID:5i4lUinv0

「コドモの今しかできないこと、あると思うよ」


亜美が珍しく、真面目な声で言った。

それを聞く真美が思い浮かべたのは、ベランダに座ってる兄ちゃんだった。


「真美たちも、イヤでもオトナになってっちゃうもんね」

「わがままもあまり言えなくなるし」

「うん、遊んでばかりもいられなくなるし」

「時間は待ってくれないよ」


柄にもなく何言ってんのさ、亜美。

亜美のがよっぽどお姉ちゃんみたいだよ。
376 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:49:35.93 ID:5i4lUinv0

「亜美は先に帰るね」

「え? どして?」

「真美、したいことあるでしょ?」

「……うーん。うん。ある」

「いいじゃん、わがまま言っちゃおうよ」

「そだね」


短く笑って答えると、亜美は今度こそ、安心したように笑った。

そんで走り出して、真美を見てブンブン手を振りながら、


「でもフジュンイセーコーユーは」

「しないよばみ!」


叫ぶともっかい笑って、亜美の姿は見えなくなった。
377 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:50:10.47 ID:5i4lUinv0

携帯の番号を押す。

電話帳に登録もされてるけどさ、番号覚えて押すの、なんか好きなんだ。

大切な人に、話しかけるみたいで。


ワンコール。

ツーコール。

スリーコール。

…………。

出ない。


「くっそぅ、出るまでかけ続けてやる!」
378 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:50:44.86 ID:5i4lUinv0

そのあと、三、四回かけると。


『あ!? 真美か! どうかしたのか?!』

「えっ、兄ちゃんやけに焦ってるけどどうしたの?」

『小鳥さんが酔っぱらって……いやそれ水じゃないですから!!』


ぷっ。

慌ててる兄ちゃんの姿が目に浮かんで、吹き出しちゃった。


「ねえ、兄ちゃん、わがまま聞いて欲しいんだけど」

『なんだ!? 手短に頼む!!』

「今から一緒に帰りたい」


電話の奥ではわーわーきゃーきゃー。

でも、兄ちゃんの声は止まった。


「一緒に、帰りたいの」
379 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:51:23.32 ID:5i4lUinv0

しばらく、沈黙が続いた。

もう一回言おうとしたら、兄ちゃんから返事があった。


『分かった。今、どこにいる?』

「たるき亭出てまっすぐ行ったとこの大きなパーキング前」

『十分くらいで行くから、待っててくれ』


待ってるね、って言って、電話を切った。

こーゆーわがままって、もしかしたら初めてかな。

駄々っ子みたいな、メーワクかけちゃうかもしれないわがまま。
380 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:53:39.43 ID:5i4lUinv0

しばらく待ってたら、兄ちゃんが来た。


「よっ」

「ごめんね、わがまま言って」

「いいよいいよ、むしろヤバそうな飲み会からうまい具合に逃げられて感謝してる」


言って兄ちゃんは優しく笑い、真美の頭を撫でる。

そう何度も撫でられてると、さすがの真美だって飽きちまうぜ。

……なんてことはなくて。

むふー。
381 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:54:54.82 ID:5i4lUinv0

なんてことない世間話をしながら電車に乗って。

駅から出て、しばらく歩いてたら兄ちゃんに聞かれた。


「でも、今日は急にどうしたんだ?」

「わがまま、言いたくなったの」

「いつもわがまま言ってるじゃないか」

「そうじゃなくてね」


兄ちゃんの手をぎゅっと握る。

握り返してくれる兄ちゃんの手に、戸惑いはなかった。


「真美の兄ちゃんに、わがままが言いたくなったの」

「おませさんめ」


誰が言わせてんのさ。


でも、真美の兄ちゃんだってことが。

否定されなかったのが、本当に本当に。

うれしかった。
382 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:55:24.65 ID:5i4lUinv0

「真美、もうすぐこーこーせいなんだよ」

「そうだなぁ。初めて会ったときから、ずいぶん大きくなったな」

「そしたらさ、これまでみたいにはわがまま、言えないから」

「ん……」

「兄ちゃんを困らせるかもだけど、駄々っ子みたいなわがまま言いたかったんだ」


亜美は、自分の知ってる真美じゃないみたいで、って言ってたけど。

でも真美たち、少しずつ、そうなっていくんだよ。
383 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:56:07.79 ID:5i4lUinv0

真美は、いつまでも真美のままではいられない。

そう思っていたのを、兄ちゃんは察してくれたみたいだった。


「お前なりに考えてるんだなあ」

「なにおー、失敬な」


兄ちゃんと幸せになれるとしても、今のままじゃないんだ。

これまでの楽しかった日々は、徐々に変わってく。

兄ちゃんにひっついて遊んでじゃれついて。

そんなコドモっぽい甘えな日々も、少しずつオトナの日々になってくんだ。


「兄ちゃんとの幸せ、いつまで続くのかなって悩んでて」


でも、それは亜美が肯定してくれて。


「でも、それだけじゃなくてさ」


ほんとはね。


「これまでの真美と兄ちゃんの日々が無くなっちゃうみたいで、寂しかったんだ」

384 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:57:11.93 ID:5i4lUinv0

「ねえ兄ちゃん知ってる? 今度で真美さ、事務所入ったときのはるるんと同い年になるんだよ」

「ほんと、大きくなったよな」


思い出すように、二人ともしばらく黙り込んだ。


「真美、お姉ちゃんになっちゃうね」

「そうだな、年下の後輩もそろそろ入ってくるし、最年少ではなくなるな」

「そしたらもう、今までみたいには甘えられないね」


真美、そう言って笑ったつもりだったんだけど。

兄ちゃんは少し、寂しそうな顔してた。

真美がそんな顔に、なっちゃってたのかな。
385 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:57:57.49 ID:5i4lUinv0


「人は、変わるよ」


兄ちゃんが真美の手を強く握る。


「誰だって変わっていく。子どものままじゃないし、大人だって変わってしまうことはある」


真美も強く握り返した。


「でもな」


ふと、兄ちゃんが歩く足を止めた。

どったの?と思って見上げると。

兄ちゃんもこっちを見て、笑ってた。


「どんなに形が変わっても、想いの本質は変わらないよ」


少なくとも、俺はね。

そう付け加えて、兄ちゃんは反対の手でぽりぽりとほっぺたを掻いた。

386 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/23(日) 00:58:37.66 ID:5i4lUinv0

「兄ちゃんキザすぎ」

「我ながら柄にもないこと言ったなあと思ってる」

「でもそんなとこもひっくるめてさ」


最後、部屋のドアの前で別れるときに。


「大好きだよ、兄ちゃん」


そう言うと、兄ちゃんは顔を真っ赤にして。

おやすみ、と一言言い残して部屋に飛び込んでった。


んっふっふー、一本取ってやったよ、兄ちゃん。

でも、嘘ではないからね。


おやすみなさい。

大好きだよ。

387 : ◆on5CJtpVEE [sage]:2019/06/23(日) 01:15:48.28 ID:5i4lUinvo
お読みくださってる方、ありがとうございます。
今日の投下分後半から前回落ちたときの続きとなります。
このペースならあと数日で最後まで投稿できそうですので、もうしばらくお付き合いください。
388 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/06/23(日) 01:22:11.80 ID:4jB0ZODlo
おつおつ
お待ちしてます
389 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:12:50.09 ID:QHO8M2d60
>>388
ありがとうございます。
今しばらくおつきあいください。
390 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:15:28.32 ID:QHO8M2d60

冬が過ぎれば春が来て。

春が来たら、真美たちも高校生。

やっぱり入学してしばらくはもみくちゃな日々。


男子はみーんな、目を血走らせちゃってさあ。

中学のときはまだ可愛いモンだったんだね。

ミキミキの苦労がやっと分かったよ……。
391 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:15:56.18 ID:QHO8M2d60

みんなはいつも通りぜっこーちょー。

ほんとに時々、暇すぎて閑古鳥が鳴いてるときもあるけど。


「うちの事務所も旬が過ぎたかなー」


なんて誰かがぼやくと。

ドっと仕事が入ってきててんてこ舞いになんだよね。

やっぱ神様は見てるみたい。

しかも、ちょっといじわるさん。
392 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:16:26.58 ID:QHO8M2d60

兄ちゃんとの約束の日は、そんな新生活も始まって、すぐのことだった。

五月二十二日。


じゃなくて……。


「ねえ兄ちゃん、真美にあんだけ言っといてさ、二十二日に仕事ってどゆこと?」


じとーっと運転席の兄ちゃんを見る。


「すまん……お前の誕生日祝い生中継特番がな……」

「まー、真美がそれだけみんなから愛されてるショーコだし、イヤな気分ではないですケド?」


そういうと、兄ちゃんが二重の意味で顔をしかめた。

仕事を阻止できなかったことと……。

……そして。


「みんなから愛されてそんなに嬉しいかい」


口をへの字に曲げた兄ちゃん。

んっふっふー、これで隠してるつもりなんだから笑えちゃうよね。

そんなとこも可愛いんだけど。
393 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:17:17.71 ID:QHO8M2d60

「そんなわけで、一日早いけど前夜祭の誕生日ディナーで許してくれ」

「ちかたないなぁ……真美だけだかんね? こんなに心広いの」


日中の収録を終えて、兄ちゃんが予約してたお店に向かってるとこなのだ!

お店の名前はかたくなに教えてくれなかったけど……。


「この服、キュークツだよー」

「ドレスコードがあるとは書いてなかったが、念のため、な」

「なら普通の服でも良かったじゃーん」

「真美も、もう大人として見られ始める年だからな」


ドキッとした。

真美が大人に見られるから、じゃなくて。

そのときの兄ちゃんの口振りが――。


――まるで、大人の女性に囁くみたいな、甘い色に感じたから。
394 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:18:08.07 ID:QHO8M2d60

駐車場に車を止めて、お店の前に行ってみると……。


「あ,ここって……」

「おっ! 覚えてたか」


そりゃそうだよ!

だって、ここ教えたのって……。


「いつだったか、お前が教えてくれたお店だよ。デザートが絶品なんだろ?」

「あ、うぅぅぅぅ……」


しゅぼん!

あのときのこと思い出したら一気に恥ずかしくなってきた!

真美が勘違いして兄ちゃんにあれこれサポートしてたときに教えた店じゃん!

いや、兄ちゃんも悪いんだけどさ!


「真美に教えてもらったときから、今日の日には、ここに来ようと決めてたんだ」

「え……?」

「あとから勘違いの話を聞いて、お互いの空回り加減に笑っちゃったよ」


いや、俺が悪かったのかな。

たぶんそう言い掛けた兄ちゃんの口を、真美の手で塞いだ。


「お互い様っしょ、兄ちゃん」

「……ああ、そうだな」


そんなやりとりをしてる内に身体も足取りも軽くなって。

二人で、お店に入っていった。
395 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:18:42.39 ID:QHO8M2d60

「やっば! これちょーうまいよ兄ちゃん! ほらほら早く食べて早く!」

「ああ……真美にはやっぱりまだ早かったか……」


ぱくぱくむしゃむしゃ!

シェフを呼びたまえ!

とっても美味しいよ!


「テーブルマナーってほどの店でもないが……もう少し落ち着いて食え」

「だって美味しいんだもん」


きょろきょろしながら周りの目を気にする兄ちゃん。

でもだいじょーぶだよ。

ウェイターさんも、こっち見ながらにこにこしてるもん。


前に何かの番組でシェフの人が言ってたんだ。

美味しく食べてもらえるのが一番嬉しい、って。

だからこれが真美なりの、一番の美味しいのひょーげんなのだよ!
396 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:19:24.29 ID:QHO8M2d60

「そしてこれが……これが噂の絶品デザートか……!」

「ふぉぉぉぉぉぉぉお……!!」


そしてコースの最後には、雑誌でも絶賛の絶品デザート!

ケーキにアイスにチョコにクレームブリュレにティラミスに……。

国籍無視していろんなデザート勢ぞろい!

山盛りてんこ盛りで真美たちの前においでなすった!


「ねぇねぇ兄ちゃん」

「……なんだ」

「これを前にしても、マナーとか何とか言うつもり?」


……沈黙。
397 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:19:51.31 ID:QHO8M2d60

「無理だああああああああ!」


兄ちゃんが、周りを気にして微妙に小さく上げた雄叫びとともに食べ始めた!

真美も負けてらんないぜ!

まずはこのプリンを……。


あむっ。


「ふぁっ…………」

「おっ、おぉぉっ……なんだ、このわき上がる幸福感は……!」


二人して一口目で昇天。

ごめんなさい、パパ、ママ……。

真美は悪い子です……甘味には勝てなかったよ……。
398 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:20:18.31 ID:QHO8M2d60

甘味も食べ終えて、食後のドリンク。


「あー、食った食った……」

「途中から兄ちゃんもマナーもなんもなかったじゃん」

「だって旨いんだから仕方ないだろ」

「ウェイターさん、時々くすくす笑ってたよ」

「野郎、ブン殴ってやる」

「ケーサツ沙汰はさすがの真美もカンベンだかんね」


そんな他愛もない話もして。

もう家に帰るのかなーなんて、少し寂しさもあって。


そんなとき、兄ちゃんが少し真面目な目で微笑んでるのが見えた。

何かを手元に持ってる。
399 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:20:47.25 ID:QHO8M2d60

「真美」


そう優しく名前を呼んで、兄ちゃんはそれを差し出した。


「一日早いけど、お誕生日、おめでとう」


言葉とともに差し出されたのは、ラッピングされた黄色い箱。

さすがの真美も、こーゆーときの雰囲気が分からないほどアレじゃないよ。


「わぁ……」

「たぶん、気に入ってもらえると思うんだけど」

「開けていい?」

「ああ、どうぞ」


綺麗に包まれてると、勢いよく開けるのが勿体ない気がしてくる。

真美は丁寧にラッピングをはずして、箱を開けた。
400 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:21:31.32 ID:QHO8M2d60

中に入っていたのは、綺麗なイヤリング。

これも、前に真美が教えてあげた奴に似てるけど……。


「あのとき、『真美は結構好き』とか言ってただろ? あれよりももう少し、大人っぽいけど」


オトナ向けのフレンチのお店。

オトナっぽいイヤリング。


「真美……もう、コドモじゃないんだね」

「というよりは、オトナと思ってもらえる、かな」


そう言って兄ちゃんがまた、大人っぽい表情で優しく微笑んだ。
401 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:22:19.42 ID:QHO8M2d60

手に取ったイヤリングを、さっそく耳に付ける。


「どう? 似合ってるかな」

「勿論。真美のために作ったみたいだよ」


珍しくもない誉め言葉だけど。

なんてことない、ありふれた言葉だけど。

つい、緩んだ笑みがこぼれちゃう。


真美には、兄ちゃんに言ってもらえるコトバは。

ぜんぶぜんぶ、とっても嬉しいんだよ。
402 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:22:46.09 ID:QHO8M2d60

「なあ、真美――」


とそこで、兄ちゃんは途中まで何かを言い掛けた。

でも、そこで口は止まった。


「なに?」

「いや……やっぱり、なんでもない」

「えーーー!? なにそれずっこいずっこい!」


兄ちゃん、何を言おうとしたんだろう?

そのあと、何度躍起になって聞こうとしても。

結局最後まで教えてくれなかった。
403 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:23:12.08 ID:QHO8M2d60



とってもおいしい料理。


とってもうれしいプレゼント。


でも、ちょびっとだけ残ったモヤモヤ感。


それらを抱えながら、真美たちは家へ帰った。


404 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:23:39.00 ID:QHO8M2d60

「兄ちゃん、今日はあんがとね!」


部屋の玄関の前で、一緒に帰ってきたときのいつものご挨拶。


「いえいえ、どういたしまして。姫のためであれば何とでも」

「そうじゃそうじゃ、我こそは姫ぞ! くるしゅうない!」

「どっちかというと王とか妃とかそっち系に聞こえるな……いや、高飛車な姫ならアリか……?」


そんな小さな漫才をして。

時間は二十一時三十分。


「それじゃ兄ちゃん、また明日ね!」

「ああ、おやすみ、真美」


そう言って、お互いに自分の部屋へ入っていった。
405 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:24:05.65 ID:QHO8M2d60

シャワー浴びて、明日の準備をして。

でも真美は、それからベッドに潜ってもモヤモヤが消えなかった。


え、さっき最後、何言おうとしてたの?

明日の仕事?

こないだのいたずら?

それともまさか、別れ――


ばちぃん!


両手で自分のほっぺたをひっぱたく。

兄ちゃんがそんなこと言う訳ないじゃん!

プレゼントもくれたのに!

このばみ!
406 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:24:33.37 ID:QHO8M2d60

でも、今の一発で目が冴えちゃった。

たまには……。


「ベランダで涼もっかな」


亜美はもう、とっくにすぅすぅと寝息を立ててる。

起こさないように静かに、ベランダに出た。
407 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:24:59.82 ID:QHO8M2d60

ふわぁー、夜風が気持ちいい……。

だんだん暑い日も増えてきて、風が心地良い季節になってきた。

今日も、とってもとっても蒸し暑かった。

ついこないだまで寒かったのになあ。

こういう感性も、昔より大人になってきた気がする。


そっか。

真美、人生の三分の一くらい、あの事務所にいるんだ。

そう考えると、兄ちゃんとの日々も、もう随分長くなるんだなって。

なんか変な感傷に浸っちゃって。

これも、オトナになるってことなのかもしれないね、亜美。
408 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:25:26.03 ID:QHO8M2d60

そんなことをしばらくしてると。

隣の部屋の窓が、カラカラと開く音がして。

中から見覚えのある姿が見えた。


「ありゃ、お前もベランダに来てたのか」

「兄ちゃんも眠れなかったの?」

「ちょっとな」


さっきまで悩んでたせいか、いつもみたいに言葉が出てこない。

ぽけーっと兄ちゃんを見てると、珍しい提案があった。
409 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:25:52.68 ID:QHO8M2d60

「真美、こっちのベランダ来ないか?」

「え、でもいつも危ないって……」

「言っといて自分でもどうかと思うが、たまには悪いこともするもんだ。支えててやるから」


そう言われると、断れないよ。

真美はいつものようにひょいっと飛び乗ると、兄ちゃんのベランダへ歩いて移った。

いつもと少し違うのは、兄ちゃんが落ちないように支えてくれていること。


「あらよっと!」


ぴょんっと兄ちゃんの隣に飛び降りる。

すると兄ちゃんはベランダに座り、ちょいちょいと手招きをした。

真美も、兄ちゃんの隣に座り込む。


「兄ちゃんから誘ってくるなんて珍しいね」

「今日はそんな気分でさ」


良くも悪くもない天気。

所々に雲があって。

その隙間から、片手の指程度の星が見えた。
410 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:26:26.95 ID:QHO8M2d60

「もう二十三時五十分か」


腕時計を見ながら、兄ちゃんが言う。

寝付けなくて、だいぶ遅くなっちゃった。

明日、起きれるかなあ……。


「安心しろ、起こしに行ってやるから」


心読まれてた。

それに兄ちゃんは、ベランダから、と付け加えた。

じょしこーせーの部屋の窓にへばりついてる不審者の姿が浮かんだ。

やめときなよ、それはさすがに事案だよ。
411 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:26:59.42 ID:QHO8M2d60

「俺たち、大事な話するときって、いつもここにくるよな」


どきん。

胸が飛び跳ねた。

さっき最後に考えた、嫌な想像のせいかな。

そんなことないはずだって、頭は分かってるのに。


「もうすぐお祭りが始まる時期だな」


ズコーーーーッ!


「ねえ兄ちゃん、大事な話ってそんなこと?」

「あ、いや、こういう時って世間話から入るもんだと思って」

「……ってか兄ちゃん、なんかぎくしゃくしてない?」

「そんなこことない」


こが一個多い。
412 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:28:37.76 ID:QHO8M2d60

「今だから素直に言う」

「うん」

「前にお祭り行ったとき、お前浴衣着てたろ?」

「うん」

「あれ、ちょっとヤバかった」

「え、変だった……?」

「いや、そういう意味じゃなくてさ、その……」

「そういう意味じゃなくてなんなのさ」

「いや、その……分かれよ、そこは」

「え、何を!?」


ちょっとまって、脈絡なさ過ぎてわかんないんだけど!

お祭りの話されてるのもよく分かんないけどさ!


ええと、そもそもあのとき、なんで浴衣で行ったんだっけ?

確か、ひびきんに着せてもらって……。

そんで、ミキミキがうなじ見せれば男なんて――。
413 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:29:04.14 ID:QHO8M2d60


ぼんっ。


レストランの時に続いてもっかい、頭が爆発する音がした。


「え、あ、へ、あの、ヤバかったって、そういう……」

「……うん、まあ」


あああああああああああああああ!!!!

恥ずかしいよおおおおおおおおお!!!!


何で真美こんな時間差攻撃食らってんの!?

確かにゲームとかの時間差攻撃って威力高いけどさあ!!

ちょっと……ちょっとはずいってば、ねえ!!
414 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:30:13.14 ID:QHO8M2d60

「あのとき、意識したんだ」


兄ちゃんがぽつりと言った。


「――何を?」

「真美も、大人になっていくんだ、って」


いつかの日のような風が吹いて。

下ろしてた真美の長髪が、兄ちゃんの顔を撫でる。


「真美のシャンプーの香りだって、今すごいドキドキしてる」


そう言われて兄ちゃんの胸に手を当てると、本当にそうだった。


「そんなことも意識しちまうんだよ」

「真美が、オトナになってきたから?」

「そうだな」


そう言われて兄ちゃんを見たら。

その瞳が。

いつもの真美を見る目とは少し違っていて。


真美も、兄ちゃんから目を放せなかった。
415 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:30:39.39 ID:QHO8M2d60

「時計、しっかり合わせてきたんだ」

「え?」

「今、十五秒前」


かち、こち、と。

兄ちゃんの腕時計の秒針が鳴る。


「あと、ちょっとだな」

「うん、コドモの時間」

「それが過ぎたら――」

「それを過ぎてもね」


言葉を遮る。


「真美は、兄ちゃんのことが大好きな、真美だよ」


かちん。

416 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:31:08.40 ID:QHO8M2d60

零時。

真美の、本当の誕生日。


「真美」


兄ちゃんが真美を静かに抱き寄せる。


「誕生日、おめでとう」

「……うん、ありがとう」


風がびゅうと吹いて。

雲が、どこかへ飛んでいった。

その陰からは、まん丸お月様。

綺麗な綺麗な、夜空のお月様。
417 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:31:36.60 ID:QHO8M2d60

「真美」


真美を抱き寄せる兄ちゃんの力が、少し強くなる。


「さっき、レストランで言えなかった言葉」


顔は見えない、けど、表情は分かる。


「……ちょっと違うな。言おうとしたけど、やめた言葉」


真美も、兄ちゃんの服をつかむ手に力が入る。


五月二十二日。

その日まで、待っていてほしい。

二人で互いに交わした、約束。
418 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:35:04.99 ID:QHO8M2d60

そして兄ちゃんの口から。

真美が、ずっとずっと。

人生の何分の一もかけて待っていた言葉。


「真美、結婚してくれないか」


ではなく、あまりにも衝撃的な一言が飛び出した。


「ゔぁびぇっ!?」


たぶん地球上で誰も聞いたことのない叫び声をあげちゃった。


「ににに兄ちゃんたたた確かに結婚できる年齢だけどあのその」

「あ、ごめん、今の間違えた」

「ちょっと待って間違えたって何!?」

「いやあのその」

「こんなシチュエーションであんな叫び声上げたの、たぶん世界で真美が初めてだよ!?」

「わわわ悪い! 色んな言葉を考えてたんだけど緊張して、最初の方に消した候補が咄嗟に――」

「消すなーーーっ!」


ふぉがばしぃっ!

真美のサマーソルト気分のキックが兄ちゃんに炸裂!

いっくらなんでも仏の真美でもいまのは足が出るよ!


「すまん、ごめん、先走りました……」

「そうじゃなくてさあ!」


なんで真美が怒ってるのか、まだ分からないかなあ?!
419 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:35:38.40 ID:QHO8M2d60

「真美なんて最初から、ずぅぅぅぅぅぅっと一生一緒にいたいと思ってんだかんね!?」

「っ」

「それを間違えただの先走っただの……! 失礼ってレベルじゃないっしょ!?」


兄ちゃんの胸をポカポカポカポカ!


「ごめん、すまん!」


ポカポカポカポカ!

と、真美が叩いている内に、お互いだんだん冷静になってきて。

ポカポカが止まる頃には、二人でくすくす笑ってた。


「あーあ、俺たちこんなのばっかだな」

「そだね、たぶん、これからもだよね」

「そうだな」

「知ってる? 真美、今日で結婚できる歳になったんだよ?」

「ああ、そうだな。だからさっきの言葉も候補に入ってた」


また、兄ちゃんが静かに私を抱き寄せる。

今度はしっかりと、離さないように。
420 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:36:15.32 ID:QHO8M2d60


「なぁ、真美」


「うん」


「約束を、守りにきたよ」


「うん」


「なぁ、真美」


「うん」



次に言われる言葉が分かってるから。

今度こそ、ずっとずっと、待ってた言葉だから。

今度は勘違いでも、間違いでも、おちゃらけた話でもなくて。

ただただ、ずっと、ほしかった言葉。

421 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:37:44.43 ID:QHO8M2d60





「恋人として、隣にいてくれないか」




422 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:38:10.26 ID:QHO8M2d60


真美は、返事、出来なかった。


涙ぼろぼろで、声が出なくて。


代わりにね。


兄ちゃんの胸の中で、何度も何度も、大きくうなずいた。

423 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:38:50.59 ID:QHO8M2d60

目から溢れる大粒の涙を。

兄ちゃんがそっとぬぐってくれて。

潤んだ目で、兄ちゃんを見上げた。


「兄ちゃ――」

424 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:39:42.46 ID:QHO8M2d60


「――っ」


言おうとした言葉は、最後まで発することは出来なかった。

優しく、兄ちゃんが真美の顎に手を添えて。


いつか花火の裏で、真美がしたような、いきなりなのではなくて。

真美の頭を、優しく、包み込むようにしてから、ゆっくりと。

――。


「んっ……」


頭が、真っ白になって。

嬉しさと恥ずかしさと、大好きって気持ちがない交ぜになって。


「んぅ……」


この時間がこのまま、永遠に続けばいいと思って。

しばらくの間、そのまま重ねて。


「……ぷぁ……」



――デザートよりも、とってもとっても、甘い味がした。


425 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/24(月) 00:40:10.27 ID:QHO8M2d60


兄ちゃん。

真美、ずっと忘れないよ。


二人で見上げたあのお月様。

まん丸の綺麗なお月様。


そよそよ吹いた風。

そんな風で揺れる兄ちゃんの襟元。


その瞬間の、兄ちゃんの、瞳の色。

兄ちゃんの、鼓動。


抱きしめてくれたときの、胸の暖かさ。


それに、そのときの、とってもとっても幸せな――。

426 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:30:57.81 ID:wZZZEODD0


――――――――

―――――

――




ひょいっと。

真夏の日差しで日焼けが心配な中、お隣のベランダへ飛び移る。


「しっかし、段ボール何箱分になるのやら……」


あの日、初めて飛び移ってから。

あの日、兄ちゃんに呼ばれて、支えられながら移ってから。


あの日から、時間は流れ続けてる。


「でも、このベランダともお別れだね」


名残惜しみながら手摺りを撫でる。

これ、お隣の部屋の手摺りだけど。
427 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:31:58.30 ID:wZZZEODD0

あれから私は、世間には秘密裏に、兄ちゃんと恋人になって。

事務所のみんなは知ってるけど。

まこちんがびっくりして他の以外は。


色んなモノが変わった。

誕生日を過ぎてからは、少しずつ自分を「私」って言うようにした。

私はやっぱり、あの日思った通り、どんどんオトナになっていった。


でも、変わらないモノも確かにある。

時々いたずらしたりとか。

ついつい自分のこと、真美って言っちゃう時があったりとか。


ステージ上で歌うときの。

煌びやかなライトの下で、みんなに向ける笑顔とか。
428 :>>427誤字修正 [saga]:2019/06/25(火) 00:32:53.20 ID:wZZZEODD0

あれから私は、世間には秘密裏に、兄ちゃんと恋人になって。

事務所のみんなは知ってるけど。

まこちんがびっくりしてたの以外は。


色んなモノが変わった。

誕生日を過ぎてからは、少しずつ自分を「私」って言うようにした。

私はやっぱり、あの日思った通り、どんどんオトナになっていった。


でも、変わらないモノも確かにある。

時々いたずらしたりとか。

ついつい自分のこと、真美って言っちゃう時があったりとか。


ステージ上で歌うときの。

煌びやかなライトの下で、みんなに向ける笑顔とか。
429 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:33:27.36 ID:wZZZEODD0

「真美、作業は進んでるのか?」

「うん、今は小休止」


からからと網戸が開く音がして、汗を拭きながら兄ちゃんが出てきた。

兄ちゃんの部屋にも、真美の部屋と同じように段ボールの山。

というか、真美より多い。


「俺も休憩しよっと。昼飯は?」

「亜美が今持ってきてくれてる」

「なら俺も一緒に食べようかな」


そんな話をしていると、亜美がクリームパン片手にやってきた。

そして、私たちを見るや否や……。


「ふぉっふぉっふぉ、お二人でごゆっくりー」

「茶化すなー!」


パンを私に手渡すと、ニタニタ笑いながら部屋へと戻っていった。
430 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:34:07.86 ID:wZZZEODD0

「このベランダにもお世話になったなあ」

「ね。思い出の中にはいっつも、どこかにこのベランダがいるんだよ」

「名残惜しいか?」

「……ちょっぴり」


実は私、しばらく前にアイドル引退したんだ。

芸能界には残ってて、バラエティに出たり、時々歌ったりはするけど。

フツーの女の子に戻りまーす!って言うの、ちょっと夢だったんだよね。
431 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:34:45.98 ID:wZZZEODD0

生まれ育った部屋ともお別れ。

そういえば、兄ちゃんはいつからこの部屋に住んでたんだろ?


「俺? 高校の時からだから……」


ひー、ふー、みー……と数える兄ちゃん。

そっか、お部屋歴は私の方がちょっと長いんだ。

少し勝った気分。

ふふん。
432 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:37:03.06 ID:wZZZEODD0

「でもアイドル、本当に辞めてよかったのか?」

「こーゆーことになったし、ケジメつけんことにはおさまりつかんですよ」

「お前、また仁義ない戦いのDVD観てたな?」

「アレ何度観ても千早お姉ちゃんが格好良すぎんだもん」


真美も結構活躍するし。


じりじりと照る日に当てられて、汗が滲む。

話の途中でよっこいしょ、とじじむさい言葉とともに兄ちゃんが部屋に入った。

そして戻ってきたとき、手に持ってたのは……。
433 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:38:28.20 ID:wZZZEODD0

「ぬぉあーー! シャリシャリくんだーーー!!!」

「そういうとこはまだちょっとお子さまだな」

「うるへー、甘味は正義っしょ!?」

「それには全く同意です」


二人でしゃりしゃり。

アイスをしゃりしゃり。


「本当に、部屋にもアイドルにも、心残りはないか?」

「ない……って言ったら、嘘になるよ」


でもね。


「でも、変わっていくモノもある、でしょ?」

「変わらないモノもある、けどな」


うるさかったはずの蝉の声も心地よくなってきて。

アイスも食べ終わって。

ちょっと汗がにじんでる、兄ちゃんの肩にこてん。


「眠くなったのか?」

「うん……」

「疲れてお昼寝とは……いつから変わってないというか」

「違うよ、兄ちゃんの肩が悪いんだもん……」


いつの季節も、ここは私の特等席。

暖かくて、涼しくて。

そして、とっても安心できる場所。

だからつい、うとうととして――。
434 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:38:55.93 ID:wZZZEODD0

「こらああああ亜美にばっか働かせていちゃいちゃすんなあああああああ!!!!」

「ひゃいっ!!!」

「すんませんっ!」


亜美の怒声で、二人そろってビクッと飛び跳ねる。


「亜美隊長、すぐに作業に戻るであります!」

「引っ越し屋さんもうすぐ来ちゃうんだかんね! 兄ちゃんもすぐ甘やかさない!」

「かしこまりました!!」


すっかり鬼軍曹がうつってきた亜美に怒られちゃった。

でもこれは確かに申し訳ない。

亜美は引っ越す訳じゃないのにね。

手伝ってもらってる立場でごめんなさい……。
435 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:43:05.06 ID:wZZZEODD0

そんなこんなで、ギリギリで荷造りを終えた途端、ちょうどやってきた引っ越し屋さん。

荷物を運び出してもらってる間、白い原液を薄めて飲むアレを飲みながら三人でだべってた。


「新居はどんなとこなの?」

「ここと似てるかも。でも割と築浅」

「ずっこいなー、亜美もそろそろ新しいとこ住みたいー」


亜美がぶーたれた。

底に残った濃いめの部分をじゅるじゅるとストローですすりながら。
436 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:45:33.03 ID:wZZZEODD0

「そろそろ一人暮らししてみてもいいんじゃないか?」

「兄ちゃんがそれ言うのズルくない!? 亜美だって二人がいいよー!」

「おや、こりゃ失礼」

「そりゃさ、一人暮らしもいいよ。でも亜美だってイイ人と一緒に同棲とかしたいー!」


今度はクッションを抱えてじたばたじたばた。


「亜美さんや、アイドルはファンのためにだねえ」

「くそぅ、これまでの数年を週刊誌にバラしてやる……」

「亜美、それはやめてくれ」

「私にはもうあんまダメージないけど」

「俺の仕事に支障が出かねないんだよ!」


確かに、小学生アイドルに唾付けて源氏物語しちゃうプロデューサーだとねえ……。

研修生の子の親とか心配しちゃうよね。
437 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:46:59.38 ID:wZZZEODD0

まぁここまででバレバレだと思うけどさ。


私と兄ちゃん、同棲することにしたんだ。


三年ばかりの交際期間を経て、ようやく兄ちゃんも重い腰を上げたようで。

パパとママにご挨拶したんだよ。


『結婚を前提に、同棲することをお許しいただけませんでしょうか』


って、ビクビクしながら。

もっとビシっとカッコよく決めてほしかったんだけど。


そしたらパパとママ、ぽかんとしちゃってさ。

二人揃って、え、今更?って返事で。

あんときは一緒にいた亜美も含めて家族で、大爆笑だったよ。

兄ちゃん一人だけ、顔真っ赤で恥ずかしそうにしてたなー。

可愛かったなー、あのときの兄ちゃん。
438 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:47:55.60 ID:wZZZEODD0

そもそも恋人になった時点でさ、勿論、パパとママにも報告したよ。

二人とも私の気持ちは気付いてたからさ、ようやくか!って泣いちゃってさ。

あのときも兄ちゃん、オロオロしてたっけ。


そんな相手に今更、同棲だの結婚だの言って断られるかもとか思ってたのかな。

そーゆーとこ、兄ちゃんってちょっと杓子定規というか。

心配性というか。
439 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:48:43.41 ID:wZZZEODD0

引っ越し先は、ささやかなマンション。

お金は割と余裕あったけどさ、いきなしすんごい部屋に住むのもなんか違うかなって。


二人で色んな物件見て。

結局選んだのは、今住んでる部屋に似てる、ちょーどいい大きさの部屋。

でも一個だけ、絶対譲れない条件があってね。


綺麗で、二人で座れるベランダ!


これだけは、私と兄ちゃん二人とも、最初から絶対って決めてたんだ。

これから何回引っ越しするとしても、私たちの大切な場所は、必ず最優先にしようって。


同じ想いを持ってくれてるのは、やっぱり嬉しかったな。

440 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:49:38.98 ID:wZZZEODD0

そんなこと思い出してる間に、トラックへの積み込みも終わって。

いよいよ新居へ旅立つときがきた。


「それじゃー亜美、グッドラック!」

「亜美、手伝ってくれてありがとう。また事務所でな」

「お礼は期待してますぜー!」

「勿論、それなりのお礼はさせてもらうさ、これまでの分もな」


トラックの荷台に乗りながら、そんなやりとりをして。

引っ越し屋さんが、荷台のドアを閉じた。
441 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:50:56.97 ID:wZZZEODD0

中で、兄ちゃんと二人きり。


「私たちの同棲生活、どうなると思う?」

「これまでと対して変わらんだろ。わーきゃーして、時々喧嘩して、仲直りして、またわーきゃーして……」

「言っとくけど私、同棲で終わらせる気ないかんね。一生モノのカクゴしといてよ!」

「そんなんこっちだって同じだよ。一生放してたまるか」


……。

ぼぼんっ!

自分たちで言っておいて、直後に二人とも真っ赤になって爆発する。

いい加減初々しい時期、ってわけでもないのに。

こんなとこは変わらないんだね、ってのも、ちょっと幸せだよ。
442 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:51:29.02 ID:wZZZEODD0

新しい部屋での新生活。

そこで私は、何と出会って、どう変わっていくんだろう。


でもその隣にはいつも兄ちゃんがいて。

ベランダ一歩ではなくて、本当に一歩隣に兄ちゃんがいて。


同棲も始めるのに、兄ちゃん、って言うのも変なのかな。

これからは、名前で呼ぼうかな。

そんなところから、変わってみようかな。
443 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:52:49.14 ID:wZZZEODD0

「ねね」

「どうした?」


トラックのエンジン音がして、荷台もがたがたと揺れ始める。

私たちの新生活に向けて動きだそうとしている。

だから、新しい私の、第一歩として。


「ねぇ――」


兄ちゃんを、名前で呼んでみた。

したら兄ちゃん、みるみる顔が真っ赤になっていって。


「……ふぁいっ?!」


テンパった裏声で、驚きまくりながら返事をした。


んっふっふ、今回も一本取ってやった!

444 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:53:19.98 ID:wZZZEODD0

口をぱくぱくさせてから、何も言えずに、真っ赤な顔でうつむく。

そんなあなたも、私のモノだからね。


揺れが大きくなり、しばらくして静かになった。


「お、走り出した」

「新生活に向かって出発だね」

「ああ、家事とかの役割分担も決めないとな」

「うん」


一つ一つ、新生活のことを考えるだけで頬が緩んでくる。
445 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:53:57.26 ID:wZZZEODD0

目的地に着くまで、数十分。

時々揺れて、会話は途切れて。

二人きりの車内で身を寄せ合った。


暖かい体温。

好きな香り。

抱きしめてくれる温もり。

言葉がなくても伝わり合う、互いのココロ。


それだけの空間が、何よりも幸せ。

これが二人で、一緒にいるということ。


この人が、私のお隣さん。

446 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:54:28.60 ID:wZZZEODD0



「なぁ、真美」


「ん?」


「今年、お祭りいこうか。俺も浴衣着て」


「うん、行こ行こ!」


447 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:55:08.86 ID:wZZZEODD0



私は、幸せだよ。


だから同じように。


あなたのことも、絶対に幸せにしてあげるからね。


448 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:55:37.45 ID:wZZZEODD0



これから、ずっとずっと。


お隣さんだからね。


449 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:56:09.74 ID:wZZZEODD0



ずっと一緒だよ。


私の最愛の、お隣さん。


450 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:56:53.42 ID:wZZZEODD0



おしまい


451 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 00:59:24.68 ID:wZZZEODD0
以上で、ベランダ一歩、お隣さん、完結となります。

当投稿で初めて読んでいただいた方、ここまでお読みいただきありがとうございました。

数年前立てた当時、お読みいただいていた方、本当にお待たせしました。
すみませんでしたと同時に、また見つけて、ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

なんとか完結させることができ、本当に良かったです。
452 : ◆on5CJtpVEE [saga]:2019/06/25(火) 01:01:27.34 ID:wZZZEODD0
html化依頼を出して来ますが、もし感想とかあれば、書き込んでいって下さると本当にうれしいです。
まだ二つほどお待たせしてしまっているものもあるので、そちらもなんとかやっていきたいと思います。
改めて長い間、本当にありがとうございました。
453 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/25(火) 02:22:44.22 ID:aINdg2C+0
完走乙!
とても素晴らしいものを読めて心が浄化された
454 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/25(火) 04:38:05.42 ID:pl3wdoIl0
まとめられてたのを読んできた。めっちゃ良かったよ。にわかの俺でも真美という女の子が可愛くて仕方なくなった。是非また書いてくれ。
455 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/06/25(火) 07:41:23.04 ID:UGcRsnnZo
おつおつ!
待っていてよかったと思える作品でした
掛け値なしに
次も待ってる
456 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/25(火) 10:01:30.90 ID:s+UdCc49O
乙!
完結本当に嬉しいわ
年甲斐もなくキュンキュンした
457 : ◆on5CJtpVEE [sage]:2019/06/26(水) 21:06:33.72 ID:cvV4j1Nuo
>>453
なんとか完走できました
そう言っていただけると嬉しいです

>>454
真美チャンハ、カワイイデスヨ
にわかでもいいじゃないですか、ぜひ愛でましょう

>>455
本当にお待たせしました
次のは今回ほどゴールまで近くないのでまだしばらくかかってしまいますが、どうかよろしくお願いします

>>456
自分のことながら、完結できて本当に良かったです
というより、何年も経ってからまた目にしてくださる方が多過ぎて……
本当にありがとうございます
458 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/26(水) 21:18:41.51 ID:QV+bNNmt0
タイトルであれ?と思ったらあの時の人だったのか
完走おめでとう
これからゆっくり読ませて貰う
459 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/28(金) 23:31:26.18 ID:mBecOR/Qo
見覚えのあるスレタイだと思ったら復活だった
懐かしさと感動とむず痒さやらがごちゃ混ぜになって言葉に出来ないくらい良かった
乙そして最高の作品をありがとう
460 : ◆on5CJtpVEE [sage]:2019/06/29(土) 22:48:51.09 ID:E6mBL6LsO
>>458
ありがとうございます、なんとか完走できました
お読みいただければ幸いです

>>459
復活していました
読めてよかった、という感想をいただけると本当に嬉しいです
ありがとうございます
461 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/07/02(火) 08:20:48.56 ID:SvcZ00mu0
昨晩読み終わったけど偶然とはいえ
再び見つける事ができて良かったと
そう思えるくらい良いSSだった




またせすぎだぞコノヤロウ!
462 : ◆on5CJtpVEE [sage]:2019/07/02(火) 16:16:14.34 ID:uPsZPOU7o
>>461
本当にお待たせして申し訳ありませんでした
でも、再び見つけていただくことができて本当に良かったです
ありがとうございます
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