【バンドリ】さあやとサアヤの話

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/05/25(土) 10:32:40.47 ID:YWfCY9A20

よくある入れ替わりの話です。

小説版のネタバレ要素があります。

少し長いです。


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1558747960
2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:33:32.33 ID:YWfCY9A20

 1


 気が付くと彼女は電車の長椅子に座っていた。

 ガタンゴトンと、車両がレールのつなぎ目を超える音。それ以外に音はしない。窓の外からは眩いばかりの白い光が射しこんできていた。そのせいで外の風景は見えない。

 視線を左右に巡らせる。車内には彼女の他に人の姿がない。

 ガタンゴトン。

 幾度目かのその音を耳にしながら、彼女は考える。はて、どうして私は電車に乗っているんだろうか。

 学校へ行くため? いや、学校へは電車は使わない。

 じゃあどこかへ出かけるため? いや、そんな用事があっただろうか。

 そもそも、自分はいつ、どうやってこの電車に乗ったのか。それをまるで覚えていない。

 人のいない車両。まるでこの車内だけで世界が切り取られてしまったかのような空間。

 ふと、彼女は自分の対面の長椅子に人影が現れたことに気付く。

 窓からは変わらず白い光が射している。対面の人物も逆光になっているから、その姿は見えづらかった。

 眩い光に負けないように、目を凝らしてみる。あちらもそうしているのだろうか、逆光の黒い影がやや前かがみになっていた。

 ――もう少し、もう少しで見えそう。

 そう思ったところで、フッと白い光の中にその人物の姿がくっきりと浮かんだ。彼女はそれに驚いた。

 電車の長椅子。その対面には、まるで鏡を見ているかのように、自分の驚いた姿があった。

 え、なにこれ。

 思わず口から呟きが漏れたところで、彼女の視界はブラックアウトした。
3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:34:41.43 ID:YWfCY9A20

 2


「う、ん……」

 ベッドの枕元でけたたましいアラームの音が鳴っている。それに意識が段々とはっきりしてくるのを山吹沙綾は感じていた。

 目を瞑ったまま、枕元の音源に手を伸ばす。スマートフォンの感触が手にあった。手探りで端末のサイドボタンを探し、それを押し込んだ。アラーム音は止み、部屋の中には静寂が訪れる。

「んー……今日ってなんか予定あったっけ……」

 まだ目を開かないまま呟く。

 今日は日曜日。ポピパのみんなと遊びに行ったのは二学期が始まってから間もないことで、もう九月も終わる今週の休日は特に何も予定がなかったはずだ。そういえば昨日遅くまで香澄とメッセージのやり取りをしてたなぁ、その時に何か約束でもしたのかも。

 そう思い、沙綾は目を開く。薄ぼんやりとした視界が徐々に鮮明になっていく。

「えっ……?」

 そして部屋の景色がはっきりと見えるようになったところで、彼女の口から驚いたような呟きが漏れた。

 ガバッ、とベッドから身を起こす。そして室内を見回す。そこは見慣れた自分の部屋ではなかった。
4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:35:23.39 ID:YWfCY9A20

「えっ!?」

 基本的な部屋の間取りは同じだけど、置いた覚えのないものがやたらと目に付く。

 それはアコースティックギターだったり、壁に貼られたロックバンドのポスターだったり、ベッドの枕元に置かれた三つの時計だったり……とにかく、自分の部屋とは似ているけれど、確実に自分の部屋ではない場所で沙綾は眠っていたのだった。

「…………」

 言葉が出ない。私はどうして知らない部屋にいるんだろう、眠っている間に何があったんだろう、そういえば変な夢を見たような気がする……と、関係のないことに思考が逸れ始めた時、

 ――ピピピ!

「わっ!?」

 手に持ったままだったスマートフォンが震え、何かの通知音を流す。よく見れば、その手にしている物も自分が持っている物と違うものだった。

 その画面にメッセージアプリの通知が表示されていた。

「……見ていいのかな、これ」

 明らかに自分の物ではないスマートフォン。だけど、いくら室内を見回してもその持ち主となる人物は沙綾以外見当たらない。状況がてんで分からないけれど……多分見てもいいんだろう。

 そう思ってアプリを開く。グループトーク……『ポピパ』。メッセージの送り主は……戸山香澄。見慣れた名前に少し安堵して、ちょっと落ち着いた。
5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:35:49.33 ID:YWfCY9A20

 自分が置かれている状況が全然飲み込めないけれど、とりあえずこのスマートフォンの持ち主の名前を調べよう。もしかしたら昨日、知らないうちにポピパかチスパの誰かの家に泊まるような流れになっていたのかもしれない……いや、冷静に考えるとここはほぼ見覚えがあるようでまったく無い部屋なんだけど、それはひとまず置いておこう。

 一つ息を吐いて、沙綾はアプリのプロフィールを開く。そして混乱した。画面には『山吹沙綾』という名前が表示されたからだった。

 沙綾はしばらく放心した。脳裏には次から次へと取り留めのない思考が浮かぶ。沙綾。うん、私は山吹沙綾。当たり前のことだ。じゃあこの部屋も沙綾のものであってスマートフォンも沙綾のものだから、つまり、そう、これは大掛かりなドッキリをポピパのみんなが仕掛けたのかな? あはは、みんな悪戯好きだなぁ……。

(いや、そんなことを考えてる場合じゃないでしょ)

 とにかく落ち着かなければならない。

 何がどうなっているかは分からないけれど、このスマートフォンが『山吹沙綾』のものだというのははっきりした。そしてこの部屋も『山吹沙綾』のものであるだろうことも分かった。よし、ここまで分かれば……うん……うん。

「つまりどういうことなの……?」

 やっぱり沙綾は何も分からなかった。

6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:36:26.84 ID:YWfCY9A20


 それから十分ほどあーでもないこーでもないと頭を悩ませて、最終的に沙綾が行きついたのは、誰かに電話をしてみよう、ということだった。

 幸い自分の……多分、自分のスマートフォンにはポピパのみんなの連絡先があった。チスパや他のバンドの人のは見当たらないけれど、とにかくポピパの連絡先さえあればどうにでもなるだろう。きっと。

「こういう時に頼れるのは……」

 消去法で考えてみよう。

 まず、おたえ。申し訳ないけど、こういう時にはまったく頼りにならない気がする。「起きたら知らない部屋に……? お泊りしたの? 私も行きたかったなぁ」なんて言われて話が噛み合わないだろう。

 次、りみりん。多分、私以上にテンパっちゃうと思う。もしかしたらアワアワするりみりんの声を聞けばそれで冷静になれるかもしれないけど、りみりんに変な心配をかけるのはちょっと申し訳ない。

 次、香澄。……真剣に話は聞いてくれそうだけど、なんだろう。解決に持っていけるビジョンが浮かばない。「よく分かんないけど、とりあえずさーやの家に行くね!」って言われそう。いやいや、起きたら自分の部屋じゃなかったから私は困惑しているわけで……。

 最後、有咲。

「……有咲だね」

 口では色々言うけど友達想いだし、こういう時も……香澄とおたえの天然な言葉じゃなきゃ、きっとすぐに信用して親身になってくれるだろう。何かいい助言を貰えるかもしれない。

 沙綾は一つ頷いて、有咲の連絡先を探す。
7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:37:14.79 ID:YWfCY9A20

「有咲……えーっと、市ヶ谷……あったあった」

 連絡先に市ヶ谷有咲の名前を見つけ、沙綾は発信ボタンをタップする。そしてスマートフォンを耳に当てる。呼び出し音が一回、ニ回、三回……そこで電話がつながる。

『はいはーい。おはよー、沙綾』

「あ、朝からごめんね?」

『ううん、別に。かすみんが早く来るって言ってたしね、あたしも早めに起きてたし』

「……?」

 電話越しの声は確かに有咲のものだった。けれど、なんだろう。拭えない違和感があった。

 かすみん、という呼び方。それが指す人物はきっと香澄のこと……だと思う。あの有咲がそんなあだ名で香澄のことを呼ぶだろうか。というか、いつもよりも随分と落ち着いた調子の声のような気もするし……。

『どうかしたの、沙綾?』

「あ、う、ううん、なんでも……」逸れかけた思考が有咲の声で軌道修正される。そうだ、今はそれよりも自分のことだ。「……いや、なんでもってことはないんだけどさ」

『え、何かあったの? 大丈夫? 家のこと?』

「え? いや、違……わないこともないけど、違うかなぁ?」

『……なによそれ。はぁ、まったく……ボケナスはりみだけで十分よ。おたえとかすみんも普段はアレだし、せめて沙綾だけはシャンとしてて欲しいわ』

「……うーん?」

 その言葉に違和感が拭いきれなくなってしまった。香澄とおたえに対してならともかく、りみに対して有咲が「ボケナス」などと言うことがあるだろうか。……あのテストの一件からりみに対してずっと優しくなった有咲が、こともあろうか「ボケナス」呼ばわりなんて……。
8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:38:03.20 ID:YWfCY9A20

『それで、どうしたのよ? 沙綾も時間、早くなったり遅くなったりするの?』

「……あー」

 電話越しの声を聞いて、沙綾は考える。拭えない違和感もあるけれど、とにかく有咲は有咲であって、ポピパのみんなの名前を口にしていた。なら、自分が今頼れる人物はこの有咲だけだろう。

 そう思って、口を開く。

「あの、さ。今からちょっと変なこと言うけど、信じてくれる?」

『……まぁ、よほど突拍子のないことじゃなきゃ信じるわよ?』

「そっか。じゃあ言うね?」これ、よほど突拍子のないことになるだろうなぁ……と思いながら、沙綾は続きの言葉を口にした。「なんていうか、起きたらまったく見知らぬ場所にいたんだけど、どうしたらいいと思う?」

『…………』

「…………」

『……はぁっ?』

 だよね、そういう反応になるよね。沙綾はそう思いつつ、言葉を続ける。

「その、本当なんだよ? 部屋の間取りは同じなんだけど、やたらと部屋に見慣れないものがあるっていうか、なんていうか……」

『もしかして寝ボケてる?』

「いや……ちゃんと起きてる……多分」

『あんたの家族構成は?』

「え? なんで今さら?」
9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:38:52.56 ID:YWfCY9A20

『いーからさっさと吐きなさい』

「……そりゃ、父さんと母さん、それに私と純と紗南だけど」

『オッケー、重症だわあんた。ちょっとその場に留まってなさい。今、自分の家よね?』

「えっ、あ、えーっと、多分?」

『ん。絶対その場を動かないこと。いいね。かすみんたちにはあたしから言っとくから、沙綾はその場で待機!』

「あ、うん」

『所要時間は……まぁそんなかかんないかな。ちゃんと大人しくしてるのよ。それじゃ』

 という言葉のあと、ブツッ、という音がスマートフォンから響く。

「……切れちゃった。大人しくしてろって言われたし……まぁ、今このワケ分かんない状況で部屋から出るのも怖いし……有咲が来るの待ってるしかないかぁ」

 でも、有咲の声を聞いたら少し落ち着いたな。沙綾はそう思い、見慣れないベッドに再び寝転がるのだった。

10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:39:50.33 ID:YWfCY9A20


 それから約二十分後のことだった。コンコン、という部屋の扉がノックされる慎ましい音を聞き、ぼんやりと物思いに耽っていた沙綾はベッドから身を起こす。

「えっと、どうぞ?」

 多分ここは自分の部屋なんだろうけど、まだイマイチ確証がもてなかった。曖昧な返事を扉にすると、すぐにガチャリとそれが開かれる。そして、

「さ、沙綾ちゃん、大丈夫!?」

「え?」

 パッと部屋に飛び込んできたのは、見覚えのない女の子だった。

 歳は沙綾と同じくらいだろうか。少し茶色がかった髪の毛は肩甲骨の辺りまで伸ばされていて、頭のてっぺんと耳との間くらいで、ネコミミのようにこんもりと丸く盛られていた。

 まるで香澄の髪型みたいだな、なんて思っていると、続いてもう一人の人間が部屋に入ってくる。

「あーもう、そんなに慌てなくても多分大丈夫よ。どうせ寝ぼけてるだけでしょ」

 やれやれ、と今にもため息を吐きそうな表情のその人物も、沙綾と同じくらいの歳の女の子だった。綺麗な金色の髪をツインテールで括っていて、前髪は眉毛の上あたりで切り揃えられている。肌の色も白くて綺麗だ。

「ど、どこか調子悪い……? 熱とかない? 大丈夫?」

「え、えっと……?」

 香澄に似た髪型をした女の子は、愁眉をあつめた顔で沙綾に詰め寄る。それに沙綾が困惑したような態度で返すと、いよいよ泣き出してしまいそうに顔が歪んでいく。

「はいはい、心配なのは分かるけど詰め寄んないの。ごめんね、騒がしいのを連れてきちゃって。本当はあたし一人で来るつもりだったんだけど途中にバッタリかすみんと出くわしちゃってさ」

 そんな女の子の首根っこを捕まえて、今度は有咲に少し似た女の子が沙綾の前に躍り出た。それにもやっぱり沙綾は首を傾げるしかなかった。
11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:40:26.05 ID:YWfCY9A20

「んで、沙綾」

「あ、はい」

「…………」

「…………」

 淡い緑に近い色をした双眸が沙綾を射抜く。沙綾は『そういえば私、パジャマ姿だったな』なんて今さらのように自分の身なりが気になりだす。

「……沙綾よね?」

「えっと、うん。私は山吹沙綾だけど」

 せめて髪の毛くらい括ろうか、と思ったところで、金髪ツインテールからそんな言葉を投げかけられ、沙綾は曖昧に頷く。

「ふぅん……」それを見て金髪ツインテールっ子は少し何かを考えるような顔をした後、再び口を開いた。「質問。あなたの家のパン屋さんの名前は?」

「え?」

「いいから答えて」

「あ、えっと、やまぶきベーカリー?」

 何を当たり前のことを聞いているんだ、と思いつつ沙綾が答えを返すと、どうしてか香澄に似た女の子がくしゃりと更に泣きそうな顔になった。
12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:41:29.81 ID:YWfCY9A20

「兄弟の名前は?」

「……弟が純で、その下の妹が紗南」

 それに首を傾げながら、沙綾は質問に答える。

「通ってる学校の名前は? 全日制? 夜間?」

「花咲川女子学園で、全日制だけど」

「……あなたが所属してるバンドは? 何を担当してる?」

「Poppin'Party、ドラム担当」

「りみはあんたのことをなんて呼んでる?」

「りみりん? 普通に沙綾ちゃんだけど」

「……おたえは?」

「沙綾」

「…………」

「……あの」

「最後。かすみんがあんたと出会ったきっかけは?」

「え?」

「かすみんよ、戸山香澄。ほら、そこにいるでしょ」

 言われて金髪ツインテールの指さした方を見ると、もう涙が今にも零れてしまいそうなほど瞳に溜まったネコミミ――いや、確かアレは香澄曰く星だったな――の少女がいた。

「香澄と私がって……入学式の日に、偶然ぶつかっちゃったのがきっかけだけど……」

「っ……!」

「え!?」

 そう言い終わるが早いか否か、とうとうネコミミ少女の瞳からポロリと涙が落ちた。それに沙綾は戸惑う。何かこの子を傷付けることを言ってしまっただろうか、どうしよう、謝った方がいいのかな、でも何を謝れば……。
13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:42:04.57 ID:YWfCY9A20

「それで、あんたさ」

 戸惑う沙綾、涙を流すネコミミ少女。その二人と対照的に、金髪ツインテールは何も変わらない調子で言葉を続ける。

「今日、起きてから鏡とか見た?」

「か、鏡? 見てないけど」

「そう。じゃあこれ。あたしの手鏡、ちょっと覗き込んでみて」

「え、でも……」

「いーから」

「……分かったよ」

 傍で涙を流す少女を放っておくのは心苦しい。けれど、金髪ツインテールからの強い言葉に不承不承、沙綾は差し出された手鏡を覗き込む。そして驚いた。

「……誰これ」

 手鏡に映っていたのは、淡い亜麻色に近い髪の毛をした、どことなく山吹沙綾に似たような、見たことのない顔だった。
14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:42:38.34 ID:YWfCY9A20

「……はぁー……なんとなく分かった」

「え、何が……?」

「沙綾がどうなったのかが。ほんと、ジョーシキで考えたら有り得ないことだけど」

「え、本当?」

「ええ」

「そうなの? えーっと……」

「有咲。市ヶ谷有咲」

「あ、やっぱり有咲なんだ……。じゃあ、こっちの子が……香澄」

「さぁやちゃぁぁん……えぐっ、ぐす……」

「なんでかすみんはそんな泣いてんのよ」

「だってぇ……沙綾ちゃんがぁ……」

「大丈夫よ、あんたが考えてるだろう笑える悲劇は多分ないわよ」

「ほんと……?」

「ええ。別に病気になったり頭パッパラパーになったりした訳じゃないわ。ほら、昨日みんなで話してたでしょ?」

「昨日の話?」と、沙綾とトヤマカスミの声が被る。

「そう。そっちのサアヤは知らないだろうけど、たらればの話。もしも生まれ変われるならみんなはどうしたい? って」

「うん……話した」
15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:43:36.53 ID:YWfCY9A20

「そんで、多分、だけど」

「うん」と、再び沙綾とカスミの声が被る。

「どうしてそうなってるとか、なんでこうなったとか、そんなのは分かんないけど……今ここにいる山吹沙綾は、きっとそんな『たられば』の世界の沙綾なんじゃない?」

「……はぁ?」

「……えっと?」

 いまいちピンと来なかった沙綾は首を傾げた。床にへたり込んでいたカスミも同じように首を傾げる。

「だから……えぇっと、並行世界……パラレルワールドって分かる?」

「SF映画とかであるような?」

「そう、それ」

「え、えっと……?」

「かすみんは分かってないみたいね……。簡単に言うと、ここではない別の世界のことよ」

「う、うん……?」

 その言葉を聞いたカスミは、曖昧な声を出しながらなんとなく、という風に頷いた。本当に香澄なのかな、この子……と沙綾が思う横で、アリサは大仰なため息を吐き出す。

「絶対分かってないわね……。それじゃあこう! このただっぴろい宇宙のどっかに地球と似た星があって、そこにはあたしたちに似てるけど、全然まったく違うあたしたちがいるかもってこと!」

「……なんとなく分かった……と思う」
16 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:44:48.91 ID:YWfCY9A20

「ん。そんで、この沙綾の中にいるのはその世界の沙綾なんじゃない? ってことよ」

「…………」

「…………」

 アリサからの言葉を受けて、沙綾とカスミはしばらく黙り込み、それからしばらくして、「ええ!?」という驚きの声を同時に上げた。

「えーっと、つまり私は何らかの原因で違うポピパのみんながいる世界に来ちゃったってこと……? でもどうして……」

「さ、沙綾ちゃんは!? わたしたちの知ってる沙綾ちゃんは無事なの!?」

「あたしが聞きたいわよ、両方とも。とりあえず落ち着きなさい、かすみん」

 独り言のように呟いた沙綾と詰め寄ってきたカスミに対して、アリサは呆れたような口調でそう返す。

「それで……サアヤ」

「あ、うん、なに?」

「……意外と落ち着いてるわね、あんた」

「うーん、落ち着いてるっていうか……未だに私自身、そのパラレルワールド? っていうのに実感がないっていうか……」

「そう。まぁ取り乱して暴れたりって方が厄介だしその方がいいわ」コホン、とアリサは一つ咳ばらいをする。「それで、これはあたしの勝手な推測なんだけど」

「うん」

「多分、こっちの沙綾とあっちのサアヤ……つまり、あんたね。この二人が入れ替わっちゃったんじゃない?」
17 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:45:51.39 ID:YWfCY9A20

「え、どうして!?」と、驚いたような声を出したのはカスミだった。

「たらればの話なんてしたせいでそれが本当になっちゃった……とか? まぁ憶測よ、憶測。こういう映画やドラマのストーリーなんてそういうもんだし。なんか心当たりとかない、サアヤ?」

 アリサの言葉を聞いて、沙綾は考える。昨日していたことはお店の手伝いと、それから夜遅くまで香澄とメッセージのやり取りをしていたこと。あとは……

「夢……」

「ん?」

「そういえば、変な夢……見たなって」

「どんな夢?」

「えーっと、なんだろう……人が全然乗ってない電車に乗ってて、それでいつの間にか対面に人が座ってて……よく見るとそれが自分自身で、鏡を見てるみたいにびっくりした顔でお互いを見合ってた……って夢?」

「……変な夢、だね……」

「うん……」
18 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:46:29.54 ID:YWfCY9A20

「まー夢なんてそんなもんでしょ。でも、それが何らかの形で関係してるなら、本当に入れ替わってそうね」

「そうかなぁ……?」

 と首を傾げたカスミにアリサは向き直り、ピッと人差し指を立てる。

「そうよ、かすみん。いーい? まず、ここにいるサアヤはその夢で自分の姿を見たのよね?」

「うん、そうだね」

「ということは、もうその時には入れ替わってたのよ。だからあんたは自分の姿が目の前にあって、そんでこっちの世界の沙綾も同じく、対面に自分の姿を見て驚いた……ってワケ」

「あー……それなら辻褄が合う、かも?」

「フツーに考えたらありえない空想だけどね。でも、サアヤが嘘をついてるようには見えないし、多分そんな風になってるんじゃない?」

「なるほど……大丈夫かなぁ、入れ替わっちゃったもう一人の私」

 顎に指を付け、まるで他人事のように呟く沙綾。それを見たアリサは大きなため息を吐き出した。

「あんた、ホント余裕綽々ね。自分の状況分かってるの? 元に戻れる保証も何もないのよ?」

「ううん、分かってないと思う。未だに全然実感ないし、本当に他人事みたいに思えるし。けど、焦ってもどうしようもないのかなぁって思ってさ」

「そ。そりゃ賢明なことで」
19 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:47:10.10 ID:YWfCY9A20

「こんなに落ち着いてられるのもアリサちゃんのおかげだよ。ありがとね、親身になって話を聞いてくれて」

「……別に。沙綾に……あんたじゃないわよ? あたしたちが知ってる沙綾の方だからね? ……えっと、つまり、そう、沙綾に何かあったんじゃかすみんもみんなも悲しむからね。それだけなんだから」

「…………」

「なによ、そんなじっと見つめてきて」

「あ、ごめん。やっぱりどこの世界の有咲も有咲なのかなぁって思って」

「はぁ?」

 アリサは少し肩を怒らせ、沙綾をねめつける。その姿に『やっぱり有咲っぽいなぁ』とますます沙綾は感じて思わず頬が綻ぶ。アリサは面白くなさそうな顔をして、ツインテールを靡かせながらそっぽを向いた。……ほんと有咲っぽいなぁ、この子。

「えっと……その、サアヤちゃん?」

 そんな2人のやり取りを黙って眺めていたカスミがおずおずと声を出す。

「うん、なに……えーっと、カスミちゃん?」

「あの、その……」

「…………」

 返事をすると、カスミはおっかなびっくりという様子で視線をあちらこちらに彷徨わせ、何か言葉を探しているようだった。沙綾はそれを黙ったまま見守る。
20 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:47:43.77 ID:YWfCY9A20

「そ、その……あのね?」

「うん」

「あの……サアヤちゃんはこれからどうするの……?」

「これから……あーそっか、こっちの世界の私になっちゃってるんだもんね」

「う、うん……」

「うーん、学校とかサボっちゃったら元に戻った時に苦労するだろうし……しばらくはこっちの私がしてたように生活するしかない、かなぁ」

「……その、平気? 沙綾ちゃん、お店の手伝いに弟たちの送り迎え、定時制の学校に通って、ポピパの練習とかもしてるけど……」

「多分平気……だけど、ちょっとお願いしてもいいかな?」

「え、な、なにを?」

「こっちの私がやってることは大体私もやってるんだけどさ、どの時間にどのことをやってたとか、そういうの。分かる範囲でいいから教えてくれないかな?」

「う、うん、それくらいなら……!」

「ありがと、カスミちゃん」

「ううん、これも沙綾ちゃんと……えっと、サアヤちゃんの為だから、頑張って教えるね?」

 そう言って、カスミは優しく微笑む。……カスミちゃんは香澄と随分違うんだなぁ、きっとこれ以上のギャップはないでしょう、なんて沙綾はぼんやりと考えた。

21 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:48:22.77 ID:YWfCY9A20


 なんて、つい一時間前に考えたことを、アリサの蔵に連れてこられた沙綾はあっけなく打ち砕かれた。

「ほうほうほう。つまり変わり身のジュツ、ということだな。サスガ獅子メタル殿。やることが一味違う。うちのニンジュツ・カワリックマよりも高度なジュツだ」

「え、あの、えっと……沙綾センパイがサアヤセンパイってことは……え、じゃあつまり見知らぬ人と同義ってことっすか……?」

「…………」

 目の前で興味深そうな顔をして沙綾の顔を覗き込む人物。ピンクの髪留めで小さくサイドポニーを作った、何故か裸足で何故か忍者みたいに両手で印を結ぶ背の小さな女の子。

 それとどうしてか怯えるように沙綾から距離を取り、カスミの背に隠れるようにビクビクしている、手足がスラリとしていて長い髪が綺麗な女の子。

「え、本当にりみりんとおたえ……?」

 前者が牛込りみで、後者が花園たえ……と説明された沙綾はそう呟くことしかできなかった。
22 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:49:26.63 ID:YWfCY9A20

「だからそう言ったじゃない。そっちの裸足の貧乏エセニンジャがりみで、かすみんの背中に隠れてるコミュ障がおたえ」

「クラベン系女子が人を指してコミュ障などど言うとはコッケイであるな。ぷ、ぷ」

「うっさい。ほら、おたえもいい加減、かすみんを隠れ蓑にしない」

「む、む、無理っす! いきなりそんな、沙綾センパイの中身が入れ変わっちゃったって……自分、不器用なんで!」

「あ、あの、たえちゃん……そんなにギュって掴まれると洋服に皺が……」

「ああっ! ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 アリサに真っ向から向かって憎まれ口を叩くリミ。カスミの背中から一向に出てくる気配がなく、謝ってばかりのタエ。

「……ええ?」

 困惑した声を上げながら、はっきりと沙綾は実感した。ここは自分の知っている世界ではないんだ、と。今さら感じたそれにやや焦りが募る。

「サアヤちゃん、大丈夫……? 顔色がちょっと……」

「あ、う、ううん、大丈夫だよ」

「……やっと実感が出てきたのかしらね」

「まぁ……うん、そんな感じ?」

 やれやれ、と言った様子でアリサは肩をすくめる。しかしその表情にはどこか安心したような色が含まれていた。
23 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:51:09.71 ID:YWfCY9A20

「どうしたベンケー殿。いつにも増して変な顔になっているぞ」

「どういう意味よそれ」

「そのままの意味である」

「そ、う、で、す、かっ。それは悪かったわねっ」リミに対してわざとらしい口調でそう言ってから、アリサは沙綾に向き直る。「その、あたしが安心したのはね、あんたがどこかおかしくなってたりしないかちょっと心配だったから。別に変な意味はないわよ」

「あ、うん……」

「あっ、でも心配って言ったってあんたの為だけの心配じゃないからね? もしもおかしくなっててあたしたちに危害を加えようとしたりしたら、っていう心配もあったんだから」

「……これがツンデレってやつっすね」

「何か言った?」

 まくし立てる様に言い訳がましいことを放ったアリサに、タエがぽつりと言葉を漏らす。そしてキッと金髪ツインテールに睨まれたタエは、さらにカスミの背に縮こまって隠れてしまった。その様子に、沙綾は少し強張っていた身体から力が抜けた。
24 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:51:48.01 ID:YWfCY9A20

「ベンケー殿のツンデレニズムはさておき、要するに、獅子メタル殿は獅子メタル殿として獅子メタル殿の生活を送るということだな」

「えっと……ややこしいけど、そういうことなのかな?」

「ふむ……」カスミの同意を得て、リミは少し思案顔になってから再び口を開く。「実はな、獅子メタル殿……あいや、ここは何か別の名前で呼んだ方がいいかもしらん。獅子メタル殿はあちらの世界での趣味はなんだったのだ?」

「趣味……ヘアアクセ集め、カラオケ、野球観戦、かなぁ?」

 リミに――目の前の女の子をりみりんだと思うのに非常に大きな抵抗があるのだが、それは置いておいて――尋ねられ、沙綾はそう答える。

「ほうほう。野球がお好きと。結構。では当然贔屓球団は関西の球団ということに……」

「え、いや、別にどこが好きとかはない、かなぁ。弟が好きで、その付き添いでテレビ見たり球場に行くってことが多いし……強いて言うならウチから一番近い神宮の球団かな」

「なんでやねん! はーもうアカンわ。いつになったら大阪の球団のファンは増えるねん」

「……大阪の方なんだ」

「当たり前や。関西人がみんな甲子園球場に憧れ抱くと思うとったら大間違いや。本拠地かてなぁ、『いつ見てもガラガラやー』なんて心無い人が言いよるけどなぁ、縦縞の試合やなくとも年に三、四回くらいは……あとはオールスターでもやれば満員になんねん! 立地もええし!」

「…………」

 先ほどの古風な喋り方と一転、隠すことのない早口の関西弁を浴びせられて、ますます沙綾の中のりみりんとリミの印象が離れていく。凄まじいばかりのギャップに眩暈さえしそうだった。
25 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:52:44.43 ID:YWfCY9A20

「……あんた、何の話してんのよ」

「む、すまぬ。つい」アリサに呆れ半分のツッコミを入れられ、リミは元の口調に戻る。「ヘアアクセ集めが趣味……ポニーテールにシュシュ……ではシュシュ殿だな」

「あ、うん」

「それでシュシュ殿。……何の話やっけ?」

「それは私が聞きたいかなぁ……」

「え、えっと、サアヤちゃんは沙綾ちゃんとして生活をするって話だったんじゃないかな……」

 とカスミから遠慮がちな声を送られて、リミはポンと一つ手を打つ。

「そうだそうだ。流石師匠、頼りになる」

「そ、そう? えへへ」

「それで、シュシュ殿」

「う、うん」

「何を隠そう獅子メタル殿はな、毎回うちの為にヤマブキパンのパンを持ってきてくれていたのだ」

「……そうなの?」と、沙綾はリミではなくアリサに尋ねる。

「待て。どうしてうちではなくベンケー殿に聞く」

「持ってきてくれることはあるけど毎回じゃないわよ。あとりみだけの為でもないわね」

「うん、分かった。それじゃあ、たまに持ってくるね?」

「……ならばよし!」

 対応にやや文句ありげなリミだったが、沙綾の言葉を聞いて満足そうに頷く。……なんだろう、この子。おたえとモカを足して二乗したくらい変わった子だ。
26 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:53:39.72 ID:YWfCY9A20

「あ、あの……」

 リミに対してそんな印象を抱いていると、まだカスミの背に隠れたままのタエがおずおずと沙綾に声をかけた。

「どうしたの、えっと、タエ……ちゃん?」

 この子もおたえと絶対に印象が重ならないな、と思いつつ、驚かせないように意識して優しい声で言葉を返す。

「は、はい。その、サアヤセンパイさんって、バンドはやっていたんですよね?」

「うん。今はポピパで、あとは昔にチスパってバンドでドラムやってるよ」

「……そこも沙綾ちゃんと一緒なんだ」

「っすね」

「それがどうかした?」

「あ、いえ、自分たちもバンドやってますから……その、曲とかってどうなんすか? やっぱり自分たちとは全然違う曲ばっかりやってるんすかね……?」

「……そうね。そこもちょっと考えないとね」タエの言葉を受けて、アリサが頷く。「えーっと、スコアは……あった。はい、サアヤ。私たちがやってるオリジナル曲だけど、見覚えはある?」

 手渡されたスコアのタイトルに目を通す。『Yes!BanG_Dream!』、『STAR BEAT! 〜ホシノコドウ〜』(そのタイトルの上に『小心者のテーマ』という文字が二重線で消されていた)、『ティアドロップス』、『トゥインクル・スターダスト』、『ぽっぴん’しゃっふる』、『夏空 SUN!SUN!SEVEN!』、『走り始めたばかりのキミに』……
27 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:54:29.83 ID:YWfCY9A20

「……うん、『トゥインクル・スターダスト』以外はポピパで叩いた曲だね」

「え……わたしの最初の歌……」とどこかショックを受けた風なカスミを横目に、タエが安心したようにホッと息を吐き出す。

「それならよかったっす。実は来月辺りにライブをしようって話になってて……まだ先のことで色々未定なんすけど、練習が出来ないと不安で……あっ、いやっ、すいません! サアヤセンパイさんはそんな場合じゃないですよね!? ごめんなさい、軽はずみなこと言ってスミマセン!」

「う、ううん、大丈夫だよ」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 見ているこちらが恐縮するくらいに縮こまって謝るタエを前に、沙綾はぼんやりと『麻弥さんを弱気にしたみたいな子だなぁ』なんて思った。

「あとはかすみんが今新曲を作ってて……って、まぁライブのことは今はどうでもいいわね。とにかく、サアヤ」

「うん」

「いつ戻れるか……いや、そもそも本当に戻れるかなんて分かんないけど、とにかくこっちの沙綾のことをあたしたちが知ってる範囲で教えるわね」

「分かった。よろしくお願いします」

 本当に戻れるか分かんないけど。その言葉が少しだけ心に引っかかるけれど、今そんなことを気にしていても仕方がないだろう。

 もしかしたら今日眠って明日目覚めれば元の世界に戻っているかもしれないし、明日じゃなくたってふとした時に戻れるのかもしれない。今はそう考えていた方がいい。

 自分の知っているPoppin'Partyの面々とは幾分か(約二名はとても大きく)違った女の子たちから話を聞きつつ、沙綾はそんなことを考えるのだった。

28 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:56:03.10 ID:YWfCY9A20


「朝はパンの仕込み、それから三つ子の弟を幼稚園に送って、ウチの手伝い……」

 この世界の山吹沙綾のことを教えてもらった夜。沙綾は自室でスマートフォンのToDoリストを眺めながら、自分ではない自分の一日の予定を確認していた。

 大体のやることはいつもの自分とさほど変わらない。けれど、大きく変わっている状況はあった。

 店番なんて一切出来ない幼い三つ子の弟。定時制の花咲川高校に通うこと。そしてなにより……

(母さん、いないんだ……)

 この世界のPoppin'Partyのみんなに聞いた話の中で、一番衝撃が大きかったのがそのことだった。

 さらに、Poppin'Partyの前のバンド――カスミちゃんたちは名前を知らないみたいだけど、私で言うチスパにあたるバンドだろう――で参加したコンクール。その決勝戦の時に、父が倒れて、サアヤはドラムを叩けなかった。

「…………」

 その時の彼女の心情を慮ると、深い悲しさと寂しさが心に影を落とす。

 既に母を病気で亡くしている。弟たちは店の手伝いどころか電話すら出来ないほど幼い。ライブだって地元のお祭りなんかじゃなくて、コンクールの決勝戦。そこで、家の唯一の柱である父親が倒れた。
29 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:56:31.46 ID:YWfCY9A20

「私なんかと比べ物になんないなぁ……」

 沙綾もサアヤと似たような境遇を経て、香澄たちに出会って、そして夢を分け合った。だけどそれは似ているだけで、境遇の重さから言えばサアヤの足元にも及ばないだろう。

 もしも私がまったく同じ状況になったら、と考えて、涙が零れそうだからすぐに止めた。

 病弱なのに台所に立って家事をやって、辛くてもそれを隠していつも優しく笑う母親。その存在を失うというだけで立ち直れるか分からないほどの傷を負うだろう。

 いつも明るくて優しいPoppin'Partyの親友たち。彼女たちがいればその傷にも耐えられて、乗り越えられるかもしれない。けど、一人だけ定時制に通うのであれば、心の拠り所になるその温かさに触れられるのは限られた時間だけになる。

 そんな中で、幼い弟たちの面倒を見て、無理が祟ってまたいつ倒れるとも分からない父親にお店を任せて、バンド活動をする。
30 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:57:00.34 ID:YWfCY9A20

「私には無理かも……」

 その決断に至るまでの詳しい経緯を沙綾は知らないけれど、もし自分がまったく同じ立場になったらバンド活動に精を出すことなんて出来そうにもない。この世界の山吹沙綾はきっとものすごく強い女の子なんだろう。

(でも、今は私がその“山吹沙綾”なんだから)

 突飛もない出来事だけど、家族も、香澄も有咲もりみりんもおたえも、何もかもが違う世界に来てしまったことは確かな現実だ。いつになるのか分からないけど、そもそもアリサの言う通り戻れるのかどうかなんて保証は一切ないけれど、いつか自分よりずっと強いであろうサアヤがこの世界に戻った時の為だ。泣きごとばかりを言って自分ではない自分に迷惑をかけるわけにはいかない。気合を入れなくちゃ。

「ちゃんとやることを覚えておかないと……」

 そう思い呟きながら、それでもそれがただの虚勢だと沙綾は自覚していた。

31 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:57:43.85 ID:YWfCY9A20


 いくら願っていても明けない夜はない。見慣れない自室の奇妙な居心地の悪さに寝苦しい思いをしながらも、太陽は東の空から昇ってくる。

 昨日と同じようにスマートフォンのアラームに起こされた沙綾は、部屋の中を見回して、やっぱり自分が違う世界にいるんだということを否応なく突き付けられた。

「……はぁ」

 今日は、昨日のような変な夢は見なかった。もしかしたらその夢を見れていたら元の世界で目覚められただろうか。そんな栓のない思考がぐるりと頭を一巡りしたところで、ため息を吐き出す。

 アリサの言葉の通り、どうしてそうなってるかも分からない、フツーに考えたら有り得ない空想。けど、こうして見慣れない部屋でヤマブキサアヤになっている山吹沙綾がいるのは紛れもない現実だ。

 二十四時間前の私は割と呑気に事の次第を受け止めていた。だけどサアヤの境遇を聞いて、こうしてサアヤとして何ともない一日を過ごすんだ、と思うと心に重いものがのしかかってくる。

「……頑張らなくちゃ」

 それでも逃げるわけにはいかない。沙綾は深呼吸をして、空元気を身体中に巡らせる。

 まずやることは父さんとパンの仕込み。それから三つ子の弟たちを起こして、幼稚園へ送っていく。

「よしっ」

 やまぶきベーカリーではなくヤマブキパン。純と紗南ではなく陸くん、海くん、空くん。いや、弟にくん付けはおかしいか。

 夕飯や簡単な店の手伝いの時など、昨日はややぎこちない対応をして父さんに心配されたけど、今日はそんなことがないようにしなくちゃ。そう思って、沙綾は洗面所へ身支度をしに向かった。

32 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:58:33.88 ID:YWfCY9A20


 見慣れない店で慣れたことをやって、見慣れない弟たちを見慣れない道を通って幼稚園へ送迎して、少し父親と違った父親にやたらと気遣われているうちに学校へ向かう時間になった。

 沙綾は慣れないブレザーに袖を通し、カスミたちに教えてもらった花咲川高校の自分の教室を目指して歩を進める。

 アリサの蔵への行き帰り、弟たちの送り迎えくらいでしか外の景色を見ていないけれど、花咲川の街並みはどれも自分が知っているものと微妙に違っていた。

 商店街で言えばやまぶきベーカリーの真向かいにあった羽沢珈琲店は床屋になっていて、はす向かいの北沢精肉店は八百屋さんに。花咲川女子学園への通学路に沿っていた花咲川はやや離れた場所に流れている。

 教えてもらった学校の住所を慣れないスマートフォンのマップアプリに打ち込んで、辺りをキョロキョロと見回しながら歩く。

 季節は秋の中頃。肌を撫でる風はめっきり冷たくなった。キンモクセイの香りもだんだん遠のいてきた。

 それらに郷愁的な気持ちが煽られる。元の世界でも似たような気持ちにはなっただろうけど、今この状況で感じるノスタルジーには無視できない不安や焦りの色が滲んでいるような気がした。どちらかというとホームシックと言うべきだろうか。

 不意に吹いた強めの横風にポニーテールが靡く。その髪を束ねているのも、あまり自分が付けない淡い緑をした水玉模様のリボンだった。
33 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 10:59:34.78 ID:YWfCY9A20

「……ここが花咲川高校」

 迷子のような気持ちで学校へたどり着く。そこもやっぱり自分が見慣れたものとは幾分か違うところだった。

 校庭で部活動に勤しむ生徒、または中庭に設けられたベンチでお喋りに花を咲かせる生徒たちを横目に、沙綾は昇降口へ向かう。そしてローファーから上履きに履き替えて、自分のであり、カスミとアリサとリミのであるという教室へたどり着く。窓際の最後尾。そこが昼間はカスミの席で、定時制のサアヤの座席だと聞いていた。

 そこへ鞄を置き、席に座る。それから改めて教室の中を見回す。

 人はまばらだった。定時制の授業は十七時半から開始で、今はその十五分前。この教室の席は三分の一ほどしか埋まっていない。流石にもう少しすれば人も増えそうだけど、この教室の空席が全て埋まることはなさそうだった。

 流石にカスミたちも定時制の授業がどんなものかは知らないみたいで、ただ授業が夕方に始まって、二十一時くらいに終わることだけを教えられた。……ということは、つまり。
34 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 11:00:14.99 ID:YWfCY9A20

(ひとりぼっちなんだ……)

 言い方が悪いかもしれないけれど、そういうことだろう。人も少なくシンとした教室では、話し声も何もしない。窓の外の部活動に勤しむ生徒たちの声だけがやたらと大きく響いてくる。

 沙綾だけが誰にも話しかけられないという訳ではなく、教室のクラスメートたちは誰に話しかけるということもなかった。

 それもそうだろう。教室には高校生というには少し年齢の高そうな人もいた。何か訳を抱えているのか、ただずっとうつむいたまま席に座る人もいた。

 定時制の高校というものがどんなものなのか沙綾は見たことがないけれど、仕事をしていたり理由があって昼間に学校に来れない人が多いというのは分かっていた。和気あいあいとしている方が珍しいのかもしれない。

 そう思うからこそ、沙綾はサアヤに対する同情の念がどんどん強くなってしまう。

 秋の太陽はどんどん駆け足になっていく。今日の夕陽ももう稜線の彼方に沈みいこうかとしていた。

 斜陽どころか夜の帳が降りかけた街。普段とはまったく違う顔をした学校。頼りない蛍光灯の光に照らされる廊下。シンと静まり返った教室。そのどれを取ってみても、ただ寂しさを煽り立てるだけのものだ。

 この場所で、サアヤはひとりぼっちで授業を受けているんだ。
35 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 11:00:53.82 ID:YWfCY9A20

「はぁ」

 本当に異世界に迷い込んでしまったんだ、という重たい現実が頭の中を埋めて、うなだれた拍子にため息がこぼれ落ちた。そこで自分の机に何かが書いてあるのに気付く。

 机上に置いた鞄を床に下ろして、まじまじとそれを見つめる。


 ――沙綾ちゃん、その、頑張ってね!


 何度か書き直したんだろうか。シャープペンシルで書かれたその文字の下にも、何か薄っすらと消えかけた文字の欠片が見て取れた。きっとカスミちゃんが書いたものなんだろう。

「……やっぱり香澄はどの世界でも香澄なんだな」

 私の知っている香澄は、いつでも明るくまっすぐで、見ているだけで元気を貰えるとても優しい女の子だ。この世界のカスミちゃんとはちょっと似てないかな、と思ったけど、そんなことはなかった。カスミちゃんも香澄と一緒で、こんな寂しい気持ちをやんわりと埋めてくれる。優しさを分け与えてくれる。
36 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 11:01:38.90 ID:YWfCY9A20

 カスミちゃんとサアヤの出会いは、この机に書いたメッセージのやり取りだと聞いた。なら、きっとサアヤも私と同じように、優しいカスミちゃんのメッセージに大きく助けられたことだろう。

 姿は見えなくてもひとりぼっちじゃない。時間差はあるけど話し合える友達がいる。

 それだけで随分と心が軽くなった。


 ありがと。頑張るね。


 鞄の中からシャープペンシルを取り出して、カスミからのエールにお礼を返す。気付いたら授業開始の時間になっていた。教室の扉を開けて、先生が室内に入ってくる。

 やっぱり空席は半分も埋まっていなかった。その隙間を吹き抜ける寂しい風に身を切られそうだ。でも、カスミからのメッセージを見ればすぐに元気を貰える。

(サアヤに笑われないように、私も頑張らなくっちゃね)

 先の見えない空想じみた現実。この先どうなるかなんて誰にも分からないけど、とにかく今は目の前の出来ることをやっていこう。

 少しだけ明るくなった気持ちで、沙綾は黒板へと目を向けた。

37 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 11:02:20.39 ID:YWfCY9A20

 3


「つまりそれは入れ替わりってことだな」

 と、自分の突拍子もない事情を真面目に聞いてくれた女の子は呟く。

「い、入れ替わり……?」

「ああ。ほんと、なんでそんなことになってんのか知んねーけど」

 ため息を吐きつつ、明るい髪色をしたツインテールの女の子――イチガヤアリサはぼやくように言う。

 ……山吹沙綾が奇妙な夢を見て目覚めると、そこは知らない部屋だった。スマートフォンも知らないものだし、大好きな“3”が部屋のどこにも見当たらないことに非常に困惑した。

 ただスマートフォンの中にはPoppin'Partyのみんなの名前が入っていたことに安堵して、こういう時に一番頼りになりそうな有咲に電話をしたのが一時間前のことだった。

 事情を話すと、最初は訝しがっていた有咲もすぐに親身になってくれて、すぐに沙綾の部屋まで駆けつけてくれた。ただ、沙綾の知っている有咲とはちょっと違ったアリサだったのには非常に驚いたけど。
38 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 11:02:57.81 ID:YWfCY9A20

「えっと……じゃあつまり、私は違う世界の山吹沙綾になっちゃった、ってこと?」

「そういうこと」

「……どうして?」

「だから知らねーって。沙綾がこんな性質の悪い冗談言う訳ないし、考えられるのがそんな有り得ないことだけなんだって」

 とアリサは吐き捨てるように言う。自分の知っている有咲とはちょっと違っているけれど、でもなんだかんだ困ってる人を放っておけない優しい子なんだというのはちょっとの会話の中でも理解できた。きっとその態度も照れ隠しのようなものなんだろう。

「はー……そっかぁ……」

 そう思いつつ、沙綾は天井を仰ぐ。見知らぬ部屋で、見知らぬ姿になった友人がいて、鏡を見れば見知らぬ女の子が映る。この夢のような現実をどう受け止めればいいのか分からなかった。

「…………」

「あれ、アリサ……ちゃん、どうかした?」

 と、天井から視界を戻すと、何か迷うような顔で自分を見つめるアリサの姿が目に映った。
39 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 11:03:29.52 ID:YWfCY9A20

「あーいや……その、サアヤ?」

「うん」

「あのな……とりあえず、これからどうするんだ?」

「どうする……うーん、戻り方が分からない以上、とりあえずこっちのサアヤちゃんとして生活するしかない……のかなぁ」

「……まぁ、やっぱそうなるよな」それからまた少し迷うような素振りをしてから、アリサは再び口を開く。「その、なんだ。困ったことがあれば何でも言ってくれ」

「え?」

「ほら、いきなりこんな有り得ない状況になって、色々と困るだろ? こういう時、香澄とおたえはあんま頼りになんねーだろうし、りみはりみでアタフタしちゃうだろうし……」

 ややそっぽを向きながら言われた言葉。それに沙綾は少し笑ってしまう。

「な、なんで笑うんだよ」

「あー、ごめん。なんていうか、アリサちゃんって可愛いなって」

「はぁ!? なんだよそれっ! ったく、どうしてどの沙綾も私に可愛いだとかなんだとか言うんだよ……」

「ふ、ふふ……」

 さらに顔を赤くしてブツブツと呟く姿に、とうとう沙綾は吹き出してしまう。そして昨日、有咲の蔵で話したたらればの話を思い出す。
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