【バンドリ】白鷺千聖「フィクション」

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/19(火) 18:05:22.35 ID:9ZUEfJgu0

 この物語はフィクションであり、実在する事件、団体、人物とはいかなる関係もありません。

 また、人によって嫌悪感を抱いたり、既存のイメージを著しく損なう可能性のある表現が含まれています。


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1552986321
2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/19(火) 18:05:48.87 ID:9ZUEfJgu0


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3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/03/19(火) 18:06:17.07 ID:9ZUEfJgu0

 白鷺千聖という人間の価値は一体どれほどのものだろうか。

 新宿の一等地にあるホテルの一室で、ベッドサイドの仄暗い明かりをぼんやり眺めながら、私はそんなことを考えていた。

 時刻は日付が変わる三十分前。今日という、パステルパレットにとって、あるいは私にとって、何かの節目になるはずの一日ももう間もなく終わろうとしていた。

 そう思うと、浮ついた現実というものが実体をもって、やたら馴れ馴れしい態度で私の身体を余すことなく這いまわっているような気がしてしまう。

(……いえ。気がしてしまう、ではもう済まない話ね)

 天井の染みを数えていれば終わる、とはよく聞く言葉だった。身体の中に残る不快感とも異物感ともとれない奇妙な感覚から目を逸らすように、私は目を瞑って、「これでよかったんだ」と胸中で呟いた。

4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/03/19(火) 18:07:17.43 ID:9ZUEfJgu0



 事の発端は、パステルパレットの当て振り騒動のあとのことだった。

 事務所のスタッフの手違いで例の騒動があったあと、彩ちゃんをはじめ、みんなが頑張ってその評判を覆そうとしていた。

 最初こそ無駄なことだと私は考えていたけれど、ただ愚直に、不器用に……だけど一生懸命に頑張り続ける彩ちゃんの姿を見て、考えを改めた。

 このバンドで、パステルパレットで、私ももう少し頑張ってみよう……と。

 けれど努力が全て報われるのならきっとこの世界に不幸な人間はいないだろう。夢やおとぎ話みたいな優しさを現実は持ち合わせていない。

 彩ちゃんたちの頑張りも一定の人たちには届いたけれど、世間に染み付いた“当て振りの口パクバンド”というイメージは到底覆せるものではなかった。

 所詮バンドごっこをしているグループ、客を騙してお金を巻き上げる事務所……そんな風評がネットのそこかしこに転がっていた。ネットが大きな発言力を持つ現代社会において、それはパステルパレットにとって致命的なダメージだった。

 挽回のためのライブで、やれることは精一杯やった。けれど、私たちの全部はそこにいたお客さんに届かなかった。
5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/03/19(火) 18:07:53.23 ID:9ZUEfJgu0

 以前の私ならどうしていただろうか。

 きっと一瞬の躊躇いもなくパステルパレットを切って捨てて、違う道を選んだだろう。だけど今の私にはそれが出来なかった。

 報われてほしかった。

 彩ちゃんたちの努力が報われなかった時、一番に頭に浮かんだのはそれだった。

 私一人ならいつだってこのミスを挽回できる。それだけの場数をこなしているのだから、時間は少しだけかかっても、それくらいは造作もないだろう。

 けれど走り始めたばかりの彩ちゃんたちにはその手立てがない。パステルパレットで失敗すれば、それでもう全部終わりなのだ。

 だから報われてほしかった。だけどあの場所では報われなかった。まばらな拍手を思い起こすたびに、私の胸に鈍い痛みが走る。

 どうにかしたいと思った。自分でもどうかと思うくらい、私は彼女たちが輝けるようにしてあげたいと願った。

 それからもパステルパレットとして地道に活動を続けていたけれど、一度ついたイメージは払拭できそうもなく、鳴かず飛ばずの日々が続いた。

 それでもいつか分かってくれる。そう信じて、愚直に頑張り続ける仲間たちを見ていられなかった。

 私に出来ることは何かあるだろうか。白鷺千聖という女優についたイメージを利用してでも、もう一度あの子たちに――パステルパレットにチャンスは訪れないだろうか。
6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/03/19(火) 18:08:48.23 ID:9ZUEfJgu0

 ……その機会が訪れたのは、そう考えながら芸能活動を続けていたある日のことだった。

 事務所の廊下を歩いていると、会議室からやたらと大きな声が聞こえてきた。お世辞にも有能とは言えないスタッフが多いこの事務所にしては珍しく、熱の入った会議だと思った。

 だから私は会議室の扉に近付いて、漏れ聞こえる怒号にも似た声に耳を傾けることにした。

「……ということで、白鷺千聖を……」

「そんなことに頷ける訳ないだろ!」

「分かってますよ!! こちらからも……」

「当たり前だ、こんなくだらないことは議題にする必要も……」

 途切れ途切れの声たちを拾い、断片的な情報を継ぎ合わせていく。それが一つに繋がった時、「ああ」と私は頷いた。

 それは白鷺千聖という女優についたイメージを利用するのに一番効率的な、そして非道な手段だった。

 漏れてくる声を聞く限り、これはある大手傘下の広告代理店のお偉いさんが仕掛けてきた話のようだ。この話に頷くのならパステルパレットを悪いようにはしないらしい。

 そして、満場一致でこの『営業』は反対だ、ふざけるのもいい加減にしろ、というのがウチのスタッフたちの論調だった。

 パステルパレットが失敗したのは事務所の方針のせいであるから、自分たちで挽回する。そんな汚い手なんかいらない。万が一にでもそれが漏れれば白鷺千聖のイメージに大きな傷がつく。

 続けて聞こえてきた声たちを繋ぐと、概ねそんな内容だった。

 私はそれを聞いて、頭に血が上っていくのを実感した。
7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/03/19(火) 18:09:41.95 ID:9ZUEfJgu0

 パステルパレットが失敗した?

 どうしてあなたたちはそう決めつけるのか。確かにスタートダッシュは出来なかったけれど、順調な走り出しではなかったけれど、あの子たちはまだまだ失敗の烙印を押されるには早すぎる。

 そんな汚い手はいらない?

 そんな汚い手を持ちかけられるほど舐められている役立たずは誰だ。あの子たちを追い詰めたのは誰だ。もう一度鏡を見てからそういうセリフを吐いて頂戴。

 白鷺千聖のイメージに大きな傷がつく?

 あなたがたに心配されるほど、私は安い芸歴を背負って立っていない。あなたがたが恐れているのは、事務所の顔に傷つくことだけだ。結局自分たちの保身しか考えていないんだ。

 頭の中で沸々と煮立った思考が身体を突き動かす。気が付いた時には、私は会議室の扉を開いていた。

 闖入してきた渦中の人物である私に、スタッフたちは目を丸くしていた。それからすぐに媚びへつらうような色の表情を顔に浮かべ、この話は忘れてください、なんてことを言ってきた。
8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/03/19(火) 18:10:12.51 ID:9ZUEfJgu0

 私はそれを一蹴した。

 その『営業』がどういうものかは分かっているつもりだ。端的に言えば『身体を差し出せ』ということだ。

 舐められている、と思った。事務所にも、こんな話を持ちかけてきた人間にも、世間にも、何もかもに。だから見返してやりたかった。

 芸能人であることのプライドと、自身の女としての尊厳。秤にかけるものではないことは重々承知だ。

 けれどこの話を飲めば、私が私自身を穢してやれば、それであの子たちは世間を見返してやれる。これは絶好のチャンスじゃないか。当然白鷺千聖という女優にだって――それなりのリスクはあるけれど――箔がつくんだ。ならここでやらないでどうするんだ。いつ挽回のチャンスがやってくるんだ。

 冷静なつもりだったけれど、思い返してみればまったく冷静ではなかった。

 暗い影に追い立てられるように、そしてそれに飲み込まれないように、私は焦っていたのかもしれない。

 だけどそう思った時にはもう私は見栄を切ったあとだった。だから覚悟を決めた。

 絶対にパステルパレットを終わらせない。みんなの努力を、努力だけで終わらせてたまるものか。みんなで成功して、私たちを見限った世間を、見下した人たちを、昔の冷めた自分を、全部を見返してやる。

 強がりともとれるそんな決心を抱いて、私は一人、事務所を後にした。

9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/03/19(火) 18:10:52.83 ID:9ZUEfJgu0



 ハッと目を覚ますと、見慣れない天井があった。自分の家のものよりもずっと高くて、落ち着いた色の天井だった。少しぼんやりしてから、ここがどこかを思い出す。

 いつの間にか眠っていたらしい。

 ベッドサイドテーブルの時計に目をやると、午前三時のデジタル表記があった。

 みんなは今ごろ何をしているのかな、と少し考えてから、眠っているに決まってるかと思う。

 力の入らない身体を無理矢理起こす。さぞお高い素材で作られているだろうバスローブが肌を撫でる。くすぐったさを感じて、寒気が走った。

 よろよろとベッドから降り立ち、力ない足取りで私はシャワールームに向かった。

 設けられた小奇麗な脱衣所でバスローブを脱ぎ捨て、浴室へ入って蛇口をひねる。適温の水流がシャワーヘッドから噴き出て、頭の先から足先まで余すことなく流れていく。

「…………」

 貧血に似た眩暈を感じた。

 気分が悪い。気持ち悪い。頭の中を無数の羽虫が飛び回ってるような気がした。

 俯いたまま、ただシャワーを浴び続けた。

 シャワーが頭に当たる音。滴るお湯の音。跳ねる水の音。

 身体が嫌な熱さを持っていた。とりわけ、どうしてか顔が熱い。特に目元が熱かった。俯いているのに、シャワーが当たっていないのに、おかしなものだと他人事のように思った。

 水滴が滴る。髪を伝って、身体を伝って、頬を伝って、床に落ちて跳ねる。

 これでよかったんだ。

 今日何度目かの言葉を胸中で呟いた。声には出せなかったけれど、何度も胸中で呟いた。

 これでよかったんだ。

 これで白鷺千聖という女優に箔がついた。

 これでよかったんだ。

 これでパステルパレットというバンドはきっと救われた。

 これでよかったんだ。

 これでみんなの努力もきっと実を結ぶんだ。

 これでよかったんだ。

 これでよかったんだ。

 これで……私の中の何かが、汚れたんだ。

10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/03/19(火) 18:11:40.70 ID:9ZUEfJgu0



 結果として、パステルパレットは救われた。

 徐々に私たちに肯定的な広告が打たれていき、ネットに根付いた風評を否定するような論調が増えていった。仕事も増えていったし、ファンも段々と増えていった。

 だからこれでよかったんだ。

 あとは私が何でもないように笑っていれば、女優の仮面を被って、それから幾度となく求められている『営業』をこなしていれば、それで一つの禍根も残さずに全部が丸く納まる。

 私に穢れが蓄積されていくことなんて些細なことだ。元から私は汚れているようなものだから、今さら気にすることもない。私の中の踏みにじられた何かも、拭っても拭っても消えない染みも、気にすることはない。

 増えていった仕事に、小さなステージに、笑顔が煌めく。

 彩ちゃんが、日菜ちゃんが、イヴちゃんが、麻弥ちゃんが、楽しそうに、嬉しそうに笑っていた。私も少しだけ笑った。

 だからこれよかったんだ。これで正しかったんだ。これしかなかったんだ。

 私はそう思った。

11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/03/19(火) 18:12:22.65 ID:9ZUEfJgu0



 女優の仕事、パステルパレットの仕事、秘密の仕事。その三つをこなす日々。

 最初こそ大したことない、これくらい平気だと思っていたけれど、日に日にパスパレの仕事が増えていくと、無理をすることが多くなった。

 完全な休日なんて月にニ回か三回、朝は学校へ行き、夕方と夜は仕事をする。そんな生活がふた月ほど続いていた。

 だからだろうか。ある日のみんなでのレッスン中にぼんやりしていると、イヴちゃんの心配そうな顔が目の前にスッと現れた。

「チサトさん、最近なんだかお疲れみたいです。大丈夫ですか?」

 不安そうな声色が私の耳をくすぐる。それはとても心地のいい響きで、けれど私の中に入ってきてはいけない綺麗なものに感じた。

「大丈夫よ、イヴちゃん」

 だから私は笑顔を浮かべて、無垢なイヴちゃんに応える。そういえば久しぶりに笑ったような気がしたけど、多分気のせいだろう。

「そう……ですか……」

 しかしイヴちゃんは私の返答に納得してない様子だった。心配そうな顔で、なおも私の顔を見つめてきた。少しでも私のことを思うのなら、そんな顔じゃなくて笑顔を見せて頂戴。その為に私は……と、喉元までせり上がってきた言葉を飲み込む。

「心配してくれてありがとう」

 代わりに私の口からはお礼が吐き出された。イヴちゃんはやっぱり不安そうな表情だったけど、「はい……」と頷いて私からサッと身を離す。
12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/03/19(火) 18:13:18.66 ID:9ZUEfJgu0

「確かに千聖ちゃん、最近はお疲れ気味だよね」

 それと入れ替わりで、今度は彩ちゃんが私に声をかけてくる。

「最近、女優さんの仕事も増えて大変でしょ? 無理はしないでね?」

「……そう、ね」

 その彩ちゃんの声が身体のどこかに引っかかった。

『女優さんの仕事も増えて大変でしょ?』

 そうだ。パスパレの仕事ももちろん増えたけれど、私の女優としての仕事も日に日に増えていた。現場の人たちやドラマの感想にも「演技の幅が広がった」とか「前よりも深みのある顔をするようになった」だとか、そういう言葉をもらうことも多くなった。

 これはきっと喜ばしいことのはずだ。それなのにいつまで経っても、何をしていても気分が晴れないのは……そう、やっぱり疲れているからだ。そうに違いない。

「しっかり休むようにするわね。心配させてごめんなさい」

 だから私は頷いて、それから「けど、彩ちゃんは私の心配よりも自分の心配をした方がいいんじゃないかしら?」とだけ言っておく。
13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/03/19(火) 18:13:59.67 ID:9ZUEfJgu0

「確かにそうだねー。彩ちゃん、まーたサビの前で音外してたし、歌詞間違えてたし」

 鏡張りの壁と睨めっこをしていた日菜ちゃんが、私の言葉を聞いて、彩ちゃんに悪意のない純粋な笑顔を向けた。

「うっ……そう言われると……」

「だ、大丈夫ですよ、彩さん。曲を貰った当初よりはずっと上手になってますから」

「最初は聞けたもんじゃなかったもんね、麻弥ちゃん」

「えっ、いや、ジブンはそんなつもりで言った訳じゃ……!」

「ううん、いいんだよ麻弥ちゃん……苦手な曲だって私が一番分かってるから……はぁ……」

「元気出してください、アヤさん。一緒に精進いたしましょう!」

 みんなはいつも通り、彩ちゃんを中心にして彩り豊かな顔を見せている。パステルパレットが軌道に乗りはじめて、自分たちが少しずつ認められていくことが嬉しいし楽しいのだろう。

 私はその輪から一歩、身を引いていた。あの中に、あの綺麗な場所に、私の身体の置き場はないように思えた。

 けど、これでいいんだ。

 みんなの顔を眺めながら、これで何十回目かの言葉を私は胸中でひとりごちた。

14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/03/19(火) 18:15:31.39 ID:9ZUEfJgu0



 日々は過ぎていく。行こうか戻ろうか……そんな些細な悩みも下らない迷いも置き去りにして、ただただ前に進んでいく。ただただ加速していく。そして速度が増していくほど、向かい風が強くなる。

 国道沿いのラブホテル。トワイライトの純潔。言葉足らずに明けた夜の先には吃音的な世の果て。

 被虐的なヒロイズムに浸り、加速するスピードと摩擦に身を爛らせる。居た堪れない思考全部が焼け落ちて、ただ走るだけの塊になっていく。

 置いて行かれないようにと。着いて行けるようにと。

 気が付けば冬になっていた。

 パステルパレットが世間から注目されるようになってから、彩ちゃんたちにレッスンルームで心配された日から、また二ヵ月が過ぎた。

 仕事の方は順風満帆だ。女優の仕事も次から次へと舞い込んでくるし、パステルパレットもみんなの努力が実を結び始めているし、それを裏で後押しすることもまだまだ続けている。

 問題があるとするなら、きっと私個人の問題だろう。

 ここ二ヵ月、寝覚めが悪い。

 深く眠ったつもりでも夜が長い。そのくせ朝日が上るのはあっという間で、重たい身体をベッドから起こすのが毎日億劫で仕方なかった。

 それでもやっぱり時間は流れるし、やらなければならないことは私を待ってくれない。

 女優としてドラマの撮影、映画の撮影、コマーシャルの撮影、雑誌の取材、インタビュー。

 パステルパレットとして練習、宣伝、ミニライブ、バラエティの収録。

 身体が悲鳴を上げているような気がしたけど、それはきっと嬉しい悲鳴というものだろう。
15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/03/19(火) 18:16:15.37 ID:9ZUEfJgu0

 これでいいんだ。これでよかったんだ。

 言葉を繰り返し続ける。それに意味があるのかは知らないけど、私は繰り返し続けている。

 そんな日々の中で、パステルパレットに大きな仕事がやってきた。正確に言うと、私がもぎ取ってきた。

 都内の比較的大きなハコでのライブ。私たちにとって、初の単独ライブだ。

 事務所のスタッフからその話を聞かされて、みんなは喜んでいた。その姿を見れて、私も嬉しかった。

 けれど翌日からは以前にもまして身を削るような毎日が始まった。

 女優の仕事は減らない。増えていく。パステルパレットとしてのメディア露出も増えていく。演奏する曲目も増えていく。

 メンバーの中で一番忙しいのは恐らく私だろう。みんなと合同で練習する時間も少なくて、個人練習に励む日々が続く。

 ベースをぶら下げて、譜面をなぞって指を動かして、歌を歌いながら、ステージ上でのパフォーマンスを決めなければならない。

 辛くないと、大変じゃないと言えば嘘になる。だけどみんなには出来るだけ弱みを見せたくなかった。ただの虚勢やハリボテかもしれないけれど、いつだって前に立ってパステルパレットを引っ張るような存在でありたかった。

 だから個人練習が多かったのは不幸中の幸いだろう。

 ベースを抱えながら流れた雫は誰にも見られることはなかった。楽譜のふやけた後は練習の時にかいた汗だと誤魔化せた。

 これでいいんだ。

 そう思って、言い聞かせ続けて練習を重ねる。だけどどうしたって私一人じゃ上手く出来ない部分があった。

 楽器に触れて演奏をするようになってからまだまだ日が浅い。どういう風に弾けばいいのか、どうお客さんに魅せればいいのか悩むこともあった。
16 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/03/19(火) 18:17:27.32 ID:9ZUEfJgu0

 そんな時に一番頼りになったのが麻弥ちゃんだった。

 スタジオミュージシャンの経歴は伊達じゃない。演奏のことなら、麻弥ちゃんはいつだって親身に的確なアドバイスをくれた。

「ジブンと千聖さんはリズム隊ですからね。こういうことならいつだって頼ってください」

 そう言って笑顔を浮かべる姿に何度となく救われたのだと思う。限界ギリギリの場所で何度も踏みとどまれたのだと思う。

 だから麻弥ちゃんにもいつでも笑っていてほしかった。だけど、日に日に彼女の顔にも心配の色が浮かんでいった。

「大丈夫ですか? 顔色が悪いですし、今日の練習は早めにあがった方がいいのでは……」

 ある日の合同レッスン前にも、レッスンルームに一番乗りで来ていた麻弥ちゃんにそんな提案をされた。他のみんなが来ないうちにそういうことを言うのは麻弥ちゃんの気遣いだと分かっているけれど、私はそれに重たい頭を緩く振って応える。

「……大丈夫よ、麻弥ちゃん。貴重なみんなとの音合わせだもの、この時間を無駄に出来ないわ」

 確かに鏡に映る私の顔は少し疲れているようにも見えた。このままではみんなにいらない心配をかけさせてしまうだろうことは火を見るよりも明らかだった。

 だから私は笑顔を浮かべる。それが剥がれないように、強く意識して顔に貼り付ける。売れっ子女優が本気の笑顔で作った特製の仮面だ。

「その、余計なお世話かもしれませんが……無理だけはしないでくださいね?」

「ええ、ありがとう」

 不安そうな顔で麻弥ちゃんに言われる。

 心配してくれるよりも、どうか笑顔をみせてほしい。

 言葉にしないでそう願いながら、私はお礼の言葉を吐き出した。

「……何かあったら、なんでも相談してくださいね? 音楽以外だと力になれるか分かりませんけど、愚痴の捌け口くらいにならジブンでもなれますから」

 麻弥ちゃんは他にもまだまだ何か言いたげだったけれど、それだけ口にして、少し暗い顔を俯かせた。

17 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/03/19(火) 18:18:44.70 ID:9ZUEfJgu0



 人間は慣れる生き物だとよく聞く。辛いことも楽しいことも、ずっとその状況に身を置いていればいずれ慣れていって、何の感動も感慨もなくなるのだろう。

 それならば私の慣れは一体いつになったら訪れてくれるのだろうか。

 忙しい、と口にする暇さえないことなんて今までだってあった。今回のこともそれと同じことのはずなのに、私の身体と頭は日に日に重くなっていった。

 それでも弱音を吐いてなんていられない。

 レッスン中や顔を合わせた事務所で、麻弥ちゃんの心配そうな眼差しが刺さる。正直に言えば、それに甘えてしまいたい気持ちがあった。

 だけど、私が仲間の誰かへ身を寄せれば、パステルパレットというバンドに一生消えない染みが出来てしまうような気がしたから、私はそれに甘えることはしなかった。

 これくらいなんともない。大丈夫。まだまだ私は前へ進める。歩いていける。

 効き目の薄い呪文を心の中で繰り返し続けているうちに、気が付いたら単独ライブの当日になっていた。

 足元が少し覚束ないくらいに私は一杯一杯だったような気がしたけれど、ステージライトを受けてキラキラと煌めくみんなと、観客席に咲いた色とりどりのサイリウムの光に見て、まだ頑張れると思った。その光たちは、私が繰り返し続けてきた暗示なんかよりもよっぽど力をくれた。

 身体が自然と動く。歌声が意識せずとも大きく響く。忙しい日々の合間に練習したことは無駄ではなかった。綺麗な光と気力を奮い立たせる熱にあてられて、ただ楽しかった。

 アンコールまで終えて、お客さんの歓声や拍手が嵐のように私たちへ降り注ぐ。

 みんな笑顔だった。彩ちゃんは笑いながら泣いていた。それはきっとこの世界で一番綺麗な雫なんだろう。

 だから、それは私が生涯触れてはいけないものなんだと思った。身体の奥底に滾っていた熱がスッと冷えた気がした。
18 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/03/19(火) 18:19:32.97 ID:9ZUEfJgu0

 楽屋に引き返しても、みんなはまだステージの熱が身体中に残っているようで、思い思いにあの場所で得た感動を言葉にしていた。

 私はやっぱりそれを一歩引いた場所で見ていた。あそこに近付けば、きっと光に影が差してしまうから。

 まだ泣いている彩ちゃんを日菜ちゃんがからかって、イヴちゃんが慰めるつもりなのかじゃれているつもりなのか判断に迷うテンションで抱き着いて、麻弥ちゃんもなんだかもらい泣きしそうな顔をしていた。

 そんな麻弥ちゃんにイヴちゃんが抱き着く。麻弥ちゃんが笑う。

 次は日菜ちゃんにも抱き着く。日菜ちゃんはずっと笑顔でいて、大きな笑い声をあげながらイヴちゃんを受け止める。

 そしてイヴちゃんが私を見た。

 来ないで。そう思った。

 お願いだから、こっちへ来ないで。

 けれどイヴちゃんは、キラキラした笑顔で、両手を広げて私の方へ駆け寄ってくる。

 身を退くべきか、どうするべきなのか。判断がつかなくて、ボーっと突っ立ったままの私にイヴちゃんが抱き着いた。

 温かかった。心地のいい温もりが私を包んで、だからこそ私は怖くなった。
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