【Another】恒一「……中村青司?」

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:31:26.94 ID:qJudscWY0
「そう、中村青司。――榊原くん、聞いたことある?」

「いや……初めて聞く名前だけど。その人が、どうかしたの?」

「この家を建てた、建築家の名前なんだって」

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1550680286
2 : ◆8D5B/TmzBcJD [saga]:2019/02/21(木) 01:32:48.50 ID:qJudscWY0
※「Another」本編の重大なネタバレ、及び同作者「館シリーズ」の内容に触れている箇所があります。
3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:33:34.65 ID:qJudscWY0


御先町に位置する人形ギャラリー兼、ぼくのクラスメイト・見崎鳴の自宅でもある<夜見のたそがれの、うつろなる蒼き瞳の。>。
その地下室の一角に置かれた黒い円卓、その前にあるニ脚の赤い肘掛け椅子の一つに、ぼく――榊原恒一は腰掛けていた。
円卓を挟んだ向かい側の椅子には、鳴が座っている。

ここは約二週間ぶり、ということになるだろうか。
前に訪れたのは、九月も終わりに近づいたある日。
病院で検査を済ませた帰りに、ふと思い立ってここを尋ねたのだ。
その時家には鳴が一人きりで、そのまま地下に案内されて……。

――そして鳴の口から、彼女がこの夏体験したもう一人の「サカキ」にまつわる話を聞いたのだった。


それなら今回ぼくが来た理由も、その話が絡んでいるのかといえば、そうじゃない。
鳴の体験とその顛末、その事件が遺した不穏な「予兆」について、思うところが無いわけではないけれど、
事件についてぼくは完全なる部外者であるし、問題の「予兆」にしても、今は単なる「予兆」でしかない。
結局、それが現実となった時に立ち向かうしかないのだろう。
4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:34:21.75 ID:qJudscWY0
じゃあどうしてぼくはここにいるのか、という話になるけど……。
今は十月も中旬に入りかけた土曜日の午後、である。
ぼくや鳴が在籍する夜見山北中学校も高校受験に向けての体制を整えはじめ、多くの生徒が受験勉強に励んでいる状況だ。

もちろん、ぼくが在籍する三年三組も例外ではない。
担任代行の千曳さんの下、それぞれが目標に向かって歩き始めている。

そんな中でぼくは、どこか取り残されているような気がしていた。

来年ぼくが受験するのは、東京にある私立高校で、ぼくが去年までいた中学校とは一貫校の関係にあたる。
県外の高校を志望しているのは、ぼくだけ。
そしてぼくは、大学教授である父の影響(あけっぴろげに言ってしまえば、つまりはコネだ)で、内部進学枠扱いで受験できることになっているのだ。
かといって勉強をしなくていい理由にはならないし、今サボれば高校に入学してから苦労することは分かりきっていたから日々の勉強を怠ってはいなかったけれど、どうしても他のクラスメイトとは取り組みの姿勢に差がついてしまう。
他のみんなが、同じ志望校どうしでそれぞれ切磋琢磨している状況を考えれば、尚更だ。

それから、理由がもう一つ。
現在の三年三組は、今までぼくが過ごしてきた「三年三組」とは違ってしまっている。
その事実こそが、ぼくの足を止めていた。

これは比喩などではなく、本当にそうなのだ。
なぜならクラス全員――ぼくと鳴を除いた誰もが、"彼女"のことを憶えていないのだから。
5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:34:50.66 ID:qJudscWY0


今年三年三組を襲った<災厄>は、八月に行われた合宿において数多くの犠牲者を出し、ようやく終結した。
正確には、クラスに紛れ混んだ「もう一人」=<死者>の死をもって、である。
その<死者>の名は、三神怜子。
ぼくの叔母で、三組の副担任だった。
……八月までは。

<災厄>の終結と共に、その年の<死者>である彼女に関して改竄されていたあらゆる事実は修正され……。
彼女がいたことを今でも覚えているのは、その死に深く関わったぼくと鳴の二人だけだ。

他の人にしてみれば、「三神怜子」という名前は「二年前に亡くなった教師の名前」でしかない。
名前はともかく、顔まで覚えている人間は、今の三組では美術部の望月優矢と千曳さんくらいのものだろう。

そして……ぼくや鳴も、いずれは1998年における三神怜子の一切を忘れてしまうことになる。
そうなってしまえば、ぼくにとっても怜子さんは「二年前に亡くなった叔母さん」――それも小学校以来顔を合わせていない――ということに……。

もっとも本来は、それがあるべき事実だったのだ。
死んだ人間がクラスに紛れ込むなどという、この異常な<現象>が起きてさえいなければ。
だが現実として今年は<ある年>で、ぼくは生身の<死者>である怜子さんと、過ごすはずのない日々を過ごして……。

――そして今更になって、全てが元に戻ろうとしている。
怜子さんのいない、今となってはもはや偽りの1998年へと。
6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:35:32.91 ID:qJudscWY0
要するに、今ぼくが抱いている疎外感の原因は、このずれにあるのだろう。
そうした現状への反発で、自分が動けなくなってしまっていることは少なからず自覚している。
馬鹿げた話だけど、クラス全体で怜子さんのことを意識的に忘れようと――それこそ、いないものに――しているように思えて、理不尽な苛立ちを覚えてしまうこともあるのだ。

そうなるくらいなら、いっそぼくも怜子さんのことを忘れてしまった方がいいのかもしれない、とも思う。
それはつまり、そのうち<現象>によって遅かれ早かれそういうことになってしまうのだけど、
今のうちから現実を受け入れて、これからのこと(例えば勉強)に専念するべきではないか、ということだ。

少なくとも鳴はそうしている……ように、ぼくには見える。
もともと勉強が好きだったということもないはずだけど、最近は傍目にもよく勉強している。

鳴が受験するのは、市内のとある公立高校らしい。
決してレベルの低い高校ではないけれど、現時点での鳴の学力を考えれば、
県内だけで考えても、他のもっと偏差値が高い、いわゆる進学校だろうと十分に合格できるはずだ。
それでも市内の高校にこだわっているのは、霧果さんのことがあるからなのか、他の理由があるのか……。
いずれにせよ、机に向かっていてもどこか上の空なぼくとはえらい違いだ。

もっとも、鳴の場合は四月に亡くなった双子の妹・藤岡未咲のこともあるのだろう。
しかもそれは、有無を言わさず修正される<死者>の記憶とは違い、自分自身で折り合いをつけるしかない。
忘れてしまいたい、だけど忘れられない、そして忘れてもいけない記憶。
7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:36:20.89 ID:qJudscWY0
――そんなに忘れたくない? ずっと憶えていたい?

<災厄>が終わって間もない頃。
見舞いに来た鳴にそう訊かれ、ぼくははっきりと答えることができなかった。
ぼくへ向けられたその問いはもちろん、怜子さんのことを尋ねていたのだろうけど……。
もしかしたらそれは、自分への問いかけでもあった?

鳴は、答えを出したのだろうか。
ぼくは……まだ、結論を出せていない。

ただこれは、「その時」が来てしまえばどのみち消えてなくなる悩み。
だからこそぼくは、こうして立ち止まっている部分もあるのだろう。
どう頑張っても忘れてしまうのなら、逆に無理して忘れようとする必要もない――と。

それはつまり、怜子さんのことを忘れたくない、そういうことのようにも思えるけど、
彼女を忘れてしまった自分を想像しても、不思議と寂しい気持ちにはならないのだった。

たとえ、そうなってしまったとしても。
それからのことは、そうなってからのぼくがきっとなんとかするだろう。
立ち止まっていたことを「先生やクラスメイトが亡くなって落ち込んでいた」とでも結論づけて、遅れを取り戻すべく頑張ってくれるに違いない。

だからぼくは、今も<災厄>が終わった時のまま、ただ佇んでいる。
答えを出さなくても、いずれ時が経てば考える必要もなくなるぼくは、幸せなのかもしれない。
8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:36:54.14 ID:qJudscWY0
――話はようやく、元に戻る。

そんな調子だったから、ぼくはわざわざ休日まで勉強する気にはなれず、午前中はずっと家で小説を読んでいた。
午後にはそれも飽きてしまい、どうしたものか悩んだ結果、鳴の家を尋ねることにした……
というより、霧果さんの創った人形を見に行こうと思ったのが、今ここにいる理由。

なんてことはない、早い話がぼくは暇だったということだ。
9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:37:42.00 ID:qJudscWY0


おや、と思ったのは、入り口近くまで来た時だった。ギャラリーの中が、薄暗い。
普段からそれほど明るいという印象があった訳でもないが、それにしても暗い。
ショーウィンドウから館内を覗きこんでみるが、やはり照明は点いていないようで、中の様子もよく分からなかった。
いつも天根さんが座っているカウンターはここから見えないけれど、この様子では、きっといないのだろう。

顔を上げると、ちょうどぼくの目の前に位置した顔と、ガラス越しに目が合った。
ショーウィンドウ近くに展示されている、上半身だけの少女人形の顔だ。
中を覗き見たことを咎められているような気がして、思わず身を引く。

そういえば、今日は表に看板も出ていない。
……まさか、また閉館?

ニ、三歩下がり、コンクリート造りの建物を見上げる。
上階の窓からは、薄いカーテン越しに、蛍光灯の光が白く浮かび上がっていた。
どうやら、留守ということではないらしい。少なくとも、鳴か霧果さんはいるみたいだけど……。
わざわざ外階段を登ってインターフォンを押すというのも、気が引ける。
10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:38:10.66 ID:qJudscWY0
そもそも今日はギャラリーの人形を見るだけのつもりで、鳴に連絡もしていない。
ここに来た結果として、たとえば天根さん辺りから、上階に上がっていくよう誘われたとしても断るつもりだった。
そのくらい気軽に来た、と言えば聞こえはいいが、要するに無計画でしかない。

だからこの現状を受けて、今日のところは大人しく帰るという決断をすることにも、大した時間はかからなかった。
霧果さんの人形を見るという目的は一応果たされたことだし……ショーウィンドウ越しだけど……と、一人で納得する。

ただ最後に、本当に閉館なのか確かめるくらいのことはしてもいいだろう。
ひょっとしたら、明かりが消えているのは外がまだ明るいからなのかもしれないし。

ドアの前に立ち、レバーハンドルを握って押し下げる。
どうせこのドアを押したところで、返ってくるのは施錠されたドアの硬い感触だけ。
そう思って、少し強く腕に力を込めた。


――からん、というドアベルの透き通った音が響く。
11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:38:42.72 ID:qJudscWY0
……開いてる?
予想していなかった展開に、右腕を突き出したままの姿勢で固まってしまう。
ひょっとして、閉館ではなかったのだろうか。いや、だとしてもこのまま入ってしまうのは……。
ああでも、ここでこうしていたって、それはそれで不審だ。

少しの逡巡のあと、ぼくはドアの隙間に体を滑り込ませた。
12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:39:09.21 ID:qJudscWY0


背後でドアが閉まり、ドアベルがもう一度音を立てる。
もともと館内を満たしていたであろう静寂の中に、その残響が消えていく。

やはりと言うべきか、入って左手に設置されたカウンターの中に天根さんの姿はなく、明かりもショーウィンドウを通して入ってくる光だけ。
いつもなら名前も知らない弦楽の調べが流れているはずだけど、今日はそれもなかった。

分かっていたことだけど、これはどう見ても営業中じゃない。
やっぱり今日は閉館で、ドアの鍵は単に締め忘れただけなのだろう。

そんな普段とは違う館内であっても、人形たちはいつも通り、思い思いの場所にいる。
当然ながら、そこに人形を置いたのは創った本人である霧果さんなのだろうが、ただ並べられているだけじゃなく、
中には陳列棚に腰掛けたり、ショーケースの中に横たわっているものもあったりと、
まるで人形が自分でお気に入りの場所を見つけ、他の人形に奪われないよう、そこを守っているような。
そんな錯覚に陥ってしまう。

ちなみに、霧果さんというのは鳴の母親(正確には義理の母親で、血縁上は伯母にあたる)なのだが、
霧果というのは人形師としての雅号のようなもので、本名は由紀代というらしい。
13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:39:34.43 ID:qJudscWY0
霧果さんの人形は、ただ美しいというよりは、どこか妖しく……いっそのこと、不気味と言い切ってしまってもいいのかもしれない。
人に限りなく近いようでいて、どこかで決定的に異質でいる。
かといって、それを上手く説明することもできなくて……。
それでも、単純に「美しい」の一言で終わらせてしまうことが憚られるのは、ぼくがその差異を無意識に感じ取っているからなのか。

とにかく、そういう負の魅力も内包した一筋縄ではいかない美しさに、ぼくは惹きつけられているのだろう。
こうしてじっと見ていると、どんどんと魅入られて……ある一線を越えた瞬間、ずるりと何かに取り込まれてしまいそうな――。
これが鳴の言う、人形の「虚ろ」に自分を吸い取られていく、ということなのかもしれない。

鳴の家だということも知らないままここを訪れ、初めて人形たちを目にした時よりは、
そういう感覚にも慣れたのか、気分が悪くなることも無くなっていたけれど……。
今日は、雰囲気が違っていた。

人形だけで占められていた空間に、ぼくという異物が混ざり込んでしまったせいか、
至るところから視線を注がれているように感じてしまう。

仄暗い無音の中で、人形たちが息を潜めてぼくの様子を窺っている。
そして今にも、その押し殺した息遣いが聞こえてきそうな――。

……やっぱり、今日はもう帰ろう。
そう思った時だった。


「誰か、そこにいるの?」
14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:40:03.67 ID:qJudscWY0
聞き覚えのある声がした。
もちろん、ぼくの見える範囲には誰の姿もないし、ましてや人形が喋ったわけでもない。
声が聞こえたのは、一階の奥にある階段、その更に奥からだった。

一階のこちら側には、上階へ向かう階段はない。
裏口から入る天根さんの居住スペース側には上りの階段があるそうだけど、ぼくはそっちに行ったことはない。
この建物にはエレベーターもあるのだが、その入口もやはりここにはない。
つまり、裏口側から壁を隔てたこのギャラリーにあるのは、地下へと降りる階段だけなのだ。

近寄って手すりから身を乗り出し、下を覗きこむ。

「榊原くん?」

鳴が、階段の踊り場からこちらを見上げていた。
15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:40:33.85 ID:qJudscWY0
「……こんにちは、見崎」

答えながら、階段を降りる。
鳴はいつだったかの黒いロングワンピースを着て、それだけでは肌寒いのだろう、これまた黒いカーディガンを上から羽織っていた。
それから……左目にはいつも通り、眼帯を。

「どうして、ここに?」

驚いているというより、単純にぼくがここにいることを不思議がっているような口調だった。

「気分転換に、霧果さんの人形を見ようと思って。ドアが開いてたから入っちゃたんだけど……」

それを聞いて、鳴は首を傾げる。

「開いてた?」

「うん」

「ふうん。……じゃあきっと、天根のおばあちゃんが鍵をかけ忘れてたのね」

「え。……ちょっと不用心じゃないかな、それって。他の階はどうなの?」

「二階も三階も、わたしがちゃんと鍵を掛けたから大丈夫。ここの裏口もね。どうせここを見に来る人なんて、めったにいないし。たぶん、入ってきたのは榊原くんが最初だと思う」

「ひょっとして、入っちゃまずかった?」

「別にいいよ。でも今日はギャラリー、お休みだから、見てもあまり面白くないかもね。……上、電気点ける?」

「あ……いや、大丈夫。そこまでしなくても」

「そう? じゃあ、どうぞ」

そう言って、階段の側にある円卓の椅子の一つを勧める鳴。
言われるままぼくが座ると、鳴も向かいの椅子に腰掛けた。
16 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:41:02.40 ID:qJudscWY0
<夜見のたそがれの……。>は地下一階も同様に展示スペースとなっているが、上階とはだいぶ趣が異なる。
区別するために、一階部分を「ギャラリー」、地下一階を「地下展示室」と呼ぶことにしよう。

地下展示室にもギャラリー同様陳列棚が置かれ、様々な人形があちこちに並んではいるが、
色とりどりの衣装に身を包んだ一階のものとは違い、ほとんどが裸のままで置かれている。
そのうえ、人形たちには首や腕が無かったり、かと思えば部屋の一角には腕だけがまとめて置かれていたりもする。

要するに、つくりかけの人形がそのままここに置かれているといった風情だ。
いや、霧果さんにしてみれば、これでもう完成しているということなのかもしれないけれど……。
白磁のような肌を赤や緑のライトで様々に染め上げている人形たちは、たまたま人の形をしているだけのオブジェ、という風にも見える。

「榊原くん、本当にこういうの、好きなのね」

そう言われて、自分がずっと人形たちを眺めていたことに気付き、慌てて鳴に向き直る。
鳴はどうやら、淡い笑みを浮かべているらしかった。
……ぼくの様子がそんなに面白かったのだろうか。
その背後、折り返す階段の下に空いたスペースには、首だけが無い人形が立っている。

「まあね。……天根さん、ひょっとしてまだ体調が悪いの?」

この前来た時に、鳴がそう言っていたはずだ。
鳴は「ううん」と首を振る。

「あれからすぐ良くなって、普通に受付をしてたんだけど……数日前にね、今度は腰を痛めちゃって。今は霧果の実家で療養中」
17 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:41:29.78 ID:qJudscWY0
「ああ……それはまた、大変だね」

「本人は大した事ないって言ってるみたい。でも、無理をさせても仕方ないから」

天根さんは霧果さんの伯母、つまり鳴にとっての大伯母さんにあたる。
祖母を早くに亡くしている鳴にとっては、本当の祖母のような人だという。

「それに、お休みなのは霧果の工房だって一緒だし」

「そうなの? じゃあ見崎、もしかして今日も一人――」

「お母さんなら、上にいるよ」

「……あ、そうなんだ」

って、ぼくは何を勢い込んで聞いてるんだ。
気恥ずかしさを取り繕いたくて、慌てて質問を重ねる。

「見崎は、ここで何を?」

「特に何か、ってわけでもないんだけどね」

少し考え込むような仕草を見せたあと、

「榊原くんと同じ……かな。気分転換」と答える鳴。

「さっきまでは、自分の部屋で勉強してたの。ちょっと休憩のつもりでここに来て、誰かが入ってきたから声をかけてみたら――というわけ」

示すように手の甲を下にして、揃えた指先をぼくに向ける。

「そっか。じゃあ、お互い暇なんだね」

軽い沈黙が流れた。
18 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:42:00.14 ID:qJudscWY0
この前は、この地下展示室でこうやって向かい合って座りながら、鳴の話を聞いたぼくである。
きょうもこうして座ったということは、もしかしてまた、ああいった話をしてくれるということなのだろうか。
もしそうなら、いい退屈しのぎになるんだけど。

鳴に座るよう誘われた時から、いや、実はそもそもここを訪れた時点で既に、ぼくは内心そんな期待をしていたのかもしれない。
果たしてそんなぼくの心を読み取ったのか、鳴は両肘をついてテーブルに体を預けると、ぼくを見上げるようにしてこう言った。


「ねえ、榊原くん。――中村青司って人、知ってる?」
19 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:42:59.43 ID:qJudscWY0


「この家はね、私のお父さん、見崎コウタロウ――漢字で書くと紅太郎って字を書くんだけど――が、霧果のために建てたものなの」

「見崎のお父さんって、いつもは海外にいるんだっけ」

「うん、後の半分は東京で仕事。だからあっちに拠点代わりの家はあるみたい。この家にもお父さんの部屋はあるんだけどね」

鳴の父親については、やり手の実業家だという話は聞くし、もしかして家の一軒や二軒、彼にとっては大したものではないのかもしれないけれど……。
この家にしても、家というよりは殆どビルといった佇まいだし、相当な費用がかかったことだろう。

「霧果にしても、それまでは実家で人形制作をしていたところに自宅と仕事場を貰ったわけだから……とても喜んでたって、お父さんが言ってた」

「つまり、きみのお父さんがその中村って建築家に頼んで、この家を建ててもらったんだ?」

肘が痛くなってきたのか、鳴は体を起こして座り直し、こくり、と頷く。

「ということは……結構有名な人なのかな。ぼくはそういうの、あまり詳しくないからよく分からないけど……」

「それほど有名って訳でもないみたい。お父さんの言い方も『知る人ぞ知る』みたいな感じで……名前を知ったのも、仕事の関係で、たまたまだって」

「……そうなんだ」

「自分の趣味を優先した、へんてこな家ばかり建ててた人で……お父さんはそれを見て、虜になっちゃったのね。絶対自分も家を建ててもらうんだ、って」

鳴の口調が、感心しているような、呆れているような、そういった感情が混じったものになる。

「当時、中村青司はもう建築家を引退してて、孤島で家族と暮らしてたらしいんだけど……お父さん、直接そこに乗り込んでお願いしたらしいの」
20 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/21(木) 01:43:40.70 ID:qJudscWY0
「へえぇ……でも、こうして家が建ってるってことは、それで上手くいったんだ?」

「ううん、最初は取り付く島もなかったって。自己紹介して名刺を渡したら『名前が弟と似ているのが気に食わん』って言われて門前払い」

それはなんとも理不尽な理由だ。
ぼく自身が名前で嫌な思いをしたことがあるせいか、自分のことでもないのに少しむっとしてしまう。
でもまあ、その中村青司が建築家――すなわち芸術家であるということを考えれば、
その気難しさにしても、さもありなんといったところなのかもしれない。

「それから何度お願いに行ってみても、同じことの繰り返しで」

「……なんか、到底オーケーを貰えるようには思えない流れだね。何かしら、向こうに心境の変化があったとか?」

「うーん、心境の変化というよりは……霧果のおかげ、なのかな」

「ここで霧果さん?」

「その時はまだ結婚してなくて、お父さんの婚約者だったらしいんだけど」

そっと眼帯の縁に指を添え、鳴は続ける。

「ある時、お父さんが霧果の人形を手土産に持って行って……中村青司は、それをいたく気に入った、というわけ」

「……ははあ」

それが突破口になった、ということらしい。
21 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:44:18.52 ID:qJudscWY0
しかし、人形を手土産にするというのも……苦肉の策というか、思い切ったというか。
もちろん、霧果さんの人形には、ただ美しい以上の、それこそ言葉では言い表せないような魅力があるのはぼくでもわかるけれど……。

もしかしたら、中村青司もぼくと同じように――いや、芸術家としてぼく以上に、感銘を受けるところがあったのかもしれない。
鳴の父親は、その可能性に賭け、そして勝利したということか。

「それで『創った人に会ってみたい』という話になって、霧果と二人で、ようやく家に上がらせてもらったのね。最終的には『ある条件』の下、建築の依頼を請け負った」

「その条件って?」

今までの流れを考えれば、それがどういうものであるかは薄々分かったけれど、あえて訊くことにする。
鳴は小さく頷き、こう言った。

「霧果に、人形を創ってもらうこと。――それも、自分の妻をモデルにして、ね」
22 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:44:56.50 ID:qJudscWY0


「……よっぽど気に入ったんだね、霧果さんの人形」

「霧果にしても、仕事の依頼があれば引き受けない理由はないし、そこからはとんとん拍子に話が進んで、この家が建ったんだって。家が完成するより、霧果の人形が出来上がるほうが先だったみたいだけど」

自分の妻をモデルにした人形。
ぼくは思わず、ここにある鳴そっくりの人形を思い出す。黒い棺に入った例の人形だ。
中村青司の妻をモデルにしたというその人形もきっと、本人によく似ていたことだろう。

ちなみに、当の人形は地下展示室の奥に置かれているが、ぼくの座っている位置からは見ることが出来ない。
その前に置かれている陳列棚が、ちょうど衝立のように棺を覆い隠してしまっているのだ。
何を隠そう、ぼくがここに来た当初の目的には、その鳴の人形を見ることも含まれていたんだけど……。
しかしまさか、モデルである鳴の前でそれをじろじろと見るわけにもいかない。

棺の人形は、鳴に言わせれば確かに鳴をモデルにしてはいるものの、
これは霧果さんが、生まれてくることができなかった自分の子供を想って創ったものであり、鳴はその半分以下でしかない……らしい。
そうは言ってもぼくにしてみれば、やっぱり鳴にしか見えないわけで。
それでも鳴や霧果さんには、あの人形が全く違って見えるということなのだろうか。

そんな風にぼくが考えこんで沈黙してしまったのを、鳴は別の意味で捉えたのか、

「普通だな、って思った?」

「えっ?」

突然こんな事を言い出すのだった。
23 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:45:32.84 ID:qJudscWY0
「建築家から、そこまでして家を建ててもらったのに、案外普通の家なんだな……って」

「ああいや、別にそういうことを考えてたんじゃなくて――」

慌てて答えながらも、鳴にそう言われてみると、どこか同調してしまう自分に気付く。
住宅街の中にあって、コンクリートが打ちっぱなしになっているこの建物は一際目を引くけれど、この建物自体がそれほど特殊な構造をしているわけではない……ように思う。
少なくとも、鳴の言葉の中にあった「へんてこな家」という部分に引っかかりを覚えたのは事実だ。

とはいえ、ギャラリーと工房、それから自宅を兼ねているという点を考えれば、それこそ奇抜なデザインにするわけにもいかないだろう。
それにこの家を除けば、ぼくは中村青司の建てた家を目にしたことは一度もないし、名前だって今日初めて聞いたばかり。
建築家=奇抜なデザインをするもの、という偏見がぼくの中にあるだけで、もともとこういう作風の人なのかも……。

しかし、鳴は更に言葉を続けた。

「いいの。わたしもそう思ったから」

「えっ?」

ぼくはもう一度間抜けな返事をしてしまう。

「お父さんからこの話を聞いた時にね、わたしもそう思って訊いたの。……お父さん、この家についてはお金だけ出して、あとは全部霧果に任せたみたい」

全部を、霧果さんに?
24 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:46:06.09 ID:qJudscWY0
「夜見山に建てる時点で自分は住めないから、もともとそういうつもりだったんだと思う。それに、霧果のおかげで上手くいったから、そのお礼って意味合いもあったのかもね」

「じゃあ、霧果さんがこういう構造でリクエストしたんだ?」

「そう。ギャラリーと工房がメインで、見てくれや住むところは二の次。霧果らしいでしょ」

ぼくは以前に一度だけ、霧果さんと顔を合わせたことがある。
鳴と似通っている部分が確かにありながら、より一層人形を思わせる無感情な面立ち。

確かに、この無機質と言ってもいい外観と、重なるところがあるかもしれない。

「だから、住む分には大変なところもあるけどね。……わたしの部屋って、どこにあると思う?」

「見崎の部屋?」ぼくはまだ入ったことはない。当然だけど。「三階、とか? リビングもあるし」

「やっぱりそう思うよね。でも、正解は二階。――外の階段を使って二階の入口から入るとね、入ってすぐは三和土になってて、そこを上がると両側にドアがあるの。右側がわたしの部屋で、左側が霧果の工房」

「へえ、そうだったんだ」

「入口から近いのはいいけど、ご飯を食べるにも毎回階段を登らないといけないし、たまに工房のお客さんが間違えて部屋に入ってきちゃうし……」

そう言って、指折り数えて難点を挙げていく。
不満はなかなかに多いようだ。
25 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:46:56.89 ID:qJudscWY0
「でも、霧果さんの工房が向かいにあるって、ちょっと羨ましいかも。すぐ見に行けてさ」

「……わたし、霧果の工房にはめったに入らないよ」

「そうなの?」

「べつに、普通に暮らす分には入る必要、ないから。邪魔もしたくないし。最後に入ったのなんて、もう何年も前」

「霧果さんの方は? 見崎の部屋に様子を見に来たりとかって、ありそうだけど」 

「全然。そういうの本当に気にしないよ、霧果は。工房で人形を創っていられれば、それでいいって人だから」

つまり、お互いに目と鼻の先に居ながらにして、行き来は全くないということらしい。

「でも、気になったりしない? 霧果さんが今、何を創ってるのか……とか」

鳴も、霧果さんの人形に悪感情を持っているわけではなかったはずだ。
時折こうして彼女が地下展示室を訪れる理由も、「嫌いじゃないから」なのだし。

「ならないって言ったら嘘になるけど……でもね、入るべきじゃないって気持ちの方が強いかな」

そう言って、鳴は地下展示室のあちこちに立つ人形たちを見回す。

「霧果がどんなに想いを込めて創っても、この子たちはまだ、こんなにも空っぽなの。だから、まだ完成してない人形なんてきっと……」

「――あまりにも、虚ろすぎる?」

ぼくが言葉を継ぐと、ゆっくりと鳴は頷いた。

「……たぶんね。あれだけ自分自身を注ぎ込んで、涸れ果ててしまわないあの人が不思議」

胸の辺りで祈るようにして両手を合わせ、指先をじっと見つめながら鳴は言う。

「そうして創られた人形で、この家は埋め尽くされてるの。……だからやっぱり、"夜見山の人形館"はお父さんのものじゃなくて、ほとんど霧果のものっていうのが適切かな」
26 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:47:35.90 ID:qJudscWY0
「夜見山の人形館?」

「知らない? ここの名前、<夜見のたそがれの……。>って、長くて言いにくいし、名前を知らない人もいるから、この辺の人たちはみんなそう呼んでる」

……知らなかった。
そうは言っても、ぼくにとってここは「鳴の家」だし、これからも使う機会はないかもしれない。

「……人形館、か……」

ここを目にした人が抱く印象は、やはり人形だということだろう。
当然、そこに「誰がこの家を設計したのか」なんて疑問が浮かぶことはない。
鳴の父親が、わざわざその中村青司に依頼した甲斐は果たしてあったのか、そんな気もしてしまう。

「……きみのお父さんは、それで良かったのかな。せっかく依頼を受けてもらえたのに」

「たぶん、だけど……途中から、中村青司に家を建ててもらうことそのものが、目的になってたのかもね」

彼に拒絶され悪戦苦闘しているうちに、それ自体が目的になってしまったということか。
そういうことも、確かにあるかもしれない。ぼくだってそんな経験はある。

「それを達成して満足したのと……あとは、下心とか」

「霧果さんに対して、ってこと?」
27 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:48:13.35 ID:qJudscWY0
「そう。お父さんにしてみれば、霧果へのいいアピールになった、ってところね。……ひょっとして、普段の仕事でもこういうやり方、よくしてるんじゃないかって思ったり」

そういう側面があるのは事実かもしれないが、あまりに身も蓋もない鳴の言いように、思わず苦笑してしまいそうになる。
何もそこまでバッサリ切り捨てなくても……とは思うが、ぼくが口を挟むべきことでもない。

「わたしに対しても、帰ってくるなり別荘に連れ出して、その上自転車の練習に誘って、って……どうもね。父親としてこなすべきことを効率よく片付けてるって感じ」

うんざりとした様子で、鳴は肩をすくめ、

「可愛がってくれているのは分かるし、迷惑だって言い切るつもりもない。だけど、やっぱり……」

そこまで言いかけたところで言葉を切り、ため息をつく。
その後も続きを話し出す気配はなく、どうやらこの話はこれで終わりということらしい。

けれどぼくには、鳴が呑み込んだ言葉がなんとなく想像できた。
きっと、「だけど、やっぱり……」の後は、こう続いたはずだ。


――やっぱりわたしは、本当の娘じゃないから。
28 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:49:13.88 ID:qJudscWY0


さっきも触れたことだが、霧果さんは鳴の本当の母親ではない。
なら、誰がそうなのかと言えば……霧果さんの双子の妹・藤岡美津代さんがそうなのだ。

むろんぼくも、鳴にそんな事情があると知ったのはつい最近の話。
あの合宿の夜に本人の口からそう聞くまでは、彼女と霧果さんの関係を疑うこともなかった。

鳴はもともと、美津代さんとその夫である藤岡さん夫婦の間に生まれた。
藤岡未咲と共に、双子として。
二人は二卵性双生児だが、とてもよく似ていたらしい。
少なくとも、鳴が彼女を「自分の半身」と形容するくらいには、そうだったのだろう。

……そういえば、美津代さんと由紀代(霧果)さんも、同じように二卵性双生児で、やはりよく似ていたという話だ。

その霧果さんも、紅太郎さんと結婚して子供を身ごもったが……結果は死産。
加えて、それが原因で霧果さんは二度と子供を産めない体になってしまう。
霧果さんの悲しみは相当なものだったらしい。
それこそ、そのままでは正気を失ってしまいそうなほどに。

一方藤岡さん夫婦は、二人の子供を育てることに経済的な不安を感じていた。
奇しくも、双子の間で需要と供給がぴったり釣り合って――これは鳴の言葉だ――そして。

その結果、鳴は二歳の時に見崎家に養子に出されることとなり、今に至る。

鳴の両親に対するどこか他人行儀な態度は、このあたりの事情に端を発しているのだろう。
大人の都合で本当の両親から引き離された本人にしてみれば、自分は死んでしまった子供の代用品という思いを拭えないでいるに違いない。
29 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:49:48.40 ID:qJudscWY0
そして、そうまでして保った均衡も、今年で壊れてしまった。
藤岡未咲が、亡くなってしまったのだ。

腎臓の重い病気を患った彼女は、母親である美津代さんから腎臓移植の手術を受けたという。
結果は成功。経過が安定したのを見計らい、東京の大きな病院から夜見山の市立病院に戻ってきていたのだが……。

様態が急変し、彼女が命を落としたのは四月も終わりのころ。
そう、今年の<災厄>による四月の、そして最初の犠牲者が彼女だった。

――親御さんがすごく取り乱して、大変だったとか。

水野さんが、そんな風に言っていたことを思い出す。
彼女の両親は当然のこと、鳴の悲しみも相当なものだったはずだ。
お互い親には内緒でこっそり会っていた、なんてことも言っていたし、とても仲が良かったことは間違いない。

とにかく、そんな出来事があって……。
今では、霧果さんと美津代さんの立場が逆転してしまっている。

もちろん、じゃあ今度は鳴をもとの両親のところに戻して……なんてことは馬鹿げているし、そんな単純な話でもない。
それは分かっているのだが、それでも両家の関係はなんともいびつだ。
30 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:50:30.21 ID:qJudscWY0
――会いたいって、思ったよ。

本当の両親である美津代さん夫婦について、以前に鳴はこう言っていた。
しかし、霧果さんは鳴が彼女に接近することを極端に嫌い、そして恐れている。

それ以外のことに関しては、基本的に霧果さんは放任主義だという。
鳴がその気になれば、いくらでも彼女には秘密にして会いに行くことは難しくないはずだ。
それなのにそうしないのは、きっと霧果さんに対してもまた、割り切れない感情が鳴にはあるからで……。

当の鳴は、肘掛けの一方にもたれかかるようにして人形たちを眺めている。
そもそもの目的であったここでの気分転換に、改めて戻ったということだろうか。

それにしてはなんだか、思いつめたような表情をしているのがぼくには気にかかる。
鳴にしてみれば、さっきのことはただ単に話の流れでそう口にしかけただけのことで、ぼくがあれこれ気にすることもないんだろうけど……。
それでもこの空気は、やっぱり少し辛い。
――よし。

「あのさ」

沈黙を避けようとぼくがそう声にしたのと、

「あのね」

まるで意を決したかのように鳴が言葉を発したのは、ほぼ同時だった。

「あ……ごめん。何だった? 先に話していいよ」
31 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:51:00.64 ID:qJudscWY0
すぐにそう言ったものの、鳴はただ首を横に振る。
どこか、安堵しているようにも見える表情だった。

「別にいい。榊原くんが話して。……それに、あんまり大したことでもないし」

今ので気勢を削がれてしまった、ということらしい。
たぶん、これ以上はぼくがいくら促そうとも無駄だろう。

ぼくは仕方なく、言いかけていたことの続きを口にした。
とはいえ、こっちもこっちで大したことではないのだけれど。

「えっと……夏に見崎が行ってた別荘、あったよね。あれもひょっとして、きみのお父さんが中村青司に建ててもらったもの?」

この質問に、深い意味はなかった。
ただ、ちょっと暗い方向に傾きかけたこの場の雰囲気を変える話題として、ふと思いついただけのこと。

そしてぼくの狙い通りと言うべきか、「ああ」と返事をする鳴の表情からは、さっきまでの憂いの色は消えていて。
それは良かったのだけど……鳴の答えは、予想していないものだった。

「あそこは違うの。……中村青司が建てたのは、この家だけ」

「あれ、そうなんだ?」
32 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:52:04.39 ID:qJudscWY0
「お父さんは、別荘も中村青司に依頼するつもりだったのかもしれないけど……その前に、彼が亡くなってしまったから」

「亡くなった? それは、病気か何かで?」

小さく首を振る鳴。

「わたしたちがまだ小さいころの話で、あまり詳しくは知らないけど……殺人事件だったみたい」

「……え?」

ぞくりと、背中を冷たいものが通った。
それまで意識すらしていなかった、地下展示室の空調の低く唸るような駆動音が、急にうるさく感じられる。
それでも鳴の口調は、いつも通りの淡々としたもので。

「中村青司とその妻、それから、住み込みの使用人も殺されてしまって、ワイドショーやニュースでも大きく取り上げられてたって」

ずうぅぅぅーん……。

空調の音はいつの間にか、聴き覚えのあるあの重低音へと変わっていた。
手術で完治した肺に忘れたはずの息苦しさを覚え、胸の辺りを押さえたくなったが、なんとかこらえる。

「……だから、お父さんは依頼できなかったの」

そんなぼくをよそに、鳴は話をこう結ぶ。

頭の中で反響する重低音は、当分消えてくれそうもなかった。
33 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:52:38.32 ID:qJudscWY0


ひとしきり話し終わった鳴は「んっ」と軽く喉を鳴らす。

「喉渇いたし、何か上で飲まない?」

「……ああ、うん。でも、いいの?」

「言ったでしょ、暇なの。それに『何か』って言っても、出てくるのはいつもの紅茶だし」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

正直、ありがたい申し出だった。このままここにいたら、具合が悪くなっていたかも……。

――ひょっとして、ぼくに気を遣ってくれた、ということだろうか?

だとしたら……ううむ、ちょっと情けない。
椅子から立ち上がり、二人で奥のエレベーターに向かった。

初めてここに来た人は、エレベーターがあることに気づかないかもしれない。
地下室展示室の奥に、こちらに背を向けて立っている一際大きな陳列棚がある。
その更に向こう側、カーテンの奥がエレベーターホールになっているのだ。
34 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:53:14.75 ID:qJudscWY0
そして、陳列棚とカーテンの間、そのスペースにあるのが……
例の、棺に入った鳴そっくりの人形だ。
こうして間近で見るのは久しぶりだけど、いつ見ても本人に――というのは鳴にすれば不適切なんだろうけど――似ている。
人形なだけあって、流石に背丈は鳴よりふた回りは小さいし、髪も肩より下まで伸びているけど……何より顔が鳴そのものだ。

それから……その右目には、鳴のあの<人形の目>と同じ、蒼色の瞳。
長い髪に隠れて今は見えない左目にも、同じ輝きがあることをぼくは知っている。

見慣れているのだろう、鳴はまるで気にした様子もなく棺の横を通り抜け、カーテンの向こう側に消えていく。
立ち止まるわけにもいかず、ぼくも人形を眺めるのはそこそこに、カーテンに手をかけ、その向こうに……。
――と、その時。

「……?」

ふと、違和感を覚えた。
自分でも、何に対してそう感じたのか分からないまま、動きが止まる。
何だ?
一体、何が引っかかったんだ?

……人形?

棺の中を覗き込んだ。
蒼白いドレスに身を包んだ人形が、こちらを見つめている。
それは以前、初めてここを訪れた時のものと、全く同じ。

違う。
人形じゃない。

じゃあ、何が……。

「どうしたの?」
35 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:53:54.53 ID:qJudscWY0
カーテン越しに、鳴の声が聴こえてきた。

「……ごめん、何でもない。すぐ行くよ」

それ以上は諦め、カーテンをくぐることにする。
エレベーターホールは、ちょうど床の形が正方形で、向かって正面と右手側にはむき出しのコンクリートの壁がある。
そして左手側にあるエレベーターの中から、鳴が不思議そうにぼくの方を見ていた。
薄暗い地下展示室の中では、エレベーター内の白い照明は眩しいくらいだ。

ぼくが早足でエレベーターに乗り込むと同時に、鳴が「3」のボタンを押した。
扉が閉まり、直後に全身が浮遊感に包まれる。

……毎度のことだけど、この感覚はどうも好きになれない。
もともとぼくが苦手だったということもあるけど、それが決定的になったのは……たぶん、水野さんが巻き込まれた事故から、だろう。
あれが<災厄>によって引き起こされた、通常起こりえないような事故だということは、頭の中では分かってはいるけれど……。
それでもやっぱり、エレベーターに乗るたびそのことを思い出してしまうのも事実だ。
そのうちこの小さな箱が、まるで棺の中のように思えてきて……。

――棺。

そうだ、棺だ。
違和感の正体が、ようやく分かった。

棺がひとつ、消えていたのだ。
確か、あの鳴の人形が入った棺のあるスペースには、棺がふたつ置かれていたはずだ。
色も大きさも全く同じ棺がもうひとつ、背中合わせになって。
36 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:54:43.12 ID:qJudscWY0


――新しい人形が、この中に納められるみたい。

ぼくがそれを見たのは、夏休みのある日のことだった。
そう言った鳴の言葉通り、棺の中は空っぽで……代わりに、鳴がそこにいた。
鳴は<人形の目>――その「うつろなる蒼き瞳」でぼくを見つめ、

――安心して。榊原くんは<死者>じゃないから。

そう、ぼくに告げた。
自分こそが<死者>ではないのか、そんな疑念を捨てきれずにいたぼくを、勇気づけるように。


無くなっていたのは、その空の棺の方だ。
すると……「新しい人形」が、いよいよ完成するのかもしれない。
そのために、霧果さんが工房に棺を持っていった、とか。

一階のギャラリーか、それとも地下展示室か。それは分からないけれど、近いうちに飾られるということだろう。
霧果さんの人形に心惹かれている身としてはやはり、そうなったら見に行かないとな、という気になる。
……別に、またここを訪問するちょうどいい口実ができたと喜んでいるわけではない。決して。

そんなことを思っている間に、エレベーターは三階に到着した。
37 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:55:38.15 ID:qJudscWY0


「どうぞ」

鳴から缶のレモンティーを受け取り、それぞれ手近なソファに腰を下ろす。
この家の三階、相変わらずモノがないリビング兼ダイニングキッチンは「寒々とした」なんて表現をしてしまいそうだが、
あの薄暗い地下から上がってきたぼくにしてみれば、ここは人の温もりを感じる憩いの場だ。

「いただきます」と鳴に向かって軽く缶を掲げてから、プルトップを開けて一口飲む。
それだけで、先程までの不安や不調はすっかりと洗い流されていく。

そうしてまさしくぼくが一息ついたところで、「落ち着いた?」と鳴に問われ、思わずぎくりとした。

見れば、鳴は紅茶を口にせず、ずっとぼくの様子を窺っていたらしい。

――やっぱり、バレていたのか。

見栄を張ってやせ我慢した甲斐がなかったと知り、肩をすくめたくなる。

「ごめん、もう大丈夫だから」

「ううん、この前と今日とで、そういう話が続いちゃったものね」そう言って、ようやく紅茶を口に運ぶ。「いくら榊原くんが慣れたって言っても……」

「確かに、いきなりああいう話になって、ちょっと驚いた部分はあったかな」
38 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:56:39.75 ID:qJudscWY0
鳴は小さく頷き、それからまた紅茶を一口飲んで、ぽつりと言った。

「もうこの話、おしまいにしよっか」

「もうって……まだ続きがあったの?」

「ないわけじゃないけど……でも、そこまで面白くもないかもしれないし」

そう言って眼帯を隠すように、ぽん、と左手を顔に当てる。

「うーん、そういう風に言われるとなあ」

「気になる?」

「そりゃあ、ね」

ひと心地ついたからだろう、改めて興味を取り戻す程度には余裕が出てきていた。
調子がいいなと言われてしまえば、それまでであるが。

「それならそれでもいいけど……もう少し休んでからかな」

缶を置いて、くっと伸びをする鳴。
そして、こう続けた。

「続きを話すにしても、どうせだったら下のほうがいいし」

「そうなの?」

「いろいろと、都合がいいから。……だから、無理しなくてもいいけど?」

また地下展示室に行くことになるが大丈夫なのか、ということなのだろう。
心配には及ばないと伝えると、鳴は頷き「じゃあ、もう少しゆっくりしてからね」と言うのだった。
39 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:57:26.69 ID:qJudscWY0


それからリビングでしばらくの間、学校の話とか最近読んだ小説の話とか、そういう他愛もない会話を続けて二十分ほど経ったころ。
奥のドアが開き、霧果さんが入ってきた。

以前会った時の霧果さんは、飾り気のない服装で頭にはバンダナを巻き、いかにも「作業の途中」といった感じでここにやって来た、という記憶がある。
しかし今日の彼女は両耳にイヤリングを着け、薄く化粧もしているようだった。
服装こそ変わらず落ち着いたものだったけど、全体的に「よそ行き」の雰囲気を漂わせている。
そういえば今日は工房が休みという話だったし、どこかへ出かける用事でもあったのかもしれない。

霧果さんは、ぼくの姿を認めたかと思うと「あら」という声を出して、その動きを止めた。

「……えっと、あなたは……」

ぼくも慌てて立ち上がって挨拶する。

「すいません、その……お邪魔してました」

霧果さんは無言のまま、困惑しきった表情を浮かべている。
すっ、とその視線が助けを求めるように鳴に向かうのとほぼ同時に、鳴が口を開いた。

「同じクラスの榊原くん。結構前にも一度、来てもらったことがあって」

それを聞いて、霧果さんはようやく合点がいったというように「ああ、そうだったの」と表情を和らげる。

「鳴のお友達ね。……榊原くん、だったかしら? ごめんなさいね」

「いや、ぼくの方こそ挨拶もなしに……」

何度か電話で話をしたとはいえ、霧果さんと直接顔を合わせたのは半年前の一度きりだし、その時にしたってぼくはすぐに帰ってしまったのだ。
覚えていなくても無理はない。
40 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:58:02.50 ID:qJudscWY0
「……お母さん、ここで何かするつもりだった?」

「そろそろご飯の準備をしようかと思ってたんだけど……でも、今はお邪魔みたいね」

そう言われて時計を見れば、ちょうど四時を回ったところだった。
この家に来てから一時間は経っていないはずだけど、そもそも訪れた時間も遅かったのだ。
鳴の言う話の続きも気になったが、そろそろ帰るべきかもしれない。

そう思い、帰る旨を伝えようとしたのだが、鳴が「榊原くん」と言う方が早かった。

「下、行こっか」

「えっ?」

「続き。――気になるんでしょ?」

「あ、うん……でも」

ぼくが答えに戸惑う間にも鳴は立ち上がり、奥の扉へてくてくと歩いていく。
有無を言わせないその様子に、ぼくもただ彼女についていくしかない。

ドアを開けたところで「ここ空けるから、使っていいよ」とだけ母親に告げ、鳴はそのまま先へ行ってしまう。

「ごめんなさいねえ、なんだか追い出したみたいになっちゃって。ゆっくりしていってね」

申し訳なさそうに微笑む霧果さんにぎこちなく会釈をして、鳴の後を追った。
41 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:58:42.56 ID:qJudscWY0


廊下を出ると、少し進んだ先に鳴がいた。
体は前に向けたまま、首だけをこちらに向け、ぼくが追いつくのを待っている様子だ。
ぼくが来たことを認めると、鳴はまたぷいと前を向き、奥のエレベーターへと歩いていってしまう。

「ちょっと、見崎」

思わず呼び止めると、鳴は足を止めて再び顔をこちらに向け、不思議そうな表情で、

「どうかした?」と訊いてくる。

少し、引っかっていることがあった。
問題は、果たしてそれをぼくの方から尋ねてもいいものか。

一瞬迷ったが、結局、

「いや……置いていかれそうだったから」

と、言葉を濁すだけにして、そのまま近くまで歩み寄る。
鳴もそれで納得したのか、軽く頷いただけだった。

エレベーターは既に三階に止まっており、すぐ乗り込むことができた。
霧果さんが、リビングに来る時に使ったのだろう。お互いに口を開くこともなく、再び降下する。

沈黙だけが詰まった棺の中で、ぼくは先程訊けなかった問いを思い出していた。
それはついさっき、三階で目にしたやりとりについて。

どこかぶっきらぼうな鳴と、それでもなお、愛想よく振る舞う母親。

……別に、年頃の娘がいる家庭では、これが普通のやりとりなのかもしれない。
でも、だからこそ、ぼくにはそれが引っかかったのだ。
42 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 01:59:17.56 ID:qJudscWY0
以前ぼくが霧果さんと出会った時も、今日のように三階でぼくと鳴が話しているところに彼女はやって来た。
その時の鳴と霧果さんのやりとりは、今でもよく覚えている。

自分の母親に「ですます調」を使って話す鳴。
それを気にとめるでもなく、やはりフレンドリーではあるけど、鳴に対してはどこか言葉少なげな霧果さん。
いずれにせよ、今日の二人の会話と比べるとひどく他人行儀なものだった。

それについて鳴は「仕方ない」と言うのだった。「わたしとあの人は、ずっとあんな感じ」とも。
きっと、その原因は二人の抱える秘密――本当の親子ではない――にあるのだろう。

……だとしたら、それを鳴が知る前はどうだったのだろう?

鳴が秘密を知るに至ったのは、ある時天根さんが口を滑らせてしまったからで、つまりはアクシデントだ。
秘密をずっと隠し通したかったであろう霧果さんは、ものすごく慌てていたらしい。

つまり、その出来事さえなければ、鳴が自分の母親に疑念を持つこともなかったのだろう。
ならばそうなる前の二人は、もっと普通の親子だったんじゃないだろうか。
それこそ今日、ぼくが目にしたように。

もともと、そうであった期間の方が長い二人。
何かのきっかけで、元に戻るということもあるのかもしれない。

……それともまさか、前にぼくから口調について問われたことを、意外にも鳴は気にしていたのだろうか。

いつもと変わらぬ様子でぼくの隣に立つ鳴を見やり、さすがにそれはないな、と思い直す。
43 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:00:08.76 ID:qJudscWY0
何にせよ、ぼくがあれこれ考えても仕方ないことだ。
変化の理由も、それから……何が普通か、なんてことも。

ぼくの母親は産まれてまもなく亡くなってしまったし、
父親にしても、あれが「普通の父親」という枠をはみ出していることくらいは、ぼくでも分かる。
だからぼくに、普通の親子のやりとりがどんなものか、なんて決められるはずもなく。

……ぼくにとっての「母親とのやりとり」とは、この夏までの怜子さんとの生活が、あるいはそうだったのかもしれない。
だけど、それもいずれは忘れてしまう。

エレベーターが止まり、扉が開いた。
パネルの近くに立っていた鳴が「開」のボタンを押し、先に降りるようぼくに目で促す。

――語るすべを持たないことに頭を悩ませるのは、ひとまずやめにしよう。

鳴に向かって軽く頷き、ぼくは再び地下展示室へと足を踏み入れた。
44 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:00:38.73 ID:qJudscWY0
10

それから数分後。
この家の三階、エレベーターの前にぼくはいた。
廊下の奥、リビングに通じるドアの向こうからは、霧果さんが料理をしているのだろう、とんとんとリズムよく包丁の音が聞こえてきている。

……さっき地下にいたはずのぼくが、どうしてここにいるかって?
どうしてなのかは、ぼくにもさっぱり分からない。
きっと、それを知っているのは鳴だけだろう。
45 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:01:38.20 ID:qJudscWY0


――地下に戻ると鳴は、例の自分そっくりの人形が入った棺の前で足を止め、その中に目を落とした。
ぼくもつられて人形を見る。
当然、ぼくらが上へ行く前と何も変わらぬ佇まいで"彼女"はそこにいた。

ここに来た目的であるはずの話の続きが始まる様子もないまま、しばらく二人でそうしていたぼくらであったが、
鳴がおもむろに右手を伸ばし、人形の頬に触れた。そして、ゆっくりとその頬を撫でる。
まるで赤ん坊をあやすかのような、優しい手つきで。

「この子とも、もうすぐお別れね」

手の動きは止めないまま、独り言のように鳴が言う。

「……見崎?」

真意を図りかねたぼくの言葉には応じないまま、不意に彼女の手の動きが止まる。
ややあって、脱力したようにだらりと垂れる右手。

かと思えば側に立てかけられていた蓋をやおら持ち上げ、ぱたん、と棺を閉めると、鳴はこんなことを言い出した。

「今の、見たよね?」

「は?」

あまりにも唐突な言葉に、思わず面食らう。何を言われたのかすら、理解に時間を要した。
数拍の間を置いて、ようやくそれがぼくへの問いかけであると気づく。

「見た、って……人形の棺に、見崎が蓋を閉めたよね。そのこと?」

それを聞いた鳴はただ「うん」とだけ頷き、更に意味不明なことを言う。

「じゃあ榊原くん。少しの間、上に戻っててもらえる?」

「上?」
46 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:02:22.03 ID:qJudscWY0
今まさに降りてきたばかりなのに、また上に? しかもぼくだけ?
状況が飲み込めないぼくに、鳴はこともなげに頷く。

「榊原くんには、今のを見ていて欲しかったの。後はわたしだけで準備をしたいから、さっきのリビングで待ってて。終わったら呼びに行く」

「リビングって言ってもさ……それに、準備って」

そもそも今、あそこでは霧果さんが料理をしているんじゃなかったか。

「そんなに時間はかからないと思う。……だから」

質問は認めませんと言わんばかりに「さあ行った行った」という手振りの鳴。
わけが分からないうちに、エレベーターの前まで追いやられるぼく。

……結局、今は鳴の言う通りにするしかないだろうと判断して、ぼくは一人エレベーターに乗り込んだ。
鳴に見送られながら、である。

ぼくがいなくなるまで、その「準備」をするつもりもないのだろう、最後まで鳴はエレベーターの前を離れなかった。
ドアが閉まる直前、

「ちゃんと上で待ってないとだめ、だからね」

なんて、しっかり念を押すことも忘れずに。
47 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:02:55.75 ID:qJudscWY0


それが、さっき地下であったことの全て。
そうして再びぼくが三階に戻ってきたのが、今というわけだ。

腕時計に目を落とす。
あれから五分が経ったけど、エレベーターの階数表示はぼくが乗った後から変わらず「3」のまま。

ふう、とため息をひとつついて、今度はリビングに通じるドアを見やる。
包丁の音が止み、冷蔵庫を開け閉めする音や水の流れる音がしたかと思えば、また包丁の音。
色々な音が絶え間なく聞こえてきて、その向こうで忙しなく動き回っているであろう霧果さんの姿が目に浮かぶ。

そんな中に入っていって鳴を待つというのは、やっぱり気まずい。
「そんなに時間はかからない」と言っていたことだし、このままここで待っていてしまおう。
そう考えて、ぼくはまたエレベーターとのにらめっこに戻った。
48 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:03:47.56 ID:qJudscWY0
それから、更に五分後。
状況に変化はなく、鳴が戻ってくる様子もない。
時計の針は、ちょうど四時二十分を指したところだった。

……正直なところ、そろそろ焦れてきた。
さすがにもう少しで戻ってくると思いたいけれど、下で鳴が何をしているのか分からない以上、予測のしようもない。

鳴は、話の続きは地下の方が都合がいい、と言っていた。
資料とか写真とか、そういうものを準備するだけなら、わざわざ地下に行ったりぼくだけを遠ざけたりする必要もない。

じゃあ、鳴の言う準備とは、ぼくに見られると都合の悪い地下にある何か、ということなのか。
なのに一方で、棺に蓋を閉める場面については、ぼくに見ていて欲しかったらしい。
全く意図が読めない。

……結局、その「何か」がはっきりしない内は、いくら考えても同じところをぐるぐると回るしかない。
何度目かの「とにかく鳴を待とう」という結論に達したところで、また時計を見る。
あれこれ考えていたからこれで五分は経ったはずと期待していたけれど、実際に進んだのは二分と少しだけ。
これまた何度目かのため息をついた時、視界の端でドアが開き、エプロン姿の霧果さんが現れた。
49 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:04:36.11 ID:qJudscWY0
11

当然ながら、ぼくがいるとは思っていなかったのだろう。
ぼくを見るなり霧果さんは、何か珍しいものでも見つけたような、きょとんとした表情を浮かべた。

「鳴は? 確かさっき、二人で下に行くって……」

「そうなんですけど……その、よく分からないんですが見崎からここで待っているように言われてしまって……見崎は、下に」

説明になっていない説明だと、自分でも思う。
いきなりこんなことを言われたって、霧果さんの方こそわけが分からないはずだ。
だけど、本当にこの通りなのだからこう言うしかない。

案の定、霧果さんは「ふうん」と頷きつつも釈然としない顔をしている。

「ここで立ってて疲れない? あっちで座って待っていたら?」

「たぶん、もうすぐ戻ってくると思うので大丈夫です。……すみません、こんなに遅くまでお邪魔してしまって」

それを聞いた霧果さんの顔が「ふふ」とほころぶ。

「別にそういうつもりで言ったんじゃないのよ。大体、あの子が言い出したことなんでしょう? ……迷惑かもしれないけど、お相手してあげてね」

「いえ、そんなことは」と言いかけて、やっきになって否定するのもどうなんだ、と思い直した。
それにしても、いくらクラスメイトとはいえさほど親しくもない、しかも男子のぼくについて、霧果さんは何とも思っていないのだろうか。
鳴は、そういうところも霧果さんは放任主義だと言っていたけれど。
必要以上に警戒されるのもどうかと思うが、こうまで無警戒だと、他人事とはいえなんだか心配になってくる。
50 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:05:07.96 ID:qJudscWY0
「……鳴は、下にいるのよね」

もう一度、その事実を確認するように霧果さんが言う。
いつの間にか、その顔はいつもの無表情に戻っていた。

「えっと……はい、そのはずです」念の為、階数表示が変わっていないことを確かめてから答える。

彼女は一瞬、ためらうように視線を巡らせた後、意を決したように切り出した。

「あなたたちのクラス――夜見北の三年三組って、少し前に色々と大きな事故があったって話を聞いたの」

「え……」

思いがけない話題に、取り繕うことも出来ずに反応してしまう。

「担任の先生が亡くなったり、夏休みにあった合宿でも火事があったりで生徒さんも何人か亡くなったって……それは、本当?」

「……見崎からは、何も聞いていないんですか?」

霧果さんは首を横に振る。

「訊いたけど、教えてくれなかった。『もう大丈夫だから』って。……やっぱり、本当にあったことなの?」

実際に今年の<災厄>が終わった今となっては、もう危険がないのは事実であるし、
何より鳴にしてみれば、事実を教えた結果として霧果さんから必要以上に心配されるのが嫌なのだろう。
なんとも鳴らしい説明のしかただな、と思った。
51 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:06:19.79 ID:qJudscWY0
そして鳴が黙っているつもりなら、ぼくが勝手にそれを教えるべきではないのかもしれない。
だけど、ニュースや新聞で報じられている合宿の火災をはじめとしたいくつかの事故については、そもそも隠し通せることでもない。
今年三組を襲った<災厄>について、そのいくつかが既に霧果さんの知るところとなっているのも当然のことなのだ。

「どんな話を聞いているのかは知らないですけど、そういうことがあったのは……本当です」

だとしたら、はっきりしたことを伝えないのは、彼女の不安を募らせるだけだと感じた。
ぼくの父でさえ、合宿の後でぼくが入院した時にはひどく心配していたし、何も教えていなかったことについては散々怒られた。
あれだけのことがあったと知れば、心配するのは親として当然のことなんだろう。

それを聞いて、霧果さんが「やっぱり」と漏らす。

「合宿の事故については、後で学校から保護者の人を集めた上で詳しい説明があったって聞きました」祖母はその時入院中のぼくにつきっきりだったから、そこでどんな話があったのかぼくは知らない。「それには……?」

彼女はまたしてもかぶりを振る。

「それも、知らなかったわ。……ごめんなさい、知らないことばっかりで」

どことなく自嘲の色を帯びてきた口調に、どう返すべきか言葉に迷ってしまう。
沈黙が重くなる前に、思いつくままに言葉を並べた。

「でも、ここ最近はクラスも平和でようやく落ち着いてきましたし、だから見崎も大丈夫って言ったんだと思います」

「……そう。じゃあ、今さら私にあれこれ訊かれるのが、面倒だったのかしら」

「面倒というか……心配をかけたくなかったんじゃないでしょうか」ただ鳴の場合、心配されることそのものが面倒、という部分はあったのかもしれない。

「きっと、そうなんでしょうね。でも、良かった。もし鳴にまで何かあったら、私――」

そこまで言ったところで彼女は、しまった、という顔をして言葉を切る。

「ごめんなさい。クラスの中には、亡くなってしまった子もいるのよね。もしかしたら、あなたのお友達だって」

「……」

一瞬、ぼくの中で区切りをつけたはずの様々な感情がよみがえってきて、何も言えなくなってしまう。
52 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:07:01.35 ID:qJudscWY0
そう、四月から八月まで、何人もの人が死んだ。
<災厄>が止まっても、その事実まで元に戻ってくれる訳ではない。

千曳さんによれば、教師が<死者>として復活したのは、今回が初めてのことだったらしい。
その他にも今年は、不測の事態がいくつか重なっていて……。
<災厄>を未然に防ぐことは、おそらく不可能だったのだろう。
それは分かっているつもりだ。

けれど、ぼくはどうしても考えてしまう。
もっと早く、<災厄>を止める方法を知っていれば。
もっと早く、<死者>が誰かを知っていれば。
ここまでの犠牲を出さずに済んだのではないか。
そして怜子さんとも、もっと違う別れ方があったんじゃないか……と。

最近は思いを馳せることも少なくなっていた苦い後悔が、ぼくの胸に滲んでいた。

――鳴は、こうなるのが嫌だったのか。
そんなことを思った。
まとわりつく想いを振り払うように、口を開く。

「いえ、ぼくもそう思います。見崎が無事で、良かったって」
53 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:07:55.54 ID:qJudscWY0
これもまた、偽らざるぼくの本心だった。
ぼくや鳴にしても、<災厄>の犠牲にならなかったのはただ運が良かったからでしかない。

特に鳴の場合、自分の身の安全というものにどうにも無頓着なように思えて、ついやきもきしてしまう。
この前聞いた夏休みの話でも、実際に危険な目に遭っていたようだったし、
合宿の時だって、ぼくが電話しなければそのまま彼女はひとりで全てを終わらせていたはずだ。

だから、心配している人がいるということをもう少し考えてほしい……のだけど。
そんなことは、ぼくのわがままなんだろうな、きっと。

「……そうね。いろいろ教えてくれて、ありがとう。鳴と、仲良くしてあげて」

霧果さんが、淡く微笑んでそう言う。
「はい」とだけ言ってそれに頷いてから、急に気恥ずかしくなったぼくは、取ってつけたようにエレベーターに向き直った。
――と。

ちょうどその時、階数表示が「3」から「2」へと変わった。
それはそのまま「B1」までスライドして、少しだけ間を置いて今度は逆に動き出す。

そして再び「3」になり、中から鳴がようやく姿を見せる。
時刻は、四時三十分になっていた。
54 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:08:44.09 ID:qJudscWY0
12

ぼくと目が合うなり、鳴は、

「ここで待ってたんだ」

とだけ言って、エレベーターを降りた。
ぼくや霧果さんが二人してこんなところにいてびっくりするかと思ったが、そんなことはないらしい。

ふと、鳴の髪に小さな埃がくっついているのに気がついた。
髪だけじゃなく、服にもところどころ埃が付着していて、彼女が黒い服を着ているせいかそれはよく目立つ。
ぼくと同じくそれに気づいたとみえる霧果さんが何かを言いかけたものの、ぼくの前でそれを咎めることを思いとどまったのか、何も言わなかった。

――いったい、下で何をしていたんだ?

とにかく頷いたぼくに、鳴は続ける。

「準備、終わったよ。……行こっか」

「えっ、もう?」

いきなりか。
さっきまで散々鳴を待ちわびていたというのに、いざそう言われるとなんだか気後れしてしまうのが不思議だ。
鳴がボタンを押し、そしてまたエレベーターの扉が開く。
なんとなく霧果さんの方を見たが、さっきの微笑みのまま「どうぞ」というように軽く頷かれただけだった。

まあでも、話の続きが聞きたかったことは間違いないし、
それにこのまま、ここで三人で立ち話、というわけにもいかないだろう。
――行くか。

そう思って足を踏み出した途端、ごごごご……という地鳴りのような音が、びりびりと空気を振動させながら伝わってきた。
55 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:09:25.89 ID:qJudscWY0
「あら、雷かしら」

霧果さんがリビングのドアを振り返って言う。

そういえば、今日は夕方から雨の予報じゃなかっただろうか。
家を出た時はまだ晴れていたから、傘は持ってきていない。
仮に雨が降っていたとして、今さら慌てて帰るなんてことにはならないけれど、それでも外の様子が無性に気になった。

「ごめん、見崎。下に行く前に、雨が降っているかどうかだけ確認したいんだけど。――いいですか?」

鳴は無言で、霧果さんは「ええ」と言いながら、小さく頷く。
そんな何気ない仕草ひとつをとっても、やはり二人はよく似ていた。
56 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:10:03.99 ID:qJudscWY0
13

リビングの奥にある窓から、外を見る。
思った以上に外は薄暗くなっていた。
夏休みのころに比べたら、だいぶ日が短くなったと改めて思う。
雨こそまだ降っていなかったが、空は暗い色をした雲に覆われ、いつ降り出してもおかしくない。

窓ガラスに顔を寄せるぼくの眼前で、不意に遠くの雲がチカチカと明滅し、そして再び空気が震えた。
雷はどうやら、この近くで鳴っているわけではないらしい。
とはいえ、話の続きが終わったら流石に帰るべきだろう。

そんなことを考えながら外を眺めていると、視界の下の方から影が現れた。

「――ん?」

半ば反射的に、視線がそちらを向く。
リュックを背負った人影が、目の前の道路を歩いていた。
薄暗くてあまりよく分からないが、歩き方や服装からして男だろうか。
全体的にすらりとした印象で、おそらく身長もそれなりにありそうな感じだったけれど、
ここからは見下ろすアングルになるため、どうもはっきりしない。

いや、それよりも。

――今この人、ここの入口から出てこなかったか?
57 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:11:03.66 ID:qJudscWY0
注意して見ていたわけじゃないから、自信を持っては言えない。
だけど、さっきまでこの道を歩いている人は一見していなかったはずだ。
それがこうして、いきなり現れた。しかも足元から。

ギャラリーを訪れていたのだろうか?
そういえば、ぼくがここに来てから、鳴は結局入口の鍵をどうしたのだろう。
鍵の話をしたものの、ぼくらはそのまま三階に上がってしまったから、
準備のために戻った鳴がずっと地下にいたのだとすれば、鍵はまだ開いたままなんじゃないか?

それで、あの人もぼくと同じく閉館とは知らずに入ったけど、人の気配がなくて帰ることにした、とかなのだろうか。

男はそのまま、ぼくから見て右へと歩いていく。
そうして丁字路にさしかかったところで、急に立ち止まり、こちらを振り返った。

目が合った、と感じた。
暗い上に距離もあるから、それがはっきりと分かったわけではない。
だけど、振り向いたその顔はぼくの方へとまっすぐ向けられている。

男はそれから、顔に手をやる。
庇を作るとでもいうのか、こちらをよく見ようとしているような動きだった。

考えてみれば、向こうからは明かりの点いたリビングの窓も、その前に立っているぼくのことも、よく見えているはずだ。
ぼくからは見えない。
でも、あっちからは見えている。……見られている。
58 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:11:59.24 ID:qJudscWY0
それに気づいた途端、まるで周囲の温度が急に二、三度下がったような寒気を覚えた。
なのに、ぼくは窓から離れることも、輪郭すらあやふやなその顔から視線をはずすこともできない。
明るいはずの室内はどんどん暗くなっていき、代わりに男の姿は闇の中でぼうっと浮かび上がってくる。
そのうち、ぼくらを隔てていた窓ガラスも消え失せ、暗闇の中、ぼくとその男だけが――。

「雨、降ってなかったんだ」

すぐそばで聞こえた鳴の声で、急速に感覚が引き戻された。
いつの間にか、隣に立っていたらしい。

「でもやっぱり、天気はあんまりよくないね。……帰る? それでもいいよ」

「……いや、大丈夫だよ。行こう」

そう返して、ぼくは最後にもう一度、男が立っていた場所に目をやる。
そこにはもう、誰の姿もなかった。
59 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:12:50.82 ID:qJudscWY0
14

「結局、さっきの『準備』ってなにをやってたの」

「秘密」

「秘密って……話の続きで、ここに戻ってきたんだよね? それと関係があるんじゃ?」

「もちろんそう。でも、まだそのタイミングじゃないってこと。後でちゃんと教えるから、安心して」

ようやく、というべきか。
今日三度目の地下展示室に、ぼくと鳴はいた。
とはいえ、鳴がここでなにをするつもりなのかは、相変わらずよく分からないのだけど。
エレベーターから降りたところで質問をぶつけてみたけど、結果はこの通りだ。

「まあ、後って言っても、もうすぐ分かるけどね。――榊原くん、そこのカーテンをめくってみて」

言われるがままに、展示スペースへと続くカーテンをめくる。

「あれ?」

異変にはすぐ気がついた。
さきほどまでそこにあったはずの、例の人形。
鳴そっくりの人形が、それを納めていた棺ごと忽然と消えていたのだ。
どこに行ったのかと展示室全体を見回してみても、目が届く範囲には見当たらなかった。

困惑するぼくの背後から、くす、という微かな笑い声。
振り返ったぼくに、鳴は気取った調子でこう言った。

「分かった? じゃあ、榊原くんに問題です」


「――人形は、どこに消えたでしょう?」
60 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:13:51.95 ID:qJudscWY0


「問題って……どういうこと?」

「さっき上で待ってもらっている間に、ここにあった人形をわたしが隠したの。場所は、この地下のどこか」

両手を後ろ手に背中に回し、心なし胸を張るようにして話す鳴。
なんだか、自分が彼女の授業か何かを聞いているような気分になってくる。

「榊原くんには、それを見つけてもらいます」

「えっと……質問、いいかな」

「どうぞ」

発言を許可されたので、軽く咳払いをして言う。

「さっきぼくを上に行かせたのは、このためだったの?」

「そう。隠すところを見られたら、問題にならないから。……でも、棺がもともとここにあったのは、榊原くんも確かに見たでしょ? だから最初は一緒に来てもらったの」

「……なんだか、話がよく見えてこないんだけど。これは話の続き、なんだよね? つまりその、きみの家とそれを建てた人についてのさ」

「うん」

「きみが人形を隠して、ぼくがそれを探すことが、それにどう関係してくるの?」

「言ったらヒントになるから、それはまだ秘密。でも、見つけられたら分かると思うよ」

肝心なところをあやふやにされ、思わず深く吸った息を「……なるほどね」という言葉と一緒に吐き出す。
61 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:14:36.13 ID:qJudscWY0
鳴がいう「準備」とは、おそらくこのことだったのだろうと見当はついた。
しかしその理由については、相変わらずどころか一層分からなくなり始めている。

「いずれにしても、きみの言う通り人形を探すのが一番手っ取り早いのかな」

「そういうこと」

思えば、鳴からこんな風に謎かけというか、何かを挑まれるのは初めてのことだ。
しかもなんだか自信ありげな態度だし、それだけの「何か」があるということなんだろう。
そう考えると、にわかに興味が湧いてくるのだった。

もともとこっちは暇人だ。徹底的に付き合ってやろうじゃないか。
そう思い「それじゃあ」と言って取りかかろうとしたぼくを、鳴が手で制する。

「その前に。――時間は、何分がいい?」

「え、時間制限なんてあるの」

「だってここ、あんまり広くないし、時間をかければ絶対に分かるでしょ」

そう言って鳴はほんの少し袖をまくり、腕時計に目を落とす。
黒い革ベルトの、すっきりとしたデザインの時計だった。

言われてみれば確かにその通りなのだが、当然と言わんばかりのその様子に、少し意地悪がしたくなる。

「それはどうかな。……というか、きみが人形を隠したのって、本当にここなの」

それを聞いて、鳴は目だけをぼくに向ける。

「……どういうこと?」
62 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:15:46.72 ID:qJudscWY0
「だって、ぼくは隠したところ、見てないし。『ここに隠した』なんて言って、実はどこか別の……例えば、二階とか三階のどこかにあったりしない?」


そんなことを言いつつも、それがありえないということをぼくはよく分かっていた。
もし鳴が人形を上の階に隠したのだとすれば、その運搬には当然、エレベーターを使ったはずだ。
だけど、他ならぬぼく自身がずっとエレベーターの前にいて、それが三階から動かなかったことを知っている。
動いたのは唯一、鳴が戻ってきた時だけだし、その時鳴は手ぶらで、もちろん人形はどこにも無かった。

とはいえエレベーターを使わずとも、階段を登ってギャラリー、あるいは二階や三階に人形を持っていくことは可能だ。
ただしギャラリーからは直接二階に上がることはできないから、この場合は一度外に出て、外階段を使うことになる。
棺は鳴の背丈ほどの大きさがあるけど、中に入っているのは人形だ。
それなりの力仕事にはなるだろうが、棺を抱えて階段を上がることは鳴にもできるだろう。

二階や三階の入口については、先ほど鳴が言ったとおり施錠されているはずだから、もちろんそのままでは外から入れない。
だが、こと彼女に限っては、それが問題となることはないのだ。
この家で生活している鳴なら当然、それを開ける鍵を持っているのだから。

持ち運びや扉の開け閉めの手間を考えたなら、どう考えてもエレベーターを使った方が楽ではあるけれど……。
いずれにしても、エレベーターが動かなかった=上階に人形を運ぶことは無理、ではない。

だとすれば、鳴がぼくに勘付かれないようエレベーターを避け、階段を使い人形を運んだ可能性はあるか?

それもありえなかった。
そもそも鳴はぼくに「リビングで待ってて」と言ったのだ。
ぼくがエレベーターを――それもリビングに行かずずっと――見ていたなんて、知りようがなかったはず。
予測できないことを見越して、わざわざ手間のかかる方法を選ぶはずもない。
63 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:16:47.28 ID:qJudscWY0
それにぼくが言いつけ通りリビングにいた場合、今度は逆にギャラリーの外に出た瞬間を発見される危険すらある。
ぼくが先ほど、男の人を目撃したように。
もし階段を使うつもりだったとすれば、むしろ「エレベーターの前で待ってて」とでも言って、ぼくの意識を階段から逸らせるくらいのことはしそうなものだ。

要するに、この地下展示室のどこかに人形が隠されているのだろう、という点についてはぼくだって疑ってはいない。
ただ、なんでもかんでも鳴のペースで進んでいくのはちょっとなあ、なんて思っただけのことで。

「――ふうん、疑ってるんだ。榊原くんは」

ほんの少し眉を持ち上げ、しかしどこか楽しそうに鳴が言う。

「いいよ。そんなに怪しいって言うのなら、断言してあげる。一階にも二階にも、それから三階も……とにかく、この上には無いの。人形があるのは――」

すうっと、その右手が上がった。

「間違いなく、こ・の・ち・か」

一音一音区切りをきかせた「この地下」とシンクロした動きで、つんつんと床を指差してみせる鳴。
自信たっぷりのその様子に、思わず苦笑してしまう。
つられて鳴も微笑み、なおもこう続けた。

「もし人形が上で見つかったら、わたしの負けでいいよ」
64 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:17:39.61 ID:qJudscWY0
「負け、って……じゃあ、人形を見つけられたらぼくの勝ちってこと?」

「そういうことになるかな」

「勝ち負けがあるってことは、ひょっとして、その結果に応じて罰ゲームみたいなものが?」

「もちろん」と頷く鳴。

「何をするかはわたしが決めるから、まずは榊原くんが時間を決めて」

なるほど、そうするのか。
ぼくが決めた時間で「勝てる」と判断したなら、遠慮なく厳しい罰ゲームにすればいいし、
逆にもし長い時間を――例えば、一時間とか――提示されたとしても、今度はそれを当たり障りのないものにすることだってできるだろう。

「その前に確認なんだけど。きみが隠したって言う人形は、棺に入ったあの人形でいいんだよね」

「そう。霧果が創った、わたしによく似たあの人形」

「それで、その人形は棺に入ったまま?」

「うん。人形だけを別にして隠したり、なんてことはしてないよ」

そうなると、棺はそれなりの大きさがあるし、隠すことができる場所は限られるはずだ。
そして、展示された人形のどれかにそれが紛れている、なんてことを考える必要もなくなる。

……これ、案外簡単に見つかるんじゃないか?
少なくとも、何十分もかかるものではなさそうだけど。

「時間はぼくが決めるんだったよね。――じゃあ、三分で」

「三分ね」揃えた指先でつう、と頬を撫でて鳴が言う。「まあまあ、かな。もっと長い時間にすると思ったけど」

「まあ、あんまり長すぎてもだれると思うからさ」

「じゃあ、次は何をするか、ね。うーん……」

いかにも考えてます、といった感じで腕を組み、視線を天井に向けた鳴だったが、ほどなくして腕を解いた。
65 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:18:25.68 ID:qJudscWY0
「負けた人が、勝った人に<イノヤ>で何かごちそうする、っていうのはどう?」

<イノヤ>というのは、三組のクラスメイトの家族が営んでいる喫茶店の名前だ。
学校の近くにあり、ぼくも一度だけ行ったことがある。

「……なんだか、意外と大人しめな罰ゲームだね。もしかして、三分もあれば簡単に見つけられる?」

「さあ? 勝つのが分かりきってるから、優しくしてあげただけかもよ」

軽く揺さぶりをかけてみたつもりだったけれど、あっさりかわされてしまった。
でもまあ、言われてみれば確かにそういう考え方もあるか。

「ていうか見崎って、<イノヤ>に行ったことあったんだ」

「たまにだけど、紅茶を飲みにね。コーヒーはちょっと苦手」

家でも缶の紅茶を飲んでいるものだから、そこらへんにはあまりこだわりが無いんだろう、と思っていたぶん意外に感じた。

……それよりも、だ。
負けた方が勝った方におごるということは、当然そのためにぼくと鳴が二人で<イノヤ>に行く必要があるわけで。
それって……つまりその……ええと。

――これ、ぼくは勝っても負けても問題ないんじゃあ……。

いや、今からそれを考えても仕方がない。まずは目の前のことに集中しよう。

確認することも十分だろうと思ったぼくは、軽く両手を広げ「いつでもどうぞ」と促す。
鳴も応じて、再び時計を覗き込んだ。

「それじゃあ、準備はいい? 用意――始め」
66 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/21(木) 02:19:03.77 ID:qJudscWY0
15

「――あと一分。どう? 見つかりそうかしら」

壁際にある陳列棚の裏側を調べていたぼくに、鳴がそう声をかけてきた。
その声にはまだまだ余裕がある。
それもそのはずで、二分が経ったというのにぼくは一向に人形を見つけられていない。
もう、展示室の中はあらかた調べたと思うのだけど。

「……見崎、確認なんだけどさ。本当に、人形を隠したのはここなんだよね?」

返事はない。
このゲームが始まってからは、もうずっと鳴はこんな調子だった。
口を開いた場面といえば、「あと二分」「あと一分」と残り時間を告げる時くらいなもので。
どのような形であれ、ヒントは一切与えませんよ、ということなのだろう。
多分このへんだと見当をつけていた箇所が悉く空振りで、手当たり次第に展示室を探し始めたぼくが、
装飾として作り付けられた暖炉のマントルピースを覗き込もうとした時は流石に

「そこに棺は入らないと思うけど?」

と呆れ気味の突っ込みを入れられたが。

それはともかく、人形はどこだろう。
展示スペースにも、カーテンの向こう側、エレベーターホール周辺にも見当たらない。
ぼくがただ見落としているだけなのか、それともやっぱり、上に?
いや、それは鳴があれだけ否定していたじゃないか。

「あと二十秒」

いよいよ時間がなくなってきた。このままだと、時間切れでぼくの負け。
別にこのまま負けてしまっても、何をするのかは分かっているし、それに異論もないのだけど……。
このまま手も足も出せずに終わるというのは、やっぱり悔しい。これはプライドの問題だ。
せめて、あと一歩のところまでは迫りたい。
必死に室内を、人形たちを見渡す。
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