荒木比奈「インソート100」

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1 : ◆U.8lOt6xMsuG [sage saga]:2018/12/10(月) 00:43:54.59 ID:DSvNJt5LO

感じろそう初投稿です

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2 : ◆U.8lOt6xMsuG [sage saga]:2018/12/10(月) 00:44:56.28 ID:/688KgEE0


漫画で伝えることが出来ないのは、匂いと、音と、感触、それから温度なんスよ。


3 : ◆U.8lOt6xMsuG [sage saga]:2018/12/10(月) 00:45:58.93 ID:/688KgEE0

僕は温泉街にいた。湯気が立ちこめる中、白い息を吐き出した。体はまだ湯冷めしていない

僕の吐く息は、いつの間にか白色に変わっていた。鼻で透明を大きく吸い込んでから、口で白色を吐き出した。もう冬だ。昼間、日が照っていても暖かさはそこまでで。夜になりかけている時間は、今までよりもずっと早くやってくる。例年通りの冬が、僕らの元にやって来ていた

夕焼けのオレンジが、もう消えかけている。太陽はまだギリギリ沈んでない。けれど、もう肉眼でも見えるくらいに薄暗くなっている。

牛乳を飲みながら首を上げ、暇つぶしに一番星を探してみる。もういくつも光があって、どれが一番目なのか分からなかった。いっとう光ってるやつがそうだろうか、なんて考えた

「寒いな……」

白い息と一緒に、言葉を吐く。ポッケに手を突っ込んで、体を少し屈ませた。そうしてしばらくすると、向こう側から、安っぽいシャンプーの香りが漂った

「プロデューサー、お待たせしましたぁ〜」

待っていた彼女が、荒木比奈がやって来た。よく見ると、髪の毛がまだ完全に乾ききってない。特徴のある癖っ毛が、いつもよりしっとりとしている。冷えて風邪を引くだろうに、もっと時間をかけて乾かしてきても良かっただろうに、そういうことを言おうとして、でもやめて、代わりにコーヒー牛乳を指しだした

「いい湯だった?」

「いい湯だったっスよ……あっ、ありがとうございまス」

彼女は差し出された瓶の蓋を開け、一気に半分くらい飲み干す。

「…っはぁ、温泉の後のコーヒー牛乳はたまんないっスねぇ〜!」

上ずった、満足げな声だった。僕もそれを観ながら、残った牛乳を飲んでいく。比奈があまりにも美味しそうに飲むから、僕もコーヒー牛乳にすれば良かったな、なんて思ってしまった。飲み終えた瓶は軽かった。

「それ飲んだら、旅館に戻ろうか」

「はい」

もう半分を、彼女は再び飲み下していく。待つ時間は、驚くほどに短く感じた。

4 : ◆U.8lOt6xMsuG [sage saga]:2018/12/10(月) 00:46:33.49 ID:/688KgEE0

今回のロケ先はとある温泉街だった。レトロな雰囲気を残していて、ここだけが時代に取り残されている様な錯覚に包まれる、魅力的な場所だった。町並みの中に灯るスマートフォンの明かりは、いささかミスマッチで、でもそれさえも素敵だと思える、不思議な街だった。

午前中をこの温泉街のレポに使い、午後はせっかくだからと一泊、明日の朝に帰る予定だ。

で、その泊まった旅館の女将さん曰く、内湯もあるがそれよりも有名な温泉がいいだろう、と。レポは食事関係の方が多く、温泉は足湯止まりだったので、僕たちはオススメされた場所へやってきたのだ。そこのロビーには芽衣子さんのサインが飾ってあった。

「ロケ隊の人たちはどうしてるんスか?」

「『もったいないから!』ってまだ温泉に入ってる」

「……のぼせないんスか?」

「わかんないや」

我慢大会とかやりだしそうだしなぁ、あの人達。旅館のご飯の時間までには戻ってきて欲しいけれど。

比奈がコーヒー牛乳を全部飲み終えた。瓶を受け取って、二つともケースの中に入れた。

「じゃあ、戻ろうか」

「はいっス」

僕たちは、旅館までの100メートルを辿りだした。

5 : ◆U.8lOt6xMsuG [sage saga]:2018/12/10(月) 00:46:59.47 ID:/688KgEE0

冬は空気が澄んでいて、光はどの季節よりも綺麗だ。星も、街灯も、透明の中で輝いている。そんな光の下、僕達は踵をそろえて歩く

比奈がスマホを取り出し、町並みを撮りだした。作画の資料かい、と言う必要はもう無いだろう

「使えそう?」

だから、代わりの言葉を投げた。

「うぅ〜ん……結構、いいかも」

「それはよかった」

画面を見せてもらう。なるほど、これはいい。モノクロにしても、魅力が消えることはなさそうだ

止めていた足を再び動かして、僕らは歩き出す。旅館まで残り80メートル。僕らの歩みは、さっきよりも遅かった。

6 : ◆U.8lOt6xMsuG [sage saga]:2018/12/10(月) 00:47:30.72 ID:/688KgEE0

空の星が増えてきた。三日月も、より一層光を強くした。すれ違う人は少なくなっていって、僕たちは、どんどん二人きりになっていく。

冷たい風がふいた。湯冷めするのは避けないといけない。もうロケはないけれど、仕事は明後日以降もある。僕はプロデューサーとして、比奈はアイドルとして、体調を崩してしまわないようにしなければならない

でも、僕たちは誰かに言われたわけでもなく、互いに言うのでもなく。

ゆっくりと、ゆっくりと、残り75メートルを消費していった

「寒くない?」

「大丈夫、体がいい具合に冷めるっスから」

彼女も僕も、寒さを感じているはずだ。なのに、歩くのをやめようとしそうになる。

ゆっくりと歩いている最中に、寒さ以外も僕らを取り囲む。地面と靴の裏が擦れる音と、喉に残る牛乳の感触。それから、隣からほのかに届くシャンプーの匂い。

何故かそれらが愛おしくて、心地よくて。

この感情だけは、他人にどうしても伝えられないだろう。このぬるま湯のような心地は、誰にも伝えることができないのだろう

7 : ◆U.8lOt6xMsuG [sage saga]:2018/12/10(月) 00:47:56.25 ID:/688KgEE0

いつかの彼女の言葉を思い出す

『漫画には、どうしても出来ないことが多いんスよ』

原稿を手伝っているときに聞いた言葉だった。彼女が愚痴のように溢したものだった。どうしてこんな時に思い出したのだろう、という疑問には、記憶がすぐに答えを出した

『紙……最近は電子書籍も増えてまスけど、二次元には変わりないので。表現の幅が限定されちゃうんス』

休憩ついでに、体を伸ばしながら、彼女は言葉を紡いでいく

『漫画で伝えることが出来ないのは、匂いと、音と、感触、それから温度なんスよ』

……正直、初めて聞いたとき、僕はその言葉を理解していなかったと思う。でも、今なら、その言葉の真意を読み取ることが出来る気がする。

僕が漫画を描けるとしても。画力や文才を持っているとしても。

今のこの感情だけは、決して誰にも伝えられないのだ。

安いシャンプーの匂いも、靴裏の音も、喉に残った牛乳の感触も、この愛おしい寒さも。

僕はきっと、これらを言葉と絵を使っても、何一つ伝えることが出来ないのだ

8 : ◆U.8lOt6xMsuG [sage saga]:2018/12/10(月) 00:50:01.31 ID:/688KgEE0

「あ、この川も撮っていいっスか?」

「分かった」

僕らは足を止めた。また彼女は写真を撮りだした。僕はそれを眺めていた

……彼女は今、どんなことを考えているのだろう

きっと漫画のことだろうか。資料をどうやって使うか、て具合に。僕は比奈じゃないから分からないけれど。けど、彼女が今考えていることは、いつかきっと、彼女の作品として誰かに伝わる。

もちろん全部を伝えきるのは難しいだろうけど、少しでも彼女の中のモノを紙に乗せられるよう、僕も手伝っていきたいな、なんて事を考えた。夏より花は、僕だって技術が身についているはずだし

これも、プロデュース業務の一環だろうか。いや、きっと……


旅館まで残り50メートルになった。残り半分。僕らは更にゆっくりになる。一歩の次までが遠くなっていく

上を見上げてみた。一番星はどれだろうか探してみた。星があまりにいっぱいあって分からなかったから、比奈にも観てもらった。都会より綺麗だと、彼女は口にした

「旅館のご飯はなんだろうね」

「あ、アタシ女将さんに聞いてきたんスよ」

僕らは言葉を伝え合いながら、歩いて行く。旅館まであと半分もない。残された時間を少しでも長くしたいという思いだけは、僕らの中で共通していたのだろうか。そうだといいな

夕食に遅れない程度に、僕らは歩いた

9 : ◆U.8lOt6xMsuG [sage saga]:2018/12/10(月) 00:50:28.78 ID:/688KgEE0

ここまでです、ありがとうございました

祝え
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