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【モバマス】水曜日の午後には、温かいお茶を淹れて
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1 :
◆Z5wk4/jklI
[sage saga]:2018/12/04(火) 21:37:37.32 ID:fK6iqZ7MO
小説を書きます。
相葉夕美、小日向美穂、佐藤心、八神マキノ、大沼くるみのお話です。
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1543927057
2 :
◆Z5wk4/jklI
[sage saga]:2018/12/04(火) 21:40:49.14 ID:gOTfw+RA0
1.Syringa vulgaris
「あんたみたいな人、芸能界に居るべきじゃないと思う」
オーディションが終わった直後の控室の中、低くて冷たい声で、その人が言った。
「さっき言ってたよね。誰かを元気にするために頑張りたい、だっけ? じゃあまず、あたしを元気にしてよ。あんたが落ちて、あたしが通ったら、あたし超元気になれるよ」
私は何も言い返すことができなくて、ただ、その人の目を見つめ返すしかできなくて。
「中途半端な気持ちで来んの、迷惑」
そこまで言って――その人は、私の目のまえから、煙のように消えちゃった。ううん、消えちゃったと思ったのは私の勘違い。控室の床が崩れて、私は暗闇へと真っ逆さまに落ちていたんだ。
その人は、見下すように、私のことを見下ろしてた。
私は必死で、どこかにつかまるために手を伸ばし――
---
「……あ」
スマートフォンにセットしていたアラームが鳴ってる。部屋のカーテンのすきまから、柔らかい朝日が差し込んでいた。
ベッドの外までぐっと伸びっぱなしの右手。私は身体を起こして、枕元のスマートフォンのアラームを止める。
「……んんっ……ふぅ」
伸びをして、ひとつ息をついた。首元にはじっとりと嫌な汗。
「また、同じ夢……見ちゃったなぁ」
右手を胸に。まだ少し、鼓動が早いまま。
一か月ほど前、たまたまオーディションで一緒になった他のプロダクションの人から言われた言葉は、頭のなかでずっと渦を巻いてた。グループ面接形式の、ドラマのキャストを決めるためのオーディション。意気込みを聞かれ、私は誰かを元気にしたいと言い、その人は自分自身が輝きたいと言っていた。
オーディションが終わってから、控室でその人は強い声と表情で、私に……さっき夢で見た通りのことを言ったんだ。
オーディションの結果は、私は落選。彼女は通過。
友達やトレーナーさんは、気にする必要はないと言ってくれたし、私も気にするつもりはなかったけど……どうしてか、あのときの言葉は、私が自覚してるよりもずっと深く私の胸に刺さったみたいで、こうしてよく夢にも現れてる。
気にする事ではないとは思っているけど。でも……私はデビュー以来ずっと、外部のオーディションに落ち続けていて。
誰かのためになりたいと思っていたはずの私は、誰のためにもなれないまま、時間だけが過ぎていった。
---
3 :
◆Z5wk4/jklI
[sage saga]:2018/12/04(火) 21:42:53.19 ID:gOTfw+RA0
「うん、今日もみんな、元気みたいだね!」
私が所属している芸能事務所、美城プロダクションの駐車場、花壇に並ぶアマリリスやナデシコ、ほかにもたくさんお花さんたちは、春の陽気の中で嬉しそうにお日様を見てる。
プロダクションに来るときはいつも、花壇のある駐車場を通ってから中に入ることにしてる。花壇はとても丁寧な人が手入れをしているみたいで、どの花もとっても幸せそう。いつも元気を分けて貰ってるんだ。
「時間……うんっ、そろそろ行かなきゃ」
腕時計を確認すると、プロダクションの人から指示されていた時間が迫ってた。今日から私には新しい担当プロデューサーさんがついてくれるらしく、今日はその顔合わせ。これまで担当してくれたプロデューサーさんは、日程連絡の電話口で、新しいプロデューサーさんの元でも頑張ってねって励ましてくれたんだ。
今まであまり力になれなくてごめんね、とも。
そんなことはありませんってすぐに言ったけれど、オーディションを勝ち抜けない私が言っても、励ましにもならなくて。
だから、新しいプロデューサーさんをがっかりさせないように、これまで以上に頑張らなくちゃ。
私は駐車場で人知れず決意を新たにした。
「お花さん。私、きっとみんなみたいにきれいに咲けるように、頑張るからねっ!」
発した声は、思わずちょっと大きくなってしまって、誰かに聞かれていなかったか、あたりを見回して……
と、駐車場の端っこで、警備員のおじいさんがこちらを見てるのに気づいた。聞かれちゃったかな。私はちょっと恥ずかしく思いながら、その場を離れた。
「……あの警備員さんが、花壇のお手入れをしてくれているのかなぁ?」
私はちょっとだけ後ろを振り返って、警備員さんのほうをみてみる。時折見かけるあの警備員さんは、結構なお歳だと思うんだけど、姿勢が良くてすらっと細く背が高くて、いつも穏やかな顔をして、駐車場を見回っていたっけ。
ときどき、お花さんたちを眺めていることもあったかな。今度、勇気を出してお話してみるのもいいかもしれない、と、プロダクションのエントランスの扉を開きながら、私はぼんやりと考えてたんだ。
---
「ええと、相葉……夕美さんね! その、申し訳ない!」
顔合わせのために指示されていた部屋に入るなり、壮年の男の人が、両手を合わせて私に頭を下げた。
驚いた私が返事をできずにいると、男の人は頭を掻きながら、困り果てた様子で言う。
「いや、ちょっと社内が荒れてるんだ……昨日、倒れて病院に運ばれてったやつがいてね」
「えっ!?」
さすがに、予想外の出来事。
「過労らしい。さっき病院から連絡が入ったんだ……そいつが社内の重要企画にいくつか関わってたから、今は社内がてんやわんやでね……ちょっと、これからの人事もやりなおしになるかもしれないんだ。悪いんだけれど、すこし待っていてもらえるかな」
「あ、は、はい……」
男の人が部屋の椅子を手で示して、私は言われるがままそこに腰かけた。
「じゃあ、ちょっと待たせるけれど、また戻ってくるから……ん」
部屋を出ようとした男の人は、自分のスーツのパンツのポケットを探ると、スマートフォンを取りだした。画面を見て「ええっ」と声を漏らすと、慌てた様子で耳に当てる。
「はい! ええ、ええ、そうなんです、すいません、ご心配を……はい……えっ!? え、いや、それはさすがに……」
男の人は電話をしながら、私のほうをちょっとだけ気にしたあと、そのまま部屋を出て行った。
部屋の中でぽつん……と、私は独りぼっち。
「……えっ、と……」
嵐のように過ぎた出来事を、もう一度振り返る。いま部屋の中で私を待っててくれた人は、新しいプロデューサーさんじゃなくて、別の人。
社内が大変なことになってて、新しいプロデューサーさんとは会えるかどうか、わからない。
「……私、どうなるんだろう?」
駐車場に咲くお花さんたちみたいになれるように頑張ろうと思っていた私の意気込みは、はやくもお先真っ暗になっちゃった。
しばらくぼんやりしたり、スマートフォンでSNSを眺めたりしていると、扉が開く音がして、さっきの男の人が部屋の中に戻ってきた。さっきよりもずいぶん疲れた顔で、額は汗でびっしょり。
男の人はふうう、と深いため息をついてから、私に言った。
「ああっと、とりあえず……相葉さんたちのプロ……担当者は、もともとの予定とはちょっと別の人間が着くことになったよ。せっかく来てもらったところで申し訳ないんだけど、準備が必要になるから……明後日の午後、もう一度来られるかな?」
私は手に持っていたスマートフォンでカレンダーをチェック。大学の講義は午前で終わりそう。私は頷いて、男の人にお返事した。
「よかった、じゃあまたここで、とりあえず電話番号渡しておくね」男の人が名刺を取り出した矢先、また男の人のスマートフォンが鳴りだす。「ああ、ごめんバタバタして……それじゃ、また明後日ここにきてね!」
男の人は言いながら、部屋から出て行ってしまった。ふたたび、私は部屋の中で独りぼっち。
「……今日は帰るしかないのかな?」私はさっきの男の人の言葉を思い出す。「相葉さん“たち”って言ってたけど……私のほかにも、宙ぶらりんになっちゃった人が居るってことなのかな」
私は言いながら荷物をまとめて、部屋から出ると、来た道を戻っていく。慌ただしい廊下を出て、エントランスを抜けて、駐車場へ。お花さんたちは相変わらず元気いっぱいにまぶしく咲いている。警備員さんは……いないみたい。休憩中かな。
予定がなくなっちゃった私は、普段は通らない道を散歩して帰ることにした。
4 :
◆Z5wk4/jklI
[sage saga]:2018/12/04(火) 21:44:36.09 ID:gOTfw+RA0
---
「ちっひろさぁーん! はぁとの新しいプロデューサー、どうなってんすかー?」
翌々日、約束の時間にプロダクションの打ち合わせ場所を訪れ、ドアを開けようとした私は、部屋の中から聴こえてくる芝居がかった黄色い声に、一瞬固まった。
そろそろとドアを開けてみる。中には女性が四人。緑色のスーツを着た三つ編みの女性は、プロダクションの事務員、千川ちひろさん。表舞台には上がらないけれど、プロダクションの顔のような人で、社員と所属するアイドルたちでちひろさんを知らない人はいないくらいの有名人。
あとの三人はちひろさんの方を見ていて、後ろ姿だからちょっと自信がないけど、さっき声をあげていた人は知ってる。ツインテールのちょっと背の高い人は、佐藤心さん。かなり個性的なキャラクターのアイドルで、顔と名前は一致するけれど、一緒にお仕事をしたことはない。
ほかの二人は、はじめまして、かな?
「ええと、佐藤さん、ちょっと待ってください……あ、相葉さん、こんにちは」
「こんにちはっ!」
ちひろさんが私に気づいて挨拶をしてくれたので、笑顔でお返事。部屋のなかのみんながこっちを振り返る。みんな、不安そうな顔をしてる。
「これで、みんな揃いましたね」
ちひろさんが微笑む。
「これから……皆さんの担当者をお連れします。もう少しだけ待っていてくださいね。それまで、お互いに自己紹介の時間ということで」
そういって、ちひろさんは部屋から出ていっちゃった。
残された私たち四人は、それぞれに顔を見合わせて。ほんのちょっとだけ、沈黙。
「えっと!」こういうときは明るくしなきゃ! と思って、私は声を挙げた。「とりあえず、はじめましてだし、自己紹介します! 相葉夕美って言います、よろしくお願いします!」
「あっ、わたしは!」黒のショートヘアに、印象的なくせっ毛が飛び出してる女の子が続いた。「小日向美穂です、その……よろしくおねがいします!」
美穂ちゃんは一生懸命で丁寧、性格も真面目そう。なんだか安心。
「えーっと」心さんが困ったみたいに苦笑いしてる。「なんのために集められたんだかわかんないけど、ちひろさんがああ言ったってことはー、とりあえずこのメンバーでなんかするってことかー? えっと、しゅがーはぁとのことは、はぁとって呼んで☆」
心さんはぺろっと舌を出して、ばちんって音がきこえそうなウインク。美穂ちゃんがきょとんとしてる。私も、キャラクターの強さに押され気味。でも、これがキャラが立ってる、ってこういうことなのかも。
「……八神マキノよ。よろしく」
長くて艶のあるロングヘア―の女の子が、眼鏡の向こうから真剣な目でこちらを見ながら、静かに挨拶した。
立ち姿はとってもスタイルが良くて、オトナっぽい。でも、学校の制服を着てるってことは、私より年下なのかな。
「……」
ひととおりお互いの名前を伝えて、そのまま沈黙。お互いに状況がわからないから、しょうがないよね。ちょっとだけ空気が重たくなりかけたところで、心さん……はぁとさんが部屋に備えられたチェアに腰を下ろした。
「ま、これから何するかわかんないのに、落ち着いておしゃべりしてらんねーよな☆ プロデューサーが来るまで大人しく待っとけ待っとけ♪」
「……賛成するわ」マキノちゃんがそれに続く。「必要なことは自分で調査すればいいのだし」
私と美穂ちゃんはお互いに顔を見合わせて、どちらともなくチェアに腰かけた。
それから一分くらい経ったころ、部屋の扉が開き、私たちは一斉に立ち上がる。
「皆さん、お待たせしました」
ちひろさんが入ってきて、その後ろからすらっと背の高い、スーツとハットを身に着けた落ち着いた雰囲気のおじいさんがゆっくりと入ってきた。
……あれ。
私の頭の中に、何かがひっかかったような気がしたけど、それが何なのかわかる前に、ちひろさんが続ける。
「こちらのかたが、みなさんの担当者です」
紹介されて、男性はハットをとると、ゆっくりとお辞儀をした。
「おおう、ロマンスグレー……☆ ってぇ、ちひろさん、こちらのおじい……オジサマは――」
はぁとさんが探るようにちひろさんに問いかける。それもそのはず、この人は私が今まで観てきたどんな芸能関係の人よりも、芸能から遠い雰囲気。アイドルと直に接するプロデューサーさんは、体力仕事が多いこともあるのか、もっと若い人がほとんど。そのあとは出世して幹部になったり、直接アイドルに関わらないところに異動になったりするみたいだし、社内にこんな年配のプロデューサーさんが居たなんて聞いたことがない。
でも、ちひろさんはにっこり笑って頷いた。
「ですから、みなさんの担当者です。これからみなさんはしばらくのあいだ、このかたの指示の下で活動してもらいますね」
言われて、もう一度おじいさんは軽く会釈をした。――そのとき。
「あっ!」
私は思わず声を挙げていた。
5 :
◆Z5wk4/jklI
[sage saga]:2018/12/04(火) 21:46:33.00 ID:gOTfw+RA0
思い出した。この人は。
「あの、駐車場の――」
声に出して、私はそこで言葉に詰まる。
「ん? 駐車場?」
はぁとさんが不思議そうな声を挙げる。ほかの二人も、私の方を見ていた。
「え、ええと……」
私が困っていると、ちひろさんがにこやかな顔で後に続いた。
「はい、こちらの方は、美城プロダクションの、駐車場の警備をしていらっしゃいました。これからは、皆さんの担当――」
「ちょ、ちょいちょいちょーい!」はぁとさんがちひろさんの言葉を遮る。「え、いまちひろさん、駐車場の警備って言った? 言ったよね? おいおい、冗談キツいぞ☆ それって芸能関係者でもなんでもなくて――素人じゃね?」
私を含む全員が、男性のほうを見る。男性は穏やかな顔でたたずんでいた。
「心さん、失礼ですよ」
ちひろさんが真剣な顔ではぁとさんをたしなめる。
「ちょ……マジ?」
はぁとさんの声は一オクターブくらい低くなってた。
その時、男性が一歩前に出る。
「皆さん、突然のことで驚いていると思いますが、よろしくお願いいたします」
心地いい穏やかな声と、笑顔で、その人は言った。
「あのっ、よ、よろしくおねがいします、プロデューサーさん!」
沈黙していた私たちのなかで、最初に声を発したのは美穂ちゃんだった。
「よろしくおねがいしますっ!」
「よろしくお願いします」
「……よろしくお願いします」
私たちもそれぞれ後に続く。はぁとさんはなんだか、茫然自失としてた。
「それじゃあ、部屋に移動しましょう」
そう言って、ちひろさんはにっこり微笑んだ。
---
「おいおーいちひろさーん、これってプロデューサールームじゃなくて、警備員室じゃね?」
移動した先、プロダクションの敷地内駐車場の一角にある警備員さんの詰め所で、はぁとさんはちひろさんにツッコミを入れた。……さっきよりちょっと、元気がないみたい。
「仕事に必要な道具は運び込んでありますよ」
「そういうことじゃないっしょー……☆」
がっくりと肩を落とすはぁとさん。
「すいませんね、みなさん。私がこちらのほうが落ち着くものですから」
プロデューサーさんが言う。
「それでは、私は業務に戻りますので、これで」
ちひろさんはプロデューサーさんにそう言うと、深く丁寧にお辞儀をして、部屋から出て行ってしまった。
「ふむ」プロデューサーさんは私たちを見回す。「まずは皆さん、かけてください。椅子が不ぞろいで申し訳ない。お茶を淹れましょう」
私は部屋を見回す。八畳くらいの部屋には書棚がいくつかと、シックな茶箪笥がひとつ。会議室にあるような長机が二つ。そこに折り畳みの椅子が並んでる。背もたれの有るものとないものがあって、机の上には一台のノートパソコン。部屋の隅に『事務用品』と油性ペンで書かれた段ボール箱が二つ重なってた。
6 :
◆Z5wk4/jklI
[sage saga]:2018/12/04(火) 21:47:50.12 ID:gOTfw+RA0
「えっと、はぁとさん、よかったらどうぞ」
私はうなだれるはぁとさんに、背もたれのあるパイプ椅子に座るよう促した。
「夕美ちゃん、ありがと……沁みるぞ☆」
はぁとさんは燃え尽きたボクサーみたいにぐったりと椅子にもたれかかった。
「あの、お茶、私が淹れますよ!」
ガスコンロでお湯を沸かしているプロデューサーさんのところへ美穂ちゃんがかけていく。
「いえいえ、これは私がやります。初めてのお客さんのおもてなしですから、やらせてください。みなさんは座って」
プロデューサーさん穏やかに言われて、美穂ちゃんはありがとうございますとお礼を言って、椅子に座った。
マキノちゃんもしばらく部屋を眺めていたけれど、やがて椅子のうちのひとつに座った。
電気ケトルがぽこぽこと音を立てて、プロデューサーさんは用意した五人分の湯のみにお湯を入れて湯のみを温める。上品な見た目の急須に茶葉を入れてから、すこし時間を置いて、湯のみのお湯を急須へ。またすこし時間を置いて、手慣れたしぐさで五人分のお茶を淹れて、私たちそれぞれに湯のみを渡してくれた。その仕草は流れるように美しくて、プロデューサーさんがスーツを着ているせいか、私たちのいる場所は警備員さんの詰め所なのに、まるで高級なお屋敷の執事さんに淹れてもらったみたいに感じた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
私たちの声が揃った。
「ふむ。失念していました。お茶菓子を用意しておけばよかったですね」
「そんな、おかまいなく!」
プロデューサーさんの言葉に、美穂ちゃんがぶんぶんと手を振る。
「……いただきます」
マキノちゃんが両手で湯のみを持つと、ゆっくりと口に運ぶ。喉がこくん、と小さく動いて、それからゆっくり湯のみを降ろすと、じっと机を見たまま、ほう、と息をついた。
「……おいしい」
マキノちゃんの声は、それまでよりもずっと真に迫っていたので、私と美穂ちゃんはちょっと顔を見合わせてから、それぞれの湯のみを口に運ぶ。
温かいお茶が、口の中に入ると同時に、鼻と口を通して、一杯に広がる甘み。ちょっと飲んだだけで、一面の緑に囲まれてるみたいなさわやかな気分になる。
「ほんとだ、おいしい!」
「こんなにおいしいお茶、はじめて飲んだかも」
「それは良かった」
プロデューサーさんは嬉しそうに微笑んだ。
「ほら、はぁとさん、とってもおいしいですよ!」
はぁとさんに促すと、はぁとさんは「スウィーティーじゃねぇな……」って小さな声でつぶやいてから、お茶を一口飲んだ。
「おお、すげっ」
はぁとさんも驚いたみたい。
「それで」マキノちゃんがプロデューサーさんに向きなおる。「あなたが、これから私たちのプロデューサーになる……ということよね」
「心配させてすみませんね」プロデューサーさんは私たちを見回す。「これからは私が、あなたたち四人を担当します」
「今までは、駐車場の警備員をしていた?」
「ええ。この会社とは少々……縁がありまして、その関係で」
「……そう」
マキノちゃんは呟いて、机に置いた湯のみの水面を見つめた。
「やっぱ素人ってことだろ、それって、それって……なんなんだ……」
はぁとさんが部屋の隅っこを見つめて、絶望的な目でつぶやく。
「不安はあると思います。私も、不安です。ですが、まずはすべきことをしましょう」
「すべきこと……?」はぁとさんの顔がぱっと輝く。「あ、レッスンとか!? それとも、いきなりユニットデビュー? やーん☆」
はぁとさんの軽い調子はどこ吹く風、といった調子で、プロデューサーさんは落ち着いた動きで湯のみを口に運ぶ。
「まずは、荷解きをして、ここでお仕事ができるようにしましょうか」
7 :
◆Z5wk4/jklI
[sage saga]:2018/12/04(火) 21:49:12.74 ID:gOTfw+RA0
「おーい☆」
はぁとさんがびしーっ、と右手の甲をプロデューサーさんに向ける。ツッコミかな?
「プロデューサーに言ってもしゃーねーかもしんないけど、それ、あたしたちがやる仕事じゃなくね?」
「……確かに、意図が読めないわね。肉体労働が嫌だというわけではないけど、ここもプロダクションの敷地内。整備は総務部の業務だと思うわ。備品管理にも関わることよ」
マキノさんは冷静にプロデューサーさんに問う。
プロデューサーさんは穏やかに微笑んで、立ち上がった。
「皆さんもおき聞になったと思いますが、いま、社内は大変混乱しています。非常事態ではありますが、総務が正規のプロデューサールームを整えるのを悠長に待っていられるほど、のんびりした業界でもないことは皆さんもご存じのはず。であれば、私たちができることをすれば、一歩先んじることができます。もちろん、これは独断ではなく、総務や経理も了解していることです」
「……なるほど」
マキノさんは頷く。でも、その目は真意を探るみたいにプロデューサーさんを見てた。
またすこし場の雰囲気が固くなってきたのを感じて、私は口に含んでいたお茶を飲みこんで、椅子から立ち上がった。
「あのっ! 私、手伝います! みんなも、いろいろばたばたしちゃったけど、プロデューサーさんの言うとおり、今はこのお部屋の準備をして、身体を動かしたほうがすっきりすると思うなっ!」
「私も、手伝います!」
美穂ちゃんも立ち上がる。
「ふむ。よろしいですか?」
プロデューサーさんははぁとさんの方を見る。はぁとさんははぁーっと長い息をついて、立ち上がった。
「……しゃーねーな、やるか☆」
マキノちゃんも立ち上がった。
「それでは、まずはダンボールを長机の上に置いて。中に事務用品とリストが入っているはずです。数に間違いがないかを確認してください」
私は美穂ちゃんと二人でダンボールを持ちあげる。
「佐藤さんは、こちらによろしいですかな」
「やぁん、プロデューサー、はぁとって呼んで☆」
プロデューサーさんは一瞬沈黙する。
こんなときでもキャラクターを貫き通せるはぁとさんはすごいなぁ。
「……佐藤さん、お願いできますか」
「……はぁーい」
もう一度『佐藤さん』と呼ばれ、はぁとさんは素直にプロデューサーに従った。
「ここに座り、このノートPCをセッティングしていただきたい。わかりますかな?」
「……そりゃ衣装の型紙を作ったりもするから、ふつーに使うくらいなら……」
はぁとさんは椅子に座ると、ノートPCを開いて電源を入れた。
「すいません、旧い人間なもので、新しい機械は不得意でしてね」
「今日びパソなんか新しい機械とはいえねーぞ。ま、しゃーねーなー☆」
「みなさん」プロデューサーさんは部屋の端に立って、みんなに声をかけた。「ここはこれから、打ち合わせなどで日常的に使うこととなります。置かれた机なども含めて、皆さんの使いやすいように配置をしていただいて構いません。そうですね……相葉さん」
「はいっ!」
「相葉さんをリーダーに、この部屋を事務所にするための模様替えをしていただきたい。自由に配置していただいて構いません。お願いできますかな?」
「えっ、いいんですか!?」
「ええ。重たいものを動かすときは気を付けて、協力して行ってください」
「えっと……」私は部屋を見渡して、家具の配置を考えてみた。「うん、やってみます!」
「よろしくおねがいします」プロデューサーさんはにっこり微笑んでから、何かに気づいたような顔をした。「ああ、でも……できれば、そこの茶箪笥だけは、そのままに……」
すこし申し訳なさそうな顔をしてプロデューサーさんが行ったので、私は思わずちょっと吹きだしちゃった。
「はいっ!」
「あ、はぁとは? って、まだパソのセッティング終わってねーけど」
「佐藤さんは、そのまま続けてください。……ふむ、佐藤さん」プロデューサーさんは、真面目な目ではぁとさんを見た。「背筋が曲がっています。姿勢を」
「っ……」
はぁとさんはなにか言いたそうだったけれど、黙って姿勢を正した。
8 :
◆Z5wk4/jklI
[sage saga]:2018/12/04(火) 21:49:52.55 ID:gOTfw+RA0
---
それから日が落ちるくらいまでかけて、私たちはプロデューサーさんのお部屋の模様替えを終えた。汚れが気になっちゃって床の雑巾がけもしちゃったから、ずいぶん時間がかかっちゃったけれど。
「うん、これで完成っ!」
「おつかれさまでした!」
私は美穂ちゃんとハイタッチ。
「機能性にも優れた配置にできたと思うわ」
マキノちゃんも満足そう。
「みんなお疲れー、って、はぁとはずっとパソいじってただけだったけどな☆」
「お疲れ様です。お茶を……といいたいところですが、外はもう暗い。今日はここまでにしましょうか。最後に予定の調整をして、解散にしましょう」
「はいっ」
私たちはそれぞれに手帳やスマートフォンを取りだすと、お互いの予定を確認した。
「そうそう。さっき佐藤さんが言っていたことですが」プロデューサーさんは私たちの顔を見回す。「もちろん、皆さんにはこれから、レッスン、お仕事を、そしてゆくゆくはユニットとしての活動もしていただくつもりです。そのための助力をさせていただくつもりですので、皆さんもそれぞれに、邁進していただきたい」
「えっ! ユニット!? マジで!? プロデューサー、それマジ?」
はぁとさんが最初に反応して、私たちもそれぞれに顔を見合わせる。美穂ちゃんもマキノちゃんも、嬉しそうだった。
「それには正しくステップを踏んでいただかなくてはいけません。今日はその第一歩です。みなさん、お疲れ様でした」
「はいっ!」
私たちの声は、きれいに揃った。
9 :
◆Z5wk4/jklI
[sage saga]:2018/12/04(火) 21:51:21.84 ID:gOTfw+RA0
---
「それでは、次の水曜日に」
そう言って、プロデューサーさんは部屋に鍵を開けると、帽子を取ってお辞儀をして、プロダクションを後にした。
私たち四人は、日が落ちて街灯とビルの光に照らされた薄暗い駐車場で、それを見送る。
「……なんだか、へんなことになっちゃったね」
美穂ちゃんがつぶやく。
「そうだね」私は今日一日を思い出す。「でも、プロダクションもなんだか大変みたいだし、しょうがないよ」
「プロデューサーはああ言ってたけど、あの歳で、しかも芸能界と関係ない駐車場警備員だろ? ほんとにプロデュースできんのか? ユニットデビューさせてくれるって聞いたときはちょっとテンション上がっちゃったけどー……、素人のじーさんだろ? 正直、怪しくね?」
はぁとさんがおどけたように言う。
「敏腕プロデューサーが一人、過労で倒れたという話は本当ね」マキノちゃんが眼鏡をくい、と持ち上げた。「内部でも急な人事異動があったみたいよ。その人が担当する予定だった社内のプロジェクトに代理の人をあてがって、優先度の高い順に担当者がずれて、その結果ね」
「その結果、はぁとたちは優先順位の低いお荷物アイドルだから、プロデューサーが駐車場の警備員のじーさん?」はぁとさんの声には元気がなかった。「……マジかよ」
はぁとさんはぎゅっと拳を握った。しばらく、沈黙が流れて。
私は心が重たくなるような、不安な気持ちになったけれど――でも、当然かもしれない、と思った。私はしばらくオーディションもうまく行ってないし、いまだに「芸能界に居るべきじゃないと思う」って言われたことが心に残っちゃってる。
私も……お荷物、なのかな?
でも。はぁとさんや美穂ちゃん、マキノちゃんがアイドルとして落ちこぼれてるみたいには、私にはとても思えない。みんなとってもかわいいし綺麗だし、私よりずっと――キラキラしてると思うのにな。
「あ、あのっ、マキノちゃん、詳しいんだね? 私、知らなかったな」
美穂ちゃんが明るい声を挙げた。この場を盛り上げようとしてくれたのかな。
「諜報活動が趣味なの。あのプロデューサーのことは知らなかったから、これから調べないと」そう言って、マキノちゃんはふっと妖しく笑った。「私たちも、そろそろ帰りましょう。次の水曜には何らかの方針が出ると思うわ。契約を解除されたわけじゃないんだから、プロデューサーの言う通り、一歩一歩やるしかないわね」
「ま、それもそーだな。帰るか☆」
はぁとさんもそう言って笑った。
駐車場を出る前に、私は立ちどまって、さっきまで居た事務所と、プロダクションのビルを見比べる。プロダクションの高いビルは、今もほとんどの部屋に明かりがともっていて、なんだか都会らしくて、キラキラしていて。
一方で、私たちがこれから通う事務所は、当然だけど私たちが退室したから灯りも消えて、ひっそりとしていて。
「……これから、どうなっちゃうんだろう」
私はぽつりとつぶやいて、それから花壇に咲くお花さんたちをじっと見た。
街灯の光の中で、お花さんたちは昼間と変わらず懸命に咲いていた。
お花さんたちは、それぞれが一輪だけじゃなくて、花壇の中でみんな寄り添って咲いている。誰も見ていなくても、力強く。
「……私も、頑張ろっ」
大丈夫。一人じゃない。だって、新しい仲間ができたんだから。みんなで頑張ろう。
そう自分自身に言い聞かせて、私もプロダクションをあとにした。
1.相葉夕美−Syringa vulgaris :ライラック(友情・謙虚・思い出) ・・・END
10 :
◆Z5wk4/jklI
[sage saga]:2018/12/04(火) 21:52:25.76 ID:gOTfw+RA0
次回は12/7に投稿します。全6回予定です。
11 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2018/12/04(火) 22:07:20.31 ID:05f62WLL0
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